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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2016年の日記  (最終更新日 : 2017/01/01)
6月の日記 総集編 報道写真のあの人は

6月の日記 総集編 報道写真のあの人は (2016/06/02) 6月1日(水)の記 NHKが先か、安倍が先か
ブラジルにて


日本の安倍晋三のでたらめな発言は一段と「磨き」がかかった。
「約束と異なる判断」というやつだ。
自分の失敗を認めず、過ちを誤らない。
詭弁などという高尚なものではなく、屁理屈の「へ」ほどの理屈もない。
「ごめん」ですむなら警察いらねーよ、とは僕が子どもの頃から言われていたが、その「ごめん」もないのだ。

このでたらめな安倍の「論法」:自分の権力を盲信してずさんで支離滅裂な宣言を放ち、高みから問答無用を決め込むありかたに、直接の被害を被った感がある。

西暦2005年のNHKによる岡村作品パクリ事件の時の、NHK側の回答と応対である。
この問題の経緯については、このウエブサイトなどで告発をしてきた。
当時は「内部の関係者」から、その点を公表されると自分の職と家族の生活が危なくなる、と泣きつかれて伏せていた事実もあるが、こうした圧力も含めて先方の手口はえげつないものだった。

NHKの従軍慰安婦問題をめぐる番組改変問題を思い出した。
西暦2001年放送の番組に、時の自民党政権の安倍晋三内閣官房副長官らが激しい弾圧を加えた事件である。

のちにNHKが加害者として私のような無名の製作者に加えた横暴さと「ロジック」、誠意のなさは昨今の安倍晋三内閣総理大臣のそれとそっくりなのだ。

NHKが安倍に学んだのか、安倍がNHKに学んだのか。
あるいは両者は同じ体質を持っているのか。

自分の大切な仕事の最中なだけに、下品な問題に関わりたくない。
しかし、告発できる立場にありながら、知ってしまいながら沈黙を続けるのは、自分の精神を貶めることであり、そんな輩が自分の感動を他人に伝えたいなどとは言えた義理ではないだろう。

夜、思い切って昨日分のウエブ日記「NHKが削ぎ落としたもの」をアップする。
「また」敵を増やし、仕事の場も縮めそうだが、毎度あり、といったところ。


6月2日(木)の記 竹本
ブラジルにて


今日もほぼ粛々と『ブラジルの土に生きて』の作業にあたる。
尺数としては、今日はさほど伸びない。

あまり体調もよくないが、昼は子どもと近くで外食をすることに。
大衆シュラスカリアに行くが、父は回転肉なしのビュッフェのみで。

近くの飯屋事情。
ゲームソフト屋が寿司バーになっている。
昼間も開店しているが、ブラジル人の店員の他は客にしては品のなさげな日系のおじさんがひとりいるだけ。

ちょっと先にアマゾン出身の日系人が開けた昼食レストランと、後に拡張オープンしたラーメン屋がある。
もともとのレストランも、ひと癖ありそうな初老の日系人たちで賑わっている。
ラーメン屋に至っては、平日の午後1時過ぎで、ほぼ満席。

新装寿司バーとの落差が強烈。

夜、フマニタスの佐々木神父へのお土産として買ってきた、ずばり『竹』というタイトルの随筆の古書を開いてみる。
「大東亜戦争」中、ミッドウエー開戦のあった1942年に改版として出された本だ。
先の訪日で、流浪堂さんにて購入。
箱入り本だが、表紙に竹皮が貼られているのに歓喜してゲットした。

よく見るとこの竹皮の端が逆「く」の字型なのだが、これは確信か欠陥か、こんなものなのか。
それにしても発行から75年が経過して、さほど劣化感がないのがすごい。

内容…牧野富太郎博士が竹の分類でも活躍されたことを知る。
わが故郷・目黒名物のタケノコの竹は、江戸時代は寛政年間に薩摩から取り寄せたものとも知る。

さあ佐々木神父の竹プロジェクトはどこまでホンキかな。
お土産を届けに行かないと。


6月3日(金)の記 嗚呼 聖フランシスコ
ブラジルにて


本業の方は、ナメクジのペース。
空中サーカスとはいかず、ひたすら遅々とした匍匐。

今度の日曜で終わってしまう、気になるアート展がある。
『聖フランシスコの自然』展。
エコロジーの聖者とされる聖フランシスコにちなんで、諸々のアーチストが自然をテーマに取り組んだものの由。

場所はイビラプエラ公園内のMAM。
まずその前に、最寄りのMACを見学。
もと交通局の7階建てのビルがすべて美術館になった。

各階ごとに二つの企画展を開いていて、きちんと観るのは相当のパワーを要する。
肝心な聖フランシスコを見逃してはいけないので、早見をするが…

もったいないぐらい、人がいない。
ちなみに、タダなんだが。
監視員も見当たらない、よく意味のわからない現代アートの異臭漂う空間にひとり身を置くというのは、なかなか。

ヴェネズエラを代表するアーチスト、OSWALDO VIGAS展あり。
ヴェネズエラのテレビ局がつくったらしい映像を流している。
そのなかでヴィガスは、ラテンアメリカ人であることは、メスチーソ:ミックス:あいのこ文化の担い手である、と語っている。

岡本太郎やマベマナブをほうふつさせるダイナミックな作品だ。
ヴィガスのコレクションも展示されていて、日本の能面や春画もあるではないか。
会場に展示されたプロフィールでは、日本のNHKによる彼の作品の展示が行なわれたとある。
が、あとで検索してみると、そもそも日本語ではほとんどヒットしないではないか。

