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岡村淳のオフレコ日記
     岡村淳/ブラジルの落書き  (最終更新日 : 2020/10/02)
シャーマンたちの黄昏(たそがれ) [画像を表示]

シャーマンたちの黄昏(たそがれ) (2020/07/02)
フィレンツェヤノマモ.jpg
フィレンツェ民族学博物館/ヤノマモの生活道具の展示
再録寸言:
この原稿を書いたのは24年前、ヤノマモの村に滞在したのはその10年前のことです。
今では細かいことは忘れていることが多く、この時に書いておいてよかったです。
もっと後のボロロおじさんのことは、この原稿を読み返すまですっかり忘れていました。
さて採録にあたって、フェイスブック等で告知するためにも、なにか画像が欲しいところ。
ヤノマモは自分の存在をこの世に遺すことをひどく嫌い、撮影にあたってもインディオ保護局から撮影済みのビデオなどをヤノマモたちに現地で見せないことを条件とされました。
ヤノマモたちがスチール写真ではない動画についてどのように考えているかを知りたいところでしたが、当時はポルトガル語を解するヤノマモは我々が関わった範囲では皆無でした。
昨年、訪ねたイタリア・フィレンツェの民族学博物館にヤノマモの生活用品の展示がありましたので、そのなかのヤノマモの画像ははずして掲載することにしました。



われらが南米大陸はシャーマニズムの宝庫です。
シャーマニズムとは人類学や宗教学の専門用語で、非日常的な、超常的な力を用いて治療や予言などを行なうことで、それをする人をシャーマンと呼んでいます。
ひらたく言えば、まじない師といったところでしょう。
ブラジルでは一般にインディオと呼ばれる先住民の言葉に由来して、シャーマンをパジェと呼び、その行為をパジェランサといいます。
日本では恐山のイタコや沖縄のユタなどの女性のシャーマンの存在が知られていますが、古代の邪馬台国の女王・卑弥呼も「鬼道」というシャーマニズムを行なっていたとされています。

南米では、先住民の社会のなかで今日でもさまざまなシャーマンが活躍していますが、それだけにとどまりません。
アフリカ大陸から奴隷として運び込まれた人たちの子孫は、ウンバンダやカンドンブレなどと呼ばれる宗教のなかで、アフロ系のシャーマニズムを伝えています。
沖縄からの移民の子女には、ブラジルでユタとして活躍する人の存在が知られています。
近年、増加する韓国系移民のなかには、朝鮮半島で有名な女性巫術師ムーダンとして霊界と交信する人もいることでしょう。

かつてブラジル北東部・ピアウイ州の田舎町に滞在していた時のことです。
私の宿の近くに、自称インディオ・ボロロ族の出身で、町ではボロロと呼ばれるパジェのおじさんが住んでいました。
彼は薬草の調合や千里眼の占いなどで小銭を稼いでいました。
彼のところには時折、町の老人たちが訪ねて来ては暇つぶしのよもやま話をしていましたが、大半の人々は、ボロロが大金をふっかけたとか、まるで効用がないとかで、インチキ扱いをしていました。
ボロロと顔見知りになった私は、彼の祭壇を見せてもらいました。
ブラジル北東部で人気のあるシセロ神父の像を始め、さまざまなカトリックの守護聖人の像が所狭しと置かれています。
そのなかに喜劇映画のチャールズ・チャップリンの肖像が混じっていたのが印象的でした。
不思議なパワーのありそうな人ならジャンルを問わないのでしょう。
今ごろはボロロの祭壇に故人となったブラジルのF1レーサー、アイルトン・セナの肖像も加わっているかもしれません。
アマゾン河流域北部の山岳地帯に住むヤノマモと呼ばれる人たちは、アマゾンの先住民のなかでも最大級のグループです。
ヤノマモの場合、シャーマンはふつう各村に一人いて、シャボリと呼ばれます。知る人ぞ知る、ヤノマモのシャボリは強力な霊的パワーを持っているのです。
私が日本のドキュメンタリー番組の取材のために、ひと月近く滞在したヤノマモのタバシナ村のシャボリは、FUNAI(ブラジル国立インディオ局)のスタッフからも一目置かれていました。
FUNAIの医療班がサジを投げた危篤状態の先住民を、まじないで治したこともあるというのです。
タバシナ村のシャボリは、村の男たちの日課である狩猟などにはいっさい参加しません。
日中はいかにも寝不足といった顔つきで村のなかをふらついたり、ハンモックで寝そべったりしています。
シャボリの役割は、必要に応じて山のなかに入ってヤクアナと呼ばれる幻覚剤を作ってくること、そして村で病人が出た時に自らこの幻覚剤を用いて治療にあたることでした。
ヤノマモの男は概して体育系硬派というか、血気盛んで攻撃的な輩が多く、文弱な私としてはいささかウンザリすることがしばしばでした。
そうした男衆から一線を画して、おどろおどろしい活動をしながらも村の精神的なリーダー役を務めるシャボリに私はあこがれを感じました。
もしヤノマモに生まれ変わるなら、シャボリになりたいものだと思ったものです。
もっとも霊能者シャボリになるための修行は並大抵ではなく、命を落としかねないほどの厳しい試練に耐えなければならないということでした。

