移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
岡村淳のオフレコ日記
     西暦2021年の日記  (最終更新日 : 2021/04/10)
4月2日(金)の記 ブラジルのおじさん

4月2日(金)の記 ブラジルのおじさん (2021/04/03) ブラジルのおじさん
ブラジルにて


キリストの受難の休日。

午後より、連れ合いの実家へ。
西暦2009年にパラナ州マリンガで、この実家の一族が総集合とする初めての集いがあった。
その会合の模様を撮影してまとめる機会もなかったのだが、この度、思い切ってまとめてみた。

それを義母に見てもらう。
一族のブラジルのパイオニアの家長は、続木栄吉という。
僕の連れ合いの父のオジにあたる人だ。
この名前と字で検索すると、一件だけヒットする。
在ブラジルのジャーナリスト、外山脩さんの邦字紙での連載『第2次大戦と日本移民』の一章だ。

「同じ4月30日、奥ソロカバナ線プレジデンテ・プルデンテで、郊外の植民地に住む続木栄吉が、朝、町へ行く途中、銃撃され負傷した。
 続木は、認識派ではあったが、同市に於けるその中心人物というわけではなかった。ただ終戦時、東京ラジオを聴いており、日本は負けたと人に話していた。
 襲撃者は5人で、覆面をしていた。弾は続木の左胸に当たったが、内ポケットに厚手の手帳か何かを入れていたため、心臓に届かず助かった。」
(ニッケイ新聞 2013年8月16日)

このエピソードはブラジルで発行された『臣道聯盟』という本にも書かれているが、この本では「続 エイキチ」となっている。
すでに著者は故人だが、生前に名前の表記が違うことを伝えたものの、なんのリアクションもなかった。

2009年の一族の集いの記録を今回の編集作業のために見直して、思わぬことに気づいた。
続木栄吉一家は西暦1930年に、らぷらた丸でブラジルに渡った。
1930年の、らぷらた丸。
あの『蒼茫』で第一回芥川賞を受賞することになる石川達三も1930年のらぷらた丸だったはずだ。

調べる。
石川達三乗船のらぷらた丸は、1930年3月神戸発。
続木栄吉一家は、7月神戸発だった。
石川達三らを乗せて日本から南米に向かい、日本に戻ってすぐにふたたび南米に向かうらぷらた丸に一家は乗船したのだ。

ブラジル生まれのポルトガル語文化圏に生きる一族郎党には、こんな発見の面白さを共有してもらうのはむずかしいだろうな。



  


前のページへ / 上へ / 次のページへ

岡村淳 :  
E-mail: Click here
© Copyright 2021 岡村淳. All rights reserved.