移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
岡村淳のオフレコ日記
     西暦2018年の日記  (最終更新日 : 2018/09/20)
1月の日記 総集編 ファミリービデオ

1月の日記 総集編 ファミリービデオ (2018/01/03) 1月1日(月)の記 ファミリービデオ
ブラジルにて


祖国日本に11時間遅れてブラジル・サンパウロも新年を迎える。
朝から家族4人で車で出発。
いつまでこの家族4人で動けるかな。

がらんとした大都市、数件のバール(大衆系軽食店兼イッパイ飲み屋)がかろうじて開いている。
まずはなじみのチャペルで元旦のミサに預かる。
祈り、そして祈りとは何かを考える時間、なんちゃって。

次いで昨日に引き続き、連れ合いの実家へ。
「昨年から」考えたあげく、ビデオを回すことにした。
ビデオを担ぎ、構え、回しながら考えていく。

ファミリービデオから怪獣映画に化けかけたものを、もう一度、ファミリービデオに戻す。
クリスマス時期からミサで語られているのも、家族、だったな。
さあ、それを他人様の観賞にも耐えられるものにできるかどうかが、料理人の課題だ。

ビデオカメラを回しながら、デジカメを取りに行く時間でシャッターチャンスを逃すと考え、急きょスマホで静止画も撮影。
宗教画の趣もある一葉を撮ったと、自画自賛。

わが家に戻ると、妻子は準備と接待疲れ。
わたくしは、もらってきた手づくりおせち料理の残りをサカナに、ちょびっといただく。


1月2日(火)の記 新年の後出し
ブラジルにて


断食はじめをしようかどうか。
正月二日。
わが家からは一人、さっそく出勤。

が、日本人としてのナマケ癖もあり。
三が日のうち、今日まではお酒をいただこう。

こちらのファミリービデオの前世紀撮影の素材を探す。
意外と手間取ってしまう。
見つかってよかった。

自分で撮影したものながら、撮影場所もよく覚えていない。

合い間に古新聞のチェック。
昨年11月の邦字紙のコラムにたまげる。
ジブリの宮崎駿さんが吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を次回作として準備中の由。

僕は恥ずかしながらこの書名も知らなかった。
昨年最後の訪日の際、川崎での上映会にいらしてくれた方が、持参していた岩波文庫版のこの本を僕にくれたのだ。
付箋が貼られ、鉛筆で横線も引かれている。
この方は質疑応答でも「翻訳の暴力性」といった実に刺激的な問題を投げかけてくれた。

この本はブラジルに担いできたが、御礼の連絡をするためにも読み始めてみた。
コペル君と呼ばれる中学2年生の少年が主人公。
彼が日常の諸々から感じ、考えて、悩んだことをノートに書き、それに彼の叔父さんがコメントを加えていく。

さてこのコペル君、欧米あたりの少年ではない。
大日本帝国の臣民なのだ。
しかもこの本の初出は1937年、盧溝橋事件が生じた年であり、もちろん生まれていなかった僕にとっても想うだけで息苦しい時代だ。

そのなかでコペル君が考える問題が、最近、僕がブラジルの森のなかで考えたことと重なるではないか。
この本のツッコミどころについては丸山真男がこの文庫版に収録された文章で鋭く指摘している。

それにしても、未曽有の破滅に向かうアリ地獄のような状況のなかで、いまなお新しいこうした本が出されていたことが驚異だ。
叔父さんはよきリベラリストの権化のような人で、『となりのトトロ』の父親(考古学者!)あたりをほうふつさせる。
そして時代設定はずばり『風立ちぬ』。

こちらの編集作業が一段落ついて、さっそく年末に読了して、「宮崎駿さんが映画にしそうな世界」と贈り主にメールで伝えていたのだ。

その後の彼らは、どう生きただろう?
リベラルな叔父さんは、特高警察に目をつけられ…
コペル君は、学徒出陣。
雨の神宮外苑か。
ここでもユーミンの『ひこうき雲』が聴こえてきそうだ。

年末の日本からのニュースで、日本の総理夫人がユーミンと会ったというのがあったな。
今年こそは『あべさりぬ』を期待したい。


1月3日(水)の記 はつつなぎ
ブラジルにて


さあ三が日のうちから、一日断食を挙行。

思うことあって昨日、取り込んだ映像の編集を開始。
前世紀末の、こちらの義弟の結婚式の映像だ。
すっかり忘れていたが、この時はわが夫婦が仲人も頼まれていた。
ちなみにこちらの結婚式の仲人は、何組、立ててもよろしいとのこと。

カトリック教会での結婚式の場合、仲人はカップルで新郎側新婦側に分かれて祭壇前で起立していることになる。
義弟の時の仲人は、新郎側、新婦側それぞれ二組ずつだったようだ。

さて、そのためさすがに列席中は撮影というわけにはいかない。
その間は義兄義弟にカメラを回してもらっていた。

まあ、最低限以上は撮れているではないか。

経年変化の故か、撮影素材のドロップアウト部分をだましだましのアナログわざで修復。
まさしく、修復だな。


1月4日(木)の記 かえらざるエビ
ブラジルにて


昨日に引き続き、こちらの一族の慶事のビデオの映像チェック。
前世紀のイベントながら、当事者撮影者として汗顔の至りの部分も。
編集者構成者の特権で、極力カットしちゃおう。

さて。
クリスマスにも新年にも生まれなかった。
昨年の訪日の際、ガシャポンでフェアリーシュリンプの飼育セットというのがあり、ゲットした。

日本の少年時代、シーモンキーというのがはやったことがある。
そもそも少年マンガ誌に通信販売の広告が盛んに掲載されている時代。
当時、シーモンキーは300円ぐらいだったろうか。

北アメリカの塩湖に生息する、ブラインシュリンプと呼ばれる生物だったと記憶する。
卵は乾燥に耐え、容器に塩水と卵を入れて孵化させて飼育と観察を楽しむ、という趣向だった。
成長するとエビによく似るプランクトンだが、海猿とは思い切った名前にしたものだ。
青い溶液のなかで1センチ以上に育ったシーモンキーの泳ぎを観察した覚えがあるが、次の世代までは育てきれず、サルものは追わずとなったと記憶する。

