12月の日記 総集編 岡山の報恩 (2022/12/02)
12月1日(木)の記 病院の梯子
ブラジルにて
諸般の事情でサンパウロ市内の病院をハシゴすることになる。
ついでといっては失礼だが…
最初の病院に知人の戦前移民の女性が入院している。
せっかくなので顔を出してお見舞いの言葉だけでも、と家族から病室の番号を聞いておく。
件の病院で自分の用件を終えてから、入院者のお見舞いをしたいのですがと受付に申し出る。
コロナ問題で、付添人以外の訪問はNGと言われる。
ワールドカップの中継を見ていてはまるで忘れてしまうが、世界は今も感染症のパンデミック宣言中である。
サンパウロのメトロやバスもふたたびマスク着用が義務付けられた。
メトロ車内では9割以上が着用している。
祖国日本の日毎のコロナ死者数はコロナ大国ブラジルをしのぐようになって久しい。
日本は総死者数でどこまでブラジルにせまってくるか。
さらに天災が先か、戦災が先か、原発事故が先か。
12月2日(土)の記 レインシャワー
ブラジルにて
昨日、2軒目の病院に行く途中のビルで、ゴンドラを吊るして大壁画を作画中だった。
光の加減からして、午後の早い時間までならソコソコの写真が撮れそうだ。
今日もその病院に行くので、早い時間を狙うか。
が、動画編集作業がたけなわとなり、だいぶ出遅れる。
そもそも今日も午後の雨が来そうだ。
こちらの雨季特有の「夏の雨」というやつだ。
加えて今日は午後4時からワールドカップのブラジル戦がある。
メトロも試合観戦のため「早引き」する人たちでごった返している。
案の定、ゴンドラはなかった。
まさににわか雨が落ち始めた。
https://www.instagram.com/p/Clry5OirWUA/
インスタグラムのキャプションにもそれなりに気を遣っている。
「夏の雨」では在日日本人には驟雨感が伝わらないだろう。
スコールか。
この語を検索すると、スコールは激しい風を伴なうという。
今日の「夏の雨」は特に風がない。
いろいろ調べると「驟雨」の英語にレインシャワーというのがあった。
これならいくらか感じが伝わるかな。
病院のエレベーターのお姉さんがそこそこに濡れた僕を見て「もう降ってきたのね」と言う。
エレベーターのなかで座りっぱなしで外の降雨を知る「しるべ」となった。
12月3日(土)の記 神父になりそこねた映画監督とそれでも宣教師かと言われた修道女
ブラジルにて
5キロパックのブラジル米(インディカ米)を特売で買って、まだ封を開けていない。
冷凍庫に使いかけのムール貝あり、エビもあり。
夜はパエリャにせむか。
キッチンドリンクをたしなみつつ、自分用のツマミもこさえつつつまみつつ。
脳内は、編集中のシスター堂園追悼ビデオのことがオンになったまま。
台所作業中にこちらのFM放送を流している。
土曜の夕べはなつかしの映画音楽。
僕にとって懐かしいのだから、プロデューサーが同じ世代なのだろう。
お、マーチン・スコセッシ(これもパエリャ同様、表記は複数あるが)特集ときたか。
『タクシードライバー』の長いヴァージョンの曲にしびれる。
・・・スコセッシは神父になろうと思っていたが映画監督に、という解説。
この映画の監督がかよ、と意外にも思うが、このエピソードには『沈黙』の際にも接していたな。
シスター堂園がフェードインしてくる。
映画『沈黙』のロケ地は台湾だが、設定は長崎。
シスターが帰天したのは長崎の病院。
シスター堂園追悼動画のタイトルをどうするか。
もう映画にタイトルが必要という「常識」も外しちゃおうか。
トミエ・オオタケ先生の作品も「無題」ばかり。
たかがタイトル、されどタイトルか。
12月4日(日)の記 即席是空
ブラジルにて
明日、病院で受ける検査のため食事制限あり。
前日の朝はビスケットのみ。
昼夜は ・ポテトピューレ ・白飯 ・なにも加えないインスタントラーメン
などに限られる、と指南書にあり。
こちらのスーパーチェーンが出しているアリガトー印のインスタントラーメンにするか。
昼は地鶏味。
・・・決しておいしくはない。
我が味覚には祖国のナミのインスタント麺より、麺もスープも大幅に口にあわない・・・
時折りこっちのインスタントラーメンをいただく時はモヤシを中心とした野菜・キノコ類などを炒め、さらにワカメやノリなども投入するため、そこそこの味わいと満足感はあるのだが。
夜はチキン味で。
昼に同じ。
日本のインスタントラーメンの粉末スープには申し訳程度の乾燥ネギのようなものが入っていたかと記憶するが、アリガトー印にはまったくない。
消化器検査にはかえってアリガタいかも。
臥薪嘗胆即席是空。
12月5日(月)の記 病院モードから
ブラジルにて
未明からふたたび準備薬を飲んで、病院へ。
今日の病院は日系の病院で、日本政府からの援助も受けている。
しかしオシャレ都市でもあるサンパウロにふさわしからぬ外装の汚れ。
皇族でも来ればさっとペンキ塗りたてにするのだろうが。
いっそのこと大グラフィティでもどうだ。
北斎の波とか。
部署はカオス状態。
検査開始は遅れ、メガネもロッカーに置くよう指示されて視界も時間感覚もアウト。
また準備からやり直せというのは勘弁してほしい…
ようやく呼ばれて、麻酔を打たれて…
特に大事はなかったようでヤレヤレ。
今日は運転や機械類の操作は控えるようにとの指示。
さらなる食事制限も。
帰宅後、ワールドカップのブラジル戦。
さあシスター堂園追悼ビデオ作製のヤマ場の作業の準備に入る。
12月6日(火)の記 深夜の家内制手工業
ブラジルにて
カラダは前日の検査の余韻を引きずっているようだが…
作業は追い込み体制。
深夜、周囲を見計らって思い切って新たな作業に挑戦。
