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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2024年の日記  (最終更新日 : 2024/12/02)
10月の日記 総集編 乙女峠再訪

10月の日記 総集編 乙女峠再訪 (2024/10/02) 10月1日(火)の記 偉人から異人へ
ブラジルにて


さあ今日は一日断食。
今日は、ぎたぎたと暑くなった。

暦の上でまだ春になったばかりと思うと、この先にくらくらしてくる。
ひと駅半ほどの距離のある水曜の路上市に、思い切って行ってみる。

昼過ぎで安売りの始まった小袋入りの野菜をあれこれ買って。

バンカと呼ばれる「新聞スタンド」に寄ろうか。
そもそもバンカの数は減る一方で、いまや新聞を売っているバンカを探すのもひと苦労だ。
サヴァイヴァルをはかるバンカは活字ではせいぜいコミックやクロスワードや「数読」冊子ていど、あとはドリンクや菓子類、スマホ関連グッズなどを商うようになっている。

ここのところ書いている当地の新聞社刊の「子供たちのための思索家たち」シリーズを置いている店を探すのは、さらにたいへん。

路上市の帰りのほぼノーマークだったバンカの店頭にこのシリーズが一冊、置かれていた。
Frantz Fanon。
恥ずかしながら、この人のことを知らなかった。

買おう。

日本での少年時代に、いわゆる「偉人伝」をそこそこ読み耽っていたのを想いだす。
いまでも印象に残るのは、野口英世、キューリー夫人・・・。

「偉人」という言葉に接しなくなって久しいな。
価値観が多様であるべき時代に、「偉人」という言葉じたいがウサンくさいとは僕も思う。

ちなみにこのブラジルで刊行中の、子供のための世界の思索家シリーズ。
当時の日本の「世界の偉人」シリーズとは、ひとりもかぶらないかもしれない。
そのことがおもしろい。


10月2日(水)の記 テレジアかテレーズか
ブラジルにて


昨晩は「パンカラルー母さん」に誘われて、いっしょに踊ってしまった。
いろいろ忘れがちで、ここに書いておきます。

今日は早朝6時過ぎに出家。
サンパウロのわが家から僕には徒歩圏にある女子カルメル会のチャペルへ。

日本語表記だと…
「幼いイエスの聖テレジア」ないし「聖テレーズ」、
あるいは、
「リジューの聖テレジア」ないし「聖テレーズ」などなど。
カトリック業界でも呼称が統一されていないし、
こちらが「小テレジア」ないし「小テーレズ」とされて、別に「大テレジア」ないし「大テレーズ」がいるので、まことにややこしい。

して「小」の方の「聖遺物」がただいまブラジル巡回中。
それが今朝、このチャペルにやってくるのだ。

7時からはサンパウロの大司教の司式によるミサがあるので、早出をした次第。

聖遺物は神輿のように担がれて聖堂に入ってきた。
シスターたちの歌声と参拝者の「VIVA!!」の歓声。

聖テレジアの生前の「バラの花の雨を降らせましょう」の預言を受けて、聖堂の階上から色とりどりのバラの花びらが神輿に向かって撒かれた。

僕の頭上に、なにか。
赤いバラの花びらだった。
胸ポケットに収める。

こういうの、きらいではない。
VIVA!

ちなみに、聖遺物の「アーク」のなかになにが入っているのかは、外から見て取れない。
説明によると個人の脚の骨が収められている由。

すると、この聖人の遺体は腐敗しないわけではなかったのか。
識者に聞いてみよう。


10月3日(木)の記 南米ミッション
ブラジルにて


想えば今年の四旬節の時期の訪日で、三つもの受難を被ることになった。

そのうちでサイアクなのが「恩を仇で返す」「盗人猛々しい」の複合だ。
「嫌がらせ」といったレベルでは収まらない被害を被り続けている。
悪意とヒマと小金をもてあましている輩の質の悪さは、なかなかのものである。

さて、自分のすべきこと、他にする人もいない作業がいくつもある。
かつて日本で縁あって収録した電磁波公害問題の講演をまとめて、まず関係者にリンクを伝えた。

次なる仕事は、どれからにするか…

これまた以前から気になり続けていたプロジェクト。
先方の快諾をいただき、実現する見通しが付いた。

いざ。


10月4日(金)の記 自閉症啓発
ブラジルにて


今日は午後からパウリスタ地区にブラジル国産映画を見に行く。
O dia que te conheci という昨年製作の映画だが、これは収穫。
おなじセンターで開催中の写真展、体力的にしんどいなと思いながらのぞいてみると、これも大収穫。
これは来年1月までの由、また出直そう。

さてパウリスタ大通りで。
こんなステッカーあり。
https://www.instagram.com/p/DAvsZGmPqWY/
自閉症啓発のリボンのマークとともに「自閉症の候補者」とある。
来たる日曜に迫った市議選の候補者のステッカーだ。

