移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
岡村淳のオフレコ日記
     西暦2023年の日記  (最終更新日 : 2024/01/02)
4月の日記 総集編 「映画とは滝である」

4月の日記 総集編 「映画とは滝である」 (2023/04/04) 4月1日(土)の記 ソバガラとガラダマ
ブラジルにて


月に2回、東洋人街で立つ日系人の市にここのところ通っている。
ここでスタンドを持つ知人が、そば殻の枕をオーダーメイドでつくってくれるのだ。
まず僕のものをつくってもらい、それを気に入った家族のものもお願いしている。
ブラジルで市販される枕はふにゃふにゃのものばかりで、どうも具合が悪い。

そば殻についてググってみると、日本では近年はそばアレルギーの問題でほとんど廃棄されている由。

ソバガラという言葉が脳内でガラダマという語にリンクした。

ソバガラとガラダマ。
両方とも4文字の日本語の単語。
どちらも「ガラ」を有す。
さらにどちらもア行の濁音を2語ずつ持っている。

「ガラダマ」とは西暦1966年放送の日本のテレビ番組『ウルトラQ』シリーズ第13話のタイトルだ。
登場するロボット怪獣ガラモンの造形は、シリーズのなかでも白眉。

ガラモンはガラダマのなかから登場するのだが、番組中でガラダマとはその地方で隕石のこと、とされる。
ググってみると、その地方は群馬県山間部の弓ヶ谷(弓ヶ沢)。
このシリーズには僕など足元にも及ばない好事家がいる。
実際に日本で隕石をガラダマと呼ぶケースがあるか調べたところ、確認は取れていない由。
(『ウルトラQ全記録』より。 http://ultraq.web.fc2.com/story_13.html

こうした、才能のある大人がホンキで取り組んだ虚々実々の世界に、小学校一年生にしてナマで接することのできた「幸せ」をはるばるブラジルから想う。
ガラにもなく。

ブラジルでお先真っ暗でも、枕はソバガラ。


4月2日(日)の記 見せられない国会中継
ブラジルにて


昨日から明日まで、料理人としてサンパウロ市内の親類の家に滞在である。

このお宅はNHK国際放送を受信していて、垂れ流しにされていることがしばしば。
まれにお付き合いすることがある。
今晩はそのマレな時。

新シリーズの連続ドラマの後の『あさイチ』という情報番組と言ったらいいのだろうか、これは今日、国会中継のため40分のみの放送枠という。
キャスターたちがいかにもそれが惜しそうに言う。

ほう、日本の国会中継が見れるのか。
SNSで政府側の答弁がデタラメ極まりないこと、そして殺された安倍元首相の答弁などは日本語として意味不明かつ冗長なものをNHKがそのままでは見せずに「巧みに」編集して政府側に理があり分があるようにニュース等で放送されていることの告発に接して久しい。

ブラジルのテレビのネットサーフィンをすると、数局ぐらい国会中継ばかり流しているチャンネルに遭遇する。
日本では大事な国会中継も公共のチャンネルで放送されないことがしばしばだという。

その問題の国会中継をブラジルからナマで見れるのか。
ところがこの『あさイチ』という番組では国会中継なんぞのため番組のせっかくの興味深い企画が途中までとなり、残念、と視聴者に思わせようとするつくりになっていると言ってよさそうだ。

さあ40分経過。
すぐにニュースとなった。
見出しがいくつか並び、そのうちのいくつかがぴょこっとチョイスされる気持ち悪いつくり。
それが終わると、ヨーロッパのどこかの場所の紹介番組となってしまった。
日本の未明などの時間帯に流れているようなやつ。

これも数分の場つなぎかと思いきや、延々と続く。
なんのことわりの字幕等も目にした覚えはないのだが、どうやら日本の国会中継は国外からは視聴不可能にしているようだ。

国外からこうして垣間見る限り、NHKという放送局は解体再編か、大ナタをふるっていただくしか救いがなさそうに思える。


4月3日(月)の記 日系商売最前線
ブラジルにて


出先から徒歩圏に大きな日系の卸売りスーパーがある。
名前の由来は、日本のネトウヨが喜びそうだ。

品揃えも多く、わが家の近くより割安のものもある。
ウオーキングとグラフィティ採集も兼ねて、行ってみた。

客のほとんどは自動車でやってくる。
僕のような徒歩の客は、まれ。

広い駐車場で空いたカートを拾って店内に入ろうとするとスタッフに「ここは出口だから、先の入口まで行ってください」と制されてしまう。
他に客は見当たらないし、歩きで来た高齢客をここから入れて店側になんの差しさわりがあろう?
「規則だから」か。

いっぽう店内では製品をカートで運んでいる店員がわがもの顔で客の動きより自分の動きを優先している。
大名行列か。

それでいて、通路で店員数名があきらかに私的会話に興じて客の通行を妨げて、客の方が「すみませんが」と告げて道を開けてもらわなければならず。

他の非日系チェーンではあまり覚えのないような「仕打ち」の多いこと。

スタッフの基本的な指導やチェックがなされてなく、客からのフィードバックなど「ご意見無用」としているためだろう。

思えば他の複数の非日系チェーンからは会員登録しておくとディスカウントの他に、あなたのお買い物はいかがでしたか?ご意見をお聞かせください、といったアンケートのメールがしょっちゅう送られてくる。

日系スゴイ。
おごれるものひさしからず。
数十年前まで、ブラジルでニッケイが差別の対象だった歴史を疎かにしていると…


4月4日(火)の記 今日の1万5千歩
ブラジルにて


今日は出先でまず午前中に歩く。
グラフィティも思わぬいい感じのが撮れた。

午後、介護の交替要員が早めに到着。
夕方のラッシュにさほど遭わずに帰宅できた。

さて、まだ明るい。
思い切って今日だとサービス価格のムッツァレイラチーズの買い出しに出る。

おお、しめて1万5千歩以上、歩いてしまった。
1万5千を超えるのはほぼ一月ぶり。

こういうのがスマホですぐわかるから重宝、歩きがいがある。
ポイントがたまってなにかがもらえるわけでもないけれど。


4月5日(水)の記 音楽の値段
ブラジルにて


午後より当地の邦人の知人と打ち合わせ。
僕より年配の方でなにかと取り込んでおられ、そもそも僕が日時の件で混乱して失礼をしている。
音楽をたしなまられる方なので、SNSで知った音楽カフェでも、と考えた。

