6月の日記 総集編 ピラポラ (2022/06/03)
6月1日(水)の記 広場で読む『広場』 ブラジルにて
月曜から二泊、リスクを避けてノートPCを持たずの外泊。 ふだん手が伸びづらい書籍や資料を供にした。 アパートを出家すると、門番が受取り署名が必要な小包が届いているという。 おう、日本からの船便だ。
日本でお世話になっている人が刊行物を船便で送ってくれていたのが届いたのだ。 消印を見ると、3月半ばの投函。 航中の潮の香りが伝わってきそうだ。
出先で開封。 このときめき。
拙作『ブラジルの生きて』で紹介したエピソードを想い出す。 西暦1930年代初め、新婚早々でブラジル帰りの夫に連れられて移住した石井敏子さん。 日本から手紙が届くと、開封する前に泣いて、読んでまた泣いていたという。 パンデミックにより日本とブラジルの航空郵便が中止されて今に至り、少しはその敏子さんの胸中がわかってきた気がする。
さて書きどころ満載の船便。 そのなかに別の日本の友人がこの方に託していただいた包みも同封されていた。 本を送ってくれたというのだが、なんの本かは知らなかった。
「CEON韓国文学の名作」シリーズ、崔仁勲著『広場』という小説だった。 なんの予備知識もなく、読み始めてみた。 驚いた。 朝鮮戦争の時の「釈放捕虜」の話だった。 出先の二泊三日の間、特に深夜に読み耽った。
あますところわずかで要帰宅時間となった。 帰宅後、夕食の準備をすべき時間が迫るが『広場』を持って買い出しに出た。 隣駅前の広場のカフェで残りを読了。
解説がまた興味深い。 朝鮮戦争の「釈放捕虜」については拙作『ブラジルのハラボジ』で言及しているが、この解説でより詳しいことがわかった。
『広場』が発表されたのは西暦1960年。 著者は2018年に亡くなったが、晩年まで何度となく修正・改作を行なったという。 松井太郎さんの『うつろ舟』を想い出す。
僕の行なってきた自作の修正・改作など、まるで及びもつかないな。
おそらくブラジルがその先にありながら、ブラジルについてまるで言及されない作品という点でも特筆しておきたい。
6月2日(木)の記 三年たっても「いいと思います」 ブラジルにて
さて。 ノートパソコンの容量を少しでも空けることを考慮しつつ、次なる作業を…
西暦2019年に取材をして完成させた拙作『いいと思います 中馬一美さんのおえかき』のデータ化作業に着手。 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20191229014985.cfm?j=1
うわ。 編集データにもとの素材が対応しない! … よくわからないが、いろいろやってみて、なんとかする。
うーむ、これまた不思議な作品を紡いでしまったものだ。 冒頭の解説字幕の日本語がこなれていないようで、つくりなおす。
いずれにしろノートパソコンの画面だが、ひと通りの修正のあとに全画面にしてプレビューしてびっくり。
日本の鹿児島で取材した、鹿児島市内に住むブラジルとは特に縁のない母娘のアートの営みの話だが… そのなかにブラジルの「彩:いろどり」が表出してくるのにびっくり。
パンデミックの前年に、富山妙子さんのことに加えてこんなこともしていたのも、いとをかし。
6月3日(金)の記 ブラジルの版築 ブラジルにて
あー、今日は面白かった。
午後から思い切って… サンパウロ市東部にあるコミック専門店を訪ねることにする。 メトロ代も使うことだし… その近くにある天然発酵のパンを売るベーカリーを探して抱き合わせることにする。
もう一か所。 近く、と言っても歩いて30分近くの距離だが以前から気にはしていた博物館施設がある。 これも時間があれば行ってみよう。
うーむ、地下鉄「赤線」での東部方面行きはパンデミック以降はじめてかもしれない。 ということは、グラフィティも…
さて、ベーカリー、そして思わぬ大作グラフィティ、さらにコミック店での盛り上がりで満腹気味。 …これで切り上げて、帰るか?
でも、思い切るか… 「タトゥアペの家」という歴史文化遺産。
これは思い切ってよかった。 ブラジルのコロニアル建築、17世紀につくられたものだ。 存在自体が奇跡に思える。
簡単な木の骨組みのある土壁のつくりで、これはtaipaと呼ばれる。 てっきり先住民起源の語かと思っていたが、そうでもなさそうで…
taipa を検索していくと、この手法は日本では版築と呼ばれるのか。 これは奇遇だが、一昨日は出先の帰りに「たまたま」「ブタンタンの家」と呼ばれる公園を見つけて立ち寄ってみた。
ブタンタンもこのタイパのつくりの古建築の修復施設だったのだ。 サンパウロ市内でこれが残り、保存されているのはまさしく五指程度のようで。
そのうち二つもほとんど偶然で一気に訪ねるとは。 自分の壁をつきやぶれって、か。
6月4日(土)の記 五秒の夏 ブラジルにて
今日は遠出の予定はなし。 もう2年以上も続く日毎のグラフィティスナップ撮りをどうするか。
お。 久しく動きのなかった至近の大通りの壁に、新しく何かが貼られている。 先週、「生理の貧困」を訴える、赤とピンクのインパクトの強いのが貼り巡らされたばかりなのだが。 これは日本からも伝わってくる、女性の生理用品の支給を行政がやるべし、という訴え。
それに上貼りされたのは… スマホのレンズを向けると、ポスターのなかにあるQRコードをさっそく読み込んでしまい、ややこしい。 https://www.instagram.com/p/CeZYGRlPNDF/
ツイッターの投稿を羅列してあるようだが、アイコン写真と名前の部分にボカシがかけられている。 上貼りに、ぼかし… どうやら音楽系のようだ。 が、土曜の昼間でそこそこ人通りもある。 スマホひったくりも懸念されるので、現場で立ち止まってチェックというのもはばかられる。
夕方の買い物時に近くのバール(簡易飲食店)ではじめから砂糖の入ったカフェをすすりながらチェック。
ロック系か。 オーストラリアのバンドのようだ。 5 SECONDS OF SUMMER。
「夏の5秒」か。 沢木耕太郎さんの『一瞬の夏』を想い出す。 「一瞬」と「5秒」はどちらが長いだろう?
