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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2020年の日記  (最終更新日 : 2020/10/30)
3月の日記 総集編 栄光への脱出、あるいはさすらいの航海

3月の日記 総集編 栄光への脱出、あるいはさすらいの航海 (2020/03/16) 3月1日(日)の記 ヴェルメリョ川は見ていた
ブラジルにて


ホテルで朝食後、溝部さんのところへ。
よく休んでいた。

今日の昼のバスで出発予定。
徒歩圏のヴェルメリョ川まで行ってみることにした。
昨夕、そして一昨日も豪雨があり、水かさがぐんと増している。

レンガを溶かしたような赤褐色の水がミルクココアのような粘性をたたえて力強く流れていく。
日曜のせいか、ほとりで流れを見やる市民たちが少なくない。
竹竿をたらしている男たちもいる。
おう、ほとりにタケが生えているではないか。
下方は浸水。

もう30年以上前だ。
溝部さんの所有する船外機付きのボートで溝部さん、昨日ひさしぶりに再会したアドンとともにこの川を下って、岩絵遺跡を踏査した。

溝部さんは、眠り続けていた。
二泊三日の滞在で、話ができたのは初日の夕方のみだった。
手を握って、暇乞い。

バスターミナルにて。
1時間以上の遅れ。
マットグロッソの州都クイアバを起点とするバスだと思っていた。
到着したバスは、アリプアナからとある。

アリプアナ!
マットグロッソのまさしく奥地のはずだ。
故・豊臣靖ディレクターがインディオ・アリプアナ族を取材している。
数ある豊臣さんのアマゾン「裸族」モノのなかでは地味な作品で、よく内容を思い出せない。
豊臣さんの取材から40有余年を経て、アマゾン先住民の地はサンパウロと結ぶエグゼクチヴバスが通うようになった。
昼食タイムで降りてくる乗客には、先住民系の人は皆無のようだ。

やれやれ、とにかくバスは発車。
溝部さんに会えたという喜びより、もっと早く何度もうかがうべきだったという反省がまさる。


3月2日(月)の記 旅のおわりのはじまり
ブラジルにて


マットグロッソからの帰りの長距離バスは、行きとは違う会社。
こっちには電源がないではないか。
よく見ると、後方の片方の荷物棚に共用のコンセントがあったけど。

途中の食事休憩のサービスエリアで。
教養とは縁のなさそうな若い男が「あんた、ナニ人?」とぶしつけに聞いてくる。
「30年以上こっちに住んでいる日本人だよ」
「ウイルス持ちのの中国人じゃないのか?」
理詰めで通じる相手ではないのがわかる。

先月末からブラジルでも新型ウイルスの発病者が現われ始めた。
僕の把握している時点では、いずれもイタリア帰りの人だ。
昨日のロンドノポリスの教会のミサでも、教会のなにかの会員らしい老女から嫌悪のまなざしを浴びせられたと僕は思っている。
このあたりでは東洋系はまれで、見た目がわかりやすいので差別しやすい存在だ。

ちなみにサンパウロの薬局ではすでに品切れのマスクを今度の道中で探してみた。
いずれの薬局も品切れだった。
今回の旅でマスク着用の人はひとりも見ていないのだが。

バスは予定より2時間ほど遅れてサンパウロに到着。
さあ次回訪日まで秒読みだ。


3月2日(火)の記 東洋人街の洗礼
ブラジルにて


午前中は東洋人街にある日系医療センターの歯科へ。
ここではありえないトラブルが続いていて、とほほである。
今日も不安を残してセンターを去る。

東洋人街の脊髄であるガルボンブエノ通りに向かって歩道を下っていく。
歩道の傷みが、見事なほど。
日本から皇族が来るときだけごまかしているようだが。

ぐじょ!
足元の石が割れていて、それを踏み抜いた右足から膝までドブ色に汚濁した液体を浴びてしまった。
今朝、ズボンを替えたばかりなのに。
このあたりは路上生活者が横たわっていることが多い。
この液体は、彼らの排せつ物が中心ではなかろうか?
ニオイを嗅いで確かめるのも恐ろしい。

さすがにこの汚れではミュージアムやカフェへの寄り道をやめて直帰しよう。


3月4日(水)の記 サンパウロで村上隆をみるまで
ブラジルにて


所用があり、朝イチでサンパウロの日本国総領事館へ。
思ったより早く終わった。
今日はこの足で旅行エージェントでの支払いなどを済ませるつもり。

大衆相手のバールで一服。
エージェントとの約束時間まで調整。
小切手を持参するのを失念した。
エージェントに銀行のカードでのデビット払いでもいいかとメッセージを送る。
しばらくしてきた返答は、手数料5パーセント上乗せとのこと。
0.5ではない。
これはバカにならず、ばからしい。
後日、出直すことにする。

せっかく時間までつぶして…
トミエオオタケ文化センターに行こう。
そろそろ閉幕の村上隆展。
11時開場まで待機。
おう、無料か。
村上さんのひと通りの仕事を概観する展示。
数年前、六本木で公開された五百羅漢もある。

意味的には先日、訪問した高野山に近いだろう。
それでいて、これが高野山の寺にあることが想像しにくいのが面白い。

帰宅後、訪日に備えた映像編集作業。


3月5日(木)の記 サンパウロでJEE YOUNG LEEをみるまで
ブラジルにて


午後イチで、昨日は5パーセントの手数料追加と言われてビビッてやめた旅行エージェントへ。
経営者は日本人で、NHK国際放送漬け。
「ライブハウスって怖いんですってね」
みたいな。

日本にアート都市サンパウロの真新しい空気を届けたい。
FAROL SANTANDER という銀行のカルチャースペースへ。
JEE YOUNG LEEという韓国人のアートの展示があるようだ。
サンパウロ市中心街の旧サンパウロ銀行の摩天楼のなか。

