3月13日(土)の記 墓場とゲゲゲのはざまで (2021/03/14)
墓場とゲゲゲのはざまで ブラジルにて
自分の原点は、と問われることもあまりないけれども。 小一時分の『ウルトラQ』と水木しげるだと思っている。
調べてみる。 水木しげるの『墓場の鬼太郎』の『少年マガジン』連載は西暦1965年。 これがテレビアニメ放送とスポンサーの事情で『ゲゲゲの鬼太郎』と改められたのが1967年。
僕は5歳年上の兄貴の買ってくる『マガジン』『サンデー』をものごころついた頃から読んできたので、『墓場』の方が自分の原点だといえる。
未整理極まりない蔵書のなかで『京極夏彦が選ぶ!水木しげる未収録短編集』という文庫本が目についた。 西暦1999年、ノストラダムスの予言の年のちくま文庫。
さて僕は小学生の頃はマンガ家になるのが夢だった。 後年、兄貴が独立して別居するようになると、自前をはたいてまでマンガ雑誌を買うこともなくたったが。
ブラジルに持参した日本語の本は古本屋を開きたいほどあるが、マンガ本はわずかである。 ここのところ、つげ義春にシビレた影響だろう、つげと縁のある大水木のこの短編集が目についた次第。
最後に収録された「てんぎゃん」が白眉。 水木には超人・南方熊楠の生涯を描いた傑作『猫楠』があるが、これは幼少年時代の熊楠を描いている。 解説によると他にも水木の熊楠ものがいくつかある由。
大熊楠は解説書も含めて読みこなすのは容易ではない。 それを大水木がマンガ化してくれているという僥倖。
うーむ、熊楠そのものを読まざるを得ないな。
追記:午前中、ミネラルウオーターの汲み出しに車で行って… 偶然が重なり、車を停めたところがトミエ・オオタケ先生のお宅の前だった。 あのお宅の近くのグラフィティを探してみようか、久しく行っていないが道の名前はなんだっけ、などと思い続けていたのだが。 尋常ではないものを感ず。
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