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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2015年の日記  (最終更新日 : 2016/01/03)
10月の日記 総集編 タルコフスキーとサルガド

10月の日記 総集編 タルコフスキーとサルガド (2015/10/04) 10月1日(木)の記 オクトーバー・オフライン
ブラジルにて


新居は固定電話が来ないまま。
アパートの呼び鈴も断線状態で、責任者は聞き苦しい言い訳はしても、来るといった時に現れず。
まだまだ家具や備品の発注、納品等々があり、携帯電話がライフラインとなる。

近くのWi-Fiが使えるというカフェでネットをつなぎ、主に日本との急用のやり取り。
近所にありながら、こじゃれている分、決して安くはなく、敬遠していた。
が、空前のブラジル通貨レアル安となり、1レアルが約30円。
おちょこぐらいのエスプレッソコーヒーの「小」なら、日本の自販機の缶コーヒーぐらいの値段、100円強で飲めることになった。
これで客足の少ない時間に1時間近くパソコン作業ができれば、かなりのオトク感あり。
日本のネットカフェのような閉塞感がなく、禁煙空間でも毒煙が漂ってきたりしないのがよろしい。

夜は、健脚者なら徒歩圏にあるカトリック教会の定時のミサで、この世にいない家族へのお祈り。
ミサ後、教会近くのレストランがバイキング方式特別割引とのことで、家族4人で献杯。
食べ放題のサラダのなかに、山盛りのカニカマがある。
まさしく剥き身のカニカマをそのまま山盛りにしてある。
ブラジルで市販されているカニカマは、内陸の南マットグロッソ州産か、東南アジアのタイ産か。
これも決して安いものではない。

いつもと違ってオフラインでこの日記を入力しているため、名前をネットで調べられないが、サザンアイランド風といっただろうか、ケチャップとマヨネーズを混ぜたタレが添えてある。
そうカニカマばかり食えるものではなく、人はカニカマのみに生きるにあらず。

カニカマ発祥の地であろう祖国日本でも、カニ食い放題はあってもカニカマ食い放題の店というのはあんましないかも。
剥き身のカニカマの山盛りが、ナメクジの大群にオーバーラップ。
祖国の群馬ではおカイコ型のチョコレートがブレイクとか。
ナメクジ型のカニカマは、いかが?


10月2日(金)の記 屋根裏の編集者
ブラジルにて


今日は朝イチでペンキ塗りの職人さんが資材やゴミ類の搬出に来る。
午前10時にリフォームに出していた木製テーブルが届く予定だが…
昼になっても音沙汰なく、先方に電話がかからない。
その間、職人さんに電燈類の付け替えを頼み。

故障の呼び鈴をほったらかしにされているため、僕の作業空間となる奥の間ではドアをどんどん叩いてもらっても聞こえないので、玄関付近でごそごそ。
さて、作業空間といっても本来はクローゼットや物置きにする日当たりも換気も乏しいささやかなスペース。
すでに段ボールのバリケードに埋もれている。

一昨日、ここで映像編集システムを構築してみる。
とりあえず機能、ヤッタ!
他人様にはお見せできない舞台裏である。
想い出すのは、崩れかけた長屋でぼろきれ状態の布団から身を起こして筆をふるう晩年の葛飾北斎の姿。
さて、今日はあんましこの本業の映像編集の方は進まなかった。

子どもが帰宅したので、後を託して買い物とカフェでのオンライン作業に出る。
まずは重要メール、メッセージ類のチェックと取り急ぎの返し。
まる一日のうちにたまっているフェイスブックの記事とツイッターの量が膨大。
1時間かけても、最後にチェックしてからの分を網羅できない。
このままだと、フェイスブックとツイッターをフォローしているだけで人生が終わってしまいそうだ。
24時間オンライン状態の時は、少しのチェック漏らしもないよう、しきりにこれらのチェックをしていたが。
だからといって、どうだったか。

ネット断食のおかげで、フェイスブックとツイッターの問題点が新たにわかった感じ 。


10月3日(土)の記 ミッションと柔侠
ブラジルにて


朝に夕に、ブラジリアンホームセンターで買い物。
昼は地下鉄とバスを乗り継いで、サンパウロ市南部の大ファヴェーラ:スラム地帯へ。
拙作『クリスマスツリーのめばえるとき』の舞台の施設で、フェイジョアーダをご馳走になる。

地下鉄南北線の駅をターミナルとする市バス「ミッション村」行きの終点まで。
地平線の彼方まで拡がるファヴェーラの海の光景は圧巻である。
バス通りの両側の繁華街の活気がまたすごい。
より赤道に近い地域にあるような大型食料品店、大衆系スーパー、一杯飲み屋の前の路上で男たちがへばりつく玉突き台、やたらに多い肉屋、不釣り合いながら違和感のないこじゃれたカフェ、等々。
このダイナミズムを見ていると、わが引越し騒動のもやもやなど、出る幕ではない。

