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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2019年の日記  (最終更新日 : 2020/05/03)
1月の日記 総集編 リオの激励

1月の日記 総集編 リオの激励 (2019/01/05) 1月1日(火)の記 わが元旦
日本にて


大晦日の23時半。
祐天寺裏の実家を出家。
ラジオから聞こえてくる紅白歌合戦は、僕にはやかましいだけ。

零時が迫るにつれ、目黒駅に近づくにつれ、通行人が増えてくる。
初詣に向かうのだろう。
カトリック目黒教会の0時の新年のミサで年を越すことにした。
英語のミサだという。

教会のあたりは人通りもまばらで暗い…
大聖堂のなかに入って驚いた。
照明を落とした堂内は、ぎっしりと人が詰まっている。
日本人らしいのは、まばら。
英語でのカウントダウンが始まる。
HAPPY NEW YEAR!

どこの誰とも、地球のどこから来たかもわからない老若男女たちと喜びをともにして分かち合う。
孤独と連帯。
ミサは英語なので司祭の説教のディテールまではついていけない。
が、これほど感動を覚えたミサは初めてだ。
葬式仏教や日本会議系神社には、これがあるだろうか。

ミサ終了後、そのまま帰宅と思っていたが、行人坂の五百羅漢の大圓寺からまだ除夜の鐘が聞こえる。
まだつかせて貰える、とのことで列に着く。
生まれて初めてかもしれない。
前の人たちのをよく観察したせいか、空振りを逃れ、スタッフからほめられるほどの快音。
賽銭をはずみ、記念品をいただく。
エンピツ3本セット。

こうなると、大鳥神社もお参りするか。
こっちは午前1時半を回って賽銭箱まで長蛇の列。
しかもこの蛇、速度はナメクジほど。
わが氏神の中目黒八幡神社にしよう。

すでに午前2時近く。
こちらはそろそろお開きな感じ。
大鳥神社より桁違いに人は少ない。
が、なんと、ポルトガル語が聞こえてくるではないか。
若いグループだ。
声をかけると、やはりブラジル人。
中目黒で勉強しているメンバーがいて、豊田からきた仲間もいた。
セルフサービスで御神酒が置かれていたが、うまい酒だ。

帰宅。
今日は午前10時に富山妙子さんを訪問。
お昼に大阪寿司、がリクエストだったが、元旦の朝の手配ゆえコンビニ弁当で勘弁していただく。
昨日、年賀状類を区分けしておいたのだが、それが御破算になっている。
改めて区分けしているうちに、今年の年賀状が。
ふたたび攪乱。
元旦から容易ではない作業に恵まれて、ありがたい。

こうした好き勝手をさせてもらえるのも、わが家族の理解(ないし、あきらめ)のおかげ。


1月2日(水)の記 おどろきとどろき
日本にて


がらがらの東京の街は気持ちがよい。
今日も午前中から富山妙子さんのところへ。

富山さんは齢97歳。
年賀状のあて名書きを仰せつかる。
が、区分けをしながら「この人はあたしが書く」とする人が少なくない。
このあたりに共感を感ず。

お疲れの様子と、午後から親類が来るとのことで、お昼過ぎに失礼する。
「通勤」中に気になっていた等々力渓谷に寄ってみよう。
はるけき高校時代。
高3でクラスが大学受験のよどんだ空気が立ち込めるころ。
僕は筆禍事件を起こして「自主謹慎」ということになった。
その最中、自宅を出てこの渓谷をさまよった。
この渓谷そのものと、崖面にある横穴古墳にひかれたのだろう。

あれから、訪ねていないかもしれない。
等々力不動側から降りることに。
初もうで客でにぎわう。
と、本堂から法螺貝と銅鑼の音が聞こえてきた。
チベット寺院の記憶がよみがえる。
本堂で護摩供をしていて、一般人もあがっていいという。
正座をして、ともに般若心経などを唱える。

さあ渓谷へ。
等々力の滝のささやかさには、あらためて驚く。
渓谷の小径はほどよく整備されていて、ここちよい。
横穴は一基のみチラ見できるようになっている。

冬の木漏れ日のもと、地質学的年代と歴史学的年代の錯綜に浸る。


1月3日(木)の記 成城の異常事態
日本にて


今日は午後から世田谷でお勤め。
夜はブラジルで出会った日本人のご家族を訪ねることになった。
一家の主はサラリーマンのため、週末にぜひいらしてくださいとお招きを受けていた。
しかし通常モードだと訪日中の土日は僕の方が「稼ぎ時」で、なかなか都合がつかないでいたのだ。
この機会に、思い切る。

