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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2024年の日記  (最終更新日 : 2024/12/08)
7月の日記 総集編 牛山ドキュメンタリーのありか

7月の日記 総集編 牛山ドキュメンタリーのありか (2024/07/03) 7月1日(月)の記 二昔以前
ブラジルにて


だいぶ以前の拙作をいじり直している。
素材の関係で、いじれるようにするまでがなかなかだった。

想えばこれの編集をしていたのは911の時だった。

311ですら、ひと昔以上前となった。
911となると、23年前である。

当時のビデオ編集の仕上げは日本のビデオスタジオで作業していた。
その頃は自力ではどうにもならない作業が、今やわが家のノートパソコンでほいほいとできるようになった。

そのため、新たに細かい作業をすることになり…
僕以外には気づかないようなことばかりだろうけど。

今週中にはなんとか、と完成したら最初に伝えるべき日本の友に連絡してある。
本日は一日断食。
夕食の支度を家族に任せたので、時間的には作業がはかどります。


7月2日(火)の記 カブで儲ける
ブラジルにて


20ウン年前に完成させた作品の再編集の大詰め。
その合間に、やや遠い火曜の路上市まで歩くことにする。

店じまいの安売りの時間帯。
バナナを食べきれないぐらい買ってしまう。
え、葉っぱも見事な大ぶりの白カブ4個で2コント(約60円)、これは買い。

葉っぱをどうするか、うれしい悲鳴。
半分ぐらいはニンニクと炒めるか。
カブそのものは一個は中まで黒くなっていた。

のこりのカブの実というか根というか下部の株は味噌汁、そして千枚漬けに。
葉の残りは味噌系で漬けるか。

経済の方の株はまるでわからないが、こっちの蕪の方ではだいぶ儲けた思い。


7月3日(水)の記 よき黙想の街
ブラジルにて


いつ予約が取れるかわからなかった病院の検査のひとつが急きょ今日の午前中のキャンセル枠が取れた。
どれぐらいの待ち時間とも知れず、他の予定はアバウトにしておく。

さほどの遅れもなく、午前中に余裕で終了。
さて、どうしよう。

腹案あり。
ダウンタウンのボンレチーロ地区にある「ユダヤ人移民とホロコーストの記念館」に行っておこう。
西暦1912年創設のサンパウロ州最初のシナゴーグを活用したもの。
長らく改装中だったが、ウエブで調べると2017年にホロコーストの展示がオープンしたとある。
以前、行ってみた時は売店のみが開いていた。

想いを新たにする。
このあたりの地区の歴史がわかったようでわかっていなかったが、解説を読んで理解を深めることができた。
この地区はBom Retiroと呼ばれることがしばしば。
Retiroはカトリックの黙想会のこと。
「よい黙想会」という意味だが、なんでこんな名前なのか?

もとはこのあたりにこの名前の農園があったからということまではわかったが、その農園がなぜこの名前だったかまではわからない。
いずれにしても鉄道のLuz駅が築かれ、鉄道がサントス港と結び、ヨーロッパからさまざまな移民たちがLuz駅に近いこの地区に住まい、活動するようになった。
かつてはユダヤ人街として知られ、第二次大戦後には韓国移民が寄り合うようになった。
韓国移民が営む紡績業にボリビア人、パラグアイ人などが労働者として集まって。
解説ではさまざまな出自の人たちが調和して生活する稀有な街、とあった。
なるほど。

日本人街ともいわれたLiberdade:東洋人街と比較してみると面白そうだ。
ジャポネ―スたちは知ったことではないといった感だが、この地区は元は黒人奴隷などの処刑場や墓場だった。
ほんらいのアフロの歴史の復権が唱えられるようになってきているが、これも日系人は無関心か不快に思うかといったところか。
日系人同士の抗争、日系とコリアン系の対立、チャイニーズマフィアの闘争。

それらを意識しなくても、僕にはリベルダージよりボンへチーロの方がはるかにここちがよい。

今日の午後は入りにくかったちょっと外れにある韓国家庭料理屋にチャレンジ。
いい店だった。
次回はお店の人ともっと話をしてみよう。


7月4日(木)の記 銀行詣で
ブラジルにて


8月の訪日チケットの発券を昨日、エージェントに頼んで。
ブラジルの銀行発行のクレジットカードを使ったのだが、銀行に拒否されたと昨夕、連絡があり。
銀行にはオンラインの問い合わせがあるとうたっているが、機能せず。

やむを得ず、今日あさイチで銀行に乗り込むことにした。
銀行のこうした用件は順番待ちもあって半日ぐらい要することもしばしば。
今日のその他の予定を流動的にしておく。

