9月の日記 総集編 ヤマナメクジの伝言 (2018/09/04)
9月1日(土)の記 「ブラジル日系人と蹲踞」 日本にて
日付が変わる少し前に、東京目黒の実家に到着。 通信環境、居住空間の設置、郵便物のチェック、急ぎの連絡… いちばんの懸念は、本日午後から開講のPARC自由学校全5回のわが講座。 データ類をパソコンで確認しながら、サンパウロの空港で買ったカバーの厚いノートに書き足す。 少し横たわって今日の講義の構成を練る。 機中でひらめいたネタをアレンジして「ブラジル日系人と蹲踞(蹲踞)」という裏テーマでいってみるつもり。
例によって横になってもきちんと眠れないまま、晩夏の朝を迎える。 学芸大学の流浪堂さん、渋谷のビックカメラ経由で淡路町のPARCへ。
われながら、なかなかの緊張。 存じ上げない方、旧知の方がぱらぱらとやってくる。 悪い意味ではなく、PARCの講座に運んでくれる人は、まじめでややかたい。 こっちもかたくなるか、こちらの語りと映像で皆さんをほぐすか… (「ほぐす」とは「解す」だと今、知る)
なんといっても今日は盛りだくさん。 岡村作品紹介映像、それから大アマゾンの先住民、そしてブラジル日本人移民、さらに次回講座の予告映像。 大アマゾンのヤノマモの人びとの映像、かなりのインパクトだったようだ。 ヤノマモから、森下妙子さんへのモンタージュというのは、誰も追随すべくもない境地。 岡村の活動も含めて「シャーマン」の語でつないでみた。 あれもこれも話したりない…
大半の受講生が近くの台湾料理屋での懇親会に参加。 僕が気を遣わなくても、それぞれあちこちで盛り上がってくれていて、ありがたや。 懇親会終了後も、過半数のメンバーがお店の前から立ち去りがたい感情とみた。 名コーディネーターの奔走で、近くのインド・ネパール料理店のスペースを確保。 それぞれの方々のお話は、僕の方が勉強になった。
なんといっても受講生のなかに邪悪そうな方が見当たらないのがありがたい。 ブラジル出発直前に、ネット上で僕に悪意があるとしか思えない人に共有の場でハメられて、往生した。 僕の仕切れる場だったら、即レッドカード退場の違反をしていただくレベル。 今日のメンバーたちとの感激で、自分のなかの不快な思いを浄化できた。
この講座も、いつか、どころか今月22日で終わってしまう。 すでにそれを想って胸キュンである。 さあ、がんばろう。 いまからでもなにができるか。
9月2日(日)の記 横浜あるけオロジー 日本にて
さあ、今日は横浜遠征。 もっと早く出るつもりが…
昨日、買ったSIMカードの設定がうまくいかない。 自分ででもできるという触れ込みだったが。 マニュアルには、iPhoneの場合の設定方法が書かれていないではないか。 出発は大幅に遅れて、しかもスマホがつながらない状況となる。
まずは日の出町駅下車。 フマニタスの佐々木治夫神父が、ブラジルに派遣されるまで仕えていたカトリック末吉教会へ。 日曜のミサ後、主任神父をつかまえて佐々木神父からの伝言をつたえる。
今日は午後から横浜山手に住まう知人が、ご自宅で友人知人を招いて拙作の上映会を開いてくれることになった。 偶然だが、僕の『フリーゾーン2000』時代の知人も来てくれるという。
歩いて行くとしても、たっぷり時間がある。 どこかで昼食をして、wi-fi環境があれば SIMの設定にトライしてみよう。 横浜橋商店街のあたりを、那覇の牧志を思い出しながら物色。 ひとりだとイガイと優柔不断で、いくつかの食堂に入り損ねる。
ああ、商店もまばらに。 そもそもスマホの地図機能が使えないので、おおよその目安をつけて山手方面に向かわねば。 商店も途絶えた中村町というところを歩く。 ぽつねんと、うどん屋さん。 「西むら」というお店。 ランチサービスで、ミニかつ丼か天丼プラスうどんで500円!とある。 ホントだろうか? 今日は日曜だし。
いったん通り過ぎてから反転。 入ってみる。 そこそこに埋まっている。
おいしかった。 うどんのつゆは、感動ものだった。 この感動は、なんだ? 僕が幼少の時に親しんでいた祐天寺裏五差路の新駒屋の味か? あのお店の裏に、いつも削り節が干してあったなあ。 お勘定はホントに500円で、申し訳ない思い。 ブラジルの小土産でも置いてくればよかった。
事前に地図で目安をつけておいてよかった。 地図上、近くにあった「外交官の家」までたどり着く。 その手前の高台からの展望に感心しつつ、大クロサワの『天国と地獄』を思い出す。 見ればわかるよ、権藤さん。
以前に一度、うかがったことがあるのだが、この知人の住まいのあたりはすごい。 先回は最寄りの駅で待ち合わせて、知人に迎えに来ていただいた。
さて。 キッチンに置かれた小さめのモニターに、その前にごちそうの並んだ大きなテーブル。 カギ型の空間で、僕の位置からはモニターが見えない。 そもそも日本到着以来、きちんと眠っていない。 失礼して、リクエスト上映作品『リオ フクシマ 2』の音声を聞きながらカーペットの上で涅槃の姿勢をとらせていただく。
帰路は、一行とわかれてひとりで黄金町まで歩いていくことにした。 この山手の高級住宅街のすぐ脇に、こんなところがあるのかといった未舗装の道を通ってみる。 ヨコハマ、面白すぎ。
お目当ての横浜パラダイス会館の前は、異常に人だかりが。 メディアの写真撮影か、あるいは何かの事件か。 なんと、よこはま若葉町多文化映画祭の打ち上げ中だった。 映画そのもののプログラムは土曜で終わっていたので、これはサプライズ。
伊藤修さん、蔭山ヅルさんと、ここを会場にしてのPARC巡礼講座の打合せ。 いやはや今日はよく歩いた。
のちにスマホを見ると… 2万歩に少し欠けたが、10キロ以上歩いた。
9月3日(月)の記 リオからの絶望 日本にて
日本の知人のフェイスブックでのシェアで初めて知った。 リオデジャネイロ国立博物館の深刻な火災!
