12月の日記 総集編 終わりの始まり 始まりの終わり (2018/12/08)
12月1日(土)の記 秋田のアマゾンの読経
日本にて
東京駅07:36発こまち号にて秋田大曲へ向かう。
東北に入り、車窓は雪景色。
大曲が近づくと、雪は雨に。
大曲駅に写真家の江川正幸さんが迎えに来てくれる。
最近の江川さんの活動の話にこちらも胸躍らされる。
今日は秋田羽後町の森野潤さんのご実家で『アマゾンの読経』5時間16分を一挙上映していただくことに。
参加される方に少しでも快適にご覧いただけることを優先していただいた。
仏間をストーブ2台で温めて。
森野さんは諸準備で、大わらわ。
よくぞこの上映を実現してくれた。
途中、よりによってのシーンで映像のトラブル。
なんとか最悪の事態は逃れることはできたけど。
ずさんに上映に臨んだ自分への貴重な警句。
ブラジル日本人移民110周年のおわりにこの作品を上映していただくことのありがたさ。
上映後に有志で献杯懇親。
森野さんにとっていただいた近くの温泉宿の大浴場はすでにおしまいの時間。
しかしなんと、個室温泉付きの部屋をとっていただいていた。
個室温泉付きとは、台湾の北投温泉以来ではないか。
あの時は、部屋のバスタブに温泉が流れる、ぐらいだったけど。
思えば今回の訪日で温泉はこれが最初で最後。
寝る間も惜しんで入湯。
12月2日(日)の記 今年最後、かも
日本にて
いやはや夜明けの光景がすばらしいことに、だいぶ明るくなってから気づく。
さっそく個室温泉に入湯。
せめて半日、くつろぎたいものだがそれもかなわで。
午前9時前に江川さんに車で迎えに来ていただく。
大曲駅10:39発のこまち号に余裕で間に合う。
全車指定だが指定券完売、仙台からは立ち客も目立ってきた。
昨日、指定をとっておいてよかった。
いったん目黒の実家に戻る。
体が横になることを求めて、そのまま寝込んで起き上がれない不安。
今宵はホームグラウンド学芸大学での最終上映だ。
なんとか東京にはたどり着いたが、その準備に抜かりはないか、素材のトラブルがまた起きはしないかと落ち着かず。
この上映の準備は、ひとりではどうにもならない。
ウエブ上で若干名の方のお手伝いを呼びかけようとも考えたが、あえてやめてみた。
ありがたいことに、ブラジルで出会ったエンジニアの森下さんが上映会場の使用可能時間前から流浪堂さんで待機してくれていた。
重いスクリーンの搬入と設置をお願いしてしまう。
プロジェクターと音響の設置と調節、そして来客のアテンドで僕は精いっぱいだがエキストラの用件もある。
今日は今回のフライヤを作成してくれた佐々木岳久さんからご提供いただいた原画を会場内に飾る予定。
なかなか大判で重く、安全かつ美しく設置するのがむずかしい。
と、さる火曜に鳥取で上映を主催してくださった鷲見さん夫妻がいらしてくれたではないか。
コラージュ作家でもあるスミカヤさんにこの原画の設置をお願いしてしまう。
今宵の上映もまた多種多彩な方々にお集まりいただいた。
『さまよう人とともに』と『ブラジルのハラボジ』という、まことに地味な2本立てをしかと受け止めてくださる方々に恵まれるありがたさ。
12月3日(月)の記 語るにのぼる
日本にて
出ニッポン二日前。
この実家の使用空間の混乱ぶりを出発までになんとかできるのか、毎度ながらくらくらする。
紙類のいる・いらない、ブラジルに持っていく・日本に置いていくの分類、急ぎのウエブ連絡、郵便類などなど。
午後から富山妙子さんのところに、ご挨拶に。
諸々のお話とともに、遠からぬ再会を期して。
夜、田園調布にて出版関係の知人と待ち合わせ。
田園調布の大衆系居酒屋に in。
問わず語りで話しているうちに、思わぬ気付きがある。
自分のことより、自分に託されてそのままにしていることを。
今日は、使用には至らなかったビデオカメラ一式、そして富山さんにお見せする大判の額装作品を担いでの大荷物での移動だったため、いつもより体に疲れが出る。
12月4日(火)の記 めぐろまわり
日本にて
知人の写真展を見たい、封切られたばかりの韓国のドキュメンタリー映画を観たい。
しかし出国前の残務雑務は増えるばかりで片付かない。
うーむ。
泣く泣く断念。
所用で祐天寺駅付近に出て、はじめて気づいた。
駅前の文具のソーマさんのシャッターが閉じて、貼り紙もない。
店の看板も外されている。
帰宅後、ネットで調べて知る。
祐天寺駅ビルがスノッブかつ無個性にオープンした10月はじめに創業56年にして閉店していた。
ソーマ燈のように思いでがぽろぽろ。
