移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
岡村淳のオフレコ日記
     西暦2015年の日記  (最終更新日 : 2015/12/02)
9月の日記 総集編 食卓連鎖の最底辺

9月の日記 総集編 食卓連鎖の最底辺 (2015/09/05) 9月1日(火)の記 作業再開
ブラジルにて


ひと晩寝ても、昨日までの長運転の疲れが抜けない。
ブラジルに戻って初めての一日断食をする。

格納してあったビデオ編集機を取り出して組み上げる。
まずは、8月15日に撮影した「坐る9条」の素材取り込み作業。

これの映像使用については、イベントの主催者からかなり長いクレジットを掲げるよう義務付けられていたと記憶する。
それを記したチラシをブラジルに持参したつもりが、見当たらない。
「坐る9条」のスタッフに問い合わせる。

今日の夜は、子供たちの好物の鶏の唐揚げ。
片栗粉が見当たらない、小麦粉でいくか。


9月2日(水)の記 九月の五月の狂詩曲
ブラジルにて


『坐る9条・815バージョン』の方は日本で関係者にクレジットの内容を検討してもらうため、しばし寝かす。

引き続きこの5月のメイシネマ上映会の記録の本編集に突入。
8時間近いNG抜きバージョンはすでに代表の藤崎さんに試写いただいている。

ファーストカットから議論となったが、まずはディレクターズカットでいかせていただこう。
大島渚監督作品へのオマージュのつもり。



9月3日(木)の記 狂詩曲第一日目
ブラジルにて


主に日本の各方面とやりとりしながら『五月の狂詩曲』、三日間の映像の第一日目の編集をすすめる。

僕にはそこそこ、けっこう面白いのだが、さて。
味加減、さじ加減、包丁の加減が問われる。

いっぽう、こちらの家庭が大わらわ状態。
そっちの方との匙加減が、いちばん問題。


9月4日(金)の記 東京裁判を持ち出す
ブラジルにて


むむ。
『五月の狂詩曲』、この調子だと3時間近い作品になってしまうかもしれない。
うーむ。
メイシネマ上映会で三日間に上映した全作品のゲストトークを活かすのだから、当然に長くはなるのだが。

最近、日本でも再上映されたらしい小林正樹監督の記録映画『東京裁判』を思い出す。
あれはどれぐらいの尺だったか。
277分。
ということは、4時間37分。
いくらなんでも、これよか短くはなるだろう。

『東京裁判』は1983年の作品。
僕が日本映像記録センターに入社した年だ。
この映画を見た記憶はあるのだが、劇場で見たのか、レンタルビデオで見たのか、思い出せない。

亡父はテレビ放送版をベータマックスで録画して、何度も見ていたようだ。


9月5日(土)の記 古新聞から
ブラジルにて


7日は独立記念日なので、三連休か。
何やら、街がいつもより静か。

積年のものどもの処分に追われる。
経年劣化の激しい古い新聞記事などの仕分け。

それにしても、ブラジルの邦字紙記事だが。
ハナから実現の可能性の乏しそうな大風呂敷、打ち上げ花火の自己PRが多い。
こいつ、こんな時にもこんなオオボラふいていたか、といったところ。

こうしたプロジェクト自己宣伝の、成就率は1割いくかどうか。
不言実行という美徳を、いやさ諸々の美徳をかなぐり捨てて、ないしもとから有さないが故にブラジルくんだりまで逃散してきたのが、いかに多いか。

年末ぐらいの日本の週刊誌のヒマネタに、「お騒がせのあの人は今」特集、といったのがよくあるではないか。
こちらの邦字紙にも記事にしてPRの片棒を担いだ責任上、その後も検証していただきたいもの。

人のふり見て、わがふり直せ。


9月6日(日)の記 アラ探し
ブラジルにて


路上市では、なぜかジャガイモやタマネギの値段が安くない。
魚のスタンドでヒラメとアンショーヴァ:アミキリをおろしてもらう。
その待ちの間に、最寄りのより空いていそうなスーパーまで足を延ばす。
日曜はスーパーのレジが行列になるのだ。

