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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2023年の日記  (最終更新日 : 2024/01/02)
2月の日記 総集編 「ありがとう」の反対

2月の日記 総集編 「ありがとう」の反対 (2023/02/02) 2月1日(水)の記 どうして僕はこんなところで・横浜編
ブラジルにて


昨晩、というか今日未明にナレーション自録(じど)りをしようと思ったが、一日延ばしにした。
まだ練って、ナレーションの文が増えそうな気配があったので。

さて関係者向けにいったんまとめた際のタイトルが「まんま」で地味である。
なにかブンガクテキなのをでっちあげられないか…
昔取ったキネヅカで、日本のテレビ番組っぽいエグいのとか…

妙案なし。
ところで『どうして僕はこんなところで』とB.チャトウインへの想いも込めて題した沖縄の平安名島で撮影した拙作。
これのYouTubeでのアクセスがなぜかコンスタントに他の作品よりも続いている。
まことに地味な作品で、不思議である。

いままとめている作品は『どうして僕はこんなところで・横浜編』といったところか。
なぜ在ブラジルの岡村がこれを撮影するのか、という解説をYouTube版のためにつくり足している次第。

かつて『すばらしい世界旅行』時代に地球のあちこちでカメラを回してもらったカメラマンの言葉を想い出す。
日本の機器の名称は戦闘機の「零戦」とかビデオカメラの「イケガミ79」とか、よけいな装飾を避けて型番にとどめているところに製作者の矜持を感じる、とのこと。
それにあやかるかな。


2月2日(木)の記 末吉町教会旧聖堂訪問記ゼロ号
ブラジルにて


この未明に「家内制手工業」で自録りしたナレーションの切り貼り。
懸念していた雑音は、聴き取れないぐらいのレベルだったようだ。

西暦2011年に撮影した「カトリック末吉町教会旧聖堂訪問記」YouTube版。
まずは限定公開版でアップロードしてみて、各方面におうかがい。

おう、さっそく「ものいい」が。
なんのリアクションがないのも張合いがないけれども。


2月3日(金)の記 キャンドルナイトの聖市
ブラジルにて


今日は午前中に病院で医師の定期診療。
受付には30分前に来いと言われて、先回はさらに1時間以上待たされた。
なんだか落ち着かない。

して、出がけに停電。
さて今日は予約時間前に医師に呼ばれて拍子抜け。

わが団地のSNS情報によると、停電は倒木が道路の電線を切断したための由。
外で金曜の魚定食をいただいて、まったりと帰宅すると…

電気復旧は18時過ぎの見込みの由。
ヒーコラと10数階の階段を昇降。

いやはや電気がないとパソコン作業はお手上げ、夏の陽気で扇風機も回せない。
18時過ぎにいったん復旧するが、まもなく再停電。
キャンドルナイトの夕餉となった。
スマホは携帯バッテリーののこりでかつかつつなぐ。

わが家はいろいろあってロウソクの在庫が各種ある。
団地内をみやると、どうやらこうした備えをしているお宅はわずかな模様。

そうなると、フテ寝か、ひかりを求めての外出しかないかな。


2月4日(土)の記 東洋人街陥没
ブラジルにて


限定公開中の動画『カトリック末吉町教会旧聖堂訪問記』を関係各位と連絡を取りながら、細かく手直し。
・・・これに昼過ぎまでかかってしまった。

今日は東洋人街のさる県人会で開催される月に2度の市に行って知人に発注をするつもりだった。
年末の邦字紙によると、14時ぐらいまでの開催の由。
現地に13時半に着くと、もはやもぬけの殻だった。

いやはや、所用は次回に持ち越しか。

ただでさえ週末の東洋人街は人出が多い。
今日はそれに輪がかかっているようだ。
旧正月での中国系の賑わいだ。

大阪橋では橋の両側に食べ物を中心に出店が並び、強烈な人出で身動きが取れない状態。
そもそも僕はパンデミック以降、人混みに出ることもまれだったので、まさしく息を呑んだ。
メトロを降りてからマスクを外してしまったので、息を呑むに越したことはない。

こんなところでよくモノを食う気がするな。
大阪橋が人出の重量に耐えかねて陥没崩壊するのではないか。

リベルダージ駅前広場にはステージが設けられてチャイニーズ系の演芸が続いている。
人々が密集。
これではお目当ての店にもたどり着けず、大迂回。


2月5日(日)の記 日カツ「あげてよかった」
ブラジルにて


今日は夕食をしていく訪問者あり。

トンカツをつくることにする。
わが家ではごちそうである。
日曜のカツだから「日カツ」
日活といえば、映画。
「ロマン」と「あげもの」にかけてみた。

昨日のうちに冷凍の豚フィレのかたまりを買ってきた。

冷凍庫にあった牛サーロインののこりも揚げてみよう。

日本の地方文化の啓発も兼ねて、味噌カツのソース、という言葉も妙だが、味噌カツのタレも自作してみる。
ちょうどブラジル製の黒味噌と呼びたい色味の赤味噌があったので。