ブラジル移住後まもなく、トンボのことでこの博物館を訪ねた。 コンタクトを取っていたトンボ研究者のジャニラ先生はその後、博物館長に就任した。 そして日本は高知のトンボ王国との橋渡しを続けて、ジャニラ先生の訪日が実現した。 http://100nen.com.br/ja/okajun/000061/20060325000573.cfm
この取材で何度、リオの博物館を訪ねたことか。 そもそも1980年代で相当な老朽化がうかがえた。
トンボのほかに僕の身近では人類学や考古学関係など、まさしくかけがえのない標本や遺物類がおそらく失われてしまった。 人類は、ここまで愚かだったとは。
絶望と無力感のなか、予約をしてあった演劇の鑑賞に。 石原燃さん作の『白い花を隠す』。 最前列座布団席というのに挑戦。 西暦2001年のNHK番組改編事件がテーマだ。 僕が直接知る人をモデルにしたとみられる人物が3人。
この事件はドキュメンタリー関係者として、第2次大戦の加害者国の国民として、そして安倍政権を許さない市民としてその歩みを知るうえでも、こだわり続けなければならない問題だ。 この問題を、演劇としてアップグレードしながら我々に問いかけてくれる石原燃さんと関係者の方々に感謝。
お芝居にこれほど引き込まれて、そして涙したのは初めてかと。 最前列は迫力たっぷり、小津監督になった気分。 しかし両隣の人にこっちの足の位置を気にするほどの小スペース。 首と腰あたりが…
9月4日(火)の記 21号さんお迎え 日本にて
大型台風の日本本土襲来予定日。 今日は上映等のオフィシャルな予定はオフだが、地元での所用がいくつかある。 防水加工のはずの運動靴がびしょぬれになるのを避けよう。 サンダル履きで外出。
雨がぱらついたり、台風襲来直前の蒸し蒸し空気になったり。 突風強風が恐ろしい。 関西の方は大変な状況、首都圏でも大雨のところがあったようだ。
わが故郷めぐろは、特に大雨にも見舞われることはなかった。 鼻緒の部分の足の皮がむけるほど歩いたが、濡れずにすんだ。
さあ明日はPARC自由学校の集中講座の2回目だ。
9月5日(水)の記 APARECIDAで学ぶ 日本にて
学芸大学「平均律」さんで絶品のアイスコーヒーをいただいてから、西荻窪へ。 スマホのアプリがいちばんに推す新宿三丁目乗換えルートでいってみる。
今日は西荻窪のブラジリアンバーAPARECIDAさんに河岸を変えてのPARC移民講座第2回。 主にブラジル音楽好きの人たちが集まるスポットだ。 経営者のWillieさんは、ブラジル音楽オンリーの人たちに、音楽以外のブラジルも知ってもらおうと考えて、僕の訪日の度に上映の機会をお店で作ってくれている。
今回は概して漠然とブラジルや移民という言葉に興味を持った人たちに、ブラジル音楽を講師として語ってもらうことになった。 Willieさんは自ら率いるブラジルツアーを来週に控えながら、新たに練ったオリジナルのレクチャーを音と映像も用いて展開してくれた。
あらためてWillieさんの並みはずれたブラジル音楽オタク度、サービス精神と気骨がうかがえて興味は尽きない。 多くの講座生もその思いを共有してくれたことだろう。
苦しいほどのうれしい満腹!
9月6日(木)の記 猫神家の一族 日本にて
JRレールパス使用開始。 いい日 旅立ち、まずは西の空に向かって。 新大阪乗り換え、とりあえず新山口へ。 座れて助かった。 車内でひたすら静養。 山口線で徳佐駅へ。
「神童書家 伊藤明瑞美術館」のある曹洞宗龍昌寺に到着。 夕刻、近くの臨済宗運林寺の角田住職がいらしてくれた。 運林寺は猫寺として知られるようになり、年間の訪問者は1万人を超えたという。 ネコ寺の和尚に招かれて、日も暮れた山峡の道を縫い、運林寺に案内していただいた。
住職によると、岡村の前回の訪問は7年前。 ネコ縁起のある寺でもあり、ニャン化を図りたいと抱負を語っておられた。 いやはや、驚きの猫ずくめ猫尽くしとなっていた。 僕は特に猫に興味もないが、これぐらい神羅ニャン象化していると、あっぱれである。 オリジナルグッズ類も500円程度と手ごろ。
どんニャことでも、ひとことに特化するということの見事さを教えてもらった。 https://www.facebook.com/pg/neco.dera/photos/?ref=page_internal
9月7日(金)の記 ヤマナメクジの伝言 日本にて
山口県最奥部の山里にある龍昌寺で朝を迎える。
昨夕のナメクジ談義のおかげだろう。 朝、竹林住職に呼ばれる。 本堂の前にいるという。 はて、どこだ、わからない。 住職に指をさしてもらって、ようやくわかる。
これがヤマナメクジか! 10センチを下らない。 形態は、大ぶりのタラコを横にしたような肉厚。 色は、ドイツのヤクトパンツァー戦車をほうふつさせる迷彩色。 これはすごい。
なにかとナメクジを持ち出してヒンシュクを買うわたくしだが、恥ずかしながらヤマナメクジを見るのは今日が生まれて初めて。
住職は近くでもう一頭、見つけてくれた。 同じ方向に移動中だった。 さらに遅れて、寺の勝手口の手前のスロープに一頭、匍匐中なのを見つけてくれた。 ナメクジ寺か。
今日はお寺でわが両親と兄の法要をしていただいた。 三人とも東京で生まれ育ち、いわゆる否かとは縁のない人生だった。 この、凛とした山寺での法要がかなうとは、遺族として喜びである。
あ。 三人の法要に、三頭のヤマナメクジ!!!
