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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2021年の日記  (最終更新日 : 2021/01/25)
1月2日(土)の記 丑年の牛山/人生のプロデューサー

1月2日(土)の記 丑年の牛山/人生のプロデューサー (2021/01/03) 丑年の牛山/人生のプロデューサー
ブラジルにて


昨日に引き続き、土本典昭さんの『水俣を撮りつづけて 不敗のドキュメンタリー』(岩波現代文庫)を読み耽る。

改めて感無量なこと。
土本さんのライフワークとなる「水俣病」というテーマを土本さんにふったのは当時、日本テレビに所属していた牛山純一プロデューサーだった。
民放のテレビドキュメンタリー番組の草分け『ノンフィクション劇場』の企画だ。

牛山さんは番組デスクともに、水俣病関係の小さな新聞記事のスクラップを3枚ほど土本さんに渡したという。
これが『水俣の子は生きている』と題された土本さんの水俣病に関する最初の映像作品として結実する。
その紆余曲折のドラマは、この本に詳しい。

牛山さんが独立して築いた日本映像記録センターの自社ビルにて。
入社後まもなくして僕は番組ディレクターとして海外取材に奔走した。
日本にいる束の間、牛山さんの助手的な仕事をおおせつかることがしょっちゅうだった。

そのひとつが新聞スクラップだった。
入社後数年目になると、記事選びも任された。
数紙の日刊紙のバックナンバーを繰り、牛山さんの嗜好に合いそうなもの、番組のネタになりそうなものを切り抜いていく。

土本さんが原発に関する新聞記事を撮影して『原発切抜帖』というドキュメンタリー映画をつくっていることがオーバーラップする。

僕がブラジルで整理が追い付かないものの新聞スクラップを続けているのは、こうした影響かもしれない。

牛山さんは、それまでブラジルに縁もゆかりもなかった入社後1年ちょっとの僕にブラジル:大アマゾンシリーズの取材を命じた。

いまとなってはブラジル抜きの僕の人生を考えてみるのもむずかしい。

知名度、仕事量とも土本さんと僕では比べ物にならないが、牛山さんはこうして何人もの人生をプロデュースした。


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