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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2017年の日記  (最終更新日 : 2017/12/04)
12月の日記 総集編 つごもりのひきこもり

12月の日記 総集編 つごもりのひきこもり (2017/12/04) 12月1日(金)の記 書籍の大海の小舟
ブラジルにて


サンパウロ大学の構内で、書籍市があるという。
このために仕事を休んだ連れ合いとともに、キャスター付きバッグを車に積んで向かう。

年に一度、今年で19回目。
年々、規模が大きくなってきたという。
今年は昨年同様、巨大な仮説会場が三か所つらなり、出版社の出店の数は50を超える。
ブラジルの書籍には定価が記載されていないのがふつうなのだが、全品50パーセント以下だという。

すでに日本語の書籍だけでも生涯読み切れないほど手元にあるし、蔵書の減量と処分を考えなければならない段階なのだが…
たいして欲しい本もないだろうと思っていたが、うれしい悲鳴。

食指が動くのはヴィジュアル系のものが中心だが、あまり大きくて重いもの、そして値の張るものは控えたものの…
ブラジルの書籍文化の奥深さを垣間見る。

販売者は即、出版社の人なのだろう、本のソムリエといった感の人が多い。
こちらが手に取った本について、いろいろなウンチクを聞かせてくれる。
そしてこっちが一冊所望すると、こっちが見逃していてわが嗜好に合った本を探してすすめてくれる。

「すてきな帽子ですね」。
と、女性の販売者に言われて、いきなりのことで気の利いた返しに詰まる。
日本ではいまさらとバカにされそうで使っていないが、ブラジルでは「となりのトトロ」の絵柄の野球帽をよく用いている。
日本の亡兄の遺品だ。
並んでいる書籍を見つめる男のかぶっているキャップの絵柄は、売り子の側からよく目につくのだろう。

この帽子、沖縄からブラジルを訪ねてきた女性にもほめられたな。
日本人に会うとわかっていれば、これをかぶっていかないのだが、サンパウロの街での偶然の出会いで。

さて、僕の買い物だけでキャスター付きのバッグがいっぱいになってしまった。
いい買い物をしたな。
久しぶりにブラジルに移住してよかったと思う。


12月2日(土)の記 『友よ!』
ブラジルにて


なんだか、公私ともに節目の時のようだ。
日本の、どちらかというとスピリチャル系の友人知人からの連絡が重なる。
ふしぎなことはあるものだ。

電気もバッテリーも切れて中断していたDVD『友よ!大重潤一郎 魂の旅』を観る。
メイシネマ祭でおなじみ、そしてお世話になっている四宮鉄男さんが聴き手と構成、編集を手掛けて、森田恵子さんが撮影。
この映画はメイシネマ祭で見ていたが、語りが中心で、きちんとひと通り頭に入っていない感もあり、DVDも譲っていただいた次第。

大病を抱えた記録映画監督の故・大重潤一郎さんから、生前に友人の四宮さんがその人と歩み、思考を紡ぎだしていく。
東京であわただしくしている大重さんに祖先たちが出てきて警告をする話、大重さんが少年時代に南九州の縄文時代の大遺跡・上の原の湧水を飲んでいて、後年ずばり『縄文』と題した映画をつくる話など、興味は尽きない。
そして大重さんの想いと、辻原登さんの小説『闇の奥』の壮大な設定との重なりに驚くばかり。

晩年の大重さんは、那覇に移り住んだ。
なんだかこっちも沖縄づいてきたかも。


12月3日(日)の記 きょうのおさかな
ブラジルにて


一家のいろいろな節目のなかの、日曜日。
今日は昼は連れ合いの実家、夜は人も来てのわが家の夕食で魚をさばくことになった。

路上市で…
マグロのトロ部分とヒラメを買う。
赤身と同じ値段のトロは、ちょっと臭みがあり、筋が多い。
ネギトロにでもすればいいのだろうが、それももったいない感あり。
が、筋があるのでうまく刺身におろせない。

ヒラメの刺身はもみじおろしでいただくことにする。
唐辛子が細かくおろせない…

検索して調べればそれぞれ妙案が見つかるだろう。
が、スマホでは手間がかかり、ノートPCを開くのは厄介な状況。
ああ、トロは筋でうまく切れない…

人生の節目に、筋はつきものかな。


12月4日(月)の記 節目の熱犬
ブラジルにて


ブラジルのわが一家の節目が重なる。
不肖の愚生は、祈ることぐらいしかできず、それも熱心とは言えず。

とりあえず一日断食。
夕食は、ホットドッグというリクエスト。
ソーセージの銘柄指定はあるが、お安い御用。

添え物にキャベツのカレー炒め、玉ねぎ・パプリカ・パセリのヴィナグレットソースをこさえるが、それでも楽なものである。

先週の遅れを挽回すべく、粛々と『リオ フクシマ 2』の編集作業。


12月5日(火)の記 コロッケ失敗学
ブラジルにて


今日の夕食のリクエストは、コロッケ。
昼間は暑くなりそうなので、午前中にジャガイモや挽き肉の買い出しに出る。

ジャガイモがつぶれないようでは、というのを覚えていて、午後はやめから、よくゆでておく。

挽き肉やタマネギなどの具を炒めて、ゆでたジャガイモと混ぜて成形…
べちょべちょで、成形どころではない。
ジャガイモをゆで過ぎたか。

以前にもこんな失敗をしたことを、いまになって思い出した。
失敗学の提唱、などを引用しておきながら、自分自身が失敗を経験として学んでいない。

ドキュメンタリー制作でも、おなじ過ちを犯していないだろうか?