夕飯の支度まで少し余裕のある時間。
どこかでカフェを…
あえて最寄りのマクドナルドをのぞいてみる。
お子さまセットの絵本が狙い。

おう、この店はまだ未入手のものがあった。
ブラジルを代表するマンガ家マウリシオさんのシリーズ。
ANDRÉ という少年が主人公のものをゲット。

このアンドレは、自閉症なのだ。
この絵本では自閉症とはどういうことか、彼の姉が仲間たちにわかりやすく説明するのがお話のメイン。

かつて、日本で縁のあった大新聞の記者だった人が数年前に東京でのイベントに参加した。
イベント後の渾身の席で、この男が「僕、自閉症になっちゃうー」などと軽口を聞いたのを覚えている。
この男が自閉症というコトバ以外、なにも知らず知ろうともしていないことがよくわかった。

ブラジルの絵本を読んで人生、やり直してほしい。


10月5日(土)の記 SAGRADO PROFANO
ブラジルにて


今日のお題はポルトガル語、直訳すると「冒涜された神聖さ」。
サンパウロ大学で無料公開される映画の特集のタイトルで「宗教の冒涜」ぐらいに意訳してもいいかもしれない。

企画概要からもラインナップからもキリスト教がテーマのようで、日本映画が一本ある。
園子温監督『愛のむきだし』、約4時間の長編だ。

概要を読むと、聞き捨てならないストーリーだ。
万難を排して、ペットボトルにウーロン茶を入れて参上。

ポルトガル語のあらすじにあった通りの設定で、驚く。
両親と息子の3人のクリスチャン(カトリック)の家庭。
母は息子に「マリアさまみたいな女性と結ばれるように」と言い残して若くして病死してしまう。
父はその後、数年間の猛勉強をして「神父」になる。

高校生になった息子は神父となった父と同居するが、父は息子に毎日「懺悔」を強要する・・・。

カトリックのことを少しかじると、これは何重にもありえがたい設定だと思う。
カトリックの神父や修道女は、独身であることが原則だ。
歴史的には未亡人になってから修道女になったケース、内縁で子もなした女性と別れて神父になったケースがあることは知識として知っている。
が、現代では寡聞にして…、

神父や修道女をやめて結婚したというケースにはしばしば触れるが。

息子が神父になったと父と同居して、しかも毎日「懺悔」(カトリックでは「告解」というのがふつうかと)させられるというのは、まずありえないと思う。
妻を亡くした父親がプロテスタントの牧師になった、というのならまだわかる。

なぜ原案・脚本も兼ねた園子温監督はカトリックという設定にしたのか?
これは主人公が母親に植え込まれた強い聖母マリア嗜好を持っている必要があったからだと気づいた。

プロテスタントでは、教会に聖母マリア像はなく、マリア信仰はないと言っていいからだ。
しかしこの映画で描かれるカトリック神父は、カルトの聖職者といったところで、カトリックそのものに対する誤解と偏見を助長するばかりだと思う。

映画のクレジットには「カトリック茅ケ崎教会」と掲げられている。
教会をロケ地として提供して名前まで掲げるからには、脚本にも目を通して善意のアドバイスぐらいはしていてもよさそうだが。


10月6日(日)の記 カナディアンゴジラにアジアの戦争を教わる
ブラジルにて


少しでも身辺整理を。
借りていたブラジル発行のコミック類を返さねば。

ぜひ日本語圏の友人知人に紹介したいものの写真を撮っておく。
折を見てフェイスブックにでもあげよう。

ひとつはポルトガル語題が『Godzilla – A Guerra de Meio Século』、訳すと「ゴジラ‐半世紀の闘い」。
作者はカナダ人のJames Stokoe で原版は英語。

物語は日本の初代ゴジラ映画公開の西暦1954年の日本から始まる。
Shinigawa という、おだやかではない地名が出てくるが、これは確信犯だろうか?

さてさっそく朝鮮戦争帰りというアメリカ軍人が登場して息を呑んだ。
僕はこれまで朝鮮戦争とゴジラの存在をならべて考えたことがなかった。
1954年11月に公開された映画『ゴジラ』の誕生は、同年3月のマーシャル諸島での水爆実験による日本の第五福竜丸の被曝事件の影響を受けていることはよく言及されている。

しかし、朝鮮戦争は…
朝鮮戦争の期間は、1950年から1953年。
初代『ゴジラ』公開の前年まで、日本から一衣帯水の朝鮮半島で核兵器使用の危機もあった戦争が行なわれていたのだ。

昨年、公開されたゴジラ映画のタイトルは『ゴジラ-1.0』だが、はからずもゴジラ誕生の一年前までこの戦争が続いていた。

そしてこのカナダ人作家のコミックでは、次いでベトナム戦争中のベトナムにゴジラが登場するのだ。
ベトナム戦争の期間は、その開始については諸説あるようだが、1955年を掲げるものが多く、1975年まで。
初代ゴジラの翌年にはベトナムで戦争が行なわれていたわけだ。

『ゴジラ-1.0』で顕著だが、われわれ日本人はあまりにゴジラを日本の枠内でとらえて閉じ込めようとしている観がある。
戦争も怪獣も、常に被害者は日本だけ、といった…

カナダ人のゴジラオタクのコミック作家のブラジル版ポルトガル語の作品に教えてもらった。


10月7日(月)の記 ゆく都市くる都市
ブラジルにて


わが居住都市サンパウロと、ふるさと東京の街かどの変化は、どちらの方が激しいか?

