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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2019年の日記  (最終更新日 : 2020/05/03)
9月の日記 総集編 元和大殉教とシスティーナの背筋運動

9月の日記 総集編 元和大殉教とシスティーナの背筋運動 (2019/09/09) 9月1日(日)の記 目黒のマグロ
ブラジルにて


昨晩、連れ合いの実家の面々が集っての会食があったので、今日は日曜恒例の実家訪問を失礼させていただく。
明日は午前中に夫婦で出家するし。
これがないと、かなり時間の使い出がある。

わが子が今日は昼も家で食べるという。
路上市で魚を買ってくるけど、焼き魚とお刺身のどちらがいいかと聞くと、後者だという。
よし。
まだヤマイモも残っているので、またマグロを買う。
昼は大根でツマをつくり、パセリの緑を添えて刺身、そして山かけ。

さあ夜はマグロの残りをどうしよう。
カルパッチョあたりでもつくりたいが、ピーマンパプリカ類を切らしている。
ネットにあたると、醤油にごま油、ネギ使用というのがあった。
うーむ、これは期待ほどうまくはなし。


9月2日(月)の記 機中のアマゾン
ブラジル→


いよいよ。
連れ合いのイタリア巡礼にお供の旅。
行ったことのない国、勝手の違う旅なのでけっこう緊張している。
団体は利用せず、彼女とて勝手がわからないまま、ひーこらと彼女がひとりで組んだ旅程だ。

午前中、これは勝手を知っているタクシー運転手をおさえて空港へ。
がらんとした第3ターミナルで、最も安めの昼食をとる。
アリタリアの機内はほぼ満席。
機内の明るいうちに「地球の歩き方」の読み残しページに目を通す。

機内映画のブラジル映画『Para Ter Onde Ir』(これはどう訳そう、「行き場があるために」か?)。
ブラジルアマゾンのパラ州の3人の女性のロードムービー。
世界中で騒がれたアマゾンの森林焼却の気配もないのだが、アマゾンのリアリティ度はあのニュースの比ではない。

もう一本、イタリアの猟奇犯罪ものの映画を見て、眠る。


9月3日(火)の記 イタリア協奏曲序章
→イタリア


さあサンパウロより5時間早いローマに到着。
ローマの空港でさっそく連れ合いとはぐれるが、大事には至らず。
今日からフィレンツェに3泊の予定。
どう行くか。
いったんテルミニ駅に高速列車で出て、それから別の高速鉄道で行こうということに。
眼は、民俗学者 宮本常一翁の気分だ。
車窓から見えるフローラは日本、ブラジルとはまるで違う。
作物はじめ、よく目につく植物がなんだかわからず残念。

フィレンツェの宿は駅から徒歩圏、街の目玉のドゥオーモ(大聖堂)至近だという。
住所と「地球の歩き方」の地図を参考にたどり着く。
サンパウロの旧市街のような年代物のビル、石畳の道の続く街だ。
ほう、宿は年代物のビルのイタリアでいう1階部分を使用している家族経営風のところ。
別の階は別のホテル。
まずは安心。
荷物を置き、チェックインは午後2時からなので、それまでテキトーに近くを歩くことに。
いちいち面白い。
ひとりなら躊躇するような裏道を歩いたり、カフェのある書店をのぞいたりして昼食。
午後の一服のあと、観光地化されていない地元の壮大な教会の夕方のミサにあずかる。

サンパウロのセーのカテドラル並みの大きさのドゥオーモあたりを散策。
サンパウロのダウンタウンも見どころはけっこうあるのだから、これくらいはきれいにして治安を保てれば、もっと観光客も呼べるだろうに…
付近は観光客相手のレストランが並ぶ。

一軒のウエイターから「イマムラ!」と話しかけられる。
このイマムラは、今村昌平のことだった。
このウエイター、相当の日本映画ファンでクロサワ、ミフネのあとでシムラときた。
今村の映画では『うなぎ』がいいという。
僕は『うなぎ』は見たことぐらいしか覚えていない。
彼とはブラジルのグラウベル・ローシャ監督の名前でも盛り上がる。

こっちがドキュメンタリーをやっていることまでは伝えたが、イマムラにもいいドキュメンタリー作品があることを伝え漏らしたな。


9月4日(水)の記 ウフィツィの君の名は
イタリアにて


フィレンツェの宿は、部屋の窓からジオット作の塔が拝める中心街。
窓からはコケと雑草の散在する瓦屋根が拡がり、この飾らなさがいい。

ここの宿は朝食付き。
複数のジュースに、マシーンだがコーヒー類数種、パン各種にジャム、ハムチーズにヨーグルト類。
ブラジルのホテルの朝食よりフルーツ類は劣るが、そこそこの充実ぶりだ。

さあ今日は午前9時台にウフィツィ美術館を連れ合いがブラジルから予約している。
ホテルから徒歩圏。
イタリアで最大の量と質の収蔵量の美術館とされる。
すごいではないか。
入場したところ付近で13時に連れ合いと待ち合わせ。

ミュージアム早見の僕も、3階の出だしから圧倒されて失速。
まずはギリシャローマの彫像類。
さっそくこの顔は…
高校の美術の授業で眺めた顔だ。
アグリッパ。
だがいま一つ印象が違う。
このアグリッパは胸部からあるバストサイズ。
僕が木炭でデッサンしたのは首から上だったような。
(後で調べてみて納得。僕のデッサンしたもののオリジナルはルーブルにあるようだ)
高校の美術の授業では油絵も描いてみたかった。
しかし道具類を揃えると、今から40年以上前で万単位の費用がかかると知った。
わが家の事情を考えて、石膏デッサンでやめておいた。
特に後悔はない。
当時の僕は映画一筋だったし。

さて僕はこの美術館を「地球の歩き方」でざっと予習した程度だが、さっそく食傷気味になる物量だ。
途中でトイレに行こうと思うと、ひと仕事だ。
後半のカルバッジオのあたりは時間もおして、まさに走り見。

午後は列に並んでドゥオーモ内部の見学。
次いで宝石屋のひしめく橋などまわる。
すべて徒歩。

このあたりの必食とされる牛肉大型ステーキは、昼にツーリストメニューの店でいただいた。
「地球の歩き方」にあるおススメの地元料理を夕食に、とまわること10軒以上。
おススメの前菜のあった店は2軒。
メインディッシュの豚肉料理については、あるという店が皆無だった。

「地球の歩き方」はこれだけ探してもないような地元「名物」をすすめているとは。連れ合いを無駄にだいぶ歩かせてしまい、妥協していかにもツーリスト相手のレストランに入る。
地元のメニューにある地元の料理をいただく。
この地方のジビエだというのは猪だった。
猪肉入りパスタをいただく。
悪くはないが、野菜も欲しくなる。

さあフィレンツェはもう一泊。


9月5日(木)の記 フィレンツェのアイヌ
イタリアにて


フィレンツェ見学最終日。
午前中はサン・マルコ美術館へ。
ドメニコ会の修道会を美術館としたもので、展示品はすべてカトリック関連といっていい。
僕にはソコソコ以上に面白いが、一般の方にはどうだろう?