じゅんちゃん、それでいいよ、上等上等。 亡母のメッセージか。
9月8日(土)の記 島根でシネマ 日本にて
山口県の山村から、電車一本で県境を越えて今日の上映会場の最寄り駅に行けるというのがすごい。 島根県の大田市駅下車。 一昨年の島根県美郷町の上映会でご縁をいただいた中山さんが迎えに来てくれる。 さっそくヤマナメクジ談義。
中山さんの住まう山里には、これぐらい(両手で30センチぐらいを示す)のがいるという。 それはツチノコじゃないですか、と突っ込んでおく。
島根県のこのあたりにも近年、ブラジル人労働者が増えてきているという。 今日の会場に行くと、教える方も入れて10人ほどのメンバーでブラジル人相手の日本語教室を開催中。 請われて、ポルトガル語で自己紹介して午後からの上映会にいざなう。
さあ階上の上映会場へ。 二桁の人が集まってくれれば上出来ですよ、と中山さんに言っておくが… あらあら。 上映作品『リオ フクシマ 2』の冒頭で紹介した「国際」ワークショップの数倍の人の入りとなった。 会場の、空気が違った。
参加者の三分の一、あるいはそれ以上が福島方面からの避難者だった。 終映後に、その方々の涙ながらの訴えを聴く。
惜しむらくは、午前中のブラジル人たちの参加者が見受けられなかったこと。 ひとり、かったるそうに見ていて途中で退席した青年はそうだったかもしれない。
会場使用時間が迫り、僕の予定している電車の時間が間近になっても、名残惜しそうにいてくれる人たち。
明日午前中からの京都府福知山の上映に間に合わせるためには、今日中に鳥取まで歩を進めなければならない。 電車にかけ乗って。
山陰本線の車窓からは、絶景ばかり。 乗り継いで、雨の夜の鳥取駅へ。 数時間、カプセル系の宿の人となる。 大雨のため、列車の運休が出ているけど、さて。
9月9日(日)の記 丹後の産婆 日本にて
午前6時鳥取駅発の山陰本線上り特急は、大雨による運休を免れた。 ヤッホー。 それにしても、この時間で構内には開いているお店が見当たらない。
乗り込んだわが車両、僕以外に乗客はおらず、申し訳ない思い。 大雨のため、徐行運転。 それでも豊岡駅での福知山行き特急に接続可能の見込み。
車掌は、接続列車は豊岡駅で降りたホーム1番線に到着と言う。 豊岡駅で下車、1番線ホームに掲げられた時刻表にも福知山行き特急は1番線、とある。 時間になるがホームに駅員は現れず、構内アナウンスもない。
荷物を担いで階段を上がり、駅員に聞く。 「4番線から、もう出ました」。 JR西日本側の何重もの案内間違いを指摘すると「スミマセン」。 そのあと、駅員同士のプライベートな話題に興じている。 雨のなか運行しただけでも感謝せい、か。 いずれまたシビアな事故を起こす萌芽を見る。
小一時間ほど後の鈍行で福知山へ。 午前中のイベントは… 山山アートセンターというところが主催。 子供たちにオカムラの映像を事前に見てもらって、感じたことを自由にアートしてもらうという趣向。 お題の作品は「大アマゾンの動物救出作戦」。 今回は事前に素材を主催者に送ってある。 会場に到着すると… 用意した機材の音声が出ず、作品のあらましを伝えて創作を始めてもらったとのこと。 あちゃー。
午後は、福知山のシャッター商店街にある福知山公立大学のイベントスペースに河岸を変える。 京都府内外から友人知人が参加を予定していたが、なにせ大雨。 舞鶴からの一家は車でこちらに向かったが前方の見えない大雨のため、自宅の浸水が心配で引き返したとの報。 いっぽう関西出張中の在東京のサンビスタ(サンバ奏者)が、福知山まで足を延ばしてくれて登場。 京都市在住のアミーゴはレンタカーを借りて駆けつけて、午前中は機材をいじって音声を出るようにしてくれたという。
アートは、毛髪から。 目に鮮やかな赤毛に染めたキュレーターのイシワタマリさんが今回、チョイスした拙作は80年代のテレビ番組用のものばかり。 彼女の突っ込みは鋭く刺激的で、手ごたえのある対談となった。
スペース担当の先生によると、近くに明治時代にさかのぼる銭湯があるという。 サンビスタとともに、帰京前に寄ってみることにする。 おう、これはよろしい。 江戸川乱歩の短編小説に登場しそうな建物。 『D湯の盗撮事件』とか。
地下水を薪で炊いているというが、まことにやわらかいお湯。 女将さん、一家でやってきた別のお客さんとも楽しく盛り上がる。
好事魔多し。 予定していた京都行き特急の表示が消えた。 運休の表示やアナウンスをしないのがすごい。 JRは、振り向かない、か。 しかたがない、運行するつもりらしい新大阪行き特急に乗る。 今日中に東京に戻るつもりが、かなわなくなったぞ。 僕の使っているJRレールパスは、新幹線のぞみに乗れないのだ。
のぞみで帰るサンビスタと新大阪でお別れ。 また、明日! すでに、ひかりは絶えた。 僕は、こだまで行けるところまで帝都に近づくことにする…
9月10日(月)の記 土浦 あるく みる であう 日本にて
昨晩は、新大阪から静岡どまりのこだま号に乗った。 静岡駅近くのネカフェにビバーク。 しばらく遠ざかっていると、不特定多数の使用するキーボードに触れるにちと抵抗あり。 少し仮眠してから備え付けのパソコンを立ち上げる。
鈍行を乗り継いで、三島駅始発のこだま号に乗る。 いったん東京の実家に戻って装備替え。 今度は常磐線で、土浦へ。 このあたりの午後の天気予報は、雨だ。
