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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2017年の日記  (最終更新日 : 2017/12/04)
7月の日記 総集編 冬の蛍

7月の日記 総集編 冬の蛍 (2017/07/02) 7月1日(土)の記 ある安息日
ブラジルにて


ブラジルの公用語、ポルトガル語で土曜日はサバド:sabado、ヘブライ語の安息日シャバトに由来する。

今日は朝イチで愛竹家の橋口さんとふたたび合流、サンパウロの中心地へ。
四半世紀前にイエズス会士たちがこの町を起こした地で、アートのハシゴとカフェ。

昼からこちらの知人のご母堂の四十九日法要へ。
日本起源のさる新興宗教の会館にて。

この宗教については、祖国の時局問題からも気になっていた。
ネットで調べていくと、教祖が「幸ひにして吾が国のみは神が建てたる国である。」としっかり書いていた。
ブラジルで数百万人の信者がいるとされているようだが、このあたりはどう折り合いをつけているのだろう。
あまり深くかかわりたくないけど。


7月2日(日)の記 ALEGRIA ALEGRIA
ブラジルにて


今日も朝からいろいろあった。

夜、ミュージカルを見に行く。
家人の知人が出演しているとのことで、思い切って。
暗くなってから車で知らないところに行くのは、それなりの覚悟。

グーグルマップで調べておくが、提示するのは実際とはだいぶずれ、どうやら以前に劇場のあった場所のようだ。
疑ってかかってよかった。

いやはや、ぶじ到着。
タイトルは『ALEGRIA ALEGRIA』。
ブラジルの1960年代の流行曲、トロピカリズモと呼ばれたムーヴメントの概観、といったところか。
メドレーの合間に語りや寸劇が入る。
その時代を共有している人にはなつかしく、それなりに面白いようだ。
こちらはそもそもブラジル音楽にも不調法で、情けなし。

主演はZélia Duncan、中原仁さんの日本語表記だと、ゼリア・ドゥンカン。
中原さんによると、この人、音楽抜きで東京マラソンに参加、完走した由。

ブラジルで、近年見た舞台は…
想い出すのは日本から来た太鼓の『鼓童』ぐらいでわれながらお恥ずかしい。
日本では先回、水族館劇場の芝居を見たが、舞台設定の凄さは水族館劇場の方が圧倒的。
このミュージカルでは、当時のアーカイヴなどのイメージ映像を舞台正面上にほぼ流しっぱなしなのだが、返ってそれがうっとうしい。

こっちのドキュメンタリーしかりだが、基本的な文法が違うのかも。
帰路は少し迷うが、事故にも強盗にもあわずにぶじ帰還。


7月3日(月)の記 高原都市サンパウロ
ブラジルにて


さあ今日も一日断食。
『ブラジルのハラボジ』は主人公のお嬢さんの帰国待ち。
『五月の狂詩曲 2016』改訂版作成は、今日中に。
いよいよ『リオ フクシマ 2』の素材の取込みだ。
あまり愉快ではない記憶もよみがえるが、逃げるわけにもいかない。
誰から? 自分から、か。

午後、買い物兼市内踏査へ。
わが学兄、故・古城泰さんはカンボジア滞在中、地図上で気になるところがあると、その現地に出向いて踏査したという。
まあ僕の場合はサンパウロ市内の道路地図を見ていて、近所で気になるところがあった。
冊子の地図のあとで、グーグルマップでもあたっておく。
あれ、経路の断面図と標高が記されるようになった。
わが家の近くは標高800メートル前後。
坂が多く、今日のルートで50メートルほどの高度差を上り下りすることになる。
血圧の気になる向きには、格好の運動だ。

むむ、今日はたどり着けず。
地図の読み込みがいい加減だった。
深追いせず、次回にまた。

それにしても、なかなかの坂。
高原都市サンパウロ。
僕がサンパウロを高原だと意識したのは、ブラジル被爆者平和協会の森田隆さんの話が最初かもしれない。
日本で原爆症に苦しんだ森田さんは、サンパウロなら高原じゃから転地療養によいじゃろう、と日本の医者に言われたという。

Wikiで「高原」を調べてみる。
「台地のうち標高600 m以上のものを高原とすることもある。」とある。
蓼科高原は900~1800メートル、軽井沢は1000メートル前後。
那須高原の低いところは、標高300メートルとのこと。
われらがサンパウロもじゅうぶん高原といっていいだろう。

こういう用語は、勝手な主観ではなく、ある程度、意味合いを共有したいもの。
伊豆大島を「離島」とするなど、僕には抵抗がある。

高原都市サンパウロの市街地の坂道ではところどころアスファルトが剥がれたり及んでいなくて、かつての石畳が露出しているところがある。
昨朝は雨中の坂道を急いで、石畳の部分でスッテンコロリンしてしまった。
花崗岩だろうか、よく滑る。
大事に至らずによかった。


7月4日(火)の記 かきあげ学習
ブラジルにて


そもそも一般に、子供・若者は揚げ物を好むのだろうか。

先日、わが子が近くの日本食材店で「てんぷら」を買ってきた。
オカズの足しに、という。
ブラジルで「てんぷら」と呼んで売られているもののは、日本でいう「かき揚げ」であることが多い。

わが子が買ってきたのは、べっちょりとしたウドン粉のかたまりのなかに、ささやかにニンジン、および同定不能の野菜の千切りが入っているもの。
エビなどの海産物は気配もうかがえない。