ヴェネズエラについては最近、国際線のフライトが乗り入れを見合わせているとか、よからぬニュースが聞こえてくるばかり。
が、ひとりのグレートなアーチストの存在を知るだけで、ぐんとイメージがよくなってきた。

急いで駆け付けた公園内MAMの聖フランシスコ展の方は…
こちらは有料、6レアイス(邦貨にすれば200円弱だけど)。
ボリュームは、MACよりひとけた下。

なんだか、キュレーターと関連アーチストたちが勝手にやってる感じ。
高島野十郎や吉田博の方が、ずっとずっと聖フランシスコの自然に重なると思う。


6月4日(土)の記 発芽ヒヨコと満州国
ブラジルにて


数日前から水に漬けておいたヒヨコ豆の一部が、一気に発芽をはじめている。
カレーとするか。
いただきもののブラジルシメジもあるし。

ヒヨコ豆は、記載としては7500年前のトルコで登場している由。
わが日本は、縄文時代の早期である。
現在の鹿児島の海底火山の噴火により、九州どころか西日本一帯が壊滅状態に陥った頃かと。

さてヒヨコ豆のレシピを日本語で検索すると、缶入りの水煮を用いたものばかり。
豆そのものからの場合は一日は水に漬けて、下茹でをして、さらに茹でるようだ。
こっちは発芽もんだから、豆だけで軽く茹でて、さらに始めからカレーの他の具と煮込んだが、それでもちょっと硬めだった。
とんだヒヨッコである。

調理の合間か、その逆か、ヒヨコ豆の発芽よりはるかに遅いペースのビデオ編集。
作業はあまり根を詰めずに、日本から担いできた船戸与一さんの『満州国演義』文庫版㊁を読み進める。

船戸さんは晩年をたいへんな仕事に捧げてくれたものだ。
「小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない。」
後記にある、船戸さんの名言。

満州国建国に関して大本教の出口王仁三郎が関与していたこと。
名前ぐらいしか把握していなかった万宝山事件が、日本植民地下の朝鮮人と中国の複雑な問題だったことなどなど、勉強にもなる。

1931年9月18日は、忘れられない日付となった。


6月5日(日)の記 アジ三相
ブラジルにて


路上市へ。
なじみのあんちゃんにアジをすすめられる。
一尾、1キロ以上のサイズだ。
二尾、買うことにする。

一尾は妻の実家に持参。
昼用に、刺身とナメロウにする。

もう一尾はわが家の夕食。
鉄板で塩焼きにする。

うーむ、焼き魚としてはブラジルでアンショーヴァ、なぜか日本人がマスと呼んでいる魚(日本での和名はアミキリ)の方が脂が乗っていてうまいな。
少なくとも今日の味は、焼くとちょっとばさばさな感じ。

合い間合い間に船戸与一さんの「事変の夜」:『満州国演義』㊁を読み耽る。
登場人物たちが、うまそうに、というより当たり前のように酒を飲む記載にそそられる…

今週末で、いただきもののおふらんすワイン、ブラジル国産ウオッカ、大衆銘柄カシャッサは空けてしまったな。


6月6日(月)の記 リンク
ブラジルにて


サンパウロは薄暗く、雨がちな冬の日和が続く。
さあ今日も一日断食。

夜中に読み上げた『満州国演義』㊁の余韻に浸りながら、パソコン作業と『ブラジルの土に生きて』改訂版づくりの継続。

あ、と気づく。
『ブラジルの土に生きて』の主人公である石井延兼さんの兄夫妻が通州事件で亡くなっていたと延兼さんから聞いていた。

通州事件。
1937年、北京近くの通州で日本人と朝鮮人あわせて200人以上が虐殺された事件だ。
その殺害方法の残虐さは、在外邦人史上でも群を抜いている。
僕も在外邦人として、特別な感慨を持たざるを得ない。

船戸与一さんは1930年に台湾で生じた霧社事件をも『満州国演義』㊀で取り上げ、登場人物を絡めている。
南京虐殺事件はもちろん、この通州事件も盛り込まれていることだろう。

『満州国演義』で当時の右翼の巨頭・頭山満が安政年間の生まれ、とあるのが目に留まる。
ちょうどこちらでは『ブラジルの土に生きて』の石井延兼さんが師事したブラジル移民の父・水野龍が安政年間の生まれ、というくだりを再編集中。

先週は、延兼さんが日本の兄の学生時代の成績表を持ち出して語るシーンに字幕を施した。
この兄は、被害に遭われた方だったのだろうか。
新婚間もなくの遭難とは聞いていたが。

神妙に作業させていただかないと。

理屈ではなく、しなくてもよさそうな、この改訂版作成の作業を始めた。
あとから理屈が勝手にどんどんついてくる。


6月7日(火)の記 祈りとしての字幕入れ
ブラジルにて


あら、今日は一歩も外に出なかった。
散歩を兼ねた買い物を家人に頼んでしまい。

中盤戦を迎えた『ブラジルの土に生きて』のリニューアル作業。
石井延兼さん、敏子さんらの聞き取りにくい言葉、登場人物の主なポルトガル語の会話に字幕入れ。

全身全霊で翻訳をしている思い。
これは、僕の祈りなのだなと感ず。

『析出する祈り』とは敬愛する犬養光博先生の発言集のタイトル。
いい言葉だ。

今日は終日の作業で、そこそこ進んだ。
だれたり、思わぬ所用が飛び込んできたりがあるので、できる時に稼いでおかないと。

タラの切り身、冷蔵庫たっぷりの野菜を消費すべく、夜はタラチリ風なべとする。
土鍋のご飯といい、冬の夕餉のうまさかな。


6月8日(水)の記 報道写真のあの人は
ブラジルにて


『ブラジルの土に生きて』改訂版で呻吟中。
スタンダードサイズのモニターに不具合発生。
午後の外回りのついでに店をまわってみるが、AV端子付きのモニターがそもそもないではないか。
いやはや、少し研究しないと。

