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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2020年の日記  (最終更新日 : 2020/12/01)
11月の日記 総集編 グラフィティと映画と洞窟壁画

11月の日記 総集編 グラフィティと映画と洞窟壁画 (2020/11/01) 11月1日(日)の記 はつずーむ
ブラジルにて


ノヴェンバー・ステップスのはじまり。
14日に水戸で予定している上映会は、実施の半月前に満員御礼で予約を締め切った由。
その時のオンライントークに備えて、今日は上映会を主催してくれる写真家の柴田大輔さんとオンラインで打ち合わせ。

そのため、Zoom と呼ばれるアプリをダウンロードする要あり。
ひとりでやってみて行き詰まり、わが子のサポートをえて、なんとかやってみた。
今日もさっそく不具合があるが、こういうのは習うより慣れろ、だな。

オンラインのイベントは、日本国内どうしでもトラブル頻発の由。
こちらの電波状況が心配だが、今日は当地は日曜の午前中、本番は土曜の未明だ。
静まり返った時間帯なので、集合住宅での僕の大声が今度は心配。

当日は窓際にノートパソコンを移して臨もう。


11月2日(月)の記 死者の日の台所から
ブラジルにて


今日のブラジルは「死者の日」の休日。
ほんらい月曜は断食をするが、今日は家族がみな家にいる。
断食を一日ずらそう。

朝はコーヒーに全粒手づくりパン。
とは言っても僕が手づくりしたわけではなく、最近、路上で買っているもの。
昼は、きつねそば。
日本製の乾麺を東洋人街の華人スーパーで安く買えた。

夜は手づくり餃子。
これも皮は食材店で買ったもの。
20枚パックのメーカーの違うものをふたつ買った。


11月3日(火)の記 文化の非
ブラジルにて


日本のアミーゴからの提案のおかげで、試行錯誤はあったが動画の電送がなんとかできるようになった。
この勢いで、他に懸念していたことがだいぶ片付きそうだ。

さあ次なる動画編集の作業に入るか。
はからずも今日は、今年5月から三度目の延期となった日本のメイシネマ祭の第2日目が行われているはずだ。
これまでメイシネマ祭についてオンラインの告知や報告を精力的にされていた方が体調を崩された由。

僕自身、5年間にわたってメイシネマ祭の時期に訪日して、監督をはじめとするゲストのトークの撮影記録を続けてきた。
今年はメイシネマ祭30周年の節目だが、訪日にはあまりにも障害とリスクが大きく、参加を見合わせることになった。

訪日の見通しがつかないこともあり、メイシネマ祭'19の撮影記録の編集作業にも踏み込めないでいた。
いつまでもこうしているわけにはいかず、作業のためのパソコンの段取りをすすめた。
撮影素材の取り込みを開始。

ああ懐かしい顔、場所。

文化の日か。
文化の日に文化的なこと…
その由来は、新日本国憲法か…
いや、その前に明治天皇の誕生日か。
そこまで考えると、思いは複雑。

「あん」までこさえて、皮にくるむのはわが子ひとりに頼むことにした。
餃子づくりは久しぶり。
そもそも炊事はひとりでするのがもっぱらなので、うまく指示ができない。
本業の方もずっとひとり仕事だし。

親しくしている日本の映像作家がフェイスブックに披露していたエピソードを想い出す。
彼は師匠に「映画は集団でつくらないとダメだよ」と言われたという。
この師匠である記録映画監督とは僕も面識があるが、すでに「死者の日」で拝まれる方にまわっている。
言われた映像作家も僕と同様、ひとり仕事の傾向にある人。

この監督の言について、彼とメッセージのやりとりをした。
僕の考えは、「映画は集団でつくらなければダメ」というシバリは、かえって映画の持つ可能性をせばめてしまう、といったところ。
この監督は、単独志向のある教え子に師として、あるいは挑発としてこの言を投げかけたのではないか。

わが子に餃子をくるんで焼いてもらっているうちに、2品ほど料理を追加でこさえることができた。
餃子にどれぐらい片栗粉をまぶすか、油で焼いてからどのタイミングでどれぐらい水を足すかなど、なかなかむずかしい。
かつては「羽根」付けなどに挑んだが、そうした芸は省略。
そもそも僕の指示もあいまいで、わが子の言う通りの方がベターだったり。

日本のわが子供時代、亡母の台所仕事を手伝った覚えがほとんどない。
しばしば、そうしたことへの慚愧の想いに駆られている。
だがひょっとして母も自分ひとりでやってしまうことを好んだのかもしれないな、とふと思う。

餃子づくりに関してはこれからもわが子の応援を頼もう。


11月4日(水)の記 ネタは舞いおりた
ブラジルにて


まだ決定かどうかは定かではない。
12月に日本のさる研究機関からオンラインでの講演を依頼されている。

90分の枠となると、相当量のネタを仕込んでこねこねと発酵を繰り返さなければならない。

コロナ禍のブラジルで、というのがテーマだが、僕自身がパンデミックの最前線でなにか活動をしているわけでもない。
主夫にして巣ごもり謹慎中の身である。
他人様の取材したネタを我が物顔でしゃべるような芸当もできない。

さあどうするか、折に触れて考えては浮かんだネタを書き留めてきた。

今日は久しぶりに分別した新聞記事のチェック作業を少し。
おお、これはいける、つかえるというのが複数あるぞ。
自分の見聞見解とあわせて展開できるネタだ。

さあエンターティナーとしての力量が問われる。
まずは今月14日のオンライントークだ。
新たな境地で新たな手法にチャレンジするつもり。


11月5日(木)の記 グラフィティと映画と洞窟壁画
ブラジルにて


早朝、メトロでパライゾ駅へ。
カトリック教会の平日の朝のミサで、お世話になった人の没後七日の祈念をしてもらう。
ミサ中、聖堂内に雨音が響くほどの豪雨となった。

終了後は歩けないほどのことはない小降りとなった。
結局、わが家まで5駅歩く。

運動もあるが、未知のグラフィティ採集の狙いの方が大きい。
あるわあるわ。
お。
今日のスナップはこれにしよう。
https://www.instagram.com/p/CHNligUnouF/

