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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2017年の日記  (最終更新日 : 2017/06/26)
4月13日(木)の記 狂い桜

4月13日(木)の記 狂い桜 (2017/04/15) 狂い桜
日本にて


思えば、月曜朝にサンパウロで起床してから50時間ほど横になれず。
加えて12時間の時差。
訪日直後は毎度ながら、起きていても寝ていてもつらい。

そうも言っておられず、何から手掛けようか。
徒歩での外回り開始。

足を延ばして、満開は過ぎたという目黒川の桜を見に行く。
遠目に、鮮やか。
聞いてはいたが、たしかに中国人が多い。
人出をざっと見積もって3分の一は中国系、5分の一が欧米系を主にその他ガイジン、残りが邦人といったところか。
目黒川の水面を覆う桜の無数の花弁もあっぱれ。
どう撮っても絵になる光景だ。
中目黒駅近くは、桜より人出と出店に圧倒されてしまうが。

それにしても、僕の子どもの頃、そしてブラジルに移住する前には目黒川の桜って、聞いた覚えがないのだ。
実家の近くの桜といえば、祐天寺、油面公園、旧区役所近くといったところか。
以前、この疑問をネットで調べたが、わからないまっまだった。
今回は、ヒット。

現在、咲き誇っている目黒川沿いの桜は1987年に移植されたとのこと。
その時ですでに15年ほど経った成木だったそうだ。
1987年は、ちょうど僕が一移民としてブラジルに渡った年だ。

さて、忌み嫌うこととして想い出すことも控えていたわが高校時代。
奇縁から、特に昨年から関係者と急接近した。
僕の頃は東京都立大学付属高校、というこれはこれで芸も色気もない名前だった。
別にこの高校に行きたかったわけではなく、自分の学区と学力に合わせて合格したのが「23群」という三つの高校群で、勝手にこの高校に振り分けられた。

そしてこの高校は西暦2006年から中高一貫校となり、まさしく勝手に「桜修館」という名前にされてしまった。
なんだよ桜修館って、どっかの藩校かよ。
こっちはいまだに反抗期だ。
校名の方は、「理由なき藩校」のようだ。

その校名変更の経緯に触れた「都立大学付属高校卒業生・元職員有志の会」発行の2005年10月の報告書を卒業生の有志からいただいた。
この報告書にある記載によると、この校名は正式決定前に都の公式ホームページに記載されているが、命名の理由や出典などは公表されなかった由。
この報告書に同年9月の東京新聞の記事が紹介されているが、それによると校名は教育委員会にはかられ、全員一致で選ばれたというが、他の二つの案は非公表とされた。
通常、都立の校名は地名にちなむものが圧倒的に多い。
この記事によると、第二次大戦前に作られた同校の校歌の二番の歌詞に「国の誇りの桜花」とあり、校章にも桜があしらわれているからだという。
しかしそもそもこの校歌の二番は日本の敗戦後、戦争のイメージがあることから忌避されて歌われなくなっていたのだ。
校章の桜など記憶にもないが、僕の幼稚園も小学校も中学校も桜をあしらっていたような記憶があるぞ。
「修」には中高一貫教育の狙いを込めたそうだ。

卒業生と元教師有志の会はこの校名に反対の陳情を出し、一般公募も唱えたが、聞き入れられることはなかったのだ。
時は、石原慎太郎都知事がこの世の春を謳歌した時代。
教育委員会の役人たちが、石原に「忖度」しての臭く無理のあるネーミングを「全員一致で」押し切った疑いが濃厚だ。

いっそのこと、校歌は『同期の桜』にしたらいかがだったか。
教育方針に感動した都知事も、防衛大臣も総理大臣もご夫人も、ごっそり寄付金を置いていくのではないか。

♪貴様と俺とは 同期の桜
 同じ兵学校の 庭に咲く
 咲いた花なら 散るのは覚悟
 みごと散りましょ 国のため

 貴様と俺とは 同期の桜
 離れ離れに 散ろうとも
 花の都の 靖国神社
 春の梢に 咲いて会おう

桜に浮かれているうちに、「また」命を奪われるぞ。


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