ヴィジターには日本食ごのみの非日系人も。
僕の講釈の後、彼はまず牛カツに箸をつけた。

いわく「オイシイデス」。

われわれトンのカツに慣れ切った文化圏に属さない人に豚カツと牛カツを食べ比べてもらったら、牛に軍配が上がるかもしれない。
もちろん牛肉のクオリティによるだろうけど。

わが日本での牛カツ体験を回想すると、学校給食の鯨カツと混同してしまう。
給食の鯨カツは咀嚼がむずかしいほど硬かった覚えがある。
日本でカツにされるような牛肉の質も推して知るべし。

味噌カツのタレも意外に好評。
これもミソと言われなければそうとうわからない色と味になったけれども。


2月6日(月)の記 大学の呪術
ブラジルにて


こちらの親類のお年寄りの付き添い当番、今日から一泊の部を代打で引き受けることになった。
さて日毎のグラフィティ採集をどうするか。

道中にあるサンパウロ大学構内でクルマをとめて探してみることにした。
ウオーキングも兼ねて。

グラフィティ系はいくつか収穫があったが、文字づくし系をインスタに上げるか。
建物スペースを離れて広大なオープンスペースのヘリの歩道をあるく。
ありゃ。
林のなかに人工物らしきものが。
遠目に見ると、消火栓のような。
近寄ってみると…
さらにその近くに木偶(でく)状のものが。
https://www.facebook.com/photo?fbid=10227498691027913&set=pcb.10227498703028213

写真は明るめに撮ったが、現場は夕方の林のなかでだいぶ暗く、付近に人影もない。
付近に人影があったら、もっとコワい。

いったいこれは何で、なにゆえにここに設置されているのか?
かつて僕が慣れ親しんだ考古学の研究者なら、これらの用途は「呪術的な」と規定して思考停止、オシマイ、といったところ。
わが専門の縄文文化は、こればっかしだった。

さてわれらがサンパウロ大学のこれらはアート系のインスタレーションかなと思うが、キャプションの類も見当たらない。

町なかにこれがあったらマクンバなどの黒魔術系のものとして、近寄るのもはばかったことだろう。
ブラジルで最高峰の大学の市民に開放されたキャンパスだから、近寄って写真も撮ってみた。

最近、似た体験があった。
サンパウロ市のトミエオオタケ文化センターでの第8回トミエオオタケアート賞の入選作品の展示。
https://www.facebook.com/photo?fbid=10227507275442518&set=pcb.10227507276002532

これらは美術展のなかでの展示だから近寄って足をとめて、写真も撮れる。
これらも人けのない知らないところで出会ったら、凝視できる根性が僕にはなさそうだ。

アートってなんなのさ、と自分なりに改めて考える次第。


2月7日(火)の記 バジル大作戦
ブラジルにて


今日は夕方までこちらの身内の高齢者に付き添い。

朝食は恒例のもので。
高齢者に恒例の、なんちゃって。

さて昼食。
フリーザーに高級銘柄のハンバーガーのパティがある。
これを使っておろしハンバーグとするのはどうか。

食べ手は大根おろしを好むようだ。

このお宅のベランダにバジルが驚くほど繁茂している。
しかし日本人の刀自にはバジルを用いる習慣がない。
洋風のものに添えたのでは、ますますいやがりそうだ。

昨晩と今日の昼食に冷やしトマトのぶつ切りのバジルと醤油がけをこさえてみた。
箸もつけられず。

おろしハンバーグの方は…
近くの日本食材店まで「遠征」して日本製のおろしポン酢も購入。
青森のメーカーのものだった。

して。
「硬いね。年寄りには硬い」。
ハンバーグを硬いと言われても…
たしかに牛肉100パーセント・混ぜ物なしのようで、パンに牛乳タマゴ等々の混ぜ物でふにゃふにゃになったハンバーグからすると、硬いかも。

そのほか、物忘れによいというココナッツオイルを用いてつくったスクランブルドエッグにも箸をつけず。
当人は物忘れを気にしているので、「薬だと思って」とすすめたのだが。

まー年寄りのむずかしさには日本でもブラジルでもだいぶ親しんできているけれども。

食べぬなら、食べさせてみしょうバジルの葉。
まずはバジルの和風活用を研究しよう。


2月8日(水)の記 シスターののこりをあげる
ブラジルにて


「カトリック末吉町教会旧聖堂」動画アップの残務をたしなむ。
まことに地味な掌編だが、さっそく少なからぬ方々からのアクセスをいただいた。

さて、次のミッション。
昨年11月に一周忌を迎えた故シスター堂園のインタビュー記事後編のアップ作業。
シスター堂園はわが代表作『あもーる あもれいら』三部作の主人公。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000258/20230208017136.cfm?j=1

こうした記事のアップには画像を添えている。
この本文には…
綱本武雄さんにしたためていただいた作品を使わせていただきましょうか。

ちょうど2月7日から綱本さんの「絵本朝鮮通信使」原画展が兵庫県尼崎市で開催されたところ(2月26日まで)。
場所は、尼崎城とな。
恥ずかしながら尼崎には何度かお邪魔しているが、城があったとは知らなかった。
まさかパンデミック以降の築城でもあるまい。
ウイルス防御には築城しかないという、お上の判断か。

