3月の日記 総集編「地の裏の笑い話」 (2023/03/03)
3月1日(水)の記 「地の裏の笑い話」 ブラジルにて
コトバというものは、生きものである。 その意味するところ、概念、定義がじわじわと、あるいは一気に変容してくる。
昨今では、インターネット関係の用語の例がわかりやすそうだ。 たとえば「ブログ」。 この拙ウエブ日記を読まれた方から「岡村さんのブログを読んで…」といったメッセージをいただくことがある。 その頃に調べたのだが、ブログとはコメントの書き込み機能を有するシステムを言うようで、僕のこのウエブ日記はそれには該当しない。
今日の項では言及すべきことが「チャット」という言葉に該当するか検索してみた。 チャットとはネット上で複数の人が同時に対話式に書き込んでいくもの、というのが本来らしい。 「一対一」の場合も含めたり、「一対一ないし複数の…」としている定義もある。
僕は「一対一」のやり取りについて書こうとしているのだが、半可通からオカムラの移民ボケがいいかげんにインターネット用語を使ってやがらあ、と嘲笑されるのもシャクである。 で、チャットの語は用いないでおこう。
さて。 友人と「メッセンジャー」でメッセージのやり取りをして浮かんだ言葉がある。
「地の裏の笑い話」。 すでに誰かが使っているかと思ってウエブ検索すると、ヒットなし。 というわけで、今後の拙稿拙著のタイトル候補としてまずはこの語をアップしておく次第。
大・上野英信の名著『地の底の笑い話』へのオマージュでもある。
ブラジルの日系社会および日本人移民・日系人をめぐる奇々怪々で腹立たしく、とりあえずは笑うしかないようなことどもについて。
5月が締切りとのことで、まだまだずっと先だなと思っていた頼まれ原稿があった。 それに使えるかどうか。
その準備にもそろそろ着手せねば。
3月2日(木)の記 霧のなかへ ブラジルにて
今日は日本からの友人を、海岸山脈の州立公園に連れていくことになった。
その名も「海の道」。 ブラジルの大西洋岸の港と内陸を結ぶ幹線道路だったところ。 古くは西暦1792年、日本の寛政年間に敷石で舗装されたという。 その後、西暦1947年にアンシェッタ街道が開通して、こちらは旧サントス街道と呼ばれるようになった。 それが21世紀に入って西暦2002年、エコツーリズム活動に活用されることに。
報道には接していたが、僕も訪れるのは初めて。 今日の大幹線道路を経て、じわじわと対向車もまれな路に入っていく。
「森閑」としてあまりのひと気のなさに閉園されているのかと思ったほど。 約4キロのトレッキングコースを降るが、道中であったのは植物の研究者らしい男女二人組だけ。
小径の前半は雨続きのため、ひどくぬかるみ。 再整備されたという石畳の道が現れるが、石面はかえって滑りやすい。
友にわが新熱帯区のツノゼミのヴァリエーションを見せたかったが… 展望スペースの「雑草」で幼生を確認するにとどまる。 おなじ草にヤバい「毛虫」がわんさかとたかっていた。
雨は免れたが、どんどん霧が沸き上がってくる。 アンデス西面の雲霧林もかくや。
ようやく現代の舗装道路・旧サントス街道に出ると、五里霧中状態。 時折りフロッグライトを灯した作業車が現れるので、だらだらとは歩けない。
霧のなかにいきなり水面が現れたのには驚いた。 海岸山脈はタルコフスキーの世界につながっていたか。
3月3日(金)の記 みやげものはなんですか ブラジルにて
日本からの友人がまもなくブラジルを発つ。 いろいろお土産をいただいているので、返礼になにがしかのお土産を。
あまり荷物になってもいけない。 買い物のついでにそこそこの銘柄のチョコレート店をハシゴ。
二軒目では女性の店員がひとりがっちり僕をカバーした。 先方の家族構成も伝えて。 この高温でもだいじょうぶかと聞くとだいじょうぶ、とは言うが。
覚悟を決めて購入体制に。 僕の代わりに自らレジの列についたこの店員、レジがダラダラしているのを見かねて僕に自分で並んでください、と品物を渡してきた。 中途半端なサービスははじめからしないで欲しい。
レジでは高齢男性が電子決済をよくわからずに試みているようで、これはまだまだ時間がかかりそうだ。 その後ろにうんざりして並ぶ客が数名。
すでにこちらは軽くはない買い物袋を抱えている。 「後で来るから、お店は何時まで?」 と先ほどの店員に聞くがそれに答えず、「待ってられないの?」と返してくる。 さようなら。
帰宅後、最寄りのショッピングモールの他の銘柄などを調べる。 ふと思い立つ。 近くのスーパー等で、より庶民的なお菓子類を買うのはどうか。 チョコレートは包装はともかく、日本円換算して購入価格ほどに見られないほど実質の量は控えめだ。
ショッピングモールはメトロで二駅の距離。 また夕立が来そうだし、夕食の支度もある。
庶民派案に切り替えて品ぞろえにかかる。
3月4日(土)の記 勝ち組とファヴェーラ ブラジルにて
我々の数は1700万人以上です。 ブラジルには13000以上のファヴェーラ(スラム街)があります。 (ファヴェーラミュージアムの手引きより、オカムラ訳)
今日も朝から日本の友人の案内。 まずは東洋人街の「青葉祭り」と呼ばれる市に。
次いで、本日のメインのファヴェーラミュージアムに。 サンパウロの中心部に昨年11月にオープン。 こっちもいつ行こうかと機会をうかがっていた。
これはよかった。 場所は歴史建造物であるサンパウロ州旧政庁! 東京で例えれば、小池知事の名のもとに旧都庁の建物を同和問題ミュージアム、あるいは在日外国人ミュージアムとして活用するようなもの。
「宮殿」と呼ばれるこの建物は19世紀後半に時のコーヒー男爵の邸宅として建てられた。 その後、サンパウロ州の政庁として用いられた。
その建築に携わった人たちはマージナルなところに追いやられ続けてきたが、いまこうしてここを占拠して発信を開始することになったわけだ。
理念も展示そのものもダイナミックですばらしい。
この宮殿の名前を記憶している。 確認。 やはり、ここだった。 ここはブラジル日系社会の勝ち組事件でも大きな意味を持つところだった。
西暦1946年7月。 日本の戦勝を信じて殺人テロ事件を繰り返していた「日本人狂信分子」(『臣道聯盟』宮尾進著より)の説得をサンパウロ州当局が行なうため、ここに5-600人の勝ち組代表が集まった。
その時の勝ち組たちの「狼藉」ぶりは故・高木俊郎さんの『狂信』に詳しい。 勝ち組たちはブラジルのマスコミにまで日本敗戦の報道をしないよう検閲を要求するという傍若無人ぶりで、各紙は一斉に怒りの声をあげた(『臣道聯盟』より)。