さて今回のフェアリーシュリンプは、淡水で育てるとある。
調べてみるとヨーロッパ原産で、日本の敗戦後、神奈川の海岸近くで発見されたホウネンエビというのに近いようだ。

通常、水に卵を入れて1-数日で孵化の由。
クリスマスの数日前に始めたが、クリスマスどころか新年になっても動いているものは見当たらない。
すでに2回、新たに卵を追加している。

汲み置きしていない水道水はNG、低温や日照時間が少なくてもNGとのこと。
水は水道水を浄水器を通して汲み置いたものを使っているし、こちらは冷夏とはいえ亜熱帯の夏だ。
飼育容器(大きめのワイングラス)に直射日光も当ててみている。
1ミリに満たない茶色い卵から、白いものが出ているようにも看取できるが、動きがまるでない。

相手はフェアリーなだけに、飛んで行ったのだろうか。


1月5日(金)の記 森ゆかば
ブラジルにて


今日は連れ合いとその母を連れて、サンパウロ近郊のエコ・ロッジへ。
先月から乗り始めたクルマは、ガソリンでもアルコールでもOKの由。
大みそかにはじめてアルコールを入れてみた。
価格はガソリンの3分の2。

今日は起伏のある街道を行く。
そもそもオートマチック車のアクセルの踏み具合がまだよくわからないが、アルコール使用のせいか、のぼりでパワーが出ない感じ。
いずれにしろ、飛ばす気はまるでないのだが。

連れ合いが知人に教えてもらったレストランが、なかなかのアナ場。
オーナーもなじみ客も、話し好き。
「この木なんの木」といったこっちの質問から、延々と話が続く。
サンパウロの都市圏とは異質の時間感覚だ。

宿は、勝手知ったるところ。
今回はひとりでガサガサ森を歩き回ったりせずに、連れ合いとともに義母のよもやま話に耳を傾ける。

夕食後は、ひとり気になる沼まで行ってみる。
多種のカエルのオーケストラを堪能。
ホタル(ヒカリコメツキ)の群舞が伴なう。
そこそこのリフレッシュ。


1月6日(土)の記 夢のファイル
ブラジルにて


海岸山脈の宿。
未明。
夢で、声を張り上げて、目を覚ます。

蛇の夢だ。
タッパー状の容器にヘビを入れたものが、いくつか僕の手元にある。
撮影に使うもののようだ。
ひとつは使い切ったが、まだ残りの容器があり、それにはブラジルの猛毒蛇ジャララカの小さいのが入っている。
そのままアパートのゴミとして捨てちゃおうか…
廃品収集スタッフに危害があったらどうしよう。
なぜ声を上げたのかは、よく思い出せない。

それにしてもこの夢の世界は、それなりにかなり奥深さ、厚みがあることを感じた。
いっときの夢の構築とは思えないほど。
いわばパソコンでいうファイルのひとつとしてこの夢の世界があり、ふだんはしまっているが、今回、取り出して新たに上書きされたという感じだ。

思えば、そんな夢のファイルがいくつもある。

『すばらしい世界旅行』スタッフ時代の、思い出したくもない毒蛇取材の記憶がかすめる。
それ以上に、昨晩、ひとりで出向いた沼地のことが。
あまりのカエルの量(姿は見えないが、声量から)に、さぞ捕食する蛇も多いのでは、と宿の外回りのスタッフに聞いたことがある。
ヘビはめったにいない、とのことだったが。
そもそも、夜間に暗い沼地に出向く宿泊客も皆無に近いことだろう。
昨晩はヘビのことをまるで考慮していなかった。
夢界からの、自重の警告とさせてもらおう。

うつつの世界では…
ロッジの近くで、ツノゼミのコロニーを発見。
三日月状のとんがり角を持つ普通種。

小川べりの遊歩道の朽木片を返して、ついに待望のナメクジを発見。
残念ながら、ヨーロッパ起源の外来種とみた。

少しでも、思い切って奥山を歩いておけばよかった。

夕方、サンパウロに帰還。


1月7日(日)の記 遠い声
ブラジルにて


未明に寝床の横に置いてあったスマホがひかる。
日本の友人から、上映会の打診。
その日はてっきり空いていることと思い込み、取り急ぎオッケーの返信。

少し頭が覚めてきて、昨年と今年の手帳、そしてノートパソコンで過去のメッセージのやり取りをチェック。
いやはや、この日は空けておこうと思っていたものの、どうしたはずみか上映の予定を入れてしまっていた。
ダブルブッキング。
かなりの離れ業と分不相応、赤字覚悟の交通費を投じれば、不可能ではないが…
二兎を追うものは、一兎も得ず。

いっぽう新たに入ったウサギの方は、先方とやりとりをしているうちに想定外の方向に行ってしまったようだ。
こちらの非を詫びて、いったん白紙に戻させていただく。

午後は在宅。
海岸山脈の宿に持って行って再読を始めた松井太郎さんの『遠い声』を読み耽る。
昨年9月に松井さんの訃報に接して以来、なかなか手に取れないでいた。
思いは、ちぢに乱れる。

すごい人とお付き合いをしていたものだ。
もっと訪ねて聴きこんでおけばよかった、という後悔。
諸々のなかで、少なくともあれだけはやったという思い。

まだ未編集未公開の松井さんへのインタビュー映像がふたつある。
いっぽう編集すべき作品が『リオ フクシマ 2』のあとにいくつも待ち受けている…


1月8日(月)の記 はるかなるコンブチャ
ブラジルにて


日中は、ホームビデオの編集。
夕方、地方の人から僕あての届け物を担いでくれた人のところまで、ピックアップに向かう。

途中にある自然食品店で、今日もコンブチャが入ったか聞いてみる。
年末に聞いた時は、配給元に在庫がないとのことだった。
今日は、まるで入荷の見通しなしとのこと。

KOMBUCHA。
去年ぐらいからだろうか、自然食品系の店でこの語を目にするようになった。
昆布茶、と信じて疑わなかった。
「うまみ」がブラジル一般に受け入れられるとも思えず、なんの効用が喧伝されているのか不思議に思っていた。
年末に新聞のストックを整理していて、サンパウロの大手日刊紙のグルメ特集に KOMBUCHA特集があった。