9時開店に合わせて、いざ。
ちょうどシャッターを開けているところで、待ち人ゼロ。
行員たちもまだセットアップ中の感じ。
ようやく呼ばれて、事情説明。
カードでのオンラインでの買い物にはスマホのアプリを用いる由。

なかなかポルトガル語で口で聞いてもわかりにくいことで、対面で手とり足取り教えてもらってよかった。
それをエージェントにつたえて。

なんとかオッケーの見通しとなり、クルマでの所用、午後に人と会う約束などを済ませることができた。

それにしても、どうして今日はあんなに銀行が空いていたのか?
今日は市バスのストの予定だったと家人に聞く。
今朝になってストは中止となったが、多くの市民が仕事場に行くのを見合わせたという。
なるほどそれで。


7月5日(金)の記 指切りの血判状
ブラジルにて


昨晩、左の人差し指を切ってしまった。
夕食の準備をしたが、連れ合いが突発事態でいつ帰宅できるかわからなくなり。
とりあえず晩酌はすすみ、ツマミとして急にいわゆるランチョンミートが食べたくなった。

ブラジルにも日本で買えるSPAMやコンビーフと同様の形の缶のランチョンミートが売られている。
付属の金具で缶の切り口を巻き上げていくタイプだ。
ところがブラジルのこの種の缶は開ける前にこの金具がなくなってしまうことがしばしば。
今度も見当たらず、ラジオペンチで開け口を引っ張っていって…

缶の切り口でスパッと指を切ってしまった。
いたみは感じないが、流しに鮮血のしずくが。

毛管運動とプロポリス軟膏、そして傷テープを貼っておく。
ひと晩経って傷テープをはがしてみると、さすがに血は止まっている。

明日、旅行に出るまでの残務・・・
今日に限って手書きを要する手紙がふたつもあり。
ペンをとって字を少し書くと、たちまち傷口からリンパ液交じりの血液がにじみ出てきた。

傷口を洗ってまたプロポリス軟膏を塗って、傷テープ…
明日の運転に差し障らないといいのだけど。

スパムには要注意。
とくにアルコールが入っている時。


7月6日(土)の記 クリチーバだよ全員集合
ブラジルにて


ブラジルの7月は休暇のシーズンでもあり。
僕は早急にクリチーバの佐々木神父のお見舞いに行きたい。

家族たちの成長ぶりを神父さんやシスターたちにお見せしたい。
家族たちにも神父さんとシスターたちの魅力をあらためて、そしてクリチーバという町の魅力を伝えたい。

そんな願いがかない、家族全員でクリチーバに旅行することになった。
二組に分かれて現地集合ということで。

わが本隊は午前6時出家を目指す。
許容範囲の遅れで出発、ひたすら運転。

クリチーバのわが定宿で合流。
いつものスタンダードではなくデラックスルームをフンパツしたのだが…

これといった変わりがうかがえず。
冷蔵庫があるくらいかな。
家族たちに申し訳ない。

今日は徒歩圏をいくつかまわる。
創作イタ飯屋を全員、気にいってくれたようでやれやれ。
この店では以前、×印の問題がふたつもあったのだが。
なにせこのあたりで徒歩圏となるとオプションが少なくて。


7月7日(日)の記 クリチーバのエコーチェンバー
ブラジルにて


あの言葉は、なんだっけ…
キーワードで検索。
「エコーチェンバー」か。
「SNS上で、自分と似たような価値観や考え方のユーザーをフォローすることで、同じようなニュースや情報ばかりが流通する閉じた情報環境のこと」。

クリチーバの冬の朝。
ホテルの食堂に8時集合で朝食。
このホテルは朝食がかなり充実している。
ジュース類も数種あり。
うむ、オレンジジュースも搾りたてのフレッシュ、あまい。

食後にいったん部屋に戻ってスマホを繰ると…
東京都知事選はナント小池が当選。
蓮舫さんは第三位とは。

わがフォローのX:ツイッターでの情報では、ひょっとすると蓮舫さん当選ありかと期待していたのだが。
うーむ。
これも、あまかったか。
オレは、閉じた情報環境にいたのか…

午前中は「針金オペラ座」、昼にサンタフェリシダージ、午後は「目玉の美術館」。
家族それぞれがそこそこ、いやそれ以上に楽しんでもらえたようで、ありがたい。


7月8日(月)の記 O.J.と神父さん
ブラジルにて


今日は家族全員で佐々木神父を訪ねにいく。
フマニタス時代に家族を連れて佐々木神父を訪ねたのは、25年ぐらい前だろうか。
成長した子供たち、そして新しい家族を神父さんとシスターたちに引き合わせたい。

