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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2016年の日記  (最終更新日 : 2016/12/01)
7月の日記 総集編 サクリファイス

7月の日記 総集編 サクリファイス (2016/07/02) 7月1日(金)の記 在外選挙ほか
ブラジルにて


サンパウロ総領事館管轄の参議院在外選挙は、明日までの由。
ぎりぎりまで情勢を見て投票したいところだが、余裕を見て本日、散髪を兼ねて投票に出る。

移民床屋の大塚さんは、日本の格安散髪店の3倍の時間をかけて、顔剃りやマッサージも入念にしてくれる。
今日は有明海での潮干狩りの思い出を聞かせてもらった。

会場のサンパウロ援護協会に投票に向かうのは昼時間となり、そのせいかこれまで程の選挙要員が見受けられず。
最後の封筒の確認で、係のおじさんからきれいな字で書けています、と褒められる。
他がよほどひどいのだろうか。

東洋人街に出たついでで、中華食材店で買い物。
さらにカイシャ銀行文化センターの展示も見ておく。
もう少し展示のハシゴもしたくなるが、今日は選挙のため身分証明証のオリジナルを携行中。

盗難に逢うとややこしいので、無傷なうちに帰宅しよう。


7月2日(土)の記 REDUX
ブラジルにて


朝から作業。
微妙な作業だ。
昼過ぎ、『ブラジルの土に生きて』改訂版、いったんつなぎ終える。
これから全体の微調整をしなければならないが、少し寝かそう。

久しぶりにわが家でDVD観賞をするか。
『地獄の黙示録』特別完全版。

最初のバージョンの日本公開は1979年。
「特別完全版」は2001年か。

最初の劇場公開で見て、その後に僕が見たのはナニ版だったのだろう。
「特別完全版」にあるフランス人コミュニティの話は、メイキングのドキュメンタリーで見ていた。
慰問に訪れたプレイメイトたちが売春に応じるというシーンは、見た覚えがない。

今回、見直してみると期待のカーツ帝国が、なんだかちゃちな作り物に思えてしまう。
映画史上屈指の作品であることは確かだろうけど。

『2001年宇宙の旅』(1968年製作)と比較してみたくなった。
『2001年…』では「未来」のアメリカとソ連の対立も描かれるが、「現生人類」は見事に白人しか登場しない。
『地獄の黙示録』では主要な登場人物に黒人系が出てくる。
しかしアジアが舞台でありながら、アジア人は怪獣映画の南島の集団としての原住民扱いにとどまり、役名や字幕化される台詞のある存在は一人も登場しないのだ。
そのこと自体が、すごいと思う。

この映画がフィリピンでロケされたことは公開時から知っていた。
が、カーツ帝国の住民たちがフィリピンのイフガオの人たちだったことは今回のクレジットで初めて知った。
原題にある「REDUX」は「帰ってきた」といった意味のようだ。

『ブラジルの土に生きて』REDUXか。

夜はお好み焼きをつくる。


7月3日(日)の記 クモノスカビ
ブラジルにて


路上市の魚屋で、刺身用にサワラを、鉄板焼き用にペスカーダと呼ばれる大衆魚の切身を購入。
昼は、こちらの実家へ。

帰宅後。
わが家の近くの私立学校を会場として、ヴェジタリアンまつりというのを開催中と知る。
入場料はタダか。
夕食の支度の前にのぞいてみる。

ヴェジタリアン系ので店がずらりと並ぶ。
アイスクリームなど、かなりの行列。
かたや、ひと気がまるでない店は、売り手も気合いが入っていない。

せっかくなので、なにか…
テンペのハンバーガーがある。
テンペはインドネシアの発酵食品だが、僕はブラジルに来てからその存在を知った。
お兄ちゃんに聞くと、大豆ではなくグリンピースやキノアを使っているという。

邦貨にして約300円、いただいてみる。
ニンジンやらのトッピングがあり、テンペそのものを味わうという感じがない。
お兄ちゃんは他の客に、テンペというのは「キノコ」を使って…と説明している。

帰って調べてみると…
テンペは納豆菌で大豆を発酵させたものと思い込んでいたが、クモノスカビの一種だと知る。
名前が常人の食欲を削ぎそうだが、クモノスカビは紹興酒づくりなど、広くアジアでは人類の食材に貢献しているようだ。