コロッケづくりを手掛けると手がぐじゃぐじゃになり、ネットで対策を探すのを断念。
小麦粉から残りのタピオカの粉まで混ぜてみる。
これといった効果なし。

小判形、俵型への成形不能。
かろうじてボール状にして揚げ込み。
味は悪くないんだけれども。


12月6日(水)の記 沖縄通信
ブラジルにて


日中はビデオ編集と買い物数回。
夕方の買い物から帰ると、高層アパートは停電だという。
ビデオ編集中じゃなくてよかった。

15階までののぼりは、そこそこの運動だ。
エレベーターのなかに子供が閉じ込められているという。
わが子にも同様の災難がふりかかったことがある。

サマータイムの夏場で、まだ明るい。
台所が自然光で明るいうちに調理。
今日の献立はスパゲティカルボナーラ。
これも簡単でよろしい。
生クリームのストックがないことに気付いて、夕がたも買い物に出た次第。

真っ暗になる前に電気は戻る。

ここのところ、在沖縄の友人知人と交信をしていた。
夜、濱田庄司の本を読んで驚く。
来年は、濱田がはじめて沖縄を訪れてからちょうど100年だ。
だからどうなのか、を考えてみよう。


12月7日(金)の記 森と町
ブラジルにて


サンパウロのわが家の近くは商業地区、商店街がいくつもある。
しょっちゅう変化があって、歩いていて面白い。
森を散策するのと同じものを感じる。
僕の馴染んでいる亜熱帯や熱帯の森は、少し時間を置いたり、道をUターンして歩いてみるだけで新しい発見があるのだ。

近所で、こちらの嗜好に合うような気の利いた店のオープンを見つけた時のよろこび。
明日の来客に備えて、隣り駅の近くに開店した自然食材店に。
ちょっと売り子、多すぎかも。
アテンドした売り子が自分の名前をレジで言うように告げて、レジでも誰がアテンドをしたかを聞かれる。
今日は自分で選んだので誰もアテンドしていないのだが、誰がアテンドしたかを聞かれた。
客の方が、店にサービスするというわけか。

わが家の裏手に、高そうなチョコレートやケーキを製造販売する店ができて、カフェも飲めるようになっている。
思い切ってカフェをいただく。
いっぷくのひととき、スマホやメモ帳をいじりながら、思わぬ気付きがあったり。

カフェジンニョ(デミタスカップサイズのコーヒー)に小グラスの炭酸水、ほんの小さじサイズのチョコレートもついて、こじゃれている。
お値段は邦貨にして200円以上、そうしょっちゅうは来れないな。


12月8日(金)の記 無原罪
ブラジルにて


今日はカトリックの「無原罪の聖母」の祝日。
ブラジルの国民の祝日ではない。

わが家から徒歩30分の距離にあるカトリック教会の午前7時からのミサに預かってみる。
ミサによっては、そうとうだらだらしたものもある。
しかし今日は平日であり、参列者も通勤通学の前に、といういでたちの人が多い。
神父の説教もなく、30分できっちりと終った。

教会の入り口に、おなかの大きい聖母マリア像が飾ってある。
現在はクリスマスを待つアドヴェント:待降節に入っているので、期間限定のようだ。

今日の「無原罪の聖母の祝日」というのは、カトリックの教義に基づくもの。
乙女にして身ごもったマリアは、アダムとイヴ以来、人類が背負っている原罪を免れている、というもの。
プロテスタントの場合はこれを認めないことが多い。

処女懐胎とはどういうことか。
さる日本人の女性から、自分の体験から聖母マリアの処女懐胎というのは実際に起こり得ることとして理解できる、とうかがったことがある。
デリケートの話だけに、こちらから具体的に聴くことは、はばかれた。

その方はすでにお歳を召し、体調もすぐれないらしい。
思い切って、尋ねてみようか。


12月9日(土)の記 写真のボタ山
ブラジルにて


日本で買ってきたDVDの『ベン・ハー』(1959年版)を見始めて…
こちらの義兄から、実家でつくるアルバム用の写真を明日までに供出するように、との指令が。
なるべく早く、とは聞いていたが、急に明日までとは。
『ベン・ハー』はお預け。

すでに紙焼き時代のものは発掘してあった。
デジカメ使用になってからの未チェック分、10年分ぐらいのばらばらのデータから抜き出さなければならない。

今晩は気になっている映画を観に行こうと思っていたが、それどころではなくなる。
夕食の支度も、パス。

はからずも今回、日本から担ぎ始めてきた上野英信編著の『写真万葉録』のエピソードを想いだす。
(全巻を購入したものの、頼まれもの荷物がたたって自分の書籍を削らざるをえず、最初の2巻だけ持参した。)
上野を師と仰ぐ犬養光博牧師が拙作『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』で披露している。
筑豊文庫の一室に山のように写真を積んだ上野はまさしく鬼となり、この作業で寿命を縮めたという。

こっちが写真の整理を怠ったツケが回ってきた。
落ち着いて『写真万葉録』に浸れる時よ…


12月10日(日)の記 キリストの物語
ブラジルにて


家族写真大作戦。
なぜかデジカメのデータがPCにコピーすると解析不能になったりする。
別の方法を模索。
僕の方は、とにかくもとのデータの抽出と送り出しに専念。
チョイスは連れ合いに任せる。

