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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2024年の日記  (最終更新日 : 2024/12/08)
6月の日記 総集編 世界ふたたび

6月の日記 総集編 世界ふたたび (2024/06/04) 6月1日(土)の記 店の名は
ブラジルにて


「デブ」というのは差別語だろうか?
検索してみると、差別語とされているようだ。
なんと語源に近代の英語由来という説まであるではないか。

とはいえ、当事者がそれをウリにする場合は社会的にOKなのだろうか。
無難な言い換えは…「肥満体型」か。

近所にずばり「肥満体型の店」というレストランがオープンした。
少し前まではイタリアン系のファーストフードのチェーンだった。

連休中の土曜の昼だし、家族で行ってみようということになる。
店内は広く、通りに面した側は高い天井部分まですべてガラス張りで心地よい。

シェフが「肥満体質」らしく、そのイラストがウリとされて紙ナプキンに至るまで印刷されている。
値段もいいが量も相当なもので「作り手も食べる方も『肥満体型』になるのが店名の由来」とギャルソンが語る。

オーダーしたビーフステーキにはチーズとポテトピューレをよく混ぜたソースがどっちゃりと客の目前で注がれる。
見るだけで満腹だ。

さすがに完食とはいかず、残りを詰めてもらう。

隣のテーブルがオーダーしたビーフカツの大きさには思わず声を上げる。
ゴジラ級の大きさだ。
こんな大きさに牛肉をカットするのが可能だろうか?

しばらくはカンベンだが、いずれあれにも挑戦してみたいところ。


6月2日(日)の記 あまきいわし
ブラジルにて


午前中に出家して、今日もこちらの一族の老刀自の世話役である。
その前に路上市の魚屋で買い出し。
イワシが新鮮(冷凍ものでない)と知り、二枚におろしたものを1パック半キロほど購入。

さらに半身にして背びれを切り落として。
小骨を取り、薄皮をむいて。
これがどうもメンドクサイ。
ダイコンとワカメのツマをつくって。
ショウガをすってキュウリの輪切りにのせて。
昼にさっそく、おつくりで。

瀬戸内の海辺で育った老刀自は魚にはうるさい。
「あまいね」の感想。
たしかに、あまいという形容が当てはまりそうな味だ。
先日の日本のチミチュリの「からい」同様、「あまい」の表現領域も広い。

イワシなんて、お刺身で食べたことがなかった由。
アマゾン水系にも淡水イワシが生息するが、地元民はあまり見向きもしないようだ。
たかかイワシ、されどイワシ。

先日はイワシの5倍以上の値段のマグロを解凍して刺身にしたが…
水っぽい。
僕はイワシに軍配を上げる。
薄皮とりとか、メンドクサイけど。


6月3日(月)の記 『パライゾの寺』
ブラジルにて


この本のことを何で知ったんだっけ。
ブラジルで読んだ日本語の記事だったように思う。
訪日したら探して読もうと思ってメモして。

日本でネット検索して、古本の単行本を買った。
ブラジルに持ち帰って。

今日は奉公先で昼食もつくり、リライト中の原稿作業が一段落してから帰宅。
帰宅後、この本の残りをイッキ読み。

短編集だが、タイトルとされたのはいわゆる隠れキリシタンにまつわる伝奇。
遠藤周作の『沈黙』に勝るとも劣らないと僕は思う。

いずれの短編も宮本常一の「土佐源氏」に影響を受けた筆者が、それを彷彿させる手法で、面白い。
柳田民俗学が削ぎ落した女の性が、女性によって描かれていく。

著者の坂東眞砂子さんは僕と同じ年の生まれだ。
かつて『死国』というのを読んだが、これは期待したもののさほどノれなかった。
ところが『聖アントニオの舌』というエッセイ集がいたく面白い。
再読してしまった。

坂東さんはクリスチャンではないようだが、イタリアに留学して本場でカトリックの土俗について研究をして現場を訪ねている。
坂東さんの著書も含めて、カトリックについてはカトリック信者以外の識者の書いたものの方が面白いと思う。

『聖アントニオの舌』を再読した時に、つくづくすごい作家がいるものだと検索してみて、2014年に他界されていたことを知った。
惜しい。

とはいえ、相当数の著作を遺してくれている。
次回以降、訪日時に本屋の文庫棚をまわる時の楽しみにしよう。

ウイキによると坂東さんは環境大臣時代の小池百合子とひと悶着あったようだ。
とはいえ、両者の間にディスカッションがあったわけではなさそうだ。
この問題を検索していくと、かなり深い問題がうかがえる。
坂東さんの著作とともに考えていきたい。


6月4日(火)の記 秘境インジオ王国
ブラジルにて


昨日は午後まで出先だったので、週イチ断食は今日にした。
それでも買い物で歩き、12000歩超え。
5月下旬に日本から戻って来て、一日あたり最も歩いたことになる。

さて、日本から担いできた本…
いつどこの古本屋で買ったかも覚えていないのだが…
小林大二著『秘境インジオ王国』を読み始めてみる。
そもそも、タイトルからして…
とはいえ西暦1958年、僕の生年の発行だ。

