移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
岡村淳のオフレコ日記
     西暦2017年の日記  (最終更新日 : 2017/12/04)
10月の日記 総集編 国難ここにあり

10月の日記 総集編 国難ここにあり (2017/10/05) 10月1日(日)の記 二月酔いのテーマ
ブラジルにて


久しぶりに、なかなかの二日酔いである。
すでに月が替わって月をまたいでいるので、二月酔いか。
まさしくお水取り、み、水が飲みたい…

飲み過ぎはすべて自分の責任だが、少しだけ人や天候のせいにもさせていただこう。
「百栗座」での夕方の部の上映が終わったら、終わってすぐとはいかないものの、1時間ぐらい早飲みをして和栗農場を失礼させていただこうかというのが、当初の計画。

しかし午後から雨模様で、夕方からざんざん降りになった。
アチバイアのバスターミナルまで、山の泥道を運転していただくリスクも考慮して、少し小降りになるまで待ちましょうと言っているうちにサンパウロ行き終バスの時間が迫ってきた。
それまでに、ついつい缶やグラスの液体を…

ケンカ、ケガ、泥棒の被害に遭わなかった、ようなのはなによりだった。

昨日の上映を振り返る。
人が増えてからの午後の部の上映は、こちらもエンターティンメントのつもりで幅広い人たちに楽しんでもらえるプログラムとした。
しかし、意外とあまり質疑応答もふるわなかった。
主催者の企画の意欲には敬服するが、せっかく山峡の農場に来て和牛のシュラスコ(バーベキュー)と各種アルコールがそろい、若い男女の出会いの場でもあるのにシンキくせえ映像なんて見てられるかよ、と思うムキもないことはなかったろう。

午前中の方々のヴォルテージが高すぎた。
それが若干メンバーが入れ替わり、昼のシュラスコとアルコール、そして雨騒ぎで…

僕の方は感動の午前の部の上映のあと、映写技師役と講師役とでそこそこ疲れたこともあり、昼食の準備のお手伝いは「ナメクジ探し」を口実に失礼させていただいた。

それに家族三世代で来てくれた日系ファミリーの、9歳の少女がついてきたのだ。
彼女は午後からお友だちのお誕生会に行くとかで、靴もよそいき用である。
僕の目指すのは下りの斜面、しかも雨がちでぬかるんでいる。
森まで入るのは断念して、少女と近場の更地の木片や石ころなどをひっくり返すにとどめることにした。
栗女王から「ヘビに気を付けてください」と脅されているし。

少女は日本生まれで3歳でブラジルに渡ったという。
「クリスマスツリーにのぼったこと、ある?」
と聞かれる。
ちょっと変換すると「スカイツリー」のことだろう。
こっちもスカイの名前がすぐに出てこなかった。
彼女にとっては午前中の2作品はけっこう退屈だったろうけど、それは聞きそびれた。

彼女はアチバイアの暮らしでナメクジに親しんでいるが、両親が嫌がるという。
そして少女は、まさかのレンガの小片の下から身を丸めたナメクジを見事に発見した。

ヨーロッパ起源の外来種、コウラナメクジの仲間のようだ。
社会からもフェスタ:パーティからもちょっと外れた二人が、ナメクジで結ばれた。
「禁じられた遊び」のギターが聞こえてきそうではないか。

二日酔いの自己嫌悪の合間に、彼女とのひと時を反芻。
さあ、日本ではあんまり飲むなという教訓とさせていただこう。


10月2日(月)の記 この期におよんで
ブラジルにて


明日、ブラジルを発つ。
この期におよんで、いまやるかよ、とあきれる用事を増やしてしまう。

さる土曜に「百栗座」で上映した『京 サンパウロ』に一か所、手を加えたくなった。
少しでも作り直すとなると、けっこうややこしい。

基本的な作業は昨晩、終えたつもりだが…
今朝、新たな素材のチェックに入ると、思わぬ事故があるではないか。
また、やり直し。

こうしてこの作品をまた何度も通しで見直すことになるが、なかなか不思議な作品だ。

日本で『松井太郎さんと語る』と合わせてこの改訂版を上映する予定。
百栗座でのプログラムもこの組み合わせだったが、気にいっている献立/番組である。

10月3日(火)の記 出ブラジルどき
ブラジル→


いやはや出発当日を迎える。
タクシーとシャトルバスを乗り継ぎ。
毎回、値上がるばかりの空港シャトルバスだが、往復を買うと帰路は期日未指定で半額になるというオトクなサービスが始まった。
のることにする。

グアルーリョス空港に近づき、離陸したばかりの飛行機が視界を覆う。
映画『新幹線大爆破』の音楽が浮かんでくる。
空港ビルと旅客が見えてくると『探偵物語』のテーマ音楽。

今回は、望んだわけではないアメリカ経由。
機中に向おうとしていて、友人によく似たあんちゃんが目に入る。
まさかね、と見つめると、向こうから「岡村さん!」と言ってくる。