日本の昆布茶とはまるで別物の発酵飲料、と知る。
さらに調べていくと、日本で1970年代にはやった紅茶キノコの進化形のようなものらしい。
コンブチャはその原産地での呼称、とか、日本の昆布茶との混同、とか、その名称についても諸説あり。

ブラジルはもとより、欧米で美容健康を求める人たちの間で静かなブームらしい。
紅茶に限らず、さまざまなお茶で培養できること、ブラジル国内でもフルーツ等のフレバーを施すなど、10種近い銘柄のコンブチャドリンクが販売されているのも驚き。

年末に徒歩圏にある自然食品店を3軒まわるが、どこにもない。
ないとなると、よけい食指が動く。
そもそもコンブチャドリンクは小瓶で邦貨にして何百円にもなるようだ。
種菌:株を入手して自分で育ててみたい。

ネットで調べるが、SCOBYと呼ばれる種菌はネット販売はあっても、なぜか店頭販売がない。
そのウサン臭さを承知で…
思い切ってネット買いを試みるが、なぜか僕の日本発酵、じゃないぞ、発行のインターナショナルカードは引き落としを拒否。
こちらの銀行のカードを使おうとすると、覚えのない6ケタの暗証番号まで要求されて、これもNG。

これも、発酵待ちか。


1月9日(火)の記 すなしスーパー
ブラジルにて


カラダが発酵食を、乳酸菌を求めているのか。
「洋食系」を食べると、ピクルスが欲しくなってくる。

のこりものの野菜もあるし、ピクルスを漬けようか。
おっと、リンゴ酢がわずかだ。

近くの駅前のスーパーに行くが…
あるべきところに見当たらない。
酢そのものが、まったくないのだ。
スタッフに聞くと、ない、明日の朝くるとのこと。

酢のないスーパー。
ほんらいブラジルでは小さな小売店でも普通に赤・白ワインの酢、リンゴ酢、米酢、アルコール酢など各種の酢が売られ、しかもこのスーパーは自社マークの酢も製造販売しているのだが。

先日も片栗粉を求めてやってくると、ほんらいは自社系、大手系とあるべきものがまったくない。
ちなみにブラジルでは片栗粉は料理のとろみ、ケーキやクッキーづくりなど、日常的に使う。

日常必需品が、「ふつうに」品切れになる大手スーパー。
広告の目玉商品がまるでないこともしばしば。
おなじチェーンのスーパーが、歩けば歩けないこともないところに2軒あるのだが。

祖国日本もだんだん、この道をたどっている感がなきにしもあらず。

今日はおなじチェーンの遠い店まで歩き、値段も安くて慣れれいるリンゴ酢を求めた。


1月10日(水)の記 聖市の静止画異聞
ブラジルにて


膝元のブラジルでの目先の予定もさることながら…

日本での2-3月、そして4月、さらに下半期の課題が重なり、いやはや。
取り急ぎ、日本での2件の上映のため、それぞれに拙作関連の画像を提供する要あり。

DVDからの静止画の取り出しは以前、やったことがあるが身についていない。
新たにネットで検索して、トライ。
PC内臓のペイント機能を使ってみるが、サイズがやたらに小さくなってしまう。
拡大しても、さして変わらず。
さあ、どうしよう。

けっきょく後にインストゥールしたDVD再生ソフトにある機能を使ってみる。
どうやら、いい感じ。
いずれもあえて日本語字幕をかぶせた部分の静止画とした。
先回は縦横比がややいびつだったが、今度はいい感じだ。
まずはそれぞれを日本に送信。
ささやかながら、独力でひと仕事終えた達成感。

さあ、反応やいかに。


1月11日(木)の記 年下の男の子
ブラジルにて


日中は、プライベートの封印映像の再生と試写、コピー。

夜は外で会食。
こちらの日本語新聞の若い記者さんと。
彼とは変わった出会いをした。

わが家の徒歩圏にある創作ノルデスチ(ブラジル北東部)料理屋へ。
彼にいろいろ聞いてみるつもりが、どちらかというとこちらが聞かれて取り留めのない話をしてしまった。

彼の父は日本のマスコミ勤務とのことだが、年はなんと僕より下だというではないか。
こっちはせいぜい馬齢を重ねた不肖の兄貴分ぐらいのつもりでいたが、彼の父親より年上とは、なんだかショック。

深夜のアヴェニーダをメトロひと駅分あるく。
暗い路上の物乞いがおっかない。


1月12日(金)の記 自分史発掘
ブラジルにて


30年余りの封印を解いて。

ブラジルに移住した年、1987年の自分の結婚式のビデオ映像。
この時は2台のカメラで撮影。
ひとつは義兄のVHSのビデオカメラで、これは新進気鋭のプロのビデオカメラマンに撮影してもらった。
もう1台は当時、僕が少し仕事を手伝った日本の制作会社のスタッフからもらったVideo8のカメラで、これは僕をはじめ肉親と友人らで回し録りをした。

いずれの撮影テープとも経年劣化が心配だったが、もともとの画質がいまの水準では厳しいほかは、特に問題がないことに驚いた。

そして後者の映像では、冒頭から自分が語りとともに撮影をしているのにも驚き。
僕が自分でビデオカメラを回し始めた、極めて初期の映像だろう。

さらに新進のプロの映像より、アマチュア素人組が撮った映像の方が面白いのだ。
その場の事情や人間関係がよりわかり、撮影者自身の想いと関心が濃い映像の方が面白いということだろうか。
これは、なかなか刺激的な気付きだ。