日本人のアマゾン観、その先住民観をさかのぼってみたいと思っていただけに格好だ。
著者のその後も調べてみたいのだが、同名異人が何人もいてよくわからない。

これは著者の20代の冒険談で、そもそも彼は先輩にあたる邦人がアマゾンで先住民の記録映画を撮影するためのアシスタントとして現地を訪ねているのだ。
ところがその監督やプロデューサーの名前がイニシアル一文字になっていて、その映画がどうなったのかよくわからない。
とにかく読み進もう。

記載はやや粗いが、ウソハッタリはなさそうだ。
もっと早く知っていれば、読んでいれば!の思いしきり。


6月5日(水)の記 朗読劇『蛍火』
ブラジルにて


さあ、急ぎの原稿もどうやら担当に査収いただけたようだ。
さっそく先回の訪日がらみの残務に取り掛かる。

広島訪問の際に知己を得た久保田修司さん作・演出の朗読劇『蛍火』をYouTubeで鑑賞。
フライヤには山田洋次監督や吉永小百合さんの言葉も寄せられている。
100人を超える広島市民がプロ・アマの垣根を超えて手弁当で集っての上演の由。
https://www.youtube.com/watch?v=5C7Qdcg71VY

舞台の右側に声優たちが座り、左側に楽器グループが位置する。
中央にはスクリーンが吊るされて、ここにイメージ画が投影される。
時折り舞台上で俳優陣のパフォーマンスも展開される。

物語は、現在の広島のある家族が、家族写真にある故人の想い出から被爆体験をさかのぼっていく。
丹念なリサーチの賜物だろう、ディテールの語りのリアリティに引き込まれ、1時間41分の長尺も飽きることがなかった。

たとえばこんなセリフは何度かプレイバックをして書き留めた。
「私が笑うと喜ぶ人がおるんじゃ」。
なるほど、これは演劇や劇映画、アニメや活字、マンガよりこの方法がぴったりだと感じ入る。

主人公である、被爆によりひどい火傷を負って全身にガラス片も浴びたという女性を始め、被爆の恨みはひたすらアメリカに向けられている。
いっぽう東京大空襲で数時間で10万人あまりの死者を出し、沖縄が陥落しても終戦に踏み切らなかった天皇や軍部の存在はスルーされている。
大火傷を負った少女を撮影したというアメリカ人、そしてその少女がのちに被爆体験の語り部としてアメリカを訪問するというエピソードが盛り込まれるが、第二次大戦後の朝鮮戦争やベトナム戦争に触れられることはない。

エンディングはアメイジンググレイスが演奏されるが、なんとこのメロディーに合わせて峠三吉の原爆詩集の「ちちをかえせ」が歌われるのだ。
これには特に違和感が残った。

記録文学者の上野英信は広島で被爆して長年、原爆症で苦しむことになる。
彼はアメリカ人への殺意を正直に書いているが、いっぽうで生涯にわたって反天皇制の思いを貫き、書き続けてきた。

多くの広島市民が参加となると、後者の思いは削除せざるを得ないのだろうか。
昨今の富山妙子の展示から彼女が訴え続けた反天皇・反安倍政権・朝鮮人従軍慰安婦問題のメッセージが削除されているのと同様に。

アメイジンググレイスについて検索してみると、これはプロテスタント教会の讃美歌であり、アメリカの「第二の国家」とされている由。

それを知る前に「ちちをかえせ」にはどんな曲がふさわしいかを考えてみた。
『君が代』のメロディがあうのではないか。

(後日譚:広島の久保田修司さんに忌憚のない感想をメールでお伝えしたところ、これから続編の執筆に入ると教えていただいた。期待したい。)


6月6日(木)の記 大学の銀行
ブラジルにて


今日も午後から泊りの炊事当番となった。
サンパウロ大学学園都市に寄り道していく。

学園都市だけあって、ひと通りの大銀行の支店が一か所に固まっている。
町なかほど混み合っていないし、安全安心感もある。
ここでのはじめてのこころみにチャレンジするが、うまくいった。

キャンパス内のパブリックアートを探す。
ありそうで、ない。
おー、こんなのはどうだ。

https://www.instagram.com/p/C75KN-WPg9D/
トミエ・オオタケの大オブジェを後ろにして。
こういうのが好きだ。


6月7日(金)の記 世界ふたたび
ブラジルにて


山科の大石内蔵助のごとく、慎重に慎重を期した。
いざ、当日となり。
まずは先方からの告知発表を待つ。

岩波書店の月刊誌『世界』7月号の発売予定日、6月7日だ。
はて、先方の営業時間となっても告知がない。
待つしかない、か。

12時間遅れのサンパウロも朝となった。
ようやくX(ツイッター)で。
表紙の告知があるが、目次ページの告知はさらに遅れる。
うむ、確かにあった。

「上野英信と富山妙子の『出ブラジル記』 消えた炭鉱離職者を追って」
岡村淳著。
昨年来の、長い道のりだった。

岡村の仕事と人格を憎む輩が、卑怯千万卑劣下劣な誹謗中傷うそデタラメを関係者に吹聴し続けているので、要人を重ねた次第。

想えば『世界』への寄稿は二度目である。
(かつての現物を探すが…見当たらない。)
おそらく、ちょうど30年前だ。
すでにブラジル移住後の寄稿だが、それにはブラジルのブの字も登場しないお話だった。

