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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2024年の日記  (最終更新日 : 2024/12/02)
12月の日記 総集編 都市の深水

12月の日記 総集編 都市の深水 (2024/12/02) 12月1日(日)の記 泣き虫パードレ
ブラジルにて


午前中に泊り先から帰宅、まずは路上市で海の幸などの買出し。
ついで、聖タデオ大聖堂での正午のミサに行ってみる。

日曜日には早朝から計8回のミサがたてられる。
今日は4回目だが、堂内の長いすはほとんど埋まっている。

ミサも終わりに近づいてから、ミサをつかさどった年配のパードレ(神父)はこれが最後で、今後はアマゾン地方に赴任すると知った。
教会のスタッフが言葉を送る。
「お別れはつらいですが、ここには他にも神父がいますし、これから行かれるところではわれわれ以上に神父さんを必要とする人たちが待っていることでしょう…」
そのあとの神父は、涙で言葉をつまらせながらミサを終えた。

ミサ中にこれだけ神父が泣くというのを体験するのは初めてかと思う。

いいはなむけの言葉に出会ったと思う。

自分の見てきた、いろいろな別れのシーンを想い出しながら大聖堂を出る。


12月2日(月)の記 師走におわす
ブラジルにて


さあ12月のウイークデイのはじまり。
今日は一日断食。

来月に迫ったミッションの詳細を詰めねば。
おっと、その前に今月、決行すべきかどうか思案中のミッションをどうするか…

To go, or not to go...
いずれも一人相撲は取れないので、先方の意向と都合を確認しないと。

少しウエブ日記内を整理。
あまり片付かないけど。


12月3日(火)の記 マプトの街かどから
ブラジルにて


モザンビークが舞台の映画を見に行く。
https://www.youtube.com/watch?v=QANrp2OOCf0
マプトは、その首都の名前。

在日日本人の方々は、モザンビークと聞いてなにかイメージやウンチクが湧いてきましょうか?
JICA関係の人はともかく。

モザンビークはポルトガル語が公用語なので「われわれ」にはアフリカ諸国のなかでも親近感あり。

おや、ここのポルトガル語はなんだかわかりやすい。
ブラジルのポ語より、僕にはわかりやすい気すらする。
複数の言語があるなかで、ピジン化しているせいだろうか?

なにというストーリーがあるわけではない映画なのだが、なんだかいちいち親近感を覚える。
ポルトガル語でいう、サウダージという感情だろうか。

どこか、ブラジルでも日本でもない環境に身を置きたくなることしばし。
かといって、コトバがまるで通じないのもナニである。
モザンビークなら、ブラジル以上にワタクチのポ語も通じるかも。

本編は1時間たらずの映画で、そのあとに監督らのインタビューなどもくっついていた。
監督はブラジル人の若い女性。
撮影はドイツ人の若い男性。
俳優はモザンビークの演劇関係者。

こうした、ブラジルなどからの「外」の視点があったから僕あたりにはよけい面白かったのだろうか?

モザンビークについて、検索したり地図帳を開いたりしてみる。
うわ、国名の由来まで複数あるとは。

ああ、「からゆきさん」のことを想い出した。
アフリカの日本人娼婦では、タンザニアのザンジバルが知られているが…
検索してみると…モザンビークのベイラにも複数がいたようだ。

ぐっとモザンビークが身近になってしまった。


12月4日(水)の記 アートと顔
ブラジルにて


サンパウロ文化センターで、ブラジルの詩人のドキュメンタリー映画を見る。
少しきちんと見たい展示があるのだが、あまり気力がない。
インスタ用の「今日のアート」を探して帰ることにする。

・・・あまりこれといったものがなく、これにしておく。
https://www.instagram.com/p/DDNu2-vvcYw/
キャプションは「顔と顔」とでもしておくか。
「前」のオリンピックの歌にあったな。

今度、日本でこうしたグラフィティやアートについての話をするかもしれない。
想えば、グラフィティや落書きでもっとも描かれているのはヒトの顔かもしれない。
あるいは、僕がそのなかから特に顔を選択しているのか。
アートと顔。

これは故・木村重信先生の「岩絵と仮面」論にも通じるものがあるかもしれない。


12月5日(木)の記 殿堂の対話
ブラジルにて


自動車のことで動いて。
いったん帰宅してから、所用で東洋人街に。
折り畳み傘を持参。

所用のあと、気になっていたカフェの前を通ってみるが、混み合っている。
少しは紙の文字も読みたいひとり客は、やめておいた方がよさそうだ。

ブラジル日系社会の「殿堂」といわれたブラジル日本文化福祉協会で「文協総合美術展」を開催中。
タダだし、見ておこう。

場内は、閑散。
僕の知る関係者たちは、みな高齢で第一線から退いている。
展示された作品の作者からも日系人らしい名前を見つけるのがむずかしいほど多様化してきた。
小粒な作品が多いがそれなりに面白く、「日系コロニアの殿堂」にいることを忘れさせてくれる。

スタッフらしい日系人が僕に声をかけてくれた。
誰だか思い出せないが、かつて僕がこの建物にあるさる機関の理事をさせられた時に出会っていたという。
この彼がいまはこの美術展のプロデュースを担当しているという。

