12月の日記 総集編 記録映像作家の特撮聖地巡礼 (2023/12/04)
12月1日(金)の記 オタクの聖地でオトナのお子様ランチ 日本にて
今日は、アキバ巡礼だ。 まー、ニホンジン以外がいろいろいるものだ。 ざっとの感じで、アフリカン系が少ないかな。
連れの関心も、わが関心がおよぶ範囲も円谷英二特技監督を祖とするゴジラ系とウルトラ系。 僕はそれ以外の仮面ライダー系、ガンダム系などにはまるで感じるものがない。 ジブリ系ならほんの少々、といったところか。
僕などオタクと称するほどの構えもないが、その人たちの性情が少しはわからないでもない。 それにしても、日本のサブカルチャーが生んだものを求めて世界各地から人が集まってくる求心力、これはスゴイ。
こちらの嗜好を理解してくれる日本の友から、秋葉原のトルコライス専門店を紹介してもらっていた。 これが今日の主巡礼地のならびにあった。 たまたまだったのか、そこそこの規模の店をマスターがひとりで切り盛りしていた。 なにか通ずるものを覚える。
入り口に世界地図があり、外国人客には出身地にシールを貼ってもらう趣向。 わがブラジルのあたりではサンパウロあたりと、カンピーナスあたりにシールがあった。 サンパウロのシールの横にもう一枚、青まるシールを貼らせていただく。
トルコライスには旗こそないが、大人のお子様ランチとはよく言ったものだ。 幼少時の嗜好をいまに引きずる身にぴったしだ。
12月2日(土)の記 怪獣ヌキでも 日本にて
今日は深夜の夜行バスで北上の予定。
午前中から渋谷をまわり、いったん宿に戻って仕切り直すことにした。
渋谷では思わぬ奇書をゲット。 みちのく旅行のともとするか。
さて深夜のバス発までの時間調整として… 怪獣酒場・新橋店に挑んでみることに。
銀座方面から歩いて… イヤハヤ地図アプリでは、ナントもわかりにくいこと。 地下に潜ると、アクセス抜群のところではないか。
これは、よろしいお店だ。 さほど混雑もしておらず。
店のつくりに始まり、ドリンクも料理もウルトラシリーズにかけている。 しかも価格も量もリーズナブル。 さらにいずれも手がこんでいて、おいしいのだ。
映画『ゴジラ-1.0』について、怪獣ヌキでも成立する人間ドラマ、といった声が少なくない。 たしかに初代『ゴジラ』は例外として、怪獣シリーズの人間ドラマはなくもがな、の感が強いことがしばしば。
この酒場は怪獣ヌキでも成立するクオリティだと思う。 発祥の川崎店の方も気になるところ。
今日の夜行バスの乗り場は比較的わかりやすいところで助かった。 USBコンセントの位置は、降車時までわからなかったけれども。
12月3日(日)の記 砂丘のひもとき 日本にて
夜行バスで早朝の山形駅到着。 例によって、ドキュメンタリー映画祭とは無縁のわが山形ミッションである。
降雪もなく、無茶な冷え込みもなく助かる。 夜行バス利用者にとって、山形駅最寄りの松屋はいわばお助け小屋だ。 リーズナブルな朝定食をいただく。
左沢線に乗車。 寺での法要、市街の海鮮料理屋でのおとき。 ブラジル話などで少しは盛り上げる。
さあ寒河江の定宿へ。 今日の和室の床の間も夢二だった。 これはまたいいではないか。
砂丘で書をひらく女性。 https://www.instagram.com/p/C0ZHQckJNqs/
どこの砂丘だろう。 夢二が山形に親しんだことは先回、検索して知った。 ふむ、庄内砂丘。 南北35キロメートルで日本一、日本三大砂丘のひとつとな。 ・・・ さらに検索していくと、三大から庄内は漏れる記載もあり、なかなかややこしい。 安部公房の『砂の女』はこの庄内砂丘を舞台としたそうだ。 てっきり鳥取かと思い込んでいたけど。
砂丘でなんの本を読むか。 ・・・小松サキューとか?
12月4日(月)の記 記録映像作家の特撮聖地巡礼 日本にて
プライヴェートじゅんちゃんは、みちのく南下。 新幹線もフンパツして山形から福島須賀川へ。
月曜も開館という円谷英二ミュージアムを詣でるため。 今日の適当な宿を探して予約するのがせいいっぱいで、それ以外の詳細はほぼノーチェック。
須賀川、よいではないか。 もう駅構内からウルトラ/ゴジラ系オタクを魅了。 ミュージアムまでの「参道」には「われわれ」にはおなじみのキャラクター像が配備。 これがまた絵になる。
ミュージアム近くのM78ショップに立ち寄る。 ナント円谷一族の方の経営で、この場所が円谷英二特技監督の生家だった由。
当主の円谷誠さんと、さっそくウルトラ談義。 僕が小1の時にリアルタイムで『ウルトラQ』の洗礼を受けたというと、彼も小1だったという。 ところが歳を証し合うと、僕がひとつ上で、一学年上だった。 あれ?
