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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2023年の日記  (最終更新日 : 2024/01/02)
7月の日記 総集編 潮騒のジェスイッタ

7月の日記 総集編 潮騒のジェスイッタ (2023/07/02) 7月1日(土)の記 ピカソが絵をかく!
ブラジルにて


土日はあまり映画館鑑賞などで出歩かないように、とは思いつつ…
自分の今後の創作活動のために、ぜひ押さえておきたい作品もある。

ここのところ、そんな作品が続き過ぎの感もあるが。

さて、今日の一本。
そもそも日本で上映されていたのかどうか、検索。
あった。

『ミステリアス・ピカソ/天才の秘密』。
これは西暦1998年にリバイバル上映された時の改題の由。
最初の日本公開は…古い。
1957年で、タイトルは『ピカソ‐天才の秘密』。
製作年は1956年だ。

アトリエかスタジオか、ひたすらピカソの作画の筆順が映し出される。
そして撮影スタッフとの虚々実々のやりとり。

画家の創作プロセスには僕も立ち会って、それをいくつかの作品にまとめている。
意外とそうした記録、特に巨匠のものというのは乏しいようだ。

この映画でケッサクなのは、登場・作画するピカソが常に上半身ハダカでデカパンいっちょうのいでたちなこと。
拙作『アマゾンの読経』では第二次大戦前にアマゾンに移住した日本人移民のインタビューを紹介しているが、そのひとりが上半身裸だったため、観客に失礼だ、と祖国でお叱りの言葉をいただいたことがある。
まー、そんな人は拙作も、このピカソの記録も見ないでくれてよろしいというもの。

ブラジルの心霊画家、故ルイス・ガスパレットさんの作画を含めた活動を紹介して日本テレビの『すばらしい世界旅行』で放送した拙作のタイトルは「ピカソが絵をかく! ブラジルの心霊画家」(1988年放送)。
このタイトルの名付け親は、プロデューサーの牛山純一御大だ。

ガスパレットさんにはピカソの他にも数多くの有名どころの画家の例が「憑依」して作画をする。
そのなかから牛山プロデューサーは独自のテレビ屋のセンスでピカソに着眼して、このタイトルを編んだのだ。

おそらく牛山さんはこの旧題『ピカソ‐天才の秘密』を見ていて、それを想い出したのではないかと思う。

さあ、そろそろ未公開のわが画家シリーズの発表を考えよう。


7月2日(日)の記 バルザックの霊言
ブラジルにて


奇しくも、昨日に続いて心霊主義がらみのお話。

夕方から、気になる映画に向かう。
ブラジル銀行カルチャーセンターのGERALDO SARNO特集。
『Último Romance de Balzac』という西暦2010年の作品が狙い。
訳すと『バルザック最後の小説』。

日曜のサンパウロ中心街の夕方は、不気味なほどがらがら。
すでに真っ暗となる帰りが怖い。

さてこの映画はドキュメンタリーと「新作」の白黒・無声の劇映画が混ざるというきわめてユニークなつくり。

ブラジルのWaldo Vieiraという医師にして心霊主義者が「バルザックの霊によって」自動書記された小説『Cristo Espera por Ti(キリストはあなたを待つ)』(1963年発刊)についての映画、とプログラムにある。
ちなみにバルザックの没年は、1850年。

これは必見、と挑んだのだが、恥ずかしながら話の展開に情けないほどついていけない。
帰宅後にあれこれ検索して、ようやく、ある程度はつかめた感じ。

そもそもこれまた恥ずかしながら「バルザック」の名前、フランス人の小説家、ぐらいは知っているが、作品を読んだこともなければどんな作品があるのかも思い浮かばない・・・

ブラジル人の著述家が長年の研究の末、この小説はバルザックによるものといっていい、とインタビューで語る。

盛り込まれている映画はバルザックの「生前の」小説を白黒・無声でサルノ監督が制作したもの。
これのタイトルがポルトガル語でもフランス語でも意味が取れなかったのだが、日本語では『あら皮』と訳されている1831年の作品だった。
この小説のモチーフが「バルザック最後の小説」に通じているということらしい。

いずれにしろ僕には何重にもハードルが高かった。
この「バルザック最後の小説」そのものも、この映画のこともこの心霊主義者のことも日本語になっていなさそうなので、責任も感じて記しておく次第。

ああ、そもそも心霊主義関係の読むべき本が何冊も「積ん読」化してしまってるぞ。
自戒。


7月3日(月)の記 観覧車回顧
ブラジルにて


本業も家事もあるので、連日の外歩き:映画鑑賞はソコソコきつい。
当地月曜はイベントもお休みが多く、こちらも今日はオヤスミとするか。

とはいえ、今週の目ぼしいものに目星をつけておきたい。
きょうびは印刷費削減もあるとかで各イベントスペースも紙版のプログラムが乏しくなった。
して、僕あたりは大いに難儀する。

スマホで調べろや、ということだろうが、そう簡単ではなくて。
そもそもイッパツで各スペースのプログラムにアクセスできない。
いくつかをいっぺんに並べてプランを練れない。
そもそも地下鉄などでは電波が悪くてスマホを開けないし。
あー、めんどくさい。
紙!

日本の映画青少年時代を想い出す。
当時は首都圏のイベント情報誌『ぴあ』が刊行されて。
同時期に『観覧車』という同様の情報誌も発行された。
大きさ、紙質、記事内容も僕は『観覧車』の方が好みだった。

が、『観覧車』は回転停止。
学園祭のノリだった『ぴあ』は巨大化・会社化・権威化して、僕もイベント追っかけどころではなくなり…、
日本でのイベント情報誌購読を卒業、というか中退した。

ブラジルの新聞にも週毎のイベント情報紙があったのだが、コロナ頃からか、見かけなくなってしまった。

こちらも「旧人」化してしまった。
旧人募集記事でも探すか。


7月4日(火)の記 難民SFファンタジー
ブラジルにて


サンパウロカルチャーセンターで KORNÉL MUNDRUCZÓ というハンガリー人の映画監督の特集上映が始まった。
寡聞にしてノーマ―クの監督で、そもそも名前の読みも表記もわからない。