神父さんが終の棲家とさだめたクリチーバのブラジル純心聖母会が運営するデイサービスセンターは、7月の休暇中である。
神父さんの体調もある。
シスターと事前のやりとりと調整をして。

佐々木治夫神父はわが壮大なトラウマにして君主だった故・牛山純一プロデューサーと同じ西暦1930年生まれ。

今日は双方とも満足だったようで、やれやれでした。


7月9日(火)の記 山の運転
ブラジルにて


さあ今日はまた長時間の運転だ。
日が短いので真っ暗になってからの運転が長くならないようにしたい。
とはいえホテルでの朝食とチェックアウトをばたばた早くはしたくない。

なんだかんだで午前10時のクリチーバ出発となる。
パラナ州側の街道で、サンパウロ方面への二車線が完全にとまった。
このあたりは山間で電波が入らない。
なにが生じたのかはわからないまま、けっきょく1時間半ほど停車。
途中でエンジンを切る。

ようやく車が流れ出したが、工事や事故の形跡もみつからず、いったいなんだったのか?
この街道はこれがあるので、トイレや燃料の対策要注意。

パラナ州側もサンパウロ州に入っても、雨。
制限速度110キロの追い越し車線をそこそこの速度で走っていて、路面が冠水しているところに乗り上げること数回。
こわい。

これはヤバいという事故現場が数か所。
暗闇の運転が続き、ようやく大サンパウロ圏のバイパス・ロドアネルに入ったところで大渋滞。
有料でこれかよ。
片側4車線のうち2車線が閉鎖されていた。
30分近いロス。
サンパウロ州でもロスとは、これいかに。
どうやら乗用車の玉突き事故。

渋滞と遅れの不平より、自分らの無事に感謝したい。
振出しに戻ったのは午後8時過ぎになりました。


7月10日(水)の記 GORO HASHIMOTO 2001 : A PATAGONIAN ODYSSEY
ブラジルにて


昨日の長時間のハードな運転の疲れが抜けない。
今日は一日断食もしよう。

して、先月からデータ化と修正作業に取り組んでいた『パタゴニア 風に戦ぐ花 橋本梧郎南米博物誌』をYouTube公開設定とする。
https://www.youtube.com/watch?v=nmwilHVlOvo

この機会にポルトガル語か英語のタイトルも付けよう。
そうすればアルファベットでGORO HASHIMOTOと検索してもこの作品が引っかかるようになるはずだ。

直訳はシャレにならない。
ポ語題にしろ英題にしろ、それ自身を作品としたい。

妙案が浮かんだ。
取材・制昨年は西暦2001年。
これでどうだ。
GORO HASHIMOTO 2001 : A PATAGONIAN ODYSSEY

今回、この作品を見なおしていて、ヴェンダースの『パーフェクト・デイズ』の前半を想い出した。
主人公の日常の繰り返しが淡々と描かれるのだが、見ていて退屈しない。

橋本先生がフィールドを淡々と移動して、淡々と植物を愛で、カメラに収めていく。
何度見直しても、いやさかつて以上に今の僕にはこれが退屈でもかったるくもないのだ。
さて、みなさんはいかがでしょう?

来月は橋本先生の17回忌だ。


7月11日(木)の記 牛山ドキュメンタリーのありか
ブラジルにて


ブラジルのわが家で発掘をこころみても見つからなかったわがテレビディレクター時代初期の作品群。
ナント日本の実家の押入れの段ボール箱のなかから発見した。
テレビ放送を録画したものだが、一本はVHS、もう一本はこれまたなんとベータマックスだった!

ベータマックスとなるとさすがに自力での変換はいまやおよばない。
日本の地元にある業者にお願いして、データにしたものをファイルで送ってもらうことにした。
そのデータのチェックと再編集作業に入っている。
ありがたいことに、ほとんど劣化はうかがえない。

ベータのものは、ちょうど40年前のものだ。
『すばらしい世界旅行』時代。
取材したことはさすがに覚えているが、ディテールはすっかり忘れてしまっていることが多い。

わが君主にして壮大なトラウマ・牛山純一プロデューサーと僕のまさしく共同作品と呼ぶべき掌編を確認して感無量。

それにしても、今の僕にはドキュメンタリーとしてNGな大きな問題を改めて確認。
牛山純一の人物についてはジャーナリストの鈴木嘉一さんによるすばらしい労作の評伝がある。
だが牛山の作品と方法論について、きちんと批判的視点も備えて制作者側から遺しておくべきではないか。