日系美術界の重鎮とどうした、というような話を聞かせていただく。
僕の方は近況報告として、今朝もアップ作業をしていた千住博画伯との記録の話をしてみる。
彼は千住博を知らないようだ。
あの、羽田空港に国際線で着くとあちこちに彼の作品が…と伝えても、わからないようで。
もうやめておく。

そもそもこういうところに鎮座するアートより、ストリートアートの方が僕には面白い。
千住画伯との現場は、それ自体がアートだったかも。


12月6日(金)の記 BLACK TEA
ブラジルにて


午前中にいくつか所用や買い物を済ませて。
午後から気になっていた映画を見に行く。

『BLACK TEA』というフランスや中国などの合作映画。
アフリカはコートジボアールの女性が、結婚式の土壇場で新郎を拒否。
彼女は、中国のアフリカ人居住区にある中国茶葉販売店に勤めるようになる!
この店を経営する中国人男性が、ワケアリだった。
ざっくり書くと、こんなストーリー。
クレジットを見ると、東アジアでの撮影は台湾のようだ。

大西洋に浮かぶポルトガル語が公用語の国・カーボヴェルデも登場。
この島のシーンが甘美で美しい。
そして、ここで話されるポルトガル語のわかりやすいこと。

先日のモザンビークのポルトガル語といい。
これは偶然のメッセージか。

これまた先日、日本の友人からいただいたメッセージをかみしめている。
「縁は偶然だけでは繋がりません。」

この映画のオリジナルの予告篇を添付しておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=NZN6KnqjfeQ


12月7日(土)の記 都市の深水
ブラジルにて


さあしばし、イレギュラーな日々が続く。

今日は午後からお泊り当番。
その前に、サンパウロ市内のミネラルウオーターの源泉に水を汲みにいく。

土曜の午後、意外とさほど混んでいない。
持参した5リットルの容器に、順に注いでいく。

5メートル以上、離れたところで給水しているおじさんがなにか言っている。
どうやら、僕に話しかけているようだ。
「こんなに次々に高層ビルが建てられているのに、地下からこんなに水が湧いているのは不思議だと思わないかね?」

たしかに。
このあたりはわが居住区あたりに比べると建物はやや少ないが、開発のすすむ都市部であることは変わりない。
ここのミネラルウオーターの存在も、自分には当たり前になって久しいが、このおじさんのような疑問は抱いて当然だろう。
日本のリニアモーターカー計画の暴挙を想い出す。

どんな言葉を返そうかと考えて、
「ミステリーですね」
ぐらいにしておく。

おじさんは引き続き、どこそこにも高層ビルが建てられた、どこそこは1000室以上もあるというような話を続ける。

おじさんとは物理的にも距離があるし、僕はこのあたりにそれほど詳しくないし、手も休めてはいられない。
いちいち聞き返す話でもないので、テキトーに相槌をうつぐらいでカンベンしてもらう。

さてここの給水場の外にはベランダ風のカフェがある。
値段は大衆価格。
ここの女性スタッフ相手に、なにやら陰謀論みたいのを一方的に説き続けるおじさんが今日もいた。

おじさんがいなくなってから、
「キミをくどいていたの?」
と聞いてみる。
「いえ、神や悪魔の話をしていたんですよ」
今日、小耳にはさんだ範囲では通貨というものの虚構性を語っていたようだが。

容貌はスティーブン・スピルバーグとかジョージ・ルーカスとか、あんな感じ。
この近くに住んでいるという。

帰路、一方通行のため回り道をしていると、なんとこのおじさんが、おそらく自分の家の戸を開けるところに遭遇。
昔ながらの一軒屋だ。
なにを生業としているのだろう?

ちなみにこの源泉ではPH9.1 という驚異的なクオリティのミネラルウオーターもある。
ウエブサイトでわかる限りでは。この水は地下500メートル以上のところのものの由。
給水場には図説のパネルもあったので、今度はよくみておこう。


12月8日(日)の記 おにぎれず
ブラジルにて


恥ずかしながら、おにぎりをつくるのが苦手である。
きちんとにぎれず、手にべしゃべしゃかつ多量にご飯粒がついてしまう。
もったいない。

いっとき、ネットで「おにぎらず」というののつくり方が流れてきて、やってみた。
これならイケると思い、そこそこだったがもうつくり方も忘れてしまった。

日本の亡母にはふつうに具を入れて海苔をまいたおにぎり、それに焼きおにぎりをよくつくってもらった。
なにも具の入っていない塩結びは、ブラジルに来て初めて接したように思う。

さて、今日も夕食はひとりで済ませることになった。
冷蔵庫にある残りご飯で、焼きおにぎりはつくれないものか。

レシピを調べると、冷ご飯をレンジで温めて、とあるが、わが家には電子レンジがない。
冷ご飯をそのままにぎって、というレシピも見つけた。

なるほどラップを使うのか。
これなら手を濡らしたり、手にご飯粒がつくこともない。

やってみて、にぎってみて、焼いてみるが…
フライパンに薄く油をひいて焼いてみるが、ゴハンが崩れてしまう。
さらに強く握っても同様。

ゴハンのつなぎに醤油、マヨネーズなどを混ぜてやってみるが、さして効果なし。
亡母は冷ご飯をそのまま握って、醤油に浸し、サカナ用の網で焼いていたと記憶するが…

冷ご飯の日にちが経っているせいとか?