あまり公表して他人様に知らしむるようなことではないかも。
経費と手間暇の削減を図るためだが、やってみないとうまくいくかどうかわからない。
案ずるより産むがやすしか。
とりあえず終了後も身心が覚醒してしまい、しばしノートパソコンに向かう。
ふつうに朝になってから、作業したものをチェック。
うむ、なんとかなるかも。
・・・これでヤマは越えただろう。
今日は一日断食をして、さらに作業は進む。
12月7日(水)の記 題名のないドキュメンタリー
ブラジルにて
『こんな世界を心にとめて アモレイラのシスター堂園に聴く』というタイトルをつけてみた。
仕上げ近くまでタイトルを付けることを失念していたぐらいで、もう「無題」でいこうかとも思った。
生前お付き合いのあったブラジルアート界の巨匠トミエ・オオタケ先生の作品は、すべて「無題」だった。
しかし似たような作品が多く、展示のために探し出すのに「あの、あの時に展示したのの大きい方の」みたいな個体識別をされていたのを想い出す。
いまではさすがに整理用の識別番号か何かがほどこされていることだろう。
「無題」も巨匠の作品ならサマになるが、僕あたりでは無能に通じる懸念もある。
まあこんなところでとりあえず、という段階にした素材をオンラインにあげる。
電波状況次第だが、数時間はかかる。
YouTubeの限定公開設定にして、まずは関係者の方々にリンクをお伝えする。
うっかりミス等があれば、また作り直しだ。
午後から機材の件、素材の件でセントロ:ダウンタウン方面をハシゴ。
12月8日(木)の記 罰金線上のアリャリャ
ブラジルにて
今日は祖国が米英に奇襲攻撃をかました開戦記念日。
カトリックでは無原罪の聖母の祝日である。
できれば聖母にちなんだ教会をと願うが、今日はマイカーのサンパウロ市内運転規制日。
隣駅前の教会の早朝のミサにあずかる。
帰宅後、ここのところかかりっ放しだった最新作『こんな世界を心にとめて アモレイラのシスター堂園に聴く』をYouTube公開設定にする。
https://www.youtube.com/watch?v=ZhD9th4SP4c
これは事前通告なしでの武力攻撃といった大日本帝国のようなマネをせず、事前に告知済み。
関係者からさっそくうれしい便りが届く。
今日は午後から泊まりの炊事当番役が回ってくる。
昨日までは好調かにみえた今後の映像作業に関して思わぬトラブルあり。
その対策でうろたえて出発が遅れる。
通常なら4-50分、ところが今日はひどい渋滞。
ナヴィは途中で未知のルートを示してくるが、これはひとつ狂ったり間違えたりしたらアウトだ。
17時までに市内の規制地域を出ないと、日本円にしておそらく4000円程度の罰金と罰点4点が課せられ、これが重なると免許取り上げとなる。
ギリギリだ。
妙にあせってつまらぬ事故でも起こしたら、この程度では済まなくなる。
いやはや間一髪。
さーさらにこの時間だが銀行のATMでの手続きもしておかないと。
今日中にすませないと、明日がややこしくなる。
サンパウロ大学構内のATMが機能してくれていて、ひと安心。
運転時間だけで1時間半以上かかった。
さあ夕食をどうするか。
12月9日(金)の記 負けることを学ぶ
ブラジルにて
今日は当地時間の正午からワールドカップ準々決勝ブラジル対クロアチア戦。
出先での昼食を11時半までには用意することにする。
冷蔵庫に生のグリンピースがあったのでグリンピースご飯。
フリーザーには冷凍のマグロがあったので、解凍してネギトロに。
その他、モヤシやチンゲン菜などで一品ずつ。
この高層住宅のすぐ下にいわゆるファヴェーラがあるのだが、ブラジル戦にもかかわらず意外とおとなしい。
どうも僕の感知する限り、全般的な傾向のようだ。
試合は延長戦に。
おう、ネイマールが決めた!
さすがはブラジル。
と、思いきや一点いれられて、PKに。
して、PK負け。
シャボン玉、きえた。
消沈。
昨日インタビュー映像をアップしたシスター堂園の拙作『あもーる あもれいら/第二部・勝つ子 負ける子』のなかでの言葉を想い出す。
「負けることを学ぶのが大切」。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20090121005171.cfm?j=1
自分も含めて、ブラジルのおごりを反省。
例えば隣国であるパラグアイやウルグアイ、そしてヴェネズエラなどの人たちをどれだけ心にとめているか。
そしてハイチをはじめとする在ブラジルの難民たちに。
在日本のラテンアメリカ系の人たちのなかでもブラジル系がパラグアイ系、ペルー系を下に見る傾向は耳にしてきた。
さすがに今日は通常のラッシュは、なし。
わが家に帰って、今度はわが家の夕食づくり。
12月10日(土)の記 瓶詰の地球
ブラジルにて
午後、出先から寄り道。
ブラジル島根県人会館でやっているアートクラフトフェアをのぞいてみる。
島根県人会館は場所を賃貸ししているだけのようで、参加店にとくにニッケイ色はない。
書籍用の手作りのシオリなど、そそるものがあるがこれは値段がこの半分でも安くはない。
入り口の屋外スペースで、瓶詰のいわばミニ盆栽が売られている。
何年か前からこの手のものを見かけるようになった。
通常は値札を見て、手に取るのも控えるようなシロモノ。
これは値段がやたらに手ごろである。
ひとつ買ってみるか。
注意事項として、
「けっしてフタを開けないこと」
「直射日光に当てないこと」。
講習を受けて自分で作っているという売り子の女性はこれを「eco-sistema:エコシステム」と呼んでいた。
そもそもこれをなんと呼んだらいいのか?
