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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2017年の日記  (最終更新日 : 2017/08/16)
5月の日記 総集編 失敗学:現ナマ紛失事件を分析する

5月の日記 総集編 失敗学:現ナマ紛失事件を分析する (2017/05/07) 5月1日(月)の記 マスターありがとう
日本にて


早朝、京都からのバスを横浜駅で下車。
東急東横線で実家に戻る。

今日は、学芸大学の喫茶「平均律」のマスター、有賀雄平さんのお弔い。
黒い背広と黒ネクタイでうかがおうと思っていた。
が、マスターのお人柄、マスターとの関係を想って、スーツとネクタイ無着用の、僕としてはフォーマルな服装で臨むことにする。

僕の通った高校の敷地内の地下が葬祭場になっていた。
列席者の男性はオール黒背広に黒ネクタイではないか。
例外は、僕と遺影のマスターのみ。

お別れ待ちの間、同じテーブルの人たちと名刺交換。
マスターは、人をつなぐのが好きな人だった。
流浪堂さんを僕に紹介してくれたのもマスターだった。
マスター、ありがとうございました。

都立大から歩いて帰る。

今晩はお世話になった人から酒席に誘われていた。
が、出張先から遅れているから改めて、というご連絡をいただく。
正直、京都ミッションで疲れていたのでほっとする。


5月2日(火)の記 ふたたび手がくひと
日本にて


今日は、埼玉か神奈川の気になる美術展に思い切って行こうかと思っていた。
が、明日のメイシネマ祭での『ブラジルの土に生きて』改訂版上映の、特典資料を書き下ろすというミッションが。

メイシネマ上映会代表の藤崎和喜代表の手書きチラシへのオマージュとして、こちらも手書きで拙作解題を書き下ろすことを発念。
これはワードでの印字の何倍もの手間がかかる。

A4の400字詰め原稿用紙4枚に書き、それをB4両面コピーで一枚に収めるのにトライ。
いやはや、一日がかりだ。

さあ明日からは撮影もある。
今回の訪日ミッション最大級のヤマ場だな。


5月3日(水)の記 五月の狂詩曲2017
日本にて


さてさて今回訪日のピーク、メイシネマ祭三日間の撮影と今日初日最終回『ブラジルの土に生きて』改訂版の上映。
朝からトークのネタをねりねり、撮影。

拙作は初日のいちばんいい時間に上映していただくだけにお客さんの入りが気がかりだったが、そこそこ以上のお集まりをいただき、ありがたい限り。

撮影も上映もこれといった事故もなく、感謝です。
昨日、一昨日と体力も温存できて助かった。


5月4日(木)の記 メイシネマ祭のヤマ場
日本にて


メイシネマ祭2017、二日目。
明日まで全ゲストのトークを撮影するとはいえ、自作の上映を終えたのでだいぶ気が楽になった。

今日のメインは186分の大作『早池峰の賦』の上映。
監督の羽田澄子さんがいらっしゃり、上映前に壇上でトーク。
齢91歳の巨匠だ。

羽田さんは3時間余りの自作の上映に立ち会い、上映後にも挨拶をされた。
ドキュメンタリー映画の監督、かくあれかし。
新作への抱負も語られた。

羽田さんのお話を記録させていただいたことで、今年のメイシネマ祭のゲストたちのトークの撮影を申し出たこと、十二分に甲斐あり。

明日に備えて、本日の4作品の上映終了後、まっすぐ帰宅。
明後日早朝からの北海道行きの準備もあり。


5月5日(金)の記 メイシネマ祭を打ち上げて
日本にて


さあメイシネマ祭の千秋楽。
今日も4本立て、ゲストのトークをメインにした撮影。

トップバッターは森田恵子監督『姫と王子たち』。
森田さんには今年も岡村のトークの撮影など、お世話になった。
「4:3愛」を語れる数少ない制作仲間だ。
目を背けがちなテーマに目を向けさせていただいた。

次いで『ここに居(お)るさ』、宮崎政記監督。
野麦峠近くの、冬季だけグループホームに暮らすお年寄りたちのお話。
大切なテーマだ。
そこそこマスコミにも取り上げられてドキュメンタリー専門館でも上映されてきた作品と思いきや、東京での上映は「優れたドキュメンタリー映画を観る会」の下高井戸上映と、このメイシネマ祭のみとのこと。
驚いた、もったいない。
宮島監督のトークはわが意を得た話。

お次は『さとにきたらええやん』。
昨年のシモタカで観ていた。
確認したいことがあり、上映後にパンフレットを買おうとすると、売り切れ。

オオトリは『抗い 記録作家 林えいだい』。
たくさんの人が集まる。
在日朝鮮人問題を少しでも考えるうえで必見だ。
福岡からいらしたRKB毎日放送の西島真司監督と懇親会場での道中、お話。
福岡に北海道に、共通の知人が何人も出てくる。
僕の明日からの北海道ミッションにぜひ、という方々をご紹介いただく。

ありがたやメイシネマ祭ネットワーク。
今宵の懇親会でも、たくさんの出会いをちょうだいする。
藤崎さん、ありがとうございました。


5月6日(土)の記 札幌ミッション
日本にて


身心の疲労がたまり、ケアレスミスと飛行機乗り遅れが心配。
にしても、目黒駅から地下に潜り、乗換え一回で成田空港までたどり着けるありがたさ。

日本ではじめてのLCC。
ヴァニラだの、ピーチだの…
ヴァニラのウエブサイトで手荷物1個20キロまで無料、と見たつもりだった。
カウンターで僕のチケットだと手荷物は有料で1個2000円、窓口手数料が2000円で計4000円必要とのこと。
いやはや。

座席は通路の左側の3人掛けの席のまんなか。
日中だし、8年ぶりの北海道行きを機窓から楽しみたかったが、窓側の女は窓を閉めて寝入ってしまった。
いやはや。

着陸時に女が機窓を開け、北海道の大地と植生に息を呑む。
おそらく5度目ぐらいの北海道だが、空路利用は初めてだったな。

新千歳空港からはJR快速で快適に札幌駅へ。
なにか食べようと思うが、食指の動く店は行列。
お弁当を買ってバス内でいただく。

東簾舞という行き先のバス停が読めなかったが、ひがしみすまい だった。
ひがしみすまいで下車、ガラケーをかけると…
なんとプリペイド料金が昨日で期限切れ。
メイシネマのドタバタで、うっかりした!