カレーのナイヤガラの内藤駅長もなくなり、スキンヘッドのソーマさんにも会えなくなったか。
先週の津和野の上映で、地元祐天寺出身の女性にお会いするという奇遇もあった。
僕の知る祐天寺は、もはや思い出のなかばかりか。
自称シバヤスさんとの待ち合わせに遅れてしまう。
PARC講座などでごひいきに預かり、『狐とリハビリ』に目を見張るレビューをしたためてくださった。
近くにお住まいなので、お礼かたがた一度カフェでもと願いながら、僕がこの調子の過密スケジュールとなり、果たせないでいた。
ようやく今日午後お会いすることに。
シバヤスさんがサジェストしてくれたお店がなかなか。
めぐろ歴史資料館のすぐ近くにあるブックカフェ、僕は存在すら気づいていなかった。
これまた驚きの店で、いちいち面白い。
話は尽きないが、ご家庭のこともあるだろうから、ほどほどで腰を上げる。
するとこちらの会話のブラジル云々が漏れ聞こえていたようで、マスター、そして別のお客さんとの会話がはじまり、尋常ではない展開に。
実家に戻り、訳あって流浪堂さん迄徒歩にて二往復。
二度目は雨にたたられ、帰路は傘の提供をいただく。
12月5日(水)の記 玄関口のスシ屋にて
日本→大韓民国→エチオピア→
14時半には実家を発ちたい。
実家の使用空間の片づけ、なんとかなりそうだ。
タクシーもほどなくつかまった。
クリスマスムードでごった返す恵比寿のホテルで成田行きのバスを待機。
成田のカウンターのスタッフはエチオピア航空の規約、ブラジルのIDカードなどを知らないので、てこずる。
いずれにしても今回も書籍で荷物が重くなり、そこそこに本類を削って実家に残している。
さあ、祖国での食いおさめをするか。
食べたいのは、お寿司…
いつも店の前まで来て、値段にびびって入らず仕舞いでいた。
今日も、一度は通り過ぎる…
が、今回祖国到着日に十干十二支ひと回りの誕生日を迎えたものの、自腹では贅沢のレベルの食事もした覚えはない。
思い切って、話のタネにとUターン。
店内がらがら、カウンターは無人。
外の見える席につく。
下から2番目ぐらいのお値段の握りと冷酒をいただく。
定員たちが大声で私語をしているが、祖国を去る身にはこれも一興。
そのうち業界人っぽい若いグループが入ってきた。
次いで一人でやってきた白人女性はカリフォルニア巻きとワサビの追加、味噌汁を注文。
次いで駐在員の妻子っぽい邦人。
日本の玄関口でのスシの消費のされ方が面白い。
レジを受け付けたのは日本人らしい若い女性。
「このお店、本店はどこにあるんですか?」
と聞いてみる。
レジにあったカードの住所の筆頭に恵比寿があったので、例のテレビ屋のレイプ疑惑事件を思い出しながら。
彼女には本店の所在がわからないと見えて、奥に聞きに行こうとするので、制止する。
いやはや。
12月6日(木)の記 アフロの混沌
→ブラジル
エチオピア航空機は韓国仁川でのトランジットのあと、一気に満席に。
僕は3人掛け席の通路側を確保。
隣2人はアフロの巨漢男性。
この2人、先方が通路に立つ際に僕が席を立つなどしても、礼や詫びの言葉もない。
それでいて食事の時や着陸時にはイエス・キリストに祈っている。
隣の巨漢は僕の横腹に肘鉄も食らわせてくるので、こっちは防御の姿勢。
いやはや。
アジスアベバまで10時間以上。
座席を倒して眠っていると、背もたれを激しくどつかれた。
「こんなに倒しちゃ通れないじゃないの!」と後ろの列のアフロ女性が英語で僕にまくしたててくる。
周囲の3人に2人は僕と同様に座席を倒していて、僕だけがどつかれて起こされて。
アジスアベバでのトランジットがまたカオス。
正直者が、ばかをみるシステム。
サンパウロ行きの機中では、棚の上の荷物をめぐって乗客同士のののしり合い。
いやはや。
エチオピア航空で訪日、というと今回お世話になったサンパウロの日系の旅行社を仕切る女性から奇異と憐みの反応をいただいた。
あえてエチオピア航空で、という僕の選択に唯一、喝采してくれたのは日本の富山妙子さん。
さあサンパウロに着いた。
暑いんだか寒いんだか。
おかげさまで、ぶじ家族のもとにたどり着く。
12月7日(金)の記 物語の欠片
ブラジルにて
近年の僕が日本で最も新刊の書籍を購入しているのは、成田空港の改造社書店だろう。
ほとんど文庫、新書だけど。
昨夜、サンパウロの我が家で休息タイムに入って以来、あれやこれやと書籍に手を出してみる。
落ち着いたのが、今回、成田で無税買いした原田マハさん著『フーテンのマハ』(集英社文庫)。
ああ、面白い。
ここも線引き。
そのなかから、ひとつ。