・・・おや、城のウエブサイトにはいつ再建されたかが見当たらない。
むむ、そんなものだろうか。
尼崎市のウエブサイトによると2018年11月竣工、2019年3月一般公開。
こんなに早くできるのか。
まあこんなに最近ならブラジル移民のワタクチが知らなくても許容範囲かも。

以下、その展示の告知のコピペです。

【尼崎展がはじまりました】
尼崎城四階展示室にて、「絵本朝鮮通信使」原画展がはじまりました。
かつて通信使の水先案内や兵庫津での饗応を務めた尼崎藩。まもなく「開宴」4周年となる尼崎城で、約3週間の会期で展示します。
初日となった本日は、近隣のホテルに宿泊されたと思しき韓国からの旅行者や、歴史小説好きの方々からたまたま来られたご家族連れに至るまで、ほぼ途切れることなくご来城をいただきました。2/23に予定しているトークイベントも、順調に席が埋まっていっているようです。
尼崎展の特徴は、何といっても本展オリジナルの展示設備の数々。瀬戸内海を航行する朝鮮通信使の船と海をイメージした迫力ある空間になっていますので、ぜひご来場ください。
展示概要(再掲)
【会期】2023年2月7日(火)~2月26日(日)
【会場】尼崎城4階展示室(尼崎市北城内27)
【開館時間】9時~17時(月曜休館)
【入城料】一般・学生:500円 小・中・高校生:250円
【主催】尼崎市、尼崎市教育委員会、一般社団法人あまがさき観光局
【協力】「嶋屋」友の会、尼崎信用金庫
●イベント
著者と歴史博物館職員によるトークショー
「朝鮮通信使と尼崎藩」
【日時】2023年2月23日(木祝)14:00~16:00
【会場】尼崎城1階展示室
【定員】先着50名(申し込み優先)
【参加費】無料(ただし、別途入城料が必要です)
【内容】
1.解説「朝鮮通信使と尼崎藩」
 河野 未央(尼崎市立歴史博物館/あまがさきアーカイブス)
2.座談会「地域の歴史の伝えかた」
 柏山 泰訓(「嶋屋」友の会)
 綱本 武雄(イラストレーター)
 河野 未央(尼崎市立歴史博物館/あまがさきアーカイブス)
●申し込み(受付期間は2/6~2/20)
あまがさき観光局
TEL : 06-6417-4946
FAX : 06-6417-5146
① 氏名 ②住所 ③電話番号 ④Eメールアドレス
をお知らせください。


2月9日(木)の記 自家製麦茶
ブラジルにて


こちらは夏場である。
そうでなくても、アルコール以外の水分の補給は体のためにも望まれるところ。

わが日本の少年時代の夏の飲み物といえば、ヤカンで煮出した麦茶。

ブラジルでも日本食材店で輸入物の紙パック入りの麦茶が買える。
が、決して安くはない。
これも水出しOKとあるが、飲み比べてみると水出しより煮出したものの方が手間はかかるが圧倒的においしい。

自分で麦茶もどきでも作れないかな。
何度かトライしてきた。
こちらでセヴァジンニャと呼ばれる麦の一種を使う。
こちらの麦類の日本語同定がむずかしいのだが、どうやらこれは大麦のようだ。

雑穀入り米用に買っておいたものを、まずは炒る。
そして煮出す。

悪くない。
こっちの記憶する麦茶よりもマイルドで、穀物風味もある。
二度出しぐらいまではイケる。

そして出し殻がまた貴重。
オカユに混ぜてよし、ハンバーグ類に混ぜてよし。

昨日、好評につき今晩も煮出す。
さあ出し殻を何に使おうか。


2月10日(金)の記 「暴虐の植物学」
ブラジルにて


午前中、ダウンタウンでミッション。
帰りは東洋人街で買いものかな、と思っていたが。
ここからユダヤミュージアムまで徒歩6分の至近と知る。

シナゴーグを改装したミュージアム。
昨年、訪問した時にたまげた「暴虐の植物展」のカタログがその後に発行された。
それを買いに行く機会を狙っていた。

展示の導入部にあるモニターの静止画情報はいったん切り替わるといつ一巡するのかわからない長さ。
目についたものの再確認できなかったデータによると、今日のブラジルのユダヤ人の数は10万人台。
ブラジルの人口の0.05パーセントにすぎない。
それでいて、この濃さはどうだ。

かたやわれらが日系人はおよそ200万人、人口の1パーセント弱。
ユダヤ系は日系の約20分の一の存在で、ブラジルにこれだけの影響と貢献がある。

さてお目当ての目録の値段は120レアイス、邦貨にして約3000yen。
入館料も払ったし…
思い切ってフンパツ。

ミュージアムショップと並んでいるここのカフェはガラス張りで景観も抜群。
して、ユダヤ文化を伝える絵本類も閲覧用に置かれている。
ユダヤ人が土曜:サバトをどのように過ごしているか、もうひとつイスラエルでのオリーブ採集の絵本をピックアップ。
いずれも面白い。

