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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2022年の日記  (最終更新日 : 2023/01/01)
11月の日記 総集編 聖アントニオのパン

11月の日記 総集編 聖アントニオのパン (2022/11/02) 11月1日(火)の記 死者の月の試写
ブラジルにて


今日は一日断食。
日曜の顔面強打の事後が気にかかるので、ちょうどいいかも。

11月に突入。
カトリックでは11月を死者の月としている。
明日2日は死者の日。

思えばこの8月以来、死者追悼の動画のまとめとアップがずっと続いている。
一周忌の富山妙子さん、そして木村浩介さん、急逝された江川正幸さん、藤川真弘師…
日本の国葬抗議の動画アップもあり。
そして松井太郎さんの未発表作品のアップ。

まもなく作業量としてこれらを超えるだろう追悼作品に着手するつもり。

午後から買い物に出る。
少し離れた路上市の閉店間際狙い。
おっと、雨だ。

断食の日でもハーブティーの類ならカフェで飲んでいるのだが…
今日はまっすぐ帰るか。


11月2日(水)の記 雨の盆
ブラジルにて


今日のブラジルは「死者の日」の休日。
ポルトガル語で finadoと呼ぶ。
カトリック起源の行事で、死者の供養で墓参り等に行く習慣がある。
メキシコの骸骨祭りも同源。

フェイスブックやツイッターで昨年大晦日にYouTubeにアップした拙作『佐々木治夫神父の死者の日のミサ』について再告知。
https://www.youtube.com/watch?v=3yyZWMLOeNk

今日はでれでれと屋内作業諸々をたしなむつもりだが…
「死者の日のミサ」を告知する当人がこの日のミサにあずからないというのも、いかがなものか、と自分のなかの声。

・・・さて、どの教会のどの時間のミサにあずかるか。
祭日のミサ時間帯はそこそこにややこしい。
ネットの情報もあてにならず、いくつかの教会に電話で確認。
目を付けていた教会は電話に応じない…

けっきょく聖ユダ・タダイ教会の新聖堂の15時のミサへ。
今日の司祭の説教は僕にも聞き取りやすい。

日本でも名前は知られるサンフランシスコ:聖フランシスコは「死は、兄弟」と語ったそうだ。
帰宅後に検索する…
日本語では見当たらず、ポルトガル語でいくつかヒット。

聖フランシスコの臨終のときの言葉だった。
この言葉を「都こんぶ」のように味わってみよう。

ミサの帰路は雨。
ブラジルの日本人移民はフィナードを「お盆」と呼んできた。


11月3日(木)の記 文化映画会
ブラジルにて


今日はこちら時間午前6時半よりZoomリハスタートで、東京飯田橋Wild Pitchさんでの拙作上映会。
わが代表作のひとつ『赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み』デジタルリマスター版の初公開。

こちらからはわからないが、マスターのニッキーマツモトさんも来場者の方もうなるほどの高画質だった由。
この作品の初版の完成から、なんとちょうど20年。
トークネタは、いくらでもある。

祖国の「文化の日」に関してもその崇高な意義、そして手塚治虫の誕生日、初代ゴジラ公開記念日など、話題にしたいことの尽きない日。

そういえば、かつて『キネマ旬報』のバックナンバーを見ていて気付いたのだが、1970年代ぐらいには「ドキュメンタリー映画」のことは「記録映画」どころか「文化映画」と呼ばれていたのだった。

午後、日本からDHLで『立教大学ラテンアメリカ研究所報』が届く。
やれやれ、の一言。
なんと同時に日本からの船便が届いた。
大阪からで、8月1日の消印。
驚きのグッズの詰め合わせ、まことにありがたし。

さて、次の作業が待っている。
故・富山妙子さんの11月6日の誕生日に向けて。


11月4日(金)の記 アマゾン便り
ブラジルにて


買いものと友人への届け物で東洋人街に出る。
友人宅で、在アマゾンの知人との久しぶりの再会がかなった。

ばか話の後、気になっていたことを尋ねてみると、明快に教えてくれた。
驚きの展開。

以前、華僑の店で買った和名ヤマブシタケの乾燥ものを探す。
・・・大手を中心に四軒ほどまわるが、ない。
また時期を置いてみてみよう。
ちなみにこのキノコの中国語名は「猴头菇」、サルの頭の意らしい。

中国産の乾燥キノコを買って和名や効用を調べるのも一興。
こちらで入手できる食用ナマきのこは限られるので、中国産にも手を出している次第。

アマゾンついでに、アマゾン地方で先住民ヤノマモが食用にしているキノコが購入可能になったようだが、ネット買いは苦手で。
サンパウロで買えるところがあるか、調べてみよう。


11月5日(土)の記 国なんて
ブラジルにて


「国なんて、土地以外の何ものでもないじゃないか。そして土地なんて、値段さえ折り合えば、実質的にいくらでも買えるんだ。きみの国は違うとでも思っているのか?」
 『飢餓大陸』ジョン・ランド著、徳間文庫より。

てっきりアフリカの問題の本だと思い込んでいた。
分厚い文庫本。
少しでも蔵書を処分しようとする際に候補に挙げていたが、思いとどめて目の付きやすいところに置いていた。

開いてみると、冒頭からコロンビアが舞台ではないか。
・・・読み始めたら、やめられなくなった。
冒険小説の範疇とされるらしい。

この文庫の発行は西暦1993年、原著は1986年とあるからそうとう古い話か…
読んでみると、さほどの遜色はない。

この本をどのように入手したのか、さっぱり記憶がない。
読み進めていくと、プルトニウムについて触れたところに鉛筆で線引きがしてある。
・・・僕が引くような線であるし、引きそうな箇所である。
まるで読んだ記憶もないのだが。