冷やゴハンをサラダにしていただくという消費法もやってみたいのだが。
今日は和風でいきたくて。


12月9日(月)の記 明日のジュン
ブラジルにて


明日から思い切って、クルマで遠征をすることにした。
出発は、できる限り早朝。

体力気力温存のため、今日は安静に、そして一日断食。
日本からひどい邪気、悪意を送り続けてくる輩もいるため、気をしっかり持ちたい。
「悪からお救いください」。
運転のわずかなミスが、重大事故となってしまう。

今日はあらたな動画編集等は控えよう。
明日の準備といっても国内旅行だ。

やや手持無沙汰となり、なじみの散髪店に電話予約。
さっぱりした。

訪問先は、雨だという。
何度もこっちとあっちの天気予報、道路状況をチェック。


12月10日(火)の記 蓬莱蕉の蛞蝓
ブラジルにて


思わぬ事態を偶然としてやり過ごすか、そこからなにかのメッセージを読み取ろうとするか。

早朝5時台にサンパウロからクルマで「出家」できた。
夏場はもう明るくて、ありがたい。

レジス街道に合流、ナビに「直進350km」と表示される時のダイナミックさ。
これが難所の多い山道つづきなのだけれども。

まずは山道の前半にある、お気に入りのサービスエリアに到着。
長時間運転の時は著しく一日の歩数が減るので、少しでも歩かないと。
ここは裏手に大西洋海岸森林の植生が迫っていて、ささやかな回廊がある。

ああ愛しの自然林。
時期は夏、雨季。
お嫌いな人もいるだろうから、あえて漢字で書くが、蛞蝓の季節だ。
しばらく、なめちゃんに会っていないな…
この日本の夏、秋の訪日時にも出会った記憶がない。

そう想いながら、目の前に拡がる、こちらで「アダムの肋骨」と呼ばれる観葉植物の葉っぱを見やると。
ちなみにこの植物は日本では蓬莱蕉、モンステラなどと呼ばれるという。
田中一村の絵に出てきそうな植物。
(調べてみて、これの果実が美味と知り、驚く。)

さて。
いた。
一体のみ。
日本の在来種フタスジ…を彷彿させる色とサイズと二筋。
おそらくヨーロッパからの移入種だろう。
それにしても。

スマホで写真も撮るが、SNSへのアップは見合わせておく。

その先でトラック横転事故で1時間半ばかりの渋滞。

パラナ州クリチーバの「聖母の家」で静養される佐々木治夫神父との再会かなうまで、出家から約9時間。
おかげさまで無事に到着、神父さんもいろいろな不調を訴えるものの、ほぼ御達者そうに見えて安心しました。


12月11日(水)の記 終日、聖母の家にて
ブラジルにて


今日は終日、佐々木治夫神父が静養するクリチーバの「聖母の家」で過ごす。
みどりの多い環境で、空気がおいしい。

敷地内には自然林も残り、その境あたりを少し歩いてみる。
朽ち枝をひっくり返すなどしてみるが、ナメクジ、キノコ類、粘菌もみかけない。

敷地の中央には運動会などに使われるグラウンドがある。
さほど手入れはされておらず、ケロケロと呼ばれる野鳥が営巣しているようだ。

この鳥の鳴き声はかなりかしましく、夜間に鳴くこともある。
ずばり子育て中だと危ないので、あまり近づかないでおく。

この鳥について検索してみる。
ウイキではなんと30の言語のページがある。
中国語はあっても、日本語はない。

ふむ、南米に広く分布しているのだな。
アマゾンの中上流域、アンデス、ペルー太平洋岸を欠いているというのが面白い。

なるほど、野原を好み、ヒトにより荒廃した環境にも生息か。

「ケロケロ」とは「欲しい欲しい」を意味する。
いったい、何をお望みかな。


12月12日(木)の記 クリチーバそぞろ歩き
ブラジルにて


午前中に「聖母の家」をおいとまして。
かつて取材でお世話になった方のお宅にお見舞いにいく。
ずっと気になっていた。

午後から、クリチーバの街のそぞろ歩き。
「そぞろ歩き」を検索すると「明確な目的を持たず、気の向くままに歩きまわること」と最初に出る。
なるほど。

僕の場合はある程度、ターゲットはあるのだが。
それにしても、中心街まで歩いてきて、驚いた。
インスタグラムで流れてきて、行ってみようと思った古本屋が大通りの向かいにあるではないか。
・・・日本の知人にどうかなと思う絵本があり、おもいきってフンパツ。
イモヅル式に3冊購入。

メインに定めていたクリチーバ聖美術館は、古本屋の最寄りだった。
アットホームでいい感じだ。
併設の聖堂をのぞいてみると、いまは立ち入りNGだが、午後3時半からミサがあるという。