もらってきたチラシには、terrarioという言葉があった。
terra:地球、大地、土に派出する言葉だ。
さて日本語ではなんというのだろう?
キーワードから探す。
「ボトルガーデン」か。
「テラリウム」とも。
彼女の作品は、ブラジル北東部の砂絵土産のように数色の砂を層状に敷き詰めている。
さらに人の乗った自転車のミニチュアが置かれて。
メインのピンク柄の葉の植物はFのつく名前だったが、検索してみるとコロンビア原産のフィットニアと知る。
なかなかの手間暇とノウハウではないか。
これは調べるほどに、考えるほどに面白い。
ほんらいの生態系では風:空気の循環がシステムを回していくだろうが、これはそれをシャットアウトしているのだ。
不要物の除去もかなわない。
コロナ問題を考えるうえでもヒントがありそうだ。
12月11日(日)の記 タラコもどき
ブラジルにて
日曜のおつとめ、運転業務、路上市の買いものを終えて。
今日はわが家でひとり昼食だ。
先日、買って仕込んでみたタラコもどきをスパゲティにしてみるか。
大型スーパーに入っている日系の魚屋でタラコ風の魚卵を買った。
見た目はタラコっぽい。
こちらの海魚でポピュラーなペスカーダ:スズキ目ニベ科の魚のもの。
属になると和名も見当たらない。
ニベもない、とはいうものの。
これまで中央市場の魚屋まで行っておそらくホンモノの生タラコを何度か購入したことがある。
日本語のネットで調べて、自家製タラコ作成をこころみた。
・・・まあまあ、ぐらいの出来に終わった。
いずれにしろ、僕しか食べ手がいない。
中央市場まで買い出しに行くのもひと仕事で、しかもキロ売りである。
時折り自分で開いた魚にある魚卵を煮ていただいているが、とくにタラコと遜色ない感じである。
というわけで、パックに盛られたペスカーダの卵を買ってみた次第。
今回は指南をみないでテキトーに洗ってテキトーに塩にしたが…
どうも水っぽく、生臭みもある感じ。
あらためてウエブでチェックすると、自家製タラコが生臭かったら、焼くかタラコスパにでもすること、とある。
というわけでタラコもどきスパをこさえるが…
薄口しょうゆの中蓋がいかれていて、どっぷりと醤油を注いでしまった。
高血圧の敵。
日本製の焼きのりものせるが…
なにせショッパイ。
ショッパイは、成功のもと、か。
12月12日(月)の記 ダウンタウンウキウキ
ブラジルにて
今日は午前中にサンパウロのダインタウンに出ることになった。
ビデオの素材機材の問題の続き。
家人に言うとキケンアブナイキヲツケロヤメテオケといった声が出てくるところ。
ここのところ家族はニアミスで、そして友人知人たちが強盗に襲われている。
・・・用心のため、ウエストバッグを大ぶりのものからスリムタイプに切り替えるか。
そうすると収容しきれない手帳・携帯アルコール・エンピツ類は簡易巾着バッグに移そう。
さて、用件の方では後悔・自己嫌悪におちいりながらセントロ:ダウンタウンを歩く。
なかなかにリスキーだが、グラフィティの発見がたまらない。
パリで美術探訪をするような思いに通じるか。
今日の一品、迷うが…
大作の制作中をおさめたこれにするか。
https://www.instagram.com/p/CmFRYdevApy/
あ、そうそう、今日は一日断食でした。
そのためようやく入ることにした「サンパウロのアキバ」のカフェではハーブティーをオーダー。
12月13日(火)の記 サンパウロの天国
ブラジルにて
サンパウロのパライゾ:パラダイス:天国と呼ばれる地区で…
執筆にあたって、なぜこのあたりが「天国」と呼ばれるようになったかを調べてみる。
ポルトガル語で「天国」と入力するとヒット数が膨大。
絞り込んで、ようやく。
そうか、「パラダイス広場」というのがあったことに由来するとな。
今日は天国地区でまずは宗教関係者と喫茶。
そのあとで本来のミッション。
検査結果の受取りのため、病院をハシゴ。
まあ病院によっていろいろ勝手が違って面白い。
面白いとでも思わなければハラが立つことも。
たとえば。
最初の病院で順番待ちの番号札を取って、待機。
呼ばれてから連れ合いの検査結果も合わせて請求すると、二人分ならもう一枚、番号札を取ってきてください、と振り出しに戻される。
次の病院では一枚の番号札で、なんなく二人分の検査結果を用意してくれた。
あとの方の病院は、院内のチャペルがステキである。
今日も立ち寄り、ついつい同好の士むけに写メを連写。
12月14日(水)の記 SONHO BRASILEIRO
ブラジルにて
今日のタイトルは「ブラジリアンドリーム」の意。
サンパウロの中央市場で荷担ぎの仕事をしていた猪木少年が力道山に見い出されるような。
もうこれの上映は打ち切りかもしれない。