グラフィティ採集もあるし、少しは外に出て歩かないと。
めんどくさいが、午後から思い切って出て少し正気に返る。

今日から手掛けるべき作業を失念しているのに気づく。
帰宅後、さっそく着手。
日本の日付はもう11月6日、富山妙子さんの誕生日だ。
ご存命だったら満101歳。

あ。
今日、撮ってきた写真は「101匹わんちゃん」っぽい。


11月6日(日)の記 アフリカを喰う
ブラジルにて


昼に家族で外食。
今日は僕に選択権があるので教育的効果も狙う。

アフリカ料理店をチョイス。
僕がアルコールを飲むので、マイカーで行くのは論外。
タクシー代をかけないようメトロの駅から一般人の許容範囲の徒歩圏で。
行ったことのないところをオンライン情報からチョイス。

家族の他の予定もあるので、昼イチの開店直後に。
まずはがらがらだが、いい感じの店だ。

なんたってアフリカ全般を網羅するらしい豊富なメニュー。
僕も北アフリカのクスクスとエチオピアのインジェラぐらいしか知らない。

それぞれが一品ずつ頼んで、そのほかこちらでbanana da terra:土バナナと呼ばれるものなどを前菜に頼む。
この「土バナナ」、日本名はプランテンと知る。
世界の主食第10位とな。

アルコールは…
南アフリカのワインは日本でも飲んだことがあるが、価格的にパス。
値段優先で、チリワインで。

いやはや、どれもおいしい。
エキゾチックかつ、ブラジルのバイーア料理やミナス料理を彷彿させるものもある。
どちらもアフリカから膨大な数の人たちが強制連行されてきたところ。

まあこれらの料理がアフリカの本場そのものか、こっち風のアレンジかは僕にはわからない。

アフリカをいろいろな面で身近に感じられるのがブラジルの魅力のひとつ。
それを感じたい人、そして魅力と思える人には。


11月7日(月)の記 映像作家の巣ごもり時空紀行
ブラジルにて


日本がこの日付になる前後から、特にフェイスブックで続々とお祝いのメッセージが入ってくる。
これにひと通り個別に返信することを自らに課している。

誕生祝メッセージが何千もあるようだったらお手上げかもしれない。
今年は例年より漸減傾向のようで、トータルで100までいかないかもしれない。
いずれにしろ、この人誰だっけ、さて何を返そうかと相手のプロフィールや近況をチェックするのもしばしば、それなりの作業である。

フェイスブック等では相手が他界していることもどうやら知らずに機械的に誕生メッセージを送っているようなのもしばしば見かける。
僕にもそんなのもいくつか。

まあこの機会に新たに旧交が温まって盛り上がることもしばしば、そうした機会を大切にしたい。

ちょうど先週、立教大学ラテンアメリカ研究所がDHLで送ってくれた所報が届いた。
なんと巻頭論文を飾らせていただいた。
題して「コロナ禍のブラジルから 映像作家の巣ごもり時空紀行」。
西暦2020年12月のオンライン講演をもとに、その後、昨年9月の締め切りまでの間に全面的に新たに書き下ろしたもの。

それがオンラインでもPDFで閲覧可能。
https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=22282&item_no=1&page_id=13&block_id=49&fbclid=IwAR0PCeETqx4AC2iJPIWUTdmrsXM6wQaxJCHaZLzJtLSPEeBB4GzaeI1uLjA
誕生祝の返礼も兼ねてそのリンクを紹介させていただいた。

これが日の目を見るに至るまでには、そこそこのドラマがあった。
関係者の皆さんには、ただ感謝である。
拙稿を読み返すのは自己嫌悪の苦痛に襲われることもあるが、思い切って読み返し…
あ、ここは直すべきだったかな、とか。
それはともかく、全体として賞味期限切れということもなく、ま、こんなところかなといったところ。

こちらにいる僕にはわかりかねる尽力をして拙稿を守ってくれた方々に改めて御礼申し上げたい。


11月8日(火)の記 プライベートをつなぐ
ブラジルにて


ここのところプライベートの動画の編集作業を続けている。

ようやくブラジル側の、前世紀末に撮ったものの編集を終えて。
これは撮影素材をプレヴューして自己嫌悪に襲われていた。
それを編集作業で、そこそこスッキリさせた。

今度は日本側の、やはり前世紀に撮影した素材。
よくもこんなものが残っているなという思いと、それをしのぐ諸々の後悔。
もっと突っ込んで、継続しておけばよかった。
語り手がお元気なうちに、関係者が存命のうちにまとめて見せてさしあげたかった。

言い訳はいろいろあるけれども。
まあ、粛粛と、今さらながらのナメクジの歩みで、ぬめりを残すか。


11月9日(水)の記 移住者のよろこび
ブラジルにて


今日は盛りだくさんだった。
そのなかでの白眉はサンパウロ大学での大図書フェア。

ブラジル全国から大中小あわせて100以上の出版社がブースを出す。
「最低でも50パーセント引き」というのがウリだ。

数年前に初体験、「ブラジルに移住してよかった」と感じた。
「本好きでよかった」「ブラジルは出版大国」とも。

今回、ふたたびそれを覚える。
たまるいっぽうの蔵書の恐れがすっ飛ぶほど。

わが家族は事前に調べ、相当リストアップして臨むようだ。
いま僕が一番欲しいこちらの本はあるかどうかもわからず、50パー引きでも考えるほどのお値段だ。
というわけでなにもあてがなくて流しで見て、おっこれは、という本に出会う喜びは格別。