さてシャボリの方も、怪しげな道具類をゴッソリと持ち込んで村に居候をするようになった私たち取材班に関心を持ったようでした。
ヤノマモの若者たちが私を取り巻いて、こちらの一挙一動に驚いたり笑ったりするなか、少し距離を置いたところからじっとこちらを見つめていることがしばしばありました。
私はディレクターとはいっても取材班の炊事係も務めており、そっとシャボリに炊きたての白飯などの付け届けをしたものです。
そんな気配りが効を奏してか、シャボリは最初は拒んでいたものの、ついに山中での秘密の幻覚剤作りへの同行を許してくれました。
本来は自分の霊能力が弱まるのを防ぐため、他人は同行させないといいます。
村から離れた密林に分け入ったシャボリは、ヤクアナフスという樹を探し出しました。
まずはその樹皮をはがします。
次いで近くで火を起こし、シロアリの巣を削って火にくべながら、樹皮をジワジワとあぶっていきます。
にじみ出てくるヤニを木製のヤジリに塗り付け、何度も鼻を近づけて匂いを確かめます。
ついに、研究者の間で名高い幻覚剤ヤクアナの製造プロセスをビデオに収めることができました。
さてこの日、シャボリは幻覚剤作りに張切り過ぎてしまったようでした。
あぶり出したヤクアナの成分が効いて、幻覚作用によりその場でヘベレケになってしまいました。
取材班だけでは密林から村に戻る道もわかりません。
不安にうろたえていると、シャボリはようやく正気を取り戻し始め、千鳥足で歩き出しました。
密林に野宿をすることなく、日没前にかろうじて村に帰ることができたのです。

いよいよシャボリの治療を撮影させてもらうことになりました。
ヤノマモの人たちは村に病人が出ると、その村と敵対関係にある村から呪いをかけられたためだと考えるのです。
シャボリは病人にかけられた呪いを取り除かなければなりません。
病人は赤ちゃんでした。
夜泣きがひどく続いていて、衰弱しています。母親は隣村から呪いをかけられた、と言います。
赤ちゃんはハンモックに座った母親の胸に抱かれながら、シャボリの治療を受けることになりました。
シャボリはヤクアナを塗り付けたヤジリをこすって粉にして、鼻から吸い込み始めました。
幻覚作用で神がかりの境地に達してから、治療を行なうのです。
神がかりになったシャボリの魂は、身体を抜け出して様々な精霊の協力を頼み、一緒に病人の体にかけられた呪いを探し出して取り除くといいます。
ヤクアナの作用で恍惚としてきたシャボリが、奇声を発し始めました。
応援にかけつけた鳥や獣などの声だといいます。
シャボリは大声を上げながら赤ちゃんの頭に手刀を振り下ろしたり、髪の毛をぐしゃぐしゃになで回したりといったパフォーマンスを何度も繰り返しました。
この日の治療には3時間ほど費やし、消耗しきったシャボリは近くに吊るしてあったハンモックでグッタリと寝込んでしまいました。

私がヤノマモの村で同居生活をさせてもらったのは、1980年代半ばのことです。彼らの居住地域は保護区になっており、外部の者が無断で入り込むことは禁止されていましたが、FUNAIを通してヤノマモたちは様々な文明の利器に接し始めていました。「白人の薬」がFUNAIの医療スタッフにより、投与されることもしばしばでした。
私は取材に同行したインディオ保護官に通訳を頼み、シャボリに「白人の薬」をどう思うか、尋ねてみました。
シャボリは自信ありげに答えます。
――私がまじないで呪いを取り除けば、白人の薬が効くこともあるのだ――
いわば石器時代のレベルの社会から、いきなり20世紀後半の文明をかいま見ることになったヤノマモたちの精神的な混乱は、日本人にとっての幕末から明治にかけての激変をはるかに凌ぐことでしょう。
そのなかでタバシナ村のシャボリは、いたずらに反動に走ることなく、伝統と近代、あるいは東洋医学と西洋医学の融合にも通じる、極めて今日的な癒しのあり方を考察していたのです。

私たちの滞在も終わりに近づいたある日、シャボリが髪を刈り上げたばかりのさっぱりした顔つきで現れました。
ヤノマモ語の「トディヒ」という言葉は「よい、おいしい、美しい」など肯定的な表現で広く応用の効く便利な言葉です。
私が彼の頭を指して「トディヒ」と言うと、シャボリはニヤリと笑みを浮かべて去っていきました。
少し肌寒くなった翌朝、シャボリが青白く熱っぽい顔で訪ねて来ました。私たちの薬が欲しいというのです。頭を刈り上げ過ぎてカゼをひいたのでしょう。

私はシャボリと彼の担う村人たちの健康を願って、他の村人の目につかないように、はるかこの星の反対側から持参した日本製の「白人の薬」の提供を惜しみませんでした。

(初出『オーパ』No.149 西暦1996年、西暦2020年7月加筆)


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