万端繰り合わせて、サンパウロですでに唯一となった一日一回13時30分の上映のあるミニシアターを目指す。
シャシンは『Kobra - Auto Retrato』:コブラの自画像。
コブラは今や世界的に知られるサンパウロ出身のグラフィティ作家である。
ビッグネームにあまり関心はないが、グラフィティを語るうえで見ておかない手はない。
ミニシアターのなかでも小ぶりな館内。
椅子はサイズもゴージャス。
座席指定を要求されてチケットを買うが、観客数は…
僕の他にもうひとり。
映画は聴き手の音声をカットしたコブラの語りとイメージショット、そして世界各地での彼の作品と創作現場の紹介。
コブラの話すポルトガル語が僕にも聞き取りやすいのがありがたい。
そしてドローンの駆使。
いろいろな意味で僕にはかなわない、というか、「ドキュメンタリー料理」のジャンルが大きく異なる。
コブラは父親との折り合いが悪く家を出ることになるが、そもそも学校を放逐されてしまった。
彼は街の壁に絵を描くことを好むが、やはりこれを行なう不良たちとのトラブルがあった。
つるむこと、群れることの苦手なコブラ青年はひとり街の壁に向かい続ける。
ある時、作画中の彼のところに自動車が止まる。
自動車の男は彼の作画を見つめたのちに「遊園地で描いてみないか?」と声をかける。
コブラ青年は遊園地に泊まり込んで描きまくったという。
いいキャラである。
メディア向けにキャラクターをとりつくろう巨匠がいるが、どうも彼はこれが地のようだ。
まったく作品から作者の人柄は看取しがたいものだ。
時どきメンドくさくなって、もういい加減にしようかと思うわが日毎のグラフィティスナップ撮りの背を押してもらった。
僕の方はチョイスする作品も世間の評価とは無縁の自身のダイアリーでもあるのだが、そろそろ1000点近いかな。
終映後、あまり時間はないが付近でこれを見つけてシュート。
https://www.instagram.com/p/CmKVJC3v9oy/
12月15日(木)の記 レジャー小路
ブラジルにて
家人のリクエストもあり、近隣のスーパーの値段調べ巡礼。
スーパーによっては安売り情報をネットに上げていないところもあり。
・・・あの道を通るか。
ブラジル通にはファヴェーラという言葉で知られるスラム街がある。
昨今は comunidade:コミュニティという語で呼ばれることもしばしば。
ここはすでに暗渠化した小河川沿いに発達したようだ。
大通りに面した、通行にはある程度の覚悟のいる小路の入り口の階段部に目を見張った。
これまでも気になるグラフィティがいくつかあったが、ちょっとヤバげなアニキ・オジサンらが至近にいて、控えていた。
そのあたりがいろどり全開になっていた。
https://www.instagram.com/p/CmMtVODPLLs/
どうしたことか、ちょうど近くに人がいない。
サッと一枚スマホ撮り。
日本の流浪堂さんで出会って、これを始めお世話になってきた こうのまきほ さんの作品を想い出す。
僕がグラフィティ撮りをはじめるきっかけとなった cabeça de xicara:カップ頭さんの絵もあり、彼も関わっているようだ。
画面左上に RUA de LAZER、「レジャーの道」とある。
この写真をインスタグラムにアップするとさっそく情報が入ってくる。
付近の子供たちの参加を募っての作品のようだ。
黒澤明監督の『どですかでん』を見直したくなった。
あの作品を飾る絵は誰が描いたのだろう。
黒澤監督自身が多くの絵を描いているが…
クロサワの描いたグラフィティが見たかった。
12月16日(金)の記 師走の恥
ブラジルにて
この月曜、自己嫌悪に陥る事態があり、それを引きずっていた。
家族に言おうものならバカにされて怒られてしまう。
ああ、なさけなや。
それがおかげさまでどうやら最悪の事態は免れたようだ。
そんなこんなで午後からダウンタウンへ。
まあこのあたりは意外なグラフィティも少なくないので、行くのは苦にならない。
にわか雨。
一期一会のバール:大衆軽飲食店で雨宿り。
12月17日(土)の記 ブラジルの長ネギ
ブラジルにて
渡しものがあって東洋人街で友人と待ち合わせ。
その足で、近くの宮城県人会で月に2回開かれる市に行ってみる。
なにかここの名物があったが…
そうか、イチゴ大福か。
おう、これは。
長ネギではないか。
こちらでは長ネギと見まがうポロネギ:リーキがあるが、どうやらこれは長ネギだ。
ブラジルでは僕の知る限り日本でワケギ、アサツキ、小ネギと呼ばれるようなネギばかりである。
産地を聞き洩らしたが、どこかサンパウロ近郊の日系農家で栽培されているのだろう。
関東人には、まことになつかしい。
これが育つのだから、相当フカフカした土だろうな。
そして値段が生産者や運送者に申し訳ないような額。