イタリアに来て美術館で昨日以来、目にする光景だが、親が幼子に宗教画の絵解きをしているのが興味深い。
ホテルのテレビを航海してみると、カトリック関連の番組がしばしば、特化したチャンネルもあるではないか。
たとえば日本は、京都でテレビを見ていて仏教関連番組やチャンネルに行き当たるだろうか?
日本の仏教はなにをしているのかな。
統計によっては世界で最も仏教徒が多いのは日本なのだが。
寺の数だって。

昨日、フィレンツェの街を歩いていて人類学博物館というのを見つけた。
これについては宝刀「地球の歩き方」にも記載が見当たらない。
すでに泰西名画三昧で食傷気味、口直しに…

午後イチで行ってみることにした。
本館は、いきなり日本の能面の展示。
日本のアイヌの民具のコレクションまであるではないか。
わが南米大陸アマゾン低地のヤノマモの民具もあり。
世界の民族誌をひと通り概観できる好施設。
うーむ、イタリア人の民族学者、文化人類学者というのがすぐに浮かんでこないのだが探検家はけっこういたのがよくわかる。
ヤコペッティは映画監督か。

1930年代のここの館長の肖像画が展示されている。
https://www.instagram.com/p/B2YWzCpgGcz/
頭骨を抱いているのだが、館長の左の親指は頭骨の左の眼窩に挿入されている。
人類学と時代をよく反映していると思う。
藤田嗣治の戦争画なみに面白い、というか恐ろしくもある。

今日は夕方6時前にアカデミア美術館を予約してある。
どこまで見切れるか心配だったが、ここはウフィッツィ美術館に比べるとだいぶアメリカン:薄味でホッとする。
メインはミケランジェロのダビデ像。

屋内にある男性の性器も明らかな全裸像で、これほど衆目にさらされて撮影されているのは他になにがあるかな。
イタリアに来てから目にするのは、オトコのハダカばっかりだ。

フィレンツェ最後の晩餐は、スーパーマーケットにサンドイッチを買い出しに。


9月6日(金)の記 帰れと言われる前に行くのがややこしいソレントへ
イタリアにて


日程も諸手配も連れ合いに丸投げしていたイタリア巡礼の旅。
旅に出たからには一蓮托生だ。
これからフィレンツェを出て、今回の主目的の巡礼地、イタリア国をブーツに例えると、かかとというかアキレス腱の部分へ向かう。
いっきに行くのはむずかしいので、今宵はナポリの南のソレントという町で一泊の予定。

連れ合いは周到な計算があったわけではなしにそこを選んだとのことだが、驚き様々。
なにか聞き覚えのある地名だと思って検索してみると、日本でも流行ったというイタリア歌謡に『帰れソレントへ』というのがあった。
連れ合いにそれを伝えると、そういえば彼女の亡父が50年近く前、サンパウロでピアノを弾きながらこの歌をイタリア語で歌っていたというではないか。

これもヒヤヒヤだったが、昨日、予約した列車でフィレンツェからナポリへ。
ナポリから別の会社の電車に乗り換えるのだが、その駅は大混雑。
スト決行中とか。
13時には列車再開と連れ合いが聞いてきたが、さらにカオス状態が続く。
ホームで1時間以上待機。
現れたのは落書きだらけのスクラップのような電車。

ポンペイ遺跡を生んだヴェスヴィオ火山を望みつつ。
桜島と錦江湾といった感じだ。
いやはや、ソレントにたどり着く。

今日、予約を入れた宿は到着が遅れると50ユーロの追加料金の由。
それでいてネットで検索すると宿名もまちまち、先方から伝えてくる住所もまちまちではないか。
連れ合いが何度もスマホで連絡を取り…

ソレントとなると「地球の歩き方」に地図もなくこれといった情報もないが、なかなかの国際観光地だ。
レモンが特産で、レモンのリキュール、レモンせっけん、レモン飴などが並んでいる。
土産物店にはハングルの記載も。
日本語記載のあるのは、バブル期に日本人が群がったようなすでに時代遅れの高級品店で、いまや閑古鳥。

宿は18世紀に建てられたという歴史建築の一部を改装したものだ。
常駐のスタッフはおらず、客の到着に合わせてスタッフが合流するというシステムだ。
スタッフのイタリア人男性は連れ合いが連絡を取り合っていたのとは別人で、自分はジャーナリストだという。
観光スポットなど諸々の情報は自分のウエブサイトにあたってくれと言う。
紙の街の地図はないのかと聞くと、プラスチックと紙は使わない方針だとのたまうではないか。
シャワートイレがあるわけでもないのに、よく言うよ。
ビデはあるか。
そもそも電気電波電池がなくなれば、スリにスマホをやられてもアウトでないの。
いずれにしろジャーナリストという割には、泊り客の素性やなぜここに来たかには関心がないようだ。

ソレントには廃墟マニア垂涎の聖地がある。
僕もネット上でと記憶するが、その写真を見てたまげたものだ。
峻険な崖下に築かれた、前世紀初頭まで使用されたという製粉所跡。
今日ではシダ類に覆われているという。
それが現在の街中にあるらしい。

ジャーナリスト氏は明日の朝、チェックアウト時は部屋に鍵を置いておけばいいと言い残して歴史建造物から去ってしまった。
このシステムだとチェックアウト後に荷物を一時預かってもらうのもままならない。
さあ時間は押している、まずは垂涎のミルズの谷へ行こう。
そもそも崖下にどう降りたらいいのか…

たしかに至近距離に東京の等々力渓谷を二乗したような強烈な谷が。
おそるおそるのぞき込むと、なんと魅惑の廃墟は全面改装工事中ではないか。
がっかりとともにホッともする。
もし降りて行って踏査するとなると相当な手間暇がかかりそうだ。
そして情けないことに、崖上からだと手持ちのスマホごと引き込まれそうで、写真もままならない…

街の中心部のカテドラルの夕方のミサにあずかる。
参列者は年配の女性が中心で、なんだか人情味があふれている。
教会敷地内でイタリア人の写真家の撮ったマザー・テレサの写真展を開催中。
夜8時までとのことで、ミサ後にのぞいてみる。
「神のひかり」とマザー・テレサをして言わしめたという写真!