いままで、いまひとつテンプラを自分でつくるのに自信がなかった。
冷蔵庫には、無農薬農園から搬入されるニンジンがひしめいている。
タマネギもあれば、お好み焼き用に水に戻した干しエビの残りもある。

かき揚げ、やってみるか。
帰宅したもう一人のわが子に、今晩の献立を聞かれる。
「かきあげ」というと、カキ:オイスターのフライと混同された。

「かきあげ」の「かき」は…
即答とはいかなかったが、「かきまぜる」の「かき」ととりあえずお茶を濁しておく。

ネットで見たレシピどうりだと、まるで衣の水分が足りない。
揚げてみると、うまく丸く扁平にならない…

が、意外に好評。
カリッと揚がっていて美味しい、の声。
たしかにこっちで売られているのはウドン粉のかたまりネットリだからなあ。
あ、シメジを入れ忘れてしまったよ。


7月5日(水)の記 サバを読めず
ブラジルにて


さあ『リオ フクシマ 2』、どうなることか。
映像をチェックしながら思いは様々。

夕食は、シメジご飯とサバの塩焼きとする。
日曜の路上市で一尾600グラムほどのサバを2尾購入。
体長約30センチ、こちらでは大ぶりのサバだ。

数週間前にも買ったのだが、家に帰ってサバいてみると、なんとお腹からパンパンの卵巣が現われた。
水っぽく、ぐちゃぐちゃになってしまったがもったいない。

ネットで食用可であることを確認、煮つけて美味しくいただいた。
こちらではサバは目方で買うので、たっぷりのハラコを捨ててしまうのは、つくづくもったいない。

さて今回もお腹パンパンのサバだったが、サバいてみると最初の一尾からはシラコが現われた。
サバのシラコも調べると食用可とのこと。
魚のシラコは同族に対する嫌悪か憐憫か、どうも食欲をそそらない。
卵巣よりさらに水っぽく、ぐちゃぐちゃだったこともあり、処分させていただく。
もう一尾もシラコだったらどうしようと思ったが、こっちはメスでした。

ネットでざらっと調べる限り、サバの雌雄のこれといった外見での区分け法は不明。

さて夕食。
鉄板でサバ二尾を焼くが、親子四人で余る。


7月6日(木)の記 闇をてらす足おと
ブラジルにて


未明に読了。
『闇をてらす足おと 岩下壮一と神山復生病院物語』重兼芳子著、春秋社。
西暦1986年発行の単行本。

近年にない、激しい感動、魂を揺さぶられる思い。
この本を読むきっかけが、当地ならではかも。

発刊から30年以上、古びた日本語の本がサンパウロのわが家の家族共有テーブルに置いてある。
家族の知人の他州に住む日系人が、さる親類にと貸してくれたという。
ご指名の人は少し読んでみたが、読みたくないということで、わが家まで戻ってきた次第。

破れかかった帯に曰く、
”不治の病”に呻吟するライ者の友となって己がいのちを捧げたまことの司祭、岩下壮一の面影を、盲目の老患者の証言を通して生き生きと描く感動の力作!

線引きをしたい箇所がいくつもあったが、さすがに借り物の本にはできない。
キリスト者とは、いやさ人はいかにあるべきかを教えていただく。

恥ずかしながらこの本のことも、著者のことも存じあげなかった。
著者はすでに亡くなられて、この本も絶版、文庫にもなっていないようだ。
僕にとっては生涯屈指の一冊だ。
次回、訪日時に古本ネットかお店まわりで探してみよう。

午後、愛竹家の橋口さんがサンパウロ市に戻る。
近郊の海岸山脈のロッジにマイカーでお連れする。
目的地に近づき、車窓を開けた時の空気の美味しいこと。


7月7日(金)の記 森と町
ブラジルにて


せっかくの海岸山脈の宿。
早朝から森を歩けば、さぞ発見も多かろう。
が、寒いし曇りだしとナマケ癖がでて、でれでれ…

昨晩は、冬の海岸山脈の夜のカエルの演奏も確認できたし。
朝食は、8時から。
その前に愛竹家の橋口さんと軽く森を歩く。

午前中、すでになじみの宿のスタッフに先導してもらって森歩き。
こちらの質問にひと通り答えが返ってきて面白い。
森は冬場で乾燥していて、ツノゼミ等をお披露目できないのが残念。

今回、ネットでブラジルのタケ事情を少し勉強した。
ブラジルは新大陸でもっともタケ(ネイティヴの!)の種類が多く、134種を数えるという。
全世界の10パーセントにおよぶ。

日本的目線だとタケの有効利用や竹害など、人間様の都合やカネもうけの視座になりがちだ。
が、ブラジルの生態系のなかで竹類が他の生物にいかに貢献しているかをささやかながら知ることができた。
タケに依存している鳥類だけで、わかっているだけで40種をくだらないようだ。

都市近郊のアグロツーリズムの参考に、帰路、近くのワイン街道に出てワイナリーに寄る。
サンパウロの夕方のラッシュにあたらないよう、未踏のルートで帰ってみる。
こちらはナビ等がなく、道路標識も照明も泣けてくるほど乏しく、イヤハヤであった。
今宵の橋口さんの所望の場所までぶじ送り届けて、わが家に帰還。