うーん、むずかしい…
サンパウロだろうか。
自分の座標、行動範囲、視点にもよるのだろうけれども。

お泊り先で、朝のラッシュが収まるまで待機。
訳あって『密教とはなにか 宇宙と人間』(松長有慶著)、読みかけだったのを冒頭から読み返す。

昼前にエンジンスタート。
帰路、コンゴニャス空港近くのスポットにクルマをとめてグラフィティ探しを思い切ってしようか。

こんな用事でクルマをかっぱらわれてしまうのが心配だけど。
手短に、ね。

ああ!
大通り沿いの廃ガソリンポストのさら地。
なんとドライブスルーのマクドナルドとなって開店しているではないか!

入ってみて、お子さまセットの付録の展示をチェック。
この絵本はすでに持っているな。
が、訪日土産とする手もある。

食指も動くが、とめてあるクルマをここまで持ってくるのはメンドクサイ。

いっぽうブラジルでのパレスチナ支援・イスラエル非難のボイコット活動ではマクドナルドが筆頭にあげられている。
どういうことか、ネットの範囲で調べてみよう。

先日も書いたが、ブラジルのマクドナルドのお子さまセットの付録の絵本では、ブラジルの大御所作家による自閉症についての啓発が書かれている。
こちらのマクドナルドは年に一度、ビッグマックの売上すべてを小児がん治療支援にあてる活動もしている。

それに加えていち消費者としては、安全で食べ終わっても追い立てられずにゆったりしていられるという大きなメリットもあり。
クルマを無料で安全にとめられるというのもありがたい。

近いうちに、またあらためて。


10月8日(火)の記 こどもの日のみかじめ料
ブラジルにて


今日は、一日断食。
それでも探しものもあって計1万歩以上、歩いてしまう。

途中、思い切って久しぶりに最寄りのファヴェーラ:スラム街のあたりを通った。
グラフィティの新作があるかも、という期待もあって。

ふむ、そこそこのものがある。
ちと、光線の具合が。
さらにその先に数人程度だが、人だかりがある。
不審なジャポネ―スが立ち止まってスマホ撮りをするのは、すこぶる目立つ。

スマホは取り出さず、人だかりの方に歩いていく。
直視は避けたが、自動車の板金や塗装を行なう作業所のようだ。
近所の住民が寄って立ち話をしている感じ。

アフロ系の中年の兄貴がこっちに話しかけてきた。
「ようジャッパ、あんたこの辺の人間なのか?」
「…、この上の方に住んでるよ」
「こどもの日のカンパを置いていけよ」
「…、懐が寒くて」
歩きながら応じて、そのまま角を「上」の方に抜けていく。

そうか、今度の土曜12日は、こどもの日:ブラジルの守護聖母アパレシーダの祭日だった。

もし、グラフィティをスマホ撮りしていたら、少しは置いていかなければならなかったろう。
この地区の子供たちのために些少なカンパを惜しむつもりもないが、ちょっとこれは段取りが違う感じ。
申し訳ないが、アニキの酒や覚醒剤へのカンパになりそうに思えてしまう。

こっちの守護天使に守ってもらえたかな。


10月9日(水)の記 歯科医の視界
ブラジルにて


午前中に歯科医の診療を予約してあった。
この先生との会話は、歯の治療にまさるともおとらず刺激的。

お互いの周囲のコロナ事情から。
後遺症の話になる。
彼女の観察によると、最近は若い人で杖をついている人をよく見かけるという。
どうしてかを聞いてみたい思いだが、聞けないでいるという。

これは僕は気づいていなかった。
街ではグラフィティやステッカーばかりに目がいっているためか…
いっぽう彼女の仕事場の周囲は大学がいくつもあるので、そのせいかもしれない。

ナマの人間も観察しなくては。
スマホ写真は撮れなくても。


10月10日(木)の記 きょうのサベツ
ブラジルにて


今日、あなたは差別されましたか?

差別というのは、されてみないとなかなかそれについて考えないものだろう。
日本では女性、高齢者、病気やハンデを持つ人、ある種の職業、ある地域の生活者など以外では差別を感じることも乏しいかもしれない。

