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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2017年の日記  (最終更新日 : 2018/01/02)
9月の日記 総集編 海岸山脈の野火

9月の日記 総集編 海岸山脈の野火 (2017/09/03) 9月1日(金)の記 海岸山脈の野火
ブラジルにて


昨日は拙作『ばら ばら の ゆめ』の主人公、木村浩介さんの一周忌だった。
木村さんを僕に紹介してくれた西荻窪APARECIDAのWillieさんが木村さんの代表曲『DUAS ROSAS』をYouTube にアップされた。
Willieさんから新たな発見を教えられて、僕の方には戦慄の驚きだった。

今日は午前中、隣の町まで行く予定。
と、電話が。
在ブラジルの日本人小説家、松井太郎さんのお孫さんからだ。
松井さんが今朝、亡くなられたという。
埋葬は海岸山脈にある町モジ・ダス・クルーゼスの墓地を予定しているが、日時は未定とのこと。

松井さんは今年の10月に満100歳の誕生を迎えられるので、お祝いに何を贈ろうかと考えていたところだった。
先月末に、日本の文人ゆかりの人をお連れしたのが最後となってしまった。

松井さんは日系社会の人たちとお付き合いがないとおっしゃっていた。
もしもの時は当地の日本語新聞社、そしてSNS、さらにSNSにアクセスしない日本の松井さん縁の人にお伝えすることが僕のミッションと心得ていた。
サンパウロにいたおかげで、それはかなえることができた。

隣り町で、埋葬は本日16時30分という連絡をいただく。
まずはいったんサンパウロに戻る。

墓地を調べてみるが、モジの街からだいぶ奥に入ったところのようだ。
日本にたとえれば、距離的に東京から房総半島の山の方まで車で行くという感じだろうか。
これまでもモジの街では何度か道に迷い、カーナビ等のない身には、なかなか。
相手がモジ:文字なだけに、文盲のつらさである。

案の定、迷うが、見つけたガソリンポストで教えてもらう。
モジの街にはいくつか墓地があるようで、ところどころの標識を頼りにこんなに先にまだ墓地があるのかというほど町はずれに向かう。

めざすオリヴェイラス墓地の遠景に、息を呑んだ。
隣接する海岸山脈の森から、いくつもの白煙が立ち上っている。
野火だ。

大岡昇平さんの『野火』の単行本版のカバー画を想い出した。
『野火』には文庫版で親しんでいたのだが、古本遊戯流浪堂さんで単行本版を目にして、その時も息を呑んでいる。
巨匠・小磯良平画伯による彩色された線画でフィリピンの村が描かれていた。
野火そのものは描かれていなかったと記憶する。
ここのところ、日本からの持参物が多くてこの本は日本の実家に置いたままだ。

松井さんの文体とご自身で描かれる絵の武骨さが、小磯画伯の『野火』の粗いタッチを想い起させたのだろう。
あっ!
小磯良平も松井太郎も、ともに神戸市出身ではなかったか。
僕のサンパウロの知人のご母堂が、日本で小磯画伯に絵を習っていたというエピソードも思い出す。

葬儀は僧侶や司祭の立会いなしに行なわれた。
読経などのBGMがないせいで、海岸山脈の野鳥のさえずりがよく響く。

墓穴にお棺がおろされる時、参列していた日系の女性がポルトガル語で「主の祈りを唱えましょう」と叫んだ。
「主の祈り」と「アヴェ・マリア」が会葬者の一部からポルトとガル語で唱えられ、少し離れていた僕も唱和すると、近くの日系老人がぎょっとした顔でこちらを振り返った。

帰路は松井さんを偲んで海岸山脈をぐるりとまわるルートにするか。
が、見事に迷う。
暗闇のなか、こちらめがけて疾走してくる対向車どもに戦慄を覚え、ふと松井さんが僕を呼ばうのを感じる。

松井さん、いま僕がいったら、未編集の松井さんのインタビュー映像、誰もまとめる人がいませんよ。
と話しかける。

時間はかかったが無事帰宅、まずは献杯。


9月2日(土)の記 トリの編集
ブラジルにて


さあ今日は拙宅でゆっくりさせてもらおう。
字面みっちりの本もパスさせていただくか。
完読していない図録系の書籍を引っ張り出す。

目黒区美術館で購入した『板倉鼎 その芸術と生涯』板倉弘子編著。
目黒では展示されていなかった作品の画像もあり、板倉鼎の復習に格好。

2年前に下北沢のダーウィンルームさんでの展示会の際に購入した鈴木まもるさんの『世界の鳥の巣の本』(岩崎書店)。
まことに学びと気づきの多い展示だった。
ヒトは編みものや縫いもの、そして家屋の製作をもトリから学んだのだろうと推察するに至る。
それにしても、あっぱれなお仕事だ。
展示会の際に鈴木まもるさんと親しくお話をさせていただいた。

以来、ブラジルで野鳥の巣に気をつけるようにしているのだが…
マットグロッソ州の溝部さんのお宅でのアナホリフクロウ、そして海岸山脈の宿の敷地のタケ株に営まれたjurutiと呼ばれるハト科の鳥の巣ぐらいしか思い出せない。
ますます鈴木さんのフィールドワークのすごさが察せられるというもの。