案の定、路上市でキロ7から9レアイス(1レアルは最近では約32円)だったのが、あまり安くないスーパーでも5レアイス。
さて、魚の受け取りと支払い。
ヒラメのアラをとっておいてくれるよう頼んでおいたのに、忘れられている。
代金は52レアイスというのだが、僕の計算では42レアイスだ。
クレームをすると、店員同士の責任転嫁の末、「捨ててあった」アラを包んでもらい、10レアイス返してもらう。

少しでも節約をと歩いて並んで、ちゃっかりごっそりやられていてはたまらない。


9月7日(月)の記 古ファックスを破る
ブラジルにて


ブラジル独立記念日で、お休み。
アパートのがらくたのささやかな整理作業。
狭いアパートだが、20年の間によくぞ物がたまった。

TVドキュメンタリーのフリーランスディレクター時代のファイルが出てきた。
約25年前のファックス、受信したものは大半が著しい変色と劣化。
この頃は、バックアップのコピーをとっていなかった。
日本のプロデューサーから来た、思い出すからに憤るファックスを発見。

理性がはたらく前に、破り捨てる。
屈辱の証拠を処分したことに少しして、ちょびっと後悔。
が、破棄してよかったと思い直す。

安全圏の高みからの、僕への侮辱と断罪だけなら我慢もしよう。
が、僕を現場監督とするチームのスタッフたちの、まさに命がけの努力を侮ることは許さない。

先方の名前も記憶していないが。


9月8日(火)の記 あつささむさも
ブラジルにて


酷暑の日本では毛穴全開。
ひたすら次の入浴とシャワーを待ち望むばかりだった。

して、アフリカ経由で北半球から南半球へ。
春分を前にしたサンパウロでは、さして季節が気にならない、適当に心地よい日和である。
朝晩はやや肌寒い。

祖国からは相変わらず、いや増して不気味な政情と、台風と大雨のニュース。
サンパウロも降る。
夕方は豪雨強風と雹(ひょう)に落雷。
窓からの浸水にあたふた。


9月9日(水)の記 ブラジルの野火
ブラジルにて


さあ今日も一日断食。

日付が今日になってからしばらく眠れず。
少し本を読むことにする。

紙の劣化が進んだ角川文庫版の『野火』。
数日前にアパートの奥の方から「発掘」されたもの。
すでに記憶にないのだが、誰かから譲り受けたであろう日本語の文庫本と新書の入った袋のなかにあった。

大岡昇平の『野火』は学生時代に新潮文庫版で読んでいたと記憶する。
市川昆監督の映画も見ているが、いずれもディテールは覚えていない。
僕は『野火』より二年先に刊行された『武蔵野夫人』の方に感化を受けていた。
やはり日本軍の南方での人肉食を取りあげた『ゆきゆきて、神軍』を観た時も、『野火』ではなく『武蔵野夫人』を思い出した。

先回の訪日時に観た塚本晋也監督版の『野火』が衝撃だっただけに、また原作を読み直したいと思っていたところ。

まだ冒頭を読み始めたばかりだが、塚本作品は原作をかなり丁寧になぞっていることを知る。
塚本映画は埼玉は深谷の森でもフィリピンの熱帯林のシーンが撮影されたと聞き、複雑な思いがした。

