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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2023年の日記  (最終更新日 : 2024/01/02)
1月の日記 総集編 霊友

1月の日記 総集編 霊友 (2023/01/02) 1月1日(日)の記 卯年のコブラ
ブラジルにて


年明けと同時の深夜の花火は高層アパートの窓から眺める。
ワールドカップのブラジル戦以上の激しさだが、ひと頃よりはだいぶしょぼくなった。

家族は午前中から親類の新年パーティに向かう。
僕は持ち寄りの料理の手伝いと行きの運転手役に留まることにする。
知らない家族まで招待した由。
総人数は少ない方がいいし、もし大方がCOVIDで寝込んだ際の活動要員としてベンチで待機、といったところ。

クリスマス当日朝に勝るとも劣らない交通量の少なさ。
家族を送り届けた後で、さあ今日のグラフィティ探し。

通常ならややこしい場所に思い切って行ってみる。
幹線道路が交差するあたりの脇。
車やスマホをかっぱらわれることに用心しつつ。

「なか」の方は高級住宅街だった。
「そと」にグラフィティも散在するが、ここは路上生活者らのテリトリーでもある。
昼前後の時間帯で、路上系の人は出払っているようだ。

ちょっと面白いグラフィティをスナップ撮りしてから、以前に遠目で見て気になっていた壁面を探す。

おう、あった。
これはスポンサー付きで描かれたというプレートまである。
モータリゼーション初期のサンパウロをモノクロ基調で描いたもの。
おお、KOBRAの作品だったか。

KOBRAは世界的に知られ、世界各地に作品を描き続けているグラフィティ作家の大御所だ。

光線具合はベストではないが…
グラフィティの描かれているところは壇上になっていて、ここにのぼってのスマホ撮りは遠目にも目立つ。
まあ、そこそこにしておきましょう。

帰宅後に今日の成果を見比べて、迷うがこれにしておきましょう。
https://www.instagram.com/p/Cm45iDqvulr/


1月2日(月)の記 新年創作料理二点
ブラジルにて


ほんらいは月曜は週イチの断食の日。
今週は諸々をかんがみて、順延。

冷蔵庫に、モチがある。
クリスマス前ぐらいに買って、残りがそのままで。
マダラ状の青カビが随所に。

家人の目を盗んで青カビ部を削除。
解凍してあったピカーニャ(牛イチボ肉)を薄切りにして出汁を取り、雑煮にしてみよう。
山形寒河江の温泉ビジネスホテルの朝食に米沢牛使用の雑煮があり、肉片こそ些少だったがよろしいお味だった。

近くのスーパーに買い出しに行くが、青葉はクレソンのみ。
クレソンを軽くゆででいただくが、家人にも好評。
ピカーニャ雑煮、これはわがメニューに加えよう。

さて、夕食。
クリスマスと大晦日の残りものを活用して。
ご飯はブラジル風ライスにチリサーモンのアラを入れてみた。
うーむ、コメの量をもう少し減らすかサーモンをもう少し増量した方がよかったかな。
これも悪くはない。


1月3日(火)の記 アラカチャ!
ブラジルにて


イヤハヤこれがあるから、この日毎の日記作業もばかにならない。
今日(と言っても実際の執筆は5日)は何を書こうかと呻吟。

家人と近くのスーパーのイートインでスープを飲んだ、というか食べたことでも…
日本の方にはあまり想像もつかないブラジルのスープ事情に少し言及しようかと。

毎日2種あるという日替わりスープのひとつが「マンジョッキンニャ」だった。
日本ではタピオカ、マンジョッカ、マンジョーカ、キャッサバ、マニオック等々の名前で知る人ぞ知る南米熱帯低地原産の芋:マンジョーカの小さいもの、の意の言葉。

僕はこれまでこのマンジョッキンニャは種類としてもマンジョーカと同じの小さいものぐらいに思い込んでいた。
本稿執筆にあたって調べてみてびっくり。

まるで別モノではないか。
タピオカの原料でもあるマンジョーカは植物学的にいうとトウダイグサ科の植物。
いっぽうマンジョッキンニャの方はセリ科であり、同じ南米原産でもアンデスの標高600〜3200メートルの高地で栽培されている芋だった。
マンジョッキンニャの学名はArracacia xanthorrhiza、日本語ではアラカチャと表記されていた。
いかにもアンデス系のひびき。

僕のイメージではマンジョッキンニャといえば、スープ。
ジャガイモや小麦粉片栗粉とは違った「とろみ」があり、体が温まる感があり。
日本語のこのウエブサイトを紹介しよう。
https://plantas.hokanko.jp/2011/03/10/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A3/
引用すると「胃の潰瘍や体の傷口を修復する有効な働きがあるとされ、術後に薬用としても用いられる。」の由。

これはけっこうではないか。

他のレシピもポルトガル語で調べてみよう。


1月4日(水)の記 「隠された風景を見る、消された声を聞く」
ブラジルにて


午前7時台に出家。
サンパウロ近郊に日本から赴任してまもなく一年になる知人を迎えに行くため。
彼をサンパウロ市内観光案内することになったが、彼はまだ電車にもメトロにも乗ったことがないという。
片道1時間半はかかるので、読み物を…

昨日から読み始めて、面白くてたまらない『北海道大学もうひとつのキャンパスマップ』(寿郎社)を供としよう。
その表紙にあったのが、今日のタイトル。

この本の背表紙のひと言もステキ。
「ポプラ並木やクラーク博士は載ってません」。

さて近郊と結ぶ電車は朝の下り。
二人掛けの優先席にゆったり座っていると、女が隣に座ってきた。
これがスマホをいじり、くっちゃべりながら僕にエルボードロップを連打。
読書どころではなくなった。

して、夕方に帰宅してから読了。
そもそもこの本には畏友の番匠健一さんが寄稿していて、その縁でちょうだいした。
番匠さんの稿だけ読んでいたのだが、昨日、在ブラジルの北海道ゆかりの人とやりとりをしていて引っ張り出した次第。