「映画の街」調布にお住まいで、京王線調布駅か小田急線狛江駅までうかがえば、車でピックアップしてくれる由。
年末以来、連日のボランティアのお勤めを、はじめて僕の都合で早引きさせていただいて。
まずは歩いて最寄りの京王線千歳船橋駅18時半着をめざす。
と、駅で人だかり。
異常事態か。
成城学園前駅で17時30分に人身事故発生。
上下線ともに止まっている。
訪問先に電話をしているうちに、復旧見込みは19時から19時30分となった。
タクシーは空車が拾える状況ではなく、近くの道路の渋滞が始まった。

先方が千歳船橋駅まで車で来てくれるということになり、寒空に待機。
それにしても。
正月三が日の夕べに。
セレブな成城学園駅のホームから身を投げるとは、いかなる事態だろう。


1月4日(金)の記 等々力下車
日本にて


今日も午後からお勤め。
実家では2月下旬からと考えている次回訪日時に各地で上映を希望されている方々との詰めのやりとりなど。
すべきことに不足はない。
今回の僕の訪日目的は、「撮影」ではない。
「取材」でもないといいたい。
「撮影」や「取材」でなければ他者と向き合えない関係への、あらたな離脱宣言のつもり。

わが目黒の実家から世田谷の富山妙子さんのお宅に行くルートは、無数にある。
そのなかで祐天寺駅から東横線で田園調布駅へ。
田園調布駅から千歳船橋駅行きのバス。
このルートに落ち着いてきている、
問題はこのバス、1時間に2本しかないこともあり。
バスを逃したら、駅前の書店で時間をつぶしたり。
お高くとまった街だが、そこいらの駅前とは違ったゆったり感が悪くない。

今日の帰路は、あえて等々力駅前でバスを下車。
さすがに冬の夜の渓谷と横穴を踏査する元気はない。
気になる古民家レストランがあるが、値段だけ見て今日はパス。
一昨日に入ってみた駅前のカフェのあるベーカリーにふたたび。

富山さんからお借りしてコピーをとった資料をチェック。
月光荘の6Bエンピツで線を引き引き。


1月5日(土)の記 ガテンの証明
日本にて


いよいよ世田谷の奉公先での力仕事のはじまり。
来週に迫った海外からの訪問団に見せる絵画を並べる作業。

自分で絵を描くわけでも収集しているわけでもないので、これまで絵画の号数というのはピンと来なかった。
今回、大作の部に入るのだろう、100号というのを「体感」した。
長辺の長さはタタミの縦よりやや短いが、短辺はタタミの横幅のおよそ1倍半。
100号の大作の上で寝そべる妄想がうかぶ。

いままで印刷物で見ていただけだった作品をナマで、しかも自分が手にしているという凄さ。
だが、慣れないガテン系の作業でふらふら。
しかも、かなり攪乱した空間で他の作品や夾雑物にぶつけて傷めてしまわないかが心配。
いずれにしろ、とてもカメラを回すどころではない。

原田マハさんの小説にあったような、MoMAのスタッフによる作品移動と己に課せられている作業との落差に目まいがしそうだ。


1月6日(日)の記 とりぞめ
日本にて


今日も世田谷詣で。
開口一番、富山妙子さんは調子が悪いという。
僕に託された富山さんへの伝言をお伝えしておいとましましょう、と申し上げる。
富山さんにうれしいお知らせで、一気に元気が出てしまったようだ。
水曜の訪問団のための絵画の取り出し、並び替えをやっちゃいましょう、とおっしゃる。
こちらは、御意に従うのみ。
二つとして一緒にできないことを、ひとつを手掛けている時に三つぐらい矢継ぎ早にお命じになるので、肉体労働の疲労と相まって、いやはや。

まさしく人類の文化遺産を僕がいじっている。
「重い」遺産ばかり。
こちらもすでにシニア、ふらふらになる。
倒れて作品を傷つけては、シャレにもならない。
初めて、つかの間の休息を求める。
どうぞゆっくり休んでください、お茶にしましょう、のお言葉。
お湯を沸かして準備するのも不肖わたくしの作業で、休むどころか台所に向かう前に新たな用向きを伝えられる次第。

牛山純一や橋本梧郎に仕えた身である。
こうした境遇を楽しめるぐらいの回路を持ち合わせているつもりだ。

20世紀後半以降、従軍慰安婦問題をはじめ日本の戦争犯罪を題材とした作品群とともに、311以降の原発事故をテーマとした大作が一同に会した。
富山さんご自身、「原発」を他のものと一緒にしたのは初めてとのことで、そのすさまじい効果にご本人がいたく心を打たれている。

