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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2015年の日記  (最終更新日 : 2016/01/03)
7月の日記 総集編 アベに殺されてたまるか!

7月の日記 総集編 アベに殺されてたまるか! (2015/07/02) 7 月1日(水)の記 空の陥没
ブラジルにて


いやはや、7月。
下旬からの訪日中の上映情報をいくつかアップ。
日本の各上映の主催者の方々とのやり取り。

午後から所用で出た際に、思い切ってサンパウロ大学「芸術宮殿」での「空の陥没」展をざざっと鑑賞。
「空の陥没」とはアマゾンの先住民ヤノマモのシャーマンかつオピニオンリーダー、ダヴィ・コペナワの著書のタイトル。
ブラジルの先住民の諸相・諸問題をアートでとらえた展示。
ばたばたとせかされた状況で、残念。

思えば僕がブラジルに引き寄せられるきっかけが、日本のテレビの「大アマゾンの裸族」シリーズだ。
ちょうど日本でその頃の映像を参考上映したいという企画のやりとりをして、またこの「芸術宮殿」が登場する『京 サンパウロ』の上映のやり取りをしているところ。

僕以外にはわかりようのないことどもの意味を感じ、考える。


7月2日(木)の記 聖市解菌
ブラジルにて


手塚治虫の『ブッダ』に動物を超能力で操る少年が登場した。
彼が仲間に昆虫も操られるのか、と聞かれる。
少年は、昆虫はまるでこころの仕組みがオレたちと違うのでできない、というような答えをしたかと記憶する。
さすがに虫を愛した手塚治虫だ。
さて、キノコも然り、かも。

サンパウロのキノコ男爵・園田明憲さんからキノコキットをいただいた。
先月、僕がブラジルに戻って早々のこと。
半キロぐらいのオガクズ状のものにヒラタケの菌をうえて密封したもの。
あと10日ぐらい放置して菌を広めさせて、冷蔵庫に入れたのち開封すれば2度は収穫できるという。

ポイントは、菌をいじめること、という。
普通の盆栽や作物など、植物を愛おしむというのとは逆ともいえる方針だ。

2週間ほどしたが、教えていただいたように菌が黄色みを帯びてくる気配はない。
男爵のキノコ御殿でもここのところ気候のせいか、成長が遅れているという。
ひと月も経ち、先にこのキットを試したという友人の体験談も聞いて、冷蔵の後、今週初めに開封してみた。
ニオイは菌臭で、腐敗してはいないようだ。

三日が発ち、袋内で開封前からわずかに形成されていた子実体の萌芽のような部分が膨張して、先端が丸みと黒みを帯びてきた。
マタンゴの笑い声が聞こえてくる思い。

きのこセラピー、いけそうである。
福島原発周辺で、放射性物質を蓄積し続けるきのこを想うと、通じるかどうか、心が痛むけど。
人を襲うきのこのお化けマタンゴも、核実験の産物だったな。


7月3日(金)の記 映像の暴力性
ブラジルにて


朝から雨、である。
サンパウロの冬は乾季で降雨はまれになるため、慈雨である。

荷物が多く、帽子もかぶっているので傘を持たずに東洋人街へ。
メトロ代を使ったついでに、映画を一本見ることに。
国際音楽ドキュメンタリー映画祭の、ブラジルのフォークロアをとらえた作品に挑もう。

メトロの黄色線に乗ると、向かいの座席に思わず目をひくおばさんが座り込んだ。
大柄の体を、雨除けの透明のビニールで覆っている。
周囲を睥睨してから、手にしたスナック菓子をほおばり始めた。

ヴィヴィアン・マイヤーだったらカメラを構えたかもしれない。
この手の人に食指を動かすカメラマンは少なくないだろう。
僕は、撮ることはない。

今年になってから、オーディオヴィジュアルの動画表現は、核エネルギーなみに制御不能のものではないかと考えるようになり、恐ろしくもなっていた。
しかし、暴力性は写真の方が上だと瞬時に気づいた気がした。

お互い名前も素性も知らない関係で、いきなりカメラを向けられ、その映像が自分の感知することもないメディアで不特定多数にさらされ続ける。

ドキュメンタリー映像の暴力性は、いわば低線量被曝に近く、写真の暴力性は核兵器に等しいのではないか。

今後、どのように映像表現をしていくかの、今さらながらの大きな気づきを、映像に収めることもなかったおばさんにいただいた。


7月4日(土)の記 音楽ドキュメンタリーの解放
ブラジルにて


サンパウロで始まった国際音楽ドキュメンタリー祭。
http://www.in-edit-brasil.com/
そもそも僕は世界の音楽状況に疎いので、当初はプログラムを見る気もさして起きなかった。
昨日はブラジル北東部のブンバ・メウ・ボイという芸能を撮ったものがかかり、気になって行ってみた。
研究者が、特に映像的なメリハリもなく、ひたすら演者に肉薄してカメラを向け続ける作品だった。
会場でもらったプログラムを見て、ほかの作品が気になってきた。