今日の上映作品は、ヨーロッパに渡った難民が超能力を持つようになる話、とポルトガル語のシノプシスにある。
なんだかよくわからないが、夕方からの上映に行ってみることにした。

ちょっと検索して、この監督の日本語情報はないものと思ったが、帰宅後にノートPCで検索してみたら、あったあった。
今日、見た映画も日本で公開されているではないか。

日本語表記は、コルネル・ムンドルッツォ。
今日の映画は『ジュピターズ・ムーン』。
https://www.allcinema.net/cinema/362484

アフリカからの難民の話かと思ったら、シリアからだった。
シリアからヨーロッパに密入国をはかった青年が国境警備隊の銃撃に遭い、それを契機に空中浮遊の能力を得るという話。
そう聞くとまことにキテレツだが、映画では僕にはさほど違和感がないのが不思議。
数多くの難民が祖国を去らざるをえず、異国で武力行使されているという現状の方が、よほど不可解に思える。

さて日本語解説によると、この映画はSFファンタジーに分類されていた。
これが、ファンタジーか…
ファンタジーという言葉にメルヘン:フェアリーテールといったイメージを持っていた僕の方の問題かな。
して、難民問題には、ファンタジーしか映画的な希望はむずかしいのだろうか。

さてさてただいま、わが家では最新作:前世紀に撮影した映像を編集中。
ちょっと流れの行き詰った箇所があった。
そんななか、この映画を見始めて、ああ、あの部分にこんな手もあるな、とひらめく。

そんなこともあっての他人様の作品鑑賞でした。


7月5日(水)の記 一日一分
ブラジルにて


狭いわが家の片隅に、僕関係のものどもがうっちゃってある。
増えるばかり、混沌を極め。
肝心の必要となったものを探しても、見つからない。
生涯片付かないだろう、残った家族からさらに迷惑がられるだろう…
絶望的な気分。

なんのことだったが、日本語のSNSで最近、見たかとうる覚え。
自分がまるで手につかないことでも、一日〇分でもやってみれば、一年でこんなたいそうな時間をそれに費やしたことになる、といった記載。

一日一分で、月に30分。
一年で6時間だ。
…6時間も整理をすれば、ほんの少しは変化が看取されるかもしれない。

日中、テーブルでのパソコン作業をしばし中断すべき状況となり。
上記の思いから、避けていた混沌空間へ。
…ふむ。
数グラムだけでも、ものを処分。
お、こんなものがあったか。
あ、ここにあったのか!

…こんな感じで、一分を超えて小一時間近かったかも。

日本の古本遊戯・流浪堂さんから聞いた「棚をたがやす」という言葉を想い出した。
流浪堂さんの書棚、そして一冊一冊が生き生きしているのは、お店の二人が常にたがやしているおかげと知った。

ふむ、少しでもたがやすと、空間が生き生きとしてくる感じ。
…最近、誰だったかがあらためて「不耕起栽培」のメリットを語っていたっけな。
が、こうした空間は、たがやす方がいい感じ。
そうしないと虫害等にあってしまうかも。

さあ、これもいつまで続くかな。


7月6日(木)の記 VIRAMUNDO
ブラジルにて


16時からのブラジル銀行文化センターでのGeraldo Sarro映画特集へ。
ここは入場券をゲットしてから静かに待っていられる場所がないので、さっと近くのベーカリー兼カフェへ。
ここの記憶も過去のものになるか。

さて今日の上映作品『VIRAMUNDO』は必見だった。
西暦1968年作品。
タイトルの語は直訳すると「世界を変える、まわす」といったように取れるのだが…
検索してみると「奴隷に用いた重い鉄の鎖」とある。

話は、ブラジルの北東部から大都市サンパウロに流れてくる国内移民について。
この時期には年に約10万人近くがやってきていたという。
その80パーセントが文盲。

昨今なら長距離バスだが、当時は列車利用が主だったようだ。
到着したばかりの人、工事現場などで働く人、雇用者、ある程度の成功を収めた人、そして夢破れてふたたび故郷に帰る人たちへのインタビュー。

サンパウロにやってきた人たちの約50パーセントが故郷に引き返している由。
残った人たちの少なからぬ集団は縁故を頼って大サンパウロ圏のファヴェーラと呼ばれるスラム街に暮らすことになったことだろう。

ある個人や家族に焦点を当てず、多数の人たちの短いインタビューやシーンを重ねることで、かえって時代そのものの重みが出ているように思う。

この映画の音楽が心に刻み込まれてしまった。
音楽はカエターノ・ヴェローゾ、演奏はジルベルト・ジル!
この映画はオンラインでも全編視聴可能とわかった。
が、なぜかこの音楽そのものの動画や情報が見当たらない。
ジルベルト・ジルの同名の曲があるのだが、この映画のものとは別物のようだ。

僕が知らなかっただけで、その方面では有名な曲かと思ったのだけれども。


7月7日(金)の記 ファミリーシネマ
ブラジルにて


今日の午後もブラジル銀行文化センターへ。
今日は『Deus é um fogo』という解放の神学についてのドキュメンタリー映画が目的。
情報がほとんどない映画だ。
タイトルは「神はひとつの火なり」といった意味だが、ポルトガル語の聖書にもずばりこの言葉はない。

映画はブラジル人スタッフがひろく中南米で取材をしたものだが、それぞれのシーンがどこの国だというナレーションも字幕もなく、スペイン語の長いインタビューにもいっさい字幕なし。
アンデス先住民の民族語での長い語りにも字幕がない。
なんとも強気な映画だ。
このシリーズのキュレーターに事情を聞いてみたかったが、彼は冒頭の挨拶だけで退場してしまった。

さて、この上映ホールに集う人が、なかなか…

毎回のように最前列中央に陣取る老人がいるのだが…
長期間、入浴をしていない人の発するニオイがあり、近くだときつい。
僕は前方の座席を好むのだが、老人の後ろの列では端ぐらいでないとかなりニオイがきびしい。

もうひとりの前列好みのおじさんは…
上映中にライターの火をともし始めた。
手もとのパンフレットを見るためらしい。
ケータイというのは時折りあるが、ずばり火をともすとは。