私は日の当たる窓際の席に陣取って、流れゆく風景を眺めながら、前後左右から聞こえてくるローカルな会話を耳に、その人の人生に思いを馳せたりする。そういうときに、ふっと物語の欠片(かけら)のようなものが浮かび上がる。それは大河ドラマや手のこんだ推理小説になるものではないかもしれないけれど、ささやかな人の営みの風景を描くのにとても役立つ。
(『フーテンのマハ』より。)
終章にある、彼女が子供の時に亡父とともに見に行った映画の話には驚いた。
宿命の親子が、ここにもいたか。
疲労と時差ボケに圧倒されながら買い物に出る。
家族のリクエストをもとに、夜はキツネどんぶりをこさえる。
キツネでリハビリ。
12月8日(土)の記 クラウジオ・パストロ発見
ブラジルにて
今日は何の日。
日本なら、真珠湾攻撃、開戦記念日といったところか。
カトリックでは無原罪の聖母の記念日である。
サンパウロの我が家から車なら至近のルルドの聖母の教会に行ってみる。
早朝のミサは、階上の小聖堂にて。
小聖堂の正面にブラジル人の画家 Cláudio Pastro の聖画があるではないか。
聖母マリアと聖ヨセフの2ショット。
ヨーロッパで聖画を学んだクラウジオ・パストロの作品には画集では親しんできたが、実物に接するのはこれが初めてかもしれない。
泰西聖画とは異質の、清楚な表現。
中近東の空港あたりにマッチしそうな作風だ。
検索をしてみると、ポルトガル語ではどんどんヒットする。
試みに、日本語では…
該当するのは、ゼロとは驚いた。
彼の作品はブラジルのみならずヴァチカンをはじめとするヨーロッパ、南米の諸国にも広がっているのだが。
ネットで接することのできる彼の作品の画像のリンクを貼ってみたが、うまくいかない。
検索エンジンにClaudio Pastro と入力して画像をご覧いただければ。
このリンクは、貼れるかな?
https://br.pinterest.com/rcordeirodesign/claudio-pastro/
ハレルヤ!
12月9日(日)の記 甘酒プルファヴォール
ブラジルにて
日本から担いできた発酵関係の書籍数冊をぱらぱらとめくる。
今回、思い切って担いできたもののなかに秋田でいただいた米麹がある。
これを使ってみようかと思っていて、こちらの冷蔵庫に以前、長野で買ってきた米麹がまだ残っていることに気づいた。
甘酒をつくってみるか。
甘酒のレシピも、多種多様。
英語からの翻訳本にあった玄米使用でやってみようか。
もともと甘酒は好きでもないのだが、甘酒利用のレシピもいろいろあって面白そうだ。
ヨーグルトメーカーを使うと6時間でオッケーというのも信じられない。
こうしてブラジル帰還後のヨーグルトメーカー初使用は、玄米甘酒。
発酵時間を1時間、多くしてみる。
ふむ、悪くない。
煮沸や冷蔵で発行を止めないと、甘みがアルコール化してしまう、というのもかえって楽しみだが。
今日は連れ合いの実家を訪問する予定。
義母に自家製甘酒を持参するか。
これが、異常にウケる。
僕のいないところでも、何度か「おいしい、おいしい」と繰り返しているのが聞こえる。
悪い気はしないものだ。
発酵力に感謝。
今度はモチ米でやってみるか。
サツマイモ使用なんてレシピもあるぞ。
マンジョーカ芋でトライしたら、気分はヤノマモかも。
思えば僕が35年前にヤノマモの村でいただいたのは、ずばりマンジョーカの発酵飲料だったな。
12月10日(月)の記 師走の断食
ブラジルにて
年末年始の予定を確定できないので、落ち着かないが…
とりあえず、一日断食。
荒れ放題のウエブ日記の草刈りに着手。
そこそこの時間がかかり、蛞蝓のあゆみ。
近所に買い物。
いくつか食材の仕込み。
あとは発酵力に期待。
夜は豚肉を味噌と甘酒に漬けて焼いて家族に提供。
柔らかくておいしいと好評。
自分で味見もできずに残念。
12月11日(火)の記 ひとり作業のつぶやき
ブラジルにて
今回は特に急ぎの編集作業はない。
が、進めておかなければならないことは山積み。
これまでの拙作のマスター素材の劣化が気になるようになってきた。
新たな編集システムに取り込んでバックアップしていかなければ。
当地で上映リクエストをいただいた『京 サンパウロ』の取り込みを開始しよう。
先回、こちらで上映した時の素材は最後に字幕をひとつ足したものの前のものだった。
映像取り込み時にトラブル発生。
これまでも経験したトラブルを乗り越えると、なぜか4:3の画面が16:9に取り込まれてしまう。
いろいろやってみるが…
これはもうお手上げ、次回訪日時に購入店に持ち込むしかないか?
