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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2017年の日記  (最終更新日 : 2017/06/21)
2月の日記 総集編 原城の覚醒

2月の日記 総集編 原城の覚醒 (2017/02/06) 2月1日(水)の記 傘女郎
ブラジル→


「女郎」というのは差別語だろうか。
ネットで調べてみると微妙なようだが、歴史的に定着した語といったところか。
ジョロウグモといった言葉も思い出すし、つまらない言いかえをする気もない。

さて、サンパウロ出家の日となってしまった。
時間はどれだけあっても足らない。
ここに来てこちらの午後、日本の九州の知人から2月に開催していただくことになった上映会についてのたくさんの問い合わせが。
いきなりのことでうろたえるが、できる限りの対応を心がける。

もう一日でも、家族と一緒に過ごしたかった。
それは、毎度の思いか。
その分、日常を大切にしないとね。

夜の時間は、アヴェニーダのタクシー乗り場に待機車がないのが普通。
それを見越して家人がUberとやらを呼んでみる。
いざとなると、けっこうややこしいらしい。
アヴェニーダに出ると、今宵は顔見知りのタクシードライバーが二人もいるではないか。

5分で来るといったUberは迷子になったらしい。
シャトルバスの時間もある。
Uberをキャンセルして、タクシーで国内線の空港まで。

今年のサンパウロの夏は、異常に雨が多い。
午後に多い時では3回ぐらい驟雨が襲い、雨が入り込まないよう窓の開け閉めがたいへん。

いまは、小ぬか雨。
タクシーは、市街地だが知る人ぞ知る立ちんぼゾーンを通る。
立ちんぼの9割近くは男娼だという。

このところ、数回、傘をさしたお女郎さん、ないし男娼を見ている。
ドギモを抜くハデハデのスタイルに地味な傘。
これだけ雨が多いと、彼女たちも雨対策が必要なわけだ。
カラダを見せて客を釣るのが商売だから、カッパをまとうわけにもいかないのだろう。

傘をさす立ちんぼさんというのは、例外的な存在かと思っていたが、今晩は二人ほど確認。
透明傘、カラフルな傘。

「濡れた欲情」という映画のタイトルを思い出す。


2月2日(木)の記 エチオピアのシン・ゴジラ
→エチオピア→


ブラジル出国印は、2月1日。
エチオピア航空のフライトは2月2日の午前2時。

飛行機代が格安のため、ある程度のガマンはしないと。
機内映画サービスのメニューを見る。
お、『シン・ゴジラ』があるではないか!
是枝監督の『海よりもまだ深く』もあるぞ。

『シン・ゴジラ』は昨年の日本での公開時も含めてすでに2回、見ているのだが、2回とも眠ってしまっている。
さっそく3度目の挑戦。
音声レベルを最大にしても日本語が聞き取りにくい。
そして、時間が時間なだけに、うとうと。

搭乗機は西アフリカのトーゴの首都ロメに立ち寄る。
その先のアジスアベバまで行く乗客は、機内待機。
ロメ以降は、僕の座席は機内映画どころか読書灯までつかなくなった。
客室乗務員にクレームするが、何の対応もなし。

「Do not resitete to ask anything...』いい加減アナウンスしないでよ。
少ない人数でほぼ満席の乗客の食事をしたりしているので、三等乗客は強くも言えない。

アジスアベバで、駆け足で乗換え。
この工程が、いちばんの心配だった。
アジスアベバ着から発までわずか1時間25分、『シン・ゴジラ』の上映時間より35分も短いのだ。

が、香港-成田行きの乗継ぎの乗客が先回より少ないせいか、去年よりスムースで、ひと安心。
バス待ちのゲートが上映中の映画館のように暗いのには驚いた。

機内で、さっそくもう一度『シン・ゴジラ』を見て、ようやく全貌を把握。
僕の望んでいた怪獣映画とは、だいぶ距離あり。

最初のうちは、一般人の声もブチギレながら聞こえるのだが、機関車トーマスみたいなゴジラが呑川に現われて以降は、もっぱら役人と軍人のみの世界。

アジスアベバ以降も発券時に通路側をエージェントに頼み、サンパウロのカウンターでも通路側と確認したのだが、窓側ではないか。

通路側に坐った白人の大きなおじさんは、前の座席の背もたれにカバンまでぶら下げて通行をブロック。
見るからに手ごわそうなこのおじさんには、イヤホンの接続場所探しで難儀している時に教えてあげるなどしたのだが…
先方が睡眠から覚醒するまで我慢してから、こちらがトイレに立つため「Excuse me」と声をかけると、舌打ちが聞こえた。