多少の試行錯誤はあったが、ずっと気になりながらも避けたくもあった自身の節目の映像のデジタルリマスター化がかないそうで、やれやれ。


1月13日(土)の記 すし テンプラ
ブラジルにて


昼は子どもと二人で近くに食べに行こうということになった。

最近、オープンした中国人の経営らしい日本「風」レストランをのぞくだけのぞいてみる。
好きなだけ取って、目方で値段を払うシステム。
最初に、揚げ物が目につくが、はてなにを揚げたのだろう。
どうやら、バナナ。
なんだか、ハエが多い。
サンパウロ市内の飯屋では、ハエをみかけることも珍しい。
見バエがする。

ここは今後の課題に、ということで、お目当ての店に。
こっちはサラダ類から鉄板焼き肉まで食べ放題で均一料金。

あ、今日もマキズシがある。
まさしくカタカナで表記したくなるシロモノ。

かつて僕が度肝を抜かれたイチゴのマキズシ。
具はレタスだけのマキズシ。
具は判別不明だが、マキズシをテンプラにしたもの。

食欲はそそらない。
参考までにスマホで写真を、とも思う。
が、絵にならない。
それほどの量ではないので、かなり接写をしなければならない。
僕自身、共有の料理を取りもしないヘンなガイジンが、スマホで料理にくっつくぐらいの接写をしているのを見たら、不愉快だ。
撮らないことの方が、大切と判断。

ちなみに僕はマキズシのテンプラをひとついただいてみる。
切った太巻き寿司に衣をつけて油で揚げた、それ以上でも以下でもない。

スシもテンプラもありますといえば、外国の日本レストランを連想する。
しかしスシのテンプラはあまり…
と思って検索すると、そこそこ日本語のレシピが出てくるのは驚いた。
残りものの握り寿司を、というノリのようだが。

人が来るので、夜はわが家で天ぷら。
白い花が美しいクレソンがある。
花つきクレソンも揚げてみる。

それにしても、天ぷらはなかなかむずかしい。
換気扇のないアパートの台所で、身も心も油まみれ。


1月14日(日)の記 『ブラジルの土に生かされて』
ブラジルにて


昨年以来、撮影をしたり、かつての映像を発掘してチェックをしている、こちらの連れ合いの実家の記録。
ぜんぜん関係のない他人のかたにもご覧いただけるような作品に、と考えている。
そのタイトルを考えていた。
とりあえず考えていたものは、必ずしもすっきりこない。

早朝、床で松井太郎さんの作品のことを考えていて、ひらめいた。
土をいかす、土を殺す。

あたまのなかで字面を推敲。
手帳を取りにいって、書いてみる。
『ブラジルの土に生かされて』。

うん、これで筋が通りそうだ。

して今日は、これの一環で連れ合いとその一族とともに車で遠征。
知人のお祝いごとに招かれて。
撮影もしておく。


1月15日(月)の記 パズルの教訓
ブラジルにて


年末年始の休暇に、連れ合いが数年前に買っていたジグゾーパズルを取り出してきた。
2000ピースの「17世紀の世界地図」の絵柄。
またややこしい絵柄のものを選んだものだ。

外枠がようやく組み終わり、少しそれに毛が生えたぐらいで休暇は終了。
居間のテーブルはこれが占拠してしまい、こちらの作業にも差し障る。

これまで子どもたちもちょびちょび手伝っていた。
家族全員で同じことに取り組みのは、悪くない。
さあこれからは僕の家内滞在がいちばん長くなることもあり、いままでほとんど傍観していた僕が気合いを入れざるを得ない。

こちらのこういう品の難点は、絵柄についての解説がないに等しいこと。
17世紀、大航海時代の終わりに差し掛かっている時期のもので、地球が丸いことは把握され、それを二次元で表し、中央上下に天空図も配している。
その周囲に何人もの天使らしい人頭が、黄色いものを吐き出しているのが描かれている。
天使の息吹が地球に注がれている、ということなのだろうか。

仮にも『すばらしい世界旅行』シリーズの末席をけがし、チベットから大アマゾンまで取材させていただいた分際だ。
まだ「組み上がっていない」そのあたりの地域はぜひわが手で埋めなければならない。

それにしても印刷は鮮明とは言えず、地図に書きこまれたアルファベットは大きな字しか判読できない。
わが南米大陸に至っては緑一色で、どこから手をつけていいか、くらくらしてしまう。

ジグゾーパズルの教訓。
ひとつずつのピースは、それぞれ決まったところにしかおさまらない。
それらしくはまるからといって、よくみればきちんとはまっていないピースをそのままにしておくと、大局を誤って完成どころではなくなってしまう。
祖国の現政権の恐ろしいことは、まちがったピースを力づくではめて、そのままゴリ押しを続けていることだ。
一刻も早く非を認めて崩して、反省とともに再出発が望まれる。


1月16日(火)の記
READY MADE IN BRASIL

ブラジルにて


外回りをいくつか抱き合せて、出る。
火曜日はサンパウロ近代美術館が無料の日だ。

現在の企画展の早見をしようと思う。
ぎょえ!!
これまで見たこともない長蛇の列。
大蛇アナコンダの最大クラスのを1ダースぐらい並べたぐらいか。
なぜに?
休暇シーズンということもさることながら、「セクシュアリティの歴史」と題した企画展が人気を呼んでいるのかな。
入館までに1時間以上はかかるだろうな。
今日は、断念。

その後の立ち寄り先で、思わぬ人を紹介される。
僕の、ブラジルの日系社会への絶望を、わかりやすく上書きしてもらった。

ううむ、そもそも美のシャワーを浴びるつもりだったのに、このままでは帰れない。
近くのサンパウロ工業センターの展示スペースを、なにの展示中かも知らないままのぞくことにした。
なんといっても、こっちはいつでもタダ。

READY MADE IN BRASIL展。
101年前にマルセル・デュシャンが別名で発表した、あの男子小便器の作品に由来する「レディメード」の現在のブラジルでの系譜、ということのようだ。