人気出版社のところはブースに至るまでに長蛇の列。
今日は学内での映画鑑賞の合間でもあり、そういうのはいっさいパス。

それでもうれしい悲鳴をミュートで何度もあげる。
初日平日なれどもなかなかの人出。
して、ピーク時から比べればコロナもだいぶ下火となったブラジルの今となっては、これだけ高い比率でマスク着用者がいるというのにも注目。
しかも若者たち。

スマホ時代に書を求める若者のメンタリティは違う。
そして希望を感ず。


11月10日(木)の記 パライーゾの路地裏で
ブラジルにて


サンパウロに長らく滞在した後、地方を経てまたサンパウロに戻った知人とカフェ飲み話をすることになった。
先方は、メトロでいうとパライーゾ(天国)駅近く。

先方の地理的感覚がなかなか厳しいことがわかり、僕がネットで然るべきカフェの店を探すことになった。
ついでに近くに天然酵母のパンを商う店があるかチェック。

大まかにいうとイビラプエラの湿地に向かい高台から降りていくことになった。
道は区画的とはいえず、思わぬショートカットの路地があった。
案の定、グラフィティあり。
大映怪獣バイラスのようなイカらしき作品。
足は…ちゃんと10本あるぞ。
https://www.instagram.com/p/CkzJK7_Pbce/

ポルトガル語でイカはlulaといい、この度の大統領選で勝った人物の通称Lulaと同じスペルだ。
しかしブラジル人でイカという生物の概要をわかる人は少なく、食べたことのある人はさらに少ないことだろう。
タコを描いたグラフィティはいくつか見た覚えがあるが、イカは記憶にない。
イカ、略。

この狭い路地でスマホ撮りをしていると、邦人が通りがかった。
お互い、見覚えあるが、名前が出てこない。
こっちより年配の男性で、僕にかつて非礼をはたらいた男かと思った。
それとは別人で、かつて同じ組織で関わった人だった。

いま、先の方で待たせている知人とも僕のなかではつながった。
それにしても、この人には今世紀になってから会っていたかどうか。

その組織がらみで撮っていた動画のことがちょうど気になっていた。
この人にそのことを持ち出してみたが、食いつきもなく、よりしかるべき人に伝えてみよう。


11月11日(金)の記 洗車散髪
ブラジルにて


今日はミュージアム詣ででもしようかと思っていた。
しかし昨晩、クルマをしばらく洗車に出していないことに気づいた。

運転席の、9月に泥道を走った時のドロもそのままだ。
そろそろ洗車をという時に雨になったりして、タイミングを逸していた。

昼前に洗車屋に。
キーを渡すとき、いつも不安あり。
かつてレストランの車番にキーを預けて車を盗られた体験がうずく。

・・・さて、クルマは無事で済んだ。
午後。
散髪も断行すべき時期。
雨模様になってきたが、折り畳み傘持参で。

先回は虎刈りにされてしまった。
パンデミック後に通っていたアキラさんという日系人の床屋さん、アキラさんはリタイヤ。
そのあとのチアゴというバイーア州から来た話し好きのアニキも気にいったが、彼もいなくなった。
新たに二人組の非日系ブラジル人が刈るようになったが、これの若い方に家人も驚くような刈り方をされてしまった。

僕は意外と人見知りをするので、また新しい床屋を開発するのがメンドクサイ…
毛髪はむさくるしく伸びるばかり。

さて元アキラさんのところ、ここのところ若いのはいなくなったようで、兄貴分の方に刈ってもらうかなと思って行っている。
ナント今日は二人とも食虫植物のように客用の椅子に座って、所在なげにスマホをいじっているではないか。
パス。

・・・下の道の、をとこも刈るなるといふ美容院に行ってみるか。
日本の格安床屋では女性の散髪師もいる。
他人の女性に久しく身体をいじられた覚えがなく、ちょっとキンチョー。

いったん通り過ぎてからUターン。
店頭にいた水色のツナギを着たおじさんが「散髪ですか」と聞いてくる。
ツナギを着て腰に道具袋をぶら下げていて、てっきり電気修理工か何かかと思っていた。

なんとこのおじさんが男子理髪の担当で、女性たちがたむろする空間の奥底に男子散髪空間があった。

腰の道具袋に彼の理髪用品が入っていたのだ。
・・・検索すると、日本語でツールポーチというようだ。
聞くと「これは便利ですよ」。
なんだか憧れのスタイル。
在沖縄のアーチスト阪田清子さんがこれを使っていたな。

おじさんはゴイアス(首都ブラジリアの周囲にあるブラジル中央の州)出身だという。
おもしろいチーズのあるところだねというと「パモーニャが絶品」の由。
パモーニャは、トウモロコシ製のスナック。

「これからはうちのお客さんですね」と言われ、こっちもその気になる。
ハサミとシェーバーでさっぱりと刈ってくれた。
いろいろな散髪師を試してみたいが先回のようなリスクもあるし、これもメンドクサイと言えばメンドクサイし。


10回で1回タダというスタンプカードをくれるが、たまるかな。


11月12日(土)の記 土曜のキャンパス都市
ブラジルにて


サンパウロ大学での大図書フェアは今日まで。
家族も車に乗せて再トライすることに。
かなりの混雑が予想されるので、オープンの午前9時を目指したかった。
それが10時過ぎ着となる。

