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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2019年の日記  (最終更新日 : 2020/05/03)
8月の日記 総集編 クエルナヴァカのリヴェンジ

8月の日記 総集編 クエルナヴァカのリヴェンジ (2019/08/07) 8月1日(木)の記 アリラン峠とさがしもの
ブラジルにて


今日は急ぎの用事だけはするが、あとは時差ぼけと疲労にまどろませてもらおう。
気になる/気ままな 読書。

『写真万葉録・筑豊』第9巻の「アリラン峠」。
富山妙子さんの大作『筑豊のアンダーグランド』と合わせて考えてみたい。

角田光代さんの『さがしもの』(新潮文庫)。
書店でオマケに夏風しおりがもらえる文庫本のなかから選んだ一冊。
これは拾いもの。

読んだ後、きっとあなたはこれまで以上に本のことが好きになっている。生きていると同じくらい、本と出会えてよかったと思うはずなのだ。
(岡崎武志さんの前提書の解説から)


午後、眠気を振り切って買い物へ。
思い切って夕食をこさえる。
牛フィレ肉をフンパツ、鉄板焼きで。
ご飯を土鍋で炊くが、家族からおいしいの声が複数。
ちょっと手間をかければ、よりおいしくいただけるのだな。


8月2日(金)の記 二十二度の別れ
ブラジルにて


スマホで日本の気温をチェックしては、当地との落差を楽しんでいる。
たとえば昨日の当地午前3時。
東京目黒は、摂氏36度。
わがサンパウロは、14度。

さてさて。
日曜夜からの夜行バスで行くか。
再来週はメキシコ遠征がある。
その前にパラナ州の佐々木治夫神父を訪ねることを発起。

思い切って今日は一日断食。

今日も課題図書以外の気ままな読書を並行。
これもオマケ狙いで買った文庫『夏の庭 The Friends』湯本香樹実著をほぼイッキ読み。

あばら家でひとり暮らす老人を、近所の小学生たちが面白がって訪ねるようになる。
その小学生たちに、老人は第二次大戦中、南方で現地人を虐殺したという話を打ち明ける、というのだが。
実際に、ありうるだろうか?

映画化されているというので調べてみると、なんと相米信二監督、田中陽造脚本ではないか。

自分は断食だが、家族の夕食はこさえる。


8月3日(土)の記 ブラジルコミック買い
ブラジルにて


一日断食明けで、おかゆさんをこさえたいが冷ゴハンがない。
フレンチトーストをつくってみる。
なぜフレンチなのか調べてみるが、おふらんすはどうやら関係ないようだ。

明晩の夜行バスのチケットを買いに、ターミナルへ。
ついでに最寄りのラテンアメリカ記念公園でのイベントに寄ってみる。

ブラジル国産コミックのフェアが開かれていた。
それぞれ作家たちが自作本を販売している。
面白い、思わぬ題材のものがあり、値段も手ごろだ。

何軒かで買ってしまうが、いずれも作者が手のこんだサインと作画をしてくれる。
それぞれに日本のマンガの影響を聞いてみる。
『子連れ狼』、ジブリなどの影響などが語られるが、彼らの世代には少年ジャンプ系のものの影響はさしてないようだ。
作風も、日本のマンガや劇画というより、アメコミに近い感じだ。
そもそも売り手にも来客にも、日系が見事に見当たらない。

ジャパンフェスティヴァルにでも行けば、日本モノの劣化コピーは簡単に見つかることだろう。
そんなのだけ見て、日本スゴイとつぶやいていてもシャレにもならないかも。


8月4日(日)の記 冬の市
ブラジルにて


わが家の近くの日曜の路上市に買い出し。
狙いは、刺身用のお魚。

ブリをすすめられるが、ちと大きすぎる。
やや小ぶりのアジを2尾、購入。
焼き魚用に、1尾1キロ近いサバも買う。

昼は連れ合いの実家でアジをさばき、夜はわが家の鉄板でサバを焼く。
大根をおろして、ライムを添えて。

なんだか疲れた。
深夜のバスに備えて、横になっておく。


8月5日(月)サンジェロニモ到着
ブラジルにて


座席に持ち込んだ荷物も大きく、ぎゅーぎゅー状態で夜行バスの朝を迎える。
パラナ州第二の規模の都市ロンドリーナに到着。

サン・ジェロニモ・ダ・セーラ(以下、サン・ジェロニモと略)行きのバスまでの接続時間はさほどない。
勝手がわからず、手間取るが間に合う。
途中の田舎町にいくつも停車していくが、これもまた一興。

拙作『赤い大地の仲間たち』の佐々木治夫神父に再会。
これまで「フマニタスの佐々木神父」といった記載をしてきた。
佐々木神父はフマニタスをブラジルの修道会に譲り渡して、フマニタス関係の活動からはいっさい手を引いている。
これからは、「サン・ジェロニモの佐々木神父」と記します。

遅い朝食をいただいてから、神父さんとよもやま話。
ハンセン病関係の日本とブラジルの話が主となるが、これまで聞いた覚えのない話も出てきて興味は尽きない。

午後、佐々木神父が近年、心血を注いでいる竹プロジェクトの進行状況をみせてもらう。
夕食後、佐々木神父の庵でともにNHKの国際ニュースを見る。
キャスターの男女、特に男の方のは見ているだけで気分が悪くなる。
早めに失礼して、休ませてもらう。
神山復生病院の記録をお借りして開いてみる。