サンパウロにある日本政府肝いりのジャパンハウスでは…
庶民には手の届かない価格の業者が展示以上の存在感を誇示。
日猶の文化伝道のこころざしの落差にため息。


2月11日(土)の記 邦人援護
ブラジルにて


「1959年1月28日に創立された日本移民援護協会(現サンパウロ日伯援護協会)は戦後移住者たちの上陸後の苦難を改善したいとういう目的で創立されました。」
サンパウロ日伯援護協会のウエブサイトより。

さて今朝は、ないに等しい気合いを振り絞って入れて…、
ワケありにより、過去の拙稿のチェックにあたるつもりだった。
すると上記の略称:援協の東洋人街にある診療所から電話が入った。

緊急入院を必要とする人があるが、まずは付き添いが必要な状態で、その人が僕の名前をあげたという。
僕より若い日本からの移住者だった。

今日は午後イチから身内の高齢者に僕が泊りがけで付き添うことになっている。
援協の病人は「脳梗塞」とのことで、そちらで僕がどれぐらいコウソクされることになりそうかと尋ねてしまった。
長引きそうなら、僕の午後からのミッションの代理を誰かにお願いしなければならない。

まずは東洋人街に急行。
・・・それから、いろろいろいろあり。
「孤独死」「無縁さん」になりかねない朦朧状態の彼の了解を得て、彼のスマホから日本とブラジルで彼に縁のありそうな人を探して…
いろいろあった。

数時間遅れで本来のミッションにかけつける。
夕食の支度には間に合った。
おう、きれていたかと思っていたアルコールがあった。
まずは飲ませていただきましょう。


2月12日(日)の記 教会の学び
ブラジルにて


今朝は出先の近くにあるカトリック教会のミサにあずかる。

日本でもブラジルでも、日本では「典礼のしおり」と呼ばれるその日曜のミサ次第を記した紙が配られるのが常。

ブラジルでは日曜に何度もミサがあるせいか、ミサ後にそれを返してしまう人が多い。
ところがこの「しおり」の最後には新聞の社説のような解説記事がある。
すぐに読める質量ではないので、返してしまう人はエコロジーを気取れても、これを吟味するのを放棄することになる。

ちょっと前のこの欄にナルホドと思う記載が。
「カトリック信者にはミサにあずかるというお恵みがあります。週に一度はイエスの福音(おしえ)に接して、それを黙想する機会があるのです。」
これはまさしくお恵みだと思う。

今日のミサでは、神父がこの教会で行なっている高齢者への識字教育の話をした。
その生徒のひとり、60歳の女性はまったく字が読めなかったので病院などに行くにも子や孫の付き添いが必要だったという。
そもそもバスに乗るにもバスの行き先が読めないので、バスの色で覚えていたもののバス会社が色を変えてしまって往生したことも。

僕もメトロを利用する折など、どれに乗ったらいいか等を尋ねられることがしばしばある。
相手が文字が読めないで聞いていることも想定して答えなければいけないなと反省。

神父がミサにその教室の先生は来ていますかと尋ねる。
マイクを向けられた年配の女性は「私が教えるのではなく、こちらが生徒さんたちから教わることばかりなのです」と語る。

真摯に生きる人たちの姿と言葉に、涙腺が緩む。


2月13日(月)の記 達磨はなぜ南へ行ったのか
ブラジルにて


午後のウオーキング+買い物+グラフィティ探し。

ブラジリアン「すき家」の前を通る。
ラーメン…シンプルなやつで邦貨にして約700円か。

どの程度のものか、ちょっとそそる。
しかしこちらではタダの水やお茶があるわけでもない。
やはり別に液体も欲しいし、すると1000円近くの出費となってしまう。

逡巡のうえ、今日はパス。
が、小腹もすいたし、どこかでカフェでも…

おなじ大通り沿いに、年季が入った小さく暗いバール(大衆軽飲食店)がある。
以前、思い切って入って、おばさんにカフェを頼むと…
こっちがなにを言っているのか聴き取れない、と不快な表情をされて、挙句の果て「ないよ」と言われてしまった。

こういう店で「カフェ」と言って聴き取れないというのも…
ない、という事態はありえるかもしれないが。

拒まれたが、ますます気になる店である。
客を拒むようなつくりでもあるので、違法くじでも扱っているのか。
そこそこにブルーカラー系の人たちが入っている。

店の前を何度か行き来してから、思い切る。

先回は一見さんでカフェだけ頼んだからウザがられたのかもしれない。
今日はまず目についたスナックの揚げ物を頼む。

おばちゃんはハヤクチでなにかまくしたてるが、僕のヒアリングがおよばない。
それでもスナック:コシーニャとカフェコンレイチ(ミルクコーヒー)を頼んで、着席の許可を得る。

通常ならこれも許可をもらってスマホ撮りをするところだが、それもはばかられる雰囲気。

まだ午後5時前だが、常連さんらしきセニョールがカシャッサ(サトウキビの蒸留酒)をコップできゅっとあおっていったり、なかなかよろしい。

店内のメニューの看板を見ていて、驚く。
店の名は「NEW DARUMA」。
あまりに意外な店名だった。
カウンターのなかにすすけたオリエンタルな絵もかけてある。

おそらく初代の経営者が日系人だったのだろう。
この地域に住んで約35年になるが…
この店は近年まであまり視界にも入っていなかったが、日系人の経営者を見た覚えはない。