路頭に迷いかけながら進行方向にキャリングケースを引きずりとぼとぼ歩き、コンビニ発見。
プリペイドのチケットを購入、いやはや。

「虹のしっぽ」がすごい建物だと聞いていたが、これはすごい。
ぺトン式要塞だ。
霊峰を望む広いカフェ部分もよろしいが、地下のシアターにはおったまげた。

今回、8年前までの札幌上映会を盛り上げてくれた友人知人らに声をかけたが、大型連休中でもあり、総崩れ状態だった。
しかし、思わぬ再会が続々!

前夜祭上映のあと、懇親会は深夜1時までの盛り上がりであった。
いやはや、ぶじで何より。


5月7日(日)の記 豊滝 龍神の水
日本にて


北海道、簾舞は小雨。
ナメクジを探しにあたりを見て回るが、会えない。
気温12度ぐらいだろうか、まだ低すぎのせいかな。
それにしても、沖縄を想い出す付近の景観。

「虹のしっぽ」泊り客さん、主夫妻とまだ札幌市内だという豊滝の龍神の水という湧水スポットを訪ねる。
僕の知っている本州の湧水スポットとはだいぶイメージが異なる。
ここには龍神がまつられている。
なんだか、沖縄とリンクすることが多い感じ。

午後より「虹のしっぽ」地下シアターで『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』と『赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み』を上映。
福岡飯塚とはうって変わって、満場の喝采をいただく。

懇親会後、及川藤沢夫妻から諸々、聞かせていただく。
いやはや、貴重な出会いと再会の数々をちょうだいした。


5月8日(月)の記 時の化石
日本にて


今日は午後まで「虹のしっぽ」のお二人に札幌のアナ場をご案内いただく。
それにしても北海道、いちいち面白い。

まずは小金温泉。
樹齢三百年の桂の霊木に合掌。
ほのかに硫黄が香る。
新緑と陽光を浴びながら出で湯に身を任す喜び。

なんの予備知識もなしにご案内いただいた石山緑地には、驚いた。
札幌軟石と呼ばれる凝灰岩の採石場跡。
時間感覚が、停止。
思考も止まる。

こころなき身にも映画のひとつ、撮りたくなるような。
まさしくリフレッシュさせてもらった。


5月9日(火)の記 斎藤豊作コネクション
日本にて


うー、もう今日ぐらいしかない。
両方は無理だ。
神奈川・葉山の「砂澤ビッキ展」か、埼玉県近代美術館の「川原慶賀の植物図譜」展か。
北海道で盛り上がっただけに砂澤ビッキを見てみたいが、川原慶賀は友人から招待券をもらっている。
埼玉にすっか。

常設展で、埼玉出身の斎藤豊作という洋画家を知る。
僕には板倉鼎の方がいい。

北浦和からの帰路、電車賃節約もあって目黒駅下車、もう一度、目黒区美術館の「板倉鼎・須美子展」に行ってみる。
ぎょぎょぎょ。
斎藤豊作はフランスで板倉夫妻と親しくしていて、板倉鼎の客死の際にはひとかたならぬ世話をしたと知る。
斎藤はフランス人の金満家の画家と結婚して、フランスの古城に住んだそうな。

夜は学芸大学で、ネットに流していない上映会。
数任せの多数決上映にせず、来場者の皆さんの嗜好をもとにお任せいただく。
『国防プロレス大作戦』『ブラジル最後の勝ち組老人』『60年目の東京物語』の3本立てでいってみる。
好評なり。


5月10日(水)の記 目黒に銀座あり
日本にて


ナメクジ日和。
電車賃節約のため、中目黒駅まで歩く。
駅前に、チャコウラナメクジの新なめくじが、うじょうじょ。

銀座へ。
まずは、カフェーパウリスタのモーニングサービス。
せっかく水野龍翁ゆかりの銀ブラ発祥の地に来たのに、1階席は喫煙混交。
これは苦痛、不快。

渋谷敦志さんの写真展「ボーダーランド-境界を生きる者たち-」の最終日。
告知に使われているアフリカのちゃりんこの鳥人の写真をはじめ、息を呑む。
類型に収まらない一品ものの構図、そして奇跡的な刹那のシュート。
色味もすばらしい。
ご本人の文章がおっつかないぐらい、写真がすごい。

会場では思わぬ知人と再会。
目黒に戻る。
祐天寺最寄りの「皆の衆 九条山 懇根寺」での上映会。
昨晩の上映会について「ネット民にはたどり着けない」という、言いえて妙なコメントをいただいたが、今日のもそのものずばり。

お楽しみ上映会も、安倍内閣的衆愚に陥らないよう、皆さんのご要望を踏まえて僕がシェフとして仕切ることとする。
『大アマゾン ヤノマモの人々』
『ブラジル・クリチバの挑戦』
という献立でいってみた。
成功セリ。

終了後、遠方から来た方々を目黒銀座経由で中目黒駅までお送りする。


5月11日(木)の記 凱旋控えて崖線へ
日本にて


目黒をあるく、目黒をのぼる。
防衛省管轄の土地沿いにすすむと、いつのまにか渋谷区。

まずは重要文化財の旧朝倉家住宅へ。
入場に100yen。
僕の狙いは崖線地形を利用した回遊式庭園。
なるほど、こんな感じか。
雨中のナメクジ相、および雨上りのキノコ相、粘菌相が楽しみだ。
ずばり関東の縄文遺跡の所在地とも重なることだろう。

渋谷駅新南口駅前の光塾へ。
教育者・林竹二の授業シリーズを3本、拝見。
監督はメイシネマ祭でおなじみの四宮鉄男さんだ。

林竹二さんは、あの縄文研究者、故・林謙作氏のご尊父。
沖縄での小学生相手の授業を複数の16ミリカメラで撮影した意欲作。
小学生相手の授業ながら、ちょっと聞き逃すと僕あたりは付いていけなくなってしまう。
今では問題になりそうなぐらい、名前もわからぬ子供たち個人個人のアップが延々と続く。
もっと先生が見たい。

このあたりは、四宮さんに直接うかがってご教示いただいた。
当初、林先生は自分を写さないようにと言ったとのこと。
この授業を受けたある小学生の感想に「僕たちは林先生の授業を受けたことを忘れても、林先生は僕たちに授業をしたことを忘れないでしょう」とあったとのこと。
もっともっと見られたい作品群だ。

終了後、神保町のアクセスがわかりにくいというイタ飯屋に。
ナメコロジー研究会主催のナメコロジー大賞授賞式。
この受賞の知らせには驚いた。
シャレの大賞だし、ナメクジの啓蒙活動の一助として辞退するわけにもいかない。
授与理由は、ブラジルと日本などでの「ナメクジ記録映像の啓発上映を継続」等の「地球文化の向上と平和のための貢献」の由。
ナメコロジー研究会主催であり、日本経済新聞特別編集委員の足立則夫さん、早稲田大学で映像ジャーナリズム論を説く高橋恭子さんらにお祝いいただく。