7月8日(土)の記 田楽云々
ブラジルにて


昨晩は交通量のハンパではない知らない夜道に迷い、そしてサンパウロの夜の繁華街の運転、しめて3時間。
なんだか疲れた。

今日はでれでれと書に親しませてもらう。

冷蔵庫に大根がかなり溜まり、冷凍庫にはブタのリブ肉の残りがある。
おでんふうにいってみるか。

ネットでレシピをいくつか当たる。
豚リブを炒めて、大根も炒めて…

日本から担いできたいただきものの昆布、そして亡義父が日本でもらってきたアゴ系の魚粉ダシを用いて。
ニンジンを花形にくり抜き、緑が欲しいのでケールの茎の部分を入れてみる。

スープの美味さは驚きの境地。
冬場のサンパウロ、早朝は摂氏10度を切る冷え込み。
おでんがよろしい。


7月9日(日)の記 面白がられる
ブラジルにて


「なにごとも完璧には行かない。むしろ、さまざまな手を使って発見したり、苦労して近づくことが面白いと思った方がいいだろう。古本および古本屋は、わかりにくい部分を残す。そのことを面白がられる人でないと、もともと古本には向いていないと言えるのだ。」
『古本道入門』岡崎武志著、中公文庫。
新刊の文庫で買った古本道入門を読み耽る。
「本棚が呼吸する店」という素敵な表現に出会う。

僕の大好きな東横線学芸大学駅最寄りの流浪堂さん、SUNNY BOY BOOKSさん、どちらもよく本棚が呼吸している。
入店した時の爽快感からすると、本棚が光合成している、といってもいいかもしれない。
SUNNY BOY BOOKSの高橋さんは「本棚をたがやす」という表現をするが、これもいい言葉だ。

流浪堂さんに至っては、さらにすごい。
お店で知人と待ち合わせをして、カフェを飲んで戻ってくると、もう書棚の貌が変わっているのだ。
新刊本の店以上の回転の速さである。

さて、冒頭の岡崎さんの言葉にわが意を得た。
最近、日本の神社仏閣周りのノリで、サンパウロのわが家から歩いていける教会やチャペルなどを回ってみている。
これがネットでは不明な部分もあって、実際に歩いてみるのだが、これが面白い。

ところで、ブラジルの古本屋。
本棚が呼吸どころか、こっちの呼吸器にわるそうな、よどんだ空気の店が多くて。
店主の表情も視線もつらいものがあり、入り控えることしばしば。
たがやかされているどころか、雑草を通り越して雑木が生えていて、作物は朽ち枯れている感じ。
毒蛇かヒアリにでもやられそうだ。
まあ、話のためにも今後は少し思い切って藪入りしてみるか。


7月10日(月)の記 路上/考現/博物
ブラジルにて


一日断食は、明日にするか。
今日の午後、あらたに日本から知人がブラジルにやってくる。
さっそく今夕、お会いすることになり、そわそわ。

ビデオ編集に立ち向かうのは控えて。
今年、水戸芸術館の藤森照信さんの展示を訪ねた際にミュージアムショップで買った本が目につく。
『路上観察学入門』
赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊 編、ちくま文庫。

赤瀬川「(前略)あれは、それを見る自分の目の新しさが面白いんだろうね。自分の目に感動しているんだと思う。(後略)」
南「(前略)なんか役に立たないものをおもしろがっているのでさ。芸術って言っちゃえば、そういうのの説明は楽なんだよね。(後略)」
藤森「(前略)僕らがおもしろいというのは、まず芸術作品じゃないんだな、あれは本能的に受けをねらっているから。受けることだけが芸術の実用性でしょう。(後略)」

大いにわが意を得る。
路上観察学の嚆矢とされる考現学と民俗学、そして博物学との親和性と比較も指摘されている。
いずれも僕が身を乗り出してきたジャンル。

思えば考現学と学祖・今和次郎について学生時代の僕に教えてくれたのも故・古城泰さんだった。

僕の最近のサンパウロ散歩、ファヴェーラ趣味、ナメクジ・粘菌・ツノゼミ嗜好と時差ぼけ写真等々がつながり、意味づけられた喜び。

僕は、ひとりではなかった。


7月11日(火)の記 不完全、ないし未完成の街。
ブラジルにて


思えば、けっこう飲んだな。
昨晩、サンパウロにぶじ到着した客人を夜の街に案内。

客人は今日の昼の長距離バスで地方に向かう。
午前中、サンパウロ発祥の地近辺を案内。

僕自身、見たかったこの写真展にと考えていた。
http://www.prefeitura.sp.gov.br/cidade/secretarias/cultura/casa_da_imagem/index.php?p=9746
『Cidade inacabada』、「未完成(ないし、不完全)の街」。
この写真にゾクゾクきた。
昨日付の拙日記につづった僕の嗜好、ここにあり。

が、会場の CASA DA IMAGEM では先日、訪ねた時と同じブラジルの広告写真マスターピース展が続いているではないか。
7月はじめから新たな展示のはずではなかったか。
受付にいる、脱力系の女性警備員に尋ねてみるが、要領をえず。

場所を間違えたか、まさか。
帰宅後、会場のウエブサイトを再チェックすると、2016年7月9日からで、昨年10月までだった。
「エクスポジション」ページのトップに昨年、終わった展示を告知するなんて。
まちがえる方もナニだが。