小説の方は、実際にフィリピンで従軍した大岡昇平が描いているので、環境の描写が息を呑むばかり。

どうやら次回訪日まではあまり読書時間をとれない状況に追い込まれてしまった。
先に読み始めたコンラッドの『闇の奥』の新訳版と、この『野火』の二冊を堪能とするか。

わがこころは、熱帯降雨林にあり。


9月10日(木)の記 食卓連鎖の最底辺
ブラジルにて


断食明け。
朝は自分用におかゆさんをこしらえる。

冷蔵庫に食べ物の残りものがたまる。
もったいない。
けっきょく制作責任者の僕がたいらげることになる。

森の生態系の底辺。
土中の土壌生物を思い出す。
枯れ葉枯れ枝、動物のフンや死体を分解してふたたび森に還元していく。

さあ冷蔵庫に少し隙間が見えた。

ビデオ編集と荷物整理の合間に。


9月11日(金)の記 闇を語る
ブラジルにて


20年来の諸々のお片付けが続く。
午後、『5月の狂詩曲』の編集も少し進めておく。
『細川牧場サユリ』上映後の香取直孝監督のトークが重い。

香取さんは長年、水俣病の問題に取り組んだのち、無農薬野菜の八百屋を営みながら近年は福島原発問題に関わっている。
現地に通う香取さんの語る「福島の闇」。

姿勢を正しながら、つないでいく。


9月12日(土)の記 ブラジルのオートマチック
ブラジルにて


ブラジルの自動販売機は、かなりヤバい。
昨晩だったが、家族がどこそこの地下鉄の駅の券売機はお釣りが出ないので気をつけなければダメといった話をしていた。

そもそも故障しているもの、利用法が煩瑣でけっきょく使えないようなものが多く、僕自身、地下鉄では有人の窓口しか使っていない。

今日は家庭の買い物で、自動車で近くのショッピングモールへ。
地下鉄からは離れていて、歩いていくには急な坂、距離、交通量と治安などから尻込みする場所だ。
そもそも駐車料金もバカにならない。

さて買い物を終えて、駐車料金を払おうとすると…
自動支払機が3台あるのだが、機能しているのは1台だけで、長蛇の列。
しかも使用法がややこしく、係員が付きっきりである。
何度もやり直しを余儀なくされて、ひとりあたり1分以上かかることも。
駐車料金の超過が心配だ。

かつての人力の窓口の方がよっぽどスムース。


9月13日(日)の記 ぶりぶり
ブラジルにて


過去の諸々の処理の傍ら。
路上市に買出しに。

魚のスタンド、今日はブリをすすめられる。
安くはない。
が、思い切る。
2キロ弱で、邦貨にして約1300円。
さらに値段が下がった生イワシも購入。

昼はブリとイワシを刺身でいただく。
けっこうなり。
特に、イワシが絶妙。

夜は、ブリをカルパッチョと照り焼きで。
晩酌、いやさ夕食準備のキッチンドリンク用のアルコールを切らす。
台所の棚の奥から…
出てきた出てきた、ポルトワイン。
ポルトガルの友人にもらって、15年は経っていそうだ。
しかも、すでに開封してある。

が、飲めるではないか。
まもなくコルクがもげて瓶内に落ちてしまう。
濃し網で砕片をのぞき、おいしくいただく。


9月14日(月)の記 ブラジルのアンパンマン
ブラジルにて


「ときめき片づけ」の「こんまり」さんの本は、ブラジルでポルトガル語版も出されている。
僕は日本語版も手に取ったことがないが、ものが容易に捨てられないというのは困った性分である。

わがアパートのがらくた類の一部を、午後から車で近くのカトリック教会の施設にドネーションとして運ぶ。
二人がかりで、アパートの台車を借りて運ぶ量。

この施設は自動車でピックアップもしてくれるそうだが、僕の訪日中に家人が頼むと、日時を約束して3回目にようやくやってきたとか。

施設の一台の台車に収まりきらない。
スタッフがまだ荷物を片付けていないもう一台を持ってくる。
置かれたままの袋を見ると、アンパンマンのおもちゃが目についた。

今回、僕がブラジルに戻ってからここに運び屋としてきたのは2度目だが、このおもちゃには見覚えがない。
うちのでは、ないだろう。

いっぽうブラジルでは、ドラえもんはアニメがテレビ放送されたが、ポケモンのようなブームになることはなかった。
アンパンマンがポルトガル語化されたというのは寡聞にして知らない。