5月12日(金)の記 横浜をハシゴする日
日本にて


今日は昼、夜と横浜で上映のハシゴ。
昼の部は石川町駅で主催者の方らと待ち合わせ。
山手町にある主催者の方の私邸での上映。

坂を上って、ユーミンの世界へ。
ナメクジ相の気になる環境だ。
テレビモニターでの上映だが、モニターの後ろの窓からの外交もうまく遮断できた。
今日は「小夏」日和のせいか、もう藪蚊が出始めた。

参加者の方が帰路、近くのコンビニで売られている地元の野菜を買っていくという。
横浜は農地も少なくないのだ。
コンビニのご当地ものも面白い。
店外に置かれた野菜は値段も高くない。
キャベツでも買って麹漬けにでもしたいところ。
離日が迫り、消費しきれないだろうから控える。

夜の上映の黄金町まで、歩いてみる。
かつて過酷な状況下で上映を敢行したドヤ街、寿町はこのあたりか。
学生時代に遺跡の発掘品の整理作業で通った、いまや横浜スタジアムとなった一角を通る。

音に聞いていた横浜橋商店街をのぞいてみる。
不思議な活気のあるアーケード街だ。
コリアン系、沖縄系が通奏低音に流れる。

拙作特集上映で通った映画館ジャック&ベティの一角、別の方角から至ると軽く迷う。
それにしてもこのあたり、ファッションヘルス店が多い。
客の出入りは見たことがないけど。

今晩の上映は、黄金町の大道焼肉師・伊藤修さんが料理を提供する。
伊藤さんには先月、ご本人が企画した伊豆大島での合宿上映を「身勝手な理由」でキャンセルされて、こちらもぷりぷりした。
以前、約束してそのままだった拙作のイメージ画を創作してもらうことで「とりあえず」水に流すこととした。

今宵も多彩な方々が寄り合ってくれた。
会食の間、どのような話題を提供するかが僕に問われる。
上映作品ともども参加者の方々にそこそこご満足いただけたようで、やれやれ。


5月13日(土)の記 江戸のエクソシスト
日本にて


雨だ。
今日から三日間、我が地元祐天寺の開山・祐天上人の三百年遠忌記念行事が行われる。
祐天寺宝物展を訪ねる。
祐天上人は西暦1672年(寛文12年)、今日は日系ブラジル人のメッカのひとつとなった茨城県常総市で、現代でいう悪魔祓いを行ない、名を馳せた。
以降、増上寺大僧正、六代将軍家宣の葬儀の導師など、活躍を極めている。

恥ずかしながら「名号」という言葉を初めて知った。
浄土真宗の用語で「南無阿弥陀仏」と書かれた本尊をいうらしい。
祐天上人直筆の名号は画像としても美しいが、火事を奇跡的に免れたり、持参していた人がオオカミに襲われてもオオカミの牙が折れるなどの奇跡を生じさせたという。

ちなみに祐天寺の現住職・巌谷勝正師は僕の祐天寺幼稚園時代の同級生だ。
卒園以来、会っていない。
幼稚園時代の僕は病弱で幼稚園を休みがち、いじめられっ子だった。
僕をいじめまくった二人の名前は今も覚えている。

お昼は世田谷の経堂へ。
「優れたドキュメンタリー映画を観る会」の飯田光代代表とランチ。
牛山純一から羽田澄子まで、諸々の日本のドキュメンタリストをサカナにフレンチをいただく。
そのあと、故・古城泰さんのご実家に挨拶にうかがう前に付近を散策。
壁にチャコウラナメクジが群生するナメクジ屋敷を発見。
なぜ、このお宅ばかりに。

経堂から烏山川緑道をたどって三軒茶屋まで歩いてみる。
明日に備えて。


5月14日(日)の記 長野のイベリコ
日本にて


午前7時台に新宿バスタを出る高速バスで、いざ長野へ。
群馬山中の光景に、息を呑む。
南米アンデス東部の雲霧林も、かくや。
夜行バスが満席で早朝発としたが、この光景を目にできてよかった。

ギアナ高地のようなどんよりとしたグレーの世界から、長野側に抜けると陽光と いろどりが。
ブラジルで出会い、今回の上映を仕込んでくれたアミーガ母娘が迎えに来てくれる。

善光寺近くで手打ち蕎麦をいただきながら、基礎情報を仕入れておく。
なるほど、今日の上映会場の修道院内にはナメクジが生息しているのか。

善光寺ほど近く、長野清泉女学院を経営する聖心侍女修道会の修道院での上映だ。
この修道会の創設者、聖ラファエラ・マリア・ポラスはコルドバ生まれのスペイン人。
この修道院内に出没するというナメクジも、イベリア半島出自の外来種チャコウラナメクジである可能性が強い。
これは、壮大なドラマではないだろうか。

それにしても「侍女」というのは、なんだかすごい。
ナギナタでも構えた女子挺身隊でも登場しそうだ。
東京で顔見知りの「侍女」のシスターが偶然こちらにいらしていて、これはたまげた。

母娘と僕、そしてシスターたちにもお手伝いいただき、そこそこの上映会場を設置。
シスターたちにさっそくナメクジの話を聞いてみる。
ここのシスターは、ナメクジを見つけると熱湯を注いで溶かすという。
雲仙のキリシタンの処刑みたいですね、とオカムラらしいスパイスを利かせてみる。
シスターはナメクジに「なにか益はあるのですか?」と聞いてくる。
神様のつくりたもう命ではないですか、という返しは控えて「ナメクジの言い分」を伝えておく。

上映の方は、すばらしいものとなった。
以前、新潟の教会での上映のアンケートで教会の顔役らしい人物から匿名でひどい罵詈雑言を善意の主催者に浴びせられたことがある。
ここのシスターたちとはかなり本音でいろいろとお話ができた。
この新潟でのエピソードを伝えると、「そんなのはローマ法王に報告するといい」とまでおっしゃり、怒りを共有していただく。
新潟の仇を長野で。

帰路、噂に聞いていた古書店「遊歴書房」さんに寄ってみる。
これはすばらしいお店だった。
土足で上がるのは申し訳ないほどに磨かれた木の床、僕のために揃えてくれたのかと思うほどの本揃え。
本を減らさなければならない身でありながら、4冊購入。

日曜で閉まる店が多いなか、駅近くで入った馬刺し屋さんがまたすばらしかった。
馬刺し盛り合わせを頼み、そこそこ食べ進むとベースに盛り付けてあったツマ類を新たに盛り付け、サラダにして出してくれるといううれしいサービス。
終バスまでの時間がないのが残念。

バス停に走りつつ、途中のコンビニで買った今日付の信濃毎日新聞に驚きのカラー記事がふたつもあり。
日帰り長野旅、面白すぎ。


5月15日(月)の記 高円寺のトラウマを解く
日本にて


昨日の長野、今日の高円寺、そして明日の学芸大学と三日間連続の上映が続き、明後日には出ニッポンだ。
実家の使用空間の片づけと荷造り、そして離日前の諸々の残務は通常まる一日でも終わらないのだが、これをいつするのか?