帰宅後、いただいたばかりの津島佑子コレクション『悲しみについて』(人文書院)を読む。


7月12日(水)の記 聴き、届ける
ブラジルにて


昨日、午後からずっと読んでいた津島佑子コレクション『悲しみについて』。
石原燃さんの解説「人の声、母の歌」が心に響く。
今朝、3回目を読む。

「あなたは言葉を無理に作り出そうとしなくていい。あなたがいま思いつく程度の言葉は、もう社会に溢れてる。そうじゃなくて聞き届けるの。聞いて、届ける。言葉にできない声を。そこから発せられる問いを。」
石原さんの解説から、以上をツイッターにあげておく。
自分のために。

午後は、車を出す。
平日の運転は、めったにしないけど。

こちらの親類のご縁で、陶芸家の鈴木章子先生を訪ねる。
著名な方だが、ご本人とお話しするのははじめて。
1929年生まれ。

撮りたくなる人だ。
僕が、聴いて、届けるべきかどうか。

連れ合いの実家に寄ってから帰る。
そこそこのラッシュ。
帰宅後、右足が少し痛む。
ふむ、アクセルを踏む方の足か。


7月13日(木)の記 身近なアフリカ
ブラジルにて


今日の読書メモ。
ツイッターにもあげておいた。
「(前略)もともと、『家畜が勝手に逃げ出したりしないように縛っておく綱』というのが『絆』の語源とされていますから。自由を拘束する鎖のことなのですね。」五木寛之・談。
『聖書と歎異抄』五木寛之 本田哲郎 著、東京書籍より。

さて。
わがアパートに、花がなくなって葉っぱばかりと化した鉢植えが二つある。
こちらではヴィオレッタと呼ばれている植物だ。
ブラジルではスミレもこの言葉で呼ばれているのだが、こっちのヴィオレッタは葉が肉厚で、多肉植物の観がある。

このヴィオレッタの鉢植えは値段も安く、花が終わって葉っぱばかりになった鉢がゴミ捨て場に置かれているのもよく見かける。
肉厚の葉は毛で覆われてホコリをかぶってよごれやすく、「観葉」とは逆のイメージになりがちだ。

ふたたび花を咲かせる方法はないものか。
そもそもこの植物はどこの原産で、日本にもあるのか、あるとしたら何と呼ばれているのか。

violetta で検索をすると女性の歌手が出てきたり、日本の菫(スミレって、こんな漢字だったのか)と同じものばかりだったりで、少し苦戦。

画像からそれらしいものを探して…
ようやく学名にたどり着く。
ほう、アフリカの山岳地帯が原産とな。
タンザニアのUSAMBARA山地とあるが、この地名はわが家の地図帳では見当たらない。

ラテン語の科名から日本語検索。
え、イワタバコ科。
日本では、セントポーリアと呼ばれているのか。

日本導入は1970年代になってからのようだ。
ケニア南部からタンザニア北部に分布。
名前は発見者のドイツ人、フォン・セントポールにちなむ。

日本語版Wikiの記載がいい。
渓谷沿いの断崖の湿った岩壁や、熱帯雨林の苔むした樹林に着生する、とある。
園芸品種は2-3万種におよぶ、というのはすご過ぎないか。

いまやブラジルで安く売られて、花が終わったら捨てられてしまうセントポーリアをアフリカ大陸でヨーロッパ人が採集したのは19世紀後半のこと。
この植物の、1世紀半前の原種たちの生息地を思い浮かべよう。
日本の酷暑には、セントポーリアの観想がよろしいかも。
Wikiによると原産地では森林伐採による林床の乾燥化が進み、セントポーリアの生息地は年々減少している由。

乾燥化の観想は、よけい暑苦しいですな。

冬のサンパウロで、とりあえず肉厚スミレちゃんの傷んだ葉を少し間引いておく。


7月14日(金)の記 カニカマの証明
ブラジルにて


日中は『リオ フクシマ 2』の映像編集作業をメインに。
今晩は家族の半数が外食および遅い帰宅となる。
残り一名と、徒歩圏の大衆シュラスカリア:ブラジリアンBBQ店へ。

この店は、サラダバーにカニカマバーが置いてある。
剥き身のカニカマがどさりと置かれているだけで、究極の部類だ。
申し訳程度にサウザンドアイランドドレッシング、といえばそれらしいが、マヨネーズとケチャップを混ぜたものが添えられている。

当地でもスシ・日本食ブームによりカニカマはそこそこの認知度をえて、ブラジル人は「カニ」と略して呼ぶことがしばしば。
食材として、決して安いものではない。

市場ではブラジル国産を含めて数種類のものを見かける。
アルゼンチンのパタゴニア産、東南アジアのタイ産。
ブラジル国産はなんと内陸の南マットグロッソ州での製造。
大湿原パンタナールのあるところで、原料は淡水産の大ナマズあたりだろうか。

カニカマは僕の日本での幼少時代には存在しなかった。
ルーツは簡単に探れるだろうと思って検索してみる。
Wikiに「この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です」とされている記事によると、その発明についてはなんと3説もあり。
いずれにしろ、1970年代のようだ。

さてついついがっぽりとってしまったこの店のカニカマは、市販のものより一ランク落ちる感じ。
よりグルタミン酸ナトリウムっぽいというか。

バルタン星人の形のカニカマを食べてみたい。
スペシウムドレッシングで。


7月15日(土)の記 あげもの時間
ブラジルにて


今日は、午後から子供のかつてのクラスメートが遊びに来るという。
わが子も先日、先方のところに招かれ、ごちそうになっている。
さて、今日は連れ合いが夕方まで外出だ。
愚生が腕をふるおう。