ブラジルで出会い、最近はフィリピンと日本を往復していると聞いていた彼と会えるとは。
会いたかった。
ダラスでの再会を約す。


10月4日(火)の記 機中カトリック裏口入門
→アメリカ合衆国→


「別に新しいことをのべるつもりはなく、
 ただ、あなたの記憶をよびおこしたいだけなのです。」
  『道』ホセマリア・エクスリバー著

この著者ホセマリア・エクスリバーはスペイン人で、マザー・テレサ同様、カトリックで聖人とされた人だ。
オプス・デイと呼ばれるカトリック信者のグループの創設者でもある。
日本のカトリック信者でも、オプス・デイを知らない人は少なくないことだろう。
いっぽう小説や映画の『ダ・ヴィンチ・コード』でオプス・デイというのを知った人も少なくないに違いない。
この作品のなかでは、いかにも悪の組織っぽく描かれているのだが。

この『道』という本は身近で目について読み始めたのだが、鉛筆で線引きしたくなる箇所が多々あり、今回の機中の友とした。

今回の機中は寝そくるか映画三昧かで、ほとんど読み進んでいないのだが。
冒頭にあるこの言葉は、拙作もこうあれかし、と思って線引きした次第。

さてアメリカン航空の機内映画に『ダ・ヴィンチ・コード』日本語吹き替え版があり、まずはこれを見た。
原作を読んで封切り時に見ているのだが、あまり細かく覚えていない。
日本語版で見て、一般日本人よか多少はキリスト教についての知識があるつもりの僕でも、難解である。
ただ、オプス・デイというのがよくわからないがカトリックのなかの悪の組織みたいだなという印象は残る映画だ。
ブラジルがらみで実際に何人かのオプス・デイに属する人に会っているが、純朴・敬虔そのものの人ばかり。
今回も何度か眠ってまた巻き戻したり、眠くなってポーズにしたり。
けっして好きな作品ではないが、帰路、また観てみるか。

今回は新作映画にも日本映画にもあまり見たいのがない。
日本が近づいてから最後にクラシック部門の『エクソシスト』、日本語なしだが久しぶりに見てみることにする。
僕の高校時代に大ブームになった映画だ。
僕は封切り時に、映画館で3回ぐらい続けて見た。
ペーパーブックの映画の原作本まで買って、受験勉強の一環という大義名分でちびちび読んだものだ。

うーむ、こうしてみると僕がカトリックの神父というのをはじめて具象としてとらえたのが、この映画かもしれない。
ラスト近くで成田到着。
特売DVDあたりで日本語字幕版があったら、買って見直そう。
『ダ・ヴィンチ…』にお金を出す気にはなれないけれども。


10月5日(木)の記 訪日そうそう
→日本


10月の日本の植生は、まだ夏の延長の「むさくるしさ」。
しばらく床屋に行っていない頭髪のような。

ブラジルでかなりポピュラーに使っている通信用アプリ WhatsApp の送受信には Wi-Fi 環境が必要になる。
東京の実家での僕の滞在スペースは、有線LANだ。
無線ルーターというのが必要か…

祐天寺駅の商店街のそれ系のショップに行くが、「売りきれ」とそっけない。
電車で渋谷まで行くのも、いさぎよくない。
サンダル着用のため足の指の股が痛くなっているが、中目黒の先のドンキホーテ侯のところまで歩くとする。

ここはビックカメラあたりに比べると遊軍の定員が乏しく、専門知識に特化されていない。
売り場だけ教えてもらって、自分で探すのだが、ネットで見ていたようなずばりのものが見当たらない。
渋谷までこれから行く覚悟をするが、パッケージの説明によるとそれらしい機能も備えたものを見つけて、購入。

実家に戻って設置にかかるが、難解不可解。
取扱説明書には、きちんとした文章の編集者が必要だとつくづく思う。
ブラジルから持参したノートパソコンを親機として、Wi-Fiを飛ばす仕組みなのだが、ノートの方の設定もいろいろいじらなければならない。

そうこうしているうちに、ノートPCの有線接続も NGになってしまったではないか。
いやはや明日はワールドプレミア上映会、そのあとの各イベントの連絡も山積みだというのに。
恥ずかしながらのスマホに手を出したばかりに、自ら墓穴を掘ったか。

いやはや困った。


10月6日(金)の記 ゼロ・グラビティ@TOKYO
日本にて


訪日後、きちんと眠れていない。
早朝から外出して、その足で渋谷のビックカメラへ。
店員さんになにが欲しいのかを説明して、とにかく簡単なのを見つくろってもらう。
昨日から、なにかと当てが外れることばかり。

実家に戻って、やってみる…
あ。
よくわかっていないのだが、目黒の実家の居住空間でスマホのWi-Fi機能がついに作動するようになった。

かつて飛行機で見た『ゼロ・グラビティ』という映画の主人公の気分。
宇宙空間に一人放り出されて、どこからのサポートもえられないなか、地球への生還を図るという…

さあ今晩の上映の準備に入らないと。
さっそく学芸大学ライブ上映講座の始まり、しかも今日は初公開の『ブラジルのハラボジ』。
せっかくご来場いただいた方が満員で鑑賞できなくても申し訳ないので、そのむね再三、SNS上で先にお詫び申し上げておく。
さらに雨模様の悪天候となり、いくらか客足を淘汰させていただけたようだ。