メトロで持ち帰るのが心配な大きさだが、買う。
大ぶりのエコバッグを上下に被せれば、ニオイはともかく見た目はカムフラージュできそうだ。
帰宅後、「ネギの大量消費」を日本語のネットで調べる。
かつて日本で、ブラジルで覚えたポロネギ料理を長ネギでやってみたが、辛みが強くて辟易したのを想い出す。
ひょっとすると、日本で絶滅同然にみられていた野菜がブラジルに持ち込まれて残っている可能性もなきにしもあらずかも。
民謡ではこれがあったと聞いている、
次回は大袋持参で、まず産地から聞いてみよう。
12月18日(日)の記 印葡友好
ブラジルにて
家族と来賓とで、サンパウロ市内で近場のインド料理屋へ。
日本ではそこかしこにインド料理屋があるが、ブラジルでは日本のポルトガル料理屋なみのレア度かもしれない。
道路に面したベランダ状になっていて、ここちよい。
メニューは選ぶのがひと苦労…
意外とカレー系が少ないな。
よくわからないので、それぞれが一品ずつ頼んで分かち合うことに。
僕はインドのゴアの魚料理というのを頼んでみた。
ポルトガル料理の影響がある由。
ゴアか。
ちょっと前がフランシスコ・ザビエルの記念日だったな。
インドとポルトガルの料理の接点は見逃していた。
面白いことに、わがテーブル以外はどこも白人系のおそらくブラジル人ばかり。
給仕はひとりだけなので、引き留めて質問をするのもはばかれる。
勘定の際に聞くと彼はパキスタン人だという。
オーナーはどうか、聞きそびれた。
日本ならインド料理店の多くはネパール人の経営だったかと。
アルゼンチンの白ワインを頼んだが、折しもワールドカップのアルゼンチンXフランスの決勝戦の最中。
帰宅後、ようやくアルゼンチンが勝利を決めた。
付近からはブラジルの勝利の時以上の歓声、鳴り物が響く。
こちらで、ラテンアメリカとしての同胞意識というのを感じる機会はあまりなかったかも。
12月19日(月)の記 映像考古学
ブラジルにて
さあ今日は一日断食。
そして新たなプライヴェートヴィデオの編集に着手。
これは素材の発掘・ほぼ無事がプチ奇跡(ポ語ふうなら奇跡ジンニョか)の部類。
発掘後の損傷紛失のリスクも乗り越えた。
いまや歴史用語のVideo8の素材。
今日の眼からは画質はかなり劣り、経年劣化もある。
しかし最近の例では8年前に撮影した素材が経年劣化で再生不能ということもあった。
これは、なんと35年前である。
そもそも自分で「こんなの撮ったっけ?」というレベルである。
いよいよ映像考古学だな。
いやはや、こうして編集可能な状態に至るまでがいろいろあったでよ。
コウコしたいときに親はなし、とはいうものの。
12月20日(火)の記 岡山の報恩
ブラジルにて
35年前に撮影したビデオの復元編集中。
その合間に混沌をきわめる過去の資料のサワリをいじる。
報恩大師についてのチラシがいくつか出てきた。
在岡山のシンパの招きで岡山を訪ねた時にゲットしたものだ。
報恩大師は岡山以外ではあまり知られていないようだが、伝説混じりでいまひとつわかりにくい。
備前四十八ケ寺の開基として知られる。
西暦718年頃の生まれで795年没。
弘法大師空海は774年生、835年没だから空海より少し早い時代の人だ。
孝謙天皇や桓武天皇の病気平癒で功績をあげたという。
唐突だが、イエス・キリストがどのような人たちの病やハンデをいやしたかと比較すると面白い。
さてこれらのチラシ、処分しちゃおうかとも思うが踏み切れず。
こちらの夕方。
岡山長島の僕のお気に入りのカフェ、さざなみハウスさんからメッセージが届く。
さざなみハウスさんもこの岡山のシンパが僕とつないでくれた。
そのシンパが亡くなったという知らせ。
僕よりだいぶ若かった。
40歳前後ではなかろうか。
言葉も出ない。
・・・彼のフェイスブックを見てみる。
メッセンジャーでは今年になってからも何度かやりとりをしていた。
フェイスブックには彼の没後の書き込みはないようだ。
もちろん存命の人たちからの書き込み。
あ。
彼の自己紹介欄に、僕から聞いたというポルトガル語の言葉が掲げてあるではないか。
一気に涙腺決壊。
僕は彼を「目利き」と称していた。
彼が選んでくれたお店、本、作家等々、まずまちがいがないのだ。
それだけ嗜好と志向が似た方向だったのだろう。
いやはや今年8月以来の追悼の連続、12月になってのシスター堂園の追悼動画のアップでさすがに打ち止めかと思いきや。
さんざんお世話になって、なんの報恩もできなかったのがつらく情ない。
ビデオ編集、今日はもうやめ。
12月21日(水)の記 霧雨の歩けオロジー
ブラジルにて
おや、なんだかんだで1万5千歩以上、歩いてしまった。
この一週間は平均一日1万歩以上の歩きとなる。
これは久しぶりではないかな?