シュート!
もう今回は、カメラを回さないつもりでいたが。
今年の撮り初めである。
こっちの狙いは、まんざらでもなかったかも。


1月7日(月)の記 蝋燭の森
日本にて


今日も世田谷で、ちから仕事。
帰路、学芸大学の木林文庫へ。
http://www.e-ecrit.com/kirin/
なんと、七草がゆをごちそうになってしまう。
スーパーで七草の詰め合わせを手に取っていたのだが、ひとりでは食べきれないなと断念していた。

文庫主の須山さんに、近くのキャンドルバーにご案内いただく。
須山さんの書かれたものを読んではいたが、 これはすごいお店。
照明は、店主手作りの蝋燭のみ。
闇に目が慣れてくるまで…
店主に直島にあるジェームズ・タレルの南寺の話をすると、ツーカー。

日本酒ベースのものはつくらないとのことで、カイピリーニャを頼んでみる。
これが本場とは別物なれど、絶品。
グアテマラのラムに炭酸水。

やたらに人に教えたくないほどのいいお店だ。


1月8日(火)の記 マルタ役のささやき
日本にて


いやはや、なかなか撮影どころではない。
とはいえビデオカメラを常時携帯していて、肩が痛い。

まずは世田谷に御用聞きにうかがう。
明日はいよいよ外国からの訪問チームをお迎えする。

人数分の昼のお弁当の準備と当日のピックアップ、お茶と果物の購入、さらに訪問団を千歳船橋駅までお迎えするという業務までいただくことになった。
時間的に、ひとつ間違ったらアウトである。
ますます撮影どころではない。

午後から東大東洋文化研究所へ。
プロジェクトの代表と打ち合わせ、羽田からやってきたチームとの顔合わせ。
自分の知らない言語の人たちとのやりとりというのは、けっこう久しぶりかも。


1月9日(水)の記 おじいちゃんは、かえってこなかった
日本にて


かつて、自分の国は植民地にされていた。
自分がこの世で会うことのなかった祖父は、宗主国に労働力として強制的に連行されてしまった。
宗主国は戦争に敗れたが、祖父は故郷に生きて帰ることはなかった。

お孫さんが、思い切ってこの話を最後に語った。

その宗主国に生まれて、その国の国籍を持つ僕はどのようにふるまうべきだろう。

自分の祖父が、たとえば日本を占領したアメリカに強制的に連行されて、帰ってくることがなかったら、僕はアメリカをどう思うだろうか。
そして今も連行した側の国民から、被害者である自分の肉親をおとしめられ続けたとしたら。

そんな想いとともに、ささやかながら謹んで撮影させていただいた。


1月10日(木)の記 縄文の焚火と温泉
日本にて


午前中に富山妙子さんのところに顔を出す。
昨日の余韻と疲労に浸りながら、新たに歩もうとされている観。

その足で、多摩美の美術館の福沢一郎展へ。
富山さんは、福沢のもとで学んでいた時期もあった。
福沢が1950年代にブラジルをはじめラテンアメリカに長期滞在していたことを初めて知った。
日本の画家とブラジルの交流は、想像以上のものがあるようだ。

近くにある東京都立埋蔵文化調査センターの展示も見に行こう。
敷地内に縄文の復元住居があり、うち一軒でたき火をしていた。
いやはや、あったかい。
火の見回りに来た担当の方とよもやま話。

これまた近くにある天然温泉「極楽湯」というのに行ってみよう。
ずばりこの地から噴出している温泉の由。
凍てつく外気に震えながら露天風呂に浸かりこむ。

昨日は富山邸の帰りに祖師ヶ谷大蔵の温泉銭湯に浸かっていた。
まさか今回訪日中にまた温泉に潜れるとは思っていなかった。
スーパー銭湯程度の味わいだが、分相応だ。


1月11日(金)の記 画像探しのつぶやき
日本にて


この度、富山妙子さんがあらたな絵画の構想を思いついた。
それの参考になりそうな画像を集めるのも、僕の役目とした。

意外なほど、それが書店にない。
それを富山さんに伝えると、神保町あたりの古本屋に行けば、関連の古雑誌が山積みで売っている、とおっしゃる。
何十年前の話だ。

ネットで画像を探せば、ホイホイと出てくるのだが…
それを富山さんにお見せするのが容易でない。

まず東京の実家で、ブラジルから担いできたノートパソコンをつないで画像を探す。
ところがこちらにはプリンターがない。
まず画像をわがパソコンに取り込む。
画像をPDFに変換する。
PDFのデータをUSBメモリーに移す。
USBメモリーをコンビニに持って行って、1枚50円でカラーコピー。
ところが、USBに取り込んだはずのデータが、コンビニの機械によって、またその時の条件によってか読み込まないことがしばしば。
すると、実家に戻ってまたこれを最初からやり直し、別のコンビニのコピー機で試す…