いっぽうこれは日本という特殊な「ぬるま湯」を出ると、だいぶ違ってくる。
日本人であることと、その特性が差別の対象になるのだ。

今日は買い物でスーパーや食材店をハシゴ。
しばらくのぞいていないアラブ系の食材店ものぞいてみる。

こうした店では店員が「なにかお探しで?」と寄ってくることがしばしば。
ところがこの店は、どちらかというとガン無視されている感じ。

値段は安くはないが、他では見ないものもある。
手もとのカードが使えるか確認したい。

商品をチェックしている経営者側らしい中年の男と従業員らしい若い女にカードを見せて聞いてみる。
「このカードは使えますか?」

女が「否」と答えて、それだけ。
こちらは礼を言って、広めの店の出口の方に商品を見ながらゆっくり歩く。

すると「否」と答えたオンナが相棒に先ほどのこちらの質問をまねた口調をして、あざけていた。

僕のポルトガル語には日本人らしい「なまり」があり、こちらは特にそれを直そうともしていない。
こうした多様性こそがブラジルの魅力だと思っている。

しかし、これはいい気がしない。
サンパウロには店のオプションもいくらでもあるから、こんな店に行かなければいいだけのこと。

このオンナのあざけうるポイントをあげつらってみても、こちらが相手なみあるいはそれ以下のレベルに堕ちるだけ、というもの。

ひとのふり見てわがふり直せ。


10月11日(金)の記 LOOK BACK
ブラジルにて


公私ともに重大なことは「いまは」書けない、書かないでいる。

さて。
午後から『LOOK BACK』という日本のアニメ映画を見に行ってみる。
予告篇を見ても、特にのれる感じじゃなかったのだが。

これが驚いた。
ストーリーを書き出せばチンケというか、リアリティにも欠ける話なのだが、これがぐんぐん引っ張っていくのだ。
画力、演出力だろうか。

あれ、1時間ぐらいで終わってしまった。
どこか中抜きで上映されたのではないかと疑う。

ふむ、作品の尺は58分か。
この長さで一本立てで封切りというのもスゴい。

なぜか作中の引きこもりの少女だけが東北弁らしき言葉を話す。
描かれる山野や田園の風景ともども、どこの設定だろう?
まさか島根の亀嵩ではあるまい?

ほう、山形とな。
ますます親近感がわく。
僕はアニメ映画をさほど見ているわけではないが『おもひでぽろぽろ』も山形だったな。

山形はアニメで描かれる日本の田舎として格好なのかな?


10月12日(土)の記 蒸発の想い出
ブラジルにて


日本で撮影されたドキュメンタリー映画『蒸発』の監督たちのトーク付き上映に。
https://www.aratamori.com/johatsu?lang=ja

社会から、家族から、失踪してしまう人たちとされてしまった人たちの記録。
かなりデリケートな映画だけに、日本での公開・販売予定はないという。

あの今村昌平監督の『人間蒸発』を想い出す。
西暦1967年の作品か。

日本で映画青年時代に、そしてブラジルの今村昌平特集で見てショックを受けた。
あらたに検索をせずに、どこまで覚えているか…
すぐに想い出すのは「おととやさん」。
主人公の女性の呼び名は、ウサギだったな。

そしてラストのどんでん返し。
日本でこの作品を見た頃の僕には、特にドキュメンタリー志向はまだなかった。
しかし、この映画の「不可解さ」は僕に大きく刻み込まれていたのをあらためて思い知る。

僕の作品には、こうした不可解さがあまりないような気がする。
それがいいか悪いかは別問題として。


10月13日(日)の記 あぶらおけそけ
ブラジルにて


ルーティンの地味な一日のことを、数日たってから日記におこすのはなかなかの難儀。

油のことでも書くか。

「あぶらおけそけ」
という言葉を想い出す。

これはアビラウンケンソワカという大日如来に祈る呪文が変形していって地方に伝わるもの、と記憶する。
大学時代、日本各地の民俗報告書を耽読していて覚えた。
・・・物忘れが多くなった今でも出てくる言葉のひとつ。

が、検索してみると。
ヒットしない。
ひらがな言葉だから特にむずかしいのだろう。

検索していて「おけそく」という言葉に出会った。
浄土真宗で、お供えされた餅のことを「おけそく(華束)」と呼ぶそうだ。
アビラウンケンソワカという呪文は日本語では意味不明だったので、「油」「桶」「置け」「おけそく」などと融合していったのだろう。

検索で、ヒットしない言葉の豊かさ。

お泊り先の夕食の準備。
チリサーモンを解凍。
マリーネをつくろう。

いつもはオリーブオイルをつかう。
レシピを検索すると、ごま油使用というのがあった。
先日、買って持参してあったブラジル産ごま油で。

うむ、わるくない。

そんな小さなことを書こうとして大日如来に至った。

わが小学校の名前は、油面小学校。


10月14日(月)の記 ハイオクマック
ブラジルにて


ガソリンスタンドでハイオクを頼んでいたら、そのスタンドが廃屋になってしまった…

月曜なのに、スマホのアプリでチェックすると意外と渋滞が控えめのようだ。
午前中、いつもより早い時間にサンパウロ市内のお泊り先から、わが家に向かう。

コンゴニャス空港の先、渋滞状況によってアプリはバンデランテス大通り直進か、右折して回り込んで5月23日大通りに合流するかを指示してくる。
先週、後者を選んで、久しく廃屋だった角地がマクドナルドに変身しているのに驚いた。
廃屋になる以前はガソリンスタンドだった。
囲いがあったとはいえ工事をしているのも気づかず、すでに営業しているではないか。

今日は話のタネに寄ってみることにした。
https://www.instagram.com/p/DBJDdw8uM1m/

ふむ、24時間営業か。
駐車場も広々としていて、正午直前の時間だが、がらがら。
お子さまセットを頼むと、景品のえほんはすでに持っているものだった。
・・・日本へのお土産にするか。

店内も広く、四人掛けの広い席にひとりでゆったり座る。
正午を過ぎて、ちびちびと人が入ってくる。

・・・ガソリンスタンド時代、そして廃屋時代の地霊が伝わってくる思い。
廃屋時代には興味をそそるグラフィティが随所に描かれていたが、昼なお暗い廃屋内には路上系の人が生活している気配もあり、立ち入りははばかられた。