祖国はもうすぐ夏至だな。 こちらは冬至、日が短くなったが、もう少しで一陽来復だ。
6月5日(日)の記 日曜夕べのフードマイレージ ブラジルにて
夜は家族それぞれ外食することになった。 こっちもひとりどこかそこらで食べるかとも思うが、そもそも日曜夜は閉まっているレストランが多い。
ひとり、「家食」するか。 まずはスペイン産の赤ワインを開ける。 これはチリやアルゼンチンの安いワインと同価格の特売だったので買ってみた。 おう、悪くないではないか。
まずはブラジルはミナスジェライス州産のチーズをアテに。 つづいてさっそくカラブレーザソーセージをブラジル国産タマネギとチュニジア産のエキストラヴァージンオイルで炒めにかかる。
カラブレーザとはイタリアのカラブリア(半島最南)風の、という意味だが、ブラジルのイタリア移民の創作の由。
控えめな量にしたが、すぐなくなった。 お次は… イワシのオイル付けを開缶。 ブラジルのスーパーマーケットチェーンのものだが、イワシはエクアドル産とある。
サンパウロ州内陸の日系移住地の地卵を国産ベーコンとベーコンエッグで… さらにひとつ残っていたタイ製のアヒル味のインスタントラーメンでしめよう。 おそらくチリ産の乾燥キノコを戻して。
ワインはこの辺にして、今度はブラジル産ジンを「シシリアンレモン」とトニックウオーターで割って。
なかなかめまぐるしい食のひとり旅。
6月6日(月)の記 『いいと思います』YouTube公開 ブラジルにて
ここへきてブラジルのわが周辺でCOVID感染およびその疑いの人が続々。 そのあおりで… 今日からの「ますらを派出夫」業は2泊3日となった。
リスクを避けてノートPCは持ち出さない。 出家前に諸々すすめておかないと。
関係者の方々から確認が取れた。 『いいと思います 中馬一美さんのおえかき』改訂版をYouTube公開設定に切り替え。 https://www.youtube.com/watch?v=v5NkBJlUnZ0
より多くの方々に伝わるといいと思います。
出先では大事をとって、夕食と後片付けが終わると、早めに休むことにする。
6月7日(火)の記 路地裏の散歩者 ブラジルにて
サンパウロ市内にて外泊中。
午後、買い物とウオーキング、グラフィティ採集のため外出。 要注意地帯を抜けて…
未知未踏の道に踏み込んでみる。 袋小路に思える路地があり、グラフィティが見える。 「行き止まり」の標識は見当たらない。
入ってみる。 おう、ホクホクのグラフィティがぞくぞく。
とりあえず吠えまくるイヌも、麻薬買春系、路上系の人もこっちを見とがめる人も見当たらない。 ひかりを推しはかりつつ、スマホ撮り。
さらに奥に入る。 この小径はなんと表現したらよいか、S字のカーブが角になった形… ナチスのカギ十字の一片のようなルートだ。
作風も異なるグラフィティが随所に描き込まれている。 また日時を改めておとないたいもの。
おっと、もう一方の出口には路上系の人が。 こちらからだったら、まず踏み入れることはなかったろうな。
さあどれを今日のインスタグラムにあげようか。 迷った末、時事性もあるこれにしておく。 https://www.instagram.com/p/Ceg5D03vTiu/
6月8日(水)の記 ズッキーニのスキズキ ブラジルにて
出先に、読み切れていないブラジルの新聞記事をいくつか持っていった。 そのなかに「ウィトラコチュ」についてほぼ全面で扱ったのがあった。
三年前のメキシコミッションでの後悔は、これを現地で食べそこなったこと。 「メキシコのトリュフ」と呼ばれるが… トウモロコシに生えるキノコ状のカビだ。
これがブラジルでも見つかり、グルメを求道するシェフたちの注目を浴びているといった記事。 その記事の下に「ズッキーニのカルパッチョ」というこちらの料理ライターのエッセイとレシピがあった。 ズッキーニをスライスしてライムでマリネして、マスタードソースとアーモンドのスライス等でいただく、というもの。
日本名ズッキーニ。 イタリア語のカタカナ化と信じていたが…
調べてみると、イタリア語では zucchina の由。 ズッキーナ、「菜」の扱いか。 してズッキーニは英語の zucchini に由来するようだ。 「煮」ものの扱いとな。
原産はわがアメリカ大陸。 ブラジルでは abobrinha、「小さなカボチャ」と呼ばれる。 新大陸でもっとも起源の古い栽培植物のひとつ、とこちらのもので読んだ覚えがある。
帰宅後に夕食の添え物にこさえてみよう。 アーモンドは量り売りの乾物屋でスライスを購入。 レシピに「糖蜜」があるが、黒砂糖で代用しよう。 ま、適当に。
ふむ、珍味珍味。 これは和風含めいろいろなアレンジができそうだ。 バルザミコ酢も試したいし、酢味噌でいってみたい。
6月9日(木)の記 ソニーへの伝言 ブラジルにて
あの名曲へのオマージュをかけてのタイトルだが… 「三行半」の方がいいかもしれない。 先方は伝言無用のようだから。