午後イチで、PARC自由学校オカムラ移民講座オプションの時空ウオーキングツアーあり。 雨天中止に備えて、駅近くの「つちうら古書倶楽部」という巨大な古本センターを訪ねておく。 店内でふたりの講座生に会えたのがうれしい。 こっちも思わぬ書籍とソフビを購入。 さらにロケハン、駅隣接の土浦図書館のビルの1階のラウンジが使い勝手がよさそうだ。 列車が遅れ、30分到着が遅れるメンバーも出てきた。 時間を持て余すぐらいのアバウトな旅程のため、全員の到着を先のラウンジで待つ。
さあ地図で見当はつけているが、歩いたことのない一帯を行く。 まずは霞ケ浦の岸沿いを行き、さらに一面のレンコン栽培地帯を三々五々に北上。 ブラジルで教わった、地元で評判のどら焼き屋さんをめざす。 地元の食材を使っているのだが、生クリームと醤油を使った一品には驚いた。 その場でいただくが、いけるではないか。 ここで買い物試食トイレ休憩となり、だいぶ時間が押してきた。
お次は、王塚古墳。 古墳時代初期のもので全長80メートルを超す土浦市最大の前方後円墳だという。 以前から、そのあたりは常磐線の車窓でなにやら気がかりな一帯だった。 どうやら私有地のなかで、古墳自体も測量調査ぐらいしかされていない模様。 こちらも時間がないので、脇を競歩で歩き去るぐらいになったけど。
道路脇の斜面の土をざっとみる。 お、土器片か? なんと、刷り消し縄文が施されているではないか。 縄文後期堀之内式か?
まずは今日のメイン講座の時間が迫っている、ひたすら競歩だ。 神立駅到着は、土下座するほどの遅れにはならないで済む。 ブラジル系の子供たちの多い学童保育兼学習塾の「キッズ&スクール」訪問。 突発事態が重なって今日、登校する子供の数が減ってしまったらしい。 訪問者の数が生徒たちの倍以上という、動物園的前代未聞の異常事態になりそうな懸念。
これまた奇跡的に存在する駅近くのケーキ屋さんのイートインスペースで競歩組は待機してもらい、まずは第一陣で参観。 いやはやどうなるか。 段々と、それぞれのメンバーが居場所を見つけてうまくはまり込んでくれた。 われわれを受け入れてくれた櫻田先生から「もうこうなれば何人来ても同じですよ」の言葉をいただき、入れ替えせずに第2陣も加わる。
子供たちの送り返しのあと、卓球台2卓をテーブルとして懇親会。 いい盛り上がりだ。 さらに有志と櫻田夫妻で駅前の居酒屋に。
奇跡。 僕が櫻田さんの学校で、いちばん気になっていた人に会えた。
9月11日(火)の記 911 気仙沼 リオフクシマ2 日本にて
深夜に茨城より帰京してから、残務に追われて寝る暇もない。 気遣ってくれた今宵の気仙沼上映の主催者に甘えて、到着を2時間ほど遅れさせてもらう。 少しは残務がはかどった。 東京出発時間が朝のラッシュが重なってしまうのが気になるが、バスも山手線もさほどのことはなくヤレヤレ。
一関駅で大船戸線への接続時間に間が空いた。 駅前を歩いてみて、サンマのつみれ汁というのがあるお店にする。 つみれにするほどサンマがとれるのだな。
大船戸線は中高生の下校時間と重なったようで、山手線に勝るとも劣らない混雑。 地元学生たちは着席してスマホ、海外からのシニア映像作家は大荷物を抱えてよろよろと立ち続ける。
気仙沼駅にて今晩の上映を主催してくれた木村さんと再会。 リアス・アーク美術館にご案内いただくが、今日は休みだった。 ひるまず気仙沼プラザホテル付属の気仙沼温泉に。 津波と火災に襲われた湾内をハダカで見下ろすのは、申し訳ない思い。 高台にあるこのホテルは、海岸と結ぶ展望エレベーターがある。 ブラジルのサルヴァドールのエレベーターをほうふつ。
会場の都合で今晩の上映は詳細を明かせなかったが、東京からもシンパが駆けつけてくれた。 アウエーの地では心強い限り。 上映作品は『リオ フクシマ 2』。 上映後の参加者の話題は、原発問題ばかり。 大津波による甚大な被害を被り、福島事故の海産物への影響が懸念されて、間近に女川原発のある土地である。
この上映がかない、感謝、黙祷。
9月12日(水)の記 海を見ていた今朝 日本にて
気仙沼で朝を迎える。 肉親を津波でなくされた方の、新たに高台に築いたお宅の2階に泊めていただいた。 カーテン越しの陽光を浴びる。 窓を開けると、太平洋からのまぶしい朝日。 美しい、というのとは違う。 格好な形容詞が浮かばない。
ふたたび、まずは大船渡線。 山形寒河江を目指す。 仙台から、仙山線。 北山形接続で、予定より一本早い左沢線に乗れた。
血のつながった親類を見舞う。 昨日は海幸、今日は山幸をたっぷりとごちそうになる。 日本酒の進むものばかり。 そもそも、絶品の日本酒をご用意いただいた。
山口でも致命的なミスが重なったものの、カバーしていただいた。 今晩も情けない忘れ物をカバーしていただいた。 もっと気をつけないと。
目黒駅到着時には、日付が変わっていた。 ジャパンレールパスの一週間が終わる。
9月13日(木)の記 標本の眩暈 日本にて
午後から、東大本郷キャンパス内で打合せ。 今後の見通しをつける。
すぐ近くの東京大学総合研究博物館で「珠玉の昆虫標本」展開催中。 7月にもこのあたりに来たのだが、10月20日まで開催とのことで、次回にしようと見合わせていた。
見ようか… 重い…なぜ? 次はないかもしれない、思い切って入ってみよう。 上野の縄文展と違って、ロハだし、ロハすにいこう。
