6月の日記 総集編 Vivian Maierの奇跡 (2015/06/03)
6月1日(月)の記 ムケノツイタチ@サンパウロ ブラジルにて
さあ今日も一日断食だ。 午前中、地下鉄二駅ほど歩いて、お届け物。 今日の御届け先は気ごころの知れた方で、話も尽きない。 思わぬいただきものをしてしまう。
夕方より、お家のミッション。 子らの食事は準備しておく。 初めてのところに、車で向かう。 何度もひやひや。
夜更けに疲れ切って帰る。
6月2日(火)の記 フォトジェニック都市 ブラジルにて
『五月の狂詩曲』のポストプロ作業を開始するにあたって、編集機の容量を空けなければならない。 そのため、『旅の途中』の編集データをテープにコピーして、トラブルがないか点検する作業。
さあおそらく日本からの最後の届け物。 在サンパウロ総領事館宛ての大きく厚く固い封書。 郵便局で列に並んで速達書留便で送るより、地下鉄代を投じて自分で届けた方が安上がりかつ早いと判断。 総領事館のビルのセキュリティはなかなか厳重、封書もX線検査を受ける。 照明のなかに巨大な菊の紋がにぶく浮かび上がる入り口は、大島渚の映画にでもありそうな。
ひと駅歩いて、サンパウロ現代美術館、火曜無料公開の恩恵にあずかる。 20世紀のブラジル画コレクション展、「それ以前」のブラジル画コレクション展、いずれも圧巻。 「それ以前」は最後の週。 もう生涯、実物を拝めないのもあるかもしれないが、ちと疲れた。 タダ鑑賞の返礼に、地下のカフェで5.5レアイス、邦貨220円というかなり高いエスプレッソコーヒーをフンパツ。
そうそう、今日は曇天だったがサンパウロの街はまことにフォトジェニックだなと思い、この副題にした。
6月3日(水)の記 ストの朝そして五月の狂詩曲 ブラジルにて
今日の深夜に、サンパウロの鉄道の組合が突然のストを発表。 路線ごとに組合が異なるようで、数種の粘菌が重なったように入り組んだサンパウロの鉄道網の、どれがどうなっているのか。 ネット系はアクセス不能状態、テレビニュースもセンセーショナルな部分に集中して全体像がつかめない。 わが家にもこのストの余波が。
今年25周年を迎えたメイシネマ祭の友情撮影の映像の、編集素材づくりに着手。 そこそこ面白いものになるかも。
奇しくも、今日はメイシネマ祭開催からちょうどひと月。 さあ何が撮れていたか、どうつないでいくか。
6月4日(木)の記 読書二昧の日 ブラジルにて
「聖体記念」という祭日。 家族も在宅。 食事の支度以外は、読書。
『ラブ・ストーリーを読む老人』、ルイス・セプルベタ著、旦敬介訳、新潮社。 エクアドル領アマゾンの話なのだが、奇妙なタイトルは原題そのもの。 サルガドのドキュメンタリー映画の原題『地の塩』を『地球へのラブレター』などとしたのとは、訳が違う。 ラテンアメリカ文学の邦訳は日本語としてついていけなくて苦手だったが、旦さんのは異なる。 アマゾンの森羅万象の描写も卓越。 ぐいぐい引き込まれてしまった。
流浪堂さんで出会った奇書『原始林の野獣と共に』、上田廣著、穂高書房。 1944年、中国山東省で日本軍に強制連行された劉連仁さんの数奇な記録。 北海道の明治鉱業の炭鉱で強制労働につかされた劉さんは日本敗戦の直前に脱走し、北海道の山野で13年にわたってひとりサバイバルしたのだ。 たいせつにしたい奇跡だ。
6月5日(金)の記 敬遠の理由 ブラジルにて
日本の地方の上映で偶然会った、インタビュアー兼ライターだという人から、取材を受けていた。 「(岡村から)お金はいただきません。」という最初の取材申し込みから、強い違和感があった。 他の用事も兼ねてとのことで、何度か東京の上映にも来るようになった。 しかし奇妙なことに、拙作への感想やコメントがないのだ。
彼が僕について書いたものを、facebookで!送ってきた。 そこそこの量があり、これを液晶モニターでチェックしろというのは、なかなかつらい。 こちらを読む気にさせるスキルがそもそも欠如。 目先の大切な用事の合間に、思い切って読んでみる。 拙作をどう見たかどう思うかという記載は見当たらず、僕が言ったらしい発言や拙著の引用がコラージュされている。