それまで近くをそぞろ歩き。
なんと、ここはクリチーバで3本の指にある古いカトリック教会で、今日はリフォーム後の落成記念ミサだった。
大司教、市長らがやってきてのテープカット。

ミサ後も政治家の話が続くので、これは中座。
写真・版画美術館をさっと見る。

うわ、古本カフェというのがあった。
他に目をつけていた店があるのだが、ここにも入ってみる。
18時閉店だが、まだいいですよ、と言われて。

築100年ほどの建物のオーソドックスな古書店の奥の一角。
よくぞこんな店があったものだ。
https://www.facebook.com/jun.okamura.733/posts/pfbid02QyPpvmqyDjnjrZHJEBZMYSZ4Y6175siFLLZUwQfayhgzuSCpr7rLTpmikCVgwPV5l?notif_id=1734051311142784 ¬if_t=feedback_reaction_generic&ref=notif

それにしてもクリチーバの街はおもしろい。
探索は、なおも続く。
今日は先月、ブラジルに戻ってからもっとも歩いた。

昨日おとといとほとんど歩いていなかったけど。


12月13日(金)の記 13金の海岸まわり
ブラジルにて


・・・もう一日ぐらい、だらだらしていたいところだが、そうもいっていられない。
ホテルの朝食の前に付近をまわる。

クリチーバとサンパウロのわが家は、片道約450キロ、ナヴィで6時間弱と出る。
とはいえ、これはノンストップの時間。

燃料満タンにして、かつかつの距離だが、コーヒーブレイクに食事、トイレ休憩などもあり。
そもそも大西洋海岸山脈を縦断する山道で、日常茶飯の事故があれば1時間以上の足止めとなる。
工事もあれば、雨もある。

しめて9時間以内で収まれば上出来といったところ。

サンパウロ市内の渋滞もある。
ナヴィはそれを避けての、途中から海岸に降りるルートを示す。

複々線道路でそこそこの眠気もあり。
途中の売店の駐車場で仮眠でもと思うが、外気は暑くてとても眠っていられない。

海岸に降りる道はスリリングで、眠気もすっ飛ぶ。
このルートも面白いのだが、サンパウロに到着するまでサービスエリアがない!
エスプレッソのストレートできゅっと目を覚ましたかったけれど。

いずれにしてもおかげさまで無事故にて、しかも日没前に帰還がかないました。

おっと、今日は13日の金曜日だったな。
そんなのを伝えてくるのは日本のSNS。
帰路、いろいろなラジオを聞いたがこの話題は聞かなかったな。


12月14日(土)の記 カルタゴvsハワイ
ブラジルにて


緊張の連続だった往復1000キロ近い運転のせいだろう。
左腕がかなりいたんだ。
が、あら不思議、ひと晩寝るとそこそこ楽になった。

さて、今日は…
まずは足元から。
今回のクリチーバ遠征のために、サンダルを持っていこうとして驚いた。
サンダルを裏返してみると、底面が見事に亀裂しているではないか。
ばらばらになる寸前というところ。

これを買ったのは、パンデミック以降と記憶する。
さほど使用した覚えもない。

以前のものは頻繁に通うことになった出先に持って行くことにして、自宅用にこれを買った。
持ち出したものは相当な年月の使用だが、いまだに支障はない。
日本に持参して使っていたものも屈強だった。

これら屈強なものの銘柄は、ブラジルの国民的マークでいまや日本でも知られる「ハワイアナ」。
日本の草草履にヒントを得てつくられたという。
いっぽう見事に左右とも底面が亀裂したものの銘柄は「カルタゴ」。
名前は強そうだけれど。

駅前の大きな履物屋に。
ハワイアナはやや割高だが、品質のほどは足をもって体験している。

いろいろな柄があるのだが、いまいちワタクチ好みのものがない。
シンプルオーソドックスにいくか。

さっそく使用してみるが、履き心地もよろしいな。


12月15日(日)の記 はずれた豆腐を
ブラジルにて


わが家の近くには、二軒の日本食材店がある。
ならぶ食材も値段も、微妙というよりもう少しの差があって面白い。

よりわが家に近い方が老舗で、品ぞろいも多い。
こちらの店にはブラジル産の沖縄豆腐(島豆腐)だけで2種類あり、オカラもある時には無料でサービスしてくれる。
もう一軒にも豆腐は何種類かあるが、沖縄豆腐はない。

沖縄豆腐をヤッコでいただこう、と昨日、買いに行く。
二種類とも戯画化したシーサーのロゴがつけられていて、いまだに違いがわからないでいる。
より、見た目に肌がきれいな方を購入。

うわ。
沖縄豆腐は塩がきいているので、まずは醤油をつけずにいただくのだが。
鈍く、重い味がする。
家人も味がよくないと訴える。

いやはや油断がならない。
メーカーが使用した水のせいだろうか?