いずれも読みごたえのあるものばかり。
そのなかでも圧巻だったのが、モコットゥナㇱさんの「大学を開く―アイヌ学/和人学をめざして」。

学内で通用する言葉は植民者の言葉。アイヌの存在・声を伝える物はほとんどなく、むしろそれを打ち消す「開拓/フロンティア」といった言葉だけがあちこちに晴れがましく書かれている。

アイヌの間にも男女・年齢・出身地により力の不均衡があり、経験もさまざまだ。アイヌどうし、あるいは他のマイノリティとの間の抑圧もある。こうした内なる多様性を知り、自分の言葉で経験を語り、共有し、生きる力とする―それが、同時に社会全体の抑圧関係を解消することにつながるような、そんな学問を作っていくべ。


(いずれも同書からの引用)

これはブラジルの日系人、そして先住民を考えるうえでも貴重な指摘だ。

想えば今日の観光案内もこの本の背表紙の言葉のようなことになった。
そのこぼれ話は、また別の機会にでも。


1月5日(木)の記 サウダージカレー
ブラジルにて


膝に軽い痛み。
・・・昨日は1万9千歩以上、歩いてしまった。
しかも雨にもそこそこ濡れて。

振り返ると昨日のサンパウロ中心街案内では、カトリック寺院を6軒、巡礼していた。
まず最初に東洋人街の日系仏教寺院を訪ねたのだが、ここは固く施錠されていた。

午前中は静養も兼ねて、まったり気味に過ごす。

冷凍庫の在庫の削減も兼ねて…
いくつか豚肉があった。
今宵はカレーとするか。

買いものを経て、午後3時ぐらいから準備を開始。
今日は炒め野菜を添えてみよう。

チンゲン菜を探してみるが、今は時季外れなのか。
一軒だけ洗ったもののパック詰めがあったが、お安くなくてやめておく。

冷蔵庫にあったサヤインゲン、ナス、パプリカを炒める。
これは好評だった。
色味もよろしく。

カレーにこうした炒め野菜が合うことを知ったのは、鹿児島の伊場カレーさんだったかと記憶する。
カレー求道者の伊場さんとの対話に、サウダージ。

そもそもカレーにはサウダージというポルトガル語がよく合うな。
まるで福神漬けやラッキョウのように。
いまや、福神漬けも自作である。
ラッキョウはグアタパラ移住地から。

サウダージカレーか。


1月6日(金)の記 芸術と宗教
ブラジルにて


今日は午後から泊まりで「ますらを派出夫」のミッション。
ミネラルウオーター源泉での給水を抱き合わせよう。

まずは給水。
さあ今日のグラフィティ採集をどうするか。
源泉から派出夫ミッションの地への道中、ニオうところで脇道に折れてクルマを停める。

付近を歩くー
ピシャソン(文字系の落書き)ばかりだな…
お。
木の扉にバラらしき絵が描かれている民家がある。
ちょうどそこから自動車が出てきて停車した。

そのお宅には脇の壁にもジャカランダらしき木と花が描かれている。
僕がスマホを出して、撮っていいですか?という仕草をすると、運転席の初老の男性が下りてきた。

ちょっと待っていてください、と言われて、彼は屋内に入った。
助手席から降りてきた女性が、自分がこれを描いたというではないか。

男性は透明の袋に入った数冊の書籍を、どうぞ、と差し出してきた。
これは恐縮。

中を見ませんかと言われて、バラの扉から入ると、一面に絵画が貼り巡らされていた。
花や鳥などが中心。
すべてこの女性が描いたものだという。

小品の値段を聞いてみる。
僕でも買えない額ではない。
今度、連れ合いと一緒にうかがいましょう、と言ってこの場はおいとま。

ふたりは夫婦とのことだったが、ふたりともえらく人当たりがよかった。

本は、彼女の挿絵のものだろうか。
これは恐縮だ。
次回、日本語だが思い切って拙著でも返礼に謹呈いたそうか。

今日の奉公先に着くと、さっそく夕食の支度。
ひと通り片付いてから、いただいた書籍の袋を開けてみる。
え。
いずれも、キリスト教プロテスタント系の宗派の啓蒙書だった。
いやはや。

絵はまた見に行きたいとは思ったが。
フンパツして小品もひとつふっ求めようかとも考えていた。
が、こっち方面の勧誘もコミとなると、めんどくさくなってきた。

ま、そうボロい話はあるものではないな。


1月7日(土)の記 祖国のテレビ
ブラジルにて


今日は夕方まで出先で御奉公。
相手は日本人一世の高齢者。
NHKの国際放送がかけ流しになっていることが多い。
しかもやや難聴なので、音声が高い。

本人がテレビ前に不在の時は音声を落としたり、電源を切るなどしている。
このNHKのニュースの特に男のアナウンサーを見ているだけで不快になってくる。
SNSで流れてくる祖国と世界の深刻なニュースとNHKの選択するニュースの乖離には怒り、飽きれるばかり。
これだけを見ている在外日本人高齢者とは対話がむずかしくなってくる。

今日の午後は、久しぶりにNHK鑑賞に付き合ってみた。
日本時間日曜未明の放送番組だ。

四国山中だったかの女性のアーチストたちのコミュニティの番組。
出てくる人たちのキャラクターがよく、画面も美しい。
人間関係も含めて、そこそこの時間をかけていることがうかがえる。
三脚を据えた絵作り、被写体にピンマイクを付けずにきっちり言葉が録音できているなど、僕の及ばない制作体制だ。

次の番組は英語放送のものの日本語版で、日本語ペラペラな北欧系の女性が日本の柿についてリポートするというもの。
これも地方ロケ現場でも彼女のメイクや衣装が何度も替わっていることなどから、日数をかけて取材していることがうかがえる。

いずれの番組もスタッフロールを見るとディレクターは女性のようで、しかも実際の制作は制作プロダクションだった。

パンデミック下に、ご苦労なことである。
そして最初の番組なら主人公の著書や登場するアーチストの作品への関心が高まったことだろう。
後の番組では紹介される豊洲で柿を扱う商店、和歌山の柿生産日本一だという村、東京の柿創作料理のレストランの恰好な宣伝になったことだろう。