8月6日(火)の記 ササキ神父の滝
ブラジルにて


勝手知ったるフマニタスの敷地内外を散策。
思えばブラジルの田舎の素朴な人たちと会話を交わすのは、けっこう久しぶりだ。

かつてここを訪ねた知人が、佐々木神父に近くの滝に案内してもらったというのが気になっていた。
当時の佐々木神父はウオーキングをしていて、フマニタスから徒歩で滝まで行ったというのだ。
佐々木神父に何度かその滝について聞いてみたのだが、聞き流されてしまっていた。

古くからの顔見知りにその滝について尋ねてみる。
歩いていけないことはない、近くに行けば轟音が聞こえてくるという。
なんとその滝は「パードレの滝」と呼ばれているというではないか。
パードレ=神父で、このあたりでパードレといえば、ササキ神父に他ならない。

何人かに確かめていくと、その滝はもとは川の名前で呼ばれていたが、いつの間にかパードレの滝と呼ばれるようになったという。
佐々木神父はそのことの照れくささもあって、滝の話をはぐらかしていたのだろう。

昼食の時にその話を持ち出してみる。
佐々木神父は午後から別のもっといい滝と一緒に案内しましょう、という。
ぜひとも自分で探し当ててみたいので、と固辞するが、案内すると言って聞かない。

午後、佐々木神父のお呼びを待つ。
シスターから神父さんの具合がよくないので、自分が車で案内しますと言われる。
ひとりで行ってみますからと言っても神父さんの指示のようで、あきらめる。

ふむ、けっしてわかりやすいところではなく、これは連れてきてよかったかも。
たしかに轟音が聞こえる。
土道の車道からのくだりは、今の神父さんの足ではむずかしいだろう。

ブラジルの各地域の小滝はそこそこ見てきたが、あっぱれである。
しばらく身を置きたいので、あれもこれも抱えているだろうシスターにはお引き取りいただく。

滝壺近くの岩場に至るのは容易ではない。
滑ってビデオカメラごと岩場に転ぶ。
かなりの音をたてた。
パードレの滝でオシャカになるところだった。

ササキ帝国に出入りするようになって25年、はじめてこの滝を知る。
麦畑の拡がる土道を、とぼとぼと戻る。

体がふらついてしまって、という神父さんから滝の感想を聞かれる。
神父さんの名に恥じない滝でしたよ、と応じる。


8月7日(水)の記 訳ありの人
ブラジルにて


長距離バスの出る都市まで、シスターたちが用事もあるので車で送ってくれるという。
それまでに、もう一度、パードレの滝に行ってみようか…
それはやめておいて、フマニタスの敷地内を散策。
ここで、僕にできそうなことについて考える。
急な都合により、佐々木神父も同乗。

バスターミナルで、日本の知人と待ち合わせをした。
もともと深くは知らない人なのだが、ブラジルに来て早々、彼の前職について口外しないようにと連絡があった。
今日もよく理解できない発言があるが、それがもともとの性格なのか、老齢によるものか不明。

長距離バスの窓側を予約していたが、ちゃっかりおばさんが座り込んで動こうとしない。
それどころか道中、バス備え付けの wi-fi についてどうしたらいいのかたびたび尋ねてくる。
こちらは持ち込み荷物を座席下に入れてみるが、それでも窮屈。

いやはや疲れた。
自分で運転することに比べたら、と思うが、どっこいどっこいの疲れな感じ。


8月8日(木)の記 喧騒たえがたく
ブラジルにて


さあ来週からはメキシコ行きだ。
次の訪日予定もそろそろ詰めないと。
「シリーズ 富山妙子素描」の新たな一編の編集をすすめる。

夜は家族全員で、近くのショッピングモールにあるOG系レストランに行くことになった。
その前に上階の書店をのぞく。
珍しくポルトガル語で読んでみたい本がある。
レジらしいところに並ぶが、一向にらちが明かない。
父の日セール中で、そこかしこに店員がいるのだが、買おうとしている客に見向きもしないのだから話にならない。
待ち合わせ時間も過ぎたので、手に取った本をもとの場所に置く。

レストランは夕方6時半でごった返している。
まんなかあたりの狭苦しいテーブル。
見渡すと、若者ばかり。
その喧騒がすごい。

脂ぎった料理に申し訳程度にセロリが二切れ添えてあるが、切り口から1センチぐらいが茶褐色になっている。
相当に使いまわされているのだろう。

サンジェロニモの静寂と緑のなかから戻った心身には耐えられない。
旅の疲れもあり、先に席を立たせてもらう。
ぼっとして地下鉄を乗り過ごしてしまうが、そのおかげでアマゾニア展という地下鉄構内の企画絵画展を見ることができた。


8月9日(金)の記 伯墨の旅を控えて
ブラジルにて


旅が続くためイレギュラーだが、今日は一日断食とする。
フェイスブックにグループページを立ち上げてみて、次回訪日時の西日本巡礼上映の予定がいっきに具体的になった。
フライトの予約も手掛けるが、確定期限が今日いっぱいというのは、さすがにナニだな。

『地球の歩き方』メキシコ編を細かく繰る前に、土方美雄さんの『エル・ミラドールへ、そのさらに彼方へ』 と流浪堂さんの店頭売りの『2012 古代マヤ文明の暗号』を読んでおくことにする。
流浪堂さんでもう一冊メキシコがらみの小説を買うつもりが逃してしまった。

家族の夕食をこさえて。
アルコールが入っていないので、読書もすすむ。


8月10日(土)の記 狐とリメーク
ブラジルにて


メキシコで、富山妙子さん所縁の人にお目にかかれるかもしれないことになった。
その方へのお土産として…
『富山妙子 自作を絵解く 筑豊のアンダーグランド』と、
『狐とリハビリ』改訂版のDVDを謹呈しようと思う。

『筑豊の…』には新たにいくつか字幕を加える。
『狐とリハビリ』改訂版は…
素材を外部メモリーに保存してある、はず。
ところが、接続しても機能しない!
狐につままれた思い。