そんな労作の紙焼きをお届けする。
夜は、ぜひ見ておきたかった韓国のドキュメンタリー映画2本を渋谷の劇場に見に行く。
『共犯者たち』と『スパイネーション』。
国家により、マスコミが弾圧される実話は、まさに他国ごとではない。
残念ながら疲れがたまり、映画館の椅子は心地よく、前作は後半、寝落ちしてしまう。
絶望的な話がどのように終わったか、とても気になる。
さすがにもう一回、見に来るのは厳しい…


1月12日(土)の記 キニラウとタジン
日本にて


今日はラテンアメリカ研究者である友人を富山妙子さんにお引き合わせするミッション。
千歳船橋駅で待ち合わせをするが、まずは近くの喫茶店で緊張しまくる彼をほぐすのに努める。

会談は成功裏に終わった、と思う。
帰路、軽くフィードバック会をすることに。
駅付近のフィリピン料理屋に入ってみる。
ここが、ビンゴ!

日比両国の親を持つ若者たちの経営。
おう、あのフィリピンのセビーチェ風料理もあるではないか。
キニラウ、というのだな。
ナマの海産物を柑橘類で締めて、香菜類とあえる。
スペイン文化圏の所産か、同時発生的なものか、興味は尽きない。

次の約束があり、僕は先に失礼。
江古田映画祭の関係者と打ち合わせ。
その流れで、江古田のモロッコ料理屋へ。
北アフリカ料理のひとつかな。
店主はモロッコとスペインにルーツを持つという。
お店のワインは、ひと通りスペイン産。
タジン鍋というモロッコ料理などをいただく。

北アフリカ系、アラブ系、イベリア系がちゃんぽんな感じ。
ごちそうさまでした。


1月13日(日)の記 ケムールの出自
日本にて


90歳になった橋本梧郎先生がギアナ高地で生まれて初めてヘリコプターに乗る。
それ以来のスペクタクル映像かもしれない。
今日、世田谷で撮影した映像が編集にかない、発表できれば。

今日は韓国人の研究者とともに富山妙子さんのお宅でミッション。

帰りに、彼女と昨日のフィリピン料理店に寄る。
ウルトラマンシリーズの「怪獣使いと少年」の話から、韓国の怪獣映画の傑作『グエムル』の話などを持ちだす。
彼女が「ケムウル」と聞こえる言葉を何度か口にする。
クエムル:怪物のことだとわかる。

ウルトラシリーズに登場する「ケムール人」のケムールに音が通ずるではないか。
ケムール人の命名は、韓国語か?

実家に戻って、さっそくネットで調べてみるが…
ケムール人のネーミングは、煙、けむる、から来ているらしい由。

その出自のナゾは、煙に巻かれる。


1月14日(日)の記 直視しても蒸し鍋
日本にて


昼に日本での上映プロデューサーとしてお世話になっている人と世田谷で会食。
今日は祭日、 人気のお店は行列状態。

富山妙子さんは連日の来客でかなりおつかれとみえる。
すぐにお暇をと思って話しているうちに、例によって興に乗せてしまったようで、あわててふたたび暇乞い。
そうこうしているうちに僕の出ニッポンが目前に迫り、あとまだ何ができるかを考える。

渋谷で買い物、近くの知人宅に寄り、思いがけずあの東電OL殺人事件の現場を教えてもらうことになる。

さらに夜は城北の知人宅にお呼ばれ。
グーグルマップでも難解な場所。
「むしなべ」をご馳走してくれるという。
昆虫食?

昨晩のモロッコ料理のタジク鍋と同様の、円錐型の蓋を用いるのだな。
まるで汁気がなく、柑橘のしぼり汁とポン酢だけではちょっと水気が足りない感じ。
のちに調べてみると、蒸し鍋もいろいろあるようだ。


1月15日(火)の記 山川さんと新橋で
日本にて


土井邦敏さんの新作『福島は語る』の今夕のプレス試写を「ぜひ」と上映プロデューサーからお声がけをいただいて。
これまた、ぜひ会いたい、とおっしゃってくださる拙作『山川健夫 房総の追憶』の山川さんも試写にお招きすることにした。

日中は富山妙子さんのところにおうかがい。
いまだお疲れを引きずり、風邪をひきそうだけどひいてはいないとのこと。
お顔だけ拝見して失礼するつもりが、こちらの撮影希望に応じてもいいとおっしゃる。
いわゆる「ケツカッチン」で、そこそこあわてて撮影。
千歳船橋駅まで、 大急ぎ。