旧宅撤退の混乱時にようやく発見したバロン吉元さんの『現代柔侠伝』第一集、冒頭の1946年立春の東京の闇市のスペクタクル画を想い出す。


10月4日(日)の記 パン屋でWi-Fi
ブラジルにて


近所に古くからあったパン屋の経営が変わって大改造、えらくこじゃれたことになった。
Wi-Fiもあると知り、昨晩午後10時過ぎに行ってみるとすでに閉まっていた。

金曜午後以来、オフライン状態である。
夜の営業時間はまちまちだが、概してブラジルのパン屋は朝は早い。
件の店は日曜も午前6時からの開店、さっそくWi-Fiにトライ。

今月中旬から始まる流浪堂さんとのコラボ上映会のフライヤの最終チェックがメイン。
それにしても、でれでれと24時間そっくりラインにつながっていないと、生活にメリハリがつき、しゃんとする感じ。
思うに、テレビが24時間、放送するようになってテレビ文化と視聴者の精神が向上したといえるだろうか。
その逆は、いえるかもしれない。
テレビに見られるありさま。

ネットはなんといってもネットだ。
こっちが絡め捕られていてはシャレにならない。

今日も家庭の諸々がある。
加えて、畏友との大切な打ち合わせもあり。
パン屋ネットは1時間強で切り上げ、そのまま路上市で鮮魚類を購入。


10月5日(月)の記 断食断線のつなぎ
ブラジルにて


今日はひさびさに一日断食をしよう。
まずは早朝のパン屋さんでWi-Fiをつなぐ。
氷と砂糖は抜きのオレンジジュースを注文。

修繕に出していた家具類の搬入を待機。
さらにさっそく故障した発注家具の修理待ち。
いずれもまだ日にちがかかる。

その合間に映像編集、そして家族の食事の準備。
出ブラジルまであと一週間。
この週末にはこちらの一族の大イベントがある。
いやはや追い込まれてきた。

それにしても電話会社VIVOのデタラメ度には驚くばかり。
日本の現世間なみである。
これからブラジルで電話に加入する人には、この会社は辞めておくように助言しよう。


10月6日(火)の記 そこに灯をみた
ブラジルにて


今日は午前中、在宅できる家族がいるので足早に外出。
今回の訪日のチケットをお願いした旅行社に行くついでに、火曜は無料のサンパウロ近代美術館をのぞく。
フランス絵画展というのをやっているのだが、なんだ、常設展にあるフランスがらみの作品ばかりを集めたものではないか。

地下ではまだ「狂気の歴史」展をやっているが、今度の日曜までだ。
サンパウロ州のジュケリ精神病院の患者の絵画展。
キリスト教の文脈の聖画と、人や獣の交配。
全裸の女性が開脚している構図が何点も。
丸く黒く恥毛が描かれ、まんなかに赤で膣が描かれている。

まさしく灯のイメージではないか。
日本神話でも女性器は「火陰:ほと」とされ、火のイメージである。
これは世界各地の民族に見られるようだ。
なんとなくわかるような、わからないような。

火の用心。


10月7日(水)の記 サンパウロの波
ブラジルにて


これまでの電話会社V社は、表彰したいクラスのでたらめさ。
家族が通の人に相談して、インターネットだけでもT社を導入してみることにした。
昨日、T社の技師が来たのだが、一日がかりで団地内のあちこちをいじってつながらず。
夕方になり、昼食も食べていないというので、僕が急きょ軽食を提供。

今日の午前中にまた技師が来る約束だったが、待ち人来たらず。
午後になってやっとやってきた昨日とは別のあんちゃんは、さっそくペットボトルを差し出し、水をくれという。

予期せぬ障害が次々に生じる。
夜、日本からの客人を「会飲」する予定だったが、ずるずると1時間半、遅らせてもらう。

新たなサンパウロの夜の若者スポットとなったヴィラ・マダレーナ地区を歩く。
坂があり、一本道ではなく面として飲食店があちこちにある。
アクセスはめんどくさいが、かえって面白い。

夜更けとともににどんどん若いのが集まってくる。
ライブ演奏に踊りでやかましい店も。
リオデジャネイロの海岸通りを想い出す。
平日水曜の夜でこれだ。

客人と話が尽きず、2軒目でカシューナッツの果肉とパイン、レイシ入りのカイピリーニャで盛り上がる。
あ、そろそろ地下鉄が危ない。

客人をタクシーに乗せ、自分はメトロの駅を目指すが時すでに遅し。
やむを得ず、こちらもタクシーを探す。
日系の運転手だ。

日系三世で、日本に行ったことはないという。
ちょっと聞いただけだが、キレのいい短編小説を読むような人生を歩んできたようだ。
ルーツは福島で新工:しんく という名字とのこと。
ポルトガル語での会話でもあり、どちらかの勘違いがあるかもしれないが初めて聞く日本の姓だ。
ブラジルで初めて知った日本の姓は少なくない。