夕食。
地元ジャーナリストの彼氏がいちばんに推した街なかの店はかなりの空席があったが、歩かせて待たせて席がないとけんもほろろ。
次点の店はそこそこの距離で海辺までくだるが、値段もリーズナブル、海幸がいただけてゴキゲンである。
前菜には日本のママカリのような酢締めのひかりものの魚もあり、よろしかったなあ。


9月7日(土)の記 ソレントの眼福、そして巡礼
イタリアにて


ソレントの朝。
昨晩のカテドラルで朝のミサにあずかる。
この堂内の宗教アートだけでもなかなか見ごたえがあって面白い。

スタッフのいない宿をチェックアウト。
荷物の置きようがないので、夫婦でごろごろと石畳の道を荷物を引きずりながら、もう一カ所に寄っていくことにする。
昨晩みたマザーテレサの写真を撮ったイタリア人の写真家Raffaele Cenentanoさんの別の展示が海岸を望む教会で開催されているのを知ったため。
http://www.raffaelecelentano.com/themes/italians/italians.htm

この人の写真のすごさは、みればわかる。
天分の才能、人柄、そして努力の三位一体のなせるワザを感じる。
(あとで検索してみたが、この人のことはほとんど日本語になっておらず、写真集らしいものもすぐに見当たらないのがオドロキ。)
一枚一枚がサプライズで、かつここちよい。

教会の付属らしい古建築の階上部分が、彼のギャラリーとされて展示スペースになっている。
屋外に出られるのだが、海に山に街並み、すばらしい。
そしてこのベランダのスペースに洗濯物が吊るしてあるではないか。
眼を刺す色の女性の下着類まで!
これが、あまりに「絵になって」いる。
https://www.instagram.com/p/B2JVr0rAYDJ/
ギャラリーの解説プレートの英語の部分をざっと読むと、どうやらこの洗濯ものもこの写真家のインスタレーションのようだ。
これにはいたくたまげた。
誰かの言葉の引用のようだったが、洗濯物はその建物の内なる人のアート表現、といった記載がされている。

イタリア到着後、みたところ中産階級クラスのアパートメントの衆目を浴びる屋外に洗濯ものが吊るしてあるのがけっこうふつうであることに驚いていた。
ブラジルでは、スラム化した建物などや田舎のお宅の中庭などをのぞいては洗濯ものが目に入ることはむずかしいと思う。
面白すぎる刺激。
日本でも屋外の洗濯物はけっこう目につくが、アート鑑賞どころかそれを意識しただけで変質者あつかいされてしまう。
こころの洗濯が必要だ、なんちゃって。

ソレントからふたたび電車でまずはナポリへ。
乗り合わせた老夫妻はイタリア系のアルゼンチン人だった。
スペイン語はイタリア語より僕にははるかにわかりやすいが、こまかいことになるとわからない。
いちいち聞き返すのもつかれるので、テキトーに相槌をうっておく。

いよいよ今回のイタリア巡礼旅行の肝(きも)に向かう。
サン・ジョヴァンニ・ロトンド。
カトリックの聖人とされたピオ神父ゆかりの地である。
連れ合いがナポリからここに行くバスがある(らしい)ことを調べていた。

ナポリのバスターミナルは鉄道の駅に隣接するのだが、なかなかわかりにくい。
しかもいつどこにどのバスが来るのか、混沌そのもの。
新宿バスタの混雑、味気なさもイヤだけど。

遅延のしらせもないまま、めざすバスは30分遅れで到着。
とにかく乗れた。
3時間ほどの乗車で、イタリアの長靴を西から東へ縦断する。
山々を縫って大平原へ。
そのかなたの乾ききった岩山をのぼっていく。
ブラジルのローシャ監督の世界をほうふつさせる。

いやはや、こんな岩山の上にこれだけの町があるとは。
まだ先まで行くバスを降りると、雨。
連れ合いがこれから2泊するB&Bにメッセージを送ると、迎えに来てくれるという。
遅れたら追加料金50ユーロという宿との落差に目まいがしそうだ。
僕あたりからみれば若者の、なんとも人のよさそうなイタリア人男性が車で迎えに来てくれた。

宿の名前のイタリア語は「小赤」。
小鳥の名前だという。
調べてみると、ヨーロッパコマドリという和名があった。
昨年オープンしたというこの宿は来月、挙式をあげるという若いカップルの経営。

ひなびた田舎の村を勝手に想像していたが、大巡礼タウンといった感じだ。
聖ピオのサンクチュアリまではここから徒歩15分ぐらいある由。
レストランなどのある市街は逆の方向にやはり15分ぐらいかかるようだ。

ここは岩山の台地の上だが、アドリア海が至近だ。
海のものが食べたいが、格好のレストランは英語が通じないという。
もう一軒はワインは200種以上あったが、海幸はなく、お肉とパスタをいただく。


9月8日(日)の記 南伊巡礼
イタリアにて


南伊豆じゃなくて、南イタリア。
サン・ジョヴァンニ・ロトンドの朝を迎える。
連れ合いもだいぶ疲れがたまっているようだ。
未明に宿を出るつもりだったが、早朝に遅らせる。

聖人とされたピオ神父のサンクチュアリに向かって歩く。
付近には巡礼宿がいくつも立ち並んでいる。

ピオ神父がこの世に生きたのは、西暦1887年から1968年まで。
西暦2002年にヴァチカンから聖人と認定された。
生前、ピオ神父の体には十字架に付けられたイエス・キリストと同じ傷が現れる「聖痕」が生じて、病者の治癒や予知などの超常的なはたらきを繰り返したという。

その名はわがブラジルでも知られて、イタリアでは「聖ピオテレビ」という特化したチャンネルまであるではないか。
サンクチュアリ内には生前の聖ピオが仕えていた旧教会から、近年築かれた巨大な新教会までいくつものチャーチがある。
日に何度もそれぞれの教会でミサがたてられているが、まずは早朝7時30分からの聖ピオの遺体を祭壇にまつる地下礼拝堂でのミサにあずかる。