生々流転でMマーク。


10月15日(火)の記 カルメル会修道会に入ろうとしたある移民の夢
ブラジルにて


今日のタイトルはエルンストの作品にかけた。
想えば僕がカルメル会という言葉を意識したのは、エルンストの作品だ。

今日は一日断食。

スペインのアビラで活躍した聖テレーザの記念ミサが、わが家からほど近い女子カルメル会のチャペルで午前8時から行なわれる。
あいかわらず祈るべきことはいくらでもあるので、列席。

サンパウロの町なかに、こんな修道院とチャペルがあって、僕のような外道もこうして入れてもらえるのはありがたい。

ミサ後に修道会の回廊に立ち席スタイルでの朝食まで用意してあった。
おいしそうなサンドイッチがあったが、断食の身ゆえ、無念・・・

あのエルンストの文庫本は、日本に置いてきてしまったかな。


10月16日(水)の記 気分はもう鞭声粛粛
ブラジルにて


ひとり相撲はとれない。
関係者に連絡をしながらすすめている案件がある。

今日の気分は、しぜんと「ベンセイシュクシュク・・・」のフレーズが沸き上がってくる思い。

ついで「夜、川を渡る」。
オカムラはいずこの川を渡ろうとしているのか。
まだ、この場では明かせません…

さらに、まさしく粛粛と作業をすすめてゆく。
弁士の声も、粛粛と。


10月17日(木)の記 守護天使のお告げか 悪魔のささやきか
ブラジルにて


在日本のカトリック信者の友人から「おこたりの罪」について気づかせてもらってから久しい。

おこないによる罪ばかりではなく、おこなわなかったことによって犯す罪。

日本なら「さま」付けで呼ばれるような宗教者から、お願いされていたことがある。
自分がこのことについて「おこたりの罪」を犯すことを免れたいと思い、それなりのことをしてきたつもりだ。

ボールを僕にお願いしてきたブラジルの宗教者に投げ返したまま、返しが途絶えてしまった。
先方が、おこたっているのか?

さて今日はサンパウロの日本人の知人から、聞き捨てならないことを教えてもらった。
この「お願い」を実行することで関わらざるを得ない人物がトンデモであり、問題が生じているという。

このタイミングで、思わぬ形でこのインフォメーションをいただくとは。

僕にお願いをしてきた宗教者は、僕にこうしたことを伝えるのもおこたっていたのか。
ひとり仕事で林住期に入った求道者として、ますますいい加減な仕事はできない。

TO BE, OR NOT TO BE?

今日いただいたのは、このプロジェクトを妨げようとする悪魔のささやきか?
あるいは、僕を守ってくれている守護天使のお告げか?

それを決めるのは、僕か。
祈りのなかから、回答が見つかるだろうか。


10月18日(金)の記 私は三つの黒いひかりを見た
ブラジルにて


サンパウロ国際映画祭が始まってしまった。
上映作品400本以上、作品リストをチェックするのもひと苦労である。
どっぷり浸る余裕も力量もないが、サワリ程度は押さえておきたい。

昨日、一本ヨーロッパ産のドキュメンタリー映画を見に行った。
だが会場側の混乱とこちらの混乱で、冒頭を見逃してしまった。
まあ、それを後悔するような作品ではなかったけれど。

今日の気になる一本。
『Yo Vi Tres Luces Negros』というスペイン語の原題。
コロンビアの劇映画だ。
直訳すると「私は三つの黒いひかりを見た」といったところ。

コロンビアのアマゾン地域に暮らすアフロ系の主人公が死期を悟り、密林を彷徨する、というのがざっくりとしたストーリー。

いまだに日本のメディアの売るアマゾン流域の住民イコール先住民・インディオばかりといったところ。
500年以上、アップデートの遅れた認識だ。

アマゾン、さらに南米大陸で生き抜いたアフリカ系住民の子孫は少なくないが、ほとんど日本語になっていない分野のひとつ。

こうした映画が日本以外ではしっかりと受け止められている。
僕のコトバのおよばない豊かな世界だ。


10月19日(土)の記 小雨のモンテッソーリ
ブラジル→


この拙ウエブ日記やSNSでしばしば紹介している絵本「子供たちのための思索者たち」シリーズ。
あらたに Maria Montessori が発売されたはずだ。

小雨のなか、これまで見逃がしていた近所のバンカ(路上に定置で設置された売店。ほんらいは新聞・雑誌の販売が主だった。)に買い出しにいく。
このバンカ、店主の人柄か、こんな日にも賑わっている。

Montessori は日本語ではどう表記されるのか。
「モンテソーリ」かと思いきや「モンテッソーリ」だった。

知る人ぞ知る、モンテッソーリ教育。
検索してみると、ナント日本では西暦1912年に『萬朝報』で紹介されたとな。
印象としては、ブラジルの方がずっと盛んだけれども。


10月20日(日)の記 天空の役所広司まつり
→アラブ首長国連邦→


久しぶりのエミレーツ航空機での旅。

機内映画の充実ぶりに驚く。
日本映画だけで20本近くあるのではないか。

昨今は日本発のアメリカの航空会社のエンターティメントサービスでも日本映画は数本あるかないかである。

日独合作、ヴィムヴェンの『PERFECT DAYS』もある。
見直しておきたかったので、ちょうどいい。

『窓ぎわのトットちゃん』もあるぞ。
これの校長先生役の声優は、役所広司さんだったな。

『峠』、これも役所さん主演。
これはもう見ていてまた見る気はないが『銀河鉄道の父』、これも役所さんが主演だ。

役所さんはいい俳優だと思うが、アラブの機内映画で堂々4本に登場とは。
往年の三船敏郎をしのぐのではないか。
ミフネの全盛時代には機内映画というのはまれだったろうけど。