今日は他に客もいて、そのムードではないが、いずれニューダルマの由来を聞いてみよう。


2月14日(火)の記 危険情報
ブラジルにて


思わぬ危険人物のニュースに接する。
仲間たちと共有しないと。

あとで、オカムラサン、知っててどうして教えてくれなかったの?と責められるのの免責として。
(註:「免責」とは、義務や責任を問われないこと。)

別件での「免責」の根回しも開始。

さてこの危険人物情報、送り先をまちがえてしまった。
そのおかげで、先方よりその人物に関するその後の奇想天外な話を教えてもらった。

これも奇遇なことに…
今日は10数年前に撮影した素材のデータ化の作業をしている。
その舞台の場所が、この危険人物ゆかりであり、事故現場でもあるのだ。

尋常ではない偶然がいくつも重なる。


2月15日(水)の記
こぼさないが ささやく

ブラジルにて


ドキュメンタリー映画監督として脚光を浴びるヤン ヨンヒさんとはどこかで接点があったように記憶している。
彼女のことをいくつか検索してみると。
西暦1995年にCS放送「朝日ニュースター」の『フリーゾーン2000』を2本、手掛けられている。
僕がこの番組でブラジルの被爆者、アルゼンチンの被爆者などをテーマに放送した年だ。

SNSで、彼女の作品のデジタルリマスター化のためのクラウドファウンディングへの協力を求めるというのが流れてきた。
目標額3000万円。
韓国の業者が作業を手掛けているという。

彼我の相違にため息が出る。
僕の方は韓国の著名な大学に自作を無断上映されて、公式な謝罪もなくごまかされたままである。
そして過去の作品を孤立無援でデジタルリマスター化を図りつつあるが、そろそろ限界かも。

今日は30年以上前に撮影した素材のデータ化と編集作業。
この撮影テープはHi-8だが、特にこれは傷みが激しい。

以下は、ヤンさんのプロジェクトからの引用。

「ディア・ピョンヤン」や「愛しきソナ」はソニーの家庭用Hi8 (ハイエイト)ビデオカメラで撮影した映像も使われており、そもそも映像の状態が良くありません。またマスターテープの保管状態が悪く、経年劣化が進み、映像や音声に多くのノイズが発生しています。

まさしく同様の事態である。
それでも、当時の関係者でこうしたことに取り組んでいる人がどれほどいることか。

まあ僕流にどこまでできるか、もう少しやってみよう。


2月16日(木)の記 住宅街の古書店
ブラジルにて


「学生街の喫茶店」にかけたタイトルだが、まあこれはわかんないかも。

昼どきに買い物兼ウオーキング兼グラフィティ探し。
あまり通らない道を選っていく。

中の上、ぐらいの住宅街をいく。
おや。
角にある家が両側を開け放ち、なかには本棚が並んでいる。
「古本屋さん?」
と聞くと、なかで座っていた男性がうなずく。
外に黒板が出してあり、食事やカフェも提供するようだ。
食事は…僕にとってリーズナブルな額の倍近い。

中央にソファとテーブルがあるのだが、店の知人らしい女性がわがもの顔でずどんと座り込んでひとりしゃべり続けている。

店主らしき男性もこの女性も、こっちにウエルカムな態度ではない。
・・・ざっと見るが、冊数でいくと処分前のこっちの義父の蔵書の方が多いかも。
控えめな量のわが蔵書も勝っているかも。
そもそも、本が見にくい。

この店は週半ばから昼どきのみ開けているようだ。
道楽で、仲間うち向けに開けたというところか。

この雰囲気ではカフェを頼む気も起きず。

想えばパンデミック以降にわが家の近くで絵本の出版社がカフェ兼レストランを開けた。
まさに隠れ家的な場所で、最近ようやく近くに案内板ができたと思ったら閉じてしまった。
お気に入りのスポットをひとつなくす。

今日の店もよほどの資金か回心がなければ続かなそう。


2月17日(金)の記 アタマきりん
ブラジルにて

気候と設備不足から品質は安定せず、現地日本人の間では「東麒麟」ではなく、「アタマきりん」(飲むと頭に痛みが来るという意)と言われていた。
(『ニッケイ新聞』西暦2020年新年号より)


朝、急きょ親類の付き添いの代打要請が入る。
今日の午後から日曜まで。
万端、繰り合わせる。

多様な食材を摂取すると認知症の発症だったか進行だったか、40パーセントは低下というSNS経由の日本語記事に接したばかり。
夕食は、シメジご飯、ベーコンの味噌汁、親子皿(親子丼の具を別にして)等々。

キッチンドリンク用のアルコールがアルかどうかが懸念だった。
日系人創業と見られる国産ウオッカが若干、残っていた。
これが空き…

このあたりは徒歩でキラクにいけるところにスーパー等がない。
クルマは出し入れがややこしいし、昼間でも歩行には注意が必要である。

棚の奥にあるワインはおフランスのもので、関係者より開栓許可が出ない。

冷蔵庫に、ブラジル産の日本酒がある。
冒頭の「アタマきりん」のエピソードはブラジル邦人史に親しむとしばしば出てくる話。
さすがにいまや少しは品質が向上したのではなかろうか。