ありゃー。
草間彌生さんをほうふつさせる空間アートだ。
遊園地のびっくりハウスみたいな部屋と、工事現場の標識を並び詰めたような空間。
スマホで自撮りを楽しむ向きの、今様なインスタレーション。

調べてみると、JEE YOUNG LEEはまだ若い女性のようだ。
漢字表記はわからずじまい。

同じビル内に「ごみアート」で知られるブラジル人のヴィック・ムニースの展示空間もあり。
展望台風アートにすっかりだまされるよろこび。


3月6日(金)の記 アロエわけ
ブラジルにて


わが高層アパートには、ベランダがない。
東側の窓際に鉢植えをいくつか置いているが、いまひとつ成長がおもわしくない。

そんななか、なぜかアロエがやたらに育つ。
本アロエとキダチアロエの二種があるのだが、どちらも狭い鉢のなかで株別れして図太く育っている。

友人が市場でアロエを買ってジュースにしているとのことで、株分けをして譲ることにした。
こちらの義母からも青汁にアロエを入れているとは聞いていた。

先のパラナ旅行で現地で絞ったオレンジジュースをたっぷりいただいてしまい、それを冷凍しておいた。
解凍して青汁をつくってみるか。
解凍したジュースにケール、ニンジン、リンゴなどとともにアロエも入れてみるが、いい感じ。

育ちすぎて困っていたアロエを、体に取り込めるなんて。
トゲトゲの部分もミキサーでばっちり。

新聞紙を拡げて植木鉢からアロエと土を抜き取って株分け。
アロエたちの、すっきりしたという気持ちがこっちにも伝わってくる思い。
ろくに手入れもしないで、ごめんなさい。


3月7日(土)の記 蔵書をどうしよう
ブラジルにて


ブラジル出発前日。
連れ合いの実家の収納スペースに預けっぱなしにしていたものを、どうにかせねばならなくなってきた。
ほとんどが、日本語の本。
かつてネタ探し用に購入していたブラジルの雑誌類はすべて処分しよう。

現在のわが家は、すでに書籍が飽和状態。
そこにまた本のヤマを持ち帰るとは…

サンパウロの日系団体が古書を募って古書市を開いて資金源にしている。
この団体を牛耳る輩から、僕の作品をあなどられて、僕に罵声を浴びせてきたこともある。
そんなところに愛した本は渡せない。
そのほかにもあたったが、五十歩百歩。

僕の蔵書を超える量の亡義父の蔵書を、縁ある日系移住地に寄贈するつもりと義弟から聞く。
僕もかかわりのあったところだ。
そのなかに僕の方の本も混ぜて持って行ってもらおう。


3月8日(日)の記 同志ハンムラビ
ブラジル→


出ブラジル当日となる。
近くのカトリック教会の日曜朝のミサ。
「平和のあいさつ」の見知らぬ近くの参加者とのハグや握手がなくてホッとする。
新型ウイルス問題がなくても、これは苦手である。

路上市で僕の留守中の食材として焼き魚用のアミキリ、そしてパインを買う。
近所にタイ料理屋がオープンした。
先日、わが子が選んだ料理は、運ばれてきてびっくり。
パインを半裁してくり抜き、そこにカレー味のチャーハンが盛り付けてあった。
チャーハンにはパインも混ざっている。
これがわるくない。

ブラジルで家族に供する最後の料理として昼につくってみることにした。
どのようにパインの果肉をくり抜くか。
うーん、包丁と大型のスプーンで。
そこそこの出来となった。

最近、空港の送迎を頼んでいたタクシードライバーの都合がわるいという。
さて。
家族が配車アプリで呼んでみることにした。
どんな車が来るのかわかりにくいし、配車アプリをめぐる犯罪も聞いている。
あまり気が進まないが、値段は格安。

わかりにくい乗用車が来た。
運転手は、ふだんはこの大通りの路上でサングラスを売っているという。
空港までの道をアプリで表示させている。
「空港は行ったことがある」と言う。
わざわざそれを言うとは、自分でも心もとないのだろう。

運転手の名前は「ハンムラビ」。
中東系?と聞くとそうではなく、ハンムラビは自分でつけた名前だという。
理由は「有名な法典」だから。

同志ハンムラビは僕でもハラハラする運転。
「あの車!危ないじゃないか!あんなことしちゃダメだよな?」
などと何度も僕に同意を求めてくる。
交通量の少ない日曜の午後でよかった。

今回は手荷物をひとつにした。
出国の荷物検査に長蛇の列。
マスク着用者を散見。


3月9日(月)の記 空のインディー
→アメリカ合衆国→


サンパウロからユナイテッド航空にて、ニューヨーク州ニューアーク空港トランジットで成田へ。
機内映画に『インディー・ジョーンズ』4本がある。
これをまとめてみるか。

第一作は僕が大学4年のとき。
奇跡の日本映像記録センター入社が決まった頃。
考古学徒からドキュメンタリー番組制作スタッフへの「変態」時期に鑑賞し、興奮。

うーむ、この程度だったか。
映像制作のインディー・ジョーンズにはなれなかったが、インディーズドキュメンタリー映画の製作はかなえている。

ニューアークでは、なぜか機械が僕のパスポートを読み取らない。
が、特に別室の取り調べもなし。
未明の到着で係官不足、列待ち時間長し。

ニューアークからの乗客はキャパの3分の一強か。
三人掛けの通路側を確保したが、窓側にチャイニーズ風のおばさん。
おばさんは席を替われと言う。
他に誰もいない三人掛けペースもあり、すでに身の回り品も座席ポケットに入れたりしているので、わざわざ僕が言いなりになることもなかろう。
拒否。