夕食は家族のリクエストにより、メンチカツを作成。


9月3日(日)の記 日曜に狩る
ブラジルにて


日曜の朝。
わけあって娘と二人、人通りのない裏道をあるく。
スーパーマーケットの裏口の排水口のあたり。

小鳥が、自分と同じぐらいの大きさのものを加えて重たげに飛び立った。
娘は声をあげる。

加えていたのは、小型のネズミだろう。
サンパウロの街なかで死んだネズミはしばしば見かけるが、トリは生きたネズミをハントしたのだろう。

クチバシの長いトリで体長10センチ程度、ネズミは尻尾を入れるとトリより大きかった感あり。
娘にはトリが生きた動物をハントしただろうこと、巣に持ち帰ってヒナたちに与えるのだろうなどとあまり確証のない解説をする。
ついでに昨日、読んだトリの巣の話も。

さて、われながら情けないほどトリの名前を知らない。
古手のウルトラ怪獣なら、その数十倍は同定できるのだが。

クチバシの長い小鳥…
日本なら、カワセミか。
日本語の「カワセミ」で検索すると、南北アメリカ大陸が生息地域から外れているではないか。
カワセミをポルトガル語で martim pescador と呼んだかな、と想い出す。
「漁師のマルティン」、面白い名前なので憶えている。

ポルトガル語で調べてみると「漁師のマルティン」はカワセミ科のトリで、カワセミ科は南北アメリカに少ないが5種ほど分布するという。
うーむ。

名前の由来はじめ、いろいろ気になるが、ますます作業と家事がおろそかになる。
とりあえずこの辺にしておこう。


9月4日(月)の記 リオのよもやま
ブラジルにて


兄弟姉妹の皆さんに告白します。
「有象無象」という語は「十人十色」と同じような意味かと思っていたら、だいぶ意味合いが違った。

現在編集中の『リオ フクシマ 2』だが、一期一会で登場する人物たちが面白い。
それぞれの発言をきちんと翻訳して字幕付けしてみると、想像以上に面白いどころか、どっしりと重い。

スペイン語パートの翻訳をどうしようかという課題があった。
急きょ今晩、親類筋のアルヘンチーナ(アルゼンチン人女性)に頼んで、基本線をクリアーできた。

そこそこ自分をノセることはできてきた。
あとは時間との闘い、ないし対話だな。


9月5日(火)の記 サンパウロのバンカーズ
ブラジルにて


ビデオ編集作業の合間に。

ブラジルで口座を持っている銀行の、近所にある支店へ。
もとは南米銀行という日系人がブラジルで興した銀行なのだが、すでに何度も身売りしている。
現在はF1やサッカーのスポンサーとして知られるヨーロッパ系の銀行となった。
自画自賛が鼻につくほどのブラジル日系人だが、自分たちの銀行ひとつ保持できずじまいである。

さて日本と違って、ブラジルでは口座を持っていると手数料を取られる。
四半世紀ぐらい前までのブラジルは小切手社会だった。
経済が不安定で盗難が多く、まだカードが浸透していなかった頃。
日本のテレビ取材で高額の小切手を切ることもあり、手数料のはる特別口座に切り替えた。

以降、こっちの経済的は下降線をたどるばかりで、いまや超低値安定といったところか。
今日では小売店でもカードの使用は当たり前になり、露店でもカードを受付けるようになった。
かえって小切手を受付けない店も少なくない。
こちらも小切手を一枚も切らない月の方がずっと多くなった。

そのため、銀行の手数料もばかにならないので、こちらの銀行手続きは何かとめんどくさいのだが、思い切ってより手数料の安い口座への切り替えの相談に行く。
ブラジルの銀行には一つの支店に何人もの直訳すると「支配人」がいる。
日本の銀行員と異なり、ゆったりえらそうにしている支配人たちの机の前で、ひたすら順番待ち。

さて、こっちの番に。
「毎月の収入はどれぐらいで?」
予期せぬ質問に、自分の頭のなかできちんと円やドルに換算せずにブラジル通貨建てで適当な金額を言う。
よく考えてみると、ブラジルでもかなり厳しい金額。

しかしそのおかげか、アテンドした支配人からしつこい投資への勧誘などを受けずに済んだ感じ。
なおかつ彼がすすめてきたのは、毎月、少額の掛け金をして、宝くじ的に懸賞金が当たるというプラン。
貧乏人相手に、こういうのがあるのか。
まあ、おかげさまで少しは手数料を節約できるようになったぞ。

もっと早くやっておけばよかった。


9月6日(水)の記 ポケットモンキーズGO
ブラジルにて


サンパウロ近郊にお住まいの方を訪問することに。

午前9時が都合がよろしいとのこと。
大サンパウロ圏の朝のラッシュ事情を考えると、なかなか合わせるのが微妙な時間。
遅れるより早めがいい。
早めに着いた場合は近くにあったパダリア(パン屋)でカフェでもすするか。

