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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2021年の日記  (最終更新日 : 2022/01/02)
1月の日記 総集編 『不敗のドキュメンタリー』

1月の日記 総集編 『不敗のドキュメンタリー』 (2021/01/02) 1月1日(金)の記 『不敗のドキュメンタリー』
ブラジルにて


元旦の朝から、何度も車の運転。
クリスマスの日と同様、街はシャッター街でがらがら。

幹線道路でも久しぶりにアクセルを踏み込める。

いろいろあって、午後から蟄居状態。
土本典昭さんの『水俣を撮りつづけて 不敗のドキュメンタリー』(岩波現代文庫)を開く。
おいそれと読み進められないでいた。

どうやらいまが読み時だ。
引用したい部分はあまたあり、省略。

タイムリー過ぎて、愕然とするほど。


1月2日(土)の記 丑年の牛山/人生のプロデューサー
ブラジルにて


昨日に引き続き、土本典昭さんの『水俣を撮りつづけて 不敗のドキュメンタリー』(岩波現代文庫)を読み耽る。

改めて感無量なこと。
土本さんのライフワークとなる「水俣病」というテーマを土本さんにふったのは当時、日本テレビに所属していた牛山純一プロデューサーだった。
民放のテレビドキュメンタリー番組の草分け『ノンフィクション劇場』の企画だ。

牛山さんは番組デスクともに、水俣病関係の小さな新聞記事のスクラップを3枚ほど土本さんに渡したという。
これが『水俣の子は生きている』と題された土本さんの水俣病に関する最初の映像作品として結実する。
その紆余曲折のドラマは、この本に詳しい。

牛山さんが独立して築いた日本映像記録センターの自社ビルにて。
入社後まもなくして僕は番組ディレクターとして海外取材に奔走した。
日本にいる束の間、牛山さんの助手的な仕事をおおせつかることがしょっちゅうだった。

そのひとつが新聞スクラップだった。
入社後数年目になると、記事選びも任された。
数紙の日刊紙のバックナンバーを繰り、牛山さんの嗜好に合いそうなもの、番組のネタになりそうなものを切り抜いていく。

土本さんが原発に関する新聞記事を撮影して『原発切抜帖』というドキュメンタリー映画をつくっていることがオーバーラップする。

僕がブラジルで整理が追い付かないものの新聞スクラップを続けているのは、こうした影響かもしれない。

牛山さんは、それまでブラジルに縁もゆかりもなかった入社後1年ちょっとの僕にブラジル:大アマゾンシリーズの取材を命じた。

いまとなってはブラジル抜きの僕の人生を考えてみるのもむずかしい。

知名度、仕事量とも土本さんと僕では比べ物にならないが、牛山さんはこうして何人もの人生をプロデュースした。


1月3日(日)の記 ファミリー・プロット
ブラジルにて


「記録映画とは何か、最後まで風化せずにのこる記録された映像の評価は、当時の製作の思いや意図を洗い流してのこる歴史の質、物象の存在自体ではないかとさえ思える。(中略) だが、以上のような映像の無機的な資料能力とは別に、人間を記録することとの闘いが実は主題であり、私の飢餓感の胚種なのである。」
土本典昭著『不敗のドキュメンタリー』より。

これは僕の撮ってきた私的、ファミリービデオにも通じそうだ。

ブラジルで四半世紀前に撮っていた親族の祝い事を記録した映像を発掘して、年末に編集していた。
今日は主人公らの試写。

それぞれのリアクションを見るのが楽しみだ。
そして撮りての僕が知らなかったことを教えてもらうのも楽しみ。
さらにお互い気づいていなかったことの発見。

思わぬ修正希望もあり。
登場しているさる人物を極力、削除すること。
まあ相手への贈り物だし、仰せに従うとしよう。

想えば今まで意外とこうした作業(予期せぬカット)をしたことがないかも。


1月4日(月)の記 ファミリー・プロットⅡ
ブラジルにて


ファミリービデオの再編集。
主人公の二つの依頼による。

カネのための雇われ仕事でもない。
こちらも記録者として、作家として職人として。
そしてファミリーの一員として譲れない点もある。

そのあたりのせめぎ合いのなかでのリ・エジット。
はっきり言ってめんどくさいが…
この機会に指摘部分以外の冗長な部分を少しカット。
だいぶすっきりする感。

昨日の試写中試写後の対話もあり、「写り込んでいる」会話の意味などがあらたにわかる。

…、まあとりあえずこんなところで。
これでいくらかすっきり、より繰り返してスムースに鑑賞するに耐えるあがりになったかな。


1月5日(火)の記 水俣クラスター
ブラジルにて


8日に迫った神戸学院大学のゼミ生相手の拙作上映とオンライン講義。
今日は担当の番匠健一先生とのオンラインでのテストと打ち合わせ。
気心が知れているので、気が楽である。

12月に実施したという水俣の相思社のスタッフによるオンライン講義の録画を参考試写させてもらう。
これはよかった。
登場する相思社のスタッフのキャラがそれぞれ面白い。
それを語らずしてその人の歩みがにじみ出てくるというか。

そして恥ずかしながらこれまでに何度か水俣を訪れながら、ばたばたするばかりでほとんど何も見ていなかった、覚えていなかったことに気づく。

講義では土本典昭監督と水俣病、そして牛山純一プロデューサーについても語ろうと思っていた。
相思社のスタッフが「原田先生」と親しげに語っていた故・原田正純医師は僕の生涯の数少ない恩師の一人だ。

番匠さんとの出会いを振り返ってみる。
僕の大好きな古書店、京都のカライモブックスでの拙作上映会に来てくれたのがきっかけだ。
僕の「アマゾン水俣病」3部作の上映の時。