いったん宿に戻ってコマドリ荘でアットホームな朝食をいただき、ふたたびサンクチュアリへ。
観光バスや自家用車でやってくる巡礼者たちが後を絶たない。
https://www.instagram.com/p/B2eRvspACvk/
巡礼のメインは、死後40年目に掘り出されたというピオ神父の遺体。
不思議なほど保存状態のよかった遺体に修復処理を加えて透明ケースに収めてある。

ミサの合間の時間に行列をつくって遺体参拝を待つ。
立ち止まってじっくり拝める状況ではないが、聖人の顔の状態は、葬儀でみなれた「死にたて」の人のものだ。
死後50年以上経って、しかも埋葬されていたものとは思えない。

しばらく礼拝堂で遠めに聖遺体参拝の人々の模様をみるが、これは興味が尽きない。
入場時に撮影はダメと念を押されて、ガードマンが目を光らせているのだが、その目を盗んでスマホ撮りをする輩が少なくない。
そうしたズル反則をした人が、賽銭箱に札を入れていったり。
奇跡を求めてやってきたと思われる病人、老人、障碍者と付き添いの人たちの姿が胸を打つ。

午後遅くまでサンクチュアリ滞在。
明日はいよいよ総本山ローマへの移動だ。


9月9日(月)の記 羅馬が行く
イタリアにて


今朝はコマドリ荘のすぐ向かいにある教会のミサにあずかる。
ここサン・ジョヴァンニ・ロトンドから、いかにローマに移動するかが思案のしどころだった。
連れ合いのスマホではらちがあかず、昨日コマドリ荘の彼氏がパソコンで直行バスを予約してくれた。

よよ、ほぼ時間通りに来るではないか。
フォッジァ、ナポリで途中停車。
ナポリではバスターミナルでイタリア人のおばさんがバス会社のスタッフらにどなり散らしている。
わがバスの運転手もどなられた。
詳しい事情はわからないが、これだけ激しいのはブラジルでも見た覚えが浮かばない。
罵声を振り切って我らのバスは出発。
運転手と前方の客たちがおばさんネタで笑い合っている。
そもそもナポリの町が大渋滞で、バスは1時間以上は遅れているだろう。

ますます遅れるけど、10分ほど停まるか?といったことを運転手が乗客らにはかり、異議なし。
ローマ着は夕方になってしまい、今日の午後に約束を入れないでよかった。

やや場末感のあるターミナルから地下鉄の駅まで歩く。
地下鉄を乗り継いでヴァチカン総本山近くのオタヴィオ駅へ。
今日の宿は、窓からヴァチカンの壁が見える立地。
何棟もある古ビルの一角をホテルにしている。
ここも常駐スタッフはいない。
スマホで待ち合わせしていた女性スタッフにこのビルのおよその築年を聞くが、知らないという。
オバケは出ないかと聞くと、ウケていた。

渡されたカギは全部で5個!
部屋に金庫があるが、玉手箱ぐらいのサイズで持ち運びができる。
金庫を持って歩こうかと連れ合いに話す。

すでにサンピエトロ大聖堂は閉門の時間だが、前の広場まで行ってみる。
夕食は宿の近くのレストランで。
このあたりもいくらでも観光客相手の飯屋がある。

ウエイトレスのおばちゃんに英語でオーダー。
おばちゃんは店の前に掲示してあるメニューに立ち止まる観光客相手に、イタリア語や英語で客引きもする。
おや、おばちゃん、ブラジル人らしい女性グループとポルトガル語で話しているではないか。
聞いてみると、なんとサンパウロ出身でイタリア生活10余年に及ぶという。
イタリア人を夫とするが、50代にして先立たれ、と身の上を聞かせてもらう。
なにを食べたかをすぐに思い出せない。


9月10日(火)の記 元和大殉教とシスティーナの背筋運動
イタリアにて


ヴァチカン詣での前に、近くのロザリオの聖母教会という教会の早朝のミサにあずかる。
神父さんの話のなかで「ドミニコ会」「ナガサキ」という言葉が聞き取れた。
調べてみると…西暦1622年の9月10日。
長崎西坂にて55人のキリシタンが処刑されていた。
日本のキリシタン処刑史のなかでも、一日の処刑としては最多だという。
犠牲者のなかにはイエズス会、フランシスコ会、ドミニコ会の司祭や修道士。
80歳近い女性。
朝鮮人男性と彼の3歳の息子なども含まれていた。
元和の大殉教と呼ばれる事件だ。
嗚呼。

朝食もあるというレストラン、店内に入ってオーダーすると夕食より高い値段をとられる。
教訓多々。

午前中はいよいよヴァチカン潜入。
スパイ映画の影響か、ヴァチカン入りというとこういう語を使ってみたくなる。
ジェームス・ボンド氏は潜入したっけな?
トム・クルーズの潜入は覚えている。

サンピエトロ大聖堂にて。
ついにミケランジェロのピエタ像の実物を拝む。
西暦1972年受難のピエタ像。
遠くから、防弾ガラスと観光客群越しに。

ミケ23歳の作品というが、着手したのが23歳、2年ほどかけたようだ。
23歳、オレはなにをしてたかな?

午後は連れ合いがブラジルから予約を入れていたヴァチカン美術館へ。
限られた時間のなかで、なにを見るかよりなにを見ないかだな。
そしてついに。
これがシスティーナ礼拝堂か。
僕のテレビディレクター時代の担当番組のほとんどは日本テレビで放送された。
だが、日本テレビの24時間なんたらもシスティーナ礼拝堂取材も関係ないどころか当時は関心もなかった。
システィーナ礼拝堂、背筋力が勝負だな。

僕のローマ滞在はあと明日を残すのみ。
明日の日程はもう埋まっている。
すでに夕刻だが、思い切って行ってみるか。
カンポ・ディ・フィオーリへ。
日本でお世話になっているアーチストの佐々木岳久さんが傾倒する、宗教家にして科学者のジョルダーノ・ブルーノの銅像があるという。
この人は西暦1600年にこの広場で火刑に処された。

「地球の歩き方」の地図で見ると、歩いて歩けない距離ではなさそうだ。
ヴァチカン市国をつっきって、テヴェレ川を渡って。
最後に包囲感覚を失うが、着けた。
広場はブルーノの像を中央にいただき、ぐるりはカフェ。
ハッピーアワーだという一軒に着席。
あ、ブルーノのうしろに月。
この写真を佐々木さんに送ると、ブルーノの名がつけられたクレーターが月にあることを教えてくれた。

