移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
岡村淳のオフレコ日記
     西暦2023年の日記  (最終更新日 : 2024/01/02)
11月の日記 総集編 2023年 中有の旅

11月の日記 総集編 2023年 中有の旅 (2023/11/06) 11月1日(水) 2023年 中有の旅
→アメリカ合衆国→


正直なところ。
今回は緊急事態の訪日だが…、
実の親や兄弟を亡くした時のしんどさはない。
故人は三親等。
会話不能になって久しく、年齢でいえば表彰クラスの大往生。

先回、横浜の古本屋で見つけた1974年ヴァージョンの『チベットの死者の書』を持参。
少しひもとく。
後の文庫版よりわかりにくいかも。
そのほか締切り迫る原稿のための資料本をごっそり持参。

例によって機中ではほとんど読めない・読まない。
そもそも機中の座席のライトを「読書灯」と言ったはずだが、機中で読書をしている人は近年まず見たことがない。

今回のユナイテッド航空での乗継ぎはニューアーク、4時間ほどある。
ゲートも移動だが、余裕。

空港の売店でミニ海老天を巻いたロール寿司、トルティーリャ、これらはいずれも中小サイズで、あとグレープフレーツジュースのペットボトルを購入。
これだけでなんと50ドル以上、邦貨7500円以上!
日本なら1000円でも高いかも。

量的に満足感には遠い。
しかもスシのシャリがかちかちに冷え乾き固まっている。
冷やし枯れ飯(いい)か。
これだけヒドいシロモノはブラジルでも思い出せない。
まあ、話のタネとはいえ…

空港のあちこちにハロウイン飾りの残滓を看取。
まあ、ハロウインで騒ぐために空港に来る人はあまりいないだろうけど。


11月2日(木)の記 空のラストサムライ
→日本


ニューアークからのユナイテッド航空機中には日系人の男性の客室乗務員がいた。
胸のネームプレートの名前はカトリックの聖人の英語名だった。
乗客へのサービスの際は英語を用いているが、機内放送の日本語版は彼がマイクを手にして行なっている。
完璧と言っていい日本語だ。

成田到着間際の朝食後、コーヒーを頼んだ。
日本語で。
「ミルクコーヒーをお願いします」。
彼が相好を崩した。
「『ミルクコーヒー』と言われたお客様は初めてです」。

また彼が来た時に、少し話す。
「『昭和の日本語』ですね」。
うまいことを言う。

ほんらいのルートが火山の噴火の影響とのことで、やや遅れて成田に到着。
また彼と少し話がしたい。

おおかたの乗客が去ってから立ち上がる。
先に自分はニューヨークの人間と言っていた。
アメリカ生まれですかと聞くと、日本人だという。

お互いの年齢をあかした後、彼は胸を軽く叩いて「ラストサムライですよ」と言った。
カッコイイ。
サムライはきらいだ。
でも、これはかっこいい。
こういうサムライなら。

今度は「コーヒー牛乳をお願いします」
と言ってみようか。

またラストサムライに会いたい。

今回のつらい日本の旅の、せなかをラストサムライに押してもらった。


11月3日(金)の記 つや姫の里の通夜
日本にて


喪服やら土産物やらで膨れ上がった荷物を引きずって。
早朝のカトリック目黒教会へ。
メキシコ風の死者の日の装飾あり。
https://www.instagram.com/p/CzL3OLEJnIw/

JR目黒駅で山形新幹線の切符を購入。
全席指定だが、立ち席指定券しかないではないか。
そうか、連休初日・文化の日。
東京駅は、ごった返す。

喪服を着てこないでよかった。
山形新幹線のデッキでしゃがみこむ。
手もとにとっておきたい記事のあった東京新聞を買っておいてよかった。
お尻に敷く。
先週のダラスの教訓から。

左沢線も休日なれど高校生を中心に座席は埋まり、こっちは立ちんぼう。
ブラジルなら、若者たちに無理にでも座らせられることだろうけど。

こちらの親族の出迎えをいただき、そのまま斎場へ。
以前に相談を受けていた遺影が飾られていた。
こちらの祭司は、真言宗智山派の由。

血族代表として、ここで一晩過ごすことに。
wi-fi環境はばっちり。
ならびの会場の方も同じ名字で、まちがってくる人しばしば。
香典泥棒もなきにしもあらずとのことで、油断はできない。
ロウソク等の失火も注意。

ナマものである遺体が心配になるほどの暑さ。

ブラジルから担いできた、おおえまさのり版の『チベットの死者の書』をひもとく。
僕の唱えるいのりは、ポルトガル語。


11月4日(土)の記 焼いてからか、焼く前か
日本にて


昨日、葬儀の段取りを喪主らと確認していて驚いた。
このあたりの葬儀では、遺体を火葬場で焼いて骨壺に収めてから告別式を行なうという。

葬儀社の担当に聞いてみると、山形県の内陸部ではこの順番とのこと。
なぜかとしつこく尋ねるが、その質問が理解されないようだ。
このあたりではそういうことになっている、以上の説明はなく、そんなもののようだ。