祐天寺の宝物展は今日まで。
もう一度、見ておきたかったが断念する。
渋谷のまんだらけとアニメイトで頼まれものの買い物。

さあ、高円寺だ。
高円寺には、かつて母方の叔母一家が住んでいた。
その後、一家は埼玉へ。
一家には僕と歳の近いイトコの兄弟がいる。
叔父叔母は亡くなって久しい。
弟の方と特に親しかったが、深夜におそらく深酒をしてメールを送ってくるのだろう、あまりの絡みメールの連投に辟易して、数年前から敬遠している。

さらに高校時代の筆禍事件のトラウマが高円寺にあった。
「オレが(高校を)辞めるか、この生徒(不肖オカムラ)が辞めるかだ」と息巻いた教員の家が高円寺にあった。
僕を利用したクラスメートたちに裏切られ、僕なりの大局的な判断からこの教師のところに詫びを入れにいくことになった。
それ以来、安手の友情も組織も信用などしていない。
受験戦争に翻弄された時代に生きた高校生の戯作者の、自ら演じた喜劇である。

さてこの度、劇作家の石原燃さんの、もっともっと拙作が見たいというリクエストを受けて、彼女が見つけてきた高円寺のパンディットというライブハウスで午後から夜間まで3本立てのライブ上映を行なうことになった。

おそらく40年ぶりの高円寺。
ざっと地図を見ただけで所番地を頼りに探し、軽く迷うが店外に出ていた石原さんにばったり。

そして高円寺でできれば寄ってみたかった古書店コクテイルさんが、なんとパンディットさんの目と鼻の距離にあると知る。
コクテイルさんは夕方から深夜まで開けているらしい。

パンディットさんでは『橋本梧郎と水底の滝』シリーズの第一部、第二部、そして長編『郷愁は夢のなかで』を上映。
タイムテーブルが押していて、途中の質疑応答は、かっとばし。
『郷愁は夢のなかで』でまさしく西佐市さんを再生させていただく。

そろそろ終電も心細い時間になった。
懇親会に残ってくれた最後の一同とパンディットをあとにする。
あ、コクテイルさんはまだ明かりがともっている。

コクテイルさんのことは店主の狩野さんの新聞連載の記事のコピーを、昨年出会った僕の問題の高校の教員だった方からいただいて知った。
それには僕がもう一度、会ってお話ししたかった高校の国語の先生のことが書かれていた。
コピーをくださった先生から先週、この国語の先生の訃報を知らされたのだ。
コクテイルさんには記事の筆者の狩野さんはおらず、斉藤さんという方が応じてくれた。
その国語の先生、渡部さんの訃報はご存じで、昨年「渡部さん展」というのを開いたことも教えてくれた。

渡部さんは諸々の発禁本のコレクションをしていたと高校時代から聞いていた。
記念祭と呼ばれる文化祭で、僕の書きものが職員室に激震を走らせて間もなく、渡部先生はふらりと僕が仕切っていた映画研究会の部屋を訪ねてきた。
僕の担任でもなかった渡部先生は、あたりさわりのない話だけをして去って行ったのだが…

その時の渡部先生の真意をうかがいたいものと思いつつ、昨年、新たに接点が生まれた時には渡部先生は老人施設に入居して、認知症の傾向も出てきているとのことだった。
僕にとって問題の高円寺をようやく訪ねて、渡部さん展のことまでお聞きするとは。

物静かな文人、渡部先生からの40年ぶりのエールか。


5月16日(火)の記 上映巡礼
日本にて


午前中は明日の離日に向かっての撤収準備、銀行回りと土産等の買い物。
さあ午後から学芸大学フィナーレ上映会。

平日の午後にもかかわらず、多種多彩な方々にお集まりいただき、満員御礼となった。
事前に新たな上映講座の依頼をいただくが、僕よりいくつか年上の方々で、どなたもパソコンをたしなまないとのこと。
こうした方々をどうつないでいくかも、課題の一つ。

今日の献立は「私の愛したブラジル移民/VINTAGE」とした。
『ブラジル最後の勝ち組老人』
『ブラジルに渡った植物学者』
『ブラジル移民にひとり芝居』。
上映順について、そこそこ悩むがこの順番にした。

ブラジル移民の話だが、ご自身も含めての老いという不変のテーマがある、というご指摘がうれしい。
さらに言わしていただければ、人間いかに生きるかという僕の求道のプロセスの断片どもである。

懇親会の参加希望者ざっと11人。
ダメモトで喫茶平均律さんに電話をしてみるとアテンドなく、あとで火曜もお休みと知る。
こんな時にと考えていた喫茶コロラド、かろうじて全員収容なった。
懇親会の仕切りも僕の芸のうち。

名残は惜しいが、18時半でお開きに。
そのあとも、ぜひイッパイだけでも、という有志が何人か。
先週開拓した足立さんの大衆酒場へ。
ああ、出国準備を忘れてしまいそう。

21時前に解散、まちのおかしやさんで土産購入、いったん実家に上映機材を置きに戻る。
本日のアンケートをコンビニでコピー、深夜の流浪堂さんに納品、御礼と暇乞い。

さあ少し横になるか。


5月17日(水)の記 機中法難
日本→エチオピア→


さあ出ニッポンだ。
実家で使わせてもらった小型の冷蔵庫を空にするだけでも、ひと仕事。
ビンボー魂から、物を捨てられない。
ブラジルからだいぶ前に担いできたシュラスコ用の粗塩があるので、野菜や漬物類など、戦国時代の首級のように塩漬けにして、次回訪日までどうなっているか試してみよう。

