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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2019年の日記  (最終更新日 : 2020/05/03)
7月の日記 総集編 世田谷屋根裏発掘

7月の日記 総集編 世田谷屋根裏発掘 (2019/07/02) 7月1日(月)の記 東洋人街さいごの砦
ブラジルにて


朝から所用で東洋人街へ。
帰路、亡くなった大塚さんの理髪店がどうなったか見てみようと寄り道。

かつて日本映画専門館のあった角を降りて。
1980年代には大繁盛していた居酒屋も経営が変わり、それから行っていない。
店の全盛期には日本の在外公館の官僚が公用車で乗り付けていたと聞く。
だんだん客足も遠のいていって。
僕も面識のあったオーナーは、数年前に店内で自死された。

午前11時。
開店準備で活気のある店がある。
何屋だっけ、と振り返ると、あたらしくできた豚骨ラーメン屋らしい。

その他はシャッターを下ろした店が多い。
月曜のせいもあるかな。

大塚さんのところもシャッターが下りていて、どうなっているのか不明。
上の階の窓には、ポルトガル語で「貸します」の貼り紙。
隣の金太郎というバールも月曜のせいか、シャッターが下りている。

この通りは中国系の進出もあるが、日本をウリにする新しい店もあり。
日本のB級食文化さいごの砦か。


7月2日(火)の記 大道の一村
ブラジルにて


エキストラの用事が出てきて、午前中に旅行エージェントへ。
その足でサンパウロ近代美術館:MASPに行こう。
開催中の特別展も見ておきたいが、日本でお世話になっているアート系の人に、ブラジルの画家の画集でもプレゼントしたい。

今日もアート系の本のそろう書店に寄ってみたが、目ぼしいものがない。
こうなると、MASPのミュージアムショップだ。

MASPは毎週火曜は無料になるのだが、先週の火曜の午後は長蛇の列で、あきらめた。
今日は午前10時の開館から30分足らずの時間に到着。
楽勝、と思いきや。
先週に勝るとも劣らぬ列。
な、なにごとだ。
うーむ、7月に入り学生たちが休暇に入ったせいか。
にしても、午前中から。

出ブラジルを翌日に控えて、残務雑務が山積み。
あきらめざるを得ない。

近くに絵画を並べた大道アーチストがいた。
似顔絵が主だが、なかに田中一村を彷彿させる亜熱帯の植物をアップで描いた絵がある。
ちょうど日本の知人と、田中一村についてメールでやり取りしていたところ。
その人は先の訪日時の上映会に来てくれて、拙作に田中一村の世界に通じるものがあるとのご指摘があった。

写りこんでいるのが、一村が描いたのと同じ亜熱帯の世界のゆえだろうか。
いずれにしろ一村を好む僕にはうれしい指摘だ。
彼も一村のファンだという。

さて大道の植物画の値段を聞くと、買えない値段ではない。
彼にお土産として買うか。
この絵についてのエピソードも面白い。
作者兼販売者は、ウルグアイ人だった。

帰宅後、彼に送るために絵の写真を撮る。
うーむ、眺めているうちに手放すのが惜しくなってきたぞ。

肝心なアート系の友人へのお土産はどうしよう。
日本は夏場だから、チョコレート系という訳にはいかないし。
うーむ。


7月3日(水)の記 ブラジル新聞事情
ブラジル→


さあいよいよふたたび出ブラジルだ。
なおもメールやメッセージを送る日本の方々に「サンパウロ出家〇時間です」と書き添える。

各地への連絡、映像素材の準備、土産等持参品、いずれも最低限のことはやったかな?
居住空間に堆積する一方の古新聞を、少しはチェック整理する。

日本の「通」に持参する記事を区分け。
さらに、アート系の人が主催してくれる上映会で使えそうなものはないかと、いまさら物色。
こうしてみると、日本ではなさそうな発想の割付けや広告が少なくない。
ギリになってからでも、少しは掬(すく)えたぞ。
上映前の余興にも使ってみよう。

夜の出発までに、わが家としては一品でご馳走の部類のおかずを二品こさえる。

家族三人に見送られて出家してから、日中に少しでも体を伸ばしておけばよかったと後悔。
航海の先に立たず。


7月4日(木)の記 万引きカット
ブラジル→エチオピア→


さてさて、エチオピア航空の機内エンターテインメントサービス。
うーん、目新しく目ぼしいものがない…

いつも二本だけある日本映画は、だいぶ以前に流していた二本のリバイバルではないか。
…まあ、こういう時は掘り出し物を見つけるチャンス。

アルゼンチン映画『Joel』を掘り出し。
パタゴニアに暮らす、子のない夫婦に待望の養子のチャンスが訪れた。
しかし、ブエノスアイレスからやってきた少年は思わぬ問題を抱えていた。
地域住民たちのボイコットがはじまる…
拙作『あもーる あもれいら』シリーズの関連映画を見る思い。

アジスアベバで飛行機の乗り換え。
機内映画の在庫も少し異なっている。
こちらには『万引き家族』がある。

見直してみよう。
あれ。
子どもたちがずぶ濡れで帰宅するシーンの前のシーンがない。
機内映画なりの性的描写はカットする配慮か。
劇場版を見ていると、そのシーンがないことでの不整合が気になってしまう。

