イルカとともに遊んで働く (2020/10/02)
人生、どんな体験も無駄にはならない、といいます。 私たちテレビ屋、ドキュメンタリー屋の取材の経験も、たとえお仕着せの仕事であってもそれなりに一生懸命にやっておくと、後に思わぬところで役に立つことがあります。
マスメディアのなかで仕事をしていると、時には自分の作品が不本意にあつかわれることもあります。 また自分としてはそれなりに手応えのあった取材の成果に、何の反響もないこともしばしばです。 そんな仕事が後年、見るべき人に見出された時の喜びは格別です。
以前、仕事のまとめで訪日した折に、知人宅の飲み会でイルカについての勉強塾を主催している人にお会いしました。 エコロジーや共生といった概念が一般に浸透しつつある今日、海の小型哺乳類・イルカへの関心は世界中のニューエイジの担い手たちの間で高まっているようです。 陸上に適応していた哺乳動物が再び海原に戻っていった、というイルカの生物史には想像力をかき立ててやまないものがあります。 そして昨今では自閉症などの障害のある子供がイルカと接触することで症状に改善がみられた、といった報告も続いています。
さてその飲み会で、酒の肴にイルカの話をしてみました。 10年以上も前に取材したブラジルのイルカについてです。 この話はイルカの勉強塾主催の御仁にいたく気に入られてしまい、次回の私の訪日の際に、彼のお宅で拙作ビデオの上映と講演をするよう、頼まれてしまいました。
西暦1980年代の半ば、私は日本のテレビドキュメンタリー制作会社で、番組ディレクターの仕事をしていました。 その年は3月にアマゾンの大逆流ポロロッカの取材のために日本を発ちました。 そのあと7月にアマゾン奥地のインディオ保護区の取材に入るまで、ブラジル国内で然るべきネタを探して取材セヨという指令を受けていました。 どんなテーマを取材するかは随時、東京から指示が伝えられてくるのです。
いくつかの難題を手がけた後、今度は「ブラジルの珍しい漁法を調べていくつか取材セヨ」という指令が下りました。 ブラジルの珍漁。 かつてやっていた、とか、たまたまこんなことがあった、というようなネタでは活字の世界ならなんとかなるかもしれませんが、映像の世界ではそれが「再現」できない限り、どうにもなりません。 これからすぐに現地に行って撮影できるものでなければならないのです。
まずひとつ浮かんだのは、セアラ州(ブラジル北東部・大西洋岸)沿岸のイカダ漁・ジャンガーガです。 イカダとはいっても、現在ではほとんど全部が板を組み合わせた構造船となっています。 丸太を組み合わせただけの伝統的なものを探し出すのは、それだけでドキュメンタリーになりそうな話でした――ジャンガーダのこぼれ話はいずれまた、ということで、他の珍漁探しです。 そう簡単に「オーパ!」という訳にはいきません。
当時、私の取材の通訳権助手を勤めてくれた日系二世のS君は、海好きで旅好きの青年でした。 S君に珍漁の企画について相談してみると、彼はとんでもない話をしてくれたのです。 S君がブラジル南部の海岸を回っていた時のことです。 彼は、漁師とイルカが一緒になって魚を獲っているのを見た、と言うのです。 漁師たちが海岸で網を持って構えていると、野生のイルカの群れが魚を追い込んでくる、というのですが――テレビ屋にとっては面白すぎる話です。 さて、S君は以前、ブラジルの海にはこんなバカでかいウニがウジャウジャいますよ、と言って両手をサッカーボールぐらいの大きさに広げてみせたことがあります。 ホントにこれくらいか?と何度か質したところ、サッカーボールはだんだんソフトボールぐらいまで縮まってしまいました。 私はいつもニタニタしているS君の目を見据えて訊ねました。 「今のイルカの話、ホントに面白いよ。さてもし、いつものジョーダンだとしても、君は僕にゴメンの一言で済むと思うだろう。でも僕が本気にして東京に企画として連絡してしまったら、僕はゴメンじゃ許されない。死んでも許してもらえない。で、ホントなの?」 S君は、この話はホントにホント、と言います。
さっそく現地に問い合わせたところ、どうやら本当でした。 S君が神々しく見えました。 S君の名誉のために付け加えますと、ブラジル最大のTV局グローボもこのイルカ漁を取り上げて放送していますが、私たちの取材の数年後のことでした。
場所はサンタ・カタリーナ州の海岸の街。 漁師たちは早朝から海水パンツに雨ガッパといったスタイルで、腰まで海に浸かりながら投網を構えます。 近海に棲む200頭あまりのイルカのうち、約20頭が漁師たちと「協調関係」にあるといいます。 海に一列に並んでいる漁師たちの方に、協調関係のイルカたちは日に何度も魚の群れを追い込んで来るのです。 漁師たちはタイミングを見計らって網を投げて、うまくいけば網一杯の魚を手に入れるというわけです。 漁師たちはキャリアを積むと一頭一頭のイルカの見分けがつくそうで、それぞれに「頭打ち」「ヒレ曲がり」といったようなニックネームを付けていました。
