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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2022年の日記  (最終更新日 : 2023/01/01)
8月の日記 総集編 テルマエ・チベタエ

8月の日記 総集編 テルマエ・チベタエ (2022/08/02) 8月1日(月)の記 八月の末広がり
ブラジルにて


月曜に月替わり。
八月か。
日本語、そして祖国では八月の語は特別な響きを持つようだ。

広島長崎への原爆投下と敗戦。
頭のなかに思い浮かべるとずばり「八月」を冠したものは映画のタイトルが多いようだ。

さて。
今週は土日と続けて日本とのオンラインイベントの予定。
そしてすでに二組のサンパウロでのアポがある。
近郊に「遠征」すべき用件は来週以降にするかな…

日本での土曜のイベントは決行か、そして明日火曜のアポの予定をまずは詰めないと。


8月2日(火)の記 青年とはなんだ
ブラジルにて


実感はともかく本来の、そしてかつての社会による区分では僕はすでに老人の部に入っているはず。
いっぽう「青年」とは?

ググってみると、
「広く社会の中で自立を獲得していく時期をいう。 現代では一般的に15歳から29歳までの世代を指す。」
といったウイキの記載がある。

日本時間の今年7月8日に安倍元首相の狙撃に成功した山上徹也さんの年齢は41歳とのこと。
それでも彼を「青年」とする記述をいくつも見た。
今日では青年該当の年齢層も上がっているのかもしれない。

さて、今日は日本とブラジルをまたにかけて全盛期、じゃなかった前世紀から交際のあったアミーゴと再会することになった。
最後に会ったのもその前から相当の年月を経てからなのだが、西暦2008年の東京。
今日、彼にその場所を確認してみると新宿だった。

彼のいまの歳を聞くと、47歳だという。
それでも見た目も僕のなかでも彼は「青年」だ。

まことに話は尽きない。
次はいつ、どこで会えるかな。

次に会った時も、彼はおそらく青年だろうな。


8月3日(水)の記 いい日 蕪買い
ブラジルにて


今週末は土日と連続して日本発信のオンライン上映トークイベントあり。
土曜日の部は、日本側はお店での上映のため、日本のコロナ感染状況もあって開催が微妙なところ。

主催者に確認すると、その日に行なう意義を重視して決行の予定の由。
僕の方はイベントの告知の更新とトークのための資料精読などにあたる。

昼過ぎに買い物に出る。
徒歩1キロ圏上ぐらいの路上市へ。
閉店間際のディスカウント狙い。

うーん、ちょっと早かったかな。
ここから最寄りの天然発酵パンのベーカリーまで行ってみよう。
グラフィティ探しも兼ねて。

けっきょく路上市ではたたき売り状態の葉野菜を破格で買った。
長ネギ、ポロネギ、白蕪。
カブは葉っぱが見事で、葉っぱにひかれて。

葉っぱを厚揚げと煮びたしにしようと冷蔵庫を捜索すると…
厚揚げにはカラフルなカビが生えてヌルヌルに。
カブそのものもまだあるので、古い方から漬け物にしよう。

まあ葉っぱも明日まで持つだろうし、明日、厚揚げを買い出しに行こう。

いずれにしろ、今日の僕は一日断食。


8月4日(木)の記 邦人訪問
ブラジルにて


通常なら、一年に一回もあるかどうか。
10年どころではないブランクのある知人との再会が、今週は2件も重なった。
今日は2件目。

午後から先方の滞在先を訪ねる。
先方は聞き上手で、当地邦字紙の記者にでも推薦したいぐらい。
話は尽きないが、先方も都合があろうし、こちらの夕食の支度になんとか間に合う時間においとま。

当地土曜朝に実施する日本での上映会のトークのために、英語の文献を読み込まなければならない。
夕食の支度と夕食が終わると、さっそく勉強。

土曜は日本側はお店に集まってのイベントであるが、日本のコロナ状況が世界最悪レベルとなり、開催そのものが微妙。
在ブラジルの、いちゲストの分際ではそうした日本の空気までは読めない。
ただ粛々と、資料を読みつつ、関係各位に連絡を取り続ける。


8月5日(金)の記 どこを向いて歩こう
ブラジルにて


今日の課題の一つは、スキヤキに行くこと。

スキヤキはブラジル被爆者平和協会(西暦2020年末に解散)を設立して会長をつとめた森田隆さんが家族で経営をつとめた日本食材店。
サンパウロのわが家の至近にあったが、昨年5月に移転した。

その後うかがう機会がなかったが、今日、歩いて行ってみると片道約2000歩。
日本語でタチンボと呼ばれる人たちが、日中から立っていることで知られる地域。
今日もお店の至近に外見は女性に見える人を二人、確認。
午前11時前である。
需要があるからこんな時間でも立っているのだろうが…

明日、日本で拙作『ブラジルへ渡った被爆者たち』を上映していただくので、そのトークのためにも訪れた。
かつては店のレジ、そして入り口での店番を勤めた森田さんも現在98歳。
足腰の問題、そして老齢でのコロナ感染を家族が危惧してほとんどお店に来ることはないくなっているという。
今日の森田さんはお子さんに連れられて病院に行った由。