あ。
そもそもカライモブックスさんの店名は水俣でサツマイモがカライモと呼ばれるのにちなんでいる。
経営の奥田さん野口さんは『苦海浄土』の石牟礼道子さんに傾倒し、水俣移住を真剣に考えていた。
相思社のスタッフも石牟礼さんの『苦海浄土』がいかにすばらしいかを異口同音に語っていた。

そして奥田さんは水俣病へのこだわりがあるからこそ、岡村を招いてお店で上映会を開いてくれたのだった。

若者たちに、出会いの妙味を伝えたい。


1月6日(水)の記 ペリリュー
ブラジルにて


「戦争は野蛮で、下劣で、恐るべき無駄である。」
『ペリリュー・沖縄戦記』講談社学術文庫より。

この自明に思われる認識を共有していないのが、現在の日本の与党の政治家たち。
これは恐ろしいことだ。

TVドラマ『ザ・パシフィック』のDVDボックスをトランジットの空港で買ったのは何年前か。
このドラマにクレジットのあったこの本を買ったものの、文庫で文字ぎっしり。
冒頭までで「積ん読」になっている。

マンガ『ペリリュー 楽園のゲルニカ』①(武田一義著)を買ったのは日本出国時の空港だったろうか。
カワイイ系の絵で違和感があった。
が、最初の一話を読んでこれは僕の違和感が違ったと知った。
重く、さらさらとは読めなかった。

午後、活字ばかりの本を読むのがしんどくなり。
このマンガを手にする。
これは、すごい。
巧みに読ませながら、冒頭の言がひしひしと伝わるではないか。

この単行本には作者のあとがきページもあり、ささやかな疑問についても丁寧に解説してくれている。

日本のマンガ文化スゴイ。

あ、すごめのブラジリアンマンガ、読み切れないでいたな。
あれも読むか。


1月7日(木)の記 すき家のアラー
ブラジルにて


午前中、距離の離れたスーパーのハシゴ。
最初の店でオレンジやジャガイモ、大ぶりのブロッコリ等々を買い込んだ。
買い物バッグがいっぱい、重量もそこそこになってしまった。

今日はこの辺にしておこうかとも思うが…
家人から、頼んでおいた安売りのアルコールはどうしたの?と詰問されそうだ。
歩きながら買い物バッグのなかを積み替えて。

もう一軒では、そのチェーンのオリジナルらしいエコバッグも一つ買うという妙案を思いつく。
これは日本へのちょいとした土産物にもなる。
なんとか1リットルの70パーセントアルコールx2ほかを収納。
このスーパーは日本に先駆けてレジ袋は有料なのだ。

今日のグラフィティはすでにスナップ撮り済み、軽くチェックもしている。
バッグ二つを抱えながら、大通りを歩いて戻る。
牛丼のスキヤの店内のグラフィティを外から見やりながら。

牛丼チェーンの「すき家」のブラジル進出は西暦2010年から。
いまは20軒以上になるという。
僕が利用したのは、ほんの数回。
決して高くはないが、自分でつくった方が…
それに日本と違ってタダのお茶などもなく、飲み物代がバカにならない。

さらに歩くと、向こうから日本人夫妻か。
妻らしき女性「スキヤっていっただいどこにあるのよ?」
と年配の夫らしき男性を詰問する日本語。
どことなくナマリを感ず。

反射的に「このもう少し先にありますよ」と日本語で声掛け。
70前後ぐらいの女性はマスク超しに「アラーッ!」と言いながら瞬時の笑顔を見せ、そのまま歩き去っていった。

まあ向こうも驚いただろうけど。
もう一言ぐらいあってもよさそうかも。

このことをウエブ日記ねたにしようかと帰宅後も考える。
そもそも「ありがとう」に相当する御礼のコトバの存在しない少数民族もいるしな。
男性の方はなんの反応もうかがえずに歩き去って行ったので、妻はそれをフォローするだけで精いっぱいだったのかも。

わが地元のメトロのサウーデ駅は、サンパウロ隣接市とのバスターミナルになっている。
この夫妻も近郊から出てきて、昼食はスキヤとやら行ってみようかということになったといったところか。

わが家の徒歩圏にスキヤは二軒あり。
どうも一軒ごとに店内に描かれている和風グラフィティは異なっている感じ。
それ狙いで入ってみるかな、いずれ。


1月8日(金)の記 孤独を恐れず
ブラジルにて


午前1時から最終準備。
01:30スタンバイ。
5時までの予定が延びる。
夏のサンパウロの朝焼けタイムにZoom退出。

神戸学院大学、番匠ゼミ2コマにわたって。
上映作品は『ブラジル・クリチバの挑戦』。

社会的・環境的弱者/悪者の尊厳の回復と意味の転換、がひとつの大きなテーマだろうか。
神戸で発見された南米のヒアリと日本の冬、地球温暖化。
ブラジルの殺人「子犬」毛虫。
神戸出身の移民小説家・松井太郎さんのこと。
クリチバとホロコーストと神戸のつながり。
等々、他が追随するべくもないネタのトークを展開。
知のエンターティナーを心がけるが…

学生ひとりひとりに質問を求めると、
・ブラジルの食べ物は?
・サッカー留学でプロになれるかも?
・ブラジルってどれぐらいアブナい?
…、といったところ。

終了後、ほてった身心を朝ワインで鎮める…

ひとつミッションが片付くと、締切りがずっと先の容易ではない宿題が気になってきた。
その件の写真撮りで、サンパウロのロックダウンも懸念して今日のうちにと午後に出家。
メトロのなかでポ語版のピオ神父のポケット日替わり語録を取り出す。