可もあり不可もあり、最低限を上回る確保はして、意外と早く終了。
夕刻から『ベン・ハー』の続きのDVDをみることにする。

この映画は僕が記憶する、映画館で観た覚えのある最古の映画だ。
目黒の権之助坂にあった洋画館で、亡き母、兄と一緒だったかと。
僕は幼稚園に行っていたか、まだだったかという年ごろ。
ガレー船を漕ぐ奴隷たち、馬車レースのシーンをかすかに覚えている。

映画青少年になってからふたたび観た覚えがあるが、いまやすでにストーリーのディテールを覚えていない。
今回、冒頭に『Ben-Hur:A Tale of the Christ』が原作、と掲げられるのに気づき、この作品のほんとうの主人公はイエス・キリストであったことを知る。
主人公ベン・ハーは、イエスの生涯と奇跡を伝えるための狂言回しだったのだ。

『ベン・ハー』のリメーク版が先日、ブラジルでも大々的に公開されたのは記憶に新しい。
調べてみると、2016年版は祖国日本では劇場公開されずにソフトが販売された由。
1959年版は日本でも記録的な興業の成功だったようだが、リメーク版は公開もされないとは。

公開、先に立たず。


12月11日(月)の記 グァラナ効果
ブラジルにて


さあ今日は1日断食。

血圧を測ってみて、ぐっと上がっているのにびっくり。
思い当たる節…

先週末から、自家製ヨーグルトに、アマゾンの日系農家からもらってずっとそのままにしていたグァラナの粉末とヨーグルトを混ぜていただいていた。
いまひとつ気力、元気に欠ける感があり、アマゾンの恵みグァラナでカツを入れてみようかと思った次第。

以前にもグァラナ酒服用のせいか、血圧が上がったことがあった。
ちょっと様子を見てみよう。

『リオ フクシマ 2』の本編集、一気にエンディングまで突き進んでしまった。
軽い虚脱感とともに、さっそくナレーションの完成と録音をどうするかという次のミッションに向き合わねば。


12月12日(火)の記 左脚忘却
ブラジルにて


『リオ フクシマ 2』は手書きのナレーション原稿をふたたび尺合わせをしながら、推敲しつつパソコンに入力する段階に。

さて。
今世紀初頭から乗っていたわが車を、急に変えることになった。
今度の車は今日、入手できると昨日、連絡あり。

はじめてのオートマチック車。
けっこう、相当な緊張。
車で迎えに来てくれた知人に、道中、オートマ車の心得の指南を受ける。

非日系人のメーカーのスタッフは、早口でそもそも理解のむずかしい電話の送受信機能などをべらべらまくしたてる。
生まれて初めてのオートマ車なのだから、ゆっくりとまず基本を教えてくれ、と頼む。
先方は僕に見切りをつけて、立ち会ってくれた義弟に早口でまくしたてることに。

いやはや。
近くのガソリンスタンドまで同乗してくれたスタッフは、うって変わった丁寧ぶり。

さあ、大渋滞の夕方のサンパウロに突入して帰宅しなければならない。
決死の覚悟。
オートマ車の運転にあたっては左脚を忘れること、と何人もに言われた。
左脚は手持ち、いやさ足持ちぶさた。
ギアチェンジの右腕も。
これは、どうやらラクのようだ。

案ずるより産むがやすしとは、よく言ったもの。
死んでみたら、こんな感じかもしれない。


12月13日(水)の記 受精告知
ブラジルにて


受精と受胎は、おんなじか、あるいはどう違うのか。
調べてみると、ひと言で片付かないみたいだ。
興味のある向きは、ご自身で調べられたい。

『リオ フクシマ 2』のナレーション書き上げと読みの練習と並行して、前作『リオ フクシマ』を見直しておく。
ナレーションの調子からして異なるのだが、あえてこれでいこう。

『2』の方が、いまの僕には格段に面白い。
ある意味で、僕の集大成でもあるだろう。

前作をご覧になった日本のさる女性が「受精の瞬間を思わせる」というコメントをくださった。
どう返していいか、とまどったが、すごい言葉をいただいてしまった。

前作は確かになにかの受精を感じさせないでもない、言わせていただければ壮大な序章なのかもしれない。
いわば『2001』のスターチャイルドが、リオの6月18日に覚醒か。
セルトンは、海となり。

ナマ殺しは、きつい。
なじみの録音スタジオに電話をして、思い切って明日の午前中を予約。

さてさて、おのおのがた、討ち入りでござる。


12月14日(木)の記 イピランガのささやき
ブラジルにて


さあ今日はサンパウロのイピランガにある録音スタジオでの『リオ フクシマ
2』ナレーション収録。
1時間以上の長尺ものの収録は、久しぶり。
今回の作品は、僕のモノローグとしての語りがそこそこのウエイトを占める。
いやはや緊張。

先方はブラジル人のオペレーターひとり。
経費は日本の格安スタジオより、さらに格安に抑えられる。
しかし思わぬ落とし穴もあり、予断は許さない。
調整室や外の雑音が入ったり、なにせすべて日本語の語りなので、オペレーターのミス、こっちのミスをすべて管理しなければならない。