この回の上映は決して観客は多くはなかった。
それでもさすがのブラジル人たちも、延々とどこの何を見せられているのかわからず、これはどこの国?これは誰?などと席の離れた見知らぬ同士での上映中の会話あり。

僕も放火おじさんに、これ、どこの国?と聞かれる。
もちろんわからない。

上映終了後。
僕よりは若い男が、コーヒーを買わないかと声をかけてくる。
農地改革地区での家族農業で栽培したものだという。
この手のものとしては、高くない。
お釣りがないというので、ディスカウントしてもらって購入。

映画館のなかで、他の観客から物を買うというのは人生初かも。


7月8日(土)の記 カイピリーニャかバチーダか
ブラジルにて


今宵は、身内の訪問もある。
ファイジョアーダをつくるか。
ブラジル料理の代表格で、黒豆と肉類の煮込みである。

昨日から材料を買い出し。
昨晩から準備。
今朝からコトコト。

このフェイジョアーダにはカイピリーニャないしバチーダと呼ばれるカクテルが付きもの。
ピンガやカシャッサと呼ばれるサトウキビ製の蒸留酒にライム、砂糖を合わせるのが基本。
大衆食堂でフェイジョアーダを頼むと、向こうからこれを持ってきてくれるところもあれば、催促すれば持ってくるところもある。
基本的にサービスなので、のまにゃソンソン。
これがまたよく合うのだ。

さて、カイピリーニャとバチーダとどう違うのか。
改めてポ語で検索。
ずばり明快に書いているものが見当たらない・・・

まあ大体の見当は付く。
コップにそのままつくるのがカイピリーニャ。
シェイカーでシェイクしたり、ジャーなどに材料を入れてよく攪拌したのがバチーダ、といったところか。

でもバーなどでカイピリーニャを頼むと、たいがいシェイカーを用いるな。
ま、深酒と深入りはこの辺で。

今日はジャーでがっぽりつくってみる。

けっきょく大半はワタクチがいただくことになりそうだけど。
昼は家族それぞれ外出で、ひとりフェイジョアーダ。

時間に余裕ができたので、気になる午後の映画セッションに。
夢うつつの世界といった映画だったが、こちらもバチーダが効いてうつらうつら。


7月9日(日)の記 銀幕の油絵
ブラジルにて


午後から、また映画。
『銀幕の油絵』という特集上映で、画家とのドキュメンタリー映画をいくつかしたためてきている者として、勉強でもあり、対策でもある。
先日、見た『ミステリアス・ピカソ』もこの特集の一本だった。

今日は、巨匠ゴダールの邦題『パッション』。
ゴダールの「商業映画」と解説にはあるが…
それでもナンカイかも、と日本語であらすじなどを読んでおく。

あらすじを読んでおいたから、ようやく少しは付いていけた感じ。
それでもよくわからず、そのあらすじと実際の映画が整合していたかどうかも不明。

ヨーロッパの片隅で、泰西名画のシーンを再現してビデオ撮りをはかる撮影クルーの話。
登場人物の誰が誰だか、そしてそれぞれのカットの相関が僕にはよくわからない。

いまちょうどひーこらと読んでいるバルガス=リョサの訳本に重なるものがあるように思う。
彼の技法は日本語で「自由間接話法」というそうだ。
これについては、検索してみて、わかったような、わからないような…

僕なりにそれを説明してみると、
ある文の流れのなかで、主語と述語、時制と場所が一致せずにいくつも錯綜する。
といったところだろうか。
読みながら、これが映画だったらカットも変わるからもう少しわかりやすいかと思ったが…

映画はなにがなんだか、だったが、それでも巨匠の作品だけによくわからないけど印象に残るシーンもあり。
たとえばモーテルのスタッフの若い女性の、意味不明のアクロバチックなパフォーマンスの繰り返しとか。

さてさて、自作の方の作業は…


7月10日(月)の記 なんつき遅れか
ブラジルにて


身辺にはいろいろと遅滞中の作業がある。
いまのように新たな作品の編集作業に入ると、ますますである。

ビデオ編集の方は一刻を争うということもなく、ある程度の見通しもついた感じ。
並行して、たまる一方の作業も少しは手掛けなければ…

というわけで、午後からこのウエブ日記の総集編の作成に着手。
日毎に書いているこのウエブ日記は、数か月ごとにひと月にまとめている。

このウエブサイトのトップページに表記されるのは2か月半分ぐらい。
日毎の記載から、それぐらい経ったころには総集編にまとめよう、というつもりでいた。

今年は何月ぐらいまでまとめていたかな…
な、なんと、1月しかまとめていなかった!
これはダラシガナイ。

今日は一日断食で、炊事もカンベンしてもらっている。
そのため、夜までかけてとりあえず2か月分の総集編を制作。

これもしばらく手掛けないとメンドクサクなってくるのだが…、
ひとつひとつあげてまとめていくといろいろ想い出すこともあって、貴重なフィードバックの機会だ。

きょうまとめた2月3月のあいだに、はっきりと記してはないがこちらの人間関係をめぐってナカナカの事態があったことを再確認・反芻。


7月11日(火)の記 五代目
ブラジルにて


午後からサンパウロ市内のカフェで、日本人の知人とお会いして諸々と話す。

話の流れから、先方が、これは口外していないことなんだけれど…
と教えてくれたことがある。

自分の五代前の人物のこと。
僕でも名前程度は知る人だった。

逆にこちらが驚いた。
わがアパートの奥の物置空間にある本や資料を少しでも処分を、と最近いじりはじめている。
昨日ぐらいに触れた本は、かつて日本の地方都市に上映に招かれた際に、主催者側の人からいただいた本だ。
その地方にまつわる近代の人物についての研究書である。

とくに関心のある分野でもなく、字がぎっしり詰まった研究書だった。
僕が日本にいれば、親しい古本屋さんあたりに引き取ってもらったことだろう。
こちらではそれに相当するのがなく…

とりあえずそのままにしたのだ。
帰宅してからその本をふたたび手に取ってみる。
ずばり、今日お会いした人の五代前の人物について言及されていた。

小さな出版社からの本で、検索してみると古本系ネットでも入手はむずかしいようだ。
おそらくブラジルに存在するのはこの一冊だけだろう。

「この程度」の「偶然」は誰にでも時折りあることなのだろうか?