しょせん機内映画、ということを忘れてはいけないな。


7月5日(金)の記 暖冬から冷夏へ
→大韓民国→日本


韓国の仁川を経て、成田着陸は20時過ぎ。
機窓を雨滴が覆う。
最終の恵比寿行きシャトルバスに乗車。

なんといってもこの時期の祖国での懸念は、酷暑だった。
いたく涼しいではないか。
まずは、ありがたいけど。

目黒の実家の一室をさっそく散らかし始める。
眠れないが、まずは体を横たえて伸ばさないと。


7月6日(土)の記 はじめに富山妙子ありき
日本にて


昨晩からきちんと眠れず、いっぽうするべきことはいくらでもある。
さあ今日はとにかく…

画家の富山妙子さんの世田谷のお宅を訪ねる。
付近の畑地が、こんもりとした緑に覆われているのに、祖国の夏を感ず。

富山さんは思ったより元気そうだ。
ご挨拶だけして昼前に失礼するつもりが…
お話ししているうちに、富山さんのスイッチを入れてしまったようだ。

ひとり分の昼食を分かちあおう、と引き留められる。
食後も休まれるどころか、最近、整理したというファイル類を持ち出してきた。
そのなかに、息を呑むような絵がある。
うれしい悲鳴。

富山さんのところのテレビモニターで拙作の試写を可能にするために。
HDMI端子のついたDVDポータブルデッキを新たに購入せねば。
帰路、渋谷の家電屋へ。
思い切る。
SIMの登録と、追加2000円払っての設定もさせて。
ようやく wi-fi のないところでもスマホをつなげるようになった。


7月7日(日)の記 今日も世田谷
世田谷の音合わせ


午前中、千歳船橋駅前のお店で待ち合わせ、打ち合わせ。
新たなチームで画家の富山妙子さんを訪問、顔合わせ。

新たにまとめた映像の試写もすることになった。
昨日、購入したばかりのポータブルDVDデッキを富山さん宅のモニターにつなぐ。
映像はオッケーだが、備え付けの卓上スピーカーの音が厳しい。
やむなくポータブルデッキの音で。

富山さんは音が悪いとおっしゃる。
「マルキの時の音はもっと聞き取りやすかった」と。
丸木美術館でのイベントを収録した映像のことだが、それは僕も見ていて、あれよりは勝るとも劣らないはずだ。
件のDVDを探し出して、このシステムでの試写ではそもそも音が厳しいことをご理解いただく。

拙作の名誉のためにも、小型のスピーカーをフンパツして買うしかないか。
いずれにしろ新たに買うつもりだったし。
ああ、なかなか もの入り。


7月8日(月)の記 木村浩介さん再生
日本にて


今夕は西荻窪APARECIDAさんにて、木村浩介さん追悼上映。
まず2015年に学芸大学でお願いした木村さんのミニライブ演奏の映像を流す。
来場者が写りこんでいて、思わぬ人たちが来てくれていたことを新たに確認。

続いて『ばら ばら の ゆめ』上映。
この作品のメインとなる逗子でのライブ演奏から、ちょうど6年目。
木村さんが通っていた神奈川のブラジル学校に「天の川」の習字が貼り込んであるのも泣かせる。

木村さんはどこかの星から来て、星に還って行ったのかもしれない。


7月9日(火)の記 祭りの準備
日本にて


午後、江古田のギャラリー古藤さんへ。
今後のイベントについて、ざっくばらんに打ち合わせ。

ありがたくも面白い展開がありそう。
さっそく準備しなくちゃ。
僕の離日前にもう一度、詰めた打ち合わせをすることになった。

渋谷のカメラ量販店、夜10時まで開いていた。
ネットで頼んでおいたもののピックアップに間に合った。


7月10日(水)の記 東京あるけオロジー
日本にて


今日は2万歩以上、歩いてしまった。
まずは、恵比寿へ。
写真美術館の招待券をいただいたので。

宮本隆司展。
ああ、『九龍城砦』の人か。
徳之島の洗骨葬と思われる、洞穴の頭蓋骨の山の写真が面白かった。
あたたかい骨。

企画展が三つ開催されていたが、カネを払ってみると三つで2000円だ。
ちょっと高すぎ。
わがサンパウロなら、これに勝るとも劣らない規模の写真展がタダで見れる。

さらに渋谷まで歩く。
ジャパンレールパスの手続き。
うわ、さくら号の指定が取れない。
いったん実家に戻って、かなり疲れていたが、夜の約束がある。

先方が指定の夜9時半過ぎに新宿ゴールデン街「ひしょう」に出頭。
店主の佐々木美智子さんの25年前の出版記念パーティの記録映像に手を加える作業に着手するため。
そのため、重い機材を担いでいったのだが…
案の定、お客さんがいて、さらにお客さんが来る。
作業どころか、打ち合わせもできない。
佐々木さんの読みの甘さは十分承知だけど。

もうこっちに作業時間がないのだが。


7月11日(木)の記 冷夏のお休み
日本にて


今日は富山妙子さんのところで新たな絵解きの撮影を予定。
けっこう緊張。

午後、約束の時間にうかがうと…
お休みになられている。
勝手知ったるお宅なので、待機させていただく。
作業机を見るに、根を詰めて案内状の作業をされていたことがうかがえる。

