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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2021年の日記  (最終更新日 : 2021/10/28)
9月26日(日)の記 イエスの謎の一考察

9月26日(日)の記 イエスの謎の一考察 (2021/09/26) イエスの謎の一考察
ブラジルにて


今日のタイトルは、松本清張の著作にちなんだもので、実際に書くのはささいなことである。

この時期にカトリック教会のミサにあずかって。
教会側の求めるコロナ感染対策を守らない人が少なくない。
たとえば…
公開ミサの再開とともに、座席は隣を空けるよう各椅子に明示してある。
ところが今日、前の座席は空いているのにミサの途中から僕の真隣に座ってきたオヤジがいる。
映画館なら、男狙いの痴漢とみたほうがいいだろう。

日本や韓国でプロテスタント系の教会での集団感染の例が報じられている。
コロナ大国ブラジルではこうしたニュースを寡聞にして聞かないが、どうなのだろう。
教会側のスタッフががんばっているのはそこかしこで感じるのだが。

さて、もう4週間になる。
8月29日の日曜の聖書の朗読箇所。
マルコによる福音の第7章。
イエスの弟子のなかには食前に手を洗わないのがいた。
それをユダヤ教の一派の人たちがイエスに「なぜ昔からの教えを守らないのか」と質す。

イエスは群衆を集めてこう語った。
「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。
外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。
中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。
みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」(ウエブマガジン『日毎の福音』より)

コロナ禍の今、これをどう読むべきか、僕はカトリックの司祭や修道女、カトリックメディアで働く人たちに問い続けてきた。
スルーする人ばかりで、答えてくれた人もコロナ問題を踏まえているとはいえなかった。

聖書によるとファリサイ派と呼ばれるこのユダヤ教の一派では、
・食前の手洗い
・市場から戻ったら体を洗う
・器や寝台を洗う
などの言い伝えを守ってきたという。
パンデミックの続く現在では、感染症防止のため理にかなったことばかりだ。
この時ですでに数百年の歴史を持つ一派で、その歴史のなかで感染症を体験しての知恵でもあろう。

イエスの言うことはそれはそれでもっともかもしれないが、感染症対策では意味を成すだろうか。
イエスの生涯は30数年、伝道期間は3年程度とみられている。
当時はスペイン風邪やCOVID-19のような感染症の流行はなかったのだろう。

もっとも、イエスが生前に繰り返したのは病人の奇跡的な癒しである。
自分の弟子が習慣とすべき手洗いをせずに感染症をわずらい、それを師が奇跡でなおすというのでは、ちょっとついていけないかも。

カトリックはスペイン風邪から何を学んだのだろう。





 


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