いやはや、外部メモリー保存のデータを読み込めないと表示。
こりゃあ困った。

初版のデータから、つくり直すしかないか。
初版から、何度か細かく手を加えている…

夜までかかって、再リメーク。
へろへろ。
いやはや、相手がキツネなだけに。


8月11日(日)の記 父の日の反省
ブラジルにて


ブラジルは、父の日。
カトリック教会のミサでも、ミサの終わりに父たちは祭壇に招かれる。
ハッピーバースディを一同で歌い、記念のカードをいただく。
僕など、父に日に祝われる甲斐性もないのでは、と毎度のことながら反省。

今日の昼は連れ合いの実家での会食。
連れ合いが干しダラ料理をつくるので、今日の路上市の買い物は見合わせる。
食後は出発まで、メキシコ関係本を読む。

さあ、明日から慣れないことが重なるので落ち着かない。


8月12日(月)の記 家族のイニシエーション
ブラジルにて


落ち着かない。
いっぽう、するべき課題宿題はいくらでもある。
今年、鹿児島で撮ってきた映像のチェックと編集をはじめてみる。
『いいと思います』というタイトルをこの記録に考えている。
なんとかなるかな、なんとかしなくちゃ。

夜は家族全員で、そこそこのおめかしをして外出。
車で行くレストランは勘弁してもらった。
メトロとタクシーで待ち合わせのイタ飯屋へ。
今日は、終始ポルトガル語の会話。

特に粗相もなかったように思うが、いやはや疲れた。
亡き自分の両親のことを想う。
順番。


8月13日(火)の記 いいと思います?
ブラジルにて


明日は早朝6時前には家を出たい。
メキシコ行きの荷造り。

そのプレッシャーから逃れるように取り組んだ『いいと思います』編集、まあなんとかなりそう。
この作品の鹿児島での関係者試写の予定を固められて、やれやれ。

成田買いした『地球の歩き方』メキシコ編を頭から目を通していく。
空港到着後、ひとりで町はずれのホテルに行くことになった。
タクシーの乗り方、その前に現地通貨の両替、スマホ事情、ホテルの場所と近くの飲食店のチェック、そしてシンポジウム後の撮影ミッションでの各場所の事情等々、わからないことばかり。

僕を招いてくれたシンポジウムのフィクサーが細かい質問にも敏速に応じてくれて心強い。
なにせ小心者なもので。


8月14日(水)の記 ダンボと運び屋のメキシコ
ブラジル→メキシコ


未明のサンパウロを出家。
緊張をたっぷり背負って、『地球の歩き方』を繰りながらメキシコを目指す。

アエロメヒコ航空は、最近フリークエントのエチオピア航空に比べてみると…
客室乗務員の愛想がよく、しかもきちんと仕事をしている。
エンターティンメントサービスの映画も、日本語吹き替え版ありなものが豊富でありがたい。

ティム・バートン監督の『ダンボ』なんていうのがあったのか。
さっそく見てみて、泣かされる。
ダンボには幼少の時に親しんだ覚えがあるが、ゾウの話ということぐらいしか記憶していなかった。
女曲芸師役に、身近な既視感覚を覚えるが、誰だったか思い出せない。

続いてクリント・イーストウッドの邦題『運び屋』。
われらがメキシコがらみの話ではないか。
いい映画だった。
イーストウッドというのは、つくづくすごい。

どちらも日本で今年公開された映画だと知るが、まるで僕の網に入ってきていなかった。

さあメキシコ到着。
トランジットで空港は通過したことがある。
いざ、入国。
ブラジルの大都市に比べると、なにかと緩く、ヤバさ度も低い感じ。
まずはUSドルを両替。
タンス貯金で変色した旧ドル紙幣を問題なくチェンマネしてくれた。

SIMチップの交換…
そもそもこの国際空港は Wi-Fiがつながらないという不安。
小さなスマホグッズ屋が空港内に2軒ほど見つかる。
チップのインストゥール無料、と書かれた、ちょっと大丈夫かいなといった感じの店に思い切って入る。
邦貨600円ほどで7日間使用可のチップ、しかもインストゥールがロハとは。
日本のBICカメラならインストゥールだけで2000yen以上とられるのだが。
おや、ちゃんとつながった!

ホテルまでは主催者が教えてくれたタクシー会社を探す。
チケット購入制で、350ペソ、邦貨にして約2100円。
こっちの価格にしてはいい値段だ。

大気汚染で知られる高原都市を行く。
ホテルまでタクシー乗車時間1時間以上。
ホテルは、シンポジウム会場のエル・コレヒオ・デ・メヒコに近い由。
あたりは巨大な銀行系のビルが並んでいるようだ。
僕には場違いなホテルのゴージャスぶりにたまげる。
これまで、取材でお世話になってきた人たちに申し訳ないという思い。
そうした人たちの尊厳と思い出によって、がんばろう。

さあ20時を過ぎている。
シンポジウムに参加する二人の知人もおそらく同宿のはずだが、出会わなかったようだ。
ホテルのばか高いレストランは避けて…
ブラジルで付近のレストラン事情を調べておいた。
その地図を頭において歩く。

オフィス街の夜の歩道は暗いが、サンパウロのようなヤバさはあまり感じられず。
お目当てのシーフードレストランは20時まで、その隣にオリエンタル料理の店があるがメキシコミッション最初の食事がオリエンタルではシャレにならない。
逆方向に向かう…

このあたりのオフィスを裏で支える労働者相手とみられる屋台飯屋が散見。
いずれ試してみよう。
心細い夜道を歩いて…
瀟洒なレストランバーにたどり着く。
思い切ってフンパツ。