僕としてはフリーランス、そしてひとり制作をすることになってからの自作がその回答のつもりではあるのだけれども。


7月12日(金)の記 災難から学ぶ
ブラジルにて


連合いのこちらの実家がらみで巻き込まれた災難としては、二度目。
日本からのカネを託されて生じたトラブルとしても二度目だ。

今回はこちらの善意に付け込まれて、持ち出しどころか僕は精神異常の泥棒扱いされてしまった。
相手は、どうやらサイコパス。

自分も精神を病んでいたので、僕が精神異常であって彼から懇願されてすべて信頼してお任せするという条件であずかったカネを着服したことがよくわかる、とカミングアウトしてきた。

「先回」はお世話にもなっていた日系社会の名士から日本のカネを担いでくることを頼まれて、見事に道中で「紛失」してしまった。
座席上部の収納棚に置いたバッグに施錠のうえ入れておいたので、おそらく機中で抜かれたのだろう。
僕は盗難の現場を見たわけではないので、慎重に「紛失」としよう。

その後、この人の取り巻きらしき輩が本名を明かさずにSNSで僕の人格と作品を誹謗中傷する投稿を繰り拡げた。

そもそも日本からブラジルに然るべき金額を動かすなら、銀行等を用いればよいのだ。
それをその手間暇を避けてかつ手数料をケチり、税金対策等をのがれるためにオメデタいオカムラでも利用すればいいだろ、というわけだ。

もう金輪際、カネの件で間に入りません。


7月13日(土)の記 フェイジョアーダくらべ
ブラジルにて


昼は外食でフェイジョアーダでも、という提案を家族二名に受け入れられて。
さて、どこに行くか。

ざざっと数えて、わが家周辺の徒歩圏で10件近くはフェイジョアーダを食べられそうな店があるのだ。
最近、オープンしたアヴェニーダの向かいの大衆食堂に行ってみることにした。

プラジルのナショナルプレートであるフェイジョアーダは水曜と土曜に食堂で供される。
日本でカレーやラーメンが店によってまちまちなように、フェイジョアーダも店によってのヴァリエーションが面白い。

ほんらいはフェイジョアーダにつきもののバチーダというカクテルを催促。
ふむ、この店のはコンデンスミルク入りだ。

付きもののコウヴェ(ケール)の炒めもの等は量が控えめ。
これまた付きもののオレンジは、なし。

まあ、なみのフェイジョアーダでした。


7月14日(日)の記 絶滅危機種のつぶやき
ブラジルにて


午後から、こちらの親類の誕生パーティ。
祝われるのは、日系三世の20代である。
集合住宅の階下のサロンにて。

トータルで100人までいったかどうか。
かなりの人数だった。
親類、学校・職場・宗教の友人ら…

参加者の8割5分以上は日系人のようだ。
ところが日本人一世となると…僕と、主人公の祖母ぐらいかもしれない。

料理は業者が入り、和風テイストの串焼き肉がメイン。
料理は和風っぽくても…
日本語は聞こえてこない。

カラオケを、延々とがなられるフェスタもナニだけれども。
宗教関係のお説教もなくて、なんだかホッとする。


7月15日(月)の記 牛に味噌
ブラジルにて


今日から家族が変則モードに。
先週は週イチの断食が水曜になった。
今週は、明日にするか。

さて、そうなると夕食に何をつくるか。
冷凍庫の肉類を少しでも減らしたい。

ステーキ用に買った牛の残りのかたまりを使うか。
味噌味で、なにかできないか。
ネットで検索。

豚肉に味噌はよく合うが、牛肉も勝るとも劣らない。
牛肉の味噌炒めをおいしくいただきました。

そもそも味噌にあわないものがあるのかな?
クソとイッショクタにされることもあるくらいだし。


7月16日(火)の記 オルガニックはいいけれど
ブラジルにて


昨日のストリートアート探しで、こんなグラフィティを見つけた。
https://www.instagram.com/p/C9eSksMOxkl/?hl=pt-br
たまに通るところだが、この絵を見るのははじめてだ。

以前なんだったか覚えていないが、オルガニック八百屋になったらしい。
昨日はシャッターの片側がわずかに開いていたが、営業の気配はなかった。

今日のウオーキングのコースに組み込んでみる。
今日はオープン。

決して明るくないがらんとした店内に…
しょぼくれた野菜と、しょぼくれたおじさんひとり。
野菜はそれぞれ産地が書かれている。
ほう、隣のパラナ州のものも。

とはいえ、なんだかくたびれた印象の野菜ばかりだ。
まさしく、食指が動かない。
おじさんに「なにかお探しで?」と聞かれるが、
「まずはなにがあるか見させてもらって」
と返しておく。