午後、実家の前のバス通りへ。
ここでタクシーを「つかんで」(ブラジルコロニア語)、恵比寿のホテルまで行って成田行きシャトルバスを「つかむ」のが常道。
タクシーはすぐに来たりなかなか来なかったりだが、こちらはアプリ類など持たないので、これも気がもめる。
さいわい「つかめた」タクシーの運転手さんに、ブラジルまで行くと告げ、話を紡いでいく。
運転手さんは干物製造会社を30年余り営んでいて、日系ブラジル人を雇用していたこともあるという。
安価の中国産に対抗できずに転職した由。
わがアミーゴの関与するブラジルの干物プロジェクトの話をしてみるが、「暑いところではどうでしょうか」とのこと。

シャトルバス車中、ガリ版ミニコミ『あめつうしん』をうとうとしながら読みつつ、検問のなくなった成田空港へ。
先回、少なからぬ頼まれものを担いでいくことになったため、泣く泣く削った書籍類を今回、そこそこ詰め込んでいるため、手荷物をぶじチェックインできるかが心配。
事前にエチオピア航空のウエブサイトをチェックして許容範囲内のはずだが、先日のバニラ航空のように思わぬ地雷が控えているかも。
が、これもあっけなくクリヤー。

先回、使用した1200yenの有料ラウンジをフンパツ、日本最後のオンライン作業をたしなむ。
醤油ラーメン500yenというのも頼んでみるが、なんともミニサイズ。
さすがは成田だ。

エチオピア航空では、まず成田から香港トランジットでアジスアベバまで飛んで乗換え。
これで3往復目だが、成田―香港間は常に空席が目立つ。
3人掛けシートで、僕ひとりだけだ。
香港以降は満席だろうし、とにかく疲れ切った。
今回「も」現ナマの担ぎ屋(ちなみに無償)を頼まれて、頭上の棚に収納したバッグに入れてあるが、万が一に備えてファスナーにダイヤル錠もかけてある。
現ナマの担ぎ屋は、まずは日本での入金の確認、そして引き出して実家にキープしておいても実家付近で頻発する空き巣の被害が心配、いっぽう日本の地元のATMは故障していることがしばしばで、ギリになってからの引出時に故障が重なったらアウトになるし、とにかく気苦労がハンパではない。

なんとか機中にたどり着き疲労困憊、身心が危険信号を出している。
道中ぶっ倒れないためにも、横になれる時に横にならせていただこう―

日付は変わらず、アジスアベバ到着。
乗継ぎの14番ゲートに到着。
バッグはきちんと施錠されているが、念のため開けてみると―
なんと、封筒に入れた現ナマが見当たらない。

バッグの底に入れたのだが、空港に迎えに来るという依頼人にすぐに取り出して渡せるようなところに入れておいた。
周囲を気にしつつ、他の荷物を取り出して精査するが、ない。

ふらふらの記憶を呼び戻すと、成田のラウンジで今一度、この現金入り封筒の所在を確認して3ケタのダイヤル錠で施錠した覚えがある。
機中で何者かが施錠を解いて封筒を抜き取っていったということか。

ゲートでノートパソコンをつないでみるが、フリーWi-Fiの電波はない。
この場でクレームや被害届を出すにしても、そもそも何も証明するものはなく、下手をすれば搭乗時間の迫る接続便を逃すことになるだろう。
そもそも少なからぬ現ナマの未申告の持ち出しは、なにかに抵触しているかもしれない。

嗚呼。


5月18日(木)の記 落ち武者の帰伯
→ブラジル


「伯」は日本語での漢字一文字表記でブラジルのこと。
「帰伯」はブラジルに帰ることをいう。

現ナマ「紛失」事件で大変なことになったが、帰路のエチオピア航空機で観た映画、一本だけ特筆したい。
英語題名『LAND OF MINE』。
(直訳すると『地雷の大地』:「帰伯」後に調べてみると日本でも『地雷と少年兵』、のちに『ヒトラーの忘れもの』の邦題で公開されていると知る。後世、末永く「安倍」と題された作品が反省とともに生産されそうな予感)
デンマークとドイツの合作映画。
第2次大戦後のデンマークの西海岸には、ナチスドイツの設置した220万個もの地雷が放置されたままだった。
デンマークはドイツの少年兵たちを徴収して、地雷の排除にあたらせるが…
戦争の負の遺産が、戦後もいかに人命を奪い続けるかがリアルに描かれる。
わが祖国日本でも、今日でも沖縄を中心に不発弾騒ぎが続き、中国の特に東北部では今も日本軍の爆薬や毒ガス弾などによる住民の被害が続いているという。
人道上、当然負うべき敗戦処理をとぼけて、新たな戦争を望むとは、もってのほか。
天罰てきめんの前に、人智で祖国を救えないものか。

さて、サンパウロ国際空港到着。
ほんらいは地道ながらの自主制作活動の成功と、新たな人脈の数々、ナメコロジー大賞の栄誉などの喜びに浸っての帰伯のはず。
だが、無償でお預かりしてきた現ナマの「紛失」で意気消沈。

現ナマ輸送の依頼人が空港に迎えに来てくれるとのことだったが、出口に見当たらない。
そもそも成田のラウンジ以来、ずっとオフラインだったので、近くのベンチに座ってノートパソコンを立ち上げることにする。

すると、僕が親しくしている人が「あいつだけは許さない」と恨み続けている人物が「あんた、カメラやる人でしょ?」と寄ってくるではないか。
どうやら同じフライトだったらしい。
自分を迎えに来るべき人が見当たらないので、探しに行っている間、荷物の番をしてほしいとのこと。
それどころではない、とはっきりとお断りする。
この御仁には僕もさんざん利用されてきたが、本人は僕の名前とともにお忘れのようだ。

ようやく現ナマ輸送を依頼された方が登場。
素直に事故を報告して、お詫びをする。
拙宅まで車でお送りいただく。


5月19日(金)の記 失敗学:現ナマ紛失事件を分析する
ブラジルにて


何とも後味の悪い現ナマ紛失事件。
わが家に戻ると、家族と再会の喜びを交わすのもそこそこに、紛失事件に対処。

成田のラウンジに電話をしてみるが、遺失物の届けはないという。
ネットで調べて、僕がリュックのファスナーに施錠した錠前は、ダイヤル錠という名前と知る。
僕の使用したのは数字3ケタのものだが、なんと達人になると4ケタのものでも1分程度で開けることができるという動画まである。
鍵付きの錠前だと、小さな鍵をなくしてしまうとやっかいと考えて、ダイヤル式のを使ったのが失敗となったようだ。
これまで機内で身に着けていたブラジルのIDカードを紛失してしまったことがあり、なくしものに用心をしたのだが。

そして機内の盗難事件は東アジア、特に香港がメッカであり、中国人のグループの泥棒が横行していることがわかる。
窃盗団は、機内でトイレに立ったり睡眠中の連れのいない乗客の荷物から、施錠をたやすく解いて特に現金を抜き取っていくことを複数のサイトから知る。