こうきたか。
チャップリンの映画『街の灯』だ。
この映画の製作は西暦1931年、いわゆる満州事変勃発の年。

グラフィティとシネマのつながりにはじめて気づかせてもらった。
そしてシャッターと白黒映画のシーンの親和性に驚く。
映画のカメラだってシャッターは必須。
おっと、肝心のグラフィティへの言及を抜かしてはならない。

映画が、人類のヴィジュアルアートの初源にして最高峰ともいえる洞窟壁画の再現でもありうることが指摘されている。
グラフィティはもっとわかりやすく洞窟壁画→先史岩面画の末裔であり、今様である。

これまでこの三つをふたつずつ比較考察していたが、三位一体でとらえるとまさしく立体的に浮かんでくるものがありそうだ。
映画に思春期に溺れ、ブラジル移住とともに岩絵フリークとなり、林棲期はグラフィティ三昧、か。

さあ今日は1万1千歩以上、歩いた。


11月6日(金)の記 ODEN E PROGRESSO
ブラジルにて


夕食は、なんにしよう?
前夜から考えることもある。

家族の予定や前後の献立とのバランス。
さらに気候や冷蔵庫の残りもの状況等々をかんがみて。
総合的な見地からの決断だ。

肉じゃがに使ったコンニャクの残りがある。
刺身にするか、味噌おでんか…

ふむ、オデンそのものにするか。
片道約2000歩の青果買い出しのついでに、ブラジル製のオデン種を買う。
チクワ、ナルト、ボール、厚揚げ豆腐、シメジ…
うわ、70レイアス(約1400円)を超える。

さらにホウレンソウ、ひと口大のジャガイモ。
わが家にある有精卵、大根も加えて。

なぜかご飯が水っぽくなった。
新米を買ったのだが、水の分量をやや少なめにしたもののもっと減らしてもよかったかな。

これは新宿のおでん屋で教わったと記憶するが、最後におでんの汁をご飯にかけていただくのがまたよろしい。


11月7日(土)の記 イタリア協奏曲
ブラジルにて


去年の今日は、どうしてたっけ?
訪日中だったかな?
昨年のウエブ日記を開いて…
「死者の日」の直後にサンパウロからスペシャリストを連れて佐々木神父のところを訪ねていたのだった。
そして7日はサンパウロのコリアンレストランに家族で行っていた。

日本が7日になるともに、おもにフェイスブックで続々と誕生祝のメッセージが入ってくる。
昨年も書いていたが、こういうのは個別に返信しないと気が済まない性分。

フェイスブックはその日の誕生日の「友達」のことを機械的に知らせてくるので、「機械的に」お祝いのメッセージを送っている人も少なくなさそうだ。
わが「友達」の数をチェックすると、すでに1000人を超えているではないか。
お祝いのメッセージをいただいたものの、名前と「おめでとう」の文だけではどこの誰かもわからない人も少なくない。
誰かもわからないと「心を込めた」返信もできないので、その人のプロフィールをたどっていく、というのはソコソコの手間である。

今日は土曜日で、天気もよろしい。
昼に隣駅のブラジル東北料理屋に家族で行くつもりだった。
通風もスペースもばっちりだ。

ところが深夜にSNSでこのあたりの地区のよろずページから送られてきた家族経営のイタリアンというのが気になる。
思い切ってこちらにしてみるが、これはいい店だった。
家族経営どころか、まことに広々として衛生対策もしっかりしている。
ワインを頼んでからありつくまでに20分近くかかったのがタマに瑕。


11月8日(日)の記 虫こぶのワルツ
ブラジルにて


「積ん読」蔵書のなかから『虫こぶハンドブック』(文一総合出版)を発掘して読了。
本体価格1200円。
2011年発行の第4刷だが、どこで買ったかは覚えていない。
「ふつうの」本屋ではなかったと記憶する。

昨今は「きのこ」から「粘菌」「ツノゼミ」なども美しくアート領域に達する写真をちりばめた図鑑が少なくない。
いっぽうこの「虫こぶ」は昔ながらの地味な図鑑写真ばかりで、かえって味わいもある。

「虫こぶ」とは植物の主に葉の部分に昆虫や菌などが寄生してコブ状に変形させたもの、というのがなにも見ないで書いてみた僕の定義。
このハンドブックではわからないが、さらに調べてみるとまことに面白い。

寄生されて変形させられる植物の方にメリットがあるかどうかは不明。
いちばん虫こぶを利用している生物はヒトのようだ。
皮なめしや江戸期の女性のお歯黒、マタタビ酒…

昆虫に限っていえば、まずある植物に卵を産み付けられて孵化、ある段階まで成長してから虫こぶを「脱出」、まったく別種の植物に移動してその後を過ごす種もあるようだ。
虫こぶの存在は、そのままその生態系のゆたかさを現わしているといっていいだろう。
探検昆虫学者の西田賢司さんは「虫がつくった究極の芸術作品」と称している。

ブラジルの大西洋海岸森林の小径を逍遥すると、ツノゼミよりずっと簡単にみられた覚えがあるが、その頃の僕はまだ虫こぶに「開眼」していなかった。
ポルトガル語では galha か。

ああ、森を歩きたい。


11月9日(月)の記 コーヒーにわく
ブラジルにて


僕自身はコーヒーがないとダメということもない。
紅茶、緑茶、マテ茶…、いずれもよろしい。
週に何度かは家族用に薬草ブレンド茶をこさえている。

いっぽう朝はコーヒー!
という家族もいるのでほぼ毎朝、コーヒーをドリップしている。
さあその、コーヒー殻というかカスをどうするか。
こういうのが簡単に捨てられなくて。

ニオイ取りにいいとのことで、紙フィルターごと冷蔵庫やトイレに置くようにした。
トイレのアンモニア臭の除去によいとのことで…
ところがトイレに置いたものは数日ぐらいでカビが生えてきた。

