移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
岡村淳のオフレコ日記
     西暦2023年の日記  (最終更新日 : 2024/01/02)
5月の日記 総集編 百年の旅路

5月の日記 総集編 百年の旅路 (2023/05/02) 5月1日(月)の記 流浪堂の暗号
ブラジルにて


昨年3月にこれまでの店舗をいったん閉じた目黒・学芸大学駅最寄りの古本遊戯・流浪堂さん。
新店舗はまだ未定だが、この連休中に目黒川沿いのアパレルショップで古本フェアを開催中という。
https://www.facebook.com/photo/?fbid=623221196513839&set=a.470730315096262

うー、目黒川沿いで書とカフェに親しみたい…

昨夕から明日まで、料理人として出張中。
おとものメインはそろそろ読了の『聖書の暗号』マイケル・ドロズニン著、新潮社、1997年初版発行。
少し読んで「積ん読」状態だったが、気になって発掘。

あー、やっぱり流浪堂さんで買ったものだった。
店主二見さんの味わい深い金額の記入あり。
まことにこんな金額でこの本を入手できたとは。
もうチャリティ事業の部類であり、僕はそのおかげで何冊ものかけがえのない本に出会えた。

この本の発行年は奇しくも拙作『生きている聖書の世界 ブラジルの大地と人に学ぶ』を製作した年だ。
https://studio.youtube.com/video/gb4M1TD-Oco/edit

この頃から特にカトリック、プロテスタントの宗教者と親しくお付き合いしてきている。
が、キリスト者からこの本について聞いた覚えがないのだ。

この本は、3000年前に書かれた『旧約聖書』をコンピューター解析すると、様々な預言が封印されていることがわかったと告げる。
そして中東に端を発する核兵器の使用・第三次世界大戦・ハルマゲドンの危機を訴える。

いまやこの本は文庫本にもなり『聖書の暗号2』も日本で出されているそうで、興味のある人はそれらにあたっていただきたい。

いずれにしろその暗号が封印されている聖書がヘブライ語であり、僕にはちんぷんかんぷんだ。
しかもコンピューターによる配列・解析が必要であり、僕には確かめようがない。

しかしすでに世界的な数学者がこうした暗号の発見を論文化しているという。

…なにかあるかもしれない。
これらの刊行後に生じたフクシマ、コロナ、ウクライナなどの問題も聖書のなかに「暗号化」されているかどうかが気になるところ。

日本語で検索すると、いろいろと出てくるのだが。


5月2日(火)の記 『最後の学徒兵』
ブラジルにて

戦争という人と人との殺し合いに大義はない。
殺すのも嫌であれば殺されたくもない――。
それが私たち庶民に共通した思いであることをあらためて確信したのです。

森口豁さん著『最後の学徒兵 BC級死刑囚・田口泰正の悲劇』(講談社文庫)あとがきより。

『聖書の暗号』に次いで、この本を出先で読了。
週はじめからの自己嫌悪の思いも吹っ飛んでしまった。

1945年の沖縄戦のさなか、捕虜となったアメリカ兵を上官の命令で処刑した学徒兵が主人公。
彼は戦時国際法違反を断罪するBC級戦争犯罪被告人裁判で死刑の判決を受けて、1950年に執行される。

命令を下した責任者である指令は連合軍に逮捕されると(命令を下して処刑の行なわれた夜は)酒を飲んで寝ていたので自分は知らない、ととぼける始末。
この事件の被告45人のうち、41人に死刑判決が下された。

横浜の軍事法廷で死刑判決を受けた時の田口さんの写真がグラビア1ページで掲載されている。
まだ20代の若者そのものである。

田口さんは敗戦後、復学して逮捕の直前まで水産の研究に打ち込んでいた。

著者の森口さんは、よくぞここまで、とうならせる渾身の取材を続けられた。
単行本の刊行は1993年。
事件関係者は全員が戦争は絶対反対、と語っている。
アメ公に仕返しを、今度は戦勝国になろう、といったような念はまるで浮かぶことはなかったようだ。

捕虜虐待を禁ずる国際条約に調印しながらその啓発と順守どころか真逆のことを行ない、秘匿して、それがバレると責任者は自分の保身に走って部下に責任を押し付ける。

なにが美しい日本か。

本を読もう。
そして、目を覚ましていよう。


5月3日(水)の記 足の甲の突っ張るとき
ブラジルにて


日曜から火曜まで自宅を離れていたので、ノートパソコンでの作業がたまっている。
まずは、さる土曜に送った原稿に書き足し。
日本のジャニーズ問題とブラジルの先住民を結んでみた。
これは編集者のオメガネにかなうかどうか。

わたしはアルファにして、オメガネである、なんて言われたりして。

ウオーキングとグラフィティ採集のため・・・
午後から外出。

わが家の東方の急坂地区をくだる。
ここの道は、あまりの勾配で足の甲が突っ張ってしまうほどだ。
そろそろとくだっていく。

帰路は…
きつい。
買い出し品の重量は、ほんの数キロのはずだが、それがずしりとくる感じ。
いつまでこれをのぼれるか…
気分は『東京物語』の、孫の外遊びに付き合う平山とみ。


5月4日(木)の記 聖市北上
ブラジルにて


あーうだつがあがらない。
景気づけに思い切って気になる展示でも見に行くか…

あー、銀行の払いものもあるしな…
どこかで自然発酵のパンも買いたい。
午後の時間もどんどん経過。
ラッシュもあれば、夕食の支度もある。

ウエブ検索…
サンパウロ市のメトロの極北部まで行ってみるか。

電話番号の記載のない自然発酵パン取り扱いの場所と、ナイーブアート系のギャラリーが近いようだ。
ナイーブアートに食指が動く。

ほとんど土地勘のない地域。
うっかりひと駅乗り過ごし、ここから歩いてみることに。

パン屋もギャラリーも外に看板を出さない民家だった。
いずれもアタリ。
こうした時の喜びはひとしお。

いずれも、少し話を進めてみようか。
帰路にあったガレージ利用のパステル屋がまた面白かった。

I Shall return.