ウエイターの早口のスペイン語は、聞き直しても意味がとれない。
メニューから、まずは国産ビール、そしてタコスをチョイス。
揚げチップとパン、それにワカモレと辛口ディップが出てきた。
これがオレの頼んだタコスだったのかな、ぐらいに思って食べ始める。
しばらくして別にしかるべき量のタコスの皿が出てきた。

マルガリータを追加。
メスカリか?と聞かれて他に何があるのかもわからず、スィーと応える。
フローズンで、口縁を赤辛いもので覆ったのが出てきた。

他の客は、こちら側のスペースにはビジネスマン二人ぐらい。
それらも帰るが、まだマルガリータは溶け切らない…
明日もあるので、引き上げるか。
チップを入れて、タクシー代と同じくらいの金額。
ま、初夜ぐらいいいか。


8月15日(木)の記 日本のいちばん長い日のメキシコ
メキシコにて


メキシコはじめての朝を迎える。
眠りは浅い。

ホテルは朝食込みだと聞いていたように思うが…
220ペソ、邦貨約1300yenのビルがテーブルに置かれてビビる。
朝飯に祖国で牛丼を4杯くえるような金額を!

まあ高級ホテルだし、それぐらい取るだけのことはある。
フレッシュジュースのなかにはフルーツ混じりの青汁もある。
トスターダス、チチャロンなどのこっち系の食べ物に加えて朝から牛肉、鶏肉料理など昼のおかずのメインになりそうなあったかい料理もある。
(ちなみに、あとで朝飯はビルにサインをしてチップを置けばよいと知る:チップの金額で庶民の朝メシがくえそうだが)

ロビーで知人らと出会い、シンポジウム会場のエル・コレヒオ・デ・メヒコまで歩く。
今回の国際シンポジウムのテーマは「オーディオヴィジュアルメディアと日系移民」。
まあ、僕にはうってつけだが、よくも僕のような権威とは無縁の いち移民を招いてくれたものだ。

発表は基本的にスペイン語オンリー。
僕には、スペイン語を話しているのだなということぐらいはわかっても理解とは程遠い。
僕の登壇の際には通訳を用意してくれるという。

昼食前にその彼がやってきた。
源(げん)さんというメキシコ生まれの日系二世の成年だが、日本のナミの大学生以上の日本語を解するのでびっくり。
彼の語る両親祖父母の歩みが面白い。
メキシコの先住民の村を訪ね歩いて日本製の針などを行商していた日本人がいたなんで、ぞくぞくする。

今日の愚生の公務は『Relato familiar』というメキシコで写真展を営んでいた日本人を主人公とする短編映画のコメンテーター。
この作品はオンラインで送ってもらっていたのをすでに試写していたが、2度見ても面白かった。
他人様の作品についてどのあたりまで話したらいいのか。
僕を呼んでくれた方のメンツをつぶさ汚さないようにしないと。

今日はカトリックでは聖母マリアの被昇天の祝日。
わが祖国では「日本のいちばん長い日」と言われています。
…といった調子で岡村のコメントは始まる。

冗長にならないように、かつ面白く…
他が追随すべくもないネタを提供してみたつもり。

いやはや、他人様へのアカデミックな、しかも異国での話というのはなんだか疲れた。
会場の後ろにぺちゃんと座れる壇上スペースがあり。出番が終わるとここにしゃがみ込む。

終了後、有志でどこかに食べに行きましょうといっているあいだにスコール到来。
ちりぢりになる。
ブラジルから来た知人、コロンビアからの邦人研究者とともに、僕が昨晩見つけておいたオリエンタル風レストランへ。
外見と違った高級な店で、システムもよくわからないが、とにかくオプションがないので。

さあ明日はわがメインイベントだ。
武者震い。


8月16日(金)の記 メキシコ上映デビュー
メキシコにて


いよいよ。
今日がメキシコでの拙作上映の日である。
しかもシンポジウムのトリ。
いまさら、なぜトリというのかを調べたり。

ホテルのレストランにあった今日のメキシコの新聞をもらってネタを稼いだり。
他の人の発表に参加しながら、自分のトークネタを練り続けて反芻。
明日からの撮影ミッションのロケ地のリサーチもしないと。

シンポの進行は30分以上、遅れてきた。
さあ僕の舞台。
前振りトークに引き続いて『赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み』のスペイン語字幕版を上映。

上映後、登壇者のコメントと質問に応じてから、参加者との質疑応答。
1時間近く時間が押してきたので、あわただしく。
まあ、及第点かな。

今回の参加者に太郎さんというメキシコ日系2世の好漢がいるが、彼のご母堂が経営するという「太郎」という日本食レストランで懇親会となった。
メキシカン融合の妖しい日本メシにトライしてみたかったが、ここは正調日本料理にこだわる店だった。

メキシコではレモン醤油で寿司を食する傾向があるという。
僕は奮発してメキシコ国産ネタの握り寿司をオーダー、レモン醤油も頼んでみる。
出てきたのは、ポン酢だった。

さあ明日からからはひとりで撮影ミッションだ。
改めて緊張。


8月17日(土)の記 メキシコでくだるまで
メキシコ


さあ今日から三日間、ひとりでメキシコ取材だ。
ホテルはメキシコシティの南端で、しかも高級。
メトロやメトロバスへのアクセスはよくない。
かといってそもそも勝手がわからない国で、荷物を持っての移動も煩瑣だ。
シンポジウム主催者へのディスカウント価格にしてもらって、宿を変えない選択とした。