7月12日(水)の記 月が生理になった日
ブラジルにて


うーむ、ブラジルシネマテッカでラテンアメリカ先住民特集というのが始まったではないか。
1セッションぐらいは見ておくか。

というわけで、夕食の準備はして18時30分の回へ。
2本の上映。
最初の短編は『O DIA EM QUE A LUA MENSTRUOU(月が生理になった日)』という西暦2004年の作品。
アマゾン川の大支流シングー川流域のKuikuroの人たちが撮った映像をまとめたもの。
この人たちは月食を月が生理になった現象、ととらえている。
月食を迎える村の人たちの活動とインタビュー。

登場するのも撮影しているのもKuikuroの人たちだが、制作や編集がハクジンのようだ。
先住民保護区でビデオのワークショップを行ない、その成果を編集したものとみた。

僕もハクジンの側になるかと思うが、ハクジン側が見て面白いと思えるつくりになっている。

もっと、先住民の人たち独自の映像文法で紡がれたものが見たい!
と思ったが、昨今はそうしたものの見られるようになってきたことに気付く。

さて自分の方の仕事がある、他人様の作品の鑑賞はホドホドにせねば。


7月13日(木)の記 @どセントロ
ブラジルにて


サンパウロの町の中心街はセントロと呼ばれる。
このセントロとされる地域は、けっこう広い。

そのためずばり中心街のあたりを僕は「どセントロ」と称してみることにした。
すでに年季の入った高層建築が立ち並び、旧中心街という言い方も悪くなさそうだ。
しょうじき、治安はいいとは言えない。
その分、そこかしこに警官の姿もうかがえる。
僕自身は、このあたりで実害に遭った記憶はない。

路上系、ドラッグ系の人は少なくないが、このあたりでふつうに働いている市民も買い物や所用で来る人たちも大勢いる。
が、それなりの注意を怠らないようにはしないと。

午後から、これは見ておきたい映画が上映されるのを知り、この「どセントロ」へ。
『Vento na Fronteira(フロンティアの風)』という2022年制作のドキュメンタリー映画。
ブラジルのパラグアイとの国境地帯をテリトリーとするGuarani-Kaiowáという先住民と大農場主らとの土地抗争問題について。

最近、在日本のブラジル通の友人とメッセージを交わしていて思い知ったことがある。
僕はもう10年以上、ブラジルの諸問題にきちんと向き合ってきて来なかったと言っていい。
自分のことをブラジルにしばらないようにしたいという思いもあった。
そして311以降、祖国の諸問題の方がブラジルより深刻と考えるようになったこともあろう。

そんな思いから、とりあえず本業の合間にこの映画に足を運んだ。
こうしたドキュメンタリーでは申し訳程度に紹介されがちな「悪役」の大農場主側の内側にもそこそこ入り込んでいて、驚いた。
ほう、監督は女性名でふたりあげられていた。

僕が日本のNHKで「土地なき農民」についての長年の取材記録をまとめて放送した時…
局のプロデューサーの一人から「大地主側に取材していないではないか」との物言いがあった。
ひとりの取材で、「土地なき農民」に深く入り込んでいる取材者に大地主側にも「公正に」取材するべきだと言われても…

まだ明るい時間、ラッシュ時間前に終わったので、どセントロのカフェを一軒、開発。
活字ものを読めるような環境ではないが、値段の安さに驚いた。
コジャレ系の半額ではないか。


7月14日(金)の記 CORPOLÍTICA
ブラジルにて


昨日付に書いたような理由で、今日はこの映画も見に行くことにした。
昨日と同じく「どセントロ」のCINE OLIDO。

帰りが夜になってしまうので、夕食のオムライスの下ごしらえをして出家。

映画のタイトルは『CORPOLÍTICA』。
体を意味するCORPOと、政治を意味するPOLÍTICAをかけた造語だ。
製作年が今年となっているブラジルのドキュメンタリー映画。

LGBT系の人たちの西暦2020年の総選挙での活躍を記録したもの。
ブラジルは世界でもっともLGBT系の人たちが殺されている国だという。
この映画によると、この20年で5000人あまりが殺された由。
数字になっていないケースも少なくないことだろう。

この国は、そうした人たちにも寛大なように見えるのだが、そう生易しくはないようだ。
僕が初めてブラジルを訪ねてから、ちょうど40年。
ブラジルでの印象として、都市部はもちろん、地方の町というより村レベルのところにも、当時の僕の言葉だとゲイの人たちがそれとわかるように暮らしていたのが驚きだった。

いっぽう当地の日系社会ではどうだろう?
そうした人の存在を見たり聞いたりしたか、すぐに思い当たらない・・・
皇室志向の裏返しの部分だろうか。

それにしても、昨日の映画といい、こちらがコロナで巣篭っている間に、こうした映画がつくられた・つくっていた人たちがいたことをこころにとめておきたい。


7月15日(土)の記 夜のグラフィティあさり
ブラジルにて


今日の日中は、ささやかな外出。

その際、グラフィティでコーティングしたコンビ:フォルクスワーゲンのワゴンバスを見つけ、歩留まりでスマホ撮りしておいた。
だが、あかりの条件があまりよくない。

今晩はこちらの親族集っての外食の予定。
その際にレストランの近くで見つけてみるか。

アルコールをたしなみたいので、配車サービスで…
家人が手配するが、時間のせいかむずかしく高いとのことで。
ちょうど目についた流しのタクシーで。

さて目的のレストランは大通りの交差するあたりにあり、グラフィティ探しは楽勝と思いきや。

そもそもあたりは暗い。
しかも大通りの中央分離帯部分が工事中(この時間は作業をしていない)ので、大通りの向こう側が見えず、視界が悪い。

いやはや難儀して、だいぶ歩く。
…まあ、こんなところで。
日本で話題らしいアニメ映画『君たちはどう生きるか』のポスターをふと思い出す。
https://www.instagram.com/p/CuvYommNx_H/
モノリス状の、おそらく電話系の配電ボックス。