なおもいじってみて、もとに復帰。
いやはや。
この素材の劣化はないようで、ふたたびいやはや。
この作品だけでも、いろいろな思い出があり。
今日も冷蔵庫のものを少しでも減らす作戦で献立。
もう何年もある調味料の瓶を複数、片づけたなり。
夜のメインは麻婆豆腐、僕には今ひとつ薄味で物足りないけど。
12月12日(水)の記 リアリズムの究極
ブラジルにて
朝から、東洋人街方面へ。
所用を済ませて、出たついでにダウンタウンのアート展に行こう。
と、セーのカテドラルの後方から黒煙が空高くまで上がっている。
911、そして原爆のキノコ雲のイメージが重なる。
その方向に向かうわけだが…
意外なほど、人々は騒ぐどころか関心も払っていない。
黒煙近くをヘリが飛んでいるのは見えるが、消防車のサイレンは聞こえない。
名取洋之助のフォトジャーナリズムの開花は、ベルリンの火事だったな。
ささやかな野次馬根性もうずくが、そもそもの危険地帯。
スマホをかっぱわれたらアウトなので、やめておこう。
して、ブラジル銀行文化センターの「リアリズムの50年」展を鑑賞。
http://culturabancodobrasil.com.br/portal/50-anos-de-realismo-do-fotorrealismo-a-realidade-virtual/
いやはや、リアリズム表現はここまで行っているのだ。
ここまで人力で、アナログに表現を極めていく。
僕はスポーツ系、肉体酷使系に興味はないが、それに近いものがあるかもしれない。
写真と絵画の補完関係の再考の機会でもある。
この展示は1月14日まで。
腹案のミッションが実現の方向に向かっているため、もう来れないかもしれない。
無理してもう一回ぐらい見にこようか。
12月13日(木)の記 アート三昧雨宿り
ブラジルにて
午後イチで、パウリスタ地区のカフェへ。
日本人のご婦人方と、来年遠からぬ時期にアート関係の拙作を上映していただく件での打ち合わせ。
せっかくここまで来たので…
徒歩圏にあるラファエロの展示をもう一度。
今度の日曜までなので、これが見納めだろう。
聖母および幼子イエスを描いた3点の実物を拝む。
世はイエスの誕生を待つ待降節の時期。
マリアとイエスの実像はどんなだったろう?
さらにもう一カ所、ピニェイロス地区の日系の絵画教室の展示会へ。
https://l.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fsaopauloshimbun.com%2F%25E6%2598%25A5%25E8%2596%25AB%25E7%25B5%25B5%25E7%2594%25BB%25E6%2595%2599%25E5%25AE%25A42018%25E5%25B1%2595%25E8%25A6%25A7%25E4%25BC%259A%25e3%2580%258050%25E4%25BA%25BA%25E3%2581%25AE%25E7%2594%259F%25E5%25BE%2592%25E4%25BD%259C%25E5%2593%2581110%25E7%2582%25B9%25E3%2582%2592%25E5%25B1%2595%25E7%25A4%25BA%2F%3Ffbclid%3DIwAR28Yycu8uRYm0w67vaUWQ1NgHyRHifuX_oteGgfo90pEZFppwsTX16ar4g&h=AT1wrUkNk_Sg_JqF32zDN1RU7x0bb3rM8wYCU_JDHic6YXaVgZG7CtVjqX2yQXY-AIfumGlkQ8H2_oGnt-lAcuyGh35y6qwOiXHlzFtIMmQCi74xIaHfh55VNwQ7aNa8F4I
友人の出品作品を見るのが目的だったが、この絵画教室をいとなむ伊藤薫さんの作品も見ておきたかった。
伊藤さんは幼少時に長崎で被爆をされて、それを絵画にもしている。
折りしも、予想もしていなかった大雨に。
伊藤さん自らがいらして、雨宿りをすすめてくれた。
問わず語りの話がはじまり、僕もいくつか聞かせていただいた。
まことに数奇な人生を歩まれている方で、興味は尽きない。
帰路は、ラッシュ時にかかる。
アートあたりか、帰宅後どっと疲れが出て、しばし横になり続ける。
12月14日(木)の記 甘酒からヤノマモへ
ブラジルにて
こちらのご婦人方に好評をいただいた甘酒づくりに、また挑戦。
レシピを見ると、モチ米使用から、サツマイモ使用、カボチャ使用まである。
今日は…冷蔵庫に残っていた白御飯を使ってみよう。
いたってアバウトな計量で、ヨーグルトメーカーを使って。
スタートさせて数時間、水が足りないことがわかり、今度は多すぎるぐらい入れてみる。
それにしても、ほんの数時間で甘みを帯びてくるのが面白い。
ブラジルの伝統的な発酵食品に想いを馳せる。