ちなみに、この拙作に音楽を提供してくれた人。
https://www.youtube.com/watch?v=cMhom8kbpqs

先週、下見にこの店を訪ねてみた。
さる日系新興宗教のブラジル本部街だった。
ちょいとお高い店を想像していたが、町なかによくある大衆バール的な店構えとこじんまりさ。
それをこぎれいに改装した、という感じ。

壁には西洋音楽の歴史資料が巻物のように貼られている。
ロケハン時にはバッハがかかっていた。
向かい合いで座る小卓が4組ほどで、他にひとり女性客がいた。

店側は人のよさそうな男性ひとり。
地域に溶け込んでいるようで、道行く人たち何組とも言葉を交わしている。
ふつうサイズのカフェコンレーチェとチキンの具のクロワッサンを頼んだのだが、お値段の手ごろさもうれしかった。

今日はテーブルがひと通り埋まっていたらどうしよう、という懸念あり。
それは杞憂に終わった。
壁にヴァイオリンが吊るしてある。
「ホンモノ?」と聞くと、自分が最初に使ったものだという。
今日の連れもたしなむのだよ、と紹介。

他の客もなく、つい大声のニホンゴで話し込み、控えめの音量のクラシックがよく聴き取れない。
耳を傾けると、ヴィヴァルディの『四季』だった。
それぞれの好みのカフェの後、ハイビスカス入りのパイナップルジュースも頼む。

今晩は身内のお祝いの外食もあり。
ショッピングモール内のレストラン。
水曜なのに、広い店内のテーブルは空席が見えなくなった。
平日なのに、音楽のライブ演奏が入っている。
若い男子のひとりで弾いて歌う。
これは音量がこちらの会話の妨げになるほど。
途中、演奏が休憩になるとほっとする。

勘定を頼むと、音楽チャージらしいのの価格が午後の名曲喫茶二人分の総額に近かった。


4月6日(木)の記 はるかなるシングー
ブラジルにて


午後、思い切ってパウリスタ大通りにあるモレイラ・サーレス写真美術館へ。
アマゾン先住民の聖地といわれたシングー国立公園の写真展がまもなく終了のため。
いろいろあって、気が重い。

ここでは3層にわたって展示が開かれている。
たっぷりのボリュームで、なんと無料。

下の階から見ていく。
まずはEvandro Teixeiraというブラジル人の報道写真家の展示。
ブラジルとチリの軍政時代がテーマ。

展示の手法もダイナミックそのもの。
テーマも含めて、ざっと見ただけでも圧倒される。

さて、シングーの方。
アマゾン河の大支流シングー川流域の先住民が「外」に知られて外の人たちからいかに撮られてきたか、で一層。
もう一層は、その後にシングーの先住民自身が自分たちをいかに撮っているか。

在日の日本人で日本人の写真家も連れるなどしてこの地域に通っているグループがいるが、それについては見当たらなかった。
その代表が1990年代に日本のテレビ番組で、この地域に入る日本人は自分たちが初めてと発言しているのを見て驚いたことを記憶している。

その代表とは僕も後にご縁ができたが、当時のその取り巻きにでたらめな輩がいて、だいぶ迷惑を被った。
そいつらは僕の名前を騙ってブラジルの日系企業に金銭物品のタカリに行き、そこの社長だと記憶するが、僕に電話があっていきなり怒鳴られたことを想い出した。
まだまだあるのだが、下品な話題はこの辺までにしよう。

僕が所属していた日本映像記録センター(NAV)の名物ディレクターの故・豊臣靖さんがシングーとそのリーダー・ラオニさんの取材を開始したのは西暦1973年頃のこと。
それ以降の成果は日本テレビの『すばらしい世界旅行』で繰り返し放送されてきた。
豊臣さん亡きあとは杉山忠夫ディレクターが引き継ぎ、杉山さんはラオニさんを主人公とした特別番組も制作している。
杉山さんも、長くコンビを組んだカメラマンも故人となってしまった。
そしてこの展示にはNAVとシングーについての言及は見当たらなかった。

杉山さんは前年に引き続き、1984年にもブラジル国立インディオ局(FUNAI)から取材許可を得た。
このシングーと、北部の先住民ヤノマモの保護区の2か所への入域滞在と撮影の許可だ。

日本映像記録センター入社以来、いわば杉山組に配属された僕も弱冠ながらディレクターとしてチームを率いることになった。
杉山さんは、自身と岡村のどちらをシングーに、どちらをヤノマモの担当とするか、だいぶ悩んだという。

けっきょく杉山班がシングー、岡村班がヤノマモとなった。
豊臣さんはヴェネズエラ側のヤノマモの取材をしていたが、ブラジル側のヤノマモに外国のテレビクルーの入域が許可されるのはこれが初めてだとFUNAIから聞いている。

シングーの取材というのはいろいろな意味で後を引くようだ。
この時の杉山班にアシスタント兼通訳として同行した日系二世の青年は、その後もサンパウロにやってくるシングーの先住民の若者たちのお世話をしていた。

僕の方は、そもそも取材したヤノマモでポルトガル語を話せるのは皆無だった時代だ。
その後も、幸か不幸かシングーに関わることはなかった。

フリーとなってブラジル移住後に訪日した際、日本の山形のイベントで世界的に著名となっていたシングーの大リーダー・ラオニさんの甥のメガロンさんと一緒になったことがある。
風邪をひいてしまったメガロンさんに、生薬を差し入れたのを想い出した。

あの時の杉山さんが逆の選択をしていたら、僕の人生もだいぶ変わっていたことだろう。

他にもいろいろ想いがあり、展示に深入りせずに会場をあとにした。


4月7日(金)の記 整理休暇
ブラジルにて


今日のブラジルは、キリスト受難の金曜日:パッションの休日。
市内の大半の店は閉まり、連休を決め込んですでに市内脱出をしている人々も多い。

今日はパソコンまわりの整理を少々。
滞ることばかり。

スマホ撮りして、ノートパソコンのクラウドにも溜まってしまった写真の整理も、めんどくさいけど手掛ける。

昨日は近くのクリアファイルから出てきたこの「コラージュ川柳」の写真をフェイスブックにあげてみたら、意外に好評、「いいね」をいただいている。
https://www.facebook.com/photo/?fbid=10227858694387772&set=a.3410845544903 ¬if_id=1680796586769837¬if_t=feedback_reaction_generic&ref=notif