日本で購入した『地球の歩き方』とこちらで何人かの方に聞いた情報をもとに、いざ出陣。
ホテルの前でタクシーを拾い、最寄りのメトロの駅を告げる。
なにせこちらには土地勘がない。
「メトロバス」の駅に連れていかれ、「メトロ」だと改めて告げてさらに走行。
地下鉄はサンパウロに比べろと車輛も乗客も田舎くさい感じでほっとする。

乗り換えてセントロ地区を目指す。
下車駅近くの広場に、なんとフィギュアの市が立っているではないか。
ついつい見てしまうが、わが日本の怪獣系は乏しいようだ。

まずは大壁画狙い。
コレヒオ・デ・メヒコで出会った日本からの留学生に教えてもらった施設がビンゴ!だった。
入館料の他にビデオ撮影料も払うので、すっきりしている。
ビデオ撮影料といってもわがホテルのジュース代より安いぐらいの金額でありがたい。

むむむ、先のササキ神父の滝での転倒のせいか、ビデオカメラが不調。
だましだまし、なだめなだめ。
メキシコの大御所の壁画にカメラを向けていると、ずばり富山妙子さんの作品の撮影に通じていく。
これだけでも十分に面白く奥が深いが、限られた時間で他の課題もこなさなくてはならない。

歩いてセントロのまさしく中心を目指す。
カテドラル・メトロポリターノの外景を撮影、正午のミサにあずかる。
異国の忙中の祈りの時間がうれしい。

向かいにあるアステカの遺跡、テンプロマヨールへ。
この土地のダイナミックな歴史がよくわかる。
ここは博物館にもなっているが、もと考古学徒をしてもうここだけで食傷気味にさせる質量の展示だ。

とはいえ、考古人類博物館は行かざるを得ないだろう。
地下鉄を乗り継いで。
ここも撮影料を別に払う。
いまどきのスマホの動画機能の方が僕の旧機より性能はいいかもしれないが、スマホ撮りは料金を徴収されない。

ふつうの観光客が見て半日がかりとされる場所だ。
とにかくひと通り目を通して、わが意図にかないそうな部分を撮影。
19時の閉館間際まで滞館。

今朝はチップ用の小銭がなく、ホテルの朝食を見合わせた。
午後、移動中の大道で小皿に盛ったタコスをつまんだだけ。
ホテル最寄りのメトロの終点で食堂を探す。
いかにも場末、停留所のバスの排気ガスの充満するような店しか開いていない。
わが意を得たり。
ビールのカクテルらしいものと、タコス側に春巻き状にいろいろ詰め込んだものをいただく。
場末の至福。

タクシー乗り場に並んだのだが、あいにく僕の番に無認可っぽい車がやってきた。
多少の土地勘はできたが、どうも回り道くさいルートだ。
行きの大迂回より高い金額で、しかも釣銭を大幅にごまかされそうになる。

夜間が忙しくなった。
そもそも食べ物らしいものも食べていないのに、ひどくくだっているではないか。
バストイレ付きの部屋で助かった…


8月18日(日)の記 モクテスマとトラロック
メキシコにて


モクテスマ。
メキシコを訪れた観光客が襲われる病名があったのでは。
検索してみるとビンゴ、モクテスマの復讐。
夜が明けるまで、数えていられないほどトイレに通った。
昨日は午後にタコスの小皿をつまんだだけ、夜に食べたものをくだすには早すぎる。

今日はティオティワカン遺跡に遠征の予定だが、道中のトイレは…
宿にいるうちに体内をカラにしておかないと。
ホテル付のタクシーで最寄りの地下鉄の駅に向かうが、なかなかえげつないドライバーだった。
こちらの最終目的地を聞いて、〇〇ドルでどうかと吹っかけてくる。
そもそも駅までの料金、昨晩の無認可風クモスケドライバー以上の金額を請求するではないか。
ホテルに訴えてやろうかな。

メトロを乗り継いで、メキシコシティ北バスターミナルへ。
それにしてもメキシコシティの地下鉄構内の趣向はなかなかだぞ。
サンパウロ以上に面白い。

ティオティワカン遺跡方面のバスのカウンターは長蛇の列。
おや、シートベルトもないバスとは。
運転手のだらけぶりは、ブラジルの比ではないな。

さあいよいよ人類史に名だたるティオティワカンのピラミッド都市の遺跡詣でだ。
今日もビデオ撮影料を覚悟していたが、そもそも無料で入場できてしまった。
日曜のゆえか?

まずは遺跡中最大の太陽のピラミッドを目指す。
いやはや、すごい列だ。
随所の列待ちで1時間はかかる。
ほう、切り石の積み重ねではないようだ。

頂上で舞うチョウの群れ。
気流の関係だろうか。
帰路、中腹で一服。
雨傘を日傘として使用。
メキシコ帰りの小説家の畏友、星野智幸さんがオトコも日傘の使用をと提唱していたのを想い出す。
おや、すぐ横から日本語らしき言葉が聞こえる。
観光に来たという邦人母娘だった。

だらだらと月のピラミッドへ。
水をもっと持ってくればよかった。

遺跡内に土産物売りは多いのだが、飲み食いできない手工芸品や飾り物ばかり。
荷物を減らしたいこんな場所でそもそもかさばるものを買う気が起こるだろうか。
なにかと解せないことが少なくない。

休み休み、最後にケツアルコアトルの神殿へ。
ほう、ここの神獣らしき石造物は見事。
すこしぽつんときたかなと思ったら、豪雨になった。
雨宿りできる場所は付近にない。
傘を差しても全身ずぶ濡れ。
僕がレンズを向けていたのは雨神トラロックだったとのちに知る。
止む気配もない豪雨。
ケツアルコアトルの神殿にひとり濡れ続ける。