MURRAY LERNERという音楽ドキュメンタリーを撮り続けている監督のオマージュ特集上映がある。
この人について、日本語でも検索してみると、
「マレー・ラーナー」
「マーレイ・ラーナー」
「ミューレイ・レイナー」
と表記はさまざまで、主役のミュージシャンの付録程度の扱いしかされていないようだ。

これはしっかり日本語になっているヴァイオリニスト、アイザック・スターンの中国訪問をフォローした『FROM MAO TO MOZART:ISAAC STERN IN CHINA』と『THE OTHER SIDE OF THE MIRROR:BOB DYLAN AT THE NEWPORT FOLK FESTIVAL』の2本を思い切って見に行く。
後者は、ボブ・ディランがアコースティックギターからエレキギターに変容する1963年から1965年までの記録だ。
しかも大半は三脚を据えて撮ったディランのライブの歌のシーンである。

それでいて、音楽知識にオンチな僕あたりでも十分に面白いのだ。
アイザック・スターンやボブ・ディランというカリスマ的なミュージシャンの魅力が映し出されていれば、ドキュメンタリー映画監督の作家性などという本人と評論家以外にはどうでもよさそうなことは、どうでもいいのだなと気づかせてもらう。
いっぽうMURRAY LERNERがタダ者ではないことは、前者の作品で十分にうかがえる。

いずれにしろ、なんだかとてもラクになった。


7月5日(日)の記 菌類の進歩と調和
ブラジルにて


キノコ男爵・園田翁からちょうだいしたヒラタケキットは、家族の目を楽しませて驚かせてくれている。
が、家族4人での食用にはまだ時期尚早。
どのあたりで収穫するかの見極めが難しそう。

先回、日本でのいただきもののなかにカスピ海ヨーグルトの種菌というのがあった。
牛乳500ccに種菌を混ぜて、室温で放置するだけとある。
さっそくやってみようかと。

説明をよく読むと室温とは、20度から30度とある。
冬場のサンパウロは12-13度まで冷え込み、日中の屋外で22-23度といったところか。
ヨーグルト菌というのはそんなにあったかっくないと繁殖しないのか。
とりあえず、冷蔵庫から牛乳を取り出した。
まあ、やってみるか。

今回は大豆はゆでたものの作成を断念した納豆よりは、だいぶ簡単かも。


7月6日(月)の記 カスピ海に捧ぐ
ブラジルにて


早朝、昨晩にカスピ海ヨーグルトの種菌を混ぜた牛乳をチェック。
およそ菌類がはたらいた気配がない。
温度が低すぎるか。

納豆作成の時に用いた発泡スチロールのボックスを引っ張り出す。
熱っぽいひと肌ぐらいに温めたお湯をタッパーに入れて同居してもらう。
納豆づくりよりは、楽勝かも。

さて、カスピ海ヨーグルトについてネットで調べてびっくり。
毀誉褒貶、入り乱れ。
40度で菌が死滅してしまうという記載もあり、うろたえる。
ボックスの蓋を開けて、冬のサンパウロの冷気を注ぐ。

世の中にはヨーグルトメーカーなる電気製品があることを知る。
納豆に応用が効くか、調べてみるが微妙な感じ。

午後、牛乳が固まり始めた!
杏仁豆腐状、日本創世のイメージ。

もと菌がコーカサス地方産なのでカスピ海ヨーグルトと命名されたとのことだが、カルピスとの音の類似もひと役かったかも。

素人培養ではどんどん菌が劣化、雑菌が混入してくるとのこと。
「新菌代謝」する前に、飽きてしまいそうだけど。


7月7日(火)の記 氷雨の写真巡礼
ブラジルにて


祖国は、七夕か。
南回帰線下のサンパウロは、朝から氷雨。

カスピ海ヨーグルト、日本から持参した種菌での第一世代は成功。
次世代につないでみよう。

午後から思い切って、ヴィラマダレーナ地区で行なわれているというサンパウロ写真展に行ってみる。
若い遊民たちがたむろする地区のあちこちに写真が展示してあるという趣向というが、初心者、ナビ不携帯者には実に判りにくい。

氷雨は強まり、傘なし着帽のみで乗り込んだ身は、雨と冷気で凍える。
メインの通りをひととおり歩くが、そもそもセンターにあたるオフィスが見当たらない。
ずうっと道を戻って、ブラジルニコンの展示サロンを発見。
ここにあった刷り物をみて、ようやくだいたいの感じが掴める。

それをもとにまた歩いてみるが、ほんらい写真展の会場であるはずギャラリーなどが営業時間なのに閉まっているのがいくつも。

まあそれでも、特に見たかったのが見れた。
僕自身はずっとひと通り動画人生を送ってきたが、写真だったら、みたいなイフを考えながら、氷雨のなかを行きとは別の駅まで歩いてみる。

さあ、これでとりあえず次の自分の写真店に向かう基礎のこころがまえはできたかも。


7月8日(水)の記 バチカン奇跡調査官
ブラジルにて


少しでも身辺のものを処分したいのだが、なかなか。
書籍類をどうするか。
大半が日本語である。
祖国でなら、手放してもまた図書館やらでなんとかなるだろう。
ブラジルでは、そうもいかない。