まずは、農場から届いたマンジョーカ芋のフライ。
少しおいて、2キロ半の鶏肉の唐揚げ。
下ごしらえは朝からしておいた。
滞在が夜までになることも想定して、夕ご飯も準備。

日本の被差別部落差別についての、現代のルポの一節を想い出す。
わが子供の誕生パーティに子供の友達を招いて、ごちそうを用意した。
しかし、誰も来なかった。
あそこは被差別部落だからという知らせがメンバーの親たちにまわったからだという。

胸がいたむ。
僕がどの立場にもなりうるからだろう。

自分の日本での小中学時代は、いじめられることをかわすため、いじめる側に回っていた。
猛省。


7月16日(日)の記 冬の冷やし中華
ブラジルにて


今日はこちらの一族の老刀自のお祝い。
昼食は、手巻き寿司。

準備のため連れ合いの実家に早く到着せねばならない。
そのため、わが家の近くの日曜市で刺身用の魚を求めることがかなわず。
実家で用意したのは、マグロの赤身とチリ産養殖サーモンという定番。

寿司飯作りの上手な老刀自は、今日は台所には立たず。
今日のメンバーで日本人一世は彼女と僕のみ。
僕が日本語で諸々の会話のお相手。

今日は合わせ酢をつくらず、実家にあったアメリカ製のできあいの寿司調味料を使うという。
寿司飯が白くなくなった。
海苔はあぶらずにそのまま、ちょっとしけった感じ。
老刀自と僕以外にそれを気にする人もおらず、ま、いいか。

残りものを少しもらって帰る。
帰宅後、タッパーを開けてみる。
色つき寿司飯はなく、キュウリ、カニカマ、アボガドのみ。

夕食は、かるく冷やし中華か。
食べたいものは、自分でつくる。
レタス、長ネギ、ニンジンスライス、キクラゲもそえて。

タレは自家製。
ざっと冷やし中華のタレのレシピをネットで見るが、だし類を使わないのが面白い。
以前、こちらでネットをたしなまない頃、中華だしを使ってみたことがあるが、かえって変な味になった。

麺は、東洋人街の中国人の店で買った中国製の乾麺。
ブラジルのインスタントラーメンの麺よりは、いける。

すり白ゴマに、ライムを絞って。
タレの残りは、中華風サラダにつかうか。


7月17日(月)の記 今日の散歩の収穫
ブラジルにて


さあ、月曜日。
一日断食をして…

手紙系を手掛けるか。
ブラジルと日本の、通信手段が電話か郵便に限られる方々に。

日本宛ては書留にするため、郵便局に。
ついでに買い物と散歩。
未踏の急坂地帯を降りてみる。

え!?
あたらしめの高層アパート群に交じって、日本の新宗教の殿堂があるではないか。
これは知らなかった、気付かなかった。
建物の正面上にはポルトガル語で教団名が掲げられているが、敷地は鉄柵で囲まれている。
なんの案内も掲げられていないから、通る人にはただ奇異な存在だろう。
ここでは、よけいなことを書くのは控えますが。
にしても、路上観察学でいう目の驚き、ここにあり。

坂を下りて、左折してからののぼりがすごい。
歩道部分は石段になっている。
山岳仏教の寺院巡りだ。

夕方の散歩では、最近開拓したファヴェーラショートカットコースに再挑戦。
のちにグーグルマップで照会すると、ときに場所名がとぼけた日本語訳で表記されたりするのがまた楽しい。


7月18日(火)の記 スープ日和
ブラジルにて


日中、大通りの温度計を見ると摂氏13度。
坂道をのぼって体があったまると、ちょうどいい感じ。
日かげ側を行くか、日なた側を行くか、迷いながらの道行きもまた楽し。

夜は子どもたちは外食の由。
さあ、なにをつくるか。
野菜カゴ、冷蔵庫、冷凍庫のブツの回転も考慮して。

カルドヴェルジかな。
ジャガイモを使ったポルトガルのスープ料理だが、ブラジルでもけっこうポピュラーだ。
日本語で検索してみると、ポルトガル料理として、けっこう日本語のレシピもあるではないか。

さてこれまで僕はジャガイモをミキサーで潰すことはなかったが、今日はミキサー使用でやってみる。
いやはや、クリーミーになるものだ。
日本のレシピでは小松菜やキャベツ代用というのがけっこうある。
が、こちらはそもそもケール:コウヴェ・マンテイガがさばききれないほどありまして。

あたたかく、おいしくいただく。


7月19日(水)の記 ブラジリアン・グラフィティ
ブラジルにて


安売りのトマトピューレをいくつか買ってある。
冷凍庫に、残りの挽き肉のかたまりがいくつかあったな。
こちらでいうボロネーゼ、スパゲティミートソースでも夜に作るか。

足りないのは、パセリ。
徒歩で15分ほど、坂道を下ったところにあるやや高級の青果マーケットに行ってみるか。

はじめてのルートで行ってみると…
なんと、僕の想定では考えられない地形と道のつくりが。
これには驚いた。

マーケットの駐車場到着後、デジカメは持っているが財布をウエストバッグごと忘れてきたことに気づいた。

帰路、路上駐車の汚れた車のフロントガラスに、おげれつ系の落書きを見つける。
またの分類は、「性器末」系。
日本でもありそうな、人類共通のアーカイックなものすら感じる。
デジカメで撮りたいが、近くに立ち止まって携帯電話をいじる女性が。