すでに初日を超える混雑。
今日は車いすユーザー、乳母車を押す人、乳幼児を抱えた人、購入本を入れるスーツケースを転がす人も…
僕は午前11時の段階でこれ以上はキケンと判断してギブアップする。
韓国の圧死事件のプチ版ぐらいは生じるリスクを感じた。
感染症のリスクも。

それまでにざっとまわわれたのは、混雑ブースを除いて全体の3分の一程度。
それでも今日も思わぬ掘り出し物をいくつか購入。

外の芝生にしゃがみこんで、戦利品の透明カバーをはがす。
次いで、だいぶ離れた駐車スペースの近くの芝生で寝転んで陽光を浴びる。

今日はキャンパス内で若者から道を聞かれた。
かつては不審者として警備員に誰何されるのを恐れる分際だったが…

思えばこれまで日本や諸外国の大学には取材で訪れたり、上映や講演のゲストとして招待されての訪問が主だった。
ところが地元のサンパウロ大学ではそうしたコネではなく「いち不審者」として広大なキャンパス内のグラフィティ探しから始めた…

これでよかったと思う。
今日はこれまで入りづらかった、日本でいえば学生自治会館にあたりそうなところに潜入、ここの軽食堂でランチもいただいてみた。

土曜はピクニック気分で学園都市に来ている市民も多いようだ。
まさしく開かれた大学だ。


11月13日(日)の記 ミズキカメラ
ブラジルにて


今日は早朝からのお務め、運転業務と買い物を昼時分に終了。
わが家はワタクチひとり。

気ままな読書をいたそう。
日本の友人が船便で送ってくれた小包のなかにあった『黒のマガジン』第4号の読み残し部分を堪能。

巻頭の「特集・水木しげる/水木しげるとカメラ雑誌・写真集の世界」にはたまげた。
水木しげるのマンガ作品のなかにはカメラ雑誌や写真集の写真をそっくり模写してコラージュしたものが少なくない、ということを検証している。
このなかのひとつの発見でもヒットだと思う。
それが、これだけ次々と展開…

たいへんな労作である。
尋常ではない執念のなせる業。
著者らのいう「水木愛」に尽きるということか。

水木しげるの世界は「ウルトラ特撮」とともにわが原点をなすといっていい。
あの重厚な絵画には、こんなバックグラウンドがあったのか。

調べてみると、水木しげる(「さん」か「先生」をつけるべきかもしれない)は画家の富山妙子さんより一年早い西暦1920年の生まれ。
想えば富山さんも画の元ネタの有無等を尋ねると、はぐらかしたり、不機嫌になったりしたものだ。
そして富山さんもコラージュの達人だった。
富山さんの人と作品を考えるうえでも、貴重な気づきをいただいた。

水木さんについてのこの労作は『ミズキカメラ』という出版物で詳細に紹介されているようだ。
次回訪日時にはゲットしたいもの。


11月14日(月)の記 アフリカの召命
ブラジルにて


まったく情けない勘違い、ケアレスミスが少なくはなくなってきた。
昨年亡くなられた拙作『あもーる あもれいら』シリーズの主人公・シスターヴィンセンシアの命日は11月25日だと思い込んでいた。
訃報記事を再確認すると、11月15日ではないか。

11月はカトリックの「死者の月」でもあるので、今月中にシスター堂園の未発表インタビューの動画などをまとめてYouTubeにあげようと計画中。

今日の午後になり、その作業中に機材トラブル発生。
新たに素材を取り込めなくなってしまった。
いつかは起こるとは覚悟していたが。

さてどうしよう。
ネット検索をして、徒歩圏の心当たりをまわり…
サンパウロの中心街にある「ブラジルのアキバ」まで行ってみることにした。
アナログを極める方法で…
ようやくできるかどうかやってみようという技術者に遭遇。

すでに夕刻、明日は祭日、あとは待つこと。

帰り道に、歴史記念物クラスのカトリック教会があることに気づく。
18時からのミサあり、とのこと。
あずかることにする。
諸々、あとは祈るしかない。

おお、日本の日付はすでに11月15日、
シスター堂園は日本の長崎でこの日に亡くなられている。

この教会の正式名称は「聖母の無原罪の御宿り」教会。
一般には聖イフジェニア教会と呼ばれている。

聖イフジェニアとはどんな聖人なのか、帰宅後に調べてみた。
なんと、エチオピアの王女だった。
それであの教会には左に白いマリア像、右に黒い女性像がまつってあったのか。

そして、シスター堂園。
僕がアモレイラの地で彼女に出会った時、1990年代のこと。
シスターに夢を聞くと、より貧しい人たちに奉仕したい、できればアフリカに行きたいと語ってくれた。

