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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2020年の日記  (最終更新日 : 2020/11/22)
9月20日(日)の記 目黒慰廃園の記憶

9月20日(日)の記 目黒慰廃園の記憶 (2020/09/20) 目黒慰廃園の記憶
ブラジルにて


9月20日、彼岸の入り。
サンパウロは春分を迎える。
(後記:今年はうるう年のため、彼岸の入りは9月19日だったとのご教示をいただきました)
先週、写真を整理していてこの日にフェイスブックで紹介しようとはかる。
https://www.facebook.com/jun.okamura.733/posts/10222037957552989?notif_id=1600605622230617 ¬if_t=feedback_reaction_generic&ref=notif

わが故郷、目黒にあった私立のハンセン病療養施設・慰廃園の共同墓地。
慰廃園はわが母校・油面(あぶらめん)小学校の近くで、舞踏家の土方巽さんのお宅のあったあたりだ。
恥ずかしながら僕は慰廃園の存在も土方さんの活動拠点があったことも近年になって知った。

慰廃園の設立は西暦1894年。
アメリカの婦人宣教師が日本で女性のハンセン病患者に出会ったのに端を発するという。
この設立は、日本に公立の「らい」療養所が開かれるのより11年、早い。
当時の日本の「無らい県運動」に現在の日本の新型コロナウイルス対策に通じるものがうかがえるかもしれない。

慰廃園は第2次大戦中の1942年に閉園を余儀なくされた。
共同墓地は少し離れた、バス停「自然園下」の近くにある。
目黒区で行なった僕の上映講座に参加した人が教えてくれた。

バス停の先の高台に庚申塔や墓地があったのを想い出し、昨年10月に訪日した際に訪ねてみた。
見つかった。

ブラジルに移住するまではハンセン病問題とは無縁といってよかった。
その後、依頼を受けて日本の3か所の国立および私立の療養所を上映や撮影で訪ねている。
自分のルーツの血にこんな縁があるとは思いもよらなかった。

いまなら、慰廃園を知る人の証言を記録できるかもしれない。

  


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