これは冷ややっこではしんどいので、麻婆豆腐にすることにして。
今日は昼夜ともわが家で食事するのは僕ひとり。

のこったらカレー麻婆にしてもよし。
そこそこの量を作成。

クリチーバでいただいてきた、油漬けのトウガラシを完成版にかけてみよう。
うむ、あまり辛くはない。
が、調子にのって食べていると、発汗がうながされはじめた。

トウガラシの威力を体感。


12月16日(月)の記 気になる木
ブラジルにて


年末特別シフトに突入、といったところ。
今日は午後から泊り当番。

その前に、サンパウロ大学学園都市でいっぷく。
「迷路通り」の奥にあるSWEDENカフェに行くか。

ここは敷地を拡張して樹木の部分も屋内に取り込んでいる。
そのため「樹木カフェ」と称してフェイスブックで紹介したところ、そこそこ好評をいただいた。

サンパウロ市内在住の邦人のあまり地理に通じない知人は、お会いする約束をする際にこのカフェに行きたいと希望を述べられた。
わが家からクルマで片道1時間はかかります、どこかメトロの近くのお店でお願いします、といって「また別の機会に」させていただいたことあり。

さて大学も年末モード、ただでさえ閑散ぎみの環境が輪をかけている。
それでもこのカフェは開いていて、ありがたい。

今日も店内に取り込まれた樹木の樹冠を確認したいと思うが、外の柵は閉鎖されている。
店内の階上席も閉鎖中。

いつもより樹木に近い席をとる。
樹皮は、からからではないか。
地表部も屋内のため、からから。

サンパウロ市内の植生は微妙だが、概して熱帯雨林帯に属するようだ。
しかもいまや雨期である。
サンパウロの街路樹は着生植物や地衣類の付着が顕著だ。
樹皮からは樹液がにじみ、コケ類が覆って降雨時には微細なキノコの子実体、ナメクジまで看取することがある。

しかし、いま僕が向き合っている樹皮は…
アリ一匹みかけない。
沈黙の樹。
「木の毒」だ。

お店のなかに木があっていいねえ、ぐらいに考えていた自分が情けない。
とはいえ、この木は立ち枯れしている観もないのだが。


12月17日(火)の記 街のパステウ屋
ブラジルにて


泊り先から午前中にわが家に戻る。
午後から、隣駅の先まで歩いて買い物に行くことに。
あまり出向かない方角だが、その先に食べもの屋もそこそこある。
ひょっとして気の利いたカフェでもできていないかとスマホで調べて、歩いてもみる。

うーむ、これといったのがない。
昔ながら風のパステウ屋がある。
ここにするか。

サンパウロの庶民スナックの横綱格・パステウ。
長方形の小麦粉ベースの「皮」2枚の間に挽肉やチーズなどなどの具を挟んで揚げたもの。
路上市で供されることが多い。
日系、とくに沖縄系の経営者が多く、付け合わせやサービスなど、それぞれが工夫を凝らしている。

いっぽう常設店は非日系人の経営が多い。
常設店だと、具が均等に広がらず下の方にたまっていたり、落とし切れていない油がべっちょりたれてくることもあり。
カレーでいえば福神漬け・ラッキョウなどにあたる自家製の付け合わせサラダも非日系の店にはなく、売り物のケチャップやチリソースが置かれている程度。

今日のお店は非日系。
搾りたて砂糖きびジュースも頼む。
大衆とともにいる気安さ。

ぴったりの金額の札を出したつもりが、アニキは電卓で計算をはじめた。
え、と思うが、こちらの計算間違い、多く出し過ぎていた。
アニキはそれをトボけず、きちんと計算しておつりをくれたのだ。

お気に入りの店に認定させていただきます、ありがとう。


12月18日(水)の記 今日の展開
ブラジルにて


午前中、マイカーを久しぶりに洗車に出す。
所要時間を聞くと小一時間、というのが常だが、15分20分は遅れるのは常。
殺風景な洗車場で待機しているのも無粋で、その間あれこれ所用・買い物。

夜、近所で思わぬ事故。
市民たちに助けてもらう。

最悪の事態は免れたか。
が、予断を許さぬ状況に。


12月19日(木)の記 年末ダウンタウン物語
ブラジルにて


午後から、メトロでダウンタウンに向かう。
うわ、メトロ車内は通常以上の混雑。

乳幼児連れ、旅行カバンをいくつも持つ人。
大きなプレゼントをかつぐ人。

すでに休暇をとって帰省や旅行に出る人、およびクリスマスプレゼントの買出しに出た人たちだ。
この混雑のなか、車両内を物売りや物乞いが声を上げて行き交う。

サンパウロ市の中心街サンベント駅で下車。
このあたりは通常よりやや人が少ない感じ。
サンタイフジェニア橋はブラジル風サンタとクリスマスツリーの装飾が覆っていた。

今日の主目的は、こちらから2度も前金をとってそのままの機材修理業者の消息を尋ねること。
電話にもメッセージにも応じない。
夜逃げされたかな。

小店舗の並ぶ雑居ビルの上階。
目的の店はシャッターが下りている。
店舗名はそのままで、記載された電話番号は変わっている。
以前も電話番号が変わったことがあった。

かつて日系のパソコン修理業者にパソコンを持ち逃げされたこともあったなあ。
このパラグアイ人の業者夫婦は、約束は守らず、いい加減なことは言うが、根っからの悪人ではないように思うのだが、さて。