いろいろな場末の人間模様を垣間見る、格安フライトの旅。


2月3日(金)の記 祖国到着 罰ゲーム
→日本


エチオピア航空、機内のサービスはアメリカの航空会社とどっこいどっこいか、やや上かもしれない。
しかし格安とあって、乗客がクセがあるというか、ヤバい。
こっちもその範疇だろうけど。

香港で、座席をふさぎ続けたおじさんも降機、ヤレヤレ。
サンパウロから経由地3か所、機内食計6食をいただいて、夜の成田空港着。

税関の荷物検査。
到着客は多くはないが、軒並み検査台で荷物を開けられ、なかをチェックされている。
エチオピア航空での到着客は念入りに調べられていると見た。
僕の前は日系ブラジル人風の若者だったが、スーツケースを開けられ、ブラジルでポピュラーなドリップコーヒーの真空パックなどを取り出されて別にされている。
ヤバい。

これがえらく手間取っているので、他のカウンターへ。
日本のパスポートを出して、聞かれる前に日本語で乗機地と帰国の目的を告げると、無検査、ねぎらいの言葉をいただく。

シャトルバス待ちの間に空港ビルでフリー無線Wi-Fiに繋ぐが、フェイスブックは重くて使えない。
ビルの外に出てバス待ちをするが、さほど寒さは感じない。
自分は長袖シャツの腕まくりをしているのに気づき、とりあえず袖を延ばす。
周囲の人たちの、首から頭まで覆う羽毛ジャケットや防寒着が異様かつ大げさに映る。

バス内で窓側に坐っていると、いかにもガイジンの日本語を大声で放ち、シラフとは思えないアジア系の年配の女性が、こちらに会釈どころか睨みつけて隣りにドカンと腰を下ろした。
ラフだがハデな衣装で、そもそも半袖。

抱えたバッグをいじってスマホを操作したり、なにやらを取り出して口に入れたり、財布のなかをかき回したり。
渋谷到着まで1時間以上、ずっと荷物をガサゴソやり続けていた。
げんなり。

渋谷からタクシーで祐天寺裏へ。
運転手さんに初乗り料金が値下げになったタクシー事情などを聞いてみたかった。
ところが、こっちの実家のカギが見当たらない。
とても会話の余裕はなくなり、降車後もリュックをガサゴソやって、ようやく発見。

さあ、深夜0時まで営業の流浪堂さんに駆けつけないと。


2月4日(土)の記 大東京の磁場
日本にて


訪日後、半日にして出陣。
地下鉄門前仲町付近、深川モダン館での上映会。

この建物は1932年完成、「東京市」の公営食堂だったという。
建物の上部に丸窓が並び、なるほどモダンだ。
東京大空襲では内部が焼けたが、建物は残ったというから希少。

プロジェクターと椅子類は、主催者と僕でセッティング。
さてさて上映。
諸々の疲れもあり、プロジェクターの真後ろの席を離れて脇の席に移ると、映写のトラブルが続く。
技術上の問題の他に…

最初の上映作品『60年目の東京物語』の主人公の森下妙子さんはこの建物がオープンしたころ、東京市で新婚生活を送っていた。
メインの上映作品『ブラジルの土に生きて』改訂版の主人公、石井延兼・敏子さん夫妻はその前年に東京市で結婚、ブラジルに渡っている。
三人とも鬼籍に入ってしまったが、この建物との接点があったかもしれない。

上映の祭司として、そうした感無量なことに心を寄せていなかったことが触ったか。
ごめんなさい。
致命的な上映トラブルには至らず、やれやれ。

懇親会も会話のヴォルテージが高く、いい寄り合いができた。


2月5日(日)の記 坐る9条2017
日本にて


ナマ本番の撮影というのは、特に緊張する。
午後からの撮影に備えて、午前中の所用は実家の近場で済ませる。

粉糠雪舞う上野の東京都美術館へ。
意図したわけでもないが、憲法9条美術展でのお仲間たちのパフォーマンスを、3年連続で友情撮影させていただくことに。
今年の出し物は、一昨年に初上映された『坐る9条』のリニューアル版。

初版の時は、前年の稽古時から撮影のお付き合いをした。
今回は訪日早々で、しかも昨日は長丁場の上映だった。
体力温存のため、本番撮影に特化させていただく。

パフォーマンスに大きな変更はなく、こっちは基本的な流れを覚えている。
しかも今年は観客が少なめということもあり、よりダイナミックなカメラワークで撮らせていただいた。