さあて。
これでようやく次のステップにすすめる。
すすまねば。

こちらに現物が届くのは、いつ頃になるかな。


6月8日(土)の記 準備はしたけれど
ブラジルにて


今日は夕方からお呼ばれである。
サンパウロの日系社会で顔の広い女性のご自宅。

日本人仲間での勉強会などもされているとのことで、拙作の上映を提案していた。
ぜひ、ということで彼女のリクエスト、移民植物学者の橋本先生を紹介する短編作品を用意せねば。

あらたにDVDを焼くことになり、昨日までに手配したかったが当日になってしまった。
こちらでの上映は久しぶりなので、ポータブルDVD再生機の具合からチェック。
DVD焼きも久しぶりで、試行錯誤。
念のため、別件で準備すべき素材も作業しておこう。

少し早めに行って、そのお宅のテレビモニターでの接続等を進めておくことに。
ほう、こんなゴージャスな暮らしが。
居間には、ピカソの絵も掲げてあった。

接続、4:3の画面設定もうまくいった。
招待者の家族の、見るからに利発そうな日系の兄弟が来ている。
メンバーがそろっての会食開始前にアマゾンの大逆流・ポロロッカの拙作を披露する。
クライマックスのところで他の招待客らが登場。

その後は、上映を切り出す雰囲気ではなくなり、ドナ(女主人)もその件は失念された模様。
宴たけなわを中断しての上映というのも無粋というもの。

行きはあえて最寄りのメトロの駅から歩いたが、歩きだけで小一時間。
バスに乗るとしても終電の時間に間に合うかというような時間になり、機材を回収してお暇する。


6月9日(日)の記 ハリー・ポッターの卵
ブラジルにて


所用のあと、日曜の朝から開いている大型スーパーへ。
ここはお菓子類はじめ食料品が充実。

「ハリー・ポッター」のオマケ付きキンダーエッグというのが目につく。
幼少の時からオマケや付録によわい。
それをずっと引きずるのが問題か。

先月の訪日からの帰り、長旅でもあり見たい機内映画がなくなってしまった。
本数を重ねると、日本語字幕か日本語吹き替えのが好ましくなってくる。

「ハリー・ポッター」シリーズは8本もそろっているのだが、こんなにあるだけでげんなりしてしまうが…
かつてブラジルのわが子に付き合って最初の頃の数本は見ていた。

すでにサンパウロ到着が迫り、第一部を見切ることもできないが途中まででもと見ていた。
ふむ、なかなか面白い。
厳格なクリスチャン家庭だったら子供に見せないだろうな。
そういういかがわしさがよろしい。

ちょうど離日直前に高校時代の友人に会った。
彼から入学直後のフェイクっぽいエピソードを披露された。
この映画の第一部はハリー少年が未知の全寮制の学校に入る話で、なにやら自分が近所の小中学校を離れて電車通学の高校に通い始めた頃にオーバーラップする。

そんなわけで、新たに親しみを覚えたキャラのフィギュアが入っているらしいキンダーエッグをひと卵購入。
邦貨200円以上だ。

メガネなかまのハリーか、才女ハーマイオニーちゃんのフィギュアを期待したが…
出てきたのは赤毛の、なんという名前かな…
ロン・ウィーズリーだった。

うーむ、また買うか。


6月10日(月)の記 どん底の巡礼
ブラジルにて


今日の件名を見て、数名ぐらいの方はピンと来るかなと思う。
左卜全、と。

さあ今日は一日断食だ。
おカネの件で取引銀行に行くが、ATMにトラブルの由。
2時間ぐらいしてまた出向くが、あいかわらずなんの掲示もなく、女性のスタッフに復旧は未定、と当然のように言われる。

思い切ってアヴェニーダにやってきたバスに乗り込み、スマホを繰りながら行先にある同じ銀行の支店を探す。
以前は徒歩圏に3店あったのだが、いまやこの1店のみ。

いやはや。
帰りはメトロで戻る。

帰ってから…
DVDでクロサワを見ようと思う。
『どん底』。
何度目だろう。
ブラジルで買ったソフトで。

西暦1957年作。
セリフが聞き取りづらいので、ポルトガル語の字幕をオンにして。
ゴーリキーの原作を、江戸時代の困窮長屋に翻案。
ブラジルのファヴェーラ:スラム街をさらにひどく共同住宅にしたような宿が舞台だ。

後年、黒澤が現代のスラム街を舞台にした『どですかでん』と同様の集団劇だ。
わが『あもーる あもれいら』シリーズのような。

見どころは尽きない。
ひとつあげれば左卜全演じるナゾの老巡礼と三好栄子演じる瀕死の老女のやりとり。
死ぬこと生きることの意義をめぐって、ぎょっとする対話が交わされる。