結果。
さして摂取していないが、悪酔い。
・・・あとは料理用だな。


2月18日(土)の記 洗濯バサミを描く
ブラジルにて


今日も出先で泊りだ。
午前中、グラフィティ採集とウオーキング、買い物を兼ねて外出。

このあたりは歩行にも覚悟がいる。
路上生活者、然るべき規模のスラムがある一方、人けのない一帯・時間帯もある。
昨年は知人のお嬢さんが強盗に襲われて負傷、入院している。

付近の大通りの中央分離帯には樹木が植えられて自転車・ジョギング用のコースも設けられている。
だがこの地下に大雨の洪水を防ぐ貯水プールがあるようで、ところどころスロープ状に地上と結び、開口している。
ここに住んでいる人たちがいるのだ。

地上に現れたこの人たちは、まさしくハンターの眼でこっちを見る。
聴き取れないが、口調からして罵声と見られる言葉を浴びせられることもある。
この人たちの生態も興味津々だが、なかなか。

このあたりは道もややこしいので、今日は事前にグーグルマップで予習をしておいた。
めぼしいグラフィティがあっても、スマホを出し控えるシチュエーションも多い。

いくつか撮ったが、これをインスタグラムにアップ。
https://www.instagram.com/p/Co0PIDzPsOl/
洗濯バサミか。
なにゆえに。

横に「教育のワールドカップを誰もやらない」とある。
なるほど、文意からして洗濯バサミ型の文具クリップだろう。

洗濯バサミについて検索をしてみると、これはこれで面白いではないか。


2月19日(日)の記 冷やし中華の錬金術
ブラジルにて


午前中に出張先を発って帰宅。
一人での昼食はありあわせのいい加減なもので済ます。

夜は身内の訪問あり。
献立のメインは、冷やし中華に決定。

まーこれは材料さえそろえれば簡単でよろしい。
今日はワカメの代わりにキクラゲを使おう。

そもそもタレもラーメンのスープづくりに比べると、けた外れにカンタン。
これに出汁系をいれると、かえってくどくなる。

手間はずっと楽なのに、日本で冷やし中華の方が普通のラーメンより数割は割高なのは何故?
具材のコスト?
卵にキュウリにハム、あとはカニカマや紅しょうが、ワカメ程度でそうはかからないだろう。

夏季限定にモッタイをつけて、吹っ掛けたとしか思えない感じ。
冷やし中華はラーメンより色映えもいいし。

手間はかからず、コストもさしてかからず、見栄えはよくてたいてい喜ばれる。

ラーメン型の人生をいくか、冷やし中華型の人生をいくか。


2月20日(月)の記 南京 サンパウロ
ブラジルにて


カルナヴァル時期で町なかも特別モード。
この時期を連休として、市内を離れる人が多い。
およそ700万台のクルマが市外に出るとか。

カルナヴァルそのものの「密」で新たにコロナ感染が広がることを懸念する声もあり。

いっぽう先週、日本からサンパウロに来た知人がSNSで「誰もマスクしてません」と発していたのは驚いた。
現在でもサンパウロ市内のバスやメトロ使用にはマスク着用が義務である。
メトロは監視がゆるくなったが、それでもマスク着用は8割といったところか。
バスでは今日も家人が急いで乗ろうとしてマスク着用を失念、さっそく運転手にたしなめられた由。

中流クラスのわが地域では歩いて概観すると、高齢者を始め、マスク着用は2割程度といったところ。

上述の日本からのパッセンジャーは日本政府公務員や駐在員らの居住地区に逗留して行動しているようだ。
少なくとも上述の市民の足とは無縁とみた。

南京虐殺を巡る解釈を想い出す。
日本軍による南京虐殺の時期に南京に滞在しながらまるで虐殺について見聞のない人がいる、だから虐殺そのものがなかった、といった主張が少なくない。

「誰もマスクしてません」発言の人のアップしている写真にサンパウロの市バスが写っているのも興味深い。

あらためて自分の発言への責任に留意しなければ、と思う。


2月21日(火)の記 謝肉祭日と元旦
ブラジルにて


今日、日本から到着する予定の友人からぶじ宿に入ったとのメッセージ。
先方の入浴・一服時間を考慮して、東洋人街の宿に向かう。

今日のご当地はカルナヴァルの祭日。
日本でいえば元旦のようなもので、一般商店は休業が多く、飲食店も開いているところはまばら。

東洋人街、中心街をざっと歩きでご案内。
話の尽きない友だが、これまたざざっと今後のプランの打ち合わせをして夕方、いったん別れる。

帰路、豪雨に遭い、靴はずっぽり浸水。
横断歩道がくるぶしの上ぐらいまでの水位になっていて、それが引くまでどこかで待機するより、足元を濡らして渡河帰宅することを選んだ。
これぐらいなら、被害軽微である。