昨日、あわててこの件を今日早朝に車で東京を出てこちらに向かうという親類に伝えておいた。

こうした現代に続く日本の葬送儀礼を比較検討していったら、けっこうおもしろいかもしれない。
そこではあたり前すぎることが、一般からすると奇異なことしばしば。

以前、このあたりでは四十九日を過ぎてからお骨の下あごの部分を宗派を問わず、芭蕉の訪問で知られる山寺に収めにいくと聞いていた。
「シコツ(歯骨?)」とこの部分を呼んでいた。
尋ねてみると、これはもうこの20年近く、やらなくなったという。

これなども意味意義不明で、僕など縄文文化に結びつけたくなってしまう。

火葬中の待ち時間や「おとき」の際の伴にと、ブラジルからカシャッサを担いできた。
サンパウロのDUTY FREEで買った輸出クオリティの化粧箱入りだ、
乗継ぎのアメリカでの再入国時のチェックが心配だが、売り子のおねえさんは問題ないという。
試してみると…

荷物検査で引っかかり、検査官のチェックにまわされた。
これがえらく時間がかかったが「お墨付き」のテープまで貼ってもらう。
先回のように接続時間が短い場合は避けた方がいい。

苦労して担いできただけあって、焼き上がりを待つ席でそこそこカシャッサで盛り上げる。

移民小説家の松井太郎さんはカシャッサを日本語で「火酒」と表記した。
焼き場にふさわしい酒だ。


11月5日(日)の記 中有の極楽
日本にて


今日は午前中にお寺での初七日供養。
また背広を覚悟していたが、通夜同様に平服でいいという。

今回は平服らしい平服を持参しなかったのが失敗。
僕のふだんは平服というより、Gパンに作業衣なので。

この地方では僧侶のことを「おっさま」と呼ぶ。
法要の後でおっさまに式中に用いていたシンバル状の楽器について聞いてみた。
妙鉢(みょうはち)というそうだ。
いくつかのリズムがあることを実演で教えてくれて、僕にも持たせてくれた。

これほど奥が深いとは。
ブラジルで単純に見える楽器にはまっている人が少なくない理由を垣間見た。

午後より寒河江駅近くの定宿・ホテルシンフォニーに移動。
昨日までは連休でまるで空きがなかった。

こんなに間を置かずにここの温泉に再入湯できるとは。
今回も和室を頼む。
ほう、今度の床の間には夢二の画が。
調べてみると、ずばり夢二は山形に縁があった。

とにかく疲れました。
まずは入湯、すでに敷いてある布団と畳の間にごろん。


11月6日(月)の記 山形新幹線フンパツ
日本にて


昨夕から何回、宿の温泉に入湯したか数えきれないぐらい。
身心ともに疲労しているのだが。

葬儀ミッションが一段落した安堵のせいか、眠れなくなってしまって。
課題図書の西暦1974年版『チベットの死者の書』と1986年版『秋田の聖母マリア』も読了した。

産みの苦しみの続いた原稿をまずは書き出してみる。
そのために大きなノートパソコンも担いできたのだ。

あいまあいまに入湯。
ここの宿の温泉は終夜入湯可で、ありがたいかぎり。
ほぼ徹夜をしてしまったな。
明け方に少し眠る。

朝食バイキングは例によって、食べ過ぎ…
チェックアウトは午前10時。

宿に荷物を預けて、所用にかかる。
今度は湯疲れ、食べ疲れか?

帰路、仙台の友人に久しぶりに会うことを考えた。
あいにく今日は都合がつかない由。

それはともかく、帰路は仙山線で仙台に出て、日中の高速バスで帰京する作戦を考案。
今回はなかなかの出費となってしまった。
ここいらから倹約を始めるか。

しかし、身心の疲れは抜けず。
さらに荷物は喪服一式に革靴のほか、東京の親類への香典返しの品等でカバンがぱんぱんになってしまった。
これをあちこち引きずっていくのはつらい。

思い切って山形新幹線をフンパツするか。
寒河江駅でクレジット買いして、ホームに降りようとしたときに携帯バッグを忘れているのに気づいた。

山形新幹線は全席指定だが、購入した列車には乗れそうもない。
事情を話すと、駅員さんがクレジット購入そのものを取り消してくれて助かる。

バッグはホテルのフロントにあり、これまた助かった。

荷物は山形新幹線の席上の棚に押し込んで、かろうじて収まる膨らみ具合。
山形新幹線は福島を過ぎ、大宮が近づくと車窓からはひたすら関東平野。
申し訳ないが、うんざり感がある。