余韻に浸りつつ…
上野英信をひもとく。

少し充電しませんと。


6月11日(火)の記 黒澤明と上野英信
ブラジルにて


日付が変わるが、『どん底』の余韻が続いている。
引き続き黒澤作品を見ようかとも思うが、せっかくの『どん底』の余韻が希釈されてしまいそうだ。

床について本でも読むか。
・・・上野英信に挑むか。

岩波『世界』の拙稿がようやく刊行されて。
ようやく、いち読者、いちファンとして上野英信を読むことができそうだ。
大・上野英信について僕ごときがしかも岩波の『世界』で書くとは、畏れ多すぎた。
執筆に際して実にコアな『「上野英信展 闇の声をきざむ」目録』を新たにひもとき、つくづくそう思ったものだ。

さて『上野英信集』第1巻の「あひるのうた」を読み始めるが、ずばり黒澤の『どん底』の世界と重なるではないか。
こ、この符号は。

そもそも黒澤明と上野英信は接点があったのだろうか?
・・・検索して見つけたのが、このブログ。
https://blog.goo.ne.jp/fc5551/e/1b42aa74b632e2fd0aaddecb34f7687d
この巨匠同士は直接の出会いはなかったようだが、ひとり挟むとかなりいろいろありそうだ。

このブログで、あらためて上野英信の偉大さを痛感。

黒澤の映画で炭坑が描かれたことはあったかな。
なかったように思う。
僕は富山妙子さんには直接、黒澤について尋ねている。
黒澤も絵描き志望だったし。
富山さんからは、映画はいくつか見ている、ぐらいでこれといった話もなかった。
僕は黒澤の『夢』のキツネの嫁入りの件など、いろいろ突っ込んだのだけれども。


6月12日(水)の記 キュポキのある街
ブラジルにて


昨夕、額装を頼んであった店から出来上がったとのメッセージあり。
今日、受取りに行くと返しておいた。

午前11時前に到着すると、シャッターが下りている。
はて。
店の携帯の番号にかけて、呼び出し音が続く。
・・・あと10分で着く、とのこと。

さて、このあたりは住宅街でバールもない。
やはり住宅街にぽこっとあるスーパーで時間をつぶすか。

して、近くにある外からは塀で見えないテニスコート。
今日のインスタはここの絵にするか。
日本のマンガの影響がうかがえる。
https://www.instagram.com/p/C8IkjnBvs0f/

よくみるとカタカナで「キュポキ」と描かれている。
オノマトペだろう。
僕には耳慣れないが。

「キュポキ」を検索してみるが、ヒットなし。
あらためて画像を見ると、字面としてはおさまりがいい感じ。
日本語の音に拘泥されない作者が、ヴィジュアルにお気に入りのカタカナを配したとみた。

ついでに、額装屋さんで発注時に店内で見つけて撮らせてもらった写真もご紹介しよう。
https://www.instagram.com/p/C72oMJKPT8P/
僕は、靴を持ち込んだのではないけれども。


6月13日(木)の記 四旬節の呪い
ブラジルにて


午前中に買い物。
わが家で少し動画の編集作業。

午後から、サンパウロ大学のキャンパスで寄り道をしてからこちらの身内の泊り当番に。
思い切ってノートパソコンを持参して、炊事等の合間に作業しよう。

日毎のウエブ日記を月ごとにまとめる作業が滞っている。
一日ずつワードにコピペしてまとめていくので、メンドクサイといえばメンドクサイのだが。
だがこれも近い過去を振り返るうえでも貴重な作業だ。

ナント今年の2月の分から滞っている。
この2月…
四旬節の時期に、思い切っての訪日をしたのだが。
この時、善意のつもりで関わって、のちにあるまじき仕打ちをちょうだいする異常事態がこれまた異常に重なった。

呪い、なんて言葉はあまり使いたくない。
作業はノロいけど。

法難、という言葉が浮かぶ。
四旬節だし、受難かな。

おかげさまで、いずれも致命的なことにはならずに済んだ、と思う。
これらの残務も早めに手がけましょう。


6月14日(金)の記 『隠し砦の三悪人』
ブラジルにて


午後になって帰宅。
買いものに出た足で、まだ入ったことのない大衆食堂で遅い昼食:金曜の魚定食をいただく。

さあ昨日今日とお泊りもがんばった。
帰宅後に…
『隠し砦の三悪人』のDVDを見るか。

大黒澤のわが生年の公開作品だ。
銀座並木座だったか、池袋文芸地下だったか。
映画少年時代にこの映画を見た時の興奮を想い出す。

さて改めて鑑賞すると…
ゴロのいい絶妙なタイトルだが、内容とはちとズレるな。
タイトル決定後にストーリーがズレていったのかな。
まあ、そんなことを吹っ飛ばす面白さだけど。

捕虜となった雑兵たちが石段を移動するシーン。
大サルガドのGOLDを彷彿させる。
サルガドの撮影の方が数十年、後だけれども。

おお、黒澤映画で滝といえば『八月の狂詩曲』ぐらいかと思っていたが。
この作品のなかで滝がこんな強烈な設定で登場していたか。

そして、世界のシネフィルたちを興奮させたあのシーン。
あらためて、映画的興奮ここに極まれり。

さあ、この余韻をたいせつに。


6月15日(土)の記 『ヤマタイカ』
ブラジルにて


パンデミック前に、僕の縄文嗜好を知る流浪堂さんですすめられて買ったように記憶する。
星野之宣さん作のコミック『ヤマタイカ』の文庫版全5巻。

最初の少しだけ目を通して「積ん読」になっていたのを読み返して。
息を呑むダイナミズムではないか。
縄文期以来の日本を舞台として、これ以上のスケールのものはありえないように思う。