帰路は地元民にもわかりにくいバス事情。
こちらは足元までぐじょぐじょ。
風邪、肺炎が心配だ。
できれば、思いきって夜遅くなってもグアダルーペの大聖堂を訪ねようかと思っていたが。
体調が心配でホテルに戻ることとした。
まずは熱いお湯だ。

今日は日曜のせいだろう、ホテル近辺の屋台も締まっている。
体調を考えれば断食が望ましいが、メキシコ最後の夜だ。
最寄りのコンビニも休みとは。
初日に歩いて行ったあたりの薬局系コンビニは開いていた。
ミネラルウオーター、缶のアルコール飲料、サンドイッチ類を買い込んでホテルでいただく。
明日に備えてネットで諸々を調べる。


8月19日(月)の記 クエルナヴァカのリヴェンジ
メキシコ→


いやはや今回のメキシコ撮影ミッションは薄氷を踏みながら、ごちゃごちゃの毛玉のなかから繊細な糸をみつけてたどっていく思い。
今朝も今回のシンポジウムの頭領からオンラインで何度もアドヴァイスをいただき、助かった。

深夜に諸々と検索して、結論は…
朝、ホテルをチェックアウト。
荷物ごとメキシコシティ近郊のクエルナヴァカに移動。
クエルナヴァカで荷物を置けるところを探す。
クエルナヴァカ撮影ミッションののち、メキシコシティの空港に移動。
やってみよう。

ホテルの至近からクエルナヴァカ行きのマイクロバスが出ているという僥倖。
おう、だいぶ高度が下がるのだな。
クエルナヴァカには西暦1976年に画家の富山妙子さんが訪ねてスライドショーをしているのだ。
それが具体的にどこだったかはご本人はもとより、富山さんのメキシコでの足跡を調査している研究者に調べてもらってもわからないというのがわかった。

もう一つの因縁は、この町のカテドラルに日本の26聖人の壁画があるということ。
『地球の歩き方』最新版には現在、見学不可とあるのだが。
バスはターミナルに着いた。
アタマに入れたつもりの地図とはどうも勝手が違う。
パラグアイやアマゾンの町のような混沌。

もてあますだろう時間をどうしようかと思っていたが、カテドラルにたどり着くだけでもひと苦労だった。
坂道が多く、区画整理とは程遠く、メキシコシティにはあった道路名表示がないのだ。
何度となく、ひとに尋ねながら。

いい加減な情報もあったが、ついに。
ああ、カテドラルの壁のなかから発見されたという26聖人の壁画が拝めるではないか。
カネも取られず、撮影もとがめられず。

想い出した。
26人のカトリック信者が豊臣秀吉政権のもと、長崎で処刑されたのは西暦1597年。
そのなかにはなんとメキシコ人もいて、彼はメキシコ初の聖人とされた。

あれは節目の年だったので、おそらく西暦1987年だったか。
サンパウロで26聖人記念ミサが行なわれて招かれた。
せっかくなのでボランティアでの撮影を申し出た。
さる筋から譲り受けたビデオカメラを使ったのだが、なんと音声が録音されていなかったのだ。
がっくりきたが、招いたくれたシスターから聖人たちが身代わりになってくれたのでしょう、と慰めてもらった。
たしかに、頼まれ仕事でも報酬をいただく仕事でも、自分が記録しておかなければならないという念に駆られた行事でもなかったのだが。

今回、撮らせてもらった映像は公開できるよう、慎重に精進しましょう。

ぶじにメキシコシティの国際空港へ。
ゲートではそこかしこからポルトガル語が聞こえて、なんともわかりやすいありがたさ。
さらば、ありがとうメキシコ!


8月20日(火)の記 死霊館のシスター
→ブラジル


帰りのアエロメヒコ機中。
行きにアタマの方だけ見た、邦題を調べてぎょぎょっの『死霊館のシスター』および『クレイジー・リッチ』の続きを見る。
『死霊館』の方はツッコミどころあり過ぎ。
実際にカトリックのシスターで見た人、いるかな?
まあこっちも機内以外では見ることもなかったろうけど。

『クレイジー・リッチ』は以前、日本語なしで見ていた。
日本語吹き替えで、より理解を深めたぞ、
主人公の彼氏の実家はシンガポールで何代も続いた大金持ち、という設定と知る。
ということは、第二次大戦中の犠牲者数万人におよぶシンガポールでの日本軍による華僑虐殺のときは、どのように切り抜けたのだろう?
このお話のなかでは、見事なまでに日本も日本人も登場しないようだが。

体調も崩し、相当に疲れ、しかも夜間のフライト。
朝のサンパウロに到着。
こちらは、へろへろである。

シャトルバスの乗り場へと、ふらふらと駐車場の方に向かう。
サエない男が、小さな声でなにやら言ってくる。
場所柄、タクシーの客引きだろう。
応じる元気もなく、無視。
すると「お前に話しかけてるんだろうが!」と罵声を浴びせてくる。
話しかけるんならそれらしくもっと声ぐらい出せよ!と返したいが、その気力もなし。
概して、ブラジル人よりメキシコ人の方が人情はいいな。

やれやれ、わが家にたどり着いた。
今日は安静にさせてもらおう。


8月21日(水)の記 陀羅尼助丸
ブラジルにて


まだ不調が続いている。
今日は一日断食をしよう。
昨晩、日本でいただいた陀羅尼助丸を服用してみたが、いいようだ。
こういうのを旅先に持っていかないとな。

そもそもサンパウロはそうとう冷え込んでいる。
コタツが欲しい。
今日も緊急の連絡だけは手がけるとして、あとは安静にさせてもらおう。
つぎの旅もあるし。


8月22日(木)の記 30年目のバーニングシーズン
ブラジルにて


僕のメキシコミッション中に、ブラジルの過度のアマゾン熱帯林焼却が世界中の問題になりつつあったようだ。
僕の戻る前日、月曜にはサンパウロの街が闇に覆われたまま夜を迎えたというが、これもアマゾンの熱帯林焼却の煙が関係しているとのこと。