早めに着くが、パダリアの駐車場はいっぱい。
訪問先のお宅で、呼び鈴を押す前に何度か深呼吸。
時間とこちらの身心を調整。

帰り際、そのお宅のスタッフが目前にサルがいるという。
こちらではサグィと呼ばれる南米特有の小型のサルだ。
動物学ではマーモセットと呼ばれ、その大きさからポケットモンキーとも呼ばれている。
集団行動をするのだが、日中、このお宅の庭木にやってくるとのこと。
さすがにサンパウロ市内の街なかでは野生のサグィがいるというのは聞かない。

ブラジルと関わってからのドキュメンタリー屋生活は30年を超える。
が、ポケットモンキーが拙作に登場したのは一作だけかも。
もう一作ぐらいは…

このポケットモンキーのうち、レア度や「絵になる度」から最も知られるのはリオデジャネイロ州に生息する絶滅の危機にあるゴールデンライオンタマリン。
かつてアントニオ猪木がブラジルでこれの保護活動の講演を行なうというので、聞きにいったことがある。
なぜ?というような疑問を持つともう着いていけなかった。
アントニオ猪木議員はいまや北朝鮮に向かうとか。

ブラジルのポケットモンキーと北朝鮮を結ぶカギは何か。


9月7日(木)の記 「放送考古学」をよむ
ブラジルにて


今日のブラジルは独立記念の祝日。
午後は書に親しませていただく。

愛竹家・橋口博幸さんが日本から担いできてくれた『灘渡る古層の響き 平島放送速記録を読む』文:稲垣尚友 写真:大島洋(みずのわ出版)を読み耽る。
この重さと値段の大著を、よくぞブラジルまで担いできてくれた。

著者の稲垣尚友さんは、橋口さんが愛してやまない人。
トカラ列島の平島に長年暮らして、1974年の島内放送の速記録を解題したのが本書。
読みどころたっぷり。
稲垣さんが指摘する「うつる」という言葉の使用法に蒙を啓かれた。
平島では電話の声などがよく聞こえることを「よくうつる」という由。

「うつる」は、相手の姿がありありと網膜に現れ、「はっきりと相手の心が理解できる」と同義となる。
(前提書より)


僕は、相手をきちんとレンズでうつして、それを上映の場できちんとうつしているだろうか。
そして、僕がとらえたつもりの相手の心を、ささやかなりとも視聴者にうつすことができているのだろうか。
ライフワークの宿題だ。

この本については、思いが尽きない。
もうひとつ、写真がすばらしいことを付け加えておきたい。
人いきれ、草いきれが伝わってくるのだ。
ポートレート写真では、被写体のまなざしに思わず身をかわしそうになった。
我が身のやましさ故だろうが、他にもこんな思いをしたことがあっただろうか。


9月8日(金)の記 墓地と犬生
ブラジルにて


午後から、連れ合いの実家の墓地をお参り。
奇しくも、松井太郎さんの埋葬から一週間。
こちらでめったに墓参をすることはないのだが、続く時は続くものだ。

今日の墓地は、サンパウロ市内の高台にある。
松井さんの墓所と同様、庭園式でおどろおどろ感が乏しいのがよろしい。
海岸山脈の墓地は野火の白煙が立ち並んでいたが、今日の墓地は谷底からいくつも高層アパートが生えている。

夜、気になっていたアート展をハシゴ。
まずはエリオット・アーウィットの写真展。
英訳すると「LIFE OF DOG」、「犬の人生」いやさ「犬生」か。
「犬の人生」というのはシャレとしては面白いが訳語としては芸はないなと思って検索してみると…
ずばり日本の著名な小説家が訳者として名をあげている同名の書物があり、驚いた。

さて昨今ではSNSでやたらに犬猫の写真が流されてくる。
年賀状に印刷された知らない家族の写真みたいなもので、興味のない人には、ほんと、どーでもいい。
それどころか、不愉快になる人も少なくはないのではないか。
こちらで暮らしていると、致死率100パーセントの狂犬病の危険がある。
そして路上に放置されたイヌのクソの数が半端ではない。
使用人が嫌そうに散歩させている金持ちのイヌの恫喝とクソ、そして死病の伝染病と隣り合わせの日常だ。

そんなことをすっ飛ばすすばらしい写真群だ。
世界各地の風景のなかに、イヌが収まっている。
日本で撮影されているものも3点。
1977年に撮影された京都の店屋のおばちゃんとイヌの写真、奇跡のひとコマだ。
アーウィットのインタビュー映像も流されているが、エラそうではなく、そこいらのおじちゃん然としているのがいい。
「言語の通じないところでは、言語以外でコミュニケーションを、」なるほど。

その足でジャパンハウスの展示へ。
これが10日までなので、夜に出向いた次第。
下の階は隈研吾展。
重厚感のないひらひらした模型がいくつか並べられている。
日本政府のメッセージ発信機関だそうだが、ポルトガル語と英語の解説しか見当たらない。