今日の機材事故がなければ、アフリカを夢見ていたシスター堂園のお命日にアフリカの王女をまつる教会でのミサにあずかることもなかったろう。

今日のミサの福音朗読は、イエスの到来を聞いた盲人がイエスの寵愛を願い、イエスは彼に唾液を付けて開眼させた、という奇跡譚だった。


11月15日(火)の記 ブラジルの七五三
ブラジルにて


今日のブラジルは、七五三の休日。
七五三というのはウソで「共和国宣言記念日」。

昼過ぎになって家人から果物が食べたいとの声が上がった。
・・・祝日でもこの時間なら開いているだろうスーパーは近くにある。

そうだ、少し歩いたところの火曜の路上市に行ってみよう。
路上市は祭日でも営業しているはず。
さて、時間的に間に合うか。

おー、歩いた甲斐があった。
仕舞い際に間に合い、たたき売り価格で買えた。

ついでに日系人の野菜のお店で葉っぱ付きの大根を生産者に申し訳ないような値段で2本購入。

路上市への往路には開いていた肉屋で帰路に豚肉を買おうと計画。
が、帰りはもう閉まっていた。
うー、夕食の豚生姜焼き計画は断念するか…
他をあたってみよう。

ダイコンの葉は一日も置くとだいぶ黄なびて(こんな言葉はないようだが:黄ばんでしまう、か)しまう。
さてどう活用しようか。
ひとつはまた天日干しにしてみるかな。


11月16日(水)の記 水曜の歩けオロジー
ブラジルにて


機材の修理待ちで、動画編集作業は今日も中断。
その他にできることを、ちびちびと。

買いものやら銀行の用事等々で、そこそこ歩く。
スマホを見ると、トータルで12000歩を超えていた。

天然発酵ベーカリーで、ようやくクルミとゴルゴンゾーラ入りのを買えた。
あとから来たおばちゃん客も「それ、おいしいわよ」と太鼓判。
まだアツアツ。

夕方、味見にいただいてみると、確かにおいしい。

天然発酵パンはお値段も安くはないけど、毎日じゃないし。
お店もパンもそれぞれ個性的、一点もので面白い。


11月17日(木)の記 ザップじゃなかった
ブラジルにて


WhatsApp。
ブラジルでの発音はワツザップと聞こえる。
日本語表記はワッツザップかと思って検索すると、ワッツアップだった。
なんのことか。
日本語版ウイキによると「(前略)フリーウェア、クロスプラットフォームの集中型メッセージングおよびVoIP(VoIP)サービスである。」
である、といわれても、ますますなんのことかわからない。

昨今ではブラジルでの携帯電話の通話のほとんどがこれのようだ。
ちなみに西暦2020年の数字で地球上に生息する20億個体以上のヒトがこれを使用しているという。

そもそも僕は電話をかけるのも受けるのも苦手である。
かつてはそうもいっていられなかったが、今日ではそれ以外の方法で大半の用件はすますことができる。
しかし場合によっては電話的手段も必要。

このワッツアップだが、相手の番号があってもそのままはかからない、ようだ。
これまでは家人に頼んでいたのだが…
自分で調べると、まず先方の番号を登録して、先方が許可すれば通話が可能になるようだ。
向こうが商売でやっていて、顧客が先方の許可がないと通話ができない、というのもワタクチの文化では「いかがなものだろうか」といったところだが、クニも文化も時代も変わってしまった。

さてAV機器の修理を頼んである業者は、電話の通話はこのワッツアップしか受け付けないようだ。
今日中に受取り可能の予定だったので、確認を取りたいのだが…
さんざん苦労してワッツアップの登録をこころみるが、先方が「許可」してこない。

ようやくメッセージでの返答が来て、金曜か土曜朝までには、と「確信する」由。
いやはやまた予定が変わってしまう。


11月18日(金)の記 ヒミツの黄昏
ブラジルにて


今日は1980年代に日本で出会った知人と会う約束。
先方の方がグルメで食べ歩いているだろうから、こちらから店の提案を控えていると…

先方の提案の駐在員愛用風の和食店をSNSで調べると、ツマミ一品の値段が僕にとって望ましい外食費の約3倍ではないか。
先方とは先回もワリカンだった。

急きょこちらから格安の店をいくつか提案。
先方のテイストを知る身内によると、わがヒミツの古民家カフェを喜ぶだろうという。
しかし先方の希望は夜で、秘密カフェは20時には閉まってしまう。

これを先方に伝えるとゼヒその店に行きたい、仕事は「ハヤビケ」するとのこと。
「ハヤビキ」ではなくて「ハヤビケ」か。
調べてもこの違いはよくわからないが、いずれにしても数十年ぶりに接する言葉かも。

そこは個人経営のビミョーな店なので、一昨日、直接行ってカフェとケーキをいただきながら予約をしておいた。
先方の指定時間、今日の16時。

欲張ってその前に用事を入れて、ギリギリに古民家カフェに走り込む。
先方は、まだ。
待つこと1時間。

・・・急な会議が入った由。
こちらは準備しておいた携帯用蚊取り線香を忘れてしまい、ここに来る前に買って持参するつもりだった画集がキズモノしかなくて買いそびれたことを後悔。

先方はすこぶるお店を気に入り、閉店時間過ぎまで居座ってしまう。
まー、これだけのお店は、オカムラサンほかにも隠してるでしょ?と言われてもないです…


11月19日(土)の記 冷やしブラジル中華
ブラジルにて


より正確さを期すと「ブラジル冷やし中華」だろうが、「冷やしブラジル中華」の方が語感が面白い。

機材修理業者が「土曜の午前中までには完了と確信している」とのことで、他の予定を抱き合わせてピックアップに行くつもりだった。
昼食はどうするか…

確認の連絡を「ワッツアップ」のメッセージで送ると今度は返信が来たが「部品の到着待ち」とのこと。
そもそもメーカーが製造中止・修理にも応じないものだから、いたしかたなし。

さてそうなると家族のも含めて昼食をこさえないと。
暑くなってきたので、冷やし中華にするか。

卵、キュウリ、トマト、キクラゲなどはあるがハムかカニカマが欲しい。
麺は中国製の乾麺で。

まずはハムの買い出し。
通常のハムより安いのを求めるが、これに相当するものが日本にあるのか後で調べると「プレスハム」ということになるかもしれない。
これはこれで面白いけど。

日本では冷やし中華となると、店で食べるかインスタントのをつくるかがもっぱらだった。
こちらではそうもいかず、自分でこさえるように。
タレのレシピを調べると、普通のラーメンよりずっと簡単ではないか。
はじめは疑いを持ったが、問題なかった。

こうして考えると、日本の店で食べる冷やし中華の値段設定が高すぎる気がする。
通常のラーメンより割高で、僕が訪日していた頃でナミの店で800円以上はしたのでは。
まず頼むことはなかったけど。

さて、ブラジルのおうち冷やし中華、今日もおいしくさっぱりといただきました。
おっと、タイトルにちなんだブラジル的な要素はあるのか?