僕は依頼主にエチオピア航空機の機中ですでに盗難騒ぎに巻き込まれていることを報告しているし、事故紛失盗難の責は負わないことを今回も告げ、またこれまで何度か依頼により現金を担いできた時も謝礼はいただいていない。
僕とてリスクの多いフライトなど使用したくないが、ここのところに経済的状況の厳しさからあえてリスクを承知で最安の便を使用した次第。
僕にとって、日本行きと上映巡礼はお遊びではないミッションなのだ。

いずれにしろ、日本でのハードなミッションから戻って来てのわが家での家族とのひと時、好き勝手な慰労の時間はかけがえのないものがある。
しかし今回は自分の物品にはどうやら手を付けられていなさそうだとはいえ、後味が悪い。
骨折り損の、くたびれもうけ。

リスクのある頼まれごとは、相手との人間関係が気まずくなってもきっぱりとお断りする方がお互いのためかもしれない。


5月20日(土)の記 時間の習俗
ブラジルにて


「帰伯」後、はじめての外出。
今日はフンパツして肉屋で牛フィレ、日本食材店でブラジル産コシヒカリの安いのを買う。

松本清朝を高校時代に読みまくった。
作品のタイトルが現代アートのように、雰囲気はわかるが、しかとは意味が取りかねるものが多かった。
たとえば『時間の習俗』。
英語のタイトルをつけるのに苦労した人がいることだろう。

訪日前に、サンパウロで映像集団マグナムのフォトグラファーたちが撮った映画のスチール写真展を観た。
そのなかに『ZABRISKIE POINT』というアントニオーニの映画があった。
帰宅後に調べると、邦題は『砂丘』だった。
西暦1970年の製作・公開。
タイトルは知っているが、未見。
ちなみに日本では大阪万博をかすめる山田洋次監督『家族』が製作・公開された年。

今回の訪日で『砂丘』のDVD版を購入。
訪日お疲れ/時差ボケ特典として、未明のサンパウロで鑑賞。
いわばドキュメンタリータッチの粗々さでアメリカの学生運動が描かれる。
そしてゆきずりの男女がたどり着くのが、デスヴァレーのZABRISKIE POINT。
ザブリスキーとは、パシフィックコースト・ボラックス・カンパニーの副社長だった人の名前だそうだ。
ボラックスは日本語でホウ砂、このあたりから採鉱されて石鹸や工業加工品に用いられた由。
付近の地形の形成は、17億年前にさかのぼるという。

ブラジルでいうガリンペイロ:山師たちの命を奪い、死の谷と呼ばれるに至った北米の先カンブリア紀の大地に、アリジゴクの巣に陥るかのように引き寄せられた男女の夢との現実ともつかない交歓。
地質学的時間とヒトの時間のコントラストがすごい。

先の訪日で訪ねた、北海道の石山緑地で覚えた時空の停止感覚を想い起す。
札幌軟石と呼ばれる凝灰岩の採石場跡だ。
ここの成立を調べてみて、驚いた。
およそ4万年ほど前の、支笏湖のあたりの火山の噴火で形成されたという。
僕は億まで行かなくても、数千万年クラスの時間の堆積を感じていたのだ。
凡人の感知できる地質学的時間軸のいんちきさを思い知らされた。

しかしヒトの一生の時間感覚からすれば、4万年も17億年も同様に計り知れないことには違いない。
フランスのラスコーの洞窟にヒトが絵を描いたのは2万年前だ。

いま読み進めている津島佑子さんの遺稿エッセイ集『夢の歌から』が、福島第一原発事故によって喚起された時間の問題をおそろしく見事にあぶりだしている。
原発の使用済み核燃料は、10万年という単位で「安全に」保管しなければならないのだ。

 ウラン採掘から核実験、原発立地、原発労働者、核廃棄物の最終処理候補地、どこを見ても、先住民や弱い立場のひとたちを犠牲にすることではじめて成り立っている原子力産業。その点だけでも、人類の一員として私は原子力産業を受け入れがたい。これ以上、人類を愚かな存在にしたくない。
(『夢の歌から』津島佑子著、発行所:インスクリプト。)


表現者のはしくれとして、この時間、この時代に生きる責任を少しでも果たさなければ。
これ以上、人類を愚かな存在にしたくない。


5月21日(日)の記 カルメル修道会に入ろうとしたある移民の日曜日
ブラジルにて


奇縁に身を任せて…
先週の日曜、長野の上映会に日系ブラジル人の女性が来てくれた。
彼女のブラジルのオバはカルメル会の修道女で、サンパウロの「アヴィラの聖テレサ修道院」に居住しているという。

この修道院はサンパウロのわが家から徒歩圏にある。
「ブラジル学」の故・中隅哲郎さんのお住まいの近くで、中隅さんもこの修道院について言及していたと夫人から聞いている。

修道院そのものはサンパウロの歴史遺産に登録されていて、日曜朝のミサは一般にも開放されているとネットで知る。
行ってみるか。

いわゆる観想修道院は、なかなか外部の人間が立ち入れるものではない。
広大な修道院内の植生も気になるし、今日はナメクジ日和の小雨だ。

ミサ中、修道女たちの歌声は聞こえるが、姿は現さない。
映画『薔薇の名前』の世界に連なる空気を感ず。
カルメル会の名を意識する契機となったエルンストの本の文庫版は、どこにあるだろうか。
ミサ後に敷地内の聖像のお参りがてら、ナメクジを探すが修道女たち同様、姿は確認できなかった。

路上市まで歩き、アジ、サバ、マングローブ蟹の剥き身を購入。
今日もゆっくりさせていただこう。


5月22日(月)の記 聖リタ記念日
ブラジルにて


教会を出ると、妻の知人だという人にばったり。
彼女はあちこちの教会巡りをしているのだという。
日本の神社仏閣めぐりと同じ感じといってもいいし、ブラジルではもう少し信仰心が強く明確かもしれない。

今日はカトリックの聖人とされた修道女、聖リタの記念日。
ふつうの在日日本人にはカトリックの聖人聖女というのは、およそなじみがないことだろう。
せいぜい、マザー・テレサぐらいだろうか。
だが、リタという名前の有名人ならひとりふたり思い浮かぶのではないかな。
いずれもこの聖リタにあやかっての命名だろう。

聖人の記念日は、その人の命日だ。
イタリアのカシアのリタが亡くなったのは1457年、ちょうど560年前。
日本の康正三年、太田道灌が江戸城築城を終えて、北海道ではコシャマインの戦いが勃発した年だ。
サンパウロのわが家から、僕にとっては徒歩圏に聖リタをお祭りする教会がある。
朝8時からの記念ミサに行ってみよう。