『福島は語る』は、津波でかつての教え子をなくしてしまった小学校の先生の話が心にのこる。
「福島を忘れない」ために見ておきたい作品だ。
プレスシートに、100人以上にインタビューしたなかから14人を「選んで」まとめたとある。
インタビューを乞われて応じて、「選ばれなかった」人たちのことに想いが及んでしまう。

山川さんはアルコールをたしなまず、僕も地元の23時閉店のスーパーで買い出しをしておきたい。
最寄りの新橋駅界隈は、見事に喫茶店がない。
周囲がアルコールで盛り上がる店で、オヤジふたりがブレンドコーヒー。
近況を話しているうちに、思わぬキーパーソンを共有していることがわかる。
オヤジふたりが異常に盛り上がる。

やれやれ、『蛍の光』のリピートがけのはじまったスーパーに間に合った。


1月16日(水)の記 光の島
日本にて


今回の訪日、特に後半は通常以上のあわただしさとなった。
通常は出国の1日前、できれば2日前から予定を入れずに諸々の残務雑務にあたっていた。
今度は、出ニッポン前日の今日もびっしり。

昼に富山妙子さんに暇乞い、午後に東大本郷で打合せ。
その前後合間に都内奔走。

今日から始まった銀座シャネルのネクサス・ホールでのアントニ タウレ『光の島』展。
これは見ておきたかった、よかった。
逆光の世界を、光源側も含めて描く。
リピートできなくて残念。

銀座の教文館のキリスト教専門売り場。
複数の知人の本、入手済みのものが平積みにされていて、なんだかうれしい。

帰宅後、スーツケース詰込みと身辺整理を少し手掛けてから、徒歩圏の学芸大学のバーでの打ち合わせ。
気に入った蝋燭バーだが、今日は毒煙がひどい。
毛髪どころか上着、Gパンまでニコチン漬け。
明日も着ようと思っていた上着を取り換えねば。
禁煙になるまであの店には行けないな…


1月17日(木)の記 つまみがほしいターミナル
日本→ドイツ→


いざ、出ニッポン。
午前10時過ぎには目黒の実家を発ちたい。
その前に実家の使用空間の掃除と、郵便局と、銀行のATMに…
いやはや、なんとかなった。

恵比寿のホテルからシャトルバスに乗り、羽田へ。
ドキュメンタリー映画『ソレイユのこどもたち』を思い出しながら。
迷路のような多摩川の河口地帯で、犬たちと暮らす老人の話。
この地域モノとしては、僕には『シン・ゴジラ』よりずっとすごかった。

久しぶりにラウンジが使える。
スターアライアンス:ANA。
日本酒、あるかな…
おっと、鳥取が二種、広島が二種ときた!

ひととおり利いてみるが…
うーむ、中目黒八幡の年越しの振る舞い酒の方がうまかった。
しかもこのラウンジ、日本酒のつまみになるようなものがない。
ちなみにカレーもあったが、具の肉は鶏の皮。

そこそこできあがってルフトハンザ機に搭乗。
アメリカの航空会社よりは快適。
機内エンターテインメント映画、まずは未見だった『ターミナル』を。
そこそこ眠ってしまい、主人公がなぜ空港の人気者になったかがよくわからない。
もう一度はじめから見直す。
NHKの巨匠ディレクターはスピルバーグの『ジョーズ』のカット割りを各時間とともに書き出したというしな。


1月18日(金)の記 光のあとで
→ブラジル


ルフトハンザの機内映画の一覧は、いまひとつ見づらい。
日本語吹き替えの外国映画もそこそこあるのだが、日本映画との区別がつきにくい。

そろそろ南米大陸が近いか、というあたりになって河瀨直美監督の『光』があるのに気づく。
ぎりぎり、着陸までに見切れるか。
河瀨監督の作品は、好きではないが、気になる。
この『光』も、好き、とはいえないが、今回見た機内映画では、いちばんインパクトがあった。

さあ真夏のサンパウロの早朝到着。
税関も無罪放免、犯罪都市に突入。

強盗、置き引き、交通事故にも遭わず、ぶじ帰宅。
おつかれさまでした。

今日は、気ままな読書とうたた寝とさせていただく。


1月19日(土)の記 まどろみのサバド
ブラジルにて


家族の土産に、日本から相当量のマンガの単行本を担いできた。
一部は、僕も読んでみる。
存在も知らず、本屋で見つけて買ったものばかり、昨日からでれでれと読んでいる。
いずれも、続きものの第一巻。

『モナリザマニア』。
アートうんちくモノとしても面白いが、設定が限られているのがなんだかさっそく窮屈。

『北北西に曇と往け』。
アイスランドの日系の少年が主人公、思いもよらない設定と進行に目を見張る。
日本の知人が激務の合間にアイスランド旅行、現地からメッセージをくれたが、この作品の影響か?