階上には竹尾の紙の展示。
これには日本語の解説があるが、日本語でも読みこなすのが容易ではない文章だ。
だが、この解説が面白かった。
金魚すくいの紙にまで触れられ、古層の記憶がよみがえる。

いくらでも上げ足を取りたくなる安倍政権と電通が国民の血税を投資したジャパンハウスであるが、夜10時までオープンというのはよろしいな。
場内アナウンスはポルトガル語、英語、日本語で流れるのだが、日本語はいかにもガイジンとわかるアクセント。
この調子で日本の官僚が「正しい日本文化を伝える場」などとのたまうのだから、総理大臣同様、日本語をこれ以上、もてあそぶのはやめていただきたい。


9月9日(土)の記 路上生活者なみに
ブラジルにて


恥ずかしながら、先週になって初めて連れ合いの親類から「おふる」となったスマホの払い下げをもらった。
わからないことばかり。
『死んだら驚いた!!』という丹波哲郎さんの映画の題名を思い出す。
死んでみたら、なかなか勝手がわからず、こんな感じかなと夢想する。

わがサンパウロでは路上暮らしの若者も昼間から寝っころがってスマホに興じ、物乞いのおばちゃんもスマホをいじっている。
ようやく、彼らの仲間入りができそうだ。

さて、スマホで驚いたこと。
スマホにもフェイスブックをインストゥールしてみた。
すると、長年使ってきたノートブックPCでは現れなかったメッセージ群がいくつも出てくるではないか。
友だち申請とともに送られてきたメッセージが多く、ざっと2年前にさかのぼるものもある。
あ、もっと古いのも…
先方からのブラジル訪問と面会希望のメッセージもあり、申し訳ないことになってしまった。

さっそく10名ほどの方にお詫びのメッセージを「ノートパソコンで」送信。
何人かの方からは、瞬時に返しのメッセージをいただく。

この調子じゃ、まだまだ仲間入りとは言えないかも。


9月10日(日)の記 ドロガニタマ
ブラジルにて


今日は早朝から家族4人で外出。
よって、日曜の路上市での魚介類の買い出しはお預け。

さあ夕食をどうするか。
冷凍庫がぎゅーぎゅーである。
カニの剥き身があったので、カニ玉をこさえよう。

当地のマングローブ林の泥ガニだ。
カニ玉にしてもきちんとカニの風味と歯応えがあり、よろしい。
やはりカニカマとはだいぶ違う。

日本では、泥ガニなんて…
おっと、沖縄のマングローブに生息していたな。
ガザミといったっけ。

かつて沖縄に行った時、ブラジルの知人にぜひ会われたしと紹介された人に連絡をしてみた。


9月11日(月)の記 手書きから手抜きへ
ブラジルにて


四連休でたるんであせって、映像編集を再開。
次回の出ブラジルが三週間後に迫り、日本での段取りもすすめたり戻ったりしながら。

今回も、東横線学芸大学駅最寄りの古本遊戯流浪堂さんに僕の上映講座を主催していただけることになった。
計3回の献立は決定。
さあ今回のチラシをどうするか。
日本到着の翌日のスタートとなり、経費削減も図って先回同様、僕の手づくりとすることとなった。

手書きというのはそこそこの手間がかかる。
それはさておき、われながら自分の筆跡があずましくない。
ビデオ編集も追い込み中だし…

そもそも先回、日本で使用したマス目がコピーに写らない方眼用紙をこちらに持ち帰ったつもりなのだが、見つからない。


9月12日(火)の記 オービスってなによ
ブラジルにて


午後、他州から来た客人をクルマで連れ合いの実家にお連れするミッション。
迎えに行く場所は、僕は行ったことのない場所。

夫婦でそれぞれケータイのカーナビソフトを起動してみる。
日本語にも対応している僕の方の画面に何度か「オービスあり」と表示される。
オービスってなんだろう?

サービスエリアでもなさそうだし。
なんだかチェーン店の名前っぽい。
オーゼキというスーパーのチェーン店がわが故郷目黒にも進出してきたっけ。
わざわざ表示されるのだから、当局による違反監視装置ぐらいだろう、ということにしておく。

帰宅後に調べてみる。
やはり速度違反取締装置のことだった。
そもそも日本では運転をしたことがないといってよく、この語を知らなかった。
語源はラテン語の眼のこととあるが、ほんとかな。

オービスのスペルは ORBIS、ラテン語系のポルトガル語で眼は OLHO。
うーむ。

帰りも客人を次に行かれる場所まで車でお連れすることになり、またしても生まれて初めてのルートを運転。
乗せているのは宗教者なので、少しは心強いが。

帰宅後は疲れを感じるが、家族の夕食をこさえる。
食後は読書もそこそこに寝入る。


9月13日(水)の記 3種のボール
ブラジルにて


さあ実際の日付から三日経ってしまい、さてこの日はなにを書こうかと考える。
うーん、またビデオ編集のことか…
シロアリの結婚飛行のことかな。

羽シロアリキャッチにボールを使ったことでもかくか。
ただ、ボールと書いてもまぎらわしいのでは。

と、調べてみる。
「ボール」に僕の期待している、野菜を洗ったりタマゴをといたりする台所用品のボールが出てこないではないか。
あれを他になんと呼んだらいいのだろう?