故・宮尾先生が翻訳して引用する7月20日付け「ア・ガゼッタ」紙の記事から以下、孫引きする。
「アメリカ兵たちの勇敢な行為によって打ちくだかれた、日の御子という滑稽な天皇ヒロヒトの誇大妄想狂を植え付けられた帝国主義にこりかたまった、道義の念、礼節のまったくないこの連中」 「(ブラジル)国内の静寂をかきみだしたこの連中はトウキョウの恥ずべき軍事力の崩壊を甘んじて受けることを欲せず、しかも一九四五年敗北した「枢軸」の悪魔の契約であるギャング的行為を維持することを固執している」 「一体我々はどこにいるのか。凶々しい外国人の挑発的暴力が侮べつにまで達しているその中にあれというのか。」
いまだに日本の「皇族にお見せする」姿勢のブラジル日本移民史料館と、かつて勝ち組たちの狼藉にさらされた宮殿の錬金術・ファヴェーラミュージアムの落差、方向の違いに目がくらむ。
3月5日(日)の記 Enchenopa ブラジルにて
今晩、ブラジルを発つ友人を朝からご案内。 まずはわが家の近くの路上市へ。
ついでサンパウロ植物園。 何年ぶりの訪問だろう。
彼の専門は人文系なのだが、しきりに虫系のスマホ撮りをしている。 せっかくの新熱帯区に足を踏み入れてもらって、まだツノゼミらしいツノゼミをお見せしていない。
園内の脇道小径踏み分け道と入っていき、園内案内図の通路からだいぶ離れてしまっていることに気づく。 さておかげさまでようやく、同種とみてよさそうな色違いの2頭に遭遇。 僕が見てきたなかでも、かなり地味。
わが家にある森島啓司さんの『ものまね名人 ツノゼミ』と丸山宗利さんの『ツノゼミ ありえない虫』を参照。 どうやら、エボシツノゼミという和名で呼ばれる属のようだ。 「ありえない虫」のなかではかなり地味なので、これらの本でもほとんど言及されていない。
・・・学名はEnchenopaか。 英語版のウイキによると世界で50種以上が知られているそうだ。
このラテン語名は何に由来しているのだろうか? ううむ、これは少しく検索してみるが、よくわからない。 まさか烏帽子のラテン語か。
3月6日(月)の記 空港のへり ブラジルにて
ヘリではない、へりである。 縁。
熱くそこそこにハードだった日本の友との日々も昨日でおしまい。 今日はさっそく午後から料理人としてのお泊りミッション再開。 ロスのいとまもなくてよろしい。 月末には、また…
その前に給水に行くことに。 源泉はサンパウロのコンゴニャス空港の西側にある。
わが家からだと西ルートと南ルートがある。 西ルートの方を知悉しているのだが… グラフィティ求道の都合がある。
いま、パソコン上の地図でこの空港の範囲を確認。 東西の拡がりかと思っていたが…
滑走路は北西から南東へと延びていた。 この北東側のへりは、何度かグラフィティ踏査をしている。 意外と乏しい。
今日は給水に行く途上で南東側にクルマをとめて、少し歩いてみるか。 むむ、こっち側も乏しい。 こちら側の縁には路上生活者が居住しているようだ。 人影は見えない。 この人たちにとっては、こっちが不審者だ。 用心しないと。
肝心のグラフィティ。 アヴェニーダの反対側には少しはありそうだが、信号がなく、交通量は多い。 時間も押してきた。 とりあえずのおさえを撮る…
お。 アヴェニーダをわが家の方に戻った方の壁に、ひょっとして。 なかなかのがあった。 https://www.instagram.com/p/Cpd5ZT7NhI3/
顔、眼、歯。 眼が強烈だが、顔面の各パートが散りばめられているようだ。 なつかしい言葉で、祖国の「福笑い」を想い出す。
例によって時間的、場所的に現場でゆっくりじっくり鑑賞しづらいのが残念。
3月7日(火)の記 火炎か鳳凰か ブラジルにて
出先で、午前中に外歩き。 買い物兼ウオーキング兼グラフィティ採録。
以前からマークしてあったこれにするか。 キャプションも考える。 ・・・イチゴいち絵、かな。 https://www.instagram.com/p/CpflztFO6ib/
背後に赤い花の咲いた樹木を配したのを採用。 この木がなにか、帰宅後に『ÁRVORES BRASILEIRAS:ブラジルの樹木』という図鑑をあたってみる。
当地原産のアメリカデイゴとは花のつき方も色も違いそうだ。 この図鑑ではそれらしいのが見当たらない。
すると、西アフリカ原産の火焔木か、マダカスカル原産の鳳凰木か。 ホウオウボクっぽいかな。
カエンボクとホウオウボクの違いは… 検索してみると、葉の形が異なるとある。 この写真では葉っぱの形まではよくわからない。
さすがに手前に描かれたものはイチゴだろうね。
3月8日(水)の記 レント ブラジルにて
英単語だが、Rent ではなく Lent である。 ゲルマン語の「春」からきたらしい。
ポルトガル語の Quaresma の方がこの語の日本語訳「四旬節」にずばり重なる。 カトリック暦のちゃっかり転用はクリスマスとせいぜいバレンタインデーぐらい、という多くの日本人にはカンケーなさそうだ。
ざっくりいうと、カーニヴァルの後、イースターまでの40日間のこと。 カトリック信者はこの間、特に水曜金曜は肉食を控える。
今日の僕は週初めの一日断食がずれ込んで、断食。 しかれども他人の食事はつくる。
肉類を控えるのと、まずいものを食うというのは決して重ならないと思う。 食材の制限によって工夫や発明発見が生まれるというもの。 相手にはおいしく食べてもらいたい。
さて今日の昼食は… 自分が味見できないのが残念。 相手に尋ねるのもどうも気が引けて。
3月9日(木)の記 外典発掘 ブラジルにて
思わぬ展開から… 10年以上前に書いたものの、事情により未発表となっていた原稿のデータを発掘。 今朝、フォントサイズを詰めてみてプリントアウト、再読。 読めないことはない。
午後、その件で打ち合わせ。 さて、どうなるか。 そのためにまずなにをするべきか。
まあ、退屈しなくてよろしい。
3月10日(金)の記 シャガールの旧約 ブラジルにて
ブラジル銀行文化センターのシャガール展を見に行く。 昨日のうちに予約をこころみるが、提示されるQRコードを読むには新たに別のQRコードリーダーの購入が求められて往生した。 スマホではわからなかった予約確認メールをノートPCで発見、ことなきをえた。 ちなみに、入場無料の太っ腹!! 日本だったら、1000円で済むだろうか…?