料理人について書くなら書き手がその料理を食べてどう感じたか、音楽家について書くなら書き手はその曲をどう聴いたかがあってしかるべきではないか、と伝えたが答えはなかった。
とりあえず堪えて、いくつか具体的な問題を指摘した。 そもそも僕の発言として書かれた会話文が、全体の文脈が不明で僕の言葉としては違和感があり、意味が取れない。 そのことを質すと、岡村の意を汲みとってライターとして読者目線に立ってまとめたのだという。
具体的に特に意味の取れない「岡村の発言」を、どう意を汲みとって使っているのかと質してみた。 すると(岡村は)どういう意味でその発言をしたのかと逆に質問してくるではないか。 書き手が岡村の意を汲みとって書いているはずのことを、そもそも理解していないのは問題ではないかと伝えると、書いたことに質問をするのも問題なのかと、いよいよ逆ギレが顕著になってきた。
インタビューを基にする原稿は、語り手と聴き手の共同作業だと僕は思う。 こころざし以前に、言葉の意味を共有できない人と、言葉の作業はできかねる。 僕なりに忍耐と寛容を心がけたつもりでイエローカードを何枚か提示してきたのだが、どれも無視されてしまっている。 僕の名前で僕に意味の取れないような発言が公にされることは、勘弁してもらう。
あー、せいせいした。 いやなことは、いやである。
6月6日(土)の記 タコの目 ブラジルにて
ブラジルの方の実家でたこ焼きを作ることになった。 わが家の冷凍庫にあったタコを解凍。 今朝、さばいて茹でることに。
まずは塩をすりこんで、ぬめりを取る。 タコの目を包丁で取り除こうとすると、白い体液がこっちに吹きかかってきた。
ところで、魚の目とタコはどう違うのだろう?
ググってみると、痛みを伴うのが魚の目とか。
魚介類のタコと、足などにできるタコは語源が同じなのだろうか?
これは、不明。 ついでに江戸時代には「ひっぱりだこ」とは「磔:はりつけ」を意味したというのが出てくる。
ヨーロッパではタコが忌み嫌われることがあるが、イエスの磔の連想があるのだろうか?
どうも、これはなさそう。
想いは円谷英二とタコ、縄文人とタコへと馳せていく。
6月7日(日)の記 抜けるのか? ブラジルにて
深夜、西牟田靖さんの『本で床が抜けるのか』(本の雑誌社)を読了。 一般住宅の1平米あたりの積載重量180キロ、店舗で300キロ、図書館で600キロ、とか。 具体的にこれが何冊ぐらいにといったデータもあるが、数字になるとこちらの脳ミソの限界で、なかなか恐怖が伝わらない。 面白く、かつ身につまされるのは、人災を招くほどの物量となった本をめぐるドラマの数々。 西牟田さん自身のカミングアウトも、重い。
著者の西牟田さんとは、今年初めに日本でご縁をいただいた。 まもなくブラジルに取材に来るとのことで、原発事故後、福島からブラジルのゴイアス州に疎開した知人を紹介した。 この人なら大丈夫だろう、知人にもいい刺激になるだろうと判断したから。
『本で床が抜けるのか』はベストセラーとなった。 先の訪日の際の学大ライブ上映講座に西牟田さんがいらしてくれた。 読書子が多く集まる上映でもあり、西牟田さんとこの本を紹介しようとすると「それは関係ない!」と語気強くおっしゃる。 かたや僕の上映に来た面識のない人が、僕に挨拶もないまま上映会場でちゃっかりご自分の本を直売りしていることもあった。
その真逆をいく西牟田さんを、僕も見習わないと。
さて、ブラジルで日本語の本をどうするかという我が身の切実な問題にどう立ち向かうか。
6月8日(月)の記 ジャムと房総 ブラジルにて
ジャム・セッションのジャムとは西アフリカ起源の言葉と知る。
『五月の狂詩曲』の編集用の容量を確保するため、『山川建夫 房総の追憶』のバックアップのマスターテープを作成して編集データを消去しようと思い立つ。 『房総…』を新たにチェックしていて、新たに手を加えたい箇所が。 一日がかりでも終わらなくなる。
『房総の追憶』を先回、横浜のジャズ喫茶の老舗「ちぐさ」で上映してもらったが、まさしくジャズ・セッションのような作品かと。 プロのオーケストラの演奏家たちが何度も同じ曲の練習を繰り返して、著名な指揮者のもとで演奏するのとは、根本が異なっている。 このあたりを勘違いされると、見る側も見せる側も不幸かと。