5月5日(金)の記 近郊都市萌え
ブラジルにて


大サンパウロ圏の町でブックフェアがあるとSNSで流れてきた。
日本で例えると、僕の実家は東京の城南地区だが、そこから電車を乗り継いで横浜や川崎あたりに出向く感じか。

ブラジルの豊かな出版文化に触れるのは、当地の自然林の散策に通じる喜びがある。
いい日旅立ち、近郊の知らない町と未知の図書の森に向かう。

おおー、いきなり、欲しかった心霊主義関連図書が!
…と、会場をちびちび歩いていくと心霊主義はじめアフロ系宗教、キリスト教関係と宗教系がけっこう多い。
とはいえ、統一協会やらブラジルにもだいぶ乗り込んできている日系新興宗教のものはない。

さて買い物を終えて、帰りはメトロのターミナルまでつなぐというシャトルバスに乗ってみようかと思う。
それまで、グラフィティ採集や格安系の地元飯、カトリック教会探索など。
いちいち面白い。

して、シャトルバス。
30分ごとにとの触れ込みだったが…
ナント約90分、待たされる。
今日は金曜だからなどとスタッフがエクスキューズするが、論理的ではない。

電車乗り継ぎでも1時間ちょっとで帰れてのだが。
ようやく到着した便は、夕方のラッシュ時にも関わらず40分程度でジャバクアラ駅に到着。

日本なみに「中抜き」が行なわれているとしか考えられない。
そんな調子で宗教書を売ったりしていると…

ま、シャトルバスもタダだし、いい話のタネである。


5月6日(土)の記 注文の多い料理店
ブラジルにて


SNSでの情報。
メトロ1駅半ぐらいの距離にあるレストランで5月の土曜昼限定の食べ放題があるという。
牛リブ肉がウリらしい。
わが子と行ってみることにする。

12時開店に合わせて訪れる。
身内風の客のみで、調理場もこれから火を入れるといった感じ。
小さな店だがライブ演奏があるようで、そっちの準備が進んでいる。

…まあいろいろと注文を付けたい店だった。
何人もスタッフがいるが、オーダーを取るのは一人のみ。
わが子が清涼飲料を頼むと缶入りで、凍結している。
普通の料理には付いてくるヴィナグレッテソースやファロッファ類が値の張る食べ放題コースには付いてこない。
狭い店でライブは弾き語り一人かと思いきや、パーカッションもいる。
電子音量が多き過ぎて音は割れ、オーダーのやり取りどころか親子の会話にも差し障る。
電波が弱く、カード清算は何度もやり直しで時間がかかる。
税金分を慈善事業にまわせる領収書が欲しかったが、店内はカオス状態で見合わせる。
出がけにトイレに寄ろうと思うが、わが子から紙がないよと言われる。
紙の使用は予定していなかったが、店側の気配りのないトイレに入る気は失せてしまった。
エトセトラ、エトセトラ…

料理は悪くはなかったけど、安くもない。

ライブのミュージシャンは店側の身内か何かか。
ぼちぼちと集まってくる客側からのリアクションはないに等しい。
音楽が休憩に入るとホッとする。
町なかの、土曜昼でも車で渋滞する道に面した店である。

僕は風の音が、鳥や虫の音が、森や林の葉擦れの音が聴きたい。
周囲の会話の方がまだ暴力的音量のライブ音楽よりましだ。

さすがに音楽チャージは取られていないようだが、サービス料10パーセントを請求されている。
まー、こっちがもらいたいところ。

それにしても客側のリアクションどころか、迷惑そうにされているなかで大音響で音楽を奏でるミュージシャンの心境はいかに。
というか、そこまでに気が回っていないレベルかな。

こんな僕でも感じ入る町場の演奏があれば、SNSなどで拡散協力したいところ。
けど、なかなか…


5月7日(日)の記 蕪の葉のうれしいよろこび
ブラジルにて


魚を目当てで路上市へ。

なにかめぼしい野菜もあれば。
おー、葉っぱがあおあおとした赤カブがある。
他の店も回って値段をチェックしよう。

あ、ふっくらとした大粒の白カブのある店が。
葉っぱも新鮮。
赤から白に転向。

葉っぱの量がごっそり。
ダイコンの例からして、一日おくとだいぶ傷んでしまう。
今日のうちに…

葉っぱの一部を塩でもみ、コリアンタウンで買ったキムチの残り汁に着けてみる。
さらに葉っぱと身を刻んで日本のたしかヒャッキンで買った漬け物器に。

まだまだある。
菜飯にするか…
ネットでレシピをみて、茹でてからナムルにしてみる。

ひとつの野菜で、まことに充実。

魚はカツオを買った。
玉ネギを刻んで水にさらし、いただいた手作り醤油でヅケにしてみよう。
ミニセロリをちらし、ライムを絞って。


5月8日(月)の記 古新聞、古雑誌~
ブラジルにて


今日はワケありで古新聞のチェックを進める。
未チェックの古新聞古雑誌がじわじわとたまってくる。

切り取った後、未読のものもたまるばかり。

これらが活用できるのは、ごくまれ、しかもほんの微細な分量。
最近では西暦2020年の立教ラテ研のオンライン講座。
そしていま、アタマをいためているガリ版刷りのミニコミ誌『あめつうしん』への寄稿。

経済的事情からも購読紙誌を減らしているが、いやはやどうなることやら。


5月9日(火)の記 水を得た魚が見たい
ブラジルにて


日本から来た友人とパウリスタ地区で軽食。
その足で、至近のITAU銀行カルチャーセンターで始まったグラフィティ展に行ってみる。

うーん…
3層にわたる大型展示で、旧石器時代の洞窟壁画から説き起こし…
有名作家の作品、立体展示も立派。

だが、なんだか僕はもえてこない。
なぜだろう?