おばさんは今度はなぜか窓側から動かず、フライト中に咳き込み攻撃を開始するではないか。
マスクは座席上の荷物に入れてあるので、首に巻いていたカンボジア産のクロマーで顔面を覆って防ぐ。


3月10日(火)の記 成田の水際
→日本


午後の成田に到着。
機内アナウンスでは、特に新型ウイルスの流行について触れられることもなかった。

成田空港の防疫チェックも、素通り状態。
目につくのは「コンゴ民主主義共和国に滞在された方は…」といったお触れぐらい。
コンゴは、エボラ出血熱のことだろうか。
動画でエボラ出血熱を克服して喜び踊る医療スタッフたちの映像を見たばかり。

空港ビル内で恵比寿行きのバス待ち。
通常より人出は少なく、マスク着用が目につくが…
耳に入ってくる会話は、弛緩したものばかり。

目黒は祐天寺裏の実家に到着。
行きはよいよい、か。

落ち着いてから、近くのスーパー三和に買い出し。
米があって助かった。
噂通り、見事に納豆がなくなっている。
梅ダレ付きというのが残っていて、購入。


3月11日(水)の記 3.11 被爆と被曝 人のふり見て
日本にて


今年も3月11日を日本で過ごす。
そして去年と同じコースをまわる。

まずは世田谷在住の画家、富山妙子さんのお宅に。
新型ウイルス流行の折、ご高齢の方を訪ねるのに躊躇があるが、うかがうことにした。
お元気そうで、まずは安心。

ついで江古田のギャラリー古藤へ。
江古田映画祭開催中。
関係者の皆さんにあいさつ。
ここで知り合った監督の作品を見る。

京都大学の小出裕章先生にインタビューできるまでの苦労がつづられる。
小出先生のインタビューに字幕が出るが、僕の記憶では「被爆」が二回、「被曝」が一回。
確信的に使い分けているのだろうか?
監督に聞くと、ただのまちがいとのこと。

2011年に制作した自主映画で、あらたに福島原発問題に特化した映画祭での上映でも修正には及ばず、だったのか。
人のふり見て、我が振り直さねば。


3月12日(木)の記 教文館と佐々木松次郎
日本にて


打合せの帰りに銀座の教文館へ。
まずは2階で欲しかった新書を購入。
わが嗜好にかなった蝋紙のブックカバーもあり、購入。

お目当ては3階の展示コーナー。
信木美穂さんの「詩画集『ひまわりの丘 福島の子どもたちとともに』原画展」。
誌画集そのものを拝読していたが、原画の質感、ナマ感を味わう。

在廊中の信木さんとお話。
お互いの手法の相違点、共通点など。
この詩画集は、彼女が福島の子どもたちひとりひとりから聴いた話を作品としてまとめあげたもの。

信木さんは最近、聖画を描き始めていて、何点かを合わせて展示していた。
カトリックの信仰、聖人や天使などをモチーフとする。
わが師わが友のブラジルの佐々木治夫神父のご尊父・故佐々木松次郎画伯を思い出す。
知る人ぞ知る、松次郎画伯は和風聖画を描き続けていた。
なんとも味わいのある作品群。

その名に信木さんは聞き覚えがあるという。
調子よく話を合わせる人とも思えない。
ご自身のスマホの保存写真をくり、ビンゴ!と知る。

どこだったかの美術館で松次郎画伯のポストカードに出合って購入、部屋に飾っていつも見つめていたという。

アートの ちからを幾重にも再認識。


3月13日(金)の記 横浜クローズド
日本にて


今晩は横浜パラダイス会館での招待者限定の上映会。
通常より多い参加ご希望をいただいてしまった。

上映作品は、富山妙子さんシリーズの3本。
関係者以外に観てもらっていない作品もあり、こちらも緊張。

主催者をはじめ、どちらかというと辛口の方々ばかり。
それぞれにそこそこ面白がっていただけたようで、なにより。
主催の蔭山ヅルさんからは鋭く、そして拡がりのあるコメントをいただく。
富山さんシリーズをもっと見たい、という声がありがたく励みになる。

横浜パラダイス会館は初めて、という遠方からの人も複数。
この場と人を積極的に喜んでもらって、これもうれしい限り。

さあ明日は早朝から大阪へ向かう予定。


3月14日(土)の記 ハラボジ大阪に帰る
日本にて


朝の新幹線で新大阪へ。
品川駅も新幹線も大阪駅も若干すいている感はあるが、ガラガラとは程遠い。

鶴橋で待ち合わせ。
先方が緊急事態で遅れる由。
値段の張らないコリアン料理店でひとり焼き肉定食をいただく。
ほぼ満席。

近くに格好のカフェあり。
富山プロジェクトの翻訳担当の研究者と作業。
拙作の翻訳。
妙齢のうるわしい女性とイヤホンを片方ずつ分かち合うのは、微妙。
パソコン出しだと手間取るな。
僕が担いできたDVDポータブルデッキを取り出す。
作業はひと通り片付くが、お互いの富山愛を語り合えなかったのが心残り。

先回、お世話になった猪飼野セッパラム文庫へ。
『勝ち組老人』と『ブラジルのハラボジ』を上映。
ここはスピーカーがないので、今回は東京からスピーカーも担いできた。

『ブラジルのハラボジ』の主人公は朝鮮から10代の時に大阪へ出稼ぎに来ている。
大阪にお返しする思い。
上映後はそのまま懇親会。
安重根をめぐる話題など教わることは多い。
拙作とハラボジにまつわる話題は特にのぼらず。