これは面白い。 さまざまな展示がアートとして、インスタレーションとして楽しめるではないか。 「遺体の無目的な枚挙こそ、博物館の本質であろう。そしてそこに理を与えるのは、学者の好奇心である。」 といった具合に、解説文も鋭い。
ふつう、まず忌み嫌われて殺害されるような微細な小アリまでも、一頭ずつ丁寧に標本とされて注記が施されている。
若い女性、いかにも昆虫オタクといった若者、そしてシルバーエイジの紳士など、混雑までいかないモデストな人の入り。
して、この息苦しさは何だ。 …リオの国立博物館の焼失だ。 スゴイ日本なら、あんなことは…
ズバリここ東大で、直良信夫博士が発見した明石人骨が米軍の空襲によって焼失していたな。 ほんらい京都だって空襲でやられていたのだ。 文科系の予算を削り、戦争を招こうとしている現政権の先にあるものは。 少なくともリオの博物館は、戦争で失ったわけではない。
ずっと浸っていたい博物空間を息苦しさからそこそこで出る。 ついでに気になるアーチストの展示を見に、銀座の画廊へ。 これはなんということもなし。
9月14日(金)の記 目黒の椅子 日本にて
今日は目黒界隈アートめぐりとする。 まずは油面の、金柑画廊さん。 オーナーの太田さんと、つい諸々と話し込む。
さてさて庭園美術館『ブラジル先住民の椅子』展だ。 アマゾン流域シングー地区の先住民が動物をモチーフとする椅子をつくっていたことは知っていた。 しかしそれがアート市場に乗って世界的なものに変容していることは知らなかった。 意表をつく面白さがある。
リアリズムを極めるアイヌの藤戸竹喜さんの彫刻と比べると、こちらはプリミティズムを極めた実用品、といったところか。 ここでは触ることもご法度のゲージツ品だけども。
ミュージアムショップで売られているクラフトの値段を見て、たまげた。 僕あたりの知るブラジル国内での値段より、二桁高くなっている。 おそるべし、アート市場の錬金術。
上映作品もじっくり見て、駒場までハシゴする時間がなくなった。 目黒駅近くで気がかりの、隠れ家のような喫茶店に寄ってみる。
けむい!! 二人の喫煙者がいて、これはもう拷問だ。 今年2月の『Hanako』が置いてあり、「喫茶店に恋して」という特集に目黒界隈では平均律さんと共にこの店も取り上げられている。 禁煙にさえしてくれれば、ときおり寄りたい感じの店だけど。 帰ったらシャワー浴びて洗髪して着替えないと。
9月15日(土)の記 食べる雑巾 日本にて
昨日、逃した東大駒場での展示「卵からはじまる形づくり」。 会場まで歩いて行ってみよう。 同じ目黒区内だが、東大駒場まで徒歩で行ったことはない。 知らない道を選っていく。 南側からだと、京王井の頭線の駅の高架を通らないとたどり着けないのか。
展示そのものは、正直なところ僕のオツムでは理解がむずかしい。 なみレベルの高校の文化祭のお勉強展示、といった感じ。 本郷の展示とは、ケタ違いの差あり。
先日、祐天寺の coffee caraway さんで中目黒にエチオピア料理屋があることを教えてもらった。 調べてみると夜のみの営業、ひとり3000yen強ぐらいになるようだが。 帰路、見つけた「クィーンシーバ」に思い切って入店。
お店の女性が丁寧にいろいろと教えてくれる。 いちばんの関心は「食べる雑巾」とまで言われることのあるエチオピアの発酵パン、インジェラ。 灰褐色、モチモチ、牛の内臓にあったようなスポンジ状、そして酸味。 酸っぱい発酵臭があるが、僕には不快ではない。 人:日本人が、慣れない他文化の発酵食品をどのように形容するかという観点からすると面白い。
そもそも他言語では「雑巾」のような、ひとことで雑巾を言いあらわす言葉があるかどうか。
エチオピアがますます身近になる。
9月16日(日)の記 横浜三昧 日本にて
さあ今日はPARC連続講座の4回目、横浜編。 15時半に海外移住資料館集合。 せっかく横浜まで出るのだから、その前の時間を活用しないと。 夜が遅くなりそうなので、あまり疲れない程度に。
神奈川県立博物館「真明解 明治美術」展に行ってみよう。 いやはや、これは見どころたっぷりだった。 五姓田義松。 これまであちこちの美術館で見て、気になっていた画家だった。 これはすごい。 ごせだよしまつ、という読みだったと知る。 常設展にある彼の作品が、これまたすごい。
時間がない。 ミュージアムショップで五姓田関係の資料を求めて、海外移住資料館へ。 旧知の西脇さんが休日出勤で解説をしてくれた。 続いて黄金町の横浜パラダイス会館へ。 アマゾン帰りの大道焼肉師、伊藤修さんの焼いたお肉をいただきながら、波乱万丈の半生のお話をうかがう。 PARCの担当によると、自由学校の講座で組織暴力団に言及されるのは、他に例を知らないとか。
さらなる懇親会は、アブラカダブラへ。 日の丸をミラーボールの照明がてらす…
これといったトラブルもなく、なによりでした。
9月17日(月)の記 雨にぬれても 日本にて
ふむ、敬老の日か。 午後からバスを乗り継いで、世田谷の内奥へ。 何度、通ってもわかりづらい。 思い切って、ビデオカメラを少し回す。 展望が開けてきた感じあり。
帰路、三軒茶屋で「漆がつなぐアジアの人びと」展を見る。 http://www.setagaya-ldc.net/program/423/ コンパクトだが、見どころ学びどころたっぷり。 東南アジア各地のウルシ製品は、日本のウルシとは植物学的に別種のいくつもの植物由来というのが驚き。