終了後、スタッフ、シンパたちと共に上野駅横の食堂で懇親会。
僕は次の会合があり、そこそこに失礼させていただく。

ヤレヤレ、訪日しょっぱなの上映と撮影、おかげさまでぶじクリアー。


2月6日(月)の記 祐天寺裏の おくりびと
日本にて


訪日後、ようやく一息つく。

今日中に、なんとかブラジルから預かってきた大量の荷物を発送したい。
まずは、おおきな「つづら」を要する方だ。
実家でストックしていた、いちばん大きな段ボール箱にも納まりきらず、面食らう。
二つに分けるのは、シャクというより送料が金銭的にもったいない。
午前中かかってなんとか梱包、ゆうパックを扱うコンビニまで大きなつづらを担いでいく。

午後はいったん時差ボケ、睡眠不足で横になる。
夕がた起床後、いくつか個別に送るものをどう梱包するかで試行錯誤。
あらたに梱包用の袋や箱を買うのはもったいないし、わざわざ買いに行くのもめんどくさい。
ブラジルから一緒に担いできた厚手の紙袋を切り貼りして、梱包することに。
いやはや、けっこうな時間がかかる。
添え状も書かなきゃいけないし。

夜も熟してから、これらもコンビニで発送。
やれやれ、いちにち仕事だったな。


2月7日(火)の記 顕現の再生
日本にて


渋谷で買い物をしてから、西荻窪へ。
木村浩介さん再生の夕べ。

生前の木村さんを知る人、知らない人。
ブラジル音楽ファン、必ずしもそうではない人(おかむらを含む)。

まさしく、再生だった。
木村さんの一挙一動、一言一句が預言のように響く。

新たな気づきの数々。
「木村講」だな。


2月8日(水)の記 平均律上のアリア
日本にて


さあ今日から三日間、上映などのイベントはお休み。
ひと息つきながら…
この間にいくつかのあいさつ回り、そしてラスコー展と映画『沈黙』は宿題としてすませたい。

ネットでの作業は、いくらでもある。

午後、学芸大学の喫茶「平均律」さんへ。
カウンター席に坐ると、右側に坐っていた女性がご自分の編集した書籍の宣伝の攻勢をかけてくる。
左側に座っていた女性は、かつてブラジルにいらしたことがあるという。
目的は、アイルトン・セナの墓参り。

彼女がブラジルの魅力をいろいろ語ってくれる。
そうか、こっちももとはブラジルの魅力にひかれて移住に至ったのだ。
貴重な気付きをさせてもらう。


2月9日(木)の記 ラスコーと温泉と…
日本にて


ひたすら怠けていたい気持ちもあるが、思い切って上野のラスコー展へ。
今を逃すと、宮城か福岡まで訪日予定を合わせて追っかけて行かなくてはならなくなる。

ここでの大アマゾン展にはガッカリどころか怒りを覚えたものだ。
今回のは、そこそこの手ごたえあり。
こういうのは、まさしく立体的に見てみないとよくわからないものだ。
岩絵遺跡にはうるさい、つもりでいた自分だが、恥ずかしながら教わるところ多し。
あらためて、先日亡くなられた木村重信先生を偲ぶ。

館外に出ると、雪が舞っている。
山手線と、西武池袋線を乗り継ぐ。
お目当て・その1の江古田のコスモナイトαさんはシャッターが下りていた。
きちんとお店の情報を確認しておけばよかった。

オフ周り用の革靴は、ぬかるむ雪でぐじょぐじょになる。
そこそこ歩いてお目当て・その2、待望の温泉銭湯・久松湯にたどり着くことができる。

知人のすすめ通り、夕方前にやってきたおかげで先ほど混み合っていない。
が、これも知人が教えてくれた通り、身体のかなりの部分を覆うクリカラモンモンを施した人が複数いて、ちょっとビビる。

塩分たっぷりで緑褐色の温泉は、露天風呂の方。
小雪の落ちる露天温泉、入湯者もまばらで絶妙なのだが、刺青の男性がいらして、こっちは端の方でひっそりと入湯。

いったん実家に戻る。

夜、ぜひ会いたいというB級グルメライターを祐天寺に迎える。
彼の乗らない、ちょっと歩く大衆食堂に案内すると、これは摂理的なレベルの大当たり。
ここは経費にするらしく、先方に出していただく。
すべて彼のペースだが、そもそも彼の到着時間が食堂狙いとしては遅かった。
しかも最初の店に長居をしたので、もう一軒を狙うがいずれもすでにカンバン。
ライターは効率が悪い、リサーチがなってないとぼやき愚痴ることしき
り。
なんだかこっちが悪いみたいで、こっちはしゅんとなる。

隣り駅の中目黒まで歩く。
スマホ情報優先の彼に、そっちではまるで引っかからない、まさしくこっちがカラダで稼いだお店情報も提供するが…
ここもタッチの差で閉店。
けっきょく居酒屋に入り、彼の終電まで付き合う。
ここは割り勘となり、清貧の僕にはけっこう痛い額。