自分の記憶を反芻しつつ、期待を裏切らないミュージアムをまわる。 円谷監督の遺品もあるという近くの大束屋珈琲店に寄る。 ナントここも先ほどの誠さんの経営で、自らコーヒーをたててくれるではないか! 同一人物が、複数いるのか??
ウルトラの記憶の不整合については、思い当たった。 ・・・あれはたしか1月からの放送だった。 そのため僕の小1、そして誠さんの小1にまたがったのではないか。
あとで調べてみると1966年1月から7月までの放送で、二人の記憶に間違いはなかったわけだ。
ちなみにこのお店、円谷監督直筆の掛け軸からウルトラQシリーズのジオラマまで配されていて、門徒にはこたえられない。 して、コーヒーがおいしいのだ。 僕、というか、日本人のテイストに合うというか、この味だ!という思い。
そもそも円谷英二監督の実家は江戸時代から続く麹屋で、その屋号が大束屋だった由。
よくぞかまして、いやさかもしてくれた。
白黒の特撮映像に魅せられた僕が、記録映像作家としてブラジルに移住。 聖地にて、あらためて自分の原点とあゆみをふりかえる。
12月5日(火)の記 バス帰京 日本にて
須賀川では、せっかくなので一泊した。 温泉優先、価格優先、より至近優先で検討…
タクシー利用しかなさそうだが、宿泊施設付き日帰り温泉の二食付きコースとした。 夜間までの日帰り温泉客に混じっての入湯。 宿泊施設なのに、温泉利用は22時30分までとせちがらい。
さて、帰りをどうするか。 鈍行列車乗り継ぎも考えたが、荷物もある。
高速バスか。 これがネット事情等もあり、難儀。 こちらの勘違いもありうろたえるが、なんとかいったん予約したものの変更もできた。
今朝もタクシーでバス乗り場へ。 このバス旅が快適だった。
気分は、宮本常一。 鉄道:新幹線よりリアルに日本の人びとの移動そして物流を体感する感じ。 サービスエリアのブラジルとの相違も面白い。
車中で少し本も読めた。 渋谷の「まんだらけ」で見つけた『キリスト宇宙人説』というのを東北旅行の伴とした。 そういえば東北には伝・イエスキリストの墓もあったな。
12月6日(水)の記 江古田詣で 日本にて
今日はまず池袋へ。 今回は観光者、消費者としての訪日なので、これまでと見え方が異なってくる。 新宿渋谷あたりと比べて、飲食価格も池袋はお手軽なのがうれしい。
東京の街の変化の激しさを聞いてきたが、池袋の激変には唖然。 映画青少年時代に文芸坐詣でをさんざんしたものだが、街並みの景観はまるで異次元。 距離と方角の記憶以外にたどりようがない状態だ。 と、すぐ横に新文芸坐があった。 すでに僕の見知らぬところとなってしまった。
交通費を締めることにして、小竹向原駅から江古田方面に歩く。 ギャラリー古藤さんとのご縁で、このあたりはいろいろな道順で往復している。 まずはソフビクルーザー コスモナイトアルファーさんへ。 https://www.sofvi.com/ 再会を喜び合って。 店主の依田雅彦さんにはギャラリー古藤・岡村淳特集上映の際にゲストとして対談もしていただいた。 とにかく話が面白い人だ。 依田さんはかつて目黒・蛇崩で古書店を営んでいたと聞き、これは存じなかった。
事前に連絡をしてお気遣いさせぬよう、いきなりギャラリー古藤さんを訪ねることに。 オーナーご夫妻とも在廊、来客もないタイミングで、温かく迎え入れていただいてしまった。 ご夫妻もギャラリーもパンデミックを乗り切っていただき、心強い限り。
12月7日(木)の記 わが中野学校 日本にて
いやはや日本国内非居住者は諸手続きがなかなかタイヘン。 ...この国の諸々からのサヨナラモードを今さらながらアップしていかないと。
気を取り直して、中野へ。 ワタクチは清水の部隊、じゃなかった舞台降下モードで中古ビデオカメラをチェック。
中野ブロードウエイで合流。 ふむ、サブカルチャーの聖地。 まさしく。 4階の書籍関連がこっちの奥底をならしてくる。 数冊購入。 こりゃあアキバよか、はるかにおかちゃん向きだ。
このあたりはグラフィティ/タギング/ステッカー文化も濃いようだ。 今回、日本のこれらの相への僕なりの見通しもついてきた。 トイレの落書き文化の延長、とか。
中野は今も「昔」も特殊な学びの地であるな。
12月8日(金)の記 シン綱島温泉 日本にて
・・・そうか、ミサは「おつとめ」ではないのか。 早朝のミサのあと、午後の横浜での約束まで、どうするか。
かなりの時間があるので、横浜近辺の日帰り温泉を検索。 横浜駅最寄りか、みなとみらいか。 場所がら、どちらも値段もよろしいけれど。