3月15日(日)の記 蕎麦屋で泣く男
日本にて


午前中にいったん東京に戻る。
スピーカー、DVDデッキ等の荷物を置いて。

さっそく水戸に向かうが、これまた別の荷物がいろいろある。
まずは水戸駅から徒歩圏の宿で一服。

県内石岡で農業を営む女性が青年を乗せた車で迎えに来てくれた。
水戸岡村会のアジト、手打ちそば処にのまえさんへ。

今日は富山妙子さん関連作品の上映。
メインの『ラテンアメリカとの出会い』はラ米文学研究者の高際裕哉さんが主人公。
この高際さんと僕が初めてお会いしたのが、にのまえさんなのだ。

やはり拙作の上映会だった。
上映後にガタイのおおきなニューフェースの人が泣きはらしていた。
お互い何が上映されたのかは定かではない。
が、泣きはらしていただくほどの作品ではなかったような気がする。

この時の縁が異形に成長して、僕は旧知の富山さんと深入りすることになっていく。
今宵は富山さんが投げかけた「いのり」とはなにか、でディスカッション。

富山さんが描かれる異形の動物と、日本の妖怪の類似の指摘も。
僕が最近、ネット上で流布するアマビエを持ち出す。
これを知らない人もいて、店内でアマビエが一気に流行。

いただいたアンケートには計4体のアマビエが描かれていた。
感謝。


3月16日(月)の記 原点の色
日本にて


水戸の定宿。
未明に風邪の初期症状を感じる。
今日は神立のキッズ&スクールに寄って、畏友の櫻田さんと再会の予定だった。

うーむ。
こどもたちにウイルスをまき散らすわけにもいかない。
キャンセルさせてもらおう。

無料朝食を朝イチでいただき、チェックアウト10時ぎりぎりまで休む。
水戸駅に着くと、常磐線の事故で混乱中。
僕の予定していた上り列車も大幅な遅れ。

駅ビルの在地系らしいカフェに入る。
このカフェチェーンの出しているペーパーにブラジルの記事。
ありゃあ、ポルトガル語の基本的な間違い。

帰りの列車。
昨日、感じたことを再確認。
そもそも常磐線が茨城に入ってからの風景が好きだ。
縄文の残り香を伝えるような里山。
この時期、地面ももりはやしも、薄こげ茶いろにくすんでいる。
カーキ色?
調べてみると、英語で「土ぼこり」か。
プラモ少年時代の用語でいくと、米軍の制服や軍用車両に用いたオリーブドラブ。
ほう、これは黒と黄、ないし茶と緑を混ぜるのか。

ミリタリーや縄文嗜好ぬきに、この色が僕になじむ。
向井潤吉の絵が見たくなった。

東京直帰、目黒の実家で休む。
もう今日はオフで終日、休めるとしたためか、心身ともに休まる。


3月17日(火)の記 東京アルケオロジー
日本にて


午前、世田谷にお住まいの画家、富山妙子さんを訪問。
関西出張の件など報告。

昨朝は風邪が心配だったわが体調は、通常よりややかったるいぐらいのところ。
悪いというほどではない。
さんざん富山さんのお宅を訪問しておきながら、近くで踏破できていない場所もある。
この時期でもオープンしている世田谷区美術館に寄ってみるか。

「村井正誠 あそびのアトリエ」展開催中。
寡聞にして知らないアーチストであり、観覧料は1000円もとられる。
思い切るか。
ほう、世田谷で過ごした日本の抽象絵画のパイオニアか。
キリスト教をモチーフとした聖画のユニークさに舌を巻く。
館内は、監視員の方が多いくらい。
これは見ておいてよかった。

ミュージアム併設のレストランとカフェがある。
レストランのランチは観覧料の数倍、パス。
カフェの方でもランチがあるが、ごちゃごちゃしている。

思い切って目黒の実家まで歩いて、道中に飯屋を物色するか。
スマホのアプリとバス停を頼りに、気の向くままに実家の方向を目指す。
祠があればのぞいてみて、桜並木が見えればそちらに向かい、不可解な煙突があれば近くまで行ってみる…

それにしても稲荷社があちこちにあるものだ。
これに目が向くようになったのは、富山さんの影響。
そもそもなんでこんなにキツネがまつられているのか、意識する日本人も稀有のようだが。

桜新町駅付近の細道にぽつらぽつらと間隔を置いて赤鳥居が設けられている。
奇妙だ。
通ってみるか。
これは久富稲荷神社の参道で、250メートルに及ぶ参道がウリのようだ。
ほう、境内にはフクロウをまつる祠もあり。

神社を抜けて国道246沿いに歩くと、グラフィティ都市サンパウロを彷彿させるようなグラフィティもあり。
写真がなかなか難しい。
ここのところ、替えてから数か月のスマホのバッテリーの消耗が激しくなってきた。
徒歩計15000歩弱までで電源アウト。

学芸大学駅前にオープンした課題店を踏査。
その報告に古本遊戯流浪堂さんに寄る。


3月18日(水)の記 中部縦断
日本にて


早朝、祐天寺裏を出家。
まずは上越新幹線で長野駅へ。

ブラジルで出会った知人と待ち合わせ。
彼女が目星をつけていた徒歩圏の老舗のカフェへ。
店の雰囲気は悪くないが、テーブルに灰皿が置かれて、積年のタバコの煤塵が。
喉が、いがらっぽくなる。
げほげほ。
彼女との対話で、コロナ禍がらみの驚きに気づく。

ついで松本へ。
上映ではなく、平常モードの時にヤマベボッサさんのランチをいただきたかった。
https://twitter.com/yanakabossa
平常とはへだたりが生じたけれど。
玄米ランチは、盛り合わせの料理がどれも絶品。
いずれも色、食感、味ともにナイス。
よく考察されて、手間暇がかけられていることがわかる。
とくにゴボウのポタージュがすばらしかった。