僕とモノリスのあたりを走行車のヘッドライトが照らした瞬間。
そのため、画面左側に僕の影が映り込んでいる。

絵柄は、トリだろうか。
署名のようにAMEMと描かれていて、これもナゾ。
この語だと、インスタでの検索対象がウン100万単位だ。

さてこうした会食だと、ワイン等のアルコールの発注が僕の役どころとなるので、その件が遅れるのがひやひやでした。
あたりの治安もさることながら。

予約席に到着、さっそくQRコードでワインのリストを開く。


7月16日(日)の記 歌う岩の廃墟
ブラジルにて


古本屋で出会った古書が、人の歩みを変える。

昨年末に親族の用事で訪ねたミナスジェライス州の小さな町。
町のなかをよけいに歩くことになり、たまたま古本屋を見つけた。

店内にあった古書然としたブラジルの古建築の本があまりに安く、買ってしまった。 

そのなかにあった、白黒写真の、廃墟化したブラジルコロニアル建築の建物に強く魅かれてしまっていた。

サンパウロ州の大西洋岸の町イタニャエンにある修道院、とあった。
イタニャエン。
先住民の言葉で、諸説あるが「歌う岩」あるいは「岩の湾」といった意味らしい。

なんとポルトガル人が現在のブラジルに到来して二番目に築いた集落の由。
西暦1532年のこと。
ポルトガルの船が初めて日本に漂着する9年前だ。

海辺の丘に小聖堂が設けられ、僕の見た写真の建物は1639年に建築が始まった由。
現在は閉鎖・修復中らしい。

すでに宿やその他のポイントについて目安をつけておいた。
本日、朝から車で行ってみる。
ノンストップなら1時間半程度と至近である。

行ってみた―。
海辺の町なかにぽこっと丘があって、その上にこれが確かにあった。
百聞は一見に如かず、か。

残念ながら正面を外から拝むだけだが、それなりの甲斐はあった。

海べりのサーファー宿をとり、潮騒に身をやつす。


7月17日(月)の記 潮騒のジェスイッタ
ブラジルにて


潮騒、という言葉を想う。
海辺の宿のこの騒音。
ナレーション録りには不向きかも。
あるいは、この効果を狙うとか。

寄せては返す波の音、というのとは違う。
「ごー」という音の無数の集合体というか。
海鳴り、という言葉を調べてみるが、これとも違うようだ。

決して不快ではない。
というより、心地よくすらある。
アマゾニアの森の音に匹敵。
ヒーリング効果も期待できそうだ。

昨夕昨晩は、これがもっと激しかった。
そうか、干満の影響大だな。
今は、だいぶ引いている。

昼前まで、徒歩圏の散策と部屋のベッドやハンモックでだらだら。

昨日、訪れた廃墟化した修道院。
そこのジェスイッタ(イエズス会士)の若き修道僧を幻視する。

ポルトガルで、恋愛事件のもつれで修道僧といてブラジルに派遣され…
あるいは地元の先住民で、買い被られて先住民「教化」要員候補とされるが、どちら側にもいたたまれない…

今の僕を反映して、うだつの上がらない老修道士というのも身につまされる。

そんな小説を読んでみたい。
書くには、あまりに力量不足。

昼過ぎにようやく開いた町のセントロ:中心街の古本屋で、おじさんの言うあまりの安値に2冊ほど購入。
この町に来たのも、地方で買った古書が契機だったし。

午後にはサンパウロの町に帰還。
海岸から海岸山脈ののぼりの光景には、改めて息を呑む。


7月18日(火)の記 こちらの都合
ブラジルにて


在日本の、面識のない人から突然メッセージが入る。
いま、サンパウロに来ている、パウリスタ地区のホテルに泊まっている、お会いしたい、とのこと。

折しも今日は最近、熱いメッセージを交わし合っている日本の友人がサンパウロに到着する日で、先方の都合に合わせて動くと約束している。

それに加えて21日早朝からのオンラインイベントの諸々の準備あり、
さらにその他に…

といったてんやわんや状況なので、21日まではむずかしいと返答。
先方は明後日には発つ由。

こちらも365日24時間、面識のない方の突然の依頼にも応じますと宣伝している覚えもない、いちフリーランスの私人である。

ご勘弁いただこう。


7月19日(水)の記 冬のヒミツ
ブラジルにて


日本から来たブラジル通のアミーガ(女性の友だち)と在サンパウロの日本人のアミーガが、前世紀以来のアミーガ同士だったと最近、知った。
まるでジャンルの違う世界に生きる人だと思っていたが、意外なつながりがあったのだ。

午後、おふたりをわがヒミツのカフェにご案内。
ここはひとりで行くにはもったいなく、かといって時流の真逆にあるようなお店で、誰とでもというのもはばかれる。

午後、超長編映画一本ぐらいの時間の談話。
アミーガふたりとも、もうそこの住人のように溶け込んで。
ヒミツの共有だ。

さあ夕食の支度には間に合うな。


7月20日(木)の記 彫刻とエコロジー
ブラジルにて


日中、ナレーションの自家録りに挑戦。
物置スペースで、ささやかな防音対策をして。
録音済みの細かいチェックは後日に。

いい時間になってしまったが、そろそろ終わってしまうミュージアムの展示に思い切って行っておこう。
MuBE:ブラジル彫刻美術館と認識していたが、ブラジル彫刻エコロジー美術館となっていた。

彫刻とエコロジーか。
特別展は、これ。
https://www.mube.space/?lightbox=dataItem-lgem4qj5
「生きている石 セラ・ダ・カピヴァラ ニエデ・ギドンの伝説」
膨大な岩絵遺跡群の存在からUNESCOの世界遺産にも登録されたブラジルのセラ・ダ・カピヴァラ国立公園。
ニエデ・ギドン博士はその研究と保護に生涯を捧げてきた。

ここの岩絵遺跡にインスパイアされた様々なアートの展示。
今日はざっと雰囲気だけを味わっておく。
閉鎖委間際だが、平日のせいか訪問者はまばら。
意欲的な展示だが、紙の資料がないのが残念。

かつてこの遺跡を取材した日本人のジャーナリストが、それをめぐって日本で奇怪なことがあったと最近、教えてもらったばかり。

雰囲気よさげな併設カフェでフンパツ。
オーダーしようとしてもレジの女子はスマホ通話に集中して、お構いなし。
QRコードでメニューを起こして、別のスタッフらしき男子に頼むが、彼はメニューを把握しておらず、賄いの女子とそんなものがあるのかとやりとり。