日本で日本語の本が捨ててあっても当たり前だが、異国では文化の恥を感じてしまう。

『バチカン奇跡調査官 血と薔薇と十字架』という文庫が目につく。
数年前、出国時の成田の本屋で買ったような。
読み始めたものの、出だしがあまりにも現実離れしていて、そのままになっていた。

読まずに処分か、といううちに、引き込まれていってしまった。
作者の藤木稟という人についてはネットでもあまり情報が出てこない。
これは相当の博識だ。
日本人がこれだけのものを書いてしまうというのもすごい。

平賀・ヨゼフ・庚という日系アメリカ人が奇跡調査官として登場するが、日本文化の薫りがまったくない。
故・船戸与一さんなら隠し味以上に日本テイストを盛り込んでくれただろうけど。

まあ、僕のような小口の読書家には西牟田靖さんの著書のような『本で床が抜けるのか』といった心配はないだろうけど、いやはや。


7月9日(木)の記 島からの本
ブラジルにて


今日のブラジルは「護憲記念日」という旗日。
こちらの親戚の子どもを預かったり、わが子の友だちが来たりでにぎやか。
昼、夜とも食事はカプリシャ(ポルトガル語で、丹精をこめること)する。

『聖堂の日の丸 奄美カトリック迫害と天皇教』(宮下正昭著、南方新社)の後半を読み進める。
四捨五入で500ページの厚い本で、なかなか読み終えられないでいた。
しかし、現代の祖国のグロテスクな状況の預言を読む思いで、はじめからもう一度、読みなおした。
第2次大戦前の奄美大島を舞台に、権力者(軍部)と民衆の反知性主義の行きくところが7年がかりの取材をもとにノンフィクションで描かれている。
「社会の全体主義化は、異端の排除から始まる。戦前の日本では、奄美のカトリック迫害がその一つだった。」(424ページ)。

この貴重な本は、畏友の淺野卓夫さんからいただいた。
現在は瀬戸内の島々をベースに、南西諸島までを往来するパイレーツな編集者だ。
僕が、奄美出身で日本敗戦の年にフィリピンで日本軍に殺されたらしい池田勇というカトリック司祭の話を持ち出したのを気にとめてくれて、この本を手配してくれたのだ。

淺野さんが代表を務めるサウダージ・ブックスは、はずれのない、ひとつひとつに心のこもった出版活動を続けている。
昨年の6月18日!に発行された『生きるためのサッカー ブラジル、札幌、神戸 転がるボールを追いかけて』(ネルソン松原著)がすばらしかった。
はっきりいって、サッカーにもスポーツにも関心のない僕にも十二分に面白かった。
自ら声たかだかに宣伝をしない、野の賢人の声をよくぞ日本語で残してくれた。
「それでよく『おもてなし』だなんて(東京オリンピックの招致活動で)言えるよね。オリンピックを見に来る人より、はたらきに来ている人を『おもてなし』しないといけない。人間をもっと人間として扱わないといけない。今の日本の企業や社会は、ちょっとおかしいよ。」(214ページ)

日本の政治そのものが、たいへんおかしくなってしまった。
途方にくれながらも、読書。


7月10日(金)の記 冬蚊管制
ブラジルにて


サンパウロのわが家のこと、日本の諸方面のことなど。
いろいろあって、どれもこれも中途半端かそれ以前な…

午後、思い切って音楽ドキュメンタリー映画祭の2本を見に行く。
シネマテッカへ。
ここはバスだと、グーグルマップで30分間隔と。
地下鉄+徒歩20分をチョイス。
駅からひと気のない道を行くので、帰りが心配だけど。

けっこう早く着き、30分以上もてあます。
持参した本はすぐに読み終え。
廃工場を再生させた敷地内の木陰で坐っていたが、冬なのに蚊がまとわりついてくる。
あ、数か所の刺され。
さすがにデング熱は…

今日はアメリカ産の2本を見たが、いずれも見ていてよかった。
家に戻ってバックグラウンドを調べてみよう。

そもそもブラジル国産のものを数本、見ておこうと思ったのだが、パンフレットを入手してから方向を変えた。
自分のドキュメンタリーに向かっていく覚悟を再確認していくのに、いい回り道だった。


7月11日(土)の記 星割りを飲むまで
ブラジルにて


未明に、昨日見た2本の音楽ドキュメンタリー映画についてネットで調べてみる。
一本目は『Mateo』。
アメリカはロスのミュージシャン、マテオが主人公。
彼はロスのライブハウスや音楽系のアルバイトで稼いでは、それをすべてキューバでの自作の音楽演奏と録音活動につぎ込んでいる。
マテオの音楽力のほどは僕にはよくわからないが、キューバの人々のいいカネヅルであることがうかがえる。
マテオのキューバおんな好きのほどまで見せてしまうのがすごい。