午前11時入場を選択したが、列もない。 人の入りも混雑というほどではなく、やれやれ。 いやはや、生シャガール、いい。
しばらくシャガールをきちんと見ていなかった。 10年以上前にシャガールのヴィジュアル本を日本で求めて親しんだ。 そのきっかけがよく想い出せないのだが。
今回の新たな気づきは、シャガールがモーセの物語など『旧約聖書』の世界をヴィジュアル化していることだ。 僕には『旧約』の世界は『新約』ほどなじみがなかったので、よき道しるべになりそうだ。
シャガールを通して『新約』が『旧約』の世界に対応していることがヴィジュアルに体感できる思い。
今日はナマのシャガールを間近に見れているというだけで感激。 5月までか。 また来よう、と思うが実際に来るかな。
こっちの展示は目録やら関連グッズが販売されることはあまりない。 ちとものたりないが、散財しなくて助かる。
3月11日(土)の記 ピザの限界 ブラジルにて
夜はわが子とピザ食べ放題のレストランに行ってみることにした。 わが家の周辺には、すでに開発済みのピザ食べ放題の店が2軒ある。
今日、行ってみようという店は10年以上前に行ったことがあるが、その時にピザを食べたかどうかは覚えていない。
さて店内はこの半分ぐらいでもいいんじゃないかと思うほどのだだっ広さ。 土曜の19時前、まだ早いのかがらがらである。
店の給仕がピザをそれぞれ持ってくるシステムだが、この入りではきちんと回転するのか心配になる。
ちなみにひとりあたり65レアイス、邦貨にして約1700yen。 決して安くはない、
他の店では食べ放題のピザにビュッフェスタイルの食べ放題も含まれていたり、ピザ以外にフライドチキンやフライドポテトも運ばれてきたりした。 この店はピザオンリー。
・・・ピザもそう食べられるものではない。 小食の人なら2、3切れでも満腹になりそうだ。 途中で数えるのを忘れたが、父の方は全部で10切れも食べていないのではないか。 途中でげんなりして、お気に入りの「バイアーナ」や「カルネセッカ(牛の干し肉)が来た時には降参状態。
団体客が数組あり、20時過ぎにはいくらか活気を帯びてきた。 意外とどちらのグループもおとなしい。
消費量からするとかえって割高感があるが、まあこういうのは試してみないとわからない。 あ、近所にもう一件、未踏破のピザ食べ放題の店があるのを想い出したぞ。
3月12日(日)の記 サンタ・バルバラの誓い ブラジルにて
ポルトガル語の原題は『O Pagador de Promessas』、直訳すると『誓いを果たす男』といったところか。 ブラジル映画で唯一、カンヌ映画祭でグランプリを受賞した作品だ。
西暦1962年製作。 これは1965年に日本でも公開されていた。 邦題は『サンタ・バルバラの誓い』。
恥ずかしながら、そして寡聞にしてこれまでこの映画に言及したものに接した覚えがない。 カトリック、ブラジルの民衆宗教、そして農地改革など身近な問題が凝縮されているのだが。
この映画が午後、サンパウロのシネマテーカで上映される。 なんだかかったるいが、思い切る。
あー、これは見ておいてよかった。
ブラジル北東部バイーア州が舞台。 小農のゼーは、瀕死となった家族同様のロバを救うために近くにあるアフロ系宗教カンドンブレ―の拝所で願をたてる。 ロバは一命をとりとめ、ゼーは返礼に首都サルヴァドールにある聖バルバラをまつる教会まで、木でつくった十字架を担いで奉納しに行くのだが…
シネフィルの多いホールだったが、僕にはセリフが聞き取れず、彼ら彼女らがなぜ笑っているのかがつかめなかったり。 まー、そこそこ日本語ができる外人さんも60年以上前の日本映画を見ればヒアリングが追い付かないところもあるのでは、と自分をとりあえず少し慰める。
終映後に少なからぬ拍手が沸き上がる。 こういうの、いいと思う。 日本のフィルムセンター、拍手あります?