機内映画について試みに検索してみると、ナント西暦1921年に実験的に開始されたとある。
三船敏郎生誕の翌年である。

100年以上の歴史を有しているとは驚きだ。


10月21日(月)の記 目黒のサルガド
→日本


成田空港に到着。
おっと、渋谷行きのバスが発車間際だ。
ひとつ逃がすと、後が長い。
乗れた。

今回はもろもろ考慮して、まずはふるさと目黒のホテルにチェックイン。
ちなみに、元エンペラーではない。

ほう、フロントに書棚が。
ナントわれらがブラジルの誇るセバスチャン・サルガドの大型写真集が、2冊も相撲番付でいえば横綱の位置に飾られている。

邦訳すると『夢の香り』と『創世記』、いずれも日本語版は出ていない。
日本でもサルガド通を標榜する御仁は少なくないが、この『夢の香り』まで目を通して所有している人はまれだろう。
https://www.instagram.com/p/DBs_j2PP0fL/

フロントの人に聞いてみるが、レイアウトとしてしか見ていないようだ。
別のスタッフにも尋ねると、本のソムリエのような業者の選書らしい。
日本で気の利いた書籍を並べているところは、たいていこれだ。

サンパウロ国際空港の有料ラウンジのように、ハリボテの書籍を飾っているよりかは格段によろしいけど。


10月22日(火)の記 都の城南
日本にて


早朝から目黒駅へ。
ここのホスチアは、ひと味違う。
時間調整で、ゆっくりモーニングサービスをいただく。

渋谷に移動、ジャパンレールパスの引き替えと買い物。
つぎに三軒茶屋へ。
日本からチラシを送ってもらっていたイベントをキャロットタワーで。

さらに学芸大学へ、シン・流浪堂さんを訪ねて。

区でいくと目黒品川渋谷世田谷、目黒に戻る。


10月23日(水)の記 ハッピードラゴン
日本にて


今回の訪日中にぜひ見ておきたい場所と展示へ。
場所は、東京の夢の島。

注目している画家・山内若菜さんの第五福竜丸展示館!での展示『ふたつの太陽』。
http://d5f.org/archives/news/news-1020?fbclid=IwY2xjawGajJlleHRuA2FlbQIxMAABHbjr95Z2Nuomaj_cssS1t68djLsI7ufcDXZix55dE5KnVRbBPMw1D0YO4g_aem_mMgubu3iPXYM0lgejuiNqw

今年は第五福竜丸の被曝事件の70周年である。
僕は恥ずかしながら、この展示館をいまだ訪れていなかった。

そしてびっくり!
第五福竜丸は、木造船だった。
これは、まるで考えてもなかったことだ。

8月の鶴見でのギャラリートークで質問させていただいた山内さんから、今日は直接お話をうかがうことができた。
すごい、という言葉しかとりあえず出てこない壮大なインスタレーションだ。

船の名は、ハッピードラゴン。
「福龍」という言葉を調べてみる。

中華料理屋が次々とヒットする。
中華文化では「福」と「龍」が縁起よくなじむようだ。
ほう、日本が日清戦争で清国からゲットした「福龍」という水雷艇があり、名前もそのまま使ったとな。

西洋のキリスト教文化ではドラゴンはしばしば悪の象徴とされる。
ブラジルにもそれは持ち込まれて、それはグラウベル・ローシャの映画にもよくうかがえる。

そして「福竜」も「福島」も核汚染に見舞われるとは。

福竜丸は、第五。
福島は四号機までが事故。

なにやら黙示録的だ。


10月24日(木)の記 お田園調布で
日本にて


今日も早朝から動く。
午後イチで田園調布駅で知人と待ち合わせ。

まずは近くで喫茶を、という計画。
だが、よく田園調布に来ている彼女もスタバ等の駅前のチェーン店しか把握していないようだ。

僕はパンデミック前に画家の故・富山妙子さんの世田谷のお宅に通っていた際、しばしばこの駅発着のバスを用いて、少しこの辺を歩いていた。
あそこは、どうかな?

古民家を改造したらしいベーカリーとカフェ。
なんとか空席を確保。

それからうかがったカトリック関係の施設で。
先方とよもやま話をしていて、「そういえば」と思わぬ最近の日本の新聞連載記事のスクラップを持ってきてくれた。
こんなことが、ありうるのだろうか?