17時を過ぎても起床されない。
心配になるが、生存は確認した。
今日の撮影はもう無理で、ホッとした気持ちもあり。
今後のことで打合せしたいこともあり。

が、17時半を過ぎても起床されず、軽い声掛けにも応ぜずぐっすりお休み。
置き手紙をして、失礼する。

帰路、雨の三軒茶屋駅で山本太郎さんのピンクの政党の演説あり。
山本さん抜きで、野原ヨシマサさん、蓮池透さんがスピーチ。
場所が狭く、小雨もあって人々が詰めかける、というほどでもない。

選挙の演説を知ってその場所に向かい、最後まで耳を傾けたのは僕にとって生まれて初めての体験だと思う。
いい東京最後の夜だったな。


7月12日(金)の記 羅秀夢をみた
日本にて


目覚ましを仕掛けた時刻より、だいぶ早く目覚めてしまう小心者。
やるべきことはいくらでもあるので、助かった。
荷物を引きずり、始発のバスで目黒駅へ。

宿命の巡礼上映のはじまり。

品川駅からひかり、さくら号を乗り継ぎ、福山駅へ。
ブックギャラリー『羅秀夢』のオーナー、池田さんが出迎えてくださる。
https://lashumabp.jimdo.com/

池田さんは在高槻の水戸喜世子さんのご紹介で、さる5月の高槻での拙作上映会にお越しくださった。
その際、お話ししてぜひ羅秀夢さんにお邪魔してみたくなった。
こちらの勝手な中途半端な時間にご案内いただき、恐縮する。
福山については、なんの予備知識も仕込まないでいた。
車中の池田さんとの会話で、あの山田洋次監督のロードムービー『家族』の工業都市だったと知る。
まずは『崖の上のポニョ』などで知られる鞆の浦にご案内いただく。
瀬戸内のいくつかの場所の記憶がよみがえる。
海むこうは、ブラジルの義母の生地だ。

池田さんご自身の歩み、そしてお店の由来の話がまことに面白い。
ぜひご本人に聞かれるとよろしい。
池田さんの生家を巧みに活用して、絵本とアート作品がゆったりと並べられた羅秀夢さん、もう動きたくなくなる心地よさ。
金欠状態の旅のはじまりだが、ついあれもこれも買ってしまう。
いずれもかさばらないもので助かった。

福山駅から岡山駅に逆走して、赤穂線に乗り換え。
邑久(おく)駅で鳥取からの川口探険隊長と無事合流。
まずは明日の上映会場、国立ハンセン病療養施設の長島愛生園の下見。

恥ずかしながら、今回、知ったこと。
長島には国立のハンセン病療養施設がふたつあること。
映画『砂の器』に登場する岡山の慈光園はフィクションの存在であること。

僕には今回の上映に至るプロセスがよくわかっておらず、発起人の川口さんにお任せしつつ、少しずつ合点をいかせていく。
園内にある歴史館をざっと見て、川口さんが親しくしている入居者の方のお住まいを訪ねる。
ご夫妻の世代のせいか、わが祖父母のことを想い出す。

川口隊先鋒隊のメンバーで、長島を見やる本土側の「岡山いこいの村」に宿泊。
大浴場からも「橋のない島」だった長島が望める。
冷夏とはいえ、多島海の緑は濃く、ブラジルの海岸山脈と地続きのようだ。

かつて日本の別のハンセン病療養所での上映で、ありえてほしくない事態が生じている。
明日の発言などを、今日入手した資料などをチェックしつつ慎重に検討する。


7月13日(土)の記 愛し、生きる園
日本にて


いよいよ今回訪日中の上映プロジェクト最大のヤマ場。

国立ハンセン病療養施設・長島愛生園での『赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み』の上映だ。
出発前まで、今日の挨拶等を慎重に練り練り。

これも奇遇だが、昨年の岡山市内上映の際に出会ったメンバーが長島でカフェをオープンしたばかりだった。
https://www.facebook.com/nagashima.ensemble/
日本のエーゲ海と呼ばれる絶景を眺めながら、過酷な歴史のあったこの島で。
上映発起人、入居者、拙作シンパらが集って談笑。
すばらしいカフェだ。

いざ、上映会場の日出会館へ。
入居者と介護のスタッフがメインの対象だが、発起人の友人知人らが岡山、鳥取、香川などから集まってくれた。
そしてなんと、ブラジルのアマゾン地域の日系施設で看護師として活躍していた僕の知人が家族連れで参加してくれた。
質疑応答の時間では、長老格の入居者お二人が、ご自身の体験と園の歩みについてたっぷり語ってくれた。


7月14日(日)の記 足温泉の不足と満足
日本にて


昨晩は、岡山から鳥取に戻る部隊に便乗させてもらった。
鳥取県境、人形峠に近い「足(たる)温泉」に宿泊。
山中の秘湯の響きに期待していたのだが…

カーナビがキテレツなルートを提示したせいか時間もかかった。
宿にたどり着いたのが、20時近くになった。
予約者も知らなかったのだが、宿の女将に温泉は外湯だと告げられた。
つまり、宿には温泉がなく、近くの共同浴場を使用ということ。
しかも夜の入湯受付は20時30分まで!
あわてて共同浴場に向かい、日帰り入浴の人たちに混じる。

宿の三代目だという若旦那、そして女将は話好きでおもしろいのだが、肝心な温泉が…
して、朝の入浴は10時から!
若旦那がカギを持って付き添いで朝7時から開けてもらうが、彼を待たせているので落ち着かない。