コーヒー殻はほぼ毎日、出るのでローテーションで古いのはゴミ箱へ。
さて、先日。
トイレに置いたものをのぞいてみると、小さなウジ虫がうじょうじょわいているではないか。
虫よけに置いたものに虫がわく、といった図だ。

家族に言うと大騒ぎになりそうだから、黙って処理。
しかしよりによってコーヒー殻オンリーの場所に…

最近、小アリがわが家のあちこちに出てくるようになった。
パソコンにたかるとの苦情も家族から。
かつてブラジル奥地の取材で、ひと晩で充電器内部に小アリが群がって営巣していたこともあった。
アリをナメてはいけない。

調べてみると、コーヒー殻はアリを忌避させるのにも有効、とある。
アリのフェロモンを攪乱させるとの説明に納得。
僕の根本的な間違いは、コーヒー殻を乾燥させなかったことだと気づく。
さっそく窓際に新聞紙を敷いて、湿ったコーヒー殻を乾燥させにかかる。

冷蔵庫のものはよしとして、トイレに置いてあったものには小バエの成虫がたかっていた。
さあこれはどうしようか。
コバエの生態観察にはもってこいだが、家族の目があるし。


11月10日(火)の記 ヤセイカンラン
ブラジルにて


夕食のメインはアンショーヴァと呼ばれる魚の味噌漬け。
これを鉄板で焼く。
ついでに野菜も焼こう。

通常はこちらでコウヴェ、日本でケールと呼ばれる野菜を合わせて焼いている。
今日は日曜に買ったミズナがたっぷりあるので、ミズナを焼いてみるか。

日曜の路上市の八百屋でミズナを見つけた。
葉厚で色が濃く、セロリかと思った。
「COUVE MIZUNA」と書かれている。
日系農家が栽培したのだろう。

これをケールに分類するのかよ。

これがなかなか奥が深い。
ケールとキャベツが同種の植物とは知っていたが…

ブラジルでケールと呼ばれる野菜の学名は、Brassica oleracea。
和名は、ヤセイカンランとな。
ケール、カリフラワー、キャベツ、ブロッコリー等々、すべて同じ種の植物だ。
遺伝子組み換えでないヒトの品種改良がこれだけのヴァリエーションを生み出した。

さて、ミズナはだいぶ系統が違うんじゃねえの?
と思って調べてみた。
なんと属までケールと同じではないか。

路上市でミズナを見つけたのは初めてだ。
そもそも東京人の僕はブラジル移住以前にはミズナ:京菜に接することもまれだった。
ところがブラジル生まれの家人に見せても、珍しがらない。

こちらがボケてきたのだが、思えば亡義父の所有する無農薬農園でミズナをつくっていたのだった。
http://www.100nen.com.br/ja/tsuzuki/index.cfm?j=1

さて冷蔵庫にケールも残っていたので、ミズナを鉄板に入れた後で何葉か足してみた。
焼き上がりでは、ミズナはケールに紛れてしまっている感じ。

まだだいぶ残っている。
漬け物にしてみるか。


11月11日(水)の記 シバタのバタバタ
ブラジルにて


数週間前もこんなことがあった。
日本のふたりのシバタさんと密なやり取り。

今日もふたたび…
片方は僕の東京の実家のご近所の柴田靖子さん。
著書に『ビバ!インクルージョン 私が療育・特別支援教育の伝道師にならなかったワケ』(現代書館)がある。
こちらの柴田さんには拙作について鋭いコメントを常日頃からいただいて、映像技術についてのアドバイスも賜っている。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000051/20191229014256.cfm?j=1

もうひとりの柴田大輔さんは、13日からの写真展の準備でまさしくバタバタである。
https://www.facebook.com/search/top?q=%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%A4%A7%E8%BC%94%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%B1%95%E3%80%8E%E5%9C%9F%E3%81%A8%E5%A5%8F%E3%81%A7%E3%82%8B%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%80%8F

すでに予約満席となっているが、14日には会場で拙作上映があり、その前後にオンラインでブラジルからトークを行なう予定。
上映される茨城を舞台にした拙作について、そして柴田さんの写真についての話をするつもり。
夜、ネタを書き出してみて、参考資料を発掘しておく。
まあ、なんとかいけそうだ。

いっぽう日本のコロナウイルスの流行は「猛烈な」勢いに入りそうだ。
みなさんどうぞ、ご無理なく慎重な行動をお願いします。

あ、そうだ、もうひとり旧姓柴田さんにもギガファイル便をお送りしないと。


11月12日(木)の記 BORI CAFE
ブラジルにて


「麦も涙する。」
光州事件を訴える富山妙子の作品群より。

昼に友人夫妻と東洋人街で会食することになった。
お互い、渡したい資料があるのだがパンデミックにより、ずっと機会を逸していた。

場所も時間もお任せして、東洋人街の中華料理屋で待ち合わせることになった。
ところがそのお店がお休みで、そのあたりを歩いて回る。
そもそも開いている店がこんなに少ないとは。
東洋人街では数少ない韓国料理店が開いていた。
アンニョンハシムニカ。

夫妻それぞれと話が弾む。
まずはガラガラヘビについて。

今日は先方は車であり、こちらも今晩からオンラインイベントが続く。
ぐっとアルコールをこらえる。
帰り際、レジにBORI CAFEと書かれたチラシがあるのに気づいた。

待ち合わせ場所までメトロのサンジョアキン駅から歩いてきて、この名前の小さなカフェが目についた。
東洋系の若い人がひとり店内にいた。
レストランのカウンターのコリアンのおばちゃんに、このカフェもコリアンの経営かとポルトガル語で聞いてみる。
Sim(はい)、とのこと。

帰りにこのカフェに寄ってみた。
パンデミック以来、家族以外との外食もカフェに立ち寄るのも今日は初めて。
このカフェは店側ひとりに客僕ひとり、しかも吹きっさらしでウイルス感染の可能性は極めて低いと見た。