番組と被写体の共存共栄である。
これはこれで理想的だ。
しかし公共放送たるもの、今の社会の深刻な問題の告発、そして権力による理不尽の追及を第一にしないと困る。
番組制作を制作プロダクションに委ねるばかりで、報道の中枢たる自社制作のニュースがスカスカの忖度・手抜きでは本末転倒だ。

現場で奮闘する知人らを想う。

さて、引継ぎ要員が戻ってきた。
NHKのうつらないわが家に帰ろう。


1月8日(日)の記 暗殺失敗
ブラジルにて


今日は、まともに料理をする気力がなくなる。

それでも酒をくらうとなると、少しは気のきいたツマミは欲しい。

そんな調子で夕方になって「暗殺者のパスタ」のことを想い出した。
年末ぐらいだったか、日本語の動画で流れてきた。
日本語に堪能なイタリア人男性シェフが実演。

「暗殺」の由来はトマトソースで真っ赤になるからだとか。
パスタを茹でずに焦がして、トマトの出し汁で茹でるといったところ。

やってみるか。
日本語のウエブレシピをいくつかチェック。
トマトピューレとトマトペーストを用意せよとな?
どう違うのかもわからない、他のレシピを見よう。

お焦げを作るようにして、焦がさないようにとな?
禅問答か、昨今の政治家の答弁のようなレシピも困る。

てな調子でテキトーにやってみるが…
うまくオコゲにはならないぞ。

試食するが、ほとんど乾燥パスタ状態で咀嚼も困難。
トマト出し汁を何度か投入。

・・・どうやらこれだけではマズ過ぎそうだ。
タマネギ、ソーセージ、ピーマン、オレガノ等々を投入。

そういえば動画のイタリア人シェフもできあがりを食べて「おいしくはない」といったビミョーな発言をしていたけど。

これは久々、めったにない失敗作。
喰えないことはないが、おいしくはないのだ。
トホホ、もったいないし、責任上、何日かかけて少しずつ食べていくか。

しばらくしてから、悪知恵が浮かぶ。
これをスープにしたら、食べられないことはないかも。

レンズ豆、ローリエ、チキンコンソメ等も加えて。
うむ、これなら悪くはなくなった。

「暗殺」失敗の要因はレシピをいい加減にななめ読みしたせいかもしれない。
暗殺を一発二発で決めるというのは、よほどの才能か強運か。

ブラジリアでの騒乱を知り、テレビをつける。
数局をサーフィンして、スポーツ中継やスタジオでミーハーやっているのが多く、最深刻事態ではないかなという感じ。

メイン局の報道を見続ける。
テロリストという言葉を連呼するが、これは暴徒の類だ。
問題のボルソナロ前大統領は、大統領引継ぎセレモニー出席を拒んでアメリカ合衆国にトンズラ。
この前大統領支持派がブラジル全国から集まり、根拠もない不正選挙を訴えての暴動。
ブラジリアの国家中枢施設に押し入って、ひたすら破壊を繰り返してスマホ撮り。
レベルが低すぎる。
ブラジルを代表するカヴァルカンチの絵画まで破損された。


1月9日(月)の記 足からず
ブラジルにて


友人知人と話していて、こいつ、こっちの言うことを聞いてねーな、と思うことが時折りある。
そういう場合はばかばかしいので、話題を変えることにしている。

朝、片足の足首に軽い痛みを感じる。
原因に覚えはない。

高齢者の方々から、腰が、肩が、足が痛くて、という訴えはこれまでどれだけ聞いてきたことだろう。
さすがに無視はしないものの、あーたいへんですね、ぐらいの返しですませていた。
相手の痛みを想像し、共有しようという姿勢にまるで欠けていた。

自分が高齢者の部類に入って、それを実感。

さて、こういう時は安静にしていた方がいいのか、少しは歩いた方がいいのか。
特にそれを医療関係者に尋ねず、調べずに、まあ少し歩いてみることにする。
今日のグラフィティ採集が主目的。
買いものは、あまり重くならない程度で。

なんだかんだで終日で5000歩以上、歩いてしまった。
最初のうちは足の痛みを感じて、通常モードとは違う歩きとなったが、痛みを忘れることもしばしば。

日毎のインスタ・グラフィティあげにアナを開けずに済んだ。
https://www.instagram.com/p/CnNTYyDv-70/


1月10日(火)の記 ふつか断食
ブラジルにて


パンデミック以来、週に一日の断食を続けている。
・・・ざっと計算して、パンデミック以降で計一か月以上の断食をしていることになる。

さて先週は正月の余韻等々で断食を見合わせた。
今週の月火と断食をすることでつじつまを合わせることにした。

二日続きの断食は、久しぶり。
一日断食は慣れっこになっていて、さして支障もなく。

今回は久しぶりのせいか、新年のプチ暴飲暴食のせいか、なんだか力が入らない。
また足首の不調がよみがえり、そもそも歩く気力も乏しい。
それでも買い物等で都合8000歩以上、歩いてしまった。

夕刻、船便で送ってもらったガリ版通信『あめつうしん』を読む。
巻頭は、東京から金沢に移住して、焼き芋屋兼図書館を開こうとされているご夫妻の話。
編集者の田上正子さんがあとがきで、自分はさして焼き芋が好きではない、と正直に書かれているのが楽しい。

僕自身、甘いものはあまり好まないし、そもそも人生で焼き芋を食べた経験が特に想い出せないほど。
さて、サツマイモといえば、原産地はわが熱帯アメリカ。
して、石焼き芋の起源は、などと検索しているうちに、ヤキイモはともかく大学芋と呼ばれていたものが懐かしく断食の身に想い出される。

待てよ、金沢といえば発酵食がさかんではなかったか。
好著『日本発酵紀行』を発掘してみると、当たり前すぎたのか石川・金沢は外している。
しかし金沢の発酵食、出てくること、出てくること。
「発酵食美人食堂」などというのもあるではないか。

ああ、発酵食をわが腸内細菌が呼ぶ。


1月11日(水)の記 ネトフリクスる…
ブラジルにて


これもガリ版通信『あめつうしん』の記事がきっかけ。
李俊植さんの連載「私は朝鮮人、日本で生きています」がドラマ『パチンコ』を紹介していた。
こうした紹介文の最上のわざは、その作品を見たい・読みたい、と思わしめることだろう。
この『パチンコ』についての紹介文にはいくつか接してきた。
今回は「見てみたい」とヘンクツ者の僕も欲するに至った。

さてそれを見るためには、用語としては「ストリーミング配信」「オンデマンド配信」などというようだが、それを契約していて、そこにアクセスする必要あり。

昨今は世界的に広がる配信会社がいくつか知られる。
わが家では家族がNETFLIX等を受信できるようにしてあり、パンデミック以降は特に利用頻度が増えたようだ。

いっぽう僕は記録映像作家、などと称しながら、いまだこれを利用したことがない。
自分の仕事、宿題や頼まれ視聴動画などでわが動画の受容能力が飽和状態が続いているから、というのが主な理由かな。
動画を見るのは僕にとって いのりに通じる行為かもしれず、「ながら」や「倍速視聴」などは言語道断。
たとえばお経の「ながら」や「倍速」は、許容できましょうか?