僕が今後、関わるべきかどうか思案していたキーパーソンについての記事だ。

これには、たまげた。
こうした「偶然」にマヒしないようにしないと。
まずは、感謝、でしょうね。


10月25日(金)の記 ババヘラ初体験
日本にて


早朝5時台に宿を出て。
始発の秋田新幹線に。
終点まで。

まずは駅近くのホテルに荷物を置いて。
秋田の城・久保田城のある千秋公園は、こんなに駅に近かったか。
お堀には巨大な蓮が繁茂、そのなかに遊歩道がある。
大アマゾン河口・ベレンの水辺の遊歩道を想い出す。

かつて秋田県内にお住まいのシンパの奔走で、この千秋公園内にあった施設で拙作の上映をしていただいたことも想い出した。

さてこのあたり、かなりの観光客の賑わいだ。
年配の日本人客が多い。
向かいの広場ではステージを組んで郷土芸能まで披露されている。

そして千秋公園に、いた!
ババヘラアイスの売店。
知る人ぞ知る秋田名物。
年配の女性がヘラでよそうアイスなので、この名があるようだ。

以前の秋田ミッションの道中で見かけたことがある。
しかし「食べたいからクルマをとめてください」とは言い出せなかったのは、時間が押していたせいだったか、出会ったばかりの先方の遠慮したのか。

観光客の行列につく。
こちらの番となる。
こっちより高齢の女性が、黙々とかがんで紅白のアイスをモナカに盛り付けていく。
「ブラジルから来たんですよ」
「写真を撮ってもいいですか?」
などと話しかけてもリアクションはなく、黙々と苦行を続けている感あり。

向かいの広場にも、ババヘラが出ていた。
こちらは列もなく、女性も愛嬌があり、アイスを花弁のように盛り付けるなど工夫を凝らしていた。
一例だけ知って、ものごとの概論を述べてしまうことの危うさを、ババヘラから学ぶ。

昼食をとったお店で、今日は秋田港にクルーズが入港したため観光客が多いと教えてもらうが…

今年は、秋田のキリシタン殉教400周年。
駅から徒歩圏にあるカトリック秋田教会には殉教者の記念碑もあるが、敷地内も聖堂もひと気はなかった。
付属の売店もお休み。


10月26日(土)の記 勝平得之と鬼海弘雄
日本にて


旅の楽しみのひとつは、地元ゆかりの芸術家とその作品を知り、触れることだ。
秋田では県内遠路から友人が駆けつけてくれて、昨日は助けてもらった。

彼女から市内にある赤れんが郷土館付属の勝平得之記念館をすすめてもらった。
今日の出発を遅らせて、午前中に行ってみることにする。

これはよかった!
こうしたところ・作家を教えてくれる友を持つ喜び。

勝平得之さんは、秋田市出身の創作版画家。
郷土の風景、民俗、ひとを生涯、掘り続けた。
その作品群の時空に、いつまでもとどまっていたい思い。
「秋田の四季」展は11月24日まで。

後の予定がなければ、ここから出れなくなっていたかも。
勝平さんの作品を時系列でみていくと「あの戦争」の時も前後もまるでブレずに、未曽有の国難の戦争などなかったように秋田の民俗が描き続けている。

おなじく秋田ゆかりで、ネコと少女の世界から息を呑む戦争画を描き始めた藤田嗣治とは、えらい違いだ。

このあたりを考えてみたい。

JRを二回、乗り換えて山形・寒河江へ。
19時閉館の寒河江市美術館にまだ間に合う。
寒河江出身の写真家『鬼海弘雄回顧展』へ。
11月4日まで。

いい。
大判の人物ポートレイトが中心。
鬼海さん自身の人柄、相手とのここちよい関係性がうかがえる。

人間を写真の被写体のみ、ウリモノとしてしかとらえていないウレスジの写真家との違いがわかるように思う。


10月27日(日)の記 真宗大谷派?
日本にて


今日は山形県村山地方の寺院で肉親の法事。
真言宗智山派のお寺。

真言宗はすべて高野山が総本山かと思い込んでいた。
検索してみると、智山派は京都の智積院が総本山とな。

平安時代に僧侶の堕落問題があり、高野山を去ったグループが真義真言宗というのを打ち立てて、智山派はさらにそのなかの一派、ということのようだ。
キリスト教に勝るとも劣らず、ややこしい。

参列者一同は本堂に並べられた折りたたみ椅子にじっと座って、住職の登場を待つ。
ここの住職は東京にも拠点があり、法事の日取りも住職のスケジュール優先。

ようやく現れた住職は「大谷の試合を見ていて遅れました」と言って、そこそこウケている。
住職は試合の経過の説明をはじめる。

仏教とは、真言宗とは、智山派とは、法事とは、死と生とはといったことへの言及は特にない。
この機会に故人を想い出して、ぐらいの話が読経の後にあったぐらい。

寺の裏の墓地に住職抜きに一同でお参り。

そのあと、料亭での会席。
これには住職も来るようで、ナント僕が住職の隣に指定されていた。
反対の隣には住職と顔見知りの遺族が座り、遅れてやってきた住職と共通の知人の話を続けている。

他の人たちは大谷が脱臼したとか、大リーグの話題で盛り上がっているようだ。
せっかくなので、住職がお隣との話題が途切れた時に聞いてみた。

僕の知る限り真言宗の寺では大日如来を本尊として飾っているが、この寺は不動明王だった。
Q・これいかに?
A・この地方では不動明王を祭る寺が少なくない。東北地方は自然が厳しいので、パワフルなイメージのある不動明王を祭ったのではないか。

この地方ではかつて、遺骨の下顎骨を別にして「シコツ」と呼び、仏教の宗派を問わず四十九日法要の後で(芭蕉の訪問で知られる)「山寺」に収める風習があったと聞く。
Q・その意味は?
A・どの宗派でも分骨して本山に収めようという志向がある。それと同様ではないか。