まずメニューを見てBORI茶というのを頼んでみる。
それからBORIとは麦のことだと教わる。

お店の若い人はブラジルで生まれたコリアン二世だった。
彼女の親が子供だった頃、朝鮮戦争に従軍した祖父が子供を連れてブラジルに移住したという。

こちら時間の今日の夜から始まる予定の40年前に起こった韓国の光州事件と画家・富山妙子をめぐる日韓のオンラインシンポジウムについて話す。
どこまでわかってもらえたかどうか。

勘定となり、釣りの小銭がないので階上からとってくるという。
いいよ、とっておいてというが、それはだめ!と制される。

お釣りをもらい、いいお店だ、また来るよとポルトガル語で伝える。
彼女は「カンサハムニダ」と深く腰から頭まで下げた。
こんなに深々とした礼のしぐさを、実生活では久しく見た記憶がない。

彼女はナチスの強制収容所に連行された女性のように髪を刈り上げて、手のひらには爬虫類のタトゥーがあった。
人を見かけで判断してはならないと改めて教わる。

そもそも麦でつくったコーヒーというのがあったな。
ひょっとしてこのカフェには麦コーヒーがあるのかな。
なにか口実をつくって、また東洋人街に行こう。


11月13日(金)の記 徹夜明けに徹夜に備える
ブラジルにて


サンパウロ時間で昨晩11時から今朝6時まで。
韓国光州と日本各地を結ぶオンラインシンポジウムをYouTubeで視聴。
韓国の光州事件40周年を記念しての、この事件をアートとして世界に訴えた富山妙子さんの画業についてのシンポジウムだ。

本来は今年5月に予定され、僕も参加を考えていた。
パンデミック問題で、けっきょくこのような形となった。
御大・富山さんをはじめ、旧知の先生がた、お仲間たちのオンラインの発言を聞く。
そもそも事前に告知されていたアドレスがNGだったり、途中でフリーズになったり。
オンラインイベントにはトラブルがつきものと学ぶ。

こちらは映るわけではないので、いいかげんな格好で視聴していてもよく、気が楽だ。
それにしても「ほぼ完徹」に挑むのは久方ぶり。
途中、何度かウトウト。

終了後、こちらは夜が明けている。
さあ少し床に就かせてもらおう。

今晩からわが初オンラインイベントだ。
拙宅内にオンライン用の仮スタジオを設定。
おのおのがた、討入りでござる。


11月14日(土)の記 丑三つ時のオンライン
ブラジルにて


昨夜のオンラインテストのあとでいったん横になり、午前1時半起床。
2時からオンライン再開の予定。

こっちの画面に映るものの調整。
トーク中にお見せするグッズの準備。
トーク内容のネタをチェック。

日本側の会場の水戸のギャラリーカフェMINERVAさんで買った豆本ストラップの未使用保存版があったのを想い出す。
あったあった。

2時半過ぎにまずは会場に向けてあいさつ。
これは配線の都合で柴田大輔さんのノートパソコンで会場にお見せするとのこと。
最初に拙作の上映。
こっちもZoomで視聴かと思いきや、配線の都合でこの間は映像音声ともこっちには送られずとなった。
やれやれ。
なぜか2本目の終盤になってから音声のみ届く。

さて、休憩に引き続き本番トーク。
まずは上映してもらった2作品について。
ついで会場で開催中の柴田大輔さんの写真展の写真について。
「ブルース」の語源となったブルーという色、そして「昼寝」から読み解いてみる。

会場からの質問、感想を受けての補足。

やれやれ、特にこれといった事故もなく初ライブトーク終了。
さっそくオンラインでの反応が届く。

自分としては、及第点かな。
「人のふり」をいくつか見ておいた甲斐あり。

徹夜状態が二日続いた。
が、興奮状態が続いて眠れそうもない。
アルコールの力を借りるか。

BACARDIアップル風味に氷とトニックウオーターを注いでひとり夜明けに乾杯。


11月15日(日)の記 師走になれば彼女は
ブラジルにて


今日のブラジルは総選挙。
日曜の路上市もなし。

その他の日曜朝のお勤め。
車での外出先で「ついでの」グラフィティ探しで手こずるが…
思わぬ収穫あり。
採集狩猟民の喜び。

さて、昨日の水戸へのオンライントークも終了。
動画の編集作業以外には、12月10日のオンライン講演に備えなければ。

それなりにむずかしいテーマを引き受けてしまった。
話に、どうオチをつけるか、どう結ぶか。

ここにきて絶妙のネタをゲット。

もとの資料をよく読みこんで練り練りして醸さないと。


11月16日(月)の記 動画をハシゴ
ブラジルにて


さあ新たな週日のはじまりだ。
一日断食とともに、懸念事項をいっきに手掛ける。
土日は控えた昨年のメイシネマ祭の記録映像の編集も再開。

日本の知人がアップしていた動画を昨晩、最初の方だけ見ていた。
1時間越えのものは、ある程度の覚悟がいる。
まずはこれを見ちゃうか。
はじめから…

https://www.youtube.com/watch?v=yomEfKGKWeA&feature=youtu.be&fbclid=IwAR1MhkGE7WoM4Xw_fwWnZgRZsIO7hFvy1B3tzV7d9RCondQWbe2K_X0j7u0
江戸時代初期の殉教者・ペトロ岐部が神父となって400年の記念講演。
僕はペトロ岐部のことを学兄・古城泰さんの縁で知った。
こんなに強靭な日本人が存在したとは。
日本の総理大臣や閣僚ら、そしてカトリック教会に絶望した時に、格好の香辛料かと。

もうひとつ、知人のフェイスブックでメキシコとフリーダ・カーロがらみのこんな動画を知る。
https://www.waseda.jp/culture/news/2020/11/16/11668/?fbclid=IwAR3IYz1hAgqPNJh2SD_itChDUknyYkekaOFzWrOp0j49CYWYdvX6_-Dk_nI
ベルリン在住の多和田葉子さんと高瀬アキさんのパフォーマンス。
気になる。
1時間弱か。
自分の作業の参考にもなりそうで視聴。
日本語圏から遠く離れたところでの日本人女性二人の日本語と音のやりとり。
そしてフリーダを想う。
なにか、応用が効くかな。