アーモンドミルクのラテのゴマのクレマ乗せ。
オーダーは大変だったが、すんなりと出てきた。
器も面白い。

さあ明日は当地早朝から日本での上映イベントのトークだ。
それに想いを集中、帰宅後はトークネタの準備。


7月21日(金)の記 牛カツの夕べ
ブラジルにて


昨年のパンデミック期間に好評をいただいた東京飯田橋のイベントバーWild Pitchさんでのオカムラ作品上映とオンライントーク。
今年も店主のニッキーさんにお声がけいただき、納涼そして大人も子供も楽しめる野生探検もの2本立てを企画。

して本日当地午前6時過ぎよりリハーサル、そして本番。
参加者は少数だったがヴォルテージは高く、ニッキーさんも含めてトークと質疑応答、盛り上がり。

『秘境西表島』と『夜の大アマゾン』の2本立てだったが、トークの準備をしていてズバリ今に通じるポイントがいくつも出てきて、自分でも驚き。

昨日からはりつめていたので、Zoom退室後、こちらは午前中だが開栓済みの冷やしワインをいただく。

今日のオンラインの画面で見せるために、わが子のコレクショングッズを貸してもらうことになった。
その返礼に…

夜は牛カツを揚げようということに。
塩だけでおいしいステーキ用の牛肉の残りを解凍。

いままでは豚カツをつくる際に、牛肉もあればついでに揚げていた。
牛のみというのははじめて。

うむ。
塩コショウだけの味付けで、うまみがある。
トンよりやわらかく、よりうまみがあるかも。

さー、このオンラインも終わった。
次のステップに向かいましょう。


7月22日(土)の記 自由間接話法とオーソドックス
ブラジルにて


昨日のイベント終了の後味を引きずってか…
今日は、何もする気がしない。
起き上がるのも、おっくう。

そんなワタシに格好の課題。
読み残しの『ラ・カテドラルでの対話』をいっきに、昼過ぎまで。
旦敬介さんの労訳にして、バルガス=リョサの大作。
岩波文庫で堂々上下巻だ。

そもそも文字がびっしりで、それだけでも面食らう。
そしてその文体が、驚きの読みにくさなのだ。

ひとつの段落、さらにひとつの文のなかで主語が入れ替わり、時制も場所も話法も混在・錯綜するのだ。
僕あたりから言わせれば、悪文の見本のようなものだが…
僕などキテレツなことを書いているようで、文法的には極めてオーソドックスといえるかもしれない。

このリョサの手法は日本語で「自由間接話法」というと旦さんの解説にある。
自由間接話法については、検索してみてもアタマがこんがらがる思い。
映画の手法、カットバックなどとも比較して考えている。

さて僕のアタマの悪さ・ないし退化もあって…、
誰が誰だか、そして話の流れ(そもそも入り乱れている)がきちんと把握できないものの、慣れてくるとこれが面白くもあり、中毒症状になっていく感じ。

この大著を読み上げる苦行から早く逃れたいという思いと、もう読み終えてしまうのかという寂寥感。

最後まで読み上げてから、なるほどそれでこのタイトルかといまさら気付いたり。
この「自由間接話法」に触れることで、僕自身の映像創作もなんだか精神的に少し楽になった思いもする。

さてさてすでに午後になり。
このままだと今年サイテーの一日あたりの歩数になるどころか、日毎のグラフィティ採集もままならない。
SNSで知ったサンパウロ市内のロシア正教寺院の解説付き特別御開帳に、思い切って行ってみよう。
正教会、カタカナだとオーソドックス・チャーチ。

これは勉強になった。
オーソドックスをおさえておかないと、傍流亜流異端外道の味わいもわかりづらいというもの。
この教会のある通りに、日本生まれの巨大な新興宗教のブラジル本部もあり。
サンパウロは、僕向きに面白い。


7月23日(日)の記 聖人生地巡礼
ブラジルにて


昨日はロシア正教、今日はローマカトリック。
日曜早朝、出家。
東のリオデジャネイロ方面へ。

まずは家族がお世話になった人のお見舞い。
すでに僕が誰だかよくわからなくなっているようだ。

ついで、さらに西へ。
ブラジルの守護聖母をまつるアパレシーダを今回は通過。
隣町のグァラチンゲタへ。

ここはブラジル人で初のカトリックの聖人となったフレイ・ガルヴォンの生地で聖堂、生家、ミュージアムなどがある。
この聖人はブラジルでは有名なものの、よくわからないので、来た方が早いと考えた。

西暦1739年生まれ、1822年帰天。
西暦2007年にヴァチカンから聖人とされた。
彼は建築家としてはたらき、サンパウロ中心街のルース修道院の建築などに関わった。
諸々のことで奔走して、彼にすがる病人を訪問できない時があった。
そんな時に小さな紙片に聖母への祈りを書き込み、まるめたものを病人へと託した。
難病重体の人が祈りとともにこの「丸薬」を飲み、奇跡的に快癒するという事態が続いたという。
この聖人像の写真をフェイスブックにアップしておいた。
https://www.facebook.com/photo?fbid=10228635138038378&set=a.3410845544903

いまでもこの町の聖堂やカテドラルで「丸薬」が無料で配られている。
聖堂での修道士の話にもあったが、肝心なのは、信仰。
いわば「願薬」である。

いのりの町のカテドラルを望む静かな中心街のホテルに宿泊。
巡礼宿だ。


7月24日(月)の記 グァラチンゲタの市場で
ブラジルにて


サンパウロ州の小都市グァラチンゲタの町なかの宿で目覚め。
午前中は歩いて市内を散策。
この町ではグラフィティがまるで見当たらないのが残念だが、なにかと面白い。

町の公営市場ものぞいてみる。
なんと野菜や果物に並んで古本のならぶ売り場があった。
店主も顧客も話し好きだ。
顧客のおじさんは「ブラジル人は古書をきらうのが残念だ。ヨーロッパを見習うべきだ」と語り、ごもっとも。
店主は、これはゴミとして捨ててあったものだなどと内情まで教えてくれる。

せっかくだが食指の動くものはなく、そもそも蔵書の削減を検討すべき分際としてこちらが献本したい思い。

昨晩、日曜夜も営業していてくれたレストランでいただいた特製カイピリーニャが絶妙だった。
リモンクラーヴォと呼ばれるオレンジ色でジューシーなライムに、デドデモッサ:少女の指、と呼ばれる赤トウガラシを添えたもの。
この「少女の指」の細切りは赤パプリカのようにみえて、辛みもさほど強くない。

帰宅したらさっそく自分でつくってみようと思っていた。
この市場でこのリモン、そして「指」も見つける。
安い!