あらためて検索すると綱島駅最寄りというのがあるではないか。 10年以上前、東横線綱島駅近くにレトロな日替わり温泉があった。 金額も手ごろで複数回、通ったが閉湯となってしまった。
あたらしくできたのは、新綱島駅からシャトルバスあり。 新綱島駅なんていうのができたのも知らなかった。
いやはや、須賀川の日帰り温泉より数段グレードが高いぞ。 値段は横浜駅・みなとみらい付近より控えめ。
大アマゾン・ネグロ河ばりの黒湯のかけ流し。 リラックススペースもよろしい。 持参した奇書を読み進める。 ここの難としては、サウナ近くに飲み水が見当たらないこと。
日の出町駅下車で、大道焼肉師伊藤ガウショ翁を訪ねる。 驚きの厚さのピカーニャ:イチボ肉に、まさしく舌鼓を打つ。
再会を期して、みなとみらい方面に向かう。
12月9日(土)の記 シン立川流 日本にて
立川駅に立ち寄るのは、どれぐらいぶりか。 拙作『KOJO』撮影以来か。 あ、その後にゆかりの方と会食していたかな。
オタクな理由での立ち寄り。 地元の友人からは激しい人出を警告されていた。 が、渋谷新宿などの繁華街に立ち寄ったばかリなどで、に比べれば物足りないぐらい。
路地裏を歩きながらグラフィティ・タギング・ステッカー類にも気を付ける。 うーむ、こっちの方面は人出以上に都区内の繁華街に比べると希薄である。
帰りに新宿歌舞伎町を横断。 ・・・かつて早慶戦の帰りに早稲田の学生が入水した噴水のある池があったと記憶するが、面影もなし。 発掘しても遺構は出てこないだろうな。
取り締まりのせいか、意外とポンビキがおとなしいではないか。 そういえばかつては『北の家族』なんていうチェーンがあったな。 恥ずかしい事情で針で縫うほどの負傷事件が学生時代にあったのを思い出す。
その古傷にひさびさにまなざしを向ける。
12月10日(日)の記 調布にはためく 日本にて
今日は在調布の知人のところにお呼ばれ。 成城学園駅ビルの駐車場で待ち合わせ。
おお、国分寺崖線。 このあたりは学生時代に掘り散らかしていたので、なつかしい。
映画のまち調布。 ここが日活の撮影所、大映の撮影所と説明をいただく。 いまは角川大映撮影所というのだな。
入り口に大魔神二態の像。 右が埴輪モード、左が魔人モード。 知人はお子さんとともに、なんでこんなところにハニワがあるんだろうねと話していたとか。
お宅では入り口に竹竿でブラジル国旗を掲揚してくれていた。 ・・・日の丸だったら入りづらかったかも。
12月11日(月)の記 鳥買いばや物語 日本にて
日本で久しぶりに食材を買うことに。 鶏肉をキロ単位で。
実家でおすすめの店などを教えてもらう。 味も柔らかさも国産のものがいい由。
数軒のスーパーを歩いて回る。 パックで売られているものは国産の表示のものばかり。
山形の店でチキンの半身サイズを頼んだ。 どこ産かとウエイターに尋ねると知らず、調理場に聞きに行った。 ブラジル産との正直な返答をもらった。
日本に相当量のブラジル産チキンが輸出されていることは知っている。 だが少なくとも消費者が食材として買う鶏肉は国産志向が強いのかな。 日本人のブラジル観の一面に触れる思い。
12月12日(火)の記 友人葬の看板 日本にて
今日はパンデミック中に亡くなったテレビ時代の上司のお連れ合いを訪ねる。 お宅は千葉の市川市だが、アプリを繰ると西船橋駅から歩くのが安く、かえって早い。 先回もニシフナから歩いている。
さて、今年10月の訪日時からパンデミック禍のもとではじめたグラフィティに特化した「今日のグラフィティ」一日一枚のインスタグラム上げのアカウントをいったん打ち止めにして、新たに「今日のアート」としてのアカウントを立ち上げた。 https://www.instagram.com
グラフィティからアートへと撮影対象を広げれば連日の物色と撮影もかなりラクかと思いきや。 なかなかそうはいかない。 いっぽう今回の訪日で、日本のグラフィティ文化相への自分なりの見通しも少しはついてきた。
それにしても、このあたりはウザくもあるタギングすら見当たらない・・・ おや。 人通りもまれな歩道に面した廃店舗らしい建物の正面に、だいぶ風化した文字が看取できた。 「友人葬」と読める。 葬儀社だったのか。 友人葬という言葉が妙に新鮮だ。
訪問先のお宅でこんなのを見た、と話題にしてみるが、その場所も検討がつかないという。 まー、こんな看板に目が行く方がヘンタイだろう。
後日、「友人葬」を検索してみて驚いた。 西暦1991年に創価学会の会員間で行なわれるようになった葬儀の形式だそうだ。 てっきり日本の無宗教の文化人たちが葬式仏教を嫌ってはじめたものかと想像していた。
そういえば池田大作創価学会名誉会長の死をブラジルの邦字紙はどのように報道したのだろうか。