今日は夕食の支度免除。
自分の動画の編集の方も、時間を忘れてすすむ。


11月17日(火)の記 生きろ
ブラジルにて


在日本のアミーゴ、Funiさんのフェイスブックの投稿にぶったまげる。
細い電柱に「生きろ」と「落書き」されている。

言葉が追い付かない。
彼にメッセージを送って教えてもらう。

ブラジルでは絵画系の「落書き」をグラフィチと呼び、文字系のものをピシャソンと呼ぶ。
このポルトガル語の「ピシャソン」の語が欧米でもそのまま使用されているようだ。

Wikiをみてもピシャソンについて様々な言語のページがあるが、日本語がないのが今の、そしてこれからの世界情勢を反映しているようで面白い。

ラッパーとしても知られるフニさんにこういうのを日本ではなんと呼ぶのか、尋ねてみた。
タギング、ではないかとのこと。
タグ付けか。

「世界的」な「落書き」アートの「世界」では、日本は場末の後進国と思っていた。
しかし僕のなかでは、このひと書きで一気にトップに躍り出た。

落書の、アートの、いやさ表現の根源を教えてもらう思いだ。
場所は川崎の由。

さて、こちらはいつ雨が来てもおかしくなさそうな塩梅。
今日は断食明け、さらに徹夜続きの疲れがまだ抜けていないようで、遠出をする気力に乏しい。
今日のグラフィティ採集は、買い物のついでに近くでこれまでスルーしていたものをスナップすることにする。

昨日、スナップしたグラフィティに添えられていた落款の名前を検索してみてビックリ。
https://www.instagram.com/p/CHn5Pn-nLoJ/
デジャヴのある絵だとは感じていたが。
これだけの思想と祈りが込められていたとは。

グラフィティの狩猟採集、ますます抜けられなくなりそうだ。


11月18日(水)の記 本のソムリエ
ブラジルにて


今後のトークのために、AILTON KRENAK の新著が欲しい。
AILTONはブラジルの先住民のオピニオンリーダー。
ブラジル式の言い方なら、アミーゴと称していい関係だろう。

先週、遠征した際に見つけた品ぞろえのしっかりしていそうな書店に行ってみることにする。
高級高層住宅街の一角。

先回、のぞいたあとでチェーン店だと知るが、チェーン店っぽさがないのがいい。
スマホの天気予報だと昼前から雨の確率が高い。
ま、だいじょうぶだろう。

行きはメトロの乗り継ぎで。
駅から、しばらく歩く。

カウンターで老女が自分の移住暦かなにかを延々と店のスタッフに話している。
その後に大型犬を連れた奥様が待機。
店内で排便の恐れはないのかな。
人間には、書店に入ると便意を催す人が少なくないようだけど。

こりゃあ長引きそうだ。
まず、ひと通り「自助」で店内を物色。
あらためてカウンターに近づくと、ふたりの女性スタッフのひとりがさすがに老女の話の聞き役から離れて「なにかお探しですか?」と尋ねてくれる。
AILTONの本の新聞の書評記事を見せると、合点がいったようだがパソコンで検索し始めた。

「小さい本でしたよね?」と言って店頭あたりを探し始める。
僕は書評を見ただけで、大きさはわからない。
お、見つけてくれた。
確かに小さい。
ブラジルでコルデルと呼ばれる民衆冊子のサイズだ。
こういう本のソムリエのいる書店のありがたさ。
そこいらの店だと、やる気のない店員にめんどくさそうに調べもしないで「ありません」と言われがちである。

よくもあった、見つけてくれた。
ホクホクと購入。

この店の奥にはカフェもある。
先週は店員のような常連のようなのが何人かわがもの顔でノートPCの作業をしていたので、パスをした。

今日はより時間が早く、雨模様のせいか誰もいない。
見聞を広めるために、着席。
折しも店内にとどろく雨音。

カフェの部分の天井はビニールシートなので、雨漏りが心配。
濡らさないように気を付けながら、戦利品の本を開く。
彼のポルトガル語はわかりやすくてありがたい。
少し読んで、十二分に使えることがわかった。

小やみまで店内待機。
帰路は長い。


11月19日(木)の記 都民の方お断り
ブラジルにて


コロナ蔓延の祖国の政府の無策ぶりにはあきれるばかり。
この無策には、確信犯として国内の弱者と高齢者を抹殺しようという意図があるのかもしれない。

わがブラジルはテーブルマウンテンのような長いピークから、ようやく日毎の死者数にして半数以下まで下がったものの…
ここへきてふたたび死者数、新感染者数が激増している。
このウイルスはヒトが気を緩めるといっきに再拡散するのだな。

水戸での柴田大輔さんの写真展、東京のメイシネマ祭もぎりぎりのところで幕を閉じたことになる。
東京から水戸に遠征した友人によると、市内あちこちに「都民の方 お断り」の張り紙があったという。
行政の確信犯的な無策が、ほんらい手を取り合うべき市民同士の憎悪をかきたてる…
恐怖の政権は、徳川幕府の手口を学んだのだろうか。

サンパウロ州は3月以来の自粛要請令が延期され続けている。
映画館や美術館などの再開がはじまったが、いつまた閉じるかもわからない。

買い物の際、食糧品を少し多めに買っておこう。


11月20日(金)の記 ザンギの値打ちも
ブラジルにて


今日の夕食は鶏唐揚げの予定。
早めに鶏肉を買いにいかないと。

駅前の肉屋は昼前からけっこうな列になる。
週末はなおさら。

さあ今日のグラフィティ採集をどうするか。
ここのところ歩いて遠出をするファイトが出ない感じ。
かといって、あまりつまらないものはインスタにアップできないし。

たとえば縄文時代の遺跡を探すとする。
日本で未発見のものはまだまだあろうが、新たに縄文遺跡ができるということはまずないだろう。
グラフィティの場合は新作が出てくるから面白い。

そして写真となると、その日の天候、日当たりでまるで印象が違ってくるのも面白い。
今日はいままでスルーしていたこれにしておくか。
https://www.instagram.com/p/CH0Rau1HC9d/