ご来場いただいた方々に、ある程度快適のご覧になれそうな程度の人の入りとなる。
拙作は想像以上の好評をちょうだいして、いろいろな気づきのご指摘を賜り、作品に磨きをかけていただいた。
けっして媚びない岡村作品ウオッチャーから、これが最高かも、との発言も。
懇親会もよき出会いと学びの場となった。

ありがとうございます、明日が早いもので、とりあえずこの辺で。
祐天寺裏の実家に戻り、まずは少し横になる。


10月7日(土)の記 北関東巡礼
日本にて


未明の5時台に大荷物を担いで祐天寺を出家。
まずは千葉市川。
総武線は聞き取れないアナウンスの事故で途中停車。
本八幡から思わぬトラップにかかり、遅ればせながら来たる月曜の上映会場に到着、音響機材をお預けする。

駅前のモーニングコーヒーを千葉日報をめくりながらすする。
電車乗換え乗換え、移動中に惰眠をむさぼりながら益子に到着。

まだまだ重い荷物を担ぎながら、ついに益子参考館に到着。
陶芸家の濱田庄司の活動の拠点だ。
絶妙な環境ではないか。
陳列品に添えられた陶芸家の言葉にわが意を得る。

疲労から、せっかくのギャラリートークにうとうと。
地元の書店がすばらしく、さらに偶然見つけたハナメガネ商会という古民家古書店で運命的な書との出会い。

君の名は。
蛞蝓。

さらに重くなった荷物を抱えて、水戸の友のもとへ。


10月8日(日)の記 水戸ダブル
日本にて


さあ今日は水戸で二毛作だ。
まずはカトリック水戸教会で朝の集会の後で『あもーる あもれいら/サマークリスマスのかげで』を上映。
DVDポータブルデッキを持参してよかった。
同じカトリック教会でも多種多様だが、水戸はとりわけ違っている観がある。
これは茨城人そのものの気質だろうか。

先回、使用したビジネスホテルにアーリーチェックインして夕べの部の上映に備える。
おなじみ水戸にのまえさんで『ギアナ高地の伝言 橋本梧郎南米博物誌』の上映。
橋本先生に再生いただく。
シンパの皆さんとのひと時のありがたいこと。


10月9日(月)の記 鈍行の閃き
日本にて


水戸では、これまで少なからぬ数のビジネスホテルに泊まってきた。
まず値段が安いこと、朝食が付くこと、アーリーチェックインができるかどうか、駅へのアクセスなどから選んで。
今回は先回に引き続き、みまつホテルにした。
ここのバイキング形式の朝食は、なかなか。
ボウルいっぱいに盛られた納豆すくい放題というのだけでも楽しい。

今日はカトリック市川教会12時半集合なので、昼食の時間がないとみて、朝にがっつりいただくことにした。
水戸駅から鈍行を乗り継いで本八幡駅へ。
時折りうつらうつらしながらも、今日のトーク内容を考えて練っていく。
ちょっと面白い閃きもあり。

教会の男衆は、聖堂のステンドグラスの部分にカーテンを貼る作業。
僕は一人でプロジェクターと音響を設置する作業にあたる。

なにかと催しの多い祭日だが、昨年以上の人の入りとなった。
聖堂、そして懇親会の信徒会館でのトークもまあそこそここなした感あり。

実家に戻ると、今日の上映を仕掛けてくれた人からさっそくメールが入っていて、思わぬ申し出をちょうだいする。
さて。


10月10日(火)の記 目黒一服
日本にて


今回は訪日早々あわただしかった。
ようやく目黒の実家でひと息つかせてもらう。
だらだらと、SNS系の作業、ウエブサイトいじり、あちこちへのメール。
そしてブラジルから担いできたものの発送など。

学芸大学に登校し、流浪堂さんに寄る。
流浪堂さんの店内を少しは落ち着いて見れるのは、今回の訪日後はじめて。
うれしい掘り出し物を見つけて、オトナ買いをさせていただく。
とはいえ、支払いとピックアップはしばし待っていただいて。


10月11日(水)の記 ガイジンお助けゲーム
日本にて


さあ今日は県境を越えて活動。
まずは渋谷で用足し。
次いで埼玉へ。
埼玉新聞を購入。

ヨーロッパから来たばかりの留学生に会う。
受け入れ先の大学で、地震時等のオリエンテーションがまるでないというのが驚き。

夕方、有楽町で下車、銀座を歩く。
夜の会合まで、銀座8丁目の月光荘画廊で開催中の こうのまきほさんの展示を見る。
こうのさんらしいユニークな場所だ。
先にいらしていた方と話が弾む。
ちょっと僕のような人見知り派には入りにくいが、地下の画材店月光荘がすばらしい。
ついつい散財してしまう。
すぐ近くに金春湯という銭湯あり。
コーヒー代で入浴可。

手ぬぐいはいつもぶら下げているが、セッケンが欲しい。
手ぶらセットというのを番台で買おうとすると、ボディソープ類は流し場に置いてあるとお店のおばあさんに教えてもらう。

さて、渋谷あたりでもスマホ片手に行き先がわからず困っているふうな外人をちょくちょく見かけた。
銀座に至って、ついに声をかけざるを得ない気になった。

まずは掲示されている地図とスマホを照合させるので苦心している風のカップルに、思い切って声をかける。
中央通りへの方向がわからない由。
カナダから来たそうだ。

ついでビルの名前がわからない風のカップル。
なんとメキシコからの由。
簡単なスペイン語の挨拶もかましておく。

まあこればっかりやっているときりがないので、この辺にしておこう。
しかし在日日本人たちよ、日本国総理大臣が「国難」と訴える時期にこの危険極まりない国に来てくれてカネを落としてくれている外国人たちに、広告代理店のデマカセだけではなくほんの少しのおもてなしの声掛けぐらいできないものかね?


