6月の日記 総集編 勝ち組とファヴェーラ (2017/06/01)
6月1日(木)の記 ミナスのマジック ブラジルにて
決行となれば、そろそろ準備もしなければならない。 次回訪日計画がなかなか一筋縄にいかず、暗礁に乗り上げる可能性もあり。
そんなこんなで、いまひとつビデオ編集に気合いが入らない。
手紙の投函、夕食の支度、そして散歩を兼ねて午後、出家。 わが団地群のすぐ東側に、なにやらできはじめた。 以前は何だったか思い出せないほど地味な場所だ。
それがなんと、ミナス料理屋になるとわかってきた。 MAGIA DE MINAS、ずばりミナスのマジックという店名だ。 ミナスは、ブラジル中央の山の多いミナスジェライス州の略称。 かつてゴールドラッシュ、そしてダイヤモンドの発見で栄えたところだ。
ツヴァイクの『未来の国 ブラジル』でも一章が割かれているが、一獲千金のフィーヴァーのあおりで不遇な死を遂げた人の数ははかりしれないことだろう。 今度ミナスを訪ねたら、まずは黙祷したい。
さてミナス料理ブームは、サンパウロでも10数年前ぐらいから生じていた。 まさかわが家の至近距離でマジックが生まれるとは。 店の建築状況を見るのが楽しみだったが、「営業中」の看板あり。 夕食にはだいぶ早い時間で、のぞいてみると確かに営業中、午後11時までの由。 田舎の学校の体育館ぐらいのがらんとしたスペースに、一組だけ客らしいのが入っていた。
この並びには、カピシャバ料理屋もあり。 カピシャバはリオ州の北、エスピリトサント州のこと。 1-2度入ったが、いつもガランとして今ひとつスタッフもやる気がうかがえない。 隣り駅にあるこの店の本店は、なかなかのにぎわいなのだが。
あれ、あの店、どこだっけ? よく目を凝らすと「ALUGO:貸します」の看板が。 カピシャヴァ去って、ミナスの誕生か。
今晩は日本語表記は「キッビ」になるらしいアラブ系料理を久しぶりにこさえる。
6月2日(金)の記 ミナス料理のみなし方 ブラジルにて
途方に暮れてばかりもいられない。 過去の書類系を、少しでも処分。 いやはや。 午後は、お命日に訪日のため失礼してしまったお宅を訪問、お線香をあげさせていただく。
夜は家族で昨日、開店した至近のミナス料理屋に挑戦。 さすがは大都市サンパウロ、あたらしもの好き:もの好きがそこそこ入っている。 こちらの常なのだが、開店記念のサービス価格や記念品というのがない。 それどころか、手違いが多い。 ウエイターは人が足りないと客にぼやく始末。
ミナスはサトウキビの蒸留酒、カシャッサの産地として知られている。 ミナス産カシャッサを用いたカクテル:カイピリーニャは、並みの店の昼の定食代ぐらいするが、思い切ってオーダー。 砂糖抜きで、とウエイターに復唱させたが、ようやく運ばれてきたのはグラスの底に砂糖が沈殿する甘さ。 料理も頼んでいないのを持って来る。 まあ、味はいずれも悪くはない。
驚いたことに、つぶれたと思っていたカピシャバ魚料理屋は、このすぐ隣に引っ越していた。 して、そこそこ客も入っている。 わが家の周辺、いきなりグルメ地区化か。 治安も悪くなるかも。
6月3日(土)の記 福島のローレライ ブラジルにて
2日前から第6回ECOFALANTE:サンパウロ環境映画祭が始まった。 まだ全貌を把握していないが、まずはサンパウロ文化センターへ、水筒に薬草茶をいれて向かう。
さあ、これから見よう。 数々のドキュメンタリー映画も製作しているヘルツォーク監督の2016年公開作品『ロ・アンド・ビハインド』(日本未公開)。 インターネットの始まりから未来、ひかりと闇を探る。 僕あたりには、日本語字幕があったとしてもどこまで着いていけるかという内容。 が、いくつかの特筆すべき知見あり。 どこまで正確に僕が把握できているかは疑問だが。 アメリカ合衆国に、宇宙からの微細な電波の到来をキャッチするため、10キロ以上の圏内で携帯電話等の使用が禁止されている地域がある。 そこに電磁波過敏症などの人たちが新天地として移り住み、生活を始めている。 インターネット社会が切り捨てた人たちのことは、もっと知られていいだろう。 もうひとつは、太陽の問題。 太陽にささやかな異変が起きただけで、インターネット社会は、まさしくブラックアウトになる。 19世紀に実際に生じたようだ。 数年前にこの問題のリスクが「ネット上で」唱えられたのを想い出す。 備えあれば憂いなし、とはいうが、僕自身、なんの備えもないな。
今日は長編三本を見るが、もう一本、ぜひ見ておきたかったのがベルギー製作で福島原発問題を扱ったという英題『Abandoned Land』。 帰宅後に調べて日本でも『残されし大地』というタイトルで今年3月から公開されていたことを知る。 映画の最後に2016年3月のベルギーでのテロ事件の犠牲者への弔辞が掲げられている。 なんとこの映画の監督はこのテロ事件で亡くなっていたのだ。 ジル・ローラン監督はサウンドエンジニアだったというだけあって、音響効果には「耳」を見張るものがあった。 野鳥たちのさえずりの見事さは、野鳥大国ブラジルかと思うほど。
日本が外からどのように見られ、聞かれているかを知るのもこうした映画祭での見どころ聞きどころで、僕の関心だ。 肝心な祖国からは、目を覆い、耳をふさぎたくなるニュースばかり。
6月4日(日)の記 日本では見れない日本 ブラジルにて
朝から外出、帰路に路上市に寄る。 刺身用にサワラ、焼き魚用にサバを購入。 サワラは連れ合いの実家に持参。 刺身におろして、沖縄風に酢味噌でいただいてみた。 運転につき、アルコールをたしなめないのが残念。
午後からふたたびエコロジー映画祭へ。 今日は3セッション消化。 まずは『シェルパ』、オーストラリアとイギリスの合作。 2014年に生じたエベレスト登山史最悪の事故とされるシェルパ16人の遭難が撮影されているのだ。 日本でもヒマラヤに挑む日本人登山家の話が映画化されたのを、数年前に機内映画で見た覚えがある。 登山家も、その足跡を追う日本人の写真家も単独で登攀しているような設定だったような。 あくまでも、日本人のお話に過ぎなかったかと。 この『シェルパ』はすでに観光産業と化したエベレスト登山が、いかにシェルパの人たちのいのちをかけた過酷な労働に支えられているかを描く。 そもそもチョモランマは、シェルパの人たちにとっての聖地なのだ。