山川建夫と岡村淳の、房総の晩秋の一期一会のセッション。 木漏れ日、晩秋の弱陽のハレーション、空を舞う落ち葉、一塵の風、鳥の音、成田を行き交うジェット機の音、焚き火の燃えさしから巻き上がる煙、岡村の踏み込む枯葉のたてる音…
房総の地霊、森羅万象が山川さんを祝福している気配のようなものを、あらためて感じた。
6月9日(火)の記 実存の考古学 ブラジルにて
『房総の追憶』の手直し作業を午前中に終了。 ふたたび『五月の狂詩曲』に復帰。
市内に用足しに出る。 両替屋に行って、改めて痛感。 今の日本の総理大臣が居座っている間に、日本円は米ドルに比べて3分の一も下落しているではないか。 国家の信用度、安全度はさらに下落。
カイシャ銀行文化センターの展示に、予備知識なしで。 メインの「実存の考古学」という展示がすごい。 Farnese de Andradeというアーチストの作品群。 海岸や埋め立て地などで拾ってきた人形や聖像を、さらに加工して組み立てる。 とりあえずすごい、としか言葉が出てこない。 人の入りはまばら、もったいない。 また来よう。
6月10日(水)の記 Qの字 ブラジルにて
放送から、ちょうど50年。 作業と家事の合間に、『ウルトラQ』をちょびちょびとみている。
間もない時期の再放送はひと通り見て、およびビデオ化、DVD化の時期に新たに見たものもある。 ディテールは忘れているものも少なくないので、新発見が多い。
「快獣」系、カワイイ系と「敬遠」していたカネゴンの作品の秀逸ぶりに驚く。 この作品に出てくる女性霊媒師は、今村昌平の『人間蒸発』のホンモノより怖いかも。 縄文と東北が漂う。
ネオウルトラQとかも、ネットにあがっているのをいくつか見たが… がっかり。
6月11日(木)の記 Vivian Maierの奇跡 ブラジルにて
午前中にそこそこ作業もしたし、さあいこう。
サンパウロでのイベント紹介をチェックしていて発見。 「光音」ミュージアムでのVivian Maier写真展。 この人はアメリカ人の女性で、家政婦や子守りで生計を立てていたという。 余暇を写真撮影に投入し続けしたが、生涯、他人に写真を見せることはなかったようだ。 アメリカの物書きがオークションで彼女の持ち物を購入、この写真は価値があるだろうかとネット上にあげたのがきっかけ。 さらに故人となった彼女を探るドキュメンタリー映画がオスカーにノミネートされて、ますます知られるようになった。
息を呑むすごい写真群だ。 気の弱い僕には、とても撮れない路上の人物写真。 写真に写り込んでいる彼女自身の姿の、美しくも存在感あふれ、楽しそうなこと。 こうして僕がブラジルで彼女の写真群を見ることができること自体が、奇跡のストーリーだ。
ブラジルで出された写真集、邦貨にして約5200円。 何度か手に取るが、ぐっとこらえる。
見せもの、売りものにしない写真表現。 余人のアクセスすら難しい洞窟の彼方に描かれた、旧石器時代の壁画を想い出す。
6月12日(金)の記 金曜のうれしい便り ブラジルにて
こちらの昼ごろ。 日本からのうれしいメールがいくつか入る。
ひとつは、これまで日本で場所を変えて2度、僕の上映をしてくれた映画フリークの人が新たに上映をしたいとのこと。 もうひとつは先回、京都で初めてお会いした人が自分の所属する大学で上映をしたいとのメール。 こちらは迷惑メールの方に入っていて、ひやひや。 ホントに迷惑なのが、堂々と入ってくるのに。
いずれも若いこれからの人たち。 この日本の夏の予定はかなり埋まってきてしまったが、交通整理をすればこの二つとも入れ込むことができそうだ。
夜は久しぶりにスキヤキ。 クレソンを入れるのはブラジル日系芸能界の今はなき長老のお宅で覚えた。 冷蔵庫にあったほうれん草、チコリかエンダイブかも投入。 後半は小津監督風にカレー粉を入れて。
6月13日(土)の記 ウルトラ窮 ブラジルにて
午後、わが家で『ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説』を鑑賞。 公開は1990年、黒澤明の『夢』の年である。 黒澤の『夢』の方がずっとウルトラだったな。