アマゾンの調味料トゥクピのほかに…
あ。
僕の「大アマゾン ヤノマモの人びと」シリーズのしょっぱなにある、岡村がヤノマモの村でウエルカムドリンクをいただくシーン。
これはマンジョーカ芋を煮てとろかしたもので、やや酸味のある飲み物だった。
アマゾンの先住民の文化としてあまり知られているとは思えないものだったが、これも発酵食品といえそうだ。
ヤノマモの文化では幻覚剤の使用は知られているが、酒をつくっているとは聞いたことがない。
ヤノマモは、アルコール発酵ではなく、乳酸発酵を選択したということか。
このシーンのカット選びも、牛山プロデューサーの指示でかなり大胆になったと記憶する。
この運命的な新大陸の発酵文化との出会いに、今さら気づいた次第。
12月15日(土)の記 レインフォレストの雨
ブラジルにて
未明、「黒澤明DVDコレクション」で新たに購入した『どですかでん』を観る。
なんといっても、「かつ子」が強烈である。
そして口先ばかりの似非インテリ男どもが、わが身に重なる。
して、昼前に家を出る。
あれこれあって、連れ合いと海岸山脈の宿に一泊旅行に。
その前に実家に届け物に向かうが…
ふだんなら40分ぐらいの運転だが、幹線道路にかかる橋の陥没事故のため、2時間余り所用。
燃料切れが心配になるほどの渋滞。
今年8月に、友人を連れて2度訪問している宿。
今回はスマホのアプリの示す道を行ってみて、大いに迷う。
ヘタをすると車をつぶしかねない悪路もあり。
宿近くの「ナマケモノの休息所」というレストランでの遅い昼食を考えていたが、もう早い夕食の時間になってしまう。
そのまま宿に行って、軽食を頼む。
この宿は、景観がすばらしい。
数か月のうちに、だいぶ模様替えが。
と、猛烈な夕立、スコール。
しょっぱなはヒョウだったようだ。
この雨が、レインフォレストを成立させているのだな。
12月16日(日)の記 ガガンボの白い脚
ブラジルにて
書籍から新聞記事まで、読もうと思うものをだいぶ宿まで担いできた。
しかし、スマホの字以外に読む気がしない。
ただ、海岸山脈のこの地にいるだけで満足。
この宿は高台の景色は絶妙。
しかし、手ごろに入れる自然林が近くにないのが難点。
思い切って、ちょっとハードな谷底の細流までひとりで行ってみる。
昨晩あれだけの降雨があったのに、不思議なほど子実類の発生が見られない。
先回はツノゼミのコロニーもお気軽に観察できたが、かつての場所にもいない。
小径の脇の植物にとまろうとしていたガガンボのような羽虫が印象に残る。
全身は黒で、長い後脚の先端が帯状に白かった。
どんな機能があるのだろう?
ブラジルではガガンボをなんというのか?
こうした俗名は見当たらず、学名Tipulidae(ガガンボ科)を用いることになる。
ポ語のウイキをみてみると、ガガンボの幼虫は土中に生息するもの、水中に生息するものがあるが、幼虫について知られているのは記載されているガガンボの2パーセントに過ぎないという。
ガガンボという日本語も奇異な感じだが、「蚊の母」といった意味合いらしい。
たとえば、このガガンボから考える。
ヒトは偉そうにしていても、こうしたいのちひとつ創造できるわけではない。
ガガンボの側から世界を見てみると…
僕あたりの思惑も存在も、まるでどうでもよくなってくる。
いま、このガガンボがこの宇宙にある意義。
それを含むことのない宗教や哲学こそ、意義があるのだろうか。
森でのひとりの時は、根源的な気づきの機会だ。
夕方、サンパウロの我が家に戻る。
今朝、知人の父親が亡くなった、という事態にどう対処するか。
今晩、墓地での通夜はないようだ。
人の世の諸々にもまれると、ガガンボの教えがどんどん遠ざかっていく。
12月17日(月)の記 断食おさめ
ブラジルにて
おそらく今年最後の一日断食。
諸々のオンライン作業。
猛暑のせいもあり、いまひとつ気合いが入らない。
日にちがなく、そうもいっていられない。
新たなシステムへの拙作変換をすすめないと。
ノイズなどが生じていないか、試写をしながら。
『ブラジルのハラボジ』の作業を終了。
次は…
『フマニタス』スペイン語字幕版の変換に着手。
これまでのマスター素材に問題がなかったようで、ひと安心。
さあこれが新たに日の目を見るかどうか、来年のことを言うと鬼に笑われる。
12月18日(火)の記 チューリッヒの符号
ブラジルにて
次回訪日は、チューリッヒ経由とした。
特殊な時期のせいか、この方がアフリカ経由より安いのだ。
その手続きで、パウリスタ地区の旅行社へ。
すでにメールで送ってもらったチケットの紙版をいただく。
今日は火曜日、サンパウロ近代美術館がタダで鑑賞できる。
ざっとまわってから、入館料がフリーだったこともあり、館内で安くはないエスプレッソコーヒーをすする。
今日は蟲文庫さんのオリジナル苔カバーに包んだ原田マハさん著『楽園のカンヴァス』を持参した。