今日の注目は3本目の英題『Delicate Balance』というスペインの作品。 ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領の語りを軸に、グローバルな、個人個人の危機的状況を紹介する。 スペインで住まいのアパートを追われる退職者、アフリカからヨーロッパを目指す若者たち、そして、わが祖国日本のサラリーマン! 品川にある、映画好きのマスターがサラリーマンをやめて開いたバーに主人公が来て、自分を語る。 このシーンに限らず。ひと通り三脚を据えた撮影でアングルを変えたカット割りがなされて、会話も「劇映画のように」きちんと録られているから、仕込まれた撮影であることは明らかだ。 こうしたテーマで、外から期待される日本像、日本人像を知るうえで興味深い。 2016年製作でギリシャのテサロニケ映画祭で受賞しているようだが、舞台となった日本での日本語の作品情報がネットで探しても見当たらないということがまた面白い。 「外から見た」日本ドキュメンタリー特集なんていうのをやったら面白いかも。 福島原発事故関係だけでも相当な数になりそうだ。
日本編の冒頭に、ネット上で僕も見た覚えのある東京の電車の投身自殺の映像が。 日常茶飯に電車の「人身事故」があるという状況は、外から見れば異常そのものに違いない。
6月5日(月)の記 はるかなるチロエ島 ブラジルにて
サンパウロの月曜恒例の一日断食。
仮題『ブラジルのハラボジ』、冒頭部分を少し練っておく。 語り口さえ決まれば、あとは時間と手間の問題かと。
午後から、今日もエコロジー映画祭を2セッションほど見に行く。 1セッション目はブラジルの作品。 北東部のサトウキビ栽培地帯での労働組合が舞台。 いろいろな労働者と組合の担当のやり取りが続く。 ワイズマン気取りの観察映画といったところか。 特にメリハリもなく、まさしく、延々と続く。 これを永遠に見せ続けられるのではないかという恐怖を感じる。 終わりが見えた時の、安堵感。
2セッション目はチリの作品。 スペイン語のタイトルは『El Viento Sabe Que Vuelvo A Casa』。 「風は私の帰宅を知っている」、といったところか。 チリ中南部の太平洋岸のチロエ島が舞台。
チロエ島には因縁がある。 牛山純一門下時代に『ブラジルの珍漁』というのを手掛けたことがある。 僕には言わないが牛山さんは気に入ったようで、珍しくリサーチャーを使って『南米の珍漁』というのを調査するよう僕に命じてきた。 チリについては、僕は面識のない現地在住の日本人にお願いすることになった。 どこあたりを調査してもらうかで、日本で閲覧できる文献にあたってみた。 民族学系の本と記憶するが、先住民の居住するチロエ島の存在を知ったのだ。 現地に行っていただいての調査報告では「すばらしい世界旅行」のネタになるような漁法はなく、取材には至らなかった。
さて、この映画。 チロエ島での映画作りをもくろむ人物が、島の先住民とそれ以外の「混血」といわれる人たちとの溝を探っていく。 牛山ドキュメンタリー的な意味では、なにも生じず、なにも写っていない。 牛山プロデューサーの番組としては企画も成立しないはなしなのだが、これが面白いのだ。 実際にオバケが写っているわけでもないのに怖く面白いホラー映画のようなものか。 島の住民の見えない溝を探っていくなかで、チリのあのクーデターのトラウマまでさりげなく浮かび上がってくるなんで、すごすぎる。
ドキュメンタリーの、物語の語り口は、無数にあることを改めて思い知らされる。
6月6日(火)の記 サンパウロ世界紀行 ブラジルにて
午前中、『ブラジルのハラボジ』用にまた新たに発掘した素材を編集。
午後、パウリスタ地区へ。 先月オープンした日本政府の宣伝機関ジャパンハウスをのぞいてみる。 オープニングに竹文化の展示をすることになり、日本の友人がキュレーションに関わった。
入ってみると… あれ、これだけ? とりあえず数年の計画で、40億円近い日本国民の血税が注がれたというが。 ジブリの『かぐや姫』におんぶにだっこかよ。
日本から運ばれてきた竹の民具がささやかに展示してある。 竹の日常性、利便性がうたわれながら、ケースに鎮座していて触れるものがない。 第2次大戦末期の本土決戦用に使われた竹槍の展示というのは面白かった。 これは米兵捕虜の虐殺などに用いられた当時のものではないようだ。 しかし祖国では銃剣術を義務教育に導入するとかで、また作られ始めたのかな。 危ないぞ。 関東大震災のあとにどんな虐殺が行われたか。 ハラボジの涙を想い出す。
3階にわたるフロアがあるが、半分は商売スペース。 日本メーカーのアンテナショップというより、観光地にある売店だ。 最上階にあるレストランは外では値段もわからず、恐ろしくて近寄れない。 (後で知るが、まさしく庶民のアクセスを拒む料金設定だ。)
次いで、エコロジー映画祭の上映を3セッション。 まずは、仏領ギアナの先住民の話。 先住民の娘と黒人系の青年の恋愛というシーンが白眉。
ペルーアマゾンの問題をフォローした英題『When Two Worlds Collide』も秀逸。 ペルー領アマゾンで石油等の採掘を行なおうとするアメリカ系企業の動きに、先住民たちが団結して立ち上がった。 そして西暦2009年、道路を封鎖する先住民たちに警察隊が襲いかかった。 流血のすえ、双方あわせて30名の死者が出るに至った。 恥ずかしながら、この事件を知らなかった。 ブラジルどころか、いま沖縄で起きていることと地続きではないか。
6月7日(水)の記 銀幕から先住民を想う ブラジルにて
今日も、午後から環境映画祭を3セッション。 三つ目はブラジルの先住民もの2本。
シング―国立公園内のグループ、カラパロの子供たちの遊びを子供たち自身に、彼らの言語で説明させるという短編が1本。 これが、とっても面白い。 拙作『ササキ農学校の一日』を思い出す。
もう一本は、今日ではトカンチンス州のバナナル島に居住地を移されたというアワというグループの話。 彼らを撮ったかつての映像を彼らに見せるという趣向。 写っているインディオ保護官は、殺されてしまったアポエナ保護官か。
上映後に両作品のスタッフのトーク。 アワを撮っている監督の訴えが止まらない。
昨日のアマゾン問題のトークは会場側も熱かった。 アマゾンやシング―といった脚光をよく浴びるところ以外の、そして都市のスラムなどに居住する先住民の問題にも目を向けるべき、という声が僕のなかで こだましている。
かつて、僕にぜひ会いたいと言ってきた在ブラジルの日本人を思い出した。 僕のことを利用したいらしい。 自分はブラジルのインディオのところは北から南までひと通り歩いた、と豪語する。 たとえばどの部族ですか? と素朴な質問をしてみる。 こうした質問は受けたことがないらしく「ひと通り歩きました」を繰り返すばかり。 まるで安倍内閣の閣僚との答弁だ。 おかげさまで、その人からその後のコンタクトはなくなった。 頼まれたものを手配して、実費どころか受け取ったとの連絡もなかったな。 はい、書留で送っております。