1月8日の言葉は…、
孤独を求めなさい。
しかし隣人への慈愛を欠いてはなりません。


沁みる。


1月9日(土)の記 水汲みばや物語
ブラジルにて


早朝から、ブラジルのナショナルプレート、フェイジョアーダの作成にかかる。
これは自分でこさえるのが一番おいしい。

ひと晩、水に漬けておいた黒フェイジョン豆を煮て。
これまたひと晩、水に漬けて塩を抜いた塩漬け肉を刻んで煮始める。

煮汁をちびりちびり、いただきながら。
インディカ米を炒めて煮て。
刻んだケールを油で炒めて。
おや、けっこう早い時間にできちゃった。

午後、連れ合いを実家に車で連れていく便を活用。
年末にはじめて訪れたペトロポリスの鉱泉まで水を汲みに行く。

クルマで片道8キロちょっと。
こんな至近にアルカリミネラルの泉のある幸せ。

広い駐車場があるが、源泉近くは混み合っている。
携帯電話片手にバックしてくるクルマもあるので油断大敵。

こういう水をクルマで汲みに来る層もそれなりにヤバいのがいる。


1月10日(日)の記 夏の魚
ブラジルにて


路上市に買い出し…
ふだんは3軒ある魚屋が2軒のみ。

刺身用の魚を物色するが、シロート目にもこれといったのがない。
かつて新年は中央市場が15日ぐらいまで開かないので、鮮魚がむずかしくなると聞いた覚えがあるが、そのせいかも。

なかでいつも閑散とした店にマスがあった。
あんちゃんに「刺身でだいじょうぶ?」と聞くと「だいじょうぶ」というが、なんだか心もとない。
油で焼いてもいいので、買ってみる。
サーモンのアラを投げ売りしているので、これも買ってみるか。

かつてサンパウロのアイヌ系のお宅で、サーモンのアラの鍋をいただいたのを思い出す。
アイヌ民族は鮭の皮を靴などに利用していた。
僕がブラジルに移住してから祖国で鮭の骨の缶詰がブームとなったこともある。
なんともありがたい魚だ。

日本の縄文研究者なら「サケ・マス文化論」というのにも触れることになる。
北米の先住民同様、日本の縄文人もサケとマスに大いに依存していただろうという説だ。

マスを少し刺身にしてみるが、チリサーモンよりおいしいぐらいだ。
サーモンのアラは買ってきた豆腐のほか、冷蔵庫に残ったいろいろな野菜、そして味噌と酒粕で。
これまたよろしい。

残りの石狩鍋風に、断食明けに冷ご飯を入れてオジヤにしていただくか。
わくわく。


1月11日(月)の記 文字から映像へ
ブラジルにて


朝もう一度、推敲して。
送信。

愛読するガリ版刷り!ミニコミ誌『あめつうしん』から長めの原稿を頼まれていた。
コロナ禍のブラジルで、といった立教大学ラテ研の講演と同じようなお題で。

編集人の田上正子さんが航空郵便の途絶えたブラジル宛、手を尽くして近号を送ってくれていた。
巻頭稿は、いずれも力作ばかり。
しかも田上さんの慧眼とこだわりのほどはよく存じている。

ネタ的にも力量的にも、今回は田上さん、外したなと思いつつ…
これまでお世話になってきているので、ただ書けませんというわけにもいかない。
それなりに書いてみて、やっぱダメだこりゃ、と体感していただくとなるとB案の至急手配の必要もあるだろう。

昨年中にいったん書き上げて、事態の刻々の変化もあるので「松が取れるまで」の期限をいただいた次第。

やれやれ。
お次の作業は…
もはや一週間後のはずの日本相手のオンラインミッションについての具体的な連絡が途絶えているの。
To do, or not to do?
確認のプッシュ。

旧年中に仕上げるつもりが…
イレギュラーな編集が入って、もひとつ年を越してしまった『メイシネマ祭’19』の作業を再開するか。

なんと、最後に作業して別ファイルにしたデータにトラブル。
原因不明。
出鼻をくじかれるが、11月の時点での編集データからやり直し…


1月12日(火)の記 足で世界を
ブラジルにて


これまで靴下は訪日した際に、まさしく「二束三文」のものを買ってきていた。
この10年来、祖国で売られる安物は品質もだいぶ落ちてきたようだ。
さほど使っていないうちに特にカカトの部分が薄くなり、女性のストッキング並みに素足が浮かび上がってきてしまう。

してパンデミック以降、なぜか洗濯後に靴下の片方が行方不明になってしまう事態が続いている。
この調子では次回はいつ訪日がかなうか、見当もつかなくなってしまったし。
さあ、どうしよう。

今日の買いもの。
日毎のグラフィティ採集も心細くなってきた。
「ひところ」のように遠くまで歩く気力体力も乏しく…

おや。
これまでスポーツジムだった広い倉庫のような建物が「香水屋」になっている。
そもそもサンパウロのスポーツジム、乱立の観があった。
いよいよ淘汰か。
「香水屋」と掲示されているが、いろいろな雑貨をごちゃごちゃ置いているようだ。
入ってみる。
ブラジャー、パンティーのコーナーが目に入るが、特に試着や収集の予定も趣味もない。
紳士用靴下は…

あったあった。
日本のビジネスマンが革靴のなかで履くようなのは苦手。
スポーツソックス系だと、こっちのはクルブシぐらいの短いものが多い。
ハタ目には素足で運動靴を履いているのかといった感じのものばかり。
明るい色で、もうちょっと長いのは…

オプションに乏しいが、邦貨にして200円ほどのものを買ってみる。
家に帰って開封。
てっきり中国製と思っていたが、ブラジル国産ではないか。

おや、土踏まずの部分に言葉が印字されている。

Com os pès se descobre o mundo
「足で世界を発見する」、といった意味。
使用していて、まず人目につかないようなところに格言。
この精神、というか遊び心がいい。
いまや世界に広がるブラジルのビーチサンダル、アヴァイアーナも履いている限り人目に付くことのない部分にデザインがされているのが特徴だ。