「コラージュ川柳」のことはツイッターで知り、当地の邦字紙の記事を切り抜いてトライした次第。
それをツイッターに上げてみたが、さしてリアクションもなく、「貼りあい」がなくて、やめてしまっていた。

さて、スマホで撮ってSNSにアップしそびれていた写真をフェイスブックにあげると、これまた少なからぬリアクションが。
こちらの新たな気づきとなるコメントもいただけて、ありがたい。

さらに、インスタグラムに連日アップしているストリートアートの写真の整理。
インスタは過去にさかのぼるのに、ちびちびいちいち延々とスクロールしていかなければならないのが、たいへん。
そろそろこれを始めて、3年になる。

そのためここで一気に最初にさかのぼれるよう自分用にリンクを貼っておこう。
https://www.instagram.com/p/B_QEfPOAxsh/

スマホの写真は、ここまで整理。
https://www.instagram.com/p/COapHJMHXzC/

クラウドの写真整理は、あとはここから。
https://www.instagram.com/p/CaQhVRxrC4u/


4月8日(土)の記 土曜日の痛み
ブラジルにて


こちらにお住まいの同胞が本を貸してくれた。

格好な時期に、格好の書をよくぞお貸しいただいたもの。
『それで君の声はどこにあるんだ?黒人神学から学んだこと』
榎本空著、岩波書店。
著者のお名前はずばり「そら」と読むそうだ。

空さんは沖縄の伊江島で育ち台湾留学を経て、アメリカ合衆国で黒人神学を学ぶ。
僕はブラジル住まいで黒人問題が身近でありながら、さして考えてもなかったことを恥じるばかり。

他人様にお借りした本だから、付箋を貼ることもエンピツ線引きも論外である。
故人となったこちらの身内は、お貸しした本のページを栞代わりにか、よく折りつけていたけれども。

そうだ、書き出せばいいのだな。
最近は糊付き付箋をべたべた本にくっつけているが、どうもこれもそこを見直すことはまれで、けっきょく消化・昇華してないきらいがあった。

今日は、たいせつな土曜日であることをこの本が気付かせてくれた。

イエスが十字架につけられた金曜日、そして彼が復活した日曜日の朝。
しかしそのふたつのあいだは、見過ごされてしまうことも多いのだが、いつ終わるとも知れない暗い土曜日という時があった。
それは安易な楽観を抱くのが不可能となり、我が神、我が神、なぜ私を見捨てたのか、というイエスの呻きが、低く近く響いている時である。

(行替えは引用者による)


さらに僕はこれに続くたいせつなことを書き写している。
興味のある方はぜひ実物の本を手に取ってもらいたい。

そしてこうした意欲的で良心的な出版を応援するには、多少の無理をしても現物を購入していただきたいものだ。

2000円プラス税、は高い?
アナタ、この間の飲み会でいくら使いました?
ニホンで映画一本見るのに、いくら出してますか?


4月9日(日)の記 ユーミンの復活
ブラジルにて


今日のブラジルは復活祭:パスコアの祝日。
イエス・キリストの復活を祝う日だ。

日本ではイースターとも呼ばれるが、日本の商業主義も食いものにしきれていない宗教行事である。

以前も書いた記憶があるが、僕がイースターを意識したのは「荒井由実」の曲『ベルベット・イースター』だ。
当時はイエスの復活祝いの行事など、まるで異次元のことのようで、さして興味もわかなかった。

先日、音楽家の坂本龍一さんが亡くなった。
僕は特にかかわりもなかったが、坂本さんが作曲した映画『戦場のメリークリスマス』『ラストエンペラー』のメロディはすぐに浮かんでくる。

坂本さんの没後にSNSで流れてきたこの記事がいたく面白かった。
https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/20368
坂本さんと武満徹のなれそめがドラマチックだ。

この記事にある坂本さんの証言によると、あの武満徹が新宿のバーでマイクを持ってユーミンを歌っていたという。
西暦1977年頃のことのようだ。

先日、紹介した酒井順子さんの『ユーミンの罪』を繰る。
『ベルベット・イースター』は1973年のデビューアルバム『ひこうき雲』に収録されていた。

武満さんがこの曲を歌った可能性もある。
武満さんは自身で作詞作曲した『小さな空』にキリスト教的要素を配置している。
僕のこの想像もまるで無理ではないように思うのだが。

そうか、あの歌にある「天使がおりてきそうな」というのはイエス復活にまつわる新約聖書の記載を踏まえたものなのか?
また聖書を見てみよう。

(追記:『新約聖書』の「マタイによる福音書」にはずばりイースターの日に「天使が天から降(くだ)って」の」記載がありました。
ちなみにこの曲はユーミン10代の時の作品。
ユーミンすごい。)



4月10日(月)の記 辛口豆腐に辛口
ブラジルにて


書籍や食材の買い出しのため、ダウンタウンに出る。
サンパウロ中心街、住民も「危ないですよ」というあたりをメトロ二駅ほど歩く。
リスキーだが思わぬ発見も多い。

コリアタウンに到着。
この一角に中国人経営とみられるバール風の大衆食堂がある。
手書きのポ語(ポルトガル語)で「辛口豆腐あります」というのが気になっていた。
麻婆豆腐のことだろう。
僕は日本のSNSの「麻婆豆腐の会」というのにも入っている。
たいしたウンチクはないが、発祥地とされる中国四川でもいただいている。

思い切って注文。
愛想のいいチャーニーズのおばちゃんがアテンド。
世界のあちこちをまわって、中華飯屋の女性は概して愛想が悪いと思い込んでいたが。
しかし先日、サンパウロ市内で入ってみた大衆中華料理屋しかり、おばちゃんが愛想よくがんばっていた。
ここで「なまり」を英語でなんというか調べてみる…
アクセントか。

いずれの女性もアクセントの強いポルトガル語で非中華系の客たちと軽口で交わっている。
今日の店では小学校中学年ぐらいのチャーニーズ少女もオーダーを取っている。

さて待望の麻婆豆腐だが…
皿に大盛りの、僕にはあまりおいしそうには見えない白飯。
「辛口豆腐」の方は赤味で透明度のある「あん」に絹ごしっぽい豆腐。
ひき肉は目につかない。
その上に青ネギの小口切りがぱらぱらとまぶしてある。

辛い。
滅茶苦茶に辛くはないが、辛み以外の味わいが感じられない。
味けのないばさばさゴハンが多いので、それを残さないよう塩気のある「あん」といっしょにかきこむばかり。
人として、アートとしての食を味わうというより、生物としてひたすら胃袋を満たすという感じ。
こういう食は、久しぶりかも。
…かえって、満たされないものが膨張してくる。