製作国に日本も入っていたので、日本のNHKあたりも出資しているのかと思った。
が、なんとマテオの日本公演というシーンが出てきたのだ。
日本の何か所かでのライブ公演の模様が映し出されるが、マテオが日本をどう思ったか等は一切わからない。
して、調べてみると、マテオは我らが学芸大学駅の流浪堂さんの至近のところでもライブ公演をしていたのだ。

自国の経済力をもって、経済的に劣る国でお好みの文化活動を行なうというあり方は、なんだかブラジルで身近に見て来た感じ。
特に、失敗例を。

次の『ALIVE INSIDE』というやはりアメリカのドキュメンタリー映画は、日本で『パーソナル・ソング』というタイトルで公開されていた。
主に施設にいる重度の認知症のお年寄りを訪ねてパーソナルデジタルプレイヤーでその人のお気に入りだったと思われる音楽を聞かせるというプロジェクトの紹介。
自分の子どもの名前も忘れていた人が過去をすらすらと語るようになり、歩行器でようやく移動していた人が立ちあがって踊りだす。
まさしく奇跡が映し出されている。
奇跡的な例ばかりが。
上映会場のサンパウロシネマテッカでは終映後に拍手がわき上がった。
しかし、実際に何人かの認知症の人と近しく付き合ってきた僕には、素朴な疑問がわき上がる。

この映画をめぐっては日本語でいろいろと書かれている。
そもそも日本人は世界で最も音楽を聞かない人たちであること。
今日の60-80代の日本人は、アメリカの同世代と比べると格段に音楽に接する機会が乏しかったこと。
音楽療法と、音楽を用いた活動の違い。
この映画には成功度の統計や、失敗例に触れられていないこと。
聞きたいかどうかもわからない音楽を、意志の表示のできない人に半ば強制的にヘッドフォンで聞かせることの暴力性について。
たしかに、見た目にもオウム真理教の信者たちを思わせるものが。

音楽そのもののたいせつさは、リスクも含めて再確認できたけど。

夕方、買い物に出たついでに露店でスターフルーツを買う。
熱帯アジア原産か。
これのウオッカ割りがいけるではないか。


7月12日(日)の記 冬の蛞蝓
ブラジルにて


こちらの新聞スクラップを整理していて、アマゾンでヴェジタリアンのピラニアの新種が発見されたという記事。
多様な生物の嗜好には、人智など簡単におよぶものではない。

数日前、有機農場から届いたルッコラを軽く洗っていた時。
ボールの底に、1センチに満たない黒いものが。
なんと、プチナメクジだった。
ルッコラのようなエグみのある野菜に付着しているとは。

そもそもこちらは冬の乾季なのだが、ここのところの異常な長雨で冬野菜にナメクジ登場ということになったのだろう。
今日は、ホウレンソウから大ぶりのナメクジが落ちてきた。
ナメクジは、ホウレンソウなども食べるのか。
ポパイなみである。

ホウレンソウは蓚酸を含み、蓚酸は体内結石を促すので、ホウレンソウは茹でての食用が望ましい、と先日、ネットで学んだところ。
ナメクジの体内結石が心配。
退化した殻を取り戻すか。
タイカの改新。


7月13日(月)の記 「せんぷりせんじが笑った!」
ブラジルにて


夜の読書タイム。
『上野英信集』第一巻の「せんぷりせんじが笑った!」を読む。
初出は1954年の私家版。
千田梅二の版画が各ページに添えられて、1ページごとが段落になっている。
これは、なかなかのワザだ。
かつて映像版を入手して見ているのだが、恥ずかしながら、見た、ということしか覚えていない。
あの時は、いったい何を見ていたのだろうか。

上野英信のエッセンスが凝縮して、細かな設定も心憎いではないか。

つづく「はじめての発言」、これはさらにすごい。
拙作「消えた炭鉱離職者を追って・サンパウロ編」で犬養光博牧師が読み上げる馬車馬の老婆の話に通ずるものを感じる。
幼少の頃から差別を浴びせられ続け、ただ生きることも厳しい状況にある弱者の爆発するダイナミズム。

絶望するのは、まだ早いぞ。


7月14日(火)の記 通過のエチオピア
ブラジルにて


祖国の政情がとても気になる。
こういう時は、ツイッターだな。

今年の日本の秋の訪日便について、見当をつけ始めている。
エア・チャイナというオプションあり。
しかしこのエア・チャイナ、利用者の評判がかなりよろしくない。
して、来週、僕が搭乗する予定のエチオピア航空は…
ブラジルの巨大旅行エージェントによる評価は、エア・チャイナより劣るではないか。
機中の食事の数と量が少ないのは、断食で鍛えているからなんとかなる。
しかし遅延でトランジットが間に合わなければ、日本でさっそくの上映や展示に差し障ってしまう。

最近、エチオピア航空で日本まで往復して生還した知人に、メールで何度かコメントを求めたが、スルー。
筆舌に尽くし難い?