印象派の実物を拝してから、同じ建物で原田マハさんをひもとく至福。
なんと、開いたページは主人公のティムがチューリッヒ行きの片道切符を確かめるくだりだった。
僕もチューリッヒはとりあえず片道だけだ。
そもそもこの小説は、倉敷の大原美術館からはじまる。
先月訪ねたばかりの倉敷の蟲文庫の田中さん宛てのメールに、挨拶がてらこの小説について触れると、この小説と蟲文庫さんのかかわりを教えてくれた。
なんなんだ、この符号。
12月19日(水)の記 サンパウロのボヘミアン
ブラジルにて
「写真を武器として使う」。
フォトモンタージュのジョン・ハートフィールドの言葉だ。
ハートフィールドのことは、日本の画家の富山妙子さんに教えてもらった。
そのハートフィールドの、ブラジルで出された目録を入手できて、ほくほく。
この目録で見る限りでも、ハートフィールドは1930年からフォトモンタージュの作品でナチの批判を行なっている。
ナチが政権をとる2年前のことだ。
その足でシネコンへ。
日本でもブラジルでも話題の『ボヘミアン・ラプソディ』 を観よう。
ここのシネコンでは、2館で上映中。
平日の17:30の回だが、座席はばっちり埋まっているではないか。
僕の両側は、こっちより年上に見える、生活、そして人生にだいぶくたびれた感じの女性。
彼女たちがラストのコンサートのシーンで、目を潤ませて、全身で音楽に乗っている。
彼女たちをこうさせうる音楽、ミュージシャン、そして映画というのは、すごいではないか。
僕自身はクイーンについて、恥ずかしいほど知らずにいままできた。
特にそれで困ったこと、損したこともないようには思うけれども。
クイーンのブラジル初公演は、1981年か。
両隣のセニョーラたちは、その頃の世代かな。
この映画で、ザンジバルやゾロアスター教といった言葉に触れることができたのがなんだかうれしい。
12月20日(木)の記 人類学博物館盗難事件
ブラジルにて
夏至を迎える南回帰線直下のサンパウロ。
うんざりな猛暑日が続くが、東京の夏よかはましかも。
買い物に何度も出る用があるが、午前9時以降になると暑さで見合わせたくなる。
さて、昨日に引き続き見ておきたい映画に行っておこう。
メキシコ映画で原題『MUSEO』。
メキシコの人類学博物館で実際に起こった盗難事件をもととした映画。
そそる話である。
マヤ遺跡の森で、けたたましく響く獣はなんだろう?
わがサンパウロやアマゾンと続く新熱帯区の森なのだが。
この映画、ブラジルの映画情報では「コメディ」に分類しているが、どこが、なにがコメディなのだろう?
夜は、家族のリクエストで牛丼をこさえる。
たいした手間ではないが、ブラジルに進出中の日本の牛丼チェーンのよかうまい感じ。
12月21日(金)の記 南回帰線直下に夏至到来
ブラジルにて
日本が、冬至の時…
ブラジルの南半球側は、夏至を迎える。
いやはや、暑い。
とはいえ、今年あたりの日本の殺人猛暑よりはましだ。
サマークリスマス到来目前だが、クリスマスの装飾は全般に往年より控えめになった。
クリスマス明けの訪日を決めたため、何かとせわしない。
今回は到着初日の飛び入り上映以外はイベントを開かないつもりで、東京から遠方に動く予定もない。
そのため通常ほどの土産物の心配をしなくてよさそうで、ありがたい。
スーツケースが、すかすかになるかも。
12月22日(土)の記 ブラジルのおフランス
ブラジルにて
連れ合いの実家にて、フランスから短期帰国した親類がごちそうしてくれるという。
すでにクリスマス休暇がはじまり、街の人出も交通量もやや控えめになっているが、マージナル幹線道路のあの渋滞部分が心配。
スマホのアプリは思わぬ抜け道を示唆してくれた。
そのままこれをすべて信じてしまうとスラム地帯に迷い込んでしまったかもしれないが、後半部分は連れ合いの言うことを聞いて正解だった。
一部の食材はフランスから担いできてくれたもので、申し訳なし。
前菜、スープ、メイン料理にデザート、手間暇がうかがえるものばかりで、これまた申し訳なし。
お味の方は…フレンチ系というのは、たまになら、話のタネに、ということで。
年末の飲酒運転の取り締まりが厳しいという。
そこそこに休ませていただき、アルコールをそこそこ冷ましてから帰宅。
深夜の運転はそれはそれでヤバいが、おかげさまで無事生還。
12月23日(日)の記 黒ナメクジの酢締め
ブラジルにて
今年最後の日曜の路上市での買い物。
焼き魚用にアンショーヴァを購入。
帰宅後、腹をさばいて味噌、酒かすなどに漬ける。
夕食にと考えていたが、わが子から昨日もサカナだったから肉を、というリクエストが。
すでに味付きで真空パック入りの豚フィレの塊がある。
それをオーヴンで焙ることに。
そうなると、サラダが欲しい。
路上市のオルガニック野菜のスタンドで買った花咲きクレソンとキュウリ、カニカマのサラダとするか。
クレソンはなかなか洗いにくい。