『ここは今から倫理です。』
高校の倫理教師と生徒一人一人のドラマ。
期待をたがえぬストーリー展開。
作者のタネ本のエピソードが胸を打つ。

いやはや、日本のマンガ文化あっぱれ。
さて、三日後に迫ったリオミッション。
ポルトガル語で講演をするのが、なかなかのプレッシャー。
講演の内容を練りつつ。
キーワードを書き出して、いいにくいポ語単語も書き出し始めておく。


1月20日(日)の記 アジなドミンゴ
ブラジルにて


さあブラジルに戻って初めての日曜日:ドミンゴ。
早朝のおつとめのあと、路上市に買い出し。
魚屋で、アジをすすめられる。

昼は連れ合いの実家で、刺身におろしていただく。
夜は、なかおちとともにカルパッチョで。

リオでのポ語講演対策モードに。
サンパウロの三十数度の気温も厳しいが、リオは体感温度四十五度とか。
岡村が下手なポルトガル語で講演をしたり、聞いたりしている場合だろうか?


1月21日(月)の記 はるかなる1月の川
ブラジルにて


明日からリオ遠征のため、サンパウロ滞在中恒例の一日断食は、お預け。

ポルトガル語での講演準備もさることながら…
今回は二日間で計5作品を上映する。
ブラジルでの拙作上映の機会は日本より桁違いに少ないため、こちらには上映用DVD素材がないこともしばしば。
『巨大トンボ』と『ひとり芝居』をデータから起こしてDVDに焼かねば。
思わぬシステム上のトラブルも。

そんななか、まさしく思わぬ人からの日本語のメッセージ。
かつてチリでお会いした人が、いまはリオ在住の由。
明日の上映会に来てくれるとのこと。
アウエーの地に乗り込む前の、こういうメッセージはうれしい。

講演の準備でこれほどナーヴァスになるのは、「飛鳥」クルージングの講師の時以来かも。


1月22日(火)の記 リオの克服
ブラジルにて


いよいよ今回ブラジル滞在中のメインイベント。
午前中にサンパウロの国内線専用のコンゴニャス空港へ。
ここで自分が搭乗するのは、ほんと久方ぶりだ。

空港で闊歩するのは時流に乗って強気な感じの面々、いやはや。
売店のサービスは大衆レベル、料金は市価の2-3倍。
GOL機では座席の横2人が制服の客室乗務員のカップル。
なんと乗客の隣で愛撫の交換が始まるではないか。
嗚呼、 わたしのブラジル。

リオの空港に在リオ総領事館、そして日本人学校からもお迎えに来ていただく。
公用車で、まずはホテルにチェックイン。
リオ日系人協会がオープンしたばかりの日本人移民資料室を見学させていただく。
コルコヴァードの丘近くの歴史的建造物の一室。
手つくり感、親しみやすさがいい。

市中央部にあるリオ日系文化協会での夕刻の上映まで、時間がある。
日系人協会の真ん前にあるカーザ・ロベルト・マリーニョをご案内いただく。
ブラジルの巨大テレビ局グローボの創設者宅を美術館として開放したという。
これは、すごい。
ブラジルの巨匠ポルチナッリからトミエ・オオタケまで、超弩級の絵画がじっくりと拝める。
亜熱帯の山と緑と水に囲まれて。
ここに来れただけで、もう満足。

さあ入学試験の当日と同じだ。
じたばたと、いまさらポ語の講演の使用予定の単語をチェックするのはやめよう。
上映と講演の参加者は、まさしくまちまち。
日本語のわからないブラジル人が対象とのことだったが、ポルトガル語があまりわからない日本人の参加者も。
トークはポ語でしゃべって、日本語でもしゃべるという技を行なうことに。

どうやら成功。
いやはや。

ブラジル移住当初、夫婦でリオの映画祭に参加して、市バスで強盗に襲われて。
2012年のリオ環境会議に並行して開催されたピープルズサミットに参加して、友軍のはずの日本人どもから屈辱の数々を受けて。
それらのトラウマを克服して、あまりあり。


1月23日(水)の記 リオの激励
ブラジルにて


身心ともだいぶ疲れているはずだが、リオの丑三つ時に覚醒。
ホテルの前方、フラメンゴ公園沿いのサッカーグラウンドで、こんな時間もサッカーが行われている。
チェックアウト時にフロントで尋ねると、フッチボール・デ・ガルソン:ボーイのサッカー と呼ばれるリオ名物だそうだ。
深夜、レストランなどの勤務が終わった男性たちのサッカーとのこと。
ちなみに、女子のはないとか。