しかしそうした森田さんの活動は当地の邦字紙で今年も紹介されていた。
数年前に始めた被爆者3人が出演する演劇を今年も行なう由。

思い切って歩くと、いろいろな棒にあたる。
今日は途中のスラム地区を通ってみた。
近くの真新しく白く塗られた壁にグラフィティロがスプレーで作画中。

インスタグラム用に写真を撮らしてもらい、行きも帰りも話を聞くことができた。

午後は、明日のトーク用に諸々の資料をさらにチェック、整理。
こちらの午前6時半にZoom入室予定。

早めの夕食準備と夕食、早めにとりあえずいったん横になる。


8月6日(土)の記 「8月6日・大アマゾンの被爆者と先住民ヤノマモ」
ブラジルにて


日本の新規コロナ感染状況は世界最悪のレベルに達してしまった。
今日8月6日に予定しているイベントを開催すべきかどうか、主催者のニッキーマツモトさんと再三、やり取りを続けてきた。
パンデミック以来ずっとブラジルにとどまっている僕には公表されるデータはわかっても、人々の空気はわからない。

ニッキーさんからこの日にこの企画を行なうことの意義をたいせつにしたいという思いを伝えてもらい、無観客でも決行しますと直前の告知をSNSで流す。

ニッキーさんから僕のフェイスブックに以下の書き込みをいただく。
「いよいよ本日ですね。よろしくお願いします。
今日は東京地方、気温が低く、夕方にはむしろ涼しくなっているかと思います。
窓は四方開けてやるので、十分な空気の入れ換えが出来ます。
また質疑応答に関しては、皆さんに紙に書いてもらって、私がカウンター奥から読む、という方式にします。
そもそも映像を黙って見るイベントなので、感染の可能性は低いと考えております。
対策もバッチリなので、皆さんどうぞお越しください。」

主催者が具体的にどのようなコロナ感染対策をしているか、そしてその心構えがうかがえ、ありがたい限り。

さてふたを開けてみると…
無観客上映とはならなかった。
先回に引き続き、長らく消息不明だった中学時代の友人が来てくれた。
感激。

ミュージシャンの宮沢和史さんが沖縄で出会ったひとりの女性のために『島唄』をつくった、という故事を想い出す。
さらに主催のニッキーさんはイベントをフェイスブックで無償でライブ中継することを提案してくれた。
願ってもないことで、さっそくその旨を僕からもSNSで発信。

今日もいろいろな話をしたが、メインは前日にフェイスブックに発表した以下のこと。
 ↓
この衝撃の問題は、被爆国日本で知られているのだろうか?
原爆投下後の広島で戦後、米国が個々の被爆者のデータを精力的に集めたものの治療には当たらなかったことは知られている。
彼らは原子爆弾の人体への効果を知りたかったのだ。
米国の原子力委員会は日本の被爆者のデータのコントロールとなるデータを求めて、「文明からもっとも隔絶された」南米のブラジル・ヴェネズエラ国境にまたがる先住民ヤノマモの居住地での人類学者が仕切る調査ミッションに出費し、「ドキュメンタリー映画撮影」や採血を行なったのだ。
このミッションの立ち入りにより、現地には免疫のないハシカが蔓延して数多くの死者を出していく…


8月7日(日)の記 フマニタス、かがやく
ブラジルにて


昨日に引き続き、今日も対日本のオンライン上映とトーク。
オンラインが二日続くというのは初めてじゃないかな。

日にち設定の時に、あえてそうしてみた。
昨日は対お店だったが、今日は全員が個々のズーム参加。

時間設定がタイトぎみなので、ハヤクチにならないように、かつキビキビといこう。

おっと、ホンバン開始直前にこっちのwi-fiが落ちる。
が、開始時刻には復帰なる。

上智大学ポルトガル語学科同窓会主催で、僕の出番は今年2度目。
上映作品はわが代表作のひとつ『赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み』。
主人公の佐々木治夫神父は上智大学のOBだ。

自主制作の拙作のなかでは66分の本作は僕としては中編の扱い。
だがこうしたオンラインの上映ではかなり長尺ということになろう。

しかし上映中、上映後のトークでもまるで退出者が出ないことに驚いた。
参加者の熱意、モチヴェーションの高さと、
僕が言うのもナニだが、作品自体の力だろう。

進行役の日本の金谷さんは、終了後のアンケートをあっという間に表にして送ってくれた。
これは感無量。
佐々木神父にお伝えしたいところ。


8月8日(月)の記 迷路小路の奥に
ブラジルにて


さあ今日は「ますらを派出夫」業でお泊りだ。
学園都市経由のルートで行くことにする。

園内にはわが使用銀行のATMがあるので現金の引き出しもしたい。
グラフィティ撮りも、しばらく学園都市のものをあげていないし。

クルマをとめて、グラフィティ類を物色しながらまずは銀行のATM。
ちょっと気になるフードトラックが二軒あるのだが、今日も閑古鳥。
一軒のオヤジがもう一軒のオヤジのところに来て話し込んでいるようだ。
割り込む気にもなれず。

このあたりはアート・コミュニケーション学科でグラフィティもそこそこあり。
未収録のものを収めて、もう少し歩く。

ほう。
日本語にすると「迷路小路」という道がある。
見た目は無味だが、歩いてみる。
奥にややこじゃれた建物。

どうやらカフェやレストランが入っているようだ。
あまり人もいないし、思い切って入ってみる。
先にレジで支払いをするシステム。

…値段は町の大衆バールの二倍ほど。
午後の中途半端な時間で、広いスペースはがらがら。
利用者は学生というよりも研究者風の人が多い。

フリーwi-fiがあるのだが、登録していない部外者は登録をこころみてもはじかれてしまった。
して、4G はつながらず。
スマホ作業ができないとなると、本でも持ってくればよかった。

それよりも、誰かと話をしたい場所だな。


8月9日(火)の記 九三式狂想曲
ブラジルにて


今日は午前中、出先からサンパウロ市外に遠征。
陶芸家の鈴木章子先生を訪ねる。

先回、章子先生を訪ねた時に託された象形画を用いてまとめてみた掌編『分子の遊び』をご覧いただくため。
現在93歳、車いす使用の生活をされている。
寒い時期でもあり元気はつらつ、とまではいかないが、つつがなそうでなにより。

スマホで6分あまりにまとめた動画をご覧いただき、喜んでいただく。
うかがいたいこと、お話したいことは諸々あるが、あまり長いはせぬよう、そしてこちらはマスクを外さずに対話を続ける。

胸のすくような発言が多く、撮影したい思いとの葛藤。
聴きたかった話のひとつを紹介しよう。
ブラジル人が章子先生について書いたもので『銀河鉄道の夜』の影響に繰り返し触れていた。
日本人のアーチストに言及する際にブラジル人の物書きが好みそうな話だが、実際のところは?