本場はどうだったか忘れたが、日本の麻婆豆腐定食式に少しのザーサイやスープでも付いていればだいぶ違うだろうけど。

昼どきで混み合っているので、そそくさと席を立つ。
おや、メニューにGYUUDONなんていうのもあるぞ。

お釣りのいる現金だと嫌がられそうで、カード払いにする。
好感度のあったおばちゃんだが、まるでこちらの落ち度でもあったかという感じで聴き取れない理由を言って自分の方だけカードの控えをとり、こちらにはくれなかった。

もうこの店には来なくていいかな。
先の大衆中華にはまた行ってみたいけど。

さあ麻婆豆腐は自分でこさえよう。


4月11日(火)の記 今日の一万二千歩
ブラジルにて


今日は一日断食。
それでも朝から夕方まで計3回、外出。
しめて12000歩あまり歩いてしまった。

断食中はコーヒーも控えるため、外歩きをしていてもバールやカフェで軽くコーヒーを、というわけにもいかない。

片道2000歩ほどの路上市に店じまいの時間に行ってみて…
バナナ1ダース。
小ぶりの葉付き大根を1本、求めると残り4本全部買えばさらに安くすると言われ、買ってしまう。
あれやこれやでだいぶ重くなった。

ちょっと遅れて今日の邦字紙を開くと、思わぬ知人の訃報が。
先日は日本から拙作にも登場される稀有な先達の訃報が届き、いまだそのガックリから抜け切れていないところ。

夜も更けてから。
これぐらい歩くと、軽く足の痛みというか疲れを感じる。
ま、ほどほどにしておきましょう。


4月12日(水)の記 図書の祭典
ブラジルにて


映像作家などと自称しながら、映画祭があると聞くとげんなりしてしまう。
ドキュメンタリーだとよけい…
いっぽう図書フェアと聞くと、ぐっと食指が動いてしまう。

今日からサンパウロ州立大学(UNESP)でブックフェアがあるという。
週末まで。
こういうのは行くとすると始まったばかりの午前中に出向くに限る。

思い切って行くか。
これもなかなかのスケールだったが、サンパウロ大学(USP)の巨大な図書市の半分ぐらいの規模でほっとする。
サンカ出版社の出すブースをひと通りまわるだけでも、なかなかの根気がいる。

一冊ぐらいは食指の動くのがあるかな、と思いきや、トンデモナイ。
いま振り返るとあれも買っておけばという後悔もありながら…
帰宅後に数えるとナント10冊も買ってしまった。

すでに枯れ始めと思っていた自分にこれだけ多様なジャンルの図書所有意欲があるとは、うれしくもあり。
こんな本があったらいいな、という本に出会う喜び。
ブラジルの出版文化の多様さ、豊かさに改めて舌を巻く。

通常の僕はどう蔵書を減らすか、どうやって少しでももっと本を読むかと頭を痛めているのだが。

昨年下半期のUSP図書フェアで日本のキャッシュカードを使ってあちこちのブースで求め・・・
その頃からそのカードが何ものかによって不正使用され続けて、カード会社にブロックされてしまった。
これの対処に日本の銀行に何度も長時間の電話をかけて…
えらい手間となった。
どこでどうされたのか、いまだ不明のまま。

ようやく更新と入手かなった日本のカードは温存し、ブラジルの銀行のカードを使う。

売り場でよこした紙袋が増え、持参した布袋に戦利品を移す。
おっと、紙袋はすでに底の隅が破れているではないか。
危ないところだった。

あー重かった。


4月13日(木)の記 シネマテーカのハルマゲドン
ブラジルにて


昨日付で、映画祭と聞くとげんなりするといったようなことを書いたが…
ナント今日からブラジル国際ドキュメンタリー映画祭が始まってしまった。

むむ。
せめて一本ぐらいは見て、カタログを入手しておくか。

ちょうど今日の夕方までの予定にぴったりはまるように、ブラジルシネマテーカでの午後イチの上映がある。
英題『Praying for Armageddon』。
ノルウエー製作とあるが、アメリカ合衆国のキリスト教ファンダメンタル集団の話。
『マタイによる福音書』のイエスの言葉に「剣をもたらすために」とあるのを根拠に、ハルマゲドン、聖戦は近いと唱えて武装し、イスラエルとの武力連帯をはかる集団。
これは、知らなかった、では済まされないと思う。

ちょうど、この本の入手がかない、むさぼり読み始めたところ。
渡辺英俊先生の『イエスに迫る マニュアルと実験』(ラキネット出版)。

教会では、教会の標準的な教え(正統的教理)の正しさを証明するため聖書のあちこちから都合のいい言葉を駆り集めてきたり、聖書の言葉を教理に合わせて解釈したりする読み方が普通です。
『イエスに迫る マニュアルと実験』より。


無批判に信じ込むのはラクである。
自分の頭で考えて、原典を照会して複眼で見ていかないと、と自分を戒める。


4月14日(金)の記 ひやひやヨーグルト
ブラジルにて


自家製ヨーグルトが冷蔵庫にそこそこの量、残っていた。
もう、そのまま食べるにはちょっと、といった感じ。

なにか活用法はないか検索。
お肌のパックに、系はパスして。

漬け物というのがあった。
ずばり動物性乳酸菌だ。
キュウリの在庫があるので、漬けてみた。

うむ、悪くはない。
とりあえずキュウリぐらいにしておくか。

キュウリの水分が出たのか、さらに水っぽくなった漬け汁がもったいない。
タンドリーチキンに用いる、というのはどうだ。

レシピをざっと調べて、どこかで安売りの鶏肉がないか、スーパーと肉屋をハシゴ。
あ、ショウガがない。
しょうがないからどこかでちびっと買いましょう。
店によって倍以上の値段の差あり。

テキトーな味付けをして、ビニール袋に入れてもみもみ。

けっこうおいしくできた。
家族も含めて、おなかもくださないで済んだし。


4月15日(金)の記 映画二昧
ブラジルにて


じわじわと、いくつかの原稿の締め切りが近づいてくる。
追い込まれる前に、気分転換と勉強を兼ねて。

午後からブラジルシネマテーカへ。
Humberto Mauro というブラジルで1930年代からいわゆる文化映画を作り続けた監督の短編特集。

ブラジル各地の労働歌から日本語でセアカカマドドリと呼ばれる鳥の巣作りまで、ジャンルは広い。
白黒フィルムの大アナログ時代にどのように工夫を凝らして美しく、わかりやすくしようとしているかが興味深い。