元和の大殉教では日本でカトリック教徒らが虐殺されて、この広場ではその22年前にドミニコ会の修道士でもあったブルーノが教会の権威らによる異端審問の末に焼き殺された。

宿まで無事にたどり着き、スマホを見てびっくり。
今日は25000歩以上、15キロ以上歩いていた。


9月11日(木)の記 ローマで危機一髪
イタリアにて


今日は、ローマ法王ヴァチカン滞在中の水曜日に開かれるオーディエンスに参加の予定。
連れ合いはこれの申し込みをブラジルからしていた。
メールは受け付けず、郵便かファックス!のみに限られるのだが、先方からの返信はメールでという殿様スタイルだ。

開始時間は午前9時半。
予約したうえでさらに行なう事前の受付の際に出会ったブラジル人グループはいい場所をとるため、午前5時に行くとか。

我々は午前7時に出るが…
ヴァチカンではすでに長蛇の列。
それを整理するスタッフは見当たらない。
ズルをする連中が後を絶たない。

前方の門が開いたようで、待機者の列をよそに、右側からどどどっと人々が前方に走り始めた。
ラテン語圏の若い男性が英語で「ちゃんと列を守れ!」と叫ぶが、それで引き返す人は皆無。
そちらに群がる連中の多さに、叫んだ若者までも本来の列を捨ててそちらに走って行った。
マナーもモラルもない、自分さえよけりゃ。
この宗教の最高位を希求する信徒たちに不快と絶望を感じざるをえず。

だいぶ経ってから、ようやく本来の列も動き始めた。
まずはセキュリティチェック。
けっきょく連れ合いが大変な思いをして入手した招待券は見られることもなかった。
我々も大広場に並べられた椅子に座ることはできた。
中央前方の広いスペースは誰のためなのか、開けてある。

法王登場時間が近づいてから、セネガルの国旗を持った民族衣装の人たちがちらほらとそのスペースにやってきた。
ローマ法王は9時半前に現れて、専用車で周囲を回って高座に着き、イタリア語など数か国語での挨拶と通訳がはじまった。
その頃になってもまだまだだらだらとセネガルの人たちはやってくる。
カトリックの長に会うという高揚感も、大切な場に遅れて申し訳ないという恐縮感もうかがえず、ただだらだらと。

真夏は過ぎたとはいえ炎天下で、法王がアフリカ3か国をまわってきました、という挨拶を5か国語以上で聞き続けるというのもなかなか…

苦行を終えて、ヴァチカンにいちばん近いマクドナルドへ。
ここで旧知の日系ブラジル人の神学生と待ち合わせをした。
遠藤周作の『深い河』を想い出す。
日本のテレビでは韓国のタマネギが話題になっているようだが。

彼に、オプスデイというカトリックのグループのローマ本部を案内してもらい、ラテン語のミサにあずかる。
電車とメトロを乗り継いで宿に向かう…

途中、メトロの車中にて。
連れ合いと車輛なかほどの手すりにつかまっていると、中年女らが近寄ってきた。
僕に時間を聞くので腕時計を見せると、女一人が両手の指を見せて数を指し示せ、という仕草をする。
怪しい。
その間、別の女の手が僕のショルダーバッグにのびてきた。
僕が腕でバッグを防ぐと、女たちは次の駅でそそくさと逃げ去っていく。

連れ合いのバッグもファスナーを開けられていた。
おかげさまで何も盗られないですんだようだが…
僕はスマホの電池があがってしまい、補助バッテリーをケーブルでつないでバッグに入れておいたので、そのごちゃごちゃが敵の盗っ手を拒むことになったようだ。
危機一髪。
こういう手を使ってくるのか。

凶器と力と早業で襲ってくるブラジルとはだいぶ勝手が違うぞ。
カトリックの総本山で、くわばらくわばら。


9月12日(木)の記 ローマの魔
イタリア→ブラジル


今日は午前10時台のフライトだ。
連れ合いとローマでわかれて、まず僕だけブラジルに戻る。

昨夕以来、何度もメトロの窃盗危機を反芻する。
昨日はヴァチカン詣でもあり、いつどんなケースで提示を求められるかわからないので、パスポートも持ち歩いていた。
もし旅券を盗られていたら…

在イタリア日本国大使館で、あの谷査恵子女史を見かけたかもしれない。
自称「国母」のお付きからイタリア大使館に「栄転」、どんなイタリア生活を送っているのだろう?

外がやや明るくなってから宿を出る。
慎重にメトロ乗車。
テルミニ駅で高速列車へ。
危うく自動改札を逃すところだった。
チェックイン、出国。
搭乗時間直前まで搭乗ゲートは不明。

おや、空港内にラーメン屋まである。
いちばん安いので13ユーロか。
邦貨にして1500円ぐらいかな。
サンパウロどころではない高さだ。
我慢。

機内でとりあえず日本映画。
『スマホを落としただけなのに』、軽い感じのタッチがずんずんと重くなってくる。
自動車免許教習所の映画並みに、貴重な教訓を説いてくれる。
黒澤明の『野良犬』の本歌取りもあり。

『劇場版 コード・ブルー』、冒頭のこれまでのお話の切り貼りみたいなののテンポが気持ち悪かったが、本編にぐいぐい引き込まれていった。
周囲を気にしながらポケットから手ぬぐいを取り出して目頭をぬぐったり。
どうも機中では涙腺が緩くなるようだ。

やれやれサンパウロ到着。
シャトルバスとタクシーを乗り継いで帰宅。
タクシーのフロントガラスにヒビが入っている。
聞くと、今日マージナル幹線道路でトラックに石を跳ねられて、とのこと。
ささやかだが10レアイスよけいに支払い、少しだけど足しにしてねと伝える。


9月13日(金)の記 島原納豆の救い
ブラジルにて


イタリアとわがサンパウロの時差5時間というのもなかなかである。
未明にめざめてしまう。
そして、空腹。
イタ飯が10日も続けば…

わが腸内フローラが求めるもの。
お茶漬けに、漬け物。
そうとう年月の経ったインスタント味噌汁もいただく。
まだまだ物足らない。

冷蔵庫に島原納豆があったな。
これは西荻窪の駅前で買った。
納豆と銘打つものの、納豆菌とは無縁と言っていい。
いわゆる、もろみ味噌の系統。
これの由来を調べると、天草四郎まで登場、魔界転生だ。