「売れ筋でない」先住民たちと丁寧に、いのちがけで寄り添っている人たちの活動に触れるにつけ、インディオを売り物に、食い物にする輩への怒りがわき上がってくる。
6月8日(木)の記 藪の中のハヤシ ブラジルにて
今日は家族からのリクエストで、夕食にハヤシライスをこさえることにする。 その前に環境映画祭のを1本でも、と思っていたがやめておく。 ちょっと映画疲れ。 他にするべきことは、いくらでもあるし。
肉は、フィレミニヨンをフンパツ。 日本じゃできない贅沢。
ハヤシライスの語源は諸説あるのが、今日の件名の由来。 レシピを見ると、ドミグラスソースを使用、とある。 が、ブラジルでは身近に見ないし、わざわざ探す気にもならない。 僕が採用しているのは、小麦粉をバターで焦げるほどに炒めて代用、という方法。 ブラジルの日系メーカーのウスターソースも足して。
そもそも久しぶりのおハヤシである。 まあ、こんなもんか。 家族らに聞くと、僕のこさえたもの以外にハヤシライスは食べたことがないという。 それでいてリクエストをちょうだいするとは、なんと名誉なことか。
一度、日本でドミグラスソースとやらを買ってみようか。 安売りでもあれば。
他山の石、ターザンの遺志。
6月9日(金)の記 1932年のひとっとび ブラジルにて
午前中、外に出るとなんだか騒然としている。 地下鉄の脱線事故か。 そのため、わが家最寄りのサウーデ駅が南端の臨時の起点となり、さらに南とはバスで結んでいた。
今日は、というか今日も午後からお出かけ。 地下鉄事故は、僕の行程に特に支障を及ぼさなかった。 パウリスタ地区のFIESP文化センターでアンリ・カルティエ=ブレッソン展。 ブレッソンの写真の個展は、ブラジル初の由。 これがロハで、資料価値たっぷりのパンフレットもフリー! ブラジルは、日本よりはるかに文化に開かれている。 文化はカネに換算された時に、価値も輝きも失ってしまうなあ。
あの『サン=ラザール駅裏』は1932年の撮影か。 ブレッソンがパリの駅裏の水たまりで、紳士のひとっとびをフィルムに露光した年。 東アジアでは満州国が建国、そして日本では5・15事件発生。 国外移民に慎重だった高橋是清が殺害されて、祖国から満洲へ、ブラジルへ、多量の移民が流出していった…
今日は環境映画祭で4セッション観賞。 あとの二本は、日本も絡んでいた。
デンマークの『インセクト!』。 世界各地の昆虫食のフィールドワークと、新たなグルメへの挑戦。 アフリカではシロアリ食が伝統文化だった。 近年の乳幼児の死亡も、伝統的な昆虫食による微量栄養素の補給で減少できるという。 多国籍食糧メーカーはすでに昆虫の工業的飼育と食材化をはかっている。 グルメのフィールドワーカーは、野生の方がずっと美味と証言。 この作品で、日本のスズメバチ食が紹介されていた。 縄文人は、どのようにスズメバチに挑んでいたのだろう。
4本目の『Salelo』、塩の人、塩原労働者の意。 ボリヴィアとアメリカの合作ですっかり有名になったボリヴィアのウユニ塩原に暮らす人々の長期スパンの記録。 これに昨今の日本人女性観光客らしいのが映り込んでいる。 ちなみに、僕のウユニ取材は、30有余年前。 この映画は、ウユニ地区でのリチウム発見や観光ブレイクの前から、伝統的な食塩採集者の家族を軸にウユニ塩原に寄り添っている。 すごい、あっぱれな取材だ。
6月10日(土)の記 棺桶のジョゼ ブラジルにて
家族のシフトも考え、今日の外出はスーパーの本日限りの特売狙いぐらいにしておく。
先日、サンパウロの映画館で安売りしていたDVDでも見るか。 ゼー・ド・カイション、「棺桶のジョゼ」と呼ばれるブラジルの映画人のホラー映画だ。 彼は主に1950年代から80年代にかけて、エログロホラーとも訳そうか、独自のB級映画を手がけてきた。 脚本から主演までをこなし、監督作品はブラジルのウイキにあがっているもので30本を軽く超える。 日本に入っていないブラジルの大衆文化のひとつだ。
1980年代後半、かの牛山純一プロデューサーが第三世界の映画を専門に上映する映画館をつくろうという計画を立ち上げたことがある。 すでにブラジルに移住していた僕にもリサーチの声がかかり、その折にレンタルビデオ屋でVHSを借りて「棺桶のジョゼ」の代表作を試写したものだ。
近年、サンパウロのミュージアムで回顧展が開かれたが、見逃している。 今回、購入したのは訳すと『アブノーマルな精神錯乱』。 ノーマルな精神錯乱もあるということか。
低予算、CG時代以前のエログロホラー、ここにあり。 陳腐といってしまえばそれまでだが、時折り『ウルトラマン』シリーズに散見したような現代アートの息吹みたいなものもあり。
ま、もうしばらく見ないでよしとするか。
6月11日(日)の記 Ju'Hoansiの旅 ブラジルにて
今日は早朝から運転。 日曜も夕方になるとサンパウロの街の交通量はばかにならない。 が、さすがに早朝は快適。
午後から環境映画祭を2本。 一本目はルクセンブルクとオーストリアの合作『Voice of Chernobyl』(この単語を初めてアルファベットで綴ったかも)。 チェルノブイリ事故のさまざまな体験者の証言を声優がモノローグして、役者を使ってそのイメージをいまの現地で写すというもの。 証言を声優が朗読して、イメージショットを連ねるのぐらいまでは付いていけそうだが、それを演じられてしまうと、ちょっと僕には複雑。
次の作品はポルトガル語のタイトルには Bushmen とあるが、英語タイトルにはない。 ドイツの作品で英題『Ghostland,The View of Ju'Hoansi』。 日本でも『すばらしい世界旅行』で取材して放送をしていた頃はブッシュマンと呼んでいたが、この呼称は日本では自粛されてしまったようだ。 ブッシュマンが日本のメディアを賑わしたのは1981年製作の映画『ミラクル・ワールド ブッシュマン』の公開の頃だろう。 主演のニカウさんが訪日したかと。 もし彼らがブッシュマンと呼ばれることを好まないならその呼称は避けるべきだが、少なくともよりアフリカに近いブラジルではこの語が今も使われているようだ。