今日は天気予報もチェックせず、荷物が多いので折り畳み傘を出がけに置いてきてしまった。 夕方より豪雨。 雨に濡れながら近場の喫茶店を探すが、チェーン店以外の店は7時閉店の由。 仕方なくマクドナルドでオマケつきセットを頼む。 今日のオマケのプチ絵本は、ブラジルの姪っ子にでもかついでいくか。
豪雨の外を見下ろしながら、買ったばかりの『世田谷一家殺人事件』文庫版をひも解く。 なんなんだ、この事件。
9月18日(火)の記 常磐線とまる 日本にて
神立へ、ふたたび。 時刻表を見間違えて、集合時間に遅れてしまった。 今日は在茨城のメンバーと、キッズ&スクールの訪問。 もと教員の「にのまえ」店主、眞家さんの個別日本語指導ぶりなどを見せていただく。
ついで牛久に移動して地元の施設で最新作『常陸と南米』関係者完成試写を行なう予定だった。 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000050/20180822013864.cfm ところが常磐線で人身事故があったという。 下り普通列車、上下特急は走らせているが、上り普通は警察の現場検証があるとかで、延々と来ない。 すでに道路も夕方のラッシュ時だから、タクシーでも散在するだけでたどり着けないだろう。
施設は事前に鍵を借りるシステムで、その時間に間に合わず、断念。 神立駅のホームは、新たに人がホームに落ちるのではないかというぐらいの混雑となる。 が、見渡す限りの人びとは文句も言わず粛々といつ来るともしれない上り鈍行を待ち続けている。 いったい誰の、なにゆえの人身事故でこちらの計画が水泡に帰すのか知りたいものだ。 神立のホームで人が立つこと1時間余り。
在牛久の、拙作の主人公のご自宅のテレビモニターでの試写に切り替えることになった。 リモコンがなくて、16:9を4:3に切り替えることができない。 やむをえず、横長の画面でご覧いただく。
9月19日(水)の記 むずかしき人 日本にて
今日は今回訪日してはじめての地元鷹番上映。 『南回帰行 橋本梧郎と水底の滝』を奉納予定。
スピーカー、アンプ等々の機材も担いで学芸大学へ。 流浪堂さんにて関連書類等を受け取り、まずは会場で一人で準備。
今日は都大付高「おせっ会」関係、PARC岡村講座関連の方々が集まってくれて、程よい人の入りとなる。 10年前の8月に亡くなった橋本梧郎先生、今年7月に亡くなった ゆき夫人への祈念の作品チョイス。
橋本先生のむずかしいお人柄を思い出す。 お付き合いも撮影も、特に最初は容易ではなかった。
実は今年になって新たにむずかしい撮影プロジェクトに挑もうとしている。 ああ、むずかしい。 しかし、橋本先生をなんとか念写できたことを思い出そう。
9月20日(木)の記 真弘忌2018 日本にて
完成どころか進行の見通しも立っていない撮影プロジェクト。 今日、ヤマを迎えることになる。 午後、バスを乗り継いで世田谷の内奥へ。 恥ずかしながら現場で機材の不備に気づくが、一期一会の撮影を決行。
ある程度の見通しがついたかもしれない。 ほんのはじまりの見通しだが。 滞在可能時間をだいぶ時間をオーバーした。
今日は伊豆大島に冨士見観音を建立した藤川真弘師の命日。 今年、得度した黄金町の大道焼肉師の伊藤修さん等は伊豆大島に渡っている。
僕は、こちらで供養をすることにした。 伊豆大島で19年間、観音堂のお世話をされたオミッチャンこと佐々木美智子さんの新宿ゴールデン街のお店「ひしょう」へ。 PARC移民講座生にも声をかけておいた。
いやはや、こんなに集まってくれるとは思わなかった。 飛び入り客も一緒に盛り上がる。 藤川さんの意にかなった集いができたと思う。
9月21日(金)の記 割り勘フライデー 日本にて
今日はオフィシャルな用事はないが、旧知のフリーライターがぜひ会いたいという。 日中にあれもこれも済ませたいこと、少しでも読んでおきたい本もあるがはかどらない。 遅ればせながら郵便で送るものの作業を進める。
ライター氏は取材として行くべき食べ物屋が2件ほどあり、支払いは取材経費で落とせるという。 夕方まで取材があるとのことで、直前になっても待ち合わせ場所と時間はわからない。
学芸大学の流浪堂さんに寄ってから、とりあえずの待ち合わせ場所に指定された渋谷に向かう。 渋谷、というだけで渋谷のどこかは未定。
先方の連絡待ちで、ヒカリエの近い売り場あたりを歩く。 ライター氏から電話。 予定していた店は、電話を入れてみると2軒とも超満員で入店不能の由。 新たに彼が指定してきた店に行くが、彼はまだ来ておらず、そもそも雨。 なによりどんどん入店待ちの列が伸びている。 こちらは連日の疲れも引きずっていて、明日の朝も早い。 帰りたくなる。
ようやく現れた彼と、近くの定食屋へ。 彼がどんどん注文。 僕は彼のおごりと思って、自分からのリクエストは控える。 彼は日本のテレビ有名人の番組に出演した話などを披露。 僕は、彼のネタになりそうな話をサービス。 事前にこの時間までで勘弁してほしい、と宣言していた時間が過ぎた。 席を立とうとするが、彼が最後のイッパイと追加の料理を頼んでしまった。
さて、気になるお勘定。 割り勘… ほぼ半額の3000円を出すと、彼はそのまま受け取り、全額の領収証をお店に頼んだ。 いやはや、ふだんオレは何のために節約をしているのか。
ともだちよ、これが私のフライデーナイト…
9月22日(土)の記 埼玉でマンジョーカ芋を掘る 日本にて