彼の仕事の仕方を垣間見ることができたし、今後は経済的理由でお付き合いは遠慮しよう。
ほんらい安息日、しかも温泉入湯あとの寒空の長時間のご奉仕。
風邪などひかないようにしないと。


2月10日(金)の記 シン・チンモク…
日本にて


『シン・ゴジラ』に勝るとも劣らず製作時から気になっていた映画『沈黙』を思い切ってみることにしよう。
思い切って、というのは体調的に眠ってしまいそうだが、これから会う人たちとの対話のためにも早く見ておきたいので。

昼からの第1回上映を狙ってみるが…
そもそも昨日は日付が変わるまでのお付き合いをして体も冷やし、疲れがまた出た。
さらに諸々のパソコン作業があり。
第2回、16時過ぎにするか。

地元でごあいさつ、学大上映のチラシ配り出回るところが何か所かある。
それぞれでついつい話し込み、時間が押してしまう。
19時過ぎの最終回にするか。
ますます眠りそう…

渋谷の映画館に到着。
金曜夜、僕の座った最前部のかぶりつき席あたりはガラガラだが、後ろを見やると七割程度の入りか。

さて…宣伝が長い、体力温存しないと。
本編。
話題の拷問シーンも、僕には作り事にしか見えないでごめんなさい。
17世紀のポルトガル人宣教師、長崎の辺境の農漁民、そして役人たちが英語で会話をするのは、なんとも奇妙。

禁教の日本に命懸けで潜入する当時のエリート中のエリートのイエズス会士、しかもマカオ以来キチジローという日本人を案内につけているのだから、然るべき日本語を習得していなければ設定としてリアリティに欠けるように思うのだが。
こちらも、気が抜ける。
残念ながら、少しうとうと。
「後日譚」ぐらいに部分からようやく興味津々でどう展開するか、見守る。

作品の音響効果は、僕が明日上映する『木村浩介 ブラジルの休日』に通じるものがあったかも。

『沈黙』は信仰を考える上では貴重な作品だ。
こころからノレた作品ではなかったが、ブラジルの劇場か機内映画かDVDか、もう何回か見てみたいものだ。


2月11日(土)の記 学芸大学の新学期
日本にて


今夕から新たに学芸大学ライブ上映会の開催。
そして明日は早朝出発で地方ミッションが始まる。
それぞれの準備、抜かりないようにしないと。

今宵のプログラムは、さる火曜日のAPARECIDAさんと同じ木村浩介さん再生の2本立て。
まさしく一期一会の面白い顔ぶれが揃ってくれた。

一番乗りは、また意外な人が。
かつてブラジルに研修に行き、現在は埼玉北部で農業を営む農民。
最後に彼に会ったのは…
新潟は小千谷での上映会か。
「岡村さんに頼みがあって…」
彼の地元で上映を、ぐらいの話なら願ったりかなったりだが。

ブラジルからのややこしい担ぎ屋の依頼だった。
彼が手配したものを、ただ担いでくるだけならやぶさかではないが、僕には見当もつかない地方でのおかどちがいの分野のブツの調達まではできかねると伝えておく。

上映をつつがなくこなして、さあ懇親会場の手配だ。
目をつけておいた2月中はハイボール150yenという駅前の「庄や」は電話をしてみると満席の由。
その向かいの「土間土間」を現地で確保。

つくづくもおなじみの浅野屋さんの閉店は痛い。
あそこも日祝はお休みだったか。
いずれにしろ、もう懇親会場探しに労力を割くのは控えて値段も安いチェーン店で妥協しよう。
たいせつなのは懇親会に特に初めての方々を招き入れること、そして会場でムードメーカーたることにより専心しよう。


2月12日(日)の記 あんかけ都市上映
日本にて


午前8時半、新宿パスタ発のバスで名古屋へ。
4人掛けの窓側、隣りは会釈も何もない若い男で、サービスエリアの休息でトイレに行くのも難儀。
少し割高でも、JR鈍行乗継で行けばよかったかな。

にしても、足柄サービスエリアでの霊峰富士はあっぱれだった。
名古屋では今晩宿泊予定の駅前カプセルに荷物を置き、素早く入湯。
バスの隣客の邪気を落とさないと。

その前に名古屋名物あんかけスパゲティをいただく。
以前にも食べたのだが、おいしいものというわけでもない。
今回、分析してみると、日本の喫茶店のナポリタンスパのあんかけ版といったところだな。