デュシャンの「古典」作品はポルトガル語で FONTE と訳されていて、日本で芸術史に明るくなかった僕は「噴水」の意だろうと思っていた。
帰って調べてみると「泉」と訳されていて、「噴水」論もあってややこしいようだ。
そもそもレディメードの概念も難しそうだ。
大量生産されるものに署名を施すだけで「はい、芸術作品です」とする風潮へのアイロニーは実に面白く、100年を経た今こそ熟考したい問題だ。

展示されている品々は、元祖の個展同様、いっときの興はあってもけっして美的感動に打っててくるものではないけど。


1月17日(水)の記 都市の野性
ブラジルにて


いやはや予断は許さない。
題名を決めた『ブラジルの土に生かされて』の取材で朝のラッシュのなか、連れ合いの実家方面へ向かう。
途中、サンパウロ大学の構内で気になっていた野生動物の群れを撮影。

35年前のはじめてのブラジル取材の時を思い出す。
あの時はサンパウロ動物園で「人前をはばからない」陸ガメの求愛行動を撮らせてもらったな。
今日のは、都市の特殊な状況下とはいえ、飼育されているわけではない。

この作品は僕自身の歩みのおさらいとなりそうだ。
連れ合いの家族の庭いじりの様子を撮影。
隣家からの機械音がうるさい。
散水機のモーター音のようだ。
あるがまま、の原則。
それがあることの意味を考える。

予定調和や、こっちのつたない設定や想像を凌駕する発見があるから面白い。
思わぬ辻褄もつきそうだが、さてさて。

冷夏続きのサンパウロはようやく盛夏らしくなってきた。
そこそこにバテる。


1月18日(木)の記 現菌書留
ブラジルにて


今朝から、サンパウロの地下鉄はストに突入した。
ふた駅離れたところに向かう家族に徒歩で同行することにする。
自動車、バスでは歩き以上の時間がかかるかもしれない。

途中にある長い陸橋が、強盗事件頻発の場所として婦女子に恐れられている。
今日はストのため、他にも歩行者が多そうで、みんなで渡れば怖くない、といったところだが、念のため。
片道約半時間。

さすがに今日は危険は感じなかったが、このリスクと自動車の排気ガスがなければさぞ心地よい身心の運動だろう。

帰りに、なんでも屋さんでガラス瓶を買う。
一昨日、先に記したコンブチャが書留便で届いた。
パラナ州の小都市から、普通郵便の封筒で重さ20グラム、厚みもない。
てっきり説明書だけ送って来たのかと思ったら、なかに小さなファスナー付きビニール袋があった。
これにクズモチ状のコンブチャ種菌の薄片が収められていた。

適当なガラス瓶がなく、今日の買い出しとなった。
帰宅後、まず紅茶を沸かす。
先日、買った値段の割に美味しいとは言えないブラジル産。
マニュアルに従って冷めるのを待って、白砂糖とリンゴ酢、そしてコンブチャ種菌を、紅茶を入れたガラス瓶へ。

あとは動かさずに14日から21日間、発酵を待たれたし、とA4の用紙一枚の説明書にある。
日本に向かう前になんとか間に合いそうだ。

それにしても小封筒に入るような薄片で、さあどうなることか。
『ウルトラQ』のバルンガみたいに台所いっぱいになるよ、と家族をケムに巻く。
バルンガか、ケムール人か。
ナゾの多いコンブチャは、ウルトラQの香りがするな。


1月19日(金)の記 コリアン発掘
ブラジルにて


昼に日本人の友人と、東洋人街で待ち合わせて会食を約した。
昨年、東洋人街を歩いていて、コリアン料理屋のチラシをもらった。
大衆料金の期待できそうな店だ。
その店名と住所は失念してしまい、ネットで調べて目星をつけておいた。

ソウル・ハウスか。
が、その所番地そのものがなく、該当する場所には別のレストランが。
聞いてみると、前からここはこの店だという。
スマホを開くと、たしかにその所番地。
コリアン文化でも、キツネやタヌキの化かしはあるのだろうか。

それらしい店を探しつつ、もう一軒のコリアンレストランにたどり着くが、値段が大衆には遠い額。

途方にくれつつ、大衆バールで労働の合間のブラジル人同志らとともに油飯をいただくしかないかと…
荒れたシャッター街のなか、看板もないがオリエンタルな庇をつけた店風の空間がある。
客らしい人も散見。

聞いてみると、コリアン料理も出す食堂ではないか。
ビビンバ小、ユッケジャンを注文。
白菜のキムチ、カクテキも出てくる。

店の名は Hanakemi。
厨房や経営に韓国人はおらず、コリアンレストランで長く働いていたブラジル人がシェフだという。
店名の意味を尋ねるが、不明。

友は客は日系が多いか、コリアン系、チャイニーズ系が多いかと聞いてみるが、ブラジル人スタッフにはそれらの区別がつかないことがわかって面白い。
この店のメニューには日本料理として、ウドン、チキンカツ、カレーなどもある。

朝鮮の南北もなく、韓日が区別はあるものの争うことなく並立している。
学ぶことが大いにありそうだ。


1月20日(土)の記 夕餉の観察
ブラジルにて


夜は、子供と二人で外で食べようということになった。
夏時間の午後7時半、空はまだ暮れきっていない。

近くに新たにオープンしたラーメン屋まで行ってみる。
店外で待っている人たちが1ダース近い。
また今度にしよう。

坂を下ったところにある串焼き屋に行ってみることに。
ありゃ、こんな店だっけ?
急坂の途中の十字路の角にあるのだが、店内のテーブルが取り払われて、どんとビリヤード台が鎮座している。
路上にいくつか簡易テーブルとイスが置いてある。
客は誰もいない。
聞いてみると、串焼きも営業中とのこと。

まあ話のタネに食べてみるかということになった。
急坂の歩道に置かれたテーブルで、ビール瓶はかろうじて倒れない傾斜。
串焼きは路上に屋台があり、そこで焼くシステム。
小さな田舎町か、スラムの一画にあるような。