『ブラジルの土に生きて』のなかで、主人公の石井延兼さんの使う「写真機」という言葉がいい。
この作品は写真とはゆかりが深い。

日本の報道写真の草分け、名取洋之助を知ったのもこの取材のおかげ。
この作品の生まれるキーパーソンは、石井敏子さんの日本の妹・松子さんだ。
松子さんがブラジルに渡った姉夫妻の記録を残すことを強く望まれていた。
この松子さんは、第2時大戦前、上海で名取洋之助の秘書を務めていらしたのだ。

先回の訪日時、地元目黒は油面の金柑画廊さんに寄らせていただいた。
このお店は選りすぐりの古書も置いている。
『報道写真の青春時代 名取洋之助と仲間たち』という大型本を発見、買わせていただいた。
恥ずかしながら、この本はノーマークだった。

冒頭からびっくり。
名取は1935年、五島列島の隠れキリシタンの末裔の村を取材していたのだ。

夜、日本から担いできたこの本をふたたび開く。
なんとも、新しい。
思い切って、鉛筆で線を引いちゃおう。


6月9日(木)の記 ブラジルワインだわいん
ブラジルにて


ジャポン・ノーボ(日本からのニューカマー)の友人のお宅を訪ねることになる。
サンパウロの地下鉄東西線の、東寄りの駅で待ち合わせ。

駅の南北両側にショッピングモールあり。
道の商店街も多種多様な店があって面白い。
友人宅近くの食料品店に入ってみる。

インディカ種の黒米の玄米の量り売りあり、購入。
ブラジル国産のワインを店頭売りしている。
僕が料理用に使うのより、少し値が張る。
とはいえ、ボトルで400円弱。
これも購入。

友人宅では話が思わぬ方向に盛り上がり、すっかり長居をしてしまった。
帰宅後、夕食の準備とともにワインを開封。

む。
ぶどうジュースにアルコールが入っている程度の味。
発酵味がない。
失敗。

サンパウロはしばらく赤ワインの合う寒さが続きそうだ。
次回からはもう少しフンパツしよう。


6月10日(金)の記 ブラジルの土に身をつまされて
ブラジルにて


一昨日、昨日と所用もあっての友人との面会があり。
モニターの不具合も、とりあえず収まりがちで。
ちょっとペースの落ちた『ブラジルの土に生きて』改訂版づくりを、今日は一日みっちり行なう。

死期を悟った父親と、久しぶりに異国から訪ねてくる訳ありの娘との会話がこたえる。
いまや、わが娘も成人となり、今日から短期間だがミッションに出る。

ひとにとって、かなり普遍的な。
そうだ、小津でも観ようか、余裕をみて。


6月11日(土)の記 ブラジルの会員特典
ブラジルにて


昨晩、会員登録をしているDIAというスーパーマーケットのチェーンから、特売を知らせるメールが届いた。
カシューナッツとアマゾンナッツ入りの全粒小麦パン、子どもの好物の銘柄のチキンナゲットなどあり。

このDIA、わが家から徒歩圏に2軒あるのだが、それぞれ同じ品物が値段が違うなど、なかなかクセモノである。
朝イチでより近い方に行ってみるが、食パン類は棚が空の状態、ナゲットもお目当ての銘柄のがない。

遊軍で動いている店員も見当たらず、これまでのブラジルでの経験から追求するだけ消耗間、不快感が高まるばかりと判断。
やや離れた遠方の店に行く。
こちらでは品物はあっても安売り表示がない。
不安はあるが、レジで受け取ったレシートにある金額は安売りの値段で、ほっと一息。

パエジャをつくろうと思い、サフランが欲しかったのだが、2軒とも置いていなかった。
ブラジルでは、田舎の場末のスーパーでも香辛料の品ぞろえは日本をはるかにしのぐのだが。
別の日系の経営のスーパーに寄り、サフラン、チリ産赤ワイン、チーズを購入。

そこそこ『ブラジルの土に生きて』の作業も進める。

一昨日のブラジル産ワインの2倍近い値段(といっても邦貨にして700円弱)をいただくが、なんだか頭痛。
早めに床に伏せる。


6月12日(日)の記 安息日に伏す
ブラジルにて


そもそもサンパウロは、20数年ぶりという冷え込み。

夜中の1時ぐらいまで珍しく頭痛が続いた。
その後は、腰痛。

しかも、言葉にするのがむずかしい夢を何度も見る。
頭痛の間は、満州国にまつわるアークのようなイメージが。
昨日、ビデオ編集の合間に船戸与一さんの『満州国演義』に取りつかれていたせいかも。
この本で、かの満州国の主なる財源はアヘンと知って驚いた。
そもそもこの小説自体がアヘンのようだ。

頭痛の原因は満州国も遠因かもしれないが、チリ産ワインとみた。
ネットで「ワイン 頭痛」をググる。

ワインの防腐剤に用いる亜硫酸塩、ないし醸造の過程で生じるアミンという物質が原因の由。
先週、いただいたフランスの高級ワイン、今週、空けたブラジルの低級ワインでは頭痛を覚えなかった。
いやはや、飲んでみなければわからないとはクセモノである。