さあ千種のカポエイラ道場での上映会。
主催の久保原さん、瀧藤さんらの尽力のおかげだろう、一般の方々、在日ブラジル人の家族など50人以上は集まってくれた。

岡村作品のなかでも特に地味な『40年目のビデオレター アマゾン編』を久保原メストレがチョイス。
この作品をこれだけ多様な層に、そして真剣にご覧いただけたのははじめてかも。
お子ちゃまたちには、ちょっと申し訳なかったけど、挽回の機会があれば。
質疑応答も多様で、尽きることなく。

近くの食堂での懇親会。
これにもつき合ってくれたシンパの方が語る岐阜の金山巨石群。
直接うかがうと、魅力が違う。
とても行きたくなってきたぞ。


2月13日(月)の記 衣笠山は見ていた
日本にて


名古屋駅前のカプセルホテル、朝食はバイキングで食べ放題。
がっつりいただいて、軽く入湯。

近くの名鉄バスセンターから名古屋駅バス。
ネットで予約をしておいて、カウンターの長い列に並んで番が来ると、運転手に直接支払ってくれといわれる。

途中は雪、到着が遅れる。
京都駅ビルに入ってWi-Fiをつないで諸々確認してから、ふたたびバス。
なんとか立命館大学衣笠キャンパスにたどり着いた。

今日の上映会場は、まさしくシアターのつくり。
眠りをそそる快適な椅子。

試験時期の平日、しかも月曜の昼間、寒いし、駅から遠いし。
それでもそこそこ一般の方々がいらしてくれた。
主催者が京都のあちこちの映画館にチラシを配ってくれたおかげ。

テレビディレクター時代のブラジル移民もの2本、そして『ブラジルの土に生きて』改訂版。
一時間近い質疑応答、時間が足りないほど。

大学近くの中華料理屋で懇親会。
やれやれ、手応えたっぷりだった。
京都再発見。
さる雪辱をカライモブックスさんでの連続上映に次いで果たす。


2月14日(火)の記 京都 町屋歩き
日本にて


立命館国際平和ミュージアムの企画展示「京都と空襲」を見る。
京都の町は第2次大戦中、空襲を受けていないと思われがちだ。
実際には数度の空襲を受け、100人近い死者も出していた。
そもそも京都は、原爆の威力を試すために、大規模の空襲を免れていたという…

観光マップに出てこない店を見つけること、入ることの楽しさ。
先日のプロのライターは、スマホからの情報でひと通り判断していたが、別にそれを売り物にする気もない僕は、旅そのものを楽しませてもらう。

立命館大近くの民家を改造したyakusokuというカフェで昼食、そして食後のカフェでまったり。
地図があっても簡単にはみつからないという北野地区の「町屋古本 はんのき」探しにチャレンジしてみる。
途中、見つけた「きたの」という漬物屋に入ってみる。
その前にスーパーに入ってみたが、京風漬物がまるで見当たらなかったので。
この「きたの」さんは大当たり。
試食の漬物はどれもおいしいし、お店の方々が実に心地よい。
先回、カライモブックスさんの近くの漬物屋ではあまり愉快な思いをしなかったので、よけい。
「きたの」さんは僕のような小消費者も、とても丁寧に扱ってくれた。

「はんのき」さん、見っけ!
絶妙な古本屋さん。
そして、京都でいちばん会いたかった人にお店でばったり!
この方をお訪ねできないお詫びのメールの文面を考えていたところだった。

今日の上映会場、京都駅八条口のBooks & Cafe Solさんも絶妙な環境。
上映した『KOJO ある考古学者の死と生』は世界遺産というのがひとつの裏テーマでもある。
それを京都のウラで再生する喜び。

いい京都滞在だった。


2月15日(水)の記 横浜の朝の覚書
日本にて


京都からの夜行バス、3人掛けでしかも隣りが通路の窓側、京都便だけにラク(洛)だった。
横浜経由なので、横浜で下車。

午前6時半前で、JRと東急の売店はまだ営業しておらず、神奈川新聞を買えずに残念。
崎陽軒の売店は6時開店で「昔ながらのシウマイ」をフンパツして購入。

各駅の東急東横線、坐って祐天寺へ。

実家でひと息、パソコン作業。
流浪堂さんに顔を出す。

さあ明日から4日連続上映ミッション。


2月16日(木)の記 祐天寺の懇根寺
日本にて


まことに奇縁から。
地元祐天寺でお楽しみ上映会を行なうことになった。
祐天寺の懇根寺、とちとややこしい。
皆の衆 九条山 懇根寺、というなかばオープンにしている個人宅。
昨年、出会った家主の中村昭三さんと意気投合し、今日に至った。