カンブシというブラジル大西洋海岸山脈特有の果物の製品もいくつか購入。
こういう食べて応援、買って応援は懐が厳しくても続けたいもの。


7月4日(月)の記 ブラジルのガラパゴス
ブラジルにて


さあ今日から『ブラジルの土に生きて』改訂版の通しのチェック。
2時間30分あまりの尺。
30数分まですすめてから、方針変更を思い立ち、もう一度やり直し。

ひとり作業、しかもブラジルという異国での日本語バージョンづくり。
そもそも日本では絶滅の危機に瀕しているだろうスタンダードサイズだ。
アナログ、アナクロ、あなをかし。

ブラジルにこもって、ガラパゴス化まっしぐら。

『地獄の黙示録』のカーツ大佐の言葉に、刃物の上を這うカタツムリというのがあったな。
こちとら、刃の上を這うナメクジだ。

身を斬りながら、もう一度振出しから匍匐の再開…


7月5日(火)の記 まつろわぬ者ども
ブラジルにて


劣化どころでは済まされないブラジル日系社会のグロテスクさについては、別稿で。
改訂版づくり作業で引きこもりに近い状況だが、祖国の選挙が気になって仕方がない。

日本の大手メディアからは、僕にとっては悲観的どころではない情勢も伝えられてくる。
こちらは在外投票も終えて、あとは日本の有権者の良識と知性を信ずるばかりだ。
ブラジルから日本語で偉そうなことをネットで発信していても、在外選挙の手続きを怠っていたり、どこでどう投票したらいいのかも把握していないようなのは、話にならない。

「もし」日本国憲法改悪勢力が3分の2以上を占めて、祖国の平和主義・基本的人権・国民主権が踏みにじられることになったら。
僕自身は日本国籍を有しながらも、すでに日本脱出といういちばんのハードルは超えている。
ふと、かつて取材を試みた、ブラジルの大東亜戦争勝ち組の残党たちの集会を思い出した。

いまだに日本人移民は「大日本病」を引きずり、新たに当地での蔓延まで試みているが、日本が第2次大戦に勝ったと信じ込んで、負けたという人たちを問答無用のテロで殺傷を繰り返したこの人たちの例は、とてもわかりやすい。
反知性と、まさしく複雑なコンプレックスのかたまりだ。

僕にとって共感も同情もわきえない人たちで、「自分たちはポツダム宣言を受託していない」とのたまうのに、なにをたわごとを、と思っていた。
「ポツダム宣言をつまびらかに読んでいない」と堂々と国会で述べる安倍晋三首相などは論外で早くお引き取りいただく以外にはないが、ふとこの勝ち組老人たちのこの発言を思い出したのだ。

日本国憲法が改ざんされるような事態となっても、僕はそれを受託しない、としようか。


7月6日(水)の記 散歩行
ブラジルにて


大詰めの引き籠り作業。
ミナスジェライス州から、いつ見られるのかと何度も連絡が入るが、慎重を期して、少しでもサバを読む。

体の問題は、運動不足だろう。
買い物を兼ねての散歩が快適。
時間と心の余裕が乏しいのが問題。

祖国の大事も気がかり。
昨年の戦争法案の時に比べると、今度はこちらはすでに在外選挙を済ませたというささやかな達成感ありだが。


7月7日(水)の記 地獄の恐怖
ブラジルにて


浮かんできたのは『地獄の黙示録』のカーツ大佐の末期の言葉。
「ホラー」と二言いうのを「恐怖だ」「地獄の恐怖だ」と字幕付けされている。
これはコンラッドの『闇の奥』のクルツの言葉の翻訳に由来しているかと。

まさしく完成目前の『ブラジルの土に生きて』redux、編集機に異常が生じた。
強制終了の後、再開すると、これまでの編集データが消えていた。
さすがにこれは初めての事態、原因不明。

先回の訪日以前からの、2カ月近い作業のたまものが…

さあ、どうしよう。


7月8日(金)の記 サクリファイス
ブラジルにて


昨夕の編集データ完成直前消失事故について。
合理的には、不可解そのもの。

昨晩さっそく失意のなか、頭の方を新たにつなぎ始めてみた。
消えたバージョンは、故・石井延兼さんに不本意だったのだなと反省。
死者をダシにするのは傲慢、というならば、僕のなかに生きている延兼さん、としておこう。