一帯は、中の上ぐらいの高層アパート街。
街灯は明るく、ヤバさ感はあまりない。
急坂地帯で歩行者はあまり見られないが、夕時のウオーキング姿の人が行き交ったり。

ピザの宅配便のバイクが多い。
あっという間に3台が交差したり。
サンパウロの土曜の夜、市民がいかに夕食を宅配ピザに依存しているかがよくわかった。

客は、他には地べたに座り込んで、床にビール瓶を置いて大声で話すおじさん2人組のみ。
まあもうこの店に来ることもないかな。


1月21日(日)の記 赤縮緬萵苣
ブラジルにて


申し訳ないぐらい、無為に過ごしてしまったせっかくの日曜日。
なにを書こうかと思って考える。
路上市での買い物…

最近、必須となったオルガニック野菜の屋台。
今日はルッコラとレタスを買う。
当地は常時レタスの種類が多い。
結球していない、葉が紫色のレタスを買う。

これは日本語でなんというのだろう?
調べてみる。
紫レタス、とも呼ばれているようだが、まんまの名前だな。
ほう、これをサニーレタスというのか。
サニーレタスは和製英語と知るが、この語をめぐっては実にややこしいドラマがあるようで、興味のある方はご自身で検索されたし。

和名は、赤縮緬萵苣:アカチリメンチシャ。
レタスを古語でチシャと呼ぶとは知っていたが、こんな字とは。
チシャの語源は乳草:チチクサで、茎の切れ目などからにじむ液が乳に似ているからとか。
英語のレタスもラテン語の lac:乳から来ているという。

ブラジルでは Alface と呼ぶが、これはアラブ起源の言葉のようだ。
学名は Lactuca sativa、種名はわれらがおコメといっしょではないか。
sativa は「栽培された」の意らしい。

世界をだいぶ駆け回ってしまったぞ。


1月22日(月)の記 嗚呼松井文庫
ブラジルにて


2月はじめの出ブラジルまでの間の残務、今日がメインイベントかもしれない。
昨年9月1日に亡くなられた孤高の移民小説家、松井太郎さんのお宅を訪ねることに。
先日、ご遺族から松井さんの蔵書を引き取らないかと連絡をいただいた。
しかしすでに自分の蔵書を漸減していかなければならない状態である。

日本とブラジルの心当たりに相談をしているのだが、いたみを共有してくれる友人知人はいるものの、これといった妙案はない。

僕としては晩年の松井さんが「少し手を加えれば発表でけんでもないのがいくつかある」とおっしゃっていたのが気になっていた。
しかし松井さんの死にきちんと向かい合うことができず、今年になってようやくふたたび松井さんの著作集を読み直しはじめたところだった。

日本でも使われているらしい Waze というカーナビアプリで調べてみる。
これまで1時間はかかる道順でサンパウロ市東部の松井さんのお宅まで通っていた。
知らない道ばかりだが、50分足らずと出た。
あえて挑戦…
何度か迷う。
肝心なところでアプリが沈黙、画面を見ると、高温のため作動中止、とある。
いやはや。

なんとか、着。
昨年、山梨県立文学館の「津島佑子展」で、最も印象に残ったのが津島さんの書庫を大判の写真で再現した展示だった。
可能なら、これから日本やブラジルを超えて評価されていくだろう松井太郎の世界を書庫ごと遺したい。

が、蔵書類はすべて段ボールに詰めて分散してあった。
手記類は四十九日も過ぎてから、松井さんのお世話をしていたブラジル人の女性がひと通り「なげてしまった」という。

段ボールの積まれた松井さんのかつての書斎で、呆然としながら封のされていない段ボールをのぞいてみる。
日本語、ポルトガル語とまちまちだが、メモ類がはさみこまれているのがある。
わら半紙に読みやすい字でこう書かれていた。
「文学とは計算のない至高の気まぐれである
 約束の地に行きつけない歩みでもある」

400字詰め原稿用紙にカーボン紙で写した原稿もある。
帰宅後に細川周平さんと西成彦さんの労作『うつろ舟 ブラジル日本人作家松井太郎小説選』(松籟社)の「松井太郎作品一覧」をみるが、これからもれている短編だ。

僕に、できそうなことがありそうだ。
松井さんの長男夫妻は、僕が日本から帰るまで「とりあえず」そのままにしておいてくれると約束してくれた。
よもやま話で盛り上がり、「また来てくださいね」と言ってもらえた。

帰りは、ほぼ迷わずに Waze の言いなりに帰る。
さっそく松井さんの件で今まで返しをくれた人々に報告。


1月23日(火)の記 私は図書館
ブラジルにて


先週、長々蛇の列にてあきらめたサンパウロ近代美術館の「セクシュアリティの歴史」展。
今日は朝イチで挑戦、10時開館で10時10分着。
アナコンダ世界最大長3頭程度の列。

ティーンエージャーとみられる少女たち、小学生ぐらいの子どもを連れた家族も少なくない。
展示内容は、ずばりセックスにまつわる古今東西のアート作品。
「性行為がなければ、我々の存在もない」という至極もっともな大前提のもと、隠ぺいされがちなセックスに関する表現をミュージアムとして公開する、という意欲的な企画だ。

われらが誇る日本からは…
菊川英山の春画群。
そして写真家、吉田耕平の『ドキュメント・公園』。
1970年代の東京の公園でのいわゆるアオカンと、それに群がるノゾキ屋たちをとらえた写真群。

おなじ大通りにある安倍内閣と電通の蜜月から生まれて、日本国民の血税を投じた「正しい日本文化」発信のジャパンハウスではお目にかかれるべくもない、世界の期待している日本文化だ。

僕にとっては美的感動、性的興奮とは程遠い性にまつわる展示も少なくない。
ふと、日本では絶滅の危機に瀕している秘宝館、珍宝館の類を思い出す。
今も存続していれば、さぞ外貨獲得に貢献できたろうに。

もう一軒、イタウ銀行文化センターをハシゴ。
ブラジルの西部アマゾン、アクレ州の先住民 Una Shubu Hiwea 自身による「生きている学校」展。
映像で見た、部族のシャーマンの古老の言葉。
「自分は図書館だ。自分は知識であり、人々は自分から学ぶ。」