そもそも日本でアンパンマンがブームになったのは、20世紀も後半のことである。
つまり、ブラジルへの日本人移民が途絶えたといえる状態になってからといっていい。
そのアンパンマンのおもちゃが、どのようにしてブラジルに搬入して、サンパウロのカトリック施設のドネーションの倉庫に収まるに至ったか。

そんなことに想いを馳せているから、ものが片付かない。


9月15日(火)の記 旧聞続出
ブラジルにて


水害、噴火に加えて政情と、祖国のニュースが気になる。
タイムラグでオフにしている時間に入ってくるツイッターの量がすごい。

わが家の開かずの空間に、膨大な量の新聞を主とする資料類が。
年月を経たものは、台所の油を浴びた時期があるのか、ねっとりしている。
にしても、あまりの量に呆然。

ひたすらスクラップ類の仕分け作業。
いま、すぐに思い出すものは…
「アジアでオーラルセックスをたしなむコウモリを発見」
「メキシコでヴェジタリアンの蜘蛛を発見」
ありゃ、すぐ思い浮かぶのは珍獣奇虫ものばかりとは。

「日本のデカセギ帰りがブラジルでトンネル泥棒」
トンネル内での窃盗ではなく、お宝までトンネルを掘っていくやつ。
見出しだけみて処分しちゃったが、だんだん詳細が知りたくなってくる。
犯人がデカセギ帰りとわかるぐらいだから、失敗して捕まったのだろうな。


9月16日(水)の記 狂気の日本到着
ブラジルにて


9月4日、ブラジルの連休の直前に国際航空プライオリティ便の書留で日本に送った手焼きDVD。
サンパウロの中央郵便局到着後、5日間も動きがなくやきもきしていた。
今週になり、「通関突破」と追跡調査結果が出るが、どっちの国の通関がわからない。
と、到着が追跡では確認できないうちに、受取人の及川均さんから到着とさっそく試写したとの報が。
やれやれ、ひと安心。
これからブラジルに短期で来る人に担ぎ屋を頼まないでも済んだ。

及川さんのコメントを参考に、一枚、字幕を足そうかと考える。
追って及川さんと共にDVDの主演アクターである藤沢弥生さんから、字幕の間違いを指摘していただく。
今なら、すぐ直せる。
さっそく追加分の字幕入れとともに手直し。

それにしても『坐る9条 THE MOVIE version815』は、今年の敗戦70周年祈念のオーディオヴィジュアル作品のなかで、その狂気度では群を抜いているかも。
11月15日に東京で試写会の予定。


9月17日(木)の記 クッピンのはね
ブラジルにて


ブラジル住まいをはじめて最初に覚えるポルトガル語の昆虫の名前は「クッピン」かもしれない。
響きが「土語」っぽいので調べてみると、やはりブラジルの先住民のツピー語起源。
シロアリのことである。
亜熱帯と熱帯が国土の大半を占めるわがブラジルでは、日本よりずっとシロアリが可視的である。
サンパウロではそろそろ雨季を迎えるため、恒例のシロアリの結婚飛行が始まったようだ。
翅を持ったシロアリが夜の灯に群らがってくる。

さて、こちらはアパートの開かずの空間にあった資料類の整理が続く。
パスタと呼ばれるプラスチック製の書類ケースには諸々の汚れが付着しているが、顕著なのがこのクッピンの翅。
家具以外は木造ではないので、翅をはずしたシロアリの多くは死に絶え、クモやアリなど、他の生物の餌食となったことだろう。

するとシロアリの翅は他の生物にも消費されないのだろうか。
なにか活用法は。
祖国の羽衣伝説に思いを馳せる。


9月18日(金)の記 人間の照明
ブラジルにて


僕が1980年代終わりに移住して以降、いつのまにか祖国でふつうになった言葉のひとつに「ホームセンター」がある。
時折り訪日している僕にとって身近だったのは渋谷の東急ハンズ。
いつの間にか日本のあちこち、郊外にもこの手の大型店舗が増え、それをホームセンターと呼ぶと知った。
調べてみると、和製英語。
テキトーにポルトガル語で訳してもこちらでは通じないだろう。