このフロアは、そもそもがらんとしている。
店を開けているゲーム系らしい業者のオタク風なアニキに訊いてみる。
わが目的の業者は今日は閉まっているが、いなくなってはいないはず、とのこと。
クリスマスと年末でパラグアイに帰ったかな。
こりゃあ4年越しになるぞ。


12月20日(金)の記 小井沼牧師夫妻との地層
ブラジルにて


午後、小井沼眞樹子さんと「いつもの」カフェで待ち合わせ。
サンパウロを始め、ブラジル各地でプロテスタントの牧師として奉仕された彼女は日本で自伝『ただそこに居なさい!小さな宣教師のブラジル通信』を上梓されたばかり。

小井沼牧師夫妻とのご縁は、この本でも紹介されている僕の初の自主制作作品『生きている聖書の世界 ブラジルの大地の人に学ぶ』(西暦1997年)
https://www.youtube.com/watch?v=gb4M1TD-Oco
にさかのぼる。

だが、それにはさらに前史がある。
西暦2006年に昇天されたお連れ合いの小井沼國光牧師との出会いは、稲林崇さんの葬儀の席だった。
國光牧師が式をつかさどり、僕は故人の妻に葬儀の撮影を頼まれたのだ。

その稲林夫妻との出会いは、サンパウロ市内にあった日系人が興した老舗のプロテスタントの教会・南米教会だった。
僕のテレビ時代・ひとり取材の代表作『60年目の東京物語 ブラジル移民女性の里帰り』の主人公・森下妙子さんがこの教会の礼拝に通っていたのだ。

森下さんと出会ったのは、東京メトロポリタンTVの開局にあたって目玉番組『映像記者報告』のチーフプロデューサー・中山市太郎さんのお声がかりで東京がらみのブラジル移民の企画をたてた際。

中山さんは、彼が「衛星チャンネル」の名物番組『フリーゾーン2000』のプロデューサーを務めていた際に、僕の日本映像記録センター(映像記録)時代の先輩・熊谷博子さんが紹介してくれた。

僕が牛山純一代表の興した映像記録に潜り込めたのは、僕の考古学徒時代に故・古城泰学兄が、映像記録の手掛けた映像人類学的業績を教えてくれたことにさかのぼる。

古城さんとの出会いは、世田谷区遺跡調査会の孤高の調査員、故・長井茂春さんが「岡村君はぜひ古城に会わせたいな」と出会いの機会をつくってくれたおかげ・・・

そういえば、冒頭の小井沼眞樹子さんが世田谷の出生だったとは。

いくつものかけがえのない出会い、好意と厚意にただ感謝です。


12月21日(土)の記 もう一人の博士
ブラジルにて


家人の知人が仕切るクリスマスの出しものを鑑賞に行く。
メインは『もう一人の博士』。
イエス誕生の際に訪ねてきた東方の三博士(三賢人)には、実はもう一人いた、という話。

以前にもブラジルでこれを見た覚えがあるが、検索してみる。
この話はアメリカ合衆国の作家、ヘンリー・ヴァン・ダイクが19世紀末に発表した物語の由。

さらに派生したいくつかのヴァージョンがあるようだ。
クリスチャンとして、いかにあるべきか。
それにとどまらず、人は人としていかにあるべきかを考えさせてくれる。

クリスマスにふさわしい贈り物だ。

僕など足元にもおよばない多くのブラジル人のほどこしの精神は、このあたりにあるように思う。


12月22日(日)の記 夏至のINLNIE
ブラジルにて


今日は自宅から徒歩圏での行動のみ。
こういう日は、日課のインスタグラム写真をどうするかでアタマがいたい。

新作のグラフィティかステッカーがあるか…、

ようやくこんなのを見つけた。
https://www.instagram.com/p/DD9ajihOa4w/
LOVERとあり、スケベ系かと思うが、そうではなさそうだ。
そもそもINLINEというコトバを知らなかった。

帰宅後、調べる。
ふむ、いまアンチョコを見ないで書いてみると、テキストを埋め込んだオンライン用の文章のこと、といったところか。
もうひとつ、車輪が縦一列にならんだローラースケートのことも言う由。

このステッカーは後者の方だろうな。
ヴォキャブラリーが増えました。


12月23日(月)の記 ポリテクニカ
ブラジルにて


午後から泊り当番。
午前中、あらたな動画編集に着手しようとする。

おや、取り込んだデータに不備があり。
データ取込みから、やり直し。

泊り先にクルマで向かうのに、例によってサンパウロ大学学園都市経由で。
おや、いつもの入り口が閉じているとナヴィに出る。

目視でも確認、正門から入って遠回り…
どこかでクルマをとめてウオーキングかつインスタ用写真を撮らねば。

お気に入りのカフェのあるあたりと考えていたが、いつもと違うルートで「あさって」の方向に行ってしまった。
遠方に見える建造物から現在位置を推定。

これまで立ち入ったことのない理工学部の駐車場に入る。
時期柄、ひと気はまるでないが、警備員は詰めていて、他にもわずかに車が止まっている。
小雨模様につき、傘を持参しよう。
こちらは不審者そのものだ。
職務質問された時の答えを考えておく。