ほう、なかなかみられない色変わりのニンジンがある。
が、よく洗ってあるわけでもないのとへなっているので、色の魅力がよくわからない。

路上市あたりだと、活き活きと輝くカブやダイコンに「僕を食べてよ!」と呼ばれている気がして買ってしまうことがあるのだが。

今日のここの野菜からは「とりあえずやめておいたら?」とささやかれたような。
今日は一日断食だし。

おじさんに御礼を言って、店を出る。


7月17日(水)の記 実家のプレビュー
ブラジルにて


午後からこちらの連れ合いの実家へ。
それに備えて午前中はDVD焼き。

午後の試写用に一枚だけ焼いて。
念のため焼き上がりを再生してみると、フリーズあり。
再生機をクリーニングしても改善せず。

しかたがない、また焼き直し。
今度はオッケー。
再生機器一式持参で。

今度は先方のテレビモニターのアスペクト比が4:3に切り替えられない。
仕方なく4:3の作品を16:9で。
昨年は日本の大学での拙作のワールドプレミア上映会であやうくこうなるところだった。

今日の上映作品は、これ。
https://www.youtube.com/watch?v=OBqvSdOkHZc
とくに「物言い」もなく。

わが家に戻ってから、この作品をYouTubeの限定公開から一般公開に切り替えました。


7月18日(木)の記 Youは何しに病院へ
ブラジルにて


今日からサンパウロの病院での検査がいくつか続く。
とくに死病の疑いあり、といったことではなさそうなはず。

今日の病院は院内に飾られているアートが楽しみ。
おや。
どうもかつてより展示点数が減った感じ。

そもそもアートを楽しみに病院に行く人もあまりいないかも。

この病棟はカフェもオシャレな店が入っている。
店のスタッフの介護がなければ着席のむずかしい老女性。
混雑時もひとりわがもの顔でテーブルとソファを占拠してノートパソコンに集中する男。
白衣のままコーヒーブレイクに来る、おそらく医者。
日本なら勤務中の医者が白衣のままで、とクレームを入れるのがいそうだ。

ここはポンジケージョがよろしいな。
持参した日本語の本を開いたが、また混んできたので席を立つか。


7月19日(金)の記 東洋人街を歩く
ブラジルにて


当地の日本語新聞の購読料の更新分を払っていなかった。
その時によって請求方法が異なるので、こっちも混乱する。

先回はメールに添付ファイルで銀行での支払い書類を送ってきて、それをプリントアウトせい、というメンドクサイものだった。
そもそも老齢の邦人購読者たちからは評判が悪かったのだろう。
今回は支払期限の前の週に郵便で支払い書類を送ってきた。

僕は泊りの旅の出がけにこれを受け取ったため、どこにまぎれたかわからなくなってしまった。
ようやく発掘する。
が、支払期限を過ぎているため指定銀行の窓口に行って超過金を計算させたうえで支払わなければならない。

それもメンドクサイので東洋人街にある新聞社に直接、乗り込んでカードで支払おうと思う。

午後からまた病院だ。
着手してしまった作業を終わらせてから、いざ昼前に。

ところが新聞社でのカード支払いをめぐってトラブル発生。
こっちのカードの問題か?
けっきょくは先方の端末の問題だった。

そのおかげというか、新聞社を出るときに「じゅんさん」と声をかけられた。
記憶のない女性だったが、パンデミック前に日本の地方で行なわれた拙作上映会に参加してくれたという。
フェイスブックでつながっていることもわかった。

ついでにリベルダージに店を開ける知人を久しぶりに訪ねる。

それにしてもリベルダージ駅付近は歩行に困難な程の人手である。
橋のうえにも出店が並び、その分、歩行者が車道にあふれ出すことになる。

さすがに歩行者の重みで橋が崩れることはない、かと思うが。
いずれ事故が起きるだろうな。
もう起きているかも。


7月20日(土)の記 病院の重箱
ブラジルにて


日時指定はないが、締切りの迫る血液検査をせねば。
採血前のかなりの時間の断酒が条件。

それをかんがみて土曜のあさイチとする。
ううむ、待合室はけっこうな混雑。
読みものを持参してよかった。

さて三日続いたこの病院通い。
サービス、スタッフの質の低下をしばしば感ず。

トイレに入って手洗いスペースの液体石鹸がきれていることがあった。
病院のトイレで石鹸切れとは。
たまたまの問題か。
ところが、別のトイレでも液体石鹸がきれている!

…採血検査をすると、病院の食堂での軽食のサービス券がもらえる。
僕あたりには、それなりの楽しみ。

コーヒーなど暖かい飲み物とジュース、フルーツにサンドイッチ。
サンドイッチはどれがいいかを食堂のスタッフに頼まれて、ターキーを頼む。
着席してサンドイッチにかじりついてみると、ホワイトチーズのみのサンドだった。

二度あることはサンドある…


7月21日(日)の記 冬の司祭
ブラジルにて


日本語でいう「縁」。
カトリックの用語では「摂理」にあたると最近、なんで読んだんだっけ?