これこれ。
これをなん匙かいただいて、だいぶ落ち着いた。

今日は安静にしつつ、読書と急ぎの連絡。
さあ明日はフェイジョアーダをつくるか。
材料買い出しと仕込み。


9月14日(土)の記 マイフェジョァ
ブラジルにて


さあ今日はフェイジョアーダをこさえよう。
昨晩から黒豆を水に浸けて、塩漬け牛肉の塩抜きをしている。

着火。
隠し味用の柑橘類も冷蔵庫の底にそこそこあった。

ゴハンはブラジル飯を炊かずに、残りの冷や飯を集めてニンニクとタマネギと炒めよう。
コーヴェ(ケール)を刻んで炒めて。
ヴィネガー締めの薬味も刻んで浸けて。

昼に夜にいただく。
なんともおいしい。

合間に読書とパソコン作業。
さあ次回訪日は近い。


9月15日(日)の記 アジの昼夜
ブラジルにて


鮮魚の買い出しに路上市へ。
まずスズキをすすめられる。
スズキは値がはる割に、身は小さい。
ついでサワラをすすめられる。
供して「サワラのお刺身?」と怪訝な顔をされたことがある。
スズキ、サワラとパスするとアジをすすめてきた。

アジにするか。
小ぶりなので、2尾おろしてもらう。
今日の昼は、子ども一人をのせて連れ合いの実家へ。
3枚におろしてもらったアジを刺身にして。
義母が具を追加したおでんとともにいただく。

こちらの義母からはすでに何度目かのリピートとなる話が多い。
今日はイタリアの話題を契機に、初耳の話がいくつか出てきた。

わが家に戻って一服。
さて、夕食は…
アジの中骨の肉をスプーンで削ぎ集めて、冷凍のミョウガも戻してナメロウにするが…
なぜかイマイチだ。

ナメロウのふるさと、千葉の漁民の方々はこの度の台風禍で大変な思いをされているという。
その苦みかもしれない。


9月16日(月)の記 出聖一週間前
ブラジルにて


さあ今日は一日断食だ。
家族のための食材の買い出し。

来週からの訪日のための諸々を手配。
スペイン行き、イタリア行きに比べれば勝手知ったる祖国訪問は格段にキラク。
そこに落とし穴がありそうだ、肝心なことのやり漏らしはないかな?

読みたい本、読むべき本はあまたあれど、時間と読書力が追いつかず。
ナメクジのあゆみ。


9月17日(火)の記 Pierre Vergerの日本
ブラジルにて


用足しにパウリスタ地区に出たついでに。
サンパウロ イメージと音の美術館:MISまで足を延ばす。
新人写真家たちの写真展に合わせて Pierre Vergerの写真展が開かれている。
https://www.instagram.com/p/B2i_2P1gshF/

この写真家を意識したのは、ブラジルのサルヴァドールの美術館が最初だったかと思う。
先月、メキシコを訪ねた時、国立人類学博物館で彼の写真展が開催されていた。
https://www.instagram.com/p/B2wNxHTA-ad/
なるほど、この博物館で展示されるのも合点。
彼は1930年代にメキシコの様々な少数民族の人たちの写真を撮っていた。
写真にたしなみのある人が見れば、これだけのクオリティの人物写真の撮り手が被写体の人とどれだけの信頼関係を築いているかが察せられるというもの。
それが難しそうな人たちを、これだけの量もとらえていることに舌を巻いた。

今日は、さらにたまげてしまった。
彼はそれを世界中でやっていたのだ。
そのなかに、日本もあったとは!
ベタ焼きをコマごとに切り離して貼り付けたなかに、日本と表記されたものがある。
自分の幼少時代や、亡母の若かりし頃かと見まがうような。

おや、これは
1934年、太平洋にてとある。
https://www.instagram.com/p/B2joAHIAlwz/
目録などから察するに、日本の漁港かもしれない。
 
この写真家はフランス生まれ、世界中をまわるなかでアフリカに傾倒した。
そしてその延長でブラジルのバイーアに魅せられ、ブラジルに帰化してしまった。
当然、日本でも写真集が出ているだろうし、彼の日本での足跡と被写体は日本語でたどれると思って検索するが…
日本語のものは、彼にちなんだブラジルの基金の旅行案内ぐらいしか見当たらなかった。


9月18日(水)の記 大学縦断
ブラジルにて


今日は僕が連れ合いの実家に泊まりに行くことになった。
一族の大刀自に夕餉をこさえて給仕する。

さあなににしよう。
ニジマスのオリーブオイル焼きにケッパー添えはどうだ。
(ここでケッパーにあたる言葉がなかなか出てこず、調べるとイタリアの食材とあるが、今回の巡伊ではお目にかからなかったな…)
グリーンピーズご飯をと想定するが、食材店を何軒も回っても生グリーンピースが見当たらない。
シメジご飯にするか…

さあ義母のところまでサンパウロ市をクルマで平日に通うのはひと仕事。
サンパウロの幹線にあたるピニェイロス川をどの橋で渡るか。
通常、通る橋は橋下の居住者の起こした火災の影響でいまだに交通制限の渋滞だ。
サンパウロ大学を突っ切るルートかな。
アプリもこれを提示。
平日、開放されている大学都市を一般車両も通れるのだ。
もちろん速度は出せないが、渋滞はまずない。
時おりピニェイロス川べりのカピヴァラの群れも拝むことができる。

やれやれのひと運転。
義母は日本からもらった「松たけ御飯の素」があるという。
今日は土鍋を持参したので、土鍋でこれを炊いてみる。
ニジマスのオリーブオイル焼きには合わないけれど、飯屋をやっているわけではないし。
モヤシのワサビ風味サラダを気に入ってもらう。
イタリア旅行と亡義父の話を持ち出すと、派生してまだまだ僕の聞いたことのないエピソードがいくつか出てきた。

この高層アパートの眼下にはファヴェーラ:スラムもあるのだが、平日の夜は静まり返っている。
NHK国際放送に少し付き合うが、相変わらず見ているだけで僕には不愉快になるキャスターが出てくる。
テキトーに切り上げて床につかせてもらう。


9月19日(木)の記 右膝が
ブラジルにて


サンパウロ市西部の連れ合いの実家で目覚め。
今日はわが車の乗り入れ制限のため、午前中は10時以降にならないと運転できない。
義母と朝食。
ここには豆乳メーカーがあるので、有機大豆でつくりたての豆乳をいただく。
アプリで交通状況をみるが、10時近くになってもなかなか渋滞が収まらないようだ。