7月15日(水)の記 アベに殺されるのはいやだ!
ブラジルにて


現在の日本の首相には実子がなく、養子をとる気配もないようだ。
生物学的にも法的にも、扶養すべき義務のある次世代、未来の子孫がないということか。
ほんらい未来に向かうべきベクトルは、はた迷惑な過去の栄光に逆走する。

そもそも普通の常識があれば、日本列島はいまにも大地震、火山の大噴火に見舞われる可能性があるのがわかる。
原発や核関連施設は、いちころなことも、わかる。

自分がそう長くはない権力の座にあるうちに、やりたい放題やっておこう。
どうせこんな国、長くはない。

実際に日本がヤバくなったときの身の振り方は、福島原発事故で責を負うべき東京電力の幹部どもが模範を示してくれた。
責任を取らずに日本を捨てて、海外で豪華に生活。
いまの日本の首相のひっきりなしの海外旅行と国民の血税のバラまきも、これへの伏線だと考えると合点がいく。

まずは鹿児島の川内原発の再稼働。
そもそも鹿児島は、日本屈指の火山県だ。
縄文時代の大噴火では、南九州は壊滅、西日本一帯が長きにわたり停滞することになった。
それに今度は、放射能禍が加わるのだ。
今度は日本のみならず、東アジア、北半球全体に災禍を及ぼすことになる。
長州の末裔が、薩摩を滅亡させようとしている。
そもそも鹿児島人の規範であり誇りである西郷隆盛は、大日本帝国の逆賊であり、靖国神社に決してまつられることのない存在ではないか。
鹿児島人よ、なにをしているのか。

もう、ごまかすのはよそう。

ブラジルから日本へ向かう前に、もう一度この映画を観ておこう。
黒澤明監督「生きものの記録」。
水爆戦争を恐れる主人公のメッセージは、「死ぬのはやむをえん、だがこれされるのは嫌だ!」。

「アベに殺されるのは、いやだ!」
とはっきり声をあげよう。
ほんとうに殺される前に。


7月16日(木)の記 ヌーとフンコロガシ
ブラジルにて


ブラジルからエチオピア航空を使用して日本へ行き、生還したばかりの人にお話をうかがう機会あり。
サンパウロ-アジスアベバ-香港-成田の往復。
接続便がきちんとつなげているのかが最大の心配だったが、それは問題なしとのこと。

酒もタダ、そこそこのワインが飲み放題だった由。
飛行機はボーイング787、個人モニター付きだが、この方はひたすら睡眠をとり、映画等は見ることはなかった由。

乗客は…
ハラボテのヌーの群れと、フンコロガシの大群、とか。
乗ってみればわかりますよ、とのこと。
まるで「天国と地獄」の山崎努のセリフじゃないか。

妊娠したヌーの排せつ物に、スカラベが群がるのだろうか。

♪夢のアフリカへ 探しに行こう
 人が忘れ去った野生に めぐり会いたい
(作詩:荒井由実「アフリカへ行きたい」より)


7月17日(金)の記 分水嶺を想う
ブラジルにて


今日も土産類の買い出し、そして家庭の用事。

いまだに残る日本からの預かりもの一件。
先方の居場所、送付方法を確認するのがちょっとやっかいである。
共通の知人に託そうとするが、それもまた調整が一苦労。
明日、東洋人街でお渡しすることに。

もうひとつ気がかりなことに着手。
アマゾンの分水嶺の街に、DVDを送る。
封筒をどうする、送り状は。
書留便で送ることにする。

肝心な日本各地での上映と流浪堂さんでの写真展の素材もきちんとしておかないと。


7月18日(土)の記 聖市勧進帳
ブラジルにて


届け物。
サンパウロの東洋人街にある宮城県人会の地下ガレージで開かれている「青葉まつり」へ。
話には聞いていたが、行ってみるのは初めて。
噂の栗まんじゅうを買ってみたかったが、今日に限って売り切れの由。
奥の方では、午前中から缶ビール等を手に、日本人老人たちが盛り上がっている。
すでに戦後、青年の時に渡った移民たちも、70代を超えている。
感無量。

せっかくメトロ代も使ってここまで出てきた。
ブラジル銀行文化センターのカンジンスキー展をのぞいてみようと思う。
これが、なかなかの列。
がらがらとシステムが変わるのだが、この列は12時30分入場のチケットを購入した人たちだった。
これから入場券を買う方に並んでみると…
いちばん早いので、今日の18時30分入場分とのこと。

うーん、断念せざるをえず。
カンジンスキーが、シベリアのシャーマンの影響を受けていたというのが気になっていたのだが。

夜は、久しぶりに風邪の兆候を感じる。
この期におよんで…
安静を心がける。

7月19日(日)の記 復活めざして
ブラジルにて


風邪の影響か、ふらふら。
少し無理をして車を運転。
ズボンのチャックが開いていたり、注意力が散漫になったりとサマにならない。

よりによってこんな時に、フェイスブックにまがまがしい書込みをされる。
ご自身のまがまがしい妄想を、こちらの責任にして投げつけてくる。
身心、時間ともに関わっている余裕はないので、レッドカードを提示。
風前の灯の岡村へのイヤガラセとしてこの時期を選んだのなら、大成功ですよ。
もう岡村は逝った者として、相手にしないでくだされ。