ここのところのサンパウロ州の豪雨被害は日本でも報道されているようで、お気遣いのメッセージもいただいている。
ロシアのプーチンがブラジルにお見舞いのメッセージを送ってきたというニュースも目にする。

レインフォレスト地帯の雨季とはいえ。


2月22日(水)の記 磁力本願
ブラジルにて


思いついた今日のタイトル、検索してみるとまるでヒットしないのが意外。

今日も一日、日本からの友とサンパウロ市内をあるく。

彼のホテルに向かう途中、知った顔とばったり。
この人とはブラジルで出会ったのだが、いまは日本住まいで連れと短期でこちらに来ているという。

夕方に僕の友と合流しましょうかということになり。
その連れと僕の友にディープに共通な人たちがいて、なかなかの盛り上がり。

昨日のバッタリといい、尋常ではない。
彼の持つ磁力か。

今日は「灰の水曜日」。
四旬節に突入。
友とともに、カテドラルのミサで額に灰の十字をこすってもらう。

友が街で見かけて「きれいな花ですね」と言った紫色の花はクアレズメイラ。
ずばり「四旬節の花」だった。


2月23日(木)の記 SOUTH AMERICAN GETAWAY
ブラジルにて


「またこのタイトルかよ」とヒンシュクを買いそうで過去の日記などを検索してみる。
おや、ヒットしない。
はて。

奇しくもこの名曲を産んだ音楽家バート・バカラックが今月8日に亡くなった。
ちょうど半月前だ。
ほう、彼は不遇だった時代にマレーネ・ディートリヒに起用されたのか。

日本から来た友は、共通の友である奥田直美さんと奥田順平さんの共著の『さみしさは彼方』(岩波書店)を担いできてくれた。
この本の奥付にある発行日は今年2月16日。
古本屋を営む夫妻の新刊ほやほや本だ。

僕の手もとに届いたのは、ブラジル時間2月21日。
末永く愛されるだろうこの本の現物の南米到着初号は、おそらくこの僕の手にしているこの一冊だろう。

順平さんによる最初の章にたまげた。

嫌に嫌になって水俣から逃げた。また、逃げた。どこに逃げたのかといえば、中南米だ。実際に逃げてはいない。本のなかでだ、心のなかでだ。
(『さみしさは彼方』より。)


僕は、実際に南米に逃げた。
逃げた先のブラジルで、アマゾンの水銀汚染問題を知った。
徒手空拳でこの問題を祖国に訴え続けるなかで、故・原田正純先生をはじめ水俣病問題に献身する人たちと知己を得た。

そして京都のカライモブックスの奥田順平さんからお店でわが『アマゾン水銀汚染』シリーズを上映したいとのプロポーズをいただいたのだ。

この度、奥田さん一家は水俣への移転を決意された。

順平さんが中南米に逃げていたとは、今回この本に接して初めて知った。

さて、僕は…、
それはちょっと置いて、SOUTH AMERICAN GETAWAYのさまざまなヴァージョンを聞いているところだが、いずれもすばらしいではないか。


2月24日(金)の記 週末の縦断に備える
ブラジルにて


明日は北に、明後日は南にクルマを駆ける予定。
それぞれの先方と段取りのやりとり。

土産はどうするか、昼食時間は外すかゴチになるかなど課題は多い。
いずれも電波圏外とみられ、肝心の道順はだいじょうぶか。

して諸々二転三転。

まず明日の件。
先方から、お昼は肉を焼きましょう、とのことだった。
が、本業が立て込んでしまった由。
近くの集落の食堂までくだって、ということでもよろしいかとのメッセージが入る。
少しやり取りをして、僕がつくりましょうかと提案。

先方がこれに乗ってくれる。
さっそく食材の打ち合わせ。
足りないものは僕は明日の早朝、買い出しすることに。

こういうの、キライではない。
目的は自分の取材ではないので気がラク。

自分の取材先では…
料理までしたことは、ちょっと思い出せない。

上映先での料理は何度か行ってきたけれども。

パンデミック前まで密に通った東京世田谷の故・富山妙子さんのお宅では…
富山さんは僕が料理まですることは「申し訳ない」と固く拒み続けた。
お茶いれまでは僕の担当が日常になったが、食事は徒歩圏のスーパーまでお弁当を買い出しに行くことに。

さて明後日の訪問先には、こちらからなにか日本食を持参することになった。
これも日本食材店で出来合いのものを買うことも考えたが…
店で確認すると、開店時にはまだ入荷していなく、日曜は量も少なくすぐに売り切れてしまうという。

・・・家人も巻き込んで、これも自分らでつくって持参するかということに。

さー、諸々とりこんできたぞ。


2月25日(土)の記 圏外運転
ブラジルにて


朝、まずは近所の日系人経営のスタンドで日本語新聞を購入、これは明日のお土産。
日本食材店2軒を回って出先でつくる食材を購入。

友人と合流、クルマでサンパウロ市を北上。

この車に替えてから、携帯電話の圏外へというのは初めてかも。
目的地の農場の手前でナビはアウト。
友人にPDFの地図を見てもらってナビしてもらいながらすすむ。

目的の農場には何度かおじゃましているが、自分の運転ではなかったのできちんと道を覚えていない。
なんとか到着。
山と森の心地よさ、そして運転疲れで放心状態。

途中、僕だけ近くに別のミッションに出る。
ふたたび農場に戻るのに道に迷って難儀する。

僕が昼食に冷やし中華をつくることになっている。
すっかり遅れてしまった。
勝手知らない台所だが、たいした手間はかからない料理。
農場の女将のサポートのもと、ささっとこさえる。