ホテルのテレビをつけてみる。
けっこう教養番組がかかっていて面白い。
ブラジルの生態系やアーチストなどなど。

リオ日本人学校の校長さんのお出迎えをいただき、いざ。
小中学生のなかで、小学2年生の数が圧倒的に多いという。
まずは小2のレベルで理解できる作品とお話を心掛ける。
これはポルトガル語よか、僕にはずっと楽である。
それでいて中学生、教員、保護者、日系社会の有志にも満足してもらえる境地を目指す、わたくしの力量が問われます。

『アマゾンの巨大ダムと動物救出作戦』『リオの巨大トンボとリオ国立博物館』が前半。
後半は『ブラジル移民のひとり芝居』と『60年目の東京物語』。
映写トラブルもなく、いいセンいったかな。
時間が押して質疑応答時間がなくなったが、子供たちの感想文が楽しみ。

学校の去り際、昼休みの小学2年生たちに送ってもらう。
「がんばってください!」と複数のこどもたちに励まされて。

リオよ、ありがとう。
さあ、なにからがんばろうか。


1月24日(木)の記 サンパウロで小休止
ブラジルにて


いやはや、ひと晩寝たぐらいでは疲れが抜けなくなった。
しかし僕にとっては大型ミッションを終えたここちよい疲れ。
そもそも日本から戻って、まだ一週間も経っていない。

リオの二日間でお世話になった方々に御礼のメールを送っているうちに午前中は過ぎてしまった。
次回訪日まで、あとひと月だ。

それまでに必須の映像編集作業がいくつか。
…まあ、リオもうまくいったようだし、今日の午後はDVD鑑賞とするか。
が、拙宅のDVDデッキが日本から担いできたソフトを読み込まず「NO DISC」表記となる。
いろいろやってみて…
読み込むのと読み込まないのがあるようだ。

読み込むなかから北野武の『座頭市』を鑑賞。
この主人公、強すぎ。
明日からは、3連休。


1月25日(金)の記 NOTHING LIKE A DAME
ブラジルにて


今日はサンパウロ市の記念日でお休み。
その起源は16世紀のイエズス会士到来にさかのぼる。

昼にこちらに研究に来ている知人らと会食。
酔うほども飲まず、気になる映画を2本、ハシゴしよう。

お気に入りの美術館のなかのホールにて。
一本目は『NOTHING LIKE A DAME』、イギリスのドキュメンタリー映画。
DAME は KNIGHT に相当する爵位の婦人に与えられるものだそうだ。
イギリスの大御所の女優4人が午後のお茶の時間に気ままに語る。
僕になじみがあるのは『007』シリーズの M役のジュディ・デンチ、『ハリーポッター』シリーズの寮監のマギー・スミス。
話はほとんど付いていけないが、存在とキャラそのものが強烈な4人の女優のナマの迫力を堪能。
ドキュメンタリーは素材がよければ、それを活かすことに専念すべし。
ややこしい設定や演出は無用、と再確認。
それにしてもこの映画、日本語ページでは検索しても何も引っかからないぞ。

もう一本、濱口竜介監督の『寝ても覚めても』。
こちらでのタイトルは『ASAKO Ⅰ&Ⅱ』。
奇矯な設定に付いていけないかな、と戸惑いつつ、そこそこ引き込まれてゆく。
この監督の東北の津波のあとのドキュメンタリーを観た覚えがある。
調べてみると2012年のメイシネマ祭、僕が『あもーる あもれいら』の第三部を上映してもらった時だった。
『なみのおと』という作品で、音声の使い方がユニークだったことを覚えている。


1月26日(土)の記 アマゾン先住民の遺産
ブラジルにて


サンパウロは、今日も猛暑。
土曜の昼、めずらしく家族4人がそろっている。

徒歩圏にあるパラー料理屋に行こうと提案。
パラー州は、アマゾン河流域の中下流域を占める。
この店は、小さなパラー州食材店からはじまり、近くにその倍ぐらいのレストランを開けるに至った。
今日ももう少し遅れたらテーブルにありつけなかった。

アマゾン先住民の偉大な知恵、マンジョーカ芋をおろして絞った毒液を発酵させたトゥクピを用いた料理。
近年は日本でもトゥクピが生産されているとのことだが。

マンジョーカの葉を畜肉とともに何日も煮込んだマニソバもあり。
アフロの影響の強い北東部の料理のアマゾンヴァージョンもあり。

思った以上に家族に好評で、やれやれ。
ブラジルの多様な食文化の豊かさを、僕だけで楽しんでいたらバチがあたるというもの。


1月27日(日)の記 ワケあり夫妻と
ブラジルにて


日本から、知人夫妻がブラジルに赴任した。
夫の方から、自分の前職について伏せておいてほしい、とメッセージが来た。
ヘソ曲がりの僕はこういう釘を刺されると、かえってSNSででも拡散したくなる。
しかしどうでもいいこと、ばからしいので捨てておく。
こういう御仁に限って周囲に自分から前職について語り始めるものだが、さあお立会い。