体の発する危険信号とみた。
今日は編集作業も、路上市の買い物もやめておく。

家人のみつくろった薬の効果か、腰痛も収まる。
午後から、読みかけだった星野道夫さんの『旅する木』を読了。

先の訪日で、なにかと星野道夫さんとのリンクがあった。
これで、ほんの少しは星野さんを語れそうだ。

夕方から、夕食にカニ玉丼をつくる気になるほどに回復。


6月13日(月)の記 断食日のつまみ食い
ブラジルにて


「ネットのせいでみんな本を読まなくなった。書物は知識の歴史的な大系だ。ネットのつまみ食いの知識ではコンテクストが失われてしまう。」
映画評論家・町山智弘さんのクリストファー・ノーラン監督へのインタビュー。
「映画の本棚」『kotoba』第23号。


まだ本調子でもなさげだが、そうもサボれない。
して、今日も一日断食をしよう。
これをすると、そもそも半病人の気分なのだが。

朝からネットでちょろまかした作業をはじめて、延ばし延ばしだった手紙をしたためると、なんともう正午を過ぎているではないか。
ボールペンがかすれ、次が一段とひどい。
これは寒さのせいかな。

屋内なれど、薄手のジャンパーをトレーナーのうえに着込む。

午後から『ブラジルの土に生きて』改訂版づくり再開。
家族の帰りに合わせて、いつもより遅く夕食の準備を始める。
で、その分、作業は進捗したかと思いきや、ノルマに達成していない感じ。

ネットのつまみ食いを控えないと。


6月14日(火)の記 引き籠り者あるく
ブラジルにて


「私たちの住んでいる地球も母と呼ばれます。地球はすべてを受け入れ、生ましめ、成長させます。自分の息子たちによって破壊されるに任せ、何時も私たちを愛し、人が汚染したものを我慢強く清めていきます。」
『オリゾンテ』(ブラジル発行)2016年5月号 編集後記を一部改訳。


今日は屋内でジャンパーを着込まなくてもセーターで済んだ。
昨日より少しはぬくいようだ。

日本語ポルトガル語、時にはフランス語、しかも尺数にして2秒に満たない会話が飛び交うシーンの字幕付けゆえ、なかなかはかどらない。
僕のテレビ奴隷時代は、テロップは最低5秒が原則、と教わってきた。
『ブラジルの土に生きて』初版ではテロップ入れがビデオスタジオでのオペレーターさんの作業であり、僕もかなりテレビ時代いらいの方法を踏襲していた。

いまや、自宅で手間ひまをかければ、いくらでもマニアックに字幕入れができるようになった。
読む人に見やすく、読めること、極力、画面を汚さないなど、僕なりの留意点は多い。

作品内の時間数としては、はかどったとはいえない。
終日、作業を続けようとも思う。

が、思い切って今日しなくてもいいような買い物を兼ねて外に出る。
徒歩でひと駅先まで行き、カフェでわが家のテーブルを方して発掘したバイリンガル雑誌で目に留まったのが冒頭の言葉。

今さら恥ずかしいが、やはり外に出てみると心身ともにリフレッシュ、見聞も広まった。
夜はタラの鉄板焼き。
冷蔵庫を埋め尽くしていた野菜の消費にも貢献。

夕食後も、字幕付けの再開幕。


6月15日(水)の記 ヴァロットン
ブラジルにて


家庭の事情で今日の午前中は編集作業にならず。
行きがかり上の買い物のついでに、ブラジル被爆者平和協会の森田隆さんに、聞いておきたかったことを確認しておく。

午後の外出後、夕食の準備の合間に編集機立ち上げ。
今ひとつしっくりきていなかった短い翻訳字幕に、適当な言葉が思い当り、差し替えておく。
尺数の進歩はゼロでした。

午後は次のミッションに備えての打ち合わせ。
こちらに会いたいという日本からのヴィジターと、カフェのハシゴ。

この機会にブラジル銀行文化センターの「色の勝利」展を見ておく。
「色彩の」の方がしっくりくるが、「イロ」と「イシ」の「イ」に引っかけ、さらにオリンピック問題も視野に入れて、ナチスの手口に猛進する祖国へのオマージュとする。

フランスのオルセーとオランジュリーのマスターピース群をロハにて拝める。
ロハの勝利。

数年前の印象派展では、3時間待ちの覚悟が求められたが、今日は17時半の部のチケットをその場でゲット。

ゴッホやゴーギャンなどの、複製でおなじみの作品のホンモノが目前に、しかも他の人間の頭越しでなく。
夕食の準備もあるので、長見はできない。
はしるはしるの拝観。

縦長サイズの、パジャマのような青い服の女性の後ろ姿の女性を描いた作品が目に留まる。
地味といえば地味であるが、その地味さが気になる。
帰宅後、日本語表記を調べるとフェリックス・ヴァロットン。
現場の解説には、自分の妻が箪笥で探し物をしているところ、とある。
左右にも彼の作品あり。
自分の家庭内の日常の刹那が画材たりえる、という証明。

日本語圏で少しは共有されているのかな、と思って検索。
なんと2014年に三菱一号館で日本初のヴァロットン展が行なわれていたとは。
代表作とされる『ボール』、まさしくトトロの世界の俯瞰ではないか。
メイちゃんの原形、ここにありや。
そもそも木版画であったとは。

縦長の構図、女性の地味な日常のしぐさ。
浮世絵の影響だったな。

19世紀の末に木版画のブームが過ぎ去り、ヴァロットンは肉筆画を主とするようになったという。
齢50を過ぎてから従軍画家として第一次世界大戦に参加。
彼の戦争画を観てみたいものだ。