午後、別の用事を抱き合せてふたたび別ルートで。
気になる落書きのところへ。
あったあった、まだあった。

撮影にかかるが、犬連れの女性などにいかにも不審者として見られる。
被写体を見たら、さらにヒンシュクだろうな。

ブラジリアン・グラフィティ。
今度、写真展をする機会があったらこんなタイトルでいくか。


7月20日(木)の記 出聖前夜
ブラジルにて


明日未明より、日本からの客人をフマニタスにお連れする。
今日は日中、洗車と給油等を済ませておく。

洗車は、近所で見つけた見た目はヤバそうなところに思い切って頼んでみた。
そこで働く若者たちが、ヤバい感じがなかったので。
むこうの言った時間には仕上がらなかったが、ぴかぴかにしてもらった。
洗車も散髪も、当地ではギリの時間設定だと危ういな。

昼から、その客人をサンパウロ市内お好みコースで案内し、会食、喫茶。

さあ撮影機材も準備しないと。


7月21日(金)の記 地平線こんにちは
ブラジルにて


午前6時エンジン起動。
まずは客人の滞在先へ。
昨日、徒歩でルートを確認するとグーグルマップでは右折できるはずの道が、右折できないことがわかった。
大通りのさらに前方から右折してまわり込むことにした。
すると、今度は週に一度の路上市があり、進入不能!
若干の遅れとなる。

街道に出てしまえば、勝手知ったる道々。
久しぶりに地平線を見る。
途中のカフェスポットで、思わぬ知人と遭遇。

明るいうちに、フマニタスに到着。
佐々木神父もお元気そうで、なにより。
旧神父館は、だいぶ模様替え。

新神父館で久しぶりにNHKのニュースを見る。
ネット上で次々と伝わってくる安倍政権のでたらめぶりを、まるで報道しないのに驚くばかり。
合い間の地方の自然ネタは、よくやっているが。
腐った部分はばっさり切り捨てないと。
いずれにしろ、わが家では受信する気はないけど。


7月22日(土)の記 地平線に囲まれて
ブラジルにて


日本にいると、そしてブラジルでもサンパウロのような大都市に暮らしていると、まず地平線を意識することはない。

久しぶりに視野を超えた拡がりの地平線に囲まれて、言葉が追いつかない。

午前中はフマニタスのシスターたちに同行。
新しく近くにできた土地なし農民たちのキャンプの、乳幼児の健康診断。

かつての熱いものが湧きあがってくる感じ。

午後は佐々木神父ご自身の案内で、入植20年を迎える土地なし農民たちの入植地、休暇中の農学校、老人施設などを回る。

自分なりの、落とし前を考える。


7月23日(日)の記 南回帰線と地平線
ブラジルにて


朝のカフェ後、佐々木神父にフマニタス周りを軽くご案内いただく。
さあこの時間の出発なら、夜の早い時間にサンパウロに着ける、はず…

が、サンパウロ市まで100キロ足らずというあたりで、渋滞。
事故か工事か、と思いきや。
どうやら自然渋滞。

休暇シーズンの日曜午後とあって、サンパウロ市を脱出していた車がどっと戻ったためのようだ。

パーキングエリアででれでれして、渋滞減少を待つ手もある。
が、客人の宿泊先が夕食を準備して待機中の由。

サボらずに戻っても、客人を送り届けたのは21時近くになる。
往復の走行1122キロメートル也。


7月24日(月)の記 釣り落とした芝居
ブラジルにて


今日は客人を午後から案内。
メインは、ブラジルのお芝居。

イベントガイドで調べてみると…
サンパウロ市では、100を超えるだろう演劇の公演が週間に行なわれていることを知る。
しかし、月曜となると…みつけたのは、わずか2箇所。
うちひとつは、サンパウロの有力2新聞の特別枠の記事で紹介されている。
入場券のネット売りにアクセスしてみると、8月下旬まで完売!

もうひとつは、ダウンタウンの図書館での公演。
トルストイ原作で、邦訳「イワン・イリイチ(イリッチ)の死」。
黒澤明監督の『生きる』をほうふつさせるストーリーだが、ロシア文学好きの黒澤監督の発案に影響しているかもしれない。

ガイド冊子には19時開演の40分前に会場で入場券を配布、とある。
客人とはダウンタウンで月曜もオープンのサーカス展を見たり、ニーマイヤーの建築物を見たりしながら、事前に会場に寄ってみる。

会場の受付に聞くと、1時間前に入場券を配るとのこと。
けっこう評判、とのことだがどれぐらいの人の入りになるかはわからないという。

休暇シーズンで道行く人も少なめの月曜の夜の公演だし、しかもトルストイの芝居。
ま、ちょうど1時間前に来ればいいか…

客人と喫茶をしてから戻ると、目を疑うほどの人混み。
あわてて列に着くが、我々の後にもどんどんやってくる。
あと20人ぐらいかというところで、札止め…

それにしても、集まった人たちの客層にも驚いた。
映画系、ドキュメンタリー系で集まってくるのより、落ち着いていて、知的なのだ。

こういう人たちが静かな熱意とともに集う芝居を、そしてその雰囲気を味わってみたいものだ。


7月25日(火)の記 ダイはソーをかねる
ブラジルにて


今日は、他州に赴任中の日本人一家をサンパウロでご案内の予定。
到着時間、そしてホテルがわからず、ちょいとやきもき。
午前中に、わがブラジルのガラケーにメッセージが入っていたが、見事に文字化け。