さて。
家族の指南を受けて接続、『パチンコ』をアルファベットで探してみる。
・・・みあたらない。
ネット検索してみると『パチンコ』は「アップルTV+」という配信サービスのみで視聴可能とわかった。
ややこしい。

うー、とりあえず番組さえあればどのように見るかまでは、おそらくわかった。
他のを見るか…

という流れで、
『ウルトラマン』(アニメ)
『深夜食堂』
『新聞記者』
をそれぞれ最初の一話ずつ視聴。
このあたりで僕のキャパオーバー。

少し余白が出てきたら『新聞記者』の続きを見よう。
これは日本の劇場で見た映画版より僕には格段に面白い。
調べてみると、おなじ監督とな。


1月12日(木)の記 後退国の日本を憂う
ブラジルにて


祖国日本の後進国化が嘆かれるようになって久しい。
しかし文字通りなら「後進」とは後からでも進むこと。
いっぽう昨今の日本は進むことを拒んで後ずさり、退化をしている感がある。
いわば「後退国」である。

在外の日本人としては、それを痛感することばかり。
現在の日本の在外選挙の眼を見張る前時代的なシステムについては何度か触れてきた。

最近では、たとえば日本発行の銀行のインターナショナルカードの件。
昨年後半、これまでブラジルでも使えていたインターナショナルカードが受け付けられないことが続いた。
こうした事態での日本への問い合わせ方法を調べると…
メールでは対応していないのだ。
日本の銀行の営業時間に、電話をするしかないとは。

それでわかったことは、不正使用をクレジット会社が察知してブロックしたとのこと。
これはありがたい。
さすがはグローバルなクレジット会社。
これを銀行側からいったん解除してもらった。
その当日、一度だけ使えたが、また使用不能になってしまった。
新たに電話をすると、あらたな不正がうかがえ、カード差し替えしか方法がないという。

・・・といった具合でさらにいろいろあって。
改めて日本の口座の明細をオンラインでチェックすると、昨年ブロックした口座からカード使用の引き下ろしがされている。
またまた電話・・・

そして、日本の年金機構。
ブラジル移住後もずっと日本の年金を収めてきた。
住民票もこちらに移しているが、年金機構からの通知は日本の実家に郵送あるのみ。
年金機構への問い合わせも、訪問相談の予約以外はオンラインでの対応を拒否しているのだ。

けっきょくわが本籍地の事務所にこれまた電話をするしかない。
思い切って、電話。
たらいまわしが続く。
その度に改めてこちらのデータと問題を口頭で繰り返さざるを得ず。
黒澤明の『生きる』の世界だ。
そもそも向こうの言っている言葉が不明なことがしばしば。
国際電話でやり取りする事項ではない。

日本国がブラジルとの航空郵便を中止しておいて、国外からの手続きは郵便以外では受け付けないと言明されたのには新鮮な驚き。
(どうやら昨年末に2年半ぶりに日本からブラジルへの航空郵便が再開されたらしいとの別方面からの情報があったところではあるが。)

この機構は年金を収めている市民の都合ではなく、年金を吸い上げる側の都合で機能していることがわかる。
オンラインは先方の都合でのみ使用。

・・・勝手に余分に吸い上げられた分のもとを取り戻すぐらいまでは、ぐっと耐えましょう。
日本国の諸々のシステムは、日本国から出国した国民のことは考慮していないということ。
まー、グローバル時代と言われるようになって久しいが(大航海時代以来か、人類のアフリカからの拡散以来か)。
かなしいことにお粗末なお国である。


1月13日(金)の記 保養観光の町で
ブラジルにて


アグアス・デ・サンペドロというサンパウロ州内陸の小さな町のリゾートに、こちらの一族が集って週末を過ごすことになった。

僕は車で一族のシニアの護送を仰せつかる。
サンパウロ市から北西約200キロ、とろとろ走って約3時間といったところ。

7年前にもここを滞在しているのだが、行ってみてようやく思い出すことが多し。
けっきょく宿着は18時近くになる。
途中でこれといったグラフィティは見当たらず、高齢者を車中に置いてのグラフィティ撮りというのもいただけない。

チェックインをして旅装を解くと「おっとりスマホ」で街に繰り出す。
いやはや、いかにも観光客相手のつくり。

それなりになにかしらあるだろうと楽観していたが…
ない。
都市部で培ってきたカンがここでははたらかない!