ポ語と日本語でこの映画について検索。 日本語では、この年のカンヌにはもっといい映画がノミネートされていたのに、というようなのがいくつか。
この映画は十字架そのものが主人公だったのだなと思う。 挿入されるカポエイラの達人たちのパフォーマンスにも圧倒される。
カトリック「業界」の人たちがこの映画をどう見ているのかも知りたいところ。 今年、日本で公開された『ベネデッタ』も含めて。
3月13日(月)の記 わたしの変態モード ブラジルにて
ヒトの変態ではない、つもり。 昆虫の変態である。
いくつか動きの気配が出てきて、それらに少しずつ合わせていく。 外見からはこれといった動きもみられなければ、かえって停滞しているようにみえることだろう。
サナギちゃん、である。 ただじっととどまっているようにしか思えないサナギのなかでは、芋虫が蝶に化けるという想像を絶するメタモルフォーゼが行なわれている。
ま、こっちはそれほどでもないか。
今日は一日断食。
やっぱしヒトのヘンタイの方に近いかな。
3月14日(火)の記 テラリウムとマリゲーラ ブラジルにて
今日は思い切ってMASP:サンパウロ近代美術館へ。 火曜は無料なのだが、事前のオンライン予約、そして当日の現場での混沌など、ホイホイとはいかず。
うう、収蔵品展だけでも毎回あらたな発見と感動がある。 今日は地下一階二階の展示スペースが準備中で、かえってホッとした。 アートと向き合うのはそこそこ疲れるもので。
さて館内でカフェなどすすっても、思ったより早い時間に外に出た。 ・・・パウリスタ大通りをひと駅歩くか。 このあたりはいろいろな出店があり、様変わりもしきり。 どれどれ。
ふむ。 テラリウム:陸上の生物(主に植物や小動物)をガラス容器などで飼育・栽培する技術。 このテラリウムのボトル類を売る店が二軒もあり。 ささやかなブームなのだな。 ワタクチも特注済みのがあるのだが、先方から連絡がないまま。
このあたりはバンカと呼ばれる新聞・雑誌などの売店もユニークなものを置いている。 お。 コルデルと呼ばれるブラジルの伝統的な民衆本の体裁で『マリゲーラ』と題したものがある。 マリゲーラは世界的に知られるブラジルの革命家だ。 その著『都市ゲリラ教程』は日本でも翻訳出版している。
この拙ウエブ日記を検索してみると、これまで2回、マリゲーラについて言及していた。 以下のことをもう書いていたか、あたってみる。 あれ、これには書いてなかったか。
マリゲーラは、僕がブラジルと縁ができる前に知っていた数少ないブラジル人である。 他に誰がいたか… ボボ・ブラジルはブラジル人じゃないし… アントニオ猪木もブラジル移住者だったが、ブラジル人ではない。
おや、浮かぶのはプロレス関係者ばかりではないか。
ちなみにこの小冊子、通常の大衆本の2倍以上と「パウリスタ価格」だがフンパツして購入。 中表紙のタイトルは邦訳すると『マリゲーラと軍政時代の他の犠牲者たち』。 さすがに日系の烈士までは取り上げられていないようだ。
3月15日(水)の記 JAVA雑記 ブラジルにて
今日の午後から二晩、料理人として泊りにいくことになった。 こうした時の日毎のグラフィティ採集はその道中か向こうで行なうことにしている。
夕方のラッシュ前に行こうと思っていたが、急きょ昼過ぎに出ることになった。 途中でその余裕がなくなったので、わが家の近くで本日分を探すことにする。
最寄りの交差点にあるこの柱、なんというのだろう… 「道路標識柱」というらしい。 それに貼られたこのステッカーを拙者が接写。
https://www.instagram.com/p/Cp01y3XPJ2v/ ポルトガル語でイノシシのことを javali という。 JAVAはその略称で、「イノ」といったところか。 こういうのはインスタで検索するとたいがい作者がわかるのだが、これは不明。
さて僕の乏しいポルトガル語ヴォキャブラリーでもこちらでイノシシ類に該当する言葉として caititu、queixada などの言葉がある。 ちょっと調べてみよう。 なるほど。
ジャヴァリはヨーロッパからヒトが新大陸に持ち込んだものだった。 イノシシを持ち込むことは考えにくい… そもそもイノシシ、イノブタ、ノブタの相違は? おそらく家畜として豚を持ち込んで、それが野生化したのがジャヴァのもとだろう。
他に僕の知る単語のものは? これらは日本ではペッカリーと呼ばれる種類で、ヒト以前に新大陸に生息していたイノシシの仲間だった。
このステッカーのツラ構えもそうだが、写真で見ても侵入種であるジャヴァリの方が獰猛で体も大きいようだ。
ウエブでざっと見る限りはこのジャヴァリは在来種のイノシシの仲間とは交雑することなく、その生息域を脅かしているようだ。
シュラスコ焼肉店でジャヴァリを出す店もあったが、近年は見かけなくなった。 これとパイナップルは味の相性がよかった。
ああ、今日も学びのグラフィティ。
3月16日(木)の記 四旬節の甘い夢 ブラジルにて
昨日から明日まで、親類のところに料理人として泊まり込んでいる。 午前中に外出。 例によってグラフィティ採集兼買い物兼ウオーキングである。
帰りにファヴェーラ:スラムの入り口にあるベーカリーに立ち寄る。 ポルトガル語で sonho(夢)ないし sonho doce(甘い夢)と呼ばれるパン菓子を買うつもり。 これも調べてみると、プロシア戦争に従軍したパン職人の考案とか。 日本語ではベルリーナー・プファンクーヘンと呼ぶそうだ。
ここのファヴェーラは貨物列車の線路後に築かれ、アーケード状になっている。 そのため通路の部分は日当たりが望めず、天気のいい時にはこの入り口部でひなたぼっこしている住人が少なくない。
今日は車椅子の少年がいて、彼を取り巻く主に女性たちが談笑していた。 少年は一時的な怪我ではなさそうだ。
折しも滞在先で渡辺英俊先生の『私の信仰 Q&A キリスト教って何だ?』(ラキネット出版)を感銘深く読了したところ。