そして、日本の選挙での憲法改悪勢力が3分の2以上におよぶことを阻止するための、サクリファイスと思おう。

こちらの今朝、ネットで日本の都知事選に俳優の石田純一さんが名乗りを上げて、群がるマスコミに参院選や憲法改悪問題を訴えた、と知る。
石田さんのことはほとんど知らないが、涙腺が緩む。
かっこいい。

ミナスジェライスからの返しはないが、新たにアリの歩みを始める。
たいへんだが、消えたREDUX版よくなっている感じ。


7月9日(土)の記 サバ読みにサバ折り
ブラジルにて


性格と経験から、そこそこサバを読んですすめていた編集作業のデータが、まさしく完成直前にして消失。
想定外のサバ折りを喰らってしまった。

かえって、サバサバしてる、なんちゃって。

事故直後から、非常態勢で振出しから始めている。
昨日からのサンパウロの「日本祭り」、ちょっと寄ってみようと思っていたが、自粛。
今日も早朝から作業。

して、今日はサンパウロの祝日。
作業中、疲れたり、だれるとパソコンに向かうのが旧バージョン作業。
今度から思い切ってアパートを出て散歩を行なうことにする。

サンパウロは長崎や横浜なみの急な坂も多く、ルートによってはかなりの運動になり。
本来は今頃遠征してるつもりだったミナスジェライスから返信あり。

あらたにサバを読みながら、サバ折りに気をつけよう。
いよいよ祖国の選挙本番だ。


7月10日(日)の記 選挙と縄文
ブラジルにて


アマゾン流域の分水嶺の田舎町の老人ホームで、祖国の大地震の被害を心配しながら衰弱死に至ったという西佐市さんを想う。

驕れる政権に鉄槌を、と願い続けていたが、そうはいかなかった。
祝杯は、お預けとなる。

意外な朗報は、鹿児島県知事選で脱原発路線の新人が当選したこと。
参議院選の方を全国地図で見ると、東日本で護憲共闘派が多く勝利して、西日本ではほとんど自公ばかりの勝利となっている。

ずばり縄文と弥生の地域差と重なるではないか。
沖縄では自民敗退、県知事選だが鹿児島の自民敗退も、沖縄の独自性は言わずもがな、南九州に縄文遺跡が多く、遺伝子的にも文化的にも縄文色が濃いこととオーバーラップするような。

「3分の2の神話」がいまひとつ、よく呑み込めない。
日本の報道メディアによって数え方も違うようだ。

議論抜き、腐臭メディアを駆使しての改憲が先か、その前に大地震・火山の噴火に新たな原発事故か、国内テロか。

日本の古典は「驕れる者、久しからず」と教えてくれている。

想いは千々だが、自分は日本国外に居住していることを肝に銘じなければ。
日本のお仲間の皆さん、まずはお見舞い申し上げます。


7月11日(月)の記 焼畑超えて
ブラジルにて


自分にできること、すべきこと、させていただいていることは、『ブラジルの土に生きて』再改定版の作成だ。
身心へろへろで取り組むと、またこの度のような事故を起こすというもの。

午前中の散歩兼買い物で、急坂地帯に再挑戦。
上りは、まさしく息が切れる。
どれぐらいの傾斜だろう。

付近の道路わきの壁を見ると…
直角三角形型のがある。
三角形の内角の和は…

とすると、約30度の傾斜ではないか。
学生時代に九州の焼畑地帯を少し歩いたことがある。
焼畑の斜面は相当に急なようで、実際には10数度程度、と学んだ記憶が。

たいへんな傾斜である。

明日は友人の案内を予定していたので、今日の月曜断食は取りやめていた。
と、その友人から体調不全のため、明日は見合わせたいとのメッセージが。
こちらの体調調整が狂うが、まあ、たいした問題ではない。


7月12日(火)の記 毒瓦斯散布
ブラジルにて


昨晩、読了した『報道写真の青春時代 名取洋之助と仲間たち』の鉛筆ひき部分をもう一度、振り返ってみる。

同書より引用、孫引き。
1938年に内閣情報部が発行した国策週刊グラフ誌『写真週報』より。
「映画を宣伝戦の機関銃ととするならば、写真は短刀よく人の心に直入する短剣でもあり、何十万何百万と印刷されて散布される毒瓦斯でもある」。