自分でビデオカメラを回すようになってから。 前世紀末のことである。 ビデオカメラもテープもSONY製にしておけばまちがいない、という風潮があった。 それに沿って…
ビデオカメラの修理やメンテで何度ソニーのサービスステーションに通ったことか。 が、盛者必衰生々流転。 少しずつよからぬ噂が伝わってきて。
SONYはついにわが愛機のメンテにも応じなくなってしまった。 アベシンゾー感覚からいけば、そうとうソニーさんから見返りをいただいても悪くはないぐらい尽くしてきたのだが。
…ざっと端折って今日の話題。 いまだ過去のテープ類をいじる作業がある。 「きちんと」壊れているのかどうかわからない機材をどうするか。 市井の修理屋さんに持ち込んでみよう。
こちらのソニーの指定修理店に持ち込んで、悠々一年かかったこともある。 一年かかって修理が可能だったか差戻しだったか、定かに記憶していないのだけれども。
三軒ほどハシゴするが、いずこからも断られた。 「ソニーはめんどくさいんだ」と複数で言われて。
無償で引き取り、リサイクルに応じるところはある。 そこいらに収めるしかないかな。
ソニー千葉の死が一つの区切りだったかな。 ソニーがいかに不評だったかはわずかだが僕の耳にも入ってくる。
祖国日本の衰退とオーバーラップ。
ソニーがなくてもだいじょうぶ♪ と歌えるような体制をもっと早くから取っておくべきだった。
6月10日(金)の記 ピラポラ ブラジルにて
ピラポラと聞いて反応のある人は、なかなかのブラジル音楽通かつブラジル通であろう。
日本から来た友人をピラポラ・ド・ボン・ジェズースまで車で案内することになった。 僕も行ったことがない。
ピラポラ…はサンパウロ市から北東にある人口2万ほどの小さな町だが、カトリックの巡礼地として知られている。 ブラジルを代表する歌手の故エリス・レジーナの歌う名曲『Romaria(巡礼)』のなかにこのPiraporaが歌い込まれている。 作詞・作曲は、Renato Teixeira。 ブラジルの曲をひとつあげて、と言われたら、おそらくこの曲。
自分とこの曲との出会いがよく想い出せない。 テレビ屋として日本から通っている時期ではなく、ブラジルに移住してからのように思える。
この曲はわがフィルモグラフィのなか、4作品に登場するのだ。 しかもうち2作品では、撮影現場に「勝手に」流れていた。
YouTube公開最新作『いいと思います』や次回公開予定の『さまよう人とともに』のいずれの冒頭にも、この曲はなんなんだ? と思わせる曲が流れている. これらは両方とも現場で流れていたのだ。 「(撮影するんで)その曲を止めるか音を絞るかしてください」と言いかねる気の弱さが拙作の特徴。
極めつけは西暦2002年に初版を制作した『赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み』だろう。 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20040913000270.cfm?j=1 クライマックスというべき、土地なき農民たちが共同経営するに至った小農場でのサマークリスマスのシーン。 クリスマスプレゼントをもらってはしゃぎまくる子供たちと日本人の佐々木治夫神父との交流の場面だ。 あとで聞くと地元のFMラジオで流れていたとのことだが、絶妙過ぎる。
して、ちょうどこの曲の Pirapora のフレーズのところで佐々木神父がハモるのだ。
さてこの町はサンパウロ州を南から北に貫くチエテ川畔に位置する。 西暦1725年、日本では享保の改革の時代。 地元の漁師がこの川でイエス・キリストの木像を発見した。 それをまつると、さまざまな奇跡が生じるようになった、という次第。
たいへん遅ればせながら、これほどお世話になった曲ゆかりの聖地にようやくお参り。 日帰りだが、いい旅をさせてもらった。 家族を連れて、また来よう。
6月11日(土)の記 島根の神秘 ブラジルにて
昨日の心地よい疲れが残っている。 午後から少し歩く。
そうだ、先日の土曜に歩いていて発見したことがある。 わが家から徒歩圏にあるブラジル島根県人会館で毎週土曜の夕方5時まで手工芸品のバザーを開いているようだ。
発見時はすでに5時を少し回り、それぞれの出店は片付けに入っていたところだったが、面白そうなアートクラフトがありそうだった。 島根県人会は地上階のホールを賃貸ししただけのようで、日系人やオリエント風のものを見かけることもなかった。
さて。 島根県人会に近づくと、遠目からにも強烈な色彩の衣装をまとった女性が目につく。 路上に煙草を吸いに出てきたようだ。
先回はよく見なかったのだが、邦訳すると「神秘バザー」とうたわれている。 オカルトとまではいかないかもしれないが…
こちらで一般にイメージされるジプシー風の衣装をまとった女性が多い。 会場のあちこちでタロット占いが繰り広げられている。 売られているものは香の類から神秘グッズ、コンブチャまで。 会場前方ではベリーダンスかジプシーのダンスかといったパフォーマンスが行なわれている。