小学生の頃から『銀河鉄道の夜』が好きだったという。
映画も見たという!

『風の又三郎』は日米開戦前に、もちろん白黒だが実写で映画化されていて、これは僕も見ている。
あとで調べると西暦1940年の作品。

『銀河鉄道の夜』はアニメで登場人物をネコに置き換えた映画があり、これは封切り時に日本で見ているが、西暦1985年の作品。

章子先生に確認するが、自分は『風の又三郎』の映画も見ていて、同じ頃に『銀河鉄道の夜』の実写映画も見たという。

…僕あたりの知らないこと、知り漏らしていることはいくらでもあるのは承知だが。
章子先生と『風の又三郎』の♪どーどどどどー の歌を歌う。

わが家に戻って調べるが、ネコアニメ以前の『銀河鉄道の夜』の映画の存在は見当たらない。
これも知らなかったが、西暦2006年に日本で実写映画が製作・公開されていた。
これにも「あの禁断の作品を実写映画化!」などと書かれている。

すると、章子先生が見たというのは?
彼女が脳内で製作したものだろうか。

アーチストが脳内で製作して実際に見たと思い込んでいる映画のディテールを聴きこんでいくのも面白いかもしれない。

おっと、僕は自分のすでに計画している、今すべきことをしていかなければ。

出先に戻るが、午後にハプニング発生。
さあどうしよう。

最近のいちばん長い日となった。


8月10日(水)の記 分子の遊びをせんとや生まれけむ
ブラジルにて


昨日のうちに最新作『分子の遊び / Shoko SUZUKI : BRINCADEIRA MOLECULAR』をYouTube公開設定にした(つもりだったのだが、どうやら切り替わっていなかったようだ)。

8月9日、人類が実戦で初めてプルトニウム爆弾を日本に投下した日だ。
特に、それにちなもうとしたわけでもないのだが。

さっそくこの動画を視聴してくれた日本の友人から指摘をいただいた。
これは僕のコントロール範囲外のことで、関係者に問い合わせる。
して、修正することに。
ついでに他に気になっていたところも改めておく。
こういうことが、特に出費もなくわが家から出ることもなく可能になったことが感無量。

以下が修正版のリンク。
https://www.youtube.com/watch?v=xkB-aNhIufo

次のステップの前にと考えての作業だった。
まあこれはこれで尾を引く思いもするが、まずは予定していた次に進もう。


8月11日(木)の記 鉱泉志向
ブラジルにて


冬のサンパウロ、また冷え込みがぶり返してきた。
亜熱帯の暖房施設もないに等しいところで、摂氏10度前後というのはなかなかの寒さ。

そろそろ散髪をすべき時期だが、短く刈って風邪をひいてもシャレにならない。
来週にするか…

今日は冷え込みに加えて、朝の空がどんよりと思い。
ミネラルウオーター源泉地での給水を考えていたが、明日にするか。
おっと、だいぶ明るくなってきた。

午後から思い切って車で源泉へ。
蛇口をひねって鉱水のあたたかさに驚いた。
それだけ地表と外気が冷え込んでいるということだろう。

この暖かさなら…
鉱泉として漬かれそうだ。

ああ、温泉に身を委ねたい。


8月12日(金)の記 サンパウロのユダヤミュージアム
ブラジルにて


こういうのは思い切らないと、なかなか行けない。
サンパウロのセントロ:中心街にオープンしたユダヤミュージアム。
このあたりに長年暮らす友人が「危ないところ」という地区だ。

アプリはメトロとバス使用の行程を示すが、交通費節約/運動/グラフィティ探索でメトロの駅から歩くことにする。
路上生活者と、素性はわからぬがカネ周りのよさそうなのが混在する地区。
たまに来るぶんには刺激的で面白い。

おう、これか。
西暦1929年に開かれたシナゴーグが、昨年、ミュージアムとして一般に開かれた。
なかに入ると…
うわー、初等学校高学年ぐらいの団体がうじゃうじゃ。

それらを避けつつ、そもそもかなりのヴォリュームなので、今日はアウトラインをつかむぐらいにしておこう。

記録に残るブラジルの地へのヨーロッパ人の到来は西暦1500年だが、初期の遠征隊にはユダヤ人も加わっていたようだ。
日本語でも学習できることだが、当時のヨーロッパでのユダヤ人を巡る状況も複雑だった。

そして20世紀。
第2次大戦前のブラジルでは反共・反ユダヤが喧伝されていた。
そのなかでドイツからブラジルに逃れてきたユダヤ人は多重の差別をこうむることになる。
ブラジルは連合国側として参戦するため、枢軸国からの移民はブラジル国内の強制収容所に送られるが、ドイツから来たユダヤ人も含まれた。

第2次大戦後、ブラジルは軍政に突入するが、在ブラジルのユダヤ人たちは軍政反対行動を起こしたという。
ブラジルの日本人日系人史にはすっぽり欠けていると言っていいアクションだ。