12月13日(水)の記 目黒33000歩 日本にて
ついに離日前日を迎える。 明日は朝のうちに宿を開け渡して大荷物ともに移動しなければならない。 『栄光への脱出』という映画のタイトルを想い出すが、内容が浮かばない。 (検索してみて、タイムリーでヴィックリ)
今日は電車バスを使わず、よく歩いた。 ナント33000歩超え。 最後はスマホの万歩計を繰りながら意地になって。
全パンデミック中の歩行数の記録更新。 しかも今日の歩きのほとんどがふるさと目黒。
自分の節目となりうる、これまた奇跡的なたいせつな仕事の打ち合わせもできた。
出費には目がくらみそうだが、かけがえのない訪日となった。
12月14日(木)の記 母への詫び状 日本→
亡母には、おわびと感謝の言葉しかない。
朝、ウイークリーマンションを引き払って、タクシーにて成田行バスの発着する恵比寿のホテルへ。 夜のフライトまでどうしようかと思案したが、けっきょくこれにした。
超高級ホテルでの朝食ビュッフェに挑戦。 僕が生涯、自前で食べた朝食代としては最高だろう。 とはいえ、安めの宿一泊代ぐらい。
ふむ、サラダ類からして面白い。 目の前でおにぎりを握ってくれたり、お好みの麺をゆでてくれたり。 フレッシュジュースだけでも、高級ホテルの味。 ブラジルじゃ下手すりゃ粉ジュース。
90分一本勝負。 そうそう、母のこと。 汁物は味噌汁に野菜スープ、特製カレーなどあり。
味噌汁をいただくと… 具は豆腐と油揚げだった。 それのみ。
実はこれ、亡母がよくこさえていた。 僕がお豆腐屋さんまで豆腐や油揚げを買いに行くことも。 何の疑いもなく、飲んできた。
・・・ヘタに自分で料理するようになると。 豆腐に油揚げに味噌じゃあ、大豆ばっかしじゃないか。 栄養的にもヴィジュアルにも野菜や海藻を足したくなる。 ワケギやわかめなど。
ところが、超高級ホテルの朝食でこれだ。 ・・・検索してみるとこれは味噌汁の定番のひとつで、豆腐と油揚げの食感の違いを楽しむべしとか。
亡母はこの組み合わせをどこで覚えたのか、気になっていた。 恐山のイタコにでも呼び出してもらって聞いてみるか。
12月15日(金)の記 アフリカの選択 →エチオピア→ブラジル
成田発のエチオピア航空機は韓国のインチョンに立ち寄る。 乗客は全員、降機して荷物のX線検査を通らなければいけない。 なぜかというと「韓国の決まりだから」。 韓国経由の便の機内食はエチオピア航空機でもパック入りのキムチが添えられるようになった。 周囲を観察すると東洋人客以外は箸も、いや箸はないけど開封もしないようだけど。 もったいない。
エチオピア、アジスアベバのボリ空港で飛行機乗り換え。 アフリカからのフライトの機内食は鶏・牛・魚のチョイスあり。 これまでの例からすると、アフリカの牛肉は固くてあまりうまみもない。 魚は淡水魚で生臭みあり。
とはいえチキンはだいぶ食べたので、あえて魚をチョイスしてみる。 うーむ、やっぱり生臭み。 添えてある塩コショウの小袋を開封して注ぐ。 想えばエチオピアは海がないし。 ナマズの仲間かな。 ブラジル風にしっかり下味処理すればいけそうだけど。
アフリカ大陸と大西洋を横断、さあブラジルだサンパウロだ、グラフィティの都だ。
12月16日(土)の記 時差ボケの上書き ブラジルにて
いやはやここのところの訪日続き。 時差ボケの上書きの繰り返しで、もうなにがなんだか。
それにしてもたどり着いたサンパウロ、11月下旬の時期の記録的猛暑日和ではなくて助かります。
まー、ワタクチ毎日が日曜状態だけど、こっちのシャバも土日だし、一層ゆっくりさせていただきましょう。
なんといっても大きなトラブルもなくてなによりでした。
おっと、大きな宿題を忘れまじ。
12月17日(日)の記 エッグプラント ブラジルにて
♪カルネイロの市に行ったら・・・
そうだ、こっちは夏。 夏野菜の季節だ。 「山形のだし」をつくるか。 するってぇと、キュウリにナス、オクラあたりを買えばいいかな。
うわ、ナスが巨大な西洋ナスしかない。 この、まるまるとした・・・ ナスの英語名、ご存じでした? ずばりEggplant。 この球面はまさしくタマゴを思い出させる。 タマゴが先か、エッグプラントが先か。
エチオピア航空機では2本のブラジル映画を上映していた。 うち一本は『Correndo Atrás』、「うしろを走って」といったところだが、よく意味が取れない。 おそらくリオのファヴェーラ:スラム街の住人の、調子はいいがなにをやってもぱっとしない男が、ファヴェーラで偶然出会った天才的なサッカー青年を第二のネイマールとして売り出しにかかろうという話。