諸々の保証された閉じた空間でこうした本を読む恩恵に浸っていて、すぐ外にある現実にどう向かいあうべきなのか。
自分の生き方が問われている。 折しも四旬節。
Q108 最も弱い立場に置かれ、苦しみをしわ寄せされている人びとに、どこで出会うことができますか。 A108 現代社会のひずみが端的に現れているのは、国内では寄せ場、国際的には第三世界の都市スラムです。腰を上げて、行ってみることによって、具体的なイメージでそれを理解することができます。しかし、実際に行ってみる機会がなくても、そこに視座を置くように努めれば、それぞれの身の回りに、障がいを持つ人びと、高齢者、職を失った人びと、外国籍住民、野宿者など、困窮状態に置かれた人びとの存在に気づくことができるでしょう。 『私の信仰 Q&A キリスト教って何だ?』より。
あ、自分は高齢者のお世話のためにここに来ていた。 身内の高齢者と、別に手伝いに来てくれている人に「甘い夢」を買う。
3月17日(金)の記 魔女のサカナ ブラジルにて
今日は出先から午前中に帰るつもりでいた。 朝の渋滞が一段落つきそうな10時ぐらいに出るつもりで、道路状況のアプリを随時チェック。 金曜ということもあるのか、10時過ぎても渋滞はかえってひどいようだ。 11時を過ぎ、意を決して出発。
いやはや恐るべし、平日日中のサンパウロ市内の交通状況。 ソコソコに疲れながらもかなり自宅に近くなったポイントにクルマをとめてグラフィティ採集。 「また」クルマを盗られるのもナニなので、ほどほどに。
二晩、家を空けていたのでわが家の冷蔵庫の残りものも乏しい。 奉公疲れ・運転疲れもあり、昼は近くの外メシとするか。 大衆食堂の金曜の日替わり定食は、魚である。
近所の該当店をまわってみる。 値段と、魚種がポイント。
アフリカ原産の淡水養殖後ティラピアや、ナマズ類は食べたくない。 泥くさいという思い込もある。
いっぽう先日、海魚は汚染が心配で避けているという健康志向の人と出会った。 日本政府と東京電力による福島原発汚染水の海洋投棄計画は、世界中で海産物忌避を助長することになるだろう。 わが大西洋は、太平洋よりマシと言えるかどうか。
さて、けっきょく今日はメルルーサに落ち着いた。 こちらでも日本同様、この語で呼ばれる魚だ。
こちらのものは大西洋南西部に分布するアルゼンチンメルルーサだろう。 調べると、水深50-800メートルに生息の由。 深海魚の定義を調べると、水深200メートル以深とあるから、深海魚といってよさそうだ。
タラ目の白身の魚で、味もタラに近い。
今日の角の食堂のメルルーサフライは塩がきき過ぎ。 海洋汚染物質より塩分過多が気になった。
先に魚定食を頼んでいたアニキが、ウエイターにライムを頼んだ。 やはり塩辛いと思ったのか、ライムを絞ってフライにかけている。
僕もライムをもらって酸味で塩気を紛らわせる。
あ、そうそう、メルルーサと魔女メルーサを混同しそうで、こんな件名を付けてみたのでした。
3月18日(土)の記 豆腐千糸 ブラジルにて
日本発のSNSで「豆腐千糸」が酒のツマミにもよろしい、というのがあった。 乾燥させた豆腐を、きしめん状に切ったもの。 これは、そそる。 レシピにアクセスすると月額で有料とあった。
無料情報には黒酢使用とあり、写真で見るとパクチーがかかっている。 テキトーにやってみようか。
ちょうど東洋人街に出る用あり。 チャイニーズの店でポルトガル語では「大豆のパン」とあるがブラジル製の豆腐千糸とみてよさそうなものを見つける。 そう安くはないので少し躊躇するが、フンパツ。
夜、いただいてみる。 テキトーに茹でて。 冷やし中華の要領で。
なかなかの歯ごたえ。 悪くはないと思うが、家人は「ゴムみたい」。 検索してみると、モノによって硬さは違うようだ。 そもそも、どんなものか食べた覚えがないだけに。 東洋人街にはチャイニーズの店が複数あるので、オプションがあるか探してみるか。
ポ語で記載された原材料名は大豆、塩、水のみである。 これだけでこんなに「つながる」ものなのだろうか。
3月19日(日)の記 スズキさん、お久しぶり ブラジルにて
さて、路上市に行って、まずは魚屋さん。 おう、スズキもある。 フンパツして買おう。
スズキは僕がよく買うサバやアジより割高になる。 身も小ぶりであり、めったに買うことはない。
が、昨日の豆腐千糸のためにコリアンダーを買い、まだそこそこ残っている。 スズキのセビーチェ:マリネにコリアンダーがよく合うのだ。 コリアンダーNGの家人もこれにならOKという。
店で三枚におろしてもらったものを、家でセビーチェ用に薄切り。 アジなどの場合「血合い」の部分を除去してナメロウなどに利用している。 それでも血合いにある小骨が、ちとやっかい。
おや、スズキの場合は血合いの部分が色的にはまるで気にならない。 どうやら小骨もないに等しい感じ。
昼はセビーチェ、夜は刺身、アラは味噌汁にしていただく。
スズキさんという友人知人たちに思いを馳せる。 お世話になっている人、懐かしい人。
…、あ、ひとり思い出したくもないのがいた。 このスズキは、くえない輩。
3月20日(月)の記 聖市秋口 ブラジルにて
ブラジルの暦では、今日から秋。
お願い事をした日本の方に手紙をしたためる。 お願いをする際、電話でと思ったが、先方は通話に応じないという。 在日本の共通の知人に頼んでワードで文面を送り、日本でプリントアウトして郵送していただいた。 その方から先方のご快諾を中継してもらった。
ようやく日本とブラジルの航空郵便が再開されたとのことで、その御礼はブラジルから航空便で送ることにした。 郵便局で列に付いて… いまは普通便でも内容証明の大きなシールを貼る必要があるとのことで、次回からはもっと大きな封筒を使ってください、と言われる。
市販の国際航空郵便用の封筒が使えないってことか。 いまどき手紙などもう出すなと言うことか。 郵便を巡る諸事情はよくないことばかり。