明日のサンパウロ出家までに、すべきことは果てしない。
夕方、横になるとなんだかすっきりした感じ。

朝はフマニタス産のプロポリス錠剤、午前中にホメオパシーのレメディ、時折り台湾で求めた白柚果を服用。


7月20日(月)の記 砂時計の最後
ブラジル→


サンパウロ出家当日となり、外回りの用事が増える。
朝イチで着手、2か所を歩いて回る。
メトロの駅数にして往復で計6駅分、1時間半余り歩く。

歩けることのありがたさ。

今週土曜から東京目黒の流浪堂「トーチカ」で開催の写真展用のデータを、ふたたびチェック。
家族に荷造りを頼み、僕は諸々の合間に昼と夜の食事、作り置きの支度。

あとひと月か、ぐらいからが早い。
おやおやとあと何週間から、あと数日に。
そしてあと数時間。

夜間は移動もよけい心配。
信頼できるタクシーを呼ぶというソフトを使ってもらい、いかにも、のドライバーと国内線のコンゴニャス空港まで。
コンゴニャスから国際線のグアルーリョス空港まではシャトルバス。

シャトルバスも強盗に襲われる時世。
タクシーで単独で襲われるよか、安心。

グアルーリョス空港内をカートを押しながら移動。
勝手に「真夜中のカウボーイ」のテーマ曲を口ずさんでいた。
場末感のあるところを旅行している時に、しばしば起こる反応。

エチオピア航空のチェックイン、3時間半前とエージェントが言っていたが、4時間半前に始まっていた。
なかなか混沌の客層だ。
この逆の航空会社は多いんだが。

ブラジルを出る実感も、日本の酷暑に向かう覚悟もできていないまま…


7月21日(火)の記 空の無法地帯
→エチオピア→


エチオピア航空の機内サービスは、そう悪くはない。
アフリカ映画は玉石混交、なんと日本映画も一本あった。
「アゲイン」という野球ものだが、これには泣かされて困った。

夜のアジスアベバの空港に到着、到着から乗継便の出発まで1時間半ほどなので、まことに慌ただしく緊張。
乗り遅れたら、訪日ミッションそのものがガタガタになる。
混沌の空港を駆け抜け、長蛇の列に付き…

アジスアベバから香港行きの便は、なおもごった返す。
最初の食事が終わってからの、惰眠タイムが続く。
後方、反対翼方向から男の怒鳴り声が。

最初はポルトガル語で、後に男は立ち上がって英語で叫んでいる。
「こいつらが荷物を取って走り去ろうとしたんだ、みんなも自分たちの棚の荷物をチェックしてくれ!」
ブラジル人男性に糾弾されているのは中国人風の中年男二人のようだ。

ブラジルのアミーゴは、僕の方に向かって、僕と通路をはさんで座っていた華人の男も棚の荷物をいじっていたぞ!と告げてくれる。
この男、いやなガンを飛ばしてきていて、僕にも印象が悪い。

女性客室乗務員が二人、こちらにも来て男に英語で問いただす。
男は中国語で、どうやら自分のカバンを取り出しただけだと言っているようだ。
客室乗務員らは「英語が通じないんじゃ、しょうがない」と言い捨てて去り、それでオシマイ。
気になって収納棚のわがリュックをチェック。
前方のジッパーが開いているが、自分がそのままにしたのか、誰かが開けたのかはわからない。
少なくとも、カネメ系のものは大丈夫のようだ。

僕はかつてアラブ系の機内でデジカメを「紛失」してしまったことがある。
格安便は、こういうリスクもあることを踏まえておいた方がいい。
声をあげたブラジル人のアミーゴの方はどうなったのか、わからない。
僕の隣のボリビア人女性は「ケ・パサ?」とスペイン語で僕に事態の説明を求めてくる。
「ポルトニョール」で解説。

こういうのを飛行機側が仕切らないなら、監視カメラでも仕掛けてもらいたいものだ。


7月22日(水)の記 場末の玄関
→日本


香港でのトランジットは、機内待機。
乗客の改札に来た若い女性スタッフたちの、純朴なまでの控えめな化粧が驚き。
いきなり、機内はがらんとなり。

フライトの遅延と思っていたが、そもそもチケットに記載されていた時間と、実際は異なっているようだ。
そのあたりのフライト情報はアナウンスにもないようで、ナゾが多いフライトだった。

22時前には成田のシャトルバスのカウンターにたどり着く。
が、恵比寿のホテル行きどころか、渋谷行きもすでに終了している。
JRも危なさそうだ。
しかたない、新宿行きに乗って、新宿からタクシーか。

それにしても21時台の到着で、すでに東京に向かう手段も厳しいほど、成田空港は場末である。

深夜0時まで営業の流浪堂さんに今日中に顔を出したかったが、それもかなわず。
夜の成田から東京までの車窓は真っ暗で、まだアジスアベバにいるんだか祖国に帰ってきたのかもわからないほど。