これは僕には場違いなようだ。 タロット占いのおばちゃんと目が合って「凶相が出ている」などと言われても困るというもの。 そそくさと会場を後にする。 それにしても、こういうのを好む層がそこそこ集まるものだ。 それだからこそ、毎週続いているのだろう。
『野の医者は笑う 心の治療とは何か?』(東畑開人著)という本で、沖縄では占い・ヒーリング系の集うイベントが多いとあったのを思い出した。 島根は… なんといっても出雲大社の地。 どこかでつながっているのかな。
6月12日(日)の記 比伯の比較 ブラジルにて
午後の運転手業務を終えて… 帰路、グラフィティ探しとウオーキングの場所を探す。
マージナル幹線道路の脇で先日、見つけたCasa do Bandeirantes を再訪しよう。 邸宅の庭園型の植生と土壁の歴史建築が残された公園。 大都市のささやかなオアシスだ。
歴史建築のなかの展示に先回、惹かれたが、時間が押していてざっとしか見ていなかった。
今日はもう少しじっくりと。 ALFRED USTERI という植物学者の業績のパネル展示がある。
…ほう、スイス人か。 20世紀初めにサンパウロの植生の研究をしているようだ。 当時からエコロジーの概念でダイナミックに植物相をとらえている。
経歴のパネルを読む。 ブラジルに来る前に1903年から1904年にフィリピンを訪ねて博士号のための植物研究をしたとある。
フィリピンとブラジルの両方のフィールドワークをした研究者を僕は寡聞にしてほかに知らない。 ウオーレスはブラジルのあとにインドネシアでの研究に没頭しているが。 ちなみにウステリもウオーレスもアルフレッドという名前だ。
たまたま僕は初の海外取材がフィリピンだった。 ブラジル移住後も2度ほど『KOJO』の取材でフィリピンを訪ねている。
フィリピンとスペイン、メキシコとの歴史的なつながりは知られているものの… ブラジルとフィリピンを結ぶ熱帯亜熱帯、アジアと新大陸を結ぶダイナミズムの展開があればとかつてから望んでいたところ。
ざっと展示の解説を読む。 僕が今までサンパウロの植生について抱いていたイメージがいかに皮相であったかを思い知る。
ウステリは19世紀生まれのスイス人。 彼のサンパウロの植生についての著書はドイツ語で書かれている。 ドイツのフンボルトの影響がありそうだ。
そもそも僕はフンボルトもきちんと読んでいないまま。 反省猛省。
6月13日(月)の記 火の用心 ブラジルにて
数か月前に思いついた撮影をようやく始めてみる。 まさしく試行錯誤。
火も使うので、用心しないと。 歳とともに、うっかりが増えているし。
使用を予定していたビデオカメラの使い勝手がイマイチ。 …亡くなった森田惠子さんにいただいたビデオカメラを使ってみよう。
これだとファインダーとモニターがモノクロになる。 まずは本日、撮ってみたものを取り込んでチェックしてみるか。
コロナ禍の、今の僕にできること… 日の目を見るかどうか。さて。
6月14日(火)の記 やめてけれストスト ブラジルにて
サンパウロ市の公共バスが深夜からストに入ったという。 通勤の足は大乱れだ。
今週は木曜が国の祝日で、そのまま週末までの連休となるところも多い。 そのため今日は仕事を休めないという人も少なくない。
なによりもCOVID新規感染者数が新たに一日4万人あまりで増加中の時に、電車とメトロが過密になってしまう。 テレビのニュースはがらがらのバスターミナルや人のあふれかえる電車・メトロの主要駅、お定まりのそこいらの人へのインタビューを映し出す。
感染症流行時の公共交通機関の賃上げストというのは、いかがなものだろう? まさしく「乱交」である。
わが家族も今日は自宅勤務にできるかどうかでこちらもはらはら。 上司の英断で過密メトロを免れることができたようで、やれやれ。
ワタクチは午後から2泊3日の「ますらを派出夫」業だ。 交通状況が読めない。
この間、ノートPCをいじれないので、出張準備も含めてばたばた。
6月15日(水)の記 閉ざされた公園 ブラジルにて
6月12日の稿にフィリピンとブラジルの植物を研究したAlfred Usteriについて少し書いた。
拙作にも登場する在日本のフィリピン研究者にこの人のことを知っているか、昨日メッセージで尋ねてみた。 彼は民族植物学も提唱していたので、脈ありと見たが。 知らない、とのこと。
こんなメッセージを送る要もあって、Alfred Usteriについて検索してみた。 ほう、サンパウロ市内に彼の名をいただくエコロジー公園があるのか。 なんとその場所は昨日から明日まで滞在中の場所の徒歩圏ではないか。
今日はコメの買い出しもある。 午前中、抱き合わせて行ってみる。 スマホのアプリでざっと位置を確認して。
先日、言及したマッカーサー元帥大通りに近い。 大体の見当をつけておいたのだが… ない。
まさか。 グラフィティ探索もあり、少し回り道をしてからスマホで調べる。 むむ。 そもそもなんのプレートも見当たらない。 して、門は固く閉ざされていた。