付近の飲酒運転取り締まりが厳しくなっていると聞き、ぐっとこらえる。

今晩はサンパウロ市内で親類の集いもあり、なかなか。
そして明日のミッションがある…


2月26日(日)の記 市内ガス欠
ブラジルにて


ハードな一日だった。
未明から連れ合いと合作で稲荷ずしを作成。

客人と合流して、サンパウロ市をひたすら南へ。

サンパウロ市は都市部の行政区として世界で唯一、先住民保護区をもつところ、という記載に接したことがある。
その近くの極南に移転したという同胞を訪ねて。

今度のクルマの燃料計は残りの燃料での走行可能キロ数がデジタル表示される。
それによると今日の推定往復キロ数をカバーしてあまりある。
だが往路にでも目的地に近づいて気のきいたスタンドを見つけて給油とコーヒーブレイク、と考えていた。

ところが。
サンパウロ市内とはいえ、だいぶ田舎臭くなってきたところで急にイエローランプが点灯。
おかしい。
これでは目的地にたどり着くのがやっとだ。

どこかにスタンドは…と見やりながら先に進むが…
シュッパカブラや宇宙人が出てきてもおかしくなさそうな地帯、民家もまばらになってきた。

ようやくたどり着いた集落で尋ねる。
・・・ガソリンスタンドは10数キロ戻らないとない、という。

家人に訪問先に電話をさせるが、そもそも電波が届かなくなった。

いやはや。
まさしく「SOUTH AMERCAN GETAWAY」の『明日に向って撃て!』の世界になってきた。
奇しくも出会った日系人らしきおじさんに教えてもらった近くの売店でガソリンが買えるかも、という情報をもとに。
「町の」数倍の値段、とのことだが背に腹は代えられない。

帰りは帰りで…、
道に迷う。
それを道と呼ぶならば。
同行三人の携帯のなかでいちばん旧式だが唯一、GPSをつかめたらしい僕の携帯の地図ナビも機能しなくなった。

力を合わせてなんとか「圏内」にたどり着く。
近くに隕石激突によるクレーターがあるというが、もはや日がクレーター、でそれどころではなくなった。

さあ今日のグラフィティ採集をどうするか。


2月27日(月)の記 「ありがとう」の反対
ブラジルにて


さすがにこの土日のミッションで疲れた。
午前中は自宅でだらだら。

午後、ややこしい件での新たな頼みごとのヴォイスメッセージが入った。
さる人の問題で、ブラジルの関係者と日本の親類の間に入ることになってしまっていた。
これが、愉快なことではない。

たとえばいま、日本から来ている友のお手伝いは喜びでもある。
しかしこの件は、あらい言葉で端的に表現すると、ムカツくことばかりなのだ。

そんな自分を見つめ直す。
先日、サンパウロでお会いした日本人のカトリック信者の言葉を反芻。
「ありがとう」の反対のことば。
それは、「あたりまえ」。

この言葉に感じ入ってこれは彼女のオリジナルか、それとも神父かシスターあたりの言葉かと聞いてみた。
すると、日本の仏教の僧侶の講話で聞いた由。

人のふり見てわがふり直せ、である。
ああ、ありがたい。


2月28日(火)の記 センアスーカル
ブラジルにて


片道2000歩ほどの火曜の路上市まで足を延ばす。
葉付きの大根が欲しくなった。

安売りタイムの昼過ぎに…
ありゃー、どこにも大根はない。
とりあえず安売りのバナナを買っておくか。

さて。
火曜にサービス品のある店を想い出した。
そっち方面へ。
その近くに選りすぐりのコーヒーやチーズ類を売る店がある。
ここはコーヒーの「立ち飲み」もさせるようだ。
入ってみる。
エスプレッソとポンデケージョをオーダー。
「砂糖とミルクはありませんよ」と念を押される。

なるほど、入り口のプレートにも「砂糖は置いていません」と書いてある。
店内の写真とともにフェイスブックに投稿。
https://www.facebook.com/jun.okamura.733/posts/pfbid02k4R84uFWjYHzXPWcuvxFYd71So7kmqYY3H1BYaRYGLg73hjVETNxKXSY6hG4RiVtl?comment_id=1433035020851351&reply_comment_id=920596598965601 ¬if_id=1677845926634783¬if_t=comment_mention&ref=notif

まもなく在日本のブラジル通の友人知人たちから、ブラジルで砂糖なしのコーヒーなんて考えられない、という書き込みが続く。

そのことが僕にはフレッシュで驚き。
10年以上、ステレオタイプのブラジル像を更新していない通の方々が少なくないようだ。
こちらも思わぬ気付きをいただく。





 


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岡村淳 :  
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