おせち料理はブラジルで (2020/06/18)
おせち料理はブラジルで(西暦2004年2月発表)
えっ!ブラジルでもおせち料理を食べるの? 答えは、シン(ポルトガル語で「イエス」「はい」の意)。
とはいっても、日系人の家庭の話です。非日系のブラジル人家庭では、年末年始の変わった料理といえば、クリスマス・イブに七面鳥などのご馳走を作るぐらいでしょう。 今回は、ブラジルの日系家庭のおせち料理について、私の日系2世の連れ合いの実家からご報告しましょう。
おせち料理作りを仕切るのは、私の義母、連れ合いの母親である続木(つづき)典江さん。義母は愛媛県の出身です。 先に移住していた夫の善夫さんの呼寄せで、ちょうど50年前にブラジルへ渡りました。 ブラジルで授かった子供が6人。今では全員が独立して結婚し、孫の数が9人。婿や嫁を入れると一族総勢23人。日本から来た二人で始めて、50年で23人に増えました、と義父の弁。
続木家のおせち料理の準備は12月30日、「本番」二日前から始まります。 なんといっても、ここブラジル・サンパウロの正月は真夏、日中は30度を越す暑さとなります。 ブラジルのおせち料理作りの秘訣は、第一に料理を傷(いた)ませないこと。 その対策として、昆布巻きや煮しめなどは三〜四回にわたって煮込み、そのため味が濃くならないよう、薄い味付けで何度も煮込むというのが我が義母殿がブラジルで試行錯誤の上、習得したノウハウでした。 大晦日になると、離れて暮らす娘や嫁たちもやって来ておせち作りのお手伝い。 おままごと遊びのつもりの幼い孫娘たちも参加して、続木家の台所は大賑わいです。
餅つき機で作るお餅、煮豆に田作り、サツマイモで作るキントン等々に加えて太巻き寿司、お赤飯、さらにサーモンのマリネ、ローストビーフなどの洋食も作りますので、「孫の手」も借りたいほど。 元旦のお昼過ぎにお雑煮を温めてようやく完成、不肖私が成田空港の免税店で買ってきた日本酒で「おめでとう」の乾杯となります。 今年はサンパウロ勢の他にパラグアイ、アルゼンチン、そして日本からも親族が集いました。 お酌をしながら、ブラジル続木ファミリーの半世紀にわたるおせち料理の変遷を義母に尋ねてみました。
サンパウロ州内陸の日系人の多い町に移住してから数年は、生活も安定せず、おせち料理どころではなかったとか。 移住後5年ほどして、お正月のご馳走を作るようになり、その頃はブラジル式に豚のローストが定番だったそうです。 当時も日本からの輸入物の昆布などはあったものの、高価でとても手が出なかったといいます。 移住後10年目にして初めて日本に里帰り、往復とも船旅だったために帰りは昆布や鰹節などの日本食をごっそり持ち帰り、以後はお正月に昆布巻きなどを作るようになりました。 36年前にサンパウロの町に引っ越して以来、だんだんと今のようにおせち料理の品数が増えて、人口も増えていきました。
おせち料理に移民史あり。 このあたりまで聞いていて、私もだいぶ酔いがまわってきました。 まだいただいていない料理がいくつもあります。 なんといっても真夏のお正月、料理の日持ちはしないので、急いで食べなければなりません。 ほろ酔い加減で一句。
せち料理 すぐにいたんで セチがらし
(西暦2020年6月改訂)
| サンパウロの東洋人街の飲食店に描かれた富士山風の山 |
| 16年目の追記:
十年ひと昔で計算すると、ひと昔半前のわがブラジルのファミリーの素描です。 その後、世の中そのものがセチがらくなり、ネット上での個人情報の記載はほどほどにしておくのが無難です。 わが義父はブラジルでの無農薬栽培の草分けとして活躍していましたから、公人としていいと思います。 義父は4年前、リオオリンピックの開幕の日に他界しました。 http://www.100nen.com.br/ja/tsuzuki/index.cfm?j=1 こちらのファミリーの記録を、関係のない人にも共有できるような作品にまとめようと思い立ちながら、別件が詰まってほとんどすすめていませんでした。 コロナ禍で訪日もままならなくなった今、年貢の納め時かもしれません。 (西暦2020年6月18日・移民の日に。)
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