こういうのがわかるのもスマホの楽しみのひとつ。
今日もケンコーのためにこれだけ歩いたわけではない。
冷凍庫に骨付き豚リブがあり、関東風の長ネギもあるので、自家製スープのラーメンをこさえようと発心。
さすがに麺を手打ちでつくるまではしない。
ブラジル産の生ラーメンを買いに最寄りの日本食材店をハシゴしてみるが、ない。
で、メトロにして二駅ほど離れたところにある日本食材店二軒をさらに徒歩にてまわった次第。
けっきょく、ない。
最寄りの店で生のヤキソバ用の麺を買って代用することにする。
生ラーメンと生ヤキソバの違いは、ヤキソバの方がきしめん状に平たいこと。
ヤキソバの方がややぼそぼそしているかな。
まあ、そう悪くはない。
その他、知人へのクリスマスプレゼント購入もあって徒歩圏ギリのスーパー等もまわる。
今日は通常ではない雨に見舞われた。
折り畳み傘を持って出たのだが、強い霧雨となり、せっかくなのでさすと、暑いほどの陽ざしがサンサン。
雨傘か、日傘か。
12月22日(木)の記 歳末悠久のインド料理
ブラジルにて
いくつか用事を重ねてダウンタウンに出る。
友人と会った後、東洋人街のチャイニーズ系の食材店をハシゴ。
買い漏らしの冊子のバックナンバーを求めてバンカと呼ばれるスタンドを何軒となくまわるが、これは釣れない。
この件でだいぶ歩いたので、バンカを巡る時流を目の当たりにした思い。
ちょうど正午となった。
11月22日付で紹介した聖アントニオ教会のミサにふたたびあずかってみよう。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000261/20221124017010.cfm?j=1
今日の福音朗読はあの聖母マリアのマグニフィカトの箇所。
老司祭がこれに接したことの喜びをほんとにうれしそうに話す。
さて今日は聖アントニオのパンの流通をもう少しよく観察してみよう。
どのように補充されるのか、見てみたかった。
献金箱には「聖アントニオのパンを買うための献金」と書かれていた。
先月はミサ前にはほぼ底をついていたケースがミサ終了後にはいっぱいになっていた。
今日はミサ前から半分弱ぐらいはパンが入っている。
先回は路上生活とうかがえる初老の男性がミサ後にいくつかパンをもらっていった。
今日はふつうの庶民風の女性たちが1〜数個のパンをもらっていった。
補充はされず、じわじわとケース内のパンはなくなっていく。
さあこっちの昼食はどうしよう。
年の瀬にせっかくセントロ:ダウンタウンにいる。
近くのサンパウロのアキバにインド料理屋とペルー料理屋が並んでいたな。
場所的にも外景も「高級」とは距離がありそうだ。
今後のためにもロケハンしておくか。
ペルー料理はわが家の近所のものでこりている。
インド料理屋に入ってみるが…
広い店内がそこそこ埋まっているが、目につく店員はひとりだけ。
自分でメニューを取ってみてみるが、値段は大衆料金とはいえない。
さあ、どれにしよう。
ここも意外とカレー系はメニューには少ない。
・・・15分ほど待って、なんどかオーダー取りを促すが、スルーされる。
ま、こちらも急いではいないが。
店員はこっちを無視してカウンター内でパソコン作業にかかりきり。
彼のところに行って「オーダーを取るまでまだ時間がかかりますか」と聞く。
まだまだかかります、ゴメンナサイ、との返答。
帰った方がいいよということか。
カードでの支払い客に手こずったり、10数人のグループのオーダー取りをひとりでやったりでたいへんなのはわかるが。
さあどうすっか。
バンカ行脚も兼ねてさらに歩き。
肝心なバックナンバーは見つからない。
お。
オープンスペースのある店でパルメジアーナ定食がさっきのインド飯屋のヴェジタリアンセットの半額ほどのサービス中。
https://www.facebook.com/photo?fbid=10227195604970951&set=a.3410845544903
インド料理屋でもビールは頼むつもりだったので、こっちでいただくことに。
別料金らしきパンやヴィナグレッテも運ばれてきて、ちと値段が心配になるが…
すべて込みでインド料理屋のヴェジタリアンじゃない方のセットより安く済んだ。
12月23日(金)の記 病院オリンピック
ブラジルにて
今日は付き添い役で、サンパウロ市内の日系の病院へ。
短くても4-5時間はかかるとのことで、腑分けしてあった日本語とポルトガル語の新聞記事をごっそり持っていく。
ここのところ、シリア系、ポルトガル系、そして日系の病院を利用した。
シリア系は待合スペース、院内随所にあるアートもオシャレ。
高級ホテル感覚である。
ポルトガル系は院内にあるチャペルが目立たないもののセンスがよく、お気に入り。
さてわれらが日系は…
先回は野戦病院なみの混乱。
グーグルで評価を見てみると、最低の評価とコメントが多いのに驚いた。
自画自賛ばかりの関係者はこういうのを見ていないのだろうか?
今日はクリスマスイブの前日のせいか、閑散としている。
さてここのいいところは…
医療関係者によると、他院にはないような医療装置があるという。
日本政府の提供だろう。
日本語でも応対するというのがここのウリであるが…
先日、平日の日中に電話をしてこころみに日本語での応対というのにかけてみたが…
ポルトガル語で、これには対応できません、との音声。
いちど「日本的」という言葉が「看板に偽りあり」「自画自賛ばかり」といったように批判的、失笑的に使われるようになると、あとは拡散が速いかも。
12月24日(土)の記 パン屋のチキン
ブラジルにて
もう詳細は忘れてしまったが、昨年のクリスマスイヴはシチメンチョウをわが家で調理した。
当時の写真を見ると、なかなかの大きさ。
値段もバカにならなかったことだろう。
そもそも、量的にそう食べられるものでもない。