聖リタは結婚して二人の男子を授かったが、夫の激しい暴力に苦しみ続ける。
彼女はのちに夫も二人の子どもも亡くしてしまい、修道女に志願するが、何度も断れら続ける。
ついに修道会に受け入れられて、ある時、聖堂で祈っていると十字架にはりつけにされたイエス像の、イエスが被せられたイバラの王冠の棘が飛んできて、リタの額に突き刺さる。
リタの傷は可能して、長期にわたってひどい悪臭を放ち続けたという。
しかし亡くなったリタの遺体からは、バラの芳香が漂ったとのこと。

覚えている限りで短く書くと、ざっとこんなところだ。
「絶望的状況」などの守護聖人とされる。
自らの身体から悪臭を放ち続ける女性のいたみは、察するに余りある。

記念日のミサの司祭の説教では、母という存在の大切さ、たいへんさ、ありがたさが説かれた。

教会の前では信者さんたちが教会の資金稼ぎの売店を出している。
残念ながら、今日は一日断食を決意。

日中、拙作『金砂郷に打つ』の改訂版作成作業に着手するが、うまくいかない。
さあ、どうしようか。


5月23日(火)の記 映画の基本
ブラジルにて


もう10年ぐらいになるかもしれない。
日本のさる大学の授業に呼ばれて、拙作を上映。
学生からいただいたアンケートに「映画づくりの基本を勉強してください。」とあった。
はあ。
三脚や照明を使用しないでのインタビュー映像などについての指摘のようだ。

さて。
昨日、撮影した『金砂郷に打つ』の手書きタイトルの映像をビデオ編集機で見ると、ちょっと厳しいものがある。
そもそもわが編集機で可能なエフェクトは、極めて限られている。
なにせ基本も勉強していないので恥ずかしいから省くが…
試行錯誤の連続。
いったん仕舞った三脚と照明機材を取り出して、近くのコピー屋に通いながら撮影とチェックを繰り返す。

2バージョンぐらい作っちゃおうかと思ったが、今度のオッケー版だけでいいかもしれない。
市場経済にのっとった映画づくりからは、まるでかけ離れた隘路を進んでいる。
だが、映画の、ドキュメンタリーの本質を求道しているつもりはあり。


5月24日(水)の記 シュテファン・ツヴァイクの追想
ブラジルにて


ブラジルは封切り中の映画がいつまでかかるのかを確認するのが、ややこしい。
今回、ブラジルに戻って存在を知り、ぜひ観たいと思っていた英題『Stefan Zweig-Farewell to Europe』。
今日までとわかり、水筒に中国茶を入れてメトロに乗る。

日本語表記でシュテファン・ツヴァイクと言って通じる御仁には、ブラジルにいらっしゃればカフェぐらいご馳走したい。
映画『ブタペスト・ホテル』の最後で彼へのオマージュの字幕があったが、僕の見た日本語字幕バージョンでは訳されてもいなかった。

ツヴァイクはオーストリア生まれのユダヤ人文学者で、第2次大戦期までは世界的に読まれていた作家だった。
ナチスドイツの台頭によりヨーロッパを去り、ブラジルに魅せられてリオ州に居を構える。
1942年、日本軍のシンガポール占領の報に衝撃を受けて、リオ州ペトロポリスにて再婚の妻と服毒自殺を遂げる。

この本の日本語訳があること自体が大変な恵みなのだが、ツヴァイクのの晩年の著作、邦題『未来の国 ブラジル』(河出書房新社)のおかげで僕には身近な存在である。

さて映画の方だが、イントロ、そしてエンディングの長回しは息を呑む。
ツヴァイクが南米を知るきっかけになった1936年の国際ペンクラブブエノスアイレス会議の再現もあっぱれ。
この会議には日本から島崎藤村と有島生馬も出席しているのだが、それらしい邦人男性二人が登場するのも泣かせる。

そして映画では僕にわかるだけでドイツ語、スペイン語、英語、フランス語、ポルトガル語が使いこなされる。
これに比べると、スコセッシの『沈黙-サイレンス』は言語的にあまりに貧相だ。
ヨーロッパに絶望しながらも熱帯ブラジルを愛したツヴァイクは、なぜに自死を選んだのか。
いま、こうした映画がきちんと作られていること自体もお恵みだ。

もう一度、きちんとツヴァイクを読みなおそう。


5月25日(水)の記 霊感都市サンパウロ
ブラジルにて


いまひとつ体が重く、日中は出そびれた。
夕方、地下鉄ふた駅分ほど歩く。

黄昏のひかりが美しい。
冬至が近づいているせいだろうか。

昨日ふれたシュテファン・ツヴァイクは『未来の国 ブラジル』から。
イエズス会士ノブレーガがブラジルの「精神的首都の所在」をこのサンパウロと呼ばれることになる土地に定めたことを、ツヴァイクは「天才的な決断」として「霊感的な選択」と評している。
先住民にピラチニンガと呼ばれていた土地は、南半球最大の都市となった。

しみじみとノブレーガの霊感的な選択を享受する。


5月26日(金)の記 サンパウロのオノ・ヨーコとハエ
ブラジルにて


トミエ・オータケ文化センターのオノ・ヨーコ展がこの日曜までだ。
恥ずかしながら僕は彼女について、ビートルズのジョン・レノンの伴侶だったことぐらいしか知らない。
拙作『鎌倉の近代美術館の灯を消さないで』の主人公、藤本美津子さんがカマキンの前でオノ・ヨーコばりのパフォーマンスをしたかった、とおっしゃっていた。
それがどんなものか気になり、展示を見に行くことにした。

観客参加型のアート展示が多い。
額縁に自由に釘を打ちつけたり、七夕のように木の枝に願いを書いたカードをぶら下げたり。
特に僕の美的感動に訴えてくるものはない。
小中学生が団体でやってきているが、出口では女性の陰部と乳首をあしらったバッジが取り放題という趣向。

『FLY』、ハエという30分弱の映像が流されている。
外の暗いニューヨークの一室で、全裸の白人女性が横たわっている。
その体に十匹近い、おそらくイエバエがまとわりつくのを、どアップでとらえるというもの。
陰部の恥毛に絡みつかれそうになるハエ。
砂漠の茨のイメージだ。
さすがに女性は事前にシャワーを浴びているのだろう、ハエたちも彼女の排泄器官にさして興味を示さないようだ。
ヨーコとレノンが作曲したという、ハエをイメージした曲がムズムズ感を高める。
壁にモニターが吊るしてあって椅子もないのだが、この映像を通しで観ていったのは僕以外にそう何人もいないかもしれない。