7月23日(木)の記 トーチカ再入壕
日本にて


日付が今日になる直前に、日本の実家にたどり着く。
サンパウロの空港以来、ずっとオフラインだった。
その間のメール、フェイスブック、ツイッターをチェックするだけでもひと仕事。

眠ることもままならず、朝を迎える。
さっそく近くのコンビニでの写真焼き作戦に突入。

午後、流浪堂さんにうかがう。
展示スペース・トーチカがいい感じになっているではないか。
レアもの、粒選りのDVDが配置されていて、さっそく展示物の青田刈りをしてしまう。

まだまだ明るい夕刻、在ポルトガルの日本人の友人と再会。
彼は明日、日本を発つ。

さてさて、とりあえず準備は順調。
明日はさっそく上映作戦の開始。


7月24日(金)の記 東横線パニック
日本にて


流浪堂さんでの第2回写真展の準備も大きなトラブルもなく、順調に進む。
個々の写真を並べていくというダイナミックからデリケートな作業が、なかなか面白い。

知人が案内をくれた写真展が横浜日ノ出町であるので、今宵の横浜黄金町での上映の前に寄ることにする。
17時前、たっぷり余裕の時間で学芸大学駅に向かうと…
改札前に人々がたむろ。
東横線は上下とも運行中止とのこと。

渋谷と代官山駅の間で「お客さま」が線路内に立ち入ったため、とのこと。
そんな輩も「お客さま」か。
そもそも地下になっている区域だが。

炎熱のホームで待つしかないのか。
17時半過ぎ、ようやく下り電車がやってくる。
ラッシュのピークの混雑、しかも各駅停車。
これは、ひどい。

安全の確認が取れたとのアナウンスはあったが、いったい「お客さま」は何者でなにをしていたのかな。
余裕で写真展を見るどころか、こっちの上映の会場時間に間に合うのがやっと。
箱入りのお土産は超満員電車でぐじゃぐじゃに潰された。

今回の初上映だが、会場の横浜パラダイス会館には悪意を持って乗り込んでくる人がまずいないといっていいので、ありがたく、やりやすい。
キュレーターの蔭山ヅルさんのお人柄と尽力の賜物かと。

通常モードだと、僕の10倍はしゃべりまくるシェフの伊藤修さんが大人しく、心配になる。


7月25日(土)の記 アマゾン納涼
日本にて


深夜よりA4一枚の写真展趣意書を作文。
これをPDF変換して、コンビニで光沢紙コピー。

開店前の流浪堂にお邪魔して、キャプション書きをすすめる。
なんとか展示会場をかたちにして、新宿区の妙正寺川畔のアートの庵「おじさんの家」のきのこアート展へと戦線離脱、押っ取り刀でうかがう。

いやはや、無理してきてみてよかった。
すばらしい人とアートに出会うにはある程度は無理をしないと。
紀国良子さんのキノコの写真もすばらしく、椎茸瑞さんのキノコカードはマスターピース。

ふたたび自分の戦場に戻り、ライブ上映講座の準備。
あ、今日は鷹番住区センター2階か。
機材類の事故がないのがいちばん。
結界を、魔方陣を組んでいく。
ありがたし。

第3弾となる夏のライブ上映講座の初夜は、ずばり「夜のアマゾン」でいってみた。
納涼に大アマゾン、けっこういける感じ。

浅野屋さんでの懇親会も、それぞれ話は尽きず。
明日の信州ミッションがあるので、宴たけなわのお開きとさせていただく。


7月26日(日)の記 みすずかる縄文の里
日本にて


学大の懇親会、深夜の流浪堂を経て実家に戻り、小休止。
ネット系の残務雑務、信濃ミッションの準備。
「蓼科日記 抄」をこの旅に持参するのを楽しみにしていたが、あまりにも大部にて断念。

午前6時すぎ、祐天寺裏を出家。
祐天寺、自由が丘、溝口、立川、高尾、甲府と電車を乗換え。
鈍行の旅は、大衆・庶民の諸相を垣間見ることができて貴重。

小淵沢で、間宮武美プロデューサー、小林節子リングリンクホール主の出迎えを受ける。
日本の高原、避暑地とはほとんど縁のない人生を過ごしてきただけに、興奮。

なんだか、ますます若くなった山川建夫さんと再会。
そしてさらに、想像だにしていなかった再会が控えていた。
リングリンクとは、よく言ったもの。

今日はよりによって、原村の総選挙の日。
それでも、集ってくれた人々。
上映、そしてご馳走の山々、酒池と懇親。

ときよとまれ、縄文聖地の夏の夜。


7月27日(月)の記 富士に向かって
日本にて


原村の朝。
リングリンクホールのあたりを少し歩く。
いとおしい。

玄関近くの壁に羽根に透かしの入った蛾が止まっている。
デジカメを接写モードにして、眺める。
と、同種の蛾が飛んでくる。
なんと、僕の眼前で交尾をはじめた。

「房総のチベット」に戻る山川建夫さんのハイゼットに同乗させていただく。
話は、尽きない。
それにしても八ヶ岳、富士山などを臨む原村のランドスケープは、天晴れ。
今回、立ち寄ることはなかったが、この地に縄文時代の大環状列石・阿久遺跡が築かれた訳がよくわかる感じ。