とりあえず、昼過ぎに終わった…
ついでに、現在そろそろと進めている取材のロケハン。

帰宅後、おそるおそる素材をチェック。
ナレーション音声の編集とミックスダウンを始めてみる。


12月15日(金)の記 隠された皮
ブラジルにて


午前中から『リオ フクシマ 2』のナレーションの編集とミックスダウン作業。
スタジオからのナレーション素材の音声レベルが低すぎるようだ。
わが家でこれを修復するためのアナログ技をデジタル機器で行なう。

これに数時間要して、さあはじめからやり直し。

年末でもあり、家族には祝うべきことがいろいろある。
今晩は手づくり餃子をつくりましょう、と提案。

炎天下の買い物に出たはいいが。
え、こんな小さくてこきたない白菜がこの値段?
キャベツだけにするか。
あ、これはオルガニックだから高いのか。
体積は数倍、値段は半額近い非オルガニック白菜を購入。

うう、ニラも高い。
青ネギだけにしておこう。

肉屋で挽き肉を買って帰ろうとして、日本食材店で餃子の皮を買い忘れているのに気づいた。
行ってみるが、いつもの冷凍食品のケースに見当たらない。
春巻きの皮はあるが。
他の日系食材店に行くしかないかな。

カウンターの兄貴に聞いてみると「あらねばならない」(試訳)とのことで、奥にいた非日系の若いスタッフに探させる。
若者は冷凍食品ケースの奥底まで体を突っ込む。
「隠したな?」
「しまっておいたんですよ」
いくつとも言わないのに、20枚入りブラジル製餃子の皮を2パックよこした。

今日は餃子のハネがうまくいかず。
皮が破れてしまったのを僕がいただく。


12月16日(土)の記 アレンケ鮨
ブラジルにて


朝、少しだけ映像編集作業の続き。
年末モードで、お付き合いのイベントに昼前から出る。

オーケストラの指揮者コースの生徒たちの発表会。
クリスマスにちなんだ曲のサワリ程度を、卒業生たちがそれぞれ指揮する。
その合間に「4人目の賢者」のエピソードが語られるという趣向。
イエスの誕生に立ち会う東方の三賢者、実はもうひとりいたが落ちこぼれた、という話があったのだ。
キリスト教の真髄をついたような話。

先週、見逃した映画『希望のかなた』を見よう。
こちらの情報誌でガイジンたちが日本飯屋に挑もうとしている光景らしいPR写真を見て、気になっていた。
アキ・カウリスマキ監督作品だが、なんと日本でも封切られたばかりと知る。
フィンランドに密入国したシリア難民が主人公だが、喜劇と銘打っているのがすごい。
祖国日本で難民を扱った映画をつくって「喜劇」としたら、攻撃にさらされるかも。

にわか日本飯店を開けて、鮨ネタがなくなり、ポルトガル語の字幕で arenque という魚の塩漬けの缶入りがあるから、それを使ってみよう、というくだりがある。
かつてポルトガルから来た友人が土産に持参した缶詰の魚がこの名前だったので、調べたことがある。
ニシン、だったかと。

アマゾン北岸にアレンケーという町があり、まずそれを思い出した。
調べてみると、この町の方は Alenquer だった。
同名の地名がポルトガルにあるが、アマゾンのこのあたりには Obidos などポルトガルの地名をそのままあてたところが散見する。

映画の主人公は、シリアのアレッポでの戦闘から間一髪で逃れてきた。
アレッポといえば、かつて同じ屋根の下で働いた山本美香さんが殉職したところ。
今後はこの地名に接する度に、この映画と主人公を思い出すことだろう。

ちなみに映画の日本メシ屋の客としてヘルシンキ在住らしい邦人がごっそり登場するが、さすがにこの人たちはクレジットされていなかったようだ。
ガイジンのインチキ日本メシという意味ではブラジルに通ずるものがあり、喜劇というより、「被害」当事者として泣かされたぞ。
ワサビがきつい。


12月17日(日)の記 オートマ車と焼き物
ブラジルにて


今日は在ブラジルの焼き物師、鈴木章子先生の蔵出しに声をかけていただいた。
朝イチでサンパウロ市近郊のお宅までうかがう。

オートマ車をわが家に持ち帰って以来、はじめての運転。
そしてはじめてサンパウロ市外に出て、はじめて街道を運転。
そろりそろりと。
坂道での速度維持、バック時のアクセルの踏み具合などがまだ慣れていない。
あとは、きわめてスムースな感じ。

他の訪問者に買われないうちに、思い切って湯呑を二つほどキープさせてもらう。
章子先生はそれぞれの制作年代を覚えておられる。
ひとつは80年代、ひとつは90年代とのこと。

ご近所にお住まいの画家、金子謙一先生がムードメーカーとして活躍。
客足が途絶えた時の、金子先生とのアート談義などよもやま話が面白い。
僕の方は聴き手だが、新たに強烈なお話を聞いてしまった。

それにしても、郊外のひと時の気持ちよいこと。


12月18日(月)の記 うみのみカレー
ブラジルにて


今日は家族のお祝いで、わが家にしてはごちそうをつくることになる。
月曜恒例の一日断食は、明日にしよう。

シーフードカレーでいくことに。
冷凍もののエビとイカを買うか。

冷凍食品専門店に。
安め小ぶりのエビを物色。
お、パエリャキットというのがある。
イカ、エビの他にタコ、ムール貝も入ってお値段もリーズナブル。
これに決定。

ポルトガル語ではこうした海産物を fruto de mar、「海の果実」という。
日本なら、シーフードか。
日本語には、海幸という素敵なことばがあるのを思い出す。