…、実際に外で現物を見る時のヤバさがない。
外光がなく、空気が動いていない。
それに…

そもそもグラフィティはこうした展示の「化外(けがい)」にあること自体が魅力なのかもしれない。
少なくとも僕にとっては。

食用に魚を買いに行くなら魚屋だろう。
しかし、いきものとしての魚を見たいなら、水族館に行くか、できれば実際に海でダイビングして魚とともに泳ぐ方が痛快ではなかろうか。

この展示では、写真を撮りたいという気も起らなかった。

さて、今日のインスタグラム用のグラフィティ採集をどうするか。
近くを歩くが、このあたりは意外とグラフィティ日照りである。

けっきょくメトロにして二駅ぐらいを歩いてしまう。
おそらく10数年ぶりぐらいの地区まで。

いやはや、この町は歩き込みさえすればグラフィティの逸品たちがナマの輝きといろどりを見せてくれる。
いろいろヤバさもあるけどね。

https://www.instagram.com/p/CsCAvPAuit3/


5月10日(水)の記 雨あたり
ブラジルにて


身内への贈り物として額入りの絵を買うことにした。

今日、それを取りに行く予定。
先方は届けようかというが、こちらから行くことにした。

配達だとその料金が加算されるかもしれず、サービスだとしても配達人にチップぐらいは渡さないと。
しかも決めた時間に来るとは限らず、それまでずっと待機しなければならない。

車で行くよりメトロと歩きの方がスムースな場所。
メトロの混雑時間を外して。
先方は来る前に連絡を、とのこと。

今日の午後ぐらい、と考えていたが、昨日からスマホの天気予報は午後から雨となった。
そのため午前中にと方針を変えると、朝から雨。

他の予定も抱き合わせることにしたので、後日にもしづらい。
午後の雨の予定は相変わらずだが、10-12時は曇りのマークとなった。

わが家あたりはいったん雨が上がったので、11時着ぐらいを目途に先方に連絡、出家。

ぎゃー、最寄りのメトロの駅に着くと地上はざんざん振りではないか。
とても美術品を受け取って持ち運ぶ状況ではない。
駅前のビルのカフェで待機。
先方に駅前で雨宿り中と連絡。
スマホの予報だと、今の時間は曇りなんだが。

ようやく小やみになった。

特に問題なく作品を購入、ぶじ帰還。
なんだ、そもそも雨の予報だった午後はお日さまが出てきたぞ。


5月11日(木)の記 シネピアノの夕べ
ブラジルにて


検索してみると、日本でも「シネピアノ」の名称で同様の活動をしている人がいるようだ。
こちらでは、CINEPIANO。

今夕、文化施設のSESCでシネピアニスト・Tony Berchmansさんの演奏と上映あり。
映画は『月世界旅行』と『吸血鬼ノスフェラトウ』の2本立て。
ナント無料。

家族の夕食をこさえ、万端繰り合わせて参上。
ナント施設の屋外スペースにスクリーンとピアノを設置しての上映だった。

サイレント映画『月世界旅行』の製作は西暦1902年。
ナント第一回ブラジル移民船かさと丸の航海の6年前に、ここまでいっちゃっていたとは。

こちらは日本でいえば晩秋といったところで、夜分はそこそこに冷える。
終演後にスマホを見ると、摂氏17度。
僕は半袖シャツで挑んでしまったが、アタマにフードを被った人、ポンチョをまとった人もいた。

さて、映写の方はスクリーンの後ろのビルの灯りが煌煌と。
それでもこうして屋外で白黒のサイレント映画上映に生ピアノ演奏という「新鮮な」イベントをそれぞれ面白がっている感じ。
日本でいえば小学生ぐらいの子どもたちも、けっこうじっと見ている。

ピアノ演奏は通しでおよそ1時間半だ。
『吸血鬼ノスフェラトウ』の方は今年が16ミリ映画100周年とのことで、あえて16ミリ映写機で上映された。
ポルトガル語の字幕が挿入されているのだが、そもそもこれが読みづらく、星人への識字教育が盛んな国用とは思えない短さ。

それはともかく、こうした作品をこうした見せ方でそこそこ「いける」ということが「見せる側」でもある僕には刺激的だった。


5月12日(金)の記 MSTの祭典
ブラジルにて


MST:土地なき農村労働者運動の物産品フェスタがサンパウロ市のアグアブランカ公園で始まった。
昨日の木曜から日曜までだ。
思い切って行ってみる。

ああ、なつかしい。
1990年代にはこの運動の最前線の現場にだいぶ通った。

それにしても大変な規模のイベント。
ブラジル北東部から南部まで、各地から農地改革の現場で生産されたものとともに人が集まっている。
さらに音楽ショー、討論会なども行なわれている。
日本でいえば保守層とネトウヨからの偏見と攻撃にさらされている人たちだが、なにするものぞの迫力と魅力。

同郷者を懐かしがって集う人、あたらしもの好きのサンパウロ市民、社会に目を開く若者たちでごった返してくる一方。

フードコーナーはさらなる混雑。
すでにサンパウロ市の7月の風物詩になったとされる日本祭りに勝るとも劣らない。
せっかくだから食べてみたいが、各ブースの食券売り場の蛇行する行列を見ただけで、ため息。
行列だらけのなかで、ぽこっとさほど人の群がっていない食べ物ブースがあった。
ブラジル北東部パライーバ州からの由。

ここの盛り合わせプレートを頼んでみた。
マカシェイラ(キャッサバ芋)・クスクス(トウモロコシの粉料理)・干し肉(ビーフ)・ライスの組み合わせ。

ようやく手にするが、広いフードコーナー、空テーブルどころか空イスがない。
テント外のスペースに放置されていた椅子に座り、片手で皿を持っていただく。
立ち食いよりはいい。

往来が激しく、皿の置き場もなく、決してフォトジェニックではない食べ物なのでスマホ撮りは見合わせる。

ちゃんと皿とフォークは返しに行こう。
先ほどはむっつりしていた売り子のお姉ちゃんも、僕が出身州を確認すると「おいしかった?」と聞いてくる。
「おいしかったよ、がんばってるね」といった返しをすると満面の笑みを返してくれた。

金曜でこの人出なら、土日が思いやられる。

それにしてもサンパウロの日本祭りの人出を自画自賛する日系機関・メディアは、こうした他のイベントと比較するようなことはないのかも。

僕自身のMSTに関するやり残しの作業はどうしよう?