祖国が大変な状況の今、在日本の複数の方からメール見舞いをちょうだいして、かたじけなくもうれしい。


7月13日(水)の記 天皇というジョーカー
ブラジルにて


現天皇が生前の退位希望を表明、という超ド級のニュースに接す。
感極まる。
日本国の象徴からの、希望と光か。

大東亜戦争に赤紙で駆り出された亡父は、昭和天皇に罵詈雑言を浴びせ続けていた。
奥崎謙三さんに通ずるものだろう。

不肖の息子の方は、橋本梧郎先生を介して、現天皇を身近に感じるようになった。

今回の報はNHKからだというが、素直にNHKの良識派が動いたと見ていいのかどうか。

さて。
明日は日本に戻る友人を、車で南米大陸の南半分を貫く大河チエテ川の源流まで案内する予定。
待ち合わせ時間は、日の出前。
編集作業は、一日お休み。

この機会にタイヤ屋さんへ行っておく。
いやはや、ちょいとした物入りだ。


7月14日(木)の記 源流と野菜
ブラジルにて


今日の行程が気になっているためだろう、眠りが浅い。

来週には日本へ帰ることになる若い友人を、車でネイチャー系に案内。
日の出前に出発。
今日は愛車の乗り入れ制限の日でもあり、午前7時前にはサンパウロ市を抜けなければならない。
大事を取ってロドアネウ経由とする。

ここのところ、運転ボランティアの際に罰金を喰らうことが続いているため、慎重に。
サンパウロ市近郊の街道を環状に繋ぐロドアネウ。
山襞から霞が湧きあがり、南回帰線の冬の来光と重なって、絶妙な光景に客人は何度も声をあげる。

目指すはサンパウロ州を貫く大河チエテ川の源流。
もろに朝日が正面で眼をやられ、掲示板を見落としたのか、途中のモジダスクルーゼスで軽く迷う。
まあ、基本の地理は呑み込めているので、たいしたことはない。

すでに7月の休暇のシーズンに入っているのに、チエテ川源流州立公園の訪問者は我々だけではないか。
この1月に訪れた時は、要介護者が一行にいたため、森の散策と観察というわけにはいかなかった。

入り口から源流の泉まで三つのコースがあり、1キロ以上のコースを散策。
大西洋海岸森林のよろこび。
冬季であり、乾燥が続いているので、菌類・昆虫・軟体動物の観察にはちと残念。

近くの郷土料理屋で昼食、バイキング形式。
メインは薪で炊いた料理だが、野菜がやたらにうまい。
特に、ルッコラにクレソン、何種類もの手作りドレッシングがよろしい。

この一帯では日系人が葉野菜作りをいまも続けていて、そのおかげさま。

現流水を持ち帰る容器を持参すればよかったな。


7月15日(金)の記 断食フライデー
ブラジルにて


昨日の運転とそこそこの歩行の、心地よい疲労を引きずりながら。
来週は特別なシフトが続くので、今日一日断食をする。

して、ひたすら編集作業。
散歩とコメの買い出しを兼ねて外出。

「また」全体がはちゃめちゃにならないよう、慎重に。
夜の作業は、ほどほどに。


7月16日(土)の記 ハチマルとおろし餅
ブラジルにて


今日も早朝より編集。

いったんマシンの灯を消して、水曜日に行ったタイヤ屋へ。
後部の2輪を新品に替えることにした。

ホイールのなかに、北パラナの赤土の埃がみっちり詰まっている。
おじさんの作業の間、隣にある日本食材店をのぞいてみる。
この手の店がサンパウロのあちこちに増えた。

うーむ、特に珍しいものも、安いものもない。
と、見慣れぬ銘柄のまるい白餅がある。
他でも流通しているものより、値段が気持ち安い。

オーナーらしき日系のあんちゃんに聞いてみると、近くのオジサンがつくっている手づくりとのこと。

柔らかいので、昼に大根おろしでいただく。

目黒の実家の裏は、玉井君のうちの広い材木置き場だった。
玉井君のところでは時折り餅をついては、わが家にアンコロ餅とおろし餅を届けてくれた。

いま調べてみると、おろし餅は必ずしも全国区ではなく、関東が濃いようだ。

故・橋本梧郎先生のところに通っていた頃は、リクエストにより、いつもお餅を持って行ったけ。
届けるばかりでいただくことはなかったので、橋本先生がどのように食していたのかは目撃していなかったな。