僕でも知っているような有名な野球選手が逗留していたこともあるそうで。
ひと晩じゅう、聴覚から全身にしみ込んだ宿の前の清流のせせらぎ音はすばらしかったが。
宿で一緒だった岡山市内からの温泉マニアのシニア夫妻の夫の方は、宿の到着後に外湯、しかも夜は早いと聞いて憤り、近くの有名温泉まで車で入湯しにいったという。
残念だが、イイネとリピートはむずかしい。

さて岡村の鳥取上映発祥の地、倉吉へ。
主催者のスミカヤさんがブラジルの新聞記事写真をコラージュした作品を速戦でつくっていてくれた。
これが、さすがの驚きの出来栄え。

午後からの上映作品は、鷲見夫妻のチョイスの2本。
なんと二本とも岡村の日本国内ロケ作品。
『ふらめんこ y ちゃんちゃんこ』
『金砂郷に打つ』。
昨日から走り抜けた中国山地の光景と、茨城北部の山村の光景が違和感なくつながる。
しかし茨城のお年寄りの言葉は、鳥取の人にはほとんど聞き取り不可能、というのが面白い。


7月15日(月)の記 砂のミラージュ
日本にて


鳥取県倉吉市の目覚め。
出発前に付近を案内してもらう。
なんとも、自然領域が濃い。
歴史景観地区にある「倉吉ブックセンター」に案内してもらう。

名前からは想像できない、絶妙な歴史景観地区の古民家の粋な書店ではないか。
しかも並べられた一冊一冊が丁寧に選び抜かれていることが、ひしひしとうかがえる。
鳥取市の定有堂書店さん以来の感動。
そしてうれしい買い込み。
店主の円谷(えんや)夫妻も在店、話し込む。
お二人は昨年の倉吉上映会にいらしてくれていた。

本日午後からダブルヘッダー上映の鳥取市の会場に向かう。
『あもーる あもれいら/第二部 勝つ子負ける子』。
今日の上映では、昼も夜も上映中の反応が先回とは打って変わっておとなしかった。
どうやら、きわめてずしんと重く響いてしまったようだ。

昼と夜の部の合間に、主催者にとっていただいたお宿、国民宿舎ニュー砂丘荘にチェックイン。
鳥取砂丘を望む高台、しかも温泉、さらに24時間入湯可という夢の境地。
午後の陽をあびる砂丘と日本海のいろは、絶景。

平山郁夫画伯、そして千住博さんの砂漠の絵を想い出す。
いずれも日本画だ。
日本画の岩絵の具だからこそ、砂がそのまま描けるのかもしれない。


7月16日(火)の記 砂丘散策そして出雲
日本にて


祖国は午前5時には日の出の季節だ。
地図類はないが、鳥取砂丘を歩いてみることにする。
車道脇の遊歩道でウオーキングとジョギングの年配の男子2名にあったほかは、海岸までの往復で砂丘内ではまるで人を見かけなかった。

砂の諸相、風紋、ヒトと獣の足あと、人類のゴミを見やりながら。
いい散策と思索の時間だ。
宿から海岸線まで約1キロ半。

もう、砂はいいかも。
森に還りたい。
鳥取駅より特急おきにて、出雲路へ。
出雲市駅に今日の上映の主催者三人衆の一人、中山さんが待機してくれていた。

ディズニー映画から飛び出してきたような色とかたちの中山号で、ひたすら山へ山へと向かっていく。
今回の会場である美郷町の廃校活用スペースで、地球を股にかける陶芸家の橋本白道さんらが機材設置で四苦八苦されていた。
さあ、なんとかしよう。

畳の間で善男善女が寄り合い、まずは『KOJO ある考古学者の死と生』を再生。
これをお見せしたかった広島の人も来てくれた。
前後編合わせて3時間半の作品を、思い思いの姿勢で。

中山さんのこさえてくれたビーガンカレー、そして中山牧場で飼育するヤギのお乳のアイスクリーム、いずれも絶妙なり。
夜の部は『40年目のビデオレター アマゾン編』。
これがぜひ見たい、とチョイスを強行した主催者のひとり、メイさんにそのこころを尋ねると、
「なんとなく」。

本人は、当たった!というが、そうみたい。
はからずも新暦のお盆の時期にふさわしい、死者を呼ばい再生させるマツリの場となった。
河岸をさらに山中に移して、岡村がこの地と縁ができる結びの人・白道師のくじら窯へ。

橋本白道さんは私財を投じて、さらにクラウドファンディングで奔走してブラジルやアルゼンチンを始め、世界各地の陶芸のプロを目指す若者を招聘する奇特なプロジェクトを続けている。

橋本さんがいちばん招きたかった、ブラジルの経済的に厳しい学生には親の所得証明、預金証明などの不備のため日本国がビザを発給しないという。
憤ると同時に、そんな祖国がますます恥ずかしい。


7月17日(水)の記 ヤバいぞ祐天寺
日本にて


午前様でお付き合いいただいた柔術家の中山さん、ホントに午前7時過ぎにくじら窯に僕をピックアップに来てくれた。
福山駅に愛車を置いて新幹線に乗るという中山さんに便乗させてもらうことになった。