さあまた寝間着姿の人妻の背中を見にゆこう。


6月16日(木)の記 BISPURI
ブラジルにて


今日は書けるネタがいくつもあるが、厳選。

『ブラジルの土に生きて』の字幕付けと微調整、最大のヤマ場を迎えて武者震い。

昨晩から始まった環境映画祭を午後から見に行く。
とにかくまずは行って、プログラムをもらってこないと全貌も詳細もわかりにくくて。
メイン会場はサンパウロ市内の6カ所になるのだが、僕には何かと勝手のいいサンパウロ文化センターへ。

合い間に同センターで開催中、今月19日までの写真展も見ておく。
VALERIO BISPURIというイタリア人の写真家の「内への視点」といったタイトルの展示。

いやはや。
なかなか。
まずはセバスチャン・サルガドをほうふつさせる。
サルガドのなかに紛れていても、僕には見分けがつかないだろうものも多い。
帰って調べると(日本語情報皆無か?)1971年の生まれの由。
人類学的視点とジャーナリストの視点を兼ね備えて、と本人の言。
サルガドとどう違うか、これをどう表現するか難しい。
BISPURIにはカラーもあるでよ、ぐらいしか指摘できなければあまりに情けない。

サルガドを少しひねって、傾けたというか。

もう展示は終わってしまう。
明日、もう一度、環境映画と抱合せて見に来よう。

大原治雄さんも、僕がNHKのディレクターに紹介して番組になるまではググっても日本国の日本語情報は皆無だった。
BISPURIもまるで日本語で紹介されていないみたいとは。
日本の鎖国ぶりは、ブラジルくんだりにいてもよくわかる。

夜は環境映画祭の一環の討論会、先住民問題の部に参加。
いまさらながらNHKの大アマゾンシリーズのいんちきさ、ジャーナリズムとしてのレベルのあまりの低さにため息。

さあ、自分の姿勢を正さないと。

本業よ、しばし御免。


6月17日(金)の記 自作を語る/次作を語る
ブラジルにて


昨日に引き続き、『ブラジルの土に生きて』ヤマ場の字幕入れ作業。

ブラジルの内陸、ミナスジェライス州の山峡にある農場の家畜小屋にて。
明治生まれの老日本人移民夫婦が、フランスから訪ねてきた娘とともに家畜小屋の掃除をする。
両親の影響で熱心なクリスチャンだった娘は、ブラジルの軍事政権時代に当局に拉致されてしまった。
奇跡的に一命を取り留めた彼女は、チリを経てフランスに亡命をした。

作業の合間に、娘はヨーロッパの政治と人心の乱れを両親に語る。
母は、人々は神:信仰にかえらなければいけない、と説く。
娘は神の存在そのものを嘲笑い、母娘の言合いになる。
ふだんはすべてを仕切りたがる父は、あまり関係のない話題で二人に水を差し、その場をうろたえながら撮影していた岡村に、娘のことを語り始める…

僕のドキュメンタリーのあり方が凝縮したシーンだ。
『60年目の東京物語』の姉妹の再会シーンと並べてもいいだろう。
あのシーン以上に僕のドキュメンタリストとしてのあり方がよく現われていると思う。

透明人間でも、観察映画でもない。
香取直孝監督は、ドキュメンタリー映画を撮り続ける理由を自分は人間が好きだから、映画を作るとでも言ってないと人間と付き合えないから、と発言している。
僕の場合、撮影でもしていないと僕にはいたたまれない現場にいた、あるいは自分を追い込んだということか。

この作品を完成させてから16年、わが祖国は「戦争が嫌で他の国に移住する」というのがいたく現実味を帯びてきてしまった。
『ブラジルの土に生きて』の主人公の石井延兼さんは、17歳の時に戦争での人殺しを強要する日本を嫌ってブラジルに渡った人だ。

いま、改訂版をつくってふたたび祖国の人々にお贈りしたい。
今回の作業で、拙作はよりご覧いただく方の理解を深めやすくなったと思う。

夕方、環境映画祭の1セッションのみ観賞に出る。
ペルー、ボリヴィア、ヴェネズエラ製作の短編3本。
ボリヴィア高地でキノアづくりを始めた人々のことなど、見ておきたく。

会場のサンパウロ文化センターで、ヴァレリオ・ビスプリの写真をふたたび早見。
昨日はサルガドでたとえたが、ミゲル・リオ=ブランコにより近いだろう。
サルガドは僕の知る限り、麻薬窟の人々や寝台の下着をつけていない女性の姿は撮らないだろうから。

さあ、家族の夕ご飯を急いで帰って仕上げないと。


6月18日(土)の記 移民の日の隠遁者
ブラジルにて


今日は、ブラジルへの第一回移民先「笠戸丸」の到着にちなんだ、移民の日。
僕なりの祈念をする。

この移民団送出に奔走した国士・水野龍の書生を務めた石井延兼さんのあかしを記録した拙作『ブラジルの土に生きて』の改訂版を作成中。
僕にとって、これ以上の供養はないだろう。

午後また、サンパウロ文化センターに環境映画祭のプログラムをひとコマ見に行く。
南米の3本の短編。
今日も5段階評価の採点票を渡される。
昨日に引き続き、どれも3にしておく。

おそらく見納め、ビスプリの写真展。
50枚足らずの展示で、3回目となると被写体の人物への愛着も感じてくる。
南米の麻薬依存者、キューバの庶民空間、ヨーロッパのジプシー、フィリピンのスラム街、インドのベナレスなどが舞台。