夕方のラッシュ寸前に戻れたようで、いやはや。
さてさて東京血戦のはじまり…


11月7日(火)の記 渋谷でSIMカ
日本にて


今日は、渋谷・新宿・目黒をまわる。
まずは渋谷のBICカメラ。
ここで購入したスマホ用のSIMカードが今回は機能していないのだ。

山形新幹線はかろうじて、山形の斎場はばっちりwi-fiがつながったが、それ以外は往生した。

店では決してウエルカムな対応ではなかったが、問題があったらここで対応すると取扱説明書にもある。
たらいまわしのうえ、ようやくやってきたスタッフが対応、なんとか解決。

こちら側の入力エラーが原因と言われるが、はて。
いずれにしろ旅先でのSIMカード使用はひとつ間違えると致命的になるので、要注意。


11月8日(水)の記 平均律マジック
日本にて


さあ、離日前日だ。
今日は港区→新宿区→目黒区とまわる。
歩きとバス、地下鉄と電車。

総歩数は25000歩を超えた。

おや、東横線の急行に乗ってしまったようだ。
祐天寺を通り越して学芸大学駅へ。

学芸大学駅前の喫茶店・平均律さんには先の訪日時に行きそびれている。
今回はできれば、と思っていたが、今日はお休みのはず…

ああ、僕の曜日感覚もくるっていた。
お店は月火が休みで、僕は今日は火曜だと思い込んでいた。

あいててよかった♪
店主のえりささんと、亡くなったアーチストの鶴田陽子さんのお話など。

目前でのえりささんのアイスコーヒーづくりは、見ているだけでありがたい気持ちになってくる。

他にお客さんがやってくる。
僕より少し若いぐらいの男性。
しばらくしてから、えりささんが紹介してくれる。
フランスに造詣が深い由。
ブラジル音楽が好きだという。

僕が訪日中のブラジルのミュージシャン、エルメート・パスコアールの名前を出すと、ツーカーだった。
ドキュメンタリー映画監督の故・佐藤眞さんの弟子と親しくしているという。
何人か心当たりがある。

話が進んでから、ひょっとして、と名前を出した人がビンゴ!だった。

えりささんはこんな二人の盛り上がりをうれしそうに眺めながら、別サイドに座ったお客さんも紹介してくれた。

想えば、このお店のことを知ったのはリオデジャネイロで出会った邦人のフェイスブックの記載。
訪日時に訪ねてみると、亡くなったマスターの有賀さんが近くの古本店・流浪堂さんを紹介してくれた。

このお店そのものでも何回か拙作上映会を開いてもらった。

こうしたお店と人のおかげで、いまの僕がある。


11月9日(木)の記 湯堂から湯道へ
日本→アメリカ合衆国→


スーツケースにあれやこれやと詰め込んで。
実家の前のバス通り10分待ちぐらいでタクシーをゲット。
恵比寿のホテルで成田行きのバスを待機。

なんとソファの向かいに機材について打ち合わせ中のビデオ撮影クルーが。
…聞いておきたいことがあり、タイミングを見て思い切って声をかける。
いろいろ教えてもらうが、まさしく今浦島の想い。

成田第1ターミナル。
おう、ここは改造社書店が神々しく開いていた。
新書文庫を見て回るが、あれも欲しいこれも欲しい…

おお、新装版『苦界浄土』があるではないか。
新装版には原田正純先生の解説があると知り、買う。
最近、ブラジルで読み直していたのは僕が大学時代に買った文庫版。
今の僕には活字がきつくで読みにくかった。
それにしても、10分以上は店にいたと思うが、僕のほかにはガイジンが二人来ただけ。
もったいない。
良書が免税で買えるのに。

ユナイテッド航空ヒューストン行き。
ユナイテッドのチェックインカウンターの女性スタッフには、JR寒河江駅の男性駅員の爪のアカを進ぜたかった。

おや、月が変わったせいか機内映画のプログラムも少し変わったようだ。
『湯道』という日本映画をまず見てみよう。
これは絶妙。
地方の町の銭湯をめぐる群像劇。
それぞれのキャラがいい。
アフロ系のハーフの受刑者を配すなど、現代日本への目配りが鋭い。

機内でノーマークの映画の佳作に出会うたびに幸せな気分になる。


11月10日(金)の記 たどりついたらブラジル
→ブラジル


ヒューストンの空港は、アメリカの他所よりゆるい感じ。
係官がニホン語を混ぜる余裕あり。

今度はトランジット時間も余裕。
サンドイッチ系のテイクアウトに目を付けていたが、混んできたのでチャイニーズにする。
久しぶりに、ドクター・ペッパーも飲んでみる。
少しはアメリカの空港の使い勝手もわかってきた。