昼過ぎにリベルダージ駅で合流することに。
先方はご夫妻と、10歳未満のお子さん二人。
子供たちに気を使おう。

昼は日本式ラーメンが食べたい由。
リベルダージではダイナミックなパフォーマンスの手打ち中華麺屋、そして海鮮たっぷりのチャイニーズちゃんぽんを出す店などがある。
が、お子さまたちが日本のラーメン!に固執。

わが子に教えてもらった、さほど混み合わず、値段もリーズナブルな店にご案内。
お子ちゃまたち、ご満悦。

ついで、オカズパン屋でカレーパンとメロンパンを購入、店のカフェスペースへ。
日本語書店、マクドナルドの日本庭園、カテドラル等を回って…

キメはダイソー・ブラジルだ。
下のお子さんがだれてきて、ホテルに戻りたがるが、道順だからと励まして。
日本の100円ショップ、ダイソーのブラジル本店。
値段は日本の数倍になるが、日本の品ぞろえとの微妙なズレが面白い。

家族それぞれの関心と攻防もなかなか。
あ、これ、オレが欲しい、という品も。

次回の訪日土産のサンプル、そしてフマニタスの佐々木神父宛てのグッズを購入。
一家は日本の郷土名を印刷した食品の小袋を発見、職場へのお土産にと大量に購入。

一同ご満悦でホテルに無事到着。


7月26日(水)の記 冬の蛍
ブラジルにて


家族の休暇が重なった「食」なみの貴重な日々。
近年は一年に一度あるかないかの家族そろっての旅行。

今日見つけたちいさな奇跡に導かれてのルートで。
海岸山脈の宿へ。

これまでに思い出す限り三回、友人知人を招いてその宿を訪ねている。
この世で二度と会えない人、二度と会いたくない人など、様々。

ネット予約の思わぬ落とし穴にはまりそうになるが、なんとかなる。

さあ、冬の夜のカエル相はいかに。
いやはや、鳴いている鳴いている。
愛竹家の友と先日、訪ねた時以上だ。
今宵は体感温度で12-3度ぐらいだろうか、そこそこ暖かいせいか。

シロート耳に、3種はいるかな。
おや、こんな真っ暗な沼地でフェイスブックの着信音が。
僕の右に誰かスマホを持っているのがいる?

それもいくらなんでもシュール、ホラーの世界。
森のなかに、フェイスブックの着信音のような鳴き声を発するカエルがいるとみてよさそうだ。

そして、飛行機かと見まがう発光物。
ブラジルのポピュラーな、ホタルと呼ばれる発光昆虫・ヒカリコメツキだ。
冬場も飛翔・発光とは。


7月27日(木)の記 なめくじ岩の秘密
ブラジルにて


山の宿の朝。
早朝7時、思い切ってひとりでそこそこ勝手を知る森の小径をあるいてみる。

主眼は…愛竹家の橋口さんとともにあるいた時に見つけた、巨岩をなめる軟体動物の匍匐跡。
案内人によれば、その日の早朝にナメクジが這ったのだろうとのこと。
まだ見ぬブラジルの森の在来種だろう。
あの時も森はそうとう乾き、気温は今日より低かった。

あの時と同じ岩にたどり着く。
しかし、匍匐跡は見当たらない。
巨岩は乾ききり、表面を覆うコケや地衣類も乾燥期モードだ。
夜露はそこそこおりているはずなのだが。

まあ、いずれにしろ確認できて、するべきことはした感じ。

午前中、宿のスタッフに案内してもらって、家族全員でかるく森歩き。

昼食後、ひとり森に入る。
選んだ小径は、かなりの登りだ。

すこし登って、地面に腰を下ろす。
移植ゴテで、周囲を掻いてみる。
表面から5センチぐらいは、乾いた枯葉の層。
その下に湿り気を帯びる固い表土が。
枯葉層には土壌生物も菌類も、ほとんど見当たらない。

このエコロッジには、女主が選んだ言葉を書いた立札があちこちに掲げられている。
「森は偉大な図書館であり、ページ(葉っぱ)一枚一枚が大きな意味を持つ」といった言葉が森に入り口にあった。

いま、地面にしゃがみ込んだ僕の手の届く範囲にある枯葉だけでも、膨大だ。
それぞれの意味に想いを馳せて、気が遠くなる。


7月28日(金)の記 サンド目の正直
ブラジルにて


今日は午後から、子供のかつてのクラスメートが接宅訪問の予定。
子供が自ら、たこ焼きをつくることに。

20代前半の若者たちが6人ほど集まりそうだ。
僕がサンドイッチ、連れ合いがおにぎりをつくって、たこ焼きをサポートする方針。

僕のサンドイッチは、姪っ子たちが集まった時に好評だった。
タマゴ、キュウリとカニカマのサラダ、ターキーのハムとチーズ、の3種。
それぞれのパンも、変えてみる。

たこ焼きは何巡、焼いても追い付かず、おにぎりも追加。
なぜかサンドイッチは、あまりはけず。

返品分を見ると、あっという間にかなりパンが乾燥している。
冬場の乾燥のせいか。
買ってきたパンが、イマイチだったのか。

反省しながら、のこったサンドをいただく。
パンもだいぶ余ったぞ。


7月29日(土)の記 奇跡のプロポリス
ブラジルにて


ジーンズ用の縫い針を買い、日本製ガムテープも使用して補修してきた帆布製のウエストバッグ。
金具の部分がいかれてしまった。
ペンチで修復を努めるが、歯が立たず。
他にもあったと思っていたウエストバッグのストックも見当たらない。