雑誌連載は西暦1986年から1991年まで。
青森の三内丸山遺跡の事前調査が始まったのは1992年、そして2001年に世界文化遺産に登録に至った。
世に縄文文化の見直しが始まる前の作品だ。

調べてみると『ウルトラセブン』「海底基地を追え」の放送は1968年。
『宇宙戦艦ヤマト』の放送開始は1974年か。

今後もあの船は浮上・再生を繰り返すだろうか。
して、『ヤマタイカ』読了。
もっと大きなサイズで読みたかったな。


6月16日(日)の記 およばれともてなし
ブラジルにて


今日はこちらの家族が親類を集めてシュラスコ:バーベキューをするという。
いくつか料理をサポート。

数日前にタマネギの自家製ヨーグルト漬けをつくっておいた。
昨日からブラジル風サルピコンの仕込み。

非日系人、そして日系人の親類の持ち寄る料理がいずれも自慢の味だな。
ふむ。

さて次回のこういうケースにはなにをこさえようか。
かんたんなツマミとしてチクワのキュウリ・チーズづめが浮かぶが、こっちのチクワは高いからねえ…

厚揚げ系で非日系人の食指も動きそうなのを考えるかな。

屋外スペースにもかかわらず今日は実害がなかったが、次回は虫よけスプレイも持参しよう。
実感がないのだが、サンパウロでもデング熱の流行がひどいようで。


6月17日(月)の記 キャンパスのそよ風
ブラジルにて


泊り先で昼前まで作業をして。
帰りに近くのサンパウロ大学学園都市に立ち寄る。
銀行関係の用足し。

昼時間だが…
この近くに食事をするところがない。
この「銀行広場」にちょっと前まではフードトラックが2台ほど出ていたのだが。
僕の通るのは時間外れだったせいか、2台ともいつも暇そうにしていた。
ところが、いざ寄ってみようかとなると最近は2台とも消えていた。

混み合う時間の学生食堂に、いかにも外部の不審なストレンジャーが立ち寄るというのも、ちと・・・
家に帰って、冷蔵庫の残りものでも片付けるか。

近くの林のベンチに腰掛ける。
少しぼっとする。
ここちよい風が流れる。

近くに来た人の気配に目を覚ます。
年恰好からして学生ではなさそうだが、物盗りでもなさそうだ。

さあそろそろ帰るか。
ひどい渋滞がなければ小一時間の運転だ。


6月18日(火)の記
爬虫両棲類学者の想い出

ブラジルにて


こちらでの作業も、そう根を詰めてやらなくてもとりあえずはよさそうで。
先週から始まったブラジル国際音楽ドキュメンタリー映画祭を見に行くことにする。
https://br.in-edit.org/programa-2024/
充電と勉強。
なにせタダである。
オンラインでプログラムをざっと見て、とりあえず今日は国産物を2本ほどみよう。

1本目はブラジルの国民的音楽家Paulo Vanzoliniが主人公の『Um Homem De Moral(モラルの人)』。
彼の名曲、サンパウロのサンジョアン大通りを歌ったRondaという曲は僕でも知っている。

実は彼には僕の最初のブラジル取材、41年前に会っていた。
アマゾンの先住民とインディオ保護局職員らの抗争事件の取材のためにコスタリカの毒蛇取材からブラジル入りした若輩の僕は…

先住民の取材のあと、東京から次の取材命令が出るまでサンパウロで待機することになった。
そしてアマゾンでの生物取材をするよう指示がくだった。

まずはサンパウロで調査ということで、サンパウロ大学の生物研究者を訪ねることになって。
通訳のオドさんがアポを取った研究者は著名なミュージシャンと同姓同名。
会って尋ねてみると、同一人物だった。

どうしたことかいままでヴァンゾリーニ先生は鳥類の専門家だと思い込んでいた。
実際は爬虫両棲類が専門だった。
あらためて検索してみると、彼はアマゾニアの生物多様性について、日本語でモザイク理論といったらよいのか、それを提唱していたことを知る。

この映画で知ったのだが、彼のフィールドワークの原点がサンパウロ州のパラナ川流域だというのもなんだかうれしい。

映画では音楽家としての彼に焦点があてられるが、ポルトガル語で韻を踏んだ早口言葉といっていい歌詞には舌を巻くばかり。
ポルトガル語により通じていたら、絶妙に面白いことだろう。
ヴァンゾリーニ先生は2013年に亡くなられた。

8月に日本でアマゾンを語る時、先生のことも心にとめたい。


6月19日(水)の記 Aldo Bardin
ブラジルにて


さて。
少しのムリをしないと世界は拡がらない。

今日も午後から2本、ブラジル国際音楽ドキュメンタリー映画祭の上映作品を見に行こう。
なにせ、タダ。

Aldo Bardin というブラジル人の世界的に知られるオペラ歌手のドキュメンタリー映画を見よう。
恥ずかしながら、この人のことを僕は知らなかった。

ふむ、ブラジル南部サンタカタリーナ州ウルサンガの生まれ、イタリア移民系。
日系人の少ないブラジル南部で日系女性の音楽教育の薫陶を受けていた。
西洋音楽など無縁の貧困家庭の出ながら、苦学を重ねて。