さてさて、サンパウロ行きの便。
乗客は限界以上を機内に持ち込もうとする。
正直者はバカをみる…

やれやれ、ブラジル到着。
こちらは灼熱の季節到来だ。

時差ボケの上書きが続く。


11月11日(土)の記 ブラジルのしおり
ブラジルにて


いったい僕は、どこの時間帯にいるのか…

サンパウロ時間の土曜日。
午前中に、わが高層住宅街の一角で不定期に開かれる手工芸品市と、下の大通り沿いの広場で土曜営業の路上市をまわる。

手工芸品市では、あらたに2種類の手づくり栞を次回訪日のお土産品として購入。

このところの訪日では、都合5種類のブラジル製しおりを持参して、友人知人に配った。
それぞれ、日本の本好きの人にもしおりとはわからないような形態のものもあって、相手のリアクションが面白い。
僕はしおり好きなのだが、もらった方のホンネはどうだろう?
思うと、特に反響はない。

それでも僕は、しおりを買う、なんちゃって。

成田の改造社書店で買い込んだ文庫新書類にはそれぞれ、紙のしおりがはさみこんであった。
うれしい気配りだが、できればこれも他所のPRしおりでなくて書店オリジナルのでお願いしたい。

いやさ、しおりまで書店まかせにするのではなくて、マイしおりでいかないと。


11月12日(日)の記 市場のアラ探し
ブラジルにて


今日も必須事項以外はスルーして、だらだらと飲んだくれさせていただきましょう。

と言いながら、日曜の路上市に、グラフィティの出ものも物色しながら。

サーモンのアラ。
これもだいぶ値が上がってきた。
チリ産の養殖ものだが、いつも食べるわけでもない。
店でさばいた後の残り身だから、いまのような猛暑のシーズンはリスクが伴うけれども、買ってしまう。

さらに顔見知りのアニキからアジをすすめられてしまい、買い。

ここのところグレープフルーツ系を見ないな。
わが家の冷蔵庫にまだだいぶライムがあった。
今日もカイピリーニャでいくか。

サーモンのアラを昼に少し焼いてみるが、家人より鮮度について指摘あり。


11月13日(月)の記 月曜立志編
ブラジルにて


まだまだ疲労も時差ボケも引きずっているが、そうはいっていられない追い込まれ状態である。

僕にとってはかなり重い原稿があるのだが、これには相当資料を読み込まねばならない。
あらたな返り血も覚悟で。

もろもろの手続きもあり…

さらに日本で生まれそうな新たなプロジェクトの件。

日本で亡くなって中有にある親類の証言ビデオもまとめなくては。
まずは20年前に撮った素材が無事かどうか。

そして今日は午後からこちらの親類の料理番とお泊り付添いの再開…
今日は途中のサンパウロ大学で、撮ってみたい写真もあり。
https://www.instagram.com/p/CznMFPvu-MT/


11月14日(火)の記 一日断食芸人
ブラジルにて


出先で起床。
今日は久しぶりに一日断食を決行、のつもり。

訪日時はこれを中止していたので、一月半以上ぶりとなる。
パンデミック以来、ずっとこれを続けていた。

これを中断したので、ここのところ腹部の膨張、ズボンのベルトのあまり部分の短縮を感じていた。

朝のラッシュのなか、帰宅。

今日も 暑うなるぞ。

11月になって。
離日の日の日中、まだ日傘をさしている人がいた。
東京は最高気温を更新とか。

今度はサンパウロが最高気温を更新。
37・9度か。
これは微熱ではおさまらなさそう。

検索すると、微熱は37・4度以下とか。

日本の宿で飲まずにもらってきた緑茶のティーパックがそこそこある。
これを水出していただこう。


11月15日(水)の記 猛暑のご奉公
ブラジルにて


日本なら七五三だが、今日のブラジルは共和国宣言記念の祝日。
そのためシフトが変わり、僕がこちらの一族の高齢者の泊りでの付き添いを申し出た。
できるだけ早朝に先方に到着のこと、との指示あり。

自分の方の作業もたまっている。
思い切って「戦艦大和作戦」を決行。

さてサンパウロ市は摂氏37度を超える記録的な猛暑が続いている。
お年寄りは、暑い暑いを連発。
たしかに台所と食卓のあたりはいちだんと暑い。

さる月曜のように、クーラーのある畳敷きの部屋に小テーブルを持ち込んで、そこで昼夜と食事をいただくことにした。

昼は、そうめんほか。
麺がべったりくっつきがち。
冷蔵庫にあった日本製の昆布だしの濃縮つゆを使うが、これなら自分でつくった方がよかったかも。

夜は冷凍してあったマグロを解凍、いくらかやわらかそうなアボガドとあわせてハワイアンポキ風おつくりをこさえてみるが…
アボガドが皮をむいてみると、まだ固すぎた。
解凍マグロも色がすぐれず。
まあ、ほかのオカズでおぎなう。