主人公の少年時代のサッカー仲間に、berinjela:ナスというあだ名の男が登場した。 アフロ系で、なんとなくこっちのナスっぽい顔もしているのでこんなあだ名になったのだろう。 機内上映版には英語字幕が施されていて、久しぶりにEggplantの語に接したばかりだったこともあり。
南米はナス科の有用植物:トマト、ジャガイモ、ピーマン、トウガラシ、タバコ等々の原産地であり宝庫だ。 しててっきりナスそのものも南米原産かと思いきや、インドとな。
ナスカの地上絵は、ペルーだけれども。
12月18日(月)の記 ブラジルxエチオピア、キムチ対決 ブラジルにて
家族でコリアン料理を食べに行くことに。 コリアンタウンまではちと距離があるので、徒歩圏の店へ。 夜の部は18時開店で、19時にはそこそこ埋まってしまう。
このあたりはコリアン系の住民はまれなので、客層のほとんどは日系だろう。 いろいろついてくるセットと、キンバップ(コリアン巻き寿司)などを単品でオーダー。
白菜のキムチもついてくるが… ううむ。 エチオピアン航空の機内食についてきたパックのキムチの方がうまい。
単品で頼んだビビンバは別容器で持ってこられたコリアン味噌の量が少量で、全量投下しても薄味。 コリアン街の飯屋にならあるような卓上の調味料もない。
オリエンタルなスタッフは見当たらず、以前に聞いたら経営は日系とコリアンが一緒に、とのことだった。
ブラジルのコリアンフードも、いずれこっちの経営にも調理場にもコリアンのいないようなものに変容していくのかな。
ああ、オモニの味をいただきたい。
12月19日(火)の記 サンパウロ大学踏査 ブラジルにて
さあ今日は一日断食だ。 いっぽう午後からこちらの親類のお年寄りのお世話当番の代役を頼まれて。
先方の近くにあるサンパウロ大学学園都市で車をとめる。 銀行のATMもキャンパス内のはいつも空いててお気に入り。
さて、探し物。 日本でも東京の繁華街などでイスラエルのガザ侵攻に抗議するステッカーをいくつか見つけた。
ブラジルに帰ると、さっそくわが家の前の大通りの壁がこの通り。 https://www.instagram.com/p/C05soLju8bN/
サンパウロ大学ではどんなメッセージが展開されているか興味ありで立ち寄った次第。 うーむ、そっち系のがまるで見当たらない。 そもそも人出もまばら。 思えばすでに年末休暇に入っていたな。
いっぽうこれまでフェンスで入れなかったあたりが解放されている。 うー、なかなか出色のグラフィティがいくつもあるではないか。
...、一日一葉のインスタ、迷うがこれにしておきました。 https://www.instagram.com/p/C1DQ9lmOr7p/
12月20日(水)の記 水曜日に市場に出かけ ブラジルにて
サンパウロ市内の出先から平日の日中、クルマで帰宅するのにはげんなり。 アプリで渋滞が50分台まで落ち着いてから出るが、1時間半はたっぷり所要。
今日は南米漫遊中の日本人の友人がサンパウロに到着して、さっそく会うつもりだった。 ところが隣国で黄熱病ワクチン接種の証明がないため、ブラジルへのフライトの発券ができなくなった由。
現地で黄熱病のワクチンを打ってから出直しいとのことで。 いやはや。
昼前に帰宅。 ・・・水曜の路上市に行ってみるか。 天然酵母パンも買って食べたいし。
路上市ではさして買う予定もなかったが、野菜類が破格の値段になっている。 夏場なので、もたないのだろう。 あれやこれや買ってしまう。 こちらでシメジと呼ぶヒラタケも驚きの安値。
夜は日曜に買ったナマ腸詰を焼いて、ヒラタケもフライパンで焼いていただくか。
12月21日(木)の記 冷コーの温度差 ブラジルにて
さあなにを書くかで、まずこの日にいったい何をしたのかをさかのぼり…、 ようやく件名を固めて、そのウラをとっていて…
ナント日本のアイスコーヒーの歴史は、第一回ブラジル集団移住の笠戸丸(西暦1908年)より古いとは! いっぽうこの移住者たちはおよそコーヒーなどは日本で飲んだこともないまま、当時世界最大のコーヒー生産国だったブラジルのサンパウロ州各地のコーヒー農場に送られていくのだが…
それから115年が経ったいまでも、コーヒー王国ブラジルのアイスコーヒー事情はコーヒー後進国のわが日本よりはるかに劣っている。
ただいま呻吟中の原稿をすすめるための思わぬ本を発掘、読み耽ってあとわずかとなった。 今日の買いものと抱き合わせて、どこか本の読めるサテンに行くか。
・・・本を少しは読めそうなカフェとなると、限られる。 メトロにしてひと駅半ほどの店まで歩いていこう。