日本語のSNSでも、日本でブラジルやラテンアメリカについてのオピニオンリーダーのつもりでいるらしい人のこの問題への言及を目にするようになってきた。
…基本的な問題の理解からほど遠いことがうかがえる「御説」がいくつも。

日本の知人から、僕あたりにも事態についての問い合わせが入る。
思えば…
まさしくちょうど30年前にも同じ問題が世界をにぎわせた。
ブラジルのサルネイ政権時代だ。
いまだ牛山純一プロデューサーとかかわっていた時で、牛山さんとこの問題について番組ができないかやりとりをしたものだ。

今回の問題がブラジルのボウソナロ大統領の先住民や自然環境をあなどる政策により加熱したことは間違いないだろう。
気をつけたいのはブラジル領アマゾン地区にとどまらずヴェネズエラやボリヴィア、さらに南マットグロッソ州からパラグアイにも火の手が広がっていることだ。

大陸規模の火災を、焚き火の大きなやつの映像であおるようなフェイクが相変わらず横行しているようだ。
30年前に、実際の焼却現場を虫の眼でみて記録しておきたかったものだ。
あの頃も便乗商売はあとを絶たなかったが、あの人らは今。
それにしても…
久しぶりにドットコムではない方のアマゾンが…
日の目ならぬ、火の粉を浴びて炎上してしまった。


8月23日(金)の記 山芋の冬
ブラジルにて


久しぶりにクルマを洗いに出そう。
ホコリがみっちりだ。

洗車場のあんちゃんは30分もあればという。
ということは、小一時間はかかるだろう。

さあその間どうするか。
最寄りのお気に入りのカフェに寄るか。
次回の旅に備えてカバン屋を見ているうちに、いい時間になった。
カフェは省略。
そうそう、夕食の買い物。
今朝、家族にお好み焼きをつくろうかと提案してあった。

まずは小麦粉。
メトロの駅前のスーパーをみるが、見当たらない。
店員に聞くと「ない」。
近くのオルガニック食材店で玄「小麦」粉を購入。

さてさて、ヤマイモがいるな。
いつものところから遠い。
最寄りの八百屋を思い出し、行ってみる。
見当たらないが、聞いてみる。

待つことしばし、出てきたのは2キロを超える巨塊だった。
これしかないという。
さすがに大きすぎる。

店を出て歩くことしばし。
これからクルマを戻してヤマイモの買い出しに行くと、そこそこにビデオ編集時間がそがれてしまう。
思い切って巨塊を買うか。

こちらではカラと呼ばれている。
調べてみると日本のヤマノイモと属は同じの Dioscorea のようだ。
ヤマノイモにはムカゴができるが、こちらには日本のジャガイモ大のムカゴもある。

さあヤマイモ使用のレシピを調べよう。
ソーセージやベーコンと炒めるのは体験済みだ。
ほう、ワサビ和えか。


8月24日(土)の記 「女への讃歌」
ブラジルにて


午後、洗いたてのクルマで連れ合いを乗せて彼女の実家へ。
向こうでは僕は手持無沙汰となる。

日本にてusedをネット買いした画家の富山妙子さん編著『女への讃歌』を持参、読み進める。
これを読み終えたらイタリア関係のものを読もう。

富山さんは書き手としてもあっぱれだが、この本は対談が中心で、対話だと文章とはまた違った富山妙子像が浮かび上がって興味深い。
「私にとっての人生は、私の創造よ。
 芝居かもしれない。
 自作自演の即興劇ね。
 なかなか脚本通りにゆかなくて、障害物だらけだけど、そのつど書き直して修正するのよ。
 人が作った障害物ははね返すわね。」

(『女への讃歌』三省堂、79ページ。原文は行替えなし。)

運転手として帰宅、さっそく料理人。


8月25日(日)の記 山掛の夜
ブラジルにて


路上市の魚屋にて。
珍しくマグロを買ってみた。
切身がキロで邦貨2000円ぐらい、高値の魚である。
半キロぐらいのパックを買った。

目的は一昨日買った山芋の巨塊使用のため。
夜、山かけにしていただく。
一部は刺身にして。
焼き海苔も刻んで、薄口醤油で味付けして、チューブのワサビも混ぜ込んで。
よろしい。

日本の亡父はよくマグロの刺身を食べていたと記憶する。
外食では、刺身定食。
幼少時代の僕は、マグロの刺身を口にするとしばしば吐き気を催した。
口にしてすぐだったから、寄生虫などのせいではないだろう。

なぜだったろうと時おり考える。
鮮度のせいだったのだろうか?
思い出すと、吐き気までよみがえってきそうだ。


8月26日(月)の記 郵便局に行くまでに
ブラジルにて


さあ今日も一日断食。
日本へ書留便で送るものがある。

アパートを出て下に降りてから、財布を忘れたことに気づいた。
反転。
ふたたび何かを忘れていて引き返したのだが、二度目は何を忘れていたのかも忘れてしまった。

いよいよ画家の富山妙子さん本人による絵解きシリーズ『桜花幻影』の編集に入る。
昨年いったんまとめてみた『狐とリハビリ』に呼応する作品となるはず。

夜はヤマイモののこりをカラブレーザソーセージを炒めてみる。


8月27日(火)の記 つなぐ つむぐ あてる
ブラジルにて


サンパウロで見ておきたい展示があるし、総領事館での手続きもある。
出ようかと思うが、外出しようという気合がイマイチ入らない。
そもそも編集作業に弾みがついてしまい、没頭することにする。