疲れが抜けない、とにかく移動中に休もう。 品川からの列車で映画『野火』のロケ地でもある埼玉の深谷駅へ。
全5回のPARCブラジル移民講座の最終回。 今回はKIMOBIG BRASILさんにコーディネイトしていただいた。
埼玉の深谷で南米原産のマンジョーカ(キャッサバ、マニオックなどとも呼ばれる)芋を栽培している畑を訪ねて芋掘りをしようという企画。
思えば、大アマゾンの先住民ヤノマモの人たちがマンジョーカを掘るのは取材したことはある。 しかし、自分で掘った覚えはない。
南マットグロッソ州出身のシンさんらが長年の努力の末、深谷ネギのシマで栽培に成功したマンジョーカを指導を受けながら掘り掘り。 現場にしつらえたテントで、キモビッグさんのスタッフがマンジョーカフライやマンジョーカケーキなどを用意してくれた。 参加者一同、ご満悦のよう。
さらに利根川を渡って群馬大泉のブラジリアンタウンへ。 いくつかのブラジリアンスポットを案内してもらう。 ブラジル風パン屋、ブラジル風チーズ工房など。 カミナルーアというこじゃれたブラジリアンレストランで締める。
奥まった細長いテーブルでの会食となったが、それぞれが盛り上がってくれているようで、やれやれ。 思えば、名残を惜しむ暇もないほど盛りだくさんな講座だった。
9月23日(日)の記 寄 日本にて
「寄」ひと文字で「やどりき」と読ませるそうだ。 神奈川県足柄上郡松田町にある集落の名前。
成城学園前で所用を済ませてから、小田急線に乗り、新松田駅下車。 ピックアップに来てくれたシンパの方の車に仲間とともに乗る。 ハンパではない山道を登っていく。 「寄」にある築200年という家屋が今日のイベント会場。 昼の部の歌と踊りが続いている。
僕は夕方から上映。 付近にたたずんでいると、車で来る人らに駐車場はどこかと聞かれて、わかる範囲で誘導。 知らない人ばかりで勝手がよくわからないが、映写と音響を担当してくれるらしい人がいてありがたい。 南米で2年間、過ごして映像制作もたしなむという若い人が僕の聞き手をするという。
上映中の彼を見ていると、拙作を見ていて気づいたらしいことのメモをしている。 しかし彼が画面から目を離してメモを続けているうちに、見逃してほしくないシーンや字幕が過ぎ去っていく。
今回、主催者の方々にチョイスしてもらったのは前世紀に放送したテレビ番組が中心。 それでも来場者たちにとってはかなりのインパクトで感動していただけたようだ。
夜は有志たちと、ここで雑魚寝。
9月24日(月)の記 鶴巻温泉 日本にて
今回、有料で雑魚寝をしたところでは庭先でもヒルに襲われるようだ。 どうやら僕は献血を免れることができた。 近くの森の小径を散策するのを楽しみにしていたが、散策地までクルマで10分ほどという。 そもそも土日祝日は、里に下りるバスがないというではないか。 岡村系のイベント参加者で夜も共にしてくれた面々は、自動車で来てくれた人たちに便乗させてもらって下山。
昨夕の上映では相当、汗をかいたが入湯も着替えもままならなかった。 有志と帰路、入湯計画を立てる。 鶴巻温泉駅近くに日帰り銭湯があるという。 この駅を通過するたびに、どこに温泉があるのかと思っていた。
かつては温泉地として栄えたようだが、いまや街なかのスーパー銭湯といったところか。 それにしても汗だくのまま一夜を過ごしただけに、爽快この上ない。 同行のメンバーの気配りに感激。
今回は上映機材に加えて撮影機材も担いできた。 帰路、アポを取っていた世田谷のお宅を訪ねる。 カメラの回せない取材。 こうして彼岸があけていく。
9月25日(火)の記 えこだのエコロジー 日本にて
疲労と残務雑務がたまるばかり… 雨続きで洗濯もままならない。 この天候の割に、ナメクジには山口のヤマナメクジ以来、面会していない。
夕方から、さる映画祭の実行委員会の方々に拙作を試写していただく予定。 会場は江古田駅の近くだが、新桜台駅なら祐天寺から階段の上がり下がりなしで行けることがわかった。 残念ながら、今日は江古田のコスモナイトαさんは定休日。
妙な思惑忖度のある映画祭、自分たちが権威のつもりらしい映画祭はおそれおおくてこちらから敬遠することにしている。 今回の実行委員会の方々は、それがなく、ありがたい。 拙作を予想以上に気に入っていただけたようだ。 共通の知人のこと等々、懇親会でも話が弾む。
この方々とも、ありえないような偶然で結ばれた。 あなかしこ。
9月26日(水)の記 鴻巣ストーカー 日本にて
…さあ、起き上がろう。 さあさあ家を出よう。 道のりは近くはない。
佐々木岳久さんの個展の初日にうかがおう。 http://www.ts-works.jp/message.htm 場所は埼玉県鴻巣の、駅から2キロほどのカフェ。 関東平野の奥座敷。
知らないところを歩くのは、嫌いではない。 日本の凡俗が続くなかで、忽然と現れた異空間。 店の名は、ストーク。
タルコフスキーの『ストーカー』由来かと尋ねて、そのようだと聞いた覚えがある。 まさしくタルコフスキーの『惑星ソラリス』のラストに浮かび上がる小宇宙のような島だ。
店主の谷口さんに聞いてみる。 タルコフスキーのことをご存じなかった。 ストークとは、コウノトリのことだという。
さあ、西荻窪まで遠い。 APARECIDAさんでのリオ国立博物館追悼上映だ。 手ごろな人数にお集まりいただき、思わぬ話をいくつもうかがう。
9月27日(木)の記 用賀のカピタン 日本にて