タクシー代で並みのカイピリーニャなら2杯飲めたな。


10月8日(木)の記 ここはどこ
ブラジルにて


今日は珍しく職人も業者もやってこない一日。
朝より物置部屋の編集場にこもって『五月の狂詩曲』ディレクターズカット版の仕上げ作業に専心。
ヘッドフォンをつけての作業なので、入り口部のインターフォンが鳴ってもなかなかわからない。
固定電話は移転されないまま。
受信時の点灯が見えるよう目のまえに携帯電話を置いておく。

にしても、意外なほどこの作品、面白いかも。
余人にご覧いただける時が楽しみ。

午後、訪日のための土産物の買い出しに出る。
ずっと東京は江戸川区平井の上映会場の映像に浸っていたため、アパートの部屋を出ても、「ここはどこ?」感覚。

外は日射が厳しく、大通りの温度表記は34度!
朝のうちは膝に毛布を掛けて作業という冷え込みだったが。


10月9日(金)の記 迷路におわす
ブラジルにて


今日は人の出入りが重なる。
その昼飯までこさえることになり、本業は中断。

さあ明日の法事作戦だ。
お寺さんを僕が車で送迎することになっている。
その場所は先日、メトロと徒歩で確認しておいた。

グーグルマップで拙宅からお寺さんまで、さらにそこから法事の会場までの道順を調べる。
いやはや、粘菌もびっくりの迷路である。
入り組んだ道の網に、一方通行が錯綜。
しかも手元にある紙版の道路マップとは一方通行の表記から、道のあるなしまで異なるではないか。
拙宅からピックアップ地点ぐらいまでなら何とか覚えられそうだ。
が、そこから会場までが複雑怪奇。

これはお手上げである。
カーナビ機能を持つスマホ所有の連れ合いを同行させることにした。
四十九日の時の失敗に懲りている。


10月10日(土)の記 聖市仏式法要
ブラジルにて


今回のブラジル滞在中の大任。
連れ合いの実家での仏式法事の、お寺さんのお世話。
迎えの場所までの道順は、ほぼ頭に入っている。
土曜の午前中、決して交通量は少なくはないが、平日に比べればずっと流れている。

連れ合いのスマホのナビは、瞬時に交通状況を読み込んで思わぬ指示をしてくるので、僕のような運転ヘタの小心者にはつらいツールだ。

さて会場に着くと、本来おもてなし側に回るべき家族たちがそれぞれの友人知人と盛り上がっていて、いやはや。
こちらは仮にも日本での家族の冠婚葬祭にかかわっている。
いっぽう日本のような葬儀屋のいない当地では、自分たちで仕切らなければならない。
昨年の四十九日の時などの反省点をフィードバックせねば。
まずはお寺さんのケア、式がスムースにいくように焼香の段取り、法話の通訳の段取りなど。

式中は、遅れてくる客人らのケアに回る。
式後の会食時にはお寺さん、遠来の客人の相手をしながら同席の日本人移住者から、彼のナミではないライフヒストリーをうかがう。
お寺さんにとっても興味津々だったようだ。

いやはや、お寺さんを送り、おかげさまでつつがなくすんだ。
さあ明日はヤソ式法要、明後日はこっちがサンパウロ出家だ。
日本で上映の映像素材の落としはないか。


10月11日(日)の記 今日はヤソ式
ブラジルにて


今日は、サンパウロ市内のカトリック教会の日本語のミサのなかで義弟の一周忌をおこなう。
昨日は仏式。
ブラジルの移民ファミリーの葬祭儀礼意識をうかがうには、面白いかもしれない。
このミサは、他に二組ほどの日系一族の法要も兼ねていた。
それに非日系夫婦の結婚25周年のお祝いまで一緒で、お祝いがトリだからまさしく混沌。

さあこれで自分のことを優先して取り組める。
明日はいよいよ出ブラジル。
なにか、もらしはないだろうか。


10月12日(月)の記 マルガリータの村まで
ブラジル→


今日はブラジルの守護聖母アパレシーダの祭日で、「こどもの日」とも呼ばれる。
身も心もへろへろのまま、タクシーとシャトルバスを乗り継いでグアルーリョス国際空港へ。

さあ今回は、いやさ今回もラウンジが使えない。
搭乗口近くのMARGALITAVILLEという飲食店に思い切って入る。
マルガリータの村といったところか。
トロピカルカクテルをウリにしているが、お値段がよすぎる。

今やレアル安で外国人にはありがたいブラジルだが、チーズバーガーが邦貨にして約1000yen也。
フライドポテトが「小」程度添えてあるが、それにしても日本でこの値段を出せば、いくつ食えることか。
ふむ、さすがに肉の味は悪くはない。

店でWi-Fiは空港のフリーのものが使えるのみ。
これは60分限定。
しかもグーグルクロームはセキュリティ上の問題ありと表記されてつながらない。
インターネットエクスプローラーで、危険を承知をクリックして、メールやメッセージ類をざっと確認。