あ、ボール紙は出てくるのに。

わかったこと。
ボールではなく、ボウルでした。

野球の球などは ball、
ボール紙は board から、
してお目当ての容器は bowl とな。

では今日はこの辺で見送って、フォアボール。


9月14日(木)の記 沈黙の春@サンパウロ
ブラジルにて


サンパウロに暮らして覚え始めるポルトガル語のひとつが クッピン:シロアリだろう。
このクッピン、雨季のはじまる直前に結婚飛行を行なうのだ。
巣から飛び出した羽シロアリが飛翔して交尾を行ない、受精を果たしたメスは地上で羽を落として然るべきところに潜り込み、ひたすら産卵に励むことになる。

これが屋内に入り込まれたらたまらない。
築数10年となったわが高層アパートもクッピンの被害が相次ぎ、生物学者を招いてのレクチャーや各アパートの点検も行われている。

電灯に誘われて羽シロアリは侵入してくるのだが、彼らが飛び交う電灯付近に水をはってアルミホイルを入れたボウルをかざすと、面白いぐらいに水面に落下してくる。

さてサンパウロ暮らしをはじめて30年近く。
このクッピンの結婚飛行は、あるひと晩に一気に大量に、がふつうだった。
近年は、これがちびちびなのだ。
昨晩は3匹撃墜、今宵は6匹。

国花イペーの咲き具合も乱れている感じ。
はてさて。


9月15日(金)の記 灯火管制@サンパウロ
ブラジルにて


暦の上の春を待たずして、サンパウロ市の日中は摂氏30度を超える日々。
今宵も夕方のシロアリの結婚飛行が心配。

が、夕方になるとだいぶ気温が下がるのでアパートの窓を全部閉めきってもさほど苦にはならない。
敵も灯りを求めて10階以上の高層アパートにまでやってくるのだから、電気も極力、消すようにする。

同じ敷地内の別棟には20年近く暮らしたので、屋内にアリ、クモ類が住みつき、羽シロアリが潜入しても適当にコントロールしてくれていたことだろう。
今回はリフォームしたてのため、屋内にこうした天敵が期待できない。

夜のとばりが街を覆い尽くしてから、おっかなびっくり窓を開ける。
すでに敵の飛行タイムは終了のようで、本日は一匹の侵入も確認せずにすんだ。


9月16日(土)の記 ヴィラ・マダレーナのハシゴ
ブラジルにて


今日はいろいろ盛りだくさん。
通常モードだと土曜日は映像編集はお休みだが、ちと追い込まれているので作業を少しでも進める。

いよいよインドの、肩書きはいろいろあるが、環境哲学者のヴァンダナ・シヴァさんのインタビューに突入せんとする。
おりしも日本の安倍首相がインド外遊から帰国したらしい。

シヴァさんのわかりやすくかつ重い言葉と、安倍首相の言葉そのものを愚弄する言葉の見事なコントラスト。
2012年のシヴァさんの発言は、こうした人物の登場をも見抜いていた感あり。

さて今日が最終日の気になる写真展が二つある。
思い切って、出向く。

近年の若者たちの人気地区、ヴィラ・マダレーナへ。
このあたりはメトロの駅からやや遠く、起伏が激しく道がややこしい。
事前に地図で道を記憶しただけでは、けっこう迷ってしまう。

今日はケータイのアプリを使ってみた。
さほど苦労はなく、目的地にはたどり着けるものの…
観光ガイドにくっついてまわったようなもので、自分で地形も景観も咀嚼していない感じ。

まずはブラジル人の Carlos Moreira の写真展『Os Dias Lindos:美しい日々』。
こちらの新聞のイベント案内にあった紹介写真の構図にひかれた。
1970‐80年代のサントス付近の海岸の写真。
人々の邪魔、妨げにならない距離感がここちよい。
http://www.carlosmoreira.com.br/index.html

ついで日本人でサルヴァドール在住の Hirosuke Kitajima さんの写真展『Breu:タール』。
夜間のかすかなひかりでとらえた独自の世界だ。
あ、北島さんの写真だなとすぐにわかるというのは、すごいことではないか。
http://www.carlosmoreira.com.br/index.html

次の予定を気にしつつ、この地区でまだ行ったことのなかったグラフィティの名所の路地に行ってみる。
路地の壁にさまざまなグラフィティが描かれているだけで、観光名所になりうるのだ。
どんなにテキトーに写真を撮っても、そこそこの絵になる面白さ。
そういう場所ですぐ思い出すのは、カンボジアのアンコール遺跡。

とにかく坂道ばかりで駅から遠く、いい運動になったな。
おっかなびっくりのケータイもかっぱらわれずに済んだ。


9月17日(日)の記 力行水行
ブラジルにて


「力行会」と字面を見てピンと来る人は、そう多くはないことだろう。
「日本力行会」は「日本民族の心と生活の救済」を旗印に創設されたそうで、「民族ファーストの会」といったところか。
キリスト者であった創設者は、まず苦学生に自宅を解放することから始めたそうだ。
そして日本人の「海外発展」をはかるに至った。