うみさちは、カレーにしても実によいお味が出るな。


12月19日(火)の記 圧力ぎらい
ブラジルにて


さて、今日は一日断食。
粛々と『リオ フクシマ 2』の仕上げに向かっての作業。

また納豆づくりに挑んでみることに。
昨日から大豆を水に漬けておいた。

ヨーグルトメーカーという福音をもらったおかげで、どうやら基本をはずさなければ失敗しなくて済みそうだ。
なおもいちばん面倒なのは、大豆を煮る行程。

かつてネットで調べた頃は、3時間ぐらいと覚えた。
そして当時うまくいかなかった敗因に、大豆の茹で足りなさもあり得そうだった。
ヨーグルティアに付属の納豆菌のメーカーの説明書には、9時間は煮ることとある。
9時間!

そもそも圧力鍋なら相当の時短、燃料費の節約ができるようだ。
が、日本時代から圧力鍋というのは使ったことがない。
ブラジルでは、下々の家庭でも圧力鍋は一般的のようだ。

もうそこそこ前の事件を思い出す。
僕が、サンパウロから約600キロ離れたフマニタスを訪ねた時のこと。
診療所の調理場で圧力鍋の爆発事故が起こった。
たまたま炊事の女性が席を外した時だったが、調理場はかなりの状況になったとのこと。
福島原発事故より前のことだった。
後学のため、現場を見ておくべきだった。

圧力鍋の日本での価格を調べてみると、ウン万円。
こちらでは、その数十分の一の値段のが売られている。
ふむ。
このフマニタスの事件の他に身近な圧力鍋の事故は記憶にないのだが。

ま、ことこと煮でいきますか。


12月20日(水)の記 ダージリン
ブラジルにて


日中、ビデオ編集と買い物の合間にカードを2枚ほど書く。
ブラジル国内の郵便料金をネットで調べて、切手とカードを選んで…
いずれも電話では用件の伝わりにくいお年寄り宛て。

夕食後の気ままな読書。
日中、モニターを凝視している時間が多いので、活字ぎっしりの本はパス。
画集、展示の目録など。

昨年、日本から担いできたものの文字部分がそこそこあって読み切っていなかった『吉田博展』の目録をはじめから繰り直す。
昨年の千葉市美術館の展示では、ナイヤガラ瀑布の木版画に目をみはった。
なんと1925年、大正年間の作品だ。
アーチストは滝をどう表現するかに興味を持つが、これは屈指の作品。

改めて目録を見直すと、初期の日本の風景を描いた水彩画がいい。
吉田博は、高山を愛して世界各地の高峰に挑んだ画家としても知られる。
1931年の『風景(ダージリン)』と題した油彩画の絵面に見覚えがある。

ああ、矢崎千代二か。
目黒区美術館の『日本パステル畫事始め』展の目録の表紙も飾っている絵である。
1920年頃のパステル画で『残照ダージリン』。
ヒマラヤの主峰カンチェンジュンガの雪肌をてらす残照の表現が、すばらしい。
矢崎はブラジル移民、そして大アマゾンなどこっちの食指を動かす少なからぬ作品を残しているが、目黒の展示でもっとも僕を捉えた作品のひとつがこれだ。

言わせていただければ僕は吉田博の作品の方により惹かれるが、ダージリンに関しては矢崎がずっといい。
改めて見比べると、二人とも同じポイントからの視点で描いていることがわかる。
てっきりヤマ屋の吉田の作品の方が先かと思っていた。
吉田が矢崎の作品を知っていたかどうかはわからない。
矢崎は1872年生まれ、吉田は1876年生まれ。

吉田はあえておいしい残照のダージリンの光景は矢崎に敬意を表して描かなかったのでは、などと勝手に夢想してみる。

今度、ダージリンの紅茶をいただく時は、別の風味を味わえそうだ。


12月21日(木)の記 夏至23度
ブラジルにて


日本の冬至は、ブラジルの赤道以南では夏至となる。
犯罪都市サンパウロでは夜7時過ぎても外がまだ明るいというのは、ちょいと安心である。

最近、SNSでアメリカのスミソニアン研究所の面白い研究成果が伝わってきた。
メキシコなど中米にある古いカトリック教会は、冬至の際に太陽光線が祭壇に差し込むように設計されているという。
ヨーロッパ人到来前の先住民の信仰と嗜好を踏襲したらしい。

アメリカ大陸の先住民は南北両大陸に拡がっている。
北半球側と南半球側での相違は如何。

『リオ フクシマ 2』は僕あたりはミックスダウンと呼んでいる、音声の位置とレベルの調整をひとまず終了。
これから、通しでチェックする作業に入る。


12月22日(金)の記 年の瀬のへろへろ
ブラジルにて


昨日、ひととおりりチェックを終えた『リオ フクシマ 2』をあらたに通しでチェックする作業。
ナレーションの音量(怨霊、と変換されてビックリ)など、機械の表示と自分の耳での体感とズレがあり、むずかしい。
編集機もヘッドフォンもクオリティは家内工業レベルであるし、こちらは音響いじりの基本すら学んだわけではない。

ディレクター時代には音響効果さんにお願いするのも気が引けて、また当時の僕には関知のできなかったような細かい作業を重ねていく。
いやはや、時間がかかる。
それにしてもいろいろなアナログな裏技を編み出せるものである。