この2年ばかり避けてきたアメリカ合衆国ヒューストンでトランジット、まずはユナイテッド航空。
新婚旅行だというブラジル人カップルが離れた席になっていて客室乗務員に新郎が泣きつく。
「ほかのお客さんに強制はできませんから」とつれない。
新婦は「わたしは飛行機が嫌いなのに。なんてひどい会社!」とホントに泣き出した。
見かねた隣りのブラジル人女性が、離れた奥まった席の新郎と席を替わってあげた。
僕だったら「トイレが近いので」とか言って苦労して確保した通路側を譲らなかっただろう。
そもそもこのカップル、ネットでチケットを買って自動チェックインをして別々の席になったようだ。
新婚旅行と気張るなら、努力するなりフンパツするなりせえよ、と思ってしまうのだが。


10月13日(火)の記 アメリカをトランジって
→アメリカ合衆国→


ヒューストンまでのUA機中は三人掛け席で、隣二人は日系人っぽい年配の男女。
そこいらのブラジル日系人とは違う品格が漂う。
話しかけてみると、サンパウロでけっこうご近所の日系人夫妻だった。

2年ぶりのアメリカ入国。
新たに日本人のアメリカ入国に必要な「ESTA」を取得しておいた。
ESTAにて入国経験者の自動手続きの方に回ってみる。

機械では6だったか7だったかの言語からひとつを選択して手続きを行なう。
そのなかに安倍内閣自画自賛の日本国の公用語は、ない。
この機械で指紋をチェックされて写真も撮られるのだが、さらにまた入国審査の列で待たされる。
そしてふたたび両手の10本の指紋をチェックされる。

別ゲートまでトンネルをくぐって行って、荷物検査の係員がやってくるまで映画が一本見れるぐらいの時間を待機。
係員のアテンド、労働の質の低さはブラジルをはるかに下回る。

さらなる待ち時間は同席だった日系夫妻とレストランで会食してつぶす。
「もうANAの飛行機に乗ってしまえば、日本ですから」。
はじめての訪日だという御主人を喜ばす。

ANAの機中、存在も知らなかった日本映画の数々を楽しませてもらう。


10月14日(水)の記 秋のコナタ
→日本


午後の成田空港に到着。
思ったほど寒くはない。
2か月前の酷暑がウソのようだ。
渋谷までのシャトルバスの車中は暖房のせいだろう、汗ばむほど。

渋谷からタクシー。
シャトルバスを降りて、荷物を引きずりながら待機車が一台だけのタクシー乗り場に向かう。
と、同じバスに乗っていた女が走ってきて僕を追い越し、そのタクシーをゲット。
邦人女性と見た。
政府がコスいと、国民もコスくなるか。

さすがはコスプレ大国。


10月15日(木)の記 VIRIDIAN
日本にて


時差ぼけ絶好調。
昨晩遅く、まずは学芸大学の流浪堂さんに挨拶にうかがった。

今日も学大まわり。
流浪堂、平均律、SUNNY BOY BOOKS…
SUNNYさんで開催中の「かぶりながら考える」展がいい。
http://www.sunnyboybooks.jp/event/viridian/
やはり学芸大学にある手づくり帽子のVIRIDIANさんとの共同企画。

ヴィリジアンを経営する小林愛さんは、やり取りするメールからも手づくり感、こころこめ感が十分に伝わってくる人だ。
かつて流浪堂さんでのヴィリジアンさんとの共同企画展を拝見したが、展示されていた帽子は、まさしく愛しいものばかりだった。

もちろん値段は安いものではないが、ぜひ奮発してオーダーメイドをお願いしたいと思っていた。
この日本の夏、そのつもりでいたのだが、あの日本の酷暑で、僕が日常つかっている帽子は一日で汗の塩分で白くなってしまうほど。
おしゃれではなく、諸々の経緯から軍手のように日常的に帽子をかぶっている者には分不相応かと思い、お店にも行かずじまいとなった。
しょっちゅう帽子をなくすし。

さて、サニーさんの展示では小林さん手づくりの文庫カバーがあった。
息を呑んだ。
ウイリアム・モリスの柄。
手に取って、裏地の布に息が止まった。
サニー店主が、もういまあるものしかない、と攻めてくる。

まさしく一点ものだ。
そこそこ悩んだうえ、ひとつ購入。
いい買い物をした。

問題発生。
いま、読んでいる文庫本がない。
ブラジルで再読をはじめた「野火」は引っ越しのどさくさで見当たらなくなってしまった。
せっかくのおべべを着せる子供が。
「野火」を新たに買うか。


10月16日(金)の記 青消研の夜
日本にて


今日は訪日後の初イベント。
さる勉強会に招かれて。
場所は四ツ谷。
その前にアート展でものぞいてみようと思っていたが、時差ぼけと疲れもあり、勉強会の講演の準備に専心することとする。

主催は、青消研。
青年消費者問題研究会の略で、こうしたネーミングに違和感がない頃に誕生し、名称はそのままウン10年経ったという。
(25年ぐらいと聞いたが、ネットで確認してみると60年代にスタート、とあり、出生にナゾあり)