これだけ見て帰るつもりだったが、まだ明るい。
まもなく始まる別のセッションも見てみるか。
なんの予備知識もなく映画を見るという喜び。

英題『The Padilla Affair』というスペインとキューバの合作映画。
僕の知るPadillaの話ではなかった。
1971年にキューバで反革命の創作活動をしたという理由で逮捕された詩人Heberto Padillaを巡る話。
スペイン語は雰囲気しかわからず、英語の字幕もきちんと追えていないが、世界的な問題となったこの事件を恥ずかしながら僕は知らなかった。

画家の富山妙子さんがキューバで会ったという詩人も登場。

さて、この辺で家に帰りますか。
だいぶ日が短くなった。


4月16日(日)の記 里芋萌え
ブラジルにて


日曜、朝から街を歩く。
以前、目についた「里芋」の記入が複数の場所にある事がわかった。
ひとつを朝の陽ざしで撮っておく。
https://www.instagram.com/p/CrHeFSkt8-Q/

それにしても、なぜブラジルで「里芋」なのか。
日本でもこうして書かれることはまずなさそうに思える。

ブラジルにも日本のサトイモに相当するイモはあり、inhameやnhameなどと呼ばれている。
検索してみると、この語はアフリカ起源だという。
いっぽう当地の熱帯アメリカ原産のイモ類でこの名前でも呼ばれているものもあり、もうこんがらがってしまった。

いずれにしてもこちらでサトイモにあたるイモは、ジャガイモやマンジョーカイモよりポピュラーではないと思う。

おそらくこれを書いたのは日系人だろう。
よほどニャム芋が好きなのか…
タマネギ頭みたいに、頭の形がサトイモに似ているとか。

僕自身は子どもの頃からサトイモを好まなかった。
あのネバリ感が奇異だったのだろう。
日本の都会で育ってくるうえで、そもそもサトイモを使用する料理に遭遇することもまれだった。

学生時代に訪ねた台湾の蘭嶼島の少数民族はミズイモと日本語で呼んで栽培して日常的に食べていた。
この芋と魚を煮た料理をよくいただいたと記憶する。
いま調べてみると日本の奄美以南ではサトイモを水田のように湛水栽培する、とある。
この島でもずばりこうしていた。

そんな体験からサトイモは低地の湿地で栽培されるものと思い込んでいた。
ところがサンパウロ州の内陸の高地を訪ねた時、そこの特産がこのイモと知り、意外だった。
具体的に想い出せないのだが、生産地では日本料理ではないブラジル式の料理にこの芋が用いられていて、粘り気もさして感じなかったことは覚えている。

16世紀前半にブラジルにやってきたイエズス会の有名な神父がこの芋の栽培について書いているという。

サトイモを考えるだけで、ブラジル史・人類史、人類の移動と混交について見えて来るではないか。
さあどこまで粘れるか。


4月17日(月)の記 小さなこと
ブラジルにて


(当地の日曜から火曜までノートパソコンを離れていたため、この稿は19日の水曜になってから書いている。
月曜のこと、なにを書こうかと思って、この日にふさわしそうな言葉がどこかにあったなと思ってしばらく探して…
マザー・テレサの言葉だった。)

カトリック系のポルトガル語の冊子のバックナンバーで目にした言葉だ。
さてこれを訳そうと思うが、日本語にするとちょっと引かれそうな感がある。
すでに日本語になっているマザー・テレサの名言を検索してみると…
意訳したらしいのがいくつか見あたった。
うち、無難なのを引用しよう。

「大切なのは、どれだけ大きなことをするかではなく、
小さなことにどれだけ大きな愛を込めるかです。」

https://hiroshisj.hatenablog.com/entry/20100420/1271768195


昨日から明日までの泊まり込みミッションの間のいちばんの使命は、ひとりのお年寄りの三食の食事の準備とお付き合いだ。
自然に、おいしい、と言ってもらうと、これはうれしい限り。
誘導尋問なしで。

昨日、わが家近くの路上市で新鮮なイワシを買った。
昨晩はお刺身でいただいて。
今日は酢じめにした。

夕食時、「おいしいね」をいただく。

小さなことをしている自分へのエクスキューズかも。

そうそう、『小さな庭の大きな宇宙』という映画のレビューを書き上げねば。
…22日が締め切りだな。


4月18日(火)の記 ゴダールに落ちこぼれ
ブラジルにて


今日のサンパウロ市は終日、雨の予報だった。
出先で朝、小雨のうちに買い物に出る。
が、途中で豪雨となり、靴もGパンもぐしょぐしょになってしまった。

午後、まだぐじゅぐじゅのGパンを「はいて乾かす」方針を取る。
夕方のラッシュ前に帰宅できた。
思い切って、行くか。
屈強な靴に履き替えて。
ブラジル国際ドキュメンタリー映画祭の企画のひとつとして、『ゴダールの映画史』が上映されている。

ゴダールが1987年から1998年までの歳月をかけたシリーズで全8巻。
495本の映画、148冊の書籍、135枚の絵画、93曲の音楽が用いられているという。
恥ずかしながらこの作品の存在を認識していなかった。
これまたそもそも恥ずかしながら、ゴダールの映画は『勝手にしやがれ』ぐらいしかきちんと見た記憶がなく…

世界の巨匠がこれだけの歳月をかけた作品である。
本夕は第3部・第4部の上映であるが、まずこれから行ってみる。

うーむ。
…ついていけない・・・
フランス語のナレーション、フランス語の字幕に、スクリーン欄外にポルトガル語のあて字幕、画面下部に英語の字幕。
それにオリジナル映画の音声、この作品用に用いられるタイプ音らしき効果音。

どんな文脈でどの映画が見せられて、なにが語られているのか、僕にはよくわからないのだ。
基本的な語学力(読解速度)、基礎的教養が不足している故だろう。
それでも映画によっては、わからないなりの映画的「快」を覚えることしばしばだが、それもない。

まるで、落ちこぼれ。
…高校時代の数学の授業あたりを想い出す。
物理も化学もか。

なんだかぽこっと上映が終わった。
ふだんは口やかましいブラジル人のシネフィルたちも唖然としている感あり。

さて、ワタクチはどうする?
それでも、せめてひととおり全作見ておかないと、か?