『ザ・ムービー』の方は訪日中にレンタルビデオが開始されるとさっそく借りて、がっかりしたのはよく覚えている。 今回も、しっかりとがっかりした。
そこいらのチョー古代史本のコラージュ的設定。 日本のテレビクルーが主人公なのだが、ステレオタイプかつ薄すぎ。
横浜の「浦島町」が登場して、その後、神奈川あたりの山手で遮光器土偶が巨大化した宇宙人だか怪獣だかが暴れたように記憶していた。 僕の記憶はかなり歪んでいて、土偶のお化けはもっとチャチな設定だった。
テレビシリーズの『ウルトラQ』は一話あたり正味26分足らずだから、ちょっと厳しい設定でも特撮が出てきているうちにあれよあれよと終わってしまう。 疑問と隙間だらけの設定で、たいした特撮もなく109分というのはつらい。
兵庫県西宮市の越木岩神社が50年ほど前に、敷地内にある磐座などの神域は残すという条件で大学に売却した隣接地をマンション建設会社が購入、法的問題はないとして住民たちの署名や反対も顧みずに磐座の破壊を強行するという。 http://ameblo.jp/koshikiiwa-negi/entry-12039064319.html
こうした問題にこそ向き合おう。 かたや神道や古代史を歪めたおいしいとこ取りが、新たに国を滅ぼそうとしている気配濃厚。
6月14日(日)の記 HAITI HAMLET ブラジルにて
先週の土日は、ぜひ見ておきたい映画に足を運ぶつもりが、両日とも家族のことを優先して取りやめた。 今日は家にいるつもりが、出家することに。
5月25日は世界的にアフリカの日とされているそうで、ブラジルではいろいろなイベントあり。 アフリカ月間は今も続いている。 ダウンタウンのOLIDOギャラリーのハイチアート展をのぞいてみる。 アフリカの日にちなんだ企画の由。 http://www.prefeitura.sp.gov.br/cidade/secretarias/cultura/noticias/?p=18009 西暦2010年のハイチの大地震の死亡者は20万人から30万人におよぶという。 ブラジルにもハイチ人が流入して、現在7万人に上るとのこと。
ハイチの現代アートはブラジルのプリミティヴアートをほうふつとさせ、どことなく南インド的な味わいを感じさせる。 パラダイスと題された絵が2点あり、いずれも目を引く。 ちなみに、鑑賞無料。
同じビル内のシネ・オリドへ。 ブラジル版のハムレットの映画。 ハムレットの芝居の舞台をサンパウロの街なかなどで展開するらしい。
ATG映画の失敗作を見せられた思い。 モノクロ画像で、演出したとみられる演出シーンが続き、今様に台詞をアレンジしたらしいハムレット劇が屋内、街なかで展開されたりするのだが… 僕は今世紀になってからオリヴィエ版の映画をDVDで見たり、原作を日本語の文庫本で読んではいる。 しかしハムレットという劇が自分の血肉となってはいないので、ついていけないのか?
17時の回、20人ぐらいはいた観客が次々と退席、最後には数名、ロールクレジットでは僕一人になってしまった。 そもそもブラジル人たちにそっぽを向かれる内容ということだろう。 サンパウロ市文化局がバックアップしているようだが、いったい…
あー、ハイチのアートはよかった。
6月15日(月)の記 冬枯れの街から ブラジルにて
当地は、冬に向かっている。 屋内でも、毛布を羽織ったり。 外気はなかなか冷房効き過ぎ。
来月からの訪日中の予定がだいぶ立て込んできた。 全体の交通整理と、それぞれの詰め。 拙ウエブサイト中に『坐る9条 THE MOVIE』のデータが上がっていないことに気づく。 ちょうど編集データを整理しようと思っていたところ、再チェックしよう。
午後からおうちのことで外出。 一日断食のため、すすめられるコーヒーも辞退。
6月16日(火)の記 新聞か旧聞か ブラジルにて
断食中と直後は、知的作業が進みがち。 ここのところ区分けした新聞記事をチェック。