いただいたお題は「忘れられない日本人移民」。
岩波書店で「ナメクジの言い分」という本を出されたナメコロジー研究会の足立則夫さんのはからいだ。
さる8月に故郷目黒の谷戸前緑道で出会ったナメクジの写真をA4に焼いて持参。
足立さんに同定をお願いする。
ヤマナメクジ、との声が上がったが、フタスジナメクジということに。
帰化種ではない、日本在来種だ。
油面遺跡など、縄文遺跡を支えた故郷谷戸前川産のナメクジなだけに、在来種とはうれしい。

他のメンバーは「足立さん以外にもホントにナメクジの愛好家がいるんですね」などと驚いている「シロート」のようなので、講演の方ではナメクジの話は自主規制しておく。


10月17日(土)の記 上映+撮影
日本にて


さあ今日は学芸大学ライブ上映講座の再開。
初日の今夜は、スペシャル余興として上映作品『ばら ばら の ゆめ』の主人公、木村浩介さんのライブ演奏をお願いしている。
上映講座を主宰してくれる古本遊戯流浪堂の二見店主が実はドラマーであり、僕が共演を持ちかけてみたのだ。
よくぞ実現までこぎつけたが、二見さんは本番を控えてけっこうナーヴァスになっている。
昨晩もお店に立たずに、自宅でひたすら叩いていた由。

さて今朝になり、共通の知人が木村さんがここのところ不調で数日前にもライブをキャンセル、その後も寝込んでいると知らせてくれた。
いやはや恐れていた事態。
いよいよとなったら木村さん抜きでいくか。
二見さんに連絡。

今日の僕は上映機材の準備等のほかに、ライブ演奏の撮影もするつもりだ。
いったい何兎を追うことになるやら。

木村さんが演奏サポートをお願いした沢辺さん、二見さんと会場で打ち合わせ。
しばし遅れて、木村さんがあわただしく登場。
安心。

上映会場はオカムラ系にキムラ系が加わり、用意した椅子が足りなくなるほど。
キムラバンドは上映前に4曲を披露してくれた。

いただいたアンケートには「演奏に泣いた」系が複数あり。
『ばら ばら の ゆめ』も、これまででいちばんいい見られ方をしたと実感。
アンケートに、岡村の撮影について言及した人がいない。
三脚を使用せずに、観客の邪魔にならないようにポジションを変えながら撮影をした。
こちらは撮影パフォーマンスをウリにしているわけではなく、ボロだらけなので「オカムラさんの撮影姿に…」「岡村さんのジッパーが…」みたいな記載がなく、ほっとする。

懇親会はみなさん、それぞれの終電ギリまで盛り上がってくださる。
いやはや、おかげさまで。


10月18日(日)の記 太鼓つながり
日本にて


今日は午後、ブラジル由来の友らと会い、夜の船で伊豆大島へ渡る。
その合間に、アート展をいくつかまわろうと思っていた。

が、朝、ジャーナリストの廣瀬和司さんのこんなツイートに接する。

廣瀬和司@kazusheer
インドのタミル・ナドゥ州に修道女のチャンドラさんが主宰する、ダリット(不可触民)の少女たちの生活改善をのための団体”シャクティ”があります。シャクティでは、裁縫や学業、そして権利意識を教えています。その活動の中心にあるのが歌や舞踏で、ダリットのメッセージを込めたものになっています


不可触民の少女たちの生活改善、そして舞踏。
それが今日、学習院大学のアジア民族舞踊交流会で拝めるという。
しばし迷うが、またとない機会かもしれない。

アート展を二つほどあきらめ、友らには合流が遅れる由、連絡。
渋谷で買い物をすませてから、ようやくのSEALDsのナマにちょっとだけ触れて、目白へ。

同時に披露された韓国のシャーマニスティックな舞踊がすごかった。
これに太鼓が伴う。
なにか、自分のなかのエトノスに響いてくる。
インドの舞踊で用いられるパライという太鼓は、近年まで最下層の人々が葬儀の際に叩く太鼓というレッテルをはられてきた、とパンフレットにあり。

撮影の合間の廣瀬さんによると、この太鼓は踊りながら叩くので、えらくむずかしいとのこと。
昨晩も太鼓、今日も太鼓とは。

さてこの日記を四日遅れでアップしながら、修道女のチャンドラさんはどこの修道会なのか調べてみた。
なんと、淳心会:スクート会、拙作『さまよう人とともに マルゴット神父にキク』とヴィトール・マルゴット神父の所属していた修道会ではないか。