集ったのは多種多様、正体不明の方々ばかり。
メンバーと話し合いで上映プログラムを決めていく。

岡村転びの大逆流ポロロッカ、アマゾン水俣病1993年版、坐る9条初演版、ブラジル移民のひとり芝居。
絶妙な番組となった。

こういう上映がしたかった。

参加された方から、目黒空襲の体験談までうかがうことができた。


2月17日(金)の記 みたびの逗子
日本にて


かつて洋上で出会った人が、逗子を終の棲家にされるという。
今晩、横浜で上映があるのでその前にご挨拶にうかがうことを申し出ると、昼食のお招きをいただく。
昼までに逗子にたどり着くとなると、けっこうあわただしい。

逗子…
あの西暦2011年3月11日の前日から逗子のシネマアミーゴというミニシアターで、全12日間にわたる岡村作品上映が繰り広げられることになっていた。
大震災による計画停電などで、上映はぼろぼろになってしまった。

逗子…
そうそう、新たに話題になっている『ばら ばら の ゆめ』の重要なロケ地も逗子である。

なにか不思議なエネルギーさえ感じる土地だ。

夜は、横浜パラダイス会館で伊藤修さんの料理と岡村作品上映の夕べ。
フェイスブックのイベント欄での参加表明者が少なく、心配だったが…
ニューフェイスの方々も交えて参加者の満足感の伝わってくる、よい集いができたと思う。


2月18日(土)の記 鷹番をたがやして
日本にて


先日、定休日を確かめずに行ってしまった江古田のソフビ専門店コスモナイトαさんを再訪。
電車賃も時間もかかるので、コスモナイトさんからそこそこの徒歩圏にある銭湯料金の温泉・久松湯も再訪することに。

最安電車賃ルートの氷川台駅下車、情けないほど道に迷う。
ここは…桜台6丁目か。
玄関先に原寸大の仮面ライダーが控える民家を発見。
話の種に引き返して表札を見ると、石ノ森章太郎とあった。
ああ面白い。

土曜の午後の久松湯はなかなかの人口密度、今後は避けたいところ。
今日もクリカラモンモンの男性が入湯、僕が石鹸を置いてあった流し場に陣取られて往生する。

夜からの鷹番上映の前に、若い友人夫妻と喫茶。
今晩の上映会は会場が手狭でもあり、満員御礼。
岡村自らが地味だ地味だと喧伝している『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』に熱い支持をいただく。
主催の流浪堂の二見ご夫妻、そしてご来場の皆さんと一緒に上映の場と新たな観客層をたがやしてきたこと、さらにその芽生えを感じて感無量。


2月19日(日)の記 ダブルミート
日本にて


東京駅始発のバスで、水戸へ。
まずは、カトリック水戸教会で日曜朝のミサに出席した後、そのまま上映会。
はじめてのところでは、こっちの仕切りも控えめになるが、どうやら成功のようである。
今後の化学変化が楽しみ。

午後、僕の希望に合わせて付近を観光させてもらうことに。
現在は水戸市に編入された内原郷土史義勇軍資料館を見学させてもらう。
満蒙開拓青少年義勇軍訓練所の加藤完治について、もう少し知りたいところ。

さてさて、水戸にのまえさんでの店主・眞家一さんが主人公の『金砂郷に打つ』のワールドプレミア上映会、満員御礼。
僕以外に誰も見たことのない作品で、来場の皆さんにも眞家さんご本人にも喝采をいただく。
やれやれ、ほっとした。

酒も蕎麦もうまい。


2月20日(月)の記 関東流れ者
日本にて


水戸の格安ビジネスホテルで起床。
チェックアウト後、眞家ご夫妻と駅前のカフェで談笑。

常磐線神立駅で途中下車。
南米系児童の学童保育を営む櫻田さんと再会、ランチ。

流浪堂さん経由でいったん目黒の実家に戻る。
装備を仕切り直し、ビデオカメラ持参で竹芝桟橋へ。

ガウショこと伊藤修さん+2名と合流。
さあ伊豆大島へ向かう。

寝酒にサワー系を2缶、持参したが、客船の食堂で焼酎2杯をごちそうになり。
身心の疲労に酔いがプラス。
2等和室に横たわり、しばし爆睡。


2月21日(火)の記 大島巡礼
日本にて


早朝の伊豆大島岡田港入港。
今回は篤志家に格安のレンタカー代を喜捨していただく。
観音堂参道の切通しも車でぶじ通過。

朝のコーヒーのあと、伊藤さんとシンパはさっそく観音堂の屋根の修繕作業。
こちらは昼前まで安静にさせていただく。
よろよろとビデオカメラを取り出して、ささやかな撮影。