履き心地は…
日本のもので履きなれたものより薄い。
イマイチだが、これは慣れるしかないかな。


1月13日(火)の記 散らせて応援
ブラジルにて


来週月曜に、ふたたび日本相手にオンラインイベントの予定。
後ろ髪が伸びたのが気になる。

別に後ろにカメラがあるわけではないが、頭を動かしたときに写り込むだろう。
先回は11月の水戸でのオンラインイベントに備えて散髪に行ったな。

こちらでの巣ごもり開始以来、まだ2度しか散髪に行っていない。
ここのところのブラジルのコロナの数字の高さには愕然とするばかり。
いつ散髪店もふたたび休業対象になってもおかしくなさそうだし。

移民床屋・大塚さんが一昨年に亡くなり、その後は何軒かのブラジル床屋を彷徨中。
カミソリ傷で血まみれにされて知らん顔の最初の店はもうごめんだし。
もう少し場数をこなした方がよさそうだ。

小さな店で、客もなく若い理髪師がぽつねんとスマホに目をやっていたところが気になっていた。
子ども用の車型の椅子もあり、先日は母親らに取り囲まれたワケアリそうな少年の理髪中だった。
コロナ対策のため、事前予約をお願いしますの張り紙があり、電話番号をスマホ撮り。

今日の昼、電話をしてみる。
しばらくして女性が出たので、間違えたかと思った。
午後2時を予約。

時間に行ってみるとガラス戸に施錠がしてあり、なかに誰も見当たらない。
やれやれ。
ほぼ角地にあるが、曲がったところに同名の美容院があり、同じ経営のようだ。
そちらの呼び鈴を押す。
出てきた女性が、理髪師は食事に出ていてもう戻るから中で待ちますか?
という。
美容院側から中でつながっている。
「この子供用のクルマに座ってもいいですか?」
とくだらないことを言っておく。
「どうぞ」とのことだが…

待つこと15分。
近くにタトゥー系の理髪店もあるしな…、と思ったところに。
なよんとしてかなり若く見えるが綿飴クラスのヒゲをたくわえたおにいちゃんが登場。

小声で聞き取りにくく、聞き直すと「予約していたんですか?」とのこと。
電話のアテンドをした女性は伝えていなかったようだ。
日本で事前に床屋に予約をして15分も待たされたら…
詫びのひと言もないのがブラジルっぽい。

いろいろ聞きたいこともあるが、先回、飛び込みで入った店と違って彼の方から話しかけてこない。
コロナの時期でもあるので、こちらも口を閉ざしておく。

ま、さっぱりした。
家族からは誰も「髪を切ったの?」の指摘もなし。
それほど伸びていなかったし、それぞれ夜のオンライン作業も抱えているしね。


1月14日(木)の記 縄文正月
ブラジルにて


祖国日本もさることながら、ブラジルのコロナ禍がひどく再燃している。
ツイッターではアマゾンのマナウスの病院に酸素がない、緊急事態!というメッセージが次々に流れてくる。
日本の成田で判明したブラジルからの帰国者でコロナの変異株に感染していた人たちもマナウスから搭乗したらしい。

わがサンパウロも新感染者数、死者数とも急上昇。
所用で出ても、ちょっとカフェでいっぷく、というのは自粛…
遊び人が家族に感染させるわけにはいかず。

こんな時期だが、祖国から小正月絡みのニュースが入ってくる。
呼び名も様々だが、地域ごとの多様性には目をみはるばかり。

数日前になんの記事で見たのか確認できなかったが、たとえば左義長という行事は平安時代まで!さかのぼれそう、とあった。
僕は小正月の行事は縄文時代にさかのぼるだろう、という仮説を卒論のテーマにした。
タイトルは「ドングリとマユダマ」。

小正月の行事が相当古くまでさかのぼるだろうことは、民俗学者の宮本常一先生も指摘している。

鹿児島では、いわゆるドンド焼きを「鬼火焚き」と呼ぶと今日、流れてきたツイッターで知る。

卒論と言えば。
日本の大学の卒論でブラジルの移民小説家・松井太郎さんを扱いたいという学生のために、ひと肌脱ぐことにした。
彼女の担当教官も乗ってくれて、松井さんへのインタビューをまとめた拙作の上映とトークをオンラインで行なうことになった。

その準備をメインにする。


1月15日(金)の記 オンライン広島
ブラジルにて


当地午前6時半よりZoomで広島大学の人類学者、そして学生と打ち合わせ。
先生の専門はフィリピンだという。
僕の日本映像記録センターでの初めての取材がフィリピン。
しかも帰国するごとに牛山純一プロデューサーにどやされ、計3回の比国通いをすることになった。

学生の関心はブラジル移民の小説家、松井太郎さん。
かき集めていた参考文献をチラ見せすると「ブラジルで出されたものですか?」と先生に聞かれる。
そうか、ブラジルで出された日本語出版物の話も盛り込むか。

あらたに日本の松籟社刊の松井さんの小説集を読み返している。
いまさらながら、タダ者ではない。
もっと生前にお話を聞いておけばよかった。
晩年は対話がむずかしかったのだが。