ヨーロッパでのオペラ歌手の第一人者として世界中で講演を重ねることになった。
日本でも再三の公演を重ねているようだが、日本語でのざざっとした検索では僕には見つけられなかった。

生前の映像はだいぶ老成した観があるが、なんと49歳にして帰天。

こういうすごい人の存在を知ることができた。


6月20日(木)の記 La Singla
ブラジルにて


いやはやすごいドキュメンタリー映画を見てしまった。
この火曜から通っているブラジル国際音楽ドキュメンタリー映画祭。

タイトルは『La Singla』というスペインの作品。
Antonia Singla という国際的な名声を浴びながら消息を絶ってしまったフラメンコダンサーの謎を追う。
彼女はバルセロナのジプシーのスラム街で生まれた。
幼くして聴覚を失い、発語もなかった。
その彼女がフラメンコダンサーとして大成していく。

なんとも豊富にスチール写真そして動画が遺されているのだが、およそ半世紀前に消息を絶ってしまうのだ。

かなりの仕込みのされたつくりだが、いずれにしてもとても僕にはかなわない。
そして被写体に対する節度、距離感がここちよい。

主人公についてはこれといった日本語の記載が見当たらないので、英語のWikiのリンクを貼っておきます。
https://en.wikipedia.org/wiki/La_Singla_ (film)?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTAAAR0wwE8h7QLOzSSQaMRmeDob7eUC1Z7Sh5xPbT0rEe9yTDvENZZ-iK8NcdA_aem_dC3MdezhXiLSmdcLpLvsGw

長年、聴覚を失っていた人に捧げる掌編をまとめたこともあって。
ほとんど上映の機会がないが、日本のフラメンコを扱った作品もまとめていたな。


6月21日(金)の記 南米のアフロ
ブラジルにて


昼過ぎまで自分の方のビデオ編集にかかって。
今日も映画を見に行く。

『Viamão』というブラジル産のドキュメンタリー映画がお目当て。
ミナス州のSérgio Pererêというアフロ系のミュージシャンがアルゼンチンとウルグアイに公演に行き、現地のアフロ系文化を探る、という筋書き。

僕がフリーのテレビ屋時代に関わっていた日本の1時間モノのドキュメンタリー紀行番組を想い出したりして。
リポーター役でもある主人公が実際に行っていないところをディレクターらが補っていく。

アルゼンチンのアフロといったら、ハテナと思うのがふつうだろう。
いっぽうブエノスアイレスはかつては黒人奴隷のマーケットとして相当の売買がされたが、黒人系はその後の戦争や疫病で死に絶えたと現地の識者は語る。

ところが、いる…
なんとブラジルのマットグロッソから四代前ぐらいにこちらにやってきたというアフロ系の人たちの子孫の集落まであった。
そういえば故・中隅哲郎さんの本にマットグロッソ州には人口のほぼ100パーセントが黒人系だったところがあるという記載があったかと。
想えば旧マットグロッソ州の南側大半はパラナ‐ラプラタ水系である。
川筋をずっと下って行けば、ラプラタ河口のブエノスアイレスに至るわけだ。

途中、イグアスーの滝の水量をしのいだというセッチケーダスの瀑布などが「あった」のだが。
おっと、そっちの方の橋本梧郎先生との記録もまとめねば。
ひっかかっているイヤなことを早めに処理して次に向かいましょう。


6月22日(土)の記 緑と赤
ブラジルにて


昨晩、メトロの駅前の出店で買ったイチゴがなかなかよろしい。
数週間前に買ったキウイの残りも柔らかくなった。

カシャッサを切らしているので…
ウオッカでいきましょう。
イチゴとキウイをきざんで、氷たっぷり。
トニックウオーターも少し。

色味といい、甘みといい、絶妙。
おかわりも進む。

かつてサンパウロ州内陸のファゼンダホテルの管理人に教わった。
飲み過ぎご用心。

なにか命名をしようかな。
・・・、これといって浮かばず「赤 緑」で検索してみると、なんとポケモンばっかしではないか。
「ポケモンカクテル」とでも仮称しておくか。


6月23日(日)の記 『ブラジルのジプシーたち』
ブラジルにて


今年のブラジル国際音楽ドキュメンタリー映画祭で、いちばん見たかった作品。
千秋楽にようやく。
『Terra De Ciganos(ブラジルのジプシーたち)』。
「ジプシー」という言葉に異議を唱える人もいるかもしれない。
彼らの自称である「ロマ」「ロマ民族」と呼ぶべきだ、と。

ざっと調べてみると「ロマ」というのはヨーロッパでのこの人たちのなかでの最大集団の自称の由。
「ロマ」と全体を呼ぶことで削ぎ落される少数の多様な人たちがいるわけだ。