中山さんはなかなかの世間師で、話は興味の尽きることがない。
予定より1時間早く福山駅に着いてしまった。
僕も電車を早めようと思うが、ジャパンレールパス使用可能の上り新幹線がない。

やむなく、そこいらで食事をしたり店を冷かしたりして時間調整。
福山駅周辺のトイレ文化の貧しさには驚いた。
駅の男子トイレの個室は、和式がふたつあるのみ。

駅付属の蕎麦屋に入ってトイレを聞くと、駅前広場の公衆トイレを指された。
ここはさすがに洋式だが個室はひとつのみ、もちろんシャワートイレではない。
東北の山形駅は在来線のトイレもシャワートイレ完備となって久しいが。

でれでれと新幹線を乗り次いで品川駅へ。
午後の早い時間に祐天寺裏の実家に戻れた。
久々にノートパソコンをチェック。
地元での挨拶回りの続きに出よう。

coffee carawayさん、流浪堂さん…
小腹がすき、付録のえほんとずかん目当てにマクドナルドへ。
ミニ昆虫ずかんにしばし、見入る。

いい時間になったが、昨日から始まった祐天寺の盆踊りをのぞいてみよう。
すでに9時をまわり、膨大な若者たちが祐天寺方向から湧き出していて、歩行も困難なほど。
付近には便乗の出店も多い。
夜10時前の境内は照明もだいぶ落とし、露店も営業をやめているが、まだまだ若者たちがたむろしている。
内外には警官も多い。

境内を離れて、谷戸前の五差路に下って驚いた。
無人交番をおちょくるように、何十台ものバイクが集まり爆音を響かせている。
いまも暴走族っていたのか。
ヤバいかも。
しばらくエンジンをふかしまくっていた軍団は、駒沢通り方面にのぼっていった。
先にはマッポたちが群れているのだが、さて。


7月18日(木)の記 水郡線ひとり旅
日本にて


始発の山形新幹線をつかむために。
目黒通りまで歩いてタクシー利用、それでも目黒駅でなんと山手線15分待ち!
まにあわないぞ。
スマホで調べて善後策検討。
東北新幹線で仙台へ、さらに仙山線の利用を考えるが…
東京駅で走って、まさしく発車のベルの鳴り響く山形新幹線に飛び乗った。
ヤレヤレ。

左沢線寒河江駅下車。
歩いてみると、いろいろわかる。
足湯があるではないか。
しばし素足を浸ける。
施設に住まう親類を訪問。

さあ茨城のアミーゴたちを訪ねよう。
寒河江から水戸に出るには、上野まで戻って常磐線の特急に乗るのがいちばん早い。
しかしあえてローカル線に乗ってみよう。
郡山から、水郡線。
日本のローカル線、地元の高校生の通学の足といった感じ。
ほとんど高校生らが下りると福島茨城県境の山地、あっぱれの景観。

水戸駅南口では、ピンクの旗の山本太郎が選挙演説中。
にのまえさんに店主はじめ何人か待ち構えてくれているが…
腐り墜ちていく日本を変えうる、希望のキーパーソンのナマ説法だ。
ご勘弁を。
2000年前のパレスチナにあらわれた、メシアの子と呼ばれた人の辻説法を想う。

しかし水戸の人々、ノリがよくない感じ。
想えば水戸の教会に招かれて拙作を上映した時も…
ブラジルから来たゲストが、初めての場所で会場設定のための机や椅子をひとりでうごかしているのに、教会の男衆はこっちを見下すように傍観するばかりだった。

演説が終わり、さすがに2ショット等の撮影は断念してタクシーをフンパツ。
上寿司が食べられるくらいの出費で、にのまえさん到着。
眞家マスター夫妻、さらに何人もの水戸有志が僕を待っていてくれた。
遅れを責める人もなく、かたじけなし。

さらに有志に、開店後半世紀というジャズバーにご案内いただく。
ジャズ演奏のバッハを聴かせてもらう。
山形の親類のことを想う。


7月19日(金)の記 鷹番の本番
日本にて


水戸の格安ホテルにて。
かつてブラジルで出会った知人と朝食バイキングの席でばったり。
同席して、諸々のお話。

鈍行列車で神立へ向かう。
『未来のアミーゴたち 神立キッズ&スクール』の櫻田さんと再会。
なつかしいアミギンニョたち、はじめてのアミーゴたちと交わる。

あわただしく帰京、今夕の上映会の準備。
荷物を全身で抱えながら忘れ物にも気づくが、もはやタイムアウト。
わがホームシアター、学芸大学:鷹番住区での上映再開だ。

さすがに僕一人では会場の設置ができない。
そのあたりを汲んでくれる有志たちが主催の流浪堂さんで待機してくれていて、自発的に動いてサポートしてくださる。

フンパツして買ったDVD/ブルーレイ再生機でHDMIつなぎをするが、プロジェクターが4:3に変換できなくなる。
やむをえず、念のため持参した旧再生機のアナログつなぎとする。
絵描きの話を上映するのに画面比率をおろそかにできない。

『京 サンパウロ/画家トミエ・オオタケ 八十路の華』上映と、
短編『富山妙子素描 コラージュを編む』試写。
おおむね好評のようで、とりあえずホッとする。


7月20日(土)の記 世田谷屋根裏発掘
日本にて


今日はお弁当を買って世田谷の富山妙子さんのお宅へ。
臨時スタッフが合流、屋根裏スペースの作品類の発掘作業。

僕は遊撃手として動く。
ぎゃは、思わぬところをタヌキ掘りして、どうやら思わぬお宝類を発見してしまったぞ。
富山さんご本人が「こんなものがあったとは」と驚いている。
主任にさっそく写メで報告。