松井ワールドに浸っていると、しばしば登場する「火酒」が飲みたくなってくる。
飲みたくならせる描写なのだ。

生前の松井さんにそのあたりをうかがうと、自分は飲まない、というのに驚いた。
松井さんの没後、ご子息にその話をすると、話はだいぶ違った。
さすがは小説家である。

まだ夏の日は暮れ切らないが、もう飲むしかない。


1月16日(土)の記 コロニア今昔物語
ブラジルにて


今日も移民小説家・松井太郎さんの小説選を読み耽る。
いずれも余韻深く、おいそれとは読み進められず。

80代以降に発表された短編がまた絶妙だ。
黒澤明監督の晩年の作品ともオーバーラップしてくる。

松井さんとのゆたかな時間を想い出す。
松井さんのお宅はサンパウロ市東方で、植物学者の橋本梧郎先生のお宅の方角だった。

二人に面識はなかった。
松尾太郎さんと橋本梧郎先生を同日にハシゴして訪ねるという、ぜいたくかつ濃厚な日々があった。

橋本先生もうなずいた「われわれは仇花」という言葉を反芻しながら。
さあ月曜のトークはどんな塩梅でいくかな。

ちょいと検索すればわかったり、他の人でも話せるようなことを僕が語ってもシャレにならないし。
さてさて。


1月17日(日)の記 松井づくし
ブラジルにて


『松井太郎小説選』を続、正の順で読み直していた。
午後の早い時間にようやく読了。
余韻に浸る。

浸りながらも明日の当地時間午前6時からのオンライントークと上映のついてのネタ、構成を練り練り。

夕食を早めにとり、早めに体を休めようとするが、小心者ゆえきちんと眠れない。
脳内で松井ワールドを反芻。
新たなネタを思いついたり、今のうちに確認しておきたいことがぽつぽつと出てきて、何度となく起き上がる。

まず寝過ごしはないだろうが、念のためスマホのアラームを5時に仕掛けておくか。


1月18日(月)の記 仁義なき闘い 広島オンライン戦争
ブラジルにて


水面すれすれのような浅い眠り。
もう起床すべき時間だ。

さあ広島大学をGHQにしての拙作のオンライン上映とトークだ。
上映作品は『移民小説家 松井太郎さんと語る』。

かつて取材を受けたルポライターがこの大学で「入院」までしていたと知り、挨拶メールを送った。
ここの学生はのんびりしているので、ゆっくり話してあげてください、と貴重なアドバイスをいただいた。

参加者は研究者・教員が多いとわかり、ますますいいかげんなことは言えなそうだ。
挙手での質問もいただき、トークを切り上げて応答。
挙手は途切れることなく、時間オーバー。

8時閉店のMACから発言の人、東京の大学の学生も発言してくれた。
GHQ発信の動画が、わが家も含めて受信状況によってカクリ現象が生じたようだが、断線等の事故は生じなかった。

それにしても、卒論の執筆と締め切りを間近にしてこのイベントを実現した学生と担当教官に拍手。

やれやれ。
本来は月曜は一日断食だが、明日に繰り上げ。
まずはM州産の火酒をいただこう。

わが家の思わぬところから深夜に発掘した手塚治虫『グリンゴ』全3巻を久しぶりに読み直すか。
冒頭から、わが町が描かれている…


1月19日(火)の記 東洋人街にて
ブラジルにて


泥沼状態で、ふたたび東洋人街の日系医療機関の歯科医へ。
メトロのどっちの駅の方から行こうか。

処刑場あとの方からにする。
地上に出て、グラフィティを物色。
おう、墨痕鮮やかなものがある。
ちょうどここは路上生活者が占拠していなかったので、スナップ。
https://www.instagram.com/p/CKOl1ugHVhA/

邦字新聞社に購読料の支払いに行く。
リベルダージと呼ばれるこの地区が、かつての黒人奴隷や犯罪者の処刑場かつ墓場であったことを体感できるような一室。

見回すと近くで三人の日系女性スタッフがすわってなにやらしている。
立って待たされている間、カフェかお茶の提供どころか、こちらの前にある椅子におかけになってお待ちください、でもない。

紙面で日本スゴイ、ブラジルで日本精神を、とラッパを吹きまくられるが、大本営内が有料購読者に対してこのありさま。
そもそもいつもの集金人がパンデミック以降、何の連絡もして来なかったのだ。

先に廃刊となった邦字紙の方は…
だいぶ支払い済みの購読料があったので、問合せをするとこちらの口座に払い戻します、とのことだったが…
実行に移されず、電話にも誰も出なくなった。

わがコロニア:日系社会の現状と今後の象徴か。


1月20日(水)の記 伊号萌ゆ
ブラジルにて


なければないで、不自由とまではいかないが物足りないものだ。
先週、近くの日系食材店をのぞくと、モヤシがない。
いつもなら段に積まれて、より製造日の新しいものを奥から選び出すのが手間だった。
店の人に確認すると、モヤシは切らしている由。
「モヤシが切れる時なんて、あるんだね。どうしたのかな?」
「さあ。雨のせいかしら。」
モヤシ生産に雨が影響するとは思えないが。
もう一軒ものぞいてみるが、こちらもモヤシはモヌケ。

月曜日にのぞいてもモヤシはない。
「水曜日に入りますよ。」

さあ水曜日だ。
ない。
聞いてみると、運送の問題、と言ったようだ。
この店員はふだんから体格のわりに小声で聞き取りにくい。
加えて、今はマスク着用。
サンパウロの新たなコロナ禍暴騰の折、不要不急の会話は差し控えよう…

昨日、東洋人街では馴染みのウタマロ印ではない、やや割高なものはあったが水曜待ちで買い控えていた。

わが子の高校時代の一級下の生徒を想い出す。
親のデカセギで長年、日本で暮らし、ブラジルに戻ってこの高校に編入したばかり。
優秀だが、ポルトガル語がむずかしい由。
文化祭の時、彼とサシで話す機会があった。

モヤシの栽培実験の展示。
彼は日本語で僕に説明してくれる。
「日本は戦争中、潜水艦の乗組員の野菜不足を補うため、潜水艦のなかでモヤシを栽培していたそうです。」
彼は日系三世ぐらいだっただろうか、これだけの日本語を話せるのに驚いた。

そして彼のその情報にさらに驚いた。
僕は第二次大戦軍事マニアだった時もあるが、このエピソードは寡聞にして知らない。
バロン吉元さんの『どん亀野郎』でも記憶にないが…
帰宅後、検索してみると、確かにその情報があった。
VIVA! オタク!