さて、夕方よりわが家から車で最も近い、この手の大形ショップに行く。
こちらでは、「建築資材店」というようだ。
引っ越し先のリフォームのため、ここのところだいぶ通っている。
今日は、照明関係。

けっこう大量、高額に買って、店員がディスカウントしてくれることになり、上部スタッフのOKをもらって。
レジに並ぶと、レジ側のパソコンでは入力がされていない商品あり。
まるでこちらが疑われているようで、担当の店員を店内放送で呼んでもらうが、いっこうに現われず。
ふたたびアナウンスしてもらい、一時してから私服に着替えた彼氏が登場。
レジのねーちゃんとごちゃごちゃ。

レジ待ちの客らの冷たい視線、舌打ちを浴びながら無罪放免となる。
そういえば今日はこちらの知人からもらったオレンジ色の、胸にゴルフ場の名前の書かれたシャツを着ていたので、こっちが店員と間違えられたな。


9月19日(土)の記 ミナス飯の夜
ブラジルにて


今回、ブラジルに戻って以来、初めてメトロに乗る。
相変わらずいろいろなのが乗っていて面白い。

日本からリサーチのミッションで訪れた知人と会食。
東洋人街から、サンタクルス駅近くのミナスジェライス料理屋にお連れする。

ここの2階のベランダ席は競争率が高いのだが、すんなりと座れた。
店員たちが店じまいを始めるまでいることになるが、客足はイマイチのままだった。

帰りがけに店員にその訳を尋ねてみると「暑いから」。
たしかにサンパウロは急に暑くなった。
暑い週末の夜だからこそ、バルコニーでショッピ(生ビール)やカイピリーニャでもすすりたくなりそうなもんだが。

ミナス料理そのものが暑苦しいか。
割り勘がなかなかこたえる額なだけに、ここのところの厳しいブラジルの経済事情が客足に影響しているように思えるのだが。


9月20日(日)の記 真弘忌に
ブラジルにて


今日は、藤川真弘さんのお命日。
藤川師はサンパウロのイビラプエラ公園にある日本人移民先亡者慰霊碑の建立に奔走した後、伊豆大島に富士見観音像を建立、自ら堂守りとなった人。
1986年の今日、アマゾナス州パリンチンスに近いラモス水道で消息を絶った。

伊豆大島には観音像お掃除隊、そして横浜黄金町の焼肉マン伊藤修さんがお参りしてくれている。
先日、過去のスクラップを整理中に、日本の亡母が送ってくれた1992年の日本の新聞記事が出てきた。
伊藤修さんがアマゾンから日本へ戻り、ブラジル系出稼ぎ者の多い群馬でアート展をする、という記事。
この記事をデジカメに撮って、フェイスブックにアップし、藤川師への供養の念を込める。

夜は、ありもので手巻き寿司とする。


9月21日(月)の記 断食おあずけ
ブラジルにて


家庭の諸々お片付け、そして明日は日本からの客人のご案内などがあり。
サンパウロでの月曜恒例気味だった一日断食はやめておく。

根が小心者なだけに、いろいろな段取りが気がかりで、寝付くこともできず。
深夜、明日の道順を道路マップで確認したり。


9月22日(火)の記 先生と彼岸
ブラジルにて


日本からの客人を、故・橋本梧郎先生の標本館にご案内することに。
サンパウロ博物研究会の役員さんにご同行いただく。
車で片道たっぷり1時間半。
現在の博研の会長、ドトール・エリオが待機していてくださる。
以前の会長からは、僕の橋本先生の記録活動に協力どころか、詐欺行為をくらってしまい、この組織からは距離を置いていた。
ブラジルに乗り込んできた日本のNHKのディレクターによる橋本先生の資料持ち出し横流し事件など、橋本先生の周囲ではえげつない問題がいろいろ生じたものだ。