10月12日(木)の記 U天寺のみ
日本にて


昨日今日ぐらい、プライヴェートの用件で東北行きを考えていたが、先方の都合で延期となった。
そのおかげでひと息つき、諸々の用事を少しは手掛けることができて助かった。

さて今晩は地元祐天寺で飲み会がある。
明日は始発電車で羽田に向かい、北海道行きだ。
北海道ミッションの旅支度に着手して、大事なものを忘れていることに気付いた。
いやはや効率が悪い。

急きょ渋谷まで買出しに出るが、そもそも製造中止か。
帰路、学芸大学に寄るが今日は木曜、流浪堂さんはお休みであることを失念していた。
ポカ多し。
久しぶりに平均律さんへ。
なかなかタイミングが合わず、マスターの他界後、初めてかも。

さあ祐天寺飲みだ。
お店の心当たりがないので、メンバーでまず caraway さんに寄って手ごろなお店を教えていただく。
これがナイス、僕もノーガードの店で一同盛り上がる。
ほう、120分制限か。

まだ明日の準備等々せねばならぬ身には好都合なり。


10月13日(金)の記 蝦夷地別件2017年秋
日本にて


午前4時に目覚まし時計を仕掛けたが、その2時間前ぐらいからモソモソと起きて、たまっているネット作業や追加の荷造り。

始発の東急東横線の下りに乗る。
東急蒲田駅から京急蒲田駅までの歩き。
スーツケースをひきずって飛ばしても10分以上はかかる。
未明から同様な不便さのなか、羽田空港へ向かう人の多いこと。
この接続の悪さは、行政と交通を司る大企業の怠慢と傲慢さの現われだろう。
当たり前とされてしまった不便さのなかを、黙々ガラガラとキャリングケースを引きずって京急蒲田駅に向かう人々の群れは、311直後のがたがたになった交通網の頃の群衆を思い出させる。
せめて申し訳程度にシャトルバスでも設置する誠意の欠片ぐらいあってもよさそうだ。

さて、札幌にひとっ飛び。
さすがに東京よりだいぶ冷房が効いている。

まずは懸念の北海道博物館を見学。
北海道のヒトの歴史を概観することができた。
明日の上映のための素材を札幌駅近くのヒミツの場所に置いてから、簾舞(みすまい)の「虹のしっぽ」アジトへ向かう。

五ヶ月で、また来れた。
さあモケレ・ンベ・ンベのお二人の北海道移住後の初公演芝居『俺を熊と呼ぶな』のゲネプロと撮影だ。
撮影もあるため、きちんと筋をフォローできていないが、なかなかに濃いぞ。

こっちがストーブや椅子にぶつかってしまうが、とりあえず歩留りの撮影。
夜は早めに休ませていただくが、お二人の緊張や如何。


10月14日(土)の記 乾いた大きな川
日本にて


札幌の語源は、アイヌ語の「乾いた大きな川」だそうだ。

札幌市南部、聖地簾舞で朝を迎える。
小雨模様ではないか。
「虹のしっぽ」の敷地を散策、ナメクジを探す。
ナメクジ出現には、ちょっと寒いかな。
畑地の切り株を動かす。

いた!
なんと3個体、いずれも微妙に体系や体色が異なる。
どれも外来種のようだが。
観察と記念写真撮り。

午後から『俺を熊と呼ぶな』の初演。
事前から撮影。
及川さんと藤沢さんのお二人には、紅葉の時期で道路が込み合うだろうから、夕方の上映を優先して初日の撮影はしなくてもいい、とおっしゃっていただいていた。

しかし、せっかくの初日だ。
スムースに公演は終了、予定より早いバスに乗れる。

思うことあって、すすきのより地下鉄に乗る。
上映会場のみんたるさんには、早すぎるぐらいの時間に到着。
さっそく機材を調整する。

今日もなつかしい再会、新しい出会いがうれしかった。
お楽しみ上映会の献立。
・岡村作品紹介
・大アマゾンの浮気女
・アマゾン謎の人面画遺跡群
・国防プロレス大作戦
となった。