ふたたびスマホを繰ると… おや、今になって一般には公開していないとの記載が見つかった。 科学的目的の、事前に申請があった場合のみに訪問可、とな。
この公園はサンパウロ市内では珍しいセラード:熱帯サヴァンナの植生を遺している由。 Alfred Usteriがサンパウロでのこうした植生の存在を報告していることにちなんで彼の名が冠された由。
セラードとは、ポルトガル語で「閉ざされた」という意味でもある、 まさに閉ざされた公園。 サワリぐらいは見せるようにして、市民にエコロジーへの啓発を図ってもらいたいものだ。
6月16日(木)の記 聖体祭の生態 ブラジルにて
今日のブラジルはカトリック由来の「聖体祭」の祝日。 これも意味がわかりにくいのだが、まあ休みだからいいか、というようなところか。 改めて検索してみるが、コトバが頭に定着しない。
午後、出先をお暇するが、自動車に異変あり。 ヘッドライトをロービームにしてつけっ放しでバッテリーがあがってしまったらしい。 わが集合住宅なら、ライトをつけっ放しにしていればセキュリティスタッフから知らせがあるのだけれども。 こっちは、より高級ながら…
今日は祭日だし、いやはや… が、近隣の親類に緊急出動してもらう。 ありがたし。
予定していた、帰路にあるカトリック教会での15時のミサに遅れて参加。 うわ、大聖堂が人であふれているではないか。 1時間半ほど、立ちミサ。
日本での映画少年時代、リバイバル上映された『風と共に去りぬ』を封切館に見に行って全編立ち見だったのを想い出す。 立ち見客も列をなし、字幕を読むのに難儀するほどの混雑。 当時の僕には映画自体も面白くなく、ただ苦行だった。
いま、調べてみると222分か。 3時間42分、長かった今日のミサの倍以上だ。 …何度も日本でリバイバルされているようだが、1975年かな。
さて、ミサ後に聖体の行列がある。 いろいろな想いから付き合う。 と、ケッサクというかグロテスクなことが。
不愉快極まりないことを、笑いに変換する回路で乗り切ろう。
6月17日(金)の記 祈りと食 ブラジルにて
夜はサンパウロのコリアン街でわが子とがっつりいこうということになった。
父は日の暮れぬ前にグラフィティの写真を撮りたいからと先に出る。 最寄り駅のひとつ先まで行って。 さっそくいいのを見つけるが、光線具合があずましくない。 お、その先で巨匠KOBRAの作品と遭遇。
その先にある聖工芸品美術館を再訪しておきたかった。 カトリック関連のブツの展示。 終わったばかりの特別展が惜しまれるが… 常設のものだけでも味わい深い。 無数の人たちのいのりの凝縮したものどもと場の発するなにかに身を委ねる。
続いてブルゴギ焼き放題食べ放題のお店へ。 今日は店員以外に東アジア系以外の人は見当たらない。
ひたすら焼いて食べるのだが… このお店は音楽等がいっさいかかっていない。 壁にも装飾なし。
各テーブルを覆う換気扇の音と… 韓国語の会話。 入り口付近のテーブルは中国語だな。
装飾過多のいのりの場から、食に特化した場所へ。 …そのあいだぐらいでまどろみたい。
6月18日(土)の記 ゆけゆけ同胞 ブラジルにて
当地の午前6時半にZoomをつなぎ、そのまま本番オンライン上映に突入の予定。 スマホの目覚ましを6時にセットするが…
それ待ちが苦手で、その前に目覚めてオフにする。 今回は特に眠りが浅かった。 睡眠不足を覚えつつ、オンライン上映のセッティング。 アタマがきちんと回らない。 こちらが冬で冷え込んでいるせいもあろう。
西暦1908年の今日6月18日、第一回ブラジル移民船笠戸丸がサントス港に到着した記念日。 遊撃をもっぱらとする僕は、正面からではない斬り口でトークを展開するのが常。 今日は、1945年に沖縄のひめゆり学徒隊が突然、解散を命じられた日でもある。 そのあたりから紐解くつもりでいたが…
身支度をしている時に、ずばり笠戸丸について詳述した著書のある人のことを想い出した。 面識はなかったがパンデミック後にメールが届き、雑誌に書くことでいろいろ教えてもらいたいということだった。 その後、音信が途絶えたが、そもそも外出も不自由な身心との由、ご無事かどうか。
そして笠戸丸とロシアそしてソ連、日露戦争とブラジル移民の密な故事に気付き。 冒頭の話題は切り替えた。
日本でもニュースになった奥アマゾンのジャヴァリ渓谷での惨事、これは僕も1980年代に現場に行っているので触れておきたかった。 しかし今日のテーマであるブラジル日本人移民とつながるトークとなると、なかなか収拾がつかなくなってくる。
本日の会場、東京飯田橋Wild Pitchさんでの上映は今年に始まり、はや3回目。 回を重ねるごとに参加者は増えて、かといっていまのところ満員・過密とまではいかないようでありがたい。
今日も僕の方が多くの気付きと学びをちょうだいした。
終了後、さっそく初めて参加したという方からメッセージをいただき、うれしい限り。
さっそく次回は8月6日の登板となった。
6月19日(日)の記 観光と信仰 ブラジルにて