パンデミックの間にもブラジルでは面白い切手がいろいろ出されたようだが、求める気力もなくなった。
3月21日(火)の記 『安らぎの道』 ブラジルにて
さる土曜日に東洋人街で入手した500ページ余りの奇書を読み耽り、ようやく読了。 『安らぎの道』とのみ背表紙にも奥付にもある。 が、中表紙には『安らぎの道 心霊治療に捧げた40年の体験記』とある。 著者は故人となった河村武雄さん、ブラジル発行の日本語本で「日毎叢書」の一冊である。 河村さんは西暦1923年、北海道の生まれ。 1933年に一家でブラジルに移住。 コーヒー園労働、商業経営を経て様々な人たちから人生相談、心霊治療を求められてそれに専従するようになったという。
釈迦、キリストの教えをあがめ、霊魂の存在と輪廻転生を唱える。 河村さんが平易な言葉で説く、人としての在り方は、もっとも、かつ理想のことばかりである。
「光」を用いた心霊治療については実例がたくさん紹介されている。 これらは具体的な地名や個人名もあげられ、多くは仮名としたというがウソハッタリはなさそうだ。
面白い。 移民小説家の松井太郎さんの短編の世界を想い出した。
ブラジル、特に日系人の間に広がる諸宗教の問題点も具体的に書かれている。 病人にとりついたという悪霊との闘いも克明に描かれていて、このあたりで読者が腑分けされるのかもしれない。 僕は実際にこうしたことを何度か実際に見ている。
この本は西暦1997年に発行されて1999年に増刷されたというから、ブラジル日系社会の隠れたベストセラーと言えるかもしれない。 僕自身、河村さんの名前には接していたが、具体的な接点はなく、この本について人から聞いた覚えもなかった。
この本について検索してみると… ヒットは一件のみ。 京都の国際日本文化研究センターに在庫があるとの記載だ。 河村さんについても、当地邦字紙の記事がわずかにヒットするのみ。
きれいごとばかりが唱えられるブラジル日系社会の病理をかいまみる面白さもあった。 サンパウロの日本移民史料館、JICA横浜の資料館ではうかがうべくもない世界である。
3月22日(水)の記 水の日の水曜日 ブラジルにて
夜になって、日本発のツイッターで3月22日は「世界 水の日」だと知る。 なぜ、どういう由来なのだろう?
…検索してみるが、国連が会議で3月22日にしたという以上の記載が見当たらない。 多くの人はこういうことに素朴な関心や疑問を抱かないのだろうか?
これはまったくの偶然だが、今日はサンパウロ市内のミネラルウオーターの水源に水を汲みに行った。 週末に市内を離れるので、もろもろ計算して今日にした次第。
わが家の近所にも「水屋」はいくつもあり、10リットル20リットルといった大容器のものを宅配させている家庭は多い。
こうして自分でクルマを転がしての水汲みもいつまでできるかな… と、『東京物語』の東山千栄子扮する祖母のように想う。
3月23日(木)の記 岡村バイセン ブラジルにて
朝になってメトロがストに入っているらしいと知る。 サンパウロ市民の足だ。 僕には大きな支障はないが、家人が気の毒である。
僕は明日からの旅に備えて、マイカーを洗車に出す予定。 メトロのストで、スタッフ不足で閉業になっているのが心配。
洗車場はクルマも頭数も少なめだったが、開いていた。 オプションの高額の諸々をしつこめにすすめてくる。 正直に「おカネがないから」と告げる。
30分ぐらい所用とのこと。 徒歩圏のミナス州風味のカフェに行ってみる。
店内は白煙と焦げ臭さが充満。 他に客はいない。 「なにか焦がしたの?」 と聞くと、カフェを焙煎中とのことでエアコンをオンにした。
うーむ、マスクを持参すればよかった。 コーヒー焙煎の香りはキライではないが、これは日本なら火災報知器が作動するかも。
15分近く滞在。
うわ、Tシャツが煙臭い。 頭髪もだろう。 まあ、これで藪蚊は寄ってこないかも。
僕のことを岡村パイセンと呼ぶ若い友がいて、それにかけたタイトルとした。
3月24日(金)の記 トラウマにスト ブラジルにて
よりによって… 昨日、サンパウロ市内を大混乱におとし入れたメトロのストが今日も続くという。 これまでメトロのストは、たいがいは一日足らずで終息していたのだが。
今日の昼前に日本の親友夫妻がサンパウロ国際空港に到着予定。 合流後、客人の希望する空港から車で3時間ほどの「奥地」にお連れする予定。
この空港への送迎で、かつてニセ警官に襲撃されて、殺されかけている。 それがトラウマとなり、よほどの事態がない限り、自分で運転していくことを控えていた。 今回は、例外。 そこへ来てのストだ。 昨日のサンパウロは記録的な渋滞になったという。
朝からナビで渋滞状況をチェック。 余裕を持った時間で出るつもりが、ナビは思わぬジグザグの「未知の道」を示してきた。 通常ルートより10分以上、早いという。 どんどん時間が押してくる、ナビの指示になびくか…
このルートも、ナビの到着予定時間がどんどん遅くなってくる。 知らない道順、ひとつまちがえればさらにずずんと遅れてしまう。
ひーこらと、ぼったくり空港のぼったくり駐車場にたどり着く。 予定通りの時間に到着し、税関にも捕まらなかった夫妻を到着口で待たせてしまった。 異国に到着して、予定の迎えの来ていない時の心情を想像あれ。
さあ最大のハードルは越えたものの、これから自動車では初めての場所へ。 カステロブランコ街道まで、また渋滞のサンパウロ市内を縦断しなければならず。
…目的地には暗くなる前に着けた。 ここには僕も30年以上前に来たことがあるのだが、ほとんど覚えていない。
泊めていただくところは、動物系とみられる異臭が充満。 コウモリの排せつ物の臭いだろうか。 窓を開け放ち、蚊取り線香を炊いてニオイを紛らわせる。
3月25日(土)の記 武道より葡萄 ブラジルにて
サンパウロ州内陸の日系移住地の宿舎で目覚め。
30年以上前に訪ねた施設を再訪するが、自分にあるイメージと外見からして異なっていた。