今晩はお好み焼きをつくろう、と宣言していたものの、買い物に行く時間どころではなくなったしまった。
20時にヤマイモの売っている青果系のスーパーが閉まるまでにはなんとか、と思っていたが、気がつけばもうその店の閉まっている時間。

家族には冷蔵庫冷凍庫にあるもので勘弁してもらう。
どうやら今のところ『ブラジルの土に生きて』改訂版の時のような機械のトラブルはなく、こぎつけた。
夜明けは近い、と願う。


12月23日(土)の記 場末によろこびあり
ブラジルにて


日本人の友人と昼食をともにすることになった。
わが家の隣駅近くにある、ちょっと入りにくい場末系の店にするか。
すでに当地はクリスマス年末モードのため、今日開いているかどうか、昨日行ってみて確かめるつもりだったが、泥濘の作業で昨日はわが家を一歩も出れずじまい。

11時半に地下鉄の改札口で待ち合わせ。
お目当ての店は見事に閉まっている。
が、そのちょっと先に、より、というかかなり気の利いた店がある。
最初に来て値段も味もアテンドも気にいっていた。
が、最後に来た時は客が増え、昼間っからのライブ演奏がやかましくて客人との話にならず、それっきりになっていた。

今日は、暗くがらんとした店内の客席でサンタ帽をかぶったウエイターがまかない飯を食べているだけ。
今日もライブはあるのかと聞くと、午後2時からだという。
まだ2時間以上ある、ここにしよう。
ブラジル北東部料理を銘打っているが、なかなかおもしろい創作をしている。
たとえばあえて日本語にするとブラックビーフという料理の味付けを聞いてみると、牛肉を黒ビールとショウユで煮ているという。
味はよろしい。
創作料理盛り合わせとビール大瓶4本。

いつの間にか演奏も始まっているが、こちらの話題は尽きない。
もう一軒いこう、と勘定を頼むがライブ音楽チャージもサービス料も入っていないのが申しわけないぐらい。
この店、初心に戻ったな。

さて二軒目に苦労した。
友をそこそこ歩かせて、住宅街にあるカトリック教会前の広場に出た。
日系人のおじさんがパステル屋のテントを出している。
ここで缶ビール。
店主のおじさんが日本語で「なにか食べ物は?」などと話しかけてくる。
ひと昔前の日本映画あたりで使えそうなマスクをしている。
日本で20年以上、就労していた由。
苗字は、生まれて初めて聞く日本の姓だった。
珍名の店主は日本のトンカツがなつかしい、と繰り返す。

雨が降りそうだから、と店じまいに。
店の若いブラジル人のあんちゃんが僕らに向かって「この店主はオカマだぜ。オカマって日本語でなんていうんだっけ?」と話しかけてくる。
すぐにオカマの語が出ず、ゲイとしておく。
友は、日本じゃ店主の前で従業員はこんなことは言わないだろうと大喜び。
僕はあんちゃんに「キミはカレにその悦びを教わったってわけか」と返して一同にウケる。

雨が降らないうちに、昨日買いそびれたお好み焼きの具を買って帰宅。


12月24日(日)の記 路上のクリスマス
ブラジルにて


ビデオ編集の追い込みに集中しているうちに、12月24日となってしまった。
今日はファミリーの方の運転手役で忙しい。

日本でいうイヴの日なので、日曜の路上市はお休みかと思うが、いちおう行ってみる。
と、ほぼ通常ムードでやっていた。
海幸類、有機野菜類を買う。
このため時間が押してしまい、押っ取り刀でハンドルを握る。

今年、気付いたことは、路上生活者たちが居場所にクリスマス飾りをしていること。
これはいままでは見逃していたか、あるいはないに等しかったかと。
毎年、年末になると相当数に路上生活者が増えるところがあり、正直なところ、怖いレベルである。

わがアパートの前のアヴェニーダにも、だいぶ増えた。
今月のはじめ、日曜の午前中に路上市の買い物の際、「おいニホンジン、コーヒー代くれよ」とせびられた。
わが妻は、酒代よこせと言われた由。
アパートの駐車場からクルマ、という人たちにはわからないかもしれないが、歩行をもっぱらとする人、そしてとくに婦女子にはアルコールとし尿の匂いがただようこの集団は相当の脅威だ。
もとからの人は、けっこうつましいのだが。

今日明日のブラジル国最大のフェスタ、クリスマスの主人公イエス・キリストと彼を教祖とするキリスト教の教義、彼の誕生物語りをみれば、イエスはこうした路上の人たちの側にいるのだろう。
かといって、コーヒー代を命ぜられるままに出せばいいのか。

答えにクルシミマス。


12月25日(月)の記 御出生以来二千十七年
ブラジルにて


今日も早朝から家族全員で出発。
近くのチャペルでのクリスマスのミサに預かってから、連れ合いの実家へ。
サンパウロにいる親類らが集って、昨日に引き続きクリスマスの昼食会。

この一族は見事にアルコールをたしなむ人がおらず、昨日も今日も食卓にシャンパンもワインもなし。
つい飲み過ぎるムキ、そして運転者には、ありがたいといえばありがたいのだが。

夕方、帰宅後に飲みそこなった分の挽回に努めようと思うが、案外飲めず。

今日のタイトルは慶長五年版のキリスト教教義書『どちりな きりしたん』の西暦の表記にならってみた。
日本ではクリスマスがキリスト教の教祖の誕生祝いということを意識するムキも些少だろうが、この日に西暦のことを想う人はさらに珍しいことだろう。
かたやプラントハンターがらみの神戸の巨大クリスマスツリー騒ぎか。