白眉はこの5月の『FOLHA DE S.PAULO』紙、科学欄の記事。 僕もお世話になった大アマゾンの先住民ヤノマモの、新たな驚き。 ヴェネズエラ側で2008年に確認された、文明人との接触のないヤノマモのグループの調査で。 このヤノマモの人たちの腸内ファウナは現生人類のなかで最も多様なことが判明。 「ふつうの」アメリカ人の倍におよぶ多様性という。 たとえば、他の人類の体内にはほとんど生息しない、腎臓結石のリスクをなくすバクテリアなどが見つかっている。
先住民、そしてほんらいの生態系の有する豊かさ、ありがたさのほんの片鱗に科学がようやくアプローチしつつある一例。
6月17日(水)の記 陸ウミウシの晩春 ブラジルにて
古新聞での大きな発見もあれば、ツイッターから大きな驚きの情報が伝わってくることもある。 パラオでの「陸ウミウシ」の発見の報は、ナイスである。 http://www.aori.u-tokyo.ac.jp/research/news/2015/20150617.html
そもそも僕のナメクジ類の理解は、巻貝の系統とウミウシの系統がいるということだった。 だが最近、ナメクジの研究者に直接たずねて、これは否定されてしまった。 解剖学的にそうなるらしい。
しかし、イソアワモチやアシヒダナメクジのなかまは、どうなのだろうか。 シロウトでも納得がいくように、また専門家に質問してみたいものだ。
さて、どうもビデオの方の作業にノレない。 夜、感ずるところあって小津の『晩春』を思い切って再見。 これはよろしかった。 原作名は『父と娘』、映画での父親の年齢設定は56歳。 演じた笠智衆は40代だったようだ。 娘を持つ父として、感無量。
サイクリングのデートのコースに、やたらに英語の標識が多い。 米軍占領下の鎌倉付近では、特に米軍関係者が多かったということだろうか。 コカコーラの看板のカットがやたらに長い感じもするが。
後半に映し出される京都の寺は、清水寺か。 調べてみるとビンゴ!だが、こっちとあっちの舞台はこんなに近かっただろうか。 拙作『京 サンパウロ』でちょくちょく見直しているのだが。
京都の宿での消灯後にインサートされているカットは論議を呼び、最後に父親がリンゴをむくシーンに思わぬエピソードがあることをウイキの記事で知る。
6月18日(木)の記 小津の魔法を見た ブラジルにて
今日という日の過ごし方は、自分なりに考えている。
午前中、思い切って小津の『麦秋』をDVDで観ることにする。 『晩春』から続けてみると「また」混乱する危惧もあるのだが。
にしても、『晩春』と同じ家ではないかと思わせるほどのこだわりがすごい。 居間の長押(なげし)の上の額の位置、額の絵そのものも同じではないかと思えるほど。
以下、ネタバレあり。 主人公の紀子は、四国善通寺の金満家の息子で紳士録にも載っているという人物との見合いをすすめられる。 ことわりの本音の理由は、40も過ぎてぶらぶらしている人など信用できないというもの。 かわりに紀子が選んだのは、東京から秋田の病院に「飛ばされる」、子持ちババ付きの男ヤモメである。 この男ヤモメは、秋田行きを告げられると、秋田にはツツガムシがいる、リケッチアの研究ができると喜ぶのだ。 ツツガムシ病は人命を脅かす風土病である。 ツツガムシと呼ばれるダニが媒介するリケッチアという微生物が感染源だ。
「ふつう」ならいやがる、ツツガムシ病のある秋田というマイナスの偏見の地を、それを研究できると喜ぶ、なんというダイナミズム、プラスの錬金術だろう。 カネ儲けのためになにもしらないブラジルに乗り込んでくる移民団とは、志の次元が違う尊さだ。
突飛だが、秋田の修道院にあった鎌倉彫の聖母マリア像が涙を流した意味すらわかる思い。
午後、トミエ・オオタケ文化センターのミロ展を見に。 草間彌生、そしてダリ展のような数時間待ちの行列はない。 が、なんと有料になっているではないか。 大人10レアイス、邦貨にして約400円。
日本の原美術館で始まるというサイ・トゥオンボリに似たものをちょっとミロに感じる。 原は入場料1100円取るというから、ミロで400円はお徳用か。
ところで『麦秋』をネットで調べて驚き。 紀子の父である周吉は「植物学者」となっているではないか。 作品は周吉が飼育している小鳥の餌をこさえているシーンで始まる。 あとは娘に自分の書いた原稿の投函を頼んだり、机で原稿を書いていたり、カナリアの餌を買いに出たり。 うーん、どこが植物学者だ?