冬の快晴、観音堂の正面に霊峰富士が顕現。
はじめて観音堂のトポグラフィーを体感。

午後は伊豆大島東側の聖地を巡礼。
沖縄の聖地を思い出した。
一衣帯水。

午後のジェット船で最も働いてくれたシンパが離党。
夜は観音堂で伊藤さんのオヤジ料理など。
水戸から担いできたそぼろ納豆、好評。

早めに休ませていただき『アニマの鳥』(石牟礼道子著)を少し読み進める。


2月22日(水)の記 伊豆大島の式内社
日本にて


大島残留組3人で島の西部にある式内社をお参り。
かむさびて。

岡田港で昼食後、もうひとりを送る。
伊藤修さんとふたりになる。

今日は伊藤さんのお誕生日と聞いていた。
客船で竹芝港到着後、粗餐を献じたいと申し出る。
伊藤さんは子供たちがなにか用意しているかもしれない、と辞退。

明日からは列島大巡礼である。
目黒の実家に戻り、諸々の準備に入る。


2月23日(木)の記 日帰り おくのほそ道
日本にて


朝イチで出家。
最後のJRレールパス使用開始。

北上。
山形新幹線で福島を過ぎると雪景色。
息を呑む。

今日の山形は雨。
4センチ防水の運動靴で臨んだが、雪でぐじゃぐじゃにならずにすんだ。

寒河江の温泉が気に入っている。
が、予定が押しているので宿泊は断念。
市民浴場あたりでサッと入湯もしたかったが、無理はしないでおく。

仙山線の光景もお気に入り。
帰路は仙山線経由、懐かしの仙台まわりで帰京。


2月24日(金)の記 ばら ばら の ゆめ は 大阪の夢
日本にて


さあ今日から西国大巡礼の始まり。
ぶじ乗り切ることが第一。

残務も山積みだ。
体力抵抗力も温存しないと。

午前中の「ひかり」で大阪へ。
梅田のサウナ&カプセル大東洋に大きな葛籠(つづら)を置いて、天然温泉でミソギ。
さあ夕方までどうしようか。

中崎町の古書カフェ、アラビクさんにうかがうことに。
東アジア系観光客でにぎわうようになった中崎町。
アラビクのカウンターでマスターの森内さんと旧交を温めつつ、つかの間まったりさせていただく。

時間的に行くのをあきらめていた中津のミニコミ書店「シカク」は、歩けば歩ける距離だという。
行ってみよう。
東京では難しくなってきたディープな一帯。
住所を頼りにお店を見つけるが、臨時休業。

神崎町のみつや商店街へ。
みつや交流亭でプロジェクターの設置。
チリから生還したセニョール国司と喫茶。

上映は、満員御礼となる。
床は抜けないか。
用意していただいたスピーカーはパソコン用のものとか。

『ばら ばら の ゆめ』は音声が残念な上映に。
ワールドプレミアとなった『佐々木治夫神父の死者のミサ』は全編字幕ばかりのため、後方の人は立たれて観賞。
過酷な上映環境だったが、いずれも想定以上の好評。

近くの居酒屋に河岸を買えての懇親会も、僕は動くに動けなかったがそれぞれ盛り上がってくれたようだ。
西国巡礼、おかげさまでほぼ快調にスタート。


2月25日(土)の記 オリエは いづこ
日本にて


♪抱いてくれんね 信介しゃん

思わぬはからいで、筑豊に来てしまった。

上映会場入りの前に、急ぎ足で旧伊藤伝右衛門邸をご案内いただく。
折しも雛人形展開催中で、なかなかの人の入り。
雛人形を使った源氏物語の場面の大ジオラマは、圧巻。

今日の上映を主宰してくれた3人のうち、2人は今日が初対面。
平均年齢70歳を超え、いずれもこうした上映会を主宰されるのは、はじめて。
チョイスいただいた作品は『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』。

主人公の犬養光博牧師が、長崎は松浦から駆けつけてくれた。
僕の方は移動続きで、こころがまだ筑豊についてきていない感じだったが、犬養先生にいただいた挨拶で目を覚まされた思い。

広い公民館だが、上映の音声はプロジェクターからワイヤレスマイクで拾うという超アナログ方式。
作品の大半は音声を聴くシーンなので、音が聞き取りにくいと会場からクレームをいただく。
それ以外は及第点かと。

3人のシニア主催者、よくがんばっていただき、感謝。
別の小さな公民館での懇親会のあと、飯塚のホテル泊。
西国ミッション、最初のヤマ場を越える。


2月26日(日)の記 鹿児島でザビエる
日本にて


飯塚の朝。
昨日の上映会場でいただいたアンケートをコピーして、主催者の方々にこの場でお渡ししておこうと発念。
最寄りのコピー機のあるコンビニは、近くの病院のなかにあるという。
いやはや広い病院だった。
奔走。
もとはブラジルで出会った主催者の方に博多駅まで送っていただく。