今年は在宅の家族でより質素にいこう。
して、近くのスーパーで「パン屋のチキン」という冷凍ものを買ってきた。
家計と胃腸にやさしいお値段とサイズ。
日本では「パン屋のチキン」と言っても意味不明だろう。
こちらのパン屋では週末にローストチキンも店頭あたりで焼いて売る店が少なくないのだ。
この冷凍ものはチキン一羽分だが、すでに内臓等は除去して調味料もかかっている。
あとはオーブン等で焼くだけ。
とはいえ、僕はわが家のガスオーブンの扱いにも慣れていない。
日本で使う習慣がなかったせいだろう。
チキンを一羽まるごとローストするというのも恥ずかしながら初体験かも。
包装に書かれたポルトガル語の指南書と家人の指南もズレがあり。
まあ、やってみるか。
わが家にありあまってしまったオレガノ、バジル、ローズマリーなどを追加。
小ぶりのジャガイモ、タマネギ、ニンニク等も足して。
焼き色が付くまでにはメーカーの記載よりだいぶ時間がかかった。
さあチキンの解体新書。
家族にはパン屋のよりおいしいと好評。
パン屋のは、中の方までパサパサになっているとか。
僕には刺身系はともかく、チキンのことはキチンとわからない。
これでだいぶ要領がつかめた。
次回はもっと調味料と付け合わせの野菜類を足してみよう。
ブラジル製大衆銘柄の格安シャンパンを開栓。
12月25日(日)の記 うつろな街で
ブラジルにて
ocaはこちらの先住民の言葉で住居の意。
ocoはポルトガル語で「うつろ」を意味する。
語源が同じかと漠然と思っていた。
が、調べてみるとどうやら別系統のソラニのようだ。
特に昨日ぐらいからサンパウロの街が oco化している。
週末のクリスマス休暇であり、この時期に大サンパウロ圏から海岸方面に50万台近い自動車がくだるという予報が出ていた。
自動車一台あたり平均して二人以上は乗車しているだろう。
ざっと概算して海岸方面だけで100万人以上の大移動。
さらに海岸以外の田舎・リゾートなどにも相当数が脱出している。
こういう時に、うつろのなかにいるのも悪くない。
ブラジルは三つのタイムゾーンがある。
そのすべてがクリスマスを迎えた時点で、これをYouTube公開設定に切り替えた。
https://www.youtube.com/watch?v=aBlR8R2e27E
この『赤い大都の仲間たち フマニタス25年の歩み』の初版完成から20年。
今年、さらに現時点で可能な限りの修正を行なった。
僕以外にどこをいじったかに気づく人はいないことだろうけど。
YouTube「チャンネル岡村淳」開局一周年の記念も兼ねて。
12月26日(月)の記 スクラップ人間
ブラジルにて
さあ、この日のなにについて書こうか。
そもそもなにをしたかを振り返り…
スクラップをそこそこいじったな。
僕がスクラップという語で認識しているのは、新聞や雑誌を切り取ったもの。
さて、スクラップという語の本来の意味は。
なんと廃金属のことではないか。
僕の認識は、スクラップブックに由来するものだった。
スクラップブックは新聞・雑誌記事の切り抜きを貼った「帳面」のこと。
僕のは、なにかに貼るどころか、まだ切り離していないものも含めて、ごしゃっと袋やファイルケースに入れてある段階。
まだ分類も行き届いていない。
生涯にどこまで片付くか。
出るのはため息、絶望を垣間見る思い。
巨山のふもとの小石を少しいじくる思いで、劣化のすすむ紙片を繰る。
お、ほう、ふむ。
そこそこに面白そうなものが出てくる…
かつて東京学芸大学の流浪堂さんで『岡村淳の脳内書棚展』という奇想天外な展示を実現した。
この「スクラップ同様」の劣化紙群も、まちがってひょっとしてひょっとするかもしれない。
まあスペースの混沌の整理も兼ねてちびちびと折に触れて手掛けていこうか。
12月27日(火)の記 サンパウロの採集狩猟時間
ブラジルにて
(特にパンデミックになってからビジネス手帳に日毎の挙動をかくということもなくなり…
この日記も該当日から数日たつと、あまり変化のない日のネタを抽出するのに苦心する。
そういう時はもっぱらその日のインスタグラムのグラフィティの写真を起こして記憶の再生を図るのだが…)
ウオーキング、グラフィティ採集、買い物を抱き合わせて午後、外出。
久しぶりの道をくだる。
遠目から思わぬところでグラフィティらしきものを見つけた時のときめき。
中クラスの住宅街で、いきなり一軒だけにグラフィティ。
https://www.instagram.com/p/CmsOpcZL4-U/
ポピュラーなグラフィテイロたちの共作のようだ。
さて、このあとも掘り出しもののグラフィティがいくつか。
近くでこれだけの豊作はめったにない。
インスタグラムには一日一点を原則としているので、あがりの写真を吟味してこれにした。
あとのはまた後日に撮り直しましょう。
明日からは久しぶりに泊りで他州へ。
長時間の運転も久しぶり。
山道だし、天気予報は雨。
慎重に行きましょう。
12月28日(水)の記 降誕祭と幼児虐殺
ブラジルにて
午前7時過ぎに出家。
アルコールを満タンに。
サンパウロ市内滞在中の連合いの親類をピックアップ。
一路、ミナスジェライス州へ。
かつては相当、通った道だ。
ミナス入りは何年ぶりだろう。
少しは道もよくなったようだが、他と比べて高速料金が安いだけ整備もよくない。
随所に穴あり。
そもそも天候は雨、山道。
控えめな速度で。
目指すは広大なミナス州では南部に位置するポウゾアレグレ市。
まずは墓参。
坂の多い町なかの、駐車場を伴なわない墓地。
雨はひとしおとなる。
中心街、カテドラル至近の宿にチェックイン。
午後の博物館詣では、行ってみると年末の特別休館。
それでも雨中の坂の街を歩いていて思わぬグラフィティ、そして志あふれる古書店などに出会う。
本好きだった故人の遺志すら感じて。
カテドラルの夜のミサにあずかる。