帰宅後。
まず鶏もも肉の皮や筋、脂身を除去。
醤油ベースのタレに漬けこんで。

夕方から揚げ始め。
わが家の地区では日系の食材店、レストランも少なくない。
唐揚げを出すところもあるが、わが家の方がずっとおいしいと家族の意見が一致している。

わが故郷目黒では100種類以上の唐揚げを出す店があるようだ。
そうは食べられないだろうが、またわが子と訪日かなった時の課題のひとつ。


11月21日(土)の記 みたびのクアトロ・ラガッツィ
ブラジルにて


午後のひと時。
さあ、どの本を読もうか。

モリスの柄の布カバーをかけた厚手の文庫本…
若桑みどりさんの『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』上巻だ。

開いてみると、メキシコ人類学博物館の入場券が栞代わりにはさんである。
この本をイタリアには持参した覚えがあるが、メキシコにも持って行ったのかな。

文庫本にして上下巻で軽く1000ページを超える大著だ。
上巻は西暦2008年の第一刷だ。
ある程度、読み進めてそのままになっていた。

こうした大著は途中で訪日などのブレイクが入ると、そのままになってしまうことしばしば。
昨年ぐらいからまたはじめから読み始めて、300ページ台でストップしていた。
数か所の付箋が貼られ、自分にとってたいせつな本であることは承知しているのだが…
またはじめから読み直そう。
今の時期なら、下巻までいけそうに思える。

天正少年使節のことを知ったのは、小学校の社会科の時間だ。
なぜか4人の名前を暗記していた。
のちに自分がキリスト教と縁ができるとは思いもよらなかった。
そして少年たちが訪ねたヨーロッパの都市を自分も訪ねることになるとは。

4人がそれぞれどういう運命をたどったか、いまの僕には定かでなくなっている。
おお、冒頭からルイス・デ・アルメイダのことが書かれていたんだっけ。

何Bかの鉛筆を握り、何度目かの線を引き込みながら。


11月22日(日)の記 リゾット勝負
ブラジルにて


今日はパライゾ駅近くのカトリック教会のリゾット祭りの日。
リゾット購入資金が教会の活動費になる。

メトロで行って取りにいくのもたいへんである。
クルマを出して、路上駐車できる場所を探して家人が列についてピックアップするまで待機。
その間、クルマを置いて周囲をまわり、グラフィティのスナップ撮り。

リゾットを連れ合いの実家まで運んで、それから帰宅。
ひと仕事だった。
さあ、勝負。

ビーフジャーキー(ジャーキーはケチュア語起源と知る!)、ポロネギ、シイタケの三味あり。
前の二つをわが家用に持ち帰った。

うむ、いずれも僕が作ったものの方がうまい。
今日のこれらはまずくはないが、飽きのくる味だ。
インスタントのコンソメ味というか、深みがないというか…

昨年、本国イタリアでもリゾットを食べたが、食べたことぐらいしか覚えていない。
このパンデミック中にサンパウロのスーパーでイタリア産のパラボイル米の安売りがあった。
これを買うと、キノコのリゾットのレシピが書かれていた。
それを参考にして、以来3回つくってみた。
三度目は味噌と酒粕味で。

家族からも好評。
ブラジル産のパラボイルの玄米が市販されているのもわかった。
『クアトロ・ラガッツィ』を読み進めながら独自のリゾット求道を続けよう。


11月23日(月)の記 麦と老年兵
ブラジルにて


いやはや、いい歳こいて知らないことが多くて情けなし。
賞味期限が今年1月末だから、日本でいただいたのは去年だろうか。
二条大麦の蒜山(ひるぜん/ひるせん)麦湯というのを岡山のアミーゴからもらった。
麦茶用の麦である。

蒜山は岡山と鳥取の県境にある火山で、国立公園に指定されている。
高原の観光地としても知られる地だ。
この麦も製造は鳥取県倉吉、問合せ先は岡山県真庭と県をまたいでいる。

二条大麦というのは京都の二条に由来するものだと思っていた。
六条大麦というのもあるし。

ところが調べてみると、植物学的に小花か2列、6列から来た名前とな。

そもそも僕には大麦と小麦の違いもよくわからない。
調べてみると、麦とは「外見の類似したイネ科穀類の総称」だという。

ブラジルで cevada や cevadinha と呼ばれる麦を買ってきて、白米や玄米、キノアなどと混ぜて時々、炊いている。
いずれも辞書で調べると大麦だが、セヴァジンニャはセヴァダの小さいもの、の意で、色や硬さからしてこの二つは別物っぽい。

玄米は水に漬けて一日も置けば発芽が始まるが、このセヴァダ麦はどうだろう?
そもそも麦の芽は麦芽というぐらいで、栄養価も高そうではないか。
これを試してみたが、二日三日と漬けておいても発芽の兆しはなく、気泡がぷくぷく出てきてこのままでは腐敗という観となった。
ネットで検索してみるが、よくわからない。
こちらに農の基本的知識が欠けているせいだろう。

そんなこんなで、炊いても硬さが抜けないセヴァダ麦を持て余していた。
先週、これを炒って麦茶にしてみようと思い立つ。
火の消し忘れでだいぶ焦がしてしまったが、もったいない。
麦焦がしともいうではないか。

そうそう、麦茶ではなく代用コーヒーになるかと思っての試みだった。
どこかブラジルの田舎で麦だったか、トウモロコシだったかの代用コーヒーをいただいたことがある。
悪くなかった。
調べてみると、大麦を代用したコーヒーは、スペイン市民戦争時の苦肉の発明の由。
コツは、よく濃く煮だすこととある。