日は暮れていき、夕食時間もある。
とにかく歩く。

あ。
https://www.instagram.com/p/CnYJZNdtHz-/
いやはや。
さあて、明日は明後日は…


1月14日(土)の記 鉱泉街の図書市
ブラジルにて


サンパウロ州内陸の鉱泉街のリゾートにて。
昨夕、街に出た時に「図書市」という看板を見つけた。
検索してみると、1月・7月の休暇時期に開かれているらしい。

午前中、行ってみる。
メインストリートに面した建物の最上階のフロアほとんどを使っている。
新刊本に古書、一般本、宗教本、絵本にコミック類、本好きにはたまらない。

気になっていたポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの小型本を見つける。
レジの女性が「フェルナンド・ペソアは他にもありますよ」と教えてくれた。
彼女の教えてくれたものの方はテキスト本といった体裁で、フォントも大きく僕にはありがたい。

本のソムリエの助言、ありがたくうれしい。
聞いてみるとここは「図書市」としているが、元はこの市内で新本古本合わせて扱う書店を開いていたそうだ。
しかし裁判所に閉められてしまい、ここで開けるに至った由。

約3年前にここに移り、通常は週末に、休暇時期はより多く週日も開けているという。
新本古本合わせ売る店というのは日本国外ではけっこう普通にあるようだ。
この店はオリジナルのマグネットの栞も販売していて、これは日本の読書子への小土産に格好だ。

他の一族にも伝えよう。
こういうところでの本との出会いは格別だ。

リゾートに戻って、屋内温水プールのデッキチェアでフェルナンド・ペソアをひもとく喜び。


1月15日(日)の記 公衆鉱泉浴
ブラジルにて


滞在中のリゾートホテルは、いわばクルージングみたいだなと思う。
クルージングがリゾートホテル志向なのかもしれない。

クルージングの航行中は勝手に海に出ていくわけにもいかないので、閉鎖環境で乗船客の娯楽:暇つぶし、金銭の「吸い上げ」をはかるとリゾートホテル的になるのだろう。
無国籍的、ショッピングモール的な。

ここは陸(おか)だ。
租界:観光客居留地のリゾートを抜け出して、せっかくの地元に接したい。
せっかくのリゾートにいるのに地元など、というのがフツーかもしれないけど。

ということで、アグアス・デ・サンペドロ滞在最終日、わが子と町の公衆鉱泉浴場に。
ホテルにもSPAがあるが、そのボッタクリ価格がよくわかる。

さてここの鉱泉は個別のバスタブでの入浴。
そこそこの順番待ちで、危機一髪だった。

入浴時間は20分。
それじゃ短い、好きなだけ入っていたいと思うが、けっこう「浸かりで」のある時間だ。
ここの鉱泉の硫黄分は世界で2番目の高濃度だという。
とはいえ、日本の硫黄泉のような強い「硫黄臭」はない。
このあたりのバケガクはポルトガル語ではもちろん、日本語でもむずかしい。

硫黄そのものは無臭であり、「卵の腐ったような」などと例えられる「硫黄臭」は硫黄と水素が結合した硫化水素のニオイ、だそうだ。
ーこれについてはこの辺でギブアップ。

湯上りに家族待ちで施設内の諸々を見ていると、ここの鉱泉での医学的な奇跡を記した本が出版され、ここでも扱っているとの掲示。
受付けで聞くとその本は週末にここを訪ねてくる著者が直接、売っている由。

うーむ、欲しい。
湯治目的で再訪して、図書市と硫黄の湯に浸かり続けるか。


1月16日(月)の記 ペソアという人
ブラジルにて


日常の再開。
・・・。
どうにも、うだつがあがらない。

無力感・非力感・自己嫌悪。

最低限のことだけでも…

借りものの本も読み進めないと。

今回、旅先の「図書市」で買ったフェルナンド・ペソアの本を取り出す。
図書市を2度訪ねて、計2冊の彼の本を買った。

ポルトガル語を読むのは、英語を読むよりむずかしい感じなのだが。

この作家の名前ぐらいは知っていたが、今回、旅先のこの図書市と目利きの書店員のおかげで手ごろの価格の手ごろなテキストをゲットできた。

そもそもこの作家のことをフンイキぐらいしか知らなかった。
ポルトガルでお札の肖像になるほどの国民的作家。
日本でお札になったといえば、夏目漱石か。

西暦1888年生まれ、1935年没。
生前はほとんど知られることがなかったという。
生前の彼を想う。

日本語のウエブサイトをいくつか見てみるが、これがよかった。
■ポルトガルの詩人ペソアをわかりやすく紹介しようとしたら一万字を超えた話
https://note.com/makireon/n/na457ba9e900d

上記のウエブサイトから太字になっている以下をコピペ。

人生において、「自分が必要なのか」、「こんな役立たずではダメなのではないか」という疑義が生まれたとき、また「私は本当はこんな人間ではないの、本当の自分はもっと優しくて笑っているような人格で……」というようなことを思ったときに必要な言葉が全部書いてあるのが、ペソアの本だ。圧倒的な孤独にさいなまれるときこそ、ペソアだけが味方でいてくれる。

なんだか、少し慰められる思い。


1月17日(火)の記 新聞記者表面裏面
ブラジルにて


なかなか次の作業に踏み込めない。

最低限のことをしたためて、今日は見残しのNETFLIXのドラマ『新聞記者』をイッキ見してしまう。
これはブラジル版ならではかもしれないが、それぞれの章の最後のスタッフクレジットが主要な数名ぐらいだけのところで次の章に自動的に飛んでしまう。
「客」を逃がさないためだろうが、きちんと作品を味わいたい客、そして作品そのものをあなどっていると思う。

おごれるもの久しからず。
日本のGYAOが3月をもってサービス終了というニュースに接したばかり。

さてこういうのは見だすと禁断症状を起こしがちな自分を意識することもあって、極力さけていた。
案の定、抜けられなくなって全6話を見終えた次第。

しかし結局。
安倍元首相夫妻の疑惑事件を題材としながら、ドラマではドラマ上でのその名前も映像も触れることはなかったようだ。
これもドラマの手法と言われれば、それまで。

そして、生ぬるいところに着地。
まあよくぞ安倍元首相の存命中にこれを制作配信したものだと喝采を送りたいが…

検索してみると、ベースとなった自死された公務員の遺族に協力を仰いでいたものの決裂、遺族に無断で制作配信されたという。
これは、あっていいことだろうか。
制作関係者は後味が悪くないのだろうか。

権力による隠ぺい捏造を告発しながら、遺族へのだまし討ちととらえられても仕方のない「手口」はなんの大義があるのだろうか。
そのあたりを察知したと見えて直前に出演を辞退したという俳優もいる由。