ホロコーストの展示もあり、思いを新たにする。
ブラジルではホロコーストが日本よりずっと身近だ。

さて常設展は今後いつでも見れるとして、気になる特別展。

Botannica Tirannica。
「暴虐の植物学」とでも訳そうか。
チラノザウルスの「Tiran」である。
帝王制という「秩序」のもとで編まれた科学に組み込まれた差別を考える、というこころみ。
ブラジルの植物名にある「さまよえるユダヤ人」「黒人混血女の尻」「恥知らずのマリア」。
衝撃的な問題意識の提示と掘り下げだ。

ミュージアムショップでこの特別展の関連図書があるか聞いてみる。
今月末ぐらいにカタログができるという。
また来よう。


8月13日(土)の記 君の科は
ブラジルにて


お祝い事で、昼に家族で外食。
イピランガ地区にある魚料理屋に初めて行ってみる。
メトロの駅から至近。

店名にABADEJOという海水魚の名前が付いている。
こちらで、ABADEJOやBADEJOと呼ばれるサカナ…

これの正体を調べていて、アタマがいたくなってきた。
両者は同じとするもの、違うとするもの…
そもそも badejo badeijo abadejo などと呼ばれる魚は何種類にも及ぶようだ。
生息地域もさまざま。
分類学的には、二つの科にまたがっている!
これらの科名の日本語を調べると…
ハタ科にタラ科。

この店にはタンバキ―もある。
アマゾン水系での食用として人気のある魚のひとつ。
注文を取りに来たウエイターと料理を運んできたウエイターに、このタンバキ―はどこ産かと尋ねてみる。
いずれからも、回答なし。
聞いてきます、でもない。

ウルサ型の客と見られても不本意…
この近くに水族館があるのを想い出して「水族館産かな?」と一同を笑わせておく。

出す方も食う方も、こういうことに関心を持つ方がヘンタイなのかと思ってしまう。
メインのアバデイジョ、分類上の位置はともかく。どこの海か来たかぐらいは知りたいものだが。


8月14日(日)の記 父の日のロゼ
ブラジルにて


8月の第2日曜日。
今日はブラジルの父の日。
経済的にまるで甲斐性のない分際で、情けない。
が、とりあえず台所に立たなくていいようだ。

昼は手巻きずしにしてもらう。
魚類の購入とさばきは、ワタクチが行なう。
あと、カニカマとキャベツとキュウリのマヨネーズ和えも。
これは日本の回転ずしなどであるやつで、これの手巻きを気に入っている。

サンパウロ州産のロゼワインを開けてみる。
…まあ値段相応の味だな。
サラダ手巻きには合っている感じ。

ブラジル料理にはけっこうロゼが合うというこちらのグルメ記事の影響でロゼを買ったものの。


8月15日(月)の記 敗戦放送記念日の追走曲
ブラジルにて


祖国は「日本のいちばん長い日」か。
岡本喜八監督版の映画を亡父・亡兄とともに封切り時に映画館で見ている。
西暦1967年の公開だから、こっちは小学生だ。

旧盆。
旧盆にして新盆で、今週一周忌を迎える画家の富山妙子さんを想って拙作映像をアップすべく、編集作業と関係各位への連絡・調整を続けている。

まずは畏友の伊東乾さん作曲の『富山妙子のための追走曲』とのコラボのこの映像。
「動画」という言葉は使わない。
https://www.youtube.com/watch?v=6CRlGfvfaYw

伊東さんによるこの曲の制作とご提供がなければありえなかった掌編かと。


8月16日(火)の記 一万二千歩のマーチ
ブラジルにて


今日は一日断食。
富山妙子さんの一周忌にちなんで自分に課した作業を続ける。

その合間に、わが徒歩圏ぎりぎりのところにあるスーパーまで、安売りの牛乳の買い出しに。
牛乳の値段がぐんぐん上がっている。
モー、たまりまへん。

その足で円周上の距離にある天然発酵のベーカリーへ。
サンパウロ州産モッツァレイラチーズの店にも思い切って寄るか。

夜は家族のためにコリアンチキンのテイクアウトを取りに行く。
歩くのは苦にならないが、いつまでこうして歩けるかな。

ここのところ日当たりの歩数が控えめだったが…
今日は一万二千歩を超えた。


8月17日(水)の記 ハンティングタイガー
ブラジルにて


ちょびっと小雨模様。
冷え込む。

今度の日曜には知人の結婚式がある。
その前に日本からの知人との会食もあり。
だいぶ髪が伸びた。

ここのところ通っている散髪店の前を通る。
もとは日系人のおじさんがやっていたのだが、高齢と体調不良でリタイア。
その後に入ったバイア州ゆかりの兄貴に二度ほど刈ってもらったが、彼もここのところ見当たらない。

若めの理髪師らしいのがふたり、客もなくひまそうにしている。
思い切って入る。

今はこの二人が営業権を引き継いだようだ。
二人で目配せをして、配下らしいのが僕の断髪をすることになった。

切り方をこれまで聞いたことのない用語でぼそぼそっと尋ねられるので、何度も返答に窮す。
これまでのような洗髪サービスはなくなったが、料金も安くなった。

鏡で後ろ髪を見せられた時は髪が薄くなったことより白髪だらけになったことに驚いた。

帰宅後の家人から、後ろ髪などがランダムに歪んで切られていることを指摘され、そろえてもらう。

ひょっとするとあの男、はじめて見様見真似でヒトの頭を刈ったのか、という部類のようだ。
それにしてもだいぶ刈り込んでくれた。
もうあそこはやめておこう。

虎刈りにされたのは、実に久しぶりかと。

髪が伸びてくるのが待ち遠しい。


8月18日(木)の記 世田谷コネクション
ブラジルにて


今日は画家の富山妙子さんの一周忌のお命日。
少し前まで、お命日は8月19日と思い込んでいた。
昨年、僕に訃報が伝わったのが当地の8月19日だったせいだろうか。

一周忌に祈念して、YouTubeに富山さん関係の動画をいくつかあげた。
メインはリニューアルした『連作 富山妙子素描/狐とリハビリ』。
https://www.youtube.com/watch?v=eXEZOL9Lq78