われらがブラジルを舞台とする写真は一枚。
サルヴァドールの暗い路上でマリファナに着火する男女を近くから撮った写真。
この一枚を撮れるに至るようになるまで、どれだけの手間暇がかかることか。
彼の言葉として「報道写真は深さが求められる」「その内容と歴史をほりさげていなければ、むなしい」とある。

展示点数がさほど多くなく、映画鑑賞の合間に3回訪れたおかげで彼の言葉もメモを取る余裕があった。
「見る者の良心に訴え、動かすため」。
たとえば名取洋之助とどう重なり、どう異なるのか感じ、考えていこう。


6月19日(日)の記 冬の魚
ブラジルにて


日曜の路上市へ。
鮮魚を見る…

刺身用にスズキ、サワラをすすめられる。
スズキは高いし…
そもそもこう寒いと、刺身を食べたい気もしない。
焼き魚用に、アンショーヴァ(アミキリ)を買うにとどめる。

昼は連れ合いの実家で、客人の歓迎昼食会。
アルコールが嫌いではない客人に誰もすすめる人がいないので、不肖の愚生が。

日本から『満州国演義』㊃が届き、ちびちび読んでいた㊂を一気に読了。


6月20日(月)の記 冬の編集
ブラジルにて


南半球に位置するブラジル・サンパウロは今日、冬至を迎える。
これからは日が長くなるばかりというのは、なんだかうれしい。
寒さはなかなかのものだけど。

さあ今日はみっちり『ブラジルの土に生きて』改訂版の作業を。
むむ、編集機の容量が足りなくなる。
いずれ起こりうる事態であった。

どのように切り抜けるか、思案。
前半の部分を、再チェックしながらデータをまとめていってみるか。
いったん、振出しに戻る。

外には、駅前の日本食材店への買い物に。
ゴマが目的だが、皮をむいた白ゴマも売られている。
皮なしは頼りなげなので、皮つき生白ゴマを購入。

次作の作業停滞のため、環境映画祭はやめておく。


6月21日(火)の記 冬のあやまち
ブラジルにて


少しペースが落ち、スケジュールも押している。
散歩兼買い物の外出、および賄い夫の作業以外は、『ブラジルの土に生きて』編集作業に専心する。

ようやくエキストラのやりくり作業を終えて、編集データの整理。
あっ!
ふたつもこれから使用すべき大事なデータを削除してしまった!
強制終了により、さらに大事なデータは復元できたが。

呆然。
深夜まで、新たにデータの取り入れ。
いやはやいやはや。

しばらく映画観賞も人に会うのもお預けにせんと。


6月22日(火)の記 電視の聖人
ブラジルにて


『ブラジルの土に生きて』、僕にとっては奇跡的な記録だ。
こうしたものが、記録された奇跡、他所の他者に伝えられるという奇跡。

ブラジルの6月はカトリックの聖人祭りの続く時期。
「テレビの聖人」とされる聖クララを想う。
12世紀のイタリアの修道女で、病身で伏せりがちだったが、彼女は自分の寝室の壁に遠隔地のイメージを見ることができたという。

検索してみると日本では聖キアラという名前の方がポピュラーのようだ。
西暦1958年、僕の生年にテレビの聖人とされていた。

そもそも、テレビジョン:遠隔視 の日本音漢字表記はありや。
テレビ受像機の語はあってもテレビジョンそのものは日本語に変換されていないようだ。
中国語では、電視。

僕自身、すでにメディアとしてのテレビは去ったし、戻る気もないが、テレビジョン:遠隔視 という業は続けていくつもり。

さあ人為事故を起こしてしまった『ブラジルの土に生きて』改訂版作成、いくらかまた先の見通しがついてきたかも。
日本の選挙も気になるし。
日本の有権者の良識を信ずるばかり。
さもなくば、福島原発事故以上の日本国居住忌避者を当地は迎えることになるな。

テレビの聖女は、空間以外に時間も超えたイメージを見ていたのだろうか。


6月23日(木)の記 絶望と銀幕
ブラジルにて


祖国のニュースがとても気になる。
もはや、外圧と天災・人災しか救いはないのか。

7月の参院選は、与党側が憲法改悪を可能にする3分の2以上の議席を獲得する勢いとの報道。
国民主権、基本的人権、平和主義の放棄。

僕はすでに国外脱出を合法的に成し遂げているのだが、こんな悪夢が現実味を帯びるとは。

『ブラジルの土に生きて』に込められている預言に、目まいがしそうだ。
改訂版作成、修復に数日間かかったが、とりあえず窮地は脱した感じ。

午後、思い切って環境映画祭をふたコマ、見に出る。
ダウンタウンではアフリカ月間開催中だったか。
付近を歩くと、オリエンタルの人は見事なまでに見かけず、僕には何語か聞き取れない言葉で話すアフリカンの人たちがあふれている。

ブラジルを中心とした南米の短編を見る。
ブラジル領アマゾンの農民活動家殺害問題。
アマゾン流域中下流域のパラ州では、年に100人近い零細農家の活動家が、大資本側の殺し屋によって殺害されている。
ブラジルの先住民インディオの政治家の困難な状況のなかでの奔走。
パラグアイで当局に虐殺された零細農民たち。

70数年前の大日本帝国とその植民地化、占領下にあった地域、そして日本の近未来とオーバーラップする。
ブラジルに暮らす日本人、記録映像作家としてこれから何をすべきか、よく考えよう。


6月24日(金)の記 モンスーンとギリシャ危機
ブラジルにて


昼過ぎまで、細々と『ブラジルの土に生きて』改訂版の作業と合い間に買い物。
作業の方は細かい字幕付けが主だが、マンガの吹き出しに通じるものがあるなと気づく。

すでに今回、1000枚を超える字幕を施している。
1枚1枚、何度もやり直しながら。
昨日、見た南米のドキュメンタリー映画では、扱った事件のその後について画面いっぱい、数行にわたる文章で語られていたが、ほんの数秒間の長さで半分も目に留まらなかった。
ああいうのは、いったいなんなのだろう?