お年寄りはクーラーの効いた場所での「冷遇」にまんざらでもなく。

おかげさまで自分の作業もはかどりました。


11月16日(木)の記 オンラインの迷宮
ブラジルにて


今日は奉公先で朝食はオジヤを始め、和風で決めてみる。
日中、渋滞のなかを1時間余りかけて車を繰って帰宅するが、僕にはこれだけでなかなかの労働。
今回は「決死の」戦艦大和作戦、トラブルなく成功裏に完了するが…

日本でもブラジルでもあれやこれやの手続きをこなさなければならない。
こちらの自動車免許更新は、明日の身体検査をオンラインで予約して待機中。

メトロなどのパスの申請にかかるが…
・オンライン申請
・必要書類をもって最寄りの営業所で対面申請
がある。
オンライン申請をクリックすると、最寄りの営業所の方に誘導されてしまう。
けっきょくオンライン申請はできなくなったってことか?

他の入り口も探してみて何度も挑戦、ようやく「オンライン申請も」できそうなことがわかった。

自動車免許の方ではそもそもサンパウロ交通局のウエブサイトにノートパソコンからではアクセスできず。
これには往生した。
スマホでちびちびと、家人の助けも借りてどうにか軌道に乗ったようだが、さて。


11月17日(金)の記 メンゲレの渡った国で
ブラジルにて


今日は、午前8時からのセントロ地区での自動車免許更新のための医師の検査をオンライン予約した。
予約時間の15分前には到着していること、との但し書きあり。

そこそこの緊張感とともに午前7時過ぎに出家。
朝のメトロはそれなりの緊張感のあるブラジルが伝わってくる。
3D式で複雑なアニャンガバウ駅で地上へ。

おや、指定の場所は出口隣接の雑居ビルだ。
15分前に着いたが、ビルのセキュリティは、8時まで入館できない、そこいらで待っていてとのこと。
…ちかくのグラフィティ散策にあてる。

8時直前に入れてもらえた。
所定のオフィスを探す。
そこでも待機を要請される。

さらに数分待って、オフィスに書類を届けに来たおじさんかと思った人が担当医師だった。
ポルトガル語にシンパチコ(シンパシーあふれる)という言葉があるが、それはあてはまらない範疇の人。

この検査では特に視力で「ものいい」が付き、仕方なくこの検査をパスするためのメガネを近くで緊急にあつらえた、という話も聞いている。

こちらが高齢のせいか、水銀中毒をみるような運動機能のテストも。

「ふつうの」ブラジル人と違って、どうでもいいような会話が潤滑油になるような雰囲気ではない。

…いやはや、なんとかパス。

先回は、わが家の近くの更新代行施設で行なった。
多少の手数料とともに、そこでこの医師の検査もできるのだが、まことにいやらしい男だった。
こちらの生殺与奪券を握っているぞというような態度。
よぶんなカネをはらって、スムースで快適な思いどころか、なおも袖の下をよこせとでも言いたげな態度を取られて。

友人に聞くと、オンライン更新申請は簡単で、医師も感じよかったとのことで、今回はこころみた次第。

受付嬢によると「3営業日」でまずスマホに通知が届き、のちにわが家まで更新免許が郵送されてくるとのことだが…

まずは願をかけた聖アントニオ教会に御礼参りにいこう。


11月18日(金)の記 あつい、たおれそう
ブラジルにて


第一第三土曜日は東洋人街にある宮城県人会のガレージスペースで「青葉祭り」という市が立つ。
近郊日系農家の野菜はじめ、手作りの総菜などもあり。

値段は決して安くはないが、見た目から食欲をそそる。
イチゴ大福の最後の一皿をゲット。

ほう、青じそがある。
「山形のだし」をつくるか。
キュウリ、ナス、オクラも購入。

記録的な猛暑となったサンパウロ、午前10時は軽く30度を超えて日差しも強く、そうとう暑い。
東洋人街を貫くガルボンブエノ通りをひーこらと歩く。

途中、日本人一世っぽい男性と二・三世らしい日系女性がばったり出会って言葉を交わすのに遭遇。
女性いわく「あつい、たおれそう」。

ふむ。
暑さの実感のこもる表現だ。
にしても、在日日本人なら「暑くて、倒れそう」という表現をするだろうか?