10月19日(月)の記 蝸牛フリーウエイ
日本にて


昨晩10時発の大型客船で、伊藤修さんと伊豆大島へ向かう。
時差ぼけやら興奮やらで寝付けず。
未明に甲板にのぼり、空が明けるのを待つ。

午前6時、岡田港着。
まさしく清貧の旅。
一日3000円というレンタカーも節約。
バスと歩きで、富士見観音堂に向かう。

バス通りから折れると、交通量ゼロ。
幼少期に見たサイズのカタツムリが闊歩しているではないか。

堂々と、複数個体が公道を横断している。
微細なキセルガイ系のカタツムリまで。

路上生活者さながらの装備で観音堂に向かう伊藤さんを撮影しながらだから、さすがにカタツムリの方は垣間見るにとどめる。

僕は何年ぶりになるか。
311以降、初めてだろうな。

観音堂で、まずは伊藤さんとどっぷり対話。
伊藤さんはこの度、漆工芸をする一式を持参した。
午前中は伊藤さんの漆作業、午後は伊藤さんの草刈りに寄り添い、撮影。

なんのための撮影か、わかってきた。
久々に、僕らしい撮影をしているなという実感。


10月20日(火)の記 アマゾンの読経2015
日本にて


伊豆大島富士見観音堂にて。
深夜、寝付けないので持参した本を読む。
久々に読書のできる喜び。

朝、伊藤さんは草刈りの続き。
僕は台所回りの片づけ、そして伊藤さんのレストランの食材の足しにと敷地内の三つ葉の若葉の採集。
さらに刈った草木の後片付けサポート。

今日の船は岡田港との放送あり。
伊藤さんとテクシーで岡田港へ。

伊藤さんはジェット船で熱海へ向かう。
僕はそのあとの大型客船を待つ。

ゆたかな時間を過ごさせてもらった。


10月21日(水)の記 なめくじ四姉妹
日本にて


日中は外出を控えて、ウエブ日記サイトを少しお片付け。

夜は「なめくじ姉妹」と自称する四人の女性と学芸大学で会食。
姉妹とは、喫茶平均律さんで知り合った。

それぞれ異能のアーチストだが、実際の姉妹ではない仲良し。
そのなかのキノコ系女性に、今回の学大ライブ上映講座のフライヤ作製を相談した。
そして、末妹の平野繭さんによる今回のマスターピースができあがった次第。
今日の宴は、そのお礼でもある。

平野さんとはこれまで話らしい話をしたことがなかった。
あの作品を産んだ母体、背景に触れることができた。

会食後に流浪堂さんに出頭。
なんと、オカムラクン等々の傑作を産んでくれた こうの まきほさんが来ているではないか。
今度はこうのさんと、姉妹と席を立ったばかりの浅野屋さんにふたたび。

日に二度も、とっかえひっかえ妙齢の女性たちを伴って大衆居酒屋に出入りするとは、かなり怪しい人物だ。


10月22日(木)の記 あのひとの「卒業写真」
日本にて


今晩は西荻窪APARECIDAでの『ばら ばら の ゆめ』上映。
今日は店主Willieさんの誕生日でもある。
選んだ上映作品は、このお店の結縁の産物だ。

この拙作の主人公のミュージシャン、木村浩介さんにお祝いのミニライブ演奏を頼んだ。
今朝、オンラインでさらに詰める。
上映後に木村さんに3曲、奏でていただくことに。

うち一つは岡村のリクエストをかなえてほしい、ユーミンとか、としつこく頼む。

さあ、そうなると撮影もしナイト。
日中、美術館と映画のハシゴを考えていたが、キャンセル。

アパレシーダでビデオカメラを回すのははじめて。
なんとも画(え)になる店内だといたく感ず。
今日はキャンセルもあって人の入りは少なかったが、その分、カメラのポジションと移動が楽だった。

KIM-KIMこと木村さんの「卒業写真」、よかった。
ストイックな感じが味わい深い。

そうか、『ばら ばら の ゆめ』は木村さんの卒業写真だったんだ。

あなたは、ときどき、とおくで、しかって。


10月23日(金)の記 鳥の巣がヒトを育てた
日本にて


ブログ「おちゃあるき」 http://ameblo.jp/laosun/ で人気を集める畏友・佐藤仁一さんを僕の日本の地元に案内する。
まずは目黒雅叙園で滝くぐり。
目黒通りのアンチーク家具店などをのぞきあるく。

油面の金柑画廊、祐天寺coffee caraway、カレーナイヤガラ、中目黒岩茶房等々をハシゴ、相当に盛りだくさんだ。

だいぶ疲れたが、25日で終了してしまう下北沢ダーウィン・ルームの「鳥の巣World展」へ思い切って行ってみる。
これは面白すぎる、どころか価値観と人生を変えられる。
博物学とアートの見事な融合。

絵本作家で鳥の巣研究家の鈴木まもるさんが丁寧に説明してくださる。
ヘヤの清水隆夫代表のはからいで、清水さんともども鈴木さんと近くの居酒屋へ。
いたく盛り上がる。

ヒトは相当に鳥の巣に学んできたと感じる。
初期人類の屋外家屋づくり、編み物、カゴづくりなど。

かつて大アマゾンを共にしたアーチストに、アートは自然にかなうのか? という問いをぶつけたが、それに対する答えはなかった。
鈴木まもるさん、そして鳥の巣に出会えて、その答えを体感できた。