冒頭の字幕部分を修正して、僕と富山さんを引き合わせてくれた音楽家の伊東乾さん作曲の『富山妙子への追走曲』を使わせていただいた。
曲相、そして尺もぴったりだったことに、どう表現しようか…、かしこまった。

作業の合間に、滞っていたYouTube『チャンネル岡村淳』収録作品の拙ウエブサイト用の解説書きを手掛ける。
ようやくちょうど半年前に公開設定にした『理生(りお)君 末吉公園をいく』について執筆。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000262/20220817016840.cfm?j=1

これが終わって、SNSで今日がこの作品の主人公・いんやくりお君の誕生日だと知って、たまげる。

りお君は沖縄に移住する前は東京の世田谷区民だった。
富山さんは亡くなるまでの数十年を世田谷で過ごした。

僕は学生時代に世田谷区遺跡調査会の発掘調査に参加していたので、世田谷区の文化には先土器時代から親しんでいる。

して『富山妙子の追走曲』を作曲した伊東乾さんは、世田谷区のコロナウイルス感染症の後遺症調査解析の統括を務められている…!
https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/kusei/001/002/003/d00197085_d/fil/annke.pdf


8月19日(金)の記 フェルメールのマルタとマリア
ブラジルにて


今宵は日本からの客人とブラジルの郷土料理を共にすることになった。
どうやら客人は日本から、僕なら頼まれたくもないようなものを担いでくれて来たらしい。

ささやかな返礼に、荷物にならないようなブラジル土産をお渡ししたい…
現在、刊行中のFOLHA社の世界の巨匠画家シリーズの、ブラジルを代表する女性画家TARSILA DO AMARALの号はどうだろう。

まずは買い出しへ。
隣駅前の、いつも買っているこちらでbancaと呼ぶ雑誌スタンドに行くと…
最初は何を言っているのかわからなかったが、システムがおかしくなってこのシリーズが入荷しなくなってしまったという。
予約しますかと言われるが、今宵に間に合わない。

けっきょくさらに2軒をハシゴ。
自分の方も毎週の刊行に追いつかなくなっていたが、こちらにとっての次の号フェルメールの巻も購入。

開封して息を呑む。
フェルメールは若い時代に、イエスとマルタとマリアのエピソードの絵を描いていた!
このエピソードについては、このウエブサイト網で検索してみると僕はすでに3回も書いていた。
邦題は『マリアとマルタの家のキリスト』、西暦2018年から2019年の日本のフェルメール展で公開されていたとは。

僕はアート好きのつもりだが、体系的に学んだわけでもないので、こうしたことがすっぽり抜けている。
それだから今さらにして楽しくもあるのだが。


8月20日(土)の記 二日酔いの彷徨者
ブラジルにて


二日酔いである。
昨晩、日本からの客人と痛飲してしまった。
先方はだいぶ酒量が落ちたようだが。

カシャッサ:サトウキビの蒸留酒ベースのカクテル・カイピリーニャばかりだったせいか、日本酒やワインの痛飲後のような悶絶の悪酔い状態ではないが。

へろへろで床に就いたままだが、スマホの万歩計を見て驚く。
今日すでに2000歩以上歩いているではないか!

そうだ、こちらは徒歩圏だったが、先方はメトロの終電を逃し、タクシー探しに往生して駅前のタクシー乗り場をともにハシゴしたのだった。
寒空に申し訳ないことをした。

明日は午前中にヴィジターあり。
天然発酵パンをふるまうか。

午後、ふらふらと買い出しに。
ひゃー、3軒ハシゴするが3軒とももう閉まっていた。
手ブラでは帰れない…

スマホで調べて、いまだ営業中の店を探す。
歩く…
安くはないが、買えた。

深夜分も入れると今日は12000歩以上、歩いてしまった。


8月21日(日)の記 海岸山脈のレバノン太鼓
ブラジルにて


「レバノン」「太鼓」で検索してみる。
ぎゃ、レバノンで公演したという和太鼓のことばかり…

せめて和太鼓チームが訪問先の太鼓チームと交流する、ぐらいの話が欲しいところ。
レバノンにはレバノンの太鼓がある。

今日は、連れ合いの友人のお嬢さんの結婚式に招かれている。
豪華客船クルージング並みにドレスコードがあり、久しぶりにネクタイを締める。
場所はサンパウロ市内からサントスに向かった海岸山脈にあるイベント会場。
クルマで行かなければどうしようもないところだが、僕が運転しなくてもよくなった。
ヤッホー、飲めるぞ💛
さすがに昨日は酒を断ったし。

いやはや冬の熱帯降雨林。
サンパウロ市内より3度低く、14度。
霧雨がぱらつくが、ベンチと花道は野外に準備してある。
主催者側は、さぞ気がもめたことだろう。
幸い、場所を屋内に移すほどの降りは免れた。
このお湿りがこの森を支えている。

合間に付近の森を見る。
こちらの「在野」のタケと造園用に移入された旧大陸のタケの混交が面白い。
動く生き物は、ヨコバイの仲間を一頭みつけたのみ。
そのデザインに息を呑んだ。