家族の夕食にストロガノフを作っておいて、ドキュメンタリー映画祭、気になっていた作品を見にいく。

まずはカナダとフランス合作の『モンスーン』。
ずばりインドのモンスーンをめぐる壮大なプロであり、叙事詩だ。
モンスーンはずばりインドの魂だと。
モンスーンのもたらす水がインド人の命を支えている。
大げさにも聞こえるそのセリフが、まさしく曼荼羅のようなシーンの積み重ねで裏付けられていく。

毎年、モンスーンの雨による洪水に見舞われる地区の少女。
インド最大のスラムと雨。
数年間、降雨量ゼロの干ばつ地帯。
雨が降るか降らないかのばくちを仕切るおじさん。
雨季の訪れとともに移動するインドサイを保護するレインジャー。
モンスーンの雲のなかでの観測チームと、モンスーンはてる地の絶景…

この風土から、仏教もヒンズー教も生まれたのだな。
牛山さんは、こんな番組を作りたかったのだろうな。
リサーチといい、取材といい、見事だ。
こういう作品に出会えるから、この映画祭通いは貴重だ。

もう一本、『AGORA』というギリシャ・ドイツ・カタールの合作でギリシャの経済危機を4年間にわたってフォローした作品も見ておく。
イギリスのEU脱退の国民選挙、日本の政治経済の危機を考える手がかりとして。
民主主義で選出する政治家を誤ると、どういうことが起きるか。
ネオナチ集団による移民弾圧や政治問題を歌うラッパー虐殺を「見守る」警察。
政府による公共テレビ放送の停波。
公共サービス、福祉の切り捨てのなか、人としての尊厳を守ることを理由に、広場での自死を遂げる老人。

ギリシャの停波問題について、その後はどうなったのか帰宅後、日本語で検索してみるが、2013年の停波の報道はあっても続報が見当たらない。
今の在日日本人たちに見せたい映画だ。

帰宅後、ストロガノフ用に買ったトマトピューレの残りで、寒い台所でブラッディメリーをいただく。
ヒマラヤの岩塩、アマゾンの黒コショウ、ブラジル産のトンカツソース(こちらでは「イギリスソース」と呼ぶ)、ライム、擂りニンニクを添えて、ブラッディアース:血まみれの地球を想う。


6月25日(土)の記 餃子の羽ばたく時
ブラジルにて


ブラディーメリーも、そう飲み続けられるものではない。
シトラス系の炭酸飲料を買ってきて、わが家に多量にあるハチミツもウオッカに注いで。
はちみつシトラスサワーとしていただく。

ふたたび手作り餃子に挑戦。
今日は、餃子の羽付けをやってみよう。
ネットで最初に見つけたレシピひとつだけさっと見て、やってみる。
小麦粉を水に溶いて、餃子を並べたフライパンに最初から注ぐ由。

おう、ハネができるではないか。
今回は冷凍してあった皮を解凍して使用、ぐにゃぐにゃでいくつか破れたけれども。
はじめての羽付き、家族にも受け入れられる。

さあ今日も『ブラジルの土に生きて』、少し進める。
後半のヤマ場。
ヤマ場ばかりだな。


6月26日(日)の記 聖日曜日
ブラジルにて


めずらしく、家族4人がサンパウロのわが家でそろっていられる日曜日。
ホリデイ:聖なる日とはよく言ったものだ。

隣り駅前にオープンした「行列のできるラーメン屋」に挑戦してみようということになる。
日曜は午前11時オープン。
そもそも一般ブラジル人の日曜は遅めだから、11時を狙えば行列は免れるかという狙い。

わが家族、一番乗り。
経営は、アマゾンのトメアスー移住地出身の日系人と聞いていた。
店がヒマなうちに、店主夫妻と言葉を交わす。
共通の知人の、思わぬ近況など。

ジャンブーのカシャッサというのをいってみる。
ジャンブーはアマゾン特産のキク科の植物で、ワサビに近い独自のシビレ味がある。
いったん口で止めてから嚥下するようにとアドバイスを受ける。
いやはや珍味のシビレ酒。

僕はアマゾンラーメンを頼む。
このジャンブーの葉、トゥクピと呼ばれるマンジョーカの発酵調味料を使用。
話のタネにはなる。

家庭では『ブラジルの土に生きて』の作業を粛々と進める。
モニターを、だましだまし。

夜、日本とブラジルを往復していた原民喜著『幼年画』を読了。
移動中に傷んだカバーを色鉛筆で補修。
およそ80年前に描かれた作家の幼年時代の記憶が、倉敷の蟲文庫の田中美穂さんと「サウダージ・ブックス」の淺野卓夫さんのタッグによってよみがえるという快挙。