客人が席をはずした時の場つなぎに、標本館の管理人に、橋本先生のオバケは出たりしませんかと聞いたところ、エリオ先生はどうしてそんな質問をするのかと身を乗り出してきた。
心霊画家ガスパレットさんにも話がおよび、意外な展開。
標本館の敷地に繁茂するハヤトウリの芽、三つ葉、せりをちょうだいする。
ハヤトウリの芽を炒めていただくが、なかなかの珍味。


9月23日(水)の記 アマゾンの古酒
ブラジルにて


いやはやお片付け作戦は続く。
足の踏み場もなかったあたりから、液体発掘。
パラナ州の日系酒造産の箱入りカシャッサ2本と、もう1本。
そのもう1本は、大量生産のカシャッサの瓶に、コルク栓をした赤褐色の液体。
思い浮かぶのは、10数年前にアマゾンのトメアスー移住地でいただいた秘蔵酒だ。
カシャッサにグアラナ、バニラなど10種近い薬草や香料を漬け込んだもの。
絶妙な味わいであった。

飲んでみる。
うーむ。
薬用酒っぽいような、カビっぽいような。
飲み意地が勝って、いただいていく。
さてどうなるか。


9月24日(木)の記 アマゾンの魔酒
ブラジルにて


喉の渇きで何度か目覚め、水分補給。
昨晩の、おそらくアマゾン産の古酒のせいだろう。
悪酔い、二日酔いの症状はない感じ。

未明より家事。
今日も引っ越しとリフォームの件にかかりきり。
明日の大事に備えて、晩酌は控えようとも思う。
しかし、荷物削減のため、古酒のボトルを空けてしまおうかという思いに。

すっかり空ける前に酩酊、いやはや。
汗顔の至りで、ますます喉が渇く。


9月25日(金)の記「本で腰は抜けるのか」
ブラジルにて


引っ越しといっても、同じ団地群の別棟に移るのだが、その新居のリフォームに始まって、なかなかのことになってしまった。
今日はリフォームに関わったブラジル人の若い職人二人に荷物運びを頼む。

日本の実家の建て直しに際して、梱包用品店で何度か段ボールを買った。
ブラジルで段ボールの値段を大形文房具店で見てみると、驚くべき高さ。
段ボール回収業者をはじめようかと思うほど。

こちらの家族が近所の商店で譲り受けた諸々のサイズに書籍を中心に詰め込んだのだが…
その数や、ハンパではない。
日本で狭さや小ささをウリにする古本屋よりは多そうだ。

そもそもブラジルでの日本語書籍の処分に苦心している。
最近、古本の販売を開始したさる組織に、数か月前にまず少し無償で提供してみた。
が、最近、そこが僕の信条と反対のことをウリにするようになり、がっかり。
せめて少しでも本好きの日本人の友人夫妻に引き取ってもらおうと思っていたが、その夫妻も引っ越し騒ぎでそれどころではなくなってしまった。

まずは運んでもらう段ボールを玄関先まで運ぶのが一苦労。

西牟田靖さんの好著『本で床は抜けるのか』は大量の書籍がどれほど建物に物理的なダメージを与えるかを日本国内の様々なケースから紹介している。
物量としての書籍が、人体とそのこころにどれほどの損傷を与えるかも紹介してもらいたいものだ。


9月26日(土)の記 忙中カンディンスキーあり
ブラジルにて


ブラジル銀行文化センターでのカンディンスキー展は、28日まで。
この引越しのどさくさで、さすがにあきらめるつもりだった。

このセンターでのオルセー美術館展の時などは、終了目前の週末は終夜開館していたのを思い出して昨晩、調べてみる。
オールナイトは実施していないが、オンライン上で土曜午前9時半からのチケットをゲットできてしまった。
早朝から引っ越し作業の続きを行ない、昼前に戻ってくればギリで許容範囲か。
わが家にプリンターがないので、土曜の朝からオンラインチケットをプリントアウトしてくれるところ探しでひと苦労。