今日の新郎はレバノン系で、幼少時にこちらに移住したらしい。
披露宴の食事も飲み物も快調。
カクテルコーナーがあり、3人のバーテンダーがほれぼれするパフォーマンスでカクテルをこさえてくれる。

黄昏時となり、参加者のうち若者を中心に相当数が集まって…
太鼓を中心としたレバノン音楽の演奏となり、一同踊りまくる。
椅子に座った新郎新婦がそれぞれ椅子を神輿にして担ぎあげられ、踊りの輪に加わる。
これが延々と続き、こっちもスマホ片手に踊らにゃソンソン…

レバノン音楽で踊る日が、しかもブラジルで、来るとは思わなかった。
これぞブラジル。
相手の文化を全身で認めてたたえる。
目頭が熱くなる。

いい結婚式だった。
夜10時ぐらいまで続くというが、わがチームは夜がすっかり海岸山脈を覆う前に山道を発つ。


8月22日(月)の記 料理と編集
ブラジルにて


今週は…
水曜の命日に合わせてYouTubeにあげるべき作品がひとつ。

して、今日は午後から泊まりで「ますらを派出夫」業だ。
思わぬ人からいきなりこっち:ブラジルに来ている、という連絡が入り、さあどうするか。

今晩の出先での夕餉のために…
わが家の冷蔵庫からモヤシ、シメジ(ヒラタケ)、油揚げを持参する。
近所のフードトラックでテンプラ(掻き揚げ)も購入。
10レアイス(約250円)から12レアイスに値上げされていた。

あとは行って開けてみなければわからない訪問先の冷蔵庫の残りもの類をいかに消費するか。

このことはこのウエブ日記でも触れたかどうか。
こうした料理と動画の編集作業の近似に昨今、気づいてきた。

ありものを組み合わせて、いかに効果をあげるか。
料理なら、見た目がきれい、も大切だろうが、おいしいかどうかが最重要。
動画も最重要なのは、面白いかどうか、感動したかどうかだと思う。

食材がいくらだったか、産地がどこか等々は二の次だろう。
動画の方も制作費がいくらでロケ期間がどれほどでカメラを何台回してどれほどのどれだけのスタッフが…は、どうでもいい人にはどうでもいい。

編集作業では、どうしても手元の素材だけではまとまらないこともしばしば。その場合は新撮・追撮を行なうなり、自分のところの過去のストックや他所からの買いもの借りものの映像を用いることになろう。
料理でも足りないものは近くに買い足しに行く。

さて冷蔵庫を開けると、誰かが持ってきたピザの残りがそこそこある。
これは間食にいただくか。

シメジは炊き込みご飯に。
モヤシはスマホでレシピをあたって、こっちにあった塩昆布とあえる。
冷蔵庫にあったチンゲン菜と豆腐、乾燥ワカメと油揚げの味噌汁。

テンプラ用に大根おろしをすって、だし汁をつくる。
自家製の漬け物を持参するのを忘れてしまった。

相手は、昼に何を食べたかを聞いても想い出せない状態だが…
今回は、僕には味が薄かったが、モヤシの塩昆布和えに「おいしい」のコメントあり。
この夕餉のこともももうしばらくしたら、食べたこと以外は忘れてしまうだろうけれども。

動画の方はどうかな。


8月23日(火)の記 ヒガシマル
ブラジルにて


サンパウロの連れ合いの実家で、昼にウドンをこさえる。
いつもは昆布とイリコで出汁をとるのだが。

日本の親類が送ってきたという「うどんスープ」という薄く長っぽそい紙の箱がある。
うーむ、関西風のウドンの汁の粉末のようだ。

武蔵野台地で生まれ育った身にはちょっと抵抗があるが…
少しでもここにあるものを使用セヨという指令もある。
これを使ってみるか。
カンタンだし。
(註:「だし」をかけています。かけうどんにするか…)

して、そのメーカーは。
ヒガシマル醤油。

僕がこのメーカー名に親しんだのは、近年になってから。
大きなきっかけは映画『ゴジラの逆襲』。

さて、お味の方は…
坂東もののワタクチは、クロ醤油を加えたい思い。
求めているのは塩味か、黒味か。

西日本出身の義母には好評。


8月24日(水)の記 自主制作四半世紀
ブラジルにて


親しかった人たちの命日が続く。
今日は小井沼國光牧師のお命日。
日本の仏教式でいうと、ちょうど十七回忌だ。

ちなみに日本語で人がなくなることをプロテスタントでは「召天」、カトリックでは「帰天」というようだ。
どこに「焦点」を当てるかで用語が異なってくる。

この小井沼牧師の命日にちなんで、この作品をYouTube「チャンネル岡村淳」で公開することにした。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20040217000281.cfm?j=1

この作品は小井沼先生の希望を受けて実現したものだ。
そしてこれが僕の初の公式自主制作作品となった。
記念すべき作品だが、ちょうど今年で25周年。

見直してみると、ナレーションの言葉が自分でもナレておらずお恥ずかしいが、まあこれはこれで、といったところか。
今回、微調整を行なう。

今年になってこの作品は日本発信のオンライン上映の機会をいただいた。
25年の歳月を感じさせない、今日の問題が提起されているといったコメントを複数いただいた。
言わせていただければ、さらにこの先も預言しているかもしれない。

微調整作業をしたい作業が自分なりの基準を厳しくすると増えてしまい、今日はこちらの回線が重く…
日本時間の24日には間に合わなかったが、ブラジル時間で間に合った。

9歳年下の僕を友人、と称してくれていた小井沼先生の友情にささやかながらの返礼のつもりでもあり。

話は尽きないが、まずはYouTubeのリンクをご紹介します。
https://www.youtube.com/watch?v=gb4M1TD-Oco


8月25日(木)の記 オンライン上のレッドカード
ブラジルにて


これまで僕のライブ上映会で、何人かにレッドカードを出してきた。
僕個人に対する誹謗中傷はこらえるにしても、わが作品の被写体となってくれた方々の尊厳をおとしめたり、他の参加者の方々に迷惑・不快な言動を行なう人には今後の参加を見合わせるよう申し付けてきた。