いずれ冷めたアタマで考察してみたい。


11月19日(日)の記 マグロの腹を探る
ブラジルにて


僕の訪日中にサンパウロは突発的な大暴風雨に襲われた。
倒木が相次いで電線をなぎ倒し、各地で停電が続いた。

それにこりて、この週末また大暴風雨の恐れがあるということで屋外のイベントの中止が相次いだ。

今日の昼は会食となったが、メンバーの一人は職場の浸水を心配してスマホでライブ映像をチェックしながらの参加となった。

けっきょく昨日今日は大雨には至らなかったと言ってよさそう。
まあ用心に越したことはない。

僕は午後から明日夕まで、新たに天一号作戦体制で一族の長老のお世話で泊まり込み。
午前中に路上市でマグロのハラミを買っておいた。
以前にも書いたと思うが、こちらのマグロのbarriga:腹身として売られているものと、いわゆるトロの相違が改めて調べてもイマイチよくわからない。

大トロも中トロも、このハラミということになるようだが…
こちらで買うこの部位は、筋が多い。
そして、やや臭みがある。
これは血抜きなどの技術の相違のせいか。
ちなみにお値段のほどは赤味と同じ。
今日はキロあたり約2000円強だった。

そのため、生食の場合も僕は薄口しょうゆなどで軽くヅケにしていただいている。
刺身好きの老刀自の夕食に、少しこのハラミのおつくりを添える。

こちらの魚のプロにこのあたりの違いをうかがいたいもの。
なかなかそういう店に行って、話を聞ける機会もないけれども。


11月20日(月)の記 イカのアスパラ
ブラジルにて


サンパウロの出先で、深夜の天一号作戦。
粛粛と動画編集。

今日のサンパウロは黒人問題啓発の祝日。
通常よりだいぶゆるい交通状況のなか、夕方に帰宅。

今日の夕食はわが子と二人で。
軽め、ということで。

日曜日の路上市でグリーンアスパラガスの安売りがあった。
以前と同じペルー産。

今日のも製造年月日が見当たらないが、先回のはまもなく先端からとろけてしまい、茎は筋っぽかった。
それでも買ってしまう。

夜はアスパラとベーコンのスパゲティとした。
うむ、今度のは先端もまだとろけず、筋っぽくもない。

ペルーのイカ産だ。
イカ。
ペルーの首都リマと南方の地上絵で知られるナスカの中間ぐらいに位置する。
ずばりペルーアタカマ砂漠のなかにあり。

40年前、僕の最初の南米取材で訪ねている。
いい思い出はないけど。

どんなふうにアスパラを育てているんだろう?


11月21日(火)の記 めはくちほどに
ブラジルにて


朝、目のトラブルに気付く。
パンデミック以来、何度「目」か。

長時間の動画編集作業、薬の飲み忘れなど、こころあたりもあり。
眼を休ませるしかない。

数々の入力発信が必要な案件、読み通すべき資料・文献がたまるこの時期に!

免許更新の身体検査の時ではなかったことに感謝せねば。
以前と同じ目薬を差しながら、さらに悪化しないことを願うばかり。

想えば目の問題で神戸でハネられたブラジル移住予定者も少なくなかった…

夜ははや目に、YouTubeを「聞きながら」休む。


11月22日(水)の記 眼の壁2023
ブラジルにて


以前にも触れた覚えがあるが、松本清張作品のタイトルはなかなか意味が取りにくいことがしばしば。
これは小説を読み、映画も見た覚えがあるが、内容はほとんど記憶にない『眼の壁』というのがある。

トラブルの生じた、わが眼について。
昨日より悪化していたら、これは問題。
…、うむ、昨日よりは少しはいい感じ。

先月の日本各地の上映で、アンケートに電子アドレスを書いてくれた人、名刺交換をした人への挨拶メッセージ送りを続ける。
もしオレ・アタシのところには届いていないよという人がありましたらお問い合わせください。