人類学的には San と呼ぶことは僕も知っていて、日本映像記録センターも英語版の「ブッシュマン」にはこの語を使っていた。 さてすると、この Ju'Hoansi というのはなんだろう。 調べてみると、言語的なこのグループの呼称のようだ。 発音は、Dju-kwa-si とか。 まぎら、わ-し。 アフリカ南部、ナミビアのカラハリ砂漠に暮らす、もともと狩猟採集を営んできた人たち。 今日では狩猟を禁止されてしまい、このドキュメンタリーに登場する人たちは観光客相手に生活を見せて生計を立てているようだ。 ドイツ人のNGOが彼らをサポートしている。 このNGOのプロジェクトで、Ju'Hoansi の人たちがバスで修学旅行に行く。 同じナミビアに暮らす牧畜民を訪ねるシーンが面白い。 体格からして、見た目にまるで違う少数民族同士の出会い。 国家としては同じ国に住まいながら、ヨーロッパのNGOの計らいで初めて身近な他者と出会うことになる。 他者を知ることは、自分を知ることに他ならない。 まさしく人類史上のエポックを映像で共有させてもらった。
さらにこのNGOは、Ju'Hoansi たちをヨーロッパまで連れて行くのだ。 Ju'Hoansi のリーダーは、ドイツの学校でワークショップを行ない、生徒たちと一緒に食事をしたことに感激する。 ナミビアではそうした他者たちと食事をともにすることがなかったという。
南米しかり、アマゾンしかりだが、ほんと、いろいろな少数民族がいる。 この Ju'Hoansi の人たちは、ニタニタに近いくらいニコニコし続けていることが印象に残った。
6月12日(月)の記 ダミアナと呼ばれた少女 ブラジルにて
さあ今日も一日断食。 環境映画祭は14日までだ。 ほとんどの作品が勉強になるが、あとはぜひ観たいセッションに絞ることにする。
今日は午後から2セッション。 特筆はアルゼンチン映画『Damiana Kryygi』。 1896年、パラグアイの森に暮らすアシェと呼ばれる先住民が入植者たちに虐殺されてしまう。 当時3歳ぐらいだった幼女ひとりが生き残り、ダミアナと名付けられて奴隷とされる。 後年、アルゼンチンのラプラタ博物館の人類学者たちがこの部族の研究を始める。 1907年、14歳となったダミアナは人類学者たちの研究材料とされて、全裸の人類学的写真を撮影される。 おそらくそれが原因で彼女は肺炎となり、その年に生涯を閉じる。 彼女のからだはラプラタ博物館のコレクションとなるが、頭部は切断されてドイツの博物館に送られる… ダミアナの死は、笠戸丸移民と呼ばれるブラジルへの第一回移民団が南米に到着する一年前のことである。 およそ110年前のできごとを、ここまで掘り返していくこの映画は、驚異そのもの。
遺された写真のダミアナと名付けられた少女の表情には、言葉も出ない。
日本人、そしてブラジルの日本人移民である僕は、祖国でも南米でもダミアナのような先住者たちを殺戮してさらし者にした側であることを肝に銘じなければならない。
6月13日(火)の記 They shoot indians,don't they? ブラジルにて
朝から雨。 冷え込んできたが、近所の新築高層アパートの外塀に小型のカタツムリ2頭の匍匐を看取。 ナメクジにも会えるかも。
今日はサンパウロの環境映画祭、僕にとってのヤマ場。 終映時はメトロがなくなりそうで、深夜の犯罪都市でのリスクを覚悟しなければならない。
ブラジルの記録映像作家、Vicent Carelli:ヴィセント・カレリの代表作と最新作、そして討論会。
代表作『Corumbiara』の英題は『Corumbiara,they shoot indians,don't they?』。 この英題には、僕よりちょい上以上のシネフィルなら膝を打つ事だろう。 ブラジル領アマゾン、中西部のロンドニア州の先住民コルンビアラとの初接触活動とその後を長期スパンでとらえていく。 わが先達の故・豊臣靖ディレクターの大アマゾン初接触ものもすばらしい。 が、ポルトガル語の通訳を介しての取材、テレビ取材という制約と限界があったことを、ブラジルのこうした傑作を見るとつくづく感じざるをえない。
昨今の日本のテレビメディアでのアマゾン取材ものをみると、猟奇覗き見に徹しているのに驚くばかりだ。 そうした被写体を追い込んでいる一端が日本国家と日本資本とそれに寄生する諸々、そしてブラジル日系の有産階級であるという問題意識を見事に削ぎ落としている。
ヴィセントの最新作『Martírio』(殉教、受難の意)は162分の大作。 いまだに当然な居住区を認められない南マットグロッソ州の先住民グアラニー・カイオワの闘いに30年近く寄り添った、壮大な叙事詩ともいえる。 大土地所有者や彼らと利権を共にする政治家たちは、公然と先住民たちの存在そのものをインチキあつかいして世論をたきつけるのだから悪質だ。 その悪質さは日本の現政権に通じるものがある。
そして権力側は民間の警備会社を使って先住民たちの襲撃、拷問、虐殺を行なうようになっている。 日本国が共謀罪の成立と並行して、警察官など公務員による被疑者にされた市民の拷問を避けて、民間警備会社に拷問の下請けをやらせようとする動きがあるという。
目を覚ましていなければならない。
さてトークショーは延びるに任せて、最終上映終了時間は押してしまう。 映画館から走っても、メトロの最終の乗り継ぎが厳しそう。 タクシーは論外、深夜のバスを待つか。 意外とスムースに目的のバス到来。 昨今はわが家の前の大通りで寝泊まりする路上生活者が増える一方なのだが、そのにぎわいのせいで返って強盗類のリスクは低まった感じ。 無事にシラフで午前様の帰宅。
6月14日(木)の記 連休前の水曜日に ブラジルにて
明日のブラジルは国民の祝日。 木曜が休みだと、金曜も休みにしてしまう学校、職場が多い。 今日は付近の買い物や用足し以外の外出は控えるつもり。 『ブラジルのハラボジ』の編集を少し進める。 新たに聞き返した時には、かなりお手上げだと思っていた聞き取りにくいお話も、だいぶ聞き取れるようになってきたぞ。 収録当時に聞き取れていなかったことは、痛いけど。
日本では15日にも国会で共謀罪が可決する見込みとのこと。 どんでん返し、天誅天罰はないものか。 祖国からのニュースから目が離せない。
そんななか、環境映画祭や最近のこちらの報道で知ったこと、学んだことをいくつか覚書したい。 ブラジル、そして南米の先住民の問題を取り上げたドキュメンタリー映画についていくつか書いてきた。 ブラジルの現在のテメル政権になってから、先住民保護政策の縮小は加速されるばかりである。 4月の新聞報道によると、アマゾン地域の未接触部族保護基地は次々と閉鎖され、先住民保護区で非合法に活動するガリンペイロと呼ばれる金などの採掘者たちの取締りも予算がないため、滞っているという。 まさしく、ブラジルはオリンピックどころではなかったのだ。
映画で見た、ペルーのアマゾン地域の先住民のリーダーの言葉を反芻したい。 「我々は、神々から大地をお借りしているに過ぎない。 その大地を、よりよい状態にして子孫に渡すのが我々の務めだ。」 この言葉は、上映後の討論会でNGOの代表が「ユダヤ教にもキリスト教にもない、大切な思想」と裏書していた。