4月19日(水)の記 『小さな庭の大きな宇宙』の小さな原稿
ブラジルにて


4月22日の森田惠子監督のお命日にあわせてアップしたい。
その前に書き上げて榊祐人監督にも事実関係等、確認をして欲しい。

そうなると、もう時間の余裕はない…

というわけで、今日は朝のネット関連のルーティンワークをそこそこすますと、さっそく書きかけのWordファイルを開ける。

2年前に亡くなった記録映画監督の森田惠子さんは、自分が撮りかけていた映像の編集を劇映画監督の榊祐人さんに託した。
その作品がようやく完成したのだ。
制作プロセスに少し関わった僕はオンラインで試写をさせてもらった。
そのプレビューというか、作品と森田さんらにまつわる雑記である。

この作品は5月3日からはじまる今年のメイシネマ祭のオープニング上映にも選ばれた。
これが全国初公開だ。

自発的に書くもので、誰かに締切りが近いと催促されるわけでもないので、かえってしんどくもある。
いっぽうSNSにあげるので字数制限があるわけでもなく、編集・校正者がいるわけでもない。
ひとりよがりの冗長なものになってしまう懸念もある。

おやおや。
もう正午を過ぎているではないか。

そろそろ幕を閉じる、気になる展示がサンパウロ市内でいくつかあり。
そのうちのひとつに今日、行ってみるつもりだったが断念。
いっきに書いちゃうか、書けるか…

夕方にはドキュメンタリー映画祭で見ておきたいものもある。

まったく想定もしていなかったネタも投入。
とりあえず、書けちゃったかな。

ほんの少し発酵させて、映画から帰ってからもういちど目を通して榊さんにお送りしてみるか。


4月20日(木)の記 ヤノマモとの対話
ブラジルにて


午後、打ち合わせのあとで、そこから歩いてシネマテーカまで行ってみる。
30分弱。

今日はブラジル国際ドキュメンタリー祭'23上映作品の2セッションを見る。

最初のは、ブラジルの短編コンペの5作品。
その最後に『Mãri hi - A Árvore do Sonho(夢の樹)』というブラジル領アマゾンの先住民ヤノマモのシャーマンの語りを紹介する作品が上映された。

その前の作品の上映中に、いかにも先住民の装飾具をまとった人たちが僕の横に座った。
先住民らしきひとりは、さっそくスマホを点灯させている。

この人がこの作品の監督だった。
名前はMorzaniel +ramari(ママ)と資料には表記されている。

上映後、この監督が少し取り巻きから離れたので、ポルトガル語で「いい作品を作りましたね」と声をかける。
そのあとで、39年前に『すばらしい世界旅行』取材班としてヤノマモの村で暮らした時に覚えたヤノマモの言葉で「とてもいい」と言ってみた。

取り巻きが来て、いったん離れた後で、彼の方から僕にポルトガル語で尋ねてきた。
「どうしてわれわれの言葉を知っていますか?」
「僕は日本人ですが、日本のテレビの取材で約40年前にヤノマモのスルクク地区を訪ねて過ごしたんです…」
彼に「日本」というのがどこまで理解できるか…
「ああ、それなら僕がまだ小さい時ですね」

感無量。
日本から取材班として訪ねた西暦1984年の取材の時は僕にはポルトガル語がほとんどわからず、ヤノマモの側にはポルトガル語がわかる人はいないと言ってよかった。
その後、僕はブラジルに移住。
アマゾンの水銀汚染問題に取り組むことになり、1989年には日本からやってきた物書きとロライマ州の州都ボアヴィスタにあった先住民厚生施設に入っていた人たちの毛髪中の水銀量を調べるために、ヤノマモの人たちと再会した。
この時はほんの挨拶程度の言葉しか交わしていない。
ちなみにこの時の模様は、その物書きが僕と連名で『朝日ジャーナル』に発表したが、事前に僕にチェックをさせなかったため、恥ずかしい間違いもそのままとなってしまった。

考えてみると、ヤノマモの人と共通の言語で会話らしい会話をしたのは、今日が初めてではないか。

ヤノマモの村で過ごした20代の僕。
まさか、数年後にはブラジルに移住してしまうとは。
そして自分ひとりでカメラを回してドキュメンタリーを手掛けるようになるとは。
当時のヤノマモの人たちは金採掘人たちなどの侵入の始まる前で、自分たちの独自の時空のなかに生きていた。
それから40年足らずで、ヤノマモの人たち自らがカメラを回して国際映画祭に出品するドキュメンタリー映画を製作するようになるとは。


4月21日(金)の記 ゴダール、勝手にしやがれ
ブラジルにて


今日のブラジルは「チラデンテスの日」の休日。
ちょうど3年前の今日、近所でCOVID-19と書き添えたグラフィティの写真を撮ってインスタグラムに上げた。
4月末からは連日、その日に撮りたてのものを上げることにして。
なんと3年も続いた。

午後からまたブラジルシネマテーカへ。
はじめてのルートを通って、これを見つけた。
https://www.instagram.com/p/CrUEv_-vR4h/
なんとこの作家はインスタでフォロワー16万人越しの大家だった。

さて今日のシネマテーカ。
3セッションに挑戦、のつもり。

昨日は最後に、全八巻を四部に分けて上映される『ゴダールの映画史』の第四部の上映に参加したのだが...

どうも各部のタイトルといい、上映時間といい、プログラムにあるのとは違う感じだ。
ひょっとして第三部のものと取り違えて上映したのではないか。

そもそもそれぞれ、どこから始まってどこで終わるのか、どれが各巻のタイトルなんだかわけがわからない。

会場で運営スタッフに、昨日は作品のかけ間違いではないかと尋ねてみる。
そんなことはない、他にクレームもない由。

むむ…
この映画の日本語の情報もチェックしてみるが、ポルトガル語の情報と作品各部の尺などが一致しないではないか。

今日は第一部相当作品を見るが、さすがに10余年をかけて挑んだ大河作品の嚆矢を感じさせるつくりではある。
とはいえ、なんだかよくわからない、ついていけない。

もうこうなると、昨日上映分も含めて意地で見直してみるか。

さて次に選んだプログラム、ブラジル短編選は開映30分前で満員札止め。

最後に見たブラジルの1時間半ほどのドキュメンタリーは、僕の今後に少なからぬ影響を与えるかも。


4月22日(土)の記 4月22日の過ごし方
ブラジルにて


523年前の今日4月22日、現在のブラジル・バイーア州南部の海岸にポルトガルの船団が漂着。

ブラジルでは1940年4月19日に汎米先住民会議が開かれたことにちなんで、4月19日をDia do Indio:インディオの日と称してきた。
これは昨年からDia dos Povos Indígenas:インジジェナ民族の日と改称された。