サンパウロで外出時にカード等で分厚い財布をポケットに入れて歩くのは、泥棒に手を突っ込んでくれと誇示しているようなもの。
あぶない。
隣り駅に向かう途中の路上に店を出している中国人のおじさんのところに買いに行く。
昨年、おじさんのところで買ったのはひと月足らずでジッパー部のスライダーが割れちゃったけど。

奥歯のあたりに痛み。
咀嚼に差し障るほど。
先日、おそらくストレスのために痛んだと思っていた部分だ。
液体のプロポリスが歯痛にいいとは聞いていた。
フマニタスの佐々木神父からも聞いていたが、これは製造者代表の言だから割り引くとしても。

ネットで調べると、即、痛みが解消とある。
ほんとだろうか。
サンパウロのわが家を調べてみると、フマニタス産プロポリスは乞われて他人様に差し上げてしまうことが多く、ストックがない。
家人が、これは高品質のものとの添え言葉つきで知人から最近、もらったものがあった。
さっそく患部に垂らしてみる。
繰り返すが、なんの変化もない感じ。

いやはやどうしよう。
日本でいただいた、賞味期限は福島原発事故の前年までというブラジル産プロポリスがあった。
ダメモトで開封、垂らしてみる。
あ。
瞬時に痛みが解消。

先の日系の生産者の高品質をうたう真新しいのと、なにが違うのだろう?


7月30日(日)の記 マラソン待ち
ブラジルにて


朝、外出しようとすると、わが家と団地全体の出入り用の鍵が見当たらない。
失くしたとなると、面倒だ。
僕の手を離れた思わぬハプニングで、思わぬところにあった。

出先で、ブラジル限定使用の帽子を置いてきてしまう。
(これは夕方、家人が回収してくれた。)

市内の実家に行った連れ合いを、車で迎えに行く。
今日はマラソン大会で、実家の前の大通りは11時まで閉鎖されるので、11時半ぐらいに、と連絡あり。

そのつもりで出かけるが…
マラソン連鎖だろう、付近の道は異常な渋滞。
11時半過ぎにようやく大通りの入り口にたどり着くと、まだ閉鎖されているのではないか!
道を塞ぐ交通局の女性スタッフに聞くと、清掃をしているので、あと5-10分、とのこと。
駐停車禁止ゾーンに止めさせてもらって、封印が解けるのを待つ。
このあたりは、ただでさえ一方通行のため、ひとつ通せんぼになると、路頭に迷うことになる。

12時過ぎ、ようやく開封。
が、実家前の路上駐車をすべき車線はいまだ閉鎖されていて、あたりを一巡。
お昼に実家で刺身でも、と今朝買ってきたブリを持参したが、この遅れは想定外です。

マラソンの余波は、年に数回ぐらい被っている。
平日、まず車で市内に出ない僕あたりには週日にやってもらいたいが、これはごく少数の意見だろうな。


7月31日(月)の記 太宰 三島 松井
ブラジルにて


今晩には日本への帰路につく客人を、在ブラジルの小説家・松井太郎さんのところに案内することになった。
松井さんは今年の10月で満100歳になられる。
どうされているか、案じていた。
先週、ご家族に連絡をして無事と知り、ひとまず安心していた。

お宅の2階に居室のある松井さんは、家族に付き添われて、ゆっくりと壁を伝わりながらだが、自力で降りていらした。
片目の視力を失ない、もう片方もかなり弱っているようだ。
入れ歯をはずされているせいもあってか、おっしゃることはかなり聞き取りにくい。
記憶にも波があるようで、僕をオカムラと認識していただいたのもいっとき経ってからだった。

文学談義を持ちかけてみる。
太宰治の作品に親しんだかどうか。
松井さんは短編小説がお好きと以前も語っていたが、太宰や三島の短編を読んだというようなことをおっしゃっているのが聞き取れた。

それから、三島の自衛隊に乗り込んでの切腹という特異な自死の話をされた。
太宰が心中死という文士としてはよりそれらしい自死をしたとされていることからの連想かもしれない。
そして、三島が太宰の作品を嫌いだと公言していたというようなことをおっしゃる。

客人のスケジュールと松井さんのお疲れを考慮して、長居はせずに知る礼する。

帰って調べてみて驚いた。
ネットで検索してみると、三島は太宰の死の前年の1947年、太宰を囲む酒席を訪れて、本人に太宰さんの作品は嫌いだと言い放ち、嫌いなら来なきゃいいと太宰は返したというエピソードが見つかった。
https://www.news-postseven.com/archives/20160114_376400.html

松井さんはその10年以上前にブラジルに移住しているのだが、このエピソードをご存じで披露してくれたのだ。

初めてお会いしたころから松井さんは自分には文学談義のできる友人もいないとおっしゃっていた。
ましてや身心が衰え、読み書きも不自由になられてからは、こうしたアウトプットを他者にされることもまれになっていることだろう。
表現者として、人としてそれはどれほどつらいことだろう。

松井さんと外をつなぐサニワとして、もっとできる、すべきことがあるのではと反省。


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