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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2020年の日記  (最終更新日 : 2021/01/01)
12月22日(火)の記 私は保護官を殺した

12月22日(火)の記 私は保護官を殺した (2020/12/22) 私は保護官を殺した
ブラジルにて


「私は保護官を殺した」で検索してもヒットがない。
「アマゾン」も足してみると、思わぬ掘り出し物があった。
これはブラジルのニュースでは見逃していた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c159df8cbbb199defc3f5916cfe46e8d1f2dd676?page=1

この記事にあるアマゾン流域の先住民ウルエルワウワウがまだ未接触部族とされていた時期に、日本映像記録センターのクルーがインディオ保護局FUNAIの接触作戦に同行していたことがある。
しかし長期の取材でも撮影成果が上がらず、断念するに至った。
その後、イギリスのチームがすばらしいドキュメンタリーを完成させている。

さて上記の検索ワードは、僕も日本映像記録センター時代にかかわった『すばらしい世界旅行』で放送した番組のタイトルである。
代表プロデューサーの牛山純一らしいインパクトのあるタイトルだが、日本のテレビ電波では流しても、あらたに世界を覆う電波の網には漏れてしまったようだ。

西暦1983年、『すばらしい世界旅行』アマゾン取材チームはA班B班に分かれて、アマゾンの未接触部族とのコンタクト作戦で保護局スタッフが殺害されてしまった事件の取材に挑んだ。
その前年に入社、まだ学徒出陣の観のある岡村は、この時が初めてのブラジル取材だった。
弱冠岡村ディレクターのB班はブラジル・アマゾナス州最西端、コロンビアとペルーの国境地帯に向かった。

謎の未接触部族コルボへの接触作戦での犠牲者と接触活動の失敗の取材が目的だった。
コルボと呼ばれる先住民と、彼らのテリトリーに入り込んで森林伐採を行なう「白人」との抗争が生じていた。
コルボは弓矢は用いず、棍棒を武器として、襲われた「白人」は撲殺されて体の骨の一部を持ち去られていたという。
コルボ側の犠牲については、知る由もなかった。

西暦2017年12月の日付。
もう3年になるのか。
3年前、ブラジルの日刊紙FOLHA DE S.PAULOの一面を見てたまげた。

「この惑星の最大の写真家」と称賛されるブラジル人セバスチャン・サルガドが収めた写真によるコルボの10ページにわたる特集があったのだ。

現地への移動だけで何日間もかかる話で全取材期間は通常より短いという作戦では、まともな成果を望むのも無理というもの。
岡村B班のコルボ取材では朝田カメラマンが健闘してくれたが、そもそもこの取材期間では当時も続くコルボ接触作戦前線基地までたどり着くことも不可能だった。
この時の取材の映像はお蔵入りとなった。

その後1996年から新たにコルボ接触活動が始まった。
今回のサルガドがはじめてジャーナリストが彼らのテリトリーに滞在しての取材になるという。

あの大サルガドの、はじめての大胆な試みに目を見張った。
(先の僕の立教の講演で「個々の取材体験の話がなかった」というご指摘もあったが、話そうと思って割愛したひとつの取材体験だけで、短くしてもこれぐらいの記載になるのです。)

今宵はその記事を精読。
まさしく日本の「蛇行」に相当するポルトガル語の単語があるのを知る。
「serpentear」という動詞。
サーペントと同じ語源だ。

コルボのテリトリーに向かう大アマゾンの支流イトゥイ川は、まさしくserpentearだった。

 
  


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