今日は、ツイッターのオープンの場で僕に対する誹謗中傷を浴びせてくる日本の女性が登場。
こちらと常識と良識を異にしているのが明らかで、この人にはこれまでもぐっとこらえて先方の反省と学びを期待したのだが。
それが仇となった。

常識・良識に欠ける人がSNSというツールを使用することのリスクを実感。
自動車運転の講習も受けずに免許も持たず、アクセルを踏めばクルマは走るという理解だけの輩が一方通行の標識も横断歩道の存在もおかまいなし、イケイケで飛ばして歩行者の列に突っ込んできたら…

こちらが人を信じるという基本線を守ろうとすると、それにつけこまれてこういう仕打ちを被ることもあるという苦い学び。

僕は異国でなんの組織にも属せず、いちフリーとして自分の名前と信用だけで活動している。
先方はツイッターという公(おおやけ)の場で岡村への誹謗中傷を拡散した。
わがシンパ・サポーターの方々にも意味不明で誤解を招き、かつ不快な存在は、ただスルー・削除するのみではこちらが相手の誹謗中傷を認めてもみ消そうと図っていると取られかねない。

どのような僕なりの対応をするべきか。


8月26日(金)の記 消防カフェの教え
ブラジルにて


逆ギレされて誹謗中傷ツイートを拡散された問題について。
なおも先方がこちらに足跡を残してくるので、ブロックを考える。

が、どうやらブロックするとこの人とのこれまでのダイレクトメッセージのやり取りも消えてしまうようだ。
これらは、僕が先方にこうした処置をとるに足りると判断するための証拠となるものだ。
かといって全部スクショ撮りというのもめんどくさい。

さて今日は午前中、ダウンタウンで邦人の友人に会って渡しものをすることになった。
いったん「いつもの店」で出会うことにするが…

その付近に気になるカフェがあった。
外から通るとそこそこの人の入りで、なんだか他とは違う感が溢れていた。

グーグルマップで見てみると…
ほう。
日本語に訳すと「消防カフェ」。
消防署に隣接しているためか。
店の評価と口コミも見てみる。
お。
五段階評価で五が多いものの、一も散見する。

コメント欄をスクロール…
多くは称賛のコメントだが…。
「最低」評価のコメントを見てみる。
頼んだものが自分の想定と違って気にいらない、店員の態度が悪い、など。

いっぽうそうしたクレームに、店側がクレームを上まわる分量で、まさしく丁寧に回答をしている。
それらを読むと、クレームの方はクレーマーの被害妄想・逆ギレではないかという印象を抱く。

いずれにしろ、こうしたクレーマーのクレームにも誠意をもって対応していることがよくわかる。
クレーマーたちはそもそもこの店に二度と行かないだろう。
しかしこうしたクレームへのきちんと/毅然とした回答を目にした人には店の好印象が高まるというもの。
被害妄想やフェイクのコメントでも不特定多数の目に留まる形で書き込まれてしまう以上、最良の対応はこれかもしれない。

これは「学びがある」。
これに学ぼう。

「ツイッターのものは、ツイッターに返せ」。
といった次第で、ツイッターでおそらく初めていくつもの連投をする。

これの機能がよくわからないが、いちばん最後のこれのリンクから最初までたどれるかと思います。
https://twitter.com/junbrasil/status/1563124107822399488

さて、件の「消防カフェ」だが…
友人に急きょ、ここでの待ち合わせに変更させてもらった。
これは、いい店だ。
最大級の評価をしたい。

非礼なクレームに関しても…
「消防カフェ」なだけに、「火消し」が見事!


8月27日(土)の記 グリンゴへの視線
ブラジルにて


何年も消息不明だった日本人の若い友人から連絡があった。
いま、サンパウロに来ているという。

ご報告したいことがあるとのことで、まあとにかく会いましょうとまずは今週再会した。
音信不通の間に驚きの展開があったことを知る。

今日もまた会食することに。
東洋人街付近にできたというアフガン難民の経営するアフガン料理屋を提案。
彼がさっそく検索して、今は営業していないようだという。
ブラジル発行の日本語情報誌の7月号に取材記事として紹介されていたのだが!