これは僕自身にも思わぬ作業が加わりそうだ。
アイデアが弾む。
プロジェクトの根底を深め、拡げる大発見だと思う。

絵に呼ばわれた。

帰りは田園調布のお気に入りのカフェでその余韻を楽しむ。


7月21日(日)の記 人のイベント出て
日本にて


徒歩半時間ほどのところにあるカトリック教会の早朝のミサにあずかる。
ここの主任司祭はメキシコから帰ってきた人で、聞いておきたいことがあった。
なんと今日の早朝のミサはこの神父。
終了後も待機してくれていたので、尋ねておく。

さて、参議院選挙の当日だ。
僕は在外選挙の登録をしているが、登録証を持参すれば本籍地でも投票ができる。
別の用件も抱き合わせようとして、午後になる。
書きたくない言葉を避けて、個人名で投票。
ボールペン持参で。

近くのギャラリーでのイベントに行ってみよう。
以前このギャラリーをのぞいた時、タダ見だけも気が引けて、販売していたグッズを買った。
ところが店主はこれは不ぞろいだからとのことで、お金だけ払ってまたの機会に受け取ることにしていた。
数か月が経った。
まだそろえていないという。

イベントは展示中の写真家と評論家の対談。
椅子は、幼児が座るサイズのもの。
これに90分以上、座っているのはかなりの罰ゲームで、腰を痛めたかも。
途中から店主の知り合いらしいシニアが二人やってきて、ガラスを隔てたギャラリーの外に座って大声で放談を始めた。
これらから遠い位置にいた僕にも耳障り。
他人のイベント出て、わがイベント直そう。
実家に逃げ帰り、腰をいたわる。

選挙の経過が気になって、他のことに集中できず。
思えばあのイベントでの対談、選挙のセの字にも触れなかったな。
終了後もまだ投票に間に合いますぐらいの挨拶があってもよさそうだが。


7月22日(月)の記 世田谷の秘湯
日本にて


今日は終日、画家の富山妙子さんの世田谷のお宅に詰める。
今日は自分の方の撮影を離れて、富山プロジェクトの方のお手伝い。
作品資料類の探索とデータ送り。

写メを次々とスマホで主任宛てに送るが、スマホのバッテリー消耗が早い。
そもそも二年前に、型が古いからと異国に住む親類が手放した機種だ。
あれ、ブラジルから持参した充電ケーブルが機能しない。
断線のようだ。

以前の訪日の際、購入した屈強ケーブルはエチオピア航空機内で充電中に、席を立った横のアフロ系乗客にねじ折られてしまったし。

中座して徒歩圏のヒャッキンショップでアイフォン用のケーブルを買ってくるが…
機能しない。
ふたたび中座、コンビニでヒャッキンの16倍ほどの値段のケーブルを購入。
これは使えた。
安物買いのゼニと時間と体力づかい。

今日も思わぬところから思わぬお宝を発見。
作業衣、着替えを持ってきてよかった。

帰路、三軒茶屋にある秘湯「千代の湯」に挑戦してみるか。
以前、付近を踏査したが、新宿ゴールデン街より複雑な迷路の飲み屋街地帯の、錆びたトタン板で囲われた難所にある。

ネットで検索すると、入り口がわからない、お湯が熱すぎる、衛生やセキュリティが心配、等々の脅しの書き込みが少なくない。
ままよ。

「鬼門」を通過すると、ふつうの古い銭湯ではないか。
僕は熱いお湯が苦手だが、湯船も熱いというほどではない。
さほど混み合っていないのもよろしい。
世田谷銭湯スタンプラリーのハガキとスタンプももらえるぞ。
いいお湯でした。

入口部をスマホで撮った写真をフェイスブックにあげてみて驚く。
右側のトタンの部分に、先々世紀のヨーロッパの婦人のような顔が浮かび上がっている。

千代の湯のマダム・チヨか?


7月23日(火)の記 シュラスコラーメン
日本にて


午前中、目黒の格安散髪店へ。
ここは午前中なら、さらに300円の割引となる。
把握する限りの地域最安値だ。

うわ、ヒマそうなシニアがごっそり順番待ち。
うーん、どうしよう。
待つか。
待つこと40分。
ここの「刈り手」は女性がメイン。
女性のやわらかな手さばきも心地よい。

世田谷の富山妙子さん宅にバスを乗り継いで駆けつける。
今日は追って臨時のサポーター、プロジェクトのキャプテンも登場する。

サウナ状態の屋根裏部屋でのサポーターのはたらきぶりが、あっぱれ。
新たなお宝をいくつか発掘してくれた。

かけがえのない資料類の海外搬出のお手伝い。
限界まで荷物が増えて、今日の世田谷湯屋巡りは中止。

帰路、三軒茶屋のバス乗換え地点の間近にブラジル国旗を掲げるラーメン屋に寄ってみる。
一般の方にはわかりにくいだろう、シュラスコラーメン。
僕にもよくわからなかった。
まずラーメンが出されて、それから串刺しの肉塊がブラジリアンシュラスコのように運ばれてくる。
店員がそれをナイフでカット、客はそれを箸で受ける。
肉は味付けの豚肉だが、悪くはない。