午前中は訪問者のお話を聞いたり、日系人のお宅にうかがってカフェその他をいただきながら談笑したり。 いずれも、話しているうちに思わぬ共通の知人が出てきたり。
地元のブドウのおいしさは絶品。 サンパウロ市でも話題の高級マスカットは、このあたりが産地だった。 サンパウロ州のブドウ栽培の変遷の一端を、直接に生産者からうかがう。
ふたたび車を駆る。 一度、訪ねたワイナリーにたどり着くのに難儀する。 ようやくたどり着く。 運転の緊張と疲れで喉がカラカラのせいか… 先回はおいしいと思ったワインを試飲でなめても味がわからなくなった。
3月26日(土)の記 17世紀萌え ブラジルにて
サンパウロ市近郊の緑に囲まれた宿で目覚め。 昼前まででれでれすることにするが、そのままサンパウロの町に直帰では芸がない。 スマホでいろいろと調べて…
隣町にある歴史建築がちょっと気になる。 客人の賛同を得て、そこに向かってみる。 町を抜けて、山道を登って、森のなかを進んで…
17世紀にこの地方の開拓者が築いた邸宅とチャペル。 コロニアル様式というのとは異なり、この風土にこの土地の資材からヨーロッパ的思考のもとにつくられたハイブリッドということになろうか。 こちらでなんと呼ぶのか、関連図書で調べてみよう。
木組みに厚く泥を塗り固めたもので、資材的にはエコである。 サンパウロ市内にもこの手の建築が歴史遺産として残されているが、なにか惹かれるものがある。
見学無料で、市のスタッフが案内して解説してくれる。 訪問者は、まれ。 一帯は色といい、空気といい、別世界・異次元の世界だ。
案内の後、居残りもOK。 客人の「車に置いたお土産のチョコレートが(溶けるのが)心配」という絶妙の理由により、そそくさと一路、魔都サンパウロに向かう。
3月27日(月)の記 滑り猪口 ブラジルにて
滑り猪口。
これを読めて、なんのことだかわかる人は相当なものである。
ヌメリイグチ科ヌメリイグチ属に分類されるキノコの一種。 日本では松林のなかで発生するそうだ。
北半球に広く分布し、南半球にはマツの植栽とともにひろまった由。 このウエブ日記で言及したことがあるかなと思って調べると、2021年3月16日付で先住民ヤノマモのキノコとの比較で触れていた。
ブラジルで「チリのキノコ」といった名前で売られている乾燥キノコの正体がなかなかわからなかった。 どうやら、これである。 日本では格安イタ飯チェーン・サイゼリアで用いられている由。
検索すると、あまりおいしくない、これといった味はない、といった記載から、美味とするものまでさまざま。 好き好きということか?
ブラジルで買った乾燥ものを水に戻していると、ぬめぬめが出てくる。 このぬめぬめに、収穫時に付着したとみられるまさしくマツっぽい芝生のような刈れ草や土粒のようなものが付着している。
この特性からも、ずばりヌメリと和名のついたこのキノコと同じといっていいものとみた。 独自の味わいと食感のキノコだが、悪くはないと思う。
数日ぶりのわが家での夕食作成は… 冷蔵庫に少し日にちの経ったニョッキがある。
ふつうはニョッキにはトマトベースのミートソース・ボロネーゼを合わせる。 今日は牛乳とチーズに、このおそらくヌメリイグチを加えてソースをつくってみた。 うむ、家族にも好評。
この乾燥キノコ、常温保存で小さな甲虫が「わいた」ことがあるので用心のうえ早めに使用せねば。 さっそく冷蔵庫に入れておくかな。
3月28日(火)の記 Figlio Perduto ブラジルにて
今日は友人夫妻をサンパウロ市内で案内できれば、と考えていた。 ところが昨日、訃報が入った。
亡くなった方との面識はないが、親しくしている遺族にお悔やみのご挨拶をしたい。 ブラジルの葬儀は日本とはだいぶ勝手が異なる。
亡くなられた当日に葬儀・埋葬ということもある。 今回は、今日の13時からの由。 友人には、今日の夕方以降ならおそらくご案内可能、とお詫びと共にメッセージを送る。
葬儀の場所はサンパウロ市の隣町で、行ったことがない。 出先の家人をピックアップして、ナビをなびなびしながら知らない道をそろそろとすすむ。
遺族に挨拶。 面識のない人のご遺体に対面するのも妙なもの。
壁に、故人と家族の写真を貼り詰めてあった。 いかにも業者仕事ではなく、幼稚園や小学校の展示のような、写真をそのまま重ねて貼ったもので、親しみやすい。
その手前に日本でいう芳名帳。 こちらは香典の習慣もないので遺族もこの点はラク、香典泥棒の心配もいらない。 その手前に業者が置いたのだろう、花輪のカタログがあり、値段が書かれている。 会場に来てその場でオーダーできるというわけか。
ソファが置かれ、壁に大き目な液晶モニターが吊るされている。 さすがにサッカー中継は流していない。 女性のヴォーカルの動画が流れている。
この場ではそのことの情報処理がよくできなかった。 反芻すると、聞き覚えのあるメロディーだ。 ベートーベンの交響曲の何番かの、葬送曲ではなかったか。
帰宅してだいぶ時間が経ってから検索してみる。 ベートーベンの葬送曲で検索すると、別の曲がヒットする。 うーむ、さすがにこれではない。
まあ、こっちも勘違い物忘れが多いのだが… そうだ。 最近、日本でも再公開された『未来世紀ザルドス』でこれのアレンジ曲を使っていたのでは。
よっしゃ、この方面から道が拓ける。 ベートーベンの7番第2楽章。
この女性のカバーだったのでは。 https://www.youtube.com/watch?v=24GCYlxMZWw&list=RD24GCYlxMZWw&index=1 このサラ・ブライトマンさんによるスペイン語版もある。
この人の曲は日本の映画やテレビドラマにも用いられているのを知る。 なんと『となりのトトロ』での使用曲を日本語の歌詞でも歌っている。 トトロのこの曲は『風のとおり道』というのか。