彼はどうしているだろう。
君に教わっておきながら、なにもできなくて、ごめん。


1月21日(木)の記 命がけの飲食
ブラジルにて


冷蔵庫の残りものをチェック。
かなり危なそうなものを、臭いは悪くないのでたいらげてしまった。

気になってネットで検索してみると「絶対に食べないこと」といった記載ばかり。
これはまずかったかな。  
味はまずくなかったのだが。

…、嘔吐、腹痛、下痢もなく数時間経過。
「また、生き残ったか」と『七人の侍』の勘兵衛のセリフ。
食中毒死と言えば、同じ黒澤監督の『どですかでん』の物乞いの親子。
残飯のシメサバにあたった。

年末の日本の新聞メディアのオンライン記事を想い出す。
サンパウロ在住の日本人が、路上の人たちに家族でつくった食事を配っているという。
自分の住まいの近くの人にはじめて、今では自動車でまわって探した人たちにも提供している由。
美談として報じられて、SNSでの反応も絶賛ばかり。

この記者は、あの事件を知らないのか、あるいは削除したのか?
いつだったか記憶が定かでなく、キーワードで見つかるかな…

あった。
昨年7月ではないか。
大サンパウロ圏で、奉仕グループとみられるところが配った食事を食べて、路上生活者が中毒死した。
死者だけで複数、いずれも未成年だった。

宗教グループによる配布で、単なる食中毒か、毒物の故意の混入かは不明の由。
続報を調べるが、見つかった続報も調査中、にとどまっていた。

食べる方も命がけである。
なかには僕のように気が弱く、差し出された「善意」を断り切れずに食べてしまう人もいることだろう。

複数の事情に通じる人に聞くと、当地にも路上の人たちなどの収容施設はあるが、行政のスタッフの働きかけにもかかわらず、そうした施設を嫌ってなおもこの人たちは路上に暮らすという。

施設を拒むという「人権」を尊重しないわけにもいかない由。
いっぽうわが家の至近で日中、歩行中の市民が路上生活者から理由なく石で殴りかかれて頭部に重傷を負うという事件が生じたばかり。

死亡事件が起きたのは当地の冬場だが、現在のこちらは夏盛り。
より食中毒には留意しないと。


1月22日(金)の記 ヨコバイとサルノコシカケ
ブラジルにて


買い物のついでか、グラフィティ探索のついでか。
昨日に引き続き、二駅、南にくだって下車。

少し歩くと、ポルトガルベーカリーというのがある。
有名なパステル・デ・ベレンなどもあり、買ってみる。
これで家族への外出の大義名分が立ちそうだ。

小さなトラブルがあり、駅の反対側の公園に行ってみる。
都市部にしては広い市立公園だが、数か月前にはコロナ禍を理由に閉園となっていた。
おや、今日は開いているではないか。

入園にあたって検温とアルコールジェルによる手指消毒が義務付け。
昼食準備の都合もあって、さっと帰るつもりがそうもいかなくなってきた。

軽く見てみるか。
かつての大邸宅の庭園跡らしい、かなり人手の入った植生だ。
それでも下草に亜熱帯の潜在植生の底ぢからがうかかえる。

お、樹幹にサルノコシカケ。
野生化したカフェーの木が散見。
おや、ツノゼミかな?
ヨコバイのなかまだな。

さすがに朽ち木返しはやめておく。
園内の建物にそこそこのグラフィティも。

グラフィティも実に面白いが…
森そのものが圧倒的に情報量が豊かで多様だ。
要はそれを感受、読解できるかどうかだ。

森をよむのは、ほんとに久しぶりだ。
身心がこれを求めていた。

これはときどき来て、文庫本でも開きたいところ。

…クリスマス、年末年始の緩みが数に出る。
ブラジルのコロナ死者はふたたび一日1000人越えの勢いとなった。
サンパウロ州だけで日に200人以上!が亡くなっている。
サンパウロ州は今度の月曜から制限が一気に厳しくなる。

公園もまたしばらくお預けかな。


1月23日(土)の記 アンティフォナ
ブラジルにて


アンティフォナという言葉を覚える。

先日ご紹介したピオ神父の言葉が印象に残った、というお便りをいただいた。

今日は買い物、グラフィティ探しでメトロ新線のはじめての駅まで行ってみる。
車内で日替わりのピオ神父の言葉のミニ本を開く。
1月23日…

そのままではカトリックのミサ次第に通じていないとわかりにくい。
意訳してみよう。

実現すべきよき仕事の前に遭遇する障害は、これから歌われる荘厳な聖歌の序曲のようなものである。

序曲、と意訳してみたのがアンティフォナ。
ミサの前半の詩編朗読の際の相聞形式の歌などを言うようだ。

新駅から地上にあがって、目の前に現れたしぶいグラフィティの大作にびっくり。
今日は光線の具合が悪いのでスナップ撮りはやめておく。
ここは車の動きに気を付けないとあぶないな。


1月24日(日)の記 日曜画家
ブラジルにて


日曜日はグラフィティ採集者にとって格別の気合を要する。
週日の日中は開いている商店やオフィスが閉じている。
シャッターにグラフィティが描かれていれば、昼の陽光でそれを拝める次第。

それにしても…
僕にも視覚公害に思える、美しいとも面白いとも思えない落書き:タギング:ピシャソンが圧倒的に多いのだが。

車で日曜の早朝に走った際、目についたシャッターのグラフィティがあった。
わが家からメトロでひと駅、南。
今朝、路上市の買い出しのために出たついでに…
思い切って行ってみる。