到着直前に車のトラブルがあったが、なんとか帰宅、さっそくメーカー代理店に連絡。
して、グアラチンゲタ風カイピリーニャを作成。
オリジナルほどではないが、なかなかよろしい。

車の問題、ひとつ間違ったら、と考えると慄然。
運転疲れもある。
特性カイピで鎮静をはかる。


7月25日(火)の記 トモベのとも
ブラジルにて


今日のタイトルを考えていて…
「火の車」というのはこれからの遠征を控えてゲンがよくないかも。
ふと、トモベという言葉を想い出した。
久しく使用していないし、使用する相手が極めて限られる言葉だ。

ブラジルで日系人が用いる、いわゆるブラジルコロニア語だが、昨今ではこの語を知っている人はいても日常的に使用する人はもはやいないかもしれない。

automóvel:自動車を意味するポルトガル語がコロニア語化したものだ。
こころみに検索してみると、こんなブログにあたった。
http://tomobe.blogspot.com/
トモベの語をこころにとめる人が他にもいた。

さて、今週後半に予定しているパラナ州遠征の旅を終えてから車検に出そうと思っていたわがトモベ。
昨日のアクシデントで、今朝の搬入を予約。

総費用はばかにならないが、トラブル箇所に関してはべらぼうなことにはならなかった。
しかも今日の夕方には受取り可の由。

なんでこんなアクシデントが生じたのか、スタッフに聞いてみる。
おそらく駐車中に別の車にぶつけられて、ボディのプラスチックの部分なので損傷して、それが走行中に外れたのだろうという。
僕の目にはぶつけられた傷はわからないのだが、スタッフはわかるという。

それにしても先回のキズ以来、車の駐車場所にはいっそう気を付けているのだが。
もう単独の車庫にでも保管して使用を見合わせたくなるではないか。

今回のパーツ離脱が高速走行中だったら致命的な事態が生じただろうかと聞いてみる。
それはないでしょうとの答えに、なんだか脱力。

お年寄りの見舞いや世話に奔走して、こちらが先に逝ってしまうこともありえたのかなと思っていたのだ。


7月26日(水)の記 リクガメ文庫
ブラジルにて


出費はいたいが、クルマの修繕と車検も済んだ。
明日未明からのパラナ遠征を決行しよう。

もろもろの雑務と準備。
何度目かの外出時に、おや。
至近の大通りの向かいの段差の部分に、グラフィテイロ(グラフィティ絵師)がなにかを描いているではないか。

わがインスタグラムで最多登場のカップヘッドさんではないか。
今日はカップ抜きで、どうやら近くにあるリクガメ古書店の案内を描いているようだ。
「今日は、カップは抜きかい?」
「そこの店に頼まれてね。お店を紹介しようか?」
「僕はリクガメ文庫の常連だよ」
こんな調子で、スマホ撮りさせてもらう。
https://www.instagram.com/p/CvLn7WLt6U2/

あとで写真を選びながら思う。
やっぱり、すでにいい人間関係の築けている人とは、撮れる写真が違うな。

さて、明日からお見舞いに訪ねる佐々木治夫神父は写真うつりがなかなか難しい人だが。
ま、撮影が目的じゃないから。


7月27日(木)の記 火の車を見たか
ブラジルにて


まだ日の出まで一時間近くある。
先回より早くサンパウロのわが家を出家。
先回はまず給油に立ち寄ったが、今回は昨日、済ませた。
よってクリチーバ到着も先回より早くなる道理…

ところが。
1時間半ほど走行して、渋滞。
まるで車列が動かない。
ブラジルの有料高速道路では、道路ごとに独自のFMラジオチャンネルがある。
スマホで検索するが、このレジス街道は見当たらない。
この道の情報のツイッターを発見。

この先で車両火災事故が発生したための渋滞の由。
…待つこと約1時間半。
映画を一本、見れる時間である。
そうとわかれば、もっと早くエンジンを切っておいたのだが。

そもそもこの街道は山道であり、カーラジオも受信不能になる地点が少なくない。
僕の停車地点は電波の届くところでラッキーだったかも。

ようやく車が流れるが、どこが事故現場だったのかな。
大型トラックが転倒して積み荷が散乱したように土のう状のものがみられるところがあったが、あれだろうか。

こちらは冬。
日が早い。
夕方に入る時間に到着。
佐々木治夫神父と2か月ぶりの再開。
付添いのシスターとともにお待ちかねだったようだ。
先回よりお元気そうだが、対話がむずかしい。

まずは安心。
さて。


7月28日(金)の記 いじめ啓発グラフィティ
ブラジルにて


インスタグラムの日毎のグラフィティ写真あげでは、なるべくその日の行程の特徴をあらわす場所で撮ったものを優先している。

昨日もサンパウロ州→パラナ州の道中のサービスエリアで千社札のように貼りめぐらされたステッカーの写真を撮っておいたのだが…
せっかくなので州都クリチーバらしいものがあれば、と。

佐々木治夫神父が静養するブラジル長崎純心聖母会の施設に到着する前に、近くを車で回ってみた。
お。
これは。

どうやら、いじめ問題の啓発とみた。
https://www.instagram.com/p/CvOLJVntffb/
市立初等学校の敷地の壁のようだ。
冬の曇天の夕方というシチュエーションがかえって妙味を加えている。
描かれた少女の痛みが伝わってくる思い。

さて、今日は未明から就寝中の佐々木神父のお供。
このままだと終日、施設から出ることはないか…

夕方、施設でのデイサービスがはける時間の直前にサンダル履きのまま外出させてもらう。
今日はこれをシュート。
https://www.instagram.com/p/CvQvAMlNfyX/