山形寒河江の温泉ビジネスホテルの朝飯のお餅もオモチろかった。
あんころ、ずんだ、納豆の3種があり、山形牛入りお雑煮もあり、最初は狂喜した。
食堂部門のサービスの低下、温泉が24時間使用可ではないため、ここは使わなくなったけど。

もちつもたれつ、もっちりみっちり編集を続ける。


7月17日(日)の記 カツオたたいて
ブラジルにて


今日も早朝から『ブラジルの土に生きて』REDUXの作業。
長尺長期間の作業のため、ふたたび全体の調整が気になるが、とにかく突き進まないと。

路上市の買い出し。
今日は、ブラジル和名「シマカツオ」、1キロ強のカツオをすすめられる。

叩き、アラ煮、ガーリックステーキ3種を夜、こさえる。
叩きのよろしいこと。

今日もアルコールを控えて夜も作業。
月がだいぶ膨れてきたな。

ようやく今度の金曜のサンパウロでの上映情報のアップが入り、こちらからもアップ。
よくも実現にこぎつけた上映会。
失うものは特にない、楽しみましょう。


7月18日(月)の記 ブラジルの豚ヒレ
ブラジルにて


日本でいう豚ヒレカツのヒレが、フィレミニオンのフィレだと知ったのは、ブラジル移民になってからだいぶ経ってからだった。
それを日本の関西ではヘレカツということは、近年になっての関西訪問で知った。

明日から特別シフトに入るため、今日もみっちり『ブラジルの土に生きて』REDUX編集の追い込み。

さあ夕食をどうするか。
野菜もだいぶあるので、鉄板焼きといたすか。
牛肉を買ってくるつもりだったが、思うことあって新しくできた肉屋に行ってみる。
この店は店内ではさばかず、冷凍物が中心。
あったあった、豚のフィレ肉。
ステーキ用の牛肉より安い。

路上市で買ってきた「チムチュリ」ソースと、自家製大根おろしと醤油ベースのソースで。
塩コショウだけでも、おいしい。

チムチュリというのは、主にアルゼンチンやウルグアイで用いられるバーベキュー用のソース。
パセリなど何種類かの香味野菜、トウガラシ、ニンニクなどを刻んでオリーブオイルで和えて、というのが一般的のようだ。
調べてみると、先住民の言葉っぽいが、このソースを考案したアイルランド人の名前がなまったという説も。
ブラジルの「ヴィナグレッチ」にあたる位置づけだが、なかなか面白い。

今のミッションが片付いたら、オカムチュリソースを考案してみよう。

夕食は家族でおいしくいただく。


7月19日(火)の記 グランド・サンペドロ・ホテル
ブラジルにて


午前中、ヤマ場まで『ブラジルの土に生きて』の編集作業。
したことはないが、写経の心持ち。

午後いちで、後輪を変えたばかりの愛車で出発。
こちらの一族の行事での付添い旅行。

3時間余りの運転。
サンパウロ州内陸の古くからの湯治場サンペドロにあるグランドホテルというところへ向かう。

自分のチョイスでは、まず選ばないところ。
1940年代に栄えた豪華ホテルを、ホテル・レストラン部門系の大学を経営しているグループがリフォームしたもの

室内に置かれたevianの1リットル入りの水は邦貨にして600yen!
受付けで聞いてみると、水道の水は飲めるという。
「水がウリ」の観光地で、始めにそうした説明がないところが、なかなか。

ホテル内に3種のミネラルウオーターが引かれていて、水汲み場にそれぞれの効能と注意事項が書いてある。
硫黄水は、ブラジルで最も硫黄分が高い由。

日本式の温泉はなく、個室のSPAになる。
明日でも入湯してみるか。

ホテル学はいいが、基本的な心構えでいくつかイチャモンをつけたくなる。
料理がすごいとは聞いていたが、バイキング形式で、種類は多くてもそうは食べられるものではない。
メンバーは、アルコールをたしなまないし。
食事時に沈黙が続かないよう、いろいろと話題を投げ続ける役割りに努める。


7月20日(水)の記 冬至の当時に湯治して
ブラジルにて


当地の冬至から、ひと月たっちゃったけど。
午前中は一同でサンペドロの街を散策。
手ごろ感と多様性が面白い。

(日本語にもなりつつあるSPAがベルギーの湯治地の地名から来ていると今、調べて初めて知る。)
せっかく湯治地に来ていて、宿の階下にSPAがあるのに誰も入りたがらない。
ネックは泊り客でも一回32レアイス、邦貨にして1000yen近くを取られること、しかも一回20分ポッキリである。

話のタネにもなるし、思い切って投資。
午後4時半に予約、個室風呂の並ぶ部屋にお姉さんに案内されるが、利用者は僕だけ。
硫黄泉だが、湯船にはられているのは黒灰色を呈している。
沸かし湯で、38度と低め。
なかなかの、ぬるぬる感。

20分を愛おしむように全身で浸かっていると、大声で話す男性二人がやってきた。
朝鮮語らしき言葉で個室越しの大声の会話が続く。
ここは、どこ?