オーナーの増田夫妻とまったりとよもやま話。
以前、ボッサさんの縁で上映会を開いてもらったブックカフェ「恋する虜」さん、そして当時、開店したばかりだという古書店「電線の鳥」さん https://toberunca.jimdofree.com/ にも寄るつもりだった。

と、「恋する虜」さんはすでに店をたたまれて、「電線の鳥」さんは松本市内は水曜定休の店が多く、ご多分に漏れなかった。
そのぶん、ボッサさんでまったりさせてもらって、松本駅まで歩くことに。
道中、アルケオロジストに気になる物件多し。
松本城の、なんと美しいこと。

当初、日帰りのつもりだったが明日の京都行の行程を考えて名古屋で一泊することにした。
実家では作業も始めてしまったため、きちんと休まるスペースもないし。
松本駅での事故でダイヤが乱れて、遅れて到着する名古屋行き特急がちょうどいい。

名古屋ではネットで市内、格安、天然温泉!、朝食付きという半信半疑のホテルを予約していた。
これが大当たりだった。
いい温泉だ。

夕食を食べに出る。
近くの地元名物だという、もつ煮込みうどん店へ。
客は僕だけ。
うーむ、やはり、もつは好きになれない。
日本酒も100円高いのを注文したが、口に合わず。

さあ宿でゆっくりしよう。


3月19日(木)の記 いなりにいのる
日本にて


深夜に覚醒。
ここのホテルの魅力は、天然温泉入湯が深夜でもオッケーなこと。
一昨日は未明に風邪の初期症状を感じた。
その後は回復したように自覚するが、さて入湯は to be, or not to be?
スマホでググってみると、湯冷め発汗に留意すれば、かえっていいようだ。

いざゆかん。
深夜零時で男女入れ替えで、地下の浴場へ。
うーむ、入れ替え前の浴場の方が格段によかった。
オフィーリアのように身を温泉にゆだねる。

ホテルの朝食はあっぱれだった。
愛知県ホテル朝食グランプリに輝いている由。
コロナウイルス問題のため、バイキング形式を中断して松花堂式の仕切りの盛り付けになっている。
松花堂は十字の仕切りの由だが、こっちは井の字の仕切り。

格安料金のもと、すべてが困難な状況でよくがんばっている感動モノの朝食だ。
名古屋人の心意気を見る思い。

さあ京都へ。
まずは伏見稲荷を目指す。
日本のお稲荷さんの総本宮だ。
コロナウイルスの非常時ながら、京都駅も奈良線内も最寄りの稲荷駅もそこそこの観光客の出。
平常時はさぞかしごった返しているのだろう。

いろいろな民族人種国民のさまざまなマスクが見ることができて面白い。
大学の卒業式か、袴姿の若い女性グループも。

拙作『狐とリハビリ』のタイトルを飾ることになった画家の富山妙子さんとの「なれそめ」の落とし前としてここを訪れた。
伏見稲荷は「千本鳥居」で知られるが、確かにここにくると鳥居群に圧倒されてキツネは埋もれがち。

そこそこ歩くが、稲荷山頂上まであと40分、と表示を見てここまでとする。
まだいくつも予定がある。
まずはJR円町駅へ。
昨年、引っ越した古本店カライモブックスさんを訪ねる。
これはスマホがないとむずかしいかも。
京都の街は歩いて楽しい。

ほう、達磨寺か。
寄り道もまた楽し。
あった、「古本」の看板。
まだ先か。
古民家を改造したお店に入ると、店主の奥田さんに異変。
つい先ほどぎっくり腰をおこしたという。
お連れ合いの直子さんに案内いただき、メインのドーム空間を拝見。
何冊かの本に呼ばれる。

蒲団に倒れ込む奥田さんと雑談。
寄ってきたばかりの達磨寺、それから思い出した黒澤明監督の脚本『達磨寺のドイツ人』の話を持ち出す。
するとなんと、この近くに山中貞雄監督の墓があるというではないか!
あの、『人情紙風船』の。
1938年、中国戦線にて若干28歳にして戦病死。
惜しんでも惜しみきれない。

墓所の寺には観光や史跡の標識も見当たらず。
山中監督の墓所の掲示も見当たらないが、なんとか探し当てる。
陸軍歩兵曹長。
合掌。

ついで、丸太町の待ち合わせのカフェへ。
日本映像記録センター時代の後輩に会う。
ネットで探したカフェだというが、バナナの樹の植わった古民家、ナイスチョイス。
彼は昨年、首都圏から故郷の京都に帰っていた。
うむ、話せば思わぬ話が。
アルコール抜きで。

締めは京都駅近くのイノダコーヒー。
かつてクルージングで出会ったアミーゴと。
常に日本脱出願望を語っていた京都で生まれ育ったアミーゴ。
いま、一気に暮れゆく京都を見届ける決心をしたようだ。

新幹線で帰京。
後輩の大久保ちゃんがバナナ古民家カフェ前でのツーショットをSNSにアップしている。
なんと、それにさっそく書き込みをした人は、僕が富山妙子さんの映像作品を越境させる件でお世話にならんと今日も連絡を取り合っていた人のお連れ合いではないか‼

奇跡のめぐり逢い。


3月20日(金)の記 春わかつとき
日本にて


さあ最大のミッションは東京の実家での画家・富山妙子さん関係のブツの撮りこみ作業。
なんとか日曜ぐらいまでにあげたい。

今日は夕方から日本のホームグラウンド、学芸大学での上映会あり。
コロナウイルス流行もあり、告知は控えめにしている。
「ぜひ」「お越しください」といった誘いの表現は通常も控えているが、さらにトーンダウンしておく。