さあ次のミッションに入る前に、あと気の重い案件がふたつあり。
もう先送りも逃げるわけにもいかない。

明日の朝から、10月の訪日の前に先送りしてしまった件から取り掛かるか。


11月23日(木)の記 11月の峠①
ブラジルにて


こっちの動向を「虚視眈々」とうかがっている輩がいるので、詳細は書かない。

次のミッションに入る前に済ませておくべき宿題がふたつある。
うち、ひとつに今朝から専心、追い込む。
「みほん」がみあたらないのだ。

午後から買い物と、知人とのカフェ談話。
そのあとで以前、超満員で見れなかったドキュメンタリー映画を見ておく。

最初のめんどくさくもややこしい宿題をとにかくやっつけたせいか、どっと疲れと風邪っぽい症状が。
されど、さらなる宿題がはばかっている。

これは明日朝からとりかかろう。
これを「除去」したら、だいぶココロが楽になることだろう。


11月24日(金)の記 峠の先に、雨とカフェ
ブラジルにて


さあメンドクサイ宿題シリーズ第二弾。
早朝から着手。
…、
文面の推敲は、きりがない。
いざ、送信。
関係者の方々にも。

いやはや。

さあ諸々の買いもの・用足しがある。
荷物になるので、何度か帰宅。
…、都合4回になったかな。

先週は記録的な猛暑だったサンパウロだが、肌寒くなり、今日は雨模様。
ポロシャツ一枚で出てやや後悔。

食べ収めておきたい自然発酵パンの買い出しで、少し歩く。
むむ、帽子では防ぎきれない雨。

ちょうどおあつらえ向きの民家改造のカフェが。
ここは、あたりだった。
装飾品が手作り感あふれてセンスもいい。

こういうカフェが欲しかった。
わが家からちょっとあるのがかえっていいかも。

朝のナニをおえたご褒美ということで。


11月25日(土)の記 ブラジルの恥
ブラジル→


ブラジルに暮らす日本人ではあるが…
ブラジルと日本を非難する割合としては、圧倒的に祖国日本を非難することが多いと思う。

「ふつうの」日本人はブラジルを非難することの方が多いと言っていいかもしれない。
たしかに数十年前までのブラジルは、そうした非難もむべなるかなという観もあり。
ところが、ブラジルの急成長を超える速度と規模でのわが祖国の凋落が続いてしまっている。

そんななか、サンパウロに暮らしていて、恥ずかしいし迷惑なこともあり。

南米最大にして南半球最大のメガロポリス・サンパウロの空の玄関は、まともに鉄道でアクセスできないままなのだ。

このため、国内線のコンゴニャス空港への道路事情は慢性的なカオス状態。
国際線のグアルーリョス空港には名前だけは空港線ができて久しいが、最寄駅から実際のターミナルまで距離があり、移動がたいへんな由。
とても試す気にはなれない。
大荷物をかついでの移動は体もいためるし、強盗や置き引きも心配、と経験者として語りたい。
そもそもこの空港と市内を結ぶ幹線道路は、大雨で浸水して遮断されることもしばしば。

今晩は久しぶりにタクシー利用でグアルーリョス空港へ。
土曜の夜のため、市内はスムースに流れたが…

空港目前にして、渋滞。
事故か?
運転手によると第2ターミナルでメトロの工事が始まったとか。

これは搭乗時間に間に合わない人も出てしかるべきだろう。
こっちは第3ターミナルが目的なので、途中でこの大渋滞とおさらばできたけど。

ホントにメトロでターミナルまでアクセスできるようになったら、送り迎えで使ってみたい。
それよかまず、町なかのコンゴニャス空港の方を一刻も早くなんとかしてもらいたい。
拙宅から発着機が身近に迫る至近の空港だが、道路状況によりクルマで行くより歩いて行った方が早そうなこともしばしばなのだ。

羽田まで、歩いていけますか?


11月26日(日)の記 ミュージカル安重根
→エチオピア→


いやはや、深夜のグアルーリョス空港第3ターミナル。
場末感が、たまらない。
4年ぶりぐらいのエチオピア航空。
チェックイン仕様からして欧米の航空会社とはだいぶ勝手が違い、ひやひや。

他人のことはいえたものではないが、乗ってくるブラジル人も、ちょっと…という輩が散見。
こちらの席を占拠して、お互いの対話では席を譲らなかったり。

さあ気分転換に機内映画を物色。
日本語字幕サービスはないが、日本映画は数本あり。
アジア映画、アフリカ映画、アラブ映画にブラジル映画とジャンル別でも選べる。

『HERO』という韓国映画。
コリアの独立運動の活動家の話、と英語のサマリーは簡潔。

なんとこれが、ハルビンで日本の伊藤博文を暗殺した安重根が主人公の話だった。
しかもミュージカル仕立てで、これには度肝を抜かれた。

日本の映画ではこうした発想も出てきそうもない感じ。

フィクションも盛り込んでいるようだが、僕はあまりにもこの事件のことを知らな過ぎた。
安重根はカトリック信者で、トマスという洗礼名があったようだ。

ますます知りたくなってくる。

これは、儲けものです。


11月27日(月)の記 10月26日のこと
→大韓民国→日本


エチオピア航空機での訪日は、アジスアベバで乗り換えて
次は韓国のインチョンでいったん降機、あらたに手荷物検査を通過しなければならない。

アジスアベバまでの機中でみた韓国映画『HERO』で、安重根の伊藤博文暗殺は1909年の10月26日と覚える。
10月26日。
今年の僕は、この日にアメリカのダラス空港で24時間空港待機の難に遭っている。
そこに意味を見出すか、だからどうなの?と居直るか。
この映画を見た後で韓国立ち寄りというのも奇遇。