さあ、鹿児島を目指す。
予定の新幹線に乗れた。
予約を入れておいてもらった鹿児島中央駅近くのホテルを探して、荷物を置かせてもらう。
今日のプチ上映会の主催者が青い車で迎えに来てくれる。
彼女は、鹿児島園田研修生OGで、彼女ともブラジルで出会った。

鹿児島ザビエル教会へ。
彼女の友人知人、教会の青年部の若い人たち、そして岡村の招いた鹿児島の友人知人相手のちいさな上映。
僕の狙いは、彼女も登場する『あもーる あもれいら 勝つ子 負ける子』を彼女にお見せすること。
あとの人は、いわばオマケである。
ようやく、機が熟したか。

彼女が担ぎこんだテレビモニターでの上映だが、リモコン不在のため、スタンダード画面を16:9で再生。
主人公のシスター堂園の担任だった鹿児島純心のシスター、そして若い神父さん2人も途中から参加してくださる。

いい質疑応答ができた。
近くでの懇親会もまた楽し。


2月27日(月)の記 ザビエルから原城へ
日本にて


今日の日中に鹿児島から南島原の原城跡までたどり着くとなると…
鹿児島中央を7時台に発つ新幹線に乗らなければ、間に合わないことがわかる。

さて。
せっかく鹿児島ザビエル教会とご縁をいただいた。
早朝6時半からのミサに預からせていただく。
この人が、うわさに聞いていたベトナム人のアン神父か。
いいうわさばかり。
笑顔がすばらしい。
今は北アマゾンで奉仕する堀江節郎神父を想い出す。
やさしい言葉で、鋭い本質をわかりやすく繰り返し説教してくれる。

イエズス会士フランシスコ・ザビエルは1549年にここ鹿児島に上陸した。
教会前のザビエル公園で、感極まる。

宿の朝食を早食い、押っ取り刀で鹿児島中央駅へ。
とりあえず、まにあった。
新鳥栖で乗り換え、諫早駅へ。
公共機関利用で原城跡まで行くのは、なかなかややこしい。
島原半島の西を南下、途中でバスを乗り換えるのだ。
日本でバスを乗り換えて目的地に向かうのは、沖縄の旅以来か。

石牟礼道子さんの『アニマの鳥』と、ただいた読書中の飯嶋和一さんの『出星前夜』で慣れ親しんだ地名のバス停が続く。

ブラジルで調べていてわかったのだが、ありがたいことに原城址の徒歩圏に宿泊施設、しかも温泉がある。
原城温泉・真砂。
13時過ぎに到着したが、すぐにチェックインさせてくれた。

禊の湯。
浴場の扉を開けて息を呑んだ。
海側は総ガラス張りで、大浴場の水面が大海原に連なっている。

ありがたし。

ようやく、何年も気がかりだった原城にやってきた。
コートは羽織らず、城址に向かう。
ポルトガル語で「主の祈り」と「アヴェ・マリア」を唱える。

本丸方面から軽自動車がおりてくる。
あ。
犬養光博牧師夫妻とご子息。
僕か、先方の、どちらかが幽霊ではなかろうか。
お連れ合いの素子さんが今朝、原城へ行ってみよう!と言い出したとか。

1538年旧暦2月27日に、幕府側は指令を無視した抜け駆けの城攻めにうながされて総攻撃を開始。
翌28日に落城、天草ジェロニモ四郎も殺害されて世にいう島原の乱は終結する。

そして、沈黙の時代。

犬養一家と別れて、日暮れまで原城址で過ごす。
あっけらかんとした場所だ。

未明にザビエル教会、日暮れに落城前夜の原城址。
はからずも一日で日本の近世キリスト教史を縦貫してしまった。


2月28日(火)の記 原城の覚醒
日本にて


日の出前から、ふたたび原城址に向かう。
本丸跡で、東の海の彼方、天草側からのご来光を拝む。

自分を信じる、というほどの自信もない。
しかし、自分を自分たらしめてくださっている、なにかを信じる。
それのことを神と呼んだり、大日如来と呼んだり、宇宙意思と呼んだり、それはさまざまだろう。
そのなにかを、確信を持って信じる。
それなら自分にもできるのではないかと気づく。

さすがにこの時間はウオーキング系の人以外は見かけない。

いったん宿に戻って朝食、本日二度目の入湯。
ふたたび落城の日の原城を訪ねる。

帰路は島原バスと島原鉄道の乗り継ぎ、半島の東側を北上。
諫早、博多、新山口で乗換え。

拙作『神がかりの里』『明瑞発掘』の竹林史博師の龍昌寺を訪なう。
最近の師の新たな関心はクルミの植林とアサギマダラの吸蜜・産卵地づくり。
少年時代の伊藤明瑞の写真に、ふと天草四郎を想う。


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