そうか、僕にとって移民小説家の松井太郎さん自身が図書館であり、学びの対象であったのだ、と気づく。
松井さんの蔵書そのものは…
いわば、ある画家の描いた絵の顔料に興味を持つようなものかもしれない。
研究者には大切であっても、僕にはもっと画家自身のことが知りたい。

その意味からも、すでに段ボールに詰められた松井さんの蔵書そのものより、そのなかにささやかに潜んでいる遺稿類の発掘と発表が僕の役回りかもしれない。


1月24日(水)の記 とりなおし
ブラジルにて


わがビデオ編集作業周りが騒然としている。
久しぶりに灯をいれて、自分の結婚式の映像の取込み映像をチェックする。
いくつかのシステムを交えてのややこしい作業で編集機に取り込んだのだが、どうもおかしい。
やり直すか。

あ、今度はかつてニューヨークまで買出しに行ったミニデッキの主電源の部分が完全にいかれた。

アナログ、前世紀の知恵でなんとか乗り切ってみる。
先日、引っ張り出したVHSデッキが、なんとかまだ起動してくれているのが救い。

音のカセットテープはそこそこ復旧していると聞く。
VHSにもリバイバルを望みたいものだ。


1月25日(木)の記 464歳の台所
ブラジルにて


今日はサンパウロ市の誕生日で、お休み。
464年前、現在のサンパウロのダウンタウンにある高台で、インディオ教化村の設立をはかったイエズス会士たちが記念のミサをたてたのに由来する。

家族は家にいて、人も来る。

昨晩は、カレーをこさえた。
今日は昼にトンカツを揚げて、まずはカツカレー。
子供がトンカツづくりについて、揚げ物屋で見たという手順の導入を提案してくれる。
さらに自分でネットで調べて、衣、そして揚げ方を工夫。
これまでよりだいぶ小ざっぱりと美味しくムラなく揚がるようになった。

夜は、麻婆豆腐のリクエストあり。
朝、トンカツ用の豚肉を買いに出た時に、豆腐も買っておいた。

近くの日本食材に、沖縄豆腐が2種類、売られるようになった。
どちらもよく似た漫画チックなシーサーをデザインしているが、どっちがどうだか区別がつかなくなった。
シーサーの絵の大きい方の、製造日が今日になっているのを買う。
帰宅後、さっそく冷蔵庫へ。

夕方、開封して包丁を入れると…
なんと、ネバリの糸を引くではないか。
小片を口に入れると…やや酢っぱみ。

本来、その日の沖縄豆腐はほんのりと塩味もあり、そのままで十分フレッシュな味わいを楽しめる。
持ち帰ってさっそく冷蔵庫に入れたし、暑さのせいとは思えない。

こっちの豆腐は、これがあるから…


1月26日(金)の記 聖州巡礼
ブラジルにて


さあ、出発。
連れ合いとともに、サンパウロ市から東に200キロほどのブラジル最大の巡礼地アパレシーダへ向かう。
アルコールを満タンにして、どれくらい走れるか見てみよう。

途中、齢90歳を超えた、お世話になってきた人をお見舞い。
事前に連絡をして気を使わせるのを避けて、いきなり。
「行き先をお間違えになりましたか?」
と洒落たことをおっしゃる。
耳が遠いのがお気の毒で会話に手間取るが、先回お会いした時より元気そうである。

さて、大巡礼地アパレシーダの大伽藍へ。
駐車場は、けっしてガランとはしていない。

一帯は大リフォームをされているが、さあ何年ぶりの訪問になるか。
広すぎて、なかなか勝手がわからない。

大聖堂の四隅に描かれた壁画を見ているだけでも楽しい。
ブラジルの代表的な生態系を描きこんでいる。
日本の役人や政治家が相変わらず「不毛」と呼び続けるブラジルの貴重な生態系セラードの壁画だけでも、その豊かさが味わえる。
滝が描きこまれているのも面白い。
滝の描かれた聖堂。

見どころは尽きない。
正午のミサに預かった後、大聖堂を出た時に耳にした鳥の鳴き声がこころにしみた。
僕にとっては生態系そのものが大伽藍だな。
そのなかで祈りたい。


1月27日(土)の記 がっかり展示
ブラジルにて


今日は、夕方からこちらの連れ合いの実家でのイベントがある。
撮影の準備をしていくつもり。

その前に…
昨日のこちらの新聞に挟み込まれていたイベント案内の小冊子をみる。
展示のページ…
『ASSENTAMENTO』と題したアート展がある。
ずばりブラジルの農地改革問題をテーマとしたアーチストの展示のようだ。
この語は、土地なし農民といわれる人たちがキャンプ生活を経て、農地改革院のあっせんで入植した場所をいう。
僕は「入植地」と訳すことが多い。

拙著にも書いているように、僕はブラジルの農地改革運動の最前線に生きた日本人の記録を、テレビバージョンではなく、ディレクターズカット版でまとめる宿題を負っている。
ブラジル、特に都市部では偏見ばかりで理解も行き届かないこの問題をどう表現するか。

展示は今日までである。
場所は、サンパウロ大学の近くのギャラリー。
昼食後に思い切って、行ってみる。

該当の住所は…
看板類は見当たらず、要塞のようなコンクリートの四角い建物がある。
インターフォンを押して来意を告げ、しばらく待たされた後でドアが開いた。

あ、これだけ?
解説がなければ、あってもよくわからないオブジェがいくつか。
僕が通い続けた実際のアセンタメントに通じるものを見出すのもむずかしい。
真新しい農具類が高い壁に並べられているのはあるが。

キュレーターの書いた資料には、むずかしいことが書いてある。
総合アート展などでこれがあれば、タイトルに惹かれて目をやるだろうが、通り過ぎるだけだろう。

実際のアセンタメントの人たちが見たら、どうだろうか。
僕ほどの興味も示さないかもしれない。
記録文学作家の上野英信が、筑豊の閉山炭鉱住宅地域でボランティア活動をすると言って乗り込んできた学生たちに投げた言葉を想い出す。
「そっちには意義があるかどうかは知らないが、こっちには何の意義もない」。