脚本の野田高梧は『東京物語』よりこの『麦秋』の脚本の出来が高いといっていたというが、この設定はちょっと… あ、野田高梧の「梧」は、橋本梧郎の「梧」だ。 ちなみに橋本先生は小鳥など飼っていなかったが。
この梧とは、アオギリのことである。
6月19日(金)の記 ケバブる ブラジルにて
訳あって、30年前!に日本で放送した番組の録画のVHSテープを発掘することになった。 これを再生・編集・ダビングして、他人様にみていただけるようにするのに半日かかる。 テレビ番組というのがいかに奇妙なつくられ方をするのかという、好例ないし特異例。
昼から、家族一名と近くにオープンしたケバブ屋に行ってみる。 日本でも見かけるようになったケバブは、サンパウロの中心街ではシュラスコ・グレゴ、ギリシャ風シュラスコという名前で大衆の小腹に収まっている。 ブラジルには第一次大戦後にトルコ移民が導入したらしい。
今回、僕の食べたのは、種無しパンで野菜・チーズとともに巻いた手巻き風のもの。 シャワルマと呼ぶようだ。 ブラジリアン手巻き寿司よりは口に合う。 オーナーは中東系の風貌だったが、特に出自とは関係なく、商売としてケバブ屋を始めてみたという。 デリバリーもするとのことだが、さてさて。
6月20日(土)の記 ハイチと愛知 ブラジルにて
日本からブラジルに赴任した若い友人と会うことに。 いくつかのコースを提案して、昼にリベルダージ駅で待ち合わせ。 東洋人街の下の方に形成されているというハイチ人コミュニティに行ってみようという路線。 サンパウロの日本人街の始まりとされるコンデ街から行ってみる。
そもそも治安の悪化で知られていた道だが、だいぶ様変わりしている。 福音派教会と、関連商店がまさしく軒を連ねているのだ。 いわば門前町。
突き当りのグリセリオ街がハイチ人コミュニティの地。 こちらはカトリック教会が中心な感じ。 人々の肌の黒さが違う。 耳を澄ますと、フランス語っぽい会話。 ハイチ人相手のレストランもできたという報道があり、探してみる。 雑居店舗の続く建物の奥の駐車場スペースにそれらしきものがあった。 ストレンジャーが食事をする雰囲気ではない。
ブラジル北東部料理屋でも行きましょうか、と方向転換。 友人は日本の愛知の出身。 ブラジルでは語頭のHを発音しないのが普通だから、ハイチはアイチだね、などと奇遇に感じ入る。
サンパウロのダウンタウンのアフリカ人街には「外部」の人間向けのアフリカ料理屋もオープンした。 グリセリオ街にも数年すればアイチ人にもアクセスしやすいハイチ飯屋が生まれるかも。
夜、DVDで小津の『宗方姉妹』を再見。 「本当に新しいものは古くならない」という台詞に打たれる。
6月21日(日)の記 小津はブラジルを超えて ブラジルにて
路上市の魚屋のアニキに呼び止められる。 ブリがおすすめとのこと。 体長40センチほどだから、出世魚としてはブリ未満かも知れない。 が、ブラジルの魚は出世しないようで。
夜、水菜を敷き詰めてカルパッチョにしてみる。 悪くない。 が、刺身で醤油といただく方が数段おいしい。 数段、飛び級出世のうまさ。
小津づいて『お茶漬の味』をDVD観賞。 『宗方姉妹』のあの夫、まことにイヤな奴・三村の贖罪が産んだような「鈍感さん」佐竹。 以下ネタバレあり。 この佐竹の海外赴任先がどこだか、台詞が聞き取れない。 アメリカの航空会社の飛行機で飛び立つから、てっきりアメリカ合衆国だと思っていた。
出発後の台詞でわかったのは、なんとウルグアイのモンテヴィデオ。 黒澤明監督作品では、ずばりブラジルというのが数作品に登場。 小津作品では、管見では皆無だった。 今回、いきなりウルグアイとは、ブラジルを飛び越されてしまった。
作品のあちこちから第2次大戦が漂う小津ならではのモンテヴィデオか。
6月22日(月)の記 冬至のひかり ブラジルにて
ブラジルは本日が冬至。 サンパウロは、屋内で毛布にくるまってパソコンに向かうこともある冷え込み。 今日から少しずつでも日が長くなるというのは、にんまりしてしまう。
南回帰線の真下にあたる当地の、冬至の時期のひかりに、特別なものを感じる。 ひかりが美しいな、と感じて、あとで冬至だなと気づいたことが何度か。
うまく表現できないが、創世記的というか。 創世記を読み返してみるか。 ちなみに、日本じゃ「ラブレター」の大サルガドの大写真集の原題は『創世記』。
冬至の日に、断食か。 いい感じかも。
6月23日(水)の記 目黒の秋刀魚の味 ブラジルにて
おうちの用件で、家人と東洋人街へ。 メトロ代を使ったついでに、気になっていた美術展をひとつ見ておく。 ブラジルの精神病院で描かれた絵画の傑作選。 イエスやマリア、そして性行為の表現が目をひく。 日本のお土産に、もっと図録を買っておけばよかった。
帰宅後、相変わらずビデオ編集機を組む気になれず。 ここのところの小津ごのみに一段落つけようと、遺作の『秋刀魚の味』を見直すことに。
ちょうど次回訪日の際、大田区の蓮沼で拙作の上映をしてくれる石川さんという方と上映の告知の件でやり取りをしていたところ。 『秋刀魚の味』の舞台設定は大田区の石川台、蓮沼と同じ池上線沿線だ。 さらに気になることを調べていって、別の奇遇もあり。
この映画のタイトルが、なぜ『秋刀魚の味』かも興味深いところ。 わが家の夕食は、タラチリとする。 映画のなかでは「ハモ」に言及されていたが、タイトルは『鱧の味』とはいかなかった。
6月24日(水)の記 五月の、再開 ブラジルにて
先週以来、忌避してしまっていた作業を再開。 メイシネマ祭の撮影素材の整理作業。 いくらか、こっちの気分も変わってきた。
午前中に駅前の肉屋に牛干し肉を買いに行く。 さっそく水に漬けて塩抜き。
何度か水を代えて、夜、鉄板焼きにする。 うーむ、まだちと塩辛かった。 今後の課題。
6月25日(木)の記 デスクトップ発掘 ブラジルにて
7月の東京大田区での上映会の告知にふさわしい画像が見つからないでいた。 しばらくいじっていないデスクトップパソコンにありそうかも、と気づく。 久々の稼働、待つことしばし。
あったあった。 メールに添付、ノートパソコンの方のペイント機能でいじってみる。 しかもデスクトップの方に、オリジナルデータの見当たらなかったデジカメのデータのバックアップがあるではないか!