想い出した。
まだ二人が直接つながっていない頃。
蟲文庫で田中さん手づくりの原民喜著『夏の花』を求めて、当時は葉山住まいだった淺野さんに謹呈したことがあった。

本の達人を友に持つ幸せ。


6月27日(火)の記 混迷の泥濘
ブラジルにて


月曜、サンパウロ居留中の恒例の一日断食。

『ブラジルの土に生きて』改訂版では、3か所ほどカットを変えるつもりで、そのクライマックスに突入。
いけるのか。
これでいいのか。

ここで、だましだまし使っていたモニターがダウン。
この場合に備えていた段取りに入る。
隣り駅地区まで行って、4:3の中古モニター購入、さらにRCA(ビデオ端子)とVGA(15ピンのパソコン端子)をつなぐパーツの買い出し。

いやはや、都合3往復。
まずはモニターの電源ケーブルが特殊な形態で、店のあんちゃんが付け忘れていた。
次は、せっかくゲットしたRCA-VGA接続ケーブルが機能しない。
店に行くと、これしかないという。

いろいろ設定しているうちに、おシャカになっていたモニターが復活しているではないか。
とりあえず、ヤマ場の編集。
方針変更による字幕の字体変更。

ネットで調べたうえ、明日はサンパウロの秋葉原に挑むか。
検索を繰り返したおかげで、覚えきれなかったRCAとVGAの二つの言葉が、深く刻まれたな。


6月28日(水)の記 街を歩けば
ブラジルにて


朝、かるく編集作業をしてからブラジルの電気街サンタ・イフジェニア地区に乗り込む。
客引きの若者が寄ってくるのだが、これがそこそこ詳しい。
目的の、RCA→VGA変換コンバーターは、ある。
値段の掛け値があったり、オプションもあるようなので、何軒かまわってみる。
地元のパソコン屋、テレビ修理屋ではそんなものは聞いたこともないといわれたものが、ほいほいであるではないか。

せっかくダウンタウンまで出たので、気になっていたカルチャーセンターへ。
そこへのショートカットの道は、なかなかヤバかった。
昼前の大道脇のオープンスペースで、男性が脱糞中だったり。
ずばりクラックランドと呼ばれる地区。
できれば、もう通りたくない。

ポルトセグーロという保険会社のカルチャースペース。
EVANDRO TEIXEIRAというブラジルの国民的写真家の作品が、圧巻。
サルガドは世界のサルガドだが、エヴァンドロはブラジルの国民的写真家と呼ぶのがふさわしいな。
ローマ法王、エリザベス女王からスラムの少年、奥地の老人まで、同じ人として撮れている。
すぐには、言葉が追いつかない。

2015年ブラジル写真賞の入選作の展示も。
ビデオも含めたインスタレーション系には、僕は相変わらずついていけない。
ひたすら乗用車の前席の人を撮ったシリーズ、福音派の牧師や信者のポートレート、ブラジル・パラグアイ・ボリヴィアのアーミッシュの人たちの記録など、面白い。
素材は、テーマは、いくらでもあるのだ。

無事生還。
コンバーターもぶじ機能。
あとは、本丸の編集機にぶじでいただければ。


6月29日(水)の記 生きてゐるmixi
ブラジルにて


粛々と『ブラジルの土に生きて』改訂版づくり。
いよいよ終盤。
今日はけっこうはかどったな。

徒歩圏の買い物、炊事。

夜。
メールボックスにmixiから「友人追加リクエストが承認されました」というメッセージが届いている!
時間を10年ぐらいワープして届いたのか?

どうやら、3年ほど前の友人追加リクエストがようやく認められたらしい。
久しぶりにミクシィのオレンジ色のページにアクセス。
今回、ご承認いただいた方とは、だいぶ縁遠くなってしまっている。
と、北米在住の方から最近、mixiの『岡村講』というコミュニティページの記事にいくつも「いいね!」をいただいていることがわかった。

正直、僕にはfacebookよりmixiの方が使い勝手がよかったが、お付き合いのある日本人の大半がmixiからfacebook、ツイッター等に移行してしまい、こちらもそれに合わせていた。

昨日、久々に買出しに出たサンパウロのアキバには20数年前、ベータマックス!のビデオテープの調達に通ったものだ。
さすがにベータマックスの逆襲はむずかしいかもしれないが、日本でもブラジルでも音声カセットテープの復権を伝え聞いている。

VHSテープ、そしてmixiのリバイバルぐらいはありえそうだ。
そもそも、いまだにmixi残存者、少なくないようだ。
三面記事情報を拾うのに、ミクシィは悪くない。

『岡村講』、また更新しておきますかな。
そういえば、消息を絶った管理人はどうしているだろう?


6月30日(木)の記 ほっぺたを落とす時
ブラジルにて


ほっぺたを落とすか、舌鼓をうつか。

水戸の手打ち蕎麦処にのまえの眞家さんから、塩漬けのキュウリをいただいた。
それをブラジルに持ち帰り、冷蔵庫に置いたままだった。

塩をひと晩、抜いてからいただくと、そこそこの味だった。
それを眞家さんに伝えたところ、塩を抜き、醤油・砂糖・酢・生姜・唐辛子を煮込んだ汁にひと晩付けると、しなべきゅうりとしておいしくいただけるとの返信があった。

なかなかに、めんどくさいといえばめんどくさい。
生姜を買い出しに行かなきゃならないし。

さて先週、手作り餃子をこさえる都合で、生姜をひとパック買ってきた。
塩漬けキュウリをたっぷりと塩抜きした。
唐辛子は西田幾多郎先生の故郷でいただいたものを使ってみよう。

汁につけておいたキュウリを今朝、試食。

絶品ではないか。
山形に親戚がいるので、時折り土産にしなべきゅうりのパックを買ってくるのだが、あれよかはるかにうまいではないか。

まずはたっぷりの煮汁がもったいない。
ダイコンを少し干してから漬けてみるかな。


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