10月15日(日)の記 よこしまにさようなら
日本にて


札幌市内を早朝から歩く。
札幌カテドラル経由で、簾舞に戻る。

撮影をしていて、これほど邪気を感じたことも他に記憶がないほど。
脱力感、無力感に襲われ、機材も撮影素材も変調をきたす。

クリーニング等の処置をしていると本番撮影に間に合わなくなるかも、と思いつつ、ままよ。
なんとか撮影を再開するが、今日の映像はお見せできるものじゃないかも。

とにかく疲れた。
夜はジンギスカンをごちそうになる。
団らんはまだ続いていたが失礼させていただき、横になる。


10月16日(月)の記 藤戸竹喜という奇跡
日本にて


聖地簾舞の虹のしっぽで覚醒。
撮影疲れで節々に痛み。

藤沢さんと及川さんに、札幌芸術の森美術館に連れて行っていただくこととなった。
北海道博物館で「木彫家 藤戸竹喜の世界」のチラシを目にして、ぜひこの展示を見てみたいと望んでいた。
https://artpark.or.jp/tenrankai-event/%E7%8F%BE%E3%82%8C%E3%82%88%E3%80%82%E6%A3%AE%E7%BE%85%E3%81%AE%E7%94%9F%E5%91%BD%E2%80%95%E3%80%80%E6%9C%A8%E5%BD%AB%E5%AE%B6%E3%80%80%E8%97%A4%E6%88%B8%E7%AB%B9%E5%96%9C%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C/

すごい彫刻だ。
神業、と言っていい。
彫刻にこれほど心打たれるのは、ブラジルのアレイジャジンニョの作品以来だ。
僕は、特に等身大の女性像に圧倒された。
彫刻で、滝を表現しているのにもたまげた。

ミュージアムショップに、藤戸竹喜さんご本人がいるではないか。
ブラジルに渡ったアイヌの木彫り作家、戸塚ユポさんのことを想い出して、藤戸さんに話しかけてみる。
藤戸さんはユポさんをご存じだという。

美術館の去り際に、藤戸さんに呼び止めていただいた。
お連れ合いに紹介してもらってから、目録にサインをしてくれた。
藤戸さんの作品に触れることができただけで、北海道に来た甲斐があったというもの。

表現する、というのは、かくもすさまじいことなのだ。
自分の表現が恥ずかしい。

目録を見ていて、この展示は来年、大阪の民博でも開催することを知る。
民博で…
北海道で見れてよかった。


10月17日(火)の記 ポカとギリ
日本にて


今日に日付が変わるぐらいの時刻に祐天寺の庵に戻った。
北の旅を、つかのま癒す。

10月5日にブラジルからEMSで送ってもらった『リオ フクシマ 2』試写用DVDがブラジル出国後、行方不明状態だった。
ずっとヤキモキしていたのだが、昨日、ようやく日本到着と通関突破をオンライン追跡で確認できた。
ついに庵に到着。
2週間か。
かなりの高価で普通の航空便並みのスピード。

まあとにかく間に合って、感謝である。
チェックしてみるが、画像もオッケー。
さっそく明後日の試写について関係者に連絡。

諸々の残務雑務。
流浪堂さんに顔を出し、書棚で僕を待っていたチャトウィンの『どうして僕はこんなところに』を発見。
狂喜買い。


10月18日(水)の記 裏口オープン
日本にて


いやはや時間も体力も気力も足りない。
想定していた予定をカットしたり、時間に遅れてしまったり。
そこに飛び入りの用事も入り、これまたいやはや。

よくわからないのだが、日本、いやさ東京の wi-fi度がサンパウロよりはるかに弱い。
東京都心でスマホの地図機能もメッセージ送付機能も使いものにならないぞ。

今日は気がかりだった西荻窪APARECIDAさんでの『ブラジルのキリスト教 裏口入門講座』。
開店18時過ぎには現場に入って機材をチェックする段取りだったが、膨れ上がる予定やこちらの読みの甘さで30分近く遅れてしまう。

致命的な事故は免れたが、反省点は少なくない。
「クリスチャンの方はご遠慮願います」と注意書きを入れておいた方がよかったほど新旧キリスト教徒とみられる方々がいらしてくれた。
まあ「裏口入門」とうたっているのだから、シャレにならないクレームもなくて安心。
イベントの前後にそれぞれ来場してくれた方と、別件の打ち合わせ。


10月19日(木)の記 リオ フクシマ 2 への道
日本にて


さあ今日は今回の訪日ミッションのひとつのヤマ場。
暫定編集版の『リオ フクシマ 2』を関係者に試写していただく予定。

それまでに祐天寺の庵でナレーション草稿の読合わせ、弁士練習。
しばしのインターバルがあると、つじつまが合わない箇所があり、急きょ修正。

試写会場は、佐々木美智子さんの新宿ゴールデン街のお店「ひしょう」の屋根裏シアターをお借りする。
印鑰智哉さん、そして選挙がらみで遅れて坂田昌子さんにいらしていただく。
それぞれ話は尽きないが、まずは試写をしていただく。
いいノリでご覧いただき、特にクレームもなく、やれやれ。
お二人の話は興味が尽きず、まさしく蒙を啓いていただく思い。
かけがえのない友、仲間がいることに感謝。

「ひしょう」の2階におりてきて、他のお客さんとも談笑。
今日は男娼は抜き。

さあブラジルに戻ったら完成に向かって精進しよう。
その前に『俺を熊と呼ぶな』ゲネプロの映像をまとめないと。


10月20日(金)の記 松本への道
日本にて


心身の疲れと残務雑務の山積み。
取りこぼしが、ぽろぽろ多出。

そもそも台風の影響で、雨。
松本のヤマベボッサさんでプチ写真展でも、と提案させていただいていた。
新しく写真をコンビニ焼きするつもりだったが、この雨だと写真が濡れそうである。
しかも写真焼き出しに2時間ぐらいはかかりそうで、その時間と体力が厳しい。
本丸以外のことは自分で言い出しておいて情けないが、見合わせを提案しよう。