タレにライムを少し絞り込むことぐらいかな。
日本でも具に長ネギの千切りを加えることがある。
今度はリーキでも加えてみようか。


11月20日(日)の記 芝居に落伍
ブラジルにて


今日は僕が昼から泊まりの賄い夫を務めることになった。
朝のおつとめの後、路上市で大ぶりのアジを買う。

帰宅後、わが家の夕食のための一品をこさえてから出張。

供にする書は…
文庫版シェイクスピアの『夏の夜の夢/あらし』を足す。
『夏の夜の夢』は読み終えたが、『あらし』が未読。

戯曲というもの、しかも翻訳ものは僕にはなかなかのハードルである。
読み進めていくが、登場人物の名前がまるで頭に入らない。
冒頭にある人物一覧を何度となく往復。
そこそこの苦行である。

設定は無人島、そして漂着した人たちのドラマ。
僕にとっては『マタンゴ』の世界。

今日は日曜日だ。
音に聞くNHKの大河ドラマ『鎌倉殿の十三人』の再放送がこちらの夕方5時から。
それまでに夕食の準備をあらかた済ませて、思い切って見てみることにする。

いつこの手を最後に見たのか、なかなか思い出せないほど無縁になっている。
ほう、冒頭にこれまでのあらすじが紹介されないようだ。
そもそも知らない役者ばかり。

・・・なんだか、クリスマス演芸会を見ている気分。
違和感ばかりが募る。
鎌倉時代の設定で、主人公の女性の語尾に「じゃん」があった。
僕にとってはささいなリアリティも根こそぎにされた。
それでいて、ドラマが始まってもやたらに考証者の名前を字幕出ししているのがいやらしい。

さて「じゃん」は現代のヨコハマ方言と認識していたが、この機会に検索してみると…
三河方言、山梨方言起源説など、いろいろあるじゃん。

ああ。
シェイクスピアの戯曲にも、日本のはやりドラマにもついていけないとは。
「無能の人」「無用の人」感しきり。


11月21日(月)の記 暗殺の森
ブラジルにて


ベルトリッチというのはこんなにとんがった映画を50年以上前につくっていたのか。

今日は午後、奉公先にて旅から戻ってくる人たちの夕食を急いでこさえる。
作り置きして、サンパウロ大学へ。
構内CINUSPのイタリア映画特集で原題直訳だと『順応主義者』を見る。

邦題『暗殺の森』。
驚きの映画邦題つけ放題のベストに入ると思う。
日本で『無能の人』ならともかく『順応主義者』のタイトルだけで映画館に運ぼうというレベルはいかほどいる・いたか。

映画青少年時代に見ているのだが、あの伝説的なドミニク・サンダとステファニア・サンドレッリのダンスシーンぐらいしか覚えていなかった。
当時は「ステファニア・サンドレッリ」などというややこしい女優名もすんなり覚えて今も記憶している。
それがシェイクスピアの戯曲の登場人物名も覚えられないようになるとは。

それにしても、名物のダンスシーンもこんな感じだったとは。
ベルトリッチの自作『ラスト・タンゴ・イン・パリ』の萌芽を見る想い。

そして「暗殺の森」が映画のストーリーに沿ったタイトルだったとは。
例によってポルトガル語の早出し字幕ではよくわからなかったが、あの雪の森はサヴォワというフランス南東部のイタリア・スイス国境地帯だったとは。
(こんなに「とは」が重なるとは。)

ちょうど亡くなった日本の写真家・江川正幸さんの歩みを巡って日本のブナ林の地に住む方から江川さんの歩いたヨーロッパのブナの森についてのメッセージをいただいたところ。

サヴォワは「モミの森」の意だそうだ。


11月22日(火)の記 聖アントニオのパン
ブラジルにて


ブラジルでも一般的なキリスト教の知識・文化・習俗を調べてみると、ほとんど日本語になっていないのに驚くばかり。
たとえば、聖アントニオのパン。

アントニオや略称のトニーという名前には故アントニオ猪木を始め、日本人にもなじみがあることだろうが。

今日は歯科診療でダウンタウンに出たついでに、動画編集中断の事態を打開すべく、ふたたび「ブラジルのアキバ」まで出向いてオプションのパーツを探す。
パーツ購入は、なんとかかなった。
せっかくなので、どこかの教会でミサにあずかることにしよう。
このあたりはオプションが多い。
この機会にあまりよく知らない教会で…

聖アントニオ教会の12時のミサにしよう。
まだ時間はだいぶある。

聖堂の右前方に「聖アントニオのパン」と書かれた容器がある。
「必要な方はお持ちください。可能な方は差し入れてください。」と書かれている。
大人一人でようやく持ち上げられるぐらいの大きさのケースには、サンパウロで一般的な大人のこぶしを二つ重ねたぐらいの大きさのフランスパンが2個だけ置かれていた。

なかなかせちがらいな…と思う。
だいぶ時間があるので、グラフィティとほかの教会の観察も兼ねて付近をひと回り。
ミサは老神父による司式だったが、説教で今朝のワールドカップのアルゼンチン戦にも触れて受けていた。