摂理か縁か。
サンパウロにやってきたさるカトリックの組織に属する日系人の神父の求めでお会いすることになった。
先方の滞在する歴史建造物を訪問。

いろいろな頼みごと、宿題をいただく。
この神父さんとはサシで突っ込んだ話をしたこともなく、僕なりに誤解もしていたようだ。
日本のカトリック関連で、おもわぬ「けものみち」に迷い込みそうになったばかりなので、そのことについての意見もうかがう。

さて、どうなるか。
神頼みではなく、神まかせ。


7月22日(月)の記 忘れものはなんですか
ブラジルにて


明朝も病院の検査あり。
これも事前に守るべき条項がいくつかある。
検査前8時間以上の絶食、水もNGとは!
4時間前からオシッコもダメとは、冷える時期だけにこれはこたえそう。

ということで、こっちのルーティンの断食は日延べ。

午後から用足しに東洋人街へ。
出てから、そして出先でも忘れものがあり、ちと情けなくなる。

加齢というより、あれやこれやと思いめぐらせることが多いせいのように思える、というか思いたい…

いずれの忘れものも大きな問題にはならずになにより。
イチョウの葉を薬草茶に混ぜるか。


7月23日(火)の記 ホスピの院
ブラジルにて


「病院」という言葉にはどうも抵抗を覚えてしまう。
20世紀後半ぐらいから、いろいろな日本語の言葉の言い換えが行なわれてきた観がある。
だが「病院」はスルーされてきたようだ。

ブラジルのポルトガル語では、英語と同じHospital。
ホスピタリティ:もてなし と語源をともにする。

横文字の方の語源については検索するといくらでも出てくるが…
「病院」の方はいつ頃から使われ始めた言葉かもよくわからない。
江戸時代末期にすでに用いられていたかどうか。

さて、今日は先週とは別のホスピタルで朝から検査。
この「病院」は長い年月で拡大に拡大を重ねたようで、一帯はどうなっているのかよく把握もできない。

その一角にたどり着いたが、受付も複数あってどこがどこだか表示がわかりにくい。
中央受付というのに行ってみるか。

その受付でID番号を聞かれて予約を確認されたうえで番号札を渡され、なかで待機。
待合室はごった返して着席できない「病人」は20人近くか。

検査のために予約時間の30分前に来院のこと、とあり、その時間に行ったのだが1時間ばかり待たされて。

ようやく院内の受付に呼ばれる。
すると。
この検査はここではない、別のブロックの「病棟」だと。
最初の受付は、なんだったのか!

外に出て、信号を渡って坂を上り…
別の受付では予約時間に遅れたことをとがめられて、さすがにキレる。

これからだとあと2時間後になるが、どうするか、と聞かれ。承諾。
読むものは持ってきたし。
患者識別のためのデータの記された腕輪をされて。

待合室に着席して、腕輪の小さな文字を見てみる。
こちらは似たような名前が多いせいか、本人の氏名のほかに母親の氏名も記されている。
うわ、ここが僕の妻の名前になっているではないか。

先ほどの受付嬢はどこかへ行ってしまった。
別の受付窓口で、また待たされて。

ホスピタリティと同語源だというのが泣かせる。


7月24日(水)の記 東洋人街の迷宮
ブラジルにて


今日は一日断食決行。
水曜日だし、水ぐらいは飲む。

午後から所用で東洋人街へ。
うわー、平日もなかなかの人手だぞ。
7月は学校の休暇シーズンということもあるのか…

所用のついでに訪日土産等も買って。
ちょっとカフェでいっぷくしたい。

だが断食中で、カフェそのものは控えた方がよさそう。
いっぽうファスティングについて検索すると…
コーヒーはNGとするものと、逆にコーヒー摂取OKのコーヒー断食まであったりして。

僕は特にコーヒー党ではない。
無党派というより無糖派ではあるけれども。

そもそもリベルダージ駅近くのカフェやバールはどこもごった返している。
少し歩いたところにある、知人の営む店も入っているギャラリーショッピングモールへ。
知人の店では買い物をしたものの、あまり愉快ではない思いをする。
おや。
その奥にカフェが二軒あるのを知る。

その一軒でティーパックのウーロン茶をオーダー。
この程度の客でも丁寧に扱ってもらえた。
ギャラリーの奥なので、チャリやバイクでの引ったくりも入っては来れまい。

シックではないが、安価でひと息つける穴場かも。


7月25日(木)の記 ブラジル人の商売
ブラジルにて


今日の小ネタを書くにあたって、昨日の買いもののことをもう少し詳しくご紹介。
東洋人街で、日本人の知人が経営する店に買い物に行って。
店には、知人の非日系人の連れ合いがひとり店番をしていた。