一人の男が携帯電話での会話を始めた。
ポルトガル語で「買いだ、買いだ!」と指示している。
また朝鮮語の会話に戻り、しばらくするとふたたび「買いだ!買いだ!」と商談電話。

ぬるめのお湯の熱も温泉気分も、冷めきる。


7月21日(木)の記 サンパウロ急行
ブラジルにて


グランド・サンペドロ・ホテルにて。
旅の一行の、要介護状態の長老との今後のあまり気乗りのしない作業をどうするかについて、昨日の未明に眠れずに考えたことあり。

それを朝食時に長老に伝えて、とりあえずOKをいただく。

と、朝食後に長老は失神。
ホテルの車で町の病院に運んでもらい、点滴を施すことになった。
僕は老刀自とホテルで待機。

今日、昼食後にチェックアウトの予定となっていた。
病院から戻ってきた長老は、なんと昼食を食べるという。

僕の車は木曜はサンパウロ市内の乗り入れ制限に引っ掛かるため、わが夫妻は早昼飯をくらって13時には失礼するつもりだったが、すべてご御破算。

サンパウロ市から駆けつけた車で妻は病人に付き添うことになり、僕は老刀自をお連れすることになった。
ホテルのチェックアウトはのろのろごたごた、出発は14時半近くになった。

そもそも臆病と言われてもゆっくり安全運転派のわたくしだが、今日は罰金覚悟で飛ばす。
長老夫妻の住まいは今回の街道から遠からずで、なんと17時前に着けてしまった。

今度はサンパウロに護送なった長老を、わが妻の判断で近くの病院に運ぼうとするが、すったもんだ。

夜更けに一人、わが家に戻る。
まずは運転の緊張の疲れ。



7月22日(金)の記 聖市の交わり
ブラジルにて


ふたたび編集作業の体制に入るが、昨日の緊張の疲れが残る。
今晩の上映、明日からの運転ミッションに備えて、休み休み。

さあ今日は久しぶりにブラジルでの上映。
日本から留学中の若き友が企画してくれた。
日付は二転三転、なんと彼のブラジル出発前夜に決行!となった。

実現に向けてくれただけで、このプロジェクトは成功というもの。
地下鉄アルメニア駅で、主催者らとばったり。
会場で上映体制をつくるには、創意工夫がいるが、こちとら日本で鍛えている。
現場にRCA三色ケーブルがないのは弱ったが、先方のパソコン出しでなんとか難を逃れる。

主催のSatoruちゃんの送別も兼ねてだろう、二桁の観客が集まってくれた。
ブラジルに一時帰国中の在日本の僕のシンパも駆けつけてくれた。

日本語抜きでトークと質疑応答。
拙作を鋭く見抜いての好意的なコメントが続く。
日本の学生より、数段レベルが高い。

会場近くに集まってくれた人数の入りきる懇親会場用の店は見当たらず、パウリスタ地区の店へ。
そこそこバカ話をした後で、勤務終了後に懇親会に駆けつけてくれたシネフィルの友と席を立ち、近くの店で日本語で懇親、お互いの近況と映画情報の交換。

いやはや、手応えたっぷりのミッションだった。
さあ明日に備えよう。


7月23日(土)の記 病院/運転/華燭
ブラジルにて


旅に出る前、午前中に少しでも編集を、と思っていたが、バタバタして見合わせ。
今晩はサンパウロ市から350キロ離れた町で、妻の知人の結婚式。
家族4人で車で乗り込み、その町に一泊の予定。

まずは昨晩、入院した義父を見舞う。
義父との宿題が気がかり。

ひたすら北に車を走らせる。
パーキングエリアの食べ物の高いこと、4人だと控えめに食べても総額が強烈。

目的地の手前にある、樹齢2000年を超える古木のある自然保護区に家族を連れて行くつもりだった。
現地に着くと、かつてはすぐ手前まで車で行けたのだが、今は車を置いて片道1時間の「のぼり」を歩かなければならないという。
時間的に無理で、今回はあきらめる。