ブラジルではCiganoと呼ぶが、世界で第三位、約80万人が存在するという。
作品のなかで語られるが「ロマ」以外の人たちもいるようだ。

僕自身はこの人たちと間接的な接触があった程度だが、気にはしていた。
この映画では、ブラジル各地のCiganoの人たちのキャンプを訪ねて音楽を中心に再現劇も含めて浮き彫りにしていく。

これまでに読んだ報告では、この人たちの生業は女性は辻占い、男性はかつては馬など、現在はトラックなどの売り買い、そして窃盗があげられていた。
あらためて各地にずばりCiganoであることを売りにするミュージシャンがいることを知る。

かつて土地なき農民と呼ばれる人たちの野営地作成に同行していた頃を思い出す。
あの記録もまとめ直そうかという計画もあった。

さあなにから手をつけようか。


6月24日(月)の記 小エビに蜂蜜
ブラジルにて


いくつかの事情が重なり、今週は週イチの断食を中止することにしよう。
さて夕方、出先から帰って。

今宵のキッチンドリンクは…
ブラジル全国区で知られる北東部ペルナンブコ州産Pitú印の大衆蒸留酒カシャッサを買ってある。
ちなみにこのピトゥというのは淡水に生息する小エビのこと。

ライムの在庫OK。
パラナ州でいただいた純正ハチミツでいこう。
ブラジルを代表するカクテル・カイピリーニャ。
氷を多めに入れて。
ひと口。

ふむ、とても元のスピリッツがジャスト40度のアルコール度数とは思えないまろやかさ。
ハチミツ効果が大と見た。
これは、すすみます…

今日は家族一名の体調が思わしくなく、料理も作り分けて。


6月25日(火)の記 ブラジルの鏡 アマゾンの鏡
ブラジルにて


『世界』7月号の拙稿に「ブラジルは自分の写し鏡」と書いたが、アマゾンしかり。
川面に写った自分に何を見るか。

今宵は遅れをとらないように。
家族の夕食を早めに用意して。

『Amazônia, a nova Minamata(アマゾン、あらたなミナマタ?)』というブラジルのドキュメンタリー映画。
昨年、見に行ったのだがうつらうつらしてしまった。
今日は監督、先住民のリーダーらも参加して討論もある由。

開始1時間前から受付で入場券の配布を始める由。
そのさらに10分前に。
ふたつの列あり。
優先ラインの方につく。

30年前ぐらいまで浅からず関わってきた問題である。
この映画に登場するムンドゥルクという先住民の人たちは2本の拙作に登場している。
想いは様々。

批判はさておき、自分はなにをするべきかを自問。


6月26日(水)の記 戌年移民の嘆き
ブラジルにて


干支がイヌだからというオチで出る話だが、臭覚と味覚が平均的日本人より鋭いようだ。
とはいえ、料理人として禄を食んでいるわけでもなく、それが日常的にメリットかどうかは疑わしいところ。

夕方、ブラジルの地方を回っていた日本人の友人がサンパウロに戻ってくる予定。
こちらのスケジュールはそれに合わせて調整してあるが、旅の疲れがどっと出がちでもあり、どうぞご無理はされないようにと伝えてある。

国内線の空港に到着した先方はぜひさっそく会いたいとのことで、いざ。
国際的ネットワークの民泊の宿をとったという。
わが家からメトロと歩きで1時間弱、多少の土地勘はある場所だ。

いちばん日の短い時期。
危険度は東洋人街あたりより低そうだが、用心に越したことはない。
アラブ料理というリクエストがあるが、調べると10数分の徒歩、リスクも加味しないと。
近くを歩いていて、まんざらでもなさそうな窯焼きピザの店があり、そこにしましょうということに。

意外なことに、先方はアルコールがまるでダメとのこと。
うらやましい。
ピザ系の店ならワインといきたいところだが、相手が飲まないこととメニューの金額を吟味して…

ブラジルの国民的カクテル・カイピリーニャをオーダー。
連れはフレッシュジュースを頼むが、わがカクテルの方が先に出てきて、そのまま時間がいたずらにすぎてゆく。
おやじ、オーダー落としたな。

再オーダーして待つことしばし、乾杯サウージ。

ぎゃ。
あの、冷蔵庫くさい味。
製氷機の氷を長期間、うっちゃっておくと氷に付着するあの好ましくないフレーバー。

わが家では極力これを避けるための手間ヒマをかけている。
安くない金を出してこれはないが、こういうのは証明がむずかしい。
店に入る前にネットの風評を調べようとも思ったが、それもナニかとそのまま入店。

この店にはサンパウロ名物の生ビール:ショッピもないという。
客の回転のよくない店は生ビールを置かない、というのは僕あたりでも知っている。
ロングネックの黒ビールをオーダー。

もう来ることもない店にとやかくいうのはやめておく。

電気炊飯器に長時間、入れっぱなしで異臭を放ち黄色味を帯びたご飯はイヤ。
冷蔵庫の悪臭を吸い込んだ氷もイヤです。
それって、贅沢な主張でしょうか。


6月27日(木)の記 ミューズがいっぱい
ブラジルにて


朝のラッシュアワーの時間帯に家を出て。
今日は日本人のアミーガの市内ご案内。

先方の希望でミュージアム系と飲食系を中心に。
ひとつのところで複数の特別展を開催中のところもあり、なんとトータルでざっと7展示をまわる。
通常ならひとつふたつで満腹である。