先日、日本の友人と訪ねた巡礼地ピラポラに、連れ合いと行ってみることにする。 日曜のミサの時間は地元発行の冊子には8時、9時、とあるが、ネットの情報では8時のあとは9時半とある。
9時過ぎにたどり着き、さっそく教会にいた人に次のミサの時間はと尋ねると「わからない」とのこと。 けっきょく9時半であった。
先日の平日よりは人出も売店も多いが、混雑というほどではない。
でかい十字架を引きずりながらやってきた一行も。 コロナで死にかけたのがこの教会に願をかけて奇跡的に助かったので、御礼のお参りだという。 奇跡譚は現在進行形だ。
「ここは観光より信仰の場」。 連れ合いがうまいことを聖堂内でつぶやいた。
ミサの説教で神父の「イエスはきんきらの環境ではなく、つましく質素な親と環境で生まれた」というのが心に残った。 通常は僕にはほとんど意味を咀嚼できないような内容と音響の説教ばかりだが、今日はこれだけでも拾い物。
まことにこじんまりした町で、先回ひと通り回っているので親近感安心感がある。 名物のココナッツ菓子屋のおじさん、宗教グッズ店のおじさんは僕のことを覚えていてくれた。
先回より光線具合もよく、まあ絵になる写真がいろいろ撮れるとことろだ。
クルマで日帰りのため、アルコールを飲めないのが惜しまれる。
6月20日(月)の記 冬の前日 ブラジルにて
冷え込みが続き、わが家の水の消費量もやや減ったのかも。 いちばん水を使う僕の外泊も多かったし。 少しブランクが空いて、市内のミネラルウオーターの源泉に給水にいく。
おや。 蛇口の水があったかい。 ちなみに今日のサンパウロの最低気温は摂氏13度。 地下水があたたかく感じられる温度なのだな。
日本の知人とのやり取りから、こちらの正確な冬至の日付を調べてみた。 今年は明日の6月21日とな。
さあようやく日毎に日が長くなるぞ。
6月21日(火)の記 冬至の当事者 ブラジルにて
さる土曜の東京での拙作上映会のオンライントークのネタとして『A MIDSUMMER NIGHT'S DREAM』の邦訳を読んだ。 福田恆存訳では『夏の夜の夢』。 けっきょく使わなかったけど。
midsummer は「夏至祭」「夏至」とのことで、その反対の「冬至」はmidwinter だと思って調べると、そうではないようだ。 検索していて、ややこしくてアタマが痛くなってきた。
そもそも日本は夏至にちなむ民俗行事が意外異常に少ないのもふしぎ。 これも検索していくと、稲作が忙しい時期だとか、日本は月齢が基本だからだとか。 うーむ。
西洋ではシェイクスピアがこの戯曲で書いたように、妖精たちもうごめいて人間界をハチャメチャにしかねない時期。 その余波はブラジルの「六月まつり」にも及んでいるようだ。
して、こちらは今日が冬至。 これもふしぎと太陽光線を意識するときだ。
今日のグラフィティ撮りのこの一枚は、これにした。 https://www.instagram.com/p/CfFDQ-4vp93/
さあ日短も底をついた これから日が長くなるぞ。
6月22日(水)の記 森をみた ブラジルにて
グーグルマップをチェック。 昨日から滞在中の場所から… 歩けば歩けそうな距離のところに、小さからぬ公園があるのを知る。 クチコミをみると、そこそこうっそうとした森と小径がある程度らしい。 わが理想ではないか。
出先では昼食づくりも重要な任務なので、朝食の後片付けも早々にして、いざ。 危険地帯を抜け、上り道をひたすらすすむ。
おう、ここか。 これはよい。 例によって平日のこの手の公園は、利用者より清掃スタッフの方が多い。 久しぶりのそこそこに濃い森だ。 わくわくしながら小径を歩く。
亜熱帯とはいえ冬のため、虫はイマイチ… ドクチョウ系など数頭が舞う。 スマホでツノゼミクラスの被写体も撮れる準備も考えないと。
こういう公園の至近に住むべきではないかとまで思い込む。 時間があるので、そそくさと森をミクロとマクロで概観。
もしや、と気づくことあり。 それを確かめながら出口に向かう。 公園スタッフに確かめたかったが、作業員に指示中ではばかられた。
次回の課題。
さあまだ買い物もしないと。 それにしても、サンパウロ市内にはこういうところもあるのだな。
今日のグラフィティは公園のタケに刻まれた落書きをスナップ。 https://www.instagram.com/p/CfHcPM1uiCm/
6月23日(木)の記 夢見る頃 ブラジルにて
昨晩、出先の高層ビルの下から叫び声が続いた。 犯罪か、痴話喧嘩か。 シロアリの蟻道のようなスラムの伸びるところだ。 付近では警察が非常線を張ることもしばしば。
少し聞き耳を立てると、ブラジルのサッカーチームの名前がきこえた。 さらに遠方からも叫び声らしきものが。 どうやらサッカー中継の観戦のようだ。
今日の午前中も買い出しに。 大通りに面した「蟻道」のトンネルの入り口の脇に小さなベーカリーらしきものができていた。
近年はスラム:ファヴェーラを「コミュニティ」と言い換えることしばしば。 このコミュニティに僕は興味ありで、グーグルマップでもチェックしている。 なかに、レストランとベーカリーの記載もある。 行ってみたい…