2005年、最初にデジカメを買った時のデータで、『KOJO』取材時のカンボジアやフィリピンの写真が中心。 よかった! DVDへのコピーを図るが、うまくいかない。 一枚一枚、メールに添付して、ノートPCの方からDVDへ…
一日仕事になる。 おかげさまで次回の写真展に広がりが出そうだ。
6月26日(金)の記 聖市ダウンタウン物語 ブラジルにて
『五月の狂詩曲』仕上げ作業、まず最初の段階を終える。 基礎にする素材をメイシネマ祭の藤崎さんに試写していただくべく、DVD焼きに入ろうとするが… 機械の不調。 ガラパゴスなシステムだと、こういう災害に弱い。 さあ困った。
シャーマニズム的対処で、 なんとか再起動かなう。
今晩、ブラジル被爆者平和協会の森田隆さんがサンパウロ市議会から表彰されるセレモニーがあるとの招待状をいただいた。 うーむ、枯れ木も山のにぎわいで、おうかがいするか。 ためらいの理由は、その場所と時間である。 被爆者のお祝いに行って、強盗にやられてしまうのはいただけない。
サンパウロ市議会の場所はまさしくサンパウロのダウンタウン、危険地帯でもある。 セキュリティ同行や防弾車使用の御仁ならよろしいが。 公共機関と徒歩でのアクセスを試みる輩が、しかも日の短い冬の夜に出向くのは、決死の覚悟。
この近くに居住して、常に危険情報を発信している友人に電話をして、より安全なアクセスや心構えを聞いておく。 僕にとってはフォーマルな衣装でメトロに乗るが、銀行・クレジットのカードを持参してきたのを後悔。 三次元の迷路に迷ったあげく、ようやくそれらしいところに。 明細ジャケットをまとった邦字紙記者の友とばったり。
森田隆さんにご挨拶。 まことにお慕わしいキャラクターである。 このキャラクターと、ご家族の理解と献身の賜物を、つくづく感じる。
ブラジル被爆者平和協会は、近年はブラジル反核グループとのコラボも多い。 が、今日の祝辞はフクシマのfuの音も聞こえず、核兵器限定モードのようだ。 なるほど、会場には「戦争屋」「原発屋」として日本の軍事・原発企業の筆頭セールスを務める安倍首相のブラジルでの提灯持ちたる日本国サンパウロ総領事がご臨席である。
市会議員の名士だろうか、延々とブラジルの奴隷解放の話が続く。 ブラジルは福島近辺の製品の輸入制限をしている国、しかもさらに原発増設を図る国だ そこで核被害を生き抜いた移民を表彰する席において、いま、なにを共有し、語り合うべきだろうか。
6月27日(土)の記 ヒロシマのバラを想う ブラジルにて
昨晩の森田隆さんを表彰するサンパウロ市議会で、おなじみ『ヒロシマのバラ』が歌われた。 僕がブラジルに移住して間もない頃、1980年代後半だろう。 やはり森田さんが、この時も市議会だったように記憶するが招待された時に声をかけてもらった。 ビデオカメラを担いで参加したのだが、あの時は昼間だったし、昨今ほど治安も悪くなかったように思う。 その時、この歌を聞いて歌詞は「ヒロシマのバラ」以外には聞き取れないものの、全身を揺さぶられる思いがした。
昨晩もあらためてこの歌で身心を揺さぶられた。 相変わらず歌詞は聞き取りにくく、いまポルトガル語の文字で見てもうまく日本語で訳すのがむずかしい。
ウエブサイト上の以下の二つの訳文を見ていただければ、大意はお分かりいただけるだろう。 http://www.tadashimaeda.net/2010/04/02/%E3%83%92%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%81%AE%E3%83%90%E3%83%A9/ http://resetsukosmos.blogspot.com.br/2012/08/blog-post_9.html ヴィニシウス・デ・モライスという巨匠が1973年に作詩。
ネット上にいくつものビデオクリップがあり、アメリカ側の撮影フィルムとみられる個々の被爆者のからだの惨状を写す映像が続き、いたたまれなくなる。