日本の原発政策をみて欲しい。 現在の利権屋の富と、なくもがなの電力消費のために、原発廃棄物という危険極まりない負の遺産を、数えきれないほど末の世代まで押し付けている仕組みだ。 ウラン採掘地域の人々、原発労働者と地域住民の健康から生命までも侵しつづけながら いま、生かされているものとしての責任は限りなく思い。
天罰というものがあるとすれば、すでに落ちているとも言えよう。 それでも懲りずに、新たな、より厳しい天罰をこまねいているのか。
6月15日(木)の記 ジュリアナの祈り ブラジルにて
今日のブラジルは国民の祝日。 Corpus Christi というラテン語で呼ばれるが、聖体の祝日などと訳される。 カトリックに由来するものだが、具体的にどういう意味があるのかはカトリック信者でも知らない人が少なくない。
この日もカーニヴァル同様、太陽暦と太陰暦の組み合わせから毎年、計算して設定されるイエスの復活の日から数えて設定するので、毎年、日にちは異なってくる。 聖ジュリアナという人物がこの日の設定に大きな役割があったことを教わる。 カーニヴァルおたくの人たちにとっては、どうでもよさそうだが。
ジュリアナといえば、日本ではディスコハウスのジュリアナ東京か。 なぜあの店がジュリアナと名付けられたかは、ちょっと検索してもわからない…。 あ、英国のジュリアナによる出店とあった。 この方面には僕はまるで門外漢。 芝浦にはかつて本籍があったけど。
聖ジュリアナについては日本語の検索ではヒットはほとんどなく、ポルトガル語でも情報が少ないのに驚く。 休みになればなんでもいいというのは日本もブラジルもおんなじか。
午後、長野の古書店で求めた『リビングストン発見記』を読む。 先回のアフリカ周りの帰路で読みたかったが、エチオピアで預かって担いできた現ナマの紛失に気づき、意気消沈してしまった。 スタンレーの大探検隊も、しょっちゅう盗難に悩まされていたのか。 もう他人様の現金のお預かりはこりごりだ。
6月16日(金)の記 明応元年のフットボール ブラジルにて
連休中日の過ごし方。 昼は親族筋の会食。
午後。 こちらの映画館のショップで買ったDVD『1492』を見ようか。 リドリー・スコット監督作品、アメリカ大陸「発見」500年記念のこの映画、見逃していたのだ。
コロンブスがはじめてみる島のイメージの美しさ。 コスタリカで撮影されたようだ。 コスタリカは、僕にとってワケアリの国。
映画では、新大陸の先住民たちに歓待されながら、さっそく彼らとその大地からヨーロッパに向けて収奪していかなければならない「業」が描かれる。 以下は、プチねたバレあり。 コロンブスが信頼していた先住民の若者が、ハクジンに絶望して森に帰っていくときの言葉。 「あなたは、われわれの言葉を覚えようとしなかった」。
1492年というのは…日本では明応元年。 調べてみると、日本の明応年間は室町時代の後期。 明応地震と呼ばれるマグネチュード8を超える大地震が、何度も日本列島を襲っていた。 鎌倉の大仏殿は、この時の津波で倒壊したとされる。
祖国はここのところ、大きな地震がないようだが…
6月17日(土)の記 蕎麦打を読む ブラジルにて
今日は午後から家族のことで車を出す予定だった。 それが無罪放免となり、ヤレヤレ。 小心者につき、車の運転が控えていると緊張するのだ。
さあ気ままに本を読ませていただくか。 これも長野市のナイスな古書店「遊歴書房」で買った。 蕎麦処信州だけあって、ソバ系の本も多い。 『蕎麦打』加藤晴之著、筑摩書房。 著者は俳優の故・加東大介さんのひとり息子。 ソニーのデザイナーをやめて、自給自足の生活を志す。 その最初の場所が、なんと長野県原村。
僕が山川建夫さんのご縁で、すでに3回も上映会を開いてもらっている村だ。 山川さんがフジテレビを辞して自給自足の生活に入ることともオーバーラップして面白い。 そして加藤さんは美味しい蕎麦と出会ったのがきっかけで蕎麦の栽培に挑戦して、次に蕎麦屋での修業を行なう。 そして独立、出張の蕎麦打を生業とするまでの自伝だ。 水戸にのまえの畏友・眞家一さん然りだが、うまい食べ物との出会いがその人の人生を変えてしまうというのは、あっぱれな話だ。
この本は1990年の発行。 その後の加藤さんが気になって検索してみる。 杉並で黒森庵という「固定」蕎麦屋を出したが、福島原発事故により、食の安全を求めて休業中のようだ。
さあ訪日でブランクの空いてしまった船戸与一さんの巨編『満州国演義』の続きを読むか。 いよいよ皇軍による南京大虐殺に突入。 虐殺事件の前後関係がわかって勉強になる。
6月18日(日)の記 おもなる神に ブラジルにて
今日は、移民の日。 西暦1908年の今日、サントス港に最初の日本人移民団を乗せた移民船「笠戸丸」が到着することにちなむ。 サンパウロでは日系社会の名士たちによっていくつかの式典が毎年、開かれる。 僕は拙作『アマゾンの読経』や『旅の途中』で述べている理由で、列席を見合わせるようになった。
今日は日曜であり、東洋人街に近いサン・ゴンサーロ教会で移民109年にちなんだ日本語のミサがあるということで、行ってみることにした。 この教会ではシネマや物故者のミサや、日本の原爆犠牲者のミサを取材させてもらったことがある。
日系の神父の説教にびっくり。 旧約聖書にある、イスラエルの民がエジプトのファラオに受けた暴力と、ブラジルの日本人移民社会で第2次大戦後に起きた勝ち組事件の暴力を同様に扱っているのである。 前者は為政者による移民への暴力であり、後者は移民たち内部での暴力である。 ブラジルの日本人移民の半数以上はカトリック信者だと日本語でもポルトガル語でも言うのだが、何を根拠にしているのだろうか。 今日のミサに参加している人たちなら、半分以上はカトリック信者かもしれないが。
カトリックのミサでは共同祈願というのが唱えられる。 その定義をネットで調べると、きちんとしたものがないことに驚く。 その共同体や社会などへの祈りを信者の代表が唱えて会衆が続いて祈りを唱える、といったところだろうか。 今日のミサでは、日系社会の顔役たちが肩書きを紹介された後で、誰かに作らせただろう祈りの文を読みあげるという、異例のショー形式となった。 有力者に、ヨイショ! 最初の顔役。 「…おもなる神に祈りましょう」 はて、なんのことか? あ、「主なる神」か。
ミサ終了前に祭壇で司祭と顔役たちの記念撮影が行われたのにも驚いた。 あとにしてくれよ。
今日のミサで読み上げられたイエスの言葉は、 「収穫は多いが、働き手が少ない。」という働き手の不足を訴えるもの。 この言葉からも、いろいろなブラジルの日系社会、日本のブラジル人社会等々の問題を考察できるではないか。 権威にふんぞり返っていないで、もっとまじめにやってほしい。