サルガドの写真と、比べるべくもない。
ハズレがあるも楽しいアート巡り。


1月28日(日)の記 聖淫転換
ブラジルにて


早朝より連れ合いと車で北上。
サンパウロ市のFM放送が途切れる町まで、約2時間。

近年、参拝者が急増するというカトリック教会のミサに預かるため。
その御堂の由来がすごい。
ごくかいつまむと…

アマゾンの金鉱(ガリンポ)通いのセスナ便のパイロット生活で仲間の多くをなくしながら生き延びた男性が、聖堂建築を思い立った。
最初に立てた聖堂の近くに御殿のような売春窟の建物があり、聖堂への嫌がらせが続いたという。
聖堂は日本語で「結び目を解くマリア」と呼ばれる、ドイツ起源で現ローマ法王が南米に伝えたとされる聖母を祭っていた。
男性はより大きな聖堂の建立を思い立ち、なんと向かいの売春窟の御殿の購入がかなったのだ。
使用済みの避妊具や注射器の散乱する御殿の外組はそのまま活用しての聖堂づくり。
紆余曲折と奇跡の数々を経て、結び目を解くマリアの聖堂は長距離バスで巡礼者が詰めかける観光宗教施設となった。

中世ヨーロッパでは、売春婦が修道女となるケースは少なくないようだ。
売春施設が宗教施設になったという事例は、他にもあるだろうか。

ここでのミサは、ゴスペルを思わせる歌の多い、カリスマチックと呼ばれる部類だ。
ドーム内の人いきれ、そして近くにヤブがあるせいか吸血昆虫がちょっとわずらわしい。

お伊勢参りのように観光の要素もあるので、売店のグッズも充実している。
ファーストフード店、レストランもオフィシャルなものがあり、沖縄系のパステル(ブラジリアン餃子)店もある。
収益の一部は隣接地に建築中の末期がん患者のホスピスの経費にあてられるそうだ。
個人で祈るには旧聖堂の方が格好だ。
それでもやっぱり、僕には森の方がいいな。

ブラジルのキリスト教はカトリックだけをとっても実に多様だ。
さて、宗教施設が売春施設になったという逆の例はあるのだろうか。
修道院を模したような売春施設は日本にもあったようだが。


1月29日(月)の記 遅ればせながら
ブラジルにて


出ブラジルまで、あと1週間。
訪日まえ最後の1日断食。

今回も、まことに遅ればせながらで情けない。
昨年10-11月の訪日時の上映会にて、アンケートにメールアドレスを書いてくださった方々への御礼のメールのしたため。
ようやく11月の最後の上映会までこぎつけた。

蓬髪状態になっていたウエブサイトを、少しだけ調髪。
ああ、土産類の買い物がまだ手つかず状態なり…

午後、特殊な頼まれものの買い出しにふた駅ほど歩くが、指定のチェーン店に依頼の品はなし。
顧客コーナーのスタッフに尋ねるが、そのやる気のなさは怒りが湧くより、気の毒なほど。

残務の取りこぼしのないよう、書き出して整理しないと。


1月30日(火)の記 心と口と…
ブラジルにて


午後イチで歯科医を予約してある。
午前中、在ヨーロッパの僕の友人から、届けものを預かってきたという人から電話がある。
僕あたりが日本で託されて担いできたものは、平気で自分のところや指定の場所に届けろとおっしゃる方が多い。
気の弱い、そして教育の違う僕はそういうことができかねる。

先方のところを訪ねてピックアップの後、東洋人街の日伯援護協会の歯科医へ。
ブラジルに来てから何人の歯科医の手にかかったかな。
ざっと、5人…
思い出したくないのも何人か。

最初は連れ合いに近い女性の歯科医にかかっていた。
どうもあまりに身近かな人は具合が悪く感じて。
そもそも本来、他人に見せるべきではない口のなかを…

心のなかと同様かも。
そういえばカトリックの告解も、身近な司祭を避けて行なうケースが少なくないと聞く。
口のなかも心のなかも、やたらに他人に開くものではないと僕は思う。

歯科医のあと、東洋人街で土産物の買い出しのハシゴ。
昨日、買えなかった頼まれものを探しに、チェーンの最大級の店まで歩く。
ネット上ではあるもののまだ入荷していない、来週ぐらいに来るかも、とのこと。
もはやこれまで。

さあ荷物も重い、雨も降ってきた、帰りましょう。


1月31日(水)の記 赤道のかなたのラーメン
ブラジルにて


今晩は、子ども二人は外食するという。
さて、老夫婦はどうするか。

気になっていた、近所にできたラーメン屋に行ってみることにする。
土日などは入店待ちの人が群れていて、今宵もヒヤヒヤ。

サマータイムでまだ空も明るい夜7時過ぎ。
日本の学校の講堂ぐらいの広さのある店内は、がらんとしていた。
価格は日本のラーメン屋と同じぐらい。
こちらのラーメン屋群のなかでは、安い方だ。

辛味噌ラーメン、20レアイス、邦貨にして700円ぐらいのを頼んでみる。
日本なら水やお茶がサービスだが、こっちはこれが有料どころか高い。
お茶系は…玄米茶が150円ぐらい。
ラーメンのみとする。

さて、ラーメン。
ぬるい…
味は沁みていないが厚手のチャーシュー2枚、これも色は黒いが味は沁みていない味玉が半分。
それにノリ、ワカメ。

こちらではそこそこ評判のようだが、僕の日本の実家から徒歩圏にこれよりずっとうまいラーメン屋が何軒もある。
そもそもテーブルの上にはコショウもゴマも楊枝も、なにも置いていない。
広い壁も装飾なし。

東洋人街のラーメン屋ではシュークリームも売られていて、そのチェーンでもないこの店にもシュークリームがある。
シュークリームをデザートではなく、持ち帰りとする。
なんと、その容器代が100円以上。

思えば遠くに来たもんだ。


上へ / 次のページへ

岡村淳 :  
E-mail: Click here
© Copyright 2018 岡村淳. All rights reserved.