実物ではないにしろ、ハエをこれだけまじまじと見つめるのは、フリーダ・カーロ展以来か。
想い出せないが、なにか最近、女性とハエを描いた絵画を見たような記憶も。

ふと、インパールの熱帯降雨林で生きながらハエにたかられて卵を産み付けられ、ウジに肉を喰われていく日本の兵隊さんたちの無念を想う。


5月27日(土)の記 凶器使用の心得
ブラジルにて


久しぶりにブラジルのわが車を起動。
エンジンがかかってくれて、安心。
地下の駐車場だが、フロントガラスをワイパーで洗い流すと、かなりの灰塵が付着している。
東京でクルマを所有、運転したことがないのだが、これは汚染都市サンパウロならではだろうか。

クルマの運転は、いつまでたっても苦手である。
とくに運転ブランクのあとがつらい。
土曜の午後でもあり、さほどの交通渋滞もなくてなにより。
40キロほど走行、帰りに少しガソリンを補給。
スタンドのおじさんはオイルと水のチェック、タイヤのエアー補充、そして丁寧にフロントガラスの汚れも拭き取ってくれた。
ささやかなチップを渡す。

黄昏の市街に筋骨たくましいトラヴェスチが仁王立ち。
なんといってもクルマは凶器。
今日も無事でよかった。


5月28日(日)の記 聖ユダの日曜日
ブラジルにて


サンパウロのわが家近くを走るメトロの隣駅に、サン・ジューダス駅がある。
訳すと、聖ユダ。
この名前のカトリック教会が近くにあることにちなんだ駅名だ。
キリスト教と縁遠い人でも、イエス・キリストを裏切ったユダという弟子についてはご存じの方が多いだろう。

裏切り者のユダを祭っているのか?
と僕も当初は思った。
しかしイエスの12人の弟子のなかにはユダという人が二人いて、聖人とされたのはタダイのユダと呼ばれる人物だ。

10月28日がこのタダイのユダの記念日。
このユダは困難な事態をかなえてくれる聖人として信仰が厚く、毎月28日には特別なミサが行われている。

それに日曜が重なり…
冬場でまだ夜も明けきらない朝7時からのミサに行ってみると、大聖堂には空席どころか立錐の余地を探すのもむずかしいほど。
テレビの生放送も入って、今日はマエストロと呼ばれる老紳士がピアノを演奏。
さすがは世界最大のカトリック人口を抱える国だ。

帰路、日曜市をあるく。
オリーブの実のミックス、ミントの葉、グリーンピースなどを刺身用のアジ、イワシの他に購入。

今日は昼も夜も家族4人が揃う。
聖家族。
あらゆる家族が聖なる存在では、と感じる時。
料理に腕を振るう。


5月29日(月)の記 よみがえるハラボジ
ブラジルにて


まずは、一日断食。
ビデオ編集作業空間を整理、のつもりがかえって散らかったかも。

買い物を兼ねて外歩き。
それにしてもサンパウロ、あちこちにフィットネスセンターが増えたな。
たいがいガラス張りなので、なかが見えるが、宇宙基地住まいならともかく。

思い切って、懸念の映像を再生、データの取込みにかかる。
21年前の撮影。
日本占領時代の朝鮮半島に生まれ、10代にして日本内地へ出稼ぎへ。
その後、日本で出会ったキリスト教の牧師のブラジル伝道を手伝いたいと自らもブラジルに移住。
ブラジルへのコリアン移住者のパイオニアのハラボジだ。

このハラボジのお嬢さんにわが家族がお世話になったご縁。
ハラボジの数奇にして偉大な歩みをろくに知らずして、お嬢さんにすすめられるままに一期一会のインタビューの撮影を行なった。
ハラボジはこの時、数えで90歳。
歩行も会話も不自由だったが…

なかなか聞き取りにくく、沈黙も続くが、何か所か胸をえぐられるようなシーンがあり。
20年以上経った撮影テープの劣化も致命的なことはなさそうだ。
ひと通り発言を字幕でフォローして、僕の聞き取れないところをご家族に見てもらって、となると、そう簡単ではない。
すでにハラボジが帰天して10年以上。
聴き手の不勉強、未熟を差し引いても人類の遺産として遺す義務があると思う。


5月30日(火)の記 はるけき祖国に
ブラジルにて


次回訪日をめぐって。
日本の方に、スカイプでコールを依頼される。
スカイプは電話利用ばかりだったので、使用法にとまどう。
カメラ機能はoffにさせていただいて。

次回訪日、まだ具体的にならず。
日本の別の方と、日本での今後の僕の撮影や上映の企画の話が一気に進む。

次の訪日までに日本の政局が一新されていることを願うばかり。

サンパウロの作業空間、少しは片付いてきたかな。
もっと、ものを処分しないととは思いつつ。


5月31日(水)の記 たそがれよ こんばんは
ブラジルにて


ハラボジ(朝鮮語で「おじいさん」)関連の映像で、ひょっとして使えそうなもの心当たりが。
見つかるかどうか…
物置スペースを発掘する。
けっこうスムースにそれらしいものを見つけた。

20数年ぶりの再生チェック…
おう、これはいけそうだ。
こういうのは、自分以外ではどうにもならない。

数日前、日本の知人に頼まれていた素材を探したが、これはみつからず。
日本の実家の押入れの段ボールのなかかもしれない。
これも20年近く前のもの。
労多くして…

日本からの報道に、在外邦人数、過去最多というのがある。
外務省の発表で、昨年は約133万人に達した由。
最多の国はアメリカ合衆国で約42万人、全体の約32パーセント。
二位は中国で約13万人。
以下はオーストラリア、タイ、カナダと続くが、わがブラジルは登場しないではないか。

外務省のウエブサイトのpdfを開く。
ようやくあった、わがブラジルは七位、ラッキーセブンか。
その数、約5.3万人。
ブラジルは1975年が最多で14万6千人、その後は減る一方で今日では最多時の約36パーセントとなった。
日本国籍のままブラジルに移住して、死亡しても遺族が日本国領事館に届けないというのはよくあることなので、現在の実数はもっと少ないだろう。

ブラジルは日本以外で最も日本語が話されている国、などというのは昔話にすぎない。
しかし日本は今にも大震災が起きるかもしれず、また共謀罪成立などを嫌って日本を脱出する人は増えてくるかもしれない。
いずれにしろ、ブラジルは避難先として遠いかな。


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岡村淳 :  
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