広大な駐車場を歩くが、足元が湿ってきた。
そこそこ歩くが、「今日のアート」にふさわしいものが皆無に近い。
文系のキャンパスに比べると、ケタ外れにグラフィティもビラも乏しい。

それでもこんなのを見っけ。
https://www.instagram.com/p/DD-1e9JPNii/

今年、上映と講演に招かれた日本の大学で、グラフィティやステッカーを探してだいぶキャンバスを歩いたことがある。
皆無だった。
そもそも大学が禁止しているという。

それに比べると、数は少ないとはいえ、この理工学部の方が上等だと思う。


12月24日(火)の記 オトナのサイダー
ブラジルにて


泊り先から車で帰宅するが、いやはや快適な交通状況。
クリスマスと正月の特権だ。

帰宅後、家族の知人のところにクリスマスプレゼントのお届け物。

今日の夕餉は家族がつくる由。
ワタクチはサラダを担当。

ドリンクにサングリアをつくる。
これ用に何種類かの果物を用意した。

サングリアは赤ワインベースと思い込んでいた。
本場本国のことはよく知らないが、ブラジルでは白ワイン、スパークリングワイン使用のものもある。
これの「味をしめた」。

ブラジルのクリスマスではSidraという発泡酒が出回る。
シャンパンに近いが、リンゴがベースの「リンゴ酒」。
ずばり「サイダー」なのだが、日本のサイダーはノンアルコールの炭酸飲料。

ネトフリの『ペーパー・ハウス』で「教授」がアジトで作成していたのが、本場のサイダーだった。
現在はこの「リンゴ酒」、イギリスが世界最大の生産国の由。

こちらで大衆価格のSidraはまさしく炭酸飲料感覚で飲めて、お気に入りである。
やってみて、サングリアにしてもよし、と知る。


12月25日(水)の記 古代ガリア語
ブラジルにて


インスタグラムに引っ付いてきたThreadsというSNSは使えこなしていないが、面白く貴重な知見が舞い込んでくることもある。

kaiyo_nicolasさんより。
「Noël」という言葉には驚くべき一面もあるんです!ラテン語の「natalis」(誕生)に由来するのは有名ですが、一部の言語学者によれば、古代ガリア語の「noio hel」(新しい太陽)にも関係がある可能性があるそうです!☀️✨
つまり、ノエルはキリスト教の「誕生」と、冬至後の「光の再生」を祝う古代の伝統が交わったものかもしれません。面白いですよね?🎅🌟

ブラジルでもサンタクロースのことを papai noel と呼ぶのだが、まずはフランス語起源だったのか!
その起源の古代ガリア語説、僕の好きなジャンルだ。

広島の古本屋で買った『あずさ弓』を読む。


12月26日(木)の記 クリスマス断食
ブラジルにて


年末年始とイレギュラーなことがいろいろ入る予定。
思い切って今日は一日断食を敢行することに。

クリスマスそのものへの疑問をどこか引きずりながら、本番が過ぎてしまった。
世界的な行事となってしまったようだが、本義をどこまで踏まえていることか。

キリスト教の教祖イエスの誕生日、ということぐらいは知ってるよといわれそうだが。
実際はイエスの「降誕」を祝う記念日ということで、彼の誕生日そのものは聖書にも書かれていない。
そもそもが北ヨーロッパあたりの先住民族の冬至の記念行事が起源のようだ。
日本でもおそらく縄文時代から冬至を祝う行事は行われていたとみられている。

まあ、当地は南半球だから夏至にあたるのだが。
これは新約聖書に書かれていることだが、メシア:救世主の誕生を知ったヘロデ王は、一帯の2歳以下の男児を皆殺しにしたという。
これはどこまで史実かはわからないとのことだが、キリスト教の経典に書かれていることは事実である。

クリスマスだから問答無用でおめでたくお祝いしよう、ではなく、それがおめでたくなくお祝いする気にもなれない、まるで関係がないという人たちにこころを留められるようでありたい。

さすがに当日は外して、翌日の断食というのは悪くない。


12月27日(金)の記 コリアン街でばったり
ブラジルにて


昼からサンパウロのコリアンタウンに買い物に。
インスタグラムで知ったコリアン系の書店をのぞいてみようと思う。
・・・ようやく訪ねあてると、すでに年末年始の長期休暇に入っていた。
店の名は「アイゴー」。

コリアン系の経営らしい新しいカフェを見つけて入ってみる。
ほう、客は年配のコリアン系ばかり。

ちょいとしたスマホ作業や軽い読書に悪くない。
さて、帰るか。

メトロの駅に向かい、駅近くで「岡村さん」と声をかけられる。
僕より若い邦人夫妻だった。
立ち話も尽きず、近くのカフェに。

共通の知人の話題が次々と。
夫の方は日系社会の要職にあり、ふだんは会うことはかなっても長話はできないでいた。

いやはや、すっかり引き留めてしまって恐縮でした。


12月28日(土)の記 年の瀬のフェイジョアーダ
ブラジルにて


昼は家族と近所にフェイジョアーダを食べに行くことに。
フェイジョアーダはブラジルのナショナルプレート。

年末年始モードですでに休業中の店も少なくない。
しばらく家族とは来ていない、近くの角の店へ。
階上にあがってみると、ほぼ満席ではないか。
手前のテーブルがようやく開いたところ。