今の僕は基本的に映像や音声のインサート編集はしない。
しかしただいま編集中の「富山妙子 自作を絵解く」シリーズは例外。
このシリーズも、僕なりのなかなかの禁じ手を課している。

うーむ、可もあり不可もあり。
それをどうごまかすかが編集だ。
さあ外回りはいつしようか。


8月28日(水)の記 先生と私
ブラジルにて


外回りを今日、済ませようとも思うが…
家庭のシフトが変則となり、やめておく。
外出は銀行等の外回りにとどめて、ビデオ編集をすすめる。
『絵解く』シリーズ、今回も10数分の短いものとなりそうで、さしてややこしい作業ではない。
現在、作業中のはほぼゴールが見えたかな。

夜。
黒澤を見ようか。
『黒澤明の十字架』の著者、指田文夫さんが黒澤の遺作『まあだだよ』を「実につまらない映画」とフェイスブックで書いていたのに接したばかり。
重い言葉だ。
決して面白い作品だとは思っていないが…

『まあだだよ』を見よう。
主人公は「先生」。
僕にとって先生、と言えば故橋本梧郎先生。
あ、お命日は8月26日だったな。

『まあだだよ』には、改めて違和感が付きまとう。
第二次大戦中も、敗戦直後も背広とネクタイ姿ですぐにかつての恩師のところに集まれる男たちというのは何なのだろう?
敗戦後の先生のお祝いのパーティのばか騒ぎに、MPが駆け付けるシーンがある。
その際、野次馬として集まる復員兵、そしてパンパンと呼ばれた女性たち。
この人たちのことが気になる。
『酔いどれ天使』を見直そうか。

黒澤映画の集団の「芝居がかった」振り付けがどうも苦手である。
しかしこれも黒澤の初期作品『虎の尾を踏む男たち』がいわばミュージカルだったこと、黒澤がドキュメンタリー映画として取り込むほど 能に入れ込んでいたことを考えると、そうした様式美へのこだわりなのかなと思う。
指田さんより僕は黒澤にだいぶ甘いかも。

黒澤の他の作品を考えるうえでのカギがいろいろとあり、「実につまらない」とまでは思わなかった。
しかし大クロサワの最後の作品、他に何かなかったのかなとは思わざるを得ない。


8月29日(木)の記 マンレイに撮られたい
ブラジルにて


さあ外回りを一気に。
まずサンパウロ日本国総領事館で在外選挙権の手続き。

すでにややこしい手続きは済ませてあるのだが、まじめに在外選挙で投票を続けると選挙ごとに押されるハンコの欄がすぐにいっぱいになる。
あらたな選挙証の発行には申請から3-4か月かかるとのこと!
このオンライン時代に驚異の仕事の遅さである。
そもそも5年ほど前のサンパウロ市内での引っ越しの際に、総領事館に住居変更届を提出して受領されている。
しかし同じ総領事館の在外選挙担当にはあずかり知らないこと、とのことで同じ総領事館の複数個所で住居変更届を提出しなければならないとは。
ただすべき問題がテンコ盛りだ。

手続きのため旅券を持参したので、犯罪都市サンパウロでは気が気ではない。
しかし時間と手間も惜しく、そのままダウンタウンへ。
ブラジル銀行文化センターのマンレイ展へ。
マンレイについては、恥ずかしながらその高名以外に詳しく知らなかった。

そのマンレイの歩みがタダで列にも並ばずに享受できるとは!
名前の由来も面白いし、画家として自分の作品の写真を撮り始めたのが写真家になるきっかけだったというのも面白い。
そして彼が著名人を撮ったポートレートがすごい。
この人に撮ってもらいたな、と思うほど。

彼が1930年代に撮ったという前衛映画を2本流している。
当時としては斬新なエフェクトを用いたつもりだろうが、今日となっては陳腐どころではない。
自分にとってのリアリズムを再確認。


8月30日(金)の記 月の終わりにうろたえて
ブラジルにて


連れ合いの巡礼のお供で来週9月2日からイタリアに渡る予定だ。
恥ずかしいことに2日は火曜だと思い込み、まだ来週の月曜という平日があるではないかと油断していた。
イタリアからブラジルに戻ったら、ほどなくまた訪日の予定である。
いやはや気ばかり焦る。

万が一に備えて、編集をすすめていた複数の作品をDVDに焼いておく。
いやはや落ち着かない。
個人旅行であり、夫婦ともイタリアは初めてで言葉も勝手もわからない。
せめて「地球の歩き方」ぐらい目を通しておかないと。
目的地は「地球の…」には全く触れられていないところだが…


8月31日(土)の記 ワレ醤油ヲ欲ス
ブラジルにて


日中はイタリアにからむ読書。
夜は連れ合いの一族が集まっての外食。

サンパウロでの夜の知らないところへの運転は極力、避けたい。
そもそもクルマではアルコールが飲めない。
家族4人で配車サービスを利用。
これが申しわけないような定額。
とにかく飲めるのがありがたい。

今宵の店は、食べ放題「配肉」サービス系ではなく、メニューで頼む。
がっつりとしたステーキ。
粗塩のみの味付けなので、だんだん飽きてくる。
ショーユはないかと聞いてみると、ない。
かわりにチムチェリーというアルゼンチン方面でつかわれるソースを持ってきた。
そもそも肉はウルグアイ産の由。
これも悪くはないが、ブラジル産のでいいからショウユでいただいてみたかった。

30年ぐらい前には粉醤油を持ち歩いていた時期もあったなあ。


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