そこに僕は、ひかりのようなものをみる思い。
人のふり見て、わがふり直さないと。


1月18日(水)の記 お化け学なら好きだけど
ブラジルにて


今さらながら、さる週末に訪ねた鉱泉のことを調べている。
コロナ後遺症に効能ありや?
格安で宿泊できるところありや?
等々。

そもそもあのサンペドロ鉱泉の歴史は、ブラジル日本人移民史より新しかった。
およそ100年前、サンパウロ州内陸での石油探しでの採掘で噴出した由。

旅行ガイド系のウエブサイトの記載はどこまで正確かわからない。
あそこの鉱水はナニソレがドコソコのなかでは2番目に多い、とのことだが…

少しきちんと調べてみる。
うう、バケ学系のコトバは日本語でも苦手である。
今さらながら高校の時の化学教師への恨みが、というのはジョーダン。

sulfuroso という言葉には少しはなじみがあったが、辞書で確認すると「硫黄化合物の」という形容詞。

いっぽうイオウそのものは enxofre という上のとは似つかない単語だった。

このたび初めて知ったが、イオウそのものは無臭であり、よく卵の腐ったようなと例えられるイオウくささは硫化水素のニオイだという。
イオウそのものはシロだった。

なるほど、である。
ちなみにこの鉱泉はイオウ含有量ではイタリアのTabanoというところに次いで世界第2位のようだ。

この鉱泉の水はニオイ、味ともわずかな「イオウくささ」があるが日本の硫黄泉の比ではない感じ。
そして公衆鉱泉湯治所の湯は黒紫色をしていたが、それがなにに由来するかまでは不明。

サンペドロ鉱泉の奇跡的な治癒例を記したという書籍の入手に向けて蠢動。


1月19日(木)の記 霊友
ブラジルにて


「霊友」の経緯はまず以下のフェイスブックに書いたが、おさらい。

昨晩、神奈川の富士山をどんと望むところにお住まいの方からメッセージをいただいた。
彼女と先月4日に鳥取で亡くなった岡山人・赤木和文さんがフェイスブックで友人同士だったので、どこでの縁なのかなと尋ねてみると…
なんとちょうど3年前のギャラリー古藤さんでの岡村作品特集上映の際、隣に座っていて言葉を交わした由。

そして彼女は赤木さんのこの記載を発掘して知らせてくれた。

https://www.facebook.com/jun.okamura.733/posts/pfbid0wC3dUyfNfdNupJiivfVqX5FmetxeEBMfhSgrpNLD7sHBGa7EdhGbuP8isBg4b5Ntl?comment_id=1161628911152477 ¬if_id=1674396674146757¬if_t=feedback_reaction_generic&ref=notif

この女性や赤木さんのことを想って「霊友」という言葉が浮かんだ。
カタカナ言葉でソウルメイト、といったところか。
「霊友」とくれば、すぐに仏教系新興宗教の「霊友会」を想い出す。

霊友会のウエブサイトやウイキの記載を見てみるが、なぜ「霊友会」と称するのかは不明だ。
英語名もポルトガル語表記もズバリ Reiyuukai である。
ウイキによるとその教義は「先祖供養を重視」の由。
トラブルもこれを巡るものが多いようだ。

僕の言う霊友は、魂のレベルでの友、である。
特に先祖を持ち出す必要はない。

今週初めからウダツがさらに上がらなくなり、自分が無能・無用・不要の人、という思いが強くなっていたが、こうした霊友と呼ばせていただきたい友が複数この世にもあの世にもおはすことに感謝して、背筋を正さねば。

ちなみに「ソウルメイト」の語で検索すると、こんな解説があった。

ソウルメイトは、異性、同性のどちらも存在し、複数います。同じ目的や運命を一緒に歩んでいく仲間なので、多くが恋愛関係にならない存在です。

さあまずあれからすすめていきましょうか。


1月20日(金)の記 特性冷やし中華
ブラジルにて


今日、ブラジルを発つ親類の滞在先を訪ねて、昼に冷やし中華そばをつくることになった。

朝の買い出しでブラジル製の冷凍の生ラーメンも手に入った。
わが家の賄い用なら日本でいうプレスハムを使うところだが、チキンハムをフンパツ。
カニカマにキュウリも持参。
ブラジルの日系メーカーのゴマ油の小瓶も購入。

けっきょく具はカニカマ、チキンハム、キュウリ、ポロネギ、卵焼き、ワカメ。
訪問先に自家製紅ショウガがあるはずだったが、使い切ったようだ。
代わりにフランス製らしい粒マスタードで。
プチトマトがあってもよかったな。
さっぱり、するするといただく。

まー冷やし中華は簡単でよろしい。
ゴマ油の別がけもよろしいことを発見。

なにかブラジルらしい具も考案してみるかな。

あ、二か月前にも同じようなことを書いていた。


1月21日(土)の記 ぶどう知らずのワイン飲み
ブラジルにて


2種類のブドウをいただいた。
サンパウロ州内陸のピラールドスルという町の産で、日系農家が栽培しているらしい。
見た目もきれいで、価格的にまず自分で自宅消費用には買えなさそうなシロモノだ。

貼られたステッカーのロゴが「達筆すぎて」読めないブドウ色、いやさ赤紫のと、日本語ならマスカットになるだろう青ブドウ、いやさ薄緑のと。
ふむ、いずれも美味。

想えば恥ずかしいほどブドウの種類を知らない。
ブラジルを訪ねたフランス人と会食の際にワインのブドウはどの種類がいいかと尋ねられたことがあるが、もうお任せするしかなかった。

その体験からチリ産の特売ワインの同じ銘柄の異なるブドウ種のものを買って飲み比べたことがある。
・・・僕には味ではまるで区別がつかなかった。

そもそもブラジルや日本では生食されていない品種がワインに用いられていることが多いし。

今後は身近なブドウから少し品種名を覚えてみようか。
武道よかワタクチには親しみやすそうだ。


1月22日(日)の記 アジ二品
ブラジルにて


今日のヴィジターはサシミ系が食べたいという。

まずは今日の路上市でどんなサカナがゲットできるか。
年末年始は養殖チリサーモン、マグロぐらいしか刺身用のオプションがなかった。
いずれも高いし、食指もさして動かない。