観光名所のミュージアムは避けたため、どこもガラガラで見学者よりスタッフの方が多いくらいでなんだか申し訳ない。
僕はまた来ようと思えば来れるという思いと、これだけの数をまわるとなるとミュージアムで自分に受け入れられる情報のキャパが限られているのこともあり。
ざざっと見てポイントを解説し、あとは先方もポルトガル語をある程度は解するので彼女のペースで見てもらい、僕は適当な場所で待機させてもらう。

それにしてももりだくさんでした。
最後に「笑うネコ」という店名の古本屋を見て、向かいの涼しげなバールへ。
連れはアルコールをまるでたしなまれない。
デトックスのスムージー、いくつか種類がある。
ほう、ケールをベースにココナッツウオーター割りか。
これはうちでもやってみよう。


6月28日(金)の記 偽魚考
ブラジルにて


のびのびとなっていた散髪に行くことにする。
さっぱり。
ちょうど昼どきだ。
金曜は魚定食の日。
家にはたいした残りものもないし。

けっきょく久しく食べていないチャイニーズ系のベジタリアン食堂に入ってみる。
ここは卵・乳製品は使用するが魚類も使用していない。

ポルトガル語での料理の説明に Peixe Falso:ニセの魚、というのがある。
魚肉に似せた大豆製品のようだ。
日本語の語感でいって「ニセ」というのはけっこう強烈だなと思いつつ…

日本の精進料理に「がんもどき」というのがあったのを想い出す。
「魚もどき」はどうだろう。
と思いを巡らせつつ、「偽:ニセ」もそもそも「似せ」が語源なのだなと気づく。
「学び」が「まねび」であるのと同様、「にせる」ことは別に否定されることもなければ悪でもないだろう。

そんなことをひとり考えながら「偽魚」を食べてみる。
なんじゃこりゃ。
やたらに堅く咀嚼しにくい。
大豆製品をからからにしたのかな。

そもそも畜肉に似せた大豆製品には数十年前から接しているが、サカナもどきは今度が初めて。
こりゃまだNGの段階だな。
こういう分野でこそニホンジンすごいを発揮してもらいたいもの。

とはいえ、サカナはホンモノを食べた方がよろしいかも。


6月29日(土)の記 マンモスによりけり
ブラジルにて


わが家のある団地はマンモス団地だろうか?
どれぐらいからがマンモス級になるのだろうか。

たとえばマンモスとナウマンゾウとを大きさで比べてみると、どんな感じか?
ざっと検索しても、意外にわからない。

とりあえず、こんな引用を。

マンモス = 大きい、というわけでもない
マンモスといえば、恐竜以外の古生物の中ではトップクラスの知名度でしょう。なにせ大きいものの表現として「マンモス級」という言葉があるくらいです。ですが、マンモスとしてイメージが一般化している「毛が長くて大きな牙を持つゾウ」であるマンモス属のプリミゲニウス種、通称ケナガマンモスは特に体が大きいわけではありません。体の大きさなら現在生きているアフリカゾウやアジアゾウとそれほど変わらないのです。
「古生物よもやま話」 https://f-favorite.net/blogs/paleontology_yomoyama_story/001


本題は、いずこ。
今日はわが団地でフェスタ・ジュニーナ:六月まつりだ。
ブラジルの冬の風物詩。
祭りといっても飲食の模擬店が立ち、この時期特有のブラジリアンカントリーミュージックが流され、キッズたちの仮説遊び場が設けられる、といったところ。
売り上げは団地運営のサポートにもなるとのことで、事前に食券をオトナ買いしておいた。
13時から17時まで。

13時過ぎに家族で団地の中庭スペースに降りると、ざっと並べられたテーブルと椅子がほとんど埋まっている。
パンデミックもあってこうしたイベントが途絶えがちだったので、なんだかうれしくもあり。

わが団地はわが家の居住当初から老人が多かった。
老人たちはさぞ楽しみにしていたかも。
別住まいの子供や孫らを招いているケースもうかがえる。

ほんらいは北半球のカトリック起源のまつりだが、見事にブラジルの市民そして学校行事として定着したまつりだ。

ビーフ、チキン、ソーセージなどの串焼き、トウモロコシのスナックなど…
さすがにマンモス系の肉は見当たらなかった。

名物のホットワイン、ケントンというカシャッサにショウガやニッキなどを入れた甘いホットカクテルを何杯もいただいて。
酔っ払っても帰りはエレベーター一本だ。


6月30日(日)の記 人のためと書いて
ブラジルにて


宗教の架け橋か、駆け足か。
まずは女子カルメル会のチャペルでの主日ミサ。

ついでブラジル東本願寺での親類筋の一周忌法要。
こういうのもこちらではmissaと呼ぶことがしばしば。

日毎のインスタ用にすでに歩留まりを撮っておいたが…
お寺にこんな掲示が。
https://www.instagram.com/p/C832krQuI5m/?hl=pt-br

「人の為と書いて…」
よろしいではないか。
一昨日に「ニセ」について少し考えただけに。

「人の為に」の押し付けはカンベンしてほしい。


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