これまでスピーカー、DVDデッキ等々を実家から徒歩にて担いで運んでいた。
国内旅行用のキャリングケースに入れて転がしていくという智恵に気づく。
ああ、だいぶ楽だ。

今日も準備開始の時間には流浪堂さんにボランティア協力者が集まってくれて、ありがたい限り。
今宵は2階の二部屋をつなげた広いスペース。
換気に留意して窓も開けて。

あれあれ、通常以上の人々が集まってくれる。
基本的に気ごころの知れた人ばかり。
明日は初めての場所でのダブルヘッダーの上映もあるし、わが家での撮影もある。
集会自粛の折でもあり、上映後恒例の懇親会は控えようと思っていたが…

さて今宵の上映のテーマは「自在なるアートの世界」。
大アマゾンの人面画遺跡、ブラジルの心霊画家、そして富山妙子さんの自作の絵解き。
われながらトンデモな組み合わせである。
この時局に拮抗するには、これぐらいかまさないと。

懇親会がないと収まらない面々が10人近く。
予約なしでこの人数、それでいてチェーン店は避けたい等、一筋縄ではいかない方も。
我ながら、いままでよくも上映と質疑応答のあとで懇親会場の手配までこなしていたものだ。
まず他の客たちのと接触の乏しいところを選ぼう。
駅地下の座敷のあるチェーン居酒屋へ。

今日は流浪堂の二見さんご夫妻で参加いただく。
帰路は谷戸前川流域まで、ご夫妻の新車で送ってもらいました。


3月21日(日)の記 代田でダブルヘッダー
日本にて


同じ沿線にお住まいの方の見舞いに寄ってから、世田谷代田駅下車。
はじめての上映場所に行く緊張。

その名は、空間工場。
行ってみると、築半世紀以上は経つだろう、町場の作業所といった感じ。
オーナーの児玉さん夫妻の気さくさには驚くばかり。

プログラム作りから念入りに取り組んでくれた主催者の中川さんと工場2階の会場で打合せ、機材チェック、暗幕貼り、等々。
中川さんのリクエストをもとに午後からの第一部、夕方からの第二部のダブルヘッダー。
中川さんがこれまでの上映で培ってきた人脈、そしてオカムラ系の人たちが半々ぐらい集まってくれた。
手ごたえのある質疑応答。

インターバルに階下に降りると、昨夕の上映にも来てくれた世間師・伊与さんがこの界隈はなかなか面白いという。
一緒に外に出ると、まさしくみどころたっぷり。
諸々の工房、こじゃれたカフェ、廃墟かと見まがう居酒屋。
チベット探検で知られる河口慧海の記念碑も近くにあるという。
うー、それは次回だな。

上映後は児玉さんがたっぷり時間をかけてくれた手料理を囲んで懇親会。
拙作をサカナに話は弾み、うれしい限り。
男性から持ち出すとヒンシュクを買いそうな大アマゾンの先住民ヤノマモの女体についての話題が女性から切り出される。
なるほど。
さっそく次回の上映を期待されるが、いつになるか。

近くで「軽くもう一杯」とおっしゃるセニョールを断り切れず、有志でもう一軒。
コロナウイルス禍のリアリティが乏しくなる近隣の飲み屋さんの賑わい。

さあ明日はこの時期にふさわしい実家で蟄居作業だ。


3月22日(日)の記 日曜蟄居
日本にて


ブラジル式だと、日曜から新しい週がはじまる。
向こう式にいえば今週、離日してブラジルに戻る予定。
さて、コロナウイルス問題。
世界情勢は刻刻と深刻化している。
帰路の経由地のアメリカの対応が心配だ。

いっぽう日本は三連休のフィナーレとか。
巣ごもり疲れ、ぽかぽか陽気、桜の開花などで各地でにぎやかな人手の由。
僕の方は本来の業務で今日は実家蟄居。
一昨日昨日と上映が続き、その疲れもあり。

他人様にはお見せできないようなお粗末質素原始的な方法で、富山妙子さん関連の二次元グッズの撮影作業。
これまで試行錯誤と失敗を繰り返してきた。
今日中に目鼻を付けないと。

夕方か夜には所用もあり、近くに外出を考えていた。
それは明日にまわすか。


3月23日(月)の記 彼岸のアパレシーダにて
日本にて


渋谷で頼まれものの買い出し。
夕方の井の頭線の混雑に驚く。

いとしの西荻窪APARECIDAさんへ。
今日も上映告知は控えめにしたが、間隔的にもちょうどいいぐらいの方々が現れてくれた。
画家の富山妙子さん関連作品上映とした。

あの311事件の時も僕は日本に滞在していた。
原発事故以前から予定していたアパレシーダでの上映会を、カンパ額は被災者救済方面にあててください、という趣旨で決行した時のことを思い出す。
あの頃のイベントは、放射能被曝、余震、停電等々のリスクがあった。
地方から上京して一人暮らしをしているという女性が、部屋で不安で仕方がなかった、こういう集いがあってよかった、と涙とともに語られたのを思い出す。

富山妙子さんは西暦1962年に船でブラジルを訪ねている。
そのとき、富山さんのお手伝いをして、富山さんが当時描かれた絵を大切に持っているという人が以前、このアパレシーダに現れて仰天した。

今日も意外な知人が来てくれた。
彼女の富山さんへの関心は、反原発活動に奔走した故水戸巌先生がもと、ときいてこれまたびっくり。

今宵のメイン上映作品は『富山妙子素描・ラテンアメリカとの出会い』。
そのなかでラテンアメリカ文学研究者の高際裕哉さんが、在メキシコの日本人歌手について名前をあげずに言及している。
そのミュージシャンのことを、上記の意外な知人も店主のWillieさんもご存じで、これも驚き。
なんとお店の書籍コーナーにその人の著書もあり、破格の値段で譲っていただく。

アパレシーダとはブラジルの守護聖母で「顕現」の意味だが、まことに不思議なことが多いお店だ。
これからの氷河期をともに乗り切りたいと願をかける。


3月24日(火)の記 砧の夜桜
日本にて


3月26日には東京オリンピックの火のリレーが日本の総理大臣立会いのもと、福島でスタートすることになっている。
それまでは日本出国、アメリカトランジットもかろうじて大丈夫だろうと、たかをくくっていた。
が、日増しにコロナウイルスをめぐる世界の情勢は厳しくなっている。

未明に、ブラジルに戻るわがフライトをユナイテッド航空のウエブサイトで調べてみる。
なんと、キャンセルされているではないか!
なんの知らせもないぞ!