私たち取材班もある時は陸上から、ある時は機材を担いで海に入って何日間も漁師たちに付き添いました。 南極に近いブラジル南部の冬の海は、かなりこたえるものがあります。 面白いもので、イルカたちは漁師たちが冷たい海水に浸かってじっと待機していないと、魚を追い込んで来ないのです。 漁師たちがコーヒーブレイクや昼食で陸に上がっていると、イルカたちはまるで寄り付いてきません。
冷水に浸かってじっとガマン、とは結構きつい仕事にみえますが、そこはブラジル人のことです。 海中でイルカの到来を待ちながら、始終、ジョークや野次を飛ばし合っていて、漁場から歓声が絶えることはありません。 それに必要な道具は投網ひとつ、エサ代もボートの燃料費もかかりません。
この漁の起源は不明ですが、文献によるとかつては船で沖合いに出てイルカの到来を待ったといいます。 またブラジルと大西洋を隔てた西アフリカのモーリタニアでも類似のイルカ漁が行なわれています。
このイルカ漁の取材のまとめ作業は、私がそのままアマゾンでのインディオの長期取材に入るため、取材テープと資料を東京に送って、現場を知らない別のディレクターが行なうことになりました。 帰国後、放送された番組の録画テープを見ると、同じブラジルの漁ということで、やはり私が取材したセアラのジャンガーダ漁と、このサンタ・カタリーナのイルカ漁が一緒くたに混ぜこぜになって編集されていました。
日本の視聴者にとっては同じブラジル、セアラもサンタ・カタリーナもどうでもいい、とにかくわかりやすく、ということなのでしょう。 しかし両者は緯度に置き換えると、東京とフィリピンのネグロス島ほども離れているのです。 テレビの視聴者にわかりやすいように、という配慮から事実を単純化したり、再構成ないし歪曲してしまうことは、日本のテレビ界では日常的に行なわれています。 単純化できないディテールの多様さ、意外さにこだわる私は、そうした日本のテレビ界からは完全に落伍してしまいました。
さて、イルカ漁を行なう漁師たちは、イルカと協力して漁をしている、と言います。 しかしイルカの方には、どんなメリットがあるのでしょうか?
以前、付近の定置網にイルカが絡まってしまった時に、漁師たちが網を外して逃がしてあげたことがあるといいます。 しかし、その恩返しとしては念が入りすぎていますし、この漁はそのはるか以前から行なわれているのです。 イルカたちは飼育されているわけではなく、野生の自由なイルカなのです。
こんな疑問をイルカの勉強塾での上映後のトークで、集まったイルカおたくの皆さんに投げかけてみました。 すると塾長さんが、なるほど、とうならせる解釈をしてくれました。 そもそもイルカは知能が高いことが知られていますが、遊び心も強いといいます。種の保存や生存競争といった生物学のオーソドックスな原則よりも、むしろ楽しければいい、という快楽原則を優先している生物だ、と塾長さんは言います。 イルカにとって自分たちを頼りに待ち構えている漁師たちに、自分たちの運動と食事を兼ねて魚を追い込んでいき、漁師たちに喜ばれる、というのは楽しいことなのでしょう。
こう考えると、なんだかイルカとブラジル人の気質に似通ったものがあるように思えます。 さらに、いわゆるボランティア活動の、望ましいあり方をイルカに教えてもらったような気がします。
そうそう、イルカといえば、さらにとっておきの話がありました。 次回をお楽しみに! (『オーパ』 No.152 西暦1996年、を西暦2020年10月加筆)
再録寸言: 久しぶりに再録のために読み返してみると、われながらいろいろな体験をしてきたもの、というのが実感です。 自分でも、はじめにブラジルの日本人移民ありき、とわが歩みを混同してしまうことがあります。 あくまでも、はじめにテレビ取材ありき、『すばらしい世界旅行』ありき、ブラジルの多様性ありきでこの国に引き寄せられたのでした。 ちなみにこのイルカ漁については、その後、日本の最大手のテレビ局も取材したと伝え聞いています。 以下は下品な話になりますので、読まれる方はご覚悟ください。
僕とその局との別件でのバトルについては、拙ウエブサイトでも紹介しています。 久しく日本のテレビ番組にかかわることもなく、見ることもまれになりましたが、昨年から今年にかけてたいへんな事態に巻き込まれるところでした。 ずばりわが作品と僕のことを利用しておいてひどく貶めたテレビ局が、今度はバラエティ番組で僕が記録していた映像を事実を捻じ曲げて放送に使用するというのです。 まさしくだまし討ちをはかってくるテレビ屋の目論見を、新たに返り血を浴びながらも防ぐことができました。 どうしてテレビ界にはこうしたインチキがいまだにつきまとうのでしょうか。
ますます古巣のテレビが縁遠くなります。 …イルカやジュゴンなどの水生哺乳類は、どうして海に戻ったのだろう? 陸地でおよそ不快な、不本意で生物としていたたまれない思いをしたのでしょうか。 この機会に、陸から海に戻った哺乳類の仲間たちが、僕に与えてくれたメッセージを考えてみたいと思います。 (西暦2020年10月5日、記す)
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