それではなぜ下顎骨なのか、なぜ宗派を問わず山寺なのかは説明できない。
僕は仏教以前の、縄文的な文化を感じるのだが、別隣りさんがこの話題に加わった。
彼の家の仏壇を整理していたら、誰のものかわからないシコツが出てきたという。
話題はそちらに向かっていく。

山形でも地方ごとに名称も異なり、さかんだった女性シャーマンについても話題にしてみるが、ご住職はまるで乗らず。

誰かとヤマガタのこんな話がしたい。


10月28日(月)の記 大いなる東北2024年秋
日本にて


山形寒河江から、いったん帰京するにあたって。
そのまま帰るのはモッタイナイ。

どこに寄り道するか?
ちょうど一年前に訪ねた岩手水沢はどうだろう。
お目当ての私設ミュージアム喫茶「やまびこ」さんは月曜定休。
お隣の蔵スタジオ鈴貞さんも合わせて、特別にお邪魔させていただけることになった。
なんとも贅沢。
持つべきものは、友。

さらに、東北のカトリック殉教者巡礼地でもあるカトリック水沢教会へ。
なんとブラジルのサルヴァドールで活動したこともある、現在はアメリカのブルックリンを拠点とするというフランス人神父が滞在中だった。

帰路につくが…
荷物を預けていた水沢江刺駅のロッカーが開かなくなった。
指定席をとっていた新幹線を逃すが、担当する駅コンビニのスタッフががんばってくれて、そのまま泊まらずにすんだ。


10月29日(火)の記 大いなる中国地方
日本にて


奥州水沢から江戸でビバーク、石州津和野へ。
東横線始発で新横浜。
シウマイを買って新横浜始発の「ひかり」。
岡山で「さくら」に乗り換え、ままかり弁当を買って新山口まで。

東北から中国地方まで、秋の祖国を鉄路でまわって気づいたこと。
いっとき話題になった北米からの帰化植物セイタカアワダチソウは、経年により淘汰されてきたという報に数年前に接した覚えがある。

ところがどっこい、各地の線路脇や空き地でずらっと黄色い花をなびかせている。
観光客の移動も、こうした帰化植物の分布に貢献しているかもしれない。

観光地に共通する帰化植物の研究、なんてもう誰かがやっているだろうな。
ちょっと検索してみよう。


10月30日(水)の記 乙女峠再訪
日本にて


日本国内では、カトリック信者にもあまり認識されていないようだが…
世界各地での聖母マリアの出現地として、フランスのルルドやスペインのファッチマはよく知られている。
これが日本にもあり、秋田とこの乙女峠の津和野があげられているのだ。

僕にとっては生涯二度目の乙女峠巡礼である。
先回は「偶然」、意図せずの津和野訪問と乙女峠ゆきだった。
今回は、確信犯。

せせらぎを左に受けて、山道を登ること、しばし。
ブラジルの海岸山脈の森を想い出す。

まずは、マリア聖堂へ。
おお。
祭壇画がすばらしい。
格好の祈りの場所だ。

ここは、キリシタン弾圧・拷問・殉教の地だ。
だが、豊臣秀吉や徳川幕府による「過去」のものではない。
明治天皇を頂とする近代日本政府の政策による暴挙である。
このことを、よくよく考えていきたい。

明治政府は、欧米諸国からの日本国内でのクリスチャン弾圧への厳しい非難を受けて、しぶしぶ国民の信教の自由を認めざるを得なくなっていく。

乙女峠に始まる「十字架の道行き」の小径の存在は、先回の訪問では記憶していない。
これがまたすばらしかった。

ひと言で…
感謝。

後記:この日記執筆時に「乙女峠 マリア聖堂」で検索してみると、同時に「心霊スポット」がひっかかるではないか!
ううむ、行きがかり上、チェックするか…


10月31日(木)の記 津和野の明暗
日本にて


津和野巡礼では、不思議な出会いをたくさんいただいた。

カトリック津和野教会の聖堂での早朝のミサにあずかって。
ミサ後に神父さんからお茶に招かれ、話してみれば、驚きの数々。
津和野の殉教と聖母マリアの顕現についても貴重なご教示をいただいた。

今日は午前中、安野光雅美術館を見学するつもり。
がナント、水曜休館とは!
向かいの桑原史成写真館も水曜休館…

しかしその分、市内を散策して思わぬ収穫ばっちり。

ところが実に後味悪い事態が。
今回は旅の最後でもあり、僕にとってはまさに桁違いの料金のホテルを奮発した。
事件の発生とその対応ぶりから「高級」とはとても言えないが、高額ホテルであることは間違いない。
そこに連泊して、テーブルの上に袋に入れて置いてあったたいせつなものが「紛失」してしまったのだ。
「お客様のプライヴェート保護のため、ベッドメイキングはいたしません」とうたうホテルで、タオル交換とゴミ箱のゴミ出しだけを外出時に頼んでおいたのだが。

ホテル側の対応が、あまりに情けない。
これはしかるべきクレームをしなければ。
場末の宿でも怒らないような事態。

なぜこんな事態が起こったのかを知りたい。






 


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