絵柄から、情報機器系の店のようだ。
角地なので、両側のシャッターにいずれも面白いグラフィティが描かれている。
ずばり角の面のシャッターはまだ無地で、そこにチョークで立ち向かっている男性がいるではないか。
聞くと、彼がこれらのグラフィティの作者。
今日は最後の一面を描きに来たのだった。

作品を称賛し、喜ばれる。
彼が♪オテテツナイデ…の歌詞を暗記しているのには驚いた。
https://www.instagram.com/p/CKbl2UWjCjj/

連絡先はわかったし、彼もこれから創作にかかるところ。
こちらも買い物、家族の食事の支度がある。
3度目の拳をぶつけ合う「握手」をして失礼する。

実際の作画中のグラフィテイロと出会うのは2件目だ。
なんという僥倖。

わが嗅覚も、まだ尽きていないかな。


1月25日(月)の記 デンデ油のかなしみ
ブラジルにて


今日は、サンパウロの町の誕生日。
満467歳。

午後、ミネラルウオーターの汲み取りと家族の送迎。

晩御飯はなににしよう。
子らと相談。
ブラジル産パラボイル玄米と各種キノコのリゾットとする。

当国産のパラボイル米の調理は初めて。
さて、油…

買ったまま未使用のブラジル産デンデ油を使ってみるか。
これは調べてみると、東南アジアでの環境破壊で問題になっているパームオイルと同じ椰子の油。
パーム油の生産者と消費者の利点として「値段が安い」とある。

はて、
ブラジルのデンデ油は高いのだ。
200ccの小瓶で10レアイス、約200円。
サラダオイルの5倍以上だ。
ヨーロッパ産のエキストラヴァージンのオリーブ油と同じぐらいの価格。

このデンデ油はブラジルの北東部料理には欠かせないとされる。
そもそもこうしたブラジルのデンデ椰子のオイル生産は前近代的な方法で、絶滅の危機にあるとか。

さて今日のリゾットは以前、好評だった味噌味でいってみようと思う。
思い切ってデンデ油で。
キノコ数種、ポロネギ、ニンニク類をいためる。

うーむ。
いわゆるビミョーな味。

デンデ油、色も個性も強すぎ。
味噌とはあわないようだ。
そもそも日本人はこの油が合わずにお腹を壊す人も少なくないといわれていたな。

ああ、のこりのリゾットをどうしよう?
鶏肉の残りとオカユにしてみるか、具を足してチャーハンにするか。
制作者の責任は重い。 

 
1月26日(火)の記 アジアの隣人たち
ブラジルにて


今日も東洋人街の日系医療センターへ。

僕の前に診療を受けていた年配の東洋系女性二人が、受付でけっこう長く問答をポルトガル語で続けている。

日本人一世には見えない。
日系の何世かだろうか。
マスク、服装など、どことなく違う。

しばらく待たされてから診察室へ。
先生にさっきの女性二人について聞いてみる。

コリアンの姉妹で、姉の方はパラグアイから来た由。
この診療センターはコリアン、チャイニーズの利用者も多い由。

かつて日本人町と言われたこのあたりも、いまや東洋人街と呼ぶべきなほど、特にチャイニーズが増えた。
ブラジルでは圧倒的な数とパワーを誇っていた日系も、その勢いは昔日のこと。
日系人の立ち上げた産業組合も消滅、銀行も身売りのうえに身売りを重ねた。
祖国からも、たとえば日本航空がブラジル航路から撤退して久しい。

そうか、それでも医療機関は保っているか。
この医療機関は不便な町はずれに病院を設立したが、日本のサラ金王の名前を掲げた病院だ。

あ。
拙作『富山妙子 韓国のスケッチ』を想い出す。
画家の富山妙子さんが1970年代初めに韓国を訪ねた時のスケッチ画を撮影したもの。
描かれているのは主にソウルの市場で働く女性たちだ。
朝鮮半島全土が戦場と化した朝鮮戦争の休戦は1953年。
軍人を除く民間人の犠牲者だけで200万人を軽く超える。
この度のコロナの全世界の膨大な死者数の合計も、まだこの戦争の民間の死者数に追い付いていない。

スケッチからはその動乱の余韻が伝わってくる。
いっぽう、市場のおばちゃんたちの衣服の色や柄が鮮やかなのだ。
この作品を見た九州出身の在日コリアンの女性が、自分が子供の頃、九州で見ていた祖母たちを想い出すというコメントをくれた。

もっとこの人たちのことを知りたい、話をしてみたい。


1月27日(水)の記 UMAMIの世界
ブラジルにて


月曜はサンパウロの祝日だったので、一日断食を火曜にした。
今日から「開食」。

夕食はヤナギマツタケと豚肉の炒め物、そして空心菜の炒め物。
いずれもなんだかとってもおいしい。
断食明けの時は、とくに「うまみ」に敏感になるのだろうか。

ヤナギマツタケという言葉はちょっと前まで知らなかった。
東洋人街の華人系の店で「茶树菇」という乾燥キノコを買ってみた。
これを調べてみて、ヤナギマツタケという和名があることを知った。
乾燥ものは豚肉との炒め物がいい、とネットのレシピにあった。
牛肉だったかな?
空心菜も昨日、東洋人街で購入。

早朝から運転、昼前に帰宅して急きょオルガニック市まで歩く。
夏場のせいか、今日も不作。
向かいのスーパーで「サーモンきのこ」を購入。
ここだと、だいぶお手軽な値段。
見た目の形状はヒラタケだが、鮮やかを通り越して毒々しいまでのサーモンピンク。

日本でも売られているのを見た記憶があるが、検索しても引っかからない。
ポルトガル語名から、学名は Pleurotus djamor と知る。
この学名で検索すると、なんと日本語ではWikiのページもない。


英語のページを読むと…
「(前略)it is quite umami」とある。
「umami」という単語が強調記号なしに「素で」使用されているのが驚き。

ちなみに英名は、pink oyster mushroom。
どこがオイスターなのかな?
ネット情報でも確認できたが、このキノコは加熱するとサーモン色がさめてしまうのがもったいない。
(後記:2月2日夜、ふとトキイロヒラタケだったかな、と思い出して調べるとビンゴ!)