5月13日(土)の記 フェイジョアーダ日和
ブラジルにて


今日はフェイジョアーダをこさえることにした。
昨晩から、準備。

きょう在宅の家族計3人が昼夜と食べられる程度の量で…
黒フェイジョン豆はカップ2杯半で、ちと多いかな?

いやはや少ないぐらいだった。
納豆をつくる時に大豆をカップ1杯だとけっこうな量なもので、つい混乱した。

インディカ米は3杯、調理して少し残った。

僕にとっては、こうして自分でこさえるフェイジョアーダがいちばん口に合う。
豆と各種肉類の煮込みであり、けっこう重い料理なのだが、ワタクチ流はさらさら、とまではいかないがいくらでもいけてしまう感じ。

外で食べるとけっこういい値段だしね。
こうさっぱりとはいかないし。


5月14日(日)の記 ブラジルの未確認食用物体
ブラジルにて


今日のブラジルは「母の日」。
こちらの一族の集いがあるが、僕は行きの運転手役のみにしておく。
・帰りの運転があるので、アルコールが飲めない
・もしコロナのクラスター発生となった場合、動けるようにしておく
などが主な理由。

昼は一人でキッチンドリンク。
これが目についた。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10228127113938093&set=a.3410845544903&type=3 ¬if_id=1684096390229167¬if_t=feedback_reaction_generic&ref=notif

こちらのスーパーで目につき、家族のために買っておいた。
ブラジルNISSIN産のUFOカップ焼きそば。
「ニッポ~~ン風味のソース味」とある。
スーパーの特売で約180円。

話のタネに食べてみるか。
日本のもののように「かやく」は別袋になっていない。
ソースだけ別袋。
乾燥肉塊などが乾麺のうえに乗っかっている。

うーむ。
日本のもののように青のりや紅ショウガといった色ものがなく、できあがりは絵ごころをそそらず、写真は見合わせる。
わが家にあった「あおさ粉」をかけていただく。

うーむ。
日本のものより、かやく類は格段に少ないし。
日本のカップ焼きそばを偲ばせる味、といったところどまり。

想えば、わがブラジルはUFOの本場。
矢追純一氏のYFOものテレビ特番などでも、ブラジルはUFOの本場扱いだったかと。

ヤキソバそのものはズバリその名称でブラジルの食文化の片隅に定着したが。
カップ麺もそこそこ定着してきた。

UFOヤキソバは、船団でスーパー占拠まではむずかしいかも。


5月15日(月)の記 ブラジルの洋品店
ブラジルにて


「洋品店」という言葉については以前も言及したような気もする。
そもそも今どきの日本の若い人にこの言葉が通用するだろうか?

「洋服」など西洋起源のものを売る店、といったところか。
すると明治維新後に生まれた言葉とみてよさそうだ。
ざっと検索してみると「洋服」の語の前には「南蛮服」という呼び方もあった由。
ご当地には南蛮服の方がお似合いかも。

さて、今週半ばから、サンパウロから南極方面へ400キロ以上近づいたところへ遠征する予定。
多少の防寒具を用意しよう。

そういえばセーターは厚手のものしかない。
僕は暑がりだし…

というわけで昨日から徒歩圏の「洋品店」をまわっているのだが、なかなかこれというものがない。

昨日は大型店を見たので、今日は中小の店をまわってみる。
…そもそも、女性ものばかりの店が多い。
セーターを置いていないどころか、目につくのは半袖のものばかりという店も少なくない。

こっちは亜熱帯とはいえ、晩秋なのだが。
これはというものがあっても、よくみると細部がぞんざい。
値段は安いに越したことはない。
が、めったに買うものではないし、あまりチャチなのは、ちょっと。
(ここでチャチの語源を探ると、一説に中国語!
 ゾンザイの語源も調べるか…)

まー、デート見合いに行くわけでもないし。
…いま来ているのは、当時は日本でトレーナーと呼んでいたもの。

胸にIRIOMOTE ISLANDOとある。
日本のテレビ屋時代、西表島を取材した時に購入したもの。
よくもいままで着続けたものだ。

わが家の在庫も改めてみてみよう。


5月16日(火)の記 スマホ再生
ブラジルにて


明日は日の出前にサンパウロを出家するつもり。
久々の遠出、そのミッションは重い。
ビデオ機材も準備するが、ブランクが長く、うろたえる事態が少なくない。

ああ、ここに来て。
ここ数日、スマホのバッテリー消耗が著しくなっていた。
今日になって、加速度的に。

バッテリー交換はめんどくさいので、旅から帰ってからと思っていたが、これは道中、差し障るほどの事態。

家族の「おふる」のスマホである。
これまではダウンタウンの「アイフォン王」というメンテオフィスに通っていた。
時間的に追い込まれていることもあり、家人が言及していた隣駅前のスマホ屋に行ってみよう。

バッテリー交換の値段を聞くと、数年前の「アイフォン王」の値段とさして変わらない。
ここで替えてもらおう。
ついでに破損の激しいこの部分、日本語だとなんというのか…
ディスプレイの保護フィルムか、これも替えてもらおう。
フィルムの下部まで破損していないようで、やれやれ。

まず最初は6時間、充電したままにしておく由。

ひと通りの準備。
家族の夕食の準備。

さあ武者震いもするが、横になって明朝に備えよう。


5月17日(水)の記 百年の旅路
ブラジルにて


未明。
車のエンジンを起動させると、カーラジオからブラジル国家が流れ出した。
午前6時である。

ひたすら海岸山脈の道をパラナ州の州都クリチーバに向けて走らせる。
大西洋森林に覆われた海岸山脈の異様には圧倒されるばかり。
この道は。
自分史。
日本人移民史。
ブラジル史。
諸々を想わせる。