ここで買い物をして。
金額は、九九を暗記していれば即、出せる数字。
ところが彼女は商品を並べたケースに手書きで金額を書き出してあるのに料金表らしきものを探し出して照らし合わせて、さらに計算機を持ち出して…
時間がかかる。

昨今のブラジルは路上の物売りからメトロ内の非合法物売りまでキャッシュレス化が進んでいる。
ようやく彼女の計算の済んだ額をクレジットカードで支払うことにする。
計算の苦手な彼女は、カードの端末扱いも不慣れとは。

暗証番号を入力して承認されて、カードを引き抜いた。
店側はこちらが黙っていても支払い証明の印刷をよこすか、証明の控えは必要ですか?とこちらに確認するのがふつう。

こちらから控えをお願いします、と頼む。
彼女は端末の、注意を促す赤バック表示の「印刷不要」を押してしまった。
あらどうしよう、とうろたえた彼女、すでに彼女の能力では対応できない事態。
べらぼうな金額でもないので「それなら控えはいりませんよ」と譲歩したのだが、
なんとこっちに「ちゃんと暗証番号を入力したのですか?」と疑ってくるではないか。

これには頭にくるまえに、あきれてしまった。

さて、今日のケース。
開店早々からひいきにしているわが家の徒歩圏の天然発酵パンのお店。
夫婦の経営のようで、夫の方がカウンターとレジ担当。

僕が先日、クルミ入りのを買ったのを覚えていた。
「あのクルミ入りのパンは問題ありませんでしたか?」
と尋ねられる。
「おいしくいただきましたよ」と応じる。

どうもパンの質が自分たちの納得いくものではありませんでした、お詫びにどれかひとつお持ちください、というではないか。
それでは申し訳ないので、お言葉に甘えて新たにクルミ入りのをひとついただき、別のものもひとつ購入。

この店の「お気に入り」を上書き、信頼は確固たるものに。
そもそも値段はリーズナブルで、おいしいのだ。


7月26日(金)の記 フレンチのおどろき
ブラジルにて


午前中はまず泊り先で買い物へ。
そのあと、持参した要チェックの新聞記事に少し目を通す。
して、帰宅。

日本で上映していただく『リオ フクシマ 2』のデータ化作業の追い込みに入るつもりが…
こちら時間の午後2時からパリオリンピックの開会式がある。

とりあえずテレビをつけて…
ひゃあ、川が舞台か。
ついつい見てしまう。

3年前の東京の時は、日本のFMラジオでブラジルからリポートをすることになった手前もあり、やはりテレビをつけた。
が、チャチだったことぐらいしか覚えていない。

その前のリオオリンピック開会式の日はこちらの身内の通夜となり、五輪どころではなかった。
その前はどこがオリンピックだったかも覚えていない。
北京か?

うわ、バッハって、まだ健在なのか?
東京の時の挨拶は16分だったか?
うんざりげんなりで席を立ち、夕食のために米を研ぐ。

さて、今日のお題を考えて…
フレンチといえば。
フレンチドレッシング。
なぜあれがフレンチなのか?

検索してびっくり。
アメリカ合衆国起源とな。
して、なぜフレンチかの説にさらに驚き。


7月27日(土)の記 コリアンルーレット
ブラジルにて


家族で昼に外食。
サンパウロのコリアンタウンまでメトロで。

目星をつけた店は、15時までか。
食べ放題、コリアンバイキングだ。
出遅れたが…

うわ、空席待ちの盛況ぶり。
非東洋人のブラジル人客が半分ぐらいか。
だが10分も待たないでテーブルにありつけた。

肉類のヴァリエーションは少ない。
が、総菜類がすごい。
とても全種は制覇はできない。
何とは書いていない、似たような総菜がいくつもあるのだが。

とにかくそのヴァリエーションが楽しい。
フルーツ系のソジュ、ついで薬草系のアルコールもいただいて。

ウンチクを教えてくれるコリアンの友がいればな…
身心ともに満腹。


7月28日(日)の記 日曜日にはイワシを揚げろ
ブラジルにて


日曜の路上市の魚屋で…
今日のイワシは冷凍ものじゃないという。
すでに開いてあるのを2パック、約1キロ購入。

魚フライが食べたくなった。
日本ならアジフライなど簡単にありつけそうだが…
こちらではそうは魚屋がおろさない。

アジはあっても、アジフライサイズの小型のはむずかしい。
自分でつくるしかない。
ということもあってイワシに目をつけた。

わが家族はイワシと聞いただけで小骨が多いため、NGを出されてしまう。
まずは小骨もできるだけ取ってフライをつくってみて、試食してもらうしかない。

今日のわが家は夕食は僕ひとりとなった。
そもそも揚げ物はメンドクサイが、チャレンジ。

うん、いける。
日本でのアジフライの食感の記憶までよみがえってくる。
日本から担いできた中濃ソースとチューブの練りがらしで。
絶妙。

こちらのレストランでは魚フライはあっても、日本式のソースがないので物足りないのだ。
線キャベツを刻むのはめんどくさいな…
市場で買ってきたイタリアンパセリをつまむか。