10月24日(土)の記 縄文に完敗
日本にて


今日は目黒じゃなくて目白、学芸大学ではなくて学習院大学での上映と講演。
昨晩、思いもよらない痛飲をしてしまったため、未明より今日のトーク内容を練り、調べる。

ブラジルの栗原自然科学研究所と橋本梧郎先生、それに勝ち組問題もからめるという難問だが、僕なりにダイナミックに展開できたように思う。

さて、上映前に準備も終わり、オープンキャンパス実施中の「お学習院」キャンパスを少し歩くことにした。
目当ては大学史料館。

「名品続々! 教科書を彩る学習院コレクション展」というのを開催中。
なかなかにささやかなスペース。
が、いきなり鈍器で殴られたような衝撃。
人間国宝の陶芸家、濱田庄司が縄文土器を模してつくった作品があるではないか。
濱田は学校教育のために茨城県出土の加曾利BⅡ式土器の模造品をつくった由。

しかし、まるで力が感じられない作品だ。
かつて濱田が縄文土器を見て、自分にはこんな力強いものはつくれない」と言ったというエピソードに触れたことがある。
それを目の当たりにした思い。

暑いほどの学習院のキャンパスで藪蚊にやられてしまったが、余りある収穫あり。


10月25日(日)の記 さらばテレビ
日本にて


古本遊戯流浪堂さんから、テレビモニターとDVDデッキを貸してほしいと頼まれていた。
現在、お店で開催中のタルコフスキー「ホフマニアーナ」展で使いたい由。
スタンダードサイズの液晶モニターだ。

満杯状態の押入れからサルベージ。
今年はじめの流浪堂さんでの展示でこのモニターを使用して以来、実家でテレビを見ることがなくなった。
実家では特に不自由も感じず、もっぱらラジオを聴いている。

今日は日曜。
「新日曜美術館」は見てもいい番組だ。
TVケーブルを探して、久しぶりにテレビを設置してみる。
あ、まるで映らない。

そういえば以前、アナログ放送はいつまでで中止、とテレビ画面に映し出されていたな。
かえってすっきり。
さらば、テレビ。


10月26日(月)の記 なめくじイタリアン
日本にて


ナメコロジー研究会主宰の足立則夫さんにお招きいただき、神保町でイタリアン。
足立さんは岩波書店で『ナメクジの言い分』という快著を出されている。

イカなどの軟体動物が出される度に盛り上がる。
ナメクジフリークにふさわしい奥のテーブル付近には他の客も近くにいない。
人耳をはばからず、思う存分ナメクジ談議。

足立さんのおかげで、東京近辺に生息するナメクジの基本的な同定はできるようになった。
身近に見かけるナメクジから、縄文時代から米軍の日本占領、そしてはるかイベリア半島まで思いを馳せることができるというもの。

イベリア半島出自のナメクジの日本到来の目的は、巡礼か、ミッションか。
よりナメクジの言い分に耳を傾けないと。



10月27日(火)の記 ヴィヴィアン・マイヤーを探しそこねて
日本にて


すでに疲労が蓄積ぎみ。
大枚をはたいて劇場に映画を観に行くのは、うとうとしてしまうかどうか心配。
機内映画なら何度もタダで見直すことができるが、劇場では一発勝負だ。

今日、勝負をかけたのは渋谷はイメージフォーラム、待望の『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』。
6月にサンパウロでヴィヴィアン・マイヤーの写真展を観に行き、DVDをAmazonで買おうかと思うほど、見たかった。

わずかなウトウトで済んだが、予告編の延長のような作品。
午後イチの上映で、ぱらぱら程度の観客。
終映後、複数の「わからなかった」の声が耳に入る。

僕はヴィヴィアン・マイヤーの写真をサンパウロの「映像と音のミュージアム」でたっぷり見て、彼女のこともそこそこ調べていた。
フォトグラファーとしての彼女の写真を紙焼き、少なくとも静止画できちんとみたうえでなく、「無名の」彼女の私生活をほじくり返すこの作品を見ても、戸惑うばかりかも知れない。

拙作『郷愁は夢のなかで』を想い出した。
折に触れて比較考察してみよう。

夜はメイシネマ祭代表の藤崎和喜さんに『五月の狂詩曲』ディレクターズカット版を試写していただく。
OKをいただき、ヤッホー!
ご覧いただいている時の藤崎さんの表情が、とてもよかった。


10月28日(水)の記 港区アート巡礼
日本にて


気になっているアート展を一気に回ることにする。
さて、根津美術館。
渋谷駅から歩いていこうと思っていた。
地図を見ると、広尾駅からの方が近いぐらいではないか。
広尾でいってみよう。

ヨーロッパ感覚の街並み。
東京は、こういうところもあるんだと改めて認識。
途中、「麻布アート サンサシヨン」という画廊の「一頁の絵本」という展示が気になり、のぞいてみる。
継続している企画のようで、面白い。