ここはチベタいコーヒー系がいくつかあった、はず。 ふつうブラジルでは、特に大衆系の店ではアイスコーヒーは存在しない。
なじみの店のアニキと言葉を交わして、貼りだされたメニューを見やる。 冷たい飲み物… アイスコーヒーのココナッツウオーター割り。 アイスコーヒーのオレンジジュース割り。 ・・・すでにいずれも試していて、決しておいしくはないのは承知しているが、とにかく暑い。
ココ割りを頼むと、ココナッツウオーターもオレンジジュースもないという。 代案でアニキのすすめるアイスココアにするが… こりゃ氷が足りないで。 これじゃあかえって喉の渇きを誘いそうだ。
スナックのコシーニャも頼んで。 斜め前になかなか声高の若者3人。 それにもめげず約1時間、持参した本を読み終えた。
灼熱の真夏のサンパウロ。 まだアイスコーヒーが文化として浸透していないのです。
12月22日(金)の記 プレゼピオ ブラジルにて
プレゼピオって、なんのことだかわかりますか? 当地のポルトガル語、そして日本語、さらにイタリア語でも同じ。
クリスマス時期に飾るイエスの降誕シーンを描く、いわばジオラマのこと。 この語源はラテン語の「家畜の囲い」からきた由。 かっこいい。
サンパウロの地下鉄チラデンテス駅構内にあるカトリック聖美術館分館で「サンパウロのプレゼピオの伝統展」が1月7日まで開催されている由。 用事をいくつか抱き合わせて行ってみる。
これは面白い。 泥人形からヒョウタン製、トウモロコシの皮製… なんとヘチマ製、驚きの女性のソックス製まで。 そのなかで一枚、としてはこれを選ぶ。 https://www.instagram.com/p/C1LvfbHOEjQ/
20世紀より以前につくられたものが多い。 今日、こちらのファヴェーラ:スラム街などではさらに驚かせてくれるプレゼピオが創作されていることだろう。
僕はもともとジオラマ嗜好あり。 タミヤの1/35シリーズを改造してこれをつくってみたら面白いかも。 ナチスドイツの兵士が、聖家族や東方の三博士に化ける。
12月23日(土)の記 灼熱の買いもの ブラジルにて
今年11月下旬のような記録破りの酷暑にはおよばないが、ここのところのサンパウロはしかるべく暑さである。
さてクリスマス本番近し。 明日24日は日曜。 そのため、クリスマス関連の食材の足りないものは今日の午前中ぐらいに確保しておいた方が無難。 近くのスーパーでなかったり、パッとしなかったものを下の大通りの方の露天市とスーパーに求めに行く。
いやはや、太陽がいっぱい。 南回帰線直下の夏至の翌日である。
ペットボトル持参までは思いつかなかった。 水分補給した方がよさそうだ。
・・・サトウキビジュース1リットルを露天市で買えば残りを家族が喜ぶだろう。 うーむ、日本円にして600yen...
スーパーでフレッシュジュースの小瓶あり。 いちばん安いのがスイカで、邦貨にして240円。 これにしておく。
・・・少しでも安いものをと買い出しに行って、こんな出費。
12月24日(日)の記 丸鶏初心者のこぼれはなし ブラジルにて
日本ではそもそもオーブンを用いて料理をしたことは記憶がない。 こちらでも自分では使い方もわからなかったが… そうも言っていられなくなった。
近年はわが家のクリスマス料理に使っている。 豚肉のかたまり、シチメンチョウ。 今年は丸鶏を買ってきた。 ハラはさばいてあり、味付けもされているもの。
大きすぎてわが家のオーブンに入らないんじゃないの?との声も。 いつも使っている上段では無理で、下段初使用。
全面を覆う鶏の皮はどうするか。 この分厚いナマの皮をみると、とても食用になるとは思えず。 かなりはがしてしまう。
包装部分にはアルミホイルでくるんで2時間、外して30分焼くべしとあり。 もうちょっと焼く。 小ぶりのジャガイモやタマネギなども添えたが、いい感じ。
わが家に残った家族でおいしくいただく。
・・・食べてから日本語で検索。 むむ、ローストチキンの場合はカリカリに焼いた皮もいただくのか。
そもそも日本時代は鶏肉を、特に丸焼きなど食べる習慣もなかったしな。 次回は皮ごと焼いてみるか。
12月25日(月)の記 私のサルピコン ブラジルにて
今日は昼にファミリーの家に呼ばれてのクリスマス食事会。
こちらも前日からいくつか料理を準備。 今朝はサルピコンとシソの葉ジュースをつくる。
ためしに「サルピコン」と日本語で検索してみる。 おや、スペイン料理のシーフードサラダとな。
ポルトガル語で検索してみると、僕の想定しているものだった。 チキンとフルーツ、野菜を用いたサラダ。 ブラジルでもかなりのヴァリエーションがあるようだ。