記録文学作家の故・上野英信と亡父は同じ歳の生まれだった。
カーキチ、という言葉はいまはオッケーか?
亡父は、それだった。
カミナリ族というのに所属していた由。

亡父の享年近くになり、異国で日に400キロ以上を走る不肖の息子の姿を捧げたい。

訪問先は、亡母とほぼ同じ生まれの佐々木治夫神父。
再会かなった。

一昨年に亡くなった森田惠子さんにちょうだいしたビデオカメラを持参した。
が、「あえて撮らない」という選択をしようと思う。
『ブラジルの土に生きて』制作後とほぼ同じ想いから。

撮らないで僕にできそうなことがあるか、考える。


5月18日(木)の記 問答無用か有用か
ブラジルにて


クリチーバの早朝、摂氏6度。
修道院のチャペルでのミサにあずかる。

齢93歳になられた佐々木治夫神父。
クリチーバのブラジル純心聖母会の施設内の一室を終の棲家とされた。

日中は自室のテレビの前の安楽椅子に横たわっていることが多い。
昨日はオカムラの大声が聞き取れていないとわかった。

自室のテレビの音量がハンパではない。
時折、テレビの画面のことや思いついた話をされるのだが、それをこちらが聞き取ろうとしてリモコンでテレビ音声を絞るかミュートにしようとすると、かえって大きくされてしまう。

それでも神父さんがシスターの作業場に立ち寄った際などに、ある程度の対話ができた。
これまでになかった話も出て、これは他の方々とも分かち合わなければ。
そのためには、さらなる質問もせねば。
お疲れも察せられるので、今回はこの辺にしておきましょう。

次の機会があることを願う。


5月19日(金)の記 ホロコーストミュージアム
ブラジルにて


サンパウロ滞在時に今日の午前9時の予約を入れておいた。
ようやくクリチーバのホロコーストミュージアムの訪問だ。

佐々木神父とシスターたちにいとまごい。
ミュージアムの場所は中心街の北側の住宅街だった。
ひとりひとりのIDチェック、持ちもの検査は空港並み。

意識の高そうな若者、中高生の団体の見学が一緒。
一筋縄ではいかなそうな中高生の若者たちが、おとなしくスタッフの解説を聞いている。
展示にそれだけの重さ、真摯さがある。

20世紀のホロコーストのおさらいをしながら、新たな知見にいろいろと触れる。

ユダヤ人のナチスによる虐待虐殺、のみにくくらずに、差別と偏見、不寛容がもたらすことの恐ろしさに問題意識を拡げている。

ホロコーストの嵐のなか、一命をとりとめてブラジルに移住した人たちと、ブラジルで黒人や先住民ということで迫害にあった人たちとの個人としての対話の動画もあり。

昨今の在日日本人たちにこそご覧いただきたい展示だ。

今日はさらに美術館、書店、映画館などをまわる。
映画館は世界で20館に入るという触れ込みに惹かれて。

クリチーバの多様なカルチャーの醸し出しがたまらなく刺激的。
中心地区の安宿に泊まる。

夕食を食べられる店が近くにない!

今日はけっきょく2万3千歩以上、歩いてしまった。
今年最高みたい。
歩き甲斐のある町だ。


5月20日(土)の記 クリチーバの朝歩き
ブラジルにて


知らないカトリック教会を訪ねてミサにあずかるのは嫌いではない。
実際に体験しているが、宗教によっては訪ねると軟禁状態にされてしまうことがある。
カトリック系では「ほぼ」こうしたことはないようで、ミサ次第もほぼ全世界共通で勝手がわかる気安さがある。
それでいて、それぞれ微妙に異なるのも面白い。

ミサや礼拝にあずかることをシャワーにたとえるのがなるほど、と思った。
浴びなくても死にはしないだろうが、身心がリフレッシュする。

さて、ブラジル全国のカトリックのミサの場所と時間を検索できるウエブサイトがある。
それをチェックして、クリチーバの中心街にあるわがホテルから1キロ強のところにある2ヵ所の教会で、土曜の午前7時にミサがあることを確認。
思い切って早起きして…

結論からすると、2ヵ所とも実際にミサは行なわれなかった。
まー、この「無駄足」のおかげでぎょっとするようなグラフィティに出会えた。
https://www.instagram.com/p/Cse2-5CPPS8/
ホテルに戻って朝食。

いずれにしろ今日の午前中にはサンパウロに向けて発つつもりだった。
スマホで付近を検索…
土曜の午前中も開いているギャラリーが近くにあるようだ。
…思い切るか。

そこもどう見ても閉まっていたが、警備員に尋ねると、中に入れてくれた。
ここがビンゴ!
いいカタログの買いものもできた。

さあ、ひたすらサンパウロに向けて走る。
土曜のせいか、往路よりスムースな感じ。

次のクリチーバ訪問に思いを馳せる。


5月21日(日)の記 ゴッホの夜のカフェ
ブラジルにて


朝、家族を乗せて近場まで運転。
腕と神経がぴりぴりする。
昨日の長時間長距離運転のせいだろう。
今日の運転はこれぐらいにさせてもらおう。

パンデミック中にブラジルの新聞社が出した画集の第一巻ゴッホをちびちびと開く。
西暦1888年の邦題『夜のカフェ』という作品。

縦長で星空のもとのカフェは『夜のカフェテラス』で、これとは別物で別店。
いずれも同じ時期に描かれた由。

『夜のカフェ』の方は人工照明の屋内空間で、なにやら淫靡。
がらんとしたフロアの中央にビリヤード台。
周囲の壁際の椅子に三々五々の人。
売春婦と顧客、酔いつぶれた男ども、のようだ。
深夜営業のアルルのカフェ。