やってみると…
よく濃く煮だした麦茶の味で、珈琲とはかなりの距離を感ず。
が、悪くはない。

先の蒜山麦湯も三度出しまで可、とあったが、自家製麦茶も三度、いけた、
出しがらの麦はおかゆに使えそうだ。

今日は断食。
夜、ふたたび炒りセヴァダで麦茶をつくる。
おいしい。


11月24日(火)の記 リゾットがゆ
ブラジルにて


一日断食をした後の翌朝は、おかゆから始まる。

今日は冷蔵庫に残りのゴハンがない。

あ、日曜のリゾットの残りがあるぞ。
これに自家製麦茶の出し殻を加えよう。

ビーフジャーキー入りのリゾットだ。
洋風にしてみるか。
コンソメのかけら、パセリ、セロリ、ローリエなどを投入。

日本で「何分粥」といった言い方があったな。
何分と何分があったか検索してみる。
ほう、全粥、七分粥、五分粥、三分粥か。

もとのリゾットは全粥ないし七分粥に相当かな。
僕のこさえんとするのは三分粥になるか。

ああ、調べてみると世界のいろいろな粥料理が出てきて面白い。

わがブラジルには canja と呼ばれる粥料理がある。
鶏肉と野菜が入った、いわば三分粥だ。
体調が悪い時などの病人食の定番だ。
患者が食べるからカンジャ。
ひょっとして日本語起源か?

日本語の「世界の粥」はわがブラジルのカンジャまで網羅していない。
ポルトガル語で検索してみると…

これはたまげた!!
canja は中国語の congee:粥 に由来する言葉/料理だとある!

驚きのあまり、今日はこの辺で。
ビーフジャーキーリゾットがゆ、わるくなかったです。


11月25日(水)の記 おいしいよ みんなおいしいよ
ブラジルにて


コロナ巣ごもり中の主夫にとって、その日の夕ご飯をなににするかは大きな課題。
テレワークのわが子に、いくつかのオプションをあげてどれがいいか聞いてみる。

ベーコンとシメジのパスタ。
ベーコンをいままでよりもっと多めに、そして大きめで。
とのリクエスト。

もうひとりの家族は帰宅後の夜のテレワークもある日なので、早めに準備。
白菜のサラダ等も添えて。

日本の友人の連れ合いがスパゲティには梅昆布茶を足すとおいしい、と教えてくれたのを想い出す。
チューブの練り梅、練り紫蘇を足す。

早く食べる家人に付き合う。
「おいしい!」の声。
うむ、たすかにおいしい。

昨夜は並びきれないぐらいの品数をつくったが、いずれもおいしかった。
一昨日、断食をしたせかいと思ったが、そればかりではなさそう。

「おいしいよ、みんなおいしいよ」。
学校時代の国語の教科書に載っていた短編を想い出す。
主人公が旅先で、駅前の食堂に入る。
給仕の少女にこれとこれと、どっちの方がおいしいかと聞くと、彼女がそう答えたという話である。

以前も出典を調べた覚えがあるが、わからずじまいだった。
あらためて調べてみると、こんなブログがあった。
https://keiryusai.com/archives/4038

他にも同世代で、これが気になっている人が少なくないようだ。
僕は中学時代と思い込んでいたが、小学校の教科書だったか。
それにしても、これだけくまなくこうした事象が調べ込まれている時代に。
確実な出典にたどり着けていないことに驚き。


11月26日(木)の記 リハーサル
ブラジルにて


2週間後に迫ったオンライン講演のリハーサル。
先方の指示通りにアクセスしてみたものの「招待されていません」との表示。
すでにリハーサル開始予定時刻の午前8時30分を過ぎている。

Zoom機能のスケジュールの欄にアクセスすると、09:00開始となっている。
別のイベントの際は先方からの呼び出しがあって、それに応じて入っていった。
今回もそうなのかと思って待機。
すると先方からメールで「時間を過ぎているが、ブラジル側のラインの問題か?」と。
疑われるのはブラジル側だ。

お互い試行錯誤をしながら、ようやくつながった。
今回は名前を覚えきれないぐらい、何人もが参加。
先方から僕に画像と音声をオフにしてくれとの指示があり、その間にこちらのwi-fiが断線。

先方に当初からこちらの平日午前9時前後がいちばん断線が多いと知らせていた。
まさにその時間に断線とは。
テレワーク中の家族に復旧作業を頼む。

数分してwi-fiは回復したが、Zoomにつながらなくなった。
これまた試行錯誤のうえ、復帰。
こういうのは場数をこなして覚えていくしかないか。

技術問題ばかりに気を取られて、肝心な講演内容がおろそかにならないよう十分、気を付けないと。
かといって当日、ラインがつながらなければ、まさしく話にならないし。

リハーサル後、当日、司会を担当するという先生からのメッセージのカミングアウトにおったまげ。

さあ、講演資料用の書籍をもう一冊、買い出しに行くか。
雲行きが怪しいけれど。


11月27日(金)の記 ミスカルの発見
ブラジルにて


今日は東洋人街に出るか。
過去に書いたエッセイをリニューアルするために添える写真がほしい、というのが主な理由。

月曜から連日、のぞいている近くの私立学校にまず寄る。
この学校の外壁にグラフィテイロ(グラフィティ作家)のクラウベルさん兄弟が作画を続けている。
https://www.instagram.com/p/CIGObHeHcXy/
向こうも仕事中、町はコロナ自粛要請が出ている時期なので、長話は控える。

グラフィテイロというとパンク系の若者を想像しがち。
ところがこの兄弟は地味な感じの人で、最初はペンキ職人かと思った。
画材の選択、作品とも目をひく味わいがある。
日本の銭湯の壁画職人、かつての映画館の看板描き職人もかくや。

東洋人街で、まずBORI CAFE に寄る。
ブラジル生まれの若いコリアン女性の経営。
路上に面した解放の店で、換気は抜群。
今日もほかの客がいないので、彼女に質問。
BORIは韓国語で麦の意、と聞いたが、韓国にも麦でつくった代用コーヒーはありや?