ブラジルのエージェントの代表へのホットラインがあった。
それにコールしつつ、自分でも調べてみる。
27日の夜の成田発のユナイテッド航空ワシントン行きの便が、同日の朝、羽田を発つANAのシカゴ行きに振り替えられていた。
シカゴ以降はアメリカ国内で2度、乗り換えとなっていた。
とにかくアメリカでトランジットの入出国をさせてもらえれば、もうなんでもいい。
それにしても本来のフライトがキャンセルされた段階で連絡もないとは。

今日はあわただしい。
午前中になかなかサシで会えないでいた知人に、韓国のプロジェクトのこともあり、近くで会うことに。
それまでに富山さん関係のブツ撮りのリテイクを済ませて。
こういう時に限って、思わぬ人からのムゲには切りがたい電話等々が入る。
待ち合わせ時間をずらしてもらい。

いったん実家に戻って仕切り直し。
近年かかわっているプロジェクトのGHQに出頭。
折しも、僕も駄文を載せることになった富山妙子さんについての印刷物ができあがったばかりだった。
それを持てるだけ富山さんのもとにお届けするという栄誉に。

富山さんはお宅で休まれていた。
映画『沈黙』を鑑賞できるぐらいの時間、待機する。
印刷物に置手紙を添えて失礼しよう。

徒歩圏にある砧公園に行ってみよう。
ここの夜桜は、富山さんが自作のために取材したと本人から聞いている。
3連休中は日中のみならず、夜桜にもそこそこの人出だったという。

今晩は人影もまばら。
使えるかどうかわからないが、少し撮影。
さあどうやって帰ろう。
スマホのアプリを見ると、手ごろなバスを逃してしまっている。
途方に暮れていると、予定時刻より遅れた都立大学駅行きのバスがやってきた。
ヤッホー。

おや。
校名が変わって久しいはずなのに「都立大学付属高校前」などというバス停があるではないか。
大学名が復活するというようなニュースがあったが、高校名もリバイバルか?

今年7月開催予定の東京オリンピックは延期が決まったという。
日米鎖国の前に脱出できるだろうか?


3月25日(水)の記 学大フレンチコネクション
日本にて


日本脱出二日前。
コロナウイルスをめぐる世界情勢は刻々と悪化。

諸々の残務雑務。
午後から学芸大学へ。
明日は定休日の流浪堂さんにあいさつ。
取り置きしてもらっていた古書類をピックアップ。

ついで喫茶平均律さんへ。
一度はいただいてみたかった噂のフレンチトーストをオーダー。
テレビ番組で取り上げられてから、たいへんな人気となっていたという。
オーナーのえりささんによると、きわめてシンプルなレシピの由。
素朴に如(し)くはなし。
ブラジルに帰ったら、つくってみよう。

今日は客足もまばらで、えりささんとよもやま話ができる。
このお店に引き付けられる奇想天外な方々のサワリをうかがう。
客層はとても平均には収まらないのが楽しい。

午後8時、東京都知事が緊急記者会見。
目黒の実家にてラジオで聞く。
ひやひや。


3月26日(木)の記 栄光への脱出、あるいはさすらいの航海
日本にて


明日早朝、実家を出る予定。
この時期に親しいお年寄りを訪問するか否か、迷う。
思い切って、いとまごいに行くことにする。

距離を置いてのあいさつに留めるつもりが、ぜひお昼を一緒にと引き留められる。
話は尽きないが、離日準備を理由にそこそこに失礼する。

これにて今回のミッションは終了、と言いたいところだが、無事にブラジルに戻れるかどうか。
サンパウロは東京どころではない厳戒態勢に入っているようだ。


3月27日(金)の記 ANAの落とし穴
日本→アメリカ合衆国→


丑三つ時に起床。
日本脱出の最終準備。
ラジオでNHKのニュースを聞くと、何度か「安倍総理は」という主語が出てくるのだが、なんとも不自然。

午前5時台に出家。
幹線道路に面した薬局ではこの時間から何人かが列をつくっている。
高齢の男子とOL風女性らで、折り畳み椅子持参の人も。
マスク購入待ちか。

今回は訪日時にスーツケースをひとつにして正解だった。
出発空港が羽田、しかも午前中に替えられたた。
手段を検討して、東急で蒲田駅まで行って空港行きのバスとする。

ブラジルとの往復で、空港までタクシーや有料の特急列車などを使わなかったのははじめてかと。
7時過ぎにはANAの国際線カウンターに到着。
がらがら。
ブラジルの永住証を持参して、昨日付の在サンパウロ日本国総領事館からのブラジル入国可能を告げるメールもある。
しかし、チェックインを受け付けないのだ。
日本的ビューロクラシーそのもの。

けっきょく午前9時に開業するはずの在京ブラジル大使館にスタッフが電話で確認してからということに。
フライトは午前10時25分。
それまでの対応は喜劇的だった。
サンパウロは時差で12時間遅れているというのに、サンパウロ総領事館に電話をしているが通じないからダメ、まだブラジルは26日なのに27日付の確認が取れなければダメといった調子。