かなりその気になっていた。 しかし家族そしてコミュニティで長年ボランティアをしていた人からもそこに知人でもいなければ立ち入りは避けること、と諭されていた。 たしかにこのコミュニティはトンネルのようなアーケード状になっているので、なにかあった時に横に逃げることができない。
じっと機会を待っていた… ということで、買い物の帰りにこのベーカリーに立ち寄ってみる。 ショーウインドウのなかにソーニョと呼ばれる、いわば菓子パンがある。 ソーニョはズバリ「夢」のことだが、これはカスタードクリームをたっぷり入れた揚げパンである。
女性陣が好むので、これを三つ持ち帰りにオーダー。 店内にはテーブルがいくつか置かれている。 イートインではじめから砂糖の入ったミルクコーヒーとソーセージの揚げ物を頼む。
店の兄貴はソーニョをひとつずつスチロールの容器に入れてくれて、三つ分をどのように袋に入れたら持ちやすいかを試してくれている。 あふれる良心と厚意。
常連らしい若い男がテイクアウトのオーダーに来て、いかにも異質なジャッパ(日本人の俗称)が座り込んでいることを怪訝そうに見る。 店内は暗いので、明るい外から入ってくるとそういう表情になるのかもしれないが。
店の兄貴に聞くと、ここは先々週に開店したばかり。 僕がグーグルマップで見た「奥」のベーカリーもいまだ営業中とのこと。
腰を上げる潮時をうかがっていると、女性の二人組が入ってきた。 こちらがぎょっとした。 外見と印象からの想像と記載をさせてもらうと…
小柄な女性は路上生活状態でメンタルに支障がある観。 中柄の女性は社会福祉関係者といった感じ。
中柄女性が「なにがいい?」と連れに聞く。 小柄の女性は「ソーニョ」と答えた。 「あなた、夢があるのね!」と笑顔でお店にソーニョを頼んだ。
少し店の兄貴と話して勘定を終えていた僕は二人に「よい夢:ソーニョを」と挨拶して大通りに出た。 小柄の女性は僕の存在も意識していないようで、中柄の女性が笑顔で「ありがとう」と応じた。
6月24日(金)の記 郊外電車の旅 ブラジルにて
今日のミッションは、朝からサンパウロ市の東の町に向かうこと。 メトロと電車の乗り継ぎ。 アプリで見ると、接続の悪い時間だと目的の駅まで2時間ほどかかってしまう。 早朝の時間のため、メトロの混雑も心配。
出がけに重要なものが見当たらないことに気づき、うろたえながら家探し。 見つからないが、先方との約束時間があるので捜索を中断。 それでも7時台の出家。
メトロはさほどの混雑もなく、まもなく優先席に座れてしまった。 ルース駅からの郊外電車はこの時間の下りなので、がらがら。 さっそく物売りが使い捨てマスクを抱えてやってくる。 「またまたコロナが増加中…」といった口上で。
スムースな接続、途中のつなぎもなく、失せ物捜索時間をカバーしてありあまる時間に駅に到着。 駅構内にトイレもある。 昨晩、最寄りのメトロの駅では機械が壊れていてできなかった乗車カードのチャージもスムースにできた。
目的地まで駅から30分以上の歩き。 先方は駅まで迎えを出しましょうかと言ってくれたが、歩きが楽しみなのでと辞退。 さっそく思わぬ発見が続々。
惜しむらくは、カフェに相当するものが見当たらず。
グラフィティは地元の行政が依頼しているとみられるものもあり、よりどり。 あえてそうではなさそうなものをスナップ撮りしてインスタにあげておく。
6月25日(土)の記 ドイツのカレーケチャップ ブラジルにて
紛失、そして盗難だったとするとなかなかややこしい失せ物を… 昨晩、家族で家探して見つけてもらった。
そのお礼に今日の昼、行ってみたかった店をおごることにした。 Oma とは韓国語っぽい響きだが、ドイツ語でおばあちゃんのことの由。 ドイツばあちゃんの名前を冠した店で、家族にはクルマで行かないと厳しい距離の住宅街にある。
菓子類の販売、そしてドイツ料理を店内で食べることもできる。 いかにもアーリアンな父と息子とみられる二人がアテンド。
ドイツ系の何世?と聞いてもひと言で答えるのがむずかしいようだ。 ブラジルでドイツ系の家庭に生まれ、幼少時からドイツに長年暮らして…という具合。 店の壁に貼られた記事をみると、在ブラジルのドイツ系のおばあちゃんが送ってくれていた手作り菓子のレシピをもとにしている由。
ソーセージ盛り合わせと豚のカルビを頼む。
「明暗」のマスタードとカレー風味ケチャップがテーブルに置かれた。 家族でブラジル南部の公用語にドイツ語も含まれる町を旅行した時を想い出す。 ドイツ風ハンバーガーの店にカレー味のものがあった。 調べてみたが、ドイツでは第二次大戦敗戦後に乗り込んできた米軍の影響でカレー味が広まった由。
味の広まりはまことに興味深い。 それにしてもケチャップとカレーは絶妙の相性、このままストレートでいきたいぐらい。 お、ブラディメリーにカレー粉少々というのはどうかなと土曜から二日経過した執筆時に思い浮かんだ。
6月26日(日)の記 教会のセルタネージャ ブラジルにて