ブラジルの運転に慣れた人でも間違えやすいという目的の町の道順にご多分に漏れずに迷いながら、まずはわかりにくいホテルに到着。
式場まで、ホテルから送迎のマイクロバスを新郎新婦が用意しているとのことで、ヤッホー!
アルコールが飲める。

サンパウロ州で数番目の規模の町だが、結婚式場、そして披露宴の料理、スタッフとも、サンパウロ市のナミのところよりずっとレベルが高い。

カクテルバーまであるのがうれしい。
男女のバーテンダー、それぞれ愛想もパフォーマンスもよろしい。
カクテルだけで5杯、いただく。

なにせ帰りのマイクロバスは0時から。
日付が変わってもどんちゃん騒ぎは続くが、こちとら明日朝の帰りの運転もあるので、そこそこに失礼させていただく。
0時半から30分ばかり待たされ、ホテルのベッドにたどり着いたのは午前2時。


7月24日(日)の記 ブラジルだけど、地理。
ブラジルにて


昨日は5時間近い運転と、結婚式とパーティに5時間、ベッドにたどり着いたのは今日の午前2時。

8時に家族で予定していたホテルの朝食、8時半にしてもらう。

リベイロン・プレートの町からアニャンゲイラ街道を南下するが、南に広がるブラジル高原が視界に入り、息を呑む。
高校の地図帳の資料写真にあるような光景だ。

ふたたび病院に寄ること、そして子供たちの夕方の予定もあるので、寄り道をしないでサンパウロの街に戻る。


7月25日(月)の記 その後のアマゾンの読経
ブラジルにて


今日は、伊豆大島に富士見観音堂を建立した藤川真弘師の生誕百周年であり、ブラジル富士見観音像開眼三十周年の記念日でもある。
こんなことをブラジルで心に留めるのは、僕だけかもしれない。

在ブラジルの親しい仏僧に今日、ひと時を過ごせないかと連絡を取ったが、取込み中の由。

僕の方は一日断食をして、「ブラジル無縁仏三部作」の二作目である『ブラジルの土に生きて』改訂版づくりを粛々と行なうことで祈念とさせていただこう。

今後の伊豆大島観音堂の堂守りを名乗り出てくれた横浜の伊藤修さんとやり取りができるのが、何より。
この九月の段取りに向けて。


7月26日(火)の記 ムルチとキムチ
ブラジルにて


年寄りの重病人が身内にいると、電話がある度にビビる。
早朝より電話。
妻はその件で終日、奔走。

こちらは銃後で、粛々と編集作業。
こうした時は、家族に少しでもおいしいと思ってもらえる料理を作ろう。

昨日、水キムチ作りに挑戦してみた。
ネットで健康にやたらいい、と流れてきた。
最初のレシピには玄米粉使用とあり、そんなもん、こっちで手に入るかなとうっちゃろうと思ったが。
別のレシピを調べると、米のとぎ汁でOKとあるではないか。

他のレシピは深追いせずに、まずはコメをとぎ、砂糖、塩、ショウガを入れて煮立てて。
ありものを野菜を刻んで。

昨夜、帰宅した家族にさっそく浅漬け段階で試食させるとなかなか好評。
断食明けの今朝、さっそく自ら試食してみるが、悪くない。
今日は野菜をまず塩もみして、ニンニク、リンゴも加えて追加を作成。
米のとぎ汁の有効利用が、なんともうれしい。

乳酸菌のはたらきに期待。
菌類さまさま。


7月27日(水)の記 サクリファイス2
ブラジルにて


こちらは病人のことは、お祈りぐらいしかできない。
粛々と自分の編集作業、そして買い物、家事。

集中治療室入りの義父の容体の電話を受けて間もなく、編集機のトラブル。
新たな完成目前だった。

して、また積み重ねた保存済みの作業データが、原因不明で消えてしまった。
サクリファイス。

準備していた夕食をつくる気がまるで失せる。

先回に懲りての処置をいくつか施していたので、致命傷までには至っていない。
気を取り直して、夕食をつくろう。

夜間も作業して、今後への見通しをつける。


7月28日(木)の記 五輪から遠く離れて
ブラジルにて


今日も銃後の守りをしながら、みたびの編集作業を粛々と。
夕刻、集中治療室の義父の容体はとりあえず安定、との報。
おかげさまで。

日本からはリオオリンピックがかしましく伝えられるが、僕の身辺は静かなもの。
友人知人の数名はマスコミがらみで駆り出されて、僕あたりにも知らない日本のテレビ屋さんからネタ出しを頼まれたり、原稿料の記載のない原稿依頼が入ったりするほどだ。