午前9時半過ぎ、ブラジル大使館に電話で確認が取れたという。
今日が土日祭日だったり、フライトが夜だったらアウトだった。
2時間半待たされて、僕はスターアライアンスのゴールドステータスなのだが、プレミアムエコノミーへのアップグレードもできない由。

まあ、飛行機に乗せてもらうだけでもありがたいと思えということか。
乗客は4割程度、日本人らしい人はあまりいない。
2月にはANAの機内でマスクが配られたが、そのサービスもなし。
まずはシカゴへ。

アメリカからのフライトは再度、変更された。
まずはシカゴからニューアークへ国内線で。
アメリカの入国審査は通常よりスムースなぐらい。
手荷物のX線検査があるが、検疫らしいものは見当たらない。

国内線乗り継ぎもスムースで、係官がニホンゴで愛嬌を振りまいてくるほど。
シカゴのユナイテッドのラウンジでは、ウエイターが個別に飲み物やスナックを運んでくれる。
フライトのキャンセルが続いているせいだろう、ニューアークまでのフライトは9割がた埋まっている。
ニューアークのラウンジは見事になにもない。
バーのカウンターにミネラルウオーターが2本だけ置かれていたので、1本いただく。

ニューアークでの搭乗時にブラジルの旅券がないのでカウンターに回される。
永住証をみせると英語で「アメリカのグリーンカードみたいなものですね?」と聞かれてオッケー。
いははや、まだ油断はできないがとりあえずここまで来たぞ。


3月28日(土)の記 洗骨と帰伯
→ブラジル


ユナイテッド航空機にてニューアークからサンパウロへ。
ANAより機内映画の日本映画も充実しているではないか。
『洗骨』という映画を観る。
沖縄の粟国島に伝わる洗骨葬にまつわる家族の話。
奥田瑛二扮する、妻を亡くして無力なダメおやじ像。
身につまされる。
人物像がどれもしっかりしている。
大島蓉子演じる沖縄のグランマのセリフには目を見張るものがある。
映像を止めて見直してメモに書き留める。
いい映画を観た。
この映画に出合えたので、今回の障害物レースも甲斐があったかも。

さあブラジル到着。
全員がチップ付きのブラジル旅券持参者の列に行くではないか。
ひとりブラジル居住者の列に…
入国審査では「ユナイテッド航空で?」とのみ聞かれて、あっけなく捺印。

防護服装備の係官からピストル型ライターみたいな体温計をオデコに向けられて「放免です」の一言。
アメリカでの乗り継ぎ乗り継ぎだったが、荷物も無事届いた。
はれてブラジル帰国。

知人の迎えの車で帰宅。
知人のビビリ具合が泣かせる。
市内の交通量は、クリスマス当日や元旦なみか。

家族ともブラジル式の抱擁は控える。


3月29日(日)の記 サンパウロのサバ
ブラジルにて


先週まで、この7月にオリンピックを開催するつもりだった東京をかろうじて脱出。
わがサンパウロ州は花見ボケの東京と異なり、都市封鎖が行われている。

市民の食生活を支える路上市は開催されるらしい。
至近の日曜の路上市、やっていた。
ありがたい。
通常の3分の2程度の出店。

売り子のマスク姿はまれだが、買い物客はマスクがちらほら。
3軒の魚屋、そしてオルガニック野菜屋は営まれていて、ヤッホー。
アジにサバ、ブロッコリーにパプリカ、パイナップル。
値段は僕が今月上旬にブラジルを去る前とさほど変わっていない。

昼はさっそく台所に立つ。
日本で買ってきた粉末寿司飯のもとを使って寿司飯をつくってみる。
よく新大阪駅のコンビニで買うようなサバ飯をこさえてみようか。
サバをおろしてほぐし、薄口しょうゆとみりんで味付けをしていためる。
炒り卵に紅ショウガ、あおさのり。

うむ、サバはおいしくできたが寿司飯がイマイチ。
自分で寿司酢を調合するべきだった。


3月30日(月)の記 非常時サンパウロの買い出しに想う
ブラジルにて


コロナウイルス禍により、サンパウロのわが家も家族4人とも自宅蟄居状態。
不要不急の外出をはばかるムードの強さは、東京の比ではない。

そんななか、食糧品の買い出しに出る。
わが家の近くは薬局が異常に集中している。
それらは通常の人ごみはないが、開店中。

至近の2軒の日本食材店のうち、後進の方は開いていた。
ありがたや。
ヤキソバの乾麺等を購入。
この店はいつもあまりひと気がなく、今日も同様。

道端の物売りは一切いなくなるが、路上生活者は相変わらず。
以前より多いかも。
日本と異なり、多くの人たちは日中も寝転んでいる。

一般市民には、どことなく緊張感が漂う。
ブラジルのコロナ禍については悲観的な見通しも目にしていた。

が、街を垣間見た印象として。
この町とこの国は、この災禍を乗り切れるのではないかと思う。
祖国日本が呑気すぎた。


3月31日(火)の記 サンパウロの縄文人
ブラジルにて


ブラジル入国時に誓約やお達しがあったわけではないが、自主的に2週間は経過観察自宅静養のつもり。
今日は一日断食もしよう。

わが家族は家庭内でそれぞれの仕事、作業がある。
とりあえず炊事と買い物は受け持とう。

午前中に食材の買い出し。
ふと、縄文時代の家族を想う。
一家のオヤジがひとり狩猟採集に出る。
雪に閉ざされて野外作業のできない冬ごもりの日に。

生涯、明けることもない氷河時代に生きた祖先を想えば、楽すぎて申し訳ない。



  


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岡村淳 :  
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