お飲み物は?とブラジル式に聞かれて、「かつおサワー」というのを頼んでみる。
鰹節を去年から焼酎に漬け込んだナカを、ソーダ水で割る。
ソウダカツオか?
これが意外と悪くない。

ここは昔はカフェオハナというオルタナティヴ系の飲食店だった。
ここで頼まれて拙作を上映したことがあるが、プロジェクターが最悪レベルだった。
そうそうたる記録映画監督がゲストとしてそれまで上映してきたようだが、よく誰もクレームを伝えなかったものだ。

いまの店には、その面影もない。


7月24日(水)の記 映画館へ Go Go
日本にて


今日は都内で午後イチから打ち合わせ。
今年全体の見通し、次回訪日の青写真をえがくことができた。

離日まで一週間を切った。
必須要綱を少しでも消化していかねば。
必見映画が2本ある。
打ち合わせ終了時間と、両映画のタイムテーブルを照らし合わせて…

新宿に『ハッパGoGo 大統領極秘指令』を見にいくことにする。
畏友の比嘉セツさんが発掘したウルグアイ映画。
ああ、平日の夕方だが、観客数は僕を入れて4人。

映画は日本で最も有名なウルグアイ人、ムヒカ元大統領本人も登場する虚々実々のストーリー。
ラテン国、そして観客の多い映画館なら爆笑のシーンが続く。
僕以外の3人の観客は「通」と見えて、うち二人は個人で笑い声を漏らしているのを確認。

夏バテ日本バテで、先の打合せでも自分の関わっていない案件の時はうつらうつらしてしまいそうだった。
こんな時に映画はヤバいと思っていたが、眠らずに鑑賞。

祖国日本もピンク色の政党が政権を取れば、こんな痛快な映画がつくれるかもしれない。

帰路、中目黒のカフェ、アンダーザマットさんに顔を出す。


7月25日(木)の記 盆と炭鉱
日本にて


朝イチで世田谷の富山妙子さん宅へ。
今日はようやく少しは陽が差す。
富山さんの代表作のひとつ『ガルンガンの祭りの夜』についての絵解きをお願いして撮影。
いろいろむずかしい条件が重なっていたのだが、おかげさまで、そこそこ撮れたかと。

午後の来客とともに、富山さんにご自身を撮らせてもらった拙作をいくつか試写していただく。
富山さんの聴力を考慮して、いずれにしろあった方がいいものなので、フンパツして小型で優れモノのスピーカーを購入して持参した。
その甲斐はあった。
富山さんから、最大限の賛辞をたまわる。
胸が詰まる。

今日から近くのお稲荷さん、宇山神社の盆踊りだ。
拙作『狐とリハビリ』の舞台。


7月26日(金)の記 散財都市
日本にて


さあ離日までカウントダウンに入った。
今日はいっきにブンカ系をまわる。

まず午前中、渋谷で映画『新聞記者』へ。
主役を演じた韓国人女優、シム、・ウンギョンの演技とキャラクター。
すっかり身につまされる。
発するのはネイティヴな日本語ではない。
そこはアメリカ生まれで父は日本人、母は韓国人という設定がよく生きている。
かなり似た設定の若い女性が何人も身近にいる…

買い物、ワンコインのランチの後、半蔵門へ。
訪問には事前予約が必要な「戸嶋靖昌記念館」の企画展へ。
知人からぜひ鑑賞されたし、と案内をいただいていた。
故・戸嶋靖昌さんの油絵、そして歩みはすさまじい。
僕ごときにも丁寧に説明をしてくれるスタッフがいて、理解がかなり深まった。
入場無料でさらに資料類をいただいてしまうが、かつての目録を購入。

マンモスフラワー、ジュランもうだるお堀端を歩こう。
銀座8丁目の「月光荘サロン 月のはなれ」へ。
ビルの5階まで、アクセスは階段のみというのは、日本国史上最悪の総理へのソンタクとやらだろうか。
お世話になってきたアーチスト、こうのまきほさんの新作展を鑑賞。
流浪堂さんより展示点数が少ないが、相変わらず意表を突く楽しさがある。
サロンはすでにアルコールタイム。
時間調整も兼ねて、脱水状態でもあり、2杯いただいてしまう。

さて地元中目黒のライブハウス「楽屋」へ。
日本の知人のバンドとブラジルから訪日中のミュージシャン、へナート・ブラスさんの共演。
自前で鑑賞するつもりだったが、知人にご招待いただいてしまった。
それでも3時間近いイベントで、ドリンクをお代わりするといい値段になる。
ギター一本のヘナートさんのソロはすごかった。
かつてサンパウロで友情撮影させてもらったことがある。

いやはや、今日はトータルにするとそうとう散財してしまったぞ。
東京で文化を享受するにはカネがかかる…


7月27日(土)の記 はじめに大アマゾンありき
日本にて


来週の火曜の離日で、前日は午前も午後も予定が入った。
もう身辺の片づけを始めないと間に合わない。

さて今夕はホームグラウンドの目黒鷹番にて、ファイナル上映会。
夜半から台風の影響という予報も。
例によってシンパの面々にサポートしてもらって会場づくり。

新スピーカーを初めて公開上映会で使用。
うむ、音のキレはいいぞ。
今日は新しい顔ぶれも複数いらしてくださる。
なかなかノリがよろしく、うれしい。

今日の献立は、大アマゾンの自然と生物もの。
夏らしく、夏休みらしく。
大逆流ポロロッカに吸血コウモリ、大蛇ボア対カイマンワニ、ハキリアリ。
皆さん、お嫌いではないようで。