創設は1897年、その後のめざす「発展」先には南北アメリカの他に東南アジア、満州国があった。
満州国に「日本民族」を送出していた組織が、日本の敗戦後も存続してきたというのがすごい。

日本力行会から派生した「ブラジル力行会」の創立100周年の祝賀会がサンパウロ市で行われた。
僕はこの会に特に縁も思い入れもないのだが、訳あってビデオカメラ持参で、きちんと参加費を払って参加させていただいた。
そのこころは、「大菩薩峠」。
こういうイベントにもほとんど縁遠くなっているが、思わぬ知人との再会や出会いがあるのが面白い。

祝辞には「創立200周年に向かって…」という放射性物質の半減期を数えるような気の長いのが繰り返される。
この会より、まず祖国がそれまで持つかどうか。
多くの放射性物質の半減期より、国家の寿命は情けないほど短し。


9月18日(月)の記 食いそびれたイワシ
ブラジルにて


今週は、けっこうな特殊モード。
明日はサンパウロ市内の病院での検査。
それ用の下剤を今日から飲み始める。

そんなわけで、通常の月曜の断食はやめておく。
昼は昨日の路上市で買ってきた生イワシの開きを、塩焼きにしていただく。
大根もおろして、ライムを絞って。
幸せの味覚。

かつてポルトガルを訪ねた記憶。
カメノテといった珍味の海産物はいただいたが、有名な路上でのイワシの塩焼きを食べそびれてしまった。
ウロコじゃりじゃりを、そのままいただくそうだが。

明日は、検査のハシゴ。
落ち着かないが、案ずるより産むがやすし、か。


9月19日(火)の記 病院アート巡礼
ブラジルにて


検査のため、早朝から大量の下剤を服用。
恥ずかしながら、自分の身体に針や管を刺されてはじめて、ほんのささやかながら入院されている方々の思いを察する。
自分の怠りを反省するチャンスだ。

夕方の別の病院での検査までの間、サンパウロ近代美術館を観賞。
ロートレックにブラジルの写真家ミゲール・リオ・ブランコとは意欲的な組み合わせ。

夕方の巨大病院は、院内のアートが秀逸。
通路から外れたところにある作品に見入っていると、スタッフに不審がられる。
各セクションごとに異なる作家で統一しているようだ。
うーむ、自分の検査に無縁なセクションのも見てみたくなる。
これだけの規模だと、病院のアートのキュレーターがいるのだろうか。

新たにブラジルのいい画家を知った喜び。
似た傾向の日本の巨匠よりいいかも。
ちなみにその画家は、Sergio Lucena。
http://www.sergiolucena.net/index.html


9月20日(水)の記 ひかりとみどりとアート
ブラジルにて


訪日土産の、ちょっとややこしいもののありかのアタリをつけに。
散歩と運動をかねて、坂のある一帯を通っていくことにする。

南回帰線上の春の日差しの当たる街路樹、側壁を破る植物、そしてグラフィティ、さらに両方の混淆が面白く、時に美しい。

私立学校の外壁に描かれたグラフィティと植物のコラボが面白く、デジカメを取り出す。
すれ違った老女が「この学校はいい学校よ。そこに連絡先があるわよ」と教えてくれる。
御礼を言って、学校名と電話番号のあるプレートにカメラを向けるしぐさをするが、シャッターは押さない。

一期一会の光景が、いとおしい。


9月21日(木)の記 出会いのフルーツ
ブラジルにて


夕方から、日本から訪問中の客人が今晩より宿泊予定の東洋人街のホテルに資料を届けに行く。
これのコピーも簡単ではなかった。
たとえば、こちらにはB4サイズというのはなく、コピー作業はその店のオペレーターに頼まなくてはならない。
縮小、拡大は通常の数倍の料金になる。
いい加減なオペレーターに日本語の資料をコピーさせた時の悲劇は、いろいろある。

今日のコピー屋のおねーさんは、ややこしい日本語の古文書の変則サイズをよくぞきちんとコピーしてくれた。

さて、客人一家と夕食でもと思っていたが、到着が遅れているようだ。
お疲れかもしれないので、資料にメモを添えてフロントに託す。

せっかくメトロ代も使ってきたし、なにかついではないかな…


9月22日(金)の記 イピランガ大作戦
ブラジルにて


いよいよ訪日前最大のミッション、イピランガの決戦だ。
イピランガはブラジル独立宣言の地として知られる。

1822年、ポルトガル皇太子ドン・ペドロ1世が「独立か死か」とこのイピランガの丘で叫んだという。
思えばテレビディレクター時代にこの地で2度ほど撮影をしていたな。
『すばらしい世界旅行』に『新世界紀行』。

今回は運転にコーディネートに撮影だ。
番狂わせのハプニングが重なるが…

僕が引き合わせることになった二人はそれぞれ、まあ喜んでいただけたようで、及第点かも。
僕の力量ではなく、僕は道具の分際だが。
まだ仮題もつけがたいここのところの撮影プロジェクト、これでようやく脇を固めたというところか。