いやはやカンディンスキー!
いきなり聖ジョルジ像ときた。
恥ずかしながらロシアの守護聖人が聖ジョルジとは知らなかった。
エチオピアでも聖ジョルジは人気のようだったな。
畏友・星野智幸さんは僕をモデルにしたとみられる人物に、ジョルジさんと名付けてくれたが。

このお家の大事のなかでもカンディンスキーを見ておきたかったのは、カンディンスキーはシベリアのシャーマンの研究をしていたという解説を読んだからだ。
展示にはイタリアの博物館所蔵のモンゴル等のシャーマン関係の物品の展示もある。
ずばりカンディンスキーとシャーマンのアートと題した動画も上映されているのだが、映像に素人の人類学者がシャーマンの祭りをちょろっと撮ったものをもったいつけた、ぐらいのところ。

カンディンスキーと同時代の画家たちの作品も多いのだが、「カンディン」のカンディンスキーの作品とシベリアのシャーマニズムの関係は僕にはわからない。
あとで日本語で検索すればいいか、ぐらいにナメて、急ぎ引越し現場に戻る。
が、日本語のウイキペディアあたりではカンディンスキーの稿にシャーマニズムの語は見当たらないではないか。
別のネット情報だと、彼は画家になる前にシャーマンの民俗を研究したとある。

これは展示の年表にあったのだが、彼の父はシベリアで中国茶を商っていたようだ。
カンディンスキー商会というのはネットにも詳述されている。
中国茶はシベリアでどのように飲まれていたのか。
あのロシアンティーみたいにイチゴジャムか?

カンディンスキーの日本人による研究はまだまだのようだ。
そういえばブラジルの心霊画家ガスパレットさんにも、カンディンスキーの霊がおりて作画したというのは、僕に覚えがない。
シベリアのシャーマニズムと、アラン・カルデックの心霊主義はあまり習合しないのかな。

にしても、見逃した感がなくてなにより。


9月27日(日)の記 縄文人のお引っ越し
ブラジルにて


ブラジルでの引っ越しといっても、同じ団地群のなか。
移動に使用するエネルギーは人力以外は、エレベーターの電力程度。
大荷物と重荷物の運搬はこちらの若衆が台車を用いた。
僕は腰を傷めながらも、大きなカバンを使って担いでいく。

なぜか。
なぜだろう。
われらが縄文人のお引っ越しを考える。
車どころか、家畜も用いず。
水路では丸木舟などを用いただろうが、ほとんどが歩きだったろう。
あの壊れ物の「鑑」のような縄文土器を担いで…
しかも産地からあの土器は数百キロ近く離れたところで発見されることもあるのだから、なかなか。

われらが新大陸の先住民もヨーロッパ人の侵略以前に車を用いることはなかったし。
未明から夕方まで、よろよろと老蟻の担ぎ屋。


9月28日(月)の記 調理停止
ブラジルにて


今日もふたたび若衆二人に箱詰め引っ越し荷物を運んでもらう。
先回は、箱そのものの数の多さに近所の人が箱の数をチェックをとアドバイスを家族にしてくれたとか。
わが家の荷物をかっぱらっていった輩は、開封してさぞ悪態をつくことだろう。

先回、運搬中に強風でひと箱が落ち、すごい音を立てたとか。
なんとそれに故・石井敏子さん作の陶器類が。
日常使用で、すでに欠けも生じていたものが中心だけど。
いたい。
他人の手に任せてはいけないものは、自分で担ぐべきだった。
かけらをアートとして再生したい。

また腰がへなり、調理意欲ゼロ。
夜は家族が近くのパン屋で各種、買ってくる。


9月29日(火)の記 ムダンサの条件
ブラジルにて


ブラジルで日本人移民がさっそく覚えたポルトガル語のひとつが ムダンサ:引っ越し だろう。
日本からブラジルへの大移動から間もなく、耕地から耕地へ、そして都市部へ。
実際には「夜逃げ」が少なくなかったようだが、日本でもブラジルでも自画自賛の激しい日本人がたしなむ「夜逃げ」のような単語はポルトガル語には見当たらず、この日本語はそのまま用いられてきた。