昨晩、焼いたチキンの胸肉を用いて。 これにアメリカンレタス、セロリ、コーン、干しブドウなどをマヨネーズベースであえる。
へえ、ポ語のウイキではクリスマスや新年の料理とあり。 まあ、悪くない出来だ。
タッパーに入れて数時間経過すると、なんだかべっちゃりしちゃったけど。
訪問先では、年寄りの送り迎えをすることと、そもそも車を運転するためアルコールを控え、年寄りの手前そこらでゴロリと寝転ぶこともできず、いやはや。
あー、気の置けない食事の時は気兼ねなく飲みたいもんです。
12月26日(火)の記 クリスマス明けの断食 ブラジルにて
昨夕より老人の付き添い当番。 出先で夏の朝を迎える。 今日は一日断食をすると決めている。
自分は食べないが、老人の朝食は準備する。 相手が食べているのにテーブルで向き合っているのはつらい。
こちらは台所の片づけをする。 朝食中の相手から、何度となく「おなかは空かないのか」「一日中、食べないのか」と聞かれる。 それは空きますよ、と答えた矢先でまた同じ質問。 ・・・、忍耐力のささやかな訓練。
交代要員が到着、さあ帰ろう。 いやはや、クリスマス休暇でサンパウロ市から海岸方面だけで100万台以上のクルマがくだったというだけある。 交通状況はまことに快適、大型トラックもまれ。
おなかがすくのはともかく、道がすいているのはありがたい限り。
♪すきすきすきすきすきっすき、と気分は一休さん💖
12月27日(水)の記 このカフェも閉店 ブラジルにて
サンパウロのわが家での年末。 優先作業は、日本のメディアへの原稿書き。
その合間にウオーキング、インスタねた採集、買い物と気分転換の外出。 メトロにしてひと駅半ほどの距離の地区まで歩く。 お目当ての品は、なくなっていたけど。
パンデミック中に見つけて、2度ほど立ち寄ったカフェを見てみる。 これまでも定休日にぶつかったことが何回かあり。 ありゃ。 バザーの看板が出て、閉まっている。 いずれにしても、カフェではなくなったようだ。 ちょっと気になる日系人のおそらく家族経営だった。 藪蚊が気になるぐらいの緑もあって。 ちょいと冊子類を開くのに格好だったのだが。
わが家の至近の絵本の出版社がはじめたカフェも出版社ごとなくなってしまって久しい。 ここもお気に入りだったけど、めったに他の客もいず…
僕の気にいるようなカフェは、ブラジルでは商売として成立するのがむずかしいってこと?
こっちも応援するというほど通って金銭をつぎ込んでいるわけでもないので、つらいところ。
12月28日(木)の記 東洋人街的喫茶 ブラジルにて
知人とサンパウロのリベルダーデ:東洋人街で待ち合わせをすることとなった。 どこかカフェで物品の受け渡しと雑談ということになろうが、この場所設定がむずかしい。 アクセスのいい店はごちゃごちゃしていることが多いし。 僕にとってソコソコの店はちと離れていたり、人によっては嫌がられそうな要素があったり。
おう、相手がナイスな場所を提案してきた。 駅前で、おそらくチャイニーズの経営。 以前、路上から見える案内板があったのだが、その後みあたらなくなっていたのだ。
アヴェニーダに面したビルの奥まで入ってエレベーターで階上にのぼるという容易ではないアクセスが、客をフィルター分けしてくれる。
おお、なかなかのスペースでがらがら。 冷たいものは… タピオカ玉入りミルクティーにする。 タピオカがない方がいいんだけど、それがない。
この店についてのブラジル人たちのコメントが面白い。 「店員のアテンドが最悪、二度と行かない」 たしかにチャイニーズ系の店の若い女性のウエイトレスはにこりともせず、オーダーしたものを投げつけてくるようなのもいる。
この店もしかり、出がけに「謝謝」と声をかけるが、これが「ガン無視」か。 曽お祖父さんが、日本兵にひどい目に遭わされたとか聞いているのかな。
別のコメントには「メニューがニホンゴで…」とあり。 日本語と中国語、日系とチャイニーズ系文化のキホンもわからないのが堂々とコメントを残すというのが、ナニだ。
値段設定は、ワタクチにはちと高めだが… まー、なにかと面白いのでまた来てみようかな。
12月29日(金)の記 古本の海の蛙 ブラジルにて
サンパウロのお泊り先からの帰りに、ミネラルウオーターの水源に給水に行く。 水源地の駐車場にクルマをとめて、水汲み後にウオーキング。 昼食は外食とするか。 金曜なので、どこかで金曜定番の魚定食でも。
「今日のアート」採集も兼ねて歩く。 https://www.instagram.com/p/C1duhw_NOJ4/
大通りに近い閑静な通りにぎょっとする一角が。 SEBO、古本屋だ。 扉は閉まっていて、呼び鈴を押してくださいとある。 以前ここを通ったが、気の弱い僕はスルーしてしまった。