それにしても韓国人の空港スタッフは心地のよい人ばかり。

このトランジットの前後にキューブリックの『バリー・リンドン』をウン10年ぶりに再鑑賞。
3時間あまりの長尺で、飛行機をまたいでの鑑賞となる。

日本公開時に見ているが、当時は高校生。
なにという積極的な感想を持てなかった。
が、こういうのがすごいと思えるようになっていて。

さあ今年三度目の祖国だ。
さほど寒くもないのが助かる。

成田空港でさっそく恥知らずな体験、泣き寝入り。


11月28日(火)の記 ふるさと目黒をあるく
日本にて


どこが目黒か世田谷か。
両区の境目を縫うように歩き始め。

いやはや歩いた歩いた。
24時間で28000歩超え。

目黒に本籍をいただいて育ち、学生時代には世田谷区遺跡調査会にてあちこち掘り散らかしたものの・・・

今日は、未知の道が多かった。
わが狭窄な「歩み」にあきれるとともに、今さらながら身近に未知の道があり、それを歩けるという喜び。

今日は28日、お不動さん:目黒不動の縁日ではないか。
かつてブラジルの家族を伴なってきた時は、夜店の一軒もなく暗ぐら寒々としていたが…
検索していると、今は出店があるようだ。
せっかくだからまわってみるか。

おうあるある。
食べ物系が中心だが。

小学生時代は亡父の車で連れて行ってもらい、あちこちの縁日をまわったものだ。
縁日キラー。
お不動さんでは、雑誌の付録売りの店がお気に入りだった。
ああいうのを見なくなって久しい。

読み返している『苦海浄土』の水俣病特別病棟の記載に「小さな児童雑誌の付録のマンガ本」が登場する。
かるいマンガ本が、実に重い。
西暦1959年のこととある。

時は流れ、付録屋は消えたが、縁日は残った。


11月29日(水)の記 嗚呼大戸島守備隊
日本にて


祖国にて映画『ゴジラ-1.0』の鑑賞に挑む。
新宿に出て。

切符購入はトーテムが中心。
数機が並ぶが、列をオルガナイズしたり購入をサポートしたりのスタッフはいない。
購入方法は前の若い女二人の能力を超えているのか、何度もやり直して二人できゃはきゃは盛り上がり続け。
他の列に並び直し。

フィギュアショップなども入るこのビルの営業開始は午前11時。
あたりにはせっかく早出をしてきたのに持て余している感のガイジン観光客が少なくない。

さて、映画の方。
『シン・ゴジラ』ではあまり乗れずに置いてけぼりにされた感があっただけに、今度のはありがたい。
とはいえ、アマノジャクなので、おのおのがたがあまり褒めたり泣いたりばかりだと、意も唱えたくなるけど。

それにしてもナンデモアリのゴジラシリーズだが、この時代と状況設定には驚いた。
まあ、フィクションだから。

冒頭に登場する大戸島守備隊。
わが亡父が「皇軍」の航空隊の整備兵であり、最近その軍歴をおさらいする機会があっただけに感無量。

とりあえずひとつ難を言えば、島の住民も少しは登場させてほしかった。
「初代」の高堂国典を少し若くした設定の島長とか。
ああいう味のある役者はいまやむずかしいかな?


11月30日(木)の記 都下の午睡
日本にて


今日は、都下に移転した友人夫妻からお招きをいただいて。
こちらの滞在先からのより安い交通手段を調べると、ナント一部を世田谷線利用というのがあり。
時間もさほどかからず。

野川沿いの集合住宅。
お宅にあがる前に野川散策を提案されるが、持参したお土産の重量もあり、川遊びは後刻とさせてもらう。
まさしく、あっと驚くアットホームな環境とおもてなしをいただいて。

心づくしのお料理が次々と出てくる。
なにをどこから話そうかというぐらいの共通の話題あり。
ただ一緒にいるだけで心がなごむ仲間。
日中のアルコールも進み。

・・・、
あれ、オレはどこに?
という目覚め。
あたりは暗い。
いつの間にか、眠りにつかせてもらったようだ。

夫妻もそこかしこで横たわっている。
イレギュラーなかたちで眠りについたが、なんだか爽快。
久しくこんな爽快な目覚めをしていなかったなと昨今を振り返る。

日中にお邪魔して、山海の珍味と美酒をいただいて好きな時に眠らせてもらえる友の住まいのある幸せ。

祖国の日没も早いが、世田谷線の終電タイムも気になる。
残念ながら楽しみのひとつだった野川あそびは見合わせる。




 


前のページへ / 上へ / 次のページへ

岡村淳 :  
E-mail: Click here
© Copyright 2024 岡村淳. All rights reserved.