悪くない脱力感。


9月23日(土)の記 学名詐称か
ブラジルにて


今宵はテンプラをつくろうか。

単体で勝負できるようなエビは、こちらでもなかなかの値段だ。
サンパウロのわが家の近くに、ブラジルはパラ州の産物を売る店ができた。
パラ州はアマゾン河の中下流域の南北に広がる広大な州だ。

この店の冷凍食品に、日本でいえばサクラエビぐらいの大きさと形のエビがあった。
250グラムで20レアイス、邦貨にして約700yen。
パッケージのキャッチフレーズを邦訳すると「マングローブのフィレ肉」とある。
ふむ、悪くないコピーだ。

店のおじさんは、塩漬けなので水で二回ぐらいゆすいで塩気をとった方がよいという。
帰宅後、ボウルに水をはり、数時間、漬けておく。

かき揚げにしようと思っていたが、ヒゲをのぞけばエビ固め状態で4-5センチはあるので、そのまま単体で揚げてみる。
わが子にまず試食させると、塩辛いという。

だいぶ水に漬けて何度か水も変えたのだが、人によっては騒ぎだしそうな塩辛さである。
うーむ、あのオヤジめ。

このエビのパッケージを見ると、Litopenaeus vannamei という学名が書かれている。
マングローブ林への熱いから、この学名を頼りに検索してみる。
ポルトガル語のWikiがヒットしたので、みてみよう。
簡単な記載のみで、エビの大きさがわからない。
おや、日本語の記載もあるようだ。

バナネイエビ。
日本ではスーパー等で売られて、近年そこそこポピュラーになっているエビのようだ。
分布は、太平洋沿岸とある。

それが、アマゾン河口部のマングローブ地帯に生息するとは、養殖としても考えにくい。
そもそも画像でみるバナネイエビは、こっちで買ったエビとは大きさといい形態といい、別モノといってよさそうだ。
稚エビか?
シン・ゴジラじゃあるまいし、ここまでの変態は遂げないだろう。

そもそもバナメイとは何か。
オランダ人っぽい名前の人にちなんだようだが、ざっとの検索ではバナメイさんの素性がわからない。

して、いま食べているエビの名は?
海老名さんとか。


9月24日(日)の記 山下財宝とブラジルの納豆
ブラジルにて


納豆を食べてみたく、つくってみたくなった。
失敗が続き、一年以上のブランクがあるかもしれない。
日本に行けば、スーパーで安売りのが存分に入手できるのだが。

大豆を買って一昨日から水に漬けて、昨日の午前中に茹ででおいた。
種菌用に日本から担いできた納豆が冷蔵庫にあったのだが、これはすでに青と黒のカビに覆われていて残念。
以前、こちらの連れ合いの実家から入手したのもあったが、これはもう干からびていた。
冷凍にしておくべきだった、という初歩のミス。

仕方がないので昨日午前中、近くの日本食材店をハシゴして、ブラジル製の納豆のより安いのを購入することにした。
その筋では大手のメーカーより、少し安いのを買う。
安いといっても、100グラムで邦貨にして約200yen。

日本では40グラムぐらいのが3-4パックでスーパーで100円もしない。
ブラジル産の納豆は、本国より3-4倍は高いというわけだ。

この納豆を試食してみるが…
なんだかアンモニア臭がある感じ。
粘り具合も本国のものとは違和感あり。
すでに菌が劣化しているのだろうか、それともこっちの方が本来に近いのか。
ちなみにこの納豆、第2次大戦中に日本がフィリピンに持ち込んだとされる金貨と同じ名前の銘柄だ。
菌と金が錯綜する。

さてこの納豆を茹でた大豆に混ぜ込んで、電気炊飯器で保温をオンにして、加熱しすぎないようオンオフを繰り返す。

残念ながら、好調だった時に比べるとまるで納豆菌の活躍がうかがえない。
寝室に電気釜を持ち込んで深夜もオンオフを繰り返したのだが…
タネ納豆のせいだろうか。

さて本日午前中、チェックをしてみるとささやかながら粘りがある。
なんとかなったか。
試食してみると、そもそも大豆がやや硬く、もっとへとへとまで茹でるべきだったようだ。
しばらくの作成ブランクがあったので、ノウハウが狂ったのかも。

半熟納豆というところか。
まあサラダ感覚ということで。
雑菌の繁殖でアンモニア臭くなったのよりは、はるかにいい。

わが家では僕しか食べないから、訪日までに食べきれるかな。


9月25日(月)の記 編集粛々
ブラジルにて


いよいよ来週、日本へ向かう。
それまでの、最後の一日断食をする。

現在作業中の『リオ フクシマ 2』は日本で関係者に暫定編集版を試写してもらうつもり。
さあどこまで編集をすすめておくか。
お話の8割5分ぐらいまで、いったというところか。