生態系も宗教ももてあそぶというのは、あぶないかも。


12月26日(火)の記 ミッション鬼笑い
ブラジルにて


さあ今年最後の一日断食。
『リオ フクシマ 2』の通しのチェックふたたび。

異常なまでに細かくいじくり過ぎて、『ブラジルの土に生きて』改訂版の時のように機械に異常が生じてデータが消えてしまうのが怖い。
このあたりで、いったん寝かしにかかるか。

日本での市民講座を担当する知人から、来年度の連続講座の実施の照会を受けて、アイデアを交換し合っていた。
その講座が先方の会議で実施と決定された、との報が入る。

まだまだ細かい詰めや、実施に足る受講希望者が集まるかなどの懸念があるが、まずはうれしい。
僕の在日本の友人知人らの協力を仰ぐ企画なので、それぞれにまず僕から打診を開始。

どうぞお楽しみに!


12月27日(水)の記 サルガドとコルボ
ブラジルにて


『リオ フクシマ 2』の作業がほぼ一段落つき、たまる一方の新聞類のチェックを合間を見ておこない始めた。

12月17日付サンパウロの大手日刊紙 FOLHA DE S.PAULO の日曜版一面トップの写真にたまげる。
ひと目でわかる大サルガドの写真、しかもかつて僕が『すばらしい世界旅行』時代にアマゾンの未接触部族として取材を試みた korubo の人たちだ。

サルガドがアマゾニアと題したプロジェクトに取り組むとは知っていたが、コルボだったとは!

この日のフォーリャ紙には、10ページにわたるサルガドとコルボの特集があった。
この日は早朝から焼き物師の鈴木章子先生のお宅までビデオカメラを担いでうかがい、へろへろになって帰ってきたので当日の新聞の表紙すら見ることがなかったのだ。

特集の見出しは「彼らはおびえている」。
サルガドが自分の最後の大仕事として、苦行に近い場所に自分を追い込むのは、このこと:コルボの人たちが材木盗伐者や金掘り(ガリンペイロ)たちによる侵略や襲撃に脅かされていることを訴えたいからだろう。

僕がコルボと縁を持つのは、日本映像記録センターのスタッフ時代、はじめてブラジルに派遣された1983年のことだ。
牛山純一プロデューサーの狙いは「私は保護官を殺した」と題されるシリーズとして、アマゾン先住民によるインディオ保護官らの襲撃事件を取材することだった。
先にアマゾン入りしていた先輩ディレクターは、若輩の僕にワイミリ・アトロアリとコルボの取材を命じた。

メインの取材は、アマゾナス州の州都マナウスの北部を居住地とするワイミリ・アトロアリだ。
彼らのテリトリーに国道を築こうとするブラジル工兵隊との闘争により、両者に相当数の犠牲者が出ていた。
その後、「文明側」との接触を拒んだワイミリ・アトロアリの動向はわからなくなっていたが、生き残った若い世代の一部がインディオ保護局の接触に応じるようになっていた。
先住民に殺された保護局スタッフの遺族へのインタビュー、新たな前線基地での接触活動の「再現」など、重くむずかしい取材だった。

次にわが取材班が訪ねたのは、ブラジルとコロンビア、ペルーの三国国境地帯のアマゾン最奥部だ。
そのさらに奥の奥を居住地とするコルボは、ナゾの部族としてインディオ保護局のスタッフにも恐れられていた。
毛髪を刈り上げ、弓矢を使わず棍棒を武器としていることが知られていたが、彼らの領域を材木盗伐人たちが入り込み、調停を試みたインディオ保護局のスタッフがコルボの棍棒で撲殺されるといった事件が生じていた。

放送日も間近に迫ったテレビ取材の我々の限られた取材日数では、当時のコルボ接触活動最前線基地までたどり着くこともかなわなかった。
大アマゾンの支流の支流が頭蓋骨の縫合線のようにジグザクを繰り返す細流を、モーターボートで何日もかけてさかのぼらなければならなかったのだ。
我々がたどり着けたのはかつての襲撃事件のあった現場までで、あとは前線基地のスタッフへの無線によるインタビューなどを取材したが、中途半端までもいかないコルボのくだりは、放送に用いられることはなかった。

その後も続いた当局による接触活動により、我々の取材から10数年を経て、コルボの一部との平和裡の接触活動が成功していたのだ。

サルガドは密林のなかにトラックの荷台を覆うシートを担ぎこみ、それでスタジオをこしらえてコルボの人たちのポートレイトを撮影した。
レンズとサルガドを見据えるコルボの人たちからは、まぎれもない尊厳が伝わってくる。

はるかなる大サルガド。
せめて、サルガジンニョのまねごとをしてみたい。
(サルガジンニョはポルトガル語で「小さいサルガド」の意味で、小腹がすいた時につまむスナック菓子のことでもある)
前世紀から、こんなことをつぶやき続けている。


12月28日(木)の記 師走の模索
ブラジルにて


だいぶ髪の毛がうっとうしくなってきたので、東洋人街の大塚さんのところで散髪。
ガルボン・ブエノ通りのチャイニーズの経営する大手の二軒の日本食品を扱う店は、いずれも超満員。
腐っても、暮れと正月か。