数十人がわんわんひしめくなか、二人のウエイターで切り盛りしている。
こちらもビールのオーダーを落とされるが、ま、気長に。
うわ、空席待ちの人びとが次々と会場にあがってくる。

そうとうな騒音のなか、女子のウエイターがグラスを落とした音が店内に響き渡る。
ベランダのグループ客が「ウエーイ」といった、これを矯正というのか歓声というのか、リアクションの声を上げる。

けっして咎めるといったニュアンスはなく、はやしたてるというか、いわば小中学生のノリといったところ。

日本だったら、見て見ぬふりをしながら不快非難のまなざしをあてるといったところだろうか。

このブラジル人のノリ、いいなあと思う。

女子ウエイターは賄いの女子とともにすばやく割れたグラスの破片を履きあげた。


12月29日(日)の記 年の瀬の見舞い
ブラジルにて


気になっていた方のお見舞いを、思い切って決行。
サンパウロ市から東方約150キロの町。

年末の日曜、快適にサンパウロ市内を抜ける。
あとはひたすら車を走らせる。

先方は見た目は元気そうだが、目の焦点がゆるい感じ。
すでにこちらのことはわからなくなっている。
彼女がいちばん気にかけていた肉親の話をして写真も見せるが、もう誰だかわからなくなったようだ。
昨年は、こちらが誰かはわからなくなっていても日本語の会話ができた。
今日は、言葉を発することはなかった。

いとまごいをしてから、ブラジルの守護聖母アパレシーダの大聖堂を目指す。
街道は異常な混雑。
12時のミサにあずかろうと考えていたが、たどり着くだけでひと苦労となり、ミサは断念。
広大な駐車場に入るための車の列も果てしない。

予定変更、今日は見合わせることにする。


12月30日(月)の記 ブラジルの国辱
ブラジルにて


昨日は入場をあきらめたブラジルの守護聖母アパレシーダの大聖堂にふたたび詣でる。
駐車場代だけで、サンパウロで並の定食とドリンクをいただける料金。

正午のミサにあずかることにする。
大聖堂の中央に祭壇があり、それを囲んでまさしく十字に参加者の長いすが並べられている。
あれ。
ここの長いすには膝つきの台がないではないか。
日本でも老舗のカトリック教会にはある、ひざまずく際に膝をつく台である。

堅い床にひざまずくのは、けっこうしんどいのだが。

この大聖堂のトイレは…
地下に2か所あるのだが、1か所は閉鎖中。
男子の方の小用では、まあ並のトイレといったところか。

女子用を使用した連れが、いたく怒っている。
女子用の個室は「大」が流れていないところが複数あり。
個室の床はオシッコらしい液体でびしょびしょ、そこにペーパーが捨てられて。
まことに悲惨な状態の由。
・・・ちょっと僕には考えられない。

場末の公衆トイレならともかく、ブラジル国の守護聖母をまつる大聖堂のトイレである。
とはいえ、ローマ教皇が訪問しても、女子トイレには立ち入ることはないだろうが。

コロナのウイルスが糞便に多く排出されることはパンデミック以降の一般知識となった。
その糞尿が靴底に付着して。
そして大聖堂の床にウイルス込みの糞尿が運ばれて。
そこにミサ出席者がひざまずく。

貧乏教会ならともかく、ここは駐車場代もべらぼうで、現在は大聖堂の外壁のグラフィティ化の作業中だ。

カネをかけるところの優先順位、大衆の集まるところでの必須事項の認識を著しく欠いている。
おえらい「神父さま」たちは下々のシモの事情などにかかわれないということか。


12月31日(火)の記 アブラゲカダブラ
ブラジルにて


油揚げの購入を頼まれた。
こちらの親類が元旦に集う際のお節料理の一品として、稲荷ずしをつくるため。

あれこれ作業をしているうちに11時近くになった。
さて、近所の日本食材店へ。
ない。
もう一軒も、ない。
たかが日系、されど日系。
日本食材店、正月前は年中で最大の賑わいだ。

さあどうしよう。
このままメトロに乗って東洋人街まで買い出しに行くか。
あれだけの食材店があれば、どこかしら油揚げが残っているのでは。

日系人相手の店では同様の売り切れが予想される。
チャイニーズ経営の、客もチャイニーズ目当ての大型店に行ってみよう。
彼らのお祝いは旧正月がメインだし。

この狙いは当たり、一軒めにしてわが近所では見ない銘柄の油揚げがあった。
想定していたものよりなに角ばった感じだが、背に腹は代えられない。

別の店も見てみるが、「あげ」と書かれているものの厚揚げといっていいものしか見当たらない。
これでは稲荷ずしには向いていないことだろう。

ふたたびメトロに乗り、戻る。
近所の店をふたたびのぞいてみると、あらたに「あげ」が届いていた!
しかしこれは厚揚げの「あげ」。

まあ東洋人街まで行った甲斐はあった。
この時期が稼ぎ時の人たちに想いを馳せる。

この先の項は「西暦2025年1月の日記 総集編」に続きます。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000276/20250103018031.cfm?j=1






  


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