これについて在日日本人の方々に日本語で説明するのはややこしい。
ただ、インディオという言葉を避けたというような日本人にわかりやすい問題ではないことはインジジェナ:インディオの、という形容詞を新たに用いていることからも察せられるだろう。
興味のある方はご自身で学習されたい。

SNSで知ったのだが、今日は東洋人街リベルダーデにある「苦しみのチャペル」のある小道で「ブラジル伝統民族フェスタ」が催されるという。
特に先住民と黒人系の文化に脚光を当てるらしい。
これも背景について書くと、長くなってしまう。

とにかく、行ってみる。
すでに午前中から、東洋人街は日本をはじめアジアのサブカルチャーに惹かれる人たちでごった返しているのだが…

そもそもこのチャペルのある袋小路は、リベルダージ本来のまさに魂の場所なのだが、周囲とつながっていない感がある。
先住民系、黒人系の手工芸品などを売るスタンドが並んだ奥、袋小路にあるチャペルの前でサンパウロの先住民がヒップホップで自分たちの問題を訴えている。
場所的な制約もあろうが、なかなかアクセスがしにくい。
残念だが、今後に期待したい。

さて閉展間近のポルトガル語ミュージアムの先住民展に、まさしくかけつける。
土曜は無料でもあり、家族連れなどで盛況。
こういうイベントが盛況なのはうれしい。
雰囲気だけ味わっておく。

コリアンタウンを経て、ふたたびシネマテーカへ。
『ゴダールの映画史』2プログラムに挑戦。

もうどれがどれだか、見たのか見てないのかもわからない。
最終編の最後にあたるはずの部分で「つづく」と字幕が出たように思うし。

すくなくとも「映画史」ではなく、ゴダールという個人の「映画誌」だな。

ゴダールがオマージュとして掲げているブラジルのグラウベル・ローシャ監督の言葉を想い出した。
彼の邦題『狂乱の大地』だったか、この映画は上映の度にフィルムのロールの順番を変えて上映してもいい、といった発言があったかと。

ゴダールはそれをやってみたのではないか。
シネマテーカの映写も、確信犯か。


4月23日(日)の記 「映画とは滝である」
ブラジルにて


さあ今日が今年のブラジル国際ドキュメンタリー映画祭の最終日。
午後からシネマテーカへ、また。

今回の最大の収穫はブラジルのHumberto Mauroの人と作品に接したこと。
20世紀のブラジルの、たいへんな文化遺産だと思う。

彼が生前のインタビューで「映画というのは、滝だよ」といった発言をしているのを知った。
魅かれる言葉だが、具体的にどういうことなのか、よくわからない。

今日は彼の特集の最終上映でずばり『Humberto Mauro,Cinema é Cachoeira(ウンベルト・マウロ 映画は滝である)』と題した2018年製作のドキュメンタリー映画が上映されるのだ。
わくわく。

おや、この上映はいやに音量抑え気味だ。
しかもウンベルト氏のこの発言の音声が早口であり、ノイズ扱いのような録音で、僕にはよく聴き取れない。

帰宅後、ネットで調べてみる。
ウンベルト氏はブラジル内陸のミナスジェライス州で生まれ育つ。
彼は地元で若い時からカメラを回していた。

そんな彼に、何人もの人が自分のところの近くの滝を撮ったらいいよ、と言ってきたという。
それを受けての彼の発言のようだ。

ミナスジェライス州はブラジルの水源地といわれ、複数の大河の水源がある山間地で、さぞ滝も多かろう。

ウンベルト氏とそのフィルモグラフィィを紹介するこの作品は、僕には『ゴダールの映画史』とは桁違いに面白く、感動があった。

映画と滝を、よくぞ結んでくれた。


4月24日(月)の記 ローマ教皇と棺桶引きずる男
ブラジルにて


日本語訳すると『ローマ教皇のエクソシスト』(英題『The Pope's Exorcist』)という映画がサンパウロ市内でかかっているらしい。
こういうのは気になった時にすぐ見に行かずに、永遠に未鑑賞で終わってしまうことが多い。

予備知識なし、ドキュメンタリーか劇映画かも調べずに、とにかくいま、上映されている映画館を探していってみる。
ほう、実話に基づいたフィクションか。

映画のなかで、イタリア語、英語、スペイン語が飛び交う。
こうでなくちゃ。
ローマ教皇直属でエクソシスト:悪魔祓いを行なう資格を持つイタリア人神父が主人公。
スペインの古城を遺産として引き継ぐことになったアメリカ人家族の息子に悪魔がとりついたらしいという報告を受けて、現地に向かい…

ずばりあの話題作『エクソシスト』の系統の映画。
そうか、あの映画の公開からそろそろ50年か。
想えば僕が初めてカトリックの神父というのを認識したのがあの映画かもしれない。

この2023年製作の映画は、カトリックの教義のおさらいにもいいかも。

この映画の情報、そしてベースとなったGabriele Amorth神父についてはポルトガル語はもちろん、中国語などのウイキのページはあるが、日本語はない。
日本語だけでは世界の趨勢がわからない時代、をこんなところからも感じる。

あ、そうそう、この映画にはローマ教皇も登場するのだが、それを演じるのはフランコ・ネロ。
なつかしい名前だ。


4月25日(火)の記 サンパウロのバンクシー
ブラジルにて


サンパウロのバンクシー展がそろそろ終わる。
ショッピングモールの駐車場が会場、といういかにも商業主義の興行臭が漂うが。

とはいえ、仮にもサンパウロからグラフィティについて発信している身として、世界のバンクシーを見る・知ることは義務かもしれない。

入場料をチェックしてたまげた。
180レアイス(約4500円強)から、とある。
グラフィティを貧者の武器とも考える僕としては、とても受け入れがたい。

…ところが、よくよくチェックしていくと…
この料金は列につかず好きな時間に入れて、エコバッグか何かのオマケも付くもののようだ。

月火は割引料金あり。
さらに僕はシニア料金でいけそうだ。

今日ならVIP料金の数分の一ですみそう。
先のサンパウロアートフェアでは却下されたオンラインのカードでの購入も、こっちではうまくいった。

というわけで、今日は午前10時の開館前に現地へ。
併設してフリーダ・カーロの「没入型展示」もやっているのだが、フリーダの方の入りはイマイチらしい。

ヤッホー、たいした混雑もなく入れた。
いやはや、面白い。

入るとすぐに空港のような荷物検査場があり、げんなりするが、ナントこれがインスタレーションだった。

僕はバンクシーについて、少しのことしか知っていなかった。
見どころたっぷりだが…
バンクシーがアメリカ合衆国あたりの蚤の市で買ったそこいらにあるような油絵に筆を加えて、作品としているのが特に面白かった。
アートの錬金術だ。