地下鉄代を使って出たついでに、気になるカルチャーイベントに足を運んでおく。
まず今年、パウリスタ大通りに移転してオープンしたものの、行きそびれていたインスチチュート・モレイラ・サーレスへ。
ブラジルの写真の殿堂だ。
日本の一部でブレイクしたブラジル移民の大原治雄さんの写真を発掘して世に知らしめたのは、ここの仕事だ。
今年いっぱい、アメリカで活躍するロバート・フランクの写真展を開催している。
シャレにもならないが、フランクな展示方法が刺激的。
もう少しゆっくり見たいが、映画の時間があり、早見で断念。
ちなみに入館料は、ロハ。

ブラジルで知られる映像作家のドキュメンタリーで、メディアの評もそこそこの映画を観る。
現在、模索中の拙作になにかヒントがありかと思って。

自分の母親が文化革命当時の中国を旅行して撮った8ミリフィルム(彼女は映像はアマチュア)から始まり、パリの1968年の学生の騒乱の動画が続く。
監督自身のモノローグが語られるが、こちらのヒアリング能力では、ニュアンスまで聞き取れない。
意図と脈絡が不明な映像を延々と見るつらさ。
最後はまた、中国の映像。

帰って調べてみる。
映画の方は、解説や評論を読んでもよくわからない。
思わぬ掘り出し物の母親の映像を、理屈からフーテージから総動員でなんとかしよう、に尽きたのかも?

いっぽう、今年日本で『ロバ―ト・フランクの写した時代』と題されたドキュメンタリー映画が公開されていたのを知る。
彼は、自分が取材されたことは嫌ったようだ。
この映画の方が、いまの僕にはずっと参考になったかも。


12月29日(金)の記 もうピザは見たくない
ブラジルにて


年末正月モードで、いろいろ。
連れ合いの実家の件で、クルマでお使い。
午後、日本宛てに今年中の消印で送っておきたいものがあり、郵便局へ。
なんと今日はまだ平日だが、最寄り局はお休み、もう一軒回るがそっちもお休み。
しかもいつからいつまで休みかの貼り紙もなし。

大通りにSEDEXという速達書留便の配達車を見つけたので、配達員に聞いてみる。
窓口の業務は来週の火曜、つまり来年1月2日からの由。

夜、家族で徒歩圏のピザ食べ放題の店へ。
念のためネットで調べるとひとつのサイトには今日はお休みとあり、もうひとつにはオープンとある。
電話をしてみるとオープンの由。
邦貨にするとサービス料込みでひとり約2000yenだから、安くない。
もちろん、飲みものは別。

さっそくShiitake(シイタケ)といった変わり種がまわってくる。
シイタケ、僕はパス。
一切れあたりが大きすぎると連れ合いはこぼすが、たしかに。

ピザ以外にもチキンのグリル、干しダラの揚げボール、ポテトフライなども食べ放題。
が、サラダ系が欲しくなる。

意外なほど食べられず、数枚でウンザリしてくる。
レタスの乗ったモンテカルロというのや、アーティチョークなどを最後にもらうが、チーズと厚手の生地にはすでにうんざりで、具だけをつまむ。

かつて知人の家族と日本食(もどき)食べ放題に行き、そこの娘がスシのネタだけ食べてシャリをそのまま残すのに、いかがなものかと思った。

それが我が身に返ってくる。
ああ、今年はもうピザは見たくない。


12月30日(土)の記 つごもりのひきこもり
ブラジルにて


家族はそれぞれ休暇。
おのおの所用をすませに行ったり、映画に行ったりで外出。

愚生は『リオ フクシマ 2』の微調整。
まだダビングをやり直して、チェックして…

昼はまだ家族もいて、冷蔵庫と台所のありもの、こっちの食べたいものも考慮して、ジャージャー麺をさっとこさえる。
ふむ、急ごしらえにしてはうまい。

けっきょくダビングのやり直しと再チェックで、今日も一歩も外に出ず。

夜は台所の残りものに、大根の醤油カレー。
明日は朝から撮影が入り、早めに休む。

大みそかや正月の撮影なんざ…
故・橋本梧郎先生との晩年のお付き合いではあったな。


12月31日(日)の記 主はたとえで語った
ブラジルにて


新約聖書の伝えるイエスの話には、ブドウ農園のたとえがいくつもある。
ブドウ農園が語り手にも聴き手にも身近だったのだろう。

僕はゴジラにでもたとえるか。
観客が、怪獣映画、しかもゴジラものだと思って映画を見に行ったとする。
肝心のゴジラの方はもったいばかりでさっぱりで、ようやく出てきたのがミニラの尻尾ぐらいだったとしたら。
そもそも人間ドラマを期待して怪獣映画に足を運ぶ人は、存在するのだろうか。

好き勝手にドキュメンタリーと称するものをこさえているつもりでも、少なくとも自分を観客として快か不快かを判断する回路は持っているつもりでもある。
さあ、どうするか。
怪獣映画と思われないようなつくりとするか。

大みそかの日曜、朝イチでクルマにビデオ撮影機材を積んで、サンパウロ市外へ。
雨か。
現場は、異常なまでの雨だれの音が響く。

昼前に、連れ合いの実家へ。
妻子はおせち料理作成部隊として活躍。

怪獣映画に見られかねない映画を、ほんらいのホームビデオに戻して仕切り直すか。


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岡村淳 :  
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