流水で洗うが、念を入れるか。
ボールに水をため、クレソンを漬けて酢を振りかけておく。
待つことしばし。
土粒や小さな有機物のほかに…
ボールの底に黒いものが。
ナメクジだ。
もう一度、水を張ってクレソンを漬けて酢を注ぐ。
ちょっと前のオーストラリアでウケ狙いでナメクジを飲み込んで死んだ青年の事件を思い出す。
ネコ好きの人に、ネコを食べる話をすれば嫌がられるだろう。
僕もおんなじ。
12月24日(月)の記 イヴです、のみマス
ブラジルにて
土曜にごちそうになったばかりだが…
今日はまた連れ合いの実家にて、クリスマスイヴの夕食会。
義妹が、日本人の友人を招待するという。
すると、その日本人がもう二人、職場の日本人を連れてくるという。
賄い方は、人数が増えるとけっこう大変だ。
その日本人の友人は、自分の分は半分しか食べないから、と言ったとか。
実際そういうわけにもいくまい。
まあ今日の僕は運転手役、日本人客のお相手役だから実家の決定に従うのみ。
連れ合いの一族は、基本的にアルコールがなければないでかまわない人ばかり。
招待した日本人は、飲む。
僕も、キライではない。
先方はタクシーで帰ればいいが、こちらは家族を連れて運転せねばならない。
明朝の用事があり、実家に泊りはナシとされる。
年末の飲酒運転取り締まりが厳しいので、できればアルコールを飲み終えてから3時間は時間を置きたい。
それも急かされて、ままならず。
深夜になればなったで、強盗や他の飲酒運転車が怖い。
いやはや。
ひやひやの運転の途中で、午前0時を迎える。
住宅街の、トラベスチ(男娼)出没ポイントを通過…
さすがに、この時間は…
いた。
各地でメリークリスマス!の騒ぎをしている時に、暗い歩道に立って眺めているスマホのあかりが青白く顔面を照らすトラベスチがいた。
「買う」気はまるでないけど、小遣いでも渡して「彼女」のクリスマス感など聞いてみたいものだ。
アマゾンでの類似体験を思い出す…
おっと、それに今年、日本の皇室が結びついたぞ。
やれやれ、事故にも取り締まりにもあわずにわが家に帰還。
12月25日(火)の記 飲みすぎクルシミマした
ブラジルにて
二日酔い気味。
なれど家庭の事情で午前8時前から運転。
今日の昼はまた妻の実家で、今度はクリスマスの昼食会。
今日も運転手、そして枯れ木も山の賑わい役。
明後日はさっそくまたブラジルを出て日本へ向かうことになった。
残務雑務はいくらでもあり、できればそれに没頭したいところ。
新年の運転手役から逃亡するわけだから、文句も言えない。
サマータイムの夏至時期で、日は長い。
やれやれ、明るいうちに我が家に帰れたぞ。
つかのま、書の海に浸ると、さっそく思わぬ発見あり。
故・古城泰さんと香山滋について。
こんなことを面白がる人は、僕以外にもいるかな。
12月26日(水)の記 出がけのリアリズム
ブラジルにて
日本の知人からの頼まれ物の買い出しで、東洋人街まで出る。
お目当ての日本人経営の店はすでに長期休暇に入っていた。
仕方ない、似たような店で。
せっかくここまで来た。
歩けば歩ける距離にある、ブラジル銀行文化センターへ。
「勤勉な」日本人経営の店と違って、こっちはクリスマス明けでも午前9時から開館。
「リアリズムの50年」展をふたたび鑑賞。
二度目となり、間近でよく見ると、手作業の微妙ぶりがわかって面白い。
目の錯覚、脳の見立て作用を活用して、リアリズムを構築していることがわかってきた感じ。
プチぜいたくにカフェでもすすりたいところ。
が、明日の出ブラジルを前に、できればしておいた方がいいことが山積みだ。
お預けにして帰宅。
12月27日(木)の記 カイピリーニャをロハで飲むまで
ブラジル→
出ブラジル当日。
今回は日本であちこち回る予定はないので、土産類も控えめ、スーツケースに余裕がある。
あれもこれも読めるかな、とせっかく日本から担いできた書籍をまた何冊も荷物に入れて、これがなかなかの重量に。
午後の出家。
明るいうちに空港へ、というのはあんまりない。
今回のフライトはスイス・エア。
年末年始の異変で、スイスの方がエチオピア航空より安いのだ。
最近、これに乗った親類によると飛行機が相当に古い由。
かつてのスイス航空は破綻、いまはルフトハンザ系の子会社だと知る。
しかも事前に乗客に手荷物のタグをプリントアウトして来られたし、ときた。
空港カウンターでどんでん返し。
なんと、チューリヒまでアップグレードしてくれるという。
まずは第3ターミナルの空港ラウンジへ。
スターアライアンス系のラウンジには、バーがあり、バーテンダーがいるではないか。
メニューにはブラジルのナショナルカクテル、カイピリーニャもある。
しかもベースのアルコールはカシャッサ、ウオッカ、サケ(!)の3種類から選べる。
オーソドックスにカシャッサでいただく。
カクテルにしちゃうにはもったいないような高級カシャッサを使用。
サウージ!