僕の方であらたにクルド人経営のレストランを探し出す。
が、どうもここも営業を中止したようだ。
なかなか「食べて応援」もむずかしい。

彼は今回、ブラジルに来てまだブラジルを代表するプレート:フェイジョアーダを食べていないという。
一人では入りにくく、家族も誘いづらかった店に行ってみよう。

その近くに小規模のファヴェーラ:スラム街がある。
彼に聞くと、以前の滞在中にリオの「観光」でファヴェーラに入ったことがあるぐらい、だという。

簡単な注意事項を伝えて、一緒に通ってみる。

無事に抜けて、レストランに入ってから聞いてみる。
人々の視線から、自分がグリンゴであることを思い知らされたという。

グリンゴ。
ラテンアメリカの人々が特にアメリカ合衆国の人間を不快の意を込めて呼ぶ言葉だ。

それをここの人たちからキャッチする感性と知性はなかなか持ち得るものではない。

彼と今度はどこで、いつ会えるかな。


8月28日(日)の記 袋小路のゴール
ブラジルにて


午前中、家族の送迎。
この帰りに「今日のグラフィティ」を探して撮ろう。

どこにするか…
空港の東側のあたりに行ってみるか。
未踏地区である。

スマホのアプリであたりを付けておくが…
おや、袋小路に入ってしまった。

が、突き当りにグラフィティらしきものがある。
これを見てみよう。
車をとめて降りると、柵越しだが飼犬がけたたましく吠えてくる。

・・・絵の方は、サッカー系のようだ。
撮るか。
https://www.instagram.com/p/Ch0pKERrimB/

あ。
気づくことあり。
他の袋小路にもサッカー系のグラフィティがあったのを想い出す。

そうか。
袋小路という地形がサッカーのゴールを彷彿させるのだろう。
こうした地形の見立てと、そこに何が描かれるか。

これは人類の旧石器時代の洞窟壁画研究でも重要なポイントだ。

ブラジルのグラフィティから考えてみよう。


8月29日(月)の記 三度目の命日
ブラジルにて


KIM-KIMこと木村浩介さんのお命日が近い。
富山妙子さんの時のようにうっかり日にちの勘違いもあるので、確認。
日本の日付で8月31日。
数えてみると、今年は七回忌ではないか。

なんと今月は。
富山妙子さんの新盆にして一周忌。
小井沼國光牧師の、日本の仏式でいうと十七回忌。

そして木村さんの七回忌!
富山さんと小井沼牧師には、それぞれお命日を祈念して動画をYouTubeにあげた。

木村さんに関しても、あと一本、木村さんの初ブラジルミッションの際に撮影した映像がある。
これは『木村浩介 ブラジルの休日』と題してまとめて、日本で何度か上映している。
ところが探したものの、これの編集済みデータが見当たらない!

・・・オリジナル撮影素材はあったので、これからまた編集をやり直すか。

今日は午後からお泊りミッションが入ってしまった。
それまでに素材の取込み等を済ませて、少しでも作業を進めておく。
今回は『木村浩介 ブラジル海岸山脈ソロコンサート』とするか。

ひと月に三人も、三本も故人の節目の命日があり、それにちなんだ動画をアップするというのは空前絶後だろうな。

さあ続きは明日、帰宅してから。


8月30日(火)の記 テルマエ・チベタエ
ブラジルにて


「テルトン」(埋蔵経の発掘者)と呼ばれる、たくさんの宗教的天才たちが、チベットの大地から真理を掘り出すという作業に、没頭してきたのである。
 (『三万年の死の教え』中沢新一著、角川文庫版)


奉公先で、故人に貸したままだったこの本を「発掘」した。
10数年ぶりぐらいで読み返し、引き込まれていった。

「テルマ」とは「埋蔵経」のこと。
チベットには膨大な数のテルマが埋蔵され、隠されているという。

「真理」はすでに過去に書かれて、掘り出されるのを待っている、という思考。
僕はかつては考古学徒だったので、僕自身こうした、いわば信仰を持っていたのだろう。
だが実際に日本各地の埋蔵文化財発掘の最前線を行脚して、考古学への希望を喪失した。

殺人現場までには立ち会うことはなかったが、隠蔽捏造抹消は日常茶飯事。
権威側のお気に召さないスタッフへの人格攻撃もなかなかだった。

日本の考古学のでたらめさは、僕が去った後に発覚した旧石器遺跡捏造事件に象徴されている。

なによりも遺跡は、そして埋蔵経は、開発やら戦乱やらがあれば、いくらそれが真理であろうと、いともたやすく永劫に喪失してしまう。
そうした想いから、なにかの拍子で無と化してしまう過去よりも、これからの表現と創造にこそ惹かれるようになったのだが…

たとえば祖国日本の近年の劣化ぶりをみると、人類の進化や明るい未来というのは素朴な幻想ではないかと思わざるを得ない。

こうした劣化がさらに加速して破滅に向かう前に、劣化以前の「たくさんの過去仏」たちの教えに、それらが消滅する前に触れるべきではないだろうか。

僕が考古学徒から脱して日本映像記録センターに入社して、半年ほどで牛山純一プロデューサーは僕を全100日におよぶ中国チベット取材班に加えてくれた。

当時の僕はチベットの『死者の書』の存在を知ることもなかった。
あの時のチーフディレクターで『私は鳥葬を目撃した』の杉山忠夫先輩も故人となってしまった。

僕は、チベットのミッションでなにをみたのか。
ブラジルでの眠れぬ夜に反芻してみよう。


8月31日(水)の記 木村さんの歌声が聞こえる
ブラジルにて


今日はミュージシャンの木村浩介さんの七回忌。
それにちなんで、下記のリンクの映像をYouTubeにアップすべく…

かつて編集した素材が見当たらず、改めてやり直すことになった。
かえってそれが僕なりのいい供養になったと思う。

今回は僕なりにかなり思い切った編集をしてみた。
通常の僕ならNGとして落とす部分を、あえて使ってみる。

素朴な作品作りだが、ひとつひとつ僕なりの挑戦をしているつもり。

日本時間の31日のうちにアップを終えたかった。
が、先週同様wi-fiが重く遅く…

ブラジル時間の31日には間に合った。

https://www.youtube.com/watch?v=t9PVFB-wgiQ

木村さんと僕をつないでくれた東京西荻窪APARECIDAのWillieさんがさっそく視聴、フェイスブックに投稿してくれた。
https://www.facebook.com/willie.whopper/posts/pfbid0kiksrhSRFemRoycP8ThFzwYfNa4yha1zoLkJZwntb7mmSDpTdrQMHZh9F1yiNRGSl?comment_id=624121025738044&reply_comment_id=390830963020576 ¬if_id=1662095057039519¬if_t=mentions_comment&ref=notif




 


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