おススメのアジを買う。
約1.7キロ。

年末にこさえてみたアジの酢じめはなかなかよろしかった。
しかし今日は昼食用なので、間に合わない。

今日もシソが安く買えた。
今が時期なのだろう。

メインはカルパッチョにする。
ズッキーニも使ってみようかと思うが、やめておく。

もう一品、ナメロウ。
シソをばっちり使用。

アジの残りは塩こうじをまぶして焼き魚にするか…
ああ、自家消費用に少しは酢じめにしておけばよかった。


1月23日(月)の記 胃か腸か
ブラジルにて


パチンコがイカゲームに化ける。
わが家では、新たに話題になっている日系コリアン家族を描いたドラマ『パチンコ』が視聴できない。
韓国制作で世界的なブームとなった『イカゲーム』は視聴可能なようで、いっきに一話イカ三話まで視聴。

後味はよくないが、なるほどと納得の面白さである。
それにしてもこのなんだかわからない日本語のタイトルでも作品の力で大ブレイクしてしまうのだから、すごい。

子供の伝統的な遊びの名称に「ゲーム」というのもそぐわないのでは。
ちなみにブラジルでのポルトガル語のタイトルは『ROUND 6』、と「異化」しているが、これはこれでややネタバレのタイトルかも。
英題は『SQUID GAME』の由。

そもそも軟体動物のイカはブラジル全般としてはあまりなじみのある生物・食材ではないから、ラウンド6としたのだろう。
さてこの『イカゲーム』、主要登場人物の描写がいずれも濃い。
たとえば脱北女性など、やたら強い存在感があるがこの女優さんも大ブレイクしているようだ。
加藤嘉をほうふつさせる001の老人も濃い。

先行きが気になるが、とりあえずこのへんにしておきましょう。
急きょ明日午後からの泊りミッションが入った。


1月24日(火)の記 ブラジリアンサワー
ブラジルにて


こちらの親類でローテーションを組んであたっている付き添い介護の担当に不都合が生じた由。
「自由業」のワタクチがピンチヒッター。

昼過ぎに出家。
さて訪問先、キッチンドリンク用のアルコールが不足気味。

徒歩にて食品問屋に買い出しに。
安い国産ウオッカがあった。
日系のものを求める。

冷蔵庫に飲みかけのシトラス系の清涼飲料、使いかけのライムがある。
これで割っていただく。
夏場でもあり、サワー系のものが飲みたくなる。

ブラジルでは国産ウオッカがもっともクセがなく、値段的にも手ごろ。

豚肉味噌漬け、モヤシと油揚げの煮物、味噌汁、わが家から持参したコルダ豆のサラダ、自家製漬け物の夕餉。

シソの葉の佃煮が好評。
いまが季節のシソの葉を買ってシソジュースを作ったのこりの葉。

わが家だったらシソサワーをいただいているところだな。
ほんらい今日は断食をする予定だったけれども。


1月25日(水)の記 469歳。
ブラジルにて


今日はわがサンパウロの町の誕生日で、地元は休日。
その誕生の由来は、この拙稿のネタにした。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000236/20221210017045.cfm?j=1

昨日からお泊りだが、今日は一日断食を決行。
午前中に交代要員が到着、おいとま。

さあ今日のグラフィティ採集をどうするか。
町は休日なので、交通量も少ないが…
少しウオーキングの歩数も稼ぎたい。

路上駐車をしていても比較的、安全そうなプラナルトパウリスタ地区にクルマを置いて。
時折り自動車が健在かチェックするため、駐車ポイントを中心に少し歩き込む。

緑濃いやや高級住宅地を歩くと、世田谷成城の光景が想い出される。

午前中に帰宅するが、なんだか疲れた。
気になっていたポルトガル語の本を辞書とエンピツを近くに置いて気ままに読んだり。


1月26日(木)の記 ガンQの白目の色は?
ブラジルにて


ウルトラ怪獣で「奇獣」の別名を持つ目玉のオバケ型の「ガンQ」の白目はどんな状態だったろう?
画像を調べると、ただ真っ白だったり、赤い血管が浮き上がっていたり、さまざま。

午後、人と待ち合わせをしていて出がけに鏡を見て驚いた。
片目の白眼の鼻側が真っ赤である。
特に痛みやかゆみもなく、鏡を見るまで気づかなかった。

あわててネットで「眼の充血」ぐらいから検索してみる。
うーむ、特に自覚症状がない場合は…
高血圧、眼の酷使などが考えられる由。

いずれも該当。
こちらに都合のいい記載では、特に症状がなければ1-2週間で改善の由。

見た目はなかなかのインパクトで、色眼鏡でも欲しいところ。
して、知人と2時間ほどカフェでおしゃべり。
こちらからのお願い事があったが、これはすんなりとよき方向に進んだ感じ。

別れ際に先方にこちらの眼の問題を持ち出したが、気づかなかった由。
こちらを気づかってトボケていたとも思えない。
僕より高齢で、そもそも日本人の異性であり、あまり相手のガン球まで凝視することもなかったのだろう。

ネット情報では、とにかく眼を休めること、とあり。
早めに寝室で消灯、スマホのYouTubeで古典落語を聞いてみることにする。


1月27日(金)の記 ボトルチェンジ
ブラジルにて


午前中は視力の静養。
眼球の出血は昨日より悪化はしていないようだ。

昨晩に引き続き、スマホでYouTubeの落語を聞く。
かつて日本の先輩から少なからぬ枚数の落語の手焼きのCDをいただいていた。
そもそもCDを聞くという習慣に乏しくなっていて、機材的にもすんなり対応できなくなって久しい。

なにか視力にトラブルが起きたら落語を聞こう、とは思っていた。
先輩のCDは死蔵になってしまったけれど。

うむ、落語、これは、よろしい。
老爺心ながら、日本語圏の若い世代では古典落語は日本語として理解可能なのだろうか?