今日も世田谷の内奥のお宅へ。 撮影機材を担いでいくが、カメラをまわすに至らず。 近年はわずかな撮影期間で作品にまとめちゃうようなことが多かったから、そのしっぺ返し、内省の時だ。
帰路は繁華街の割にこれといった喫茶店の見つからない三軒茶屋をはずして、用賀駅経由とする。 なかなか把握するのがむずかしい一帯。 そこそこに歩いて、「珈琲譚」:カピタンという喫茶店を見つける。 広々とした老舗風の喫茶店だが、客が誰もいない。 かといって閉店時間が迫っているわけでもない。
思い切って入店。 店名は、やはりポルトガル語のカピタン(キャプテン)に引っ掛けたものだという。 マスター風の男性にいろいろと話しかけてみるが、短い回答のみ。
本を少し読もうと思っていたが、いるだけで満足な空間だ。 壁の絵の小品を気に入った。 作家について聞いてみるが、要領を得ず、ネット検索にも引っかからない。 小一時間、とどまるが、コーヒー豆を買いに来た人がひとり来たのみ。 こんな素敵なお店になぜ人が来ないのかは、聞きそびれた。
9月28日(金)の記 狐とリハビリ 日本にて
今日も盛りだくさん。 午前中に、気になる展示類を思い切ってハシゴ。
まずは國學院大學『キリシタン 日本とキリスト教の469年』展、入場無料。 これは見ておいてよかった。 さすがは考古学の國學院、考古関係の資料が面白い。 明後日は八王子でカトリック関係者が多いだろう上映がある。 その時のいいトークネタが複数、浮かんだ。
歩いて六本木へ。 気になっていたアーチストの個展を見るが、これはどちらかというと肩透かし。
午後は世田谷の内奥に向かう。 電車賃を少しでも節約するために、乃木坂駅まで歩く。 通りがかったフジフィルムスクエアの『富山治夫 現代語感』展のポスターがそそる。 これも入場無料だし、少し時間を持て余している。 これは面白かった。 漢字2語のキャプションがそれぞれに施されているが、秀逸の一言。
さあ、いざ世田谷。 ようやくカメラを回せる。 こういうのを、撮りたかった。
帰りは、用賀経由で。 チェーンの中華料理屋の「カレー麻婆豆腐」が気になっていた。 これは期待外れ。 麻婆豆腐そのものがたいしたことなく。
恵比寿行きバスを三谷で降りて、流浪堂さんに顔をだす。 帰路、東急のフリーマガジンで紹介されていた、ちょっと外れた場所にある喫茶店に思い切って入ってみる。 古いアパートを改築したようだが、ここは面白かった。 暗めの照明だが、本を読みたくなるお店。 昨日に続いて、アタリの喫茶店。
9月29日(土)の記 汐留で打ち止め 日本にて
スピンアウトという言葉を初めて知った。 5回にわたるPARC自由学校のブラジル移民講座のエキストラ版を行なうことになった。 受講メンバーの一人が、勤務先である汐留の高層ビルの社員食堂を上映会場として使えますと提案してくれた。 『シネマ屋』と『郷愁は夢のなかで』を上映することにする。
新橋駅で一行と待ち合わせ。 汐留へと歩く。 ほう、日本テレビはここに移っていたのか。 麹町にあったころ、『すばらしい世界旅行』の納品やら何やらでしばしば通ったものだ。
僕は後方に座ったことと、あちこちとの連絡があるため上映中も時おりスマホをチェックした。 その姿勢がたたったか、『郷愁は夢のなかで』エンディング近くでフリーズ等の現象が起こる。 この作品に出てくる日本のテレビクルーの機材に生じた霊障については、話しそびれた。
二次会は、ひと気の乏しいビル街のタイ料理屋で。 途中、中国人のグループが入ってきて、中国語が通じないとわかって出て行った。
連日の上映と撮影でだいぶ疲れがたまっている。 明日も早いので、名残は惜しいが僕は二次会で失礼させてもらう。 いつまでも講師がくっついていては、不粋でもあろう。 メンバーたちの自立も促そう、という理屈も立てて。
9月30日(日)の記 雨が降ってもハレルヤ 日本にて
今日は午後から八王子で上映の予定。 しかし台風24号が夜には東京を直撃する可能性あり。 主催者から届いたメールは「雨が降ってもハレルヤ」。 今日の主催者の方はカトリック信徒だが、うまいことをいう。 (のちにネットで調べると、この言葉はドリフターズの歌にあるようだ。ドリフは潜伏キリシタンだったか。)
会場は、まず自前では泊まることもないだろう駅前のホテルの一室。 結婚披露宴参加者の気分。 上映機材の設置もホテルのスタッフがしてくれるのだが、4:3がきちんと再生できない。 プレイヤーを変えてもらって、ようやくオッケー。
台風を懸念して見合わせた方が少なくないようで、せっかくの豪華会場に参加者はポツリポツリ。 上映作品は『フマニタス』と『死者の日のミサ』だが、ブラジルのフマニタスでお会いしていた邦人夫妻が奇縁から来てくれたのには驚いた。 人数が少ないのがかえってアットホーム感をかもしたのか、質疑応答が絶えずにうれしい。
イベント終了後、参加者から「都内のJRは午後8時で運転取りやめの見込み」とのニュース。 これから主催者の方々との食事会がある。 「京王線はなかなか止まりませんから」とのこと。 「もし止まったら、このホテルに泊めてもらいましょう」と半ば本気で言っておく。
中華のディナー終了後も京王線は動いていた。 しかし、各駅停車のみ。 はるかなる、山の手。
東急東横線もまだ動いていてくれた。 祐天寺駅までたどり着く。 まもなく東横線も運休の見込みの由。
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