さて、わが家のお引っ越し。
今日は贈与品の山を自動車での運搬。
息子に手伝ってもらって、カトリック団体に三往復、日系の学校に一往復。

カトリック団体へのショートカットにはファヴェーラ:スラムがある。
著名な大きなカトリック教会と、地下鉄の駅と繁華街、そして中流の住宅街の拡がるなかにぽこりと孤島のように残り続けている。
僕はこのスラムには特に縁がなく、入り込むこともなかったが、多くのスラムが低所得者の住宅街化していくなか、ここはどうやら20年来、そのままだ。

車でその度に異なる道を通ってこのスラムを垣間見る。
古物屋、バールなど、なかなかそそる店もあり。
ブラジルではスラムのグルメ情報がネットなどで配信され始めている。
自分の足と舌でつかみたいものだ。

さて引っ越しに伴う団地間の電話線の移行は、そもそも日曜深夜の豪雨以来、もとのアパートの方の電話が断線。
が、なぜかインターネット回線のみは使える。
訪日間近で日本のあちこちとの急ぎのやり取りがあるため、僕だけひとり旧宅の方でオンライン状態で夜明かし。

夜逃げならぬ、夜残りか。



9月30日(水)の記 なめくじ男の引越し涙
ブラジルにて


新居の方の台所、まさしく勝手がわからない。
そもそも引越し騒動で調理欲とでもいうべきものが、ゼロになった。
が、そうは言っていられない。

今日は非日系ブラジル人の女性が家事のサポートに来てくれる。
家人は、彼女の昼食はカップヌードルでも「勝手に」食べさせればいいと言う。
が、食はこころのコミュニケーションでもあり、先方の仕事のやる気と質にも関わってくるだろう。
新しい冷蔵庫は、古い冷蔵庫から引き継いだ残りものでいっぱいになっているし。

この女性とシロアリ談議になった。
彼女はブラジル北東部バイーア州の出身だが、母から羽シロアリは蛾:マリポーザだと教わったという。
ちょうど昨晩、大人が親指と人差し指を拡げたぐらいの体長の蛾が新居の洗濯スペースに飛来してきて、わが子が騒いでいた。
探してみると、わが家で一泊してくれたようだが、この虫はなんというのかと聞いてみると蝶:ボルボレッタだという。
そもそも彼女は「科学的な」蝶と蛾と相違はもとより、羽シロアリが交尾をしてメスが女王となって人家等で繁殖していくという生態を知らなかったので、簡単にレクチャーす。

さて、昼食の準備。
冷蔵庫にあった旧宅から搬入した白菜を取り出す。
サラダにしようと、傷んだ葉を取り除いていく。
恥ずかしながら、思わず大声をあげてしまう。
5センチ大の、緑褐色の鱗翅目の幼虫が出現したのだ。
さすがは無農薬栽培だ。

夜は子どものリクエストでホットドッグをつくるが、キャベツのカレー炒めやゴボウのマヨネーズサラダなどの添え物もこさえる。
さっそく次の居住者のためのリフォームが始まった旧宅の方で、インターネット作業のためひとり夜明かし。
新宅のラインはいつになることやら。

旧居よりスペースがあるはずの新居は、無数の段ボール類の搬入でカオス状態。
手狭だった旧居は、家具類もなくなって、空間そのもの。

かりにも記録と表現にかかわって、旅はしょっちゅうだが本拠地が20年にわたってフィックスでは、本もモノも溜まるというもの。
僕の原点のナメクジを想う。
仮屋も背負わで、身ひとつ。
住所不定という自由。
生まれてから死ぬまで引越しライフだ。

こちらの義弟は、この15年で三回の引越しをしている。
5年ぐらいのサイクルで引越しをすべきだという信条とか。
いまから5年後に引越しだったら、もうその準備をしないと。


前のページへ / 上へ / 次のページへ

岡村淳 :  
E-mail: Click here
© Copyright 2024 岡村淳. All rights reserved.