音だけでも十分に楽しめるが、つい噺家の動作も見たくなってしまうのが玉に瑕。

さて、夕方にアポを入れてしまった。
さる12月に買ったボトルガーデン:テラリウムのなかの南米原産の観葉植物フィットニアの具合がすぐれない。
ふたを開けて竹串でいじってみると、溶けてしまった。

製作者のインスタグラムを知っていたので、メッセージを送ると無料で植え替えましょうとのことで。
眼の問題があるが、外出はかえっていいかもしれない。

して、徒歩だと1時間強の距離。
バスだと乗り継ぎ。
グラフィティをカバーしている範囲をだいぶ超えているので、思い切って歩いてみる。

うう、新しい世界が拡がる。
ボトルガーデンではこれまた思い切って新たに特注をしてみた。

それに対する先方のプランがどうにも気に入らず、帰路も歩いて帰宅後にメッセージを送る。
追って先方から代案が来て、了解。


1月28日(土)の記 びしょ濡れの午後
ブラジルにて


美女とは無縁。
美女にも愛想をつかされただろう。

「びしょ濡れ」の段階を超えるほど豪雨にやられた。
ビジョビジョである。

出先で午後、徒歩30分ほどのところに傘不携帯で向かい、帰路に遭難。

レインフォレストの雨季をナメた罰。
とはいえ、折り畳み傘でカバーできるようなハンパな雨ではなかった。

付近には雨宿りに適当な店や施設もなく。
民家の庇で雨宿りをするが、フェンスの背後から番犬に散々吠え立てられる。
不審者扱いでズドンとやられるのが心配。

雨は上からだけでなく、横からも、というような文章を最近、読んだ。
舗道からの跳ね返りもあり、まさしく全方向から雨水を浴びる。

全身全衣服に靴までぐっしょり。
ウエストポーチのなかの書類まで濡れてしまった。

途中、何か所かで雨宿りをしたが、悪くはない時間だった。
観察と内省。
往路に見かけた路上系の人たちはどこに避難したのだろうか。

滞在先にたどり着いて、まずシャワー。
その後、にわか洗濯や夕食の支度に追われたが、外を見やれば虹が拝めたかもしれない。


1月29日(日)の記 マッカーサー元帥大通りふたたび
ブラジルにて


「I Shall return.」そのもの。
昨日、やってきて帰路びしょ濡れになったマッカーサー元帥大通りを今朝、ふたたび訪ねている。
青空まで拝んじゃって。
まず日曜のおつとめ。

帰路、きのう豪雨のなか、目を付けておいた脇道のグラフィティへ。
これはいい。
https://www.instagram.com/p/CoA6CxiPHR9/
才気とヤル気のほとばしりを感ず。

こういうマチ場の才能と逸品に出会えるから、連日のグラフィティ求道は時には苦痛でもあるが、やめられない。

ここのところインスタへのアクセスもひと頃より減少気味。
「いいね」をいただけるものと僕がいいと思うもののズレも少なくないが、これがそれなりに面白い。


1月30日(月)の記 ヤノマモの山のかなたで
ブラジルにて


先週26日のFOLHA DE S.PAULO紙一面トップの写真を筆頭に、ブラジルの大手紙の一面、そして電波のニュースでアマゾン地方の先住民ヤノマモの虐殺行為が報道されている。

まずは英語メディアから、そしてようやく日本語メディアの記事も散見するようになってきた。

僕が『すばらしい世界旅行』取材スタッフとして国立ブラジルインディオ局の許可を得てブラジル領のヤノマモ保護区に滞在したのは西暦1984年。
以降、原則として立ち入り不可のヤノマモ保護区に万単位の金採掘者などが不法侵入を続け、虐殺事件も生じていた。

これがボルソナロ政権になると、政権側の後押しもあって無法状態に拍車をかけた。
もし昨年の選挙でボルソナロが勝っていたら、今回の事態もこれほど告発されることはなく、さらに多くのヤノマモの人たちが犠牲になったことだろう。
在日本のブラジル人有権者の9割近くが、そしてわがサンパウロ州の過半数がボルソナロに投じていたことは何度でも蒸し返しておきたい。

そして折に触れて訴えてきたが、日本は安倍政権を筆頭にボルソナロのアマゾン「開発」に協力し、日本の大手テレビメディアは猟奇的・日本人ウケねらいの視点から事実を歪曲した情報とともにこの少数民族を、そして金採掘者の問題を国内「消費」してきている。

視力の静養の要から、先週以来のポルトガル語の紙面をきちんと読めていないが、自分への覚書も兼ねて記しておく。

想えば29日の報道のちょうど一週間前にサンパウロ市内でヤノマモ産のキノコを売る店を訪ねたところ、半年近く入荷がないとのことだった。

ヤノマモのアミーゴアミーガたちをこころにとめて、今日より少しずつパソコン作業を再開。


1月31日(火)の記 マキコさんも巻き込んで
ブラジルにて


昨日から再開した、とりあえずYouTubeに上げるつもりの動画編集。
もとの素材は、311の年の日本訪問時に撮影して関係者向けにまとめた10分程度の掌編。

僕にとって典型的な、しなければしないでいいだろう仕事。
例によって出銭はあっても経済的な見返りは望むべくもない作業。

それでもやる。
ドキュメンタリー屋のカンみたいなものだろうか。

さてこれも公開となると、関連各位への連絡・了解がいる。
そして部外者にもご覧いただくとなると、いったい何を見せられようとしているのかの解説をほどこす要があろう。

字幕にするか、ナレーションにするか。
・・・YouTube視聴を前提とすると、めんどくさい字幕は読まれないだろうし。
耳で聞いてわかるナレーション、そして目をつなぐ背景画とムード作りの音楽があらまほし。

ナレーション背景の画像はアリモノからなんとか組み立ててみよう。
して、音楽…
ふと妙案が思い浮かんだ。
在サンパウロの、この作品と間接的なつながりを持つマキコさんに頼んでみよう。

先週、お会いしてこれは想定外のよき展開となった。
と、こんな調子で、この短編作成のために少なからぬ人々の協力を仰ぐこととなっている。
「で、いくらくれるの?」「お返しに何をしてくれるの?」といったニッケイ社会の実業家諸氏のような方々は巻き込んでいないのがありがたい。

「見返りは、その行為自体にある」というのはスピリティズムの言葉だっけか。

そもそも数万年におよぶヒトの表現とアートの歴史のスパンのなかで、見返りの要求、金銭の支払い、などと言うようになったのはほんの最近のことではないか。

その本質に近づけているような気もしないではない。

おかげさまで提供していただいた音源は、まるでその長さに合わせているかのようにナレーションにぴったりきそうだ。


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岡村淳 :  
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