今日は子どもが自発的に夕食をつくると言ってくれて、その分、作業がはかどる。

このあたりでいったん打ち止めにして、全体をシェイプアップしよう。


9月26日(火)の記 プレイバックPart2
日本にて


さあ、この日のタイトルをどうしようかと思い…

『リオ フクシマ 2』暫定版を再生試写する話だから、山口百恵さんの名曲のタイトルにかけようと思った次第。

さて名曲の方は、なぜ「Part2」なのかなと思い、調べてみる。
するとなんと、プレイバックPart1 という曲も存在するではないか。
僕は百恵さんとは同じ学年であり(彼女は早生まれ)、同じ目黒区にある高校に通っていたので、思い入れもある。
まあとくにファンというわけでもなかったが、恥ずかしながらこの曲は知らなかった、と思う。

オンラインで聴くことができたが…
名曲Part2に比べると、ちょっと…

『リオフクシマ2』もそんな作品なような、思い入れの予感。
思い出と、思い入れ。
今日中に暫定版の再試写とシェイプアップを完了。

さあさっそく日本での、そして今週土曜のブラジルでの上映素材を焼かないと。


9月27日(水)の記 ゆきさんに会いに
ブラジルにて


早朝6時、エンジン駆動。
まずは小橋節子さんをピックアップ。
ふたりで橋本梧郎先生のお連れ合い、ゆきさんの慰問の旅。
「水底の滝」のトリオの再会だ。

訪日まで一週間を切り、いっぽうイレギュラーな用事が重なっている。
ゆきさんは90代半ばになられ、体調を崩されていた由。
思い切って、おうかがいすることにする。

身を寄せられているサンパウロ州内陸の息子さんの農場へ向かう。
往復約300キロ。

行ってよかった。
移動には歩行器を使われているが、耳も目もしっかりしていて、頭のキレも以前と変わらない。

「最近、橋本先生は夢に出ますか?」
と聞いてみる。
つい最近、見たという。
見たという記憶しかないが、小橋さんと僕がうかがうというのがうれしかったからかもしれないとのこと。
誰がうれしかったのかな?

海岸山脈の生気をたっぷりといただく。

隠れキリシタンの系譜のブラジルに伝わるカトリック信仰の話になる。
「さきあげ」という言葉が出てくるが、これはずばり、きりしたん由来の語ではなかろうか。
おや、検索しても引っかからない…

かえってこちらが元気をいただき、感謝。


9月28日(木)の記 秒読みの日々
ブラジルにて


一週間後にはもう日本にいるはず、という実感がない。
今日もあちこちで土産品を購入。

この土曜の栗農場での上映の素材準備。

夕方から、また病院の検査のハシゴ。
外は霧雨、久しぶりのおしめりだ。

ナメクジの胎動を感ず。


9月29日(金)の記 はずかしのたそがれ
ブラジルにて


あれやこれやの合間に、古新聞を少しチェック。

夕方にふたたび病院に行く前に、気になるアート展を制覇しておこうと思う。
こちらの新聞記事の見出しで見たが、詳細は未確認。
あまり容易ではないアクセスの会場に到着すると…
ポーカーワールドカップという、まるでお門違いのイベント開催中。

昨日は、最近オープンした写真ミュージアムを見ておこうと思い、スマホの地図機能に名称を入力して行ってみた。
すると、スマホで指し示すところに、そんな建物はなかった。

いずれも、もう少し注意すれば防げた事態。
ばたばたしているときに、いいかげんにあれもこれもするもんじゃないという教えと受け止める。


9月30日(土)の記 百栗座開眼
ブラジルにて


巨大都市サンパウロの北。
「冷たい森」と呼ばれる山地のトンネルをくぐり抜けると、まさしく空気が違う。
アチバイアという地名だが、これは先住民の言葉に由来していて語源には諸説あり、水が豊富なところといったところらしい。
日系の農家が多く、花卉栽培やイチゴ栽培が知られている。

今日はこのアチバイアで和栗の栽培を始めた日本人の知人が、ご自身の栗農場で友人知人を集めて拙作の上映会を開いてくれることになった。

プログラム、そして会場や機材について主催者の方と事前にこれだけ熱心にやり取りをしたのも珍しい。
それだけで成功、と僕は思っている。

この農場では以前もプチ上映会をしたが、その時は母屋のテレビモニター使用だった。
今日はプロジェクターにスピーカーも用意していただき、投影する倉庫の壁に新しく白くペンキを塗ってもらった。
この倉庫は栗の冷凍庫であり、その機械音がサティアンなムードを醸し出しているのが、玉にきず。

とりあえず僕は百栗座と仮称。

午前中はまさしく勉強会といったプログラム。
いずれも地味で、かつブラジル初公開だ。
『松井太郎さんと語る 西暦2011年版』
『京 サンパウロ/トミエ・オオタケ 八十路の旅』
の2本立て。
参加してくれた邦人女性陣のコメントがすごかった。
いずれも僕の想像を超えた発見と感動があった。

奇しくも今日は松井太郎さんの三十日忌。
再生、成仏といった言葉が浮かんでくる。
私は司祭となる。


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