この夫妻から、サンパウロでお会いしたい、食事でもと声がかかる。
夕刻、ホテルにうかがうことにする。
地区とステータスに見合わない貧疎なホテルにびっくり。

まずは、徒歩圏でイッパイ。
2人ともブラジルに関してはまっさらで、質問も絶えず、こちらの話をけっこうまじめに聞いている。
ビールとツマミでそこそこ腹もくちたが…

どこかライブ音楽をやっているお店に行きたい、という。
ちなみにご夫妻は70代、夫の方はほぼ80イヤーズオールド。
ま、日本のキリスト教会関係者に女郎屋に連れて行けと言われたことよか、ずっとましである。

ヴィラ・マダレーナ地区までタクシーで。
3連休の最終日で、人出はまばらとドライバーは言うが、なかなかどうして。
賑わう一角を歩く。
ご夫妻はディスコがいいという。
音楽がかしましく、若者でごった返しているのだが…

いやはや。
両家の子女には聞かせられない、見せられない下ネタセクシーの音楽と踊り。
日本のシニア夫妻はうれしそうに踊る。

驚いたのはこの店に来ている若者たちが礼儀正しいこと。
アマゾンの場末のような殺気がまるでない。

いずれにしろ、無事で何よりでした。
さあ自分の仕事に戻らなくては。


1月28日(月)の記 眼の記憶と太い線
ブラジルにて


今年はじめての一日断食。
ビデオ編集も、今年はじめてだな。

まずは今年、最後に富山妙子さんを撮った映像を。
言い訳がましいが、一期一会の、ベストとはいい難い、はっきりいうと厳しい状況での撮影だった。
この映像があるだけで、勘弁していただきたい…

通常の僕のとらない編集方法としたため、ややこしくて途方に暮れる。
が、やっているうちに、なんとかなりそうな気配。

年末年始と日本で富山妙子さんのところに通い詰めたことの、ちいさな結晶、といったところか。


1月29日(火)の記 郵便局すべり込み
ブラジルにて


さあメイシネマ祭2018の記録もまとめに入らねば。

訳あって急ぎでさる映像をDVDに焼いて日本へ送ることになった。
EMSを使うか。
データをDVDに焼く、再生チェックしてディスクに表記、添え状を選んで書き込み、簡単な梱包、封筒づくりと宛名書き。
17時に扉の閉まる郵便局にギリギリ間に合いそうだ。

速足で滑り込むと、20人近い列。
ブラジルには宅配便にあたるものが一般的ではないので、ひとりで何十もの小包を持ち込み、延々と窓口を占拠しているのが何人もいる。

待つこと半時間。
EMSでDVD一枚送るのに、邦貨にして約4000yen。
この数倍でさらに早いのもあるようだが、回収できるかどうかわからない出費なので、これで勘弁してもらおう。


1月30日(水)の記 猛暑につなぐ
ブラジルにて


サンパウロは強烈な猛暑が続く。
夕方5時の近くの大通りの温度計が36度、といった日々。

日中は扇風機を浴びながらビデオ編集。
メイシネマ祭2018の映像を昨日から編集開始。
しょっぱなは、自分の作品上映とトーク。
これはそこそこ短く刈り込む。

しかし全部で12プログラム。
2番目、3番目の作品はゲストのトークもさることながら、質疑応答もさかんで。
これはまた、長尺になるなあ。
なんとか次回訪日までに目鼻を付けないと。


1月31日(木)の記 病院の祈りの場
ブラジルにて


午後から諸々の検査でサンパウロ市内の病院へ。
院内をいくつか移動することになるが、先回ほど随所に飾られたアートが目立たなくなった感じ。
こちらの、慣れか。
先回は作者の名前を確かめたいほど、目が絵画に引き込まれた。

院内にチャペルがあることに気づく。
正面中央に十字架が掲げてあるが、教派を超えたエキュメニカルなスペース。
青を基調のステンドガラス。
病院内に、祈りと瞑想の場があるのはいいものだ。
着席して、しばし黙祷。
ほかに、誰もいない。
職員らしいあんちゃんが、なにかの点検に入ってきた。
「不審者」を見とがめてやってきたとか、まさかね。
ちなみにサンパウロ国際空港にも、出入り自由のチャペルがある。

さて、わが祖国は…
ミッション系の病院以外はどうだろう。
さすがに霊安室は必須だろうけど。


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