ミサ後に先ほどのケースを見て驚いた。
いつのまにか、パンでいっぱいになっているではないか。
https://www.facebook.com/jun.okamura.733/posts/pfbid0L2QQrNhV7NaAFFWUFuWEKcpaeDTZw1idbTk7AkFZzyJUgEoriCxeYoD5sPjHiLPal?comment_id=899342284809876&reply_comment_id=1165694547666124 ¬if_id=1669302765157542¬if_t=comment_mention&ref=notif

誰がいつ、どのように補充したのだろう?
聖書にあるパンの奇跡を見る思いだ。

ミサ中、見た目からは路上生活者とみられるおじさんが、おそらく仮眠していた。
おじさんはエコバッグ持参で、ミサ後にこのケースからパンをちょうだいしていった。

似たようなシーンを見た覚えがある。
あれはイタリアの…フィレンツェの教会だったかな。

今日は聖セシリアの記念日だったことも知る。

そうそう、聖アントニオのパン。
聖アントニオは生前、修道会のパンを貧者や病者に差し入れるのが常だったという。
そのパンをいただいての病気の快癒もあったという。

聖アントニオの死後。
わが子を溺死させてしまった母親が、子どもを蘇生させてくれたら子どもの体重分のパンを寄付すると聖アントニオに願をかけた。
子は蘇生、母親は約束を実行した、といった伝説もある。


11月23日(水)の記 メガネ萌え
ブラジルにて


機材を修理に出した業者は「ワッツアップ」通話を受信しない。
メッセージも送るが、開封の気配もない…

時流に送れること有余年、僕が初めて使用したパソコンは日本から友人が担いできてくれたものだ。
数年後に不具合が生じ、さてどこに修理に出すか。
ちょうど町内便利帳といったところの冊子が届き、そのなかにいくつかのパソコン修理業者の広告があった。

当時の僕はまだ「日系人なら信用できる」という偏見を引きずっていた。
こちらの身内と同じ名前の業者に連絡する。
日本からのデカセギから帰ってパソコン修理業を始めたという、僕から見れば若者だった。

けっきょく彼にはパソコンを持ち逃げされてしまった💛

さて今回もサイアクの事態に備えなければ。

そもそも僕の撮影素材の大半をなすminiDVテープのパソコン取込み用機材にトラブルが生じたという問題。
その前の時代の、Hi-8テープのパソコン取込みにトライするが…

今度は、日本の業者さんに譲ってもらった機材にトラブル。
昨年の段階では使えたのだが…

次の訪日の見通しは立たない。
ネットで中古の機材を調べるが、金額的にも厳しい。

テープ変換業者を試してみるか。
これはサンパウロ市内に複数ある。

「わたしは柔和である。」
優柔不断な性格なだけに、さんざんあれこれ迷うが、最初にイイネと思った業者のところに素材を持ち込むことにした。

そこで目についたグラフィティがこれ。
https://www.instagram.com/p/ClUK7njPlsr/

大通り沿いの路上生活者が集う広場に面したビルの壁。
2ショット撮って、速足で立ち去る。


11月24日(木)の記 リシャルリソン
ブラジルにて


アメリカ合衆国起源で「属国」日本では普及がイマイチなものの、ブラジルではお盛んなものに「ブラックフライデー」がある。
興味のある方はご自身で検索していただきたい。

商店がこぞって安売りセールをするが、ワタクチのねらいはスーパーの安売り。
今日は16時からワールドカップのブラジル初戦とあって、ブラックの特売と相まって近所のスーパーは混雑混乱。

16時前には市内が静まり返り、対セルヴィア戦が始まる。
同じ年配のさしてサッカーに興味のない人たちとは「ネイマール以外に知ってる選手がいなくなったね」という会話を繰り返した。

今日の試合で日本語表記リシャルリソンという、これまでブラジルで聞いたことのない名前を覚えた。
彼の今日の二発目のシュートを日本のメディアが「曲芸弾」と表現していたが、ナルホドの言葉。

かたや開催国カタールのさまざまな人権侵害の情報も入ってくる。
ワールドカップに向けての工事での外国人労働者の死者数がわかっているだけで数千人におよぶという。
国別では、インドが筆頭か。

中東での日本からの出稼ぎ者の事故死報道が目につくようになるまで、あと何年ぐらいかな。


11月25日(金)の記 金曜解禁
ブラジルにて


機材修理業者に音声通話を求めるが、応答なし。
どうなっているのか、文字メッセージを送っておく。

追って「今日の午後、取りに来てください」との返信が来る。
修理できたのかどうかはわからない。
行って、部品がないからダメでした、と言われればそれまで。

ダウンタウンのカフェで友人と待ち合わせをして、渡しものをしてからブラジルアキバ街へ。
オッパ、無事修理ができたではないか!