今回、思い切ってきておかげでいろいろな気づきと学びをいただいている。
これらのグラフィティに出会えただけでも感無量。


7月29日(土)の記 クラレチアン
ブラジルにて


クリチーバにて。
今日も未明から佐々木治夫神父に寄り添う。
午前中に暇乞い。

今日はクリチーバ市内のミュージアムなどを見学するつもり。
事前に市内の安宿の値段を調べていたが、意外な落とし穴がある。
大きいのは、駐車場。

宿泊料が安くても別に駐車料金を取られたり、駐車場がない宿もしばしば。
けっきょく割高になってしまう。
先回は駐車場込みの安宿をとったものの…
おそらくこの駐車場のなかにあった支柱か何かにボディをこすったか何かして…
僕にとっては高級な部類に入るホテルに連泊できるぐらいの出費となってしまった。

今回はちょうど30年前のクリチーバ取材の時の日系の定宿とした。
中心街からやや離れているのがタマに傷だが、駐車場使用は無料で、しかも広い。

アプリで宿近くのミュージアムを探してみて、写真からしてそそるものがあった。
聖クレアチアン宣教会というカトリック修道会が関係者の資料を展示しているようだ。
土曜は12時までオープンとのことで、それに間に合うように出発。

特にミュージアムの看板があるわけではなく、また実情に対応していないネット情報かと思いながら…
ネット情報にある住所にある教育施設がこの修道会の経営で、そのなかにあった。
受付からミュージアムに連絡してもらい、地下に降りる…

おだやかそうな男性スタッフが出迎えてくれた。
ネット写真にもあったが、カタコンベのようなたたずまい。
この建物は元は司教たちの住まいで、その地下の物置をミュージアムとして再利用したという。

この宣教会の歴史とともに、ブラジルで音楽の分野、生物学の分野で活躍した神父らの資料をなどを展示している。
コンパクトだが見やすい展示で、むき出しの展示物もホコリの気配もない。

ご案内しましょうか、それともご自身でまず御覧になりますか?と聞かれて、ひとり見をさせてもらった。
その間もスタッフは待機していてくれて、ざっと見終わった後のこちらの諸々のぶしつけな質問にも親身に答えてくれた。

閉館時間も迫っているので、また改めて、と告げて地上にあがる。
この修道会は、バルセロナ出身の19世紀の人で聖人とされるアントニオ・マリア・クラレ神父が創立。
寡聞にして知らなかったが、日本でも各地で幼稚園経営をはじめ教育活動をしていた。

コネも紹介もなくミュージアムに飛び込みで行って、これだけ丁寧な応対をしてもらったのは、他に想い出せないほど。

まことに心地よく、このあとはアンチークの大型店、州立ミュージアム、カフェ等々をまわる。
クリチーバというのは僕に格好の刺激を与えてくれる。
住むとなると、どうだろうかな。


7月30日(日)の記 海ゆかば 山ゆかば
ブラジルにて


クリチーバの冬の朝。
そうか、部屋にある老朽エアコンは暖房機能もあるかも。
轟音を伴なうが、少し暖気を取り込む。

ああ、また山道の長時間運転と思うと、なんだか往路の疲れが抜けていないことに気付く。
滞在をもう一日延ばしちゃおうかという誘惑も。

振り切って、午前中にチェックアウト。

道半ばにして、ナビが別のルートを示してきた。
海岸山脈を貫く街道をひたすら行くより、途中で海に下って海岸の街道を行き、サントスの手前から山登りの街道に入った方が時間も早く、高速料金のトータルも安いと出た。

…行ってみるか。
途中の山下りの道ははじめてで、興味あり。
が。
海近くまで大部分が片側一車線で中央分離帯なし。
速度制限が80キロだったり60キロだったりだが、それを守っているクルマはないといってよく、そもそもこの速度を守っていたらナビの到着時間は遅れるばかり。

知らない道は、他のクルマの動向に合わせるのが無難だろうな。

して、最後の「移民街道」の大のぼり。
週末の海に出た乗用車の帰路のラッシュに加えて、事故による渋滞。
さらに濃霧のチョムスキー状態…

いやはやナビの示した当初の予定時間よりだいぶかかりました。
見聞は広まったけれど。


7月31日(月)の記 指紋再読
ブラジルにて


往路の長時間運転の疲れが抜けないうちに昨日の復路の長時間運転。
疲れた。
今日は静養しよう。
恒例の一日断食も並行。

読みかけで埋もれてしまっていた『神々の指紋』の続きに親しむ。
グラハム・ハンコック著。
単行本版で、西暦1996年の発行時に上下とも日本で買って担いできたものだ。

上巻を少し読んだところで、植物学者の故・橋本梧郎先生にお貸しすることになり、返却までだいぶ年月がかかったかと記憶する。

なぜ読みかけの段階で橋本先生のお貸ししたのか…
想えば僕が最初に橋本先生について映像でまとめたのが1996年。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000061/20060501000545.cfm?j=1
その翌年に橋本先生はNHK問題に「遭難」する。

おそらく橋本先生がアンデス方面の古代遺跡について僕に語り、それなら出たばかりの面白い本がありますよ、といったノリでお貸ししたのだろう。

ほとんど忘れていたが、イントロからして強烈だ。
15世紀末にヨーロッパ人がアメリカ大陸に到達するより、はるか以前に描かれた古地図に南極大陸とその地形が精緻に描かれていたというのだ。

筆者は世界各地の古代遺跡をまわり、人類史のなかで封印されてしまった超古代の知性と文明の存在を探っていく。

僕自身、なにかそうしたものを想定した方が合点がいくと近年、改めて思うようになってきている。
現在、祖国でブラジルで地球各地で繰り広げられる暴挙愚行を知るにつけ、ますますその思いが強くなる。

うう、けっこう数学が出てくる。
上巻後半の地球の歳差運動の話になると、ちょっと厳しくなってきたけど。

この本は日本で文庫本も出て久しいかと。
文庫の解説を読みたいな。

ネット検索すると、著者の説にそれなりの批判があるようだが、どこがどう批判されているのが知りたいところ。
まずは下巻まで読み終えないと。


 




 


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岡村淳 :  
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