奇遇なことに今朝、日本のわが流浪堂さんの移転先と再オープン決定のうれしいお知らせをいただいたばかり。 https://www.facebook.com/photo/?fbid=771074905061800&set=a.470730315096262
魚定食を待ちながら、先ほどの古本屋の情報をスマホでチェック。 評価はまちまちだが、好きな人間にはこたえられないようだ。 本好き、魔窟好きは絶賛。 ホコリカビ、ごちゃごちゃの苦手なムキからはけちょんけちょん。 ・・・、行ってみるか。
帰りに意を決して向かうと「昼食外出中」とあり。 して、入り口のところで物乞いの男が座り込んで暴力的な口調で「よこせ」と言ってくる。
残念。 まー、次回来年に水を汲みに来た時の楽しみとするか。 昼食時間を外して。
12月30日(土)の記 年の瀬のシュラスコ ブラジルにて
わが子と食べ放題方式のシュラスコ(ブラジル焼肉)を食べにいこうかということになった。
以前、家族で愛用した隣駅前の大衆シュラスカリア(シュラスコ屋)は焼肉食べ放題がなくなってしまったのだが、これを再開とのニュースに接していた。 念のため、店に電話。 年末で休みに入っているのを懸念したが、店は開いているが人手不足で焼肉食べ放題は、なしという。 むむ。
もう一軒、住宅街にあるシュラスカリアはどうか。 スマホで探した電話番号にかけてみるが、すでに昼の営業時間なもののアテンドなし。 メッセージも送るが、返しがない。 ・・・ふつうならここであきらめるところ。
歩いて約15分の距離。 父親が歩いていって確認して来ようと申し出る。 こういうのが、スキなのだ。
ひと気のない街。 値は張るがおいしい肉を売る肉屋は行列。 さて、こちらのお目当ては。 正直、あきらめていたが、開いていた!
電話もメッセージもアテンドしないではないかと抗議をすると「変わりました」のひと言。 ・・・、まあともかくわが子に連絡。
父親は先に生ビールとここの名物のブラジルズシでも先にいただこうと… おや、スシ系がかけらもない。 年末だから、の由。
ひとは焼肉屋にスシを喰いに来るのではない、との教訓か。
ガラス窓から見える向かいの壁。 かつて描かれていた獣らしい絵が浮かび上がっている。 これまで気づかなかった。
わが子がなかなか現れず、所在なげにこれを見やっているうちに…、 法隆寺金堂の被災壁画を想い出した。 https://www.instagram.com/p/C1fcwaBONAQ/
それにしても、このグラフィティ・・・ ええと、なんていったけ。 そう、ダミアン・ハースト。 彼の、真っ二つの牛の作品を想い出すではないか。
こっちの牛焼き肉店へのオマージュか。
12月31日(日)の記 数の子からアマゾンへ ブラジルにて
こちらの親類のお節料理用に日本で数の子を買ってきた。 パンデミック前は年末に訪日すれば恒例として買ってたが、今回は久しぶり。
これまでは数の子の調理はこちらの老刀自に任せていたが、そうもいかなくなった。 不肖ワタクチがトライすることに。
元旦に間に合わせるには今日未明から塩抜きを開始せねば。 ふむ、薄い塩水でか。 塩を抜き過ぎもNGとな。
老刀自からは何度も薄皮をむくようにと言われている。 ・・・これがなかなかメンドクチャイ。
ところでカズノコの母体のニシンのことを、ポルトガル語でなんという? そもそも北半球の北の方の魚で、当地海域には生息しないだろう。 北洋のタラは乾燥ものが輸入されているが、ニシンは聞かない。
検索する。 arenqueか。 アマゾンにこの名前の町があったと記憶する。 アマゾン流域の先史岩絵調査の時に立ち寄った覚えがある。 淡水イワシ、淡水カレイがアマゾン水域に生息するのは知っていたが、淡水ニシンは知らない。
これはこっちの地図帳を繰る。 ・・・Alenquerだった。 ポルトガルに同名の地名があり、アマゾンの付近にはずばりポルトガルの地名をそのまま踏襲しているところがあり、これもその例だろう。 語源はローマ時代にさかのぼる由。
え、カズノコの味付けはまる一日以上は漬け込むことだって?
日本から担いできた米麴で甘酒もつくらないと。
2024年1月1日の日記は以下に続きます。 http://www.100nen.com.br/kanri/action/sec/bun_edit2.cfm?requesttimeout=500&koumoku_id=270&kiji_id=17543
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