10時過ぎても、予想所用時間は1分ぐらいしか縮まらず。
まだ熱い豆乳の残りをいただいて、いざ。
めたくちゃな渋滞というわけでもないが…

1時間ほどでわが家にたどり着く。
なんだか疲れた。
いまやオートマ車だが、右膝がへんだ。

やすみやすみ、パソコン作業。


9月20日(金)の記 セントロ再生
ブラジルにて


サンパウロのセントロ(旧市街)に住む友人から、最近セントロに面白い店が増えてきたと聞かされた。
彼に渡したいものもあり、ヘプブリカ駅で待ち合わせ。
面白くなってきたという一角を案内してもらう。

築半世紀どころではない古いビルが立ち並ぶ地区。
路上生活者、不法占拠者、麻薬関係者、難民移民、犯罪者、売春婦、といった人たちの領域のイメージがあったところ。
こっちのフツーの人なら立ち寄りたくない、と思う向きが多いだろう一帯だったが…

そうしたビルの下の店舗スペースを改装した店が並んでいる。
オルガニック、自然食品指向のこじゃれた店が多い。
食材店をのぞいた後、店内の鉢物ぜんぶ売り物です、と書かれたカフェに入る。
平日の午前中ながら、若い客でそこそこいっぱいだ。
座った場所の関係か、かなりの機械音が響いて友人の発言が聞き取れないのが玉に瑕。

今年、日本で訳あって訪ねた木場のあたりの材木店を改装した居心地のよいカフェを思い出す。

価値観を同じくする友人知人が日本などから訪ねてきたら、 この辺りを案内するのも悪くないかも。
森も面白いが、街も面白いな。
思いもよらないダイナミックな動きがあって。


9月21日(土)の記 マルチスクリーンを減らす
ブラジルにて


いざとなると、ついついおっくうで延ばし延ばしになっていた。
ローランドのビデオ編集機がおしゃかになり、使わなくなっていたスタンダードサイズのモニター三台。
ビデオ端子もあって最も高性能の一機は残して、接続は16ピンのみになる二台を担いで。
隣駅近くのパソコン機器屋に引き取ってもらう。

せいせいした…ようで、もとより平面の占有空間は狭いものだったので、ほとんど片付いた感がない。
そもそもごっつりしたローランドの編集機、もうどうしようもないのだがどうしようか。
荒れるに任せていたこの編集機周りを少しはどうにかしないと。


9月22日(日)の記 ぎれぎれの五目
ブラジルにて


今日は家人が帰宅の予定。
明日は僕が出家だ。

寿司飯でもこさえるか。
こさえてどうするか。
だいぶ以前に日本から担いできたチラシ寿司のもとがあった気がする。
あったあった、五目ちらしのもと。
賞味期限をだいぶ過ぎているが、ドンマイ。

なにか具を添えよう。
路上市でマグロを買ってきて「づけ」にしておく。
それに油揚げの煮つけ、炒り卵。
見逃していて熟れ過ぎのアボガド。
とりあえずこんなところで。
賞味期限切れは特に支障を感じず。

さあこっちの訪日準備、なにか漏らしていないかな?
勝手がわからずコトバも不安だったメキシコやイタリアに比べて安心しきっている…
油断はないか?
お仕事だ、もっと緊張しないと。


9月23日(月)の記 放課後状態
ブラジル→


いやはや自分でも情けない。
今晩のサンパウロ出家の直前にしてチョンボ続出。

大事な領収証が見当たらない。
結論:スーツケースのなかに「一時保管」していた。

スマホが見当たらない。
家人に電話をかけてもらうのを繰り返し、もう一個のスーツケースのなかの振動音を確認。

つくりなおしたDVDの枚数が足りな気味。
すでに出家が迫るなか、追加を焼き足す。

このドサクサのなか、家族の夕餉にカニ玉をこさえる。
冷凍庫に長らくあった泥カニの剥き身、そしてもらいものでふんだんな鶏卵の消費。

まあ、味にそうブレはなかったかな。
至らない自分を反省しながら空港へ向かう。


9月24日(火)の記 HA NA'S RESTAURANT
→エチオピア→


うーむ、エチオピア航空の機内映画。
新作には、そそるものが見当たらない。
そもそも映画の数が減ったか?

英語の解説に「OKINAWA」とある韓国映画らしいのがある。
『HA NA'S RESTAURANT』という全編沖縄ロケの韓国映画だった。

那覇からだいぶ遠そうな、海辺の村。
人生を思い詰めた韓国人の若い女性が偶然、立ち寄ったのは韓国人の女性がひとりで営む「ハナ食堂」というお店だった。
このふたりと、ぽつりぽつりと訪れる客や隣人らとの交流を描く。

いい味わいだ。
ラストの余韻もすごい。

のちにこの映画について検索してみると、なんと日本語で書かれたものが見当たらない。
何年か前、日本の航空会社の機内映画だったかと記憶するが…
やはり沖縄を舞台にした、韓国人の旅行エージェントの若い男性と島の女性との恋愛をめぐる喜劇タッチの映画を見た。
韓国と沖縄の交流、面白い。

韓国から日本を訪れる観光客が激減しているというが、沖縄はどうだろう。
僕は昨年、二度、沖縄を訪ねたが、とくに韓国を感じることがなかったかと。


9月25日(水)の記 ちょっとベリーズへ
→大韓民国→日本


エチオピア航空機は例によって韓国仁川でトランジット、いったん降機。
韓国人の空港スタッフの英語、韓国語、日本語のイントネーションが僕にはとても気持ちがいい。

さて、夜更けの成田に到着。
正直なところ、ここにいる日本人たちが気持ち悪い。
なぜだろう。

シャトルバスでまずは恵比寿へ。
タクシーに乗り継ぎ。
どちらから?と聞かれてブラジル、と応える。
と、カンクンには行ったことがある、とくるではないか。
聞くと、お嬢さんが青年協力隊でベリーズに行っていたので、とのこと。