さてベートーベンの曲とサラさんの歌の関係については、このウエブ記事が大いに参考になりました。 Beat!-Beet!-Beethoven! ベートーベンに癒されてしまうBlog del Capriccio http://blog.livedoor.jp/ruhmvollerkaempfer/archives/51300868.html
「アリア」がイタリア語で「空気」を意味するという記載にもいたく感じ入る。 このブログへのコメント書き込み方がわからないので、この場で御礼申し上げます。
3月29日(水)の記 冷たい森の試練 ブラジルにて
新たなミッションが入る。 今晩、出国する友人夫妻が「冷たい森」の先まで行きたいと言う。
そこへ行く山道の街道は事故で半日ぐらい通行止めになることがしばしば。 昨晩、この相談を受けた時は、フライトを逃すリスクもあるので見合わせた方が無難、と告げておいた。
しかし深夜になり、訪問先の了解も得て、思い切ってバスで行くとメッセージあり。 バスだと、さらにやっかいだ。 そこまで望みなら、僕がお連れしましょうということに。
客人のPCR結果の受取りが1時間遅れ、道中でのこちらの用件での立ち寄り先で引き留められ、どんどん時間経過。
さて、前倒しの予定時間を30分ほど遅らせて訪問先を発つ。 雨。 ワイパーを最速に。
山道で、大型トラックが多い。 たまった泥水を追い越し車がこちらに浴びせて視界が途絶える。
ナビは、とんでもなさそうな山の旧街道での迂回を指示してきた。 こういう知らない細道は、これから少しでもアクシデントが起こればアウトであると体感している。
迷うが、ほんらいの王道を行くことにする。 まもなく、片側3車線の山の街道が完全に詰まる。
いやはや。 1時間で数十メートルは進んだだろうか。 燃料、トイレの懸念がなかったのが不幸中の幸い。
雨の気配もうかがえないサンパウロ市内にすっかり暮れてから戻る。
濃い日々を過ごした友人夫妻と最後にイッパイと声をかけるが、まだ荷造りが終わっていないとのこと。
深夜、無事これから搭乗とのメッセージをいただく。
3月30日(木)の記 『ユーミンの罪』 ブラジルにて
昨日までのミッション、特に最後の山道豪雨大渋滞の運転で、いささか疲れた。 午前中はでれでれと過ごす。 今日は一日断食。
日本から本を送ってくれるという友人に、リクエストがあればとのお言葉に甘えて頼んだ新書を読み耽る。 酒井順子さん著『ユーミンの罪』(講談社現代新書)。 数か月前、なんだったか日本からの情報でこの本の存在を知り、読みたい思いに駆られていた。
期待を裏切らない好著だ。 最近、出た本かと思い込んでいたが、西暦2013年が初版だ。
最初の方でこの本に書かれているユーミンの歌の歌詞、僕はほとんど歌えてしまう。 僕はハイティーンの頃に、かなりユーミンに入れ込んでいたのだ。 5歳上の亡兄の影響もあろう。
時系列で書かれているこの本からみていくと、僕がのめり込んでいたのはユーミンの独身時代:荒井由実の頃の曲がほとんどと気づく。
そして僕が把握している最後の彼女のアルバムは、彼女が結婚して松任谷由実になってからの2枚目『流線形'80』までだと知る。 このアルバムの発行は西暦1978年、僕の大学入学の年だ。 ユーミンの曲は高等遊民的大学生と相性がよさそうな世界であるが、僕は「肝心な」その時期にすでに卒業、いやさドロップアウトしていたのだ。
酒井さんの分析で、ユーミンが日本の時代とともにあったどころか、しばしば先取り:予見していたことを教えてもらった。 いっぽうそういうものとあまり関係のない僕がなぜあれほどのめり込んだのか、まだよくわからない。
西暦2015年のミュージシャン・木村浩介さんの日本でのミニライブの際、岡村のリクエストでユーミンを歌ってもらった。 https://www.youtube.com/watch?v=iuzPOlqX65k
これはパンデミック以降か、ユーミンが安倍昭恵夫妻と懇意にしていると知り、ショックと自己嫌悪にかられた。 この本を読んで、ユーミンがずばり安倍昭恵夫妻的なものと親和性が高いことがよくわかった。 酒井さんの時代ととものユーミンのフォローは1991年、バブル崩壊期で終わっている。 その後に迎える日本の「悪夢の時代」とユーミンワールド、安倍昭恵夫妻との関連について怖いもの見たさの興味がわく。
3月31日(金)の記 ヤノマモの雨 ブラジルにて
サンパウロでSP-ARTEという大アートフェアが開催中である。 開催期間が1週間、と短い。 有料で、日本の映画料金並みを取られる。
入場券は日時指定のうえ、ネット購入の由。 昨日、思い切って購入に踏み切るが… 今日31日午後ならまだ購入可能の時間があった。 ブラジルの納税番号と住所に対応したカードしか受け付けない、といった記載がある。 あれこれデータを入力のうえ、こちらの銀行のカードで支払いをこころみるが「無効。電話で開催当局に問い合わせされたし」との表記。 やめとけ、というメッセージと受け止めよう。
して、今日は少しアクセスがめんどくさい場所のギャラリーに思い切って行くことに遭うる。 VALDIR CRUZという在ニューヨークのブラジル人の写真家の『森の顔』と題したアマゾンの先住民ヤノマモの写真展。 2冊ほど彼の写真集を持っている。
ヤノマモへのジェノサイドと呼ぶべき悲惨な状況については今年になって世界のメディアが取り上げている。 VALDIRさんは最近になってヤノマモを撮り始めたのかと思ったら、なんとまだ20世紀の頃の写真が主だった。 すでに彼の1990年代の写真から、じゅうぶん今日の状況を予見することができる。 何重にも衝撃を受ける。 展示写真は数十点なので、繰り返し見てかけ流しのプロジェクターの映像も一巡以上、見る。 そでに売り切れという彼のヤノマモの写真集の見本も座って見る。 その間、僕以外の入場者なし。
彼の最新作だという大サンパウロ圏を流れる河川と人を撮った写真集をフンパツして購入。
外は雨になった。
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