今日のトークはノリノリだったと複数の方々からご指摘いただく。
それなりになつかしいジャンルだ。

台風は免れたようだが、今日はスピーカー二組、再生機二組等々を担いで帰らねばならない。
懇親会のあとで、流浪堂さんのハイゼット号で実家までお送りいただく。


7月28日(日)の記 アイスコーヒーのお値段
日本にて


だらだらと実家の撤収作業に着手。

午後、学芸大学駅方面へ。
ようやく喫茶平均律さんに間に合う。
有賀マスターの他界後、夕方6時には閉店となり、お休みの日も増えた。

ここのアイスコーヒーは、作成プロセスの丁寧さを見ていて感動がある。
えりささんのお点前を拝見、ようやく故郷目黒の夏をこころえる。

このお店では、いろいろな方々をご紹介いただいた。
今日は韓国の組み紐をされるという方をご紹介いただく。

アイスコーヒーのお値段は、800円。
そこいらの「平均」のお店の倍だ。
が、手間暇は数倍かかっているもんな。
さすがにお代わりはできないけれども。


7月29日(月)の記 江古田のエコとエゴ
日本にて


午前中、なかなか会えないでいた地元の知人とカフェ。
今日のお店、祐天寺の喫茶「祐」は目黒のハンセン病奉仕団体ゆかりという奇縁。
広々として気配りがあり、全面禁煙といううれしいお店。

午後、江古田のギャラリー古藤さんに善男善女にお集まりいただいて、来年早々のイベントについての打ち合わせ。
僕なりに用意しておいたものが予想以上に効いたようだ。
面白いことが実現できるかも。

夜は古藤組御用達の江古田駅前の中華料理屋でカンペイ。

明日の出ニッポンに備えて、なんとかそこそこの片づけもすすめられたが、まだまだ残務は多し。


7月30日(火)の記 酷暑よさらば
日本→大韓民国→


出ニッポン当日。
例によってあわただしい。
冷蔵庫の在庫も、なんとか処理(多くは僕の体内に収める)できそうだ。
開封した漬物類の残りはスーツケースに詰め込もう。

それにしても、遅ればせながら昨年をほうふつさせる酷暑がやってきた。
日本の人はこれからまだひと月以上、これに耐えなければならないのか。

今回はこれまで詰め込めなかった書籍もそこそこ荷物に格納した。
そのため、重くなる。
なんとかチェックインもできた。

ANAの国際線ラウンジは、あいかわらず日本酒を置いていない。
先回だけの間違いかと思ったが、確信犯のようだ。

そもそも空港スタッフもラウンジも、日本語がたどたどしい外国人スタッフが増えた。
なぜ日本酒がないのかを聞いてもややこしくなりそうで、やめておく。

おなじみエチオピア航空機。
まずは韓国の仁川まで。
横並び席ではアフロ系女性が該当便ではない搭乗券を持ち出して、ここは自分の席だと言い張る。
そこに座るべき韓国の青年二人は、礼をわきまえてここちよい。

チェックインカウンターの日本人スタッフとも、客層がなかなか強烈ですねえ、と話があった。
さてさて、うだる祖国よさようなら。


7月31日(水)の記 エチオピア航空、空の便
→大韓民国→エチオピア→ブラジル


機内映画は往路と変わりないようで、見るべき映画を探すのに苦労する。
仁川からアジスアベバまでの機中にて。
トイレの前で、空くのを待機中に。

なにやら女性のどなり声がするようだ。
まもなく、黒人系の10歳前後ぐらいの少年がやってきて、引き続き30代ぐらいの東洋人の女性がやってきた。
この女がなにやらどなり散らしていて、最初は中国語かと思った。

ありゃ、日本語ではないか。
ひどく汚い日本語で、まずナマでは聞くこともないようなレベルだ。
しばらくしてから、ようやく状況がつかめてきた。

日本人の女と黒人系少年の関係がつかみがたかったが、どうやら母と息子のようだ。
「どうすんだよ!」「くせえなあ!」
女の言葉と少年の臭いから、彼が大の方をおもらししてしまったことがうかがえた。

そもそも満席の機内で、トイレも混み合っていた。
僕だってひとつまちがえば、もらしかねない。
少年は、気の毒そのものである。
いちばんかばってもらうべき存在の、おそらく母親からでかい声で周視のもと、ののしり続けられるとは。
おそらくもう慣れっこになっているのかもしれないが…

エチオピア人客室乗務員もどなり声と臭いから状況を察したようだが、なにという働きかけもない。
しばらくして空いたトイレに女と少年は入り、意外なほど臭いも騒ぎも収まったようだ。

いずれこの女性も便意をコントロールできなくなる時がくるかもしれない。
そのとき…

「快適な空の『便』をお楽しみいただけましたでしょうか?」

アジスアベバでトランジット。
さらにサンパウロまでは特に事件もなく。

無事に涼しすぎるサンパウロに到着。


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