時間が押してきて、松本に行く前に計画していた山梨県立文学館行きを見合わせようかとも思う。
が、思い切って。
しかもいちばん安い私鉄とJR鈍行乗継ぎで。
京王線で、まずはうとうと。
高尾でJR鈍行に乗換え。
これのうとうとの気持ちよいこと。

外は雨模様の水墨画の世界。
無理して来てよかったかも。

甲府駅からのバスのつなぎもなんとかなりそうだ。
山梨県立文学館「津島佑子展」。
ナマ原稿と当時刊行の書籍類が並んでいるぐらいなのだが、そこそこ見ごたえあり。
お嬢さんの石原燃さんとご縁ができたせいで、津島佑子さんに関心を持っているせいだろうか。
年譜を見て、素朴な疑問が湧くが、僕の勘違いかもしれない。
石原燃さんに確かめてみよう。
購入可能な津島佑子作品が限られているのが残念なような、ほっとしたような。
これ以上、荷物と散財が増えると…

甲府から松本まで鈍行乗継ぎ。
甲府も松本も、バス乗り場の勝手を呑みこむのが、ちと大変。

バスに乗って10分、と言われていたが20分以上経っても指定の停留所が現われず。
乗り間違いかと思って運転手さんに確認。

さあついにあこがれのヤマベボッサさんに着いた。
手づくりの夕食をいただいてから、身内での前夜祭上映会。


10月21日(土)の記 松本山辺歩き
日本にて


午前中、ヤマベボッサさんは木下ときわさんと新見博允さんのライブ音楽の会場設定に入った。
僕がいても邪魔になりそうなので、近くを歩くことにした。

お店のすぐ近くに墓地がある。
今にも雨が降り出しそうな天気だが、ナメクジは見当たらない。

黙祷を捧げ、墓地そのものを見てみることにした。
無縁化したとみられる古い墓石を、ストーンサークル状に配置しているのには驚いた。
さすがは縄文のメッカだ。
江戸期の古墓も多い。

戦死と刻まれている人が少なくない。
日清戦争に始まり、ほとんど中国大陸で亡くなっている。

大正時代の渡米記念碑というのもあった。

まだ時間がある。
近くにスーパーがあると教えてもらった。
これが大きい。
野沢菜そのものは見当たらないが、野沢菜を漬けるための調味料が各種、取り揃えてある。

あ、麹まであるではないか。
これは買ってブラジルに持ち帰ろう。
漬物文化、発酵文化の土地であることを思い知らされる。

今日は、ボッサさんの谷中時代の常連さんもお集まりいただいた。
加えて、ボッサさんがこちらに移住してから知り合ったシンパの方たち。

お二人のライブ演奏に次いで上映。
日本人のうたうポルトガル語は聞き取りやすいと改めて思う。

上映は、わが意を得た観客たちに恵まれる。
映写技師は小学校一年生のいづみ君が担当。
これが、うまい。

上映後の質疑応答も刺激的だった。
さあ、台風と衆議院選挙だ。
帰りは、新見さんと同じバスで新宿バスタへ。


10月22日(日)の記 国難ここにあり
日本にて


台風接近により、強い雨。
実家から最も近いところにあるチャペルで、日曜のミサに預かる。
日本人の司祭はミサの説教で、ファリサイ派を自民党政権に重ねたうえで、日本国憲法を「神さまからの恵み」と語った。
勇気のあることだと思う。

その足で、在外選挙証を持って地元目黒で投票。
いったん実家に戻るが、4センチ防水の運動靴もジーンズもびしょびしょだ。

大荷物を抱えて学芸大学へ。
『京 サンパウロ』と『松井太郎さんと語る』の上映。
大雨で各地で混乱が起こるなか、こんなに人が集まってくれた。
粛々と上映。
上映会場の階下は、目黒区の投票所とされていた。
自分の投票後、そしてこの雨のなか投票にやってくる人の姿に胸が熱くなった。

今日の懇親会は、アルコール抜きで。
実家に戻って、ラジオをつける。
選挙情報と台風情報が錯綜。

おごる安倍と自民に有権者が鉄槌を下すには至らなかったか。


10月23日(月)の記 台風一過
日本にて


午前中に雨は上がり、日本の政治家のように天候は変節。
先週、日曜夜発の山形行きバスを手配しようとしたが、空席ゼロ。
数ある仙台行きも調べてみるが、これも残席なしだった。

そのため、山形行きを今晩発にずらすことに。
しかしそのおかげで今日の日中は休み休み、諸々の残務雑務を手掛けることができた。
そもそも昨晩、発っていたら大雨にやられて、そもそも疲労困憊で厳しかったかも。

経費と時間節約で、明晩の夜行バスで山形を発つ予定。
戻ってからが、これまた過密スケジュールだ。
さてさて。


10月24日(火)の記 入湯瞑想
日本にて


今回の山形車中泊往復で、何カ所かwi-fi波のあるところがあったが、きちんとつながったのは寒河江の温泉施設だけだった。

夜行バスで山形駅到着後、駅の待合室とコンビニで時間をつぶす。
左沢線で寒河江駅下車。
歩行者を想定していない温泉施設まで、表示もなくスマホの地図機能も機能せず、ちと迷いながら歩く。

