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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2018年の日記  (最終更新日 : 2018/05/21)
3月18日(日)の記 サーカス一家と再会

3月18日(日)の記 サーカス一家と再会 (2018/03/22) サーカス一家と再会
ブラジルにて


西暦1986年、僕の日本映像記録センターの職員ディレクター時代最後の取材は『すばらしい世界旅行』「アマゾンをさすらう 牧童の旅・曲芸の旅」と題して放送された。

アマゾン地域の巡回芸能集団を探しに探して、尋ね当てたのがサーカス一家。
当時のアマゾン開発の最前線、ボリビアとの国境に位置するロンドニア州を巡業中だった。
「ハレーサーカス」と名付けられた一座は両親とその子供4人、そして長男の嫁、さらに猿とライオンという、まさしく家族での巡業でアマゾンの新開地を回っていた。
当時、日本から通って取材にあたっていた僕は、通訳を介さなければ彼らとは会話らしい会話もできなかったのだが…

そのころ20歳だった長男のパウロさんは新妻がいて、身ごもっていた。
パウロさんは子供にJUNと名付けると言っていた。
インターネットなど、想像もできない時代のことである。
まさしく住所不定の一家とは音信が途絶えてしまった…

フェイスブックの時代の脅威である。
30有余年を経て、パウロさんからメッセージが届いたのである。
すでに30代に突入した長男が、自分のJUNという名前の由来を知りたがっている…
さらに驚いたのが、一家はサーカスをたたんで僕とはなじみの深いマットグロッソのロンドノポリスの町に定住していることだった。

僕を一家そろって歓待したいという。
朝からワクワクドキドキしながら、溝部さんの御宅でパウロの迎えを待つ。
再会。

彼は定住地の敷地内にサーカス時代のトレーラー、動物の柵、テントの支柱類まで保存していた。
その後の一家には、気の遠くなるほどいろいろなことがあった。
改めて聞いてみると、パウロさんの一家は祖父の代からサーカスを営んでいて、曽祖父はヨーロッパのジプシーだったという。
第一次大戦の難を逃れて、オーストリアからブラジル南部のリオグランデドスル州に移住したそうだ。
現在のパウロさんは、アマゾン地帯で収穫された大豆をトラックでいそうする仕事をしている。
はじめて会う好漢JUN君はブラジル陸軍をリタイヤして、いまはやはりトラックのドライバーだ。
南米最大の穀物移送基地、大型トラック1000台収納可能といったスペースが連なる一帯を案内してもらう。

365日、24時間、行き交い続ける大型トラックから落ちこぼれる大豆を掃き集めて業とする人々もいると知る。
我が身とオーバーラップ。

物心ついた時からサーカスの舞台に立っていたパウロさんは、学歴がないのを恥じる。
しかし僕の想像を超える数々の現場で培ってきた知識とモラルは、まさしく傾聴に値する。
ありがとう、ブラジルのアミーゴたち。


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