パセリにもソースをかけて。
これがまたイケる。
日本でも僕はまず添え物のパセリは残さなかったし。

のこりのイワシは、酢占めにするか。


7月29日(月)の記 この既読感
ブラジルにて


さあ残務に取り組み三昧だ。
日本のさる大学の紀要に寄稿した原稿の第2校をチェックして返し、関係者への調整。

8月の訪日はプライベートの用件で踏み切った。
例によって訪日を決めると、いろいろ沸き上がるというか引き寄せられてくるというか。
今回は思わぬミッションが大きく二つ生まれた。

山形鶴岡の「大アマゾン展」のゲストと広島の「被爆と被曝」上映。
まさしく、ありがたい話。
この僕にとっては大イベントのトークのための予習とおさらいに入っている。

ただいまは『はだしのゲン』全巻の通読中、これも中盤を超えた。
敗戦後のゲン一家が母親の友人宅を追われるくだり。

うーむ、最近これと同じようなシーンを読んだ気がする…
『ナパニュマ』か。
アマゾンの先住民「ヤノアマ」(岡村の通常の表記は「ヤノマモ」)に11歳の時にさらわれて、25年間を共に暮らした「白人」女性の記録だ。

敵対する村の男たちの襲撃におびえながら幼な子を連れて密林をさまようナパニュマ(「ヤノアマ」の言葉で「白人の女」)たち。

アマゾンの先住民と被爆が「ここでも」つながった。

かつて札幌大学で上映と講演を行った時。
同大学のゲストの恒例として、大学内にある山口昌男文庫の蔵書からオススメの本を選んで紹介してほしいという。
迷わず選んだのがこの『ナパニュマ』上下巻だ。
いまや絶版だが、この本のこれだけ高レベルの日本語訳が出されたということが快挙。
訳注だけでもすばらしい。

今回の鶴岡のプロジェクトは、地元出身のアマゾンコレクター・山口吉彦先生へのオマージュとして参加するつもり。

山口昌男から、山口吉彦へ。
この度の山形での水害のお見舞いのメールを現地に送ったが、今のところ返信はなく、気にかかる。


7月30日(火)の記 ブラジルの金釘
ブラジルにて


ふむ、久しぶりに雨の気配。
さて、買い物。
たす、ウオーキングとインスタ用のアート探し。

パンデミックのはじめ以来、4年以上も毎日続けているアート探しとインスタ上げ。
近所にしか出ない日は、新たなものを見つけるのになかなか難儀する。
今日はそんな難儀な雨模様の火曜日。

なんとか、まあ歩留まりのものを2点おさえて。
帰路、わが家至近のカフェに入ってスマホを繰る。

1点は隣駅前の電柱のステッカー。
こういう文字をなんと呼ぶのか…
グラフィティフォントかな?
いずれにしても、一見では読めない。
現場は路上生活者、泥酔者らのたまり場で長く立ち止まっているのははばかられるところ。

カフェでスマホ写真を拡大…
@付きなので、それらしいアドレスを探してみる。
https://www.instagram.com/p/C-EOzb3PpZn/?hl=pt-br

いやはや、ようやく判読。
作者はどうやら理髪師でもあるらしい。
バーバーの場所もスマホでわかった。

さて、帰るか。
訪日に備えたお勉強と夕食の支度がある。


7月31日(水)の記 重きサルガド
ブラジルにて


午前中から買い物に出て。
道中にあった、あれやこれやを安売りするチェーン店の店頭の「文机」が目についた。
先日、買ったものよりやや広くしっかりしている感あり。
すべてが高くなったブラジルだが、これは安い。
買っちゃおう。

大サルガドの写真集『AMAZÔNIA』、値段は邦貨にして約3万円。
さすがに買い控えていたが、山形鶴岡のアマゾン展でのゲストトークを仰せつかり…
ネット買いをはかろうとして家族に買ってもらった。

いやはや届いてびっくり、持ってびっくり。
4キロほどの重量だ。
わが蔵書のなかで最重量かも。

さすがに日本に持っていくのはやめておこう。
これを読むためのより頑強な文机が欲しかったのだ。

帰宅後、設置してみる。
うむ、いい感じ。
さあセッティングはできた。


 


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