台風を集めて早し最上川をながめつつ、入湯。
ゆったりとつかり、今後のスケジュールと対策を想う。
明日の打ち合わせに、いい案浮かぶ。

さてメインの用事の親類訪問。
東京岡村の血族の最長老を訪ねる。
時間と血の見直し。

ふたたび山形駅へ。
山形の夜は早い。
夜行バス待ちの適当な場所がない。

さあ、カゼで寝込むなんてことになったら大変だぞ。


10月25日(水)の記 東横線危機一髪
日本にて


夜行バスで、山形より帰京。
いったん目黒の実家に戻る。
さあ、今日はあわただしい。
カラダが持つかも心配。

今晩、世田谷での上映後にまた夜行バスで関西に向かわねばならない。
その荷造りもやらねば。

昼は三軒茶屋で来年の件の打ち合わせ。
その前にメガネ屋さんに。
訳ありで日本に住むことになったという韓国人スタッフが対応。
打ち合わせにすっかり遅れてしまうが、昨日、寒河江の温泉でひらめいたアイデアを披露。

またいったん実家に戻る。
さてさて、まずは千歳烏山の楽多さんでの上映だ。

『ブラジル最後の勝ち組老人』と『ブラジルのハラボジ』の組み合わせというのは、われながらすごい。
質疑も懇親会も、いい盛り上がり。

が、中座して横浜発23:15のバスに乗らなければ。
上りの京王線は、ギリで想定していたのより、一本早いのに乗れた。
より早く、安く着けるはずの東横線経由とする。

しかし、東武線内の事故とかで、東横線のダイヤが大きく乱れている。
なんと、渋谷から各駅停車しかない模様。
ぎりぎりでも間に合うかどうか、ヤキモキ。

いやはや、発車5分前ぐらいに駆けつける。


10月26日(木)の記 三重でみえたもの
日本にて


がらがらで申し訳ないような夜行バスにて、三重県名張に到着。

う~む、さあどうしよう。
駅前で開いているのは、コンビニぐらい。
関西限定と書かれたハムカツサンドと中日新聞を購入、とりあえず駅のベンチに腰を下ろす。

江戸川乱歩の生家跡に行ってみるか。
途中のクルマが通るアーケード街で、8時から営業という古民家カフェを発見。
江戸川乱歩生誕地の碑のお粗末さには驚くばかり。

それにしてもこの町、いい味を出しているではないか。
岡村のルーツが三重であるという刷り込みがあるせいか、体のなかに迫ってくるサウダージがある。
ガラガラとキャリングケースを引きずりながら、さっきの店へ。

カフェ兼ゲストハウス「松風」さん、実にいい空間だった!
http://www.cafematsukaze.com/
築150年という広大な建物のなか、wi-fiはきちんとつながるし、マスターの森本さんとの会話も楽しく、お気遣いが身に沁みる。
今度は、ぜひ泊まってみたいものだ。

10時開湯の「名張の湯」という日帰り温泉へ。
お湯と環境は悪くないのだが、ふたつある露天風呂には、いずれも大型のテレビモニターが民放の番組をかけ流し。

さあ近鉄電車に乗って青山台駅へ。
駅に案内の見当たらない愛農学園は、いづこ。
と、思わぬ大阪のシンパに遭遇!
ともに愛農を目指す。

今日の上映には、オカムラ系が3人も集まってくれた。
この上映を企画してくれた松本裕和さんとは、今日が初対面。
なんとも律義でまじめな人だった。

愛農関係者、職員と教員、生徒さんなどが入れ替わり。
学園祭の直前のなか、何人かの高校生が拙作を見て意見をくれたのはうれしい限り。

3回の上映のあと、松本さん、愛農スタッフ、東京からのシンパとともに酒盛り。


10月27日(金)の記 I know SANKA
日本にて


三重の愛農学園は、霧の朝。
生徒さんたちとの朝食の後、「朝拝」という集いに参加させていただく。

ここに関わる方々は、ひと通り皆さんユニークだ。
それぞれとの会話が楽しい。

今回の上映の仕掛け人、松本さんは早朝からマダケの伐採にかかった。
学園の校舎の前の広場で、トリ籠づくりを披露するという。
そもそも松本さんは現在の拠点の大分から軽自動車で来ている。
自動車には、いくつかの段ボール箱に本が詰まっている。
本が好きだから、という。

そしてチャボの親鳥とヒナを連れ歩いているのだ。
旅のあいだ世話をする人がいないから、とのこと。

広場でチャボ一家を放す。
親鳥の足に紐を結んでいるので、ヒナたちも遠くには行かない。
鶏たちは常に地面をつついているので、その部分の雑草の除去にもなるという。
その鶏のうえにタケでつくった籠をかぶせておけば、その部分の除草にもなるというわけだ。

松本さんは広場に腰を据えて、マダケを割ってヒゴづくりを始める。
休み時間の生徒や職員たちが、チャボの一家にひかれて、あるいは松本さんの作業にひかれて集ってきて言葉を交わす。
いやはや、21世紀に生きるサンカを見る思い。