もしこれが修理できたのなら、とさらにハードルの高い別のいにしえの機材の修理を頼んでみる。
さすがにそれはできないという。

うーむ。
せっかくここまで来たし。
以前、古いビデオ機材の修理可能かも、と名刺をもらっていたところがあった。
思い切って訪ねてみる。
一見(いちげん)さんにはアクセスがむずかしいぞ。

いろいろな偶然が功をなした。
そこのスタッフに教えてもらったところを訪ねてみる。

まさしく雑居ビルのなか。
裏銀座のギャラリー密集ビルや、中野のオタクショップ密集ビルを想い出す。

たどり着いたところのおじさん、まずは見てみようとのこと。

さあこれはどうなるか。

いずれにしろ10日ほどのブランクで、中断していた作品編集を再開せねば。
どのような構成にするか、構想ねりねり。


11月26日(土)の記 二万歩マンボ
ブラジルにて


午前中、市内の病院でチェックアップをいくつか。
今日は意外なほど、がらがら。
予定時間より小一時間ぐらい早くなったり、医師と看護師で指示することが違ったりで、ちとうろたえる。

昼前には自由の身となる。
まずは最寄りの天然発酵パンのベーカリーに行ってみるか。

あちこちに寄り道しながら。
大衆食堂でフェイジョアーダをいただいて。
ミュージアム付属のミニシアターでイラン映画・邦題『駆ける少年』(1985年)を鑑賞。
監督の体験にもとづく孤児の生活を描く作品の由。
これから拙作『あもれいら』シリーズの主人公・故シスター堂園の追悼ビデオをまとめるためのモチヴェーションを高めようという魂胆から。

15時開始の映画の終映後、外はまだまだ明るい。
病院を出てから、駅にして大まわり遠回りで5駅分以上あるく。

スマホの万歩計、久しぶりに二万歩を超える。


11月27日(日)の記 OGのオジン
ブラジルにて


日本にもあるOG系のステーキハウスで、ワールドカップ期間中のスペシャル企画の案内がSNSで届いた。
生ビールないし清涼飲料グアラナの食べ放題かつ数種のツマミの食べ放題。

料金は生ビールコースの場合、決して安くはないが邦貨にして…
日本のオトナの封切り映画鑑賞料金にドリンクないしパンフレットを付けた額よりも安い。

昼にわが子と二人で参戦。
時間は3時間ポッキリ。
この手のシステムで悪い評判も聞いていて、勝手がわかるまでヤキモキ。

最初の一杯、ツマミ類が来るまで叫びたくなるような、は大げさにしても少し時間がかかった。
が、その後は時折りスタッフがお代わりは?と聞きに来てくれる。

ナマは透明でも黒でもオッケー。
・・・イヤハヤそう飲み食いできるものでもない。
親子で3時間粘ろうかともくろんだが、2時間ほどでリタイヤ。

腹ごなしに歩く気力もない。
事前に今日のグラフィティ撮りを済ませておいてよかった。


11月28日(月)の記 モルグ街のマリーへ
ブラジルにて


今日も病院での検査がある。
混雑を避けて、午前6時台に出家。

病院の集中する駅で降りる。
早朝出勤の人たちの群れに息を呑む。

はじめて利用する病院。
「展望台」と名付けられている。
高台にある高層ビルだからだろうが、一般利用者には展望はきかないようだ。

エレベーターの表記にポルトガル語・英語とも MORGUEというのがある。
なんだろう。

スマホ検索。
ビンゴ。
「遺体安置室」だった。

モルグと言えば、ポーの「モルグ街の殺人」。
これの舞台はパリだ。
フランス語でもモルグというのだな。
それにしてもさすが大ポー、しびれるタイトルではないか。

近年はほとんど新しい言葉を覚えられなくなった。
同じ言葉を何度も検索することもしばしば。

これはさすがに覚えていられそうだ。

こんなタイトルが浮かぶ。
「展望病院のモルグ階」。


11月29日(火)の記 1942年
ブラジルにて


サンパウロ大学のミニシアターで見たい映画がかかる。
雨模様となったが、給水、親戚訪問などと抱き合わせて出車。

日本で映画少年映画青年だったので、ロッセリーニの名前は知っている。
だがどうやらシャシンは見ていない。
今日のイタリア映画特集上映でロッセリーニの代表作・邦題『無防備都市』がかかる上映で、万端繰り合わせた。

ポ語解説によると…
西暦1942年製作。
ナチス占領下のローマの人々の活動を描く、といったところ。

ブラジルは危機一髪だったが祖国日本がカルトに牛耳られて右傾化軍国化するなか、過去から学んでみたいという思い。

ナチス占領下のローマで、アンチファシストの地下活動をする市民や司祭が登場するのだが、いまひと呑み込めないものがある。

1942年と言えば。
日本が前年12月に米英に奇襲攻撃をしかけたばかり。
ミッドウエー海戦の年だが、日本国内は大本営発表をうのみにしてまだまだイケイケムードだったはず。
同盟国イタリアもアフリカ戦線始め、いまだ健闘していたのでは。
そんななかでこんな映画の製作が可能だったのだろうか。

帰宅後に日本語で検索。
なんと1945年の製作で9月の公開とある。
1945年9月は日本が米戦艦ミズーリ号艦上で無条件降伏の調印をした月である。

そもそも第二次大戦時のイタリアの情勢がわかりづらい。
イタリアは1943年9月に無条件降伏をしたが、ローマはナチスドイツの支配下が続いていたのだ。
して1945年7月15日にイタリア国王軍は大日本帝国に宣戦布告をしていた。

この辺はややこしい限りなので、興味ある方はご自身で検索されたい。

さて「1942年製作」と思い込んだのはよくある僕の勘違いかと思って、ポ語の方を調べてみる。
サンパウロ大学側のポ語オンラインでは複数が「1942年」となっていた。

いやはや。


11月30日(水)の記 編集粛粛
ブラジルにて


シスター堂園追悼ビデオ用の使用を想定する素材をひと通りは抜いた、かと思う。
今回は僕の肉声のナレーションを当てようかと考えている。

構成を練り、つなぎながらナレーション原稿も紡いでいく。

久しぶりの脳内回路を使う。
僕にとっての「編む」:創造はこれかもしれない。
今回それは「発掘する」ことでもあるかなと気づいた次第。

さて、つながるかどうか。



  


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岡村淳 :  
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