今の日本の深夜営業のマクドナルドやネットカフェみたいなものだろうか。
よどんだ空気。

1888年・明治21年の帝都東京には深夜営業の店はあったのだろうか。
岩波の『日本史年表』をくると、この年12月に東京美術学校創立とある。

確認のため、ウイキで東京美術学校を検索すると、1887年創立とな。
その後進の東京藝術大学のウエブサイトをひらくと、そのあたりの記載は見当たらず。

ま、どっちでもいいか。
このカフェと絵について本人が『ゴッホの手紙』のなかで言及している由。
読みかけでどこに行ったか、探してみよう。

どうもゴッホはヤバい。
あらためてこの絵を見つめていて、息苦しくなってきた。


5月22日(火)の記 牛の目 ブリの目
ブラジルにて


今日は僕がこちらの身内のところに泊まりの料理番をすることになった。
昨日、路上市の魚屋で買ったブリを持っていこう。

すでにヅケにしてある。
アラは、ブリ大根にするつもり。

さて、このブリだが、こちらではずばりBuriとして売られていることもある。
ポルトガル語ではOlho-de-boi、「牛の目」と呼ばれている。

別にこの名前の種実類もあるのでややこしい。
画像検索すると、たしかにこの木の実は牛の目をほうふつさせる形状だ。

いっぽうブリの方は、牛のような眼をしているのだろうか?
さほど他の魚と変わらないように思うのだが。
この名前の由来は、検索してみてもわからない。

確認のため、olho-de-boiのポ語のウイキを日本語に切り替えると、「ヒラマサ」と出た。
ヒラマサ、名前は知るがなじみがない魚だ。

日本語で検索していくと、ブリもヒラマサもスズキ目アジ科ブリ属。
しかもこの2種は自然交配もするという。
ブリは「出世魚」だが、ヒラマサは一生「ヒラ」のままというのが日本的階級魚社会での特徴か。

ブリ大根は、大根をそうとう長く煮た。
ブリのヅケには大根のツマをつくり、戻したワカメを添えて。

まあいずれも悪くないと思う。
が、先方からは「おいしいね」のクリックなし。
ブリ大根は僕としては味を薄くした方だが「からい」とのことでお湯を足して進ぜる。


5月23日(火)の記 マッコリのよろこびとかなしみ
ブラジルにて


今日は午後まで連れ合いの実家に滞在。
徒歩圏の日本食材店でモヤシを買えた。
実家にあった日本製の高野豆腐を戻し、チャンプルーにする。

午後、「かけ流し」のNHK国際放送の鑑賞に少し付き合う。
さて、テレビ番組の情報の扱いが、その影響力に反比例していまだに研究者なのでもいいかげんなのが気に障る。
書物のなかで新聞や雑誌からのネタは細かくその出典を記しながら、テレビからの情報はそれをスルーして「たまたまテレビで見たのだが、」ぐらいの記載である。
30年ぐらい前にはそれにあらがった論文モドキも書いたっけ。

今日見たのは、Asia Insight という番組で、韓国の伝統酒ブームの特集。
この番組によると、日本に併合されていた時代、そして朝鮮戦争によりコメを用いたマッコリの製造は困難になり、韓国では1990年代になってようやくコメ使用のマッコリ製造が許可されるようになった由。
その他にも途絶えていた伝統酒の再製造が各地で試みられてきた。

それらを若い世代に向けて、ラベルに気鋭のアーチストを起用するなどの試みも成果をあげているとのこと。

こうした本国でのマッコリブームのおかげで、わがサンパウロでも色とりどりのマッコリが購入できるようになった。
先日は「マックリ」、栗入りのを買ってみた。

これも悪くなかったが、やはり「き」のマッコリがいちばんよろしいな。
ソジュもよろしいけれど。

まー、少し持ち上げたNHKだが、そのあとには細川たかしや島津亜矢の歌番組が始まった。
その画面右上に「生放送」と表示されるのだ。
いくらなんでも、大晦日元旦でもあるまいし、日本の午前4時にこんなナマ放送はありえないだろう。

放送業者としての矜持が疑われるというもの。
見る方はNHKの流す情報はその程度の信ぴょう性、とよく心得ていた方がよさそうだ。


5月24日(水)の記 35年ぶりのゴッホの伝言
ブラジルにて


このウエブ日記はノートパソコンでしたためている。
ブラジルでわが家を離れる時はノートPCを持参しないので、更新が滞る。

昨夕、自宅に戻ってすぐに夕食の支度にかかり、疲れが出て遅滞分の日記の作成はやめた。

てな調子で、きょう水曜の朝に、さる日曜の項はなにを書こうかと思いを巡らす。
して、ゴッホの絵のことを書くことにした。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000265/20230523017263.cfm?j=1

僕個人はとくにゴッホに強い思い入れもないつもりでいた。
だが、ぎょっとすることを想い出してしまった。
「霊界」のゴッホから日本人向けのメッセージを授かり、それを日本の地上波で流していたのだ。

西暦1988年、僕のブラジル移住後のフリーTVディレクターとしての最初の担当作品『すばらしい世界旅行』「ピカソが絵を描く! ブラジルの心霊画家」。
心霊画家として世界的に知られていたブラジル人のメディウム、ルイス・ガスパレットさんが主人公だ。
ガスパレットさんに「憑依」した画家は後期印象派に属する人が多く、ゴッホもそのひとりだった。
後期印象派の画家たちが日本の浮世絵に影響を受けていたことはよく知られる。
さらに実在の浮世絵そのものを自作のなかに描き込んでいるのが「生前の」ゴッホだ。

テレビ的な演出として、ガスパレットさんに日本の視聴者への「霊界からの」メッセージをお願いした。
そのとき、ゴッホがガスパレットさんにポルトガル語でメッセージを送ってきたのだ。
それをこちらで日本語にして、ガスパレットさんに日本語でビデオカメラに向かって語ってもらった。

万物は常に変化している。
善のみが真実である。


テレビ放送用のため、耳で聞いてもある程度わかりやすいことを考慮して翻訳して、日本語の字幕でも補った。

このことを想い出したのだ。
あらためてこのメッセージについて検索してみる。
ずばり該当するような既成の言葉は見当たらない。
が、この2行とも、特に最初のものは仏教思想に通じているようだ。
美をつかさどったゴッホが、善と真を語るというのも興味深い。