6月28日(日)の記 トマトがあんまりあかいから ブラジルにて
日曜の路上市にて。 途中、紫イペーの落ちた花弁が見事。 小ブリと、冷凍ものだというサバを買う。
よく熟れたトマトが出ている。 イタリアンという小ぶりで長っぽそい品種で、キロ3レアイス約120円。 迷った挙句、半キロほど購入。 別の屋台でミントを一束2レアイスでゲット。
運転手役の用事を済ませて帰宅後、さっそくいただいてみる。 ウオッカにトマトを刻んで入れてミントを散らすのだ。 かつて中央市場で飲んだこのカクテルは日本人移民へのオマージュとか。 トマトはプチトマトで、甘味料を加えてあった。
とりあえず甘味料をいれてみるが、うーむ。 甘口を味わったあと、塩でいってみる。 よき哉。 値段の張るプチトマトだったら、よりよかったかな。
6月29日(月)の記 アマゾンの星 ブラジルにて
次のブラジル出家まで3週間、途方に暮れるばかり。
サンパウロ市内の石材屋を訪ねる。 セールス中のものに「AMAZON STAR」と名付けられたものがある。 花崗岩で、茶褐色をベースに石英状の白濁が入る。 カビの拡大写真や、万華鏡のような観もあり、アマゾンの生態系そのものを感じさせなくもない。 売り子のお姉さんに聞くと、ブラジル国産だが、石材産地として知られるエスピリト・サント州ではないと思う、とのこと。
値段などを確認する際に、ほかにこんなことを聞く顧客もまれだろうが、ブラジルのどこ州の産かわかるか尋ねてみた。 しばらくパソコンをいじって、ずばりアマゾナス州だというではないか。
帰宅後、アマゾンスターを調べてみる。 石屋の世界ではポピュラーのようだ。 英語のサイトもヒットして、ブラジルから輸出されていることも知る。 英語名が付けられていることも納得。
アマゾンに石材を産出するところがあるのかという「よくある質問」。 僕はアマゾン流域の「岩絵」遺跡を広く訪ねているので、ある、と即答できる。 放射性の岩石が住民を脅かしているとされるところもあるぐらいだ。 ちなみにブラジル領アマゾンの中流域に位置するアマゾナス州の面積は、われらが日本国の4倍以上の広さで、標高3,000メートルを超えるブラジルの最高峰もある。
ウエブサイトでもアマゾンの星がアマゾナス州のどこで産するのかまではつかめなかった。 日本のいんちき「大アマゾン展」より、これだけでもずっと面白い。
6月30日(火)の記 忘鏡 ブラジルにて
小津にポーズを置いて、タルコフスキーを少し見直し始めた。 『惑星ソラリス』の冒頭に、あっと驚き。 拙作『京 サンパウロ』の祖国ロケシーンのファーストカットにずばり重なる。 これの撮影時、黒澤の『夢』は意識していたかもしれないが、ソラリスを意識していたかどうか。 僕の深層に、タルコフスキーはバッハのBWV639の旋律とともにあったことだろう。
タルコフスキーには学生時代に傾倒していた。 映像記録のAD時代の過酷なチベットロケでは、森林限界を超えたチベット高原での束の間のひとりの時間にタルコフスキーの世界を想ったものだ。
今日は『鏡』を見る。 先回の訪日時、さる映像作家と懇談していて彼が『鏡』のあるシーンに言及した。 恥ずかしながら、僕はそのシーンをよく覚えていなかった。 学生時代、岩波ホールだったかで見たときには、モノクロの気球の映像を覚えているぐらいだったので、けっこう眠っていたのかもしれない。 ここ数年のうちにも見直していたのだが。
今回は廃屋と古井戸のシーンに『郷愁は夢のなかで』を想い出した。 『鏡』は難解そのもの。 ポルトガル語字幕版だから、なおさらである。 あとで読むネットの情報でなるほどと気づかされること多し。
僕が知らないでしまった、自分の肉親の抱いていただろうイメージに想いを寄せる 。
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