まあゆっくり菌食生活のウマミを楽しもう。


1月28日(木)の記 スランプにグラフィティ
ブラジルにて


朝からハプニング続き。
一刻も早く済ませたい身内の在外公館での手続きがある。
ところが在外公館はコロナ禍により特別態勢に入っている。
来館希望者は事情等を記したメールを送って予約しなければならない。

今週中に済ませたかったが、今朝、先方から電話があった。
今週はもう受け付けられないという。
今日にでも、と思っていたが、仕切り直しだ。

さて『メイシネマ祭』の記録のまとめも一段落ついたので。
次の編集ミッションのための、撮影素材の取り組み。
うう、これがうまくいかない。

装置、システム、接続の微妙な問題か?
1時間の素材の取り込みを再三再四、繰り返す…

買いものや、グラフィティ採集をどうするか。
午後、機械に作業をまかせて外出。

ターミナル駅付近を歩いてみる。
ほとんど立ち寄ることのないところ。
メキシコやイタリアの小都市を歩いた記憶がよみがえる。

うーん、ない…
お、あれは学校か。
https://www.instagram.com/p/CKmVEOUDi6D/

門番に仁義をきって撮影。
が、通りがかったここの教師だというおばさんに誰何される。
誰がためのグラフィティか。

そこそこいいグラフィティに出会えて朝からのモヤモヤもリフレッシュ。
素材の取り込みも、まずはなんとかなったようだ。


1月29日(金)の記 明日の朝刊
ブラジルにて


早朝のパン屋、日中の買い出し、そして夕方からのミッションで3回外出。
日中のアヴェニーダの温度計は「37℃」の表示。

パンデミック巣ごもりのはじめの頃は、当地でメインのニュース番組の毎日のコロナ感染者・死亡者の統計の発表をチェックしていた。
しかしこれが番組枠のなかの決まった時間に放送しない。
ニュース枠そのものもサッカーの試合放送の都合などで変則となる。

そもそもテレビを見るという習慣がないに等しいので、やめてしまった。
日本の亡父のこと。
こっちが小学生の頃だろうか。
プロ野球のナイター中継を見ていると、
「そんなの明日の朝刊を見た方が早いよ」
などと言われていたのを想い出す。
いちいちひねくれた父だと思ったものだ。

さてこのニュースのコロナの日々の統計のコーナーはウエブサイトで後刻に視聴できることがわかった。
昨今はもっぱら翌朝にチェックしている。
たしかに、この方が早い。

昨日発表のブラジルの一日のコロナ死者数は、1400人を超えた。
ここのところの1000人越えでがっくり来ていたが…
いっぽうブラジル国内のワクチン接種者の数も発表されるようになった。
昨日までに、150万人。
まだ人口の1パーセントに満たないけど。


1月30日(土)の記 風の補給
ブラジルにて


「今日も、暑うなるぞ」。
(小津安二郎監督『東京物語』より。)

暑い。
泊まりのお勤めを果たして、自動車で帰宅。
家族3人、それぞれ作業中。
僕の空間の扇風機が持ち出されている。

家族4人で扇風機3台では、いずれ想定できる事態だった。
人数分の扇風機を買っておこうという僕の提案はこれまで却下されていた。
経済的甲斐性のない父親のかなしさ、家族だれもが緊縮精神。
この暑さはようやくはじまった事態で、今日だけガマンすればすむというものではない。

思い切って、わが家で一服する前に扇風機の買い出しに。
徒歩圏にできた大型文具チェーン店に扇風機も何種類か売られていた。

ふむ、日本の格安居酒屋チェーンでの懇親会で軽く飲食する程度の値段だ。
買う。
ほう、ブラジルのバイア州の産か。
6枚羽根か。
アバウトな絵図だけ見て組み立ててみて、不都合が。
道具箱を取り出してきて、やり直し。

強度1~3があるが、いずれも強い感じ。
値段も格安居酒屋レベルだったせいか、騒音は30年以上前の機種とさして変わらない感じ。


1月31日(日)の記 クアトロ・ラガッツィの半分
ブラジルにて


今日も暑い。
無風無雨。

ついに故・若桑みどりさんの大著『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』文庫版の上巻を読了。
手もとにあるのは西暦2008年発行の集英社文庫の初版だ。

購入後、読み始めて中断。
もう一度、最初から読み始めてまた中断。

面白いのだが、決してホイホイと読み進められるようなものではない。
上巻だけで、ノンブル、というのだろうか、ページ数の記載は575まである。
上野英信の『出ニッポン記』文庫版のノンブルは605。
いい勝負だ。

ブラジルでのコロナ巣ごもりの機会に、またはじめから読み直した。
それでも中断、中断…
必読書の上巻をついに読破。

さっそく下巻に取り掛かる。
最初に読み始めた以降に2016年発行の『ローマへいった少年使節』などを入手して先に読み上げているので、ちょっと混乱。

先に「あとがき」などを読んでしまい、四人のうちから外されがちだった一人が最後に壮絶な殉教を遂げる、というひとつの結末に胸が熱くなる。

ミサに参列しても、早く終わらないかばかりに気が回り、殉教者たちになんの思いも寄せていなかった自分を恥じる。



 


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