出先の付近をグーグルマップで眺め、現場まで踏査していた気になるチャペルがある。 家族の有志とともに、日曜朝のミサにあずかってみることにした。 クルマもうまくとめられた。
いい意味でサンパウロらしからぬ感じ。 礼拝堂内には聖フランシスコ像をメインに、壁画が描きめぐらされている。
階上の聖歌隊の演奏がきこえる。 おや、なじみある旋律が? 名曲アザ・ブランカではないか。 歌詞は聞き取れないが、家人によると歌詞は変えてあるという。
ミサのなかでの聖歌もムジカ・セルタネージャ(ブラジル風カントリーミュージック)のメロディーを用いている。 これは「六月まつり」の時期限定ヴァージョンなのかどうか…
沖縄でカトリック教会のミサにあずかった時のことを想い出す。 なんと、聖歌は沖縄音楽の旋律。 識者に聞くと、カトリックの聖歌はかなり厳しい決まりがあるのだが、沖縄では特別に沖縄出身の作曲家による聖歌の使用が認められているという。
まあ僕はホンネでいくと、教会でこそバッハやヴィラ=ロボスが聴きたいけれども。
6月27日(月)の記 断食ファースト ブラジルにて
今週は久しぶりに「ますらを主夫業」を免れることになりそう。 今日から思い切って二日間の断食をしてみようと思う。
通常、断食の日は夕食づくりを免除してもらっている。 今日は昨日買ったブリの残り、先週からのシュウマイの残りなどがあるので、夕食づくりもしちゃうことにする。 食べ物を無駄にしてしまうことは極力さけたい。
午後、買い物とグラフィティ採集、ウオーキングで歩く。 朝昼と食べていないせいか、歩きにあまり力が入らない。
それにしてもあちこちと取り壊されて、あらたに高層アパートが建てられようとしている。 パンデミック以降だけでも、だいぶ付近の景観が変わった。 光線等イマイチで撮影を控え、そのまま支持体ごとなくなってしまったグラフィティ、ピシャソンも少なくない。
絵が描かれている地のものをなんというかで「支持体」の語を改めて検索してみた。 おや、コピペできないから書き出すか。
「支持体」ということばは、アートの中でも主に絵画の分野においてのみ使用されるもので、どの支持体を使用するかによって作品の出来が変わってきます。 https://media.thisisgallery.com/
なるほど。 僕はアートの教育を受けたわけではないので、こういう基本のことが面白い。 グラフィティの作者たちは、ロジックや学習ではなく直感と体験でこうしたことを会得しているのだろうな。
6月28日(火)の記 六月に病む君を想って ブラジルにて
不言実行。 できれば今月中に仕上げたい作業がある。 とりあえず、そのベースの作業を終える。
断食二日目。 さして苦にならない。 ハイビスカスティーがおいしい。
もう何年も前に沖縄でいただいた「うこん茶」が出てきた。 飲んでみてあまりいただけない気がしたが… あらためて飲んでみると、けっこうよろしい。 断食中のせいか、こちらの味覚が変わったのか。
今日は聖タダイの祝日でもある。 聖タダイをまつる礼拝堂のミサにあずかる。 いのりの凝縮する空間に安らぎを覚えるのだ。
長時間の蝋燭が灯される、日本語ではなんと呼ぶべきか… 灯明堂、とでもしておくか。 そこで灯明をながめる。
いまの作業が終わったら、蝋燭を灯(とも)そう。
6月29日(水)の記 ふしめのふるまい ブラジルにて
サンパウロで開催中の、まだ見ていない、一回見たけどもう一度行きたい諸々の展示が最終段階に入っている。 今週は週末からサンパウロ市を離れるし… 7月3日までの在外投票もある。
まずは今月中にまとめたい動画の編集を最優先。
洗車も今日のうちに済ませておく。 洗車の待ち時間に銀行、カフェ、路上市の買い物とまわる。
編集作業も程よいところまでつめておいた。 投票は明日、行くか。
6月30日(木)の記 木曜日に選挙に行って… ブラジルにて
祖国がデジタル発展途上国なので、在外選挙権を持つ身もラクではない。 日本の参院選挙の投票日は7月10日。 在外公館での投票はその一週間前の7月3日が締切りなのだ。
土壇場になっての自公維新らの失言失態の続出も見届けられないままの投票だ。 なにより、土壇場でより当落ぎりぎりの候補者に投じたいところ。
昨年の衆院選挙の時も、投票を予定していた当日に動画のデータのアップロードでバタバタした記憶が… 今回も。 15時台の出家となる。
パウリスタ地区の総領事館へ。 毎度、ぎょっとするほどの選挙スタッフがひしめくのだが、今回は先回よりだいぶ減った感じ。 いずれにしろ、僕の投票中、他に誰も投票者は見かけなかった。
ブラジル製の鉛筆を鋭利に削り込んで置いてあり、記入すると投票用紙に穴が開くほどだった。 まさか穴の開いた投票用紙を無効にするのではあるまいな。
投票後に近くで見逃していた美術展を鑑賞。 ついでにすぐ隣でやっていた展示も見ておく。
こういうことができるのがサンパウロのうれしいところ。
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