思えばブラジルのワールドカップの時には、日本から観戦に来た友人知人は、すぐに思い出すだけで片手の指ぐらいの数がいた。
リオのオリンピックでは、はて誰かいたっけな、といったところ。

しがらみから引き受けてしまった原稿の手前、少しはアンテナを張っておかないとね。


7月29日(金)の記 乳酸党宣言
ブラジルにて


先週のめまぐるしさがウソのような、地味な銃後の日々である。
映像編集、買い物、炊事。

月火とつくった水キムチがまだ残っている。
乳酸菌のはたらきでブクブクが生じてどんどん酸っぱくなってくるとレシピにあったが、その気配もない。
再び冷え込んできたサンパウロでは、乳酸菌のはたらきも控えめなのだろうか。

月曜に作成したキャベツのザワークラウト、まだ早いかなと思いつつ、思い切って開けてみる。
下方は高菜漬けの色になり、いい酸味を出している。
これぞ乳酸菌のはたらき。
以前、レシピ通りに作った時は、けっきょく腐敗菌の方が優ってしまった覚えが。

乳酸菌は、あまねく宿りたまう。

ブラジルの発酵食品に想いを馳せる。
アマゾンの調味料トゥクピは、絶品。
内陸のミナスジェライス州の州外持ち出し御法度のチーズもそそる。

リオ五輪騒動とは無縁の、静かで豊かなブラジルの世界。
菌類の進歩と調和。


7月30日(土)の記 大詰めの晦日に
ブラジルにて


三度目の、『ブラジルの土に生きて』reduxの大詰め編集を迎えて。
終日、粛々と作業。
とりあえず目鼻がつくまで、アルコールも絶っている。

今月中に、つまり明日までに目鼻をと思っていたが、今朝、訃報が入る。
連れ合いがお世話をしていたご近所のお年寄り。
葬儀の詳細は未定だが、サンパウロ市近郊の町で行なう予定とのこと。

明日はこれに列席、さらに義父の見舞い等となると、目鼻付け完了は来月にずれ込みそうだ。

この作品を最初に公開することになりそうな、ミナスジェライス州の担当からの連絡を待ちつつ、なにかと落ち着かず。


7月31日(日)の記 聖セバスチャン墓地
ブラジルにて


昨日、齢九十八にて亡くなられた杉本正さんの葬儀は、今日の正午よりサンパウロ市近郊のスザノ市の墓地で行われる由。

車にて夫妻で列席することに。
このスザノ、車で何度行っても迷ってしまう。
今回は妻の道順表示アプリもあるのだが…

昨年と道の様相が変わっていて、中央分離帯の表示もない道のこちら側に反対路線のバイクが突っ込んでくる。
不備極まりない道路表示板と妻のアプリでは、まるで逆の方向を指し示すではないか。
魔所の混沌。

ある程度の土地勘があるだけに、なんとかなったが…
ブラジルで一般的なかたちとして、通夜と葬儀は墓地付属のヴェロリオと呼ばれる施設で行なわれる。
スザノには金剛寺という南米の真言宗の総本山があるのだが、真宗の僧侶が読経をあげている。
小さな町だけに、サンパウロ市よりも日系が濃厚な感じ。

杉本さんは小柄で柔和だが、眼付きの鋭い人だった。
北海道出身の戦前移民で、篤農家として知られていた。
お宅で、お話をうかがったことがある。
移住当初に一家を担うべき兄が毒蛇に咬まれて亡くなり、往生したという話が記憶に残っている。

さて埋葬を途中で失礼して、ICU入りの続く義父の見舞いに向かう。
行き以上に混乱。

病院のあとは妻の実家で親族会議。

帰路の運転では以上に疲れを覚える。
五十代で急死した日本の兄やこちらの義弟もかくや、と思う。

なんとかわが家にたどり着き、そのまま就寝。
編集作業でも張りつめていたからな。


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