今日の聖書朗読は、マタイによる福音書にあるヘロデ王の幼児虐殺の部分。
東方の博士たちからユダヤの王が生まれると聞いたヘロデ王は、一帯の2歳以下の男児を皆殺しにする。
生まれたばかりのイエスの養父ヨセフはこれを事前に夢で知り、すぐにマリアとイエスを連れてエジプトに脱出して、ヘロデ王が死ぬまで逗留する。
イエスが生まれたことによって、付近の男児が皆殺しにされてしまったわけだ。
イエスの誕生という本来の意義から離れてクリスマスのばか騒ぎをあおり、それにのる向きには見向きもされない事態だろう。
キリスト者しかりである。
肝心なイエスは、養父の予知夢によって生きながらえた。
しかしその代償として虐殺された幼児たちのことを、今後もクリスマスの旅に想わずにはいられない。
からいブラディメリーでもなめたいところだ。
12月29日(木)の記 FHRAN小路の雨
ブラジルにて
ミナスジェライス州ポウゾアレグレの宿で朝を迎える。
いったん雨が上がったようだ。
今回は身内とはいえ、四人のグループ行動。
僕のグラフィティ撮りを優先するわけにもいかない。
して、午前7時台にひとり宿を出て昨日、発見したBECO DO FHRAN:FHRAN小路を目指す。
数十メートルの小路の両面の壁にさまざまなグラフィティが描きめぐらされている。
サッカーのネイマールかなと思った肖像があるが、これが小路に命名されたFHRANという人物らしい。
その横にあるプレートを読んでみる。
FHRANはこの近郊の出身で、ポウゾアレグレをはじめとするミナスジェライス州南部でグラフィテイロ(グラフィティ作家)として活躍し、ヒップホップ文化の普及に奔走したそうだ。
この地で全国大会を開催するなど活躍。
しかし2021年12月、交通事故で亡くなってしまった。
享年29。
この小路は彼へのオマージュだった。
スマホを構えているうちに、ふたたび激しい雨。
傘は持ってこなかった。
傑作が多く、「引き」の構図も捨てがたいが、今日のインスタグラムはこの一枚とした。
https://www.instagram.com/p/CmxYqrBreM4/
ずぶぬれである。
Tシャツを一枚、余分に持ってきてよかった。
こののちの朝の所用の後、朝食前に熱いシャワーを浴びる。
靴のスペアまでは持ってこなかった。
昨晩、濡れ靴に地元の新聞をちぎって丸めて入れておいたが、今朝さらに濡らしてしまう。
中央市場で靴下を買う。
さすがに靴までは買い控え。
今回、ポウゾアレグレ滞在にあたってネット上でそこそこに情報を調べた。
しかしどれもカテドラル、中央市場、博物館といった月並みなスポットの紹介ばかり。
昨日、雨宿りに立ち寄った古書店、そしてこの小路などに出会えたのはささやかな奇跡だと思う。
そして古書店で出会った書籍💛。
12月30日(金)の記 イチゴとペレ
ブラジルにて
昼はわが子と近くの大衆シュラスカリア:ブラジリアンバーベキュー店へ。
これまでに記憶にないほどの人の入り。
晦日の金曜、仕事納め系の大衆か。
この店は、決して期待をしてはいけない。
・・・サラダバーに「スシ」がある。
イチゴのマキズシあり。
色は鮮やか。
昨日おとといと回った南ミナスはイチゴの産地でもある。
宿で女衆がイチゴのスイートの諸々に加えて、イチゴのストロガノフまであるとオーラルな情報を入手。
これは見当もつかない。
して昨日、帰路にイチゴの里だという町を訪ねるが…
季節外れとのことで、ストロガノフどころかイチゴ使用のケーキがかろうじてある程度。
街道の観光客相手のところなら何かあるかも、とイチゴのメッカで泣かせる助言をいただいた。
まあそんな経緯もあり、話のタネにやめておいた方がいいイチゴスシに久しぶりに挑んだ。
シャリをノリで巻き、クリームチーズの上にイチゴを乗せている。
・・・まずシャリがどろどろ。
食材のハーモニー、なし。
広い店内にはざっと4か所のワイドテレビがある。
音声はミュートにしてあるが、チャンネルはブラジルを代表するグローボ局の設定。
入店後、気づいた時からサッカー王ペレ関連の画像を流している。
ペレの訃報は昨日の帰路、カーラジオで接した。
ひと月ちょっと前に、ブラジルでの統一教会のことを調べてみて、ポルトガル語の後で日本語で検索してみて驚いた。
今年9月の東京スポーツの記事のオンライン版。
旧統一教会はブラジルサッカーとも蜜月関係 王様ペレは文鮮明氏を「精神的な父」 https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/239378?fbclid=IwAR0vf4NLePtQEyM7GyT2Stwe3KD3Y02KY6ZYVTalwcY2K3cKgcj20g1iDx4 統一教会の統一協会だった日本の安倍元首相がそのために狙撃されて死亡して半年足らず。
文鮮明氏を「精神的な父」とした「王様」がブラジルで逝った。
12月31日(土)の記 ウィタケルの市に行ったらブラジルにて土曜日の大晦日。
年越しにあたって、足りない食材は…
夏の風物「山形のだし」をまたつくりたい。
オクラ、キュウリの補給の要あり。
わが家から少し下ったウィタケル大通り沿いの土曜の露天市に行ってみよう。
今日は、通常よりは出店も買いもの客も控えめ。
大晦日の夕餉は1キロ余りの豚肉のかたまりをオーヴンで焼くつもり。
付け合わせ用の小ぶりのジャガイモも購入。
さあ、居間の共有空間のテーブルの半分ぐらいを占めているパソコン作業に伴う諸々をお片付けせねば。
大型文具店で折り畳みボックスでカートになっているのを、値は張るがフンパツして購入。
カードの残金は大丈夫かな?
西暦2023年1月1日の日記は、以下に続きます。 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000265/20230102017087.cfm?j=1