ハイゼットは、霊峰富士に向かう。
途中、立ち寄った笹子町の大衆食堂「しらかば」。
大衆のよろこびあふれる店構えと味とボリューム。
ごちそうさまでした。

地元で不幸があったという山川さんに恐縮だが、つかの間なれど学芸大学流浪堂に寄っていただく。


夜、タイから日本に戻ってきた友人の佐藤仁一さんに学芸大学「入学」していただく。
佐藤さんとは、10年の積もる歴史がある。
新感覚の蕎麦屋で、夏向けの日本酒、冷やし酢だち蕎麦をいただく。

うまきかな、あなかしこ。


7月28日(火)の記 U天寺まわり
日本にて


今日は月に二回の流浪堂さんの定休日。
僕の方は、各方面への預かりもの等の発送作業のほか、気になるミュージアム系を2か所ほどまわろうと思うが…

そもそも時差ぼけ夏ばて疲労蓄積。
ブラジル以来の風邪も抜けていない。
まだ先は長い、実家ででれでれと、そして地元祐天寺周りの用足しぐらいにしておく。

より我が実家に近くなった開店準備中のcarawayさんを見やりながら、まだ入ったことのなかった祐カフェさんにトライ。
いいお店だ。
「あめつうしん」最新号を感動とともに涼み読み。

喫茶店日照りだった祐天寺地区、そこそこいいお店が芽生えてきた。
うれしいことが、そう頻繁に何軒もは行けない準清貧者の渡世人のつらさ。


7月29日(水)の記 古書の重さ
日本にて


流浪堂経由で、西荻窪へ。
今日はAPARECIDA店主のWillieさんに西荻界隈をご案内いただく。

西荻にあるパイナップルラーメンというのを食べましょう、という話だったのが飛び級して古本屋めぐりをメインにしていただいた。
Willieさんが想定していたお店が定休日だったり、久しく営業している気配がなかったりしたが、次々とあるわあるわ。

うれしい悲鳴をあげながら、購入。
本が呼ぶどころか、著者が呼んでくるではないか。
日本映像記録センターの伝説的な音効功マン、故・木村哲人さんのあの著書など。
ボサノバ流れる音羽館から、キリスト教専門図書店まで。

もう、ふらふらである。
パイナップルラーメンも東南アジア風味でよろしかった。

身心ともに許容量オーバーでAPAECIDA上映会へ。
気になっていた田川基成さんのブラジル写真展も今日まで、見ることができてよかった。


7月30日(木)の記 蒲田行進曲
日本にて


平均律のえりささんイチオシの湊和雄さんの写真展を見に、六本木へ。
在廊の湊さんとお話しすることができて、なんと30年来、消息が気になっていた人の近況を知ることができた。
お隣で開催中の増田彰久さんの写真展が、これまたすごかった。
折しも増田さんのギャラリートーク中。
映像として気になることを質問すると、その指摘を喜んでいただき、こちらが疑問も解けてうれしい限り。

流浪堂さん経由で、蒲田へ。
ユザワヤで買い物。
店員はまばらで、慣れない客にはすべてが実に判りづらい。
レジ担当もまばらで客を長蛇の列に延々と並ばせるなど、ブラジルの「なみ」以下のサービス。
めったに来ることもないだろうけど。

上映会場の蓮沼まで、あるく。
日本語以外の言葉を放っているアジア系の人たちがちらほら。
Transit Cafe Colors、2度目の訪問。
最初は柴田大輔さんの写真展を見るために訪れ、今回はさっそく拙作の上映会というのが楽しい。

ちょっぴり懸念の悪意・揚げ足・高み系の来客もなく、ありがたし。
お開き後も、関係者の方々と盛り上がり続ける。


7月31日(金)の記 フマニタス再臨界
日本にて


熱い一日。
学芸大学二往復。
今晩からの関西巡礼の支度で大わらわ。
上映素材、機材、土産、着替え…
三日間の上映で、上映作品は計7本。
それぞれ、予備の素材も用意する必要がある。
なんと、日本の実家にストックがあるはずの一作品が見当たらず、往生。
主催者に緊急連絡。

夜の上映前に異国から戻って間もない友を、喫茶平均律に案内。
おそるべし平均律のえりささん、彼の人柄を見抜いてズバリ指摘。

彼にも手伝ってもらって、鷹番住区センターの上映会場準備。
今回はまた面白いメンバーたちに集まっていただけた。
『赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み』再臨界を感ず。

定番となった浅野屋さんでの懇親会、僕は柑橘サワー2杯の早飲みで失礼させていただき、新宿の夜行バス乗り場へ。

仕切りのカーテンはなく、隣のおじさんのいびきが…
耳栓は常時携帯すべきか。
さあ忘れ物、手抜かりはないだろうか?


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