何回か質問を繰り返して、ようやく理解してもらえたようだ。
彼女は「ミツカル」と日本語のような単語を発した。
韓国では幼児の飲み物です、奥にあるから取ってきましょう、とのこと。

のちに「ミスカル」だと知る。
彼女が持ってきた袋はハングル文字表記だが、ポルトガル語の成分表記もあり、ブラジル製のものだ。
さまざまな雑穀をまぜて粉にしたようだ。
彼女は牛乳を沸かして、これで溶かして飲んでくださいという。

ふーむ。
キナコの味わい。
牛乳で割っていて、しかもすべて穀類なので腹持ちもいい感じ。
偉大なコリアン文化のひとつを教えてもらった。

ちょうどわが家のコーヒーが不足してきていた。
お店のコーヒー豆を挽いたものを買うことにした。
サンパウロ州奥地の産とある。

聞くと彼女はバリスタで、産地まで車を運転して買ってくるという。
長い時間をかけて生産者と信頼関係を築いている由。
わが意を得たり。

日本では…
故郷目黒は祐天寺の coffee carawayさん、那覇の屋台コーヒーのひばり屋さんが僕のお気に入りだが、いずれも女性が一人で経営している。
どちらもこだわり抜いたお店だが、さすがに日本では自らクルマでコーヒー生産者のところまで買い出しというわけにはいかないだろう。

あ、沖縄だと可能かもしれないな。
(追記:那覇のひばり屋の辻さんに確認してみると、国頭まで車で買い出しに行かれているとのこと!!)

今度、BORIさんにS.サルガドの写真集『PERFUME DE SONHO:夢の香り』を知っているか聞いてみよう。
世界各地の家族規模の農園でコーヒーを生産している人たちの写真だ。
その多様性が、ここちよい夢の香りに誘ってくれる。


11月28日(土)の記 湯水に散財
ブラジルにて


香りは抜群、BORI CAFEにてその場で挽いてもらったコーヒーを朝、いれてみた。
…。
特に、どうということは…。

水のせいかもしれない、という話になった。
たしかにこのところの水道水、わが家は特殊なフィルターでろ過をしているものの…
緑茶などを入れた時にアオコくささが気になっていた。

ここのところフェイスブックのこの地区のページでも、水道水がひど過ぎる、というページが立ち上がって盛り上がっていた。

サンパウロ市の水道水は、山間に築かれた貯水池からやってくる。
その畔に不法住居が建てられ、集落となりスラム街に成長、その下水が貯水池に垂れ流されて…
当地が夏場になると、貯水池の水は富栄養化してアオコがはびこり、浄水施設でも除去しきれなくなるというわけだ。

クロレラみたいにかえって栄養があるか?
いやさ、アオコは肝臓に負担をかけて肝がんの原因になるという指摘があるのだ。
そもそもお茶やコーヒーぐらいはおいしく飲みたい。

スラム住民の屎尿入りの水では…
東京都民の屎尿が臭う海で泳がされるオリンピック選手を想う。

というわけで、スーパーに5リットル入りのミネラルウオーターを買い出しに。
安売りので、邦貨にして130円ぐらい。
5リットル瓶ひとつぐらいなら、そう苦もなく担いでこられた。

さて、どこまでミネラルウオーターを使うかな。
炊飯や製氷器はどうしよう。

近くに湧き水でもあれば…
ちょっと調べてみるか。


11月29日(日)の記 傾向と対策
ブラジルにて


半月前に行なった日本での拙作上映とブラジルからのオンライントーク。
オンライントークは大きなトラブルもなく、及第点かなと思っていた。
ところが参加者から、上映の画角に問題があったとのご指摘をいただいた。
上下が切れて、字幕が読めなかったとのこと。

主催者に確認すると平謝りで、さっそくSNSにお詫びの文章があげられた。
僕としては、今後こういう事態が起こるのを防ぐため、なぜトラブルが生じたかが知りたい。

その点を問い合わせると、事前のテストでは問題がなかったという。
本番の上映を始めてすぐに別件に取り掛かり、数分後に画面を見て問題に気づいた由。
「霊障」の可能性は?と新たに尋ねてみるが、この問いはスルーされた。

夜、日本の知人のSNSで彼女主催のイベントのトラブルを知る。
Zoom対談で東南アジアのゲストとの交信が、先方の回線不良でうまく行かなかったようだ。
急きょ固定電話をつないで、先方の声を流してイベントを切り抜けたとのこと。

うむ、この方法は悪くないかも。
主催者に、こうした事態の時に流す画像を準備してもらって。
こちらの問題で断線になったら、わが家の固定電話の受話器はワイヤレスだから、片手で受話器を握って講義を続けて。
片手でルーターの電源をいったんオフにしてつなぎ直す。

まさしくライブ感があって悪くないかも。
断線がないのがいちばんだけども。

本番で「霊障」がないよう品行方正、加持祈祷に努めよう。


11月30日(月)の記 水の買い出し
ブラジルにて


土曜日に買ってきた5リットル入りのミネラルウオーターが、もう底をついてきた。
コーヒーやお茶、そして一回炊飯用に使ったぐらいだが。

フェイスブックの地区のページではサンパウロ市内にある!ミネラルウオーター工場の源泉に行けば安価で良質の水をくめるとあった。
僕の土曜の日記を読んだサンパウロ市内の友人も、同じ源泉をすすめてくれた。

クルマで行けば、さして遠くないところ。
そこのウエブサイトではよく勝手がわからないが、とりあえず空き瓶がいくつかあった方がよさそうだ。
もう一人ぐらい、家族の手があった方がよさそうだし。

土曜に買い出しに行ったスーパーに行くと、5リットル瓶はすでになくなっている!
別のスーパーも大きいので1.5リットル瓶しかない。

徒歩圏に2か所ほどのミネラルウオーター販売所があったな。
そこまで歩くか。
担いでくるのも考えると、ちょっと面倒だ。
近くの青果店をのぞいてみると、ここには大瓶があった。
値段は安売りスーパーのほぼ2倍。
「これは6リットルですよ!」と店側はおトク感を伝える。
高いといっても6リットルで200円程度。
今日はこれで妥協。

先ほどの販売所も含めて、頼めば水を運んできてくれる。
しかし、いつ来るかわからないものを待っていること、先方から呼び出しがかかったら作業を中断してそこそこに着替えてアテンドすること…
水を担いでくるのより、億劫である。

水を契機に、自分の性格を再確認。
そうこうしているうちに、水道水の悪臭も少しおさまってきている感じ。



 


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