さあさあ、根津美術館。
「根津青山の至宝」展。
念願の国宝「那智瀧図」に接す。
これか。
何度となく眺める。
感動あり、発見あり、疑問あり。
まずは緑青色の、飛沫のような部分とか。
根津美術館の祖・根津嘉一郎とわが南米の思わぬ関連を知って驚愕。

六本木まで歩くも楽し。
知人から案内をいただいていたアート展をみる。

そして学芸大学へ。
明日早朝からの旅の準備もあり、いやはや。


10月29日(木)の記 縄文フリーウエイ
日本にて


まったく予期せぬことばかり。
牛山純一御大のもとで運命を別(わか)った原村政樹監督。
彼が、今日の長野県原村での上映会に参加したいということに。
中学時代から自分の名字と同じ原村に行ってみたいと思っていたそうだ。

原村さんのお住まいのある東武線新河岸駅に遅れて到着。
原村さんのマイカーで、原村さんの映画の配給を担当する舞木さんとともに原村へ、と原村ばかりで岡村の影はますます薄くなる。

原村さんとは20年以上のブランクを経て再会したのだが、その後も合えば「どーも」ぐらいで深い話をする機会がなかった。
道中、諸々うかがってみると、ショックで絶句。
岡村は「さようならドビュッシー」のルシアちゃんの気分。
これはまた、稿を改めて。

途中、釈迦堂PAで小用休止。
釈迦堂と聞けば、縄文屋のDNAがうずく。
なんとパーキングエリア接続で「釈迦堂遺跡博物館」というのがあるではないか!
折しも「縄文人と動物たち」展開催中。 http://www.eps4.comlink.ne.jp/~shakado/h26kikaku.html
一日中、浸っていたい時空を10分で走り見る。
釈迦より古い、縄文人。

空はピーカン、秋の八ヶ岳はこの世ならぬたたずまい。
今回、上映を主催してくれた楽寛庵の清水さんと再会。
会場のリングリンクホール館主の小林節子さんと舞木さん、原村さんはさっそく共通の知人が出てきて盛り上がる。

上映作品の2本は清水庵主のチョイス。
平日の昼だったが、先回の夏の日曜の上映を上回る人々が集まってくれた。
参加者のヴォルテージはなかなかで、質疑応答も絶えず。

原村監督をして感嘆させ得るいい上映会だった。


10月30日(金)の記 タルコフスキーとサルガド
日本にて


昨晩は楽寛庵さんでの宴からB&Bアカデミーさんに戻った後も、原村政樹さんと痛飲。

朝。
いい日本酒は悪酔いしないと原村さんの言だが、たしかに。
アカデミーさんは24時間入湯可。

朝風呂のあと、付近の林道をありく。
秋の落葉樹林の小路、タルコフスキーの映画のなかにいる感。

午前中は楽寛庵主の清水さんに運転していただき、まずは笹離宮へ。
小林節子さんにご案内いただく。
数寄屋造りの土壁のカマキリがたたずむ。

かつて「縄文都市」とまで呼ばれた阿久遺跡もご案内いただき、高速バスで帰京。

タルコフスキーの映画化されることのなかった『ホフマニアーナ』を出版した学芸大学の出版社、エクリさんの営む木林文庫を訪問。
『ホフマニアーナ』の挿画を担当した木村陽子さんもいらしていて、美酒珍味のご相伴にあずかる。

明日の上映に備えて、横浜ジャック&ベティにて『セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター』を鑑賞。
日本語字幕でしっかり見ておきたかった。
今まで理解できていなかったところが少なくなかった。
われながらハードだったが、これは必須だったな。

さあ明日のトーク「サルガドへのラブレター」の準備だ。


10月31日(土)の記 サルガドの勉強
日本にて


今晩の上映の前に、横浜の気になる施設に行ってみようと思っていた。
が、身心の余裕がなくなってきて、延期することにする。

今晩のイベント「セバスチャン・サルガドへのラブレター」でどんなトークをするかがなかなかのプレッシャーとなる。
昨晩、ジャック&ベティで求めた「地球へのラブレター」のパンフレットはなかなか充実している。
今月、ブラジルの新聞記事となったサルガドへのインタビューをもう一度読み込んでおく。

先日、英語のサルガドへのインタビュー記事を読んだ。
写真家志望の若者へのアドバイスを、という質問。
大学の勉強を一生懸命しなさい、といった答えだったかと。
サルガド自身を勉強するわたし。

横浜パラダイス会館、定員オーバーの人の入り。
そこそこの話もできたかなと思う。
「土地なし農民」「ブラジルのユーカリ植林と日本」という順番は、今日の真面目なメンバーには重すぎた感。
今日はサルガドに引っかけて、伊藤修さんがブラジルのスナック:サルガジンニョを供することになっていた。
が、使用する油を間違えてしまったという。

だいじょうぶだろうか。


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岡村淳 :  
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