僕は少なくとも配達人としてこの「霊界の」ゴッホのメッセージを日本人に伝える役をもらっていたのだ。
ガスパレットさんは2018年に霊界入りしてしまった。

僕が最初にゴッホを意識したのは…
棟方志功さんの記録映画を見た時か。
棟方さんの「わだばゴッホになる」という言葉だ。

あの大黒澤も魅せられ、再現したゴッホの世界。

「わだばブラジルでゴッホのメッセンジャーになった」か。


5月25日(木)の記 ギャラリーフェイク
ブラジルにて


久しぶりのビデオ動画いじり作業。
とりあえず最初の課題がフィナーレに近づいた。

明日からまた泊まり込みで料理番ミッションだ。
午後から、なにかアートを見に行くか。

見ておきたい展示があるのだが、ちと遠い。
夕食の支度に差し障りそうだ。

グーグルマップでもう少し近いところを探してみる。
お。
わが家から1キロ強のところにギャラリーありとな。

ここに行ってみるか。
グーグルでの評価も悪くはなさそう…
あ。
3か月前のコメントで、このギャラリーはブラジルの国民的画家ヴォルピの贋作を販売して事件となった、とある。
うーむ。

まあ、行ってみよう。
場所は、中の上といったところの住宅街。
…見当たらない。
もういちど、住所から探す。
該当の場所の建物は、もぬけの殻となっていた。
けっこうなつくりのウエブサイトもそのままなのだが。

が、そこそこのウオーキングができた。
残念ながらこのあたりはグラフィティが不毛。

さらに歩き込んで、ようやくこの程度。
https://www.instagram.com/p/CsrUDEqPV_F/
やはり日の当たっているものの方が写真写りはいい感じ。
これは当たり過ぎかな。


5月26日(金)の記 値万金
ブラジルにて


…まったく、白水社の『現代ポルトガル語辞典』の誤字らしきものまで見つけてしまった。

僕にとってポルトガル語でまぎらわしかった二つの言葉。
FuneráriaとFunilaria。
どちらもあまり関わらないですませたいところ、だった。

最初のは、葬儀屋。
次のは…上記の辞典だと「漏戸屋、ブリキ屋」とある。
漏戸屋って、なんだ?
検索してみると、この語のヒットは一件もなく「漏戸」でも一件もない。
「漏斗:ろうと」とまちがえたのだろう。
僕のこの辞典は西暦1966年の初版だが、その後に修正されただろうか?

そもそも「漏斗屋」でも日本語では一件もヒットがないが、ロウトやジョウゴの専門店というのは存在するのだろうか?

ブラジルでこの語は自動車修理業者でよく見かける。
車のボディや塗装の傷の修理業者だ。
これを日本語でなんというのだろうか。
定番ではないようだが、板金修理業という言葉などが用いられているようだ。

先日の自動車での遠征からサンパウロに帰って、わが車のドア部分のキズに気付いた。
おそらくクリチーバの格安ホテルの狭い駐車場でこすったのだろう。
別のトラブルの方に気を取られていたため、これにキヅかなかったようだ。

もちろん走行・機能に差し障るものではない。
サンパウロに戻ってから家族を乗せた時も、誰も気づかなかった。

無収入状態のわがポケットマネーでもどうにかなるかと業者に見積もりを聞いて…
高級部類のホテルに何泊か泊まれる値段ではないか!

ボラれているかと思い、都合4軒の「板金修理工」をまわる。
だいたい同じような金額だった。
今日からまた車を使う予定なので、それまでにオッケーという最初の業者に頼む。

なにせ勝手がわからない。
細かい書類を交わしたわけでもなく、そのまま車をかっぱらわれたり、備品を盗られたりしたらどうしようかと気をもむ。
零細規模だが、グーグルでの評価がいいのが救い。

あー、ちゃんときれいにしてくれていた。
「また頼むよ」とは言い難いのは、まぎらわしいどちらの業者とも同じ。

検索中に知るが、ロウト:ジョウゴというのも奥が深そうだ。
日本語のウイキでは言及されていないが、ポ語の方にはいろいろと書かれている。
そもそもヨーロッパ文化では漏斗は狂気のシンボルとされたようだ。
あのボッシュの絵にも漏斗を逆さにして被った男が描かれている由。
より新しいところでは、『オズの魔法使い』のブリキの木こり。

その理由はわからない。

さて今回、こんなささやかなキズでこの出費となると、なんだか恐ろしくて車を運転するのもビビるようになってしまった。
いままでたいした事故もなかったことに感謝しつつ、より慎重な運転、駐車場所の留意に努めるとしよう。


5月27日(土)の記 にわか薬師
ブラジルにて


昨日から明日まで、一族の老刀自のお世話で泊まり込み。
料理番のほか、彼女の薬番も重要な任務。

本人は飲んだかどうかもすぐ忘れてしまう。
この薬を一回でも飲み損ねると、心臓に異常が生じて病院に担ぎ込んだことが何度も起きている。

夕食後に曜日と朝昼晩を書き込んだ薬ケースをチェック。
おや、すでに空になっているではないか!