ウクライナのロシアによる破壊による瓦礫と、そこに描かれた作品も再現している。
最後には難民たちなどへの募金先のQRコードあり。

いろいろな思惑、商業主義がつきまとってしまうなか、バンクシーというアーチストはブレがなく、このアポカリプス的時世での希望を感じる。

目録や文献でもっと学びたい。
が、売店にあるのはTシャツやカップ類のみ。

この言葉の写真を、フェイスブックにあげておいた。
https://www.facebook.com/photo?fbid=10228003888177526&set=a.3410845544903
オカムラ訳は…
「グラフィティは、ほとんど何を持たないものの数少ないツールである。」
グラフィティとは、なにも持たない弱者の表現による武器だ、ぐらいに意訳してもいいかな。

日本ではなく、ブラジルで見れてよかった。


4月26日(水)の記 額縁のとびら
ブラジルにて


路上のグラフィティを探していて出会ったアーチストのアトリエを再訪。
今日で三回目の訪問。
先回も道に迷い、今回も…
発注済みの作品を購入、ピックアップ。

このアトリエはミネラルウオーターの給水の帰路に出会った。
今日はアトリエの後で水源に寄って給水。

今日のグラフィティは一点、押さえた後でもう少しウオーキングを続けて…
お屋敷地区で思わぬ発見あり。
作画中のもののようだが、これは楽しみ。

さあ持ち帰った額縁をどこに飾ろうか。
次回、オンライントークの機会があれば、背後にそっと置いてみるか。


4月27日(木)の記 トラウマ峠を越えてゆく
ブラジルにて


日本の友人の紹介で、日本からブラジルに取材に来たテレビマンと会うことにする。
先方は取材で来ているのだから、ドタキャンは覚悟のうえ。
こちらもサバを読んでおく。

先方が伝えてきた希望時間を、急な打ち合わせが入ったそうで1時間遅らせることでお会いできた。

先方の嗜好と志向に合わせて近場の店をチョイス。
まずはアイリッシュパブでブラジルの地ビールを賞味いただく。

先方の取材テーマにも格好なお店の話を持ち出してみる。
ぜひに、とのご希望。

僕も好きな店なのだが「ワケありで」何年も暖簾をくぐっていない。
僕自身にとっても「トラウマ」にあたる好機かもしれない。

おかげさまで、まさしくドキュメンタリー映像のなかにいるような絶妙な展開となった。
料理も絶妙。

ブラジルで、久しぶりに大先輩の「豊臣靖」の名前を聞いた。


4月28日(金)の記 ブラジルのブローカー
ブラジルにて


昨晩は久しぶりに外でハシゴ飲み。
…二日酔い、とまではいかないが。
とにかく話が弾んでしまった。

今日はだらだらと、ルーティン作業。

午後、思い切るか。
ブラジルでのタイトルを訳すと『ブローカー:ひとつの新しいチャンス』。
是枝裕和監督の韓国映画『ベイビー・ブローカー』を見に行く。
行きは歩き、帰りはメトロ使用。

他人同士に家族的な心情が湧いてくる、というのは是枝監督の『万引き家族』に通じるな。
制作プロセスをよく知らないが、この話は日本が舞台より韓国の方がよかったと思う。
それにしても、役者それぞれが存在感と味わいにあふれている。

年長の刑事役の女性、似たような俳優がいたような…
そうだ、『ドライブ・マイ・カー』の運転手役の彼女。
このタイプが監督の好みか。

あ、よく考えると監督は違った。
『ドライブ…』は最後に韓国が舞台となるので、その続きのノリになってしまった。

僕と僕の作品は韓国でひどい目に遭ったまま。
公式な謝罪もなくうやむやにされている。
雪辱を晴らしたいもの。


4月29日(土)の記 原稿:10万余騎の敵
ブラジルにて


5000字余りで5月に、と依頼された日本語の原稿があった。
編集者に乗ってもらえるネタは見つかった。
しかし僕としてもこれまでとは異質なもので、出来上がりのかたちも字数も読めず、オッケーとなるかどうかも見当がつかない。

なるべく4月中にいったん書き上げて送ってみましょう、とは言ったものの。
いくつかイレギュラーな書きものも入ってきて、先方には先延ばしをお願いしていた。

だがこれも手掛け始めてみると、けっこう進んでしまった。
…字数はとりあえず4000字余りだが、こんなのでいいのかどうか。

明日からまた2泊3日で料理人兼付添い人のミッションあり。
夕刻、日本宛てに添付ファイルであらためていじった草稿を送信。


4月30日(日)の記 オザスコ・ファイル
ブラジルにて


午後からお呼ばれで、サンパウロ市のはずれへ。
サンパウロ市北西部のへり、オザスコ市とのほぼ境だ。

Osascoという地名の由来が気になっていた。
ブラジルでは O(オー)ではじまる地名というのは極めて珍しい。
先住民語、アフロ系の言葉の感じでもなさそう。
まさか、尾佐須戸とか?

検索してみる。
ふむ、オザスコ市は人口約70万人か。
東京を見ると、世田谷が約94万、注目の杉並が約56万人。
そのちょうど間ぐらいだ。

オザスコ市の誕生は、西暦1962年。
名前の由来は…
1895年に鉄道オザスコ駅が誕生。
イタリア移民の企業家による創立で、駅には彼のイタリアの故郷の地の名前が付けられたという。

ほう、イタリアの地名か。
イタリアのOsascoについてポルトガル語のWikiで調べる。

奇しくもサンパウロ市とオザスコ市の地理的関係に相似するイタリア北東のフランスとの国境近く。
人口はなんと今日でも1100人台という小さな地方自治体だった。

オザスコは、イタリアの地方農村から持ち込まれた酵母のように、ブラジルに根付いて膨れ上がったのだな。


 


前のページへ / 上へ / 次のページへ

岡村淳 :  
E-mail: Click here
© Copyright 2024 岡村淳. All rights reserved.