6月19日(月)の記 IN-EDIT@ブラジル ブラジルにて
なんといっても、わがサンパウロは南半球最大の文化都市だ。 なんとか映画祭、なんとか上映週間というのだけフォローしていても、映画評論の売文業でもしていない限り、身上をつぶしてしまいそうだ。
で、IN-EDIT という音楽ドキュメンタリー祭が始まった。 西暦2003年、バルセロナで始まり、今日ではヨーロッパや中南米各国で開催されるに至っている。 ブラジルは今年で9年目。 昨年は訪日期間と重なって見逃した。 一昨年、何本か見てみたのだが、音楽には不調法な僕にもなかなか勉強になった。
今日は見ておきたいのが同じ映画館で2本あり。 間のも入れて3本、見るか。 これは環境映画祭と違って有料だが、ひろびろとしたシートで邦貨にして一本500yenたらず。
最初の作品は『La Chancha』。 この名前で呼ばれる老フラメンコダンサーのお話。 お世話になっている「優れたドキュメンタリー映画を観る会」代表の飯田光代さんは「ピカフィルム」という映画配給会社も立ち上げている。 飯田さんは日本のフラメンコ界でも活躍して、これまでに『ジプシー・フラメンコ』『サクロモンテの丘』の二本のフラメンコをテーマとしたドキュメンタリー映画を配給している。 その飯田さんへの報告でもできれば、と思って鑑賞。 主人公の足技には、シロートでも息を呑む。 10代で結ばれた最初の夫の暴君ぶりの話も強烈。 齢70歳を迎え、歩行も困難になってきた彼女が、ふたたび舞台に挑む。 みどころたっぷりだった。
いちばんみたかったのが、『LIBERATION DAY』。 スロヴェニアで生まれたバンド「ライバッハ」が北朝鮮の革命60年祭に呼ばれることになった。 ライバッハはナチスや全体主義国をほうふつさせるミリタリールックで物議をかもし続けてきたグループだ。 興味津々。 北朝鮮を垣間見ることができるだけでも必見というもの。 北朝鮮のロケット発射の報で地下鉄も止まる祖国で、毎度おなじみの北朝鮮国営ニュース以外の映像で彼の国と人々を見ようという人はどれぐらいいることだろう。
さまざまな制約がじゅうぶんうかがえるなかで、よくこれだけ撮り、録った。 北朝鮮側のスタッフがあくびをしたり、居眠りをしたりの映像も少なくないが、いまの日本の内閣なみに、この映画を見た北朝鮮当局からこのひとたちへの仕打ちはないだろうか。 ライバッハのスタッフが最後に「次はイスラム国でやるか」、いいオチがついた。
6月20日(火)の記 コロッケのランク ブラジルにて
前にも引用したような。 ウエブサイト内の検索があるのでありがたい。 11年前のウエブ日記だった。
藤原美子さんのエッセイで、子供たちの様子から落ち込んでいるのがうかがえたり、元気づけたい時にごちそうに腕を振るって励ます、というお話。 ブラジルでいただいた日本語の冊子にあったのだが、僕の血肉となっている。
明日、家族に大きな出来事があることが今日、決まった。 なにか、好物をつくろう。 コロッケのリクエストがあったな。
材料の買い出し、準備を考えると、午後から行こうと思っていた映画が厳しい。 自分の映像編集も興が乗ってきたので、映画はやめる。 今日だけの上映で、もう永遠に見ることはないかも。
さて、わが家ではコロッケはごちそうの部類。 ジャガイモ等々を買って、茹でて。 挽き肉タマネギ等々を炒めて。 茹でたジャガイモを潰して炒めておいた材料と混ぜて。 成形して、揚げるまで… 換気扇のない台所での揚げ物は、なかなかたいへん。
「コロッケの唄」というのがあったな。 新婚の夫が、毎晩のおかずがコロッケで辟易するというもの。 調べてみると、この歌がはやったのは大正時代。 コロッケはモダンな洋食だったが、さすがに毎日ではうんざり、という意味合いのようだ。 歌詞を調べるが、ここでうたわれるコロッケがワイフの手づくりかどうかはわからない。
僕が小学生の頃に読んだマンガを思い出す。 怪談ものに走る前のつのだじろうさんの作のように記憶する。 経済的に厳しい父子家庭で、父親の用意するおかずが毎日、惣菜屋で買ってくるコロッケというもの。 安く買えるからなのだが、不平をいう子どもに父親はコロッケの栄養を説く、といったエピソード。 僕の子どもの頃には、ハンバーグにはご馳走感があったが、コロッケは庶民の日常のおかずのひとつになっていたかと。
コロッケにまつわる諸々を思い出す。 小指入りコロッケ事件なんていうのもあったな。
コロッケの位置づけの変遷、おもしろい。 さてわが家の今宵のコロッケほかは、おかげさまで好評。
6月21日(水)の記 しあわせの洗濯 ブラジルにて
食材の買い物に出る。 近くのスーパーは改装に入った。 少し歩くついでに、未知の道を行ってみることにした。
一年前を思い起こす。 『ブラジルの土に生きて』改訂版作成の泥沼に浸かり込んでした。 運動不足を懸念して、このあたりの坂道を歩いたっけ。
スシ系のデリヴァリー屋。 カタカナ日本語に訳すと「イングリッシュカルチャー」という英語学校。 あ、日本の新興宗教。 「シアワセ」という屋号の洗濯屋。
築半世紀をはるかにさかのぼる、廃屋化した民家が散見して実にそそる。 古い民家は庭のスペースが広く、緑が覆っている。 在来種のナメクジが潜んでいそうだ。
通りの名前を確かめると、日本語表記で「パラカツ街」。 大通りを隔てた側には、「勝ち組事件」の勝ち組の総本山とされる臣道連盟の本部があったのだ。
これほどワクワクした散歩も久しぶり。 坂道を歩いたための心臓のドキドキもあるか。
日本のシンパの方からの依頼に、それなりに義を見出してひと肌ぬごうと決意していた。 しかし本来それに協力すべき立場の人間から、揚げ足を取られる始末。 中心人物に、事態の深刻さがまるでおわかりいただいていないようだ。 戦意喪失。 腐った苗は間引きましょう。 焼却するか、土壌微生物による分解を促すか。
さて、『ブラジルのハラボジ』の続きの作業に入ろう。
6月22日(木)の記 勝ち組とファヴェーラ ブラジルにて
『ブラジルのハラボジ』の編集と、近くへの買い物。 撮影から21年も経っている素材のせいか、デジタルノイズがしばしば。 それらを、だましだまし修復、差し替えしていく。 美術作品の修復のような、縁の下の人たちの活動活躍に想いを馳せる。
今日は大通りを挟んで昨日とは反対側を少し遠回りしてみた。 貧民窟などと訳されることもある、ファヴェーラが前方にある方向だ。 新しい高層アパート群のすぐ先にスラムというのが、なかなか。
この道なら、ファヴェーラより一本、上側だと思っていたのが… ずばりファヴェーラではないか。 To be, or not to be.