そのまえに紅白ワインをすでにいただいている。
せっかくの機内ではあまり飲めず、食べられず…
12月28日(金)の記 機上の巫女
→スイス→
スイス・エアの機内映画はエチオピア航空同様、日本語字幕や吹替の映画は見当たらない。
が、日本映画そのものが何本か見られる。
サンパウロから成田までの間で計5本、日本映画ばかりを見る。
かつての邦画少年も、昨今の日本映画は存在すら知らないものばかりになった。
今回、知っていたのは山田洋次監督の『家族はつらいよⅢ』ぐらい。
特筆したいのはグ・スーヨン監督の『巫女っちゃけん』、映題『MIKO GIRL』。
九州の大きめな神社の、宮司の娘でふてくされた少女が主人公。
いちいち態度の悪い彼女に、どんどん共感していってしまう。
安手の神社庁や日本会議の宣伝もうかがえず、予定調和の展開もなく、存在自体がうれしい映画だ。
チューリヒのラウンジは静かめでいい。
スイスの地ビールが何種類も置かれているが、こちらのカラダは朝。
残念ながら飲みたい気分にもなれず。
それでもワインはちびりといただいておく。
12月29日(土)の記 即身上映
→日本日本時間午前9時前。
左側の機窓から雪化粧の霊峰富士を目視。
房総半島ナメで。
そもそも日中に成田に着くのは珍しい。
東京に向かうシャトルバスの車窓から見る房総の森は、まだ夏の延長のようだ。
東京都内に入っても、年の瀬感が乏しい。
ほぼ正午に目黒の実家に到着。
日本での居住空間を組み、旅装をといて、留守中の郵便宅配便等をチェック。
ひとシャワーと着替え。
さっそく今夕からの上映の素材と機材の用意。
つかのま横になると…
起き上がるのが、けっこうつらい。
さあ今年最後、そして今回訪日中に唯一のはずの上映会場に、徒歩にて。
中目黒のカフェUnder The Mat へ。
店主の藤崎さん、上映主催のNHKディレクター西川さんと再会、素材チェック上映。
地元だけどアウエー、アウエーだけど地元。
満員御礼「みせっこ上映会」。
僕の方は『アマゾンの動物救出作戦』と『60年目の東京物語』。
西川さんは1987年の『ウチの隣は高層ビル』。
これが味わい深い、余韻深く話したくなることいっぱいの作品だった。
超高層ビルが次々と林立して、地上げ屋解体屋がうごめく西新宿で暮らす小学5年生のグループが主人公。
なにを言い出すか、なにをしでかすかが読めない面白さ。
お互いトークネタは尽きず、会場からも耳寄りな声とお話が続く。
オカムラ系の有志と中目黒の川べりで懇親。
目に入る店員はひと通りネパール人女性。
おすすめメニューにあるものを頼んでも通じず、基本的な数もまちがえてくれる。
帰路、まだ祐天寺の東急ストアが開いていた。
とりあえずの食料品を購入。
到着した日に即上映、というのは初めてだと思う。
これといった事故もなく、次回を望む声が重なり、ありがたい限り。
さあ翌日からミッションスタートだ。
12月30日(日)の記 終わりの始まり 始まりの終わり
日本にて今日のタイトル「終わりの始まり 始まりの終わり」は画家の富山妙子さんの2016年11月から開催された特別展示のもの。
この語は富山さんの畏友で音楽家の高橋悠治さんからの提案、と富山さんからうかがっている。
今回の訪日のミッションは、富山さんに撮影は二の次で寄り添って、諸々のサポートをさせていただくことだ。
我ながら酔狂と思うが、有志の方のお力添えをいただき、決行に踏み切った。
97歳になる富山さんの体調がいちばんの心配。
午後、世田谷の富山さんのお宅にうかがう。
ふたたび足を痛めて、また年賀状書きの作業で根を詰めてしまったそうで、あまり体調は良くない由。
ブラジルで調達したフォトモンタージュのジョン・ハートフィールドの目録、富山さんが著書類でたびたび用いているブラジル絵画の巨匠ポルチナッリのポケット版画集を謹呈。
ことのほか喜んでいただく。
よもやま話をしてから、明日から年賀状下記のお手伝いをしましょうとお約束しておいとま。
時差ボケもあってふらふら。
実家に戻ってまずは横になる。
さあどのように年を越そうか。
12月31日(月)の記 いかでとしをこすや日本にて午後からふたたび富山妙子さん宅を訪問。
年賀状書きのお手伝い。
日本で晩年の亡母の年賀状書きをサポートした頃を思い出す。
母はレビー小体型認知症というのを患い、字を書くことも難儀になっていた。
それでも、年賀状書きにこだわり続けた。
義理を欠かないようにだったのか。
自分が生きている証しとしての発信だったのかもしれない。
富山さんが根を詰めてさらにお疲れにならないよう、ほどほどにして失礼させていただく。
僕のドキュメンタリー作品の主人公宛てのがあって驚いた。
その方は、すでに数年前に亡くなっているのだ。
そのことを富山さんにお伝えする。
先方のお子さんらとも懇意にしているので、先方にも伝えておこう。
目黒に戻って、しばし仮眠。
さあ日本でどう年を越すか、いろいろ考えてチェックした。
カトリック目黒教会の0時のミサがあるようだ。
しかも、英語。
あえてそれに行ってみようか。
日本は治安がブラジルよりはるかにいいし、襲われることもないだろう。