僕は薬を飲ませること、飲んだことを確認するようにとはうるさく言われているが、その時その時に何の薬をどれだけ飲ますかは把握していない。

さっそく一族の医師に連絡。
薬の手配担当が旅行に出てしまい、引継ぎをしていなかったようだ。
口頭では勘違いが起こりうる。
文字で朝昼晩に飲ますべき薬の種類と量を送ってもらう。

さあ、ひとつまちがえたら大変だ。
晩酌の酔いもすっ飛び、慎重に薬をケースに入れていく。

これは「わざと」間違えるケースもありそうだ。
…法医学の解剖でバレるかもね。

料理で塩と砂糖をまちがえても「致命的」なことはないだろうけど。
薬の配合、地味だが責任重大の作業だと体感。


5月28日(日)の記 黒猫街 沈黙の朝
ブラジルにて


出先で朝食後、朝のおつとめに出る。

途中、人も車も往来がまれな上りのT字路をチョイス。
日曜の朝だから、より閑散としている。
ミドルクラスの、開発から取り残されたような住宅街。
50年ぐらい前の設定の映画のロケもできそうだ。

そんな一角に、おあつらえ向きの黒猫がいた。
僕は犬猫趣味はないが、えごころを誘う。
SNS仲間にけっこうネコ好きは多いみたいだし。

僕は基本、スマホ撮りはズームを使わない。
そっと寄ってみるが、とりあえず逃げる気配はない。
https://www.facebook.com/photo/?fbid=10228224899462670&set=a.3410845544903&comment_id=243883628254094 ¬if_id=1685359135965733¬if_t=feedback_reaction_generic&ref=notif

だいぶくたびれた住宅の駐車場の、「ふつうの」廃車よりかなり年季の入った車のルーフ(いま初めてクルマの屋根の部分の名称を調べてこう呼ぶと知る)の上。
あとでフェイスブックにあげるために寄りの写真を見てみて、このネコの背後の丸いもの、そして首輪状のシルヴァーの毛の存在に気付く。

うわ、このすぐ近くにもネコが数匹。
過半数が黒だ。

うち何匹が全黒かを数えていたが、T字を右に曲がったところで10匹を超えて、こんがらがってしまった。
いずれにしろ、黒猫主流。

飼い猫らしくもないが、住民から忌避されている感じでもない。
野良猫の定義を検索していて、地域猫(地域住民の認知と合意が得られている、特定 の飼い主のいない猫)という分類を知る。

思えば鳴き声も聞かず、ただよどんだ静寂のなかに三々五々といた。

パンデミック以降、連日の街歩きは3年以上になり、この道も初めてではないのだが。
人生を振り返ってもこれだけ短時間で多くの黒猫に接するのは初めてかも。
路上のおじさんたちがこんな環境にこれだけいたら、通行は見合わせたことだろう。


5月29日(月)の記 片岡仁左衛門を超えて
ブラジルにて


あたらしいウイークデイのはじまり。
まもなく月も替わる。
さあ今日は一日断食だ。
メール系の返信、お泊りが続いて滞っていたウエブ日記の更新などを行なって、外回り。

さあそろそろ重い作業に着手せねば。
と思いつつ、気が重い。
リフレッシュするか。

第一話のみ見ていたネトフリの『ペーパーハウスコリア』の続きを見てみるか。
…これが過剰に面白くて、やめられなくなった。
わが家でネトフリが見られなくなるかもという懸念も伝えられ、拍車がかかる。

あの日本のメイシネマ上映会の、伝説の終日上映のエピソードを想い出した。
これは伝え聞いているのみで、僕がご縁のできる以前の話。
羽田澄子監督の記録映画『歌舞伎役者 片岡仁左衛門』を全作、一日がかりでしかも16ミリフィルムで上映したという件。

調べてみると、これは全六部作、1987年から1994年までの撮影でトータルで10時間46分の由。

今日の『ペーパー…』は自宅のテレビでの鑑賞だが、日付が変わるまででこれを超える時間を見てしまった。


5月30日(火)の記 インスタばえ
ブラジルにて


パンデミック以来、すでに3年以上続いている日毎に見つけたグラフィティのインスタグラム上げ。
すでに自宅周辺は撮り尽くして、新作を待つしかない状態。
遠出の予定のない日はソコソコ難儀している。

今日は隣駅付近で未知のステッカーを見つけて接写、やれやれと思いつつ、買い物を続けて。
インスタに添えるキャプションを考える。

と、こんなのを見つけてしまった。
https://www.instagram.com/p/Cs4C__8OM-1/

いままで、このハエに気付かなかった。
撮影後、「インスタばえ」というキャプションが思い浮かび、今日は絵柄よりキャプションを優先してこの写真をあげた。
一日一点が原則。

さて今日の買いもので、書いておきたい事態が起こった。
不愉快極まるので、短く。

路上市で、ブロッコリーを買おうとした。
現金を渡してお釣りを待つと、売り手はカネを受け取っていないという。
…こちらも近年は勘違いが増えている。
手持ちの札を確かめるが、その前の店で受け取ったばかりのお釣りの札がない。
今回はこの札をちゃんと払ったとみて間違いがなさそうだ。
が、先方は受け取っていないの一点張り。

ニホンジンの「おとなしそうな」高齢者ということで、ナメられたのだろう。
ブラジルでも、現金での買い物はまれになってきた。
現金払いだと、こういうことがるから恐ろしい。

こうして社会でナメマレておとしめられている弱者たちに想いを寄せる好機と考えよう。


5月31日(水)の記 ダウンタウン短訪
ブラジルにて


今日は氷雨がち。
今週末もまた料理人出張だ。

わが家では地味な作業が続いているため、少し気分転換がほしい。
いっぽう今日はあまり長時間は出られない・・・

セントロ:中心街で買いたいもの、探したいものがある。
中心街で衣類をみて、東洋人街のチャイニーズ経営の食材店のハシゴ。

途中の大通りは午前中から街娼が立っている。
もうひと昔からいたような気がするおばさんと目があってしまう。
Vamos(いきましょう)と声をかけられるが、スルーさせていただく。

今どきの相場を聞いてみたい気もするが、その気もないのに情報だけ搾取するのはやめておきましょう。

東洋人街が近いせいか、このあたりにAtamiという連れ込み宿があったな。
音の響きはポルトガル語的で、こちらの人にも覚えやすかったことだろう。

リベルダージ駅付近でカフェでも、と思う。
が、場末系の店は常連風のがはびこっていて、こちらにツバキが飛んできそうだ。
しかたない、帰りますか。


前のページへ / 上へ / 次のページへ

岡村淳 :  
E-mail: Click here
© Copyright 2024 岡村淳. All rights reserved.