愛農をおいとまして、大阪へ。
まずは西成のホテルにチェックイン。
ひさしぶりのオンラインだ。
夜は西成の大衆食堂・揚羽屋さんでの『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』の上映。

せっかくなので上映中、しばし抜け出し、付近を探見。
一期一会の懇親会、これまたいとをかし。


10月28日(土)の記 十三の重層
日本にて


JR高架線近くの西成の宿にて。
体が静養を求め、さらにオンラインでの作業が山積みのため、チェックアウトの10時まで部屋にこもる。

さて午後まで何をするか。
今日の上映を企画してくれた向井さんのサジェスチョンから選択。
国立国際美術館「福岡道雄 つくらない彫刻家」展へ。
http://www.nmao.go.jp/exhibition/2017/fukuoka.html

階上のもうひとつの展示はなんの御感銘もなかったが、福岡道雄さんの作品はなかなかだった。
特に初期の作品にひかれる。
この人に怪獣の造形を依頼していたら、と夢想。
そうか、ウルトラ怪獣をモダンアートとして見直してみようか。

西成に戻って、昨晩の上映会場の揚羽屋さんで昼食。
大学院でドキュメンタリー映画を研究したという女主は、ひとりでよくも天ぷらからトンカツまで短時間でこなすものだ。

十三駅で向井さんと合流。
オフレコの計画があったが、台風の雨の心配もあり、見合わせて会場の設定にかかる。
楽しみにしていた近くの名曲喫茶「もみの木」で異国暮らしの長くなった友を待つ。

さあ今宵の上映会はまことに濃ゆいメンバーの集まり。
ここ系の人たちは、自己紹介での他人の話をあまり聞かないのが特徴。
ゲストでありながらそのあたりを調整する技量が求められる。

『あもーる あもれいら/勝つ子 負ける子』はそんな猛者たちの心を魅了したようだ。


10月29日(日)の記 げろとキリスト
日本にて


日付の変わる直前、以前に場所がわからず支払い済みの夜行バスに乗り損ねてしまったこともある梅田のモータープールから、ぶじ発車オーライ。

まもなくして隣りの席の青年が嘔吐を始めた。
あの音、そしてあのニオイ。
床も彼の衣服も、げろげろになる。

3人掛けシートでよかった。
そもそも窓側席の彼は通路側のカーテンで自らを覆っているので、詳細はわからない。
前席の男性が「だいじょうぶですか」と聞くと「だいじょうぶです」と答えた。
だいじょうぶとのことだが、あたりにあの嘔吐臭が充満。

僕は仮にも今日はキリスト教会をハシゴして上映とトークを行なう分際。
どういう行動をとるべきか、自分が問われる。
自分が彼になることは、ありえないことではない。

日本でブラジルで、数多の夜行バスに乗ってきたが至近でのこうした体験は、他に思い当たらない。
小学生の頃のバスでの遠足では、よくあったっけな。

僕は横浜で下車。
ひと晩、嘔吐臭を浴びているので実家に戻ってから沐浴。

まあいろいろあったが、おかげさまで前代未聞のカトリック教会ハシゴ上映、田園調布→町田とまわって完了。


10月30日(月)の記 どうして僕は神山に
ブラジルにて


連日の移動と上映で、へろへろである。
そして、今日はかなりのプレッシャー。

思わぬ知人からの予期せぬ頼みで、御殿場にある神山復生病院をビデオカメラ持参で訪問することになった。
日本に現存する最古のハンセン病療養所だ。
霞ヶ関駅午前9時集合、時間厳守。

道中、その方と神山復生病院の関係をうかがう。
重苦しいほどの圧力があるという富士山は姿を雲で隠している。

なにを誰のためにどう撮っていいかわからないというのは、かなり厳しいものがある。
それなりに突破口を見つけてみた。

「時之栖(ときのすみか)」に向かうときに、霊峰富士がベールを解いた。
雪が「空白」だ。
心霊画家ガスパレットさんの身体を借りて作画されたモネの赤富士を思い出す。

いったい僕になにが求められているのだろう?


10月31日(火)の記 追われた人々をどう見るか
日本にて


今日は、僕にとって本籍地から最も近い場所での上映会。
目黒区役所の跡地にある目黒区中央町社会教育館にて、午後イチで。

目黒区主催の講座「追われた人々から見た日本史」受講者の有志が主催、ということらしい。
肝心の主催者がメールをたしなまなければ、郵便で手紙をよこすわけでもないので、連絡役の人が奔走してくれて実現したものの、いまひとつ対象とする方々がよくわからない。

そもそもおとなしい方々だ。
「追われた人々をあなたたちはどう見るのか、あなたたちは何者か?」と問いかけようと思っていたものの、しらけて気まずくなりそうなのでやめておく。

さて、夕方から学芸大学駅近くの居酒屋で懇親会。
アルコールが入ると、これまで貝のようだった主催者の二人が、よくしゃべること。
連絡役の人から、日本史とブラジルを結ぶ壮大かつマニアックな共通の話題が出てきて、驚き。

目黒で、目を白黒。


前のページへ / 上へ / 次のページへ

岡村淳 :  
E-mail: Click here
© Copyright 2024 岡村淳. All rights reserved.