ベリーズときたか。

さてさて日付が変わる前に目黒の実家に到着。
さあなにから手をつけようか。


9月26日(木)の記 ひとりでできるもん
日本にて


さあ早朝に祐天寺出家して、一気に諸々を…
ところが格安床屋の割引券など、見当たらないものがいくつか。
いったん家を出てからも、忘れ物。
うーん、仕切り直し。

目黒の格安理髪店では、耳掃除が「カット」された。
ついカッとはならないけれども。
渋谷に出て、スマホのSIMを手配。

これまでは購入店で交換と設定もお願いしていた。
2000yenプラス税だから、安くない。
メキシコもイタリアもタダでやってくれたけど。

レジのお姉さんが、いままでに同じメーカーのを使ったことがあるのなら、ご自分でも簡単にできる、はず、という。
作業に店のスペースを使っていいとのことで、やってみる。
マニュアルもあるのだが、アイフォンには対応していないので、以前にあきらめてしまったのだ。
そもそも指定のアドレスに飛べなかったり、苦戦。

おや、なんとかなってしまった。
2000有余円は大きい。
先ほどのレジのお姉さんを探して、できちゃった報告と御礼を伝える。

やれやれで、世田谷にお住いの画家の富山妙子さんのところに、まずはあいさつに。
ああ、また会えてよかった。
お疲れで調子が悪いとはおっしゃるが、話しているうちにエンジンがかかってくる感じ。

懸念していた望ましくない事態があり、訪日前に想定していたスケジュールがこける。
なんとか善処してみよう。


9月27日(金)の記 練馬ジェラシー
日本にて


今日は知人にご紹介いただいた石神井公園近くのカフェ「水曜日」という場所での午後と夜の連続上映会。
未知の場所で、主催してくれるオーナーとも面識がないので、やや緊張。
DVDプレイヤーからスピーカーまで僕が持参することになり、スマホのアプリによると駅から徒歩22分所用とのこと、なかなかである。

ほう、石神井公園の北側に沿って台地上を行くのだな。
目黒育ちの僕にはなじみのある地形だ。
ズバリ、縄文。

ああ、この森、この植生。
この地域ほんらいのあこがれの潜在植生の開花ではないか。
それがこんなに広く、開放されて。
なんともうらやましい。
わが故郷目黒のお隣の世田谷をしのぐのではないだろうか。

カフェ「水曜日」は庭の広い古民家だった。
常連さんらしき方々が集まるなか、僕はひとりでひたすら機材設置。
ブラジルに住んでいたという人がいろいろと話しかけ続けてくれるが、肝心な機材の配線と接続がうまくいかず、会話は上の空である。
さあどうしよう。

おや、接触不良だったのか、なんとかなった。
本日チョイスいただいたのは僕がアーチストをフォローした3作品。
興味深いコメントをいろいろいただく。
こういう場所だけに、集ってくださるのもユニークで思わぬことに造詣の深い方々ばかり。
練馬大根のスパゲティ給食の話を僕が持ち出すと、実際に給食スタッフとしてそれをつくっていたという人がいて驚いた。
大根おろしを煮るのだそうな。

面白かった。
訪日後二日目にして初上映、さあイヤオウもなくエンジンかかってきたかな。


9月28日(土)の記 いまどきの秋祭り
日本にて


午後、学芸大学平均律さんにて知人とカフェ。
それからお隣の世田谷区へ。
わがロケ地の近所の神社で今日明日と例祭がある。

19時から演芸会とのことで、事前に境内をのぞいてみよう。
そもそもお囃子も聞こ得てこない…。
境内は露店と舞台の準備、たむろする小学生ぐらい。
お囃子どころか、僕にはノイズでしかない洋風電子音楽が流されている。
ま、絵にはならない。

ロケ地のお宅を訪ねて、しばし談笑。
ふたたび神社を訪ねる。
人出は、そこそこ。
舞台では地元の若いお母さん方が並んで軽音楽の合唱。
音響効果がなってなく、なにを歌っているのかもわかりづらく、トークは地声レベルで聞こえない。
それで目くじらを立てる人もいない緩い雰囲気。
ビデオカメラをバッグに入れてあるが、取り出す幕はなさそうだ。

氏子の役員風の法被姿の老人が話しかけてきてくれたので、明日の段取りを聞いておく。


9月29日(日)の記 関東流れ者
日本にて


金曜日にお邪魔したカフェ「水曜日」に忘れ物をしてしまった。
早朝のおつとめのあと、おうかがいすることに。
今回は上石神井駅から歩く。
歩きごたえのあるコース。

荷物だけピックアップのつもりが、「お茶ぐらい・・・」に甘えて。
話が弾みすぎそうで、腰を上げる。
今度は石神井公園駅に向かう。

これから目指すは埼玉鴻巣。
JRの事故でダイヤが乱れているようだ。
鴻巣駅まで畏友の佐々木岳久さんが迎えに来てくれるという。
http://ts-works.jp/message.htm
鴻巣のギャラリーカフェ「ストーク」さんでの佐々木さんの個展。
うーむ、なるほど。
繰り返してみるごとに、味わいが増してくる。
佐々木さんの作品を語る言葉がまだ出ないのだが。
https://www.instagram.com/p/B3Aq-W8A5-p/

お店のサラダうどんを頼むと、麺は手打ちのきしめんではないか。
近所の製麺だそうで、このあたりでは「ひもかわ」と言うそうな。

さあ小田急線沿線での15時からの打合せに急行。
埼玉新聞の図書欄が面白い。

打ち合わせは、ディープに。
今日は近くの神社の山車神輿の宮帰りの撮影を考えていたが、断念。
でも、まにあってしまった。

そこそこいい感じで撮れたように思う。
このシーンが使える場所があるかどうか。
今日は17000歩以上、11キロ近く歩いてしまったぞ。


9月30日(月)の記 古藤の椅子
日本にて


日本では明日から消費税が上がる。
この国の市民はどうしてもっと声を上げて動かないのだろう。
渋谷に出て、近々購入することがわかっているものを買って回る。

江古田のギャラリー古藤へ。
来年1月に開催を決めてもらった特集上映の打合せ。
夢のような話の詰めに入る。

打合せのあとに、鍋をメインとした飲み会まで準備していただいた。
飲み会参加のメンバーが、50分早くやってきた。
お話の好きな方で、打合わせは尻の切れたトンボとなる。
それにしても尻切れトンボとは、すごいたとえだな。

僕の方は新たにお願いしたいゲストへの連絡と、プログラムの調整で談笑酩酊どころではなくなった。
それにしても無名の極楽トンボな僕の上映にビッグなゲスト陣が登壇を快諾してくれて、ありがたい限り。

どうぞお楽しみに。
鬼も微笑む来年1月。

昨晩、外で一人出てこず、スマホのお世話になったけれども。
さっそく再読開始。


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岡村淳 :  
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