行くべきか、戻るべきか。
歩道を塞ぐように洗濯物をぶらさげた棒をかまえたおばちゃんが眼前に。 車道部分は2台の車が縦列停車中で、車の通行を塞いでいる。
ファヴェーラのルールに通じていないのだが、よそ者、冷やかしお断り感が漂う。 とりあえずUターンしようか。 右折した道は、あの勝ち組本部のあったところ。
勝ち組とファヴェーラをつなぐ力量は、船戸与一さんクラスでないと。
6月23日(金)の記 きょうのセントロ ブラジルにて
『ブラジルのハラボジ』の編集作業をしつつ、今日もハラボジの言葉に心を揺さぶられる。 今後の段取りをすすめないと。
午後からいくつかの用事を抱き合せて、セントロ:ダウンタウンに出る。 ひったくり等に注意しないと。
ブラジル銀行文化センターで、シセロ・ディアス展。 シセロ・ディアスはほとんど日本語になっていないが、ブラジル北東部生まれでパリで活躍したブラジル人の巨匠画家だ。 シセロの生まれが、三田ハラボジと同じ1907年というのも奇遇。 そしてふたりとも2000年の大台まで生き抜いた。 近々ブラジルに来る日本人の友人に、この展示が見れるだけでもブラジルに来る甲斐があると言っておこう。 7月3日まで。
次いで、音楽ドキュメンタリー映画を2本。 1本目には日本の知人が出てきて驚いた。 とはいえ、OS CARIOCAS というブラジルの国民的なカルテットの話で、登場するのがブラジル音楽のエキスパートの音楽プロデューサー、中原仁さんだから、意外でもないかもしれないけど。
お目当ての『O PIANO QUE CONVERSA』:対話するピアノ:はブラジルのピアニスト、BENJAMIM TAUBKIN が主人公。 音声の使い方が面白かった。 本人がすぐ前の列で鑑賞していた。
6月24日(土)の記 男の裁縫 ブラジルにて
昨日の映画鑑賞中、からだが複数の変調の反応を示した。 調べてみると、いずれもストレスも原因になる由。 日本とのことで不愉快なことがあるのだが、カラダにまで正直に出たか。 こんなことで自分を犠牲にするのは、ばかばかしいというもの。
さて。 天気のよい土曜日。
ポルトガル語では lona というのだが、日本語ではなんというのだろう? 「帆布:はんぷ」というようだが「はんぷ」ではワード変換されないみたい。 英語で canvas、日本では古くズックといい、ズックはオランダ語起源と知る。 これでつくったウエストバッグを使用している。 日本で何人かの方にカッコイイなどとおっしゃっていただいていたが、カッコやオシャレではなく、これまで使っていたものが使用不能になり、あまり使い勝手もよくないこれを使い始めていた。
ブラジルでエコをウリにするメーカーのもので、トラックで使用していた帆布の再利用の由。 そもそも材料が傷モノのため、もともとの穴が拡がったり、解れがひどくなってきた。 処分しようかと思ったが、モッタイナイのこころが。 これまで少し縫って補修もしてみたが、わが家のありものの糸では細いとみた。
近くに毛糸屋があるのを思いだして、現物も持って行ってみた。 若い男子店員がアテンド。 これにあったカーキ色の、ジーンズなどに用いる糸と針を買う。 邦貨にして100yen もしない。 アパートの日向で、裁縫。 小学校の家庭科の授業を思い出しながら。
慣れてくると、悪くない。 昨日以来のムカツキも収まってくるではないか。 縫うというのは、旧石器時代いらいの、ひとの営み。 ラスコー展でも、2万年前の裁縫用具が展示してあったな。 エイゼンシュテインと中沢新一さんが、旧石器期以来の『狩猟と編み籠』が映画の基本であると看破している。
映画と男の裁縫で、すぐに想い出すのは『七人の侍』の智将・勘兵衛の古女房、七郎次の縫い物姿。 七郎次役は故・加東大介さん。 先週の土曜はそのご子息の著書『蕎麦打』を読んでいたっけ。
6月25日(日)の記 着生に着眼 ブラジルにて
午前中。 用事をつくって、これまで徒歩ではほとんど制覇していないわが家から西の住宅地域を歩いてみる。
住宅地でありながら、夕方からはトラヴェスチたちの「立ち入り」地域もあるのだからすごい。 経済的には中の上といったところで歩いてみてもヤバい感が少なく、ところどころに、日本語でいえば門番もいる。 この安全感から、立ちんぼも寄ってくるのかも。
街路樹の着生植物も見事。 これは菌類だが、見上げる位置にサッカーボール大のサルノコシカケの仲間も。 森林性紐サボテン、リプサリスの仲間も見事で、赤い実もつけている。
着生植物が南回帰線上の冬の陽を浴びる美しさ。 デジカメで数葉、撮っておく。
ガラス張りのテラスのあるパン屋があり、これは誰かと来てみたい。 浮かれ気分で坂を下ると、ドラッグ系とみられる若いのが二人、たむろしている。 そのあたりは塀が続き、死角となっているようだ。 緊張しながら、ダッシュできる体制で。
いやはや、油断はできないサンパウロ。
6月26日(月)の記 ガラナ効き過ぎ? ブラジルにて
血圧が高いと家庭医から言われている。 故・橋本梧郎先生ではないが、自分がやらなけがならない、自分にしかできない仕事がまだある、つもり。 降下剤の服用を始めて、減塩も少しは心がけてきたつもり。 高血圧予防に効果のあるという食材、ハーブティなどもいただいて。
思えばドぎついものを食べてきた。 学生時代、横浜で宿舎に泊まって発掘調査に従事していた頃。 宿舎は京浜東北線弘明寺駅近くの旅館。 よく一同で駅前の串カツ屋で飲んだもの。 串カツを浸す壺入りのソースがあった。 そのソースのイッキ飲みをして、座を沸かしたものだ。 店の女将からは「おソースさん」と呼ばれていたが、さぞ迷惑な客だったろう。
そんな僕が、日本から担いできたトンカツソース、お好み焼きソースもあるのに、自家製コロッケに何もかけないでいただくほど。 して、今日は一日断食をしているので、塩分摂取ゼロのはずだが、なぜか血圧が高い。 日本をめぐるストレス:高血圧のタネの事項はとりあえず封印したつもり。
はて。 あ、ガラナか? 日本の友人がガラナ漬けピンガをつくりたいというので、サンパウロの中央市場まで行ってアマゾンの秘薬ガラナの実を買ってきて、自分もガラナ酒をつくってみた。 これを週末に、そこそこいただいていたのだ。 ポルトガル語のウエブサイトは強制的に宣伝画面がつきまとうことがしばしばで、とりあえず日本語でガラナの効果を調べると、高血圧予防にもいい、と複数のウエブサイトにあった。
さて。 日本語のウエブサイトは、健康食品系の宣伝を兼ねているのが多く、「ガラナはウルグアイ原産」などと、マユツバどころではない、でたらめとしか思えない記載も目についた。
あらためてポ語で検索してみると… ガラナの服用を避けるべきケースとして、 ・心臓病 ・妊婦 ・高血圧 の三つが太字であげられているではないか!
わが家ではピンガ:ブラジリアン焼酎 にガラナを贅沢に、苦みが出るほど投入していた。 ああ、もったいない、秘酒。 ビターズとして、カクテルに注いで少しずついただくか。
まあ実際に血圧上昇がガラナ由来かどうか、自分の血圧の変化を見つめてみよう。
6月27日(火)の記 コムニダージとブルーミン ブラジルにて
『ブラジルのハラボジ』は少し、寝かしにかかる。 次なる編集の準備をしないと… と、すでに納品済みの『五月の狂詩曲 2016』に致命的、恥ずかしい欠陥があるのに今さら気づく。 うろたえながら、さっそくまずオリジナルのデータを訂正。 あらたなマスターづくりとそのチェック、今日中には終わらない、いやはや。
きょうも家族サービスを発企。 日本にもあるアウトバックステーキハウスで「ブルーミン・オニオン」と呼ばれる巨大タマネギのフライをつくってみようと思う。 レシピは、類似のものの見よう見まねで。
まずは大きめのタマネギを探さないと。 スーパー、八百屋を回ること6件。 まあ、そこそこのものをようやくゲット。
広範に歩くついでに、先週、びびって引き返したファヴェーラ:スラムを別方向から通ってみたいと発企。 こういうのを済ませないと、落ち着かないタチで。 ちなみにファヴェーラという呼称は貧困と犯罪がらみで、蔑視の意味合いも含みがちだ。 近年はコムニダージ:コミュニティと言い換えることがしばしば。 当事者が嫌がるなら、控えよう。
ファヴェ、いや、コムニダージの南端近くを通る道路を徒歩にて通過してみる。 この感覚。 成城の屋敷町を散歩していて、いきなり目前に縄文時代の集落が現われた感じというか。 メインとみられる道が見えるが、さすがにここはやめておこう。
福音派教会の営む識字教室の看板が印象に残る。 縁さえあれば、もっと知りたいものだ。
さて、ブルーミン。 どうなるかと思ったが、そこそこ悪くない出来となる。
6月28日(水)の記 ゼットで煙草を吸わないで ブラジルにて
電話をするのもいただくのも、あまり好きではない。 電話というものに、暴力性すら感じてしまう。 そもそも近年では、日中かかってくる電話の半分は客引き系。
そうも言っていられず、電話でなければの事態もある。 朝、日本、そしてサンパウロ市外に電話。 いやはや、今日かけておいてよかった。 後者の相手は明日からアフリカに行く予定とのこと、間一髪だった。
さあ、あれを見ておくか。 映画『ザ・ロスト・シティ・オブ・ゼット』。 大アマゾンが舞台の大作だが、すでにサンパウロでは一館、それも一日一回のみの上映となっている。 当地では水曜の映画料金が安いことがしばしば、しかも木曜にプログラムが変わるので、今日が最後かもしれない。 ブラジルは当日以外のプログラムの把握がむずかしいのだ。
この映画の主人公パーシー・フォーセットは実在のイギリスの軍人で探検家。 大アマゾンファン、冒険探検ファン、オカルトマニアの間で知る人ぞ知る存在だ。 西暦1906年、イギリス国軍の要請によりボリヴィアとブラジルの国境地帯、奥アマゾンの地図作成のための測量を行なう探検に出る。 現地で黄金に覆われた廃墟文明の存在を確信して探検を繰り返し、1925年の旅で消息を絶つ。 フォーセットは地底の超文明社会に到達したという説もあり、日本人でそれを確信する人がサンパウロのわが家までやってきて、僕のアマゾン関係の資料の提供を求められたこともある。 その後、その人物そのものが消息を断ってしまったようだが。
この映画は、「ほぼ」まじめだった。 家庭を顧みない夫と妻、そして父と息子の葛藤に身をつまされる。 カネや身分をハナにかけるような、いただけない輩を命がけのミッションのチームに加えると、どんなことになるかというくだりも、学ぶところが多い。 見ておいてよかった。
日本では原作本も出版されて、映画はブラッド・ピットが製作に参加している。 2016年に全米で公開されているのだが、意外なことに日本公開の予定はないようだ。 監督はジェームス・グレイ、主演はチャーリー・ハナムという、日本では知名度が高くはないだろうスタッフのせいだろうか。
われらがインディ・ジョーンズはこのフォーセットがモデルといわれていて、『地獄の黙示録』に通ずる見せ場もたっぷりだし、もったいない。
大日本帝国が、食い詰めた国民たちを出稼ぎ単純労働者として集団で、ブラジルにコーヒー農場の奴隷の代用として送出し始める西暦1908年、フォーセットはすでに2度目のアマゾン探検を行なっているのだ。 アメリカ人のハイラム・ビンガムのマチュピチュ発見は、1911年。
じぶんの座標をふりかえるいい機会をもらう映画だった。 ちなみのこの映画のアマゾンロケは、コロンビア領アマゾンで行なわれた由。 九州が舞台の映画を台湾でロケしたり、沖縄が舞台の映画をオーストラリアでロケしたりとは、地理・地霊に賭けて基本が違うというもの。
6月29日(木)の記 その成立を想う ブラジルにて
つくりなおした『五月の狂詩曲 2016』を、通しでチェックする作業。 西暦2016年のメイシネマ祭の記録だが、何度見聞き直しても、さほど飽きることがない。 ドキュメンタリー論として、そして時事問題の考察として貴重だと思う。
さてこれからまとめに入るつもりの『リオ フクシマ 2』の編集準備態勢に入る。 編集機やハードディスクの事故が心配。 今日もさっそくうろたえて、また血圧が上がる。 もう日本ではこのシステムを使っているかどうか。 かといって、「世界で最も厳しい基準」のもとで稼働しているとされる日本の原子力発電所の使用可能年数の、まだ半分の年月も使っていないのだが。
夕方、買い物兼散歩へ。 簡潔でわかりやすい言葉が思い浮かばないので、ここではブラジルのスラム街をポルトガル語のファヴェーラを用いることにする。 わが家の徒歩圏のファヴェーラの東側から、北端に至る。 思わぬファヴェーラ化した路地を発見。
そもそもこのあたりは河川があり、暗渠化する前、まだ空き地が多い時期にドブ川沿いにこのファヴェーラが形成されたのだろう。 これまで車窓から観察して、そして何か所かのファヴェーラを訪問してある程度、ファヴェーラの形成と変遷のイメージを僕なりに持っていた。
いくつかのパターンを想定していたのだが、この路地の存在は新たなパターンになりそうだ。 このファヴェーラの近くに古くから住むジャポネースの知人に今度会ったら、いくつか聞いてみよう。
6月30日(金)の記 愛竹家と歩く ブラジルにて
「愛竹家」と称するようになった橋口博幸さんがブラジルを再訪。 彼がサンパウロのフェヴェーラに奉仕活動に来ている時に知り合った。 以来、彼が故郷の鹿児島南洲神社で華燭の儀を挙げる時のビデオ撮影を仰せつかったり、彼が手伝っていた探検家の関野吉晴さんのアウトロー講座に招いていただいたり等々、面白いお付き合いをさせてもらっている。 その間に彼はタケのスペシャリストとして破竹の生長を遂げていた。
今日は徒歩でサンパウロを案内。 こちらにも興味のある分野の専門家と語り合い、フィールドをともにするのは、実に楽しい。 黄色い肌に緑色の縦線が入る竹をバンブー・ブラジレイロと呼ぶと教えてもらっただけでも、じゅうぶん面白い。
橋口さんをお連れして車での遠方へのミッションを